この恋は幸せになれない?好きになってしまったのは、奥さんのいる人。(第8話)【これまでのあらすじ】千紗は綾香と自分、どっち付かずの悠真さんに不安が爆発し、母と同じようになってしまっていることに気付く…さらに、入院した祖母に「千紗が幸せになる姿を見るまで死ねない」と言われ、悠真さんとは幸せになれないと思った千紗は別れることを決めた…前回はこちら▼この恋は幸せになれない?好きになってしまったのは、奥さんのいる人。(第7話)1話から読む▼この恋は幸せになれない?好きになってしまったのは、奥さんのいる人。(第1話)別れ悠真さんと別れることを決意したものの、なかなか行動に移すことはできなかった。気持ちが揺らぐ前に今すぐ電話をしよう。いや、東京に戻ってから直接会って話をしようか?やっぱりダメ、顔を見たらきっと切り出せない。もう少し落ち着いてから電話した方が良いかな……。そんな風にぐじぐじしていたある日、悠真さんの方から電話がかかってきた。『もしもし千紗? 連絡が遅くなってごめんね』「……ううん」『あれからどうしてた? 僕はずっと千紗に会いたかったよ』私も会いたかった。でも、もう……。『様子が変だね。どうした? 何かあった?』「うん、あのね」迷ってないで、言わなきゃ。「もう別れようと思う」『え?』「終わりにしたいの」『千紗……』ふと、初めて名前で呼んでくれた時のことを思い出した。こんなにも苦しいなら深入りしなきゃ良かった?止められるうちに止めときゃ良かった?ううん、きっと出会ったばかりの頃に戻ったとしても、また彼を好きになると思う。「もう会わない」『何となく、そう言われると思っていたよ。ごめんね、苦しい思いをさせて』「悠真さんは悪くないよ。欲を出した私が悪いの」『そんな風に言わないで。千紗には感謝してる』「私も感謝してる……今までありがとう」『こちらこそ、ありがとう』切るねと言って通話終了ボタンを押した瞬間、やはり寂しさがこみあげてきた。私たちの関係はもうこれで終わり。自分で決めたことなのに、涙が溢れた。◆日常悠真さんとの関係を終わらせて日常に戻った私は、仕事に打ち込むことで寂しさを紛らわせた。その日も朝から尾行、張り込み業務をこなし、夕方からは綾香に提出する調査報告書を作成していた。「対象者・伊野悠真に不貞行為を思わせる動きは見られなかった」不意に赤城さんがパソコンを覗き込み、興味深そうに読み上げる。”ゆうま”という名前の響きに、胸がざわついた。失恋の傷は癒えるどころか、どんどん酷くなっている気がする。「友達の旦那はシロだったんだ」「はい」まさか自分自身のことを報告するわけにはいかず、嘘を吐くのは心苦しいけど。結果的に別れて、何もなくなったんだからいいよね……。「赤城さんの妹さんは、どうなりました?」「離婚することにしたみたい。やっぱり信用を失った人とはうまくいかないって」「そうですか……」「どうしたの? そんなしんみりした顔しちゃって」「いえ、別に」「怪しい。彼氏と何かあったでしょ~」からかうような口調で私のオデコを突いた赤城さんは、急に表情を変えた。「ねぇ、もしかして熱あるんじゃない?」「そうかな……」「絶対あるよ、しんどくないの?」言われてみれば、少しダルイような気がする。ここのところ寝不足だったからかな? それとも失恋のせいで熱が出たとか?私にもそんな繊細な一面があったんだ。「季節の変わり目で風邪を引いちゃったのかもね。今日はもう帰って休んだら?」「そうしようかな」「待って、仲西さんを探してくる。送ってもらうように頼むから」「そんな大丈夫ですよ」あ……もう呼びに行ってるし。結局この日は、仲西さんに車で家まで送ってもらい、そこから私は3日ほど寝込むことになってしまった。◆幸せの定義家で寝込んでいる間、ずっと夢を見ていた。隣に悠真さんがいて、笑っている夢。その夢の中では何の不安もなく、ただただ幸せだった。目が覚めて夢だと気付いた瞬間、絶望感に苛まれる。そんな中、何故か母が家にいて珍しく看病をしてくれた。「具合はどうだい?」「うん、ちょっとマシかな」「お粥を作ったから、食べなさい」「お母さんが作ったの?」「何よ、私だってそれくらいできるわよ」ベッドまで持って来てくれたお粥はお世辞にも美味しいと言えるものじゃなかったけど、その温かさに涙が滲んだ。弱っている時に優しくされるとダメだな……。「しっかりしなさいよ、たかが失恋したくらいで」「うん……。えっ!」一瞬頷いたものの、驚きのあまりご飯粒を喉に詰めそうになった。「どうしてそれを……」「見てれば分かるわよ、これでも一応、あんたの親なんだから」「お母さん」「というのは嘘。カマをかけてみただけだよ」「ええっ!」じゃぁ、まんまと引っかかってしまったってこと?やだな、恥ずかしい。「私も昔はよく失恋しては、熱を出して寝込んだんだよ。覚えてない?」「そういや、そうだったような」「その男とはどうして別れた?」どうしてって、それはもう……。「一緒にいても幸せになれないから」お母さんにこんな話をする日がくるなんて不思議だなって思っていると、母はもっと不思議そうな顔をして私にこう尋ねた。「幸せになれないなら、一緒にいる意味はないの?」「え……」「その男のことが好きなら、幸せじゃなくてもいいと私は思うけどね」「幸せにはなりたいよ。当たり前でしょ」「じゃぁ聞くけど幸せって何? 平和に暮らすこと? お金に困らないこと? それとも誰かに後ろ指を指されないこと?」お母さん、私が不倫してたことに気付いてるのかな。「そもそも人生において幸せだと思える時なんてほんのひと時だよ。そのひと時を一緒に過ごす相手が必要?私はそう思わない」「じゃぁ、どう思うの?」「必要なのは幸せになれる相手じゃない、不幸になっても良いと思える相手だ」「え……?」「この人とだったら例え地獄に落ちても構わない。苦しい時こそ手を握って一緒に頑張れる相手こそ、人生に必要なんだよ」「お母さんはそういう人がいたの?」「言っとくけど、私は昔も今もモテるんだよ。最悪な時に助けてくれる男は1人や2人じゃないよ」祖母はずっと母の事を不幸だと言っていた。だけど、それは間違いだったのかな?母は母なりの幸せを見つけて生きてきたんだね。今になってやっと、ちょっとだけ理解できた気がするよ。◆再愛母は私の体調が回復した頃、また家から出て行った。もう新しく良い人がいるらしい。今度こそ運命の人なんだと言っていた。私の運命の人は……悠真さんは私にとって「一緒に不幸になっても良い人」なのかな。考えれば考えるほど、分からなくなる。「(ま、考えたところで、もう別れちゃったんだけどね……)」失恋の傷はまだ癒えることがなく、時々こうして悠真さんのこと思い出しながら時間が過ぎ。別れてから2カ月がたったある日、悠真さんから電話がかかってきた。『もしもし、千紗?』「悠真さん」『良かった、電話に出てくれて』久しぶりに聞いた彼の声は、相変わらず優しくて涙が溢れた。そしてその瞬間、私にとって彼は一緒に不幸になっても良い人だと気が付いた。彼の全てが恋しい。『千紗に会いたい』「私も……」『本当に?』「会いたい、やっぱり今もまだ悠真さんのことが好きみたい」『金曜日の19時に、初めて一緒に食事をしたホテルで待ってる』「うん、分かった」お祖母ちゃん、ごめんね。私はやっぱり母に似て、世間一般的にいう幸せは手に入らないかもしれない。お祖母ちゃんが望む幸せな姿は、きっと見せてあげられない。それでも私は、自分なりの幸せをきっと見つけるから。心配しないで。金曜日、約束の時間よりも早くホテルに着いた私は、カフェに入り紅茶を飲んでいた。カフェといってもオープンな造りになっているので、ロビーの様子が良く分かる。少しすると、ネイビーのスーツを着た悠真さんが真っすぐこちらに向かって来るのが見えた。「お待たせ、久しぶりだね」「悠真さん」「元気だった?」「うん。悠真さんは?」「千紗に会いたくて気が狂いそうだったよ。行こう、部屋を取ったから」「うん」差し出してくれた手を握る。会えたことはもちろん、今も変わらず私を想っていてくれたことが嬉しくて。自然と綻ぶ顔を彼の背中で隠しながら、エレベーターホールへ向かう。――――と、不意に悠真さんが足を止めた。何事かと思い視線を上げると、そこには思いもよらない人物が立っていた。「やっぱり、2人で会ってたのね」「綾香……」第9話は、11月9日(火)公開予定!
2021年11月02日この恋は幸せになれない?好きになってしまったのは、奥さんのいる人。(第7話)【これまでのあらすじ】綾香の妊娠を知って、悠真さんとの関係を清算しようと思った千紗だったが、「離婚したい気持ちに変わりはないから待ってて」という言葉に流されてしまう。しかし綾香はすぐに流産していた。それ以来、悠真さんは綾香に付きっきりになってしまい、千紗は激しい嫉妬心に苛まれる…前回はこちら▼この恋は幸せになれない?好きになってしまったのは、奥さんのいる人。(第6話)1話から読む▼この恋は幸せになれない?好きになってしまったのは、奥さんのいる人。(第1話)彼しかいない行く当てもなく、ふらふらと歩く。衝動的に外へ出たものの、何がしたいかなんて自分でも分からない。悠真さんと綾香が住む家に乗り込んで、秘密を暴露する勇気もない。駅前まで来ると急に寒さを感じて、24時間営業のカフェに入った。「いらっしゃいませ」カウンターでコーヒーを注文して、空いている席を探す。周りに人がいなくて、落ち着ける場所が良いなと考えていると、1人の男性と目が合った。すると、その男性はゆっくり立ち上がり、私のところに向かって来る。「なつみさん?」「え?」「たかあきです。ほらこれ、目印の帽子」もしかして、出会い系で待ち合わせしてる人と間違われた?たかあきと名乗った男性は、私が持っているトレイを持ち席へ誘導しようとする。「違うんです」と言いかけて、やめた。どうせ1人だし、話し相手ができるならいいか。そう思った瞬間だった。「すみません、彼女を返してもらいますね」私と男性の間に突然現れた人物に、我が目を疑った。嘘でしょ……。悠真さんが、どうして?有無を言わせないきっぱりとした口調でそう言った悠真さんは、私の腕を引いてカフェを出た。そのまま人気のない路地へと進んで行く。たまらず、声をかけた。「悠真さん、あの」「僕が来なかったら、あの男とどこか行く気だった?」足を止めた悠真さんは、私に背中を向けたまま質問をする。問いかけに答えられないでいると、「良かった、間に合って」大きなため息を漏らした悠真さんは、こちらに体を向けて私を抱きしめた。「危なっかしくて放っておけないよ」「ごめんなさい」「謝るのは僕の方だよ。ごめん、すぐに駆けつけられなくて」いいの……。こうして来てくれただけでも、嬉しい。「でもどうして、あそこにいるって分かったの?」「電話してもでないから取りあえず千紗が住んでる駅に来てみたら、偶然見つけたんだ」そうだったんだ。ガラス張りのお店に居て良かった。見つけてくれた嬉しさがこみ上げ胸の真ん中が温かくなる。「あれからまたインターフォンが鳴ったの? 警察に連絡した?」「それは……」嘘だったなんて、いまさら言えない。悠真さんの気を引くため咄嗟に嘘を吐いてしまったのだ。「ただの酔っ払いだったのかも。上の階の人が部屋を間違えたのかな」「だったらいいけど。念の為、管理人さんには話した方がいいよ」「分かった、そうする」ごめんね、悠真さん。私、平気で嘘を吐く最低な人間なの。最低だけど、あなたのことが好きすぎてどうにかなりそうなの。私には悠真さんしかいない……。「来てくれて、ありがとう」「お礼なんか言わなくていいよ。でも、約束して。僕以外の男に付いて行かないって」「うん、約束する」小指を立てて頷くと、悠真さんは優しいキスをくれた。◆どっちが大事?「本当に帰らなくていいの?」「うん、綾香には仕事のトラブルで朝まで帰れないと言ってきたから」「嬉しい」悠真さんの首筋に腕を回し、ギュッと抱きつく。綾香が流産してからあまり会えてなかったし、お泊りをするのも久しぶり。ホテルに行くことも考えたけど、私の家の方が近いので招待することにした。最近まで母が居たから、悠真さんがここに来るのは初めてだ。「へぇ、ここが千紗の部屋か。キレイにしてるね」「あんまりジロジロ見ないで適当に座ってて。今、コーヒー淹れる」「いや、コーヒーよりも……」背後からお腹の辺りに腕を回され、耳元にキスをされた。「千紗が欲しい」されるままに悠真さんのキスを受けていると、それだけで心が満たされていく。ベッドへ移動した私たちは、服を脱ぐ間ももどかしくお互いの体を密着させた。「悠真さん、愛してる」「僕も。ずっと一緒にいようね」唇を重ねようとした瞬間、悠真さんのスマホから着信音が鳴った。1度は無視したものの、しつこく何度もコールされる。「もしかして、綾香……?」「あぁ」苦い表情を浮かべた悠真さんは、スマホを取り耳に当てた。それから短い返事をいくつかしたあと、「すぐ帰る」と答え、通話を切った。「ごめん、帰らないと」「どうして? 朝まで一緒に居られるって言ったじゃない」「綾香が不安がっているんだ」「そんなの放っておけばいいでしょ!」不安なのは、私だって同じなのに。寂しくて苦しくて、爆発しそうな思いをいつも抱えて耐えているのに。「また時間を作るから」「またっていつ?」「千紗……」「綾香と私、どっちが大事なの!?」頭にカッと血が上って、思わず泣き叫ぶ。そんな私を、悠真さんは困ったように見つめていたけど、「あとで連絡する」と言い残して帰って行った。どうしてこんなことになってしまったのだろう?さっきまで、すごく幸せだったのに。それからしばらく泣きながら部屋で過ごして涙が枯れた頃、インターフォンが鳴った。もしかして、悠真さんが戻って来てくれた?慌てて玄関のドアを開けに行くと、そこに立っていたのは母だった。「お母さん、どうして?」「どうしたもこうしたもないよ。あの男……若い女と二股しやがって」「また振られたの」「うるさいわね、あんたまで私をバカにする気!?」噛みつかんばかりに勢いで喚き散らす母は、ずかずかと部屋に入り冷蔵庫からビールを取り出した。「ムカつく! ふざけんな!」「お母さん……」「うるさい!うるさい!」ヒステリックに叫ぶ母は、ビールを飲みながら嗚咽を漏らして泣き始めた。その姿が、数時間前の自分と重なりゾッとした。私、お母さんと同じようになってしまっている……。◆決意悠真さんからの連絡は、しばらく途絶えた。綾香のSNSには、「旦那くんがマッサージしてくれた」や「気晴らしに映画を観に連れて行ってくれた」などが書かれていて、私の心は荒れる一方だった。そんなある日、母方の従兄弟から祖母が入院したという連絡が入った。「お祖母ちゃん!」駆けつけた私に、祖母は目を丸くして「どこのお嬢さんかと思ったわ」と笑った。電話はよくしていたものの、祖母に会うのは10年振りくらいかな?祖母も随分老けていて、私の記憶にある祖母とは全然違う。「身体は大丈夫なの?」「検査入院みたいなものだから大丈夫よ」「本当に?」「本当、本当。わざわざ飛行機に乗って駆け付けてくれたのね。ありがとう」「当たり前でしょ、お祖母ちゃんに何かあったら私……生きていけないよ」「大げさね」私は幼い頃、お祖母ちゃんと一緒に暮らしていた。しつけには厳しかったけど、私の母とは違って優しくて笑顔の絶えない人。当時はたまにしか様子を見に来ない母のことを姉、祖母を本当の母だと思っていた。母が上京する際に私も連れて行くことに、最後まで反対してくれた人でもある。「千紗はどうなの? 元気にしてる?」「うん、元気だよ」「こんなにやつれているのに? 無理なダイエットをしているんじゃないでしょうね」祖母は心配そうに、私の頬を撫でた。実はここ最近、あんまり食欲がなく2キロ痩せてしまった。「違うよ」「千紗が幸せになる姿を見るまで、死ねないわ」「お祖母ちゃん……」「木綿子(ゆうこ)はね、どういうわけか幸せに縁のない子でね。千紗にも苦労をかけたでしょう」木綿子というのは、私の母だ。「私の育て方が間違っていたんだろうね。親として娘が不幸せなのは見ていて辛い。だからせめて、孫娘の千紗は幸せな姿を私に見せてね」「うん、分かった」胸が締め付けられるように痛い。幸せな姿なんて、いつになったら見せられるのだろう。そもそも悠真さんが私のところに来てくれたとして幸せになれるのだろうか。ううん、きっとなれない。綾香と私、どっち付かずの彼のことだ。幸せになんかなれるはずがない。「(もう終わりにしよう)」私は祖母の手を握りながら、悠真さんと別れることを決めた。第8話は、11月2日(火)公開予定!
