「8年前に訪問させていただいたとき、仮設住宅やウッドテラスで被災されたみなさんとお話しさせていただいたことが、とても印象に残っています。その後、みなさんいかがかしらと思って過ごしてまいりましたが、ラグビーワールドカップの開催など嬉しいニュースもありました」3月4日、天皇皇后両陛下は岩手県の被災地をオンラインで訪問された。釜石市長との懇談で、雅子さまはこのように、8年前の訪問の思い出を語られた。両陛下は’13年11月、岩手県を1泊2日の日程で訪問されている。釜石市の仮設住宅で両陛下を出迎えた福士愛さん(26)も、雅子さまにお声をかけられた一人だ。釜石の海沿いにあった福士さんの自宅は、大津波で跡形もなく流された。雅子さまは、当時9カ月だった長男の優斗くんを抱いていた福士さんに近寄り「寒くないですか?大丈夫ですか?」とお声がけされた。さらに優斗くんについて「何カ月ですか?」「元気でお過ごしくださいね」と優しくおっしゃったという。そして陛下からも「仮設の暮らしはどうですか?」「大変ですよね」とのお言葉があったそうだ。福士さんの家族は、いまでは小学2年生になった優斗くんの下に弟と妹が増えて5人暮らしに。2年ほど前に仮設団地から県営災害住宅へと引っ越したという。「雅子さまは視線の高さを合わせ、ゆっくりと話しかけてくださいました。優斗には、両陛下がテレビに映ると『あなたも会ったことがあるんだよ』と伝えるのですが、いまはまだ、あまりわかっていないみたいですね(笑)今年で10年になりますが、東日本大震災のことを風化させてはいけないと思います。天皇陛下と雅子さまが長い間被災地のことを気にかけてくださっていることは本当にありがたく、心の支えになっています」天皇陛下も先日の会見で、2月に福島県沖でマグニチュード7を超える地震があったことを受けて、次のように述べられている。「未曽有の災害がもたらした被害の大きさが改めて思い起こされるとともに、東日本大震災については、過去のこととしてではなく、現在も続いていることとして考える必要があることを改めて感じました」地震発生のために延期されてしまったが、両陛下は岩手県だけでなく、福島県と宮城県にもオンライン訪問される予定となっている。天皇陛下と雅子さまはこれからも被災地に心を寄せ続けていかれるだろう。「女性自身」2021年3月23日・30日合併号 掲載
2021年03月11日お笑いコンビ・とんねるずの石橋貴明が10日、都内で行われた「『AIG×』『MLB CUP 2021』特別プロジェクト発足発表会」に元プロ野球選手の斎藤隆とともに出席した。AIGジャパン・ホールディングスは、小学4年生と5年生のリトルリーグを対象にしたMLBカップの特別スポンサーとして特別プロジェクトを発足。毎年全国大会を宮城県石巻市で開催しているが、東日本大震災から10年が経過した今年も8月に石巻市で全国大会が予定されており、同社は野球教室のほか、子どもたちを全面的にサポートしていく。その発表会に名門・帝京高校の野球部員だった石橋貴明、被災地の宮城県出身で日本のプロ野球やアメリカMLBでも活躍した斎藤隆が登壇。小学生の頃から野球に親しんできたという石橋は「兄貴が野球をやっていまして、気づいた時に野球をやっていた状態でしたね。当時はジャイアンツの王さんや長嶋さんを見たり後楽園球場のカクテル光線がキレイで素晴らしいなと思いました。こういうところで野球がやりたいなと思って始めました」と振り返った。その石橋は甲子園に何度も出場している名門・帝京高校で3年間の厳しい練習に耐えて甲子園を目指した。「3年生は13人しか残りませんでした。あれから40年以上経ちますが、その13人はずっと友だちです。一つの目標を3年間ずっと追い続けた仲間はかけがえのない友だちですよ」と今でも友人関係が続いているそうで、「あれだけ厳しい練習に耐えられたら、社会人になって辛いことがあっても高校の時の練習より楽だと思うので乗り越えられます。そういう精神力は仲間とともに培っていきましたね」と帝京の練習は想像を絶する厳しさだったという。最後にMLBカップに出場する選手や野球少年にアドバイスも。石橋は「とにかくベストコンディションでやってもらいたいですね。みんなで声を出して元気でやって欲しいです」とエールを送り、「僕が4~5年生だった頃はルールも覚えてゲームに出られるようになり、毎日練習して日曜日の試合が楽しみでした。とにかく野球が一番楽しいスポーツたということを分かってもらいたいし、野球以外のスポーツにもチャレンジして欲しいと思います」と野球だけでなく、他のスポーツに挑戦する重要性も。また、例年MLBカップやリトルリーグに足を運んでいるという斎藤が「石橋さんに来ていただきたいですね」とお願いすると、石橋は「私で良ければ行きますよ」と快諾していた。
2021年03月11日「そうですね、もう、あの日から10年になるんですよねぇ……。でも、妹が夢枕に立ったことは、残念ながらこの10年間、一度もないんです。だがら、きっと天国でおふくろたちと、幸せに暮らしてるんじゃないですかね。そう思うようにしているんです」テレビやラジオの番組では常に元気いっぱい、決して笑みを絶やすことのない人が、少ししんみりとした表情を浮かべていた。生島ヒロシさん(70)。元TBSの人気アナウンサーで、1989年のフリー転身後もタレントとして、司会者として第一線で活躍を続けている。1998年に始まったのが、TBSラジオの朝の番組『生島ヒロシのおはよう定食』と『生島ヒロシのおはよう一直線』。ともにこの春、6千回目の放送を迎えるという人気の長寿番組で「朝一番、生島さんの声を聞き元気をもらう」というリスナーも少なくない。そんな生島さんは2011年、あの東日本大震災で故郷・宮城県気仙沼市で暮らしていた妹を亡くした。10年を経た今日に至っても、妹の夫は見つからないままだ。家族を亡くした悲しみを抱えながら、それでも生島さんはこの10年間、マイクに向かってしゃべることをやめなかった。機会あるごとにつらい思い出にも触れながら、あの日のことを発信し続けてきた。そこにあったのは、あの日、起きたことを決して風化させまいとする放送人としての矜持、そして、故郷・気仙沼への強い思いだった。■火の手が上がる気仙沼を見て血の気が引いて、全身が震えた2011年3月11日。この日、生島さんは宮城県仙台市のホテルで講演会に臨んでいた。「会社の社長さんたち、100人ぐらいを前に、東北を元気にするためには何が大切か、みたいな話をちょうど、していたんです」そして、午後2時46分。「揺れに揺れました。縦、横、それに突き上げるような揺れ、経験したことのない地震でした。すぐ脇にあった鉄製の大きなオブジェが倒れてきて、僕の頭をかすめるようにして演台の左端に当たって。あと数センチ、ズレて直撃していたら、僕もダメだったと思う」テーブルの下に身を隠した参加者を眺めながら、言った。「皆さんはそのまま隠れていてください。私はしゃべり続けます、アナウンサーは死ぬまでマイクを離しません!」精いっぱいの軽口に、テーブルの下からは笑い声も漏れた。まだ、わずかながら余裕があった。直後に講演会は中止になり、翌日、東京で仕事が入っていた生島さんは、すぐさま仙台駅に。しかし、鉄道は全線がストップ。飛行機もマヒしていた。「もう、タクシーしかない」と思ったが、それがなかなか捕まらない。マネージャーと雪が降り始めた町をさまようこと1時間半。ようやく、市内の自宅に帰る客を乗せたタクシーを捕まえ、頼み込んで乗せてもらった。そこから、タクシーを5台乗り継ぎ、東京を目指した。「道中も余震が何度もあって、渡っている橋がものすごい揺れる。太平洋が見えると、運転手さんから『仙台空港は全滅らしい、津波で人がバタバタと死んでる』、そう教えられて空恐ろしくなりました」郡山市内から乗ったタクシーにはカーナビがついていて、そこで発災後初めて、テレビのニュース映像を見ることができた。「真っ先に映し出されたのが、文字どおり火の海と化した気仙沼でした。アナウンサーの方が『津波に襲われた気仙沼の港から、火の手が上がっています』と」血の気がひいて、全身が震えた。“死んでもしゃべり続ける”はずの彼が、言葉を失っていた。「気仙沼には親戚も友人もたくさんいます。なにより、妹夫婦が気仙沼で暮らしていたからです」■地震の直後、妹から「明日は行けそうにない」。その後連絡は途絶えたじつは生島さんの妹・亀井喜代美さん(当時57)と夫は、まさに11日の午後、上京する予定だった。「前月に、妹と暮らしていた母が他界して。僕が東京にお墓を建てたので、妹たちが母の遺骨を持ってきて、納骨式というか四十九日の法要を行うことになっていた。11日は東京のめいの家に泊まって『お兄ちゃんのところには12日の朝に行くね』と言ってたんです」仙台をたって、およそ15時間。朝の7時にようやく、東京の自宅に帰り着くことができた。それでも、落ち着いてなどいられない。「地震の直後、妹の自宅からわが家に電話があったそうなんです。『明日は行けそうにないけど、改めてお邪魔します』って。電話を受けた妻は、津波警報が出たのを知っていましたから『なに言ってるの、喜代美ちゃん。そんなこといいから、早く逃げて』と伝えたそうなんですが……」その後、喜代美さんの電話はまったくつながらなくなった。生島さんはあちこちに連絡を入れ、妹夫妻の安否を尋ねた。「どこそこの避難所で見かけた」「いや、来ていない」「一度来たけど帰ったようだ」……情報は錯綜していた。「不安でしたけど、ポジティブシンキングの僕ですから、『絶対、大丈夫だ、喜代美は生きてる』ってずっと自分に言い聞かせ続けました。でも、タクシーの車内で気仙沼の映像を見た瞬間、すごく嫌な予感がしたのも確かなんです」3日後の14日早朝。生島さんはパーソナリティを務めるラジオ番組の生放送に。気持ちを奮い立たせて、マイクの前に座った。「自分の体験を踏まえながら地震のことをお伝えしたんですが、妹が見つかっていないということも話していくうちに、お通夜みたいな放送になってしまって……」すると、全国のリスナーからたくさんの、温かなメールが届く。「『つらいと思いますが、乗り越えてください』とか、『心中お察しします』という趣旨のメッセージをたくさんいただきました。なかには『生島さんから元気をもらえるから、私は生きていけます』って書いてくださった人もいて。放送中、それを読み上げてたら涙があふれてきちゃって。自分で『こんなことじゃダメだ、切り替えよう』って思いましたね」芸能界の友人たちも、生島さんを心配していた。「あれは震災から5日後ぐらいですね、アッコ(和田アキ子)さんが電話をくれて。いわゆる“黄金の72時間”、それを過ぎると助かる確率がガクンと下がるといわれる時間を過ぎてしまってましたから。『生島、つらいのはわかる、だけどこれはもう、腹をくくらないとダメだと思うよ』って。僕が現実を受け止められるように、背中を押してくれたんだと思います」生島さんは、次々に入ってくる被災地の新たな情報を整理し、リスナーに届けることに、ただひたすらに没頭した。そうすることが、不安と悲しみに押し潰されない、唯一の方法だった。■親しい人の死を悲しむ日を卒業し、前を向くことがいちばんの供養生島さんが故郷・気仙沼を訪れることができたのは、震災から1カ月ほどがたってのことだった。漁業が盛んで海の恩恵を受けて発展してきた町は、同じ海からの脅威の前に壊滅していた。「町並みが、変わり果ててしまってました。僕のなかの気仙沼は、空も海も真っ青、そんなイメージが強いんです。でも、その日は曇り空で、海もどす黒く沈んだ色をしていて。町じゅうがぬかるんでいて、それに臭いが強烈でした。打ち上げられた魚が腐敗した臭いと、油の臭いが混じったような……、あの臭いはこの先も、一生忘れられないと思います」生島さんが故郷の惨状を初めて目の当たりにした4月初旬。