気になるあの人のバッグの中身。普段見ることの出来ない芸能人ママたちのバッグの中身を紹介します! 今回は、SNSの総フォロワー数が350万人を超える、くみっきーこと舟山久美子さんのバッグの中身。さまざまな商品プロデュースを手がける舟山さんが厳選したアイテムとは? ママたちに人気の芸能人・有名人ママに、妊娠・出産・育児エピソードのリアルを教えてもらう人気連載! 気になるマザーズバッグや愛用アイテムを一挙公開♪ 生後5カ月ママ・くみっきーのバッグの中身を公開! 1マザーズバッグ出産祝いで知人に頂いた、Diorのショルダーバッグを使っています。大きすぎず小さすぎず、ちょうどいい大きさでお気に入りです。ポケットがいっぱいあってファスナーが付いているのも嬉しいポイント。急いで準備をした時に中がゴチャついても目隠しできて便利です♪ マザーズバッグってたくさん詰め込みすぎてしまうので、このバッグ1つに収まるように(荷物を増やし過ぎないように)心掛けています。2おもちゃ●木のカラフルラトル最近、握れるようになったラトルは、よくシャカシャカ振って遊んでいます。●ボーネルンドの赤ちゃんパペット乳児教室でパペットによく反応していたので、伊勢丹で見つけて買ってみました。足の部分をおしゃぶりできるデザインになっています。 3おむつ替えセットおむつとお尻拭きはパンパースを愛用中。お尻拭きは(この日の写真は違うんですけど..)アカチャンホンポの「水99% Super 新生児からのおしりふき」が、水分量が多くて一番のお気に入りです。 犬を飼っているので、おむつ替えシートはペットシートを使っています! 外出時、汚れてもそのまま捨てられて便利です。 4哺乳瓶のインナーバッグ哺乳瓶の中に入れて使う、インナーバッグはすごくオススメです! カネソンの「粉ミルクかんたんバッグ」を愛用しています。缶の粉ミルクを必要な分だけ小分けして持ち運べます。 使い方は哺乳瓶の内側にインナーバッグを入れてお湯を注いでミルクを作って、使用後は捨てるだけ♪ これがあると哺乳瓶が汚れないから、持ち運ぶ哺乳瓶が1本で済むので毎回、2~3枚持って出かけます。災害時に哺乳瓶が洗えない時に備えて、ストックしておくと安心です。 5お着替えセット荷物は出来るだけコンパクトにしたいので、ロンパース1枚と、ガーゼをおむつポーチに一緒に入れています。 6ミルクセット哺乳瓶はピジョンの「母乳実感240ml」を使っています。インナーバッグがピッタリ収まるので、使いやすく愛用してます。プラスチックだと持ち運びも軽いので、お気に入りです! ミルクは「バブズオーガニック」。楽天で買うことが多いです。ピュアウォーターと、水筒も一緒に持ち歩いています。 7ボーネルンドの布絵本伊勢丹のボーネルンドで購入した布絵本のおもちゃ。ベビーカーにもつけられるので、便利です。カラフルな色使いがかわいいんです♡ 仕事現場やお出かけに持って行くことが多いです。 8マールマールのスタイ予備のスタイとして1枚入れています。男の子の服っておしゃれなものが少ないので、スタイでおしゃれにしたくて、マールマールのスタイをいくつか持っています。 私の必需品はこれ♡ 自分の持ち物は少なくて、必ず持ち歩くのはロエベのミニ財布と、お直しコスメ2つ。 外で化粧直しをあまりしないので、Too Facedのクリアリップ(lip injection extream Travel size)と、イニスフリーのノーセバムミネラルパウダーくらいです。 ◇◇◇ 3回に渡りインタビューに答えてくださった舟山さん、ありがとうございました! 哺乳瓶のインナーバッグは2021年4月に販売された商品なんだそう。どんどん新しい便利な商品が出ていますね! とても参考になりました。これからも子育て頑張ってください♪ profile:舟山久美子1991年4月29日生まれ。16歳の時にモデルデビュー。雑誌「Popteen」の専属モデルを6年間勤め、連続表紙17回、通算37回の表紙起用を記録。またファッションやビューティー関連を発信をしているSNSの総フォロワー数は約350万人を突破。2013年に立ち上げたファッションブランド「MICOAMERI(ミコアメリ)」は9年目を迎え、“骨格診断アナリスト協会認定骨格診断アナリスト”や“日本化粧品検定協会認定コスメコンシェルジュ”の資格を取得し、今までの経験も活かし様々な分野でのプロデュース業にも精力的に取り組んでいる。2021年9月に男の子を出産。
2022年03月22日2022年1月9日にフリーアナウンサーの川田裕美さんが、ブログにて第二子の妊娠を報告。川田さんは2019年10月に一般男性と結婚し、2020年8月17日に第1子を出産しています。配信最終回となる今回は、出産方法や立ち合い出産についてのほか、生まれてくるお子さんの未来のお話についても伺ってみました!出産方法は和痛分娩を選択! その理由は…?ー1人目のお子さんは和痛分娩で出産されたそうですね。なぜ和痛分娩を選ばれたのでしょうか? 川田さん:出産方法は悩みましたね。知識もなかったので、妊娠がわかってから慌てて調べました。1番最初に考えたのは年齢でしたね。妊娠がわかったときが36歳で、いわゆる高齢出産になるので、体力を温存しながら出産できる無痛分娩や和痛分娩が選択肢に出てきました。出産経験のある友だちや私の母にも話を聞いたんですけど、「和通分娩で体力を温存しながら産めるんだったら、いいんじゃない」って言ってくれて、それで和通分娩に決めました。2人目も同じ方法で産む予定です。 ー痛みを和らげる和通分娩の方法は産院によっていろいろあるようです。川田さんは実際に体験されてみていかがでしたか? 川田さん:無痛分娩と和通分娩の定義は病院によって違ってくる場合があるみたいなんですけど、うちの病院で聞いたら、無痛分娩というのは一応”完全無痛”を無痛としているらしいです。私が出産した和通分娩は1時間ほどでしたが、陣痛の痛みをしっかり感じました。「あ、なんか痛み始めたな……」っていうところから麻酔を入れたので。自然分娩に比べたら痛い時間は相当短かったと思うのですが、それでもあの痛さはできるならもっと短くしたいと思えるほどでしたね。 ー2人目も和痛分娩にしようと思われたのは、前回経験して良かったと思えたからですか?川田さん:そうですね。麻酔が効いてからは、夫に「今こんな感じ」って連絡したり、助産師さんと話しながら動画撮影用にカメラをセッティングしたり、穏やかに過ごせたのが良かったです。陣痛がきたらピピピッて音が鳴るので、それに合わせていきむのですが、痛みがない分、体力を全部いきむことに使えるんです。それでもヘトヘトになりましたから……。私は和痛分娩を選んで本当に良かったなと思いました。 1人目の経験を糧に、2人目は余裕を持って育児したいー里帰り出産の予定や立ち会い出産はどのようになりそうですか? 川田さん:里帰りは予定していません。立ち会い出産は、今のところ直前にPCR検査を受けることが条件のようです。なおかつ、夫婦2人とも陰性で、しかもワクチンを2回以上打っているというのが必須みたいですね。そして、夫1人の立ち会いが許されるという感じです。 ー厳しいようですけど、安心のためですものね。 川田さん:病院の協力あってのことなので、ありがたいと思いますね。1人目のときは、夫が入ってきて5分で生まれたので、夫も感動というよりは「わ!わぁ!すごい!」ってびっくりしていました。本当は、陣痛に耐えてる時間はこんなに苦しいんだっていうのを見てもらいたい気持ちはありますけどね。すんなり生まれているわけじゃないんだよって。 ー1人目のときはパパが育休を取られたそうですが、今回はどうされるご予定ですか? 川田さん:1人目に比べて、私の余裕がだいぶ違うと思うので、たぶん取らないんじゃないかな。1人目のときは「1カ月健診で体重が増えていたら大丈夫」というのも、なんだか信じられなかったんです。"1カ月も授乳量が足りているのかどうかわからない"という状態が耐えられなくて……。でも、2人目はゆったりした気持ちで見られますよね。あと、今はベビーシッターさんにお願いすることもあって、ほかの人の力を借りるのはダメなことじゃないって、自分たちで経験してわかってきたので、もっと周りにも頼れると思います。やっぱり1回育児を経験していると気持ちの余裕が違いますね。 自分たちが楽しいこと1番!そこから家族を考えようー出産後は2人育児になりますが、川田さんが大切にしたいことはなんでしょうか? 川田さん:周りと比べないこと、型にはめないことですね。この時期にこれができていないといけないとか、全員に絶対当てはまるわけないと思っているのですが、同じ年ごろの子どもを持つお母さんとばかり喋っていると、どうしても「うちの子はできてない」という不安も出てきちゃうので、ちょっと年上の子を育てているお母さんの話も聞くようにしています。月齢ごとに悩むことって今後もあると思うんですけど、できるだけ他の子と比べず、おおらかな気持ちでいたいですね。 ー生まれてくるお子さんとやりたいことや、思い描いている家族像はありますか? 川田さん:生まれてくる子どもと、上の息子の2人の関係がうまくいってほしいなっていうのが1番ですね。やさしいお兄ちゃんになってくれて、お兄ちゃんを助けられる下の子であってほしいなって思います。家族では……雪山に行きたいですね!夫はスキー、私もスノーボードが好きですし、小さい子がほっぺたを赤くしてソリに乗っている姿は本当にかわいいので、一緒に雪山に行くのが夢ですね。私の趣味の登山も、もちろん一緒にやりたいと思っていますよ! ーアクティブなパパ、ママと2人兄弟、楽しそうです!さらに家族が増えていく展望もあったりしますか? 川田さん:昔からぼんやり2人兄弟がいいなって思っていた私が、1人目が生まれてみたら、大変すぎて全然2人目が考えられなかったんですよ。なので、2人目生まれても3人目は考えられないと思うんですよね。もしかしたら、落ち着いたら思うかもしれないですけど……今のところはまったく考えられないです(笑)。 ーこれからママになる方、なろうとしている方にメッセージをお願いします。 川田さん:たぶん、みなさん「どういう家族を作っていこう?」とか、いろんなことを考えていらっしゃると思うんですけど、人によって環境が違えば、置かれている立場や状況も違うので、今回の私の話も1つの例に過ぎないと思うんですね。なので、これを読んでくださっている方ご自身が、”楽しい”、”うれしい”と思えるようなことを1番に考えてもらいたいなって思います。まずは自分第一で、そこからなりたい家族像を考えていく。周りになんと言われようと、自分と自分の家族がいいと思えれば、1番うまくいくと私は思っています。 最初から最後まで終始丁寧に、明るく笑顔でインタビューに応じてくれた川田さん。この度はご協力ありがとうございました!インタビュー中、「他の子と比べず、おおらかな気持ちでいたい」とお話しされていたのが印象に残りました。出産は少し先になるかと思いますが、お体に気をつけてマタニティ生活を楽しんでくださいね。かわいい赤ちゃんに会える日を私たちも楽しみにしています! PROFILE:川田裕美さん1983年6月22日生まれで、大阪府泉大津市育ち。フリーアナウンサー。バラエティー番組やテレビドラマ、ラジオ、CMなど、幅広い分野で活躍中! 2019年に一般男性と結婚し、2020年8月17日に第1子男児を出産。2022年1月9日には、第2子を妊娠したことをSNSを通して報告をおこなった。あんこが大好きで、自身の著書で「東京あんこ巡り」という書籍を出版している。著者:ライター 山口がたこ漫画も描ける主婦ライター。2016年生まれの「ムスメ」と出来すぎた「神ダンナ」との大阪暮らし。Instagramでは、おうちごはんや子育てエピソードを更新中!
2022年03月20日2022年1月9日にフリーアナウンサーの川田裕美さんが、ブログにて第二子の妊娠を報告。川田さんは2019年10月に一般男性と結婚し、2020年8月17日に第1子を出産しています。配信2回目となる今回は、「出産後、1番しんどかった」と語っていた"底"の時期についてスポットを当てています。何に対して「1番しんどい」と感じたのか、その時期をどう乗り越えたのか? など、詳しくインタビューさせていただきました。怖がらなくていいと思えたコロナ禍の出産体験ー1人目も2人目もコロナ禍での妊娠・出産となりますが、「コロナ禍の妊娠・出産はこれが大変」ということはありますか? 川田さん:いっぱいありましたね~。妊娠中はそれまで以上に人に会わないようにしたので、マタニティヨガやマタニティスイミングも行きたかったけど全然行けなかったですし、親や先輩ママに会って話を聞くというのがまったくできなかったですね。前回も今回も両親学級がなくなってしまって動画頼りだったので、実際の育児とのギャップも大きかったです。特に1人目のときは、0からの子育てになるので、個人的に細かい部分とかも聞きたかったですし、両親学級で友だちができるのも楽しみにしていたんですけどね。 ー「コロナ禍での妊娠・出産を不安に思ったり、避けたい」という声も一部ではあるようです。この意見に対して、川田さんご自身はどのようにお考えでしたか? 川田さん:1人目の妊娠は途中からコロナ禍に入り、すごく不安になったこともありました。なので不安に思う方がいらっしゃるのはもっともだと思いますし、自分や家庭の時間に余裕があって、夫婦2人で話し合って避けたいと思うなら避けてもいいと思います。ただ、私が息子を出産してみて思ったのは、出産に関して医療従事者の方々が本当にエキスパートで、安心して出産できましたし、立ち会い出産の基準もしっかり決まっていたりするので、コロナ禍だから出産できない、出産しないほうがいいとまでは、怖がらなくてもいいんじゃないかなと思いました。 ーでは、パパはどのようにお考えだったのでしょうか。 川田さん:「この時期に自分たちが産むっていう覚悟を持ったら、できる限りの対策をするしかない」って言ってましたね。夫も私が妊娠中ということで、他の人と食事に行ったりしないですし、行動自体をかなり制限していました。ただ、今は誰がいつ感染してもおかしくない世の中ですし、もしも家族が感染したときは感染した人を責めずに、できる最善策を考えて家族で協力してやっていこうと話しています。 “底”があったから…なんでもない日常を幸せだと思える今ーコロナ禍で出産された1人目のお子さんも、もう1歳半ですね。育児をしていて、幸せを感じるのはどんなときでしょうか。 川田さん:本当になんでもない日常生活の一瞬に対して、幸せを感じますね。例えば普通に家にいて、息子と夫がキャッキャ言いながら遊んでいるのを後ろから見ているときに「うわぁ……幸せだなぁ」って思ったり……。そういうときは「なんかめっちゃ幸せじゃない?」ってつい口に出して言っちゃいますね。でも、たった1年半のなかでも、めちゃくちゃしんどい“底”があったから、日常を幸せだと思えるんですよね。 ーしんどかった“底の時期”というのは?川田さん:まずは新生児期です。息子を出産後、コロナ禍で母親に来てもらえなかったので、夫が育休を取ってくれたんですけど、ミルクも母乳もうまく飲めない、夜泣きもある、なんでずっと泣くんだろう?って、夫婦2人とも同じことで悩み、へこんでいました。また、2人とも寝不足なので、お互いを思いっきり頼ることもできず……その状況がしんどかったですね。ただ、生後3カ月くらいで眠りも長くなって、私たちもそこで1回安定するのですが、今度は初めての発熱で悩まされたり……。息子が8カ月のころから保育園に預けているのですが、毎月風邪をもらってくるんですね。集団生活だから仕方ないのですが、RSウイルス、胃腸炎と次々かかって、息子が苦しんでいるなか仕事もしなきゃいけない。そして、私たちも息子から風邪をもらってしまうので、負のスパイラルの繰り返しでした。なので、あのときはしんどかったなぁ。でも、よくぞここまで来た!って思います。ーそれはつらかったですね……。では、そんな時期をどのようにして乗り越えたのでしょうか?川田さん:夫が「お互いがちゃんと1人の時間を作れるようにしよう」って提案してくれて、たまにランチやマッサージに行かせてもらっていました。自分からは「1人の時間が欲しい」って言いにくかったりもするので、夫のほうから「ちょっとリフレッシュしておいで」って送り出してくれたのには救われました。なので、私もタイミングを見計らって、「リフレッシュして来てね」って夫を送り出すようにしていました。 ーすごい建設的なご関係ですよね。お子さんを持つ前からそのようなご関係だったんですか?川田さん:結婚前からですね。私も仕事をずっと続けたかったので、家のことはお互いができることをやっていこうって話していました。私たち、とにかくたくさん話すんですよね。そのなかでポロッと本音が出てきたりするんです。2人でいるときはもうずーっと話しています(笑)。でも上の子が生まれてすぐのときは、2人とも子どものことに集中しちゃって、お互いのしんどさを言えなかった時期もあったんです。なんですけど、これじゃダメだなってやり方を変えて……その繰り返しですね。 育児を通して夫婦も成長!思いやりさえあればうまくいくー川田さんはいつも明るくポジティブな印象ですが、不安になったり落ち込んでしまったときは、どのように気持ちを切り替えていますか? 川田さん:自分が落ち込んでしまうのって、やりたいことでいっぱいいっぱいになっているときなんですね。例えばつわりのときは、息子と遊んであげたい、息子にもっといろんなごはんを作ってあげたい、夫にも手料理を作ってあげたい、自分も栄養のあるものを食べたいなど、やりたいことがたくさんあるのにできていないときが1番落ち込んでしまうんです。そうなると、もう優先順位をつけるしかないですよね。全部できないならどれをやるか。1番大事なこと以外は捨てて、1回気持ちをリセットすることにしています。 ーなるほど。では今回のつわり期で1番に優先させるべきことはなんだったのでしょう? 川田さん:私が「あれもこれもできない、どうしよう……」ってなっていたら、夫が「息子のことを1番に思ってしまうだろうけど、元気に育っているから、今は母体が1番。自分が休むことや栄養を摂ることを最優先にしたほうがいい」って言ってくれたんです。それで、そうか! 確かに息子は保育園でいろんなものを食べさせてもらっているし、ベビーフードも大好きだし、今のところ問題なく育っていて、今不安定なのは私の身体なんだと気づくことができました。 ーパパの冷静なお考え、素晴らしいですね!パパになる前からそういう方だったんですか? 川田さん:もともとすごくやさしいんですが、子どもが生まれてからは、さらに変わったなって思います。これは私もなんですけど、自分のやりたいことが後回しになっても、家族の円満が1番だと思えるようになりました。それってつまり「自分のことよりも、ほかの誰かのことを考えられるようになったということだよね」って、夫婦でよく話します。でもそんな夫も、仕事が忙しい時期に妊娠中の私に家事や育児を任せなければならなくて、それをどうにもできない自分が嫌だと落ち込んでいたことがあったらしく……。それを聞いて、家事の分担も必ず半々でなくても、家庭がうまく回っていればいいよねと話したこともありました。 ー落ち込んでしまったときは、夫婦で思いやり、支え合いながら乗り越えていく様子が目に浮かびます。 川田さん:そうですね、思いやりさえあれば家庭はうまくいくかなって。私も忘れないようにしなきゃと思っています。 育児でつらかった時期についても、正直に話してくれた川田さん。自分たちの状況を冷静に見つめ、パパと一緒に協力して乗り越えていったというお話を聞いたとき、お互いを思いやることのできる素敵なご夫婦だなと思いました!さて、配信最終回となる3回目は、第二子の出産についてです。出産方法や立ち合い出産はどうするのかを始め、生れてくるお子さんの未来のお話など、ボリューム感満載な内容となっています。最後まで、ぜひお付き合いください♪ PROFILE:川田裕美さん1983年6月22日生まれで、大阪府泉大津市育ち。フリーアナウンサー。バラエティー番組やテレビドラマ、ラジオ、CMなど、幅広い分野で活躍中! 2019年に一般男性と結婚し、2020年8月17日に第1子男児を出産。2022年1月9日には、第2子を妊娠したことをSNSを通して報告をおこなった。あんこが大好きで、自身の著書で「東京あんこ巡り」という書籍を出版している。著者:ライター 山口がたこ漫画も描ける主婦ライター。2016年生まれの「ムスメ」と出来すぎた「神ダンナ」との大阪暮らし。Instagramでは、おうちごはんや子育てエピソードを更新中!
2022年03月19日2022年1月9日に川田裕美さんが、ブログにて第二子の妊娠を報告しました。フリーアナウンサーの川田さんは2019年10月に結婚し、2020年8月17日に第1子を出産しています。第一子の妊娠時も今回も「特につわりに苦しんだ」と話していた川田さん。つらかったつわりの時期の食生活や過ごし方、息子さんの育児についてなどをインタビューさせていただきました!第2子の妊娠! 驚きやうれしさと同時に不安もよぎって…ー第2子ご妊娠おめでとうございます。安定期に入られたとのことですが、今の体調はいかがですか? 川田さん:ありがとうございます。うれしいです! 体調はかなり良くて、もうつわりも全然ないって言っていいくらいです。ちょっと困っているのは、肌の乾燥ですね。1人目のときもそうだったんですけど、冬の妊娠期ということもあって、肌が乾燥でぼろぼろと剝がれてしまうので、全身保湿をしっかりやらないと!って感じです。 ーもともと、2人目はこれくらいの時期に考えていらっしゃったのでしょうか? 川田さん:夫とは「きょうだいがいるといいね」って話していたんですよ。私の年齢もあるので、無理はしないでおこうと特に計画もせず、「できたらいいね~」って感じでした。 ー妊娠に気づかれたときはどんなお気持ちでしたか?川田さん:そのときは、楽屋のお弁当も2個目を食べだしたり異常な食欲があって、なんかいつもと違うな? そういえば生理も遅れているな……っていう感じで気づいたので、びっくりが大きかったですね。びっくりと同時にうれしさと、高齢出産なので不安も……。あと、仕事はいつから休まなくてはいけないんだろう? ということも頭をよぎりましたね。 ーパパはどんな反応でしたか? 川田さん:夫もめちゃくちゃびっくりしていました。「えぇぇ!!」みたいな。でも本当にうれしそうで、すぐ息子に「お兄ちゃんになるんだよ~!妹か弟ができるんだねー!」って言っていましたね。 つらかったつわりの日々。仕事に育児、絶望的な気持ちに…ーご自身のYouTubeで、「つわりがかなりつらかった」と仰っていましたね。 川田さん:きつかったですね~。吐きそうで吐けないって感じのつわりなんですけど、今回は始まるのも早く、終わるのも遅かった気がします。起きた瞬間からもう1回寝たいぐらい起きるのがしんどい、でも寝るのもしんどい、食べ物も食べても食べなくてもしんどい……ってずっと暗闇の中にいるような気持ちでした。そこにプラスして上の子のお世話があったので、絶望的な気持ちになりましたね。 ーつわり中は食生活も変わりましたか? 川田さん:魚や野菜もまったく食べられなくて、麺類ばかりの日々でした。大好きなあんこも無理だったんです。でも今は食べられるようになりましたよ! つわりがないと、こんなに違うんだってくらい変わりましたね。昨日もさくら餅を食べたくて、買って帰ってきました。今は魚も野菜も、揚げ物も食べられていますね。あと、たまに焼肉も食べたいなと思えるようにもなりました。 ーYouTubeでは、安定期に入るまで「周りに妊娠を明かせなかったのがつらかった」とも仰っていましたが、どんな点がつらかったですか? 川田さん:私は子どもを授かっただけでも喜ぶべきことなのに、つわりがしんどいなどとネガティブなことを言うのは良くないことなんじゃないかと思ってしまっているところがあって、人に言うのを我慢してしまっていたんです。それに、高齢出産ですし、ちゃんと妊娠が続けられるのかっていう不安から、あまり早くに明かしたくないという気持ちもあって、仕事場に行ったら、番組関係者や共演者の方々には、”つわりの気持ち悪さを隠さないといけない”って思ってしまって、本当はお水じゃなくてスポーツドリンクが飲みたいのにお水で我慢してしまったり……。”隠さないといけない”という気持ちから我慢することが多く、それが一番つらかったですね。 パパに負担の少ない方法を! 川田さん流、家事育児の分担方法ーつわりの時期に「上の子のお世話もあって絶望的な気持ちになった」とのことですが、家事・育児の分担はどのようにしていましたか? 川田さん:つわりのときは体がまったく動かなくて、気持ちもドーンと落ちちゃっているのを見かねた夫が、「全然無理しなくていいから」って言ってくれて、息子の保育園の送迎をほぼすべてやってもらうようになりました。家事も、できる範囲のことは全部やってくれましたね。自分でやらなきゃと思ってやっていたのは離乳食作りです。夫はそれまでは、私が作りおきしたものをチンするだけだったので、さすがに離乳食作りまでは大変だと思って、ベビーフードにも頼りつつですが、ゲーゲー言いながら魚焼いたりしてましたね(笑)。一番もどかしかったのはやっぱり、息子の相手。どうしても私のほうに来ることも多いので、一緒に走り回ってあげたいし、公園にも連れて行ってあげたいのに、それができないもどかしさが、私もつらかったですね。 ーそういうとき、息子さんにはどのように対応されていたんですか? 川田さん:そこはもう無理せず、絵本など座ったままできることをしました。あとは息子もこちらが言ったことは全部理解できるようになっていたので、「電車で遊びたいの? じゃあ取っておいで」って自分でおもちゃを取りに行ってもらったりして、できるだけ息子の気持ちを紛らわせながら、いつも通りの遊びができるように心掛けていました。 ー工夫されていたのですね。では、家事面での工夫や、時短を意識しておこなっていることはありますか? 川田さん:めちゃくちゃそればかり考えてますね。まずは、掃除とかおもちゃの片付けとか、常にきれいにしておかなければっていうのは全部忘れるようにしました。洗濯も乾燥機を使ったり、買い物もネットスーパー。ママ割なんかもうまく使いながら配達してもらっていました。自分たちの食事はほぼ作っていなかったですね。デリバリーやお惣菜を利用したり、あとは野菜を切って煮るだけのお鍋は簡単で、パパでもできるので相当やりました。材料を入れてボタンを押すだけの調理鍋にもかなり頼りましたよ。なるべく、夫にも負担が少ないようにっていうのを心掛けていました。 ーつい自分のつらさに目がいきがちななか、「パパにも負担がないように」と考えられることが素敵ですよね。 川田さん:いえいえ、とんでもない。私も、常にそうしなきゃと気をつけながらです。でも、夫は夫なりに仕事との兼ね合いとか、「何をしてあげたらいいんだろう?」っていう戸惑いや葛藤があるんだろうなと感じるので、負担を少しでも減らしてあげなきゃと思いますよね。 つわり中の生活についても、終始丁寧に詳しく話してくれた川田さん。ご自身の体調がかなりつらいというなかでも、パパのこともちゃんと考えて気遣う姿勢に、川田さんのお人柄はもちろん、やさしさと思いやりの心を感じられました。さて、次回のインタビューは「出産後、一番しんどかった」と語っていた”底”の時期についてです。何が一番つらかったのか、それをどう乗り越えたのかなど、詳しくインタビューしています。ぜひ次回の配信もお見逃しなく! PROFILE:川田裕美さん1983年6月22日生まれで、大阪府泉大津市育ち。フリーアナウンサー。バラエティー番組やテレビドラマ、ラジオ、CMなど、幅広い分野で活躍中! 2019年に一般男性と結婚し、2020年8月17日に第1子男児を出産。2022年1月9日には、第2子を妊娠したことをSNSを通して報告をおこなった。あんこが大好きで、自身の著書で「東京あんこ巡り」という書籍を出版している。著者:ライター 山口がたこ漫画も描ける主婦ライター。2016年生まれの「ムスメ」と出来すぎた「神ダンナ」との大阪暮らし。Instagramでは、おうちごはんや子育てエピソードを更新中!
2022年03月18日SNSの総フォロワー数は350万人超え! YouTubeでは、旦那さんと一緒に楽しそうに育児をする姿が話題の「くみっきー」こと、舟山久美子さん。2021年に出産し、現在生後5カ月の息子さんを子育て中です。 舟山さんに妊娠、出産、育児でのエピソードをインタビュー。妊娠中や出産後に大変だったこと、旦那さんが積極的に育児に参加してくれるようになった秘訣など、たっぷりお話しを伺いました。 芸能人・有名人ママのインタビュー連載がスタート!ママたちに人気の芸能人・有名人ママに、妊娠・出産・育児エピソードのリアルを教えてもらいました。 妊娠中、大変だったことは何ですか? 「妊娠8カ月以降は、おなかが大きくなって日常生活でも体を気にすることが多かったです。寝るときや靴を履くとき、重いものを持てなかったり……と今まで普通に出来ていたことが難しくなって、それが大変だったなという印象が残っています。さらしをおなかに巻かないと歩くのもつらかったです」 出産して、一番変わったことは何ですか?「生活スタイルが一変しました。産前は、仕事も日によってバラバラなので、起きる時間も違いましたが、産後は子どもの生活リズムを作るために、毎朝6:30~7:00には起きています。生活リズムが整いましたね」 育児・仕事をしていて大変なこと、つらかったことは?「最初は、一人で頑張りすぎてしまって、育児と仕事を両立するのが難しかったです。“仕事は自分がやりたくてやっていることだから”と思って、育児は完ぺきに、仕事も今まで通りにこなさなきゃと思っていたんです。 でも、ただでさえ初めての育児で、子どもが中心の生活に変わって、今まで通りにいくはずもなく……。 例えば、外で仕事をするときには子どもを連れて行くんですけど、今までと出勤時間が変わらなくても、かなり前もって準備をしないと家を出られない。そういうことが続いて、頑張りすぎることをやめました。今、目の前にあることをやろうと思うように変えると、お仕事も育児も楽しめるようになりました」 ―それをどうやって解決しましたか? 「一人で頑張りすぎず、周りにいる人に助けてもらうようにしました。夫や私の家族、マネージャーさんが現場で子どもの面倒を見てくれたりもするので、いろんな方を頼りながらできているなって今は感じます」 旦那さんが育児に積極的になったきっかけは? 「旦那さんは元々、積極的に育児をしたいという気持ちは強かったんですけど、何をしたら良いかが分かっていなかったんです。なので、生後2カ月くらいのときに思い切って“美容室に行きたい”と旦那さんに子どもを預けてみました。 2人きりになったことがなかったので、最初は“一人でできるか不安だよ”って言っていたんですけど、いざ自分がやらなきゃいけない環境になると、やるべきことがわかったみたいで。帰って来たときには2人の絆ができていました。パパとしての自信もついたみたいです。 旦那さんが積極的に息子のお世話をしてくれたときに、めちゃくちゃ褒めると、息子のお世話をよくしてくれるので、助かっています!」 育児をする上で、一番大事にしていることは?「(息子に)この世に生まれてきてよかったと思ってもらいたいっていうことを一番に考えています。例えば、泣いていたらすぐに寄り添って抱っこしてあげるとか、不安要素をできるだけ取り除いてあげるようにしています」 「子どもがいてよかった!楽しい!」と思える瞬間を教えてください「私は天気が良くて晴れているとか、ちょっとしたことでも嬉しくなるんですけど(笑)。一番幸せなだなって思うのは、休日に旦那さんと息子がすっごく楽しそうに遊んでいるのを見てるときかな。5カ月前には見ることができなかった光景だから。 旦那さんがどんどん父親になっていく姿とか、息子の成長を感じられて、子どもがいる生活っていいなって。2人の姿を見ているときに幸せだなって感じます」 上手に息抜きをするポイントは?「産後1カ月は自宅から出られなかったので、特に息抜きが難しかったです。この時は、ハーブティーに助けられました。肩の力が抜けて、心のバランスが整うんです。 息子がちょっと寝てくれたときに、よく飲んでいます。コスメキッチンの『メリッサ』っていうハーブティーが一番お気に入り。 他には、1日5分でもいいから、自分の好きなことをする時間を作ること。スキンケアをしたり、ハーブティーを飲んだり、子どもが寝たあとにドラマを観たり。自分の好きな時間を持つと笑顔になれると思います」 ※ハーブティの飲用について、体調や生理中、妊娠中などで不安がある方は、お医者様にご相談ください最後に、ママたちへメッセージをお願いします!「私は産後すぐから“良いママになろう”と必死になっていました。ただでさえ初めてのことだらけで上手くいかないのに、それプラス“良いママになろう”と、自分で自分を追い詰めていたんです。 でもあるとき、自分の笑顔が無くなっているなって気づいて。旦那さんと些細なことで喧嘩することも増えていました。だから、頑張りすぎないって決めたんです。 ママも赤ちゃんも、毎日何もしていないように見えても、生きているだけでとーっても頑張っているなと思うんです。ママの笑顔が家族の笑顔につながると思い、楽しく育児をすることが大切だなと感じています。 しっかりやるところと、上手に息を抜けるところのメリハリをつけると、育児を楽しめるようになるのかなって思います。ママのみなさん、私もまだまだ新米なので、一緒に頑張りましょう」 ◇◇◇ 舟山さん、ありがとうございました! 子育ても家のことも、一人で全部やらなきゃいけないと思ってしまうママは多いのではないでしょうか。周りの人に頼ったり、息抜きのポイントを伺うことができて、とても参考になりました。 次回は、そんな舟山さんの【育児ルーティン】をご紹介。ぜひ、チェックしてくださいね。profile:舟山久美子1991年4月29日生まれ。16歳の時にモデルデビュー。雑誌「Popteen」の専属モデルを6年間勤め、連続表紙17回、通算37回の表紙起用を記録。またファッションやビューティー関連を発信をしているSNSの総フォロワー数は約350万人を突破。2013年に立ち上げたファッションブランド「MICOAMERI(ミコアメリ)」は9年目を迎え、“骨格診断アナリスト協会認定骨格診断アナリスト”や“日本化粧品検定協会認定コスメコンシェルジュ”の資格を取得し、今までの経験も活かし様々な分野でのプロデュース業にも精力的に取り組んでいる。2021年9月に男の子を出産。
2022年02月27日笠松将の活躍が目覚ましい。作品においてスパイスとなるような人物でも、裏がありそうなあやしい人物でも、クールにたたずむ人物でも、それがどんなキャラクターであろうと、笠松さんはすべて生き生きと、どんなものだとやり切る。こちらが思わず見惚れてしまうほどに。近々の出演作「ムチャブリ!わたしが社長になるなんて」、「岸辺露伴は動かない」、「青天を衝け」、「君と世界が終わる日に」、「FOLLOWERS」などざっと振り返ると、どこでミートしたかにより、彼の印象は大きく変わりそうだ。事実、「ムチャブリ!」の颯爽とした雰囲気の御曹子・野上豪からは、到底「岸辺露伴」の肉体改造に憑りつかれた橋本陽馬の姿は想像もできない。そのふり幅は大きな武器と言えるし、研鑽を積んだ演技力のたまもののはずだ。「そんな風に言ってくださることは、すごく嬉しいです。 “よかったよ”“おもしろかった”という声をかけられることもありがたいんですけど、実は…自分ではよくわからないことも多くて。でも“笠松くんってこういう感じだよね、こういう芝居だよね”と思われると、真逆にしたくなる気持ちが湧いてくるんですよね」。その言葉は、まだまだ可能性を秘めている自身の伸びしろ、自分のできることを探っていきたいという笠松さんの俳優としての渇望や挑戦心のあらわれと取れる。まだ見ぬ運命的な作品との出会い、毎回訪れる刺激的な人たちとの出会いへの期待。だからこそ、出演作については毎度担当マネージャーさんと「むちゃくちゃ話し合う」そうだ。「時間は有限ですし、身体もひとつなので、どの作品をやるのかは本当に、もう…すごく迷います!たっくさん面白そうな作品があるから、マネージャーと毎回むちゃくちゃ話し合って決めます。結果、自分がやりたい作品が選ばれることもあれば、今の自分に足りないから選ぶ作品、というのもある。いろいろなパターンがありますね」。ひとつひとつ真剣に選び向き合った作品の積み重ねで、キャリアが形成されてきた。「何人もの俳優がいて、ピンポイントで僕にこの役が合うと信じてくださる、それってすごいことだなと思うんです」と語る生き生きとした表情が、何よりも充実の今を物語っていた。「共演者の皆さんや監督、いろんなスタッフの顔を見たら、何でもできる気になる」そんな笠松さんが主演する映画『リング・ワンダリング』が、2月19日より全国にて公開中。漫画家を目指す主人公・草介(笠松さん)が、アルバイト先の工事現場で発見した遺物をきっかけに、同じ土地でかつて生きていた人たちの世界へ迷い込み、命の重さを知るという幻想的な物語。現実と過去、漫画という3つの世界が交錯し、静かに熱を帯びる展開に心が奪われる。笠松さんの丁寧で繊細な表情、演技も光った。「僕が言うのもおこがましいんですけど、金子監督の魅力がつまった、本当に面白くて、いい作品だと感じています。完成作を観たとき、自分の過去も回想して、いろいろなことを考えたんです。メッセージを押しつけるわけではなく重くならずに、これからの自分の在り方を考えられるようなきっかけになる1本になっていて。観た方が、それぞれ違った感じ方ができる作品になったんじゃないかな、って」。撮影したのは2020年の冬とおよそ2年前。撮影中は金子監督とコミュニケーションをよく取っていた。「監督はすごく静かで、僕みたいに口数の多いタイプではありません。現場で“監督、僕はこうしたいんですが、どうですか?”と提案しても、譲らないところは絶対譲ってくれませんでした。監督が“いや、これでいきます。これが面白いです。笠松さん、大丈夫ですよ”とずっと言ってくださっていて。しっかり取捨選択してくださった結果、完成した作品を観て“本当にそうだ!監督すごい!”と興奮しました」。演じた草介は、強いこだわりを持ち漫画家を目指している青年。草介のための役作り、行ったことはと聞くと、特別なことはしていない、という。草介に限らず、ほかのどの役でも笠松さんは「事前に意識して感情は作らないし、その役というものもまったく作らないんです」と説明した。「もちろん、その役に必要な特殊スキルは僕に足りないものだから習得する必要があるけれど、それは役作りでも何でもなく、セリフを覚えるのと同じだと思うんです。役については、何て言うか…脚本を読んだら勝手にその気持ちになるんです。少年漫画を読んだらワクワクするし、恋愛の映画を見たらちょっと恋したくなるじゃないですか?その感じに近くて。だから『リング・ワンダリング』の脚本を読んで、そのことばかりを考えて現場に行ったら、もうその気持ちなんです」「あとは、僕がどんなに作っていったとしても、一朝一夕で作ったキャラクターなんて、お客さんに絶対バレるし、監督にも見透かされる。だったら、そこにいてくれる共演者の皆さんや監督、いろんなスタッフの顔を見たら、そういうモードになるんです。きれいごとっぽいですけど、本当にそう。その人たちの顔を見たら、何でもできる気になるから」。おしなべて、どの作品においても、その人物になり切っている印象を受ける笠松さん。彼の演技のヒントが、その姿勢から少し見えたような気がした。謎めいた私生活、最近の笠松さんの“喜怒哀楽”とは…?本稿では俳優・笠松将について、自身の語るいくつかの言葉で、ほんの一部を覗かせてもらった。饒舌に話し続けてくれた笠松さんだが、スクリーンを離れたところの素顔はと言うと、意外に知られていない。素の笠松さんに迫るべく、最近の“喜怒哀楽”を尋ねると、「表で言える用ですよね(笑)?」と楽しそうな表情を浮かべ、次々に答えてくれた。最後にお届けしたい。【喜】ネコを2匹飼っているんです。白い男の子がサメ、女の子がウニ。朝起きたとき、両隣りに美男美女がいてくれたときは、“俺、めちゃくちゃ幸せだな~~”と思います!【怒】サメはお腹がちょっと弱いので、毎日薬を飲ませなきゃいけないんです。毎日サメくんと「ちょっと頑張ろうか」と話し合っています。頑張って錠剤を飲んだらどういうメリットがあるのか、飲まないと今後どうなるか、全部話してから飲ませるんです。…でも、口に入れたものを吐くのが、むっちゃうまいんですよ(笑)。そうしたら抱きかかえて、1回怒ります。毎朝やっていますから、大変です…。【哀】そのサメくんが、うんちをするときに、お腹が弱いから苦しそうなんです。僕も近寄っていって、サメをさすりながら「頑張ろうねー」と言っています。本当に大変そうだから、「頑張って薬をあげよう、病院に連れて行こう」と思うので、ちょっと哀しくなるかな。【楽】へったくそなんですけど、趣味でギターを今弾いています。ネコって、ギターの音や動きがめっちゃ好きみたいで、僕が弾いていると隣で2匹が「ニャー、ニャー」と歌ってるんですよ、まじで!やめると、「もっとやってー」という感じで言ってくるから、そのときはやっぱり嬉しいですね。全部猫でまとめた軽妙なトーク。オンとオフのギャップも魅力の笠松さんから、今後も目が離せない。(text:赤山恭子/photo:Maho Korogi)■関連作品:リング・ワンダリング 2022年2月19日より渋谷シアター・イメージフォーラムほか全国にて公開Ⓒ2021 リング・ワンダリング製作委員会
2022年02月26日もしも「ゲーム・オブ・スローンズ」の熱心なファンであれば、キャスト総出演のチャリティ番組で魅惑のバリトンを響かせる“ティリオン・ラニスター”を目にしているかもしれない。しかし、多数の人はピーター・ディンクレイジとミュージカル映画の組み合わせに新鮮な驚きを覚えたはず。不朽の戯曲「シラノ・ド・ベルジュラック」を原作にしたミュージカル映画『シラノ』で、彼は主人公の剣豪シラノを演じた。「僕がすべきは、物語を語るため歌にハートをのせること」「僕にとっても新鮮で楽しい挑戦だった。ミュージカルは幼いころに出たことがあるだけだし、パンクバンドを組んでいた時期もあるけど、そのときは歌うというより叫んだり飛び跳ねたりしていた(笑)。だから、もちろん恐れはあったよ。でも、とても美しい脚本があり、心に響く楽曲もあった。その中で僕がすべきは、物語を語るため歌にハートをのせること。それなら、真のブロードウェイスターでなくとも務まると思ったんだ」。「ボブ・ディランも、ジョン・レノンも、ポール・マッカートニーも、音楽を通して僕たちに何かを語りかけてきた。音楽は強い。間違いなくね。人に愛を伝えるときこそ、歌にのせるべきだ」ともリモート画面越しに語り、音楽と言葉の幸せな関係を説くピーター。「すべての曲が台詞の延長線上にあり、物語と歌がスムーズにつながっている」という脚本は、ディンクレイジ夫人でもある劇作家エリカ・シュミットが手掛けたもの。映画『シラノ』が製作される以前、好評を博した舞台版のシラノ役もピーターだった。「舞台版はもっと抽象的で、歴史的背景が明確に描かれることはなかった。それに比べ、映画には17世紀フランスという時代がもう少し正確に反映されている。自由があるのは舞台も映画も同じだけどね。例えば、物語の中盤でシラノは戦地に行く。僕のようなサイズの人間が軍隊にいるのは幸いにも現実味のないことだけど、その展開は舞台にも映画にもある。あと、映画はより親密な作りになっていると言えるかもしれない。アップのショットもあるし、シラノ、ロクサーヌ、クリスチャンの関係により焦点があたっているから」。切なくやるせないストーリー「隠れず、恐れず、想いを伝えたほうがいい」基となった戯曲では大きな鼻にコンプレックスを持つシラノが、幼なじみのロクサーヌに恋心を抱く。だが、彼女が恋に落ちたのは輝く容姿のクリスチャン。恋の橋渡しを頼まれたシラノは文才のないクリスチャンに代わり、美しい恋文を何通も何通もしたためる。あまりにも有名なストーリーラインはそのままだが、ディンクレイジ版シラノは大きな鼻ではなく、肉体そのものに引け目を感じている。「僕の体はこの通りのサイズなので、このまま演じればよかった。それにより、物語に説得力が生まれたと思う。これまでのシラノは容姿端麗な俳優が大きな鼻をつけて演じることも多かった。それはそれで構わないし、役を演じるにあたって特殊メイクに頼った経験は僕もある。でも、この物語にその選択は相応しくない。物語が放つ愛のメッセージが、より伝わるようにしたかったんだ。僕自身に響いたようにね」。「物語が放つ愛のメッセージ」は美しくもあるが、あまりに切なくやるせない。本作の脚本家のハートを射止めて早20年近く、2人の子どもの父親でもあるピーターは「少なくとも、シラノを真似すべきではないね」と優しく笑う。「隠れず、恐れず、想いを伝えたほうがいい。自分に正直であるべきだ。そうすれば愛は芽生えるし、愛は育つ。信じた心を表現すること。それが愛だと思う。そう考えると、この物語は今の時代にも通ずる。シラノの手紙で、クリスチャンは自分をよく見せようとするのだから。オンラインで大勢がやっているだろう?欠点を隠し、どれだけ魅力的かをアピールし、実際に会って失望する。正直に自分を伝えず、作りたいイメージの中に隠れるからそうなるんだ。それに対する答えが、『シラノ』だとも思う」。自身の大事な分岐点は「子供を持ったこと」シラノの物語の中には、多くの「あのとき、ああすれば」が存在する。ロクサーヌに想いを伝えておけば、クリスチャンに素直な気持ちを明かしておけば…。「“あのとき、ああすれば”は思い当たらないけれど、“あの瞬間がいまの自分を形作っている”と思えることはある」と、ピーター自身にも大事な分岐点が人生に存在したことを明かす。「子供を持ったことは、僕の人生における最大のターニングポイントだった。誰にとってもそうであるようにね。子供の誕生によって、僕は無条件の愛を知った。愛の定義とは何かも。自分のことを考える前に、自分以外の人のことを考えるようになったんだ。シラノのように選択を誤らなくてよかったよ。大事な大事な分岐点だ」。良き父にして、良き夫にして、良き俳優。冒頭にタイトルを挙げた大ヒットドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」から『X-MEN:フューチャー&パスト』(14)、『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』(18)といった大作映画まで、活躍ぶりが留まることはない。撮影済みのものから撮影を控えたものまで、公開待機作も常に数本を超える。「“Ever tried. Ever failed. No matter. Try again. Fail again. Fail better.”敬愛する劇作家のサミュエル・ベケットがこう言っている。“何度挑戦し、何度失敗しても問題ない。また挑戦し、また失敗すればいい。前より上手に失敗すればいいだけだ”とね。結局、失敗なんてものはない。ミスをして失敗したら、さらに努力してもう一度やればいいだけの話なんだ。そうすれば、いつかは成功する。この言葉を信じ、自分を信じ、僕はここまでやってきた。演技というものは抽象的で、奇妙で、とらえどころのないもの。正解はないし、間違いもない。本能を信頼し、それがベストだと願うだけ。最高の人たちと仕事をしながらね」。(text:Hikaru Watanabe)■関連作品:シラノ 2022年2月25日より全国にて公開© 2021 Metro-Goldwyn-Mayer Pictures Inc. All Rights Reserved.