2021年10月26日この恋は幸せになれない?好きになってしまったのは、奥さんのいる人。(第6話)【これまでのあらすじ】帰りの時間を気にせずに済むので、伊野さんと旅行を計画した千紗。旅行は楽しく、好きという気持ちも増したが、こんなことをしていて良いのかという後ろめたさも募った。そんな中、職場のカウンセラー赤城さんの妹が旦那に浮気された話を聞き、さらに罪悪感を感じていたところ、綾香から「私、妊娠したみたい」と電話が…前回はこちら▼この恋は幸せになれない?好きになってしまったのは、奥さんのいる人。(第5話)1話から読む▼この恋は幸せになれない?好きになってしまったのは、奥さんのいる人。(第1話)動揺綾香が妊娠……!?それって、当然のことながら悠真さんの子供だよね?スマホを持つ手が震える。動揺に気付かれないよう、そっと深呼吸をした。「そうなんだ、おめでとう」『ありがとう!』「お祝いしなきゃね」『気が早いよぉ。まだ、5週目だから』5週目ってことは、1カ月と少し。私と悠真さんが親密になった頃ってこと?綾香とのセックスが苦痛で仕方ないと打ち明けられた時には、もうできていたんだね。そう考えると、胸の奥にムカムカとした感情が渦巻いた。この感情って――――嫉妬?綾香の妊娠を知った日の夜、ホテルの一室で悠真さんと会った。複雑な心境だった私は、彼の顔をまともに見れない。「僕も驚いているんだ、まさかこのタイミングで子供ができるとは」「おめでとうって言うべきよね」「まだ実感が湧かないよ」「もう会うのは、やめた方がいいね」生まれてくる赤ん坊から、父親を奪うわけにはいかない。それくらいの良識は、まだ残っている。こうなってしまった以上、私たちの関係は清算して彼は家庭に戻った方が良い。頭では分かっているんだけど、涙が零れそうになる。泣き顔を見られたくなくて背中を向けたまま「じゃぁね」って部屋から出ようとした瞬間、抱きしめられた。「千紗」「離して。後腐れないようにしようよ」「そんなの無理だ」「じゃぁ、どうするの?」「離婚したい気持ちに変わりはない。だから、少しだけ待ってて」私はいつか、この時のことを後悔する。引き返せるはずだったのに、どうして流されてしまったの?って。だけど、それでも良いって思ってしまった。「分かった、待ってる」後悔しても良いから、この人が欲しい。◆まさかの「あれ、もしかして千紗」仕事帰りに立ち寄った雑貨店で声をかけられ振り向くと、大学時代の友人が立っていた。黒いツヤのある髪と大ぶりのピアスがよく似合う美人で、仲良しグループの中心的存在だった玲子(れいこ)だ。「わあ、久しぶりだね! 元気?」「元気元気! 千紗も元気してた? 今、何してるの? 仕事は? 住んでるのって、この辺り? 」「ちょ、ちょっと待って。そんな次々に聞かれても答えられないよ」「あはは、ごめんー」相変わらずだなぁ、玲子は。明るくて派手な性格の玲子は交友関係が広く、賑やかなのが苦手な私とは正反対。そのため、グループ以外で個人的に遊んだりすることはなくて大学を卒業後は連絡を取ってなかった。それでも久しぶりに会えたことが嬉しく、お互いに時間があるということで、近くにあるイタリアンレストランに入った。「千紗、何だか大人っぽくなったよね」「そう? 実際もう30歳だし。十分大人なんだけどね」「いや、そうじゃなくて色っぽくなったというか、魅力的になったって意味!」面と向かってそんなことを言われると、背中の辺りがくすぐったい。私自身そんな自覚はないけど、もし変わったことがあるとしたら、恋をしているからかな……。「千紗と話してたら皆にも会いたくなっちゃった。誰かと連絡とってる?」「今は……綾香くらいかな」「綾香!私も時々連絡するよ。って言ってもSNSで繋がってるだけだけどね」そう言ってスマホを手に取った玲子は、急に顔を曇らせた。「綾香は今、大変みたいだね」「あー、つわり?」綾香はSNSでも妊娠したことを報告していた。今時、安定期に入る前に公表する人は珍しいけど、それだけ嬉しかったのだろう。私はそれ以来、彼女のSNSは見ないようにしていた。大変なことと言えば、つわりくらいしか思いつかない。「綾香から聞いてないの?」「うん? 何が?」「あの子、流産したって」え、嘘……。「千紗も知らなかったかー。SNSであれだけ派手に報告したから、言い出しづらいんだろうね」「玲子はどうして知ったの?」「DMでやり取りしてて、その時に聞いたの」「そっか……」「落ち着いたら、綾香を励ます会をしようよ」「うん、そうだね」◆最低な人間綾香が流産したと聞いた時、正直ホッとした。その反面、命が1つなくなったというのに安堵するなんて最低だと自己嫌悪をする。私ってこんなにも自分勝手で冷たい人間だった……?「あ、丁度良いところに帰って来た」玲子と連絡先を交換してから別れ、家に帰ると部屋で母が荷物をまとめていた。家にいる間はずっとノーメイクにジャージ姿だったくせに、今日は水商売の女のように濃いメイクを施し、体のラインを強調した服を着ている。「お母さん、出て行くの?」「あぁ、世話になったね」「また男の人のところ?」「そうだよ、あんたなんかよりもずっと優しくて尽くしてくれる男のところに行くんだよ」悪びれることもなくそう言った母は、クローゼットの上にある私の腕時計やアクセサリーを鞄に投げ入れた。情けないやら悲しいやら、やるせない気持ちでいっぱいになる。「私だってお母さんに十分優しくしてるでしょう」「優しいもんかい、小遣いの1つもくれやしないで」「お母さんの言う優しさは、お金なの?」何かって言うと、いつもそう。私の存在を認めてくれたことなんて1度もない。母から愛情を感じたこともない。「馬鹿なこと言わないで。もう行くから」「待って!1つだけ教えて……。私がお腹にいると分かった時、お母さんはどう思った?」「は? そんなことを聞いてどうするの」「いいから答えて」「堕ろそうと思ったよ、でも子供を産んだらあの男を繋ぎとめられると思った。だから産んだんだ」最低、最低、最低。こんな最低な人から産まれたから、私も最低なんだ。◆嫉妬 残念なお知らせがあります私たちのべビはお空に帰りましたいつかまたパパとママに会いに来てね**旦那くんも辛いはずなのに、いっぱい励ましてくれる優しい旦那くん、ありがとう、大好き赤ちゃんを守れなくてごめんなさい#べビ # またね #流産#パパとママのところに来てくれてありがとう#旦那くん大好き何これ、悲劇のヒロインにでもなったつもり……?見なきゃいいのに、綾香のSNSを見てはイラつきを抑えられなくなる。流産してしまった綾香の体を心配するとか、メンタルは大丈夫なのかと思いやる気持ちはどこかに行ってしまった。悠真さんとの電話でも、聞き分けの言い女を演じられない。『もしもし、千紗』「悠真さん」『悪いけど、しばらく連絡できない』「どうして?」『綾香の具合が悪いんだ。それに、今は綾香の傍に居てやらないと』「夜に電話するくらいなら、」『ごめん!綾香が呼んでるから切るよ』悠真さんは、綾香が流産してから付きっきりで看病をしているらしい。そのことがさらに私の嫉妬心を煽った。連絡できないと言われていたのを無視して、電話をかける。「悠真さん、助けて!」『どうした?』「部屋に変な人が来たの」『変な人って?』「分からないけど、インターフォンを鳴らされて……。怖いから来てくれない?」『来てくれないって、家に? 今からは無理だよ』「お願い……」『僕が行くより警察を呼んだ方が良い。次にインターフォンが鳴ったら110番するんだ。いいね?』私がこんなにもお願いしているのに来てくれないんだ。離婚したい気持ちに変わりはないって言っていたくせに、嘘つき!やっぱり綾香の方が大切なんだね。メールで文句を言ってやろうかと思ったけど、やめた。「(自分がどんどん醜くなっていく気がする……)」本気で人を好きになるって、こういうことなの?欲ばかりが大きくなって抑えられず、ちょっとしたことで爆発しそうになる。気持ちが通じ合っているだけで幸せだと思った1秒後には、激しい嫉妬心に苛まれる。その繰り返し。やっぱり私は恋愛に向かなかったのかも……。だけど、もう遅い。スマホを片手に持った私は、上着も羽織らず家を出た。第7話は、10月26日(火)公開予定!
2021年10月19日この恋は幸せになれない?好きになってしまったのは、奥さんのいる人。(第5話)【これまでのあらすじ】不妊治療にプレッシャーを感じていた伊野さん。その苦しみを理解しようとしない綾香につい怒りを覚える。一度だけと気持ちに蓋をしていたのに、また伊野さんと体を重ねる千紗は、伊野さんのことを本気で好きになっていた…前回はこちら▼この恋は幸せになれない?好きになってしまったのは、奥さんのいる人。(第4話)1話から読む▼この恋は幸せになれない?好きになってしまったのは、奥さんのいる人。(第1話)私欲既婚者を好きになってしまった人たちは、よくこんなことを言う。『独占できないのが辛い』『1番になれないのが悲しい』と。私はそれを聞くたびに「不倫をしておいて何を寝ぼけたことを言ってるの?」と、呆れていた。まさか自分が同じようになるなんて思いもしなかった。「そろそろ帰らないと」伊野さんと体を重ねたあの日から、私たちは頻繁に会うようになっていた。場所はホテルだったり、カフェだったり色々で、この日はBARだった。「そうね」伊野さんの言葉に頷き、席を立つ。理解のある女性を演じているのは、まだこの人に「溺れていない」と思いたいから。いつでも止められる。いつでも元に戻れる。会うのは今日でお終いだと言われても、全然平気。だけど……。「やっぱり、もう1杯飲んでからにしようか?」本音を言うと、もう少し一緒に居たい。「また綾香に疑われるよ」「本当に煩わしいね。帰りの時間なんか気にしたくないのに」「まるでシンデレラね」「僕が?」可笑しそうに笑った伊野さんは、私の手を取り指を絡めた。それから急に思い立ったように「そうだ」と呟く。「旅行にいこうか」「どこに?」「どこにでも。そうすれば、周りの目を気にしなくていいし、深夜0時を過ぎても帰らなくていい」「本気で言ってるの?」「もちろん。近々、計画を立てよう」◆旅行 週末は旦那くんが出張(><)寂しいけど、お留守番頑張ります**お料理教室で習ったビーフストロガノフを作って待ってるね#旦那くん大好き #出張 #寂しい #お留守番#愛情たっぷりご飯 #楽しみにしててね伊野さんと旅行することに罪悪感が全くないわけではない。だけど、こんな能天気なSNSを見てると別にいいかと開き直りたくなる。待ち合わせ場所の羽田空港に着くと、先に到着していた伊野さんが手を振ってくれた。「迷わなかった? 大丈夫?」私の旅行鞄を持ってくれた伊野さんは、いつものスーツ姿とは違いカジュアルな格好をしている。それがとても新鮮で、ドキドキした。「じゃぁ、行こうか」「あ、伊野さん」振り向いた彼は、何故か渋い顔をして首を左右に振った。「”伊野さん”じゃなくて、”悠真”。堅苦しいのはやめよう」「あ、じゃぁ……悠真さん」「うん。何?」「旅のしおりを用意したんだけど……」言って後悔した。悠真さんは無くなるくらい目を細めたあと、私が作成したしおりを見てさらに笑った。恥ずかしさで顔が熱くなる。「もう返して」「どうして? すごく良くできているよ」「本当にもういいから」「ごめんごめん、虐め過ぎたね。だって、千紗が可愛いから」あ、今、名前で呼ばれた。そんな些細なことでさえ嬉しくて胸が温かくなるなんて……。羽田空港から目的地である福岡まで、2時間弱だった。空港に着いた瞬間、何とも言えない解放感と高揚感で自然と顔が綻ぶ。軽い足取りで歩く私に、悠真さんが尋ねた。「福岡は初めて?」「実は、子供の頃に少しだけ住んでいたの」「そうなの? 福岡のどの辺?」「南東部になるのかな。地図で言うと、ちょっとくびれているところなんだけど」「ここ?」悠真さんが、スマホを見せてきた。「うん、そう。自然が豊かで良いところなの」「行ってみたいなぁ、寄ってみる?」「行けなくもないけど、今回は予定通り博多周辺を観光しようよ」「そっか。じゃぁ、いつか行こうね」「うん、いつかね」そんな日が来るのかな?普通のカップルのように、「じゃぁ次は〇月にね」って、約束できないのが悲しい。彼のことを知れば知るほど、独占したい気持ちが膨らんでいく。切なくなって悠真さんの手を掴むと、彼は指を絡めるようにして繋ぎ直してくれた。この旅の間は、ネガティブなことを考えるのやめよう。「わっ、すごい」「思っていた以上だね」予約していた旅館に着くと、その豪華さに驚いた。着物を優雅に着こなした女将さんが、ロビーで出迎えてくれる。「ようこそ、いらっしゃいませ」「予約していた伊野です」チェックインを済ませた後は、仲居さんが部屋まで案内してくれるらしい。こんな格式の高そうな旅館に泊まるのは初めてだなぁとソワソワしていると、仲居さんと目が合った。「お客様はどちらからお越しですか?」「東京からです」「まぁ、東京ですか。私の娘も東京にいるんですよ」「そうですか」どうやらこの仲居さんはお喋り好きのようで、他愛のない世間話が部屋に入るまで続いた。「夕食は19時にお部屋へお持ちしますね。奥様、好き嫌いやアレルギー等はございますか?」「えっ!あ、大丈夫です」「旦那様は、いかがでしょう?」「僕も大丈夫です」『奥様』と呼ばれて、びっくりしちゃった。仲居さんが部屋から出て行った後、そのことを悠真さんに言うと、彼は私を抱き寄せた。「僕は離婚が成立したら、千紗と一緒になりたいと思ってるよ」「悠真さん、私は……」「千紗が結婚に対してマイナスな気持ちしかないことは分かってる。恋愛に対してもそう。だけど、1歩踏み出せたよね」それは、確かにそう。誰とも恋愛しないって決めていたけど、いつの間にか悠真さんを好きになっていた。これがいわゆる本気の恋なんだろうと自覚している。でも、だからってそれと結婚はイコールじゃない。第一、綾香との離婚が成立したからといって、すぐに私と結婚できるわけじゃないでしょう。「もちろん、すぐにとは言わない。でも、千紗と結婚したい気持ちがあることはちゃんと伝えたいと思って」「悠真さん……」「綾香と別れたいから、とか、現実逃避とかじゃなくて、純粋に千紗を好きになったんだ。それだけは、分かってね」「うん、ありがとう」福岡旅行は、とても楽しかった。一緒にいることで悠真さんのことが好きだという気持ちが増した。けれど、それと同時に、「こんなことをして本当に良いのかな?」と後ろめたさも募る。そんな旅でもあった。◆予想外の知らせ「結婚を仄めかす男なんて、ろくなやつじゃない!」グサッと胸に何かが刺さった。「それを本気にとる女もバカ!」痛い痛い、傷口をぐりぐりされてるみたいに痛い。思わず胸を押さえた私を見て、赤城さんが不思議そうに首を傾げた。「どうしたの? 具合悪いの?」「いえ、特には」自分のことを言われているようで胸が痛い、とは言えない。赤城さんが「ロクなやつじゃない」と怒っていたのは、妹さんの旦那のことだ。妹さんの旦那が職場の女と浮気して、その浮気相手が家に乗り込んで来たらしい。「それで、妹さんはどうするって言ってますか?」「どうするも何も。1日中泣いて、食事もろくにとらないし、塞ぎこんでる」「そうなんですか……」「ほんっとに、不倫するやつなんて最低よ」はい……ごもっともです。分かってはいるんです。奥さんがいる人を好きになってしまっただけだと、どれだけ自分を正当化しても不倫は不倫。人の幸せを壊しておいて、自分が幸せになれるはずない。例え、それが離婚しかけの夫婦であっても、許されるわけないよね。「ねぇ、本当に大丈夫? 顔色悪いけど」「あ、えっと。ちょっと食べすぎちゃったみたいで」「福岡って美味しいものが多いって言うよね。いいなぁ、旅行は彼氏と行ったんでしょ」「ええ、まぁ」罪悪感で胸がいっぱいになった。私が悠真さんと楽しんでいる間、綾香はどんな気持ちでいたのかな。気になって、綾香のSNSを見る。そこには、福岡土産の写真がアップされており、旦那が帰って来たことを喜ぶコメントが添えられていた。悠真さんの肩に体を寄せて仲良しアピールしている写真も出てきた。「(……全然、気が付いてないんだね)」ホッとしたと同時に、軽い苛立ちを感じる。出張じゃなくて旅行をしていたとは知らず、呑気な子。これなら少しくらい悠真さんを借りたって良いんじゃない……?別に奪おうとしてるんじゃない、借りるだけ。少しだけ幸せを分けてもらうだけ。それなら許される?そんな邪な考えが浮かんできたところで、電話がかかってきた。画面には「綾香」と文字が浮かんでいる。「もしもし……」「千紗! 聞いてぇ~!」「どうしたの?」「あのね、私、妊娠したみたい」第6話は、10月19日(火)公開予定!