そこには震災から1カ月ぶりに、ようやく帰宅が許された人たちがいた。気仙沼市役所に勤めていた、生島さん旧知の2人。小中高と同級生だった廣野純朗さん(70)と、いとこの佐藤健一さん(67)だ。彼らが1カ月も帰宅できなかったのは重責を担っていたから。廣野さんは会計課、佐藤さんは危機管理課、それぞれの責任者だった。震災後、行方不明の妹夫妻の情報を得るため、生島さんが頼ったのが佐藤さんだった。「警察から入る亡くなった人、行方不明者の名簿、それに、避難所に寝泊まりしている人たちの名簿を夜中、手が空いたところでくまなくチェックしたんですが……。当時、パソコンも通信機器も使えないなかで、本当に残念ですが喜代美ちゃんの情報を見つけることはできませんでした」一方、混乱のただ中にあった市役所で、お金の管理を任されていたのが廣野さんだ。被災し稼働できなくなった金融機関の再開にも奔走した。また、支援金や義援金の窓口も。後日、生島さんが東京で集めた義援金の管理も任された。「私は会計課にいたので、生島も『あいつなら金のことも大丈夫だろう』と思ったんでしょうね」2人には、震災直後に脳裏に刻まれた、生々しい記憶がある。廣野さんのそれは、ある音だった。「潰れ、水につかった車のクラクションが、あちこちで突然鳴るんです。市役所が静まり返った夜中になると、よく聞こえてきて。まるで断末魔の叫びのような、それは物悲しい響きでした。あの音はいまも耳にこびりついてます」佐藤さんは、ある光景を目にして、悔しさにかられたという。「雪がやんだ後の、当日の夜。湾のほうにはまだ真っ赤な炎が見えるんです。でも、空を見上げると雲ひとつない夜空に星がさんぜんと輝いていて。ひどい皮肉ですよ。満天の星の下に広がっていたのは地獄絵図ですから。神様が本当にいたら、なぜこんなひどいことをするのかと、恨めしく思いました」一方、生島さんは東京に戻って以降、仕事をまっとうすることに、より傾注していった。「僕の役割ってなんだろう、そういつも考えてました。もう長いこと行方不明のままの肉親がいる、その悲しみを抱えながら、同じ境遇の人の痛みもわかりながら、伝えるべきことをきちっと伝える、それが放送人としての僕の務めだと、そう思うようにしていました」それまで以上に仕事にまい進した。そして、震災から3カ月が過ぎたある日、新聞記事に目が留まった。「それを読んで、僕はとても納得できた。その記事では、東北地方のお坊さんが『卒哭忌』という言葉を解説していたんです。卒哭忌とは百箇日法要のことで、親しい人を亡くし嘆き悲しむ日々からその日を境に卒業して、前を向き生きていきましょうということ。それが故人のいちばんの供養になる、とも書かれてました。つらいし、決して忘れることなどできません。でも、亡くなった人のぶんまで、2倍も3倍も生きることを謳歌する、それが遺った者のすべきことと僕は思うようになりました」■遺体安置所にも足を運んだ。その時の光景は目に焼き付いている。「震災のあのとき、私は東京にいました。たしか、高輪周辺にいて仕事のため移動中でした」こう話すのは、生島さんのめい・亀井理恵さん(42)。気仙沼で行方がわからなくなってしまった喜代美さんの長女だ。震災当時は生島さんが設立した芸能事務所のスタッフとして働いていた。「その晩から、両親は私の部屋に泊まりにくることになっていて、ほんの1時間前にも母と電話で話したんです。そのときは『あとでね』と電話を切ったんですが……」じつは地震発生から6分後の午後2時52分、理恵さんの携帯電話に、母からふたたび着信があった。しかし、どういうわけか着信音は鳴らなかった。直後に気づいて折り返したものの、母の電話につながることはなかった。留守番電話に母が残したのは、生島さんの妻に告げたのと、同様の言葉だった。「『揺れがひどいから今夜は行けない』と。あとでわかったんですが、生真面目な母らしく、この日、地震直後から私や弟、自分のきょうだいたち全員に、同じような電話を入れてるんです。まるでお別れのメッセージの代わりみたいに」東京の街なかでテレビを探した理恵さん。最初に目に飛び込んできたのは、仙台空港が津波に襲われている定点カメラの映像だった。「それを見た瞬間、気仙沼もひどいことになってるだろうなと、わかりました。でも、地震や津波が比較的多い土地柄、避難訓練はしょっちゅうやってましたから。両親も近くの避難所に、きっと逃げてくれているだろうと、そう思っていたんですが」しかし、いっこうに喜代美さんたちは見つからなかった。9日後の3月20日、理恵さんは弟や生島さんの弟・隆さん親子とともに、気仙沼に飛んだ。「ヘドロでぬかるみ、どろどろのなか、やっとたどり着いた実家は、基礎部分だけを残し、建物は跡形もなくなっていました。ものすごくショックで悲しいのに、不思議と涙は出ません。本当に悲しいときは泣けないものだと、知りました」理恵さんたちはその後、避難所を巡って両親を捜した。「そのころになると、助かった人たちは続々と連絡が取れるようになってきてました。でも、うちの両親は9日たっても音沙汰がない。それが何を意味するか、私なりに理解し、覚悟を持っていました」大勢の犠牲者が眠る、遺体安置所にも足を運んだ。「そこで、犠牲になられた方の顔写真を何枚も見て。東京の親族からは『トラウマになるから行かないほうがいい』とも言われましたが、私が行かなきゃ父母を捜せない、そう思ってましたから。でも、やはり衝撃的で目に焼き付いてしまって。いまもときおり、あの人たちの顔が浮かんできます」そんな思いまでして訪問した遺体安置所に、両親はいなかった。「少しホッとした」という理恵さん。その足で警察に出向き、DNAのサンプルとともに、両親の捜索願を出して、東京に戻った。■葬儀のタイミングで遺体を発見。「私たちにメッセージをくれた」震災からおよそ半年後。理恵さんたち家族は、遺体なきまま両親の葬儀を執り行うことを決めた。「葬儀の1週間ぐらい前、宮城県警から、もしかしたら母かもしれないご遺体が見つかった、と連絡が。その写真をひと目見て、私は『母だ!』と。着ているものもそうですけど、もう直感的に、間違いないって。でも、まだ100%確定ではないということで、県警の方が、おじたちのDNAも採るために9月4日、葬儀の会場に来てくれた。サンプルが多ければ照合の精度が上がるということでした」「二三六」という番号が割り振られていたその遺体は、理恵さんの実家から数百メートル離れた、大川で発見されたものだった。約2週間後。理恵さんのもとに、ふたたび県警から連絡が入る。「鑑定の結果、遺体番号二三六は母で間違いない、とのことでした。まさに葬儀のタイミングで、親族が集まるなかで判明するなんて。今度は母が、私たちにメッセージを送ったのかな、そう思いました」震災から10年。理恵さんは少しずつ心の整理がついてきたという。「それでも毎年、3月11日は巡ってきますし、悲しみが消えることはないです。でも、母はしょっちゅう、夢に出てきてくれます。当初は悲しい夢が多かったですが、いまは幸せな、なんてことない日常のワンシーンが多い。今年の初夢もそんな、ありふれた家族だんらんの夢でした」■妹が夢枕に立ったなら「皆、もう大丈夫、安心してね」と言いたい妹・喜代美さんの遺体が見つかって、生島さんは「ある意味、ホッとしました」と話す。「でもね、その後、発見された現場まで足を運びましたが、勝手に涙があふれてきましたね。『あんまり苦しまなかったかな、でもきっと、寒かったろうな』って」喜代美さんが発見された大川のほとりを記者に案内しながら、前出の同級生・廣野さんと、いとこの佐藤さんは、震災を経て生島さんが変わった点を教えてくれた。「それまで以上に、気仙沼のことを気にかけるようになった。ラジオの番組も毎年3月に気仙沼から放送するなど、頻繁に足を運んでくれるようになりました」廣野さんの言葉に、佐藤さんはこう続けた。「番組ではよく、気仙沼出身の歌手・熊谷育美さんの『雲の遥か』を流してます。震災のことを念頭に作られた曲だと思いますが、ヒロシさん、これ聴くと必ず泣く。震災後は涙もろくなりましたよね」一方、めいの理恵さんは「おじは以前にも増して前向きになったように思う」と笑う。「震災後、泣いてばかりだった私は、おじから『人前に出るときは笑っていなさい』と注意されました。おじは……、10年前はさすがに笑いこそしませんでしたが、気丈でした。そして、その後はよりポジティブに。悲しみをエネルギーに変えているように見えました」当初、母・喜代美さんのことをメディアで話すおじに、理恵さんは少なからず抵抗も感じていた。「被災した故郷や、行方がわからない両親が、なんだかネタにされてるような気がしてしまって」でも、生島さんが気仙沼について発信するその真意を、徐々に理解できるようになった。いまおじのもとを離れ、放送局の社員になった理恵さんはこう考えている。「いまとなっては、ただただ私が未熟だったと反省しています。放送人としての、おじの振舞いに間違いはありませんでした。きっと、そのことは天国の母も十分、理解していると思います」当の生島さんは、いつもの軽妙な語り口で、改めて力をこめた。「放送人としての僕の役割は、震災を風化させず、真に復興する日までしゃべり続けることかな、と。そう、アナウンサーは死ぬまでマイクを離しませんよ!」いまだ兄の夢に現れることがないという喜代美さん。もし、彼女が夢枕に立ったなら、生島さんはなんと声をかけるのだろうか?「そうですね、こう言ってあげたいですね、理恵ちゃんや、遺された人たちは皆、もう大丈夫だから、『安心してね』と─」こう言い終えて、生島さんは、この日いちばんの笑みを浮かべた。「女性自身」2021年3月16日号 掲載
2021年03月11日私には小学校と幼稚園に通う子どもたちがいます。東日本大震災が起こった10年前、私は妊活中でしたが、震災のさまざまなショックで生理が止まってしまい……。そのときの体験談と、その体験を今の子育てにどう生かしているかをお伝えします。 熱を出して寝込んでいた私東北地方太平洋沖地震が起きた10年前、私は東京に住んでおり通勤に1時間かかる会社に勤めていました。結婚4年目だったので、そろそろ子どもが欲しいねと妊活をスタートさせたところでした。 そんなある日、高熱を出し仕事を休んで自宅のベッドで寝ていた私は、突然激しく揺さぶられたような衝撃に驚き、目を覚ましたのです。それと同時に、自宅で仕事をしていた自営業の夫が寝室に飛び込んできて、「起きて! トイレに避難しよう!(※)」と叫びました。高熱と揺れにフラフラしながら、壁をつたってなんとかトイレまで移動したのを覚えています。 (※)家の構造によっては、トイレが安全な場所であるとは限りません。また、揺れによりドアが歪んで開かなくなり、閉じ込められてしまう危険性もあるので注意が必要です。 テレビから流れてくる衝撃の映像に震え激しい揺れがおさまったのでトイレから出て、事態を把握しようとまずテレビをつけました。そしてはじめに目に飛び込んできたのは、爆発し、激しく炎上している石油コンビナートの映像でした。 次々と流れてくるニュースが、馴染みのある地名の映像でありながら現実とは思えない光景で、頭が真っ白になり、何これ?と、ショックでしばらく何も言えず立ち尽くして震えていたあの時間は、忘れられません。 その後、断続的に起こる余震に恐怖を感じながらも我に返った私は、夫と一緒に家の中を点検し、落ちた小物や割れた食器を片付けながら次の揺れに備えました。 精神的な不安で生理がストップその後、都内と近県に住んでいた両親や親戚、会社の同僚の安否を確認しホッとしたのも束の間……物流が乱れ、買い占めが起こり、自宅付近のお店の棚から商品がなくなりました。