私は2人の娘を育てている専業主婦です。長女は小学校2年生、次女は幼稚園の年少です。私は昨年の4月、次女が幼稚園にあがったタイミングでうつ病を発症。現在は心療内科に通っています。育児をすることが困難でしたが、ある日、私の異変に気づいた幼稚園の先生が、声をかけてくれたのです。私の目には、思わず涙があふれました……。まさか私がうつ病に次女が幼稚園に通い始め、育児がラクになったはずのタイミングでうつ病を発症しました。原因は定かではありませんが、もともと生真面目で完璧主義な私。家事も育児もうまく手が抜けない性格で、うつ病になりやすい気質だったと思います。調子が悪いときは何もできなくなり、ベッドから出ることも困難でした。 そんななか、幼稚園の送迎とごはん作りだけは何とかやっていましたが、幼稚園から14時に帰ってくる次女の遊び相手になる余裕はなく、長女が帰宅する16時までひたすらYouTubeを見せ、その間、私はベッドに横たわっていました。 「お母さん、大丈夫? 疲れている?」ある日、いつものように調子が悪いなか、娘を送迎したときのことです。よほど疲れた生気のない顔をしていたのか、娘の担任の先生が「お母さん、大丈夫? 疲れている?」と声をかけてくれました。そのやさしい言葉に思わず涙があふれました。 すると心配した担任の先生は職員室に連れて行ってくれました。そして、「つらいんだったら園の預かり保育を使ってね」と言ってくれたのです。預かり保育は仕事をするママだけではなく、病気で保育が困難なママ、リフレッシュしたいママも使ってもいいんだよ、と説明してくれました。 預けたら……娘はまだ入園したてで園生活にも慣れていないこともあり、私は預かり保育を利用することに抵抗を感じていましたが、ある日、意を決して利用することに。預かり保育中、次女はいつもとは違う様子に少し戸惑いもあったようです。しかし、お迎え時に先生からは「大丈夫です。楽しく遊んでいるときもありましたから。それよりお母さんが元気で笑顔になることが大事ですよ」とありがたいお言葉をいただきました。 普段は、次女の様子を気にしながらベッドに横になっていたのですが、幼稚園でしっかり見てもらえていると思うと、安心してゆっくりと休むことができました。また、困ったら頼れるところがあるというのは精神的な支えになりました。 最初はしぶしぶ預かり保育に行っていた次女も、今では喜んで行くように。家で構ってあげられない状態より、幼稚園で他のお友だちや先生と遊んでいるほうが次女にとっても良いと感じています。私の体調が悪く保育枠に余裕があるときにはこれからもお願いして、娘たちのためにも、私自身の体調を整えることも大事にしたいと思います。安心して任せられる環境を用意してくれている幼稚園には、本当に感謝しています。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子著者:小川恵子8歳と5歳の姉妹の母。育児サークルの幹部や習い事、執筆活動など、精力的に育児を楽しんでいる。
2024年03月08日夫の転勤で子どもたちを連れて家族で海外へ引っ越すことになったわが家。一度海外に出発すると帰省することも難しくなるので、両家の両親と私たち家族は長いお別れになってしまいます。そこで海外に出発する際に、空港まで見送りに来てくれないか両家の両親に頼んだのですが……。孫と長く会えなくなると悲しむ両親夫の仕事の都合で海外に引っ越すことが決まり、さっそく両家の両親に伝えた私たち。どちらの実家も、私たちの自宅からは車で数時間以上離れています。 私の両親は「家族で決めた引っ越しは仕方のないことだけれど、これまで以上に孫たちと会えなくなってしまうのはさみしい」と、距離がさらに離れてしまうことによるさみしさを感じているようでした。それは私の両親だけではなく、義両親も同じような反応だったのです。次に孫に会わせられるのもいつになるかわからないので、引っ越しの際は空港まで見送りしてもらうことに。 見送りに来ない義父引っ越し当日の見送りを両家の両親にお願いすると、「当たり前! 絶対に行くからね」とふたつ返事で了承してくれたのです。しかし引っ越しの数日前になり、義両親から連絡が……。それは、仕事の休みが取れなかったから義父は見送りに行けないというものでした。 数カ月前から日程を決めて調整するように頼んでいたのに! 子どもたちもおじいちゃんおばあちゃんが勢ぞろいで見送ってくれることを楽しみにしていました。残念な気持ちとともに、私たちのために仕事の休みすら調整してくれないのかと怒りを覚えた私。 孫と会いたくない? 義父の本心長らく会えなくなる私たち家族との別れに、見送りに来てくれないことで「会いたくないの?」という悲しみと怒りを感じた義父の対応。私以上に夫と子どもたちはさみしく感じているようでした。そんななか、迎えた引っ越し当日。やはり義父は不在で、両親と義母が見送ってくれました。 しかし、義母から聞いたひと言が私たちの気持ちを納得させてくれました。「お父さんは大好きな息子家族との別れがつらすぎて、見送りの場所に来たくなかったみたい。許してあげてね」と。義父なりの考えがあり、見送りをしないことに決めたのだと理解できました。 本当は、義父からの言葉で聞かせてほしかったし、せめて、夫にだけでも別れに際して声をかけてくれれば……と思う気持ちもあります。けれど、見送りに来ないのは義父なりに私たち家族を大切に思っているからこその行動だったと、理解することができました。親子のコミュニケーションの難しさを痛感する出来事でしたが、これからは距離が離れていても私たち家族や孫たちの成長が身近に感じられるように、写真やビデオ通話を使い近況報告をこまめにしていきたいと思っています。 著者:三宅ちよこフリーランスとして働きながら1男1女を子育て中の母。ファイナンシャルプランナーの資格を持ち、株や不動産投資を副業としている。ライターとして主婦のためのお得な情報や子育てに関する体験談を執筆している。
2023年11月14日皆さんは、義家族との付き合いに悩みはありますか?今回は、産後の嫁をこき使う義両親のエピソードを紹介します。イラスト:たまなべ産後はゆっくりするつもりが…義両親から責められ…こき使われる嫁…ひどい仕打ちを忘れない…出産直後の嫁をこき使う義両親。医者から安静にするよう言われた期間は、ゆっくり休ませてほしいですよね。義家族とは、お互いに気を遣っていきたいです。※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています。(Grapps編集部)
2023年11月11日毎日家事や育児、仕事に追われる日々にモヤモヤしていた私。ある日、めまいなどの異変が体に起こったのです。私はその日のうちに病院を受診。するとそこで告げられたのは……。 ある日、体に異変が夫の仕事は夜勤もあり、パート勤務の私のほうが必然的に家での家事の量が多くなります。私は寝てもなかなか疲れが取れずにモヤモヤしていました。 「夫は夜勤が大変だから、私が代わりに頑張らなければ!」 と、気持ちは強く持とうとしていましたが、疲れが徐々に溜まっていきました。いつもどおりに家事をしているときでした。洗い物の最中に、視界がふわふわとしてめまいがしたのです。さらに、真っすぐ歩くことが難しくなってしまった私は不安になり、その日のうちに病院へ行きました。 診断結果は…!結果はストレスや疲れによるメニエール病という診断でした。医師の説明で、気持ちだけではどうにもならないことを知りました。それまで家事のことや育児のことを考えずに、心から解放される時間があまりなかった私。娘を幼稚園に送ったあと、好きなアーティストのDVD鑑賞や横になってくつろいだりして、ストレス発散できる時間を必ず1日1回は作ろうと決意しました。 メニエール病は薬で治りました。DVD鑑賞やゲームを楽しむというストレス発散方法は、準備に時間がかからず自分の中では取り入れやすいと感じています。また、夫が休みの日は自分の時間をもらって、カフェへ気分転換に出かけています。適度に心の休息をとることは、身に染みて大切だと感じました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/きりぷち監修/助産師 松田玲子著者:木野つむぎ
2023年09月24日皆さんは、パートナーとの関係に悩みはありますか?今回は「産後の妻へのとんでもない行動」を紹介します。イラスト:23ca産後の妻へのとんでもない行動主人公が離婚した夫はかなりひどいモラハラ気質でした。主人公が子育てに手一杯になり、家事が疎かになると夫は「こんなこともできないのか!」と怒鳴る始末。それだけでなく、夫は子どもの世話で寝不足の主人公に対して…。夜中に怒鳴り散らす夫出典:CoordiSnapなんと夜中に、主人公に正座をさせてまで怒鳴ってきたのです。怒鳴られていた当時はおかしいことに気付かず、しばらくの間、夫のモラハラに悩まされていたのでした…。夫のトンデモナイ行動に戦慄子どもの世話で家事が疎かになってしまった主人公に対して、怒鳴る夫。そんなモラハラ夫とは離婚した主人公のエピソードでした。※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています。(CoordiSnap編集部)
2023年09月19日こんにんちは、プクティです。今まで子育てのことを赤裸々に書いてきましたが、今回は、唯一避けていた旦那との話です。少しネガティブな内容になるため苦手な方はスルーでお願いします。■産後関係が悪化…■初めてイラっとしたのは妊娠中実は産後私たちの関係はあまり良くありませんでした。一時期は離婚も頭によぎってしまうほど悪化していたときもあったり…。ですが今はそこを乗り越えてまた仲良しな関係に戻っています! 旦那にも許可を得てこの話を描いています。同じ境遇の方の少しでも参考になればという気持ちで描いていますので、あたたかく見守ってくださったら嬉しいです!次回に続く「産後の夫婦関係良好ですか?」(全9話)は12時更新!