2021年10月12日くすくす笑っているうちに、きゅーんと切なくなる。綿矢りささんの『オーラの発表会』は愛おしい成長小説だ。主人公は、大学進学を機に、両親から一人暮らしをするよう言い渡された海松子(みるこ)。マイペースで社交下手な海松子に、はじめて訪れた友情と恋の行方。「両親は彼女の世間知らずさに前々から気づいていて、このまま社会人になったら苦労しそうだと心配しているんですよね」というのも海松子はとことんマイペースで、人の気持ちを推し量るのが苦手な子。一人でいても充足しているが、人間嫌いなわけじゃない。でも友達を作るために“訓練”していることが、なんとも的外れで…。ここが爆笑モノ。「他の人と違う視点で物事を考えているところを強調しました。自分も、子どもみたいな興味を持ち続けていたいけれど、人に変に思われそうだとか、恥ずかしいという理由で意識して失くしていったものがあります。それを主人公に詰め込みました」大学の友達は、他人の外見を完コピする「まね師」の萌音(もね)だけ。「距離の詰め方がオリジナルな二人にしたかった。萌音は海松子と正反対で、人の目しか意識しないタイプ。彼女みたいな人は友達を装った敵・フレネミーと思われがちですが、海松子には警戒心がない。萌音も、あまりにもできないことが多い海松子が見捨てられなくなる。二人みたいに、言いたいことを言い合っても続く関係っていいなって思いました」彼女たちの関係がなんともいい味わい。さらに、海松子にアプローチしてくる男性が2人登場。幼馴染みの奏樹(そうじゅ)と、社会人の諏訪(すわ)だ。「人は恋愛を通じて分かることも多いし、彼女がどんなふうに男の人に接するか興味がありました。でも海松子は恋愛の初動のときめきが薄いので、自分の気持ちに気づくまでに時間がかかるんですよね。書きながら、私も恋の行方がどうなるか分かっていませんでした」やがて海松子は、なぜかオーラが鳴らせるようになって…というところから、物語は新たな展開へ。「一人でいることも、誰か他の人といることも楽しいけれど、どちらかに偏ると苦しくなる。どちらがいいとも一概に言えないなと、今回の小説を書いて思いました」海松子が得る気づきに、大きくうなずきたくなる一冊です。綿矢りさ『オーラの発表会』自宅から通える大学に進学したのに、両親から一人暮らしするよう宣告された海松子。新生活の中でマイペースだった彼女に訪れる変化とは。集英社1540円わたや・りさ2001年、『インストール』で文藝賞を受賞しデビュー。‘04年『蹴りたい背中』で芥川賞、‘12年『かわいそうだね?』で大江健三郎賞、‘20年『生のみ生のままで』で島清恋愛文学賞を受賞。撮影・フルフォード海※『anan』2021年10月13日号より。写真・中島慶子(本)インタビュー、文・瀧井朝世(by anan編集部)
2021年10月11日~幻冬舎グループが運営する「話題の本.com」で小説連載しませんか?~株式会社幻冬舎ゴールドオンライン(本社:東京都渋谷区千駄ヶ谷4-9-7、代表取締役:山下征孝)が運営する話題の本.com( にて、短編小説の連載作品の募集が開始しました。小説家を志す方、文章を書くことが好きな方など年齢性別を問わず誰でも応募が可能。編集部の審査を経てWEBに連載記事を投稿することができます。1話あたり2,000~3,000文字程度。月2~3話の更新で、計5~10話の連載をご担当いただきます。純文学、エッセイ、SF、ファンタジー、ミステリー等々ジャンルは自由。たくさんのご応募お待ちしています。小説応募はこちら : 募集概要・応募条件:年齢・経験不問(審査あり)・募集時期:随時・話題の本.comの小説ページ( )にて掲載・連載回数:1作品につき5~10話・文字数:1話につき2,000字~3,000字程度・更新頻度:月2~3話(相談可)・ジャンル:不問※公序良俗に反する内容/表現は禁止いたします。(暴力、賭博、麻薬、売春などの行為を肯定・美化するもの、醜悪、残虐、猟奇的で不快感を与える恐れがあるものなど)※金銭のやり取りは行いません小説連載までの流れ1.小説連載応募フォーム( )に必要事項を記載の上ご応募ください・お名前・メールアドレス・ペンネーム・作品タイトル(仮)・連載回数(仮)↓2.編集部担当者よりメールにてご連絡をいたします。メール宛に今までご自身が書かれた作品(なければ執筆する小説の1話)を送付※ファイル形式は問いません↓3.編集部にて連載可否を審査いたします編集部担当者よりご連絡させて頂きます↓4.連載開始話題の本 .com小説連載応募フォーム : 会社概要商号 : 株式会社幻冬舎ゴールドオンライン代表者 : 代表取締役 山下征孝所在地 : 〒151-0051東京都渋谷区千駄ヶ谷4-9-7事業内容 : WEBメディア運営事業・WEBマーケティング支援事業・WEB広告事業・WEBサイト・コンテンツ制作事業URL : 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2021年10月08日独創的な世界観と短編ならではの展開を味わい尽くす。それができるのが、深緑野分さんの最新短編集『カミサマはそういない』だ。「当初、編集者さんと話していたのは、デビュー短編集『オーブランの少女』が全部女の子の話だったので、今回は全部、男の人が主人公の短編にしよう、ということでした」幻想的なもの、SF的なものなど切り口も読み心地もさまざま。巻頭の「伊藤が消えた」は同居していた青年3人のうち1人が失踪、ゾッとする結末が待つ話だ。「イヤミスでは女性が描かれることが多いのが気になっていて。それで男性たちのイヤミスを書きました」次の「潮風吹いて、ゴンドラ揺れる」も不気味な短編。少年が、寂れた遊園地でいくつも死体を見つける。「イギリスのポーツマスに行った時、海沿いに寂れた遊園地があって。遊具がきいきい鳴って怖かったんです。これも女性の扱いに対するカウンターという気持ちと、無謬な人間はいないという気持ちで書きました」「朔日晦日(ついたちつごもり)」は書き下ろしの掌編。神無月、とある兄弟に起きた不思議な出来事を描く。「見張り塔」は戦時下の話。人里離れた塔で警備にあたる実直な少年兵士が語り手だ。「連帯主義やそれを成立させる忠誠心に対し警鐘を鳴らしたかった。ここに書いたことは戦時に限らず、いろんなところで起きていると思う」次はがらっと変わって「ストーカーVS盗撮魔」。ネット上のアカウントの本人を特定して観察することが趣味の男が奇妙な状況に陥っていく。「作中にも出てくる映画『フレディVSジェイソン』が好きで、私も『VS』という話を書きたくて(笑)。でも、ストーカーと盗撮魔が一人の女性をめぐって対決する話だと気持ち悪すぎるしコミカルな素材にするものでもない。それで、また別の設定にしました」「饑奇譚(ききたん)」の舞台はアジアのどこかのスラムのような街。年1回の太陽光が“大放出”される日、人々は空腹を満たしておかないと体が消えてしまうという。「街については九龍城や映画『スワロウテイル』のイェン・タウン、アニメ『カクレンボ』のイメージでした。神話などでも食べる・食べないで運命が分かれる話が多いので、それらとリンクさせた感じですね」最後の「新しい音楽、海賊ラジオ」は爽やかだ。近未来的な海辺の街で、少年が海賊ラジオを探す話だ。「以前、大島に魚釣りに行って、楽しかったんですよ(笑)。海賊放送というモチーフも、いつか使いたいなと思っていました」終末的世界の作品が多いが、ご自身は“滅び”は怖いという。「あえて自分にとって怖いものを書くところがありますね。傷口を自分でえぐるタイプです(笑)」本書のタイトルについては、「願ったり祈ったりしても助けてもらえない、カミサマに見つけてもらえない人たちの話が多いなと思って。神様だけでなく、“上位にいる人”という意味合いもあるので、カタカナ表記にしました」実にバリエーション豊かな7編。短編を読む快感を、あなたもぜひ。『カミサマはそういない』失踪した青年の真実、遊園地に現れた殺人ピエロ、見張り塔で過酷な任務につく兵士、未知の音楽を探す海辺の少年…。幻惑される7編を収録。集英社1540円ふかみどり・のわき2010年「オーブランの少女」が第7回ミステリーズ!新人賞佳作に入選、同作を表題作とした短編集でデビュー。著書に『戦場のコックたち』『ベルリンは晴れているか』など。©干川修※『anan』2021年10月6日号より。インタビュー、文・瀧井朝世(by anan編集部)
2021年10月04日この恋は幸せになれない?好きになってしまったのは、奥さんのいる人。(第3話)【これまでのあらすじ】綾香と離婚したいと言う伊野さん。無自覚にシングルを見下す綾香には良い薬になるだろうと、千紗は伊野さんにアドバイスをすることに。離婚の件で話がしたいと会っていた伊野さんと別れ、駅に向かっていたところ、誰かに後ろから肩を掴まれ…前回はこちら▼この恋は幸せになれない?好きになってしまったのは、奥さんのいる人。(第2話)やましいことはない「おい」乱暴に肩を掴まれ振り返ると、マッチングアプリで知り合った男性が立っていた。何度も「また会おう」と、しつこく言ってきた例の人だ。「お前、俺のことブロックしただろ」「そっちがしつこいからでしょ」「ふざけんな、さっきの男は誰だよ!」まさか、私を付けていたの? いつから? 男の執念深さにぞっとする。「おい、答えろよ。さっきの男は何なんだよ」「あんたに関係ないでしょ」「こいつ!」殴られる……そう思って目を閉じたけど、予測した衝撃が襲ってこない。ゆっくり目を開けると、帰ったはずの伊野さんが男の腕を掴んでいた。「何してるんですか? 警察呼びますよ」「お前……さっき、こいつと一緒にいた奴だな。どういう関係だよ」「失礼な人ですね」不愉快そうに眉をひそめた伊野さんは、おもむろの私の肩を抱き寄せた。「彼女の恋人です」え……? 思わず伊野さんの顔を見上げると、「ね?」って目で合図を送られる。そうか、なるほど。「そう、この人は私の彼氏よ」「なっ、何だよ、彼氏がいたのかよ」「分かったなら、もう付きまとわないで」「言われなくても、嘘つき女なんかこっちから願い下げだ」男はそう言うと、毒づきながら帰って行った。男が完全に見えなくなってから、伊野さんが短い溜息を落す。「行きましたね」「ええ……あの、ありがとうございます」「いえ、諦めてくれて良かったです……あっ、すみません」伊野さんは慌てて、私の肩に回していた腕を下ろした。「助かりました。でも、どうして戻って来たんですか? 帰ったはずでは?」「あ、それはですね……」言いにくそうに頭を搔く。「夕食を一緒にどうかと思いまして」「え?」「あ、いや……今日は綾香の両親が家に来ているので。帰りたくないんです」そう訴える伊野さんは、捨てられた子犬のような目をしていた。「いいですよ、予定もないですし」「本当ですか! 良かった」「さっき助けてもらったお礼です」夕食時とあって近くのレストランはどこもいっぱいで、仕方なく少し離れたダイニングバーに入った。創作料理とそれに合ったお酒が楽しめるお店らしい。「藤川さん、お酒は?」「好きです」「よかった、僕も好きなんです」「食べ物の好き嫌いあります?」「魚介類はちょっと……。生臭くなければ食べられるんですけど」「分かります、私もです」伊野さんとは不思議なくらい好みが合い、美味しいお酒と共に会話が弾んだ。ラストオーダーの時間になり、名残惜しく感じる自分がいる。「今日は本当によく喋りました」「私もです」「藤川さん、来週も会ってくれますか?」「え?」「あ、その、離婚の相談をしたいので」「いいですよ」相談を受けるために会うだけ。やましいことはない。そうだよね?◆私の母ターミナル駅から徒歩5分のところにある私の家は、交通の便こそ良いものの築数が古くて狭いワンルーム。どうせ寝るためだけに帰るんだから、これと言って不満は感じていない。だけど、数年に1度、早ければ半年に1度の頻度でやって来るXデーだけは、部屋数のある家にすれば良かったと後悔する。「お帰り~千紗! 久しぶりね」「お母さん、来てたんだ」「母親が娘に会いに来て何が悪いの?」別に私に会いたかったわけじゃないでしょ、と、喉元まで出てきた言葉を飲み込む。これを言ってしまったら喧嘩になるだけだ。「2,3日、世話になるから」「はいはい」「何よ、その言い方。もっと歓迎しなさいよ」「してるよ。お腹空いてない? 何か作ろうか?」「適当に食べたから要らない。それより、千紗にお願いがあるんだけど」「何?」「お金貸してくれない? 家賃代の7万、いや5万でいいからお願い!」またか……。私に会いに来る時は、いつもそう。分かっていても今回は違うかもと思ってしまう自分にガッカリする。「言っとくけど、5万なんてすぐに出せる金額じゃないからね」「よく言うよ、正社員のくせに」「独り暮らしは何かとお金がかかるの。お母さんだって分かってるでしょ」「そうね、お金の苦しさは分かっているわよ。あんたを育てるのに私がどれだけ苦労したか」「またその話?」昔っから、何かというと自分の苦労話。そんなに大変だったなら、施設の前に捨ててくれれば良かったのに。「育ててもらった恩を忘れて口答えするんじゃないよ」「いい加減にしてよ! 恩を売るために、私を産んで育てたの!?」「その通りだよ、悪い?じゃなきゃ子供なんて邪魔なだけだよ!」売り言葉に買い言葉。母の本心でないことは分かっていても傷つく。いや、もはや本心なのかもしれない。こんな人でも親は親だと耐えてきたけど、もう限界かも……。◆この人に癒されたい「すみません、遅くなりました」カフェバーで待ち合わせをしていた伊野さんは、私の顔を見るなり頭を下げた。「大丈夫ですよ」「相談のお願いをした側が遅れるなんて、申し訳ない」律儀な人だなぁ。尚も申し訳なさそうにする伊野さんに座るよう促し、メニューを渡す。彼は私が飲んでいるものを聞いた後、「同じものを」と、注文した。ほどなくして、ブラッディー・マリーが運ばれてくる。「先日は助かりました。お陰で綾香の両親に会わずに済みました」「良かったです」綾香の親は、とても過保護なんだと彼女から聞いたことがある。だから綾香を心配して、旦那を注意しに来たのだろう。いい年をして親にチクる綾香もどうかと思うけど、親も親だ。だけど、いつだって味方になってくれる親がいて羨ましい。私の母なんて……。「何かありましたか?」突然、伊野さんがそう尋ねた。「え?」「今日はとても浮かない顔をしていますよ」「いえ、特には……」「話してください。いつも僕の話を聞いてもらっているんだから聞きますよ」「伊野さんの話を聞くために会ってるんだから、私のことはいいんです」「よくありません」真剣な瞳に見つめられて、心がざわつく。誰かに愚痴りたい、聞いて欲しい、そんな心の声を読まれたような気がした。「僕の相談は今度にして、今日は藤川さんの話をしてください」「でも、」「じゃぁ、こうしましょう」伊野さんはそう言って、店員さんを呼んだ。「今日はとことん飲みませんか? そうすれば話しやすいし、僕も聞きやすい。そして何より……」「何より?」「明日になったら2人とも覚えていない」フッと、思わず吹き出してしまった。伊野さんってやっぱり面白い人だなぁ。お酒の力もあり、私は母とのことを伊野さんに話した。お金の無心をされることや、この前、喧嘩した時に言われたこと。それから話は子供時代のことまで遡る。「母はシングルマザーだったんですけど、いわゆる恋多き女性で常に彼氏がいました」「そうですか」伊野さんは優しく相槌を打ってくれる。「でも長続きしないんです。いつも最後は男に裏切られて捨てられて、その度に泣いてヒステリーを起こして」「親のそんな姿を見るのは辛いですね」「はい……。だから、私は本気で人を好きになったりしない、恋人は作らないと決めました。母のようにはなりたくないので」「お母さんと同じようになるとは限りませんよ」そうかもしれない。だけど……、「本当は怖いんです。きっと私は恋愛に向いていない」「ずっと傷ついたままなんですね」「傷……?」「藤川さんは傷つけられたんですよ、お母さんを通して、お母さんを捨てた男たちに」「そんな自覚は全然……」「自覚がないから傷を癒すことなく大人になってしまったんでしょう」ふと、伊野さんの手が私の手に触れた。ドキドキするのは、お酒のせい……?「僕が傷を癒してあげましょうか?」「え……」「僕でよければ、ですけど」器用なのか不器用なのか、よく分からない口説き方。だけど、伊野さんの声が優しくて、眼差しが温かくて、この人に癒されたいと思ってしまった。「癒してください」「じゃぁ、2人っきりになれる場所へ行きましょうか」第4話は、10月5日(火)公開予定!