計画停電もありました。日常は取り戻したものの、しょっちゅう余震があって緊急地震速報が鳴り、精神的に落ち着かない不安な日々が続いたのです。 そして気が付くと、生理が3カ月きていませんでした。震災の日から妊活もストップしていたので、妊娠による体の変化ではないことは明らかでした。以前からストレスで生理が止まることはあったので、夫と話し合い、体が自然に戻ることを待つとともに、落ち着くまで妊活はストップすることにしたのです。 転職、妊活再開、そして出産その後も仕事は続けていましたが、震災当日に出勤していた同僚が帰宅困難者となりオフィスに泊まったり、何時間もかけて歩いて帰宅した話などを聞いたりしていたので、妊活の再開も視野に入れて自宅から近い職場に転職することにしました。 そして、6カ月ほど経ったころにようやく生理が再開。同じ年の暮れに妊娠が判明しましたが、もしものことを考えて自宅から一番近い病院でお産することに決めました。引き続き余震は起こっていましたし、胸を痛めるニュースが流れている状況で、常に不安を感じていたように思います。 電力不足で駅のエスカレーターやエレベーターが止まっていることもあり、大きくなるおなかで階段を上り下りすることも負担でしたが、避難所や仮設住宅で長く生活している人たちのことを思い、踏ん張りました。翌年の夏に無事出産したときも、震災の当日とその前後に出産した妊婦さんの状況を想像すると、なんとも言えない気持ちになりました。 子どもたちが大きくなった今、幼稚園や小学校で避難訓練や引き取り訓練がおこなわれますが、そのたびにあの日の話をして訓練に真剣に向き合っています。同時にいざというときの待ち合わせ場所や、非常用持ち出し袋の中身の確認、できるだけ徒歩で行ける学校や習い事にすることなども話し合っています。震災の体験を忘れず、未来に生かしていきたいです。 監修/助産師REIKO著者:坂井香子おだやかな娘とわんぱくな息子の母。夫は別居中のため、完全ワンオペ育児奮闘中。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年03月10日2021年3月11日で、東日本大震災から10年が経ちます。震災当時は未熟な獣医師だったという、セントラルド熊(@4RewJJOmWiLzR7L)さんは、『動物を飼っている方へ』と題した漫画を、Twitterに投稿。すると、「胸が張り裂けそう」などの声が上がりました。『動物を飼っている方へ』避難の途中で置いていかれた動物たち。救いの手が入るも、死を迎えてしまった動物もいました。動物を飼っている人が、実際に避難する時に、考えておかなければならないこととは…。東日本大震災の時にとってしまった誤った行動5/5 @4RewJJOmWiLzR7L pic.twitter.com/q5z6RX4iSW — セントラルド熊 (@4RewJJOmWiLzR7L) March 8, 2021 「ペットを飼うことは人間の余裕があってこそのぜいたく。人間の明日すら定かではないのに、この仕事を安穏と続けていること自体が申し訳ない」そんな風に、自分の無力さを感じていた投稿者さん。ある日、投稿者さんが大きな避難所に動物の薬とフードを持って行くと、車の中や廊下に動物がいたのです。その光景を見て「家族や人生をえぐり取られて、せめて動物くらいそばにいてもいいじゃないか」とこれまでの考えが一新されたといいます。投稿者さんは「可能の範囲を決めて諦める判断もする。しかし、それが最後の別れになる覚悟が必要」と訴えました。自分の命を救うためにも、動物の避難準備を整えておくことは必要でしょう。【ネットの声】・読んでいて悲しくなりました。動物を飼っているものとして考えさせられます。・涙が流れました。私は災害が多い日本だからこそ、いまだにペットを飼う決断ができていません。・本当に大事なこと。これから動物を飼う人や、すでに飼っている人にも読んでもらいたい。・何が正しいのか分からなくなってきた。避難所には動物アレルギーの人もいるだろうし…。難しい。環境省によると、東日本大震災で亡くなった犬は、少なくとも青森県で31頭、岩手県で602頭、福島県では約2500頭だったといいます。犬は、狂犬病予防法に基づく登録が義務付けられていたために、おおよその数が分かりましたが、猫やほかのペットは不明のため、具体的な数字は出ていません。きっと、多くのペットたちが亡くなったと考えられます。まずは人命が第一ですが、避難をする時にペットたちをどうするのか、改めて考えておく必要があるでしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年03月09日2021年3月9日、情報番組『バイキングMORE』(フジテレビ系)では、司会者を務める俳優の坂上忍さんが、お笑いコンビ『サンドウィッチマン』と東日本大震災の被災地を訪れる特集を放送。サンドウィッチマンの2人が被災地にあるメッセージを残しました。サンドウィッチマンが被災地にメッセージ番組で一行が訪れたのは、宮城県気仙沼市にある、震災の記憶と教訓を伝えるための施設『東日本大震災遺構・伝承館(以下、伝承館)』。ここでは、高さ12mを越える津波の被害を受けた『宮城県気仙沼向洋高校』の旧校舎を見学することができます。東北出身のサンドウィッチマンの2人にとって、この旧校舎は高校時代にラグビーの試合で遠征に来たこともある場所なのだそう。伝承館では訪れた人に、付箋に感想や応援の言葉を書いてもらっているとのことで、最後にサンドウィッチマンの2人も想いをつづっていました。これからも沢山の方を連れて来ます。東北魂サンドウィッチマン伊達バイキングMOREーより引用逃げようねまた会うためにサンドウィッチマン富澤たけしバイキングMOREーより引用「これは我々の使命」と語っていた、『サンドウィッチマン』の伊達みきおさん。2人のメッセージからは「多くの人に被災地に訪れてもらい、震災のことを知ってもらいたい」「震災の教訓を忘れない」という強い気持ちが表れていました。ネット上では、視聴者からさまざまな声が寄せられています。・サンドウィッチマンの言葉は、体験したからこその重みがあって、心に響きます。・涙が出てきた。震災の映像は見たくないけど、ちゃんと知らないといけないし、自分がどう生きていくのかを考えないといけない。・富澤さんのメッセージに号泣。とても短い文面なのに心に刺さった。伝承館の付箋のメッセージは2019年のオープン以来、1万件を超しているとのこと。震災から10年が経ったといえども、完全に復興をしているわけではなく、被災して大切な誰かを失った人たちの痛みが消えるわけでもありません。多くの人が被災地に想いを寄せ、震災の記憶を忘れずにつないでいくことが、大切でしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年03月09日GReeeeNが3月4日に配信リリースした新曲「蕾」のリリックビデオを公開した。「響」は、3月6日からスタートしているTBSの報道プロジェクト『東日本大震災10年プロジェクト「つなぐ、つながる」』のテーマソングに起用中の楽曲。3月4日には、TBS『NEWS23』内の音楽コーナー「news23 MUSIC」にて、作曲家・服部隆之によるアレンジとオーケストラの生演奏によるスペシャルバージョンが放送された。放送を見た視聴者からは「オーケストラの生演奏とっても感動しました」「涙が溢れます」など反響が相次いでいる。GReeeeN「蕾」リリックビデオ<放送概要>東日本大震災10年プロジェクト「つなぐ、つながる」TBS『東日本大震災10年プロジェクト「つなぐ、つながる」』ロゴ参加番組:特別番組『つなぐ、つながるSP』『Nスタスペシャル・東日本大震災10年~つなぐ、つながる~』『Nスタ』『NEWS23』『報道特集』『サンデーモーニング』番組公式サイト:<リリース情報>GReeeeN「蕾」※TBSテレビ系列『東日本大震災 10 年プロジェクト「つなぐ、つながる」』テーマソングGReeeeN「蕾」ジャケット2021年3月4日(木) 配信リリース配信リンク:
2021年03月08日愛娘の将来の幸せを願うのが父親というもの。それは皇族であっても変わらない。誕生日に際しての天皇陛下の記者会見では、父娘の「話し合い」がキーワードとなった。陛下と秋篠宮さま、それぞれの父娘関係の変遷を、写真で振り返ります――。■天皇陛下【’02年】子育て参加宣言をされた陛下が国民の前で愛子さまを抱っこ。【’02年】雨の中、学習院幼稚園の父親参観へ。行事にも積極的に。【’11年】那須御用邸でご静養中、父娘二人の時間。那須どうぶつ王国でラクダの背に乗られて。【’17年】愛子さまも両陛下のご公務に同行され、ウィーン少年合唱団のコンサートをご鑑賞。【’19年】愛子さま18歳のお誕生日写真。仲のよさがうかがえるワンシーン。■秋篠宮さま【’94年】葉山御用邸裏の海岸。パパに抱っこされてご満悦の眞子さま。【’98年】眞子さまと手をつながれて、学習院初等科入学式へ。【’14年】たびたびお二人でのご公務も。仙台市の東日本大震災では子どもたちとご交流を。【’17年】ハンガリーをお二人でご訪問。小室圭さんとのご婚約内定会見を翌月に控えての私的旅行。【’18年】ご婚約延期直後、ご公務で映画鑑賞。表情は少し硬く……。「眞子内親王が、ご両親とよく話し合い、秋篠宮が言ったように、多くの人が納得し喜んでくれる状況になることを願っております」誕生日に際しての記者会見で、天皇陛下は、延期されている眞子さまのご結婚について「国民の間で様々な意見があることは私も承知しております」とお述べになった後でこのように話された。短いお言葉ではあるが、ご自身も愛子さまのお父さまであるだけに、秋篠宮さまが今抱かれている眞子さまへのお気持ちを気遣われての発言と感じられた。また陛下は、愛子さまの将来についても「結婚のことも含めて、いろいろ将来のことも話し合う機会というものがあるかと思います」とお話しに。愛子さまの成長に少し頼もしさを感じられるときもあるという。一方、秋篠宮さまも昨年の会見で眞子さまと「いろいろと話す機会があり」、その話し合いも含めて結婚を「認める」とお述べになっていた。とはいえ、陛下のお言葉にあるように、まだまだ眞子さまと話し合われる必要がありそうだ。「女性自身」2021年3月16日号 掲載