2023年09月09日皆さんは、義家族との関係は良好ですか?今回は「産後を労われない夫を一喝する義母の話」とその感想を紹介します。産後1ヶ月なのに義母と同居している主人公夫婦。主人公が里帰り出産から帰ってきたときの話です。まだ出産から1ヶ月しか経っていない主人公に向かって、夫は「もう1ヶ月経ったんだから復帰準備しろ!早く働け!」と言ったのです。義母の一喝に感謝出典:CoordiSnapその後もソファーにドカッと座ってえらそうな態度の夫。そして主人公に「産後だからってゴロゴロするな!」と言ってきました。すると夫の発言を聞いた義母が、背後から「アンタ、今なんて…?」とやってきます。そして「出産っていうのは命がけなんだよ」と、夫を一喝してくれたのでした…。読者の感想産後の主人公を思いやれない夫を一喝する義母にスカッとしました。産後はゆっくりしたほうがいいので、夫には理解してもらいたいですね。(30代/女性)産後すぐに仕事復帰しろと言う夫には驚かされます。そんな夫を一蹴してくれた義母のおかげでスカッとしました。(20代/女性)※この記事はユーザーのエピソードをもとに作成しています。※実際に募集した感想をもとに記事化しています。(CoordiSnap編集部)
2023年09月07日上の子が3歳8カ月のときに、下の子が生まれました。上の子は赤ちゃん返りがひどく、かんしゃくを起こしたり下の子を叩いたりと大変でした。悩みながら育児をしていましたが、2人とも成長し、下の子が1歳を過ぎた今では「仲良しの姉妹」です。わが家が乗り越えた、壮絶な赤ちゃん返りの体験談を紹介します。下の子の誕生に、上の子が動揺…下の子が生まれてから3カ月は、上の子の赤ちゃん返りがひどく大変でした。 具体的なエピソードは、・下の子に育児用ミルクをあげていると、下の子を私から振り落とそうとする・かんしゃくがひどくなり、ささいなことで泣き叫ぶようになる・下の子を抱っこすると、泣いて怒る などで、とても困惑したことを今でも覚えています。 そのころの私は、「どうして上の子はこんなにかんしゃくがひどい子になってしまったのだろう。いじわるされて、下の子は正常に育つのだろうか」といった不安を抱えていました。 本当のお姉ちゃんになるまで下の子の生後半年が過ぎると、長い冬が終わったかのように、上の子の赤ちゃん返りが落ち着いてきました。かんしゃくが収まってきて、下の子を抱っこしても嫉妬することが減り、私も少しひと安心。 上の子の赤ちゃん返りは落ち着きましたが、このころには下の子が動き回るようになったため、上の子のおもちゃを誤飲しないよう誤飲対策を始めました。 下の子が1歳になり、上の子がお世話をする姿や一緒に遊ぶ姿が見られるように。小さいおもちゃを誤飲する心配も減り、一緒に遊べる機会が増えました。公園や家で一緒に遊んでいる姿を見ると、とてもほっこりして幸せな気持ちになります。 ケンカをするときもありますが、壮絶な赤ちゃん返りの体験があったからこそ寛大な気持ちで見守ることができています。 赤ちゃん返りは本当に大変ですし長く感じますが、今振り返ると、子どもの成長を感じられる機会になったなと思います。そして、赤ちゃん返りを乗り越えたことで、子どもとの絆がより深くなったように感じます。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! イラスト/ミロチ著者:松原 りさ5歳・2歳の娘、夫との4人暮らし。パート勤務をしており、趣味は読書とレジャー。読書で得た知識を生かしながらライターとして活動し、自身の体験談を中心に執筆している。
2023年07月28日アラフォー主婦のきりぷち(マンガ内では「ちゅん」)さんが描く、自身の産後うつの体験談。助産師・月川さんのイベントを通し、他のお母さんも自分と同様に育児の悩みを抱えていることを知ります。助産師・月川さんの開催するイベントで、他のお母さんも自分と同じように育児の悩みを抱えていることに気付いたきりぷちさん。息子のそうちゃんと2人だけの世界に閉じこもっていたきりぷちさんにとって、外界との関わりは大きな転機となり……!? 大丈夫、ひとりじゃないよ 周囲の手助けを得て、徐々に心と体を回復させていったきりぷちさん。出産前は「産後うつなんて自分には関係ない」と思っていましたが、自身の経験を通して、「どんなお母さんにだって心を病む可能性はあるのだ」と考えるようになりました。 もしも、赤ちゃんを抱いてひとりで泣いているお母さんがいるなら、今度は自分が手を差し伸べてあげようと思うのでした。 強い育児不安に苦しんだ経験を通して、今度は自分が手を差し伸べる側になれますように、と願うきりぷちさん。「大丈夫、ひとりじゃないよ」「みんなで一緒に育てていこう」というきりぷちさんのメッセージが、いま赤ちゃんを抱えてひとりで泣いているママたちのもとに届きますように――。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター きりぷち
2023年05月18日皆さんは、義家族の方とのお悩みはありますか?今回は義母からの産後ケアの申し出を断ったエピソードを紹介します。イラスト:@toree義母から産後ケアの申し出が…第一子を出産した主人公。自宅で過ごす予定でしたが、義母が「住み込みでケアしてあげるね!」と提案したのです。主人公は義家族から「孫を産め」という圧力に苦しんできたので、一緒に過ごす気になれず…。申し出を断ったところ…。怒る義父と泣く義母出典:Coodisnap申し出を断った夜、義父から怒りの電話がかかってきました。どうやら義母の有難い申し出を断ったことで、義母が泣いてしまったようで…。義家族の発言と行動にモヤモヤする主人公でした。嫁の気持ちも考えて義母と義父は自分たちの気持ちばかり優先していてモヤっとしますよね。嫁である主人公の気持ちも考えてほしいものです。自分勝手な義家族を描いたエピソードでした。※この記事はユーザーのエピソードをもとに作成しています。
2023年05月11日私は生まれてからずっと都市部に住んでいて、運転免許は持っていません。移動は徒歩、自転車、公共交通機関のいずれかになりますが、不便を感じることはなく、運転免許をとる必要性も感じていませんでした。そんな私が出産後4カ月で地方都市に移住。幸い街中に近いところに住まいがあるため、車がなくても生活ができます。ただ雨の日も、暑い日差しの日も、自転車で移動する私と一緒にいる子どもには我慢させているかもしれません。妊娠判明と同時に引っ越しが決まる夫の仕事の関係で引っ越しが必要だとわかったのは、私の妊娠がわかったのとほぼ同時期。夫から引っ越し先は車社会の土地だと聞いたので、私は妊娠中に免許を取ることも考えました。 しかし私に持病はないものの高齢出産ということで、新しい環境やテストなどが精神的にも体力的にも負担になるかもしれないと考え、妊娠中に教習所通いはしないことに。教習所について調べるうちに、今は託児所付きの教習所もあることを知り、子育てが落ち着いたら免許を取ることにしました。 いざ子育てが始まるとしかしいざ子育てが始まると、私には物理的にも、精神的にも、体力的にも教習所に行く余裕はありませんでした。夫がいないときに子どもと出かけるときは抱っこまたはベビーカー。どうしてものときはタクシーを使いました。 子どもが2歳になり、自転車の後部座席に座らせられるようになると、移動手段はほぼ自転車に。雨の日は子どもの座席部分にレインカバーをかけ、私もカッパを着て自転車に乗っています。 雨の日になると雨の日にたまに子どもが「父さんの車がいい……」ということがあります。確かに都心部では当たり前のように見かけた雨の日の自転車での子ども園の登降園も、私たちの住んでいる地方都市ではかなり珍しい光景です。 子どもは同級生の様子を見てうらやましくなったのかもしれません。私はというと、雨の日は車のほうが快適だろうなと思いつつも、時間や労力を考えると積極的に教習所に行こうとは思えないのが正直なところ。子どもには「ごめんね、お母さんは車の運転ができないんだ」と謝るばかりです。 引っ越し当初は「早く免許を取らなければ」と考えていたものの、免許がなければないで生活ができてしまい、私は免許取得に積極的になれないでいます。周りの様子を見て車に乗りたがる子どもには、今のところただただ「ごめんね」と謝るばかりです。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~5歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子著者:小原水月1児の母。管理栄養士免許取得。「健康が人生をわくわくさせる」をモットーに食と健康の分野でライターとして活動中。高齢出産後、生まれ育った都心を離れ夫の実家がある地方都市へ移住。義母と同居。