2022年02月25日孤独なストリート・ミュージシャンが1匹の茶トラ猫と出会い、支え合いながら困難を乗り越えた奇跡を綴ったベストセラーノンフィクションを映画化した『ボブという名の猫 幸せのハイタッチ』。その続編となる『ボブという名の猫2 幸せのギフト』がついに日本上陸。前作同様、ボブ“本人”がボブ役を演じ、とあるクリスマスに起こった実話が基になっている。残念ながら映画の完成を見ることなく、2020年6月に天国に旅立ってしまったボブ。今回、スクリーンに刻まれたボブとの日々に思いを馳せながら、モデルとなった原作者のジェームズ・ボーエンが“ボブが遺してくれたもの”について語ってくれた。描かれるのは「路上で過ごした最後のクリスマス」2017年、前作『ボブという名の猫 幸せのハイタッチ』の日本公開前に親日家のジェームズとボブは初来日、多くのテレビ番組でも取り上げられた。「来日したときの全てが思い出深いです。サムライミュージアムや渋谷のスクランブル交差点に行ったり、ボブは神戸牛フレーバーの『ちゅーる』をプレゼントされ、お気に入りになりました」とジェームズ。「ロケで、ベンチの下に猫がいたのもよく覚えています!」「新海誠監督の娘さん(新津ちせさん)にお会いできたのも嬉しかったです」と思い出話は尽きない。野良猫だったボブとの出会いと、薬物依存から立ち直るジェームズ(演:ルーク・トレッダウェイ )に寄り添うボブの姿が描かれた前作。「今作の舞台になっているクリスマスは、僕らが路上で過ごした最後のクリスマスで、その後の生活に大きな変化が訪れました」とジェームズは説明する。「欧米でクリスマスというのは、特に家族が集まる時期なんです。なので、ホームレスや家族と疎遠な人間にとっては1年中で、生きるのが最も厳しい時期になるわけです」と語り、「当時は1日を終えるだけでほんとに感謝していました。ボブと2人で同じように戦っていました。いつも言っていたのですが、ボブって普通の猫じゃないんですよね、だから自分たちにいま何が起きているのか、しっかり分かっていて、そして毎日、一緒に戦ってくれていました」と厳しかった日々をふり返る。『ボブという名の猫2 幸せのギフト』その象徴的な出来事が、劇中でも描かれる動物福祉局がボブとジェームズの生活に干渉してきたことだった。「映画で描かれる動物福祉局とのやり取りは実際に起きたことが基になっています」とジェームズ。「コヴェント・ガーデンはもともと人の往来が多いエリアなんですが、そこの住人なのに人通りが苦手で、ミュージシャンたちによくクレームを言う人がいて。いろいろあり、動物福祉局が『猫を不当に扱っている』と連絡を受けてやってきました」と明かす。だが、実際は映画とは少し違ったようだ。「そのとき、僕らの言い分は聞かずに何かされるんじゃないかと勝手に身構えていたんですが、彼らは僕に話しかける前に、ボブに話しかけたんです。まず猫に話しかけて、次に僕の話に耳を傾けてくれた。動物福祉局は、僕とボブに関しては正しいことをしてくれました。時々彼らも間違った判断をしてしまうけれど、やはり人間というのは表層的な部分で、自分たちの知っていることだけで物事を判断してしまうことがあるからだと思います」と言葉を続ける。『ボブという名の猫2 幸せのギフト』また、「日本ではこの20年、生き物に関する権利などがすごく進歩してきているんじゃないかという印象を、僕は受けてます」と話し、「ロンドン(英国)がものすごく進歩的なわけではないと正直思っています。どこであろうと、どういうふうに生き物たちと伴侶として仲間として付き合っていくかはもっと向上できる、もっといいものにできると思っています」と力を込める。『ボブという名の猫2 幸せのギフト』「看るべき人がちゃんと猫と一緒に暮らしているのであれば、猫だって健康であると思います。例えば映画の中で、ボブが毎日無理やり街に連れ出されているのでは?と危惧されていますが、ボブの場合はみなさんご存知のように積極的に外に出たいという猫でした」。ボブと出会って「魔法のようにすべてが変わっていった」「ストリートキャットだったボブがあなたを選んだ」。劇中にはそんな印象的なセリフも登場する。なぜ、ジェームズはボブに“選ばれた“のだろうか?「それについては毎日考えていることです。特別な小さなボブがなぜ僕を選んでくれたんだろうか?」とジェームズ。「でも、僕の人生は、ボブを優先して考え始めてから魔法のようにすべてが変わっていったんです。ボブのような猫はきっといないだろうし、ボブが起こしたようなことを起こせる猫なんていないだろうし、そんなボブと出会えるなんて全く想像もしていませんでした。だってボブは2本の映画を生み出し、アニメシリーズを生み出し、そして世界中を旅し、東京にも行きました!そして、去年(ボブの)銅像がたったんです」と、ボブと過ごした1つ1つの思い出を噛みしめるかのよう。猫と人間がそこまで絆を築けるわけがない、そう考える人もいるかもしれない。だが、ボブとの出会いは間違いなくジェームズの人生をガラリと変えてしまった。彼はいまや世界的なベストセラー作家であり、慈善活動家だ。「ビッグイシューのための資金集めに関わったり、イズリントン・グリーンにボブの銅像を建てるため(みんなが忘れないようにしたくて)、その資金集めもしました」と言う彼は、「音楽活動のほか、ドキュメンタリーを作りたい」と意欲的だ。「世界の様々な土地へ行って、その土地のホームレスがどのように扱われているのか、ホームレスから話を聞きたいと思っています。英国ひとつとってもその町がホームレスとどう向き合っているか、町によって全く違うんです。東京へ行った時もその向き合い方が違って、例えば公園に泊まっても、朝、一般の人が来る前に公園から姿を消すのを見て胸を痛めたのを覚えています」とジェームズ。『ボブという名の猫2 幸せのギフト』「こういうドキュメンタリーをシリーズで作ることができれば、何かきっと学びがあるんじゃないかと思います。ホームレスの方、社会に関わる方、彼らの介護や福祉をする方、あるいはホームレスを見ないふりをするのか。彼らが泊まれる場所を提供したり、メンタルのケアをしたりしているのか。そういうことを知ることで私たちも学べることがあるんじゃないかなと考えております」と、これからの活動を前向きに、そして真摯に語る。いつかは必ず訪れる“人生の伴侶との別れ”に言いたいことそんな現在のジェームズを見ていると、ボブが遺してくれたものはまさしくギフトだったと思えてくる。「ボブからたくさんのものをもらいました。屋根がある家に暮らせるようになり、世界中を旅することができ、ボブと出会ったことで再び誰かを愛することを学びました。それから、世界をシニカルなものと見ないことも学びました」とジェームズ。「(いま)コロナというパンデミックで、誰かと一緒にいることの大切さを感じます。希望を失わないということも大事。また映画のメッセージでもある“一緒にいることで私たちは強くなれる”ということを改めて考えています」と話す。『ボブという名の猫2 幸せのギフト』だが、誰の身にも、大切な存在と“お別れ”する日がいつか必ず訪れる。ジェームズは涙を堪えた様子で、「大切な人生の伴侶を失ったとき、(その人に)どんな言葉をかけたらいいのかは、とても難しいです」と言う。「自分の一部を失うのと同じことだから。僕もボブが逝ってしまった時、すべてのものを失ってしまった気持ちになってしまったけれど、その時期を乗り越えられた時、ボブは僕がネガティブなことを考えることを望んでないだろうなって思いました。それぞれのやり方で自分の中の強さを見つけて、そして彼らのことを忘れないことが大事なんじゃないかと思います。彼らの自分たちへの愛情というものが、命や肉体に限ったものではないんだ、この世に生きていないからといって愛が消えたわけではないんだと覚えておくことも大事だなと思います」と伝えてくれた。『ボブという名の猫2 幸せのギフト』は2月25日(金)より新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座ほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:ボブという名の猫2幸せのギフト 2022年2月25日より新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座ほか全国にて公開© 2020 A GIFT FROM BOB PRODUCTION LTD. ALL RIGHTS RESERVED.
2022年02月24日都心のタワーマンションの最上階のバスルームでシャワーの水を滴らせながら激しく求め合う男女。Netflixオリジナルドラマ「金魚妻」は、そんな濃厚なラブシーンで幕を開ける。このシーンをはじめ、本作における性的な描写や激しい露出を伴うセンシティブシーンにおいて “インティマシー・コーディネーター”として、俳優陣をケアする役割を担っていたのが浅田智穂である。アメリカでは米HBOの「The Deuce」(2017)で初めて採用され、#MeToo運動(※)の広がりもあって、俳優の安全と尊厳を守るためにとハリウッドでも広く導入されるようになったというインティマシー・コーディネーター。日本では現時点で公式に2人しか存在しないインティマシー・コーディネーターのひとりが浅田さんである。6組の夫婦を軸に、禁断の恋に落ちていく妻たちの姿を赤裸々に描いた「金魚妻」だが、俳優たちが渾身の演技を見せている美しく激しいセンシティブな描写も見どころのひとつである。こうしたシーンの撮影の裏で、浅田さんが果たした役割とは?インティマシー・シーンという仕事の意義、今後の課題なども含め話を聞いた。※ハリウッドの有名プロデューサーによる長年の性的虐待疑惑の報道に端を発し、それまで沈黙を守ってきた多くの被害女性たちが「#MeToo」というハッシュタグをつけて性暴力、セクシャルハラスメントの被害を告発したことで、こうした流れが世界中に拡大し、人々の連帯を生み、性犯罪に対する意識の変革、女性の地位向上を求める大きなムーブメントとなった。「俳優と制作チームの明確なコミュニケーションと同意が得られるよう両者の連携を図る」――浅田さんはアメリカの大学を卒業され、エンタテインメント業界で通訳などをされてきたそうですが、どのようなきっかけでインティマシー・コーディネーターになったのでしょうか?きっかけは昨年Netflixで配信された映画『彼女』という作品でした。Netflixがキャストやスタッフが安心して働くことができ、何よりも気持ちよく作品づくりに集中できる環境を整えたいという考えから、「インティマシー・コーディネーターをつけたい」と考えており、W主演のひとりである水原希子さんからも「インティマシー・コーディネーターを導入したい」という申し出があったとのことで、日本でインティマシー・コーディネーターを探されていたという状況でした。その時点で、日本にはまだインティマシー・コーディネーターがいなかったのですが「トレーニングを受けて、インティマシー・コーディネーターを務めてほしい」というお話をいただき、私のほうも「ぜひやりたいです」とお伝えして、オンラインで講習を受けるなどして『彼女』の現場に入らせていただきました。――オファーが来る以前からインティマシー・コーディネーターという職業についてはご存知でしたか?いえ、知りませんでした。いま思えば、そういう記事を目にした機会はあったと思いますが、まさか自分がなると思っていなかったのであまり意識していなかったんですね。お話をいただいて“インティマシー・コーディネーター”という言葉を聞いた時、それを初めて耳にしたかというとそうではなかったと思いますが、詳しい内容や意義について、わかっていませんでした。――講習やトレーニングでは、具体的にどのようなことを学ばれたんでしょうか?コロナ禍ということもあり、すべてオンラインだったのですが、まずはセクシャリティやジェンダーについて、それからどういうことをハラスメントと考えるのか?どんなことがトラウマとなってしまうか?といったことを勉強しつつ、監督や俳優との向き合い方、脚本を読んで、そこから何を抽出し、どういったことを考えなくてはいけないか?現場での役割、あとは実際の前貼り(※俳優が局部を隠すために使用するシール)や保護アイテムの使い方や種類について。それから、疑似セックスシーンをいかに安全な形でリアルに見せるか?といったことも勉強しました。――TV局ですと「考査部」という部署があり、性描写や暴力シーン、セリフなどで使われる言葉や番組の内容について、指摘や指導を行ないます。基本的にコンプライアンスに沿って、番組や描写がTVで放送するのが適切か否かを考える仕事ですが、インティマシー・コーディネーターという仕事は、あくまでも俳優をサポートし、寄り添うために存在するということでよろしいでしょうか?私たちの仕事は、俳優と制作チームの明確なコミュニケーションと同意が得られるよう両者の連携を図ることです。俳優やスタッフが安全かつ安心して撮影を行なうための仕事であり、あくまでも“コーディネーター”ですので、脚本の内容に関しては基本的には口出しはしません。――依頼があってから実際に撮影が行われるまでのインティマシー・コーディネーターの仕事の流れについて教えてください。まず依頼をいただいたら、脚本をもらって読み込みます。“インティマシー・シーン”、もしくは“センシティブ・シーン”という言い方をするんですが、脚本の中から肌の露出や身体的な接触があるシーンを抜粋していきます。その上で、脚本上のト書きではわかりづらい部分などを含め、それらのシーンでどのような演出や描写を考えているか、監督からヒアリングをします。このシーンで何を見せたいのか?もし決まっているのであれば、カメラアングルやサイズをヒアリングをして、次は俳優とその内容について確認します。「ここまではできるのか?できないのか?」「できないのであれば、どのような変更をすれば可能なのか?」といったことを伺って、撮影内容に本人の同意を得て、同意書を作成します。その後、メイク部や衣装部のスタッフと、撮影までにどのような準備が必要か、撮影当日は何をするかといったことを確認します。ここまでが基本的な撮影前の準備ですね。撮影の当日は、前貼りを着けるお手伝いなどもします。また、センシティブ・シーンは俳優が2人以上いる――つまり相手役がいる場合が多いですが、彼らがその日「はじめまして」の場合もありますし、会ったことや共演経験はあっても、その日撮影するシーンについては話をしていないという場合もあります。ですので、撮影当日はそのシーンに関わる俳優と私とで、お互いの許容範囲をきちんと確認して、勘違いや行き違いがないようにします。現場では、センシティブ・シーンをクローズドセットで撮りましょうという方針を取っています。クローズドセットというのは、撮影人員を必要最小限の人数に抑えて撮影をしましょうということですが、そのルールがきちんと順守されているかをプロデューサーとチェックし、確認しつつ、俳優部を側でサポートします。他部署や監督と必要なことを相談したりもします。――インティマシー・シーン、センシティブ・シーンというのは、どのくらいの範囲を指すのでしょうか?ラブシーンはわかりやすいですが、「金魚妻」でいうと、男性がひとりでシャワーを浴びているシーンや、雨に濡れて女性の下着が透けて見えるようなシーンもあります。一般的にはラブシーン以外でも、シャワーで全裸になっているなど、前貼りを貼らないといけないようなシーンは確実に範囲に入ります。濡れて下着が見える場合は、下着の種類やどの程度、見えるのか?という部分に関して俳優部やプロデューサーと相談していく形になります。下着に関しては、事前にどういう下着なのかということは必ず確認します。あとはキスシーンですね。キスの時に舌は入れるのか?口は開けるのか?といったことも大事な部分なので必ず確認します。それ以外でも、肌の露出が多い時点で、そこにセックスが絡んでいなくともセンシティブ・シーンとして私たちが入るものと考えていただければと思います。――男性のみのシーンであっても、インティマシー・コーディネーターが現場に入るということでしょうか?そうですね。肌の露出ということに関しては、女性であればビキニの水着で隠れる部分、男性も水着で隠れている部分を見せる場合に「露出がある」という考え方です。逆に男性の上半身の裸に関しては、基本的にインティマシー・コーディネーターの仕事の範疇には入っていません。――『彼女』、本作「金魚妻」に続いて、大相撲を題材にしたNetflixシリーズ作品「サンクチュアリ-聖域-」でもインティマシー・コーディネーターを務めているそうですが、これは相撲でお尻が露出するからということですか?いえ、相撲のまわしに関しては、あくまでもスポーツのユニフォームということになるので、そちらは私の範疇外です。ただ、この作品でもインティマシー・コーディネーターが必要なシーンがありましたので、参加することになりました。信頼関係を築くためのコミュニケーションの必要性――実際の現場でのコミュニケーションについて伺います。現場において、脚本に書いてある以上のことをアドリブで行なうことを良しとする風潮であったり、「撮影は生モノだ」という考えの下で、インティマシー・コーディネーターの存在をクリエイティブを阻害する存在として煙たがられることなどはないですか?実際の現場で苦労される部分などについて教えてください。たしかに日本ではそういう風潮は強いですし、そういう信念を持ってらっしゃる方も多いと思います。その中で、私はとにかく「同意を得る」ということを大切にしています。先ほども言いましたが、インティマシー・コーディネーターは、あくまで“コーディネーター”なので、何か権限を持っているわけではありません。ただ私がその作品に呼ばれたということは、プロデューサーや制作会社が、インティマシー・コーディネーターの必要性を認識して、俳優の尊厳や安全を守っていこうとしているんだと信じて、現場に入るようにしています。とにかくきちんと話をして、そこで信頼関係ができれば、撮影当日もうまくいくと信じています。とはいえ、まだこの職業が理解されていないこともあって、煙たがられることも当然、あります。ただ、そこできちんと「何のためにインティマシー・コーディネーターが入っているのか?」をお伝えすることで、理解者は確実に増えていると思いますし、特に俳優部のみなさんからはたくさんの好意的な感想をいただいています。俳優のみなさんには、撮影前の最初のヒアリングの面談で「インティマシー・コーディネーターという職業をご存知ですか?」という話から入るんですけど、正直、警戒されていることが多いです(苦笑)。「この人に説得されて、脱がされることになるんじゃないか?」と構えて面談に来られる俳優さん、マネージャーさんもいますが、そうではなくて俳優を守るため、そして良い作品を作るためにいますということを丁寧に伝えることで、インティマシー・コーディネーターという存在を理解していただけています。――「露出が多い=よくやった!体を張った」と評価されがちな傾向がありますが、もちろん「どこまでOKか?」は人それぞれです。でも、なかなかそれを現場で俳優さんから伝えづらいという空気もあると思います。俳優さんにとって、浅田さんは“味方”であると認識してもらうというのは、大事なことですね。はい。特に男性の俳優に対して、どういったケアをしているのか?というところは、想像しづらい部分もあるかと思いますが、実際に話を伺うと、センシティブシーンの相手役の女性を傷つけないようにと気遣いをされている男性の俳優は非常に多いんです。ただ、そうした気遣いをあれこれとしなくてはいけないことによって、その俳優さんの仕事が増えてしまうわけで「お芝居に集中したいけれど、相手のケアもしないと…」という部分に関して「そこは私に全て任せてください。きちんとサポートさせていただきますので」と伝えることで「すごくやりやすくなった」、「負担が軽減された」とおっしゃっていただけることが多いです。――先ほど、講習の段階で疑似セックスシーンについても学ばれたという話でしたが、必要に応じて現場で監督に「こういう撮り方はどうか?」などと提案されることもあるんでしょうか?そうですね。事前に絵コンテなどがある場合は、基本的にその内容を確認しつつ「ここからここにいく時の流れはどんな感じですか?」など必要な質問をし、そこで逆にアドバイスを求められることもあります。そういう時は私なりの考えをお伝えします。また「こういうシーンにしたいけど、この俳優さんが見せられるのはここまでだったら、どうすればいいのか」といった場合に「じゃあ、こういうやり方はどうでしょう?」とか「こういう見せ方なら大丈夫そうです」と監督にお伝えします。あとは実際に現場に行ってみたら、何らかの事情で予定していたカメラ位置が難しかったりとか、さまざまな事情で変更が加わることもあります。そうした場合に新たに提案をすることもあります。俳優が見せられない部分を隠さなくてはいけない時、不自然な隠し方にはしたくないので、それをより自然に見せるための工夫・理由が必要になります。そういった部分で少しアドバイスさせていただくことはありますね。――現場で監督から「できればこっちからの角度でも撮りたい」とか「カメラをこうしたい」など、事前の打ち合わせになかったアイディアをやりたいと言われることも…?ありますね。あまり大々的な新しい提案が当日にあると難しいですが、私のほうで事前にある程度まで想定した上で、俳優さんとのヒアリングをするようにしています。「絵コンテではこうなってるので、こういう撮り方になっていますが、もしかしたら、こういう感じの撮影もあるかもしれません。その場合、ここがもう少し露出することになるかもしれませんが…」といったことはお伝えしておきます。もし当日に監督から「こうしたいんですけど」と変更を提案されても「もう一度、確認はしますが、大丈夫なはずです」と言えるように、全くのゼロからの確認とならないように、ある程度のバッファを想定して準備するようにしています。――「金魚妻」では1話ごとに複数のセンシティブシーンがあり、バリエーションもさまざまですが、特に苦労されたり、印象に残っているシーンを教えてください。やはり冒頭の安藤政信さんと長谷川京子さんのシーンは、作品の大きな「顔」とも言える、この作品を印象づける重要なシーンでしたので制作陣、キャスト全員で「素敵なシーンにしよう!」と頑張りました。そこはすごく印象に残っています。特にシャワーなどで水を使うとなると、撮影はすごく大変なんです。水に濡れると前貼りの粘着力も弱まりますし、濡れた衣装や小道具を乾かすとなるとまた俳優部・スタッフの負担になるので、大変な部分ではありましたが、苦労のかいもあって素敵なシーンになったんじゃないかと思います。このシーン以外にも、たくさんの恋愛のパターンが出てきて、だからこそセンシティブシーンのバリエーションも本当にさまざまで、そこは監督もシーンごとにどんな見せ方、感情表現をするかを考えてらっしゃったので、そこに協力して一緒に良いものを作り上げられたかなと思います。――現場でのコミュニケーションで特に印象深いことがあれば教えてください。現場ではなく、事前のヒアリングの面談の時のことなんですが、先ほども言いましたように、みなさん、どうしても不安な感じで「どんな話をするんだろう?」という感じで来られる方が多いんです。そんななかで、松本若菜さんはすごくニコニコしながら入ってこられたんです。私が「インティマシー・コーディネーターという職業を知っていますか?」と尋ねたら「知ってます!この間、インティマシー・コーディネーターの記事を読んで、こんな素晴らしい職業があるんだ!?と知ったと思ったら、こんなに早くご一緒できる機会があるなんて嬉しいです!」ということをおっしゃってくださって、それは本当に感激しました。今後の課題・改善点「いかに日本のやり方に合わせていくか」――『彼女』「金魚妻」「サンクチュアリ-聖域-」とインティマシー・コーディネーターとしての活動する中で、浅田さんの中でインティマシー・コーディネーターの仕事について考えが変わった部分などはありましたか?また日本において、インティマシー・コーディネーターの重要性がより認識されるために必要なことは何だと思いますか?いま、公式にインティマシー・コーディネーターは私を含めて2人しかいませんので、インティマシー・コーディネーターという職業の向上や成長という意味では、私が成長するしかないという状況なのですが…(笑)。そもそもアメリカにおけるインティマシー・コーディネーターは、俳優組合という後ろ盾があって、そのルールを遵守して仕事をすればよいのですが、日本にはルールやガイドラインがありません。なので、私のほうから「こうしてください」とお願いすることはできても、相手がそれを聞かなくてはいけないというルールも罰則もないんです。私自身、アメリカ式のトレーニングを受けてインティマシー・コーディネーターになったので、1本目の『彼女』のときは、アメリカ式のルールの下でインティマシー・コーディネーターをやらなければいけないという意識が強かったです。日本とアメリカでは映画づくりの慣習などでさまざまな違いがあるということは理解しつつも、どこまで日本の現場に合わせるべきなのか?ということがわかりませんでした。その後、今回の「金魚妻」や「サンクチュアリ-聖域-」、他にNetflix以外の作品でもこの仕事をさせていただくようになっていますが「いかに日本のやり方に合わせていくか?」というのはすごく大事な部分だと感じています。とはいえ、柔軟性をもって日本の現場に合わせたいと思いつつも、柔軟過ぎて個々の現場によってあまりにも違いが出てきてしまってはいけないと思っています。「あの現場ではOKだったのに、この現場ではNGってどういうことなんだ?」となっても困ってしまうので、柔軟に現場に合わせつつ、やはり最も守らなくてはならないのは、俳優の尊厳であるという、そのバランスが大事だと思います。確実に理解者は増えていますし、加えてオーディエンスのみなさんもインティマシー・コーディネーターの存在を知り始めたこともあって、「現場に入っていると安心する」という声を実際に耳にすることも多いです。それは嬉しい変化ですね。――やはりガイドライン、共通のルールなどを策定することが必要となってくるのでしょうか?そうですね。現場によって環境が違うので難しいですが、個人的にはどの現場においても「俳優の同意を必ず得ること。そこに強制が絶対にないこと」、「必ず前貼りをすること。それは衛生面や安全性も考えてのことで『着けません』というのは認めない」、そして「クローズドセットと呼ぶ最少人数で撮影するスタイル」の3点を現場スタッフに守っていただくよう心がけています。この3つの点に関しては、既にきちんと機能し、守られていると言えますが、守るべきルールはそれだけではないので、そこは今後、改善を重ねていかなくてはいけないと思っています。私自身、インティマシー・コーディネーターとして関わった作品はまだ多くはなく、いまの私の経験値では「こういうルールでやっていきましょう」と決められるところにまで到達していませんので、今後、インティマシー・コーディネーターが入ったことによって作品がより良いものになったという事実を積み重ねて、インティマシー・コーディネーターの需要が増えていくという流れになっていけばいいなと思っていますが、現状は自分が経験値を増やしているというところですね。――最後に映画業界を志す人たちにメッセージやアドバイスをお願いします。インティマシー・コーディネーターをする上で、やはり一番大切なのはスタッフや俳優とのコミュニケーションです。いかにきちんと話し合えて、お互いを理解できるか?というのが大事だと思っています。いろんな人と会って、いろんな状況で、いろんな話をするという経験が活きてくると思います。もし、私が20代だったら、今のこの仕事はおそらくできていなかったんじゃないかと思います。俳優と話す時も表面的な話だけではなく、しっかりといろんなことを話し、こちらも相手が言うことを受け止めなくてはいけません。その土台をつくるためには、いろんな人と会い、いろんな経験を積むことが大事だなと思います。それから、自分がこのような職業につくとは想像していませんでしたが、今までの経験とご縁でインティマシー・コーディネーターのお話をいただきました。振り返ってみると、本当に今までの経験すべてが活かせていると思います。その時その時に興味があることに全力投球した経験は、何かにつながるのではないかと思います。(text:Naoki Kurozu)■関連作品:【Netflix映画】ブライト 2017年12月22日よりNetflixにて全世界同時オンラインストリーミング【Netflix映画】マッドバウンド 哀しき友情 2017年11月17日よりNetflixにて全世界同時配信【Netflixオリジナルドラマ】オルタード・カーボン 2018年2月2日より全世界同時オンラインストリーミング2月2日(金)より全世界同時オンラインストリーミング【Netflix映画】レボリューション -米国議会に挑んだ女性たち-
2022年02月21日【音楽通信】第104回目に登場するのは、やさしさあふれるバラードから力強いロックチューンまで、多彩な歌声を届けてくれる、シンガーソングライターのmiwaさん!幼い頃から歌手になりたいと思っていた【音楽通信】vol.1042010年の大学1年生のときにメジャーデビューしたmiwaさん。翌年にリリースした1stアルバム『guitarissimo』は、平成生まれのシンガーソングライターとして、初めてアルバムチャート1位を獲得。以降、透明感がありながらも力強い歌声で、数々のヒット曲を聴かせてくれています。そんなmiwaさんが、2022年2月23日に5年ぶり、6枚目となるニューアルバム『Sparkle』をリリースされるということで、音楽的なルーツなどを含めて、お話をうかがいました。――小さい頃やデビューする前によく聴いていた音楽から教えてください。親やまわりの友達が聴いているようなJ-POPや洋楽をよく聴いていましたね。親世代が聴くような年代のものから、友達が聴くような当時の流行の曲まで、幅広く音楽を聴いていました。――15歳の頃からギターでオリジナル曲を作り始めたそうですが、そもそも楽器を始めたきっかけがあったのですか。クラシックピアノを10歳までやっていたのですが、やめてしまって。その後、シェリル・クロウやアヴリル・ラヴィーンなどの女性アーティストが、自分でギターを弾きながら歌っている姿を見て「かっこいい!」と影響を受けて、15歳から自分でもギターをやりたいなと思って始めました。――19歳のとき、シングル「don’t cry anymore」でデビューされましたが、実際にアーティストになろうと意識されたのはいつ頃なのでしょうか。歌手になりたいというのは、幼い頃から思っていました。でも、歌手になりたいというのは漠然とした夢だったんです。成長して、自分で作詞作曲をするようになってからは、「シンガーソングライターになりたい」と、具体的に目指す夢になっていきました。新作は“自分らしく輝く”ということがテーマ――2022年2月23日に6枚目となるニューアルバム『Sparkle』をリリースされます。タイアップ曲や新曲が収録された今作ですが、どんな思いが込められていますか。まず1曲目に「Sparkle」というタイトル曲があるのですが、この曲は“自分らしく輝く”ということをテーマにしています。いまの世の中、なかなか自分を解放したり新しいことを始めたりという前向きでポジティブな気持ちになりづらい状況で、ふさぎこんでしまう瞬間も多くある感じがするのですが、そんなときにこそ音楽が少しでも励みになって背中を押せればいいなと。曲自体はかなり前に書いた曲なんですが、いま聴いてみると、こういった世の中で同じ時代を生きる人たちに響くメッセージになっているのではないかなと感じています。――アルバムのジャケットもきらめいていて、タイトルのお話でもお聞かせくださいましたが、こちらも“輝く”というコンセプトでしょうか。そうですね。外に向かって輝いていくようなきらめき、自分の内側からあふれる輝きのようなイメージを大事にしました。手に取る方がハッとするようなポジティブさや、未来に向かって進んでいける希望を持てるジャケットにしたくて。こだわりを持ってスタッフの方たちも含めてみんなで作っていきました。衣装も着たことのないようなものだったり、メイクもホログラムをたくさんつけてみたりしています。――では4曲目「UUU(ユーユーユー)」はどんなふうに生まれた楽曲でしょうか。曲に出てくる主人公は学生で、恋愛をテーマにした曲です。いま10代の方は、もっとSNSが身近で、スマホが生活に密接にリンクしていますよね。わたしが10代だったときはLINEがまだなく、携帯のメールが中心だったと思うのですが、いまはTwitterもInstagramもLINEもなんでもあって、ある意味スマホの中の世界がリアルのような気がしていて。そんなSNS上のやりとりに一喜一憂して、スマホを手放せなくなっているということが起きているんじゃないかなと思うんです。わたしが学生の頃はメールの返信がきていないと、折り畳み式の携帯電話の画面をパカパカ開く時代で、そんな気持ちを思い返していました。そういったスマホの中の恋愛、相手とのやりとりに夢中になっている瞬間をとらえている曲になっています。――では、いつも曲を作られるときは、主人公を設定して、物語を作り込んでいらっしゃるのですね。この曲のようにテーマを決めて書くときと、曲にひっぱられてテーマができあがっていくときと、両方ありますね。いろいろなアプローチで作っています。――10曲目「Storyteller」は強い信念を感じる歌詞のロックナンバーですね。こちらはどのように作っていかれたのですか。最初からタイトルとテーマを決めてから作った曲ですね。「Storyteller」というタイトルから連想する自分らしさや、自分の人生を主体的に生きるというような意味を込めています。誰かに「こういう生き方だよね?」と言われるのではなく、自分から「これが私の人生です」と自分で言える力強さを表したいと思って書きました。ある意味、シンガーソングライターという仕事も、自分の考えや信念を曲に込めていける職業だと思うんです。そういったなかで、自分の思いをかたちにするという視点から、この曲が生まれてきました。――12曲目「君の声が」は、miwaさんの歌声がダイレクトに届くバラードですが、どんなシチュエーションから生まれましたか。実はアルバムの中で、もっとも昔に作った曲です。当時、(イギリスのシンガーソングライター)エド・シーランに感化されて、彼のようにエレキギターでラブソングをロマンチックに歌うことをやってみたいと思って。そんなことを一緒に曲を作ってくれているプロデューサーのNAOKI-Tさんと話しながら作っていったので、あらためてこのアルバムを作るときに歌詞を完成させていきました。そのときに、当初思い描いていたすごくロマンチックな部分を大切にしようと思って、何度でも出会って、何度でも恋をする、出会いの奇跡と運命みたいなものを歌っている曲です。――ラストを締めくくる13曲目「Who I Am (Album Version)」は、一度2020年に配信された楽曲でもありますが、今回あらたに収録されたのはどのような思いからですか。今回、頭のサビの部分を英語にしたのですが、この英語のテイク部分は2019年の1月に、ロサンゼルスで作った曲なんです。2017年にリリースした「We are the light」という曲があるのですが、その曲はLA在住のプロデューサーher0ism(ヒロイズム)さんやTova Litvin(トヴァ・リトヴィン)というメンバーと日本で制作して。そのときのメンバーと今回、LAで再会して、また3人で作ったんです。なかでもTovaとは、以前も初めて会ったのにすぐ意気投合して、今回LAでの再会もお互い楽しみにしていて。私がショートヘアにしてからの再会でしたが、偶然Tovaさんも髪を何十センチも切っていて「お互い髪切ったね」という話から近況を話していくうちに、同性で同世代ということもあって共感する部分がありました。そのなかで「私たちらしさってなんだろう」と、自分の人生の進め方について、親友のように語り合ったままの気持ちで作った曲なので、私にとっても人生のターニングポイントとして大事な曲です。自分自身もすごく励まされましたし、力がわいてくる気がしていて、そのときにLAで録ったデモが、今回のアルバムバージョンに入っているものになります。実は東京でも英語バージョンも日本語バージョンもレコーディングし直しているのですが、聴き比べてみると、やっぱりLAで録ったデモのほうが作ったときの感情が詰まっている気がして、すごくよかったんです。そのときのパッションを大切にしたいと思って、そちらを今回入れてみました。――2月からは「miwa concert tour 2022 “Sparkle”」と題した全国ツアーも開催されます。どのようなステージになりますか。久しぶりにバンドでまわるツアーになるので、すごく楽しみにしています。東名阪で行うのですが、とくに名古屋公演は久しぶりで、数年ぶりに会う方もいるでしょうし、いまライブができること自体が貴重なことですから、無事に開催できることを祈るばかりです。来ていただける方々も、体調に気をつけていただきながら、こちらもできる限りの対策をして、安全にみんなで楽しめるライブにしたいと思っています。東名阪ツアーでみなさんに会えるのが楽しみ――Tovaさんとのエピソードでもお話しくださいましたが、以前はロングヘアのイメージもあったmiwaさんですが、いまショートカットで、今後はどんな髪型をお考えですか。一度ショートから伸ばして、ボブにしてみたのですが、なかなか長くなるまでの途中段階が難しくて、髪を伸ばすのはけっこう大変だなあって(笑)。もし今後髪を伸ばすとしたら、肩につくぐらいの長さにしようかなと。――では普段のスキンケアなどで意識されていることはありますか。スキンケアではそれほど意識していることはないのですが、けっこう敏感肌なんです。いまはマスクの時代じゃないですか。私はどうしても不織布マスクだと肌が荒れてしまうので、マスクの中に洗えるタイプの布を入れてから、不織布マスクをつけて二重にしてつけています。――では最後に、今後の抱負をお聞かせください。今年は5年ぶりに、『Sparkle』というオリジナルアルバムをリリースできるのが本当にうれしいんです。アルバムには未発表曲も入っていて、シングルとしてリリースした曲も含めて聴いていただけると、前向きになったりほっこりしたり奮い立ったり。バリエーションのある曲が入っているので、知っている曲も知らない曲も、ひとつの作品として全部聴いていただければうれしいです。東名阪ツアーで、みなさんに会えるのを楽しみにしています。取材後記華奢な印象ながら、歌や楽曲ではパワフルなパフォーマンスで活躍されているmiwaさん。ananwebの取材では、アルバムのタイトルではないですが、どこかキラキラとした輝きを感じさせるさわやかさでインタビューに応えてくださいました。そんなmiwaさんのニューアルバムをみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね。取材、文・かわむらあみりmiwaPROFILE1990年6月15日、神奈川県葉山生まれ。15歳の頃、シェリル・クロウやキャロル・キングなどの女性シンガーソングライターの影響を受け、オリジナル曲を作り始める。自宅で弾き語りしたデモテープを手にライブハウスへ飛び込みで出演をブッキング、ライブ活動をスタート。下北沢のライブハウスで演奏する姿が関係者の目にとまり、デビューに向けて本格的な楽曲制作に入る。2010年、大学1年の3月にシングル「don’t cry anymore」でメジャーデビュー。2011年4月、1stアルバム『guitarissimo』をリリースし、オリコンアルバムチャート1位を獲得。平成生まれのシンガーソングライターとして初となった。2012年、シングル「ヒカリヘ」が大ヒット、大学卒業と同時に初の日本武道館公演を開催。2013年から2016年まで、4年連続でNHK紅白歌合戦出場を果たす。2022年2月23日、6枚目となるニューアルバム『Sparkle』をリリース。同日より、東京・大阪・愛知、全国3箇所を巡るツアー「miwa concert tour 2022 “Sparkle”」を開催。InformationNew Release『Sparkle』(収録曲)01. Sparkle02. CLEAR03. リブート04. UUU05. DAITAN!06. ティーンエイジドリーム07. Holiday08. Aye09. アイヲトウ10. Storyteller11. 神無-KANNA-12. 君の声が13. Who I Am (Album Version)2022年2月23日発売*収録曲は全形態共通。(初回仕様限定盤)SRCL-12058(CD)¥3,300(税込)(初回生産限定盤A)RCL-12054-12055(CD+Blu-ray+豪華ブックレット)¥6,100(税込)<特典:Blu-ray収録内容>miwa Billboard Live Tour 2021 “miwa CLASSIC”:1.Delight、2.friend 〜君が笑えば〜、3.アイヲトウ、4.みんなでお楽しみメドレー(春になったら/ミラクル/シャイニー/君に出会えたから)、5.月食 〜winter moon〜、6.片想い、7.オトシモノ、8.Faith、9.ヒカリへ、10.神無-KANNA-(初回生産限定盤B)SRCL-12056-12057(CD+Blu-ray)¥5,500(税込)<特典:Blu-ray収録内容>“miwa clips vol.3”:1.Princess、2.結 -ゆい-、3.シャイニー、4.アップデート、5.タイトル、6.RUN FUN RUN、 7.リブート、8. Storyteller、9.ティーンエイジドリーム、10.DAITAN!、11.神無-KANNA-、12.アイヲトウ、13.Sparkle、14.Sparkle(Music Video Making)取材、文・かわむらあみり