2021年03月06日東日本大震災の実録第1話。ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。2011年に起きた東日本大震災から、早くも11年が経とうとしています。あの震災で亡くなられた方々のご冥福を、心よりお祈りいたします。また、被害にあわれた皆様に、謹んでお見舞い申し上げます。 震災当時、私は茨城県に住んでいました。家がなくなったわけでも、家族を失ったわけでもありません。被害の程度は軽いものだと言えます。これは、そんなわが家から見た東日本大震災の記録です。 東日本大震災の実録第1話 自宅にいた夫と再会し、保育園に子どもたちを迎えに行きました。当時、長女は4歳、二女は1歳5カ月。保育園の園庭に避難している子どもたちを見たときは、本当にホッとしました。このとき、携帯電話は通話できず、メールやネットもつながったりつながらなかったり。かろうじて「岩手・宮城・茨城で次々に地震が起きたこと」「余震が多いので建物の中では寝ないほうがいい(という意見)」をネットで見ることができました。離れて暮らす親兄弟や友だちとは連絡が取れず、安否の確認はできませんでした。夫の携帯電話も私の携帯電話も電池が切れ、電気も水道も復旧しないまま。私たちは自宅の倒壊を恐れて、車で眠ることにしました。そして、最初の夜がやってきました。 震災発生当初の感覚をまだ覚えています。それまでにも、突然の不幸などで日常が急に崩れてしまったように感じた経験はありました。でも、周囲の人たちも皆同じように「非日常」に入り込んでしまうというのは初めての経験でした。だれもが不安な顔をしていたし、何かしら困っていたと思います。それでも私は心のどこかで、こんなことは長く続かないだろう、きっとなんとかなるだろう、と思っていました。このときはまだ、この非日常が何日も続くとは思っていなかったのです。 ライフラインがたたれた和田さんですが、さらに困った状況に……。次回に続きます。 ※本記事は2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載された漫画を、再編集・加筆したものになります。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年03月05日2021年3月11日、Bunkamuraオーチャードホールで宝塚OG 毎日希望奨学金チャリティーコンサート「忘れない~天国の大切なあの人へ~」を開催する。この公演は、東日本大震災で保護者を亡くした震災遺児支援を目的に、毎日新聞社が設立した「毎日希望奨学金」のためのチャリティーコンサート。東日本大震災で亡くなった方への手紙を投函する岩手県陸前高田市の「漂流ポスト」に寄せられた愛のメッセージを、宝塚OGの北翔海莉、桜一花、壱城あずさ、如月蓮、妃海風の5人が、愛をテーマにした歌とともに届ける。今年は東日本大震災から10年の節目の年。と同時に、新型コロナウイルスという新たな脅威も出現した。こうした変化の中で、出演者の舞台にかける思いは例年以上だ。4度目の出演となる元星組男役トップスターの北翔海莉さんはこう語ってくれた。「今、コロナ禍が世界中を覆っています。多くの方が苦しみや不安を抱える中で、生の舞台の醍醐味(だいごみ)やエンターテインメントの光を消してはいけない。コンサートや公演など、エンタメには生きる力、精神力を生み出すエネルギーがある。祈るような気持ちで舞台に上がるつもりです」。元星組トップ娘役の妃海風さんも「手紙に書かれたことの意味を感じ、歌も含めてその繊細な思いを大事に丁寧な公演にしたい」と意欲を見せる。今回の公演は、バラエティー豊かなセットリストに注目が集まっている。前半は手紙の朗読とともにJ-POPの名曲が心に響く。後半は宝塚歌劇団のナンバーをOGが時に華やかに、時に切なく歌いつなぐ。「天翔ける翼」「運命よ、今夜は女神らしく」では宝塚の感動の舞台が再現され、「美女と野獣」を北翔さんと妃海さんコンビがロマンティックに歌う。「恋は元々アンフェア」は壱城と如月のコラボ、「JUMP!」は桜を軸に舞台「オーシャンズ11」の感動が思い出される。その他、宝塚ファンならずとも心に元気と癒しをくれる珠玉の名曲ばかりだ。また、北翔さんがトップ男役時代の思い出の宝塚が甦る構成になっている点にも注目だ。元星組のトップスターコンビ、北翔さんと妃海さん。桜さんは北翔の一期後輩。壱城さんと如月さんは北翔さんと同じ星組に所属していた。本公演は、有料生配信も実施。3月17日まで会場の感動を繰り返し楽しむことができる。震災10年となる「特別」な公演をぜひお楽しみに。
2021年03月04日2021年2月26日、中国政府は台湾産パイナップルから害虫が検出されたとして、同年3月1日から輸入を停止すると発表。台湾側はこれを「政治的な圧力」と反発し、対策として日本をはじめ各国への輸出を拡大していました。蔡英文総統が日本にお礼のメッセージ産経ニュースによると、台湾の農業委員会は同年3月3日、日本のパイナップル購買量が前年比約130%増の5千トンになるとの見通しを報告しています。これについて、台湾の蔡英文(さい・えいぶん)総統がTwitterで日本の消費者に向けて、お礼のメッセージを発信し、反響を呼びました。台湾産パイナップルを応援してくださる日本の皆さん、ありがとうございます!台湾にいらしたら必ずと言っていいほどパイナップルケーキを購入されるでしょうが、台湾産パイナップルはフルーツとしてそのまま食べるのも最高なんですよ!ぜひ食べてみてください! pic.twitter.com/L2WUnIOaUB — 蔡英文 Tsai Ing-wen (@iingwen) March 3, 2021 台湾産のパイナップル購買量が日本で増加した背景には、台湾のキャンペーンや、日本語によるTwitter、SNS上の呼び掛けの影響が大きかったと見られています。When it comes to #Taiwanese treats, our pineapple cakes are always at the top of the list. Have you ever tried one? #パイナップルケーキ を食べたことありますよね?パイナップルケーキといっても、台湾にはいろいろな種類があります。皆さんが好きなパイナップルケーキを教えてください! pic.twitter.com/C7pTXR23fz — 蔡英文 Tsai Ing-wen (@iingwen) February 27, 2021 台湾産のパイナップル、中国は3/1からの輸入禁止を発表しましたが、我々はそれでも決してたじろぎません。台湾の農民が苦労して育てた美味しくジューシーなパイナップルは、台湾のみならず、日本の方にも愛されています。まだ召し上がったことのない方は、ぜひ台湾産のパイナップルをお試しください。 pic.twitter.com/KUwZDwPYyD — 鄭文燦 Cheng Wen-Tsan (@ChengWenTsan) February 26, 2021 産経ニュースによると、中国政府は輸出停止による経済的な打撃により、蔡政権への反発が台湾内で高まることを狙ったとみられているそうです。しかし、蔡英文総統は中国側の発表があった後、すぐに産地を訪れ、生産者の支援を表明。値崩れを防ぐため予算を投入し、市民に消費を促す情報発信や各国への輸出開始など、迅速な対策を行いました。その結果、台湾の人々が団結し、各国の支持拡大にもつながっているのではないでしょうか。Twitter上では、日本のユーザーから応援の声が多数上がっています。・台湾にはマスク不足の大変な時に、お世話になりました。困った時はお互いさまですね。・東日本大震災の時の義援金は今でも忘れません。台湾産のパイナップルを応援します!・台湾のパイナップルを食べたら、ほかのは食べられない。甘くてジューシーで最高です。台湾産のパイナップルは、酸味が少なめで芯までおいしく食べられるとのこと。スーパーマーケットやオンライン上でも購入できるので、応援の気持ちも込めて、気軽に試してみてはいかがでしょうか。[文・構成/grape編集部]
2021年03月04日有村架純主演作品「有村架純の撮休(#1)」と『劇場版 そして、生きる』が、3月15日から開催される「第12回Asian Pop-Up Cinema」で上映が決定。そして両作品が評価され、日本人初となる「BRIGHT STAR AWARD」を受賞することが明らかになった。「Asian Pop-Up Cinema」は、アジアの選りすぐりの映画を紹介する、アメリカ・シカゴで毎年春と秋の年2回開催される映画祭。今年で5年目を迎える同映画祭は、過去には『サバイバルファミリー』や『カメラを止めるな!』などが上映され、『翔んで埼玉』は観客賞を受賞した。そして今年は、東日本大震災後のボランティア活動で出会った2人が、運命に翻弄されながらも強く美しく生き抜く姿を描く、ドラマの再編集版『劇場版 そして、生きる』。ドラマや映画の撮影期間に突然訪れた休日、通称“撮休”をどう過ごすのかを、各界のクリエイターたちが妄想を膨らませて描き、有村さんが“有村架純”を演じる1話完結のオムニバスドラマ「有村架純の撮休」を上映。本作で主演を務め、今回日本人初となる快挙を成し遂げた有村さんは、「この度、第12回アジアン・ポップアップ・シネマ、ブライトスター・アワードを頂戴しました。本当にありがとうございます」とまず感謝を述べ、「自分にとってもものすごく大切な作品」「とても新鮮でしたし、本当にいろいろなことに挑戦できたのでとても楽しかった記憶しかありません」と、今回上映される2作品について語っている。なお本来、映画祭へ招聘されるところだが、今回は映画祭特設サイトでビデオメッセージを寄せている。有村架純コメントこの度、第12回アジアン・ポップアップ・シネマ、ブライトスター・アワードを頂戴しました。本当にありがとうございます。今回、映画祭では私の主演させて頂いている作品2本、上映致します。まず一つ目は、「劇場版そして、生きる」です。この作品は、東日本大震災後のボランティアをきっかけに様々な運命に翻弄されながらも懸命に生きていく女性を演じています。東日本大震災から10年の時が経つんですけども、この作品を経てあらためて災害について考えるきっかけとなればいいなと思いながら作品にさせてもらいました。自分にとってもものすごく大切な作品となりました。もう1本目は、「有村架純の撮休」の第1話目です。この作品は、突然、撮影がお休みなったら、女優は何して過ごす?フェイクドキュメンタリーの作品になっています。私は、本人役で出演させて頂きましたなかなかない企画のお話しだったので、とても新鮮でしたし、本当にいろいろなことに挑戦できたのでとても楽しかった記憶しかありません。是枝監督と初めてご一緒して、とても心地のよい時間を過ごさせて頂きました。機会があったら、是非ご覧ください!連続ドラマW「そして、生きる」(全6話)、「有村架純の撮休」(全8話)はWOWOWオンデマンドにて配信中。(cinemacafe.net)■関連作品:劇場版 そして、生きる 2019年9月27日よりイオンシネマ板橋、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国にて公開Ⓒ2019 WOWOW
2021年03月03日有村架純が出演する主演作品『有村架純の撮休(#1)』と『劇場版 そして、生きる』が今年3月15日(月)から開催される「第12回 Asian Pop-Up Cinema」で上映されることが決定。さらに両作品が評価され、日本人初となる「BRIGHT STAR AWARD」を受賞する運びとなった。「Asian Pop-Up Cinema」はアメリカ・シカゴで毎年春と秋の年2回、アジアの選りすぐりの映画を紹介する映画祭。日本、中国、香港、韓国、台湾、インドなどから各国の話題作が集まり、今年で5年目を迎え第12回の開催となる。これまでに『サバイバルファミリー』『カメラを止めるな!』などが上映され、『翔んで埼玉』は観客賞を受賞するなど日本映画は高い評価を得ている。今回、有村の主演2作品を一挙に上映する中、日本人初となる快挙に喜びのメッセージが届いた。本来、映画祭へ招聘されるところだがコロナウイルス禍のため、映画祭特設サイトでもビデオメッセージを寄せている。●有村架純この度、第12回アジアン・ポップアップ・シネマ、ブライトスター・アワードを頂戴しました。本当にありがとうございます。今回、映画祭では私の主演させて頂いている作品2本、上映致します。まず一つ目は、『劇場版そして、生きる』です。この作品は、東日本大震災後のボランティアをきっかけに様々な運命に翻弄されながらも懸命に生きていく女性を演じています。東日本大震災から10年の時が経つんですけども、この作品を経てあらためて災害について考えるきっかけとなればいいなと思いながら作品にさせてもらいました。自分にとってもものすごく大切な作品となりました。もう1本目は、『有村架純の撮休』の第1話目です。この作品は、突然、撮影がお休みなったら、女優は何して過ごす?フェイクドキュメンタリーの作品になっています。私は、本人役で出演させて頂きましたなかなかない企画のお話しだったので、とても新鮮でしたし、本当にいろいろなことに挑戦できたのでとても楽しかった記憶しかありません。是枝監督と初めてご一緒して、とても心地のよい時間を過ごさせて頂きました。機会があったら、是非ご覧ください!『連続ドラマW そして、生きる』(全6話)『有村架純の撮休』(全8話)WOWOWオンデマンドにて配信中