2023年01月09日フランスで3歳と1歳の男の子を育てている私。夫の家族は関係性が複雑で疎遠、私の両親は日本に在住しています。そのため、子どもを誰かに預けることが難しく、なんとか夫婦2人で乗り切ってきました。しかし、最近は子どもたちが成長するに伴い、子どもの同伴が難しい用事が増え、預け先に困ることが増えています。そんな中、私は周りの人を見ては傷つき、友人との会話で落ち込み葛藤するのです。他人を羨ましく感じる私次男が2歳になる来年に仕事を始めたいと考えている私。しかし、実際は仕事の都合で休みが不定期な夫の協力が難しく、どうやって子育てと仕事を両立していけばいいか悩んでいます。 そんな中、スーパーへ子どもたちと一緒に買い物へ出かけると、いつも孫と買い物を楽しむ祖父母の姿を多く見かけ、「祖父母がいると、両親に時間ができていいな」「子どもたちもおじいちゃん、おばあちゃんと過ごせて楽しそう」と羨ましい気持ちになるのでした。 ママ友との会話でも落ち込み…夏休みの過ごし方の話題が出ると、ママ友からは「子どもたちはおばあちゃんの家に2週間行って楽しかったみたいよ」「子どもがいない間に夫婦2人で旅行しちゃった」という内容を毎年のように聞きます。 そのたびに私は「うちは祖父母がいないから、子どもたちと一緒に〇〇(旅行先の場所)へ行ったよ」と言うくらい。私は毎年、この内容の会話をするとわが子に申し訳ない気持ちになって悲しくなります。 ふと思い出した、姉の言葉私は、祖父母の協力がある家庭は乳幼児の子どもがいても順風満帆に生活を楽しんでいるように見えて、勝手につらい気持ちになっていました。「子どもたちが小さいからと、諦めてばかりの生活なのに」と思っていた矢先、姑の協力がある姉の言葉を思い出しました。 「子どもが小さいうちはなかなか動けないよ。でも、子どもの成長とともに状況は良くなるから」と言っていたのです。私は「今できることを一生懸命やるしかない」という前向きな気持ちになれました。 ないものを探しては落ち込んでいた私。しかし、姉の言葉を思い出して「子どもが乳幼児期の家庭は、祖父母の協力があったとしても育児が中心であることはきっと同じ。時期が来ればもう少し動けるようになるから、今を一生懸命に頑張ろう」と思えるようになりました。これからも夫婦で協力しながらやっていこうと思います。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 著者:岩見 エリ2人の男児の母。看護師歴12年、フランスで出産し子育て中。
2022年12月21日夫の転勤で子どもたちを連れて家族で海外に引っ越すことになったわが家。一度海外に出発すると帰省することも難しくなるので、両家の両親と私たち家族は長いお別れになってしまいます。そこで海外に出発する際に、空港まで見送りに来てくれないか両家の両親に頼んだのですが……。孫と長く会えなくなると悲しむ両親夫の仕事の都合で海外に引っ越すことが決まり、さっそく両家の両親に伝えた私たち。どちらの実家も、私たちの自宅からは車で数時間以上離れています。 私の両親は「家族で決めた引っ越しは仕方のないことだけれど、これまで以上に孫たちと会えなくなってしまうのはさみしい」と、距離がさらに離れてしまうことによるさみしさを感じているようでした。それは私の両親だけではなく、義両親も同じような反応だったのです。次に孫に会わせられるのもいつになるかわからないので、引っ越しの際は空港まで見送りしてもらうことに。 見送りに来ない義父引っ越し当日の見送りを両家の両親にお願いすると、「当たり前! 絶対に行くからね」とふたつ返事で了承してくれたのです。しかし引っ越しの数日前になり、義両親から連絡が……。それは、仕事の休みが取れなかったから義父は見送りに行けないというものでした。 数カ月前から日程を決めて調整するように頼んでいたのに! 子どもたちもおじいちゃんおばあちゃんが勢ぞろいで見送ってくれることを楽しみにしていました。残念な気持ちとともに、私たちのために仕事の休みすら調整してくれないのかと怒りを覚えた私。 孫と会いたくない? 義父の本心長らく会えなくなる私たち家族との別れに、見送りに来てくれないことで「会いたくないの?」という悲しみと怒りを感じた義父の対応。私以上に夫と子どもたちはさみしく感じているようでした。そんななか、迎えた引っ越し当日。やはり義父は不在で、両親と義母が見送ってくれました。 しかし、義母から聞いたひと言が私たちの気持ちを納得させてくれました。「お父さんは大好きな息子家族との別れがつらすぎて、見送りの場所に来たくなかったみたい。許してあげてね」。義父なりの考えがあり、見送りをしないことに決めたのだと理解できました。 本当は、義父からの言葉で聞かせてほしかったし、せめて、夫にだけでも別れに際して声をかけてくれれば……と思う気持ちもあります。けれど、見送りに来ないのは義父なりに私たち家族を大切に思っているからこその行動だったと、理解することができました。親子のコミュニケーションの難しさを痛感する出来事でしたが、これからは距離が離れていても私たち家族や孫たちの成長が身近に感じられるように、写真やビデオ通話を使い近況報告をこまめにしていきたいと思っています。 著者:三宅ちよこフリーランスとして働きながら一男一女を子育て中の母。ファイナンシャルプランナーの資格を持ち、株や不動産投資を副業としている。ライターとして主婦のためのお得な情報や子育てに関する体験談を執筆している。
2022年11月22日私は2人の娘を育てている専業主婦です。長女は小学校2年生、次女は幼稚園の年少です。私は昨年の4月、次女が幼稚園にあがったタイミングでうつ病を発症。現在は心療内科に通っています。育児をすることが困難でしたが、ある日、私の異変に気づいた幼稚園の先生が、声をかけてくれたのです。私の目には、思わず涙があふれました……。まさか私がうつ病に次女が幼稚園に通い始め、育児がラクになったはずのタイミングでうつ病を発症しました。原因は定かではありませんが、もともと生真面目で完璧主義な私。家事も育児もうまく手が抜けない性格で、うつ病になりやすい気質だったと思います。調子が悪いときは何もできなくなり、ベッドから出ることも困難でした。 そんななか、幼稚園の送迎とごはん作りだけは何とかやっていましたが、幼稚園から14時に帰ってくる次女の遊び相手になる余裕はなく、長女が帰宅する16時までひたすらYouTubeを見せ、その間、私はベッドに横たわっていました。 「お母さん、大丈夫? 疲れている?」ある日、いつものように調子が悪いなか、娘を送迎したときのことです。よほど疲れた生気のない顔をしていたのか、娘の担任の先生が「お母さん、大丈夫? 疲れている?」と声をかけてくれました。そのやさしい言葉に思わず涙があふれました。 すると心配した担任の先生は職員室に連れて行ってくれました。そして、「つらいんだったら園の預かり保育を使ってね」と言ってくれたのです。預かり保育は仕事をするママだけではなく、病気で保育が困難なママ、リフレッシュしたいママも使ってもいいんだよ、と説明してくれました。 預けたら……娘はまだ入園したてで園生活にも慣れていないこともあり、私は預かり保育を利用することに抵抗を感じていましたが、ある日、意を決して利用することに。預かり保育中、次女はいつもとは違う様子に少し戸惑いもあったようです。しかし、お迎え時に先生からは「大丈夫です。楽しく遊んでいるときもありましたから。それよりお母さんが元気で笑顔になることが大事ですよ」とありがたいお言葉をいただきました。 普段は、次女の様子を気にしながらベッドに横になっていたのですが、幼稚園でしっかり見てもらえていると思うと、安心してゆっくりと休むことができました。また、困ったら頼れるところがあるというのは精神的な支えになりました。 最初はしぶしぶ預かり保育に行っていた次女も、今では喜んで行くように。家で構ってあげられない状態より、幼稚園で他のお友だちや先生と遊んでいるほうが次女にとっても良いと感じています。私の体調が悪く保育枠に余裕があるときにはこれからもお願いして、娘たちのためにも、私自身の体調を整えることも大事にしたいと思います。安心して任せられる環境を用意してくれている幼稚園には、本当に感謝しています。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子著者:小川恵子8歳と5歳の姉妹の母。育児サークルの幹部や習い事、執筆活動など、精力的に育児を楽しんでいる。