2022年02月18日【音楽通信】第103回目に登場するのは、歌に芝居に大活躍するなか、今年デビュー20周年というアニバーサリーイヤーを迎える、森山直太朗さん!心象風景は子どもの頃に舞台袖から見た景色【音楽通信】vol.1032002年10月、ミニアルバム『乾いた唄は魚の餌にちょうどいい』でメジャーデビューし、2022年10月でデビュー20周年を迎える、森山直太朗さん。これまで胸に響く数々の名曲を世に送りだすアーティストとして、ドラマや映画では鮮烈な印象を残す役者として、わたしたちにたくさんの感動を届けてくれています。そんな直太朗さんが、2022年3月16日、オリジナルアルバム『素晴らしい世界』をリリース、その収録曲から「愛してるって言ってみな」が2月14日に先行配信されたばかりということで、あらためて音楽的なルーツなどを含めて、お話をうかがいました。――あらためまして、そもそも森山さんが幼い頃、音楽に触れたきっかけはなんですか?ずっと心象風景として心に残っているのは、子どもの頃、母のコンサートに行った際、舞台袖を通るときに、ふと舞台を見ると、照明がたかれて真っ白くなったあの景色を子どもながらに覚えています。今では普通の風景になりましたが、あの時のそういう原風景に未だに心を焦がしているというか、音楽というよりも、舞台というものの魅力や、神秘的な場所という感覚が強かったのかもしれません。そのあと紆余曲折あって、音楽は親がやっていることだから、音楽なんか絶対やるもんじゃないと、どこかすごく斜めに見ていた時期もありましたね。――自然とご家族から、音楽的な影響を受ける機会は多くなりますよね。5歳上の姉からも、いろいろな音楽を聴かされました。僕が小学校4年生の頃、岡村靖幸さんやTHE BLUE HEARTS、大江千里さんとか。当時はバンドブームでしたし、ニューミュージックも盛り上がっていた時期で、好きとか嫌いといった分別がつく前の段階で、ライブにも連れていかれました(笑)。あとはたまに母がカレッジフォークのイベントに出ると、古き良きフォークシンガーたちが一堂に会していて、ギター1本持って、みんなで歌ったりハモったりしているのが、自分の原風景です。音楽に対して、斜め後ろから見ていた時期には、玉置浩二さんが家によく来ていました。その度に、ザ・ビートルズの曲とか、玉置さんが何か酔っ払って、ギター弾いて歌うんです。歌詞とかは、今思い返すとめちゃくちゃなんだけど(笑)、もうね、それでも素晴らしいんですよ。だから、そういうものを間近で見られたっていうのは、すごく貴重な体験でしたし、心のどこかで「こんなふうに声を出せたら、さぞ楽しいし、気持ちいいだろうなあ」という憧れはありましたね。だから、影響を受けたといえば、玉置さんじゃないかなと思います。ーー最初に演奏された楽器は、ギターですか。幼稚園と小学校の頃、ピアノのレッスンを受けていました。でも不真面目で、いつもピアノの先生にキャッチボールしてもらって遊んでいましたけど(笑)。能動的に楽器をやりだしたのは、中3ぐらいから始めたギターになりますね。――今年はデビュー20周年というアニバーサリーイヤーとなりますが、あらためて振り返っていかがですか。正直、実感がないというか……。でもこうやって新しいアルバムを作ったり、取材をしていただいたりするなかで、「いよいよもう20年か」と。取材を受けながら、ちょっとずつ帯を締め直している状態です。感覚としての意味でいえば、20周年は、通過点ですね。パーソナルな20周年のオリジナルアルバム――2022年3月16日にニューアルバム『素晴らしい世界』をリリースされます。いつ頃から制作されていたのですか。昨年の今頃には、今年の3月にリリースするということは決まっていました。制作でいうと、レコーディングスタジオでプリプロみたいなものをやりだしたのは9月下旬。でもそのきっかけになったのは、「素晴らしい世界」という曲ができたことが、すごく大きかったんじゃないかな。――アルバムのタイトル曲「素晴らしい世界」が、一番思いのこもった曲となるのでしょうか。そうですね。「素晴らしい世界」という曲ができたときに、「これでアルバムを作っていける」と感じた今作の軸となる曲です。それは狙ってもできないですし、限られた時間の中で探していくしかない。自分の思いや姿勢を表せるものが、アルバムの指針となります。昨年の夏に僕がコロナになって、寝込んでいたとき、大袈裟かもしれないけど、外に出れず、誰とも会えず、社会と断絶された孤独のようなものも体験して、すごく不安でした。でも、社会や人間関係から遠ざかって、音楽をするしないどころじゃない状況で、同時に今まで縛られていたしがらみのようなものから解かれていく感覚もありました。結局、孤独や大きな闇の向こうにあったのは、ただの“解放”だったんです。まるで無重力で宇宙に浮いているような感覚。それは普段の生活では毛頭得られないものですから、どこか思考がぶっとんでいるんです。すべてのことがどうでもよくて、何にも気にならなくなる。解放された後は、いつもならなんでもない景色が、本当に懐かしく、あたたかく自分の目に飛び込んできて感動したんですよね。それは感情的な感覚ではなくて、シンプルに「ただ生きているんだ」という実感。そうなったときに、(共作者の)御徒町凧から渡されていた「素晴らしい世界」という言葉の響きがピンときて、メロディがふと降りてきました。どうやら世界は「自分自身の外側にあるものではなくて、内側に存在しているものなんだな」と。――今回先行配信される「愛してるって言ってみな」は、森山さんによる作詞曲のポップチューンですね。タイトル曲の「素晴らしい世界」とは相反する曲調でありながらこの2曲は、共通する思いがあるのですか。この曲は、アルバムの軸となる「素晴らしい世界」という曲ができたときに、寝込んでいるベッドの中で「愛してるって言ってみな」をふと思い出したんです。10年前ぐらいから自分の中にモチーフにあった曲なんですが、当時はあまりにもポップな曲なので、自分らしくないかな、カッコ悪いかなと思ってリリースにまで至らなかった。だけど、もう自分の中で自意識みたいなものが良くも悪くも気薄になっているから、「素晴らしい世界」と「愛してるって言ってみな」という、この対照的な2曲がアルバムの指針になると、その時なぜか実感していて(笑)。いつもサポートしてくれるピアニストの櫻井大介くんにアレンジしてもらって、さらに確信が深まりました。今回、この2曲がどれだけ励みになったか計りしれません。「いつか体が良くなったら、この2曲をレコーディングするんだ」という思いが自分の唯一のモチベーションでした。――アコースティックな新曲の6曲目「boku」と10曲目「papa」も、では寝込んでいるときにひらめいて……?いえ、10月ぐらいかな。「boku」という曲を作り始めて、ちょっと時を遅れて「papa」という曲ができました。実は「papa」という曲は、20歳ぐらいからモチーフがあって、最初は「mama」というタイトルだったんです。母性に対する、言葉にならない普遍的な感覚を歌う曲なのかなぁと思いながら形にならない時期を経て、ある意味パーソナルでもある今回の20周年のアルバムができる中で、この曲を見つめ直すきっかけがありました。この曲をアルバムに入れようとなったときに、「待てよ、自分の中にある強烈なコンプレックスや愛情は、もしかしたら親父に向いているものなのかもしれない」という思いに気づいて、「mama」ではなく迷わず「papa」に変換してみたら、いろいろなことがつながったんです。例えば、お母さんと娘って独特じゃないですか、ある時はライバル、ある時は姉妹みたいに。父と息子にも、そんなような言葉にはできない“つながり”みたいなものがあって、自分で今まで掘り下げることを避けてきたけれど、ここを通らないとダメだなって、音楽だったら答えが見つけられるんじゃないかなと。昔だったら、その答えにたどり着いていなかったかもしれない。さまざまな経験を経て、自分の中に抱いていた大きなしがらみのようなものから抜けられたんです。雨に濡れて重たくなった荷物をおろした感覚。今まで人間関係や曲作りなどで、踏み込んだり向かったりすることをしているつもりで、できていなかった部分があるんだなと、今回のレコーディングでわかりました。今までとはちょっと違う世界観にはなりましたが、今だからこそというものにもなったんじゃないかなって。その象徴が「papa」や「boku」という曲。でも、もう45歳にもなって、20周年のアルバムで“パパ”と“僕”っていう曲があるなんて、やばくないですか(笑)?でも、そういう気持ちさえも、もう、どうでもいいやっていう感覚なんですよね。最後のアルバムだと思って(笑)、リリースします。――今年から来年にかけて、全国を100本もまわるツアーを開催されるそうですね。どんなステージになるのでしょうか。新作からの曲はもちろん演奏しますし、大きくは自分のルーツを辿っていくようなツアーになるんじゃないかなと思います。「100本」というのは、とてもわかりやすい数字ですし、母親もそうですがフォークシンガーの先輩たちは、ギター1本持って100本でも200本でもツアーをやっていた時代があったんですよね。こういう時期ですから、各会場で細心の注意と準備をして、「前編、中編、後編」の3段階に分けて、違う種類のステージをいろいろな楽しみ方で披露していく全国ツアーを100本まわろうと思っているんです。まずは、インディーズ時代によくお世話になった、東京の吉祥寺にある「曼荼羅」というライブハウスで6月5日から、スタートする予定です。どんなときも粛々と歌を届けていきたいーーお話は変わりますが、音楽活動以外のときは普段、なにをしていますか。日課やご趣味があれば教えてください。日課といえば、飼っている小鳥の世話になりますね。あとはビールより日本酒派なので、家でゆっくり日本酒を飲むこともあります。趣味は、家具屋巡りでしょうか。古着や古家具を見るのがすごく好きで、やっている音楽もそうですが、アンティークなものがとても好きなんですよ。誰かにとってのゴミみたいなものが、誰かにとっての宝物になる、という瞬間が良いなって。骨董市などに行くと、そういうものがたくさんあって、たとえば「こののっぺらぼうの木彫りの仏像、なんか訴えかけてくる……」というようなものが好きなんです(笑)。休みになると、そういうところに赴いて、ぶらぶらしていますね。――ステージ衣装などもおしゃれな印象がありますが、ファッションへのこだわりはありますか。とくに普段も意識しているところはないんですよ。衣装は、スタイリストさんについていただいていて、ステージでは、アーティストをどう見せるかではなく「曲がよく伝わるにはどんな背景が一番良いのか?」ということを考えることが大事なので、曲によって自分がどういう立ち位置でいられるかという観点で衣装を選んでもらっています。――いろいろなお話をありがとうございました。では最後に、今後の抱負をお聞かせください。このような状況下でもありますから、どうなっていくかはわかりませんが、とにかくどんな状況でも最善の注意と感度を保ちながら歌っていけたらと思っています。今年は100本ツアーがありますから、始まってしまうとめまぐるしい毎日だと思うので、それまでにどれだけ準備ができるかなのだとも思っています。何より行った先々で、みなさんにお会いできることを楽しみにしています。取材後記2022年にメジャーデビュー20周年という、記念すべき年を迎えた、森山直太朗さん。ananwebの取材では、新作のお話から普段のご様子まで、時に凛々しく時に楽しくお話ししてくださいました。「20周年は通過点」と語る直太朗さんのこれからのご活躍も応援しています。そんな直太朗さんのニューアルバムをみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね。写真・北尾渉 取材、文・かわむらあみり森山直太朗PROFILE1976年4月23日、東京都生まれ。少年時代より一貫してサッカーに情熱を傾ける日々を送るが、大学時代より本格的にギターを持ち、楽曲作りを開始。その後、ストリートパフォーマンス及びライブハウスでのライブ活動を展開。2001年3月、インディーズレーベルより“直太朗”名義でアルバム『直太朗』を発表。2002年10月、ミニアルバム『乾いた唄は魚の餌にちょうどいい』でメジャーデビューを果たし、2003年「さくら(独唱)」のヒットで一躍注目を集めた。2005年に音楽と演劇を融合させた劇場公演『森の人』を成功させ、2006年は御徒町凧の作・演出による演劇舞台『なにげないもの』に役者として出演。劇場公演としてはその後も2012年『とある物語』、2017年『あの城』を上演。音楽だけにとどまらない表現力には定評がある。2018年10月~2019年6月まで、全51公演のロングツアー、“森山直太朗コンサートツアー2018~19「人間の森」”を全国各地で開催。2020年1月からNHK土曜ドラマ『心の傷を癒すということ』、4月からNHK連続テレビ小説『エール』に出演し、その演技力が評価された。2021年8月からテレビ東京ドラマプレミア23『うきわ -友達以上、不倫未満-』に俳優として出演。9月には、歴代名だたるアーティストがカバーしてきた名曲「遠くへ行きたい」、10月には同年1月に全国公開され、森山も出演した映画『心の傷を癒すということ』主題歌として書き下ろした「カク云ウボクモ」、11月にはテレビ東京系ドラマ24『スナック キズツキ』エンディングテーマ「それは白くて柔らかい」を配信リリース。2022年2月14日、シングル「愛してるって言ってみな」配信。3月16日にオリジナルアルバム『素晴らしい世界』をリリース予定。6月5日から「全国100本ツアー」を開催。10月には、デビュー20周年を迎える。InformationNew Release「愛してるって言ってみな」2022年2月14日配信New Release20周年オリジナルアルバム『素晴らしい世界』(収録曲)01. カク云ウボクモ02. 花(二〇二一)03. 愛してるって言ってみな04. 素晴らしい世界05. boku06. papa07. 落日(Album Ver.)08. すぐそこにNEW DAYS09. 最悪な春(Album Ver.)10. さくら(二〇一九)11. されど偽りの日々12. それは白くて柔らかい2022年3月16日発売*収録曲は全形態共通。(通常盤)UICZ-9213(CD)¥3,300(税込)*ダブル紙ジャケット仕様。*初回プレス出荷終了次第、同価格の通常仕様(UICZ-4598)に切り替わります。(初回限定盤)UICZ-9207(CD+詩歌集)¥5,500 (税込)【初回限定盤特典】・ボーナストラック3曲:さくら(二〇二〇合唱)、最悪な春(弾き語り)、ありがとうはこっちの言葉。・「森山直太朗 詩歌集」(全100曲、約200ページ)。*紙ジャケット&スリーブケース仕様。(ファンクラブ限定盤)D2CT-1737(CD+詩歌集+DVD)¥7,700(税込)*ボーナストラック、詩歌集は、初回限定盤と同内容。【ファンクラブ限定盤特典】・DVD(森山直太朗ファンクラブツアー2020「十度目の正直」ツアーファイナル配信公演 完全収録)・ファンクラブ限定盤オリジナル ビジュアルしおり。*ファンクラブ盤はファンクラブ会員限定販売。写真・北尾渉 取材、文・かわむらあみり
2022年02月14日その“大怪獣”の名前は「希望」。最全長(頭から尻尾の先までの長さ)は380メートルで、これは東京ドームの長径の1.5倍で、渋谷駅前の忠犬ハチ公像から渋谷パルコまでの距離(徒歩約5分)とほぼ同じ。映画の中で描かれる足を空に突き出して倒れた状態での高さは155メートルで、通天閣の約1.5だという。映画『大怪獣のあとしまつ』に「怪獣造形」という立場で参加し、この大怪獣を作り上げたのが、1990年代から2000年代にかけての東宝の『ゴジラ』シリーズや円谷プロダクションの『ウルトラマンコスモス』シリーズ、『ガメラ2 レギオン襲来』などの特撮映画に携わり、数々の怪獣、モンスターたちを手掛けてきた若狭新一である。映画・エンターテインメントに携わる人々に話を聞く連載【映画お仕事図鑑】。今回は若狭さんにインタビューを敢行! 日本の特撮映画においても類を見ないほど巨大で、しかも“死体”として登場することになった大怪獣はどのように生まれたのか?スタッフクレジット:怪獣造形監督のリクエスト:昔の恐竜図鑑に載っていた恐竜のような巨大な怪獣――若狭さんがこれまで携わってきた映画のクレジットを見ると「怪獣造形」「特殊造形」「クリーチャークリエイト」など様々な名称で表記されていますが、若狭さん自身はご自身ではどういった肩書きを名乗ってらっしゃるんでしょうか?特殊メイクから今回のような怪獣の造形までいろんなことをやっていますし、仕事の場も映画やTV、CM、最近ではテーマパークの着ぐるみまで様々なんですが、基本的な仕事の内容は“キャラクターを作る”ということなんですね。その意味で、作品によってクレジットのされ方はいろいろですが、仕事の名前としては「造形」であり、僕自身を紹介していただく場合「造形師」という肩書きで表記していただくことが多いですね。――今回の映画『大怪獣のあとしまつ』では「怪獣造形」とクレジットされています。このクレジット自体が、日本でいかに怪獣映画が当たり前の存在かというのを感じさせますね。「怪獣造形」と書いてあれば、それだけでほとんどのみなさんが、なんとなく「怪獣を作ってる人なんだな」とわかってくれますよね。海外の映画だと、「造形」という言葉はわりと抽象的な言葉なので、どう表記するかって難しくて、直訳すれば「model」とか「modeling」なんですけど、実際にそう表記されるかというと、そうでもなくて「Special Make Up Artist(特殊メイクアップアーティスト)」みたいな表記になったりしますね。実際、僕自身も特殊メイクの仕事もしているので、遠からずという感じではあるんですけど。――若狭さんが造形師を志すようになったきっかけを教えてください。僕は1960年生まれですから、5~6歳で「ウルトラQ」、小学生に上がったら「ウルトラマン」の放送が始まって、空前の怪獣ブームがあって…。1960年代生まれの少年の基本という感じで、大人になるまでそういう存在を激しく味わってしまったというのが大きいと思います。こうしたブームのおかげで、当時は「少年サンデー」や「少年マガジン」といった漫画雑誌のグラビアで、怪獣を作るスタッフの人たちが紹介されていたんですよね。「ウルトラマン」の怪獣にせよ、「仮面ライダー」の怪人にせよ、それらがどうやって作られたのか? ということは、ベールに包まれているわけでもなく明らかになっていたんです。それもあって僕自身は、小学生の低学年の頃から、この仕事に興味はありました。――以前は着ぐるみで撮影されていた怪獣ですが、本作『大怪獣のあとしまつ』を含め、いまや怪獣映画に登場する怪獣は、ほとんどがCGで制作されているそうですね? 改めて「怪獣造形」という仕事は、映画制作のプロセスにおいてどのようなことをする仕事なのでしょうか?まず、監督やプロデューサー陣が打ち合わせをして「こんな怪獣にしましょう」というデザインを決定し、その上でプロダクションが「誰にこの怪獣を作ってもらうか?」というのを決めます。監督やプロデューサーの過去の人脈やこれまでの実績などを元に「怪獣造形」のスタッフを決めるわけです。――その依頼が今回、若狭さんの元に来たということですね?ただ、今回の三木組で言うと、その前の段階の最初の怪獣のデザインがなかなか決まらなかったんです。デザイナーが描けども、描けども、決め手に欠けて三木さんは「うーん…」という感じだったそうで…。スタッフの中に特撮監督の佛田洋さん(「スーパー戦隊」シリーズや「平成仮面ライダー」シリーズ、『男たちの大和/YAMATO』などの特撮を担当)がいて、佛田さんから僕のところに「最初のデザインのところから一緒に入ってほしい」という連絡があり、通常とは少し異なる形ですが、最初の怪獣のデザインから参加することになりました。――大怪獣を一から形にするところから、若狭さんが入ったわけですね? 具体的にどのように怪獣をデザインしていったのでしょうか?まずはコンセプトですね。この映画に登場する怪獣、映画の中では“希望”と名付けられることになりますが、基本的に死んだ状態で登場するわけです。これまでの僕の仕事で「怪獣の死体を作る」というのは、あまりないことでした。映画全編を通して「死んでいる」わけですから、そのありよう――どういう姿勢、デザインで死んでいるのか? というのを考えるところから始めました。――三木さんから特にリクエストや絶対にゆずれないポイントなどは伝えられたのでしょうか?僕が入る前の段階で、佛田さんが三木さんに「どんな怪獣が良いんですか?」と聞いたところ「昔の恐竜図鑑に載っていた恐竜のような怪獣がいい」とのことでした。佛田さんが三木さんにも見せたという昔の恐竜図鑑の写真をいくつか見て、それが“怪獣化”したものということでデザインを考えていきました。アプローチの仕方としては、僕は1993年以降の「平成ゴジラ」シリーズの敵怪獣(※メカゴジラ、スペースゴジラ、デストロイアなど)を担当しているんですが、その頃と同じやり方でした。当時、東宝の特撮を束ねていた川北紘一さんという方がいたんですが、この方もなかなかデザインが決まらない方だったんですね(笑)。東宝のスタッフルームに7~8人のデザイナーがいて毎日、絵を描いては、川北さんがチョキチョキとそれを切って、モンタージュ写真のように切り貼りして、それをクリーンアップする形でデザインを決めていくというやり方をされていたそうなんです。僕が93年の『ゴジラvsメカゴジラ』の怪獣造形に参加したときは、あまりに時間がなくて、撮影開始の3週間前の段階でデザインがまだ決まってなかったんです。(撮影前の)怪獣の制作期間が3週間ほどしかない状況で、このままでは間に合わなくなってしまうということで、決まっている部分から、粘土で怪獣の模型を作っていくというやり方をしたんです。今回、まるっきりそれと同じアプローチで、怪獣が死体となって倒れているさまを粘土で作っていき、それから細かい部分…ポーズのディティールや表情などを三木さんのリクエストに沿って制作していきました。三木さんが一貫しておっしゃっていたのが「僕(三木監督)の作品なので、バカバカしい感じにしてほしい」ということ。もちろん、リアリティが必要なのは当然なんですが、それに加えて「バカバカしさ」がほしいと。例えば、死後硬直によって足がポンっと天に向いて伸びているような姿勢も三木さんからのリクエストでした。あとは“巨大なもの”を表現するという中で、三木さん自身が牛久大仏(茨城県牛久市)をご覧になったそうで、牛久大仏(※台座を含め全長120メートル)くらいの高さにはしたいとおっしゃってました。死体の足が天に向かって伸びてて、それがとにかくバカでかいんだと。――とてつもなくデカい怪獣という画で、三木監督の言う“バカバカしさ”が一発で伝わってきます。僕がこれまで携わってきた多くの作品では、(怪物やヒーローの身長は)たいていは50メートルか100メートルの二択でした。以前はいまのようにデジタルで合成するのではなく、25分の1の大きさのミニチュアの美術を組んで、その中を着ぐるみの怪獣やヒーローが暴れ回っていたんですけど、それも元をたどれば「ウルトラマン」なんですよね。ウルトラマンの身長は約40メートルという設定になっているんですけど、それは身長180センチのスーツアクターが、25分の1の大きさのミニチュアにちょうど収まるようになっているんですね。ただ、時代と共に街並みも変化して、新宿に高層ビルが立ち並ぶようになってくると、25分の1のミニチュアでは、ウルトラマンや怪獣がビルの陰に埋もれてしまうので、平成の『ゴジラ』シリーズで「ゴジラの身長は100メートル」と設定が変更されたんです。それが今回の映画では、最全長(頭から尻尾までの長さ)で380メートル、倒れた状態での高さが155メートルですから、かなり大きいんですよね。これほどの大きさの怪獣が、しかも死体として転がっているって、誰も見たことがないわけで、想像がつかないんですよ。この“サイズ感”に関しては、最初に打ち合わせをしていた段階から「そんなに大きいのか…」という思いはありましたね。――公式のインタビューなどで、三木監督は怪獣の制作にあたって様々な“制約”があったと話されていますが、若狭さんも苦労した点などはあったんでしょうか?正直、僕自身は制約を感じるようなところはなかったですね。もちろん、今回の作品は三木聡監督による、松竹と東映の合作映画なので、僕が長年、関わってきた東宝の怪獣(ゴジラ)と同じものになってはいけないというのはありましたけど、それは当然ですよね。それ以外には特に制約と感じるようなことはなかったですね。なぜCGではなく事前に粘土で怪獣の模型を作る必要があったのか?――先ほどのアプローチのお話で、粘土で実際に怪獣を形作るところから行なわれたとありましたが、あえてそうしたプロセスを採用した理由は…。正直、佛田さんからお話をいただいて、その話を聞いたとき、僕自身も「何でいまの時代に、いちいちそんな作り方するんだろう?」とは思いましたね(笑)。――いまの時代、通常はCGでデザインしていき、実際の映画本編でも合成されたCGの映像が使用されるということですよね?そうです。デザインする段階から3DCGで作っていくというのが、いまの時代の怪獣造形のやり方ですね。ただ、この映画でVFXをスーパーバイザーとして束ねている野口光一さんがおっしゃっていたことなんですけど、CGで作り始めると、“終わり”がないんですよね。良くも悪くも、CGだといつまででも作業をすることが可能で、ゴールが定かではなくなってしまうと。先ほど説明したように、まず最初に怪獣のデザインを決定しないといけないというのもありました。どこかに“指標(ゴール)”を定めなくてはいけない。佛田さんが、なぜ僕のところに今回の話を持ってきてくれたのかというと、僕はこれまでにいくつもの怪獣の造形に携わってきているので、その指標を作ることができるからだと。(3DCGではなく)粘土でブレない“指標”としての怪獣を作ることが必要だったのかなと思います。――あくまでも映画本編における怪獣はCGですが、若狭さんが最初に粘土で作った怪獣は、デザインの“完成形”を示すものとして必要だったと。約80センチの模型(マケット)を作り、さらに、この模型を3Dスキャンして、約6メートルの美術の造形物を作ったのですが、ただ、これらにはきちんとした使い道があります。今回の映画は、ある意味で旧来の20世紀の撮影と21世紀の撮影のハイブリッドとも言えるやり方をしたと思っていて、昔であれば、この80センチの模型を元に紙の上に図面を引いて、発泡スチロールを削って美術を作ったりしてたんですけど、それだと手作りなので、職人さんの感性によって、大きさがバラバラになったりすることもあったわけです。僕としては、最初に80センチの模型を作る時点で、できる限りの情報はそこに詰め込んだつもりでした。理想と言えるものをこの模型できちんと作ることができれば、いまの技術で、それを基準にして、より大きなものもブレることなく正確に作ることができるし、そのデータをロケハンや打ち合わせで活用することもできます。“プリビジュアライゼーション”と言われる、撮影の前の段階での「こんなカットを想定しています」というイメージの共有、シミュレーション作業も可能になるんです。実際、この模型を元に6メートルの造形美術を作ったと言いましたが、そちらに関しては、佛田さんは東映のスタジオの屋上で、これを使って全ての怪獣のカットを一度、撮影しています。もちろん、映画本編の怪獣は基本的にCGなので、ここで撮影されたカットで実際に本編で使われているものは多くはないと思いますが、(カット割りや構成の参考、イメージの共有のために)一度、6メートルの美術で全てのカットを撮っているんです。――怪獣造形のスタッフとしては、できることなら“死んでいる”状態ではなく、生きて暴れ回っている姿を作りたかったのでは?それは…(笑)、当たり前ですけど、僕らは仕事として怪獣の造形をやっているわけですから、自分の中でいくら「これ、生きて動いたらいいのになぁ…」と思ってもしょうがないですからねぇ…(苦笑)。いまでも「キャンペーン用に着ぐるみを作ったりしないのかなぁ?」とか思ってますけどね(笑)。――この作品に限らず“怪獣”の造形を行なう上で、大切にしていることはどんなことですか?それは難しいなぁ…。まず一番は、その映画のスタイルに合う怪獣はどんな怪獣か? ということ。それは常に考えますよね。映画を観に来るお客さんが、その怪獣を見てどう感じるのか?今回の映画に関してはあまり関係ないですが、これまで僕が携わってきた怪獣映画の場合、怪獣は映画の中に登場するだけでなく、マーチャンダイジング(商品化)が深く関係します。デザイン性も求められるし、それが“商品”として認められるのか? というのも重要なポイントです。そこに関しては、頭の片隅どころか、それなりに脳内の大きな割合を占めることになりますね。――若狭さんが、この仕事をやっていて喜びを感じるのはどういう瞬間ですか?いまの時代、30年前、40年前の作品を簡単に見られるじゃないですか。自分がやった仕事に関して、後になって「良い仕事でしたね」と言ってもらえるとやはり嬉しいですね。ものすごい数の作品に関わってきて、僕自身が忘れている仕事もいっぱいあるんですけど、それをいまだに「好き」と言ってくれる人もいて、時に感謝されたり、称賛のお言葉をいただけたりすると「あぁ、やっぱりやっててよかったな」って思いますね。――怪獣造形に限らず、映画の世界での仕事を志す若い人たちに向けて、メッセージやアドバイスがあればお願いします。大事なのはあきらめないことだと思います。僕自身、これまでやってこれたのは、あきらめなかったから。辞めるのは簡単ですからね。いまの時代、昔と比べて映画の世界で働くということの敷居が低くなっている部分も確実にあると思います。社会も変わって、昔のようなパワハラや過酷さは減っていると思います。この業界に入ること自体、難しいことでは決してなくて、僕が知る限りでは、むしろいつも人手不足で「誰かいないか?」って探してる状態なので。僕らがこの世界に入った頃は、理不尽なこともいっぱいあったし、最初の頃は貧乏しながらやってきましたし…。もちろん、いまでもそういう部分が完全にないとは言わないし、大変な部分も多いと思います。でも、環境は確実に良くなってはいるので、大事なのは自分が「何がやりたいのか?」ということを明確にし、そこに向けてきちんとアプローチすることだと思います。(text:Naoki Kurozu)■関連作品:大怪獣のあとしまつ 2022年2月4日より全国にて公開Ⓒ2022「大怪獣のあとしまつ」製作委員会
2022年02月12日【音楽通信】第102回目に登場するのは、国内外で活躍し、豪華なアーティストとのコラボレーションでも話題を呼んでいる、MONDO GROSSO(モンド・グロッソ)!歌番組とジュークボックスから音楽を知る【音楽通信】vol.102音楽家、DJ、プロデューサーなど、幅広く活躍する大沢伸一さんのソロプロジェクト「MONDO GROSSO」。1991年に京都でバンドとして結成、1993年にメジャーデビューし、ヨーロッパツアーを行うなど国内外で活動。1996年のバンド解散後は、大沢さんのソロプロジェクトとなり、2021年に結成30周年、2023年にデビュー30周年が控えています。常に革新的な音楽性を届けるMONDO GROSSOが、2022年2月9日にニューアルバム『BIG WORLD』をリリースされたということで、音楽的なルーツなどを含めて、お話をうかがいました。――あらためまして、そもそも大沢さんが小さい頃音楽に触れたきっかけや、影響を受けたアーティストからお聞かせください。僕の小さい頃というと、1970年代になるのですが、テレビの歌番組から聴こえてくるものが、音楽の一番のインプットでした。いまのようにインターネットがない時代ですから、テレビやスーパーマーケットでかかっている音楽に触れる機会が多かったんです。意外かもしれませんが、スーパーや百貨店と大きな違いはなく、大きなスーパーにはブティックみたいなものがあったりするんですね。そのフロアには、2台ぐらい、ジュークボックスがあったんです。当時、感度の高い人はそういったお店の音楽を共有する感じがあって、音楽をかけに行く人が多くて。お店に有線放送もなければ、BGMもなかった時代のことです。そういうところで自分の好きな音楽をかけていましたね。そこでおねえさんと仲良くなったり、「この曲何?」と聴いたり。そういう意味では、マセガキだったかもしれませんね(笑)。洋楽に出会ったのもそこでしたし、年の離れた兄と姉もいるので、家族からの影響も大きかったです。わりと小さいときから、音楽に興味を持っていました。――当初MONDO GROSS0はバンドで、いまは大沢さんのソロプロジェクトとなりますが、もともと楽器に興味を持たれたのはいつ頃からなのですか。楽器自体は、小学校高学年からブラスバンド部に入って、トランペットをやるようになりました。学校で習うことだけなので、たいしたことはできなかったんですが、楽器が好きで。僕はいまでも楽譜が読めませんし使わないのですが、トランペットのようなマウスピースがあるような楽器は、口のかたちと指との組み合わせで音階を作るので、たとえば隣の人と指で押さえるところが違っても同じ音が出せるんですね。なので、楽譜を見なくても曲を覚えて、自分の型で自由にできるところが気に入って「楽器っておもしろいな」と。それからは、中学生ぐらいのときに、家にあった父親のクラシックギターを弾いてみたりしていました。――2021年に結成30周年、2023年にデビュー30周年が控えていますが、振り返っていかがでしょうか。初期はバンドだったので、僕ひとりのものじゃなかったのですが、そのあと自分ひとりになって、とりもなおさずMONDO GROSSOというプロジェクトはひとりでは何もできないんですよね。誰かと出会って、コラボレーションすることで、何かケミストリーが生まれて音楽になることがほとんど。バンドのグループのなかにいてもいなくても、さまざまな人たちと交わって何かやってきたという歴史だと思います。音楽を通して現状をどう考えていくかがテーマ――2022年2月9日にニューアルバム『BIG WORLD』をリリースされましたが、どのような思いをこめた作品でしょうか。いま人類が一斉に同じ条件のもとに行動を制限されていますが、この状況に居合わせたひとりとして、世界が変わってしまったけれど、もとに戻るのではなく、変わり続けていくという事実に直面したときに「音楽の役割はなんだろう、僕にとっての音楽はなんだろう」と思ったんです。これまでもアルバムをリリースするごとに、音楽のスタイルが変わることは多かったのですが、今回は「音楽を通してこの状況をどう考えていくのか」ということが、僕の制作のテーマになりました。――2曲目「IN THIS WORLD feat. 坂本龍一」は、病気療養中の坂本さんがピアノで参加され、UAさんの歌詞を満島ひかりさんが歌うという面でも注目を集めていますが、こういったコラボレーションのアイデアやオファーはどのようにしていったのでしょうか。僕を含む制作チームとともに、コンセプトに参加するスタッフがいて、その仲間と人選しています。僕の役割は、音楽をきちんとかたちにすること。だから、音楽以外の部分では、外部の意見を大胆に取り入れています。実は「IN THIS WORLD feat. 坂本龍一」は、最初このキャスティングにしようと思っていたわけではありません。僕が最初にピアノでメロディをつけたスケッチを作って「この曲どうしたもんかね?」とスタッフに聞くと、「歌メロのつもりで大沢さんが作ったのかもしれないけれど、ピアノのメロディ自体は残して、歌をのせて坂本さんとやるのはどうですか?」という提案があって。「じゃあボーカルは(満島)ひかりちゃんに頼んでみようか」となり、「UAに歌詞を書いてもらったら」とみんなから意見が出てくるということです。僕が出すアイデアもありますが、キャスティングに関しては、みんなの声を入れて採用していくようになりました。いまと違って、以前は「この人とこの曲をやりたい」という気持ちが強い時期もありましたが、大きな変化ですね。――どうしてお気持ちが変化されたんでしょうか?自分で全部決めることに飽きたんですよね。自分の考えだけで構築していくのも面白いのですが、どこかでマンネリ化してしまうことを危惧してスタイルを変えたというのが一番かもしれないですね。自分だけだと、こんなコードを作ると、僕だったらこうするという定石が決まってくるから。僕は決まったことの形を変えて何度も出すタイプのクリエイターではなく、1ミリでも新しいものを作りたいので、新しいアイデアのもと、変化させていくものを自分以外に求めていくほうが得策だなと。ましてやMONDO GROSSOは外部を巻き込んでやっていくアメーバのようなプロジェクトなので、一番中核にある音楽の作り方ですら、外部の意見を取り入れたほうがもっと大きくなれる、細胞分裂に近いかたちだと考えています。――5曲目「OH NO!」は4人組バンドのCHAIと、9曲目「幻想のリフレクション」は(Original Loveの)田島貴男さんとの楽曲ですが、若手からベテランの方まで多彩なアーティストの方々が集結していますね。今回、大沢さんご自身がお声がけされたのはどの方なのですか。具体的に「この人でやろう」と決めたのはCHAI、どんぐりず、田島くんですね。たとえばCHAIは、非常におもしろい存在だと思っていて、一緒に何かやってみたいとお願いしました。田島くんは、今回の曲の前に、ずっとお蔵入りになっていたデモがあって。スタッフから「あの曲もったいないからやりましょう」とすすめられて、僕は「この曲だったら田島くんに頼むのがおもしろいかな」という話をしたんです。でも、そこからメロディを考えてもしっくりこなくて。田島くんが歌うことが決まった、レコーディングの2週間ぐらい前に曲を書き直して、当初の曲とは違うまったく新しい曲になりました。こうして3段階ぐらい内容が変わっているんですが、制作がギリギリのときでもやれるということも、MONDO GROSSOの醍醐味です。――8曲目「迷い人」は、EGO-WRAPPIN’の中納良恵さんがバラードで語りかけるように歌う楽曲ですが、中納さんとも初コラボですね。そうです、スタッフから出たアイデアで、「MONDO GROSSOと中納さんの声は合うはずだから」と。僕も昔からもちろんEGO-WRAPPIN’は知っていますし、前作でもオファーをさせていただいたのですが、タイミングが合わなくて。中納さんも慎重な方なので、何度もご依頼して、今回はタイミングが合って、受けていただきました。コラボレーションとしては、昔ながらの手法もありながらのすごく実験的な曲にもなっています。――以前も起用されていますが、7曲目の「STRANGER」は、乃木坂46の齋藤飛鳥さんがボーカリストとなりますね。今回は共同プロデュースでクレジットもされている友人から、「大沢さんの楽曲でもう1度、齋藤さんに歌ってもらい、なおかつシューゲイザー(浮遊感もある歪ませた轟音ギターサウンド)をやってみたい」という曲のスタイルの提案まであったんです。ここまでくると、MONDO GROSSOというものの許容性も問われているといいますか、どこまで外部のお題を取り入れてすら、MONDO GROSSOとしての根幹が揺るがない音楽ができるのか。音楽プロジェクトでもありますから、これからも大胆なアイデアの取り入れ方をしていくと思います。――2003年に「Love Addict」をプロデュースされるなど交流のある中島美嘉さんが歌う11曲目「OVERFLOWING」は、以前アレンジを担当されたシンガーソングライターの大森靖子さんが共作詞となりますね。この曲は、アルバムで最初にスケッチを始めた曲で、最初は自分で詞も書いていたんです。詞とメロディがなんとなくできあがったものの、コロナ禍の初期に書いたもので詞に感情が入ってしまいすぎて、誰に歌ってもらうかを決める頃には、けっこう自分とは歌詞が遠いものになっていったんです。だから、これを引き受けてもらえて、なおかつ(中島)美嘉ちゃんが歌うということを考えたときに、詞は「大森さんしかいないだろう」と僕がキャスティングしました。そんななかで、どうしても僕がここだけは使ってほしいという歌詞の一部だけを残して、大森さんの詞を採用して。後日、当初僕が書いたけれど採用しなかった歌詞のパートと、彼女が書いたものが重なっていたり、同じような文言が使われていたりしたことがわかりました。――具体的にいいますと歌詞のどの部分でしょうか?「昨日、今日、東京、妄想、そう」という部分。“東京”というキーワードは彼女も最初のラフの段階にあったそうで、あまりにも自分の色が出すぎてMONDO GROSSOに合わないかと書かなかったと。「大沢さんがここを残してほしいと言ってきたときにびっくりした」と言っていましたね。「溢れ出す」という言葉も歌詞にあるのですが、彼女も最初に同じ文言を入れて歌詞をあげてきたときは、共感覚といいますか、同じようなインスピレーションをこのメロディから感じていたのかなと思いました。――12曲目は、アルバムのタイトル曲でもある「BIG WORLD」となりますが、大沢さんのユニット「RHYME SO(ライムソー)」のRHYMEさんが歌っている曲ですね。RHYMEが「BIG WORLD」という曲を作ってきたのですが、MONDO GROSSOを英語で言い直すと「BIG WORLD」でもあり、おもしろいのでタイトルにしました。これはRHYMEの世界ですね。もっと活動の場を広げていきたい――お話は変わりますが、よろしかったら普段のご様子もお聞かせください。音楽活動以外のときはどのようにお過ごしですか。いまはスタジオに来てこの取材を受けていますが、結局は普段もスタジオに来て音楽を作っていますね。家の中にも何か所かに音楽をスケッチできる場所を設けておいて、時にスケッチすることもあります。あとは、家にテレビがないので、プロジェクターで映画やドラマを観ることもありますし、本も読みます。そしてこの2年ぐらい、独自で環境問題に取り組むようになって、古着のリメイクプロジェクトなどにも携わっているので、あまり家でじっとすることが少ないですね。表に出ていろいろな人と打ち合わせをしたり、オンラインで話をしたりしています。――大沢さんは、たくさんの才能あるアーティストと組まれていますが、たとえば自分にそれほど自信がないとしても、才能を磨きたいときにはどうしていけばよいと思われますか。日本の女の子は、自己肯定感が少ないと聞いたことがあります。たとえば音楽のクリエイションを考えるとしたら、日本に限ってですが、実際に音楽を始めようと行動する人と、音楽がめちゃくちゃ好きで詳しくていろいろなものを聴いて日々楽しむ人の違いを比べると、実は音楽をたくさん聴いている人のほうがおもしろいものを作れる素養が高いと感じています。音楽を始める人の中には、カラオケに行って好きな曲をたくさん歌って、まわりの人から「うまい! プロになれるよ、オーディションに行きなよ」と言われてオーディション行ってしまうような例があったりします。でも、本当に音楽が好きな人はそうではなく「いやいや、私なんてそんな」と行動しない。すごく音楽が好きで、いろいろなところで音楽を聴いている人の感性のほうが、音楽を生み出すうえでは非常に重要。だから今回のアルバムにしても、僕のまわりのそんな人たちの意見を採用するのは、そういうところなんですよね。もし自分で自分の才能に気づいていないとしても、すごくニッチに何かを追求しているようなことがあるとすれば、それはもしかしたらまわりの人や専門の人からみたら、その深さはすごいものなのかもしれません。だから僕は、好きなことがあるんだったら、誰かの評価を気にするのではなく、極めてみるのが一番だと思います。たとえば古着が好きだったら、古着の知識を極める。いまはインターネットでなんだって情報を集められますし、東京にある古着屋を全部制覇してみるとか。人から見たら、何をやってるの? ということでも、真剣に達成してみることは、意外と悪くないと思います。――いろいろなお話をありがとうございました。では最後に、今後の抱負をお聞かせください。今後、MONDO GROSSOとしてのDJツアーも予定していますし、その後はRHYME SOや大沢伸一としての個人名義のアルバムも考えているんです。そして音楽以外のクリエイションや、いままでやってこなかったようなコラボレーションも企画しているので、もっと活動の場を広げていきたいと思います。取材後記多彩なアーティストとコラボレーションされ、常に魅力的な音楽を放ち続ける、MONDO GROSSOこと大沢伸一さん。カラーの違うボーカリストたちの個性がより輝き、聴き手のほうへと響くサウンドを届けてくれるのは、大沢さんだからこそですよね。そんなMONDO GROSSOのニューアルバムをみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね。取材、文・かわむらあみりMONDO GROSSOPROFILE大沢伸一がリーダー兼ベーシストのバンドとして93年にメジャーデビュー。世界的なアシッドジャズのムーブメントの中、ヨーロッパツアーも行う。1996年にバンドは解散し、大沢のソロプロジェクトとなる。以降も常に革新的な音楽性を求めながら、「LIFE feat. bird」を収録した『MG4』、「Everything Needs Love feat. BoA」を収録した『NEXT WAVE』などヒット・アルバムをリリースして2003年に休止。2017年に14年振りとなるアルバム『何度でも新しく生まれる』、2021年に結成30年の軌跡を辿る『MOMDO GROSSO OFFICIAL BEST』をリリース。2022年2月9日、ニューアルバム『BIG WORLD』をリリース。InformationNew Release『BIG WORLD』(収録曲)01. INTRO02. IN THIS WORLD feat. 坂本龍一 [Vocal:満島ひかり]03. FORGOTTEN [Vocal:ermhoi (Black Boboi / millennium parade)]04. B.S.M.F [Vocal:どんぐりず]05. OH NO! [Vocal:CHAI]06. 最後の心臓 [Vocal:suis (ヨルシカ)]07. STRANGER [Vocal:齋藤飛鳥 (乃木坂46)]08. 迷い人 [Vocal:中納良恵 (EGO-WRAPPIN’)]09. 幻想のリフレクション [Vocal:田島貴男 (Original Love)]10. CRYPT [Vocal:PORIN (Awesome City Club)]11. OVERFLOWING [Vocal:中島美嘉]12. BIG WORLD [Vocal:RHYME]2022年2月9日発売*収録曲は全形態共通。(通常盤)RZCB-87060(CD)¥3,300(税込)(初回生産限定盤)RZCB-87060/B(CD+Blu-ray Disc)¥4,950(税込)*スマプラ対応。【Blu-ray収録内容】01. IN THIS WORLD feat. 坂本龍一 [Vocal:満島ひかり] MUSIC VIDEO02. STRANGER[Vocal:齋藤飛鳥 (乃木坂46)] MUSIC VIDEO03. FORGOTTEN[Vocal:ermhoi (Black Boboi / millennium parade)]MUSIC VIDEO取材、文・かわむらあみり