2021年09月28日理想じゃない恋のはじめ方。(最終話)【これまでのあらすじ】出張のことで大和と喧嘩をしてしまったまま当日を迎え、東京駅に向かう汐里は、その道中で自分にとって大切なのは大和だと気付く。出張には行かずに大和の勤める病院へ直行したが、そこに大和の姿はなく、1週間ほど休暇を取っていると聞かされる…前回はこちら▼理想じゃない恋のはじめ方。(第9話)第1話はこちら▼理想じゃない恋のはじめ方。(第1話)小さな救世主大和のことが好き。ずっと一緒に居たい。自分の気持ちをやっと自覚できたのに、肝心な大和と連絡が取れない。1週間も休暇を取って、どこに行ってしまったんだろう?病院のカフェで途方に暮れていると、不意に肩を叩かれた。「こんにちは!」見覚えのある女の子が私に向かってニコッと笑う。この子は……大和と水族館に行った時に、偶然会った子だ。名前は確か、れいなちゃん。「こんにちは。今日は診察?」「ううん、おばあちゃんのお見舞いに来たの」「入院してるんだね」「うん、この前転んで骨折しちゃったんだって。北崎先生が担当なんだよ」「そうなんだ」頷きながら、大和の笑顔が頭の中に浮かぶ。たった1週間会ってないだけで、恋しくて仕方ない。「おばあちゃんから聞いたけど、先生のおばあちゃんも大変なんだね」「え?」「おばあちゃんと同じ、転んで骨折しちゃったんでしょう」「そうなの!?」思わず大きな声が出る。大和のおばあちゃんって今はもう1人しかいないから、実家で同居してるおばあちゃんのことだよね。全然知らなかった。どうして誰も教えてくれなかったの。いや、もしかして今朝、母が電話してきたのって、その件だった?「北崎先生は他に何か言ってたか、おばあちゃんから聞いてない?」「1週間くらい休むって」「他には?」「先生の元気がないって、おばあちゃんが言ってた」あぁ、もう、私のバカ。大のおばあちゃん子だった大和のことだ、怪我をしたと聞いて不安だったはず。そんな時、傍にいてあげなかったなんて……。「れいなちゃん、ごめんね。私、もう行くね!」「うん、バイバイ!」れいなちゃんに手を振り、病院の正面入口へと走る。それからタクシーに飛び乗った私は、実家方面へと向かった。◆会いたかった「もしもし、お母さん」『あんた、さっきはよくも途中で電話を切って……』「ごめん。ねぇ、大和のおばあちゃんが骨折したって本当?」『そうよ、大変だったんだから』「どこの病院に入院してるの?」『○○記念病院よ』「分かった、ありがとう。じゃぁね!」大和のおばあちゃんは自宅で書道教室をしていて、私も子供の頃に通っていた。優しくておおらかで笑顔が素敵なおばあちゃん。私はキク先生と呼んでいた。「キク先生!」病室のドアを開けると、ベッドの上に座っていたキク先生が目を丸くした。ベッドサイドには……やっぱりここにいた。大和だ。「あら、汐里ちゃんじゃない。わざわざ来てくれたの?」「怪我は大丈夫?」「平気よ。ほら、ここに名医がいるでしょう?」茶目っ気たっぷりの笑顔でそう言ったキク先生は、大和の肩をポンッと叩いた。キク先生に負けず劣らず驚いた顔をしている。「しおちゃん、出張は……?」「行くのやめたの」「どうして?」どうして、だって?そんなの聞かないと分からない?1週間も放置して、電話に出ないで、挙句の果てにも消息不明になって、私がどれだけ不安になったか……。お互い様と言えばお互い様だけど、むかつく!大和に会えて嬉しいはずなのに、その顔を見たら無性に腹が立ってきた。「キク先生、ごめんね。ちょっと、大和を借りる」「どうぞどうぞ~」「大和、ちょっといい?」病棟を出て少し歩くと、手入れの行き届いた中庭に着いた。人が少なくて話をするのにちょうどいい。でも、何から話そう? 怒りに任せて呼び出したけど、色んな感情が渦巻いていて整理できない。私の後ろをずっと付いてきている大和も、何も言おうとしない。何か言ってくれたら、話しやすいのに。――――と、「……会いたかった」不意に後ろから抱きしめられた。「大和、」「すっごく会いたかった」耳元で大和の優しい声がする。背中から伝わる体温が心地良い。それだけで、十分だった。「私も大和に会いたかった」「本当?」「当たり前でしょ、好きなんだから」「え?」「大和のことが好きなの」抱きしめられている腕が緩んだので、体を回転させて大和と向い合う。すると、大和は泣きそうな顔をしていた。「ごめんね、気付くのが遅くて」「いや……夢じゃないよね? これ」「頬を捻ろうか?」「やめてよ、しおちゃん地味に力強いか、ら……」大和の頬を両手をはさむ。それから、唇に触れるだけのキスをした。「夢じゃないでしょ」「今の……」耳を赤くする大和が可愛い。「もう1回しとく?」「待って」「だめ?」「そうじゃなくて、」大和はそこで、一呼吸をつき、「俺からする」私の髪の毛をそっと撫でてから、ゆっくり唇を重ねた。◆仲直り中庭には石のテーブルと木製のベンチがあり、私たちはベンチに2人肩を並べて座った。鱗雲が浮かぶ青い空と、イチョウの黄色がキレイ。「ごめんね、大変な時に1人にして。あと、この前はキツイことを言って、ごめんなさい」「俺の方こそ、意地張ってごめん」「ずっと考えてたんだけど、今の私にとって大和が1番だと気付いたの。だから、出張も断っちゃった」明るい声で言ったのに、大和はまた泣きそうな顔をした。「自分でも情けないよ。仕事の足を引っ張るようなことをして」「違うよ、私がそうしたいって思ったからなの」「しおちゃんの出張が終わったら、迎えに行くつもりだったんだ」「そうなの?」「俺なりに反省してたの。ガキみたいなヤキモチ妬いて、拗ねて、挙句の果てにしおちゃんを置き去りにして」そう言えば先に帰られたんだよね。お互いに頭を冷やすべきだと思ってお店でゆっくりしてたけど、外に出たらもう大和の姿はなかった。あれはなかなかショックだったと言うと、大和が項垂れる。「俺、しおちゃんの理想に近づけるように頑張る」「いいよ、別にそんなの」「やる気になってるんだから、水差さないでよ」「そのままの大和が好きなのに、無理して変わることないんだって」「しおちゃん……」理想がどうとか、将来がどうとか、こだわっていた自分は一体何だったんだろう?思い通りになんてならなくていい。背伸びをしなきゃいけない恋なんていらない。「大和が傍で笑っててくれたら、それでいいの」好きって気持ちさえあれば、理想じゃなくても始められる。大和が私に教えてくれたんだよ。◆理想じゃない恋のはじめ方「大和、そろそろ起きて」「んー」眠そうな声で返事をした大和は、瞼を開けることなくまたすぐ寝息を立てた。そりゃ無理もないか。昨日も一昨日も当直だったもんね。このまま寝かしててあげたいけど、絶対起こしてって言われるしなぁ……。「イルミネーション、行くんでしょ」その一声で、大和はむくっと起き上がった。「今、何時?」「16時半だよ」「やばっ、あと30分しかないじゃん」「別にそんなに急がなくても。22時くらいまでやってるんでしょ」「17時から点灯式があるんだよ」へぇ、そんなのがあるんだ。大和用に目覚めのコーヒーを淹れていると、匂いにつられた彼がキッチンに入って来た。「こういうの、何かいいな」「何が?」「彼女がコーヒーを用意してくれるの」「自分用かもしれないよ」「だって、それ俺のカップじゃん」意地悪っぽく笑った大和は、「ありがと」と言い、私の頬にキスをする。正式に付き合うようになってから、私の部屋には大和の物がどんどん増えていて、もうどっちの家が分からないくらい。家賃が勿体ないし、一緒に暮らそうかという話がちょうど昨日出たところだ。「そういや、しおちゃん、玄関の整理した?」「あ、気が付いた?」「うん、何かスッキリしてるなーって」「必要ないヒールは全部捨てることにした」「そうなの?」「だって、これからは大和の靴も入れなきゃだ、し、」言い終わる前に、ぎゅっと抱きしめられた。「しおちゃんのそういうところ大好き」「ありがと……。ねぇ、もう16時50分だけど、いいの?」「えっ、やばっ!」時計を見た大和は戸締りを確認して、玄関へと急ぐ。早く早くと急かされて、私も後に続こうとしたところで、不意打ちのキスがきた。「しおちゃん、これからもずっと一緒にいようね」改まって言われると、何だか恥ずかしくてくすぐったい。だけど、素直な気持ちをいつもぶつけてくれる大和が好き。「うん」笑顔で頷いた私は、スニーカーを履いて外に出た。
2021年09月24日この恋は幸せになれない?好きになってしまったのは、奥さんのいる人。(第2話)【これまでのあらすじ】友達の綾香に依頼され、綾香の旦那である伊野さんの浮気調査を開始した千紗は、伊野さんが女とホテルに入るところをあっさりと押さえられ拍子抜けする。しかし伊野さんは綾香が浮気調査を依頼することを分かっていてわざと尾行させていた…前回はこちら▼この恋は幸せになれない?好きになってしまったのは、奥さんのいる人。(第1話)切実な願い「綾香と離婚したいんです。僕に協力してくれませんか?」「えっと……」唐突なお願いに驚いてしまい、何も言葉が出てこない。これまでいくつもの不倫調査を担当したけど、対象者からこんなお願いをされたのは初めてだ。「変なことを言ってすみません」「いえ……びっくりしちゃいましたけど。あの、離婚したいというのは、」「本気です」「そうですか。それなら綾香と話し合ってください」「それが可能なら、あなたにお願いしません」懇願するような瞳で私を見つめる綾香の旦那は、「歩きながら話しませんか?」と駅の方を指さした。変なことになってしまったなぁ……。だけど、ホテル街で立ち話を続けるわけにもいかず承諾した。「あの、さっきの女性は?」「もう帰ったと思いますよ。ホテルに入るところまで同行する約束でしたから」「わざと尾行できるようにって言ってましたけど、浮気の証拠を私に撮らせるつもりだったんですか?」「そんなところです。でも、ホテルに入っただけじゃ証拠にならないですよね」確かに、ホテルに入っただけじゃ証拠として弱い。相手の具合が悪くなり休憩していただけとか、言い逃れができるからだ。「私が伊野さんの調査してるかどうか試したんですね」「試すようなことをしてすみません。綾香がどこまで本気で依頼をしたのか分からなかったので」「クライアントの情報は漏らしませんよ」「あなたが調査に失敗したことも、内密にするんですか?」私を脅す気……?思わず綾香の旦那を睨み付けると、彼は眉尻を下げて泣きそうな顔をした。「それだけ切実なんです」「そう言われても、困ります」「調査はこのまま続けてください。ただ、僕が気付いていることだけは綾香に黙ってて欲しい」「それで、どうするんですか?」「その先については……」駅に近づくにつれ、人の行き交いが増えていく。正面から酔っ払いの団体が歩いてきてぶつかりそうになった瞬間、肩を引き寄せられた。「大丈夫ですか?」「ええ、はい」「ノープランです」え?眉をひそめた私に、綾香の旦那はもう1度「ノープランです」と言い、困ったように笑った。◆痛い女平日のお昼。ランチをしながら話そうと綾香を誘い、事務所近くのカフェに入った。「どうだった、何か分かったぁ?」友達なら包み隠さず全て話して調査を中止するべきなんだろう。だけど、夫婦の間にどんな行き違いがあって関係がこじれてしまったのか、綾香の旦那は何を望んでいるのか、離婚を切り出された綾香はどうするのか?好奇心をそそられて、もう少し調べたいという気持ちを抑えられない。「まだ調査中」「そうなんだぁ」「綾香の方は? 何か怪しいと思うことがあった?」えー、どうかなぁって、頬に左手を当てる。薬指のダイヤモンドリングがキラリと光った。「その指輪って」「ん? あぁ、これぇ? 旦那くんからのプレゼント」「へぇ……」「前にチラッと指輪が欲しいって言ったのを覚えていたみたい。こういうことしてくれるとぉ、疑っちゃって悪いなって思っちゃうよねぇ」「じゃぁ、旦那さんのこと信じてあげれば?」「それができたら苦労しないよぉ」わざとらしく唇を尖らせた綾香は、「独身の千紗には分からないか」と呟いた。その言い方が癇に障った。「どういう意味?」「だって、そうでしょうぉ。結婚して家庭を守ってる女の気持ちなんて、分からないよねぇ?」「分からないけど、それと旦那を信じる云々の話は別だよね」「ほら、すぐそうやって論破しようとするー。そんなんだから千紗は、まともな彼氏ができないんだよぉ」目の前のおしぼりを投げてやろうかと思った。思い込みの持論を並べて、私のことを見下している。無自覚なんだろうけど、むかつくっ!◆面白い人「すみません、こんな場所に来てもらって」「いいえ、こちらこそ無理を言って」綾香の旦那こと、伊野さんから「先日の件で話がしたい」と連絡がきたのは、日曜日の夕方だった。その頃、私はお見合いパーティーに参加していたので、会場であるホテルまで来てもらった。ロビーで落ち合って、カフェに移動する。「パーティーには、よく参加するんですか?」「今回が初めてです。話のネタになるかと思って」冗談で言ったのに、伊野さんは感心したように頷く。「何事も経験をしておくのは良い事ですね。好奇心は猫をも殺すと言いますが、経験と知識は人生を豊かにしますから」「それ、うちの所長も言ってました」「ケビン・エドラーの名言です。僕は本で読みました」「そうなんですか? じゃぁ所長も同じ本を読んだのかも」「あと、こういう名言もあって……」伊野さんの話は、ミステリ小説のように引き寄せる力があって面白い。他愛のない雑談は、2杯目のコーヒーが無くなる頃まで続いた。「もうこんな時間か。すみません、本題ではない話をだらだらとしてしまって」「いえ、興味深かったです」「僕たち気が合うかもしれないですね」伊野さんはそう言って笑った後、思い直したかのように「すみません」と謝った。「失礼ですよね。でも……こんなに話しが弾む相手は久しぶりなので」「綾香とは話さないんですか?」「話しどころか、最近は顔も合わせていません」「避けているそうですね」「もう、うんざりしているんです。嫉妬深くて束縛が強いし、気に入らないことがあるとすぐ泣き喚いて実家に帰ると言うし、話し合おうとしても言葉がまるで通じない」最後のは、分かる気がする。綾香って住んでいる世界が人と違うというか、常識が通じないところがあるのよね。「離婚の意思は固いんですね」「ええ、それはもう」「でもだからといって浮気をしたら、自分が不利になるだけですよ」「ですよね……」「離婚する方法ならいくつかあります。焦らないでじっくり考えましょう」「それって協力してくれるってことですか!?」「アドバイスをするだけです」それくらいなら、良いよね。離婚を突き付けられた綾香がどうするかは分からないけど、世間知らずのお嬢様には良い薬になるはず。シングル女性の生き難さを思い知れば良い。伊野さんとはホテルのエントランスで別れ、駅を目指す。何だかんだ今日は楽しい1日だったな……。そんなことを考えていると――。「おい」不意に後ろから肩を掴まれた。第3話は、9月28日(火)公開予定!