2022年11月09日娘は2歳半で双子のお姉ちゃんになりました。3歳になるころは、誰からもしっかり者と言われる頼れる存在に。でもそれは、少しずつ娘の心をむしばんでいたのです。娘が「お姉ちゃんをやめたい!」と言ったあの涙を私は今も忘れません。きょうだい育児は大変だけど、上の子のケアも重要だと痛感したお話です。幼稚園の個人面談で衝撃を受ける妊娠25週を迎えたころ切迫早産で入院。まだ幼い娘と離れることが不安でしたが、「お姉ちゃんになるから大丈夫!」と、娘の言葉に励まされました。そうして娘が2歳半の頃、双子が生まれました。双子が生まれる前から我慢してきた娘は、3歳になるころには大体のことを自分でできるようになりました。 しかし幼稚園の個人面談で、「しっかり者だね」と声かけをしたときに「パパもママもとられたから自分でするんだよ」と笑っていたと先生から聞いて、衝撃を受けたことを覚えています。 誉め言葉のつもりが…個人面談で娘が言っていたことを聞いてからは、もっと娘とコミュニケーションをとろうと心がけました。娘は双子の妊娠がわかったときから「お姉ちゃん」になることに喜びを感じ、娘も自分のことを「お姉ちゃん」と呼んでいたので、私たち夫婦も娘のことを「お姉ちゃん」と呼んでいました。それが娘にとってうれしいことと思い込んで……。 ある日「さすがお姉ちゃん、おりこうさん」と言うと「お姉ちゃんやめたい! おりこうさんもやめたい!」とわんわん泣き出したのです。 娘の笑顔を取り戻すためにしたこと手がかからないと思い込んでいたけど、それは娘が我慢してきただけなんだと気付きました。「もうお姉ちゃんって呼ばれるのいやだ……。」私は知らないうちに娘にプレッシャーをかけていたのです。 それから以前のように娘を「お姉ちゃん」ではなく名前で呼ぶようにして、「娘ちゃんタイム」というパパやママを独り占めできる時間を設けるようにすると、とてもうれしそうにしてくれました。「おりこうさん」の代わりには「ありがとう、大好き」を言うことは、今でも続けています。 私は自分で思っている以上に娘に期待していました。もう3歳、まだ3歳。あのときの娘と同じ年齢になった双子をみて、あぁまだまだ甘えたかったよねと痛感しています。「大人の言う『いい子』は、大人にとって都合の『いい子』」。前にそんな言葉を目にしたことを思い出し、お姉ちゃんである前に大切な娘であることを忘れずに接していこうと思いました。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子著者:梟 うた5歳の娘と双子の3歳息子のママ。双子の出産を機に、東京から地元九州に移住。保育園勤務をしながら子育て、ファッション、旅行、インテリア、お得情報などを執筆中。最近の趣味は、絵本探し。
2022年11月03日私たち夫婦は再婚同士です。わが家には、小学生2人の息子がいます。夫にも前の奥様との間に2人のお子さんがいて養育費を払っています。離婚した当初、子どもたちは「なんでパパに会えないの……?」と何度も涙を流しました。私も子どもたちと一緒に泣きました。私自身が片親で育ち寂しい想いをしてきたので、いつか必ずこの子たちのために再婚すると決意しました。そして夫と出会い、再婚しました。再婚したとき、夫とは、子どもは作らないと話し合って決めました。それなのに……。ベビーカレンダーは、多様化している家族のあり方=“新しい家族のカタチ”について発信する取り組みを開始しました。当事者のリアルな声を紹介していきます。多様な幸せを実現できる社会、そして、もっと「家族を持ちたい」「赤ちゃんを産みたい」と思う人が増える世の中づくりの一助となりますように。 「父ちゃん」と「パパ」の存在子どもたちは、夫のことを「父ちゃん」と呼び、前の夫のことは「パパ」と呼びます。気づいたら自然にそう呼んでいました。子どもたちは父ちゃんもパパも大好きです。私は息子たちに「愛してくれるお父さんが2人もいるね」と伝えています。夫もパパに会うことにまったく反対しません。年に数回会う程度ですが、本人たちに選択肢を作ってあげようというのが私たち夫婦の考えです。 新しい命と葛藤と苦悩私たち夫婦が再婚するときに決めたのは、子どもは作らないということでした。養育費の支払いをしっかりしなくてはいけない、子どもたちに不自由させたくないなど、経済的な理由から決めたことでした。 しかし結婚して3年、私は妊娠しました。夫に思い切って話し、2人で話し合いました。そして2人が出した答えはやはり子どもをおろす手術をすることでした。しかしいざ、病院で書類に名前を書こうとすると手が震え、涙が溢れてきました。授かった命を手放すことが、どれ程つらいことか、夫も私も身にしみて感じたのです。そしてその後、再びよく話し合い、産むことを決意しました。 決意したときに、1番心配だったのは産んだあとの生活でした。というのも私たち夫婦は共に母親を亡くしていて、近くに頼れる人がいません。出産後、実際に大変なことがいろいろありました。何年ぶりかの授乳は、乳首が切れてしまいひどく痛み、授乳もひと苦労でした。ただそんな中、私にとって救いだったのは夫が仕事に行く前にごはんを作ってくれたり、家事を済ませてくれたりしたこと。おかげで赤ちゃんのお世話に専念しやすくなりました。そしてこのときの夫の様子を見て、私はこの人とならどんな困難が来ても大丈夫と思いました。 ※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。 子どもたちの葛藤と夫の信念わが家の子どもたちは、障害を持っています。長男は自閉スペクトラム、次男はADHD。精神的に難しいところが多く、トラブルも多々起こしますが良く言えば個性的です。もちろん夫も再婚する前から知っていて理解してくれています。でも理解だけではどうにもならないことが起こることも……。何度もかんしゃくを起こす息子にどう接していくか、夫婦で何度も何度も話し合ってきました。私たちだけでは解決できないことは医療機関を頼ったり、ときには夫婦で意見が食い違い喧嘩をしたりして、家の中が悪い空気になることもありました。けれど、その度に家族全員でなんとか乗り越え、立て直してきました。 小学校の先生から毎日のように電話がかかってきて頭を下げる日々が続いても、次男が暴れて仕事を抜け出し止めに入ることがあっても、もう嫌だ……こんな日々……と思っても、家族で何度も話し合うことで乗り越えられたように思います。 いつの日だったか夫に聞きました。「血の繋がり、気にしてる?」と。そしたら、「子どもたちのことをそんな風に考えたことはない」と言いました。私は驚いたと同時にこの人の信念と人柄を尊敬するようになりました。 いまだに私たちの再婚や出産などの選択が正しかったのだろうかと考えることがあります。また、周りから見たら私たちはどう映っているのか正直気になることも……。でも、そんなときは自分たちを信じようと思っています。一度うまくいかない経験をしたからこそ見える世界もあるんだということを、ステップファミリーになってから気づかされました。朝起きて「おはよう」と言える幸せに気づけて私は幸せです。これからも私たち家族のカタチを作っていこうと思います。 著者:佐藤 まなみ7歳、6歳、1歳の子どもたちと同じ会社の上司である夫との5人家族。犬とアニメが大好きな家族。パートで働きながらも副業としてライターをやっています。北欧インテリアに関心があり、現在は整理収納アドバイザーの資格取得に向けて勉強中です。
2022年08月05日第2子が誕生して、2歳差育児が始まりました。お姉ちゃんとはいえ、まだまだ手のかかる2歳。今まで以上に甘えん坊でわがまま全開の娘にイライラしてしまった私が、娘に教えてもらった大切なことをお伝えしたいと思います。これが赤ちゃん返り?コロナ禍の影響で、入院中は一切面会ができないなかでの出産となりました。退院後、娘は1週間ぶりに会った私と、突然現れた赤ちゃんに少し変なテンションに。授乳を見たがったと思えば、逆に嫌がって私と赤ちゃんの間に割って入ったり。 「〇〇も赤ちゃんだよー。泣いてますよー」と素直に寂しさをアピールしたかと思えば、赤ちゃんをなでなでして褒めてもらおうとチラチラ私の様子をうかがってみたりと、いわゆる「赤ちゃん返り」状態となりました。 壮絶な2歳差、2人育児もともと大雑把で楽天的な私は、「大変そうだけどなんとかなるだろう」と思っていましたが、2人目育児をなめていたと痛感しました。夜間授乳による睡眠不足や、どうやっても泣き止まない新生児時期は経験があったためイメージできていましたが、これが2人になるといきなりハードに。 泣き止まない妹、甘えたい姉、どちらも大切にしたいですが、私はひとりしかいません。「上の子優先」という言葉はよく聞きますし、実際そうしていたつもりですが、甘えたい盛りのお姉ちゃんにはまったく足りないようでした。 イライラの限界のときの娘のひと言ある日の夕食のとき、娘がいつも通りゆっくりゆくっりごはんを食べていました。そんなときに下の子が大泣き。下の子を抱っこしながら、娘にごはんを食べさせていましたが、ごはんを口から出したり、お皿に手を突っ込んだりと一向に進みません。 私は、娘の食べるのが遅いことや、下の子が泣き止まないことに対して我慢の限界になり、「早く食べて!」と大きな声を出してしまいました。娘はびっくりした顔で私を見つめたあと、笑顔で「ママ、ニコニコして?」と私の手をトントンしてきたのです。 私はそのひと言で、食事中ずっと笑っていなかったことに気が付きました。食べるのが遅くたって、テーブルがぐちゃぐちゃになったって、お風呂や寝る時間が少し遅くなったって、そんなこといいじゃないか。家族みんなでにこにこ笑って過ごすことが一番大切なんだと、少しずつですが確実にお姉ちゃんになっている娘が教えてくれました。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように!監修/助産師REIKO著者:桜田ここ2歳と0歳の姉妹のママ。総合病院で看護師としての勤務経験あり。現在は育児休暇中。趣味は食べ歩きや旅行だったが、コロナ禍で思うようにできず、自宅での料理や晩酌、娘の服や小物作りなどに目覚める。最近は、ワークライフバランスについて考え始めているアラサーズボラ主婦。