2021年03月03日2021年3月11日で、東日本大震災から10年の節目です。同年2月13日には、宮城県と福島県で最大震度6強を観測する地震が起こり、東日本各地で大規模な停電も発生しました。そんな中大規模な災害に対する備えを、改めて考えさせられた人も多いことでしょう。ゼンリンからの『お願い』が話題に同月24日、地図の制作・販売をしている株式会社ゼンリン(以下、ゼンリン)がTwitterアカウントを更新。内容が「本当に大事」「広まってほしい」と反響を呼んでいます。災害時に必要な食料や、避難する時にあると便利な物を入れる、防災バック。防災バックの中に必ず入れてほしいものを、ゼンリンはこう呼びかけました。唐突ですがお願いがあります 先日の大きな地震で、大規模停電が発生しました...忘れてほしくないので今一度「災害時の地図について」お伝えさせてください。⁰ ⁰防災バッグの中に「ご自宅付近の地図」必ず入れておいてください! なんなら当社の地図でなくてもいいです、おねがいします。— 株式会社ゼンリン (@ZENRIN_official) February 24, 2021 防災バッグの中には、『自宅付近の紙の地図』を必ず入れるよう呼びかけたのです。地図はスマホでも見ることができますが、紙の地図の大切さについてこう解説しています。災害発生時において地図はとても大事な情報源ですが、停電時のスマホの電源は非常に貴重です。 スマホでの地図使用は極力控え、ニュース等「最新情報の取得」に活用してほしいんです これで少しでも困る人が減るなら、何度でもツイートします!— 株式会社ゼンリン (@ZENRIN_official) February 24, 2021 災害時、スマホの電源は重要。スマホの電源は、地図の使用ではなく「被害状況などの最新情報を得るのために使ってほしい」と訴えます。普段の街並みが一変することがあるため、事前に準備した地図で避難場所、避難場所までのルート、危険箇所などを確認しておくといいそうです。「なんなら当社の地図でなくてもいい」というコメントとともに呼びかけたゼンリン。「困っている人をただ救いたい」というゼンリンの切なる願いが伝わってきますね。投稿は反響を呼び、このような声が上がっています。・大事なことですね。道路や家屋が壊れたりすると、見慣れている場所もまったく違う場所になる…。・東日本大震災からしばらくは、防災について心がけてたけど、最近は気持ちがゆるんでいたかも。防災バックの中身を見直そうと思います。・「自社の地図でなくてもいい」という気持ちが素敵。非常時は、電源が必要ないものがすごく大事ですよね。多くの人が、非常時に必要なものを見直すきっかけになったようです。災害の多い国、日本。一人ひとりが自分や家族の命を守るために、今できることを準備しておくことが大切ですね。投稿全文はこちら唐突ですがお願いがあります 先日の大きな地震で、大規模停電が発生しました...忘れてほしくないので今一度「災害時の地図について」お伝えさせてください。⁰ ⁰防災バッグの中に「ご自宅付近の地図」必ず入れておいてください! なんなら当社の地図でなくてもいいです、おねがいします。— 株式会社ゼンリン (@ZENRIN_official) February 24, 2021 災害発生時において地図はとても大事な情報源ですが、停電時のスマホの電源は非常に貴重です。 スマホでの地図使用は極力控え、ニュース等「最新情報の取得」に活用してほしいんです これで少しでも困る人が減るなら、何度でもツイートします!— 株式会社ゼンリン (@ZENRIN_official) February 24, 2021 宣伝ぽくなってしまいスミマセンが...それでもゼンリンの地図入れておくよ!と言ってくれるみなさまへ、参考にこちら貼っておきます。300円のものでOKです。 ⁰なにかが起きるその前に、どうぞ改めてのチェックをお願いします! — 株式会社ゼンリン (@ZENRIN_official) February 24, 2021 <追記します>災害時は、平常時に想定しないことばかり起こります。また、見慣れた景色が一変することもあります。 備えていただく地図に、避難場所・ルート・危険箇所のチェックなどお願いします! 参考までに、当社の防災マップ活用術ページをどうぞ! — 株式会社ゼンリン (@ZENRIN_official) February 25, 2021 近所の地図って必要?というご意見が多かったので... 「防災観点で日々そこで生活していないからです」とお伝えいたします。知りすぎてるからこそ危険なこともたくさんあります... 万が一の事態に安全に落ち着いて行動してほしい...そのために地図を常備してほしいのです— 株式会社ゼンリン (@ZENRIN_official) February 25, 2021 [文・構成/grape編集部]
2021年03月01日2021年3月11日で、東日本大震災から10年が経ちます。国内観測史上最大規模である、マグニチュード9.0を観測し、宮城県北部で最大震度7の揺れが襲いました。また、岩手県、宮城県、福島県を中心に巨大な津波が襲来。復興庁が2021年2月26日に発表している東日本大震災による全国の避難者数は、現状でも約4万人以上だといいます。サンドウィッチマン、震災から5日後に設立した基金は10年で約5億円宮城県出身の、お笑いコンビ『サンドウィッチマン』。震災から5日後の2011年3月16日に、2人は被災者を支援するために『東北魂義援金』を設立しました。10年経った今でも義援金を募集し、2人は2021年2月27日にブログで宮城県知事の村井嘉浩氏へ1425万6796円を手渡ししたといいます。伊達みきおさんは、この10年で『東北魂義援金』に寄せられ、被災地に届けた金額は4億9千万円を超えると明かし、感謝の言葉をつづりました。震災から10年になる今年も、全国の皆さんからこうして東北の被災地を気に掛けて頂き、本当に嬉しく…心から感激しております。被災地を応援して下さる全国の方々始め、和田アキ子さん、中居正広さんや芸能界の先輩方、ナイツの塙くんや芸人仲間からも沢山のご協力を頂きました。東北魂義援金は、東日本大震災で親御さんを亡くされた子供達(震災遺児・孤児)の生活費や学費に使われます。これまでの10年で、東北魂義援金に寄せられ、我々が直接被災地に届けた金額は合計で【4億9117万5719円】になります。本当に凄い額です。感謝しております☆東北魂義援金☆ーより引用また、富澤たけしさんは、震災から10年経つものの風化を感じることはないと明かしています。ご協力頂いた皆様、本当にありがとうございました。震災から間もなく10年ですが、まだまだ全国からこれだけのお気持ちを預かることができるし、テレビやラジオを通じて東北に旅行に行かれた話や食べ物のお取り寄せ情報などに触れているので世間で言われるほど僕らは風化という物を感じていません。これまで宮城、岩手、福島に義援金を届けてきましたが、震災孤児等支援の金額はかなり集まったというお話も聞くので、東北魂義援金も何か別の用途にしていこうかと話しています。東北魂義援金ーより引用震災遺児・孤児の子供たちへの寄附はほかの団体からの支援もあり、ある程度集まってきたといいます。そのため今後は、形になる何かを被災地に寄贈出来ないかと考えているとのことです。伊達さんは「寄せられた基金で被災地の公園などにベンチを造ったり、子供達が遊べる砂場を造ったり…」と考えを明かしました。気象庁は2021年2月13日の深夜に起きた福島県沖の地震は、東日本大震災の余震と考えられると発表しています。この地震で、10年前の地震を思い出した人も多いようです。伊達さんも「緊急地震速報や映像を見て、どうしても10年前を思い出して震えた」とブログにつづっていました。この大きな地震が風化することなく、『東北魂義援金』を通してたくさんの人が幸せになることを願います。[文・構成/grape編集部]
2021年02月27日震災直後の2011年5月の開催から10年。ついに「がんばろう日本!スーパーオーケストラ」が最終回を迎える。東日本大震災で保護者を亡くした震災遺児の学業継続を支援する「毎日希望奨学金」のためのこのチャリティーコンサートは、全国の交響楽団などで活躍する演奏家たちが毎年一夜限りの「夢の楽団」を結成し、音楽を届けてきた。本公演は、新型コロナウイルスの影響で延期となって1年越しのコンサートでもあり、出演者たちの意気込みは例年以上だ。ピアノの實川風さんは、この新型コロナ禍で「客席に生の音を届けることのできる喜びや大切さを、以前よりも強く感じます」と話す。だからこそ「震災から10年という中でのコロナ禍に、被災地のみなさんはさらに大変な日々を過ごされているのではないかと思います。少しでも日々のパワーにつながる演奏をお届けしたいと思います」と気持ちを新たに演奏に臨む。バイオリンの辻彩奈さんは、演奏曲であるブルッフのスコットランド幻想曲に触れながら、「特に光が差してくるような美しいメロディーの第3楽章が、新型コロナの感染拡大によって制限ある世の中で生きる私たちの心に寄り添ってくれると思います。聴いてくださる方の心に届くような演奏を目指したい」と話す。そして、指揮を執る山下一史さんは「音楽に癒やしがあるかどうかは今もわかりませんが、作曲家が曲に込めた思い、それを演奏する演奏家の思い、聴衆の思いがつながった絆が、音楽に力を宿らせることはできます。新型コロナの恐怖が収まらない中、会場に足を運んでくださいとはなかなか言えませんが、この渦中にある我々だからこそ、震災に思いをはせることには特別な意味があります」と力を込める。コンサートは、ライブ配信でも、アーカイブ配信でもお楽しみいただける。アーカイブ配信は3月9日23時59分まで。指揮、ソリスト、そしてスーパーオーケストラが一体となった演奏をぜひお楽しみに。
2021年02月26日GReeeeNがTBSの報道プロジェクト『東日本大震災10年プロジェクト「つなぐ、つながる」』のテーマソングに書き下ろした新曲「蕾」の初解禁が決定した。「蕾」は、3月6日から始まる『東日本大震災10年プロジェクト』に参加する7番組全てで、テーマソングとして使用されることがすでに発表されている。本日、TBSテレビ系列『ひるおび!』内ニュースで放送される、プロジェクトのスポットで楽曲の一部が使用されることになった。GReeeeNは本楽曲の制作にあたって、リーダーHIDEと内堀福島県知事の対談や、東北の人々の声を聞いて作り上げたという。なお今回の発表と合わせて、「蕾」がデジタル配信シングルとして3月4日にリリースされることも発表された。【放送概要】東日本大震災10年プロジェクト「つなぐ、つながる」TBS『東日本大震災10年プロジェクト「つなぐ、つながる」』ロゴ参加番組:特別番組『つなぐ、つながるSP』『Nスタスペシャル・東日本大震災10年~つなぐ、つながる~』『Nスタ』『NEWS23』『報道特集』『サンデーモーニング』公式サイト:【リリース情報】TBSテレビ系列『東日本大震災 10 年プロジェクト「つなぐ、つながる」』テーマソング「蕾」2021年3月4日配信