2022年02月09日【音楽通信】第101回目に登場するのは、世界中から注目を集めている、国内外で活躍する“NEOかわいい”4人組バンド、CHAI(チャイ)!日本はもちろん世界のトップを目指す写真左から、ユナ (Dr&Cho)、カナ (Vo&G)、マナ (Vo&Key)、ユウキ (B&Cho)。【音楽通信】vol.101双子のマナさん(Vo&Key)とカナさん(Vo&G)、ユウキさん(B&Cho)、ユナさん(Dr&Cho)からなる、4人組ガールズバンドのCHAI。アメリカやイギリスのインディーレーベルから海外デビューも果たし、世界各国でライブを行っている彼女たちは、コンプレックスさえも愛して、ポジティブかつカラフルにこれからもますますボーダーレスに飛躍していくに違いありません。そんなCHAIが2022年1月12日に、ニューシングル「まるごと」をリリースされたということで、メンバーのみなさん全員にお話をうかがいました。――小さい頃に憧れていたアーティストから教えてください。マナ小さい頃は、DREAMS COME TRUEがすごく好きでした。実は、人生で初めて行ったライブは、ママと一緒に行ったドリカムです。本当に曲が大好きで、ドリカムを聴くと踊っていました。カナ小さい頃から歌手になることが夢で、当時はモーニング娘。が好きでした。ミニモニ。に入りたいときもあったかな(笑)。家で、マナと一緒にモー娘。を聴いて歌って踊ったりとか、ママの好きなドリカムを聴いて歌って踊ったり。テレビに出ている人たちの音楽を聴く環境でしたね。ユウキ私もみんなと同世代なので、モー娘。は好きでした。ただ、アイドルにハマったのは、このときが最初で最後という感じです。ユナ小さい頃はすごくJ-POPを聴いていましたし、超テレビっ子でした。テレビに出ていた人たちにハマって、当時放送されていた音楽番組に出ているモー娘。を観て「超おもしろい!」と思って(笑)。最終的にはORANGE RANGEにどハマりして、バンドという存在に惹かれて、ドラムという楽器を知って、実際にCHAIで担当することになっていまに至ります。――マナさん、カナさん、ユナさんが同じ高校の軽音部で、後から知り合ったユウキさんが加わって、CHAIを結成されましたね。海外のレーベルからのリリースやライブ活動などもされていますが、もともと日本だけではなく、海外も視野に入れていたのですか。マナもちろん海外を視野に入れていました。CHAIを始めたときから「日本はもちろん世界で売れたほうがトップだよね?」という単純な考えから、世界を目指すことにしたんです。――では大人になってからは海外のバンドの曲も聴くようになって、参考にすることもあったのですか。マナはい、CHAIを始めてからは、ほぼ洋楽を聴いていました。それこそ、聴いているアーティストがグラミー賞を獲っていることが多かったから「夢はグラミー賞!」と、わたしたちもずっと言っています。「これがトップの音楽なんだな」と思いながら、洋楽を聴いているうちに、CHAIでも目指すようになりました。ニューシングルは初めてのドラマ主題歌書き下ろし――2022年1月12日にニューシングル「まるごと」をリリースされました。キュートなポップソングですが、曲にこめた思いを教えてください。マナそれぞれの人が持っているいろいろな愛のかたちを認め合うことができたら、本当に最高だよね、という思いを込めた曲になっています。――今作は現在放送中の岸井ゆきのさん、高橋一生さんのW主演となる、よるドラ『恋せぬふたり』(NHK総合 毎週月曜 午後10:45)の主題歌ですね。音楽ファンだけではなく、お茶の間にもCHAIの曲が広く浸透します。マナリアルタイムでドラマの第一話を見ていましたが、ドラマの主題歌を書き下ろしたのは初めての経験だったので、オンエアを見て感動しました。カナやっぱり地上波のドラマの主題歌を担当すると、誰よりも親や親戚が喜んでくれるから、感謝したい身近な人たちに届くこともすごくうれしいです。お茶の間に響くのも、CHAIを知ってもらえるいい機会ですし、「紅白歌合戦」にもいつか出演できたらいいな(笑)。ユウキ私はこの曲で歌詞を担当したのですが、ドラマ放送前に5話ぐらいまでの台本を読ませてもらって歌詞を書いていたから、実際にドラマを見ると映像と音楽があわさったときに、まず感動しました。良い映像を引き立てる言葉で歌詞が書けたと思えましたし、ドラマにも合っていたのでうれしかったです。ユナ私は本当にテレビっ子でいままで数々のドラマを見てきたなかで、まさか自分たちの曲が、ドラマを見ていてワッと出てくるなんて、この衝撃と感動といったらもう……(笑)! テレビの前でひとりで鳥肌が立って、あたふたしていたぐらいの喜びです。――2月2日には、EP『WINK TOGETHER』をリリースされましたね。EPのリミックス陣として参加しているカリフォルニア在住のアーティストのスクーバート・ドゥーバートが、「まるごと」のサウンドプロデュースも担当していて、CHAIとの好相性を感じます。マナスクーバートは、もともとSpotifyのNew Music Fridayというプレイリストに入っていたところを見つけました。彼の曲がすごく良くて、ストーリーにあげたら本人から連絡がきたので、連絡を取り合うようになって。スクーバートの曲はCHAIの曲にも合いそうで、アレンジも上手だなと思っていたので、今回「まるごと」のアレンジをお願いしました。スクーバートには、ロマンチックだったり、ノスタルジックだったりする雰囲気にしたいとイメージを共有して、そこから一緒に曲を仕上げていったので、いいマッチングになったと思います。――EPのほうはどんな仕上がりになっていますか?マナすっごく面白いと思います。もうねえ、ジャンルがよくわからない感じになっていて(笑)。カナそうだねえ(笑)。世界のトップアーティストたちも参加しています。マナいろいろな国のアーティストたちが参加してくれていて、CHAIの3 rdアルバム『WINK』の中から曲を選んでリミックスをしてくれた人もいれば、バンドアレンジをしてくれた人や歌で参加してくれた人も。とにかくさまざまな言葉や音楽が聴ける作品です。――曲作りをする際やレコーディングのときなど、いつも歌うとき、演奏するときに心がけていることがあればえてください。マナいろいろな自分を出せたらいいな、その自分がたくさんの人に届けばいいなと思って、いつも歌っています。カナレコーディングとライブでは、歌うにしても、全然感覚が違う面もありますね。レコーディングのときは、マナも言っていましたが、声だけで自分をいろいろと表現できたらいいな、それをみなさんにも楽しんでもらいたいな、スッと誰かの感情の中に入れるような歌が歌いたいなって。ライブでは、表情や動きといった見ていて伝わるものが多いですよね。だから、レコーディングのときよりも、声のニュアンスにおいても、ダイナミックになるようにしています。ユウキわたしは歌詞を作ることが一番メインの担当になるので、ドラマ主題歌ならその世界に沿ったことを意識していたり、CHAIだけのオリジナルの曲はわたしの中から出したいものをテーマとして持ってきたりしていますね。どんな場合でも、CHAIの言いたいことは一貫して「セルフラブを一番伝えたい」ので、そこにはつながるように作っています。ユナたとえばスクーバートがアレンジしてくれている曲なら、まず自分の中に曲をインプットして、プレイでユーモアや遊び心を表現してから、アウトプットするようにしています。レコーディングもライブも、日本でも海外に行ったときも、音楽は共通。グルーヴが強かったら、どこの国の人も踊ってくれるんだろうなという感覚があるので、どれだけ気持ちいいビートがたたけるか、そして曲に即したアウトプットで表現できるかということを最近は意識してトライしていますね。――2月からは、日系女性シンガー・ソングライターMitskiさんとの「Mitski 2022 tour」、そして「WINK TOGETHER NORTH AMERICA TOUR」と題した北米ツアーがあります。どのようなステージになりそうですか。マナ 2年ぶりの海外ツアーですね。ステージは、とにかくエンターテインメントの場なので、刺激と感動をみなさんにお届けして、驚かせまくります(笑)。それは日本も海外も共通する、CHAIのライブのテーマです。――日本と海外のライブでのパフォーマンスの違いはありますか。マナ多少はありますね。文化が違えば、音楽の楽しみ方も違いますし、海外の方のほうがけっこう踊るんです。日本のように、アーティストをずっと見ていないから。海外の方だと、遊びに来た、飲みに来た、という感覚でライブに来てくれるので、見方が違うんですね。だから、踊ってほしい曲が多いですし、ライブアレンジもちょっと変えたりします。CHAIの音楽がもっと世界に届くよう活動していく――新曲「まるごと」には「違いさえもまるごと愛せたらなあ」という歌詞もありますが、みなさんが現在“まるごと愛している!”と思える“推し”を教えてください。マナ私は実家にいる、犬のロイちゃんですね。ミニチュアシュナウザーなのですが、犬の考えていることを知りたい。だから一緒にいると家からなかなか出られないんです(笑)。実家に帰ると、ロイと過ごす時間が一番多くて、ロイが何をしたいんだろうって、まるごと愛しちゃってます(笑)。カナ私も一緒です(笑)。動物全般がすごく好きで、何を考えているのかわからないところもすごく面白くて、動物は人間が思い浮かばないことを考えているから見ていておもしろいんですよね。ロイとも、ずっと一緒にいたい。ユウキ私は、推しがないんですよ。何かをずっと追いかけるようなハマり方が1回もなくて、絵を描くことは好きですが、毎日描きたいわけではなく、描きたいときがそのときという感じ(笑)。でも、人の推しの話を聞くことは好きなんです。ポッドキャストで、ジェーン・スーさんらの番組『OVER THE SUN』があって、すごく推しのことを語っていて、私に推しがまったくないから聞いていると、おもしろいです。ユナ私は推しがありすぎて、何から言おうかな(笑)。食べ物も観葉植物もドラマも推しがありますが、なかでも俳優だと吉沢亮さんを推しています。美形はもちろん、原作がある作品の実写化では勝つものがいなくて、なんでも自分のものにしていくところが魅力的です。馬も、推しています(笑)。コロナ禍になる前に、ユウキと乗馬クラブに行ったんですが、そのときの感動がいまだに忘れられなくて、密かにいまも馬を推しています。ユウキ乗馬はすごく楽しかったね。間近で馬の顔を見たら、恐竜並みに大きくて、筋肉もすごく美しくて、毛並みもきれいでした。でも、ユナがそこまで推しているとは(笑)。――おふたりで乗馬に行かれたということですが、外出自粛する前だと、プライベートで4人でどこかへ行ったりした思い出はありますか。マナ東京へ引っ越してきたばかりのときに、4人で東京ディズニーランドに行きましたね。カナ行ったねえー。ユウキそんなこともあったねえ。ユナ夜からのパスポートで。ユウキプーさんの乗り物にみんなで並んだりして。マナこんなに近くにディズニーランドがあるなら行っておこうと、みんなテンション爆上がりで、楽しかったです。――いろいろなお話をありがとうございました。では最後に、今後の抱負をお聞かせください。マナ2022年は寅年なので、弱肉強食を恐れず、ぜーんぶ、寅のように噛みつきまくって、最後は全部笑える年にしたいですね。いままで通り挑戦し続けて、感謝しつつ、刺激ももらう年になる気がします。CHAIの音楽がもっと世界に届くといいなという願いを込めて、これからも活動していきます。取材後記日本のみならず、海外でも活躍されるバイタリティを持ちながら、ポジティブにキュートに音楽を放ち続ける、CHAIのみなさん。ananwebの取材では、マナさん、カナさん、ユウキさん、ユナさんのメンバー全員にいろいろなお話をうかがいました。マナさんいわく寅のように、今後も勇敢に挑戦し続ける、CHAIの音楽を聴かせてくれるはず。そんなCHAIの新作をみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね。取材、文・かわむらあみりCHAIPROFILE双子のマナ(Vo&Key)とカナ(Vo&G)、ユウキ(B&Cho)、ユナ(Dr&Cho)からなる、“NEOかわいい”4人組バンド。2017年、1stアルバム『PINK』が各チャートを席捲、音楽業界のみならずさまざまな著名人からも絶賛される。2018年、アメリカ、イギリスの人気インディーレーベルから海外デビューも果たし、自身のワールドツアーや世界各国のフェスへの出演も精力的に行っている。2019年、2ndアルバム『PUNK』が世界中の音楽サイトで軒並み高評価を獲得。2020年、コロナ禍で活動が制限されるなか6作シングルをリリースし、10月にはUSインディーレーベルSUB POPと契約。2021年5月、3rdアルバム『WINK』をリリース。2022年1月12日にニューシングル「まるごと」、2月2日にリミックスEP『WINK TOGETHER』をリリース。InformationNew Release「まるごと」2022年1月12日配信New Release『WINK TOGETHER』(収録曲)01. Nobody Knows We Are Fun (STUTS Remix)02. PING PONG! feat. YMCK (Busy P Remix)03. END (Confidence Man Remix)04. Miracle (Scoobert Doobert Remix)05. ACTION (with ZAZEN BOYS)06. Donuts Mind If I Do (with Beenzino)2022年2月2日発売取材、文・かわむらあみり
2022年02月04日記念すべき【音楽通信】第100回目に登場するのは、日本のみならず海外でも高い評価を受け世代を超えてリスペクトされ続ける、アーティスト活動40周年を迎えた日本を代表するギタリスト、布袋寅泰さん!14歳のときにロックミュージックと出会った【音楽通信】vol.100日本のロックシーンへ多大なる影響を与えた伝説的ロックバンド「BOØWY」のギタリストとして躍進し、1988年のバンド解散後、アルバム『GUITARHYTHM』でソロデビューを果たした、布袋寅泰さん。以降、国内外でソロアーティストとしてはもちろんのこと、吉川晃司さんと結成したロックユニット「COMPLEX」としての活動や、他アーティストへの楽曲提供やプロデュース、映画やCMへの出演などさまざまなシーンで脚光を浴び続け、数多くのミュージシャンからもリスペクトされ続けている存在です。昨年アーティスト活動40周年を迎えた布袋さんが、2022年2月1日に20枚目のニューアルバム『Still Dreamin’』をリリースされたということで、音楽を始めたきっかけや普段のご様子なども含めて、さまざまなお話をうかがいました。――あらためまして、布袋さんの幼い頃の音楽環境やギターを始めたきっかけから、お聞かせいただけますか?僕は幼稚園からずっとピアノのレッスンを受けていましたが、ピアノは練習曲の連続で譜面通りにしっかり弾くという、基本の練習が長くて少し飽きていた部分もあってやめて。そのあとエレクトーンを習ったら、楽しかったですね。そんな14歳のときに、ロックミュージックと出会ったんです。ロックは自由で、どんな音を出してもいい世界。どんどんロックに惹かれていって、ギターにも興味を持つようになりました。でも、その時代はYouTubeもビデオもない時代だったので、ギターを練習するとしたら、レコードを聴きながら合わせて自己流で練習するしかなかったんですね。それから地元である群馬の高崎で、高校の仲間とバンドを組んだりしながら、17歳でプロを夢見て上京しました。はじめはバンドもなかなかうまくいかず、やりたいことすら見つからないような状況のときに、BOØWYのメンバーと出会い、そこから19歳でライブハウスデビューしたんです。6年間 BOØWYをやっていましたが、売れたのは最後の2、3年。最初はまったく売れず、貧困生活を送っていたときは、毎日マヨネーズごはんを食べていました(笑)。そこから、気がつけば昨年40周年を迎えて、いろいろな経験をしてきましたね。昨年はコロナ禍でライブ活動も制限されたなか、ポーズボタンを押して立ち止まるだけではなく、僕も布袋チームも「制約があるなかでも、やれることを力を合わせてやろう!」という気持ちで行動していました。――私が初めて布袋さんのライブに行かせていただいたのは、約30年前ぐらいの「COMPLEX」の大阪城ホール公演でした。「布袋さんだ!」とそのステージに圧倒されまして……。よく「実在するんだ」とか言われますが(笑)。たとえ当時を知らない方でも、最近ではCOMPLEXの1989年の曲「BE MY BABY」が、2019年に川口春奈さんが出演されていたシャンプーのCMで聴いたこともある方や、映画『キル・ビル』(2003年)のテーマ曲「BATTLE WITHOUT HONOR OR HUMANITY(新・仁義なき戦いのテーマ)」は、いろいろなバラエティでもかかっていますよね。今井美樹さんの「PRIDE」という曲は僕の作詞作曲なので、20代の方でも、カラオケに行ったら歌うこともある曲なんじゃないかなと。僕も若い頃、雑誌『anan』を見ていましたし、ananwebをご覧になる若い読者の方は、世代でいえば僕のライブを見たことがない、アルバムを聴いたことがない方もいるでしょう。もし僕の姿を知らなくても、きっとみなさん、どこかで曲は聴いたことがあると思います。そういう方々にも、ぜひいまの自分を伝えたいですね。ライブをやっていても、昔は男性のファンの方が多かったのですが、だんだん女性も増えてきました。親御さんに小さい頃にライブへ連れてこられた子たちが大きくなって来てくれていて、10代や20代の方も多いんですよ。男性は「布袋―!」とこぶしをあげて野太い布袋コールを変わらず送ってくれるのもうれしいんですが、女性の方は一人ひとりが感じるままに踊ったり、楽しんでくれていたりするのもすごく伝わるので、もっと若い方や女性の方にもライブに来ていただきたいですね。――昨年の「第72回 紅白歌合戦」や「東京2020パラリンピック」開会式にもご出演されて、ロックファンの方は布袋さんの姿を見てうれしかったと思いますし、年齢問わず幅広い層の方々も布袋さんのご活躍を目にする機会となりました。「布袋」という名前を聞くことはあっても、実際にギターを弾く姿を見て、やっと「布袋寅泰」だと一致した方も多かったでしょうね。僕のギタースタイルは尖っていて、鋭角的な曲が多いから、「布袋」というと尖ったイメージの方も多いかもしれません。パラリンピックのときの曲は、このために書き下ろした「TSUBASA」「HIKARI」の2曲ということもあって、普段の僕のライブでは見せない、多くの部分を伝えられるいい機会でした。やさしかったり、力強かったり、すごく高揚する部分と静寂の部分、音楽的なギタリストとしての表情を見せることができましたね。そして紅白も、ソロで出演するのは初めてでしたが、今回はコロナ禍でとにかくみんな疲れていて、年が開けて「またがんばるぞ!」という気持ちになってほしい一心での出演でしたので、伝わるものも大きかったと思います。生まれ故郷の群馬の高崎で制作したアルバム――2022年2月1日に20枚目のニューアルバム『Still Dreamin’』をリリースされましたね。いつから制作されていたのですか。昨年の8月からですね。十数年前からイギリスに住んでいるので、ここ数年はイギリスでの音楽制作が多かったのですが、昨年のパラリンピック前から僕ひとりでロンドンから帰国して一人暮らしをしているので、家族とは7か月会っていないんです。コロナ禍で帰れない、予想のつかない状況になっているから、腰を据えて、いまでこそ伝えたいことも必ずあるはずだということで、今作は日本で制作しました。生まれ故郷の群馬の高崎に戻って、曲を書き始めたんですね。パラリンピックの少し前からです。――アルバムの表題曲でもある、1曲目「Still Dreamin’」は、歌詞もサウンドも鼓舞してくれるような力強い楽曲ですね。今回のアルバムは、コロナや環境など問題が山積みの世界のなかで、1日のスタートを軽快に前向きにスタートしようというメッセージを込めた曲が多いんです。いままでの作品には1度もなかった「ハッピー」がテーマ。能天気な意味合いではなく、とにかくうつむいていては何も始まらない、こんなときこそ音楽を聴いて気持ちをポジティブに、元気になってほしいという思いがあります。「Still Dreamin’」の「Still」は「いまもなお」という意味もありますが、思えば10代の頃にプロになりたくて、いつかギターで世界中を旅したくて、その夢を見たときから、僕の音楽家人生は始まりました。そしていまもなお、人から見ると長いキャリアでいろいろなものをつかんだように見えるかもしれませんが、いまだに「もっと知らない世界に向かって冒険していきたい」という思いがあふれていて。ワールドツアーを成功する夢はかなっていませんからね、いまだに夢を追い続けているんです。10代、20代の頃の気持ちを忘れずに、こうやって60代を迎えることができました。だから、同世代や長年のファンのみなさんはもちろん、さまざまな世代の方にも、ストレートにスッと受け入れていただける曲が多いアルバムになっていると思います。――2曲目「Do you wanna dance?」は、実は40年前に作っていた曲だそうですね。BOØWY時代に作っていた曲ですが、そのときのバンドのやりたい方向性と少しずれていて、そのまま引き出しに閉まったままだったんです。昨年になって、ふとこの曲のことを思い出して「待てよ、いまこそ響く曲なんじゃないかな」と再構築しました。でも瞬間冷凍したように、曲を作ったときの自分の生々しい感触は残っていますし、それが色褪せるどころか、むしろデジタル音楽が主流となりつつある現在、この曲が非常に新鮮に響いたので、アルバムに収録しました。――以前作られた曲も膨大な数をお持ちですよね?そう、だから作った曲はいちいち取っておかないで、ボツになるにはボツになる理由があるので(笑)、そういう曲は捨てますけどね。新しい曲もどんどん生まれてきますし。――この曲に限っては、違ったんですね。そうですね。40周年で原点回帰という思いと、群馬で曲を作っていたということもあって、バンド時代に曲を作っていたときのことも、いろいろと蘇ってきたんですよ。これまで作った曲はメッセージ性のあるものが多くて、とにかく夢をあきらめず、自分らしく毎日を自己更新していこう、というメッセージがおもだったんです。でも今回は、コロナ禍のなかでの家族への思いや自分のなかにあるやさしい気持ちも入っていて、いつもより表情豊かなアルバムですし、4曲目の「Starlight」や5曲目の「コキア」といった女性に向かって歌った曲も多いので、布袋は男のものと思わず(笑)、ぜひ女性も聴いてください。布袋というと、ロックギターの印象から荒々しいイメージかもしれませんが、実はどことなく女性的な部分もあるんですよね。今井美樹さんの「PRIDE」なんて、どこか自分のなかで「ギタリスト布袋」ではなく「ピアニスト布袋」という部分があって、できた曲ですし。ようやくいい意味で、表現力のバランスがよくなってきたところもあるので、これからは柔らかい音楽や、柔らかい気持ちも伝えていきたいですね。――昨年発売されたEP『Pegasus』から、アコースティックナンバーの12曲目「10年前の今日のこと」などの2曲がAlbum versionとして収録されています。「10年前の今日のこと」は、いい曲ですよね。この曲は、ロックダウンのなか、ロンドンの家でひとりでマイクを立てて、録音もすべて自分でやって作りました。“十年ひと昔”という言葉もありますが、東日本大震災から10年ということもありましたし、自分たちがイギリスへ移住してから10年ということもありましたし。母が旅立ったり、愛犬もいなくなったり、そんな寂しいできごとの一方で、娘は今年20歳になります。この10年の間にいろいろなことがありました。でもこの先の10年を考えたときに、きっとこれからAIやメタバースの時代になり、世界は変化していくと思いますが、振り返ったときに「いまの自分がどういうふうに映るだろうか」ということも思ったり。この曲は、前のことを振り返りながら、先のことを歌った曲でもあるんですよね。この曲は、みなさんが自分のことと重ねてじっくり聴いてくれる曲なので、ライブでもこぶしをあげて楽しむものとは違うんです。僕のライブはいろいろな表情がありますから、とくにコロナ禍のライブはみなさん声援は出せない、歌えないという状況。昨年のツアーでは、途中でアコースティックコーナーを設けて、この曲や懐かしい曲をアコースティックギターで披露したら、それが逆にすごく新鮮だったようです。笑っている人がいたり、泣いている人がいたり、こちらもすごく胸が熱くなりました。――ツアーといえば、5月に群馬の高崎芸術劇場から始まる全国ツアー「HOTEI the LIVE 2022 “Still Dreamin’ Tour”」はどんなステージになりますか。今回のアルバム『Still Dreamin’』からの曲や、ライブ映えする曲をやります。加えて、昨年の40周年ツアーは制約があって各会場に半分のお客さんしかご覧になれなかったから、そんなみなさんも含めて久しぶりに以前の曲も聴きたいでしょうし、懐かしい曲も披露します。ベストツアープラス『Still Dreamin’』という感じですね。最初から最後まで、おもしろいツアーになると思います。――さらに2月4日から2週間限定で、映画『Still Dreamin’ ―布袋寅泰 情熱と栄光のギタリズム―』が全国公開となりますが、ドキュメンタリー映画なのですね。僕の40年を辿るような内容になっています。少しファンタジーな部分もあって、自分と自分が向かい合って対話するという、普通のドキュメンタリーとは違う、おもしろい作りなんですよね。いま見るとかわいいもんですが(笑)、ヤンチャで暴れん坊で、でもまっすぐ夢を目指している鋭い目があった若い頃の自分も見れて、昔ながらのファンの方には懐かしい映像もあります。ananwebの読者の方や若い世代の方、僕の名前は知っているけれど僕のことをそれほど知らない方にも、ご覧になっていただきたい。こういう時代だからこそ、音楽が非常に力を持っているということ、また、夢は若者たちだけのものではなく、大人になってもずっと追い続けるものなんだぞ、というメッセージが伝わる映画です。それこそ、ご家族で、親御さんと一緒に見てもけっこう楽しめる映画だと思います。みなさんが元気になる音楽を続けていきたい――アルバムリリースの2月1日は、60歳のお誕生日でしたね。イギリスの家族のもとに帰れないので(笑)、まさか60歳の誕生日をひとりで迎えるとは思いませんでしたね。でも、この日は映画のプレミア上映会があったので、ファンのみなさんとも会えて、ひとりじゃなかったです(笑)。せっかくいい作品を作ったので、ひとりでも多くの人に観てほしいですし、聴いてほしいですし、ここが踏ん張りどきなのでもうちょっとの我慢ですから、がんばります。――音楽活動以外のときの布袋さんのご様子がまったく想像できないのですが、どのように過ごしていらっしゃいますか?そうですよねえ、想像できませんよね。僕は、みなさんがびっくりするぐらい、おだやかな毎日を過ごしていますよ。いまは予期せぬ一人暮らしということもあって、料理も洗濯も掃除も自分でやりますし、花を買うのも好きですし。人目につかないように散歩することもあります。寂しいですが、いまは人に会えないですからね。映画やテレビばかり観ているかといえばそうでもなく、音楽ばかり聴いているかといえばそうでもなく。――お部屋でだらんとされているイメージがまったくないです。いえいえ、そんなときもありますよ(笑)、いつもきっちりしていないです。僕を知っている人たちは、ステージのときだけ、シャキーンとするイメージでしょうね。どちらかというと普段は、ほんわかしたイメージだと思います。いつもみなさんのお目に留まるときは、テレビなど一番オンなときですからね。でも、音楽を聴いてもらえば、僕のイメージの向こう側といいますか、人となりみたいなものも伝わればいいなと思います。――布袋さんは常に日本のロックシーンを牽引し続け、誰もがその背中を追う存在ですが、そのバイタリティはどこからくるものでしょうか。また、夢をかなえるモチベーションを持ち続けるには、どうすればよいと思われますか。夢を目標と置きかえてみても、あまり大きな夢を持ちすぎてもかなわないような気もしますし、かといって、小さな目標は夢と呼ぶにはふさわしくないような印象もありますよね。夢というのは心躍る言葉だけれども、なかなか自分から言葉にできない部分もあると思うんです。止まぬ雨はないわけで、明日は必ず来るわけで、そのときにどんな気持ちで明日を迎えるかが大事ですよね。我慢しなければならないことも多い現代のなかで、立ち止まってじっくり考えることも大事だけれど、ずっと足踏みをし続けるわけにもいかない。やっぱり、一歩前に踏み出す勇気だと思うんです。立ち止まりすぎてもろくなことを考えないですから、扉を開けたり窓を開けたり、同じ通学路や通勤路でも、昨日とちょっと違う気持ちで何かを探そうとすれば、いきいきとする自分もいるはずなんですよね。モチベーションというと、僕は「この先には何があるんだろう?」という好奇心が強くて、ひとつのゴールを超えても「さて、次は何があるか?」と、気持ちを切り替えます。命に関わることではない限り、人生って、どうにかつながっていきますよね。だから、大なり小なり迷った時は、自分のなかの声を聞く。そのほうが、おもしろいことにつながっていくと思うんです。とくに若いうちは、絶対そのほうがいいと思いますし、大人になったときのことを考えなくても、気がつけば大人になっているから。――いろいろなお話をしていただき、ありがとうございました。では最後になりますが、今後の抱負をお聞かせいただけますか。まずは新しく決まった全国ツアーをしっかりやりたいです。そしてコロナ禍によって、予定にあったヨーロッパツアーやアメリカツアーといったワールドツアーの夢が一度閉ざされている部分もあるので、一段落つき次第イギリスに戻って、夢に向かって活動を継続していきたいです。音楽が好きでやっているので、1日でも長くいきいきとみなさんが元気になるような音楽を続けていきたいですし、心身ともにムキムキにはなりたくないですが(笑)、ヘロヘロにはならないように、コントロールしていきたいなと思います。取材後記偉大なるギタリストである、布袋寅泰さん。ananwebの撮影時、布袋さんが部屋に入られる前に、ご準備いただいた幾何学模様のギターを先に拝見しただけでもBOØWY〜COMPLEX〜ソロとそのロックを聴いて育った筆者は息をのみました。「象徴的なあのギターを見るだけで僕だとわかりますし、いろいろな音が聴こえる、歴史を刻んだギター。宝物ですし、僕の身体の一部です」と布袋さん。ステージではカッコよく、お話しされる際はジェントルマンな布袋さんのニューアルバムと映画をみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね。写真・北尾渉取材、文・かわむらあみりヘアメイク・原田忠(資生堂)スタイリスト・井嶋 一雄(Balance)スーツ ¥621,500、シャツ ¥69,300、ベルト ¥99,000、チーフ¥29,700/すべて ブルネロ クチネリ(ブルネロ クチネリ ジャパン株式会社)(問い合わせ先)ブルネロ クチネリ ジャパン株式会社 03-5276-8300布袋寅泰PROFILE1962年2月1日、群馬県高崎市生まれ。日本のロックシーンへ大きな影響を与えた伝説的ロックバンドBOØWYのギタリストとして、1982年にアルバム『MORAL』でデビュー。1988年のバンド解散後、同年にアルバム『GUITARHYTHM』でソロデビューを果たす。また、吉川晃司と結成したユニットCOMPLEXとして1989年にシングル「BE MY BABY」でもデビューし1990年に解散。以降、ソロアーティストとして、そして同時に他アーティストへの楽曲提供、プロデューサー、作詞作曲家としても才能を高く評価されており、映画やCMへの出演などさまざまなシーンで活躍している。クエンティン・タランティーノ監督からのオファーにより提供した「BATTLE WITHOUT HONOR OR HUMANITY(新・仁義なき戦いのテーマ)」 が映画『KILL BILL』(2003年)のテーマ曲となり、世界的にも大きな評価を受け、いまもなお世界で愛されている。2012年よりイギリスへ移住し、4度のロンドン公演を成功させる。2014年にザ・ローリングストーンズと東京ドームで共演を果たし、2015年に海外レーベルSpinefarm Recordsと契約。インターナショナルアルバム『Strangers』がUK、ヨーロッパでCDリリースされ、全世界へ向け配信リリースもされた。2021年にアーティスト活動歴40周年を迎え、日本武道館公演を無観客配信にて開催。また、同公演を完全パッケージした映像作品『40th ANNIVERSARY Live “Message from Budokan”』やEP『Pegasus』をリリース。8月24日には、東京2020パラリンピック開 会式にて「TSUBASA」「HIKARI」の2曲を制作/出演。圧倒的なパフォーマンスが世界中から高評価を受けた。2022年、2月1日に20枚目のニューアルバム『Still Dreamin’』をリリース。2月4日から映画『Still Dreamin’ ―布袋寅泰 情熱と栄光のギタリズム―』が全国ロードショー。5月から8月までは全国ツアー「HOTEI the LIVE 2022 “Still Dreamin’ Tour”」を開催する。InformationNew Release『Still Dreamin’』(収録曲)01. Still Dreamin’02. Do you wanna dance?03. Let’s Go04. Starlight05. コキア06. オペラ07. Pegasus (Album version)08. 理由09. Rock & Soul Music10. Pure11. 世界は夢を見ている12. 10年前の今日のこと (Album version)2022年2月1日発売(通常盤)TYCT-60190(CD)¥3,300 (税込)(初回生産限定盤)60th Celebration EditionTYCT-69229(3CD+フォトブックレット+グッズ)¥6,600 (税込)<付属>・29曲合計約150分 2枚組ライブCD・60Pフォトブックレット・メモリアルピックセット・三面デジパック+三方背スリーブケース仕様。写真・北尾渉 取材、文・かわむらあみり ヘアメイク・原田忠(資生堂) スタイリスト・井嶋 一雄(Balance)