2022年07月17日私は2人の娘を育てている専業主婦です。長女は小学校2年生、次女は幼稚園の年少です。私は昨年の4月、次女が幼稚園にあがったタイミングでうつ病を発症。現在は心療内科に通っています。育児をすることが困難でしたが、ある日、私の異変に気付いた幼稚園の先生が、声をかけてくれたのです。私の目には、思わず涙があふれました……。まさか私がうつ病に次女が幼稚園に通い始め、育児がラクになったはずのタイミングでうつ病を発症しました。原因は定かではありませんが、もともと生真面目で完璧主義な私。家事も育児もうまく手が抜けない性格で、うつ病になりやすい気質だったと思います。調子が悪いときは何もできなくなり、ベッドから出ることも困難でした。 そんななか、幼稚園の送迎とごはん作りだけは何とかやっていましたが、幼稚園から14時に帰ってくる次女の遊び相手になる余裕はなく、長女が帰宅する16時までひたすらYouTubeを見せ、その間、私はベッドに横たわっていました。 「お母さん、大丈夫?疲れている?」ある日、いつものように調子が悪いなか、娘を送迎したときのことです。よほど疲れた正気のない顔をしていたのか、娘の担任の先生が「お母さん、大丈夫? 疲れている?」と声をかけてくれました。そのやさしい言葉に思わず涙があふれました。 すると心配した担任の先生は職員室に連れて行ってくれました。そして、「つらいんだったら園の預かり保育を使ってね」と言ってくれたのです。預かり保育は仕事をするママだけではなく、病気で保育が困難なママ、リフレッシュしたいママも使ってもいいんだよ、と説明してくれました。 預けたら…娘はまだ入園したてで園生活にも慣れていないこともあり、私は預かり保育を利用することに抵抗を感じていましたが、ある日、意を決して利用することに。預かり保育中、次女はいつもとは違う様子に少し戸惑いもあったようです。しかし、お迎え時に先生からは「大丈夫です。楽しく遊んでいるときもありましたから。それよりお母さんが元気で笑顔になることが大事ですよ」とありがたいお言葉をいただきました。 普段は、次女の様子を気にしながらベッドに横になっていたのですが、幼稚園でしっかり見てもらえていると思うと、安心してゆっくりと休むことができました。また、困ったら頼れるところがあるというのは精神的な支えになりました。 最初はしぶしぶと預かり保育に行っていた次女も、今では喜んで行くように。家で構ってあげられない状態より、幼稚園で他のお友だちや先生と遊んでいるほうが次女にとっても良いと感じています。私の体調が悪く保育枠に余裕があるときにはこれからもお願いして、娘たちのためにも、私自身の体調を整えることも大事にしたいと思います。安心して任せられる環境を用意してくれている幼稚園には、本当に感謝しています。 監修/助産師REIKO著者:小川恵子8歳と4歳の姉妹の母。育児サークルの幹部や習い事、執筆活動など、精力的に育児を楽しんでいる。
2022年04月06日■前回のあらすじ義両親との同居終了後、開放感と同時に寂しさに襲われ…。徐々に母乳が出るようになり完母を目指すも、授乳の間隔が狭く、寝れない日々が続くのでした。■産後はお世話以外も忙しい…!?ドタバタで行ったお宮参り。いただいた出産祝いは1~2ヶ月でお返しを送らなければならない…。産後は何かと忙しい…! そんな中での夫の「なんでもいい」発言にピリつきました。■他のママたちがキラキラして見える自分以外の人たちがキラキラして見えていたあの頃。もしかして産後こんなに辛いって思っているのは自分だけではないだろうか、と錯覚しそうになっていました。キラキラしていた人たちも、実際は痛かったり辛かったりしたのかもしれない。勝手に辛いよね、うんうん、頑張ってるよね! とひっそり心の中で応援していました。授乳中よくひとりでブツブツ話していたなぁ…。次回に続く「夫と私の話」(全40話)は17時更新!
2022年02月14日夫の転勤で子どもたちを連れて家族で海外に引っ越すことになったわが家。一度海外に出発すると帰省することも難しくなるので、両家の両親と私たち家族は長いお別れになってしまいます。そこで海外に出発する際に、空港まで見送りに来てくれないか両家の両親に頼んだのですが……。 孫と長く会えなくなると悲しむ両親夫の仕事の都合で海外に引っ越すことが決まり、さっそく両家の両親に伝えた私たち。どちらの実家も、私たちの自宅からは車で数時間以上離れています。 私の両親は「家族で決めた引っ越しは仕方のないことだけれど、これまで以上に孫たちと会えなくなってしまうのはさみしい」と、距離がさらに離れてしまうことによるさみしさを感じているようでした。それは私の両親だけではなく、義両親も同じような反応だったのです。次に孫に会わせられるのもいつになるかわからないので、引っ越しの際は空港まで見送りしてもらうことに。 見送りに来ない義父引っ越し当日の見送りを両家の両親にお願いすると、「当たり前! 絶対に行くからね」とふたつ返事で了承してくれたのです。しかし引っ越しの数日前になり、義両親から連絡が……。それは、仕事の休みが取れなかったから義父は見送りに行けないというものでした。 数カ月前から日程を決めて調整するように頼んでいたのに! 子どもたちもおじいちゃんおばあちゃんが勢ぞろいで見送ってくれることを楽しみにしていました。残念な気持ちとともに、私たちのために仕事の休みすら調整してくれないのかと怒りを覚えた私。 孫と会いたくない? 義父の本心長らく会えなくなる私たち家族との別れに、見送りに来てくれないことで「会いたくないの?」という悲しみと怒りを感じた義父の対応。私以上に夫と子どもたちはさみしく感じているようでした。そんななか、迎えた引っ越し当日。やはり義父は不在で、両親と義母が見送ってくれました。 しかし、義母から聞いたひと言が私たちの気持ちを納得させてくれました。「お父さんは大好きな息子家族との別れがつらすぎて、見送りの場所に来たくなかったみたい。許してあげてね」。義父なりの考えがあり、見送りをしないことに決めたのだと理解できました。 本当は、義父からの言葉で聞かせてほしかったし、せめて、夫にだけでも別れに際して声をかけてくれれば……と思う気持ちもあります。けれど、見送りに来ないのは義父なりに私たち家族を大切に思っているからこその行動だったと、理解することができました。親子のコミュニケーションの難しさを痛感する出来事でしたが、これからは距離が離れていても私たち家族や孫たちの成長が身近に感じられるように、写真やビデオ通話を使い近況報告をこまめにしていきたいと思っています。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日なりますように! 著者:三宅ちよこフリーランスとして働きながら一男一女を子育て中の母。ファイナンシャルプランナーの資格を持ち、株や不動産投資を副業としている。ライターとして主婦のためのお得な情報や子育てに関する体験談を執筆している。
2022年02月08日私は生まれてからずっと都市部に住んでいて、運転免許は持っていません。移動は徒歩、自転車、公共交通機関のいずれかになりますが、不便を感じることはなく、運転免許をとる必要性も感じていませんでした。そんな私が出産後4カ月で地方都市に移住。幸い街中に近いところに住まいがあるため、車がなくても生活ができます。ただ雨の日も、暑い日差しの日も、自転車で移動する私と一緒にいる子どもには我慢させているかもしれません。妊娠判明と同時に引っ越しが決まる夫の仕事の関係で引っ越しが必要だとわかったのは、私の妊娠がわかったのとほぼ同時期。夫から引っ越し先は車社会の土地だと聞いたので、私は妊娠中に免許を取ることも考えました。 しかし私に持病はないものの高齢出産ということで、新しい環境やテストなどが精神的にも体力的にも負担になるかもしれないと考え、妊娠中に教習所通いはしないことに。教習所について調べるうちに、今は託児所付きの教習所もあることを知り、子育てが落ち着いたら免許を取ることにしました。 いざ子育てが始まるとしかしいざ子育てが始まると、私には物理的にも、精神的にも、体力的にも教習所に行く余裕はありませんでした。夫がいないときに子どもと出かけるときは抱っこまたはベビーカー。どうしてものときはタクシーを使いました。 子どもが2歳になり、自転車の後部座席に座らせられるようになると、移動手段はほぼ自転車に。雨の日は子どもの座席部分にレインカバーをかけ、私もカッパを着て自転車に乗っています。 雨の日になると雨の日にたまに子どもが「父さんの車がいい……」ということがあります。確かに都心部では当たり前のように見かけた雨の日の自転車での子ども園の登降園も、私たちの住んでいる地方都市ではかなり珍しい光景です。 子どもは同級生の様子を見てうらやましくなったのかもしれません。私はというと、雨の日は車のほうが快適だろうなと思いつつも、時間や労力を考えると積極的に教習所に行こうとは思えないのが正直なところ。子どもには「ごめんね、お母さんは車の運転ができないんだ」と謝るばかりです。 引っ越し当初は「早く免許を取らなければ」と考えていたものの、免許がなければないで生活ができてしまい、私は免許取得に積極的になれないでいます。周りの様子を見て車に乗りたがる子どもには、今のところただただ「ごめんね」と謝るばかりです。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~5歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子著者:小原水月1児の母。管理栄養士免許取得。「健康が人生をわくわくさせる」をモットーに食と健康の分野でライターとして活動中。高齢出産後、生まれ育った都心を離れ夫の実家がある地方都市へ移住。義母と同居。