2021年02月26日コスメブランド『SHIRO』から、東日本大震災の復興支援として限定で発売していた『ハッピーヴァーベナ』が、限定フレグランスとして再登場します。コロナ禍でも「ハッピーヴァーベナ」で笑顔に2011年3月11日の東日本大震災の際、『SHIRO』は「香りの力で笑顔を」「少しでも多くの方に元気とパワーを」という想いから、同年5月に『ハッピーヴァーベナ』を発売しました。そして10年後の現在、コロナ禍で緊張の続く日々でも『ハッピーヴァーベナ』で笑顔になってほしいという想いから、オンライン限定で今回の再登場が決定しました。『ハッピーヴァーベナ』は、シトラスがはじけるフレッシュなフレグランスで、もぎたて果実のようなみずみずしいフルーティな香りから、グリーンを感じられるさっぱりとした柑橘系の香りへとうつります。『ハッピーヴァーベナ オードパルファン』¥4,055(税込)約2時間香りが続く、オードパルファンはお出かけ前や気分がリフレッシュさせたいときにひと吹き。手首や首筋、耳の後ろなどにつけて、爽やかでフレッシュな香りを楽しんでくださいね。【商品詳細】『ハッピーヴァーベナ オードパルファン』価格:エシカル割¥4,055(税込)『ハッピーヴァーベナ ルームフレグランス』¥4,481(税込)ルームフレグランスは約2か月半香りが続くので、おうち時間がより幸せになりそう。スティックの本数によって香りの強さを調節できるので、好みの香り方や部屋の広さに合わせてアレンジが可能。リビングやベッドルームなど、様々なスペースに使えます。【商品詳細】『ハッピーヴァーベナ ルームフレグランス』価格:エシカル割¥4,481(税込)『ハッピーヴァーベナ ハンド美容液』¥2,988(税込)手指消毒などで、いつも以上に乾燥が気になるこの季節におすすめなハンド美容液です。アロエや酒粕、シアバターが配合され、すっとなじみなめらかな手肌へと導きます。【商品詳細】『ハッピーヴァーベナ ハンド美容液』価格:エシカル割¥2,988(税込)『ハッピーヴァーベナ オイルインハンドスプレー』¥2,200(税込)アルコールで手荒れしてしまう方のために誕生したハンドスプレーも今の時期は必見。手肌をやさしくいたわるひまわり油を配合し、潤いを与えながら除菌をしてくれるアルコール入りハンドスプレーです。【商品詳細】『ハッピーヴァーベナ オイルインハンドスプレー』価格:エシカル割¥2,200(税込)※いずれも2021年2月25日(木)午前10時~、SHIROオンラインストア限定で予約開始※2021年3月11日(木)頃よりお届け予定オンラインストア限定で完売も予想されるアイテムなので、気になる方は予約時間もチェックしておいてください。『ハッピーヴァーベナ』の利益は現在も、東北地方の復興支援のために寄付されています。気になるアイテムがあれば、商品を購入して、東日本大震災の復興サポートに携わってみてはいかがでしょうか。【参考】世界中がハッピーな香りにつつまれますように 東日本大震災の復興支援として発売した『ハッピーヴァーベナ』が限定フレグランスから再登場-PR TIMES©︎SHIRO文/RKRK
2021年02月23日「堀北さんは1年ほど前から2人の子供たちと一緒に北関東に移住したそうです。北関東に住む山本さんのお父さんが高齢なことと、子育てを考えて決めたといいます。山本さんは仕事がある時は都内のマンションで生活し、オフは北関東で家族と生活していると聞きました」(芸能関係者)堀北真希(32)と山本耕史(44)が1年前から北関東で始めた“田舎暮らし”。同様のライフスタイルを選択した芸能人は山本夫妻だけでない。「こうした2拠点生活は“デュアルライフ”と呼ばれます。松山ケンイチさん(35)&小雪さん(44)夫妻も、2年ほど前から、3人の子供を連れ、1年のうち半年は北日本の村で暮らしています。松山さん自ら畑でにんじんや大根、枝豆などの野菜を育てたり、近くの川でヤマメやイワナを釣って天ぷらにして食べているそうです。なにかと便利な東京から離れ、大自然で過ごす日常こそ、一家にとって大事だと考えているといいます」(テレビ局関係者)松山は2月18日号の『週刊新潮』のインタビューで「童心に返って我が子と一緒に楽しんでいます」と、一家で今のライフスタイルを満喫していると語っていた。「山本さんも親交のある松山さん、小雪さんご夫妻同様に、2人のお子さんに田舎暮らしを体験させることが、いまは重要だと確信しているようです。特に体力があり余っている上の子を高く持ち上げたり、振り回したりするなど、大自然のなかで、力を使った遊びをして喜ばせているそうです」(前出・芸能関係者)また山本の知人によれば、芸能界から退いている堀北も北関東での育児生活を気に入っているそう。「夫妻の間では、しつけなどの育児ルールは奥さんが基本的に決めているそうです。真希さんはかねてから、できるだけ芸能界とは離れた環境で、なおかつ自然豊かな場所でのびのびと子育てをしたいと思っていたと聞いています。山本さんも真希さんも東京出身ですから、自然に囲まれた暮らしに憧れもあったようですね」家族でUターンや田舎暮らしを選択する人々は増えている。関東学院大学法学部地域創生学科の牧瀬稔准教授は話す。「基本は地方に住んで、必要があるときだけ都会に戻るというスタイルは昔からありますが、そうした傾向は新型コロナの影響もあって強まったと思います。二重生活でなくても、地方で暮らすことを選択する人は増えています。オンライン診療が動きつつあり、オンライン教育も可能になりつつあるため、昔ほど地方に暮らすデメリットがなくなってきたこともあります」牧瀬准教授によれば、コロナ禍で人々の心に変化が見え始めているとも指摘する。「在宅勤務が増えたことで、多くの人の視点が『家庭』や『地域』の再発見に動きつつあります。また、私たちの志向が家庭や地域など足元に向くというのは、東日本大震災のときもそうでした。家族に目がいく『家族回帰』が起きているんです。コロナでも同じことが起きて、“親の近く”や“地元”に戻りたいという人が増えたのだと思います」「女性自身」2021年3月9日号 掲載
2021年02月22日東北地方の復興を応援2021年2月25日(木)、SHIRO オンラインストア限定で、『ハッピーヴァーベナ』製品4品の予約が開始される。SHIROでは、2011年3月11日の東日本大震災を受け、「香りの力で笑顔を取り戻すことができないか」「少しでも多くの方に元気とパワーを届けたい」という想いから、同年5月に『ハッピーヴァーベナ』製品の販売をスタート。『ハッピーヴァーベナ』製品による利益の全額は、東北地方の復興支援に役立てられる。予約は2月25日(木)午前10:00から開始。3月11日(木)頃に届けられるように順次発送予定となっている。爽やかな香りでハッピーに『ハッピーヴァーベナ』のアイテムは、『ハッピーヴァーベナ オードパルファン』『ハッピーヴァーベナ ルームフレグランス』『ハッピーヴァーベナ オイルインハンドスプレー』『ハッピーヴァーベナ ハンド美容液』の4品。環境に配慮し、全アイテムが箱なしのエシカル仕様となっている。アルコールによって手荒れしてしまう人に向けに開発された『ハッピーヴァーベナ オイルインハンドスプレー』は、アルコールとともに、ひまわり油を配合。手肌に潤いを与えながら、健やかな手元を叶える。販売価格は2,200円(税込み)。『ハッピーヴァーベナ ハンド美容液』は、保湿成分として、アロエや酒かす、シアバターを配合。肌にすっとなじみ、手肌になめらかな潤いをプラスする。消毒や手洗いによる乾燥、荒れが気になるときなどにオススメだ。販売価格は2,988円(税込み)。(画像はプレスリリースより)【参考】※SHIRO公式サイト
2021年02月22日GReeeeNが、TBSの報道プロジェクト『東日本大震災10年プロジェクト「つなぐ、つながる」』のテーマソングを担当する。3月6日から11日にかけて行われるこのプロジェクトは、東日本大震災から10年の節目に各報道番組や報道特別番組で、被災地のさまざまな想いや教訓を未来につないでいくというもの。参加番組は、特別番組『東日本大震災10年「つなぐ、つながる」スペシャル』(仮)を始め、『報道特集』『サンデーモーニング』『JNNニュース』『Nスタ』『NEWS23』、そして『東日本大震災10年 Nスタスペシャル』(仮)の全7番組。これら全てにGReeeeNによる書き下ろしテーマソングが使用される。今回のテーマソング提供にあたり彼らは、「震災当時、福島で過ごしていた僕たちから、未来に向かって、『東日本大震災10年「つなぐ、つながる」プロジェクト テーマソング』をお届けできればと思っています。」とコメントを寄せている。なお、このテーマソングは3月上旬にリリースされる予定。GReeeeNコメント全文あの震災から10年という時が経とうとしています。復興へと続くこれまでの道程の中で、一日一日を過ごされた方々の想いに心を寄せ、震災当時、福島で過ごしていた僕たちから、未来に向かって、『東日本大震災10年「つなぐ、つながる」プロジェクト テーマソング』をお届けできればと思っています。厳しい冬を越えて、百の花が芽吹く。百花繚乱。いくとせかの日、春の訪れを待ちわびて、やがてひらく蕾のように。【放送概要】東日本大震災10年プロジェクト「つなぐ、つながる」TBS『東日本大震災10年プロジェクト「つなぐ、つながる」』ロゴ参加番組:特別番組『東日本大震災10年「つなぐ、つながる」スペシャル』(仮)『東日本大震災10年 Nスタスペシャル』(仮)『Nスタ』『NEWS23』『報道特集』『サンデーモーニング』公式サイト:
2021年02月22日2021年2月13日の夜、宮城県と福島県を中心に、最大震度6強の地震が観測されました。強い揺れだったことに加え、あの東日本大震災から10年の節目が間近であるため、多くの人が不安に襲われた今回の地震。該当地域では土砂崩れや大規模な停電が発生するなど、いろいろな被害が報告されています。地震で被害を受けた『道の駅』がたくましいと話題に福島県伊達郡にある、道の駅・国見『あつかしの郷』を訪れた、天然パーマと縮毛矯正(@kyrie0kyrie)さん。先日の地震で被害を受けた『あつかしの郷』ですが、営業ができる程度には復旧していたため、胸をなで下ろしたといいます。そんな中、目に入ったのは斬新すぎる商品POP。写真を撮ってTwitterに投稿したところ、多くの人から称賛の声が上がりました。陳列されていたのは、地元で製造されたお酒の瓶。道の駅としてはありふれた光景に感じますが、POPを読んでみると…。先週の地震で被害のあった道の駅に来たけど、ある程度復旧していたようでよかった。そして逞しかった。 pic.twitter.com/bkBzeYn6ZF — 天然パーマと縮毛矯正 (@kyrie0kyrie) February 20, 2021 貼り紙によると、これらの勇者は地震に耐え抜いた功績を称え、セール価格ではなく定価で販売されている様子。また、「パッケージラベルに汚れがありますが、中身は問題ありません。ぜひよろしくお願いします」という手書きのメッセージからは、従業員の熱い想いが伝わってきます!ちなみに、この売り場ではお酒類だけでなく、地元で製造されたジュースも陳列されていたのだとか。きっとこのPOPによって、多くの勇者が客の手に渡ったことでしょう。まさに「発想の勝利」という言葉がピッタリな販売方法に、多くの人から称賛の声が上がっています。・これはナイスアイディア。飲んだら、げん担ぎにもなりそう。・勇者たちをぜひ我が家に迎え入れたい!逆転の発想ですね。・セールするのではなく、あえて定価で販売するところもいい。プレートの問題で海外諸国と比べて地震が多く、『災害大国』と呼ばれる日本。日常生活を送っているだけで、常に災害への不安が付きまといます。たくましく、ポジティブな発想によって販売された勇者たちは、そういった不安を軽くしてくれたのではないでしょうか。[文・構成/grape編集部]