2021年09月21日理想じゃない恋のはじめ方。(第9話)【これまでのあらすじ】雪村さんの件が一段落し、汐里は同僚たちの要望もありプロジェクトチームに戻れることになった。週末には新実さんと出張なのに、汐里の元カレが新実さんだと知った大和にダメだと言われ、「関係ないでしょ」と言ってはいけない言葉をつい口にしてしまう…前回はこちら▼理想じゃない恋のはじめ方。(第8話)第1話はこちら▼理想じゃない恋のはじめ方。(第1話)喧嘩「大和には関係ないでしょ、干渉しないでよ」しまった、と思った時にはすでに遅く。大和の顔からスッと表情が消えた。「関係ないか……。しおちゃんにとって俺はその程度だったんだね」「違う、そうじゃないけど」「じゃぁ、何?」「何って……」「しおちゃんは、俺のことどう思ってるの?」そんなの急に聞かれても答えられないよ。大和のことは、多分、好きだけど。それをここで言うのは違うでしょう?だいたい、「今は気持ちを知っててくれるだけでいい」って、言ったくせに。こんな時に、どう思ってるかなんて聞こうとしないでよ。「今はまだ言えない」「あっそ、分かった」「ねぇ、大和。関係ないと言ったのは私の仕事に対してだよ。誤解しないで」「うん、そうだね。俺には関係ないよ」「ちょっと! 意固地にならないでよ」キツイ言い方をした私も悪いけど、分からず屋な態度に腹が立つ。どうして仕事とプライベートを分けて考えられないの?「もういいよ、出張でもどこでも好きに行けば」「大和」「もう帰ろう、話すだけ無駄だ」そう言って席を立った大和は、レジでお勘定を済ませて外に出てしまった。追いかけようかと思ったけど、何だかその気力も無くなってやめた。今夜はお互い頭を冷やした方が良さそう……。◆謝罪「……すみませんでした」急に謝られて驚いてしまう。私に向けて下げた頭をゆっくり起こした雪村さんは、やつれた顔をしていた。今回のことが周りにバレて、かなり叱責されたんだろうなぁ……。「許せる気にはならないけど、謝罪の気持ちは受け取るよ」そう言うと雪村さんは、唇を震わせた。「新実さんの言った通りです」「何て言ったの?」「高杉さんは、常に相手の立場になって考えられる人だ、と。だから、例え酷い目にあっても、きちんとした謝罪なら受け入れてくれるはずだって」新実さんがそんなことを……。『自分が悪いと思ったらきちんと謝れ』『謝罪をされたら、許せなくても気持ちだけは受け取れ』そんな人になれるように私を育ててくれたのは、新実さん本人だ。だけど、まだまだ相手の立場になって考えられていないよ。「新実さんのことは、許してあげますか?」「うん?」「高杉さんが怪我をした時、新実さんは病院に駆けつけようとしたんです。それを阻止したのも、彼のスマホを取り上げたのも私です」「そうだったんだ」新実さんが病院に来てくれていたら、大和と親密になることもなかったし、あんなことで喧嘩することもなかっただろう。そもそも、怪我をしたから大和と再会できたわけで……。新実さんのことを話しているのに、私の思考は大和の方へと向かっている。「(大和、まだ怒ってるのかな?)」◆心境の変化今日こそメールをしよう。いや、明日まで待ってみよう。そんな風に毎日を過ごして大和と連絡をとらないまま、週末を迎えた。「先輩、明日から出張なんだから今日はもう帰ってください」「もう少し手伝うよ」雪村さんが退職することになって、その引き継ぎを旭日がすることになったのだ。「助かります~お詫びにこれどうぞ」ありがと、と旭日がくれたチョコレートを口に入れる。すると彼女は目を丸くした。「先輩がチョコ食べるなんて!」「あげた本人が驚かないでよ」「だって、いつも『太るからいらない』って言うじゃないですか」「別に、これくらい平気でしょ」美味しいな、これ。もう1個貰おう。「ここ最近の先輩、柔らかくなりましたね」旭日がしみじみとした口調でそう言い、作業する手を止めた。「前はもっとストイックというか、ダメなものはダメって感じで張り詰めている雰囲気があったのに」「そう、かな?」「私の後輩なんかは、話しかける時に緊張するって言ってましたよ」「えっ、そうなの?」それは、ちょっとショックかも。後輩たちには、なるべく優しく接していたつもりなのに。「あ、違いますよ。怖がられてるとかじゃなくて、すごい人過ぎて緊張するという意味です」「全然すごくないのに」「すごいですよ。私たちの目からすれば…。いつも凛とされていて、憧れです」「ありがと……」「でも、最近、雰囲気が柔らかくなったよねって、みんなで話していたんです」「そうなんだ」「何か心境の変化があったんですか?」心境の変化か……。変わったことがあるとしたら、大和かな。彼と一緒にいるうちに、考え方や物事の捉え方が少し変わったと自分でも思う。「これまでの先輩も好きでしたけど、私は今の先輩の方が好きです」面と向かって言われると照れる……でも、嬉しい。「ありがとう」「どういたしまして」おどけたように言った旭日は、「さぁー!残りの仕事を片付けるぞ」と気合いを入れた。◆会いたい出張、当日の朝。東京駅へ向かうタクシーの中で、スマホの画面を覗いては落胆する。実は昨日の夜、大和に電話をかけてみたけど留守電になっており繋がらなかった。手術中は留守電になっていることが多く気に留めなかったけど、朝になっても折り返しがこないのは初めてだ。出張に行く前に、大和と話がしたかったのにな……。そう思った瞬間、スマホが振動した。大和かと思いきや、相手は母。「お母さん悪いけど、後にしてくれる?」『汐里、実はね…』「これから出張なの。向こうに着いたら電話するから。じゃぁね」お母さんの話は基本的に長いから、外で聞いてたら充電が無くなってしまう。電話を切って、ふぅと息を吐くと、ルームミラー越しに運転手さんと目が合った。「もうすぐ、イルミネーションの季節ですね」「そうですね」「楽しみだなぁ。毎年、娘と一緒に見に行くんです」運転手さんが微笑む。その嬉しそうな顔を見て、先日、大和と話したことを思い出した。『今年のイルミネーション、一緒に見に行こう』『イルミネーションかぁ、混雑するから嫌』『そんなこと言わずに、行こうよ』『気が向いたらね』どうしてあの時、素直に行くって言わなかったのだろう?どうしてもっとちゃんと約束しなかったの?このまま、大和に会えなくなったらどうしよう?もう大和が笑いかけてくれなくなったら、どうしよう?――大和がいない人生なんて、想像しただけで耐えられない。そのことに今、気が付いた。東京駅に着いて新幹線の改札口に向かう途中で、新実さんを見つけた。急いで駆け寄って、声をかける。「新実さん!」「どうした、そんなに慌てて」「すみません、私、行けません」新実さんは訝しげな表情で、こちらを見る。スーツケースを下げてここまで来て、「何を言ってるんだ?」と、言わんばかりだ。「今回の出張がどれだけ大事か分かってるよな」「分かっています」「上手くいけば、プロジェクトリーダーに戻れるかもしれないんだぞ」「戻る気ないです」「汐里らしくないな」確かに、私らしくない。以前の私なら、どんなことよりも仕事を優先していた。ガツガツ必死に働いている自分が好きだった。だけど、今は『頑張り過ぎないでね』って言ってくれる大和と一緒にいる時の自分が好き。「仕事よりも、大切なものを見つけたんです」「大切なもの?」「ごめんなさい、私、新実さんの気持ちには応えられません」「汐里……」「彼が好きなんです」理想とは全然違っていても、思い通りの恋愛じゃなくても、大和が好き。だから今は仕事より、彼と仲直りすることの方が大切。今になってやっと気が付いたの。新実さんに頭を下げて、踵を返す。早く大和に会いたいという気持ちが溢れて足が自然と走り出していた。「○○総合病院まで、お願いします」電話が繋がらないなら、直接会いに行くしかない。タクシーで大和が勤める病院に直行し、顔見知りの看護師さんに大和の居場所を尋ねた。すると……。「北崎先生なら、休暇を取られていますよ」「休暇?」「ええ。1週間ほど、休むそうです」そんなに長く……?大和、どこ行っちゃったの?理想じゃない恋のはじめ方。第10話に続く…
2021年09月17日この恋は幸せになれない?好きになってしまったのは、奥さんのいる人。(第1話)複雑な家庭で育ち、結婚に夢も希望もない藤川 千紗、30歳独身。特定の恋人もつくる気がない千紗は、相手をころころ変え一時的な恋愛を楽しんでいる。そんなある日、探偵事務所の相談員として働いている千紗は、友人の旦那の浮気調査をすることになり…結婚や人生に悩む女性に贈る、オリジナル小説。前作「理想じゃない恋のはじめ方。」はこちら私の恋愛観「彼氏がいないなら、また会えるよね?」目の前でワイングラスを揺らす男が、期待を込めた瞳で私を見つめる。如何にも慣れてますって顔が、女性の扱いは心得ていますって態度が、正直うざい。こういう男は後腐れなさそうに見せかけて、粘着するタイプだ。「1回会った人とは、もう会わないことにしてるの」「どうして?」「どうしても」「理由を言ってくれないと納得できないな」ほら、しつこい。「一期一会を楽しみたいから」「1回会っただけじゃ、何も分からないだろ」あなたがハズレってことだけは、分かるけどね。がっかりした気分で1万円札をテーブルに置き、席を立つ。「先帰るね」「待てよ、俺の連絡先を渡すから。気が向いたら電話して」「要らない」「ったく、可愛くねぇーな。そんなんだから彼氏ができないだけじゃないの?」本当、うざったい。何様なの、こいつ……。彼氏?そんなの必要ない。私はその日、その時だけの相手と恋愛が楽しめたらいいの。誰かと真剣に付き合うなんて、真っ平御免よ。――――ずっとそう思っていた。彼に出会うまでは。探偵事務所「一体、いつまで待たせる気……?」自動車内で待機中の私は、思わず悪態をついた。運転席にいる仲西(ナカニシ)さんが眠そうにあくびをする。「3時間越えか。平日の昼間っからご苦労なこったな」「本当よ、さっさと出て来て、さっさと証拠を取らせて欲しいわ」「そう簡単にいくかよ」「あ、待って。出て来たかも」私たちが待機している車から、20メートルほど離れた先にラブホテルがある。そのホテルのエントランスから対象のカップルが現れた。気付かれないようにカメラを構える。「(決定的なのを、お願いよ……)」私の願いが通じたのか、ホテルから出て来た不倫カップルは白昼堂々のキスを始めた。「これで言い逃れできないね」「さすが、うちのエース・藤川千紗(ふじかわちさ)は、運が良いな」「効率が良いって言ってよ」都内でありながら自然の豊かさを感じられる場所に建つ商業ビル。その3階にある総合探偵事務所が、私の勤め先。尾行・張り込み・聞き込みなど調査に出るのは良いけど、クライアントに報告する時は少し気が重い。「調査報告をしますね。ご主人は〇月〇日の〇時から約3時間半に渡って女性とホテルで過ごし……」「嘘よ、信じないわ」「こちら、証拠の写真です」決定的な写真を見たクライアントは、体を震わせて泣きだした。「こんなの、酷い……」「裁判になった場合、証拠は多ければ多いほど有利になります。もう少し調査を続ける場合は、」「あなたね、こんな酷い写真を見せておいて、思いやりの言葉1つかけられないの!?」でた。八つ当たりパターン。怒りの矛先をこちらに向けられてもね……と、心の中で溜息を吐く。憎むべきなのは不貞をした夫、もしくはその相手であって、その2人を裁くための調査なのに。大体、浮気されたからって何だっていうのよ。婚姻関係にあるってだけなのに、自分が1番だって思い込むから傷つくんでしょ?「結婚なんてするから、そんな思いをするのよ……」「え?」やばい、つい口に出してしまった。作り笑顔を浮かべたところでタイミングよく電話がかかってきたので、後はカウンセラーに任せることにした。「はい」『もしもしぃ~千紗? 私、綾香(あやか)。ちょっと今から会えないかな?』◆友達の旦那指定されたカフェへ行くと、先に着いていた綾香が手をあげた。大学時代の友達で時々ランチをしたりする仲だけど、急に呼び出されるのは珍しい。「久しぶり、どうしたの?」「うん、実はねぇ……。旦那くんが、浮気してるみたいなの」あぁ、なるほど。そういう用件か。綾香の旦那とは、結婚式の時と家に遊びに行った時の2回会ったことがある。どちらかといえば綾香の方がベタ惚れで、仲は良かったはずなのに。「何か怪しいと思うことがあるの?」「ん~。帰って来るのが遅かったり、スマホにロックをかけるようになったり、」「それは怪しいね」「やっぱりそう思う?あとね、最近そっけなくなった気がするのぉ」悲しそうな表情を浮かべる綾香は、胸元まである髪の毛を指にクルクル巻きつけた。派手なストーンが付いたネイルが目立つ。「休日出勤や出張が増えたりは?」「んっ! そういえば、今月はもう3回も出張に行ってる」「見慣れない下着があったり、香水を変えたり、外見に気を遣うようになったりは?」「下着は、どうかなぁ……」綾香はいわゆるお嬢様ってやつで、実家はかなりの資産家らしい。ハウスキーパーが洗濯をするから、旦那の下着なんて知るわけないか。「あ、でも香水は変わったかも」「疑える要素は揃ってるね。どうする? 調べようか?」「お願い!費用はいくらでも出すから」「分かった。じゃぁ、後でまた事務所に来て」頷いた綾香は、私に話してホッとしたのか、デザートのメニューを開いた。いつもダイエット中と言いながら、甘い物に目が無い。「ところで、千紗は? 良い人できた?」「私のことはいいよ、聞かなくて」「またそんなこと言ってぇ。一生独身でいるつもり~?」「先のことはまだ考えてないよ」「考えなきゃダメだよぉ、私たちもう30歳なんだから」悪い子じゃないんだけど、綾香って時々お節介。女の幸せは好きな人と結婚して子供を産んで育てることだと信じて疑わないタイプ。その価値観はむしろ一般的だと思うけど、考えを押し付けないで欲しい。というか、私は非婚主義者なの。いい加減察して欲しいよ……。◆浮気調査開始「ビル、高っ」綾香の旦那が勤める会社は、外資系企業が多く集まるオフィス街にある。その中に紛れても違和感がないようパンツスーツに身を包んだ私は、綾香から聞き出した情報を頭に叩き込んだ。対象者は、伊野 悠真(いの ゆうま)32歳。身長は176㎝、体重74kgの中肉中背、髪型はやや癖のあるショートでおでこを出している。銀色の細フレーム眼鏡、濃紺のスーツ、茶色のカバン……。「(出て来た)」顔は元々知っていたので、ビルの入り口ですぐ見つけることができてホッとする。そのまま綾香の旦那が通り過ぎるのを待って、尾行を開始した。只今の時間、午後7時。綾香には今日も残業と言っていたらしいけど、会社に戻る様子がないからどこかへ行くのだろう。「(女と会うのかな? それとも人には言えない趣味があるとか?)」あれこれと想像しているうちに好奇心が芽生えてくる。何かしら綾香に内緒にしていることがあるのは、間違いなさそう。彼はカフェや本屋でしばらく時間を潰したあと、ホテル街へと向かった。「(やっぱり女か……)」思ったよりは、あっさりと尻尾を見せられて拍子抜けする。案の定、女性と合流した綾香の旦那はホテルの中へと入って行った。――――と。なぜかすぐにホテルから彼1人で出て来た。そして、まるでここに私がいることを知っていたかのように真っすぐ向かって来る。どうしよう? 尾行がバレてた?「綾香の友達ですよね?」想定外の動きに驚き、挙動不審になってしまう。「あっ、あの、私は……」「綾香に頼まれて僕の調査をしているんでしょう?」ダメだ、完全にバレている。調査員としてあるまじき失態を恥じていると、綾香の旦那は「違うんです」と手を振った。「綾香があなたに依頼するであろうことは初めから分かってました」「そうなんですか?」「えぇ、分かっててわざと尾行しやすいように歩きました」「あの、」それってどういうつもりで?そう聞こうとするよりも先に、彼は予想外のことを口にした。「綾香と離婚したいんです。僕に協力してくれませんか?」第2話は、9月21日(火)公開予定!