2022年01月05日娘は2歳半で双子のお姉ちゃんになりました。3歳になるころは、誰からもしっかり者と言われる頼れる存在に。でもそれは、少しずつ娘の心をむしばんでいたのです。娘が「お姉ちゃんをやめたい!」と言ったあの涙を私は今も忘れません。きょうだい育児は大変だけど、上の子のケアも重要だと痛感したお話です。幼稚園の個人面談で衝撃を受ける妊娠25週を迎えたころ切迫早産で入院。まだ幼い娘と離れることが不安でしたが、「お姉ちゃんになるから大丈夫!」と、娘の言葉に励まされました。そうして娘が2歳半の頃、双子が生まれました。双子が生まれる前から我慢してきた娘は、3歳になるころには大体のことを自分でできるようになりました。 しかし幼稚園の個人面談で、「しっかり者だね」と声かけをしたときに「パパもママもとられたから自分でするんだよ」と笑っていたと先生から聞いて、衝撃を受けたことを覚えています。 誉め言葉のつもりが…個人面談で娘が言っていたことを聞いてからは、もっと娘とコミュニケーションをとろうと心がけました。娘は双子の妊娠がわかったときから「お姉ちゃん」になることに喜びを感じ、娘も自分のことを「お姉ちゃん」と呼んでいたので、私たち夫婦も娘のことを「お姉ちゃん」と呼んでいました。それが娘にとってうれしいことと思い込んで……。 ある日「さすがお姉ちゃん、おりこうさん」と言うと「お姉ちゃんやめたい! おりこうさんもやめたい!」とわんわん泣き出したのです。 娘の笑顔を取り戻すためにしたこと手がかからないと思い込んでいたけど、それは娘が我慢してきただけなんだと気付きました。「もうお姉ちゃんって呼ばれるのいやだ……。」私は知らないうちに娘にプレッシャーをかけていたのです。 それから以前のように娘を「お姉ちゃん」ではなく名前で呼ぶようにして、「娘ちゃんタイム」というパパやママを独り占めできる時間を設けるようにすると、とてもうれしそうにしてくれました。「おりこうさん」の代わりには「ありがとう、大好き」を言うことは、今でも続けています。 私は自分で思っている以上に娘に期待していました。もう3歳、まだ3歳。あのときの娘と同じ年齢になった双子をみて、あぁまだまだ甘えたかったよねと痛感しています。「大人の言う『いい子』は、大人にとって都合の『いい子』」。前にそんな言葉を目にしたことを思い出し、お姉ちゃんである前に大切な娘であることを忘れずに接していこうと思いました。 監修/助産師REIKO著者:梟 うた5歳の娘と双子の3歳息子のママ。双子の出産を機に、東京から地元九州に移住。保育園勤務をしながら子育て、ファッション、旅行、インテリア、お得情報などを執筆中。最近の趣味は、絵本探し。
2021年12月21日メンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラーのカトウ ヒロコさんが、ストレスについてお話ししてくれました。「ストレス」とは何なのか、気づかないうちにストレス状態になっていることもあるなど詳しく解説!今までも、仕事やママ友との人間関係などでストレスを感じることは多々あったかと思いますが、新型コロナウイルスの影響による社会の変化で、いつも以上にストレスを感じやすくなっている人が多い状況です。社会の変化によるストレスだと、“これがストレスだ”と自分で認識しづらいため、いつの間にか大きなストレスを抱え込んでしまっている可能性があります。 なんだかいつもと違うと感じたら…ストレスを感じていても、理由がはっきりして、自分でストレスを感じていると認識できていれば対処もできますが、自覚がないと対処のしようもありません。 今まではあまり感じなかったのに、最近、下記のような状態であると感じたらストレスが溜まっている可能性があります。思い当たる節はありませんか? ・漠然とした不安をいつも感じている・落ち込んでいる時間が多い・物事をプラスに考えられない・やる気がでない・集中できない・眠れない・すぐイライラしてしまう・1つ終えるとどっと疲れが出る・頭痛や腹痛など体調不良がある ストレスを発散するにはどうしたらいい?ストレスを軽減するには気分を変えることが一番です。とはいっても、憂うつな気分を簡単に変えられるのであれば、誰も苦労はしません。 すぐにできる対処法として、下記のような方法を試してみてください。・ 深呼吸する・ 軽い運動をする・ 好きな音楽を聴く、お茶を飲んでゆっくりする・ 絵を描いたり、ぬり絵をしたりして意識を集中させる ポイントは、なるべく「考えないこと」です。良いことでも考えているうちに不安や焦りを誘発する考えに行き着くことがあり、ストレスを感じやすくなる可能性があるためです。 なぜ、ストレスは溜めない方がよい?ストレスは本来、“精神的重圧”や“緊張”という意味で、やる気に影響することも多々あり、実は私たちの生活に欠かせないものです。しかしながら、放置してしまうとうつ病を誘発しかねません。うつ病は一度かかってしまうと、いつ治るか本人も周囲もわからず、それがさらに不安となって悪循環に陥り、重度のうつ病になる可能性もあります。またストレスにより、心だけでなく体の不調をきたし生活に大きな支障を与えることもあります。 ストレスは生きていく上で避けては通れないものであり、誰でも感じるものです。対処するために、自分がストレスを感じていると認識することは大切ですが、強く認識することが、かえってストレスになってしまうこともあります。自分なりにうまく付き合って、日々、できるかぎり発散するよう心がけてみてください。 著者:ライター メンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラー カトウ ヒロコメンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラー。また、フリーのWEBプロデューサー&ライターとして活動中。
2021年10月11日2人目出産後、育児疲れがピークにきてしまったママ。上のお子さんに対して、つい感情的に怒鳴るなどメンタル面が不安定に……。思い切って心療内科を受診したところ、予想外の原因が判明したそうです。 私は現在2児の母親です。2人目を出産後、主に上の子に対して感情的に怒ってしまうことが増え出し、さらに2人育児の疲労感からか夜もまともに寝られず、とうとう心療内科を受診しようと決めました。病院を受診した最初の数カ月は、医師も私もPMS(月経前症候群)の症状とは気付きませんでしたが、思い切って心療内科の門を叩いたことによって自分の内面について気づきをたくさん得られた体験談をお話しします。 子どもの手に熱湯がかかるトラブルが!2人目を出産後、当時まだ2歳だった上の子に対して感情的になる場面が多々あり、怒鳴ったり八つ当たりすることが増えてきました。ある日、まだ生まれて間もない2人目の育児用ミルクを作っている最中に、上の子が「お母さん、私を見て!」と言わんばかりに、突然私の足に全身でアタック。お湯が上の子にかかってしまうトラブルが! 思わず「危ないじゃないの!」と思いっきり怒鳴ってしまい、そのあとも怒りがおさまらず。一応は子どもの手がやけどをしていないことを確認し、手を冷やしました。 子どものことを考える余裕はなかったしかし、このときに「子どもがやけどしていたらどうしよう」「熱いお湯がかかってしまってかわいそうに……」といった心配の気持ちよりも、「私の邪魔ばかりして! なんて迷惑な子どもなんだ」と、恥ずかしながら自分のことしか考えられない私に気付きました。 2人目を産んだあとも事情があって里帰りなどできなかった私は、生活全般に対して余裕がまったくなく……。それゆえの行動だと今なら理解できるのですが、当時の私は激しく怒ったあとに「なんて自分はダメな母親なんだ」と深く気持ちが沈み、暗い気持ちになる……このくり返しで辟易していました。 心療内科を受診し、自身の内面を観察不眠症にも悩んでいたため、「このままだと、私も子どももダメになる!」と思い、2人目が1歳になるころに心療内科を受診する運びに。初診時に適応障害と診断され、「軽いうつ状態ですね」とも言われました。 そこからは2週間に1回程度のこまめな通院をくり返し、主治医と「どんなときにイライラしてしまうのか」といったカウンセリングをおこなうことで、自分の内面を振り返る大きなきっかけとなったのです。 自分がPMSだとやっと気付いたそして、心療内科を受診してから2カ月ほど経ったときのこと。