2021年02月21日東日本大震災から10年という節目の年となる2021年。震災の教訓を未来へ伝えるために、“震災の記憶”、“その後の人々が生んだ絆”、 “未来への課題”の3つをテーマに掲げた特別企画『「震災と未来」展 ー東日本大震災10年ー』が日本科学未来館にて開催される。展示は3つのゾーンによって構成。まず「ZONE1」では、地震発生から72時間のNHKニュース映像を時間を追って公開。さらに、震災で失われた街や集落を全国の建築学生の協力により1/500サイズの模型で復元するプロジェクトの紹介や、東京電力福島第一原子力発電所の事故の記録とその影響を、避難者の証言などを交えて紹介するコーナーなどで、震災発生当時の状況を追体験し、あのとき、何が、どのように起こったのかを見つめ直す。地震発生から72時間©NHK東日本大震災復興支援「失われた街」模型復元プロジェクト「ZONE2」では、NHK復興支援ソング「花は咲く」や「SEIMEI」の演技で着用した羽生結弦選手の衣装や、復興支援チャリティーの一環としてネットオークションに出品されたレディー・ガガの直筆サインとメッセージが記されたティーカップといった復興にまつわるストーリーをもった品々や、復興のあゆみを社会の出来事を交えたニュース映像で東北の10年におよぶ復興のあゆみを振り返る。羽生結弦選手©NHKレディー・ガガさんのティーカップ最後の「ZONE3」では、毎年のように国内各地で頻発する自然災害や、それに伴う複合災害時に迫られる様々な選択を仮想空間で体験できるコーナーや、新たな避難所の形など、これからの防災について考えていく。防災クロスロード(イメージ)監修:矢守克也(京都大学防災研究所) ※「クロスロード」はチーム・クロスロードの著作物で登録商標です。飛沫感染防止用テント提供:流山市大きな自然災害が頻発し、首都直下地震などの発生も懸念され、さらにコロナ禍により避難行動の変容も迫られている昨今。東日本大震災の記憶と改めて向き合い、今、私たちに必要な防災や減災について考え直す好機となるだろう。【開催概要】特別企画『「震災と未来」展 ー東日本大震災10年ー』会期:3月6日(土)~3月28日(日)※3月9日(火)、3月16日(火)は休館時間:10:00~17:00(入場は閉館30分前まで) ※入場無料・事前予約制会場:日本科学未来館 1階 企画展示ゾーン公式HP: www.nhk.or.jp/event/art2020/
2021年02月18日《公益のため多額の私財を寄附したので、令和三年一月三十日、紺綬褒章並びに賞杯を授かった者は、次のとおりである》2月9日付の官報により、紺綬褒章を受章したことがわかったのは中居正広(48)。全国紙の社会部記者は次のように解説してくれた。「紺綬褒章は国や地方公共団体などに私財を500万円以上寄付した人を対象に、審査を経て授章が決定します。中居さんの場合は、さらに賞杯、漆塗りの木製の杯も授与されており、これは1,500万円以上を寄付した人が対象となります。彼は昨年に『東京コロナ医療支援基金』に1,000万円、また『新しい地図』と日本財団が共同で設立した“LOVE POCKET FUND(愛のポケット基金)”にも1,000万円寄付したと報じられています」ほかの寄付も含めれば1年間で2,000万円以上!中居の“寄付歴”について、スポーツ紙のデスクはこう語る。「私が調べた限り、いちばん古い記録は26年前の’95年3月です。SMAP初期の名曲の1つである『がんばりましょう』が、この年の春の選抜高校野球の入場行進曲に採用されたこともあり、開会式を中継したラジオ番組に、中居さんが電話出演しました。阪神・淡路大震災から2カ月後のことです。中居さんは『被災地の人を勇気づけられるよう、一生懸命頑張ってください』と、高校球児たちにメッセージを送り、この日の出演料を全額、ラジオ局の義援金係に寄付したのです」■チャリティを巡ってジャニーさんに抗議したことも実は阪神・淡路大震災のチャリティ活動については、中居にとって、ほろ苦い思い出もあるという。「ジャニーズ事務所によるチャリティ活動の一環として、’97年に関西出身メンバーがいるグループにより、J-FRIENDSが結成されました。当時、この活動に入れなかった中居さんはジャニー喜多川さんに猛抗議したと聞いています。後輩たちが必死に復興を呼びかけるなか、自分たちが携われないことに忸怩たる思いを抱いたからだそうです」(音楽関係者)そんな思いもあったからか、’11年3月に東日本大震災が発生すると、中居は迷わずに行動を起こしたという。「10日後には『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)の生放送を実施し、ライブコーナーでは『がんばりましょう』を披露、そして復興支援のための寄付を呼びかけたのです。特に中居さんはオフに、友人たちと福島に入って、がれきの撤去や炊き出しに力を注ぎました。当時の彼は、『偽善と言われることに不安もあったけれど、今はそんなことを言っている場合じゃない』と、語っていました。継続的に義援金を呼びかけていた『SMAP×SMAP』が終了した後は、スタッフと相談し、自身のラジオ番組で呼びかけを続けることにしたのです」(前出・スポーツ紙デスク)■2人の父から学んだのは倹約とチャリティ精神東日本大震災発生後の3カ月で、SMAPメンバー5人が日本赤十字社に寄付した義援金は少なくとも総額4億円以上。「そのうちの2億円を中居さんが寄付したとの報道もあります。もし仮にそこまでではなかったとしても、’16年のテレビ番組で彼は『3月11日の前後は(毎年)必ず義援金を出している』と語っており、また震災以外でも寄付を続けていますからね。26年間でトータル2億円はくだらないはずです」(前出・スポーツ紙デスク)なぜ中居はそこまで寄付に尽力するのか?その陰には“2人の父”の存在があるという。まず前出のスポーツ紙デスクによれば、「彼は10代のときに雑誌のインタビューで“貧しいなか3人の子供を育て、野球までさせてくれた両親を尊敬している。恩返しがしたくて芸能活動を頑張っている”などと語っています。’15年2月19日に逝去した実父・正志さんは経済的に恵まれない時期でも、明るさや人への思いやりを忘れない男性だったそうです。“ガムテープで補強された椅子を使い続けている”“セロハンテープで蓋を閉めた炊飯器を愛用していた”といった質素倹約エピソードも多い中居さんですが、お父さんも物欲がまったくない人だったとか。芸能界でブレークした後、父の日にプレゼントをしようとしたら、“俺を父親にしてくれた子供たちに感謝する日なんだから、お祝いはいらない”と、断られたと明かしたこともあります。自分のためよりも、困っている人のためにお金を使うという中居さんの姿勢も、正志さんの影響を受けているのだと思います」2月13日に放送されたラジオ番組『中居正広 ON&ON AIR』(ニッポン放送)で、中居は、「毎日お酒飲むたびにやっぱ思いだすんだよね」と、正志さんを偲んでいた。影響を受けたもう一人の“父”は、故・ジャニー喜多川さんだ。「ジャニーさんの遺志により、日本赤十字社に対し、ジャニーズ事務所から5億円が贈られたことも記憶に新しいところです。ジャニーさんはアメリカでエンタテインメントを学ぶと同時に、チャリティ精神の大切さも学んだそうです。そして事務所設立当初から、チャリティ精神の大切さをタレントたちに教えてきました。その精神をいちばん強く受け継いだのが中居さんなのです」(前出・音楽関係者)中居が熱心に寄付を続けているのは、2人の亡き父への恩返しという意味もあるからなのだろうか。自宅では実父・正志さんの仏壇の横にジャニーさんの遺骨が安置されているという。銀色に輝く褒章は、その前にささげられることだろう。「女性自身」2021年3月2日号 掲載
2021年02月18日「菅首相は先日の施政演説の最後、自らの初当選時を振り返り、『(政治の師)梶山静六氏から“少子高齢化時代は国民に負担をお願いする政策も必要になる”と言われた』と強調しました。これは支持率が低迷中の菅首相が政権基盤を維持するため、財務省のご機嫌とりに“大増税”の決意を示したものなんです」(政界関係者)緊急事態宣言下、収入減に悩む国民が多いなか、耳を疑う話が……。「この1年間、政府は3回の補正予算を組み、コロナ経済対策として投入した総事業費は、300兆円。今年度の新規国債の発行額は過去最高の112.6兆円にまで膨らんでいます。そこで財務省はコロナ収束後に消費税率を15%に引き上げる“コロナ復興税”を検討しているんです」(前出・政界関係者)経済評論家の森永卓郎さんは、「増税は財務省の病いです」とため息をつき、こう断じる。「東日本大震災後、復興増税が実施されました。そのお金は“被災地のために使われる”と国民の理解を得て、所得税増税が25年計画で行われています。実はそれだけなら、消費税を1%上げるだけでも計算は合うんですね。なのに今度は『消費税15%』まで上げる必要があると。悪ふざけにもほどがある。もし実現してしまったら、デフレスパイラルが加速し、給料は上がらず、生活レベルが下がる。町はゴーストタウンになってしまいます」経済ジャーナリストの荻原博子さんも、「新型コロナは世界全土が被災地。世界中見回しても今、増税している国はない」と憤慨する。■消費税15%は20%への第一歩!「たとえばドイツは昨年7月から年末まで付加価値税の標準税率を19%から16%に引き下げました。イギリスやオーストリアなども、特定の商品・サービスで引き下げを行っています。言語道断です!」財務省はこのどさくさに紛れて、消費税以外での増税までもくろんでいる、と荻原さんは続ける。「’23年10月、財務省はインボイス制度を導入します。これまでは事業収益1千万円以下の小さな事業者は消費税を免除されていましたが、結果、消費税を支払わなければならず、こうした庶民の事業者にとっては実質、増税です。ほかにも出国税や森林環境税などの新しい税金を作り、社会保険料もずっと上がり続けています」専門家の嘆きとはうらはらに、前出の政界関係者は淡々と言う。「もともと財務省は将来の社会保障財源確保のため、現在の倍の『消費税20%』が念頭にあります。“コロナ復興”の名目で15%に引き上げるのは、その第一歩なのです」荻原さんは「消費税がどんどん上がる一方で、なぜか法人税だけは減税されている」とも指摘する。「『国際競争力をつけるため』が建て前ですが、自民党は票田の経団連の顔色を見ているのでしょう」一般市民を無視して消費税20%へ突き進むような国に“復興”という言葉はあるのだろうか――。「女性自身」2021年3月2日号 掲載