2022年02月03日俳優・タレントの内山信二さんが、昨年9月に第一子の妊娠をブログで報告。そして2022年1月20日に、待望の第一子となる女の子が無事に生まれたことを報告しました! 2019年11月29日に一般人女性、琴(こと)さんと結婚した信二さんですが、今回はご出産間近のタイミングで、2人にインタビューをさせていただくことに。インタビュー最終回となる本日は、信二さんの育休や赤ちゃんが生まれた後のお話など、いろいろ語ってくれました!信二さん、育休は取得せず! その理由は…ー育休についてはいかがでしょうか? 信二さんが育休を取得されたり、お仕事をセーブしたりする予定はありますか? 信二さん:これは出産前から2人で話し合っていて、育休とかは僕は取らないです。お仕事を減らすこともしないですね。なので、フルで仕事をしながら、そのなかでできることがあると思うので、僕ができるときに全力で育児をサポートしていきたいです。 ー琴さんはそれに対して、賛同という感じですか? 琴さん:そうですね。育休は取らないで頑張ってお仕事をしてもらって、働けるときに働いてもらえたらって思っています。娘が少し成長したときに、主人がテレビに映っているところを見てほしくて。それで、主人がテレビの画面に映ったときに、「あっ、パパだ~! 」って指を差しながら娘が言っている姿を1度は見てみたいんです。なので、それまでテレビ業界で頑張ってもらいたいなという気持ちがあります。 ー素敵です。すぐに叶いそうですね! 琴さん:だから、それまで休まずお仕事を頑張って欲しいです(笑)。 ー信二さんはお仕事しつつ、できるときに育児に参加するという感じになるんですね。 信二さん:これはすごくありがたいことなんですけど、お義父さんとお義母さんが「サポートしてくれる」って言ってくれているので、そういう家族のサポートも大きいですよね。これがもし、お義父さんとお義母さんが全然遠いところに住んでいたりして、全くサポートができないっていう状況だったら、考えも変わるんでしょうけど。 ーそうですよね。気軽に頼れる家族が身近にいるって貴重ですよね。 信二さん:たまたまなんですけど、お義父さんの勤務先がうちから近いんですよ。身内の方なので安心して頼めるし、僕自身も何も心配なく仕事に集中できるので助かりますね。 ”家族が大好き♡ ”って思ってもらえるような家庭を築きたいー琴さんの理想のママ像について教えてください。 琴さん:赤ちゃんが女の子ということもあり、主人が恐らく甘々になると思うんですよ。なので、私は叱るところは叱って、多分子どもからしても私が鬼母になるのではないのかなと思っているのですが(笑)怒り過ぎず、やさしい気持ちを持てる子に育てられるようなママになりたいですね。 ーお子さんが生まれたら、やってみたいことありますか? 琴さん:やっぱりいろいろな所へ連れって行ってあげて、いろいろな経験をさせてあげたいですね。それで……若手芸人には会わせないようにしたいです(笑)。芸能界にも入りたいって言わせないようにしたいですね(笑)。 ーそうに思う理由はなんですか? 琴さん:やっぱり主人ですかね。身の回りのことなど、なんにもできなかったので。こういう風にはなって欲しくないなぁと……(笑)。 信二さん:そんなことないよぉ~。 琴さん:本人が「やりたい」って言ったらやらせてあげるしかないんですけど、まぁ好きなように生きてもらいたいなと思いますね。それを私たちが全力でサポートでできればいいかなぁって。 ーどういうご家庭を築きたいですか? 琴さん:明るくて家族愛に溢れているような家庭を築きたいです。私自身が家族と仲良しで家族のことが大好きなので、子どもそういう風になって欲しいなって思います。 信二さん:うちも実家がそうだったんですけど、”家族の時間”というのがちゃんとあって。例えば1日1時間とかでもいいから、家族の時間を大事にできる家庭にしたいなと思っています。僕が仕事のロケとかで家にいられないこともあるかと思うのですが、極力子どもの記念日とかには参加して、家族の時間をいっぱい作れるようにしたいなぁと考えています。 ー先ほどの家族愛のお話にもつながる部分はあるとは思うのですが、”育児でこういうことを大切にしていきたい”というのがほかにあれば伺いたいです。 琴さん:私も主人も初めての子育てになるので、仕事で忙しいことも多いと思いますが、2人でやっていけるようにしたいなって思っています。私は全部自分でやってしまうタイプなんですけど、主人にも頼りたいですね。主人も「自分はできないから」って諦めるんじゃなくて、できないことがあったとしても、挑戦してもらってできるようになってもらって、一緒に育児をしていけたらなって思っています。 信二さん:ただただ楽しみたいなと思っているだけですね。育児はきっと今想像している何倍も大変だろうし、いろいろな苦労もあると思うんですけど、すごく長い目で見たときに、その期間ってわずかじゃないですか。子どもが成長する過程で口答えをするようになったり、親に反抗することもあるだろうと思うのですが、それが終わったなと思ったら、親の元を去っていく感じになると思うんですよ。僕は不器用だから子どものお世話をうまくできないと思っているんですが、できないなりに楽しみながら頑張って育児をしたいなと思いますね。 ー楽しむことって大事ですよね。 信二さん:子育てもそうなんですけど、“子どもの幸せ”って、その子によって違うし、そもそも何が幸せかなんて分からないじゃないですか。子どもに「あなたは幸せでしょ? 」っていうのは親の押し付けだと思うので。ただ、”この家って楽しいな”って子どもが思ってくれればいいなぁと思っていて。そういう家庭を築きたいですね。 ーありがとうございます。では最後に、ママになる方たちにメッセージをお願いします。 琴さん:コロナ禍で妊娠・出産を迷っている方も多いと思うのですが、それ以上に幸せが待っていると思うので、不安はあるとは思うんですけど、そんなに考えすぎないで欲しいです。赤ちゃんが生まれるまでの十月十日、楽しい妊婦生活を送って欲しいなと思います。いろいろ大変ですが、一緒に頑張りましょう! 妊娠・出産インタビューでご夫婦にお話しを伺ったのは、今回が初めてでしたが、お2人ともとても丁寧かつ、アットホームな感じで気さくに取材に応じてくれました。ご出産間近という状況のなか、ご協力くださり本当にありがとうございました! そして、何よりご出産おめでとうございます! これからは、かわいい赤ちゃんと一緒に、仲良しで笑顔の絶えない素敵なご家庭を築いてくださいね♡ PROFILE:内山信二さん1981年9月25日生まれで、東京都葛飾区出身。日本の俳優・タレントで、バラエティー番組やテレビドラマを始め、映画やCM、ラジオ番組など幅広い分野で活躍している。2019年11月29日に一般人女性と結婚し、2021年9月ブログにて第一子の妊娠を報告。2022年1月20日には、待望の第一子である女児が無事に生まれたことを自身のブログとInstagramで報告した。
2022年01月29日俳優・タレントの内山信二さんが、昨年9月に第一子の妊娠をブログで報告。そして2022年1月20日に、待望の第一子となる女の子が無事に生まれたことを報告しました! 2019年11月29日に一般人女性、琴(こと)さんと結婚した信二さんですが、今回はご出産間近のタイミングで、2人にインタビューをさせていただくことに。 配信2回目の本日は、急遽変更になったという出産方法やお2人の馴れ初めなど、盛り沢山な内容でお送りします!自然分娩予定が、帝王切開に変更になって…!?ーご出産方法ですが、昨日更新のInstagramで帝王切開の出産が決まったと拝見しました。帝王切開に決まるまでの詳しい経緯は、どういう感じだったのでしょうか? 琴さん:8カ月くらいのときに逆子が分かって、うちの病院は逆子体操とかをあまり推奨していなくて。首にへその緒がマフラーみたいに巻き付いていたらしく、「自然に治ればいいね」という話をしていたのですが、結局直らず……。「このままだと帝王切開だね」と言われて、結局帝王切開で出産することが決まりました。 ー自然分娩予定だったのが帝王切開に変わり、お気持ちのほうはいかがでしょうか? 琴さん:帝王切開って最初聞いたときは怖かったです。私は盲腸とかもやったことがなく、おなかを切ったことがなかったので、おなかを切って、縫って……というのが大手術のように思えちゃって。ただ、SNSでそういう心境をあげていたりすると、いろんなフォロワーさんだったりママさんたちが、「帝王切開、全然大丈夫ですよ」って教えてくれたんです。だから、今はもう安心しています。 信二さん:琴ちゃんが帝王切開に変更になったということをSNSに上げると、それに対してフォロワーさんがDMやメッセージが届いていたんですけど、正直思っていたより帝王切開の人が多いんだなという印象でした。こんなにいるんだぁって思って。それぞれ皆さんが実体験を教えてくれたので、すごく励みになりました! ー経験者からのメッセージは心強いですよね! では、妊娠してから今に至るまで、"コロナ禍だからこそ大変だったな"と思うことはありましたか? 琴さん:コロナへの感染が一番怖かったので、感染しないように気を付けるのが大変でしたね。主人も仕事上いろいろな人に会う機会が多いので、お互い気を付けたりとか、妊娠初期は少し神経質になっていた部分があったので、主人に対して「うがいした? 」「手洗った? 」「すぐお風呂入って! 」ってわりと言っていましたね。あとは、コロナ禍だから大変というのではないですが、初期からつわりがなかったので、おなかで本当に赤ちゃんが育っているのか? という心配はありました。つわりが大変な人も多いと思うので、なかったのはありがたいことではあるのですが……。つわりがあると、赤ちゃんがおなかの中にいるだっていう安心感につながると思うんですけど、本当になかったので不安でした。 ーお話しを聞いていると、コロナ禍だからとか特に関係なく、琴さんの妊娠中のメンタル的がわりと落ち着いているというか、感情の起伏などがあまりなく、不安や葛藤もなかったような印象なのですが、いかがでしょうか? 琴さん:特にメンタル的な浮き沈みはなかったです。子どもを授かったことが本当にうれしかったので、そっちのほうが勝ったのかなぁと。 ー信二さんはいかがでしょうか? 信二さん:初産ということもあり、不安は不安だったんですけど、正直言うと子どもを授かれたことが本当にうれしくて。というのも、もともと自分は結婚できないだろなって思っていたんですよ。30代半ばくらいにもう結婚を諦めたこともあったので。なので、琴ちゃんと出会って結婚ができて、子どもを授かることができたっていうのがすごく幸せで。僕も喜びのほうが勝っているという感じでした。 琴さん:子どもが生まれると、そのあと2人でいる時間が少なくなっちゃうなぁっていう寂しさはありますけど、それくらいですかね。そんなに落ち込んだことはないよね? 信二さん:そうだね。ないかなぁ。しょうがないですよね。コロナって見えない敵ですし。対策はもちろん大事だけど、「不安だ、不安だ」って思いすぎるのは良くないと思うんですよ。それよりも今子どもを授かったことを楽しんだり、喜んだりしたほうがいいと思うんですよね。 コロナ禍で増えた夫婦の時間は、2人の絆を深めてくれたーコロナ禍に妊娠したことで、何か気付きや発見などはありましたか? マイナス面、プラス面があれば教えてください。 信二さん:マイナス面は、予定していたことが何もできなくなってしまったということです。結婚式も挙げられず、新婚旅行も行けていないので。プラス面は、2人の時間ができたということですかね。もともとロケのお仕事が多かったんですけど、コロナの影響でロケのお仕事がなくなったりして、家にいる時間が増えたんです。そういうこともあり、夫婦でYouTubeを始めてみたんですけど、コロナがなければYouTubeも始めていなかったかもしれないし。2人の貴重な時間が充実して過ごせたというのは、プラス面だと思います。琴ちゃんは2人の時間が増えたことでうんざりしたかもしれないけど(笑)、僕は結構楽しかったんで。 ー琴さんはいかがだったでしょうか? 琴さん:正直うんざりしたときもありましたね(笑)。主人は家でも外でもずっとしゃべりっぱなしで変わらないから、疲れちゃうこともありましたけど、夫婦で同じ時間を共有することで2人の仲が深まったのかなと思います。コロナ禍以前はこんなに休みがあることもなかったんですよ。私たちが結婚してからすぐくらいにコロナ禍になってしまったんです。結婚式や新婚旅行を済ませてから妊娠……と、本当は段階を踏みたかったんですけど、結局全部予定が白紙になってしまって。でも「コロナ禍で旅行も式も挙げられないから、妊娠を先にしようか? 」「結婚式はまだまだ先だね」とかって夫婦のこれからのことを話し合う時間が十分取れたので、それはそれでよかったのかなと思っています。 ー仲が深まるのはすごく素敵ですね。ちなみに両親学級は参加されたりしましたか? コロナ禍なので、オンライン開催でおこなっているところもあると聞きますが。 信二さん:申し込んだんですけど、定員オーバーだったり、僕のスケジュールとなかなか合わなくて参加できなかったんですよ。なので、赤ちゃんが生まれたら子どもを3人育てた琴ちゃんのお母さんに聞きながら、お世話をできればと思っています。 ー里帰り出産については、いかがでしょうか? 琴さん:もともと東京から実家が近いのですが、コロナ禍ですし県をまたぐのはやはり抵抗がありました。また、それ以前に里帰りで私が実家に帰ってしまったら、主人が「ご飯はどうしたらいいの? 」ってなってしまうので……(笑)。なので、母親と父親がこっちに来てくれることになりました。 信二さん:僕も仕事で地方に行ったりしなくちゃいけないので。お義父さんとお義母さんには出産してから1カ月くらいは、泊まり込みでこっちに来てもらうことになっています。 アプローチは琴さんから!? 内山夫妻の馴れ初めは…ー妊娠を機にメンタル面での変化はありましたか? 琴さん:10カ月くらい妊婦生活を送っていますが、気持ちが沈んだり落ち込んだすることもなく、楽しみだなぁって思うことが多かったですね。お互い子どもが好きなので、どんな子育てをしていこうか? と話をしたりとか、将来のことについて話している時間がすごく楽しくって。出産への不安ももちろんありますけど、早く生まれて欲しいっていう気持ちが勝っていましたね。 ー信二さんは琴さんの妊娠を機に、メンタル面の変化はありましたか? 信二さん:まだ実感がわかないというのが、正直なところですね。もちろん、妊娠を知ってからうれしさはありましたけど。ただ、僕自身”父親としてこうあるべきだ”みたいなのはあんまり好きじゃなくて。生まれてみないとその子自身がどういう子かも分からないですし。ただ、子どもが生まれたらいろいろな所へ行ったり、いろいろな経験をさせてあげたいなって思うようになりました。 ーありがとうございます。それでは、妊娠後にご夫婦の関係性で何か変化したことがあれば教えていただきたいです。 信二さん:2人の関係性と言うか、どちらが主導だったのかを分かりやすく数字で言うと、付き合いたてのころは僕が10で完全に主導という感じで、それに対して琴ちゃんは0だったんです。でも、付き合っていくうちに(信二さん)7:(琴さん)3になり、(信二さん)5:(琴さん)5になり、結婚した時点で(信二さん)2:(琴さん)8になり、子どもが生まれたらもう(信二さん)0:(琴さん)10だよね? 付き合い当初は0だった琴ちゃんですが、これからは完全に主導になる感じだと思います(笑)。 ー数字が随分と変わりましたね! 信二さん:もともと琴ちゃんの一目惚れから付き合うことになったので、当時は僕の立場が今と真逆だったんですよ。琴ちゃんが「好き! 好き! 」っていう感じだったので。 ーえっ!? それは意外でした。信二さんのどんなところに惹かれたんでしょうか? 琴さん:明るくて人が良さそうだなっていうのから最初入って……(照れ笑い)。 信二さん:ちゃんと答えなきゃ、取材なんだから。もともと琴ちゃんが僕じゃない違うタレントさんの専属のメイクのアシスタントをやっていたんですよね。それでたまたま、そのタレントさんと僕が共演する機会があって。それでそのとき、スタジオに入って行く僕を見たとき……どう思ったんだっけ? 琴さん:かっこいいなぁと思って……(照れ笑い)。 信二さん:そうなんですよ。うん、うん。もう王子様が入って来たと思ったらしいですよ? 琴さん:(照れ笑いをして、顔を手で仰ぎながら)。あっつ(笑)! 一同:(笑)。 ー素敵ですね! 信二さんは琴さんの第一印象はいかがでしたか? 信二さん:琴ちゃんが自分のメイク担当とかでもなかったし、僕は全然覚えていないんです。だから第一印象って全然ないんですよ。特にしゃべったりもしていないので。 ーそうですか。でも、琴さんから愛されて今に至っているというのは、凄く幸せですね。 信二さん:はい。でも、それが付き合っていくうちに真逆になっていくっていうね(笑)。 琴さん:それが仲良く夫婦生活を送る上での秘訣なんだと思います。奥さんが強いほうがうまくいくのかなって(笑)。 お2人が配信しているYouTubeやInstagramなどを拝見していたこともあり、内山ご夫妻の仲の良さは取材前から感じていましたが、取材時も本当に2人の息がぴったりでした! インタビュー中、琴さんが言葉に詰まってしまうと、さり気なく信二さんがフォローをしていて、とっても素敵なご夫婦だなぁと思いました♡ さて、明日の配信はインタビュー最終回です! 信二さんの育休についてや、お子さんが生まれてからのお話しを伺っています。最後までお見逃しなく! PROFILE:内山信二さん1981年9月25日生まれで、東京都葛飾区出身。日本の俳優・タレントで、バラエティー番組やテレビドラマを始め、映画やCM、ラジオ番組など幅広い分野で活躍している。2019年11月29日に一般人女性と結婚し、2021年9月ブログにて第一子の妊娠を報告。2022年1月20日には、待望の第一子である女児が無事に生まれたことを自身のブログとInstagramで報告した。
2022年01月28日俳優・タレントの内山信二さんが、昨年9月に第一子の妊娠をブログで報告。そして2022年1月20日に、待望の第一子となる女の子が無事に生まれたことを報告しました! 2019年11月29日に一般人女性、琴(こと)さんと結婚した信二さんですが、今回はご出産間近のタイミングで、2人にインタビューをさせていただくことに。3日間連続で配信させていただきます。配信1回目となる今回は、赤ちゃんを授かるまでの過程や受けた治療、妊娠・出産までのあれこれについて、いろいろとお話を伺っています。 授かれてとにかくうれしい! 顕微授精にて妊娠が判明し…ーご出産を控えているとのことですが、現在体調のほうはいかがでしょうか? 琴さん:もともとつわりがまったくなくって、妊娠初期のころから変わらず今も元気です。 ーそうなんですね。では、体調面やメンタル面でつらくなったりしたことはありましたか? 琴さん:体調面は本当になにもなくって。食欲が増したくらいかな。主人がいろいろなサポートを結構してくれていたので、内面的には全然大丈夫でした。 ー初めて妊娠が分かったときは、どんなお気持ちでしたか? 琴さん:とにかくすごくうれしかったですね。今回、体外受精での妊娠だったんです。年齢が主人と6つ違うのですが、私も年齢が年齢だったのもあって……。 ー信二さんは妊娠が判明したとき、どんな気持ちでしたか? 信二さん:とにかく誰かに言いたくて! ただ、授かったといっても、もちろん安定期でもないので、とりあえず安定期に入るまでは言わないでおこうと思っていました。ただ、あまりに言いたいので、外に向かって「言いたいーーー!! 」って叫んだりしていました(笑)。素直にそれくらいうれしかったですね。 ー妊活をされていた期間はどれくらいになるんですか? 信二さん:すぐなんですよ。 琴さん:半年くらいだっけ? 信二さん:半年というか、本当は結婚式を挙げてから、妊活に入ろうって話でいたんですが、コロナ禍で結婚式自体が2回も延期になってしまって。正直コロナがいつ落ち着くか分からないし、式もいつ挙げられるか分からないから、とりあえず先に妊活をしてみようというとになったんです。妊活をしていく過程で、結果的に自分たちは体外受精になったのですが、1回目に体外受精を受けたところ、子どもを授かったんです。 琴さん:わりとすぐに子どもを授かることはできましたが、クリニックに通っているときは、メンタルとかいろいろ大変でした。そういう病院に行くのも初めてだったので、病院の空気感に押されそうになったりとか……。子どもができるか不安というのも一番あったので、そこがプレッシャーでしたね。 ー検査をされてから、体外受精という流れだったのでしょうか? 琴さん:そうです。私たちは顕微授精って形だったんですけど、2人とも卵子と精子を採るという感じで。「その方法しかない」という状態だったので。ただ、それをおこなうにあたって検査が沢山あったりとか、毎週のように血液を採ったりとか大変でしたね。 信二さん:採卵が一番大変だったよね? 琴さん:そうなんです。痛くてすごく大変でした。 ーご一緒に検査を受けるなど、お2人で通院をされていたのでしょうか? 琴さん:一緒に行く日もあったんですけどコロナ禍だったので、病院側も「奥様だけ来てください」という感じでした。一緒に行ったとしても、主人が外で待たされる状態で。そういう部分では、少し心寂しい部分はありましたね。 ー信二さんは治療を受けることに対して、どのような気持ちで臨まれていたのですか? 信二さん:とりあえずやってみるかという感じでした。ただ、これで子どもが授かれるのか? ということはずっと疑問に思っていましたが、琴ちゃんにプレッシャーになって欲しくないなとは思っていて。結果が伴わなかったときにショックを受けるのは嫌だったので、あまり重く受け止めて検査をするのではなく、こういう言い方が正しいか分からないのですが、「とりあえず1回目を受けてみようよ」という軽い気持ちで治療を受けました。 琴さんの妊娠で、信二さんのレベルがUP…!?ー琴さんの妊娠が分かってから、信二さんがサポートをおこなっていたということですが、どのようにおこなっていたのか、具体的なエピソードがあれば教えていただけますか? 琴さん:本当に主人は一般の男性ができる基本的なことができなかったんですよ。例えば、お買い物を頼んだら全然違う物を買ってきたり、物が探せなかったりとか。あとは洗濯ができなかったり、掃除機がかけられなかったりと、身の回りのことができなかったんです。ただ、妊娠がわかってからは洗濯ができるようになったり、掃除機がかけられるようになったりと、以前できなかったことができるようになってくれて。それがすごくありがたかったです。私が妊娠したことで、主人がちゃんとした人間になれたかな? っていう(笑)。 ーそうなんですか! では、信二さんに質問なのですが、以前できなかったことが琴さんの妊娠を機にできるようになったのはどうしてでしょうか? 信二さん:”極力できることはサポートしたい”という思いから、できるようになったんだと思います。きっとベビーカレンダーの読者のママさんからしたら、「そんなこと、できて当たり前だよ」って言われそうなんですけど(苦笑)。家事や手伝いといったことを本当に今までやってこなかったので、僕にとって“できなかったことができるようになった”というのは、大きな進歩だと思っています。 琴さん:おなかが大きくなってくると靴下が履けなかったりするんですけど、そういうときは手伝ってくれるようになりましたね。腰が痛いとマッサージしてくれたり。“私が言えば”やってくれるようになったので、ありがたいです。 信二さん:「言えば」ってところにトゲを感じるなぁ。”言われる前にやってよ”っていうメッセージが隠れているような……(笑)。 ー(笑)。今のお話を聞いていると、妊娠前は家事や家のことなどは、全部琴さんがやっていたんですよね? それに対して「なんで私がこんなにやらなきゃいけないの? 」と思うことはなかったですか? 琴さん:主人がそういう人だなぁっていう頭があったのと、多分私が世話好きなんですよね。これまでは「自分でやっちゃったほうが早いな」っていう部分があったので、手伝ってもらうことはなかったです。ただ、妊娠を機に体が思うように動かなかったりして、主人に頼むことが増えたんですけど、そしたら徐々に「言えばやってくれるんだ! 」ってなって。できなかったことができるようになるという成長が見られたので、なんだか”大きい子どもを育てている”という感覚でした(笑)。 立ち会い出産を楽しみにしていた信二さん。残念ながら叶わず…ー今回のご出産はコロナ禍での妊娠・出産ということですが、コロナ禍での妊娠・出産に対して、お2人はどう思っていましたか? 琴さん:コロナ禍の出産は正直不安でした。やっぱり自分自身がかかっちゃうのも怖いですし、主人も仕事をしている人なので、移動があったりするから、どこかでうつっちゃったら怖いなぁっていうのがあって。ただ、今は医療がすごく発達しているし、私は子どもを授かれたのが本当にうれしかったので、”コロナ禍だから”というのは関係ないかなぁと思いました。 信二さん:もちろん不安はありますけど、コロナ関係なく初産はみんな不安だと思うんです。ただ、こういう状況がずっと続いていたので、最低限ですがちゃんと対策はしていますし、子どもは授かりものだと思うので。時期も選べないから、しょうがないかなって感じですね。ただ、本当は立ち会い出産をしたかったんですよ。産まれる瞬間に立ち会って、赤ちゃんの産声を聞いて……っていうのを楽しみにしていたんですけどね。コロナ禍なのでうちの病院では立ち会い出産ができなくなってしまって。思い描いていたバースプランとかけ離れてしまったのは残念でしたね。 ーそうなんですか。ちなみに立ち会い出産ができないというのは、いつごろ決まった感じでしょうか? 琴さん:もともと自然分娩で出産予定だったんですが、去年までは立ち会いが1時間だけ大丈夫だったんですよ。ただ、出産してから1週間入院するんですけど、もともと面会は一切できないという感じで。なので、1時間の立ち会い出産が終わったら、旦那さんは分娩室を出てください。退院のころにまた迎えに来てくださいねという感じで言われていて。 信二さん:今年に入ってから「今後コロナの患者さんが増えた場合は、全く立ち会いができなくなる可能性があります」というのは言われていたので、オミクロン株が増えないことを願っていたんですが、増えてしまって……。 琴さん:それで今年に入って、私たちの病院は立ち会いができなくなってしまったんです。面会ももちろんダメで。 信二さん:本当はすごく立ち会いたかったし、残念です。正直予定日は休みを取って、立ち会うつもりでいたんですけど……。 ーそうでしたか。立ち会えないのはとても残念ですが、当日は琴さんにエールを送る感じになりますね。 信二さん:そうですね。ただ、朝分娩室に入る前に琴ちゃんにちょっとだけ会えるので、そこでエールを送ります。あとは出産後、赤ちゃんが運ばれる2秒くらいは見られるらしいので、その2秒を見て、琴ちゃんが分娩室から出る瞬間に「お疲れ様! 」って声を掛けたら、すぐその場を後にしなくちゃいけないそうなので、その予定でいます。 ーコロナ禍の妊娠期間中、手洗い・うがい・消毒が基本的なことになると思うのですが、そのほかで気を付けていたことはなんですか? 琴さん:安定期に入るまでは極力出かけないようにして、家にほとんどいましたね。つわりがなかった分すごく元気だったので、お友だちに会って妊娠の報告を直接したかったんですけど、どこで感染するか分からないし怖くて。また、ちょうど妊婦さんが出産間近でコロナに感染してお子さんを亡くしちゃったというニュースを見ていたのもあり、外出をしないように徹底していました。安定期に入ってからは感染状況を見ながら、タイミングを見計らって外食することもたまにはありましたが、完全個室のお店とか、極力人と会わないでご飯を食べられる所を選ぶようにしていました。 信二さん:仕事以外は極力外に出ないようにしていましたね。仕事も車で行ける距離であればできるだけ車移動をして、仕事先でもなるべく人と接しないようにするよう心がけていました。 今回ご夫婦で取材に応じてくださった内山夫妻ですが、終始仲睦まじい姿が微笑ましかったです! お2人ともコロナ禍で思うようにいかないこともあったようですが、それよりも「子どもが授かれてうれしい」という共通の気持ちが、取材時にすごく伝わってきて、とてもホッコリしました。配信2回目となる次回は、出産方法やご夫婦の馴れ初めなどについてです。お2人が付き合ったのは、信二さんからではなく、琴さんのアプローチからだったようで……!? ぜひ明日の配信もお楽しみに♪ PROFILE:内山信二さん1981年9月25日生まれで、東京都葛飾区出身。日本の俳優・タレントで、バラエティー番組やテレビドラマを始め、映画やCM、ラジオ番組など幅広い分野で活躍している。2019年11月29日に一般人女性と結婚し、2021年9月ブログにて第一子の妊娠を報告。2022年1月20日には、待望の第一子である女児が無事に生まれたことを自身のブログとInstagramで報告した。
2022年01月27日【音楽通信】第99回目に登場するのは、プライベートレーベルを設立するなど、結成15周年を迎えて、さらなる飛躍を遂げようとしている4人組ガールズバンド、SCANDAL(スキャンダル)!ボーカル&ダンススクールでバンドを結成写真左から、TOMOMI(B&Vo)、HARUNA(Vo&G)、RINA(Dr& Vo)、MAMI(G&Vo)。【音楽通信】vol.992006年に大阪で結成された、HARUNA(Vo&G)さん、RINA(Dr&Vo)さん、MAMI(G&Vo)さん、TOMOMI(B&Vo)さんからなる4人組ガールズバンド、SCANDAL。2009年にシングル「少女S」でレコード大賞新人賞を受賞、国内外問わずさまざまな場所でコンサートを行い、メンバー全員がボーカルを務めるなど、その力強いパフォーマンスで人気を博しています。そんなSCANDALが、2022年1月26日にアルバム『MIRROR』をリリースされるということで、音楽的なルーツなどを含めて、メンバーからHARUNAさんとRINAさんにお話をうかがいました。――小さい頃に憧れていたアーティストから教えてください。HARUNA小さい頃から聴いていて、音楽をやろうと思ったきっかけになったアーティストは、安室奈美恵さんです。もともと小室哲哉さんのサウンドがすごく好きで、小さい頃からgloveやhitomiさんなどの小室さんが作った曲をカラオケで歌いながら、「歌って楽しいなあ」と思いました。RINA 小さい頃は、母親の影響で浜崎あゆみさんの曲をたくさん聴いていましたね。他にもEvery Little Thingといった、女性ボーカルの曲がすごく好きでした。それからだいぶん経ってから、歌とダンスのスクールに通うようになって、SCANDALのメンバーとも出会って。スクールの先生が歌やダンスだけでなく、楽器演奏もすすめてくれたので、そこで初めてバンドの音楽や楽器に触れるようになって、気づくとバンドマンになって15年経っていました(笑)。――2006年に大阪でバンドを結成され、2008年にシングル「DOLL」でメジャーデビューされましたね。この15年を振り返っていかがですか。HARUNA長くやってきたなあと(笑)。15年経ってやっとバンドをやっていること、バンドマンでいることが心地よくなってきました。もともとボーカル&ダンススクールでのバンド結成という特殊なきっかけから始まっているので、それ以前の自分と、バンドを始めてからの自分との差を感じてしまうことも多くて。でも、やっとこの2、3年でそういう自分との差がなくなってきた気がします。――それは何か気持ちが切り替わる出来事があったのですか。HARUNA私が30代になったことが大きいと思います。20代の10年間は、オンオフ問わず、いつも完全にギアを入れた状態でバンドをやっていたといいますか。また違う人格を自ら作り出していたような感覚があって、なかなかそういう自分で10年ぐらい続けていると、心がしんどくなってしまうこともありました。でも、これから長くバンドを続けていこうと思ったときに、ありのままの自分でいるのが、一番大事なんだなと30代になってようやく気づき始めました。過去の自分を否定しているわけではなく、生きていることすべてに意味があると思っているので、これまでのいろいろな経験を経て、やっといますごくいい自分にたどり着いた気がしています。RINA 私はこの15年、シンプルに同じメンバーで、ずっと音楽ができていてうれしい気持ちでいっぱいですね。やり続ける度にバンドが大事になっていますし、楽しくなっています。いま自由に自分たちの個性を認めながら、楽しくナチュラルに音楽ができていると思うので、いまが一番楽しいですね。自分たちや時代と向き合って作ったアルバムHARUNA(Vo&G)。1988年8月10日生まれ、A型。――2022年1月26日に10枚目のアルバム『MIRROR』をリリースされます。まずは今作が仕上がっての手応えから、お聞かせください。HARUNAできてよかったーっ! という感じです(笑)。コロナ禍に入ってから、アルバムの制作がなかなか進まなかった時期もあったので、自分たちの心境の変化とともに完成していったアルバムだといえますね。――1曲目「MIRROR」はアルバムのタイトル曲でもありますが、もっとも今作を表す楽曲となりますか。RINA そうですね、収録曲のなかで最後に書いた曲でもあります。光や、自分たちが感じる女性の柔らかさやしなやかさ、繊細さみたいなキーワードを象徴するワンワードをずっと探していて、なかなかタイトルが決まらないなか最後に「MIRROR」という言葉に辿り着きました。これまで音楽の活動がストップした時期もありましたし、世界全体でいろいろな変化のあった時期に、どういうふうに音楽を続けたらいいかもすごく考えて、自分たちそして時代と向き合って作ったアルバムという意味でも、「MIRROR」というタイトルがすごくしっくりきて。リード曲にもなっていますし、このアルバムを象徴する曲でもあると思います。――4曲目「彼女はWave」はRINAさん作詞作曲の楽曲となり、それ以前の曲とはガラリと雰囲気が変わりますが、どんなイメージで作られましたか。RINA 波のように自由に生きている女の子をテーマにして作った曲なのですが、初めてひとりでDTMで作った曲で、家で打ち込みをしながら制作していった作業も新鮮で楽しくて。デモには私の作った仮歌を入れていたんですが、みんなに聴いてもらったときに「これ、RINAが歌っちゃえば?」となって、久しぶりにボーカルもやらせていただいた曲になりました。――7曲目「夕暮れ、溶ける」はHARUNAさん作詞作曲の疾走感のある楽曲ですが、どのようなシチュエーションから生まれた楽曲ですか。HARUNAこれはまず「夕暮れ」「溶ける」というワードが、夕方に犬の散歩をしていたらふと思い浮かんできました。表現としては違和感があると思いながら、でもワードが妙にグッときたといいますか。うまく言葉では説明できないけれどなんかいいな、という感覚は世の中にたくさんあるなあって、そんな感覚や潔さをうまく表現できればと思ってできた曲です。――ではいつも曲を作られるときは、インスピレーションで作られるのですか。HARUNA曲にもよるのですが、今回は1曲作ろうと思って机に向かったというよりは、何気ない日常のなかでふっと言葉が降りてきた感覚を大事に作ってみました。RINA 私の場合は、作詞作曲するときは、作ろうと思って机に向かうタイプです。バンドのなかで歌詞だけ書くことが多いので、好きな歌詞を書き溜めてみたり、ギターのMAMIがメロディを書いてくれることが多いのですが、そこに歌詞をのせていくパターンも多いですね。HARUNA今回のアルバムに関しては、初めてライブを意識しないで作ったかもしれません。RINA(Dr&Vo)。1991年8月21日生まれ、B型。――これまではライブに向けて曲を書くことが多かったのですか。RINA ほとんどライブに向けて曲を書いていて、ライブでお客さんに会って、それがインスピレーションになっていることが多かったんです。でも、コロナ禍でライブの機会がなくなって、今回は曲を書き始めるのが大変でした。だからこそ、自分と向き合う時間がたっぷりあって、自分たち自身を肯定する曲が多くなったんです。人に何かを発信するよりは、自分を発散する感覚、そんな曲が多いなと。あとはテンポを落としたものを作ろうと思って制作しました。HARUNAサウンドにいい丸みがある感じに仕上げたいなって。たっぷり時間をかけて作れたので、いままでとは全然違う意識でも作れた作品だと思います。――そうやって制作されてきた今作は、どんなふうに聴き手に聴いてほしいですか。RINA 仕上がってみて自分たちも気づいたのですが、あまりこの曲はこういう意味です、とかこういうことを言いたいです、とか答えがないような楽曲が多くて。だから、聴き手に委ねたいですね。その人の状況やライフスタイルによって伝わることが違うと思うので、好きに受け取ってくれたらうれしいです。一回振り切ってこういうアルバムを作ってみたかったので、やれてよかったですし、大事な一枚になりました。HARUNAバンドマンでいると、たまに年齢や性別を自分で忘れてしまう瞬間があるんですが、今回はちゃんと30代の女性として、一人の人間として向き合った中でできた作品がたくさんあります。なので、わたしたちをより身近に感じながら、聴いてもらいたいなと思います。――3月12日からは「SCANDAL WORLD TOUR 2022“MIRROR”」と題した全国ツアーを6月まで開催。7月からはノースアメリカツアー、9月からはヨーロッパツアーと、海外でもツアーをまわりますね。RINA 久々にワールドツアーができることがうれしくて、海外のお客さんもたくさんいるので、アルバムをどういうふうに聴いてくれているのかなと、ワクワクしながらまわることになりそうです。ホールも似合いそうなアルバムなので、すごく楽しみですが、ステージの内容はまったく考えていないので詳しく言えません(笑)。ワールドツアーとついたタイトルが自分たちらしいなと思うので、これがやっと戻ってきたな、と思いました。――日本と海外ではパフォーマンスに違いなどはありますか。HARUNAそんなにないですね、現地の言葉を教えてもらって、挨拶するぐらいです。RINA 日本語で歌うしね。HARUNAそう。国によって、お客さんの反応はさまざまだったりしますが、コロナ禍になって海外のライブがどういうふうに変化しているかはわからないので、それは行ってみてのお楽しみだなと思っています。ナチュラルな4人でずっと音楽をやり続ける撮影:ヤオタケシ――おうち時間が長引く現在、ハマっていることはありますか。HARUNA自粛期間にハマったのは、K-POP。BTSからハマって、NCT、ENHYPENとか、いろいろなアーティストの曲を聴いています。十数年前もよく聴いていたんですが、近年のK-POPブームにのってこうしてまた聴き始めたり、韓国チャンネルを予約してドラマを観たりすることも。最近はCSチャンネルでしか観られないドラマなのですが『マウス』(2021年)というサスペンスドラマが面白くてハマっていますね。RINA 叶姉妹のポッドキャストがすごく面白くてよく聴いています。おふたりのトークがすごく親しみやすい感じもありますし、違う世界の人の話を聴く楽しい感覚もありますし、人間力のあるおふたりのお話を聞くと満たされますね。あとはkemioくんのポッドキャストも聴くことがあります。多彩なゲストの方が来ていて、違う職業の方のお話を聴くのもすごく好きなので、力をもらいました。――おふたりのお気に入りのコスメやファッションもお聞かせください。RINA ヴィーガンコスメブランド「mirari(ミラリ)」のパックがお気に入りです。成分がやさしいもので、いろいろな肌質に合う種類もあって、パッケージもすごくかわいいんですよ。ファッションは、ヴィンテージショップでお買い物するのが好きで、古着もエコだからそれもいいなと。新しい洋服にないサイズもあるので、面白いですし、よくヴィンテージショップに行きます。HARUNAずっと使い続けているのは、韓国コスメ「Dr.jart(ドクタージャルト)」のシカペアクリーム。何本もリピートして使っていて、季節を問わずにお肌がなめらかになります。ファッションのこだわりはあまりないのですが「MM6(エムエムシックス)」や「TOGA(トーガ)」あたりのクールでちょっと形が変わった洋服をよく選びますね。――いろいろなお話をありがとうございました。では最後に、今後の抱負をお聞かせください。RINA 2022年は、遊び心を大事にしたいです。いままでバンドだけの人生という感じでここまで来たのですが、昨年後半は違う職業の友人と会ったり遊んだりして癒され、リフレッシュできて、刺激をもらって過ごしました。そういう時間を今後も増やしていけたらいいなと思っています。バンドとしては、いまが最高の状態だと思うので、この状態が続いたらいいなと。ナチュラルな4人でずっと音楽をやり続けたいですね。HARUNA私も仕事とプライベートのメリハリを大事にしたいです。RINAと一緒で、この10年ぐらいはずっと仕事モードだったので、旅行したり、家で犬と過ごす時間を大事にしたいです。プライベートの時間で生まれる心の余裕みたいなものを、ちゃんと音楽に反映していきたいな。ライブをすることも楽しくて大好きなので、これからも少しずつやっていきたいですし、そういう幸せな日々をいっぱい増やしていきたいですね。取材後記女子中高生のときにバンドを結成し、15年間、駆け抜けてきたSCANDALのみなさん。ananwebの取材では、HARUNAさん、RINAさんに登場していただき、新作や普段のご様子までうかがうことができました。30代に突入し、自然体になったみなさんが放つこれからの音楽も期待大です。そんなSCANDALのニューアルバムをみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね。取材、文・かわむらあみりSCANDALPROFILEHARUNA(Vo&G)、RINA(Dr&Vo)、MAMI(G&Vo)、TOMOMI(B&Vo)からなる4人組ガールズバンド。2006年8月、大阪のダンス&ボーカルスクール所属の女子中高生4人で結成。2008年、メジャーデビュー。翌年にはシングル「少女S」でレコード大賞新人賞を受賞。国内外問わずに多くのフォロワーを持ち、世界中でコンサートを実施。2019年、プライベートレーベル「her」を設立。2022年1月26日、10枚目のアルバム『MIRROR』をリリース。3月から全国ツアー「SCANDAL WORLD TOUR 2022 “MIRROR”」を開催。InformationNew Release『MIRROR』(収録曲)01.MIRROR02.eternal03.愛にならなかったのさ04.彼女はWave05.愛の正体06.アイボリー07.夕暮れ、溶ける08.蒼の鳴る夜の隙間で09.プリズム10.one more timebonus track1. Living in the city2. SPICE2022年1月26日発売*収録曲は全形態共通。(通常盤)VICL-65653(CD)¥3,300(税込)(初回限定盤A)VIZL-2001(CD+DVD)¥4,400(税込)<初回限定盤A付属内容>DVD「SCANDAL DOCUMENTARY “her” Diary 2021 SPECIAL EDITION」*ドキュメンタリームービー。(初回限定盤B)VIZL-2002(CD+雑誌)¥4,400(税込)<初回限定盤B付属内容>雑誌「”her” Magazine Vol.3」(完全生産限定盤)VIZL-2003(CD+DVD+GOODS)¥11,000(税込)<完全生産限定盤付属内容>DVD:MUSIC VIDEO CLIPS (「Living in the city」「SPICE」「月」「eternal」「アイボリー」「one more time」を含む計7曲を収録)、GOODS:MIRRORロングスリーブTシャツ(L size)。取材、文・かわむらあみり