産後の体が元通りに戻っているかを確認するために、自発的に月経周期をアプリで記録していたのですが、そこで「どうも月経1週間前に子どもに対して当たりがキツくなる」ということを自分自身で気づき始めたのです。 そして、すぐに主治医にそのことを話すと、先生からも「それは典型的なPMSだね」と言われました。その後、PMSであれば漢方薬かピルを処方できると提案され、私は漢方薬を処方してもらうことに。 ホルモンバランスを整える漢方のおかげで、さらにメンタルの調子がよくなりました。多少の気分の変動もありながらも、過去と比べると明らかに穏やかな気持ちで過ごせています。心療内科へ行くまでは「私なんかが行ってもよいのだろうか?」となかなか足が踏み出せずにいましたが、思い切って心療内科の門を叩いてよかったと感じています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/おんたま監修/助産師REIKO著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年09月25日10代のころから精神疾患をもつ私ですが、今の夫と出会い結婚、妊娠・出産し1児の母に。しかし産後、慣れない育児やホルモンバランスの乱れから、病状が悪化。幼稚園入園まではと思い頑張って育児をしていたものの、息子が2歳になったころ、とうとう動けなくなってしまいました。遊びたい盛りの息子を遊びに連れていけないことに悩み、保育園入園を決めました。幼稚園まで家でみたかったけど専業主婦ということもあり、幼稚園入園までは自宅保育を考えていた私。もともと私に精神疾患があり、保健師さんとお話しする機会もあったので、必要になれば病気治療で保育園利用もできるということは知っていました。 しかし、息子が2歳になり自己主張も増えてきたころ、心身ともに不調を感じるようになり、気が付くと日常生活もままならないほど悪化していたのです。 涙の慣らし保育ちょうど空きがあり、入園できた保育園。2週間の慣らし保育が始まりました。慣らし保育初日、予想通り息子は大泣き。息子を不安にさせちゃいけないと思い、笑顔で手を振って自宅へ向かいましたが、息子の姿が見えなくなると、私も涙が止まらなくなりました。 2時間後迎えに行くと、私の姿が見えた途端、安心したように泣き出す息子。「ごめんね。ママのせいで寂しい思いをさせたね」と、息子に対して申し訳ない気持ちでいっぱいでした。しばらくは罪悪感に押しつぶされそうになりながら、保育園へ息子を連れていく日々が続きました。 保育園を選んでよかったその後息子の泣く回数は減っていき、徐々に保育園に慣れていきました。仲良しのお友だちと遊んだり、家では体験できない遊びをしたりすることが楽しかったようです。時間ができたことで私も治療に専念できました。 日常生活もままならない状態から、保育園帰宅後や休日は、息子と一緒に遊んであげることができるまでに回復。改めて、親が元気じゃないと育児は難しいと実感しました。 息子には申し訳ない……という気持ちで決めた保育園入園。大泣きする息子に対して「ごめんね」と悩む日々でした。しかし、徐々に保育園に慣れていく様子を見て、私も励まされました。親であれど1人の人間。育児をする親が元気でいることが大切だからこそ、もう悩むのはやめようと思えました。当時はとても悩みましたが、今では保育園入園を決めてよかったと本当に思っています。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日なりますように! 監修/助産師REIKO著者:岡田 うた4歳男児のママ。精神疾患の治療しながら、子育てに奮闘中!趣味は読書。
2021年08月21日第2子が誕生して、2歳差育児が始まりました。お姉ちゃんとはいえ、まだまだ手のかかる2歳。今まで以上に甘えん坊でわがまま全開の娘にイライラしてしまった私が、娘に教えてもらった大切なことをお伝えしたいと思います。これが赤ちゃん返り?コロナ禍の影響で、入院中は一切面会ができないなかでの出産となりました。退院後、娘は1週間ぶりに会った私と、突然現れた赤ちゃんに少し変なテンションに。授乳を見たがったと思えば、逆に嫌がって私と赤ちゃんの間に割って入ったり。 「〇〇も赤ちゃんだよー。泣いてますよー」と素直に寂しさをアピールしたかと思えば、赤ちゃんをなでなでして褒めてもらおうとチラチラ私の様子をうかがってみたりと、いわゆる「赤ちゃん返り」状態となりました。 壮絶な2歳差、2人育児もともと大雑把で楽天的な私は、「大変そうだけどなんとかなるだろう」と思っていましたが、2人目育児をなめていたと痛感しました。夜間授乳による睡眠不足や、どうやっても泣き止まない新生児時期は経験があったためイメージできていましたが、これが2人になるといきなりハードに。 泣き止まない妹、甘えたい姉、どちらも大切にしたいですが、私はひとりしかいません。「上の子優先」という言葉はよく聞きますし、実際そうしていたつもりですが、甘えたい盛りのお姉ちゃんにはまったく足りないようでした。 イライラの限界のときの娘のひと言ある日の夕食のとき、娘がいつも通りゆっくりゆくっりごはんを食べていました。そんなときに下の子が大泣き。下の子を抱っこしながら、娘にごはんを食べさせていましたが、ごはんを口から出したり、お皿に手を突っ込んだりと一向に進みません。 私は、娘の食べるのが遅いことや、下の子が泣き止まないことに対して我慢の限界になり、「早く食べて! 」と大きな声を出してしまいました。娘はびっくりした顔で私を見つめたあと、笑顔で「ママ、ニコニコして?」と私の手をトントンしてきたのです。 私はそのひと言で、食事中ずっと笑っていなかったことに気が付きました。食べるのが遅くたって、テーブルがぐちゃぐちゃになったって、お風呂や寝る時間が少し遅くなったって、そんなこといいじゃないか。家族みんなでにこにこ笑って過ごすことが一番大切なんだと、少しずつですが確実にお姉ちゃんになっている娘が教えてくれました。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように!監修/助産師REIKO著者:桜田ここ2歳と0歳の姉妹のママ。総合病院で看護師としての勤務経験あり。現在は育児休暇中。趣味は食べ歩きや旅行だったが、コロナ禍で思うようにできず、自宅での料理や晩酌、娘の服や小物作りなどに目覚める。最近は、ワークライフバランスについて考え始めているアラサーズボラ主婦。
2021年07月31日次男が幼稚園に入園し、ひとりの時間を持てるようになったママ。買い物や友人とランチをするなど、最初のうちは自由な時間を満喫していたのですが、次第に楽しめなくなってしまいます。しかし、ある取り組みを始めると、気持ちが前向きに変わっていきました。 私には2人の息子がいます。次男が幼稚園に入園し、私は自分ひとりだけの時間を持てるようになりました。ようやく得た自分だけの時間ですが、思っていたようには楽しめず、日を追うごとに気持ちが沈んでいくようになりました。そんなとき、私はあることをし、再び前向きに過ごせるようになったのです。今回はそのときの体験をお話しします。 専業主婦になった私私たち夫婦は共働きでしたが、次男の妊娠を機に私は退職し、専業主婦になりました。なぜなら夫は仕事柄帰宅が深夜で、ワンオペになる私はワーキングママとして息子2人を育てる自信がなかったからです。 「専業主婦になれば時間に余裕ができるだろう」。そう思っていた私は、すぐにその考えは甘かったと思い知らされました。24時間365日、誰にも預けず家事と育児をおこなうのは想像以上に大変。「次男が幼稚園に入園したら自分の時間ができる」と、そのことを楽しみに過ごしていました。 自分の時間を楽しむことができない次男は3歳になった翌春、幼稚園に入園し、私は平日5時間ほどひとりの時間を過ごすようになりました。入園後、1~2カ月は開放感でいっぱいで、ゆっくり買い物をしたり、友人とランチをしたりと、今までできなかったことをして満喫していました。 しかし、しばらくすると目標を失ったかのような喪失感にとらわれるように……。元来、生真面目な性格の私は、時間に追われるくらいのほうが性に合っていたのでしょう。仕事もせずひとりで家にいると、なぜだか自分が無価値な人間に思えたのです。 死ぬまでにしたいことは何かひとりの時間は、自分と向き合う時間でもありました。「私は何がしたいのだろうか……」。ふとそう思い、1冊のノートに「死ぬまでにしたいこと」を思いつく限り、書き出してみました。そして、それを叶えるには、具体的にどうすればいいかも書きました。 例えば、「ホノルルマラソンに参加したい」という内容なら、費用はいくらか、何月に申し込みが始まるかなどを調べ、書き加えます。すると、やるべきことが見える化され、落ち込んでいる時間がもったいないと感じ、とても前向きに過ごせるようになりました。 育児をしていると、どうしても自分のことはおざなりになっていた私。しかしながら、自分と向き合い、どう生きていきたいかを明確にすることは大切なのだと、改めて思いました。私は今、稼業を手伝いつつ、フリーランスとして好きな仕事をしています。これからも、家族との時間を大切にしながら、自分の人生を充実させていきたいと思っています。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日なりますように! 監修/助産師REIKO著者:中田りこ8歳と4歳の兄弟の母。次男は自閉症スペクトラム障害。教育業界を退職後、現在は実家の家業を手伝っている。