2021年02月17日2021年2月13日、宮城県や福島県を中心に、最大震度6強の地震が起きました。これにより、各地で大規模な停電や断水、土砂崩れが発生。気象庁は、「1周間程度は同規模の地震が発生する可能性がある」と、注意を呼びかけています。狩野英孝の行動に、称賛翌14日、お笑いタレントの狩野英孝さんが、ニュース番組『Abema的ニュースショー』(AbemaTV)に出演。宮城に実家があることで知られる狩野さんは、地震が発生した時、安否確認のため、すぐに母親へ電話をかけたといいます。その際、2011年3月に発生した、東日本大震災のある教訓が生かされたそうです。僕も家にいて、すぐ母親に電話してつながったんですよ。「怖かった」って半泣きで話をしてて。安否確認して。お母さんも不安でしゃべりたかったっぽかったんですけど。10年前とか安否確認で一斉に電話するから、本当に電話を必要とする人がつながんなくなっちゃうみたいな話もあったから、安否確認して「じゃあ切るね」って切りました。ABEMA的ニュースショーーより引用東日本大震災発生時、家族や知人の安否を確かめたり、救助を求めたりする人たちが一斉に電話をかけたため、通信網が麻痺。また、停電によって基地局の電源が喪失したこともあり、人々に混乱と不安が広がりました。当時の状況を覚えていた狩野さんは、母親の安否確認ができた後、「本当に電話を必要とする人がつながらなくなるから」と、すぐに電話を切ったのです。MCを務める千原ジュニアさんも「すごいね。なるほどそうか」と、狩野さんの行動を褒め称えていました。狩野さんの行動に、視聴者からも称賛の声が上がっています。・素晴らしい対応。勉強になった。・人の命をつなぐ、大切な行動ですね。・東日本大震災を経験したからこそだと思いますが、これはいい判断だと思います。災害時、自身の行動を冷静に判断するのは、容易にはできないこと。狩野さんの行動は、多くの人に気付きを与えてくれました。また、通信各社では、災害時の通信網の混雑をさけつつ、スムーズに安否確認ができるサービスを提供しています。いざという時のため、安否確認の方法を家族で話し合っておくと安心ですね。[文・構成/grape編集部]
2021年02月16日2021年2月13日の夜、福島県や宮城県を中心に、最大震度6強を観測する地震が発生しました。これにより、各地で大規模な停電や断水が発生。ケガ人も報告されています。一瞬で東日本大震災の記憶を呼び覚ました今回の地震に、被災者は不安にかられたことでしょう。糸井アナの言葉に、称賛地震が発生した翌14日のニュースに登場した、NHKの糸井羊司アナウンサーが、地震の被災者に向けて送ったメッセージに反響が上がっています。同日早朝5時の放送の冒頭で、糸井アナは次のような言葉を投げかけました。おはようございます。5時になりました。ほとんど眠れなかった方、早く目覚めてしまった方、ともにお疲れのことと思います。日の出まであと1時間ほどになりますけれども、できるだけ安全な場所で、少し目を閉じながらでもかまいませんので、最新の情報をお聞きいただければと思います。NHKーより引用番組の冒頭、糸井アナは落ち着いた口調で日の出までの時間を伝え、不安な夜を過ごした被災者たちを気遣ったのです。きっとマニュアルにはない、糸井アナ自身から出た言葉だったのでしょう。不安な気持ちで夜明けを待つ人々の気持ちをくみ取り、温かい言葉を紡いだのです。糸井アナの言葉はネット上で話題になり、称賛の声が相次いでいます。・糸井アナの言葉を聞いて、スーッと緊張の糸がほぐれ、深呼吸ができました。ありがとうございます。・本当に感動しました。地震に遭われた人々の思いをくんだ言葉ですよね。・温かい言葉が心に沁みて、泣きそうになりました。まさに『神対応』です。なお気象庁は、今後1週間程度、同規模の地震に注意してほしいと呼びかけています。糸井アナの温かい言葉は、たくさんの人の心に響きました。[文・構成/grape編集部]
2021年02月15日料理研究家の枝元なほみさん(65)は、料理研究家という仕事をしているのに、料理学校に通ったこともなければ、修業時代もない。いつも現場に身を置くことが“修業”だった。「私、なろうと思って料理研究家になったわけじゃないの」大学3年のとき、友人の始めた中野の無国籍料理店「カルマ」で働き始めた枝元さん。これが、料理の仕事の端緒となる。「進学した当時、大学は学園紛争の終わりごろでロックアウトされていたなか、演劇をやっている友人に誘われ、深い考えもなく、『いいよ』で、芝居の切符のモギリなんかを手伝ってたら、今度は『人が足りないから役者で出てくれない?』と言われて、また『いいよ』と。大学3年生の時に入ったこのお店も、バンドをやっていたボーイフレンドの友達が始めたので、自然に手伝うようになっていた。卒業後も、まったく就職するつもりはありませんでした」転形劇場に研究生として入ったのが、26歳のとき。しかし、88年に転形劇場は突如解散してしまう。「もう、カラ~ンでしたよ。途方にくれました。女33歳。普通は結婚して、子供も1人2人いて安定している。仕事を続けている人は、そこそこキャリアを積んでいる。それが私には、な~んにもない。学生時代から同棲していた男とも別れて、家もお金もない。今なら、まさしく自己責任と言われるような感じかな」そんなとき、かつて料理店で一緒に働いていた友人が雑誌社の仕事に就き、料理ページ担当となったことで声をかけてくれたのだ。「またまた、『料理の仕事をしてみない?』と誘われたんです。ただ、このときは料理店と芝居を10年近くやってきて、人生の下積みは済ませた、との思いがありました。そういう経緯だったから私、料理研究家という仕事をしているのに、一度も料理学校に通ったこともなければ、修業時代もないんです」いつも笑顔で、簡単な材料で調理する枝元さんは、すぐに人気料理研究家となり、35歳で初めての料理本も出版。やがて『はなまるマーケット』(TBS系)や『きょうの料理』(NHK)出演などで全国区の顔となっていく。枝元さんが、雑誌『ビッグイシュー』の取材を受けたのが05年秋。「その2年前に日本で創刊されたときから、ホームレスの方たちに仕事を提供するという、希望を見いだす明快なシステムに共感していました。好きなときに売っていい、収益は半分ずつに分けるなど。それでインタビュー後に、逆に私から編集長に『私にも何かやらせてください』と、人生初の営業をしたんです」こうして連載を持つことになり、現在も「ホームレス人生相談・世界一あたたかい人生レシピ」は継続中。08年には、農業を応援する「チームむかご」を発足させた。「料理に携わり、日本全国の産地を訪ねるなかで、このままいくと日本の農業はヤバイと危機感を抱いたからです。山いもの球芽であるむかごはおいしいのに、収穫する手間が面倒だから、ほとんど山に捨てられていました。でも、食物繊維も多いし、重労働は難しいおばあちゃんでもラクに採ることができる。単純にもったいないじゃない、と思って収穫と販売を始めて」その後、東日本大震災では「にこまるプロジェクト」を立ち上げ、被災地で焼いたクッキーをネット販売して地元に還元するなどの活動も先頭に立ってやってきた。「避難所で、みんなでクッキーを作っていると、『あの人も亡くなっちゃったね』などという話にもなる。そこへクッキーの焼ける甘い匂いがしてきた途端、みんなの表情が少し和らいで、震災以来初めてという笑顔も出たり。実感するんです。ああ、食べることの力って、これなんだ。食べることは、生きることだって」生きる力を作る料理の道。枝元さんのあゆみは続いていく。(撮影:田山達之)「女性自身」2021年2月23日号 掲載
2021年02月15日福島県出身であり、2021年現在も福島市内で生活している、タレントの、なすびさん。同年2月13日の夜に発生した地震によって、自宅が被害を受けたことをTwitterで報告しました。宮城県と福島県を中心に最大震度6強を観測した今回の地震によって、該当地域では停電や断水などの被害が発生しています。福島市、かなりの揺れで現在停電中ですが、私は大丈夫です! pic.twitter.com/c7Lny7aCFg — なすび (@hamatsutomoaki) February 13, 2021 なすびさんの投稿によると、強い揺れによって家具が倒れたり、食器が割れたりしたようです。停電で暗い中、床には割れた食器類の破片が散乱しているため、とても危険な状況といえます。翌14日、なすびさんは再びTwitterに写真を投稿。そこには、満面の笑みを浮かべるなすびさんの姿が写っているではありませんか。被害に遭ったにもかかわらず、あえて笑顔で自撮りをした、なすびさん。その理由について、このように明かしました。一夜明け、福島市内は快晴に御座います。笑顔は不謹慎だとの批判非難を受ける可能性も否めませんが、それでも東日本大震災の時、私の笑顔で救われたというお声も少なからず頂戴致しました。もし私の笑顔で少しでも元気になったりホッと一息、心を安らげられたらとの一縷の願いを込めまして。 pic.twitter.com/ZCwz9usTPG — なすび (@hamatsutomoaki) February 14, 2021 「不謹慎と叩かれても、自分の笑顔で気持ちが軽くなる人がいるなら…」という思いから、笑顔の写真を投稿した、なすびさん。たしかに震災が起こった際、著名人の振る舞いに対し「不謹慎だ」と苦言を呈す人は少なくありません。しかし、2011年の東日本大震災の時は、笑顔でひたむきに頑張るなすびさんの姿から、元気をもらった人がいたといいます。批判される可能性があるのを分かった上で、なすびさんはこうして笑顔の写真を投稿することにしたのです。被災をして不安を感じない人は、いないはず。福島市内に住むなすびさんも内心は、複雑な心境でいることでしょう。タレントとして『人に笑顔を届ける』という仕事をまっとうする姿に、ネットからは「かっこいい!」「笑顔は力の源ですよね」といった声が寄せられています。なすびさんの輝く笑顔を見て、1人でも多くの人が元気を取り戻すといいですね。[文・構成/grape編集部]
2021年02月14日2021年2月13日の夜に日本列島で発生した、最大震度6強を観測する地震。宮城県と福島県を中心に長い揺れが発生し、東日本が広範囲で被害を受けました。該当地域では、大規模な停電や断水も報告されています。新型コロナウイルス感染症が感染拡大する最中での災害は、さらに多くの危険が付きまとうもの。避難所ではできる限り『密』を避けるなど、対策をとっているようです。台湾総統が日本の地震を受け、メッセージ翌14日、台湾の蔡英文(さい・えいぶん)総統はTwitterで日本に向けたメッセージを発信。不安に襲われている多くの日本国民を思いやるように、温かい言葉を送りました。福島県と宮城県を中心とした震度6強の大きな地震が発生しましたが、日本の皆さんが無事でいることを信じています。今まで何度もお伝えしてきましたが、これからも日本を応援する気持ちが変わることはありません。日本の皆さんにとって支援が必要であれば、いつでも台湾はかけつけます。— 蔡英文 Tsai Ing-wen (@iingwen) February 14, 2021 およそ1か月後は、2011年に発生した東日本大震災から10年の節目です。東日本大震災の際、台湾はおよそ250億円という大金を寄付するだけでなく、災害救援物資の提供と緊急救援チームを派遣を行っています。また、2021年1月に蔡英文氏は「台湾が災害に見舞われた時、いつも日本が温かい手を差し伸べてくれたことを覚えているので、支援を惜しみません」と、日本に向けたメッセージを動画で送りました。台湾が『日本へのメッセージ』をライトアップその理由に涙災害に見舞われた際は、お互いに助け合ってきた日本と台湾。蔡英文氏の心強いメッセージに対し、「いつも本当にありがとうございます!」「今後も、何かがあったら台湾を助けます」といった声が上がっています。日本は自然災害の多い国土です。そんな日本が何度も苦難を乗り越えることができたのは、他国の協力あってのものでしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年02月14日