2022年01月23日【音楽通信】第98回目に登場するのは、声優としてアニメやゲームなどで数多くの作品に携わりながらも、音楽活動やドラマ出演でも注目を集める、増田俊樹さん!高校生の頃に聴いたロックサウンドが音楽的ルーツ【音楽通信】vol. 992011年から声優活動を本格的にスタートし、『アイドリッシュセブン Third BEAT!』和泉一織役、『僕のヒーローアカデミア』切島鋭児郎役、『ヴィジュアルプリズン』ディミトリ・ロマネ役ほか、洋画の吹き替えやナレーション、舞台など、数多くの作品で活躍中の増田俊樹さん。アーティストとしては、2019年から音楽活動をスタートされた増田さんが、2022年1月26日に1stシングル「Midnight Dancer」をリリースされるということで、お話をうかがいました。――声優では2011年に『遊戯王 ZEXAL』(2011〜14年)で初レギュラーを獲得され、2013年にアニメ『サムライフラメンコ』(2013〜14年)で初主演を務め、その後数多くの作品でご活躍中です。そもそも増田さんが声優を目指されたきっかけ、影響を受けた作品から教えてください。高校生の頃に観たアニメに影響を受けて、「僕もこんなカッコいいことをやってみたい」という思いを持ちました。以前から芸能界に憧れもあったのですが、多感な時期で顔を出すことに抵抗があり、「顔を出さない声優なら自分にも目指せるかも」と興味を持ったことが声優になったきっかけです。TVアニメ『天元突破グレンラガン』(2007年放送)や『コードギアス反逆のルルーシュ』(2006年〜07年放送)などの作品に大きく影響を受けました。ゲームなども好きだったので、こういった「ひたすらカッコいいアニメに出たい!」という気持ちが強かったです。――その後、ご自身名義での音楽活動を2019年3月に発売の1st EP「This One」で開始され、2021年9月リリースの2ndアルバム『origin』も好調です。声優だけでなく、音楽活動をすることになった経緯と、そもそもの音楽的なルーツもお聞かせください。レコード会社のトイズファクトリーとご縁があり、マネジメント所属することになった後、音楽活動に興味はあるかと聞いていただいたことが、音楽活動をすることになった直接の理由です。音楽的なルーツといえば、もっとも自分に影響があると思うのは、高校生の頃に聴いていたロックバンドのサウンドですね。もともとBUMP OF CHICKENさんの楽曲が好きだったので、偶然にも同じレーベルであるトイズファクトリーで音楽に挑戦できるというのは、幸運だと思っています。初めてTVアニメのオープニングテーマを担当――2022年1月26日に、1stシングル「Midnight Dancer」をリリースされます。1月12日から放送中のTVアニメ『殺し愛』(毎週水曜24:00 TOKYO MXほか)のオープニングテーマでもありますね。初めてTVアニメのオープニングテーマを担当するということで、とてもプレッシャーを感じた制作でした。ただ、大変だったぶん、タイアップさせていただいた『殺し愛』のイメージを壊さない世界観を作れたのではないかと思っています。ミュージックビデオやジャケットなどのヴィジュアル面においても、原作を読んでいる方々にも気づいてもらえたらうれしい要素を含んでいるので注目してみてください。――冒頭からホーンがカッコいいアーバンジャズとなっている表題曲ですが、ご自身ではどのようなイメージで今作を歌っていますか。グルーヴ感を大事に、かつダーティな世界観を感じていただけるように、少しスレた歌い方をしているかもしれません。『殺し愛』という作品名から感じるセンシティブなイメージから「どんなストーリーが展開されるんだろう」と、曲と合わせて想像していただけたらうれしいです。――2曲目のバラード「ひび」は、どんな思いを込めて歌っていますか。今回、カップリング曲を作るということも初めてで、タイアップ曲と同じCDに収録されるもうひとつの曲と考えると、どんなバランスで作るのがいいのだろうかと悩みました。最終的には、発売日が冬だということと、1曲目「Midnight Dancer」が持つシリアスさとの対比を狙って、2曲目「ひび」はゴリゴリのウインターソングに仕上げています。みなさんが冬を感じるときに、この曲を聴いてくれたらうれしいですね。――増田さんの音楽活動において、声優として役になって歌を歌うのではなく、ご自身として歌う場合に、心がけていることはありますか。僕と制作チームが一緒に作る音楽を、聴いてくれる方々にしっかり届けたい、という気持ちがより強いです。音楽は、人生に少し変化を与えてくれるスパイスになればいいな、とも思っていますね。どんなときも気分が前を向く作品を作っていきたい――音楽活動の一方、1月クールの連続ドラマ『パティシエさんとお嬢さん』(毎週金曜23:00 テレビ神奈川ほか)に、功至役として出演されますね。どのような役どころとなりますか、また、ドラマの見どころもお聞かせください。パティスリーを舞台にしたラブストーリーなのですが、僕はアルバイト店員として、パティシエさんの奥野丈士(崎山つばさ)や、店長の帯刀稜(村井良大)に茶々を入れる、楽しい役どころです。出演シーンもおもにこの3人でのカットだったので、少しふざけた場面が多いかもしれません(笑)。お互い気になっているのに打ち明けることができず、一向に進展しない丈士と“お嬢さん”こと波留芙美子(岡本夏美)の恋の行方をやきもきしながら見られるドラマになっています。――お話は変わりますが、増田さんはおうち時間をどのように過ごしていますか。ここ2年ほど、自分がふと仕事以外でやっていることを思い返すと、ジムに行くか、家でゲームをするかでしたね(笑)。外食も減り自炊することも増えましたが、どれも自分にとってはこだわりの強いものなので、充実した日々を過ごしています。――楽曲ではさまざまなシチュエーションの歌を歌ったり、アニメ作品ではいろいろなキャラクターになったり、恋物語に触れることもありますが、増田さんが思うすてきな女性像をお聞かせください。男女問わずですが、新しいことも吸収し、努力できる人がすてきな人ではないでしょうか。――では最後に、増田さんの声優としての、そして音楽活動をするうえでの今後の抱負を教えてください。これからも引き続き、見てくださる方に夢を与え、一瞬でもまた頑張ろうと思っていただけるような作品づくりに参加したいです。音楽も同じように、楽しいときも辛いときも気分が前を向くような作品を作っていきたいですね。取材後記声優としてはもちろん、現在放送中のドラマでも俳優としてその姿を見せ、音楽活動でも新たな顔を見せてくれている、増田俊樹さん。今後も、ジャンルレスに活躍の場を広げて、活躍されるのが楽しみですね。そんな増田さんのニューシングルをみなさんも、ぜひチェックしてみてください。取材、文・かわむらあみり増田俊樹PROFILE1990年3月8日、広島県生まれ。出演作に、アニメは『コタローは1人暮らし』(狩野役)、『アイドリッシュセブン Third BEAT!』和泉一織役、『僕のヒーローアカデミア』切島鋭児郎役、『ヴィジュアルプリズン」ディミトリ・ロマネ役、その他洋画の吹き替えやゲームなど、数多くの作品に出演。増田俊樹名義での音楽活動は、2019年3月に1st EP「This One」をリリースし、スタート。2022年1月26日、1stシングル「Midnight Dancer」をリリース。InformationNew Release「Midnight Dancer」(収録曲)01.Midnight Dancer02.ひび03.Midnight Dancer (Instrumental)04.ひび(Instrumental)2022年1月26日発売*収録曲は全形態共通。(通常盤)TFCC-89723(CD)¥1,430(税込)(初回生産限定盤)TFCC-89721〜2(CD+BD)¥2,420(税込)<初回生産限定盤付属 BD 収録予定内容>「Midnight Dancer」Music Video、BEHIND THE SCENE「ひび」/Recording Documentary(期間生産限定盤)TFCC-89724(CD)¥1,430(税込)取材、文・かわむらあみり
2022年01月21日映像を見れば、すぐにそうと分かるウェス・アンダーソンの世界。その記念すべき10作目となる長編映画『フレンチ・ディスパッチザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』もまた、石造りの建物が並ぶ20世紀フランスの架空の街や、クセの強い記者たちの仕事部屋を備えた「フレンチ・ディスパッチ」編集部のビルなどにワクワクがたっぷりつまった、見るも楽しい“1冊の雑誌”となっている。スクリーンではカラフルな世界からモノクロへ、画角もワイドからスタンダードへ、描かれるストーリー(記事)に合わせて変幻自在に移り変わる独特の世界観を見事に形づくったのは、アダム・ストックハウゼン。2007年のウェス監督4作目『ダージリン急行』以来、コンビを組んでいるプロダクション・デザイナーのインタビューがシネマカフェに到着した。印象深いのは『グランド・ブダペスト・ホテル』「大変でしたが最高の週末でした」「私は(『ダージリン急行』の美術)マーク・フィリードバーグの依頼でその映画の美術を担当していました。その映画で最初にしたことは列車のシーンの準備でした」とストックハウゼンはふり返る。「何度も同じチームで働けることはすばらしいことです。お互いの理解が深まり、阿吽(あうん)の呼吸が生まれますからね」。ウェスとの創作の中ですぐに心に浮かぶのは、『グランド・ブダペスト・ホテル』だと言う。「ロビーを重層的に造りました。1960年代のロビーを1930年代のロビーの中に造ったのです。ですから、全体としてどのように見えてくるのか、完成するまで分かりませんでした―。他のシーンから頭をひねって想像するしかなかったのです」と話し、「週末に大急ぎでセット替えをすることもありました。60年代調を引っ剥がして30年代風に仕立てるのです。大変な作業でしたが最高の週末でした。今は良い思い出となっています」と回顧する。『グランド・ブダペスト・ホテル』よりそのほかにも、ウェス監督作品の美術を手掛けていて、ふと“思い出してしまうような”楽しい瞬間はあったか尋ねてみると、「たくさん楽しい思い出がありますよ!必ずしも大がかりなセットとは限りません。『ムーンライズ・キングダム』で、ボーイスカウトがカヌーで上陸するときのボブ・バラバンの浜辺のシーンでは、私たちは草むらにロープを持って入り、そのロープでカヌーを引っ張り上げました。こんな場面の撮影にはそう簡単には出会えません」と、確かに楽しそうにふり返る。「脚本を読んでいてめまいが…」膨大なセットの数とはいえ、本作に関しては「脚本を読んでいてめまいがしました!」とストックハウゼンは打ち明ける。「サゼラック(演:オーウェン・ウィルソン)の話で、この街をどう捉えるかが最初の難関でした。調査から取り掛かり、美術の取り組み方を下書きしてゆくことで、他の話も進展しだしました」。複数の短編からなり、複数のセットを要する本作。その数は約130にも及んだという。「この映画の美術の罠はおびただしい数の、細心の注意を要する、幅広いことがらがあったことです。それを切り抜けることができたのは、信じられないほど優秀なチームがあったからです」と話し、「エリカ・ドーンは次々と雪崩のように押し寄せる画像の要求にこたえました。ステファヌ・クレッサン(美術監修)とイラストレーターとアートディレクターから成る先鋭チームは監督の要望を1つずつかなえました。リナ・ディアンジェロ(装飾)は懸命に各セットを彩りました」とスタッフ陣をねぎらった。「すすけた感じがあってこそ美しい」古いフランスの街並舞台となる架空の街“アンニュイ=シュール=プラゼ”は、全てフランス西部のアングレームで行われた。フランスで最も古いバンド・デシネ(漫画)の祭典「アングレーム国際漫画際」が行われる地としても知られる。その町でのストックハウゼンの狙いは「バランス感」だったという。「私たちがよく写真や古い映画で見る美しいフランスはいつもすすけています。そのすすけた感じがあってこそその美しさが成り立っています。その均衡がとれることでフランスの美はさらに増します」と明かし、「実際の街とのバランスを取るように常に気を遣いました。建物に水を撒く場合もありました。小穴がとても多い石でできた建物が多く、濡れると色が濃くなるのです」と教えてくれた。そういった細部へのこだわりを発見するのも、観客の楽しみとなる本作。1回見ただけでは気がつかないような場面はあるか尋ねてみると、「なんと言っても<ビフォー/アフター>の画ですね。肉市場とそれがその後、地下鉄の入り口に変わった姿を隣り合う画で対比させるセクションです。これをどう見せるかを考えるのはとても楽しかったです」とストックハウゼン。「静物画を描く部分もとても気にいっています。<ビフォー/アフター>はとても難しかったですが、とても楽しかったです。その後、監獄の余暇室での争いの場面の美術を手掛けました。オペラの天井画を描く素晴らしい画家のチームが背景画を描いてくれました」と、ベニチオ・デル・トロが監獄の中の天才画家モーゼス・ローゼンターラーを演じるシークエンスも付け加えた。カギとなったのは伝説的名作『赤い風船』さらに、編集長のビル・マーレイをはじめ、ティルダ・スウィントンやフランシス・マクドーマンド、オーウェン・ウィルソン、ジェフリー・ライトら、錚々たる顔ぶれが集う「フレンチ・ディスパッチ」編集部のセットでは、それぞれの記者の個性が映し出される部屋も必見ポイントだ。ストックハウゼンは「それぞれの記者の執筆スペースに関しては、トルーマン・カポーティ、ゴア・ヴィダル、ベン・ヘクト、リュック・サンテ、エミリー・ディッキンソンほかの多くの実在の作家の書斎を参考にし、イメージのテーマにしました」と語り、「編集部全体のイメージには、どの新聞からか思い出せないのですが、参考となる素晴らしい写真がありました。広々としていて、再利用により記者の作業スペースとなった打って付けの佇まいでした」とヒントになった写真があったことを明かす。この編集部のように、すすけた街の雰囲気とは極めて対照的な黄や赤、青が効いた色調も見どころとなる。「(先ほどの)美しさとすすけた感じのバランスという話に通じます。これを実現するために私たちは具体的な方法をとりました」とストックハウゼン。「映画『赤い風船』を参考のカギとしました」と、パリの路地裏に色鮮やかな赤い風船が映えるアルベール・ラモリス監督の1956年カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作品を挙げる。「『赤い風船』では当時の街のほこりっぽさが背景にあることで、色彩のポップさが鮮やかに浮き上がっていることが分かります。もちろん映画に出てくる風船の色もそうですが、車の色も、お店の店先の色も効いています。最も重要なことは<古いすすけた建物を背景にした明るい対象物>というバランスを保っていることです」と、本作にもつながる色彩のマジックを打ち明ける。現在、「残念ですが、まだあまりお話できない」というウェス監督の次回作をスペインで撮影中というストックハウゼン。次はどんなウェス・アンダーソンの世界を魅せてくれるのか、まずは彼らが創りだした20世紀フランスの街を堪能してみてほしい。『フレンチ・ディスパッチザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』は1月28日(金)より全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:フレンチ・ディスパッチザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊 2022年1月28日より全国にて公開©2021 20th Century Studios. All rights reserved.
2022年01月21日現代の東京を生き抜く29歳独身女性4人の恋、結婚、仕事、性、友情などに斬り込み描くABEMA新オリジナルドラマ「30までにとうるさくて」が1月13日(木)22時より放送される。本作でフリーのクリエイターで同性のパートナーと愛を育む佐倉詩を演じる石橋菜津美に作品への意気込みや撮影中の印象深いエピソードなどについて話を聞いた。――初めて台本を読まれたとき、どんな感想を持たれましたか?私自身が29歳で30歳も目前に迫っている年齢なので、リアルに自分の身近でも溢れている問題が取り上げられていると思いました。だからこそ、読んでいて胸が痛くなることもありました。――演じられる佐倉詩というキャラクターはどんな人物だと思いますか?達観していて気分の浮き沈みがなく誰かに流されるということがない人だと思います。ただ、日々“仕方ない”という気持ちを抱えているんじゃないかとも思っていて。20代前半であれば人に意見をぶつけていたとしても、それでもある程度変わらない現実が見えてきて、今はもがくというよりは「自分は自分」ってことを信条に生きている子だと思います。――ご自身と似ているところはありますか?私自身も人に流されやすかった過去を経て、20代中盤以降は、人も変わらないし自分も変わらないということを後ろ向きではなくそのまま受け入れ“仕方ない”と思えるようになり、「人は人、自分は自分」と思うようになりました。――詩自身はレズビアンであることをカミングアウトしているものの、恋人の真琴はレズビアンとして生きることに葛藤を抱えているという関係性を演じる上で苦労された点や、役作りで意識された点はありますか?私自身、“セクシュアリティの問題って、なんでこんなに世間の認識や意識が変わらないのかな?”と常日頃から不思議に思っているので、今回のキャラクターはずっとやってみたい役でした。私自身は当事者でなくともその役として生きる上で、当事者の方に失礼がないようにどういう葛藤があるのか寄り添って演じたいと思いました。だからこそ、恋人の真琴とはどういう立場でどういう風に出会ったのかなど台本には書かれていないような細かな背景まで考えなければいけないと思いながら向き合いました。――よろしければその裏設定を教えていただきたいです。恋人の真琴役を演じる中田クルミさんとは、どんなことを話し合われたのでしょうか?2人の出会いはマッチングアプリや誰かの紹介ではなく、お互いにとって偶然の運命的な出会いだったんじゃないかなとか。あとは、2人の役割としてどちらが男性的、女性的ということではなく、お互いにただ一人の個人として惹かれ合っているだけというところに誠実に向き合おうということになりました。ただ、詩の方が真琴に対する想いが強くなきゃいけないと思って、そこだけは意識してやるようにしました。「変わらない世の中、積極的に変えられないもどかしさ」に共感――今回は29歳の女性4人の話ということで、皆さんの掛け合いが観られるのも楽しみです!「大豆田とわ子と三人の元夫」(カンテレ・フジテレビ系)の翼役でも、とわ子や早良たちとの女子会シーンはとても楽しませてもらいました。今回、同世代の俳優さんに囲まれての現場はどんな雰囲気ですか?みんな大人だからちょうど良い距離感で、付かず離れず個々に自立できているのが本当に心地よく、作中の4人の役柄、関係性通りだなと思います。今回のドラマは会話劇がメインですが、そもそも女子会ってみんな話を聞いているようで聞いていなかったり突然全然違う話になったりするなぁと思うので、話者が常に変わっていく様子も女子会のリアリティーさが詰まっていると思います。――何か撮影中に印象的なエピソードがあれば教えて下さい。皆、今回の設定年齢と実年齢が近いため、台本の言葉や感覚に対してはある意味監督や現場にいる男性スタッフよりも誰よりも実感値としてわかるので、譲れないところが明確にあって、台本のセリフについて話し合うことが多かったです。どの役柄も必死さゆえの痛さを抱えているからこそ、さじ加減次第では同じ悩みを抱える人に対して失礼になってしまったり、不要に人を傷つけてしまいかねないので、ああでもないこうでもないと思いを巡らせながら台本に向き合いました。――石橋さん自身は本作に登場するキャラクターのうち、誰のどの悩みに一番共感できますか?どれも当てはまらなかったかもしれないですが、詩が抱いている“変わらない世の中に対する疑問、それを自分だけでは積極的に変えられないもどかしさ”というのはわかる気がします。でも、どの役もそれぞれにピンポイントでその時々の感情は共感できるものがあって、私は4人を集約したような人間だなって思います。周囲を傷つけない“自分勝手”な選択を――この作品でも恭子の話として「選択的シングルマザー」について描かれますが、石橋さんは昨年ご出産されたことを公表され、“結婚”という形に囚われないご自身の人生の最適解を模索されている印象があります。何か物事を決断する際に意識されていること、優先順位などはありますか?“自分が後悔しないようにする”ことが一番、でもそれによって誰かが傷つくことがないようにと気をつけているつもりです。周囲の目を気にしすぎて自分がやりたいことを我慢したりベストな関係性になれないのは本末転倒なので、周囲への配慮をした上で許される“自分勝手”の範囲内でやりたいことができればいいなと思います。今回の恭子の選択についてもそうですが、人が決断したことにとやかく言う筋合いもないし、自分も否定されたくないからこそ、相手の決断も否定せず肯定して、それがより良い形に進ように全力で応援したいです。こういう話こそタブー視されがちで、なかなか男性には話せなかったりするので、女性同士だからこそ支えになれたらなと思います。――最後に、本作をどんな方に観ていただきたいか、作品の見どころと一緒に教えて下さい。同世代の方に、悩みを解決できないまでも他にも自分と似たようなことで悩んでいる人がいっぱいいるということを知ってもらえると思います。そうすれば焦らずに、少しずつ視野を広げてもらえると思うので、今はひとつしか選択肢が見えていなくてもこの作品を観ているうちに、それ以外の選択肢の存在にも気が付けるかもしれません。毎週、それぞれ刺さる部分があると思うんですが、痛みを感じながら観て頂きたいです。((text:佳香(かこ)/photo:Maho Korogi))
2022年01月13日Netflixシリーズ「新聞記者」が1月13日(木)より世界同時配信される。第43回日本アカデミー賞最優秀作品賞ほか、3部門を受賞した映画『新聞記者』を、藤井道人監督自らの手で、新たな物語として築き上げた。真実を追究し続ける東都新聞記者・松田杏奈が、政府が起こした公文書改ざん事件の真相を追う本シリーズ。新聞業界の異端児と呼ばれる主人公の記者・松田を米倉涼子が、エリート若手官僚として職務に邁進する村上真一を綾野剛が演じた。さらに政治には興味も知識もない、新聞配達のアルバイトをしている就活中の大学生・木下亮を横浜流星が担当している。異なる世界に生きてきた3人が、あるスクープをきっかけに交わり始める。そこには、それぞれの正義と意志、思いがうごめきあうのだ。3者3様の輝きを放ち作品に臨んだ米倉さん、綾野さん、横浜さんに「新聞記者」撮影にまつわるエピソードや、彼らが仕事をする上での正義・大事にしていることなどを聞いた。米倉:我慢、ですね。普段、私はボディランゲージがすごく多いんです。話しているときに手がすごく動くし、言葉とともに身体で表現することも多い。けど、松田を演じる上では、思いを溜め込みながら自分の思いは我慢することを意識していました。綾野:自分の精神状態を追体験しない、ということでした。「あのときこうだったら」という感情は完全に捨てました。人は、何でもない会話の中で“たられば”があるからポジティブにもなれたりする。採択していることを捨てたので、きつかったですね。横浜:僕が意識したことは何だろう…一番は素直にいることですかね。まっすぐに。変に「こうしよう」というのを決めずにいました。亮は、いろいろな人たちの言葉や出来事に影響されて揺れ動いていくので、その人たちの言葉をしっかり素直に受け取って、自分がそのとき“思って”行動できたらいいなと。一般市民として若い皆さんにも共感してもらえるように、という役でもあるので、だからこそ自分も亮とともに学んでいけたらと思いました。――それぞれのバックグラウンドを見せながら、シーンが交差していきます。皆さんの出演パートをご覧になって、いかがでしたか?米倉:それぞれのシーンを作品として見たときに、ひとりひとり、それぞれの役作りがものすごく強くて。それぞれの思いが、なんていうか…背中にのしかかっているような気がしました。綾野くんの役と私の役は、最初はそれこそ敵対しているんですけど、それでも見ていると、その人の気持ちになれるというか。流星くんの新聞配達をやっているシーンも、私は1回も(現場で)見ていなかったのもあって、「あ、こんなに穏やかに何の問題もなく生活を送っていた彼に、ふとした瞬間に、あんな出来事がのしかかるんだ」と思いました。辛い経験をし、自分で道を切り拓いていくまでの流れを、ひとりの人生の例としてこの6話で見て追いかけていけるんです。すべての人の見方になれる、すべての人の思いになれるような、細かいところまで設定と演出をしている作品という印象を、すごく受けました。綾野:松田さんが見ているまなざしの先に何が映っているのか、毎話どんどん変わっていきます。もともと断定していたものが、どんどん変わっていく。表情の柔軟さが、今、世の中に足りていない気もしている中で、真実はひとつですが、真実の見方はたくさんあることを体現されている(米倉さんの)お姿に、とても感銘を受けました。流星君の亮さんは、ある種、国民代表としての立ち位置で生きていた。亮さんという青年が、これから自分が国民のひとりであるという自覚を持って進んでいく。6話が終わった後、その先にある彼の瞳には何が映っているのかということが全てです。僕たちが一番大事にしなきゃいけない、国を作り動かし豊かにするのも、やはり国民のまなざしひとつで大きく変わるんだな、と。おふたりに共通して思っているのはまなざしで、その瞳の中に映っている未来でした。横浜:ある大きな出来事が亮に振りかかり、米倉さん演じる松田と出会っていくんですけど、僕は亮と同じ気持ちでした。松田がまっすぐに真実を追究する姿を見て、亮は影響され成長していきます。現場でご一緒させてもらっている僕も、亮と同じで尊敬する気持ちというか「この人についていきたい」という思いになりました。剛さんの村上は、自分の中で一番敵だと思っている人。でも、そんな人にもその人のいろいろな思いがある。そのことを感じたので(共演シーンの)部屋で会ったとき、何も言えない気持ちになったんです。亮としてなのか、自分としてなのか、よくわからなくなるというか。お二方とも言葉よりも行動で見せてくれる人だったので、僕はそれを吸収しないといけない、という思いで現場にいました。藤井監督との現場に、米倉さん「こんなに毎日緊張するってないんじゃないのかな」――藤井監督とのお取り組みについても伺いたいです。綾野さんは『ヤクザと家族 The Family』、「アバランチ」と続いていますよね。綾野:藤井監督とは『ヤクザと家族 The Family』(2021年公開)に次いで本作が2作目。声を掛けていただいたとき、素直に嬉しかったです。新たな「新聞記者」の一員として参加できる事、そして、米倉さんと流星君とご一緒できる事、なにより藤井監督とまた現場で魂を揺さぶり合いながら戦えると思うと。どれだけ苦しくても、どれだけ愛せるか。特に藤井監督とは、そういう想いでやっています。――米倉さんは初めての藤井監督、いかがでしたか?米倉:初めて参加させていただく組だったので、藤井監督のことも、クルーも、すべての方を存じ上げなかったんです。衣装合わせのとき、最初に藤井監督とカフェでお話をしたんですけど、すごく「うんうん」と聞いてくれたので、実は「不思議な方だな」と思っていました(笑)。いざ撮影に入ると、ものすごく入り込みやすくて、見たことのない撮影現場でした。大人になってから、とにかくこんなに毎日緊張するってないんじゃないのかなというぐらい…毎日すごく緊張しましたし、応えたい思いにもなりました。その分、悔しい思いもしたので、どこかでもう1回リベンジしたいです。――横浜さんは『青の帰り道』や、最近では『DIVOC-12』の短編でもご一緒していました。本作では藤井監督から「ベストアクト」ともコメントが出ていますが、いかがでしたか?横浜:藤井さんが「映画版では描き切れなかったところを託したい」と言ってくださったときは、本当に幸せなことだと思いましたし、だからこそプレッシャーも責任もあり、覚悟を持っていました。現場では、藤井さんのチームにはやっぱりすごく信頼感があって、身を任せられました。本当に、ほかにはない雰囲気があるんです。締めるところは締めて絶対に妥協しないので、僕は亮として生きていて、毎回自分の知らない自分みたいなものを引き出してもらえました。だからこそ楽しいし、生きてるな、という感じがしました。米倉さん&綾野さん&横浜さんの正義とは…「嘘をつきたくない」「愛と熱狂」「自分は自分」――普段仕事をしていると、どうしても妥協してしまう瞬間があったりもしたので、「新聞記者」を見て、何よりも自分の正義みたいなものを大事にしていきたいと思いましたし、そう感じる視聴者が多いと思います。皆さんはお仕事する中で、譲れないこと、自分の中の正義など、どういうものでしょうか?米倉:私はメディアやすべてのことに対しても、とにかく嘘をつきたくない、という思いだけかな。別に私自身のことを隠したいとも思っていないのに、なんでわざわざ隠さなきゃいけないことがあるんだろう、とも思うんです。嘘をついてしまうと、理由をくっつけていって、とてつもない大きなサンドイッチみたいになっていっちゃうでしょう。芯が見えなくて倒れちゃいそうになっちゃうと思うので、言わないことはいいのかもしれないけど、嘘をつくことは嫌だなと思います。横浜:僕はまだまだ未熟者だし、この年齢で代わりなんてたくさんいるから、やっぱり比べられることもあります。でも「自分は自分だ」と思って、自分の芯をぶれないようにすること、ですかね。いろいろ言われますけど、ぶれないように。そこは変わらないようにしたいです。綾野:熱狂、です。いつでも愛と熱狂、していたい。妥協されたことがあるというお話をされていましたが、選択の余地もないことは確かに妥協かもしれません。ですが結果どんな小さなものでも選択をしたという事は、きっと妥協ではない気がしています。選択できなくなったときに、自分たちがどう立ち向かうのか。自分たちは常に選択できるような環境作りを、トップダウンではなくボトムアップしていくことがとても大切ですし、いろいろな人たちの言葉を聞いて、感じていくことがとても大切だと思っています。ちゃんと選択していくこと、その環境作りを熱狂を使って、愛を通してやれたらと思っているんです。2021年見た中で、3人がお勧めする作品とは…?――2021年ご覧になった中で、一番ご自身を熱狂させたお勧め作品は何でしたか?綾野:僕は「ペーパー・ハウス」は、かなり熱くなりました。米倉:ああ、私も「ペーパー・ハウス」かな~!スペイン語を練習しているのもあるから。――米倉さん、原語でご覧になっているんですね…!?米倉:そうですけど、もちろんサブタイトルもつけていますよ!…でもね、絶対自分ではやりたくない作品(笑)。泥だらけになりたくないもん~。綾野:泥だらけになりますけど、シーズン1だったらまだ大丈夫じゃないですか?米倉:確かにね。一番最初のバーで教授と飲みながら…ぐらいまでだったら、やってもいいかな(笑)。ドキュメント(「ペーパー・ハウス: 人気の秘密に迫る」)を見ていたら、泥だらけだったから「ああ、無理!!」と思ったの。綾野:俺、デンバー好きなんです。真っ直ぐで。あとトーキョーも好きです。米倉:トーキョーねー!私はナイロビも好きだった!綾野:流星は?横浜:俺、見られてないんです。見たいです!――横浜さんは、2021年印象的だった作品、何でしたか?横浜:僕は、素直に『ヤクザと家族』。綾野:嬉しい。横浜:本当に、心がえぐられましたね。試写室で観たんですけど、終わった瞬間に、藤井さんと剛さんにすぐ(感想を)送りました。そのぐらい、なんかずっと浸っていて、すぐには立ち上がれなかったです。同時に、「なんで自分(出て)いないんだろう」って…。綾野:(笑)。嬉しいよ。そういう意味だったら、「FAMILIA」聴いたときもかな(※『ヤクザと家族』主題歌)。2021年の中では最大の出来事でした、「総合芸術って美しいな」と結実した瞬間でした。(text:赤山恭子/photo:You Ishii)■関連作品:【Netflix映画】ブライト 2017年12月22日よりNetflixにて全世界同時オンラインストリーミング【Netflix映画】マッドバウンド 哀しき友情 2017年11月17日よりNetflixにて全世界同時配信【Netflixオリジナルドラマ】オルタード・カーボン 2018年2月2日より全世界同時オンラインストリーミング2月2日(金)より全世界同時オンラインストリーミング【Netflix映画】レボリューション -米国議会に挑んだ女性たち-
2022年01月11日神木隆之介は、常に神木隆之介であることに疲れないのだろうか?いや、神木さんに限らず、俳優やタレント、有名アスリートに政治家…人前で何かをすることを生業とする者であれば誰もが、TV番組や映画、報道などを通じて人々から勝手な“イメージ”を持たれるものではある。ただ、神木さんが他の人々と異なるのは、子どもの頃から現在(28歳)に至るまで、ほぼ休むことなく俳優として活動し続けてきたことで、子どもの頃からのイメージが長く、そして深く人々の中に根付いているということだろう。いまなお、神木さんを“息子”や“孫”を見るような視線で“見守っている”人も多いし、「明るくて人当たりもよく、演技も上手でしっかりしている」という完璧なイメージを抱いている人も多いだろう。そんな<人々がイメージする>“神木隆之介”そのものを主人公としたドラマ「神木隆之介の撮休」が1月7日より毎週金曜よる11時からWOWOWにて放送・配信となる。物語はあくまでフィクションだが、神木さんが演じるのは神木隆之介本人。突然、翌日が撮休(=撮影がお休み)となった神木さんの姿をオムニバス形式(全8話)で描いている。あくまで脚本家が書いたセリフだが、まさに上記のような人々が抱くイメージについて言及されるシーンや「初対面の人からも『神木くん』と呼ばれるんですよね…」とボヤキ気味に語るシーンも…。果たしてこの“本人”役に神木さんはどう挑んだのか?神木隆之介を演じる上で「役作りは全くしなかった」「神木隆之介の撮休」第2話――最初にこの「神木隆之介の撮休」の企画を聞いて、台本を読んでの印象は?台本のト書きに「神木、○○する」とかあったり、自分の名前が台本にあるって、普段はないことなので不思議な気分になりましたね。他の人たちはみんな役名なので、みんなは僕のことを「神木」と呼んで、僕はみなさんを役名で呼ぶという(笑)。他人の撮休を他人が考えてくれるって、なかなかない発想だなと楽しく読ませていただきました。(8話で)それぞれ色が違うなと感じながら読みました。――あくまで脚本家が書いたフィクションではありますが、神木さんが演じるのは神木隆之介本人。神木隆之介を演じる上で、いわゆる役作りなどはあったんでしょうか?役作りは全くしなかったです。でもあえて意識したのは、“ちゃんと”しゃべらないようにしようということ。もちろんセリフはあるんですけど、人間って考えながらしゃべるじゃないですか? “役”を背負うと伝えないといけないことが明確に出てくるので、変なところで途切れたりしたらダメだけど、今回はノンフィクションにも思えるような物語を作っていただいたので、ちゃんと考えつつしゃべっていても、ところどころ、たどたどしかったり、「僕だったらこういうしゃべり方だな」というしゃべり方――芝居をしているというより、僕が私生活でしゃべっている雰囲気で見せたいなということは意識しました。――ある意味で、ここで描かれている神木さんの姿は、人々が抱くパブリックイメージであったり、脚本家がイメージする撮休の神木さんだと思いますが、本人としてはどう受け止めましたか?みなさん、本当に“好青年”に描いてくださって、ありがとうございます(笑)!(劇中の神木さんは)ちゃんとしてる人間ですね。どこにもクズ感がないですよね、本人と違って(笑)。これまで共演者の方に「もっとおとなしい人間かと思ってた」「意外とうるさいんだね」とか言われたことはありましたけど(笑)、そういうのとは違って、脚本家のみなさんが作品を通して僕のイメージを「あなたってこうだよ」と伝えてくださっていて、その意思が作品で届くというのはおもしろかったですね。「こう見えているんだなぁ…」って(笑)。わりとちゃんとした人間で、あんまり、ふざけてないですよね。本来の神木はもうちょっとふざけてますね。(劇中の神木さんは)真面目でまっとうな意見を言うキャラクターだったなと思います。ということは、世間のみなさんのイメージとしても、あまりふざけない感じなんですかね? 「コメントもちゃんとしてるし」みたいなセリフも出てきましたけど「そういうイメージなのか…」とは思いましたね。あと、(普段の神木さんは)あんまり自分のことはしゃべんないかもしれないですね。第4話「夢幻熊猫(むげんぱんだ)」の中でも姪(長澤樹)に「役者ってさ…」みたいなことを言ったりしてますけど、そういうことはあんまり言わないかな? 実際に姪もいるし、最近その姪が「女優になりたい」って言い始めたらしいんですけど、僕は「いいんじゃない?」って。やってみなきゃわかんないし、この仕事に限らずどんな仕事でもつらいことはあるだろうし。想像していたよりつらかったらやめてもいいし、やってみないとわかんないから「がんばれ~」みたいな感じです。この(エピソード)の中では真面目な叔父ですよね。本来は「普通のちょっとテンション高い28歳」「神木隆之介の撮休」第4話――「それはちょっと違うぞ」と否定したい、壊しておきたいパブリックイメージはありますか?僕は、お調子者ですよ(笑)、本当に。すぐふざけるんですよ。外(=仕事)では余計なことは言わないというだけです。落ち着きもないですし「普通のちょっとテンション高い28歳だよ」ってことは言っておきたいですね。周りからは「まあまあ、もう28歳なんだから、無駄にテンション高くしないでもうちょっと落ち着けよ」って言われるかもしれないですけど(笑)。無駄なこと、ふざけることが好きな人間なんです。――周りのイメージと本当の自分のギャップで悩んだりしたことはないんでしょうか?それは全くないですね。そんなに苦しんだりってことはなくて、お会いする相手の方がどんなイメージを持たれていても、実際に会って話していることが真実だと思っているし、会った時から新しく(イメージを)構築していけばいいと思っているので、そんなに気にしたことはないですね。――“国民の息子”のようなイメージを持たれたり、「完璧にそつなく何でもこなす」というイメージを持たれることもあるのではないかと思いますが…。そういうイメージを気にしたことはないんですよね。逆に「なんでこんなに褒められてるんだろう?」って思います(笑)。「え? そんなに過大評価をしていただいて…ありがとうございまーす(笑)!」って感じですね。かといって、それをプレッシャーに感じるってこともないですし。――“いい人”のイメージを持たれやすそうですし、意地悪な言い方をすると「挫折を感じたこともないし、コンプレックスもないんでしょ?」とか思われがちですけど、実際にコンプレックスを抱くことは?あります、あります!「もっと身長が高ければなぁ…」とか「(新田)真剣佑くんとか(山崎)賢人くんみたいな顔になりたかったなぁ…」って思いますもん(笑)。「背が高いと服も似合うし、いろんな髪型も似合うでしょ。いいなぁ」って思います。なぜか僕の周り、背が高くてカッコいいやつばっかりが揃ってるんですよ。過去に「イケメンたちに囲まれて神木、ハーレム状態」とかって記事が出てたのを読みましたから(笑)。志尊淳くんとかもそうですし、主人公性のある人たちばかりが周りにいて「目の保養になるなぁ」「心が浄化される」と癒されつつ「いいなぁ…。うらやましいな…」とか思ってますね。それはずっとコンプレックスですね。縁のある俳優&スタッフとのドラマ製作が実現「神木隆之介の撮休」第7話――今回、神木隆之介役を演じたことで気づいたこと、発見したことはありましたか?やっぱり、普段の自分ってちょっとテンション高いんだなって思いましたね(笑)。しゃべることが好きなんだなと思いました。素の自分と一番近かったのが第7話の「友人の彼女」かな? 結構セリフが多かったですよね。井之脇海くんが親友役で、萩原みのりさんが海くんの彼女で、僕が海くんと仲が良すぎて彼女が嫉妬するというお話で。井之脇海くんとの思い出をずっとしゃべってるというシーンがありましたけど、あのテンションは(自分と)近かったと思います。たしかにしゃべるなって。実は、僕も同じような環境にいたことがあって(笑)、親友とすごく仲が良くて、毎日のように遊んでて、毎日一緒にゲームをやってたんですよ。ふと「この人、彼女とかいないのかな?」って思ったんです。いや、いた場合、どうなんだろう? 俺がかなり独占してるぞ…って。その親友が最近、結婚したんですよ。だから(彼女が)いたんですよ。すごく申し訳ないじゃん!って思って(苦笑)。奥様にも挨拶をさせていただいたんですけど「隆さんとの関係を壊したくないので、どうぞ私のことは気にしないでいままで通り、誘ってやってください」って言ってくださって、すごく優しいなと思いつつ…「でも彼女いたんだ!?」って(笑)。あと、もう別の仲良い友人の話ですが、カラオケを一緒に行き過ぎて、他の人に「今日空いてる? あぁ、でもどうせ神木くんと遊ぶでしょ?」とか「神木くんは大丈夫?」って聞かれるって言ってました。一番優先されてるらしいです(笑)。「神木隆之介の撮休」第6話――今回、全8話でいろんな監督、俳優さんとご一緒しましたが、特に思い出深かったことや出会いは?いっぱいあるんですけど、第6話の「ファン」には松重(豊)さん、田中(要次)さんも出てくださっているし、なんなら大塚明夫さんですよ!(ゲーム「メタルギアソリッド」シリーズの)スネークが出てくれたんですよ? YouTubeで以前、ゲーム配信でコラボさせていただいて、その時に「お会いしたいですね」と言ってたらこうやってお会いできたんです。