2021年05月26日2021年1月19日、タレントの小倉優子さんはInstagramに、ある悩みを投稿。内容に心配や共感の声が上がりました。3人の息子の母親でもある、小倉さん。2020年7月に三男を出産してから数か月が経ち、産後の抜け毛に悩まされているといいます。今回、産後抜け毛が本当に凄いんです!!洗っている時の抜け毛の量、床の髪の毛の量に驚きます。自分で前髪の量を増やしたりしました。収録の時は、目立たないようにとメイクさんが頭皮にお粉をポンポンとしてくださるんです。長男、次男の時と比べて、抜け毛の量が本当に凄い。なので、抜け毛が目立つハーフアップをしなくなりました。髪型などでも工夫していきたいです。ogura_yuko_0826ーより引用※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る 小倉優子 ☆ゆうこりん☆(@ogura_yuko_0826)がシェアした投稿 出産した女性は、ホルモンバランスの乱れや、出産や育児疲れによる心身のストレス、栄養不足など、さまざまな理由から抜け毛の症状が出ることがあります。思うように髪型がまとまらなくなり、悩む人も多いようです。投稿に対し、さまざまなコメントが寄せられました。・私も産後の抜け毛がひどいです。どんな髪型にしても目立ってしまうので、嫌ですよね。・抜け毛はよくある話だけど、タレントさんは大変でしょう。睡眠時間をたくさん取って、しっかり休んでくださいね。・産後はそんなこともあるのですね…。ストレスや疲労が重なっているかもしれないので、どうぞ頑張りすぎないでください。産後の抜け毛は大抵の場合、一時的なものなので、あまり気にしすぎないことが大切かもしれません。仕事と育児を両立しながら頑張る小倉さん。その姿に同じ悩みを持つ人は励まされたことでしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年01月19日私は毒親に育てられた過去から、人間関係のもつれを慢性的に感じ、メンタルカウンセリングを受けています。しかしカウンセリングと聞くと「特別な人が受ける」というイメージが先行しているように思います。今回は「世の中の悩んでる人たちが、もっと気軽にプロに相談できるようになれればいいな」と感じるきっかけとなった体験談をお話しします。 慢性的な人間関係の悩みを抱えていた過去私は現在、3歳の長女と生後7カ月の次女を育てています。心の不調を自身で感じたきっかけは、長女を妊娠してからでした。それまで学生生活や仕事をおこなうなかで、「どうも人間関係がうまくいかない……」と悩む場面が多々ありましたが、それはすべて自分のせいだとずっと思い込んでいたのです。しかし、長女を妊娠してから自身の過去を振り返る機会が多くなり、だんだんと考えが変わっていきました。 アダルトチルドレンだったと気付いた私妊娠中から育児書を読むことが自然と多くなり、その中で「アダルトチルドレン」というワードが私の目に飛び込んできました。アダルトチルドレンとは、「親の過干渉や育児放棄、暴力などによって心に傷を抱えたまま大人になってしまった人」のことを指すそうです。私は幼少期から成人するまで、親から心身面で虐待を受けていました。その経験に関しても「私ができの悪い子だから暴力を受けていたんだ」と思っていましたが、アダルトチルドレン関連の本や、他の育児書を読み漁ることで「自分が悪かったのではなく、親の勝手な都合で暴力を受けていた」という事実にやっと気付いたのです。 負のスパイラルから抜け出したいそして長女を出産後、育児をこなしていく中でどうも長女に対して感情的に怒鳴ってしまうことがだんだんと増えてきたのです。「このままではまずい!」と決定的に感じたのは次女の出産後でした。次女が生まれたころ、長女は3歳にならないくらいで「親の言葉は理解できるけれど、まだまだ自分中心」な時期。出産後、余裕をなくしてしまった私は以前より感情的に長女に当たってしまいました。長女もどんどん情緒不安定になっていき、私も気持ちが滅入る……。まさに負のスパイラル状態です。「この状況から抜け出したい」と感じた私は、思い切ってメンタルカウンセリングを受けることにしました。 プロのカウンセラーに相談をした私私の場合は臨床心理士さんに話を聞いてもらえるようお願いしました。初回は自分の生い立ち、実親や祖父母のことなど3世代に渡って「どんな家庭環境だったか」ということを入念に聞かれました。 私の複雑な生い立ちや親から受けてきた暴力は恥ずかしくて友人などにとても話せなかったのですが、相手はプロだし、当然プライバシーも守られます。私は涙を交えながら自身の経験を語り、共感してもらえることで安心したのを覚えています。誰かが自分のつらかった過去をわかってくれたと思うだけで肩の荷がおりました。その後は定期的にカウンセリングをおこない、回を重ねるごとに私の情緒も安定を取り戻していきました。そして、不思議と娘に対して感情的になることが少なくなり、娘もだんだん笑顔が増えてきました。 プロのカウンセリングによって、ママ友や夫にも話せなかった心の内をやっと吐き出せました。カウンセラーはしっかりと私の気持ちを受け止め的確なアドバイスをしてくれます。現在、カウンセリングを受けて数カ月経ち、私の心は目に見えて回復しています。毒親に育てられた過去は消えなくとも、「人に話すことによって、気持ちの整理がつき前向きになれる」ことを体感しました。「本当に限界」となる前に、早めに対処することが大切だと痛感しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/ライコミ監修/助産師 REIKO著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年12月07日私は生まれてからずっと都市部に住んでいて、運転免許は持っていません。移動は徒歩、自転車、公共交通機関のいずれかになりますが、不便を感じることはなく、運転免許をとる必要性も感じていませんでした。そんな私が出産後4カ月で地方都市に移住。幸い街中に近いところに住まいがあるため、車がなくても生活ができます。ただ雨の日も、暑い日差しの日も、自転車で移動する私と一緒にいる子どもには我慢させているかもしれません。 妊娠判明と同時に引っ越しが決まる夫の仕事の関係で引っ越しが必要だとわかったのは、私の妊娠がわかったのとほぼ同時期。夫から引っ越し先は車社会の土地だと聞いたので、私は妊娠中に免許を取ることも考えました。 しかし私に持病はないものの高齢出産ということで、新しい環境やテストなどが精神的にも体力的にも負担になるかもしれないと考え、妊娠中に教習所通いはしないことに。教習所について調べるうちに、今は託児所付きの教習所もあることを知り、子育てが落ち着いたら免許を取ることにしました。 いざ子育てが始まるとしかしいざ子育てが始まると、私には物理的にも、精神的にも、体力的にも教習所に行く余裕はありませんでした。夫がいないときに子どもと出かけるときは抱っこまたはベビーカー。どうしてものときはタクシーを使いました。 子どもが2歳になり、自転車の後部座席に座らせられるようになると、移動手段はほぼ自転車に。雨の日は子どもの座席部分にレインカバーをかけ、私もカッパを着て自転車に乗っています。 雨の日になると雨の日にたまに子どもが「父さんの車がいい……」ということがあります。確かに都心部では当たり前のように見かけた雨の日の自転車での子ども園の登降園も、私たちの住んでいる地方都市ではかなり珍しい光景です。 子どもは同級生の様子を見てうらやましくなったのかもしれません。私はというと、雨の日は車のほうが快適だろうなと思いつつも、時間や労力を考えると積極的に教習所に行こうとは思えないのが正直なところ。子どもには「ごめんね、お母さんは車の運転ができないんだ」と謝るばかりです。 引っ越し当初は「早く免許を取らなければ」と考えていたものの、免許がなければないで生活ができてしまい、私は免許取得に積極的になれないでいます。周りの様子を見て車に乗りたがる子どもには、今のところただただ「ごめんね」と謝るばかりです。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~5歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日なりますように! 監修/助産師REIKO著者:小原水月1児の母。管理栄養士免許取得。「健康が人生をわくわくさせる」をモットーに食と健康の分野でライターとして活動中。高齢出産後、生まれ育った都心を離れ夫の実家がある地方都市へ移住。義母と同居。
2020年11月10日私のママ友付き合い事情
うちのダメ夫
義父母がシンドイんです!