2021年09月14日理想じゃない恋のはじめ方。(第8話)【これまでのあらすじ】新実と大和の間で揺れる汐里だったが、大和のことが好きになったかもと思い始める。そんな中、汐里の部署が荒らされるという事件が起き、犯人が雪村さんだと発覚。それだけではなく、汐里の家に空き巣が入るように仕向けたのも彼女だった…前回はこちら▼理想じゃない恋のはじめ方。(第7話)第1話からまとめ読みはこちら▼理想じゃない恋のはじめ方。(第1話)恨まれていた理由「汐里の家に空き巣が入るよう仕向けたのも、この女だ」雪村さんが? どういうこと?困惑すると同時に、空き巣被害にあった時のことが頭の中で蘇って体が震える。取り逃がした犯人の姿、左腕の痛み――――。「本当に雪村さんがやったの?」「わっ、私は……」泣きながら声をつまらせる雪村さんは、縋るように新実さんを見る。けれど、新実さんは厳しい顔をしたまま彼女を睨みつけた。「いい加減、その嘘泣きをやめろ」低く響く声に、冷たい言い方。普段、新実さんがどんな風に彼女と接していたかは知らないけど、少なくとも婚約者に向けるような表情ではない。雪村さんもそれに気付いたようで、すっと表情を変えた。私が仕事復帰した日、自動販売機の前で見せたあの悪魔のような表情だ。「そうよ、私が人を雇って高杉さんの家を荒らすように指示したの」「自分のやったことが分かってるのか!? 汐里は怪我をしたんだぞ」「あれは事故よ! ちょっと脅かすつもりだったのに、この女が反撃するから」あくまで人のせいにするつもりなんだね。さすがにここまでくると、恨まれていた理由が気になった。「どうしてそんなことを?」「だってむかつくんだもん。あんたばっかりみんなにチヤホヤされて」「チヤホヤって……」「私はこれまでいつだって1番だったの。高校でも大学でも前の職場でも、みんなの中心にいたのは私!」「……」「それなのに、ここではみんながあんたを頼って大事にしてる。あんたばっかり良い思いをして、許せなかったの!」良い思いばかり? そんなわけないじゃない。辛いことも大変なことも乗り越えて、今の自分を築き上げたの。そんなことも知らないで、自分勝手な怒りをぶつけてくるなんて呆れてしまう。あまりに幼稚な理由に言葉を失っていると、新実さんが口を開いた。「そんなくだらない理由で、俺に近づいたのか?」「くだらないって、酷い!」「俺と汐里を引き離して、満足したか」「ええ、満足よ。お陰でこの女の悔しそうな顔を見ることができたもの」「最低だな」「そういう新実さんだって、美味しい条件につられて私と婚約したくせに!」「お前がこんな女だと知っていたら婚約なんかしなかった」新実さんの言葉に、雪村さんはとてもショックを受けたような顔をした。その表情を見て、「あ」と、心の中で呟く。彼女は本気で新実さんのことが好きだったんだ。私を恨んでいた本当の理由は、きっとこっちだったんだね……。「とにかく婚約は破棄だ」「い、今さらそんなこと許されないわ。婚約破棄なんて伯父が黙っていない」「降格でもクビでも好きにしろ。犯罪者と結婚するよりマシだ」新実さんはそう言い放つと、私の腕を掴み会議室を後にした。◆失って初めて気が付いた「良かったんですか? あんなことを言って」屋上で煙草を吸っている新実さんに問いかけると、彼は「あんなこと?」と首を傾げた。「降格でもクビでもって」「あぁ、あれか」まさか私情で社員をクビにしたりしないと思うけど、降格は覚悟した方が良いかもしれない。出世第一でここまでやってきた人が、こんなことで躓いてしまうなんて……。「常務には事前に話しておいた」「えっ、そうなんですか」「警察に突き出さない代わりに、この件については一切触れない、だってさ」さすが、新実さん。彼はいつも用意周到だ。「でも、汐里がどうしても許せないと思うなら警察に言えばいい。証拠も渡す」新実さんはそう言うと、ポケットからボイスレコーダーを取り出した。どうする? って、目だけで問いかけてくる。雪村さんとの会話を録音していたんだ……。「いいです、もう。犯人が分かったところで、蒸し返すのは精神的に疲れますし」それに雪村さんは、この件で大きなものを失った。何もしなければ今頃、新実さんの隣で幸せな結婚生活をスタートさせることができたはずなのに。だけど、同情はしない。彼女の気持ちを、新実さんに伝えてあげたりもしない。自分で蒔いた種は、自分で回収しないと。「汐里」煙草の火を消した新実さんが、改まったように私の名前を呼んだ。それから体を真っすぐこちらに向けて頭を下げる。「身勝手なことをして悪かった」昔、仕事でミスをした時に、新実さんから「謝るのも勇気」だと教えられた。素直に自分の非を認めて、心から詫びること。そうすることで、周りから信用を得ることができる、と。これを聞いた時、なんて素敵な人なんだと思った。尊敬していた。「この前、アルフィルで言ったことも反省している。あの言い方では、汐里を傷つけるだけだった」「新実さん……」「でも、あれは本心だ。俺にとって汐里がどれだけ特別な存在だったか、失って初めて気付いた」「気付くのが遅いです」だって、私は、もう……。「もう1回だけチャンスをくれないか」左右に首を振る。「頼む。もう後悔したくないんだ。返事は今すぐじゃなくていいから、今後の行動を見ていてくれ」再び、深く頭を下げられる。その姿を見て何も言えなくなってしまった。◆嬉しい知らせ「高杉さん、どうぞー」診察室のドアが開き、看護師さんに名前を呼ばれた。返事をして中に入ると、ドクターの席に大和が座っている。「え、あれ? 今日外来だったの?」「急遽、代わることになったんだ。どうぞ、座って」「あ、うん」うわぁ、何か変な感じ。こういった形で大和の診察を受けるのは、救急車で運ばれたあの日以来かな。決して避けていたわけじゃないけど、大和が外来勤務の日は通院しないようにしていた。いや、避けていたかな。だって、何となく恥ずかしいし。「骨は順調にくっ付いてきているよ」「ほんと?」「うん、そろそろリハビリの回数も減らしていいね」「ボルトを外すのは、どれくらいになりそう?」「経過を見ながらになるけど、早くて半年かな」他に質問はない?って、優しく聞いてくれる。改めて大和は良いお医者さんだなぁって思う。そう感心していると、パソコンに何か打ち込んでいた大和がメモを渡してきた。看護師さんは、少し離れた場所で作業をしていて気が付いていない。【今日は早く帰れるから、ご飯行こう】背中が大きくV字に開いたペプラムトップスは、狙いすぎかな?清潔感のあるレースのワンピースは、若作りしてるみたいで痛いし……。大和との待ち合わせまで、あと30分。迷いに迷って、結局普段とあまり変わらない服装で行くことにした。マンションを出て、少し歩いたところで電話がかかってくる。大和かと思いきや……新実さん。「はい」『今、出先か?』「そうですけど……」◆口にしてはいけない言葉「大和!」「しおちゃん? どうしたの、そんなに慌てて」「聞いて、プロジェクトチームに戻れることになったの!」「そうなんだ、良かったじゃん!」新実さんからの電話は、その件だった。残念ながらリーダーは私の同期が続行することになるけど、チームに戻れるだけでも嬉しい。「頑張ってやってきた結果だね。おめでとう」「ありがとう」プロジェクトチームに戻れたのは、雪村さんの件だけではなく。同僚たちからの「高杉さんをチームに戻して欲しい」との要望が多かったからだとか。腐らず自分にできることをやってきて良かった。「じゃぁ、今度の週末に改めてお祝いしよう」もっとお洒落な店でさ、と、大和が小声で言う。その直後、周りのテーブルから「おおおおお」という野太い声が響いた。スポーツ観戦ができるダイニングバー。こういうお店は初めてだから新鮮で良いけどな。「週末は出張なの」「そうなんだ」「うん、1泊なんだけどね」「1人で?」「まさか、上司と一緒」「上司って、この前、スーパーの帰りに会った人?元カレ?」頷くと、大和の表情が強張った。「カッコ良い人だったよね」「やめてよ、そんなの考えたことない」「本当? 今まで1度も?」うっ、と言葉に詰まる。そんな私の様子を見て、大和なりにピンとくるものがあったらしい。「もしかしてだけど、しおちゃんの元カレってその上司……?」言うつもりはなかったけど、聞かれたら嘘を吐けない。「そうだよ」「だったら尚更、一緒に出張なんてダメだよ」「勘違いしないでよ、これはあくまで仕事だから」「仕事でも、良い気はしないよ」その言い方にカチンとくる。「出張なんてこれまで何度も行ってるし、公私混同はしないよ」「そんなの分かんないだろ」大和はそう言うと、ふいっと顔をそむけた。その態度に苛立ってしまった私は、「大和には関係ないでしょ、干渉しないでよ」言ってはいけない言葉を口にしてしまった。理想じゃない恋のはじめ方。第9話に続く…
2021年09月10日理想じゃない恋のはじめ方。(第7話)【これまでのあらすじ】汐里は大和の真っ直ぐな告白を受けて、ちゃんと向き合うことを決めた。しかしある日の就業後、家にある汐里の私物を返したいと言う新実さんと、付き合っていた時2人でよく行ったBARで会うことになり、「愛しているのは汐里だけだ」と言われて動揺してしまう…前回はこちら▼理想じゃない恋のはじめ方。(第6話)第1話はこちら▼理想じゃない恋のはじめ方。(第1話)事件――――ピピピピピ目覚まし時計が鳴っているけど、体が動かない。もう今日はこのまま寝ていようかな。仕事もサボって、ダラダラしていたい。いっそ休職届を出して、しばらくゆっくりしようかな。旅行して、美味しい物を食べて、辛いことや悩ましいことを全部忘れて……。『愛しているのは、汐里だけだ』不意に、頭の中で新実さんの言葉がリプレイされた。『しおちゃん、帰ろ』同時に大和の笑顔も浮かんでくる。本当、何をやっているんだろう。大和と向き合うって決めたのに、新実さんの言葉に揺らいだりして。「(私って、こんなに情けないやつだった?)」自責の念や罪悪感で胸が苦しい。そんな自分とベッドの中で闘っていると、スマホに着信が入った。スクリーンには旭日の名前が表示されている。「もしもし、旭日? 私、今日はちょっと……」『先輩、大変です!』「え、何が? どうしたの?」『と、とにかく、すぐ来てください!』一体、何がどうしたのか。旭日は相当慌てている様子で、全く状況が伝わってこない。仕方がないのでタクシーを呼んで、会社へ向かうことにした。今日は休もうと思っていたのになぁ……。会社に着いて部署の入り口まで行くと、旭日と数人の同僚たちが困ったような表情で立っていた。「旭日!」「先輩……」何があったの?と、尋ねる前に、その惨状が目に入ってきた。同僚たちのデスクがめちゃくちゃに荒らされているのだ。その中でも私のデスクが1番酷く、カラースプレーのようなものを噴射された跡もあった。「何これ……」「私たちが出社した時には、もうこうなってて」「とにかく片づけよう。無くなってるものが無いかチェックして」「はい」一体誰がこんなことを……。悪戯? 嫌がらせ? 心当たりはなくもない。だけど、まさかここまで酷いことはしないよね。それとなく雪村さんの方に視線を向けると、彼女は泣きそうな顔をしながらデスクの片付けをしていた。その顔に嘘はないように見える。そうだよね、考え過ぎだよね……。「片付けはちょっと待て。現状を写真に撮っておけ」いつの間にか出社していた新実さんが雪村さんの腕を掴み、彼女に指示を出した。「私がですか?」「それくらいできるだろ」新実さんはそう言うと、渋い顔をしてどこかへ行った。◆会いたい【ごめん、今日の約束、無理になっちゃった】【何かあった?】【会社でちょっと……。残業になると思う】【分かった。仕事が終わったら連絡して】了解、と。大和へのメールを打ち終えた私は、再び仕事に取りかかった。今朝の部署荒らし事件で紛失した書類の作成や破損データの復元作業など、やることは山積みだ。お陰で余計なことを考えなくて済むけど、体力的にキツイ。――ピコン、大和からスタンプが届いた。シュールな顔をしたゴリラがバナナを持って「がんばれ」と応援してくれている。いかにも大和らしくて、心が和んだ。「……会いたいなぁ」思わず、口から本音が零れて自分でも驚く。大和に会いたい。会って話を聞いて欲しい。大変だったねって労って欲しい。そんな自分の心の声を認めてしまった瞬間、大和に会いたい気持ちが倍増した。時計を見ると、夜の21時。まだ仕事は完全に片付いていないけど、残りは明日にすればいい。「ごめん旭日、私もう帰るね」「了解です! 私たちももう少ししたら帰ります。お疲れさまでした!」急いで帰り支度をして会社を後にする。駅に向かう途中、スマホで大和の電話を何度かコールしたけど、なぜだか出てくれず。何とも言えない不安が押し寄せてきた。【仕事終わったけど、今から会えないかな?】【大和ー? もう寝ちゃった?】既読も付かない。仕事が終わったら連絡してって言っていたくせに。どうしよう、何かあったのかな? 緊急の手術が入ったとか?それならそれでいいけど、連絡が付かないのは不安だ。居ても立っても居られなくなった私は、大和が住むマンションへ向かった。◆好きになったかも……?マンションに着くのと同時に、1台のタクシーがやって来てエントランスの前で停まった。暗くて良く見えないけど、あのシルエットは……。「大和!」「あれ、しおちゃん。どうしたの?」「どうしたのはこっちのセリフよ、電話も出ないで」「あ、電話した? ごめんごめん。ちょっと立て込んでて」立て込んでて、って何よ。聞き返そうとしたところで、停車してるタクシーから小さな男の子も降りて来た。5、6歳かな? 不安そうな顔をして大和の服の裾を掴んでいる。「この子は?」「同じマンションの子なんだけど、怪我しちゃって。病院に連れて行ってたんだ」男の子をよく見ると、足首に包帯が巻かれている。「ご両親か保護者はいないの?」「それが共働きみたいでさ。お母さんはさっき病院で合流したけど、どうしても仕事に戻らなきゃいけないって言うから……」「それで大和が連れて帰ったんだ」「うん、もうちょっとしたらお父さんが家に帰ってくるって」だから大丈夫だよ、って大和は男の子の頭を撫でる。そっか病院にいたから電話に出られなかったんだね……。優しいなぁ、大和は。「たける!」マンションのエントランスへ入ろうとしたところで、後方から走って来た男性が男の子の名前を呼んだ。その声に反応した男の子は「お父さん!」と大声で叫び、男性の元に駆け寄り抱きつく。男の子のお父さんは大和に何度も深々と頭を下げ、家へと帰って行った。「よかったね、お父さんが早く帰って来てくれて」「そうだね、安心したよ」「たけるくんだっけ、普段から仲良いの?」「いや、喋ったのは今日が初めてかな。時々1人で遊んでいるのは見かけていたけど」「まだあんなに小さいのに1人で留守番してたのかな?」「うん……まぁ、事情はあるんだろうけど。これを機に考えてくれるといいね」そう言った大和は、とても心配そうな顔をしている。他人であっても親身になって世話をやいたり、困っている人がいれば助けてあげたり。そんな彼の優しい人柄に感心すると同時に、胸がキュンとした。「ところで、しおちゃんはどうしてここに来たの?何かあった?」「あっ、えーと……」「もしかして、俺が電話に出ないから心配してくれたとか?」「そんなわけないでしょ」図星なだけに気恥ずかしくなって、背中を向ける。顔が熱い。大和に会いたくなって来たなんて、言えるわけが……。「かわいいなぁ。すっごく会いたかったから来てくれて嬉しい」後ろから抱きしめられた。その瞬間、心臓があり得ないくらいドキドキして体温が上昇するのが分かった。私、大和のことを好きになっちゃった、かも……?◆事件の犯人「作業、終わりました! プロジェクトのデータも大丈夫です」「あぁ~良かった、お疲れ様」例の部署荒らし事件で紛失したデータの復元や書類の再作成作業が終わり、同僚たちに笑顔が戻る。労いの気持ちを込めて差し入れの飲み物を配っていると、1つ余ることに気が付いた。「あれ、誰か今日休み?」「雪村さんが居ません」旭日がそう答えると、他の同僚が不満を漏らした。「この大変な時によく休めるよね」「昨日も定時で上がってましたよ。あの子、大変な時はすぐサボるんだから」これは良くない雰囲気だな。注意しようかと思案していたところで、新実さんがやって来た。彼は同僚たちを一瞥してから、私に向かって手招きをする。「ちょっといいか」新実さんは私に有無を言わせない態度で、そのまま会議室へと向かった。何だろう? 怒っているのか、明らかに機嫌が悪そう。ドアを開けて中に入ると、雪村さんが泣き腫らした顔で立っていた。「あれ、今日は休みじゃ……」「俺がここから出るなと言った」「それは、どういう、」「昨日の犯人は彼女だ」あぁ……、やっぱりと言うべきか。まさかそこまでという気持ちが混同する。嗚咽を漏らす彼女に冷たい視線を送った新実さんは、さらに吐き捨てるようにこう言った。「それだけじゃない。汐里の家に空き巣が入るよう仕向けたのも、この女だ」「――えっ」理想じゃない恋のはじめ方。第8話に続く…