しかも、エピソードの中の神木も大塚さんが演じる声優・小野寺修吾のファンという設定で、僕も大塚さんのことは大好きなので、リンクするところがあって嬉しかったです。あとは矢本くん(悠馬/第3話「捨てる神あれば」)もそうですし、仲野太賀くん(第8話「遠くにいる友人」)、成海璃子ちゃん(第2話「嘘から出た何か」)も藤原季節くん(同)もそうだし、仲のいい人たちが出てくれて楽しかったですね。監督の森ガキさん(オープニングと第3話「捨てる神あれば」、第6話「ファン」の演出担当)は、志尊淳くんとSNSで制作してた映像でご一緒したことがあったんですけど、「本格的に映像で一緒にできたらいいね」とか言ってたらこの作品でご一緒できたので、すごく嬉しかったです。繊細な画ですけど、すごく自由にさせていただいて、またご一緒できたらいいなと思います。子役出身の苦労や葛藤は「全く意識したことない」「神木隆之介の撮休」オープニング――毎回、冒頭で明日が撮休になったと知らせるマネージャー役を池田鉄洋さんが演じています。もしも、池田さんが現実でも神木さんのマネージャーだったら…?メッチャ楽しいと思います! 鉄洋さん、本当に優しいですからね。あんなに優しい人いないですよ。映画『屍人荘の殺人』のとき、矢本悠馬くんは「イケテツ」って呼んで、僕は「鉄洋」ですよ(笑)? そんなの許してくれる年上の人、いますか(笑)? 僕がたまに「イケテツさん」って呼んだら「いや、鉄洋でいいよぉ。そっちのほうが落ち着くから」って(笑)。メッチャ良い人です。今回の企画の打ち合わせの段階で「誰と仲が良いか?」といったリサーチがあったんですけど、マネージャー役が必要ということで「誰か候補はいますか?」と聞かれたので、迷わず「池田鉄洋で!」と(笑)。――劇中の関係性が池田さん演じるマネージャーが「神木さん、すいませーん…」という腰の低い感じで、その関係性も毎回、面白いですね。実際、僕と鉄洋さんもそういう“プロレス”をできる関係性なんですよね(笑)。――神木さん以外では、第1話の「はい、カット!」で共演された安達祐実さんだけが唯一、本人役で出演されていて、“元子役”ということについて語り合います。本人同士でフィクションの作品でお芝居をするのはいかがでしたか?楽でした(笑)。安達さんのことを「安達さん」って言えるので。初めてお会いしたのが、何年か前にスタジオで、たまたますれ違ったんですけど、僕が小声で「あ、おつかれさまです」と言ったらペコってしてくれて。僕は休憩で、安達さんは楽屋からスタジオに入る、ちょうどスイッチを入れる時で、僕は心の中で「うわっ! 安達祐実だ!」と思ってました(笑)。「やべぇ!」って。これは今回、ご本人にも伝えたんですけど、ちょうどスイッチが入ったのか、なんか“気迫”があったんですよ。「やっぱり違うな、安達祐実は」って。今回、ご一緒すると聞いて「あの気迫で来られたらとんでもないことになるな…」と思ってたんですけど、おそるおそる話しかけたらすごくニコニコとお話してくださって、すごく優しい方でした。「初めてお会いしたとき『やべぇ、安達祐実だ!』って思ってました」って言ったら、笑ってくれました(笑)。「神木隆之介の撮休」第1話――このエピソードでは、子役出身の俳優ならあるのかも?と思わせる架空の“シンドローム”が描かれますが、神木さん自身は普段からこれは職業病だなと感じることはありますか?あります。ふとした瞬間に「カメラがここにあったら、こう撮っているだろうな」「引きだったらこうで、寄りだったらこうだろうな」というのが頭に浮かびます。歩きながら音楽を聴いてても「この曲だったら、こうやって歩いてるシーンに合うな」とか「この曲が主題歌なら、こういう物語がいいな」とか思いながら歩いてます。それはクセですね。「こういう物語、画の質感で、いま自分が歩いてるカットはスローで…」とか想像しちゃいます。――このエピソードの中の神木さんのように、現実とお芝居の区別つかなくなることはありますか?たしかに、いま言ったような「こういう映像だな」とか考えてる時は基本、ボーっとしてますね。レジで支払いをしてる瞬間も「でもこっちから撮っているなら、こう見えるだろうな」とか「こういう角度で映ってるな」とか考えてて、「ありがとうございました」って出ていく時に「あ、やばい。いま楽しかったけど……あ、ちゃんと買ったか」みたいにはなりますね。――ちなみにそうやって妄想するとき、「カメラがここにあるなら、顔の向きをもう少しこっちに向けた方がいいな」と考えて動かすことなどは…?します(笑)! 「いま、この向きなら…」とか目線をちょっとずらしたり…。――劇中のように「子役出身だからこそ、どこかで一皮むけないと」みたいな焦燥や葛藤を抱えたことはなかったんですか?それはなかったです。全く意識したことないですね。何も考えてこないで生きてきちゃったんで(笑)、周りの人が大変だったみたいです。「子役からやってきた俳優は(大成するのは)大変だよ」という俗説みたいなものが芸能界にはあるので「どういうブランディングで、どんな作品に出て…」みたいなことはマネージャー陣が考えてくれていて。僕は何も考えずに台本を渡されたらとりあえず頑張るという姿勢でやってきたので、僕自身は大変ではなかったし、自分の見え方とか「このまま20代もいけるか?」みたいなことも全く考えてなくて、のんきでしたね。実際に撮休になったらやりたいこと「カラオケが第一優先」――もしも、実際に急に「明日、撮休です」となったら、どんな1日を過ごしますか?午後まで寝て、ダラダラ風呂入って、誰かと一緒にカラオケいけないか探って、誰もいなかったらひとりで行って……。そうなんですよ…(苦笑)。パブリックイメージと全然違うかもしれませんが…。――何はともあれカラオケは最優先事項で外せないんですか?第一優先ですね。「何かした」という、“抗い”なんですかね? カラオケが。1日の中で、かろうじて何かした――「カラオケ行った」と言えるように、行っちゃいますね。――ちなみにカラオケに行ったらどんな歌を?毎回、必ず歌うのは桑田佳祐さんの「可愛いミーナ」、あとは「シカバネーゼ」(jon-YAKITORY)とかボカロ系の曲ですかね。ボカロ系の曲を歌い手さんが結構、歌っていて、そのキーを調べられたりもするので、それで歌ったり。他にもいろんなジャンルを歌いますね。――外出などをせず、何もしないで過ごすということはないんですか?できるだけイヤですね。まあ、外に出ないとなると、1日中ゲームしてますね。「FF(ファイナルファンタジー)XIV」の「暁月のフィナーレ」という新しいストーリーが増えたので、今後はそれをやりながら籠もることになるんだろうなぁ…と思いますけど。ちゃんとPCの横に冷蔵庫があって、飲み物も冷やせるんでね(笑)。2022年は2021年で得たものを「活かす」1年に――これまで過ごした撮休の中で、最も良い過ごし方をしたなと思える過ごし方は?(しばらく考えて)…ないですね。ないなぁ…(笑)。急に撮休になっても買い物と…あぁ、コロナ前ですが、秋葉原に行って、好きなアニメグッズを漁ったり、帰りにカラオケに行ってアニソンを歌ったりしたのは楽しかったです。――劇中でも「神木隆之介を演じてるんだろ?」みたいなことを言われますけど、素に戻れる瞬間ってありますか?ゲーム、カラオケ…。まあでも友だちといるときは素だなって思います。別に普通にいるんでね、一都民なんで(笑)、そんなに意識したことはないですけど。まあ、お店で「神木さま、4名様!」と呼ばれた時は、席に座るまで意識しましたけど(苦笑)。普段はあまり何も意識してないですね。――先ほど、誰も集まれなかったら一人で…とおっしゃっていましたが、「おひとりさま」でカラオケや食事に行くことはわりとあるんですか?ありますね。こないだの舞台の大阪公演の休演日には一人で焼肉に行ってきましたよ。おいしかったです。全然、気にせずにひとりで行けちゃいますね。ちょっと寂しいけど「でも、ひとりでもできるしなぁ」と思うと、ササっとなんでもひとりでやっちゃうんですよね。――現実には撮休どころか、忙しい日々を過ごしているかと思いますが、多忙な中で気持ちを切り替えたり、リラックスのために大事にしていることはどんなことですか?友だちとのご飯。あとは趣味ですね。YouTubeを見たり、ゲームしたり、そこは夜更かししてでもやりますね。時間がない時ほど遊びたくなるんですよね(笑)。「時間があるときに遊べばいいじゃん!」って思いますけど人間、時間がある時ほどボーっとしちゃうんですよ(苦笑)。本当にワガママでないものねだりなんですね。時間がない時に限って、誰かと会いたくなったり遊びたくなるものなんです。だから時間がない時こそ、一緒に友達とご飯を食べたり、ゲームしたり、ひとりでも趣味をやってますね。そこは睡眠時間を削ってでも。――本作を含め、この1年も多くの作品に出演され、多彩な活動をされてきました。改めてふり返って、どんな1年でしたか?すごく大きな刺激をもらいましたね。ドラマ「コントが始まる」で始まって、特に菅田(将暉)くんと仲野太賀くんは「お芝居って楽しいことがいっぱいあるんだな」ということを気づかせてくれた2人ですし、あの作品に出られてよかったなと思います。それから、最近まで舞台(「パ・ラパパンパン」松尾スズキ演出)をやらせてもらいましたけど、まさかの2度目の舞台で、初めての舞台(「キレイ-神様と待ち合わせした女-」)の時とは全く違う、博学でセリフの多い役で「これは無理だよ!」「できるのかな?」と心配だったんですけど、みなさんの支えもあって無事にやることができました。あきらめかけていたことをやり遂げることができたというのが、自分の中の“強み”になったし、すごく大きなものを教えてもらえた1年だったと思います。それを2022年にどう活かせるか? 勝負だなと思います。もちろんやってみて、活かしきれなかったら、それはそれでいいとも思っていて、「活かそう」と思うことが大事なので、とりあえずあがいてみます!「WOWOWオリジナルドラマ神木隆之介の撮休」WOWOWにて1月7日(金)放送・配信スタート(毎週金曜よる11時~放送・配信/各話放送終了後、WOWOW オンデマンドにてアーカイブ配信)。【WOWOWプライム】第1話無料放送/【WOWOWオンデマンド】無料トライアル実施中。(text:Naoki Kurozu/photo:Maho Korogi)
2022年01月07日邦画、洋画と多くの映画作品が公開された2021年。ワクチンの普及によりコロナ禍でも劇場に足を運ぶ人の数が増え、少しずつ活気が戻り始めました。今年は『新感染半島 ファイナル・ステージ』に始まり、『花束みたいな恋をした』のヒット、マーベル作品や『DUNE/デューン 砂の惑星』『マトリックスレザレクションズ』『キングスマン:ファースト・エージェント』など延期となっていた作品も次々と公開されました。そんな中で、シネマカフェでは映画やドラマなど映像作品に関わる様々な方々に取材を敢行。まだまだ来日インタビューは叶わず…ではありますが、今年掲載した記事の中から、多くの方に読まれた人気記事をランキングにして発表します!10位:高畑充希『浜の朝日の嘘つきどもと』高畑充希『浜の朝日の嘘つきどもと』/photo:Jumpei Yamada映画好きであればきっと、忘れられない思い出の映画館・劇場がある。高畑充希にとって、忘れられないその場所は地元・大阪の梅田芸術劇場だという。「小っちゃい頃、そこでしょっちゅうミュージカルを観てましたし、楽屋の出待ちをしたこともありました。演じる側として初めてあの舞台に立たせてもらったのは10代の頃でしたが、楽屋から舞台に通じるエレベーターに特有の“匂い”があって忘れられないんですよ。あれは何の匂いなんだろう…(笑)? その後も何度も立たせてもらってますけど、あの匂いは変わらないし、私にとっては特別な劇場ですね」。高畑さんが主演を務める映画『浜の朝日の嘘つきどもと』は、福島県南相馬市にある、経営が傾いた小さな映画館「朝日座」を立て直すために現れたヒロインと彼女の熱意に心を動かされていく周囲の人々の姿を描いた作品。観終わった後に、自分の心の中の思い出の映画館…いや、映画館に限らず、大切な場所や存在に思いを馳せる――そんな作品に仕上がっている。高畑さんは、どのような思いを持ってこの作品に臨んだのだろうか?>>>【インタビュー】高畑充希 大きな“破壊”の後に気づいたこと…失う前に気づくことの大切さ9位:有村架純『花束みたいな恋をした』有村架純『花束みたいな恋をした』/photo:You Ishii人気ドラマ「カルテット」(17)の脚本家・坂元裕二と土井裕泰監督が、映画では初タッグを組んだ『花束みたいな恋をした』。運命的な出会いに恋の予兆を感じたふたりが付き合い、同棲を始め、社会人になったことでモラトリアム期間が終わり、恋愛感情にズレが生じていくさまを、坂元氏ならではの“生きた”セリフの数々が彩り、土井監督の優しいまなざしが観客の涙を誘う。菅田将暉と共に、ある男女の5年間を生きたのは、近年ますます活動の幅を広げる有村架純。「有村架純の撮休」(20)や『るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning』(21)など、話題作に引っ張りだこの彼女は、どのような想いで本作に挑み、何を得たのか。>>>【インタビュー】有村架純、菅田将暉との共演で芽生えた責任感「自分たちが次の時代を作っていく」8位:向井理「華麗なる一族」向井理「連続ドラマW 華麗なる一族」俳優の向井理は、2021年でデビュー15周年を迎えた。洒脱な雰囲気は当時から変わらないが、近年においては、少しリラックスしたような温かみまでも、持ち合わせているように見える。「今年で15、16周年なのかな?振り返ることはあまりないですし、“こういう人になりたい”というのも、特にはないんです。ああ…!けど、ドラマ『華麗なる一族』で共演した中井貴一さんのスタンスは、すごく素敵だなと思っています。僕はまだ引き出しが全然足りていないので、もっともっと、いろいろなことを経験していかないと」。向井さん本人はこう話すが、フィルモグラフィーをたどると、その“経験”はとても多彩で、俳優としての確かな歩みが感じられる。>>>【インタビュー】デビューから15年、向井理の引き出しの秘密「いろいろやっていくと、欲が出てくる」7位:岩田剛典&新田真剣佑『名も無き世界のエンドロール』岩田剛典×新田真剣佑『名も無き世界のエンドロール』/photo:You Ishii物語の始まりは、似た境遇で育った幼なじみ、キダとマコトの学生時代から。強い絆で結ばれた2人は転校生のヨッチ(山田杏奈)と出会い、3人で平穏な日々を過ごしていた。そんな彼らの青春は“ある時点”を境に、別々の道へ。しかし、かたや裏社会の人間、かたや実業家となったキダとマコトには、ある目的があった…。ラスト20分の真実。この世界の終わりに、あなたは心奪われる――。こんなキャッチコピーからも分かるように、『名も無き世界のエンドロール』は実に巧妙で厄介な作品だ。友情と恋心がもどかしく交錯する青春映画かと思えば、衝撃をはらむサスペンスの香りも。そのため、初共演の岩田剛典と新田真剣佑も、プロモーションに四苦八苦!?親友同士を演じた親密さを漂わせつつ、物語の秘密を共有する者同士の“共犯感”を匂わせつつ、作品やお互いのことについて語った。>>>【インタビュー】岩田剛典、新田真剣佑は「闇を匂わせる」親友同士を演じて物語の秘密を共有6位:松坂桃李『いのちの停車場』松坂桃李『いのちの停車場』/photo:You Ishii本人が望むか、望まないかは別として、松坂桃李は今や賞レース常連の俳優だ。20代で「がむしゃらに」積み重ねた作品群は、実となり、32歳の自身の背中を押すものとなった。第44回日本アカデミー賞授賞式では新人俳優賞のプレゼンターを務め、「ひとつひとつを積み重ねていくことで、再会も増えてくる仕事。現場での再会を望みます」と、実感がにじむメッセージを伝えていた。そんな松坂さんこそ、今、作品で再会したい人は誰なのか、聞いてみた。「いやあ、いっっっぱいいます!まず、役所(広司)さん。あと、(樹木)希林さんとは、もう1回ご一緒したかったですね。年齢は違いますけど、ほぼ同じ時期に事務所に入った菅田(将暉)とも、『キセキーあの日のソビトー』以来、映画をやってないからまたやりたいですし。同世代で言えば、岡田将生、濱田岳ともやりたいですし、本当にいっぱいいますねえ。もちろん、『いのちの停車場』で関わった俳優部の皆さん、吉永小百合さんをはじめ、またご一緒したいです」>>>【インタビュー】松坂桃李、自分にとっての核を見つめ直す今「生きることは、小さな幸せの積み重ね」5位:鈴木亮平『土竜の唄 FINAL』鈴木亮平『土竜の唄 FINAL』/photo:Maho Korogi俳優・鈴木亮平から滲み出る人柄のよさ、サービス精神は、インタビューの冒頭から垣間見えた。机の上に置かれたペン型のICレコーダーを物珍しそうにしげしげと見つめた鈴木さんは、「あ、じゃあ…」とスーツの内ポケットにしまい込む仕草をして、にやりと笑みを浮かべる。茶目っ気あふれる行動はほっこりした笑いを生み、取材場に漂っていた緊張感を瞬時にやわらげた。「実は関西人なんですよ」と言う鈴木さん、ちょっとだけ“ボケたい”思いは、兵庫県西宮市出身の血が騒ぐということか。「最近、自分が“すごくストイックに役作り”みたいに書かれているのを読むと、そんなわけじゃないんだけどな…と思うことがあります(笑)。例えば『HK 変態仮面』だったら、ああいう(コメディの)作品だから“すごく真面目にインタビューで答えたら面白いのかな?”というのも実はちょっとあり、真面目に答えたりしているんですよ。ボケのつもりで答えていたら“こういう役でも、鈴木はすごく真面目にやってる!”みたいに書いていただいて…(笑)」。>>>【インタビュー】鈴木亮平、挑戦を糧に突き進む新しい自分との出会い「まだ守りに入る段階じゃない」4位:土屋太鳳『哀愁しんでれら』土屋太鳳『哀愁しんでれら』/photo:Jumpei Yamada土屋太鳳が持つ清廉さは『哀愁しんでれら』には1ミリも存在しない。剥き出しの喜怒哀楽と愛情への執着と貪欲さ、人間の尊厳を根底から揺るがす、シンパシーを感じない人物を土屋さんは演じた。「…これって土屋太鳳だよね?」こちらが戸惑うほどに、どぎまぎしてしまうほどに。強烈なインパクトを剛速球でくらう。俳優としての進化を感じさせる、グラデーションの効いた役、土屋さんの圧倒的な佇まいについて感想を伝えると、「うれしい…ありがとうございます。すごくうれしいです。最初、3回お断りした役だったので」と、「ああ、土屋太鳳だ」と認識させてくれるイノセントな微笑みで、土屋さんは同作について語り出した。>>>【インタビュー】俳優としての覚悟と進化、グラデーションを見せる土屋太鳳3位:江口洋介『るろうに剣心 最終章 The Beginning』『るろうに剣心 最終章 The Beginning』(C) 和月伸宏/ 集英社 (C)2020 映画「るろうに剣心最終章 The Beginning」製作委員会「るろうに剣心」シリーズで斎藤一を演じる江口洋介。『The Beginning』で新選組時代の斎藤を演じての感想や、斎藤のトレードマークとなっているタバコへの熱い思いなど、たっぷりと語ってもらった。「ある時期から(武士にとっての)刀じゃないけど、タバコを劇中で吸う事が難しい時代になって、(このシリーズで)また得意なタバコを吸えたんでね、俺としてはこの役はどんどん広げられたつもりではいるんですけど、「タバコと刀」というのは斎藤には切っても切れないものですね。そういう意味で芝居をするにしてもすごく印象的だったし、ここまで深く関わった作品も初めてだったんで、寂しさはありますよね。終わってしまった寂しさっていうのはありますけど、やり切った感もあります」。>>>【るろ剣リレーインタビュー 第5回】江口洋介、リアリズムを持って演じた役は「死神のようなイメージ」2位:佐藤健『るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning』佐藤健『るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning』『るろうに剣心 最終章 The Beginning』の公開初日に緋村剣心演じる佐藤健に再びインタビューを敢行! 「佐藤健にいまだから聞きたいこと、言いたいこと」として武井咲、青木崇高、新田真剣佑、江口洋介、有村架純からの質問に全て答えてもらった。佐藤健の弱点、そして真夜中のストレス解消法とは…?>>>【るろ剣リレーインタビュー 最終回】佐藤健、代表作となった剣心は「どこかにずっといて、切り離せない存在」1位:永野芽郁&田中圭『そして、バトンは渡された』田中圭&永野芽郁『そして、バトンは渡された』/photo:Maho Korogi永野芽郁と田中圭の朗らかな笑い声が上がると、室内のムードが一段と明るくなった。スチール撮影中、永野さんが以前勧めたという韓国ドラマを「観たよ!」と勢いよく告げた田中さん。しかし、その感想は「普通かな(笑)?」と茶目っけたっぷりで、永野さんは思わず「ええ~!本当にちゃんと観ました!?」と目を丸くしつつ食い下がる。田中さんに熱弁をふるう永野さん、笑顔でやさしく見つめる田中さん。いつまでも眺めていたくなるほっこりな姿は、初共演した映画『そして、バトンは渡された』にて演じた、血のつながりのない親子に重なるようだった。>>>【インタビュー】永野芽郁&田中圭、絶妙な距離感から生まれた“親子”の信頼関係(text:cinemacafe.net)
2021年12月30日大河ドラマ「龍馬伝」(2010年)、「平清盛」(2012年)、大河ファンタジー「精霊の守り人」(2015年~18年)を経て、「岸辺露伴は動かない」(2020年)でも人物デザイン監修を務めることになった柘植伊佐夫。だが原作は独特の世界観、デザイン性が貫かれ熱狂的とも言えるファンを持つ荒木飛呂彦による人気漫画。果たしてこの新たなチャレンジに柘植さんはどう立ち向かったのか? そして岸辺露伴のヘアバンドの色と素材はどのように決まったのか…? インタビュー【後編】をお届け!原作者・荒木飛呂彦からの言葉原作の極彩色からあえてモノトーンの世界へ…そのアプローチの真意は?「岸辺露伴は動かない」で人物デザイン監修を務めた柘植伊佐夫氏――「岸辺露伴は動かない」以前にも、漫画原作の実写化には数多く参加されていますが、小説原作やオリジナル脚本の作品とは違うものですか?やはり違いますね。文字原作ではなく漫画やアニメなどのビジュアルが存在する作品が原作の場合、当然ですが既にファンの方にはイメージが刷り込まれているので、それをまず「裏切らない」ということは大切にしています。実写化されるということは“力”がある作品であり、つまりファンも多いということ。そのファンの方たちを裏切るのは無意味なことだと思います。とはいえ「裏切らない」ということは、単に原作をそのまま“トレース”すればいいというわけでもありません。それでは「その程度ならつくるなよ」と思われてしまいますから(苦笑)。期待以上のものにしないと、やはりファンの方たちに満足していただけないと思っています。具体的につくっていく上で、通過しなければいけない“記号”というものは、原作の中に必ずあります。岸辺露伴であれば、ギザギザのヘアバンドとかですね。とはいえ、漫画は二次元の世界にファンタジー的に虚構として存在するものです。たとえドキュメンタリーを題材にした漫画を描こうが、それは紙の上に描かれている虚構なわけです。でも、その虚構を原作・原案にして映像で描こうとすると、話は全く違ってきます。それこそ、いまこの場で“岸辺露伴”をつくるとしたら、この部屋の壁はどういう素材なの? イスの形状は? といった非常に生々しい現実に沿って虚構の世界を描かなくてはならないんです。単に“記号”を取り出してそこに置けばいいというものではないので、その表現の按配を決めていく必要があります。ものの形や素材はどうするのか? (動きの)滞空時間はどれくらいだとちょうどいいのか? 上着を着せた方がいいのか? 脱がす時間はどれくらいがいいのか? そういった細かい部分を詰めていくことで、二次元の原作で表現されている力と、映像によって描かれる力がイコールになっていくんだと思います。単に形をなぞればいいんだというわけではありません。「岸辺露伴は動かない」第5話――具体的に「岸辺露伴は動かない」の制作において、どのようなことを重視し、岸辺露伴、泉京香といった人物像を作り上げていったのでしょうか?最初にまだプロデューサーが決まっていただけくらいの頃、(渡辺)一貴さんから「これをやろうと思っています」とお話をいただいた時には、既に一貴さんは、原作の極彩色の世界ではなく、モノトーンな感じで収めていきたいってことはおっしゃっていました。それはかなり賢いアプローチだなと思いました。なぜかというと、そもそもこの漫画は、映像化することのリスクの高い原作だと思うんですよね。あまりに虚構性が強いので、この現実の世界でロケーションをやって…となると、嘘が嘘としてバレちゃうんです。でも、そこからある程度の“色” “彩度”を抜いていくことで形になっていくんですよね。結果的にエピソードが進む中で、モノトーンばかりではなくいろんな色彩が出てくるんですけど、まず概念としてモノトーン化していこうというのがありました。――原作者の荒木飛呂彦先生ともお話をされたと伺いました。編集担当の方を通してやりとりさせていただきました。衣装デザインを描いていく中で、荒木先生に目を通していただくプロセスがあったんですが、最初に少し原作に寄せたデザインをお渡ししたところ「わりと原作から離れていただいて大丈夫です」ということをおっしゃってくださって、そこから少しシフトしていきました。こちらもどれくらい切り込めるのか? 「あまりに原作から離れてはいけないだろうな」という思いは当然、ありましたし、一方で「原作から少し離れてもやれるだろう」というせめぎ合い、葛藤もありました。そこで荒木先生が「全然、離れてくれて大丈夫です。なんならヘアバンドすらなくても大丈夫ですよ」とまでおっしゃってくださったんです。漫画のイメージを抽出することがきちんとできれば、“記号”そのものにこだわっているわけではないということをおっしゃっているんだと感じて、そこから一気に描きやすくなりまして、そこから実際のドラマでも使われたルックがすぐに出てきましたね。「岸辺露伴は動かない」第6話――最終的にヘアバンドは残すということを選んだわけですね?そうです。一貴さんとも話をして「残した方がいいだろう」と。あのギザギザの感じを残した方がいいなと思ってて、でもすごくリスキーなアイテムだなとは思いました。ただ、ヘアバンドの色を黒にしたことで、高橋一生さんの髪はある程度の長さがあるので、髪の動きとギザギザのヘアバンドが混ざって渾然一体となるなと思って、そこを狙いました。ギザギザだけが輪郭として出てくるのではなく、髪と混ざってどこからが髪の毛で、どこからヘアバンドなのかわからない状況になるといいなと思ってつくりました。――原作の本編の「ジョジョの奇妙な冒険」において、第三部の主人公・空条承太郎の髪の毛と帽子が一体化しているという描写がありますが、それとも重なりますね。僕もそれは思いました。荒木先生の描くヘアスタイルって、境目がわからないものが多くあるので、そういう意味でもちょうどいいなと思いました。――ちなみにあのヘアバンドの素材は何なんですか?フェイクレザーですね。今回の4~6話でもフェイクレザーなんですけど、今回のほうが素材的には少し硬めになっています。それはパッと見にはなかなかわかりにくい、本当にギリギリの違いなんですけど、前回の1~3話までと今回の4~6話の違いを表しているのかなと思います。――この「岸辺露伴は動かない」における衣装・扮装のチーム編成についてもお伺いします。トップに人物デザイン監修の柘植さんがいて、その下に衣装制作で玉置博人さん、スタイリストで羽石輝さん、ヘアメイクとして荒木美穂さんと金山貴成さんが入っています。それぞれの役割、柘植さんとどのように仕事を進めていくのかということも教えてください。僕はこのチームで動くことが多いんですが、衣装に関しては、まず僕がデザインを描き、素材の方向性も決めていきます。そこで決まったデザイン、クリエイティブディレクションを玉置に落として、玉置は衣装の制作に入ります。玉置の下にはそれぞれの専門分野を持った縫い子がいて、彼がそのチームを束ねています。デザインやクリエイティブに最適な縫い子を玉置が差配し、実際に衣装を制作していくわけです。場合によっては予測がつかない生地になることもあるわけで、僕のほうから玉置に「ここはどういう素材がいいと思うか?」と投げて、玉置から「こういうのとこういうのもありますがどうですか?」と返ってきて、その中から選ぶといったこともあります。制作のプロセスとしては、現代美術の工房に近いかもしれませんね。スタイリストの羽石には、つくりもの(=実際に素材から縫い子が作り上げていく衣装)以外の衣装の“選び”をやってもらいます。こちらから「こういうワンピースがほしい」とディレクションをして、そうすると羽石は候補になるワンピースを選んできます。その中からイメージに合うものを選んでいきます。岸辺露伴が着けているサスペンダーや小物、今回はチェーンなども出てくるんですけど、そういうものも羽石が集めてきます。小物に関しても、こちらが最初にイメージするデザインを描いて渡す場合もありますし、最初に羽石にいくつか集めてもらって、選ぶ場合もあります。今回、カフスボタンをつくっているんですけど、これはストーリーにも関わってくるちょっと特殊なカフスなんですね。それは僕が「こういうのをつくって」とデザインを渡して、作ってもらっています。チェーンに関しては羽石がすごくチェーンが好きで(笑)、「こういう感じですか?それともこんなのはどうですか?」といっぱい持ってきてくれた中から選びました。「岸辺露伴は動かない」第4話ヘアメイクについては、今回の第4話「ザ・ラン」には、原作を読まれている方はわかると思いますが、頭にトゲトゲとしたものが付いたヘアスタイルの登場人物が出てきます。最初の時点で僕から「あの“角”はドラマでも絶対に付けるからね」ということは伝えました(笑)。そうすると当然「じゃあ、角の素材はどうしようか?」という話になるわけです。――角の素材…(笑)。そこにはもはや、理由など存在しないわけです(笑)。あの頭で普通のヘアスタイルとして、存在しうる角ってどういうものなのか――? 僕はとにかく「角は付けるから」ということは伝えるんですが、どういう素材、形状にするかという部分は、ヘアメイクチームが考えてくれました。最終的に、黒い羽根を切ったものを付けています。岸辺露伴、ジムへ! トレーニングウェアはどうあるべきか?「岸辺露伴は動かない」第4話――衣装合わせで実際に俳優さんに衣装を身に着けてもらって、話し合うという機会もあるかと思いますが、どのように進めていくのでしょうか?僕は衣装合わせの回数が多い方だと思います。少なくとも3回はしますし、そこで高橋(一生)さんとも「どういう感じにしようか?」とやりとりをするわけです。前回の1~3話を経たことで、今回の4~6話になると、もう一生さんの好みのパンツの形というのも出てきて、ご自身の体型に一番合うと感じる形があるんですね。今回、第4話の「ザ・ラン」ではジムのランニングマシンで走るシーンが多くあって、体の線とも関係してくるんですね。なので、あえて「高橋さんが普段から履いてらっしゃる好きなパンツを貸してくれませんか?」とお願いして、2本ほど貸していただきました。それぞれ微妙に違うんですが、そこに「なぜそのパンツが好きなのか?」という“解”が詰まっているわけです。それを参考に「ザ・ラン」のパンツの形は決めました。これは前作で築いた関係性があるからこそ、できたやり方だなと思いますね。信頼関係がないとそういうクリエイティブのやり方ってできないですからね。――飯豊まりえさんが演じる編集者・泉京香も個性的で存在感のあるキャラクターであり、前作でも衣装やバッグ類などが大きな話題を呼びました。飯豊さんともいろんなやりとりがありました。前回は好評をいただいたんですが、逆に今回、泉京香の衣装に関しては、非常に難しい局面だなと感じていました。というのも、前作の好評を受けて、調子に乗ってさらに燃料を投下して攻め過ぎてしまうと、たいがい叩かれてしまうものなんですよね。不思議なもので、同じアプローチで同じことをしていても、2度目になると「自意識過剰」というふうに受け取られてしまったりするんです。泉京香というキャラクターのかわいさを飯豊さんを通じて表現するのが僕の役割です。そこで今回は、あえてちょっと引いています。前回のシーズンでは、思い切り前に出していますが、それはなぜかというと、先ほども説明しましたように露伴をモノトーンで引き気味の色調にしているからです。そこでバランスをとるために、あえて泉京香のエネルギーを前に出しているんです。でも今回は、露伴のほうがコーディネート数も多くて、“エネルギー値”も高めなんですよ。特に今回、4話と5話は男性ゲストを迎えての“男の世界”という感じが強めなので、なので、京香は少し抑え気味にしています。これはすごく“音楽的”なチューニングだなと思いますね。「岸辺露伴は動かない」泉京香(飯豊まりえ)――いまお話に出た第5話「背中の正面」のゲストは市川猿之助さんですから、たしかに非常に“強い”画になりそうですね。原作の漫画(「ジョジョの奇妙な冒険」)では、やや弱々しい印象の男性で描かれていたので意外です。すごくおもしろくなってます(笑)。“強い” “弱い”というのは、周りとの関係値の中でどれだけ浮くのか? 混ざれないのか? ということと関係しているんだと思います。例えば猿之助さんも出演されていたドラマ「半沢直樹」だと、猿之助さんが強さを押し出しても、周りのキャラクターも非常に強いので、そこで変に浮き過ぎるってことはないんですよね。今回の作品でも、とても“強い”表現が出てくる部分はあるんですが、それで浮いたり、違和感があるかというとそれはないです。なぜなら、そもそもこの作品自体が“違和感”を醸し出しているからだと思います。“普通”ってすごく難しいことで、作品の世界線に沿った上でのことなんです。ものすごく違和感が漂う作品の中で、「普通のキャラクター」として地味な人物を出したら、それはそれで悪目立ちしてしまったりもします。作品の世界、周囲のキャラクターとの関係の中で強さや弱さを表現しています。「岸辺露伴は動かない」乙雅三(市川猿之助)――作品の世界観や空気感といったものは、前作で築いたものを前提にしつつ、変化している部分もあるのでしょうか?それはあると思います。前回の3話は強烈な原作ということもあって、つくっているこちらにも“恐る恐る”という感じで「これくらいの感じであれば、見てくださるみなさんに納得していただけるんじゃないか?」と測りながら制作している部分はありました。今回はもう少しアクセルを踏めるというところがあって、ドラマ的な世界観を築くことができたので、それに則りつつ、さらに踏み込んだ表現に転換できるので、その分では少し変化があって、今回のほうがより“原作寄り”の表現ができていると思います。原作の“奇妙さ”をより深く表現! 前作からの進化と挑戦「岸辺露伴は動かない」第6話――改めて放送を控える「岸辺露伴は動かない」の4話~6話について、柘植さんの視点で魅力やここを楽しんでほしいというポイントを教えていただければと思います。1話、2話、3話がある程度のご支持を得られたという思いがある中で、今回の続編をつくれることになって、やはり前作よりもさらに踏み込んだ荒木先生の“原作感”をもう少し色濃く入れられていると思います。1~3話で貫かれた文脈を踏襲しつつ、原作にある“奇妙な”世界観、ファンタジー的な世界をより深く描けていると思います。――第4~6話のラインナップ(「ザ・ラン」「背中の正面」「六壁坂」)が発表されて、「これぞ『ジョジョ』の世界! これぞ『岸辺露伴』!」と原作ファンの期待もさらに高まっていると思います。そうなんですよね(笑)。原作が本来持っている怪奇色が強まっていて、楽しんでいただけると思います。「これをやっちゃって、次があったらどうするの?」という感じです(笑)。――ここから再び、柘植さんの仕事観などについてお聞きできればと思います。人物デザイン監修という仕事のやりがい、おもしろさについて教えてください。先ほども説明しましたが、僕自身は自然にこの仕事をやることになってしまったという経緯がありまして、例えば「画家になりたい」みたいな感じで目指してこの仕事に就いたわけではなく、流れ流れてこの仕事をやるようになったんですね。その中で「人物像を美しくしたい」「人物像の本質的な表現をしたい」という思いは、ヘアメイクとしてこの世界に入った頃からいまに至るまで終始一貫していて変わりません。心から美しい人物――表層的な部分だけでなく、本質に近いという意味で美しい人物を作るというのが僕が仕事をする上でのテーマなので、そういう意味でやりがいを感じる仕事だなと思います。とはいえ、僕の場合、受注仕事なので、監督や俳優さん、プロデューサー、局から依頼があって初めてできる仕事で、一貫して受動的なんです。“やりがい”という気持ちは能動的なものですけど、環境的、肉体的な状況は受動的なので、不思議な感じですね(笑)。――柘植さんが現在の仕事をする上で、最も影響を受けた存在(ひと・もの・作品など)は何ですか?すごく月並みなんですけど(レオナルド・)ダ・ヴィンチですね。実家にルーブル美術館の本があって、しかも全集なのにそのうちの1冊しかなくて(笑)、そこに「モナ・リザ」や「岩窟の聖母」があって、それがすごく好きで、子どもながらにずっと見てましたね。なので、自分の中の美的な基準点というのはルネサンスにあって、すごく古典的だと思います。――美容と人物デザインのラボとして、一般の方・プロフェッショナルを目指す方を問わず参加できる「コントラポスト」を主宰されていますが、ご自身のお仕事における次の世代の育成といったことは意識されているんでしょうか?うーん、その意識がないわけではないですし、講師などのお話をいただいたり、実際に以前、ヘアメイクのセミナーを行なって優秀なヘアメイクがそこから輩出されたりということもあったんですが、すごく積極的に若い世代にこちらから何かを教えたいというよりは、尋ねられたら教えるというスタンスですね。自分がやっていることって、すごく伝えにくいことなんです。あと、“縁”が大事だったりもするんですよね。だから「こういうことを教えるから、興味のある人は集まって!」という感じの学校教育型のスタイルには向いてないと思います。つまり、“師弟関係”とか“学び”ということの本質を理解できないと、この仕事って伝えていけないと思うんです。人物デザインであったり、新しいクリエイティブを後世に伝えていこうという関係って、学校教育型のやり方だとあまりに一様なものになり過ぎてしまって、核の部分が伝わりにくいんじゃないかと感じています。一方で、広く薄く、システマティックなやり方であっても、そこから何かを拾いあげることができる人たちというのが、多くはなくともいて、それによって伝わっていくということもありうるので、一概にそのやり方を否定するつもりもありませんが…。――柘植さんがやられているような人物デザインやクリエイティブ、もしくは映画やドラマの世界での仕事を志している若い人たちに何かメッセージや「こういうことを大切に」というアドバイスなどがあればお願いします。そうですね…、このくらいの年齢になると、過去の自分がやったことが、未来の自分を追いかけてくるんですよ(苦笑)。良いことをやれば、それはそれで良いことが追いかけてくるし、悪いことをやれば、悪いことも追いかけてくるんです。でもホルモンバランスのせいなのか、若い頃ってなかなか理性的なことばかりをするわけでもないし、むしろそういう理性的でない部分が良かったりもするわけで、野放図にやるのはいいと思うんです。とはいえ、必ず自分がやったことは、自分の未来に影を落とすので(笑)、そのことだけは肝に銘じて置いたほうがいいよと言いたいですね。必ずですから(笑)!心して行動したほうがいいよと。(photo / text:Naoki Kurozu)
2021年12月28日岸辺露伴はどんな素材のヘアバンドをするべきか――?たかがヘアバンドなどと言うなかれ! それは作品の世界観や方向性を決定づける…ひいてはドラマの成否に関わる非常に重要かつデリケートな問題なのだ。映画やドラマの仕事に携わる人々に話を伺う連載インタビュー【映画お仕事図鑑】。今回、ご登場いただいたのは、映画『シン・ゴジラ』や『翔んで埼玉』、大河ドラマ「龍馬伝」、「平清盛」などで登場人物の衣装・ヘアスタイルといった扮装を統括する「人物デザイン監修」を担当してきた柘植伊佐夫。「岸辺露伴は動かない」12月27日より3夜にわたって放送される、荒木飛呂彦の人気漫画「ジョジョの奇妙な冒険」の人気キャラクター・岸辺露伴を主人公に生まれたスピンオフ漫画を実写ドラマ化した「岸辺露伴は動かない」でも、柘植さんは人物デザイン監修を務めており、高橋一生演じる岸辺露伴、飯豊まりえが演じ人気を博した編集者・泉京香ら登場人物たちの衣装、ヘアスタイルなどを緻密に作り上げている。放送を前に柘植さんにロングインタビューを敢行! そもそも“人物デザイン監修”とは何をする仕事なのか? 柘植さんはどのようにこの世界に足を踏み入れたのか? そして「岸辺露伴は動かない」の制作の裏側に至るまで、前・後編の2回にわたってお届けする。まずは【前編】、人物デザイン監修について、そして大河ドラマ「龍馬伝」や「平清盛」に携わっていくことになったエピソードについて。デザインの決定から撮影現場の管理まで――衣装とヘアデザインの“クリエイティブ・ディレクター”「岸辺露伴は動かない」第4話――まもなく放送となるドラマ「岸辺露伴は動かない」などで、柘植さんは「人物デザイン監修」とクレジットされています。この「人物デザイン監修」という仕事の内容について教えてください。まず、衣装とヘアメイクという、扮装全体のデザインを決定するクリエイティブ・ディレクションをしているのと、実際のそれらのデザインワークをするという2点ですね。さらに、プロダクション(撮影)に入った際に現場の差配――準備段階でデザインを決めても、現場でそれを維持していくことって大変なので、そのマネジメントもしています。――事前のデザインの決定に加えて、実際の撮影の段階で現場にも足を運ばれてマネジメントを行なうということですね?そうですね。いま、ちょうど『シン・仮面ライダー』(※扮装統括と衣装デザインを担当)に入っているんですが、現場にもかなり足を運んでいます。ちなみに“扮装統括”と“人物デザイン監修”は基本的に同じことで、プロダクションによってクレジットを載せる際のイメージなどに合わせて言葉を変えているだけです。ただ、現場に出るかどうかは作品や状況にもよって異なります。『シン・ゴジラ』でも扮装統括をやったんですが、デザインとしては、それほど現場で難しいコントロールが必要な作品ではなかったんです。要するに、登場人物の多くは政治家と官僚で、防災服かスーツを着ていることが多かったので。あの時はあまり現場に出ることはありませんでした。今回の『シン・仮面ライダー』ですと、非常に管理が難しい衣装なので、そういう場合は現場に出ています。「岸辺露伴は動かない」第6話――もともと、柘植さんはヘアメイクを学ばれて、この世界に入ったそうですね。そこから現在のように、衣装も含めた扮装の全体をディレクションするようになった経緯を教えてください。僕がヘアメイクの活動をやっていたのは80年代ごろで、自分が担当するのは首から上なんですが、意外と自分で差配をさせてもらえるページが多くて、自分で全体のディレクションをしていくということは多かったんですよね。いま考えてみると、部分的なところではなく、全体的なデザイン像やコンセプチュアルな部分をつくっていくということは、あの当時からやってはいたんですよね。映画で人物デザイン監修の仕事をやるきっかけになったのは、2008年公開の『ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌』でした。前作の『ゲゲゲの鬼太郎』(2007年公開)では“ビューティーディレクション”という肩書きで、要はヘアメイクプランナーをやっていたんですが『ゲゲゲの鬼太郎』っていろんな妖怪が出てくるし、半妖怪のような存在もいるし、人間世界もあるので、全部で三層の登場人物たちがいて、すごく大変なんです(苦笑)。この三層をそれぞれ映画的表現にするとなった時、スタッフの担当領域をどうするのか? 人間だけでもヘアやメイク、かつら、爪もあるし、これが妖怪となると特殊メイクも入ってきます。じゃあ妖怪のかつらは、誰が担当するのか? 特殊メイクのスタッフ? それともヘアメイク? とか大変な状況になっていて、全体を仕切るスタッフが必要だということで、プロデューサーから「全体を見てほしい」と僕に白羽の矢が立ったんですね。その時は“キャラクター監修”という肩書きで入ることになりました。すごく大変でしたけど(苦笑)、こんなことをやるのはこの1回きりだろうと思ってたら案外、その後も同じような依頼をいただくことがありまして。三池崇史監督の『ヤッターマン』では“キャラクタースーパーヴィジョン”という名前で同じような全体の統括をやらせてもらいました。名称に関しては、僕の仕事って以前はなかった仕事なので、名前が付けにくかったんですよ。ただ、ファッション業界から見たら、こういう仕事の進め方はいたって普通で、メゾンがあって、そこにデザイナーではなく、クリエイティブ・ディレクターがいるというのはいまでは普通なんですよね。トム・フォード以前は“デザイナー”という肩書きでしたけど、トム・フォードの出現以降、クリエイティブ・ディレクターとして衣装だけでなく全体の世界観を作り出していくという方向にシフトしていきましたけど、それと同じですね。映画やドラマの世界で、扮装面におけるクリエイティブ・ディレクションをしていると考えていただければ、わかりやすいのかなと思います。本木雅弘との出会いで切り拓かれた映画との関わり「岸辺露伴は動かない」第5話――これまで関わってこられた作品を見ると『GONIN』、『双生児 -GEMINI-』、『おくりびと』など、本木雅弘さんが出演されている作品が多いですが本木さんとは以前からお仕事を?そうなんです。もともと、本木さんが独立された頃に知り合って、それからずっとヘアメイクを担当させてもらっていました。『GONIN』(1995年)も本木さんに声を掛けていただいて、当時の僕は映画業界のことは何も知らず、本木さんのヘアメイクだけを担当させてもらったんですが、それが映画業界で仕事をするきっかけになり、その後『白痴』(1999年/ヘアメイク監督)、『双生児-GEMINI-』(1999年/ヘアメイク監督)とたて続けに映画の仕事をやらせてもらいました。――本木さんの衣装とパフォーマンスが大きな話題を呼んだ1992年の紅白歌合戦の際も、ヘアメイクを担当されたそうですね?そうです。あの時はリハーサルでスタジオに行ったら、「こんなことをやろうと思っている」と聞かされて、本木さんらしい強烈な茶目っ気だなと思いましたね(笑)。僕はヘアメイクで入っています。あの当時、流行っていたグランジ(1990年代初頭のパンクとハードロックを融合させたムーブメント)のテイストになっています。――先ほど名前が出た三池崇史監督とも『殺し屋1』(2001年)からという、かなり長いお付き合いなんですね?そうです。『殺し屋1』は浅野忠信さんのヘアメイクデザインで入りました。浅野さんともそれ以前から仕事をさせていただいていたし、あの作品は衣装を北村道子さんが担当されていて、北村さんからのお声がけもありました。「岸辺露伴は動かない」第6話――肩書の名称の話に戻りますが、野田秀樹さんが演出を務めるNODA・MAPの公演(「贋作 桜の森の満開の下」、「Q:A Night At The Kabuki」ほか多数)をはじめ、数々の演劇作品にも参加されていますが、こちらは“美粧”という肩書になっていることが多いですね。「美粧」はヘアメイクプランナーですね。舞台のクレジットの並びって漢字が多いじゃないですか? そこに“ヘアメイク”と入るのも無粋だなと思いまして、美粧という言葉を使わせてもらっています。――「美粧」というのは「美しく装うこと」という意味を持つ言葉で、昔は美容院、ヘアサロンのことを美粧院と呼んでいたとか。この言葉自体、聞き慣れないという人も多いかと思います。こうした肩書に関しては、自分の中で、どこかで「わからなくていいや」という気持ちがあるのかもしれません(笑)。いや、わかってほしいと思ってはいるんですけど、わかってもらわなくてもいいやという、反対の気持ちが働いている部分がある気がします。ただ“人物デザイン監修”という言葉は僕が決めたわけではなく、実はNHKが決めた肩書なんです。大河ドラマ「龍馬伝」という挑戦「平清盛」であえて崩した史実の決まり事「岸辺露伴は動かない」第4話――そのNHKの作品に「人物デザイン監修」という立場で最初に参加されたのが、今回の「岸辺露伴は動かない」で演出を担当している渡辺一貴さんが演出チームに入っていた大河ドラマ「龍馬伝」ですね?そうです。初めてNHKの作品に携わったのが大河ドラマで、NHKにしても人物デザイン監修というポジションを置くこと自体、これが初めての試みでした。そもそもの入口としては、以前から福山雅治さんのビューティーディレクションを担当させていただいていて、福山さんから「大河に出るので柘植さんも関わってもらえないか?」とお声がけをいただいたのがきっかけでした。最初は「いやいや」と固辞したんです。というのも、大河ドラマとなると1年から1年半もプロダクションの期間があるので、それだけ長くひとつの作品に参加するというのが想像がつかなかったんです。正直、ビビったんですね(笑)。衣装・ヘアメイクの全体を見るということは既に映画で経験済みでしたし、自分を表現できる仕事という意味で、そこに関しては躊躇はなかったんですけど、1年半もの間、参加するという点に関しては不安がありました。ただ、福山さん事務所の方たちと一緒にNHKに挨拶に伺って、紹介された時点で「これはこの作品に没入しなくては」と覚悟を決めましたし、演出の大友(啓史/映画『るろうに剣心』シリーズなど)さんや、美術統括の山口類児さんとも意気投合して作品に入ることができました。当初はどういうクレジットで参加するかという名称が決まってなくて、NHKはクレジットを承認する委員会があるんです。そこで議論があって「人物デザイン監修」という名称が出てきたらしいです。――本格的な時代劇に参加されるのは、「龍馬伝」と同じ2010年に劇場公開された三池監督の『十三人の刺客』(人物デザイン)が初めてだったかと思います。時代考証など難しい部分もありましたか?おっしゃるように「龍馬伝」の直前に『十三人の刺客』をやっていまして、時代は江戸時代(『十三人の刺客』)と幕末(「龍馬伝」)ということで、そこまで大きくずれてなかったんですね。映画のリサーチの際に、ある大学の教授にお願いしていろんな文献を見せていただいたり、勉強していて、それが役立ちました。そういう意味で、僕の中ではこの2作品は異母兄弟のような感覚がありますね。――続いて、NHKの作品に参加されたのが、同じく大河ドラマの「平清盛」(2012年)ですね。今度は一気に時代をさかのぼって平安~鎌倉初期という時代です。あれは大変でしたね(苦笑)。当時の貴族の装束や女性で言えば十二単などがありましたが、あの作品ではその史実の決まり事を少し破って、キャラクターに合わせた色にしたりしています。僧侶が大勢出てくるんですが、あまりに多いので(笑)、袈裟を着ているシーンをあえて少なめにしたり、貴族の烏帽子に関しても、本来は漆で何層にも塗り固められているんですが、そうすると烏帽子が画面を占める割合がものすごく大きくなってしまうので、あえて透けさせて中のヘアスタイルが見えるようにしたり、様式を大事にしつつも「生きた」感じを伝えるための工夫を施しました。そうすると烏帽子の強度が落ちるので、烏帽子が倒れることもあります。当時の貴族にとっては、烏帽子が倒れるって、ものすごい恥なんですけど、そういう表現があることで、逆に登場人物たちの情緒を伝えられるなとも思ったんです。権威や強さの象徴である烏帽子を使って、逆にそこに出てくる人間の弱さを表現できた部分があると思います。――NHKの歴史ドラマの場合、史料や史実を厳格に忠実に再現することを重視するのかと思っていましたが、作風やキャラクターに合わせて、あえて変える部分もあるんですね。そうですね。そもそも「平清盛」の頃の時代は“失われた50年”とも言われるくらい、史料的には暗黒の時代なんです。なぜかというと、その直後に鎌倉幕府ができたことで、その前の平家の政権の文献などで消されてしまったものが多いからです。逆に言うと、ある程度の決まり事や様式を守りつつ、自由を利かせることもできました。とはいえ、歴史好きの方からしたら「ここはおかしいんじゃないか?」という攻撃材料にもなりかねないので、難しい部分はありました。ただ「平清盛」の扮装や美術に関しては、放送開始当初から坂東玉三郎さんが非常に好意的なコメントを寄せてくださったんですよね。あれは本当にありがたかったし、すごく大きなよりどころになりました。視聴率面に関して、プロデューサーサイドや局サイドとして一喜一憂する部分はあったかと思いますが、クリエイティブの現場はそこにあまり左右されず、美術や扮装の部分でも「良いものを作っている」という自負を持っていましたし、全体的に非常に士気の高い素晴らしい現場でしたね。――2010年、2012年と1年おきにガッチリと大河ドラマに参加されて、さらにその後、2015年からは3シーズンにわたって大河ファンタジー「精霊の守り人」にまた人物デザイン監修として入られました。今度は小説をベースにしたファンタジーですね。あれもまた大変でした…(苦笑)。あれは地球上ではない世界の物語だと思いますが、どこかアジアを感じさせるような気がしていて、そうであるなら、ご覧になる方々の“既視感”を利用したいと考えて、美術・扮装チームはアジア各国の文化や風土をリサーチしました。日本国内についても、熊野古道や伊勢などの原始宗教や信仰といったものについて勉強したりもしました。――史実に基づく物語であれ、SFであれ、作品ごとにテーマや方向性に沿って、様々な歴史や文化、宗教などについて調べたり、勉強されたりしながらデザインしていくことが必要になってくるんですね。そうですね。デザインって最終的に視覚言語として表に出てくるものですけど、なぜそういうデザインになったのか? という部分の“根”を作っておかないといけないので、そこはリサーチや勉強をして、自分の中で咀嚼しなくてはいけないんですね。仮にそういうことをせずにデザインをしたとしても、見る側は多少は踊らされてくれても深く感動することはない、その程度のものにしかならないと思います。――これらの作品を経て、ようやくここから今回の本題である「岸辺露伴は動かない」についてお聞きしてまいります。「龍馬伝」、「平清盛」でもご一緒された渡辺一貴さんからのお声がけで人物デザイン監修を務めることになったそうですが、原作は荒木飛呂彦の人気漫画で、アート性も高く、熱烈なファンも多い作品です。もちろん「ジョジョの奇妙な冒険」の存在は知っていましたが、僕はもともと漫画はあまり読まない人間なので「ジョジョ」も「岸辺露伴は動かない」も読んだことはなかったんです。お話をいただいて、初めて読ませてもらいました。もちろんメチャクチャ有名な人気漫画で、熱烈なファンがいることも知っていましたから「これはなかなか難題だな…」と思いましたね(笑)。この“難題”に柘植さんはどのように挑んだのか? 【後編】につづく。(photo / text:Naoki Kurozu)
2021年12月27日「奪い愛」シリーズが遂に帰ってきた!鈴木おさむが脚本を担当する泥沼愛憎劇を豪華実力派俳優陣の怪演でたっぷり堪能できる人気シリーズの最新作「奪い愛、高校教師」(ABEMA・テレビ朝日)が12月27日(月)より4夜連続放送される。(12月20日(月)21時~「ABEMA」第1話独占先行無料配信中)今作の主演で看護師の星野露子役を演じる観月ありさに、本作への意気込みや撮影中の印象深いエピソードなどについて話を聞いた。人気シリーズへの出演「“私っぽさ”がどこかに出れば」――初めて台本を読まれたとき、どんな感想を持たれましたか?私自身も前シリーズの「奪い愛、冬」の中毒性にやられて全話を1日で一気見してしまうくらい夢中になってしまって。だから今回も台本を楽しみに待っていたんですが、その期待を超える面白さでした。――台本が想像を超える面白さだったということですが、鈴木おさむさんと初めてお仕事されてみていかがでしたか?“よく考えるよな~、どんなシチュエーションでこれを思い付かれたんだろう?”って思うような設定が沢山あって、鈴木おさむさんならではの独特な台詞まわしも面白くて。特に「~だよ~~~」って語尾を伸ばす台詞が多いので、お芝居しながら場面によって微調整しました。――人気シリーズ出演ということで、前シリーズを意識された部分はありましたか?この世界観に自分がどう溶け込むかを意識しましたね。躊躇するとおかしなことになると思ったので、真剣に振り切ってやり切ろうと思いました。ただ、“私っぽさ”がどこかに出ればいいなと思って、コミカルエッセンスも細かいところで取り入れるようにしました。前作からのシリアス調を崩さずに、ただ要所要所でコミカルさも取り入れて、露子という人間性にどこか親しみやすさも感じてもらえると良いなと思いました。全4話で描くドラマの役作りとは――今回の露子さんという人物像、キャラクターを観月さんはどんな風に捉えられましたか?露子の裏設定をきっちり決めた方が、常軌を逸した最終形が見えやすいと監督とも話し合いました。堅物が故に“こうしなきゃいけない、ああしなきゃいけない”という自分自身の思い込みでがんじがらめになってしまって、きっと元夫にもそれが重くのしかかってしまったんだろうな、とか。そしてこれから娘のこともどんどん束縛してしまうんだろうなと。理想を思い描いて生きてきた露子だからこそ、大谷(亮平)君演じる三太が自分に振り向いてくれないことが引き金になって、どんどん愛情が嫉妬に変わっていくんだろうなと思いました。元々の露子が堅物で真面目だからこそ秘めた凶暴性がより際立って、彼女の人生が崩れていく感じが出れば良いなと思っています。――そんな裏設定を踏まえて露子役を演じる上で苦労された点や、役作りで意識された点はありますか?全4話なので振り切れるまでのスパンが短いんですよね。振り切れていく途中経過や助走期間をゆっくり丁寧に描ききれない分、普通のテンションからいきなりスイッチを入れるのが大変でした。“ホップ、ステップ”がなくていきなり“ジャンプ”というか(笑)さらに、4話通しての撮影で1話を撮ったかと思ったら次に4話の撮影をしたりと順撮りではなかった分、各話のテンションのバランスを逆算しながらお芝居する必要があり、そこは難しかったかもしれないです。――観月さん演じる露子と恋敵になる松本まりかさん演じる華子の掛け合いが見事でした。相乗効果で互いの怪演を引き出し合われていたように見えましたが、共演シーンでは松本さんと何か話し合われたりしたのでしょうか?台本上、(松本)まりかちゃんと同じタイミングで同じ台詞を言って2人の声がハモるというシーンがあって、2人でどっちが高音パートを担当するか話し合ったりしました。“これ、何の打ち合わせ? 歌の打ち合わせ!?”とか言いながら(笑)大谷君演じる三太と(岡田)奈々ちゃん演じる灯を間に挟んで、大体まりかちゃんと私がやり合うシーンになるので、まりかちゃん演じる華子役との対比、立ち位置や台詞のトーンを互いに調整しながら演りましたね。“連ドラ主演”を続けられたのは「人と人との繋がりに恵まれた」――「私たちはどうかしている」(日本テレビ系)の今日子さん役、映画『劇場版 ルパンの娘』の女泥棒役と、パンチの効いた役柄が続いているように思いますが、ご自身ではどんな風に捉えていらっしゃいますか?昔はやりたくてもできなかった役で、30代もなんだかんだ正統派の役柄が多かったので、40代に入って今までとは違う役柄が演じられて面白いです。“狂気的”と一言で言ってもいろんなタイプのお芝居があることがわかってきたので、奥深いなぁと思いますし、作り甲斐があって楽しいです。――観月さんは30年連続“連ドラ主演”を飾られているという記録をお持ちで、ずっと更新し続けていらっしゃいます。長く女優を、しかも主演女優を続けられている秘訣は何だと思いますか?女優20周年まではそれが自分の生活のルーティーンで、毎年連ドラを演るのが当たり前だと思っていたんです。20周年を過ぎた頃から、周りの方々に「毎年連ドラを演っているのってすごくない?」と言われるようになって初めて「そうなんだ!」と思ったというか。年齢とともに役柄が変わっていくのも飽きずに続けられる秘訣だと思いますし、都度スタッフも変わり現場も変わるので、人と人との繋がりに恵まれ、ただただ良い人や作品との出会いがあって続けられたと思っています。――ちなみに、役柄が抜けないというようなことはないのでしょうか? どうやって作品ごとの切り替えやリセットをされているのでしょうか?撮影中はすっごい集中して役柄に入り込んで演技しているんですけれど、終わった後にスコンと抜けるんですよね。幼い頃から作品を次々にやらせて頂くサイクルに慣れているからかもしれないです。クランクアップして3日後には次の作品の現場に入っているというような感じでした。だからなのかもしれないですが、あまり過去を振り返らないんでしょうね。スケジュール的にも“失敗した、上手くいかなかった”と立ち止まっている時間がなかったというのもあるかもしれませんが、目の前にあることだけを追っかけていたのでここまでやってこれたのかもしれません。――最後に、本作をどんな方に観ていただきたいか、作品の見どころと一緒に教えて下さい。幅広い方に楽しんで頂けると思います。怖いもの見たさや興味本位でも良いので、年齢層問わず沢山の方に見ていただきたいです。続きが気になって4話ともに引き込まれるんじゃないかなと思います。私が常軌を逸した役を演じているというイメージを持っていない人もまだまだ多いと思うので、新しい一面を見て頂けると嬉しいです。「奪い愛、高校教師」は年の瀬の12月27日(月)~ABEMA・テレビ朝日にて4夜連続放送。また、12月20日(月)より先行配信中の第1話と、放送終了後の全話見逃しはABEMAにて独占配信される。(佳香(かこ))
2021年12月27日現代を代表する世界的歌姫、セリーヌ・ディオン。その類い希な才能と、天真爛漫な人柄、そして運命的な人生から生まれた愛に溢れる映画が『ヴォイス・オブ・ラブ』だ。その比類無き存在からインスピレーションを受け、製作費30億円をかけて喜びと幸福に満ちたヒロイン、アリーヌの物語を誕生させたのは、フランスのエンターテインメント界の宝とも言える国民的スター、ヴァレリー・ルメルシエだ。セリーヌに関する資料を読み込み、脚本執筆、監督、主演を務め、“愛の声”が響き渡る魅力的な作品を作り上げた彼女に、作品への思いを聞いた。役柄を演じ通すことで説得力が生まれる――セリーヌから生まれたヒロイン、アリーヌを12歳から演じていますが、少女時代から演じ通したかった理由は何だったのでしょう。実は生後6か月のアリーヌも撮影したんです。でも、プロデューサーにお願いだからこれは使わないでと言われて(笑)。ちょっと生えかけた歯を覗かせるアリーヌ…そんなシーンをいつか皆さんにお見せできる日が来るかもしれませんね。子供の頃のセリーヌはルックスに劣等感があったそうなんです。歯の矯正もしなければならないし、不器用だし。私自身、それに近い少女時代を過しているので、私はヒロインを弁護する弁護士のような存在だと感じていました。だから、大人へと脱皮する前の時代を誰かに任せるのではなく、私自身で引き受けたいと思ったんです。――確かに最初はあなたが演じる12歳の少女を観て戸惑いましたが、観ている内に、一人の女優がひとつの役柄を演じ通すことでしか為し得ない連続性や説得力を感じました。特に、後に夫となるギィ=クロードと再会するシーン。少女から一人の女性に開花したことを表現するシーンがとても素敵でした。もちろん、私を子供に見せることを可能にするには複雑な特殊効果も必要でしたが、ほとんどの撮影でとてもシンプルな手法を取り入れています。私自身はそのままで、机だけを大きくしたり、母と一緒のシーンでは母親役の役者を“雪舟”に乗せて大きく見せたり。職人芸的で素朴な撮影方法も多く取り入れたんですよ。でも強調したいのは、子供時代のアリーヌは、私の顔と誰かの体を合成しているわけではなく、全身が私。それはとても大事なことだと思いました。それに観客だって、別の子役が子供時代を演じて、成長した途端、急に私に変わったら、やはり説得力が欠けると思うでしょう?――ヒロインの名前を、セリーヌではなくアリーヌにした理由を、世界に一人しかいない大スターへの敬意を表したからと聞いています。そうなんです、おっしゃるようにセリーヌは唯一無二の存在。だから、セリーヌ・ディオンと描かれたレコードジャケットが私の後ろに飾られていたら、嘘っぽくなると感じました。制作の早い段階で“アリーヌ”という名前に変えたことで、私自身は演出上の自由を勝ち得たんです。気負いなしに架空のエピソードを盛り込めたし、事実以上にロマンティックで映画的な作品にすることが出来ました。セリーヌは私よりもずっと若いし、私よりも何百万倍も有名。私は彼女の香り、パルファムのようなものを薫らせることはしましたが、セリーヌに取って代わることは試みませんでした。それと同じ理由で声もセリーヌの声を使わず、別の女性歌手にすべてを任せたんです」――ヴァレリーさんは、実際にセリーヌのファンだそうですね。実はコンサートに行った後で、30秒ぐらいだったら会えるよと言われたんです。でも、30秒なら私はきっと何も話せないし、消化不良になりそうだと思ったので、会うことは諦めました。彼女のことは多くの本で知っていましたから。ですから、会って挨拶するくらいの時間が、作品の何かを変えたとは思っていません。きっと一緒の写真をいっぱい撮られて、映画のプロモーションに使われて、二人は全然違うじゃないかと思われて終わるということになっていたかも知れませんし(笑)。いつか会えることを願っていますが、せめて15分はお話ししたいですね。世界的大スター誕生の背景に運命的な巡り合い――本作の製作過程について教えてください。全く飽きることがなかったです。これはレアなこと。一回でも数秒でも、もううんざりと感じたことはありませんでした。セリーヌの夫のルネと、彼女の母親についてのとても分厚い本を読んだんですが、それによって彼女に起きたことを多角的に理解できたんです。母親は14人目の子供は作らないでおこうと思ったのに、結局は出産しました。それがセリーヌ。本当なら、この世に存在しなかった子供を産み落としたことにより、その子と特別な絆を感じています。自分の迷いを悔いるような、改悛の思いがそうさせたんじゃないかなと思います。一方のセリーヌも、もしかしたら生まれてこなかったかも知れないのに、この世に命を与えてくれたことに感謝している。だからこそ、生きることへの前向きなんです。こうして、母と娘の絆が強くなっていたんだと思います。ルネがセリーヌと出会ったのは、大スターに去られてマネージャーとして廃業の危機に直面していた時。彼もまた、彼女と出会ったことで、人生をもう一度やり直すんです。3人が巡り会い、互いを救い合った。望まれていなかった小さな女の子が、世界的大スターになったという運命も素晴らしいですね。――素晴らしき運命のいたずら、といった感じですね。クリエーションの際に、何か同じような不思議な巡り合わせを感じることはありますか?もちろんです!この映画がまさにそうです。ひょっとしたら、この作品は実を結ばなかったかも知れないんです。そのぐらい時間がかかりました。4カ国、フランス、スペイン、カナダ、アメリカで撮影もでき、今までの監督作品の中では一番スケールの大きい大作に。にも関わらず、不思議と今まで一番シンプルでした。撮影中も、これまでで最もスムーズでしたし。撮影中も常に喜びと創造性にも溢れていて、チームもまるで子供たちが一緒に遊んでいる、そんな雰囲気がありました。何か問題があっても、頭を抱えて解決方法を探るということではなく、すっと別の良い方法が見つかるというように。とにかく楽しみ尽くした現場でした。――ポジティブな部分が作品を通して伝わってきます。喜びが息をしている、そんな映画になったと思います。――この作品は“ユーモアは強さである”と気づかせてくれました。笑いは、今のような時代には特にとても大切に感じます。あなたにとって、ユーモアとは?私の人生にとってもユーモアはとても大切なものでした。12歳の時に、私が言ったことやしたことで、家族が初めて一斉に笑ってくれたことがありました。それが人生最初のとても大きな喜びでした。というのも、私の母は少し鬱気味で、家庭の雰囲気が重かったんです。そんな中で、皆を和ませることが私の役割でした。だから、小さいときから笑ってもらうと嬉しいし、笑ってもらうことが私の存在理由でした。ユーモアに溢れたアリーヌは、まさに私なんです。セリーヌ・ディオンとヴァレリー・ルメルシエ。唯一無二の存在である二人の人生が交差して生まれた愛の物語。終演後の余韻にまでも幸せが満ち溢れている本作を、絢爛豪華なショーを楽しむように、ぜひ大スクリーンで堪能して欲しい。(text:June Makiguchi)■関連作品:ヴォイス・オブ・ラブ 2021年12月24日よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ渋谷にて先行公開/12月31日より全国公開©Rectangle Productions/Gaumont/TF1 Films Production/De l’huile/Pcf Aline Le Film Inc./Belga
2021年12月25日「保護司」という言葉自体、この作品で初めて耳にするという人も多いだろう。保護司は、犯罪や非行を犯した人々の更生や社会復帰を支える活動に従事する人々。非常勤の国家公務員ではあるが、給与は支給されず、あくまで民間のボランティア活動である。先日より放送・配信が始まった「WOWOWのオリジナルドラマ 前科者 -新米保護司・阿川佳代-」は、罪を犯した“前科者”に寄り添う保護司の姿を描くヒューマンドラマであり、2022年1月には、ドラマの“その後”を描く劇場版の公開も控える。有村架純が演じるのは、新米の保護司・阿川佳代。彼女の保護司としての最初の保護観察対象者であり、仮釈放中の“前科者”斉藤みどりを石橋静河が演じる。「つぐない」とは何か? 「ゆるし」とは? 罪を犯した者はもう一度、人生をやり直すことができるのか――? 1話わずか30分弱の中で、決して軽くはない、いくつもの問いかけが心を揺さぶる本作。佳代もみどりも、時に自らの弱さをさらけ出し、傷つきながら、こうした問いかけに向き合い、歩みを進めていく。ドラマ、そして映画を通じて、保護司と前科者という関係性を越えた友情、絆を紡いでいく2人の女性を演じた有村さんと石橋さんに話を聞いた。最初の撮影はケンカのシーン「信頼してくれているのを感じた」――共演前は互いにどのような印象を抱いていましたか?有村架純(以降、有村):私が一方的に作品を観ていて、一ファンだったので、みどりを石橋さんが演じると聞いて「え? やったー!」という感じで(笑)、すごく嬉しかったです。画面の中で見る石橋さんは、可憐で凛とされていて、でも自由さもあるという印象でしたが、実際にお会いしてみると、静かに自分と向き合われている女優さんだなと思いました。失礼な言い方かもしれませんが、いい意味で“普通”というか…「大丈夫だよ!」という空気をまとっていて。何て言ったらいいんだろう? 石橋さんにしかない空気感なんですよね。わかるかなぁ…(笑)? 素敵だなと思いましたし、人に対するリスペクトがすごく強い方だなと思いました。石橋静河(以降、石橋):お会いする前は、本当にあらゆる場面で戦ってきているんだろうなと想像していて、いろんな人の思いに応えながら、でも、懐がすごく深いんだろうなと作品を観て感じていました。だから一緒にお芝居するときも、心配なく「きっとドシっと迎えてくれるから、ぶつかっていけばいいだろう」と思っていたんですが、案の定、そういう感じで、すごくかわいい人なのに「さあ来い!」という感じがあって(笑)、「行きます!」「飛び込みます!」という気持ちにさせてくれるカッコいい方でした。――実際に共演されてみていかがでしたか?有村:とにかく気持ちで向かってきてくださるので、自分も同じようにそれに返したいと思ったし、役を通して信頼してくれているのを感じました。相手に心を寄せてるってことだったり…、芝居がどうこうということより、石橋さんの人間性に魅力を感じて、それが役に投影されたりしてるのかなって感じました。芯の強さというか、そこが魅力的でした。石橋:(2人での)最初の撮影が、映画版のシーンで、佳代とみどりがケンカというか、ぶつかるシーンで、それまでの関係性を見せるにはどうしたらいいんだろう? と緊張してインしたんですけど、その時、有村さんは、信頼してくれているからこそ、本気で怒りや哀しみの感情をまっすぐにぶつけてくれて、「大丈夫だ」って思えましたし、そこから安心して、みどりとして暴れることができました。有村さんが現場に入ると、男性スタッフも女性スタッフもちょっと“アガる”んですよ(笑)。それはすごく大きなことで、そういう人が真ん中に立っているって、現場としてすごく贅沢だなって肌で感じました。――保護司、元受刑者という役柄を演じるにあたって、どのような準備をされたんでしょうか?有村:まず原作を読ませていただいて、原作をリスペクトしながら、私なりになるべくインスピレーションを受けた新鮮な気持ちのまま近づきたいなと思っていました。いろんな資料もいただいたので、それも読みながら、実際に犯罪を犯してしまった人たちがどういう環境で育ってきたか? その人たちのパーソナルな部分も資料で読みながら知っていくと、もともとは被害者だったり、ちょっとしたことで加害者になったりしていて、誰もが被害者であり加害者であって、どうしようもない気持ちになって…。自分がそういう気持ちになればなるほど、佳代もきっとこういう気持ちなんだろうなと、すり合わせていくことができました。ちょうど、刑務所の受刑者たちが更生に向かうドキュメンタリー映画が上映されていて、それを観ると、(受刑者たちは)過去に人に愛されなかったり、虐待を受けていたり、環境が残酷だったりして、切ないというか悔しい――そういう気持ちを抱えて現場に入ることできました。石橋:私は、ビジュアルも普段とかけ離れていましたし、歩き方や食べ方といったちょっとした無意識の部分でそれまでの境遇が見えてくると思って、まずその部分をどうするか考えました。ただ、罪を犯したとしても、“前科者”というレッテルを私が張ってはいけなくて、それは社会が与えたものであり、演じるにあたっては、なぜそうなってしまったのか?その人の心に何があって、なぜ罪を犯すってことになってしまったのか?考えることが大事だと思いました。(元犯罪者の)心の中にある「穴」と――みどりの場合「お母さんに愛されなかった」ということがすごく残っていて、そういう部分って、犯罪者であろうが、そうでなかろうが誰しもあると思うんです。子どもの頃の記憶で、親にすごく怒られたり、お兄ちゃんよりも愛されていないと感じたり、それで自分の中で時が止まったまま、歪みが生じて、大人になっても「何か欠けている」という気持ちになってしまうんだということを、すごく納得できる瞬間があって、そこで迷いがなくなったというか、確信を得て、所作や喋り方などを意識するようになりました。良い関係性を築く上で大事なことは「知らない部分をリスペクトする」――岸善幸監督の演出で印象的だったことや驚きを感じたことがあれば教えてください。有村:岸さんは、すごく役者さんのことを信頼して現場にいらっしゃるんだなというのを感じました。自分も信頼していただけているんだなと感じたし、それは同じ目線で考え、苦しんでくださったからだなと思います。現場でテストをやらないんですよ。段取りだけで、すぐに本番なんですけど、“未完成”の部分を楽しんでいらして、私もそれに影響を受けて、とても楽しく過ごすことができました。岸さんは、撮影のたびに佳代について「いまの佳代はかわいかった」「いまのは美しく、キレイだった」と「かわいい」と「キレイ」を使い分けて表現してくださるんです。岸さんの言う「美しい、キレイ」というのは、佳代の人間的な“陰”の部分が出たときのことで、それが妙に照れくさくて(笑)、印象に残ってます。石橋:テストなしで本番にいくというのは事前に聞いていて、緊張していたんですが、それは役者を信頼してるからなんですね。偽りの信頼ではなく「100%信頼してるから」って言われると嬉しいじゃないですか?まず「ここにいていいんだ」という思いを与えられる嬉しさがあったし、それだけ信頼されているからこそ「私に何ができるのか?」というある種の怖れも感じました。そこまで託してくれるのが嬉しかったし、その結果、岸さんが「OK」ならば、私はどう映ろうが、何を言われようが何でもいいから本気でやります! という気持ちになりました。すごく不思議な方だなと思います。もちろんフィクションだし、書かれた本をああしようこうしようと工夫して、みんなでひとつの世界を作り上げていくものだけど、岸さんにはそれが到達すべき“真実”が見えてるんだろうなって気がして、そこに向かって周りもエネルギーを注いで、巻き込まれていく、座組全体がうねりみたいになって、作りものだけど、ある苦しみを伝えるんだという意思が感じられて、すごく楽しい現場でした。――保護司と保護観察対象者として出会った、性格もこれまで育ってきた環境も全く異なる佳代とみどりですが、ドラマを通じて互いを理解し合い、“シスターフッド”ともいえる連帯、絆を紡いでいきます。こうした関係性を築く上で大切なこと、必要なことは何だと思いますか?有村:他人を受け入れて、どれだけ許し合えるか?どれだけ自分と違っても、その人の良いところがひとつ見つかれば「合わないな」と思うところが全部覆されると思っていて、私は人と会う時、なるべく良いところを探そうと思っています。良いも悪いも全部その人だから、なるべく全てを受け入れて関わりたいなと思います。石橋:みどりと佳代ちゃんの場合、性格も育ってきた環境も全く違うけど、同じだけの苦しみを持っていること――それを伝え合わなくても感じられたからこそ、あそこまでぶつかり合えたし、助け合っていこうとなれたんだと思います。なかなか全ての人とそうなるのは難しいですが、例えば私はいま27歳で、新しい友達と出会っても、その人のそれまでの人生については知らないし、家族であっても、全てを知っている気になっても、自分の知らないことってたくさんあると思います。前提としてその人の全部をわかることはないと思うことは、決して突き放すってことじゃなく、良い関係性を築く上で大事なことだと思います。知らない部分をリスペクトすることが大事だし、そうやって接していきたいですね。――ドラマ序盤でみどりが母親に抱きしめられるシーン、打ちひしがれた佳代をみどりが優しく抱きとめるシーンなどドラマ通じて「抱擁」のシーンが非常に印象的でした。どのような思いであのシーンに臨まれたんでしょうか?有村:佳代にとって、みどりさんは“つっかえ棒”のような存在というか、支えだったので、もしみどりさんがいなかったら、佳代はあそこまで頑張れず、諦めていたと思います。ある意味で佳代が、人間らしさを見せられる唯一の人だったのかなと。そういう存在が佳代にできたことは、個人的にすごく嬉しかったですし、苦しみや葛藤を抱えてあの時、みどりさんだったから身を委ねることができたんだろうなって感じます。石橋:確かに、抱きしめられたり、抱きしめるシーンは印象的なシーンが多いなっていまふり返って思いました。最初、母親と対峙して、抱きしめてもらうシーンはすごく難しくて…。抱きしめてもらう前に「お母さんに抱きしめてもらいたかった」というセリフあるんですけど、それがどういう気持ちなんだろうかっていうのがわからなくて、私は家族とすぐハグするような、いつも甘えられる環境で育ってきたけど、みどりは抱きしめられたことがなかったんだな…と。それを頭で想像できても、体感でどういう感じなのか? すごく難しかったです。実は、先ほど有村さんがおっしゃっていたドキュメンタリー映画を私もたまたま観たんです。監督やスタッフさんからではなく、友達から「面白いよ」と言われて観たら、まさに同じテーマを扱っていてびっくりしました。その映画の中で、まさに近い言葉をおっしゃっている方がいて、それを見て、震えたというか、自分の中で納得がいったんですね。罪を犯してしまったけど、なんでそうなってしまったのか?という根本を辿ると、子どもの頃の「愛されたかった」とか「抱きしめてほしかった」という、すごく繊細な、ある種小さなことが、どんどんねじ曲がってしまったりして、苦しみのスパイラルに入ってしまったんだということに気づいて、その映画を観た後にあのシーンの撮影があって、すごく強い気持ちで臨めました。もうひとつ、佳代ちゃんを抱きしめるシーンは、もうそれしかできないって気がしていて、言葉で何を言っても苦しみを救うことできないし、そういう時、近くにその人の肌や温もりを感じるだけで救われることってたくさんあるんだなと感じました。言葉や理屈じゃなく些細なことが大きく作用するんだというのを感じたシーンでした。役柄を通じて感じた“社会が変わっていかなくてはいけないこと”――ドラマの中では“前科者”が世間の厳しい目にさらされる場面や、大切な人を失った被害者遺族の消えることのない哀しみや怒りなど、様々な現実が描かれます。保護司、元受刑者という立場の役柄を演じて、元犯罪者の更生や社会復帰に必要なこと、彼らを受け入れるために社会が変わっていかなくてはいけないことなど、お2人が感じたことを教えてください。有村:(しばらく思いを巡らせ)正義の分断が争いを起こす気がしていて、もちろん加害者を守ろうとすれば、被害者の方や遺族の方が傷つくこともあるし、人間って複雑だなと改めてこの作品を通じて感じました。いまの時代、いや、きっとずっと昔から人間は、何かしらを「裁こう」とする生き物で、自分の中の正義とは違う正義が現れると、そっちを裁きたくなってしまうものなんだと感じますし、最近は特にそうだなと思います。でも、そういう冷たい世界じゃなく、どの人間にも生きる権利はあって、一生懸命、何かと戦ったり、向き合おうとする権利はあるし、それを他人が制止することはできないと思うんですよね。どの人も温かい“光”を感じられる世界が見れたらいいのになと思います。石橋:本当に難しい問題ですし、どっちが正しくて、どっちが悪いということは言えないですけど、いまの社会の中で、“罪”とされていることを裁くのは法律や制度であって、決して周りにいる人々ではないというのはすごく感じました。誰も犯罪者になりたくて犯罪を犯すわけではないし、何かがあってそうした行動をしてしまうわけで、それを表面の情報だけで判断することはできないし、それは犯罪に限らず、誰かが物事の表面の上澄みだけで「こうです」と人を見てしまう世の中ってつまらないなと思います。そうじゃなくて、もっと深く、厚みのある部分――そこに気づくことにできたら、複雑だけど面白く生きていけると思うし、「正しい」「間違ってる」というジャッジをしてレッテルを貼ってしまうと、もうそれ以上は何も言えなくなってしまって、薄っぺらい世界になってしまうように感じます。情報社会のなかで、そういうことが、よりシビアになっている気がするけど、情報やその人に貼られてるレッテルの先に何があるのか? 興味を持つことが必要だし、それは自身、を豊かにしてくれることだと思います。毎週土曜夜10:30~放送・配信中〔第1話無料放送〕/各話放送後、WOWOWオンデマンド、Amazon Prime Videoで見逃し配信まだ間に合う!1~4話一挙放送12月18日(土)午前11時WOWOWプライム[第1話無料放送](text:Naoki Kurozu/photo:Maho Korogi)■関連作品:前科者 2022年1月28日公開© 2021香川まさひと・月島冬二・小学館/映画「前科者」製作委員会
2021年12月17日