2021年09月03日ゲーム『刀剣乱舞』鶴丸国永役や、音楽プロジェクト『ヒプノシスマイク』夢野幻太郎役などの話題作に出演し、人気を集める声優の斉藤壮馬さん。人気声優であり読書家としても有名な斉藤さんの熱い要望により、入手困難になっていたベストセラー青春小説『少年たちの終わらない夜』が河出書房新社から復刊することが決定しました!斉藤壮馬の熱い要望で『少年たちの終わらない夜』が復刊1989年、小説家の鷺沢萠(さぎさわ・めぐむ)によってつづられた青春小説『少年たちの終わらない夜』。揺れ動く思春期の少年たちの様子を描いたこの作品は、刊行当時、主人公と同じ年齢を生きる高校生大学生から熱狂的な支持を集め、10万部を超えるベストセラーとなりました。ですが、2004年の著者の逝去以降、品切れが増加し入手困難に。そんな状況に対し、声優界随一の読書家であり小説の目利きとしても知られる斉藤さんが声をあげ、河出書房新社から復刊することが決まりました。斉藤壮馬コメントなかなか入手の困難な一冊ですが、かつて読まれたことのある方はもちろんのこと、今の若い世代の方にもぜひ読んでいただきたいと強く思いました。この本の中では、言葉によって様々な瞬間が切り取られています。どの作品も、決してきれいなことばかりが書かれているわけではありません。でも、その浅はかさやもどかしさ、やるせなさもまた、青く若いあの時代においては、かけがえのないものなのではないでしょうか。小説では自由と不自由、楽しさと不安など、ピュアで切ない10代が終わる直前の少年たちの心と日常が繊細に描かれています。大人になる直前の焦燥感やもどかしさ、やるせなさはいつの時代も変わらず少年少女が抱くものですよね。自身が生まれる前に出版された小説に、心をとらえられたという斉藤さん。斉藤さんのように、今の若い世代の人も共感でき、心に染みこんでくる物語をお供に、2021年の『読書の秋』をすごしてみてはいかがでしょうか。【少年たちの終わらない夜】著者:鷺沢萠予価:891円(税込)刊行予定日:2021年10月25日予定[文・構成/grape編集部]
2021年09月02日理想じゃない恋のはじめ方。(第6話)【これまでのあらすじ】大和は自分の理想とは違うから、最近やたらとドキドキするのは気のせいだと思い込む汐里。ある日、職場でのストレス発散に大和が週末デートに連れ出してくれることに。連れてきてくれた水族館で大和に「好きだよ」と告白され…前回はこちら▼理想じゃない恋のはじめ方。(第5話)告白「好きだよ」大和の告白は、耳元で優しく響いた。胸がドキドキする。だけど、予想外の展開に頭の中が真っ白になる。「大和、私は……」「分かってる。しおちゃんにとって俺は弟みたいなもんでしょ」そう。昔からずっと大和は弟だった。そんな弟に、ここ最近はドキドキしたり動揺したりして心を揺さぶられている。だけど、この気持ちが「好き」なのかと問われたら、正直分からない。「別に答えを求めてるわけじゃないから」「そうなの?」「ほら、今のは気持ちを抑えきれずに言ってしまったというか……事故みたいなもんで」「事故?」「そうだよ、しおちゃんが可愛すぎて事故に遭っただけ」何だ、それは……。どうリアクションをとったらいいのか分からず、感情が迷子になる。「とにかく、今は気持ちを知っててくれるだけでいいから」戸惑いはあるけど、大和の気持ちは嬉しい。「うん、分かった」「それから、俺にチャンスがあるうちは合コンに行かないで」気にしていたんだ……懇願するような表情が、可愛い。頷くと、安堵の笑みに変わった。「じゃぁ、そろそろプラン2に行かない?」「そうだね、行こ」大和のデートプラン2は、美しい緑や花を眺めながらのBBQだった。どうやら事前に予約を取ってくれていたようで、お洒落なウッドテーブルに案内された。庭園の奥には池があり、雰囲気も最高。「すごい、いいところだね」「気に入ってくれた?」「うん!」「よかった、しおちゃんってあんまりアウトドアなイメージないからさ」「どういうイメージ?」「貸し切りのフレンチレストランでコース料理を食べてる感じ、かな」わぁ、すごい、イメージそのままよ……。確かに男性とデートするときは、フレンチとかお寿司とかが多かったかな。少なくともスニーカーで入れるような店ではなく、ドレスコードが指定されているところが大半だった。「肉、焼こう。肉」「野菜も食べなさいよ」「やめて、俺、ピーマン食えない」「まだ克服してないの? 体に良いんだから食べなさい」こんがりいい色に焼けたピーマンを、大和の口に入れる。その途端、涙目になった彼を見て思わず吹き出した。「美味しい?」「意地悪だなぁ、しおちゃんは」「ほら、お肉食べて!」「うん、しおちゃんも。食べて食べて」――不思議。どんな高級レストランの料理よりも、今日のお肉の方が美味しい。「大和、今日はありがとうね」「うん?」「すごく楽しかったし、美味しかった」「しおちゃんのそういう素直なところ、好きだなぁ」食事が終わり、腹ごなしを兼ねて庭園を散歩することにした。そよそよと吹く風が気持ちいい。「大和はさ……どうして私なの? もっと周りに若くて可愛い子がいるでしょ」「しおちゃんより可愛い子はいないよ」「いや、いるでしょ。看護師さんとか」「俺にとってしおちゃんは特別だから。再会して確信した。しおちゃん以上に好きになる人はいない」気が付くと、手を握られていた。「今はまだそういう対象じゃないことは知ってる。それでも、向き合って欲しい」「大和……」真っすぐな告白に、再び胸がドキドキする。「分かった、ちゃんと向き合う」「ほんと?やった」頷いた私に、大和は満面の笑みを見せた。◆もっと彼を知りたい「しおちゃん、ごま油ってある?」「ごま油? そんなのないよ」「えー、ないの?あれがないと味が決まらないんだよなぁ」週末、私の家に来た大和が、お昼ご飯を作ってくれることになった。「じゃぁ、そこのスーパーで買ってくるね」「待って、俺も一緒に行く」そう言った大和はガスを止めて、上着を羽織る。夜勤明けなのに、タフだなぁ。大和と向き合うって決めてから、一緒に過ごす時間が圧倒的に増えた。そうした中で、これまで知らなかった新たな一面を発見していく。例えば――。「しおちゃん、こっち」誘導しながら、さり気なく手を繋ぐのが上手だったり。「1人で先に行かないでよ、寂しいじゃん」甘えん坊モード全開かと思ったら、「危ないっ! 気を付けて歩きなよ」急に男らしさを見せてきたり。大和の言動に踊らされていると分かっていながら、案外それが嫌ではなく。むしろ、もっともっと大和のことが知りたいと思うようになっている。「やばい、財布にお金入ってなかった。しおちゃん~」理想とは全然違うけど、それさえも楽しいと思えるなんて。相手が大和だから、なのかな。「ごま油を買いに来ただけなのに、あれこれ買っちゃったね」「だって、しおちゃん家、調味料が乏しいんだもん」「しょうがないでしょー、引っ越したばかりなんだから」スーパーからの帰り道。他愛ない話をしながら手を繋いで歩いていると、前方に見覚えのあるシルエットが現れた。「(あれは……いやいや、まさかね)」そう思おうとしたけど、まさかじゃなかった。「汐里?」私以上に、相手も驚いている。「……新実さん」◆元カレからの……。翌日、新実さんからメールが届いた。【今夜、会えないか?】【会う必要はないと思います】【俺の家にある汐里の私物を返したいんだが】【それなら、宅配便で送ってください】【20時に、アルフィルで待ってる】全然、人の言うことを聞いてないし。昔からいつもそう……。一方的に自分の言いたいことだけを話して、強引で。でも、そこが良かったんだ。付き合っていた当時は。終業後、私は新実さんに言われた通りアルフィルへ向かった。そこは2人でよく行ったBARで、新実さんから「付き合おう」と言われた場所でもある。あの時は珍しくお酒に少し酔っていて、クールな彼とは思えないほど饒舌だった。後で聞くと、私に告白しようとして緊張していた、と。可愛いと思ったのを覚えている。「来たか」お店に着くと、カウンター席にいた新実さんが軽く手を上げた。その奥で顔なじみの店員さんが会釈をしてくれる。私たちの関係はもう終わっているのに、このBARのこの空間は何も変わっていないようで胸がズキッと疼いた。新実さんと付き合っていた頃のことを、次々と思い出してしまう。「荷物をもらったら帰るので」「そう言わず、1杯付き合えよ」「お断りします」「頼むよ、俺の顔を立ててくれ」相変わらず、ずるい人。顔なじみの店員さんが「ご注文は?」と聞いてきたので、仕方なく「ミモザ」と答えた。「こうして会うのは、久しぶりだな」「そうね」「そんな怖い顔をするなよ」そう言って苦笑いをした新実さんは、ロックグラスを一気に煽った。それから、ふと思いついたようなトーンで私に尋ねる。「昨日、一緒にいた男は彼氏か」スーパーの帰り道、新実さんに会ってしまった私は会釈だけしてその場を離れた。そうするだけで精一杯だった。「関係ないでしょ」「汐里のタイプとは、全然違うように見えたけど」「……」そんなくだらない話をするなら、もう用は無い。スツールから立ち上がり、荷物を持って帰ろうとした瞬間、腕を掴まれた。「俺のところに戻ってこないか」「……どういう意味?」「そのままの意味だ。よくよく考えれば俺と汐里が別れる理由は無いだろ。結婚と恋愛は別なんだから」「ふざけないで」「至って真面目に言っている。今でも心から愛しているのは汐里だけだ」何よ……今さら。どうして今になってそんなことを言うの?愛しているなんて、付き合ってる時でも言ったことないくせに。◆動揺出典:逃げるようにBARを後にして、駅に向かいひたすら歩く。すれ違う人たちが驚いた顔をするのを見て、自分が泣いていることに気が付いた。新実さんに掴まれていた腕が熱い。とっても最低なことを言われたのに、どうしてこんなにも胸が苦しくて頭の中がぐちゃぐちゃするの?「―――あっ、」何かに引っかかって履いていたハイヒールが脱げてしまった。慌てて拾いに行って、げんなりする。ヒールが根元から折れていたのだ。「もう、最悪」呟いたその時、背後から名前を呼ばれた。振り向くと、こちらに向かって大きく手を振る大和が見える。その笑顔を見て、再び胸が苦しくなった。こんなにも真っすぐ自分を想ってくれる人がいるのに、新実さんの言葉に動揺してしまうなんて。「何やってるんだろう、私」ねぇ、私、どうしたらいい?理想じゃない恋のはじめ方。第7話に続く…
2021年08月27日今年、選考会で満場一致で松本清張賞を受賞しデビューを果たした波木銅さんは21歳の大学生。受賞作『万事快調(オール・グリーンズ)』は、田舎の工業高校の女子生徒たちが現状を打破するため無謀な計画を立てる、痛快な青春小説だ。女性らを主人公にしたのは明確な理由がある。田舎の女子高校生らが犯罪を計画?現役大学生による痛快なデビュー作。「マチズモの縮図のような場所を設定し、そこで女性の主人公たちがどう立ち向かうかを書きたくて。自分の世代にもマチズモや排他的な雰囲気はあるし、それが払拭されたほうが自分も生きやすいと感じます」クラスで3人だけの女子。朴秀実は読書家で学校外ではフリースタイルのラップにいそしんでいる。岩隈真子は漫画好きのオタクで毒舌家。クラスでのけ者の2人と違い、映画好きの矢口美流紅(みるく)は笑顔を絶やさず男子生徒とも仲良くしている。友達同士でもない3人だが、未来に希望が持てない点では共通。「朴は自分を真面目だと思っているけれど実はそうでもないイメージ。岩隈は一番ナイーブで内向的だからこそ、露悪的に振る舞っている。矢口は男性優位社会に迎合することで地位を保っているけれど、本当は朴たちに近いキャラクター。お互いに対して偏見を持っている3人が連帯していく話にしたかった」ある時、偶然に朴が入手したのは、なんと大麻の種。3人は園芸部を作ってこっそり栽培しようと計画する。「一種のクライムノベルにすることは最初から考えていました。近年の『万引き家族』や『パラサイト』の影響もあるかと思います。現状を脱出するための正攻法が用意されていない世の中で、正攻法に進めなかった人たちの話を書きたかった」3人の会話も楽しく、実在の作品名がポンポン飛び出すオタクっぷりでも読ませる。これは波木さんの好みも反映されているそう。中学生時代、伊坂幸太郎さんの『ラッシュライフ』を読んで小説の面白さを知り、自分でも書き始めた。ジャンルにこだわりはなかったが、多数派からの圧力への抵抗がこめられた小説を書くことが多かった。「今の世の中に対する疑問や不満を表明するというか、現代が抱える問題を描写してこそ小説を書く意味があるのかなと思っています」若い世代が、世の中をどう見てどう作品に掬い取るか、今後も要注目。『万事快調(オール・グリーンズ)』田舎の底辺工業高校。クラスでたった3人の女子が、ひょんなことから大麻の栽培を計画して…。なんとも型破りなクライム青春小説。文藝春秋1540円なみき・どう1999年、茨城県生まれ。大学在学中の今年、本作で松本清張賞を史上2番目の若さで受賞。選考会では満場一致で受賞が決まったという。次回作はまた違うテイストのものを構想中。©文藝春秋※『anan』2021年8月25日号より。写真・中島慶子(本)インタビュー、文・瀧井朝世(by anan編集部)
2021年08月23日理想じゃない恋のはじめ方。(第5話)【これまでのあらすじ】吹っ切れたと思っていた失恋の傷がまだ癒えない汐里だったが、久しぶりに新実課長と話し、前に進もうと決心する。リハビリに通う病院や仕事終わりに大和と会ううちに、男らしく成長した彼のことがだんだんと気になり始めるが…前回はこちら▼理想じゃない恋のはじめ方。(第4話)私の理想「えっ! 彼氏と別れちゃったんですか?」平日でもランチ時は激混みのイタリアンレストラン。その奥の席に腰掛けた旭日の声が大きく響き、周りの人たちがこちらを向いた。慌てて、彼女の口元を押さえる。「ちょっと、周りに聞こえてる」「ごめんなさいっ! でも、びっくりしちゃって。どうして別れたんですか?」「どうしてって……」振られたの、って言いかけて、やめた。ここで旭日に同情されたら、ますます惨めになってしまう。「リッチな彼氏だったのに、もったいないですねー」「お金はあるに越したことないけど、やっぱり誠実さが大切よ」「もしかして、浮気されました?」あ……しまった。同情されたくないと思いつつ、自ら墓穴を掘るとは。返事をする代わりに、パスタを口に入れる。「浮気男なんてこっちから願い下げですよ。次行きましょう、次」「次ねぇ……」「先輩って、どんな人がタイプなんですか?」「そうだなぁ、背伸びをさせてくれる人かな」「どういうことです?」「一緒にいることで自分が成長できたり、ちゃんとしなきゃって襟を正したくなる人」それでいて溢れるような魅力があって、オーラがあって、余裕もあって。仕事とプライベートをちゃんと分けていて、そのどちらも充実させている。そんな大人な男性が、私の理想。「なるほど、先輩っぽいです。でも、そういう人って疲れません?」私には無理だ~、って旭日が苦笑いする。「じゃあ、旭日の理想は?」「私は自然体でいられる人が良いです。その方が楽じゃないですか」どうだろう?恋愛に楽(らく)さを求めたことがないから分からない。「たまには自分のタイプと違う人と付き合うのも楽しいかもしれませんよ」「うーん」「まずはそういう人と出会うところから始めません? と、いうことで一緒に合コンしましょう」「一緒にって、旭日は彼氏がいるでしょ」「大丈夫です!合コンに参加するまではオッケーなんで」どんだけ、寛大な彼氏なの?思わず突っ込んだ私に旭日は白い歯を見せて笑う。「だって、ときめくことって大事じゃないですか」「確かに……。ときめくことで、女性ホルモンが活性化するって言うしね」「でしょう! 先輩、最後にドキドキしたのいつですか?」いつって……。思い出そうとした瞬間、大和の顔が浮かんだ。なぜか最近、やたらとドキドキさせられている。だけど、多分それは気のせい。だって、大和は私の理想の正反対だもの。◆ストレス「高杉さん、さっきお願いしたデータって、いつ頃できそうですか?」「それならファイルに入ってるよ」「え! もうできてるんですか? さすが! 助かります~」ここ最近の私の仕事は、プロジェクトチームの面々が手に負えない雑務を引き受けるのがメイン。データを作ったり、資料をまとめたり。単純作業だけど、誰かの役に立てるのは嬉しい。だけど、それが気にくわない人もいるわけで……。「会議の資料は、まだですよね?こっちの方が先に頼んだんですけど」いつの間にか私のデスクの傍に、雪村さんが立っていた。顔は笑っているけど、目から放たれる敵意がひしひしと伝わる。「あれはまだ日にちに余裕があるから、急ぎの方を優先したの」「そういうのは聞いてないですけど。勝手に優先順位を決めないでください」「……分かった。今日中にするから」そう答えた私に雪村さんは、小さく舌打ちをして。「目障りな女」と、呟いた。『それで残業? 別に急ぎの仕事でもないんでしょ?』「でも、言ったからにはやらないと。私の気が済まない」『しおちゃんらしいなぁ』電話の向こうで、大和の笑い声が聞こえる。今朝、実家から送られてきた果物のおすそ分けをするとメールしたところ、今になって折り返しの電話がきたのだ。『それにしても、その雪村さんって人。しおちゃんに相当な対抗心を燃やしてるね』「本当……意味分かんない」『ま、相手にしないことだね』「分かってるけど、ストレスたまる」こっちはなるべく気にしないようにしているのに。思わず、「はぁ」と溜息が漏れた瞬間、大和が『そうだ!』と声を張った。『気晴らしに、週末どっか行かない?』◆週末デート週末の天気は、晴れ。抜けるような青空が気持ちいい。マンションの下で待っていると、通りの向こうからやって来た黒色のSUV車が私の目の前で停車した。大和だ。彼は車から颯爽と降り、助手席のドアを開けてくれる。「お待たせ、どうぞ乗って」「ありがとう」「今日のしおちゃん、すごく可愛いね」「そう? ありがとう」気取ってお礼を言ったけど、内心ドキッとする。シャーべットカラーのフレアロングスカートは甘すぎるかと思ったけど、これにして良かった。「どこ行くか決めた?」「まぁ、だいたい。しおちゃんは行きたいところある?」「うーん、特には」「じゃぁ、今日は俺のプランで行くということで……」大和はそう言いながら、後部座席にあった箱を手に取り私に渡した。「これは?」「そのハイヒールじゃ疲れるから、このスニーカーに履き替えて」「どこに連れて行く気?」大和のプランその1は、水族館だった。ベタなチョイスに笑ってしまいそうになったけど、色々と調べたりしてくれたのかと思うと素直に嬉しい。発券所で並んでいると、大和が私をまじまじ見ながらこう言った。「しおちゃん、そんな小さかったっけ?」「いつもはヒールを履いてるからね」「スニーカーの方が楽でしょ」俺のとお揃い~って、自分の足を見せてくる。「楽だけど、変な感じ」「館内は滑りやすいところもあるからスニーカーの方が安心だよ。それに、よく似合ってる」眩しい笑顔。大和ってこんなに格好良かったっけ?シンプルなインナーの上にベージュのテーラードジャケットを羽織り、下は黒のテーパードパンツ。髪の毛もワックスでセットしており、普段と全然違う人みたい。「(やだな、ますます大和を意識してしまう)」急に落ち着かない気持ちになった私は、話題を変えた。「そういえばさ、今度合コン行くの」「は? 合コン?」「うん、後輩の旭日に誘われてね」「ふーん。誘われたら行くんだ」「どういう意味?」「別に」不機嫌そうに答えた大和は、そっぽを向いてしまった。何よ。そんな露骨に嫌そうな顔をしなくてもいいじゃない?たかだか合コンに行くくらいで……というか大和が不機嫌になる理由なんて――――。「北崎……先生?」不意に小学生くらいの女の子が声をかけてきた。彼女の方を向いた大和を確認し、「やっぱり!」と嬉しそうに笑う。「おー、れいなちゃん偶然だね。足の調子はどう?」「もう走れるよ」患者さんかな。大和のことをすごく慕っているのが分かる。しばらく話をする2人を眺めていると、れいなちゃんと目が合った。「先生、この人って先生の彼女?」幼いだけあって遠慮のないストレートな質問。れいなちゃんのお母さんらしき人が、「こら、失礼でしょ」と窘める。そんな親子に向かって、大和は、「先生の大切な人だよ」そう答えた。あれは、どういう意味なんだろう?大切な人というのは、家族のような存在だからだろうか?それとも――。水族館の中に入った後も、そのことがずっと頭の中でぐるぐる回る。そのせいで気が付くと、大和とはぐれていた。どこに行っちゃったんだろう?立ち止まり辺りを見回すが見つからない。仕方なく進行方向に進んでみたものの、大和の姿はどこにもなかった。「(……どうしよう)」不安になった瞬間、腕を掴まれ引っ張られた。「しおちゃん」「大和! もうどこ行ってたの!?」「ごめんごめん、はぐれちゃったね」大和の言い方が、あまりにも優しくて。小さい子供に戻ってしまったような気持ちになる。「え、そんなに不安だった? 大丈夫だよ。すぐ見つけたでしょ」そうだけど……思わず、大和の服の裾をギュッと掴んだ。すると、その次の瞬間。「あぁ、もうダメ。しおちゃんが可愛すぎて無理」そう言った大和は、私をギュッと抱きしめて、「好きだよ」優しく耳元で囁いた。理想じゃない恋のはじめ方。第6話に続く…
2021年08月20日理想じゃない恋のはじめ方。(第4話)【これまでのあらすじ】怪我を理由に自分が企画したプロジェクトから外され、落ち込む汐里。そんな汐里に追い打ちをかけるかのように、上司で元恋人の新実が、社員の前で雪村との婚約を発表する…なんとか気持ちを切り替えようと頑張る汐里に、雪村から「プロジェクトから高杉さんを外すようにお願いしたのは、私です」と告げられ…前回はこちら▼理想じゃない恋のはじめ方。(第3話)昔の記憶子供の頃から私は、人前で泣くのが苦手だった。長女だから、お姉ちゃんだから、弟が小さいから、理由は色々あるけども1番大きいのは「負けたくない」だった。泣いたら負けた気がする。そんな理由で、強い自分を演じていたのだ。だけど、唯一私を泣かせるのが上手い子がいた。大和だ。『しおちゃん、いいこいいこ』母に叱られて、ふてくされた時も。『今なら泣いてもいいよ』部活の試合で負けて悔しかった時も。『どうして我慢してるの? 泣けばいいのに』社会人1年目、ミスってばかりの自分に嫌気がさした時も。辛い時には、いつも傍に大和がいた。『しおちゃんが悲しいと、俺も悲しい』って、私よりも泣きそうな顔をしている大和が。◆ギャップ萌え「――――ん……、あれ」どうやら眠っていたらしい。ぼんやりとした視界がはっきりしていくにつれ、違和感を覚える。ここ、私の家じゃない。一体、どこ……。半分寝ぼけながらも、寝返りを打って驚いた。「え?大和!?」目の前には、スヤスヤと眠る大和の顔がある。驚きのあまり固まっていると、長い睫毛がピクリと動いた。「……しおちゃん、もう起きたの」「起きたよ、起きた! ねぇ、これどういう状況?」「どういうって、見たまんまだけど」大和は、んんっ!て、伸びをしながらあくびをする。それから私の顔を見て、ふにゃっと笑った。「寝起きのしおちゃん、可愛いね」「何を言って……」やめてよ、不覚にもドキッとしちゃったじゃない。「もしかして、ここって大和の家?」「そうだよ」へぇ……。黒で統一された家具や家電に、お洒落なインテリア。部屋の奥にある本棚には、分厚くて難しそうな本が並んでいる。ずいぶんと大人な空間だ。「ねぇ、私、何も覚えてないんだけど」「心配しなくても、何もないよ。酔っぱらったしおちゃんを連れて帰って、一緒に寝ただけ」「酔っぱらったって、私、お酒飲んでないよ」「うん、稀にノンアルで酔う人もいるからね。錯覚だけど」まさかぁ、と笑いながらかろうじて残っている記憶を辿る。頭の中に浮かんだのは、大和の背中に乗っている自分だった。「大和がここまで運んでくれたの?」「そうだよ」「ごめん、重かったよね?」「そっか、知らないか。俺、大学までロッククライミングをしてたんだ」「ロッククライミングって、あの、大きな岩とかを登るやつ?」「うん、そう。人並み以上に鍛えてるから、しおちゃんの体重なんて楽勝」言われてみれば、背中の筋肉がすごかったかも。腕もパッと見た感じは細いから分かりづらいけど、血管が浮き出ていて男らしい。顔はどちらかというと中性的で可愛らしいのに……これぞ、ギャップ萌えってやつ?「(いやいや、おかしいよ)」どうして大和相手にドキッとするの。◆負けるな、私「おはよう、旭日」月曜日の朝。会社のエントランスでエレベーターを待つ旭日に声をかけた。「おはようございます!先輩、今日元気そうですね」「そう?」「なんか良いことあったんですか?」良いことは……無いかな。だけど、久しぶりにゆっくり寝て食べて、泣いて愚痴ってスッキリした。おかげで吹っ切れた。「引っ越ししたの、会社からはちょっと遠くなったけど良い物件があって」「へぇ!今度遊びに行っても良いですか?」「片付いたらね」新しい家は、完成したばかりの賃貸マンション。偶然にも大和が住んでるマンションから徒歩5分くらいの距離で、近くに知り合いがいるという安心感もあり即決した。「片付けなら私が手伝いますよ~」「旭日はそれより、プロジェクトに集中して」「あぁ……考えないようにしてたのに、胃が痛くなってきました」例のプロジェクトは、私の同期が引き継ぐことになった。旭日はその補佐。頑張ってね、と肩を叩こうとした瞬間、彼女は誰かに会釈をした。「おはようございます、新実課長」「おはよう」吹っ切れたはずの胸が、鈍く痛む。「おはようございます」「あぁ」いつかこの人の顔を見ても、何も感じない自分になれるのかな。失恋の傷は、自分で思っていたよりも深い。「旭日、朝イチで会議をするぞ。資料は揃ってるか?」「すみません、サンプルがまだ……」新実さんが放つ威圧感に、旭日は身を縮こまらせる。見ていられず、助け舟を出した。「サンプルなら備品室にあるよ」「本当ですか? 行ってきます!」備品室へ行くには、エレベーターより階段の方が早い。そちらの方へ向かい走って行く旭日を目で追いながら、「しまった」と思う。気まずさで、消えてしまいたくなる。到着したエレベーターに乗り込んだ後も、新実さんがいる右側が見れない。そうしているうちに上昇するエレベーターから1人、また1人と降り、新実さんと2人きりになった。「引っ越ししたのか?」ポツリ呟くように、新実さんが聞いてきた。「もう関係ないですよね」「汐里」久しぶりに聞いたその呼び方に、泣きそうになる。恋人でいられないなら、心の中に入ってこないでよ。「そんな風に呼んだら、婚約者が誤解しますよ」「……」「プロジェクトから私を外したのは、常務の指示だったんですね。新実課長はそういうのに屈しないタイプだと思ってました。」声が震える。だけど、泣き顔なんて見せたくない。「信じていたのに、がっかりです」負けるな、私。前を向け!◆ときめき……?骨折って手術をすれば、すぐに治ると思っていた。術後は余裕だったリハビリも、だんだん辛くなってきた。「痛たたたたた、痛いです」「少し休みましょうか?」「いえ、続けてください」この前の理学療法士さんはドSだったけど、今日の人は優しい。それでも相当な痛みに、さすがの私も涙目になってしまう。「あ!北崎先生だ」その時、手術着姿の大和がやって来た。この総合病院はリハビリテーション室も併設されており、大和は退院した患者の様子を頻繁に見に来ているらしい。大和の登場に、リハビリを受けている患者たちが一気に色めき立つ。「先生、見て!膝の可動域がもうこんなに広がったの」「お~すごいですね! リハビリを頑張っている証拠ですね」「北崎先生、次こっち!こっちに来て」「はい、すぐ行きます」優しくて親切でいつもニコニコしている大和は、この病院ではちょっとした有名人。わざわざ遠方から通院する患者さんもいるくらいの人気者らしい。「(そういや昔から、人に好かれるタイプだったなぁ……)」そんなことを考えていると、大和と目が合った。だけど、思わず視線を逸らしてしまう。この前、家に泊めてもらったことを思い出し、若干気まずくなったのだ。「(大和を意識しちゃうなんて、変なの)」「そろそろ終わりにしましょうか」理学療法士さんが時計を見ながら言った。いつもよりかなり時間が短い。「もう少しお願いします」「でも、今日は痛みも強いようですし、あまり無理しない方がいいですよ」「これくらい平気です」リハビリをサボれば、サボった分だけ治りが遅くなるような気がする。だから頑張って痛くても堪えないと……!1日でも早く仕事に完全復帰できるように。そう焦りを滲ませていると、「しおちゃん」後ろから大和が近づいて来た。「リハビリはやればやるほど効果があるってわけじゃないよ」「でも、」「頑張り過ぎるの禁止だって言ったよね。無理をしたら余計体を痛めるだけ。治らないよ」「……」「はい、分かったら今日は終わり!」強制終了をくらってしまい、そのままリハビリテーション室から出される。休憩コーナーの椅子に座って待っているよう私に言った大和は、少ししてから戻って来た。「はい、これあげる」「何?」「ご褒美のアイス」「私は子供か」「要らないの?」「何味?」「しおちゃんが好きなチョコミント味」「ちょうだい」いつまで私の好きな味を覚えているのよ。拗ねて構ってちゃんになってしまったみたいで、気恥ずかしい。「しおちゃんはさ、十分頑張ってると思うよ」「……」「でも、基本的にせっかちだよね」「知ってる」「しおちゃんのそういうところすごく尊敬できるけど、同時に心配になるよ」「大和……」「だから、時には力を抜いて休んで欲しい。自分にためにも、近くで応援してる人のためにも」言い聞かせるように、お願いするように。優しい表情でそう言った大和は、私の唇に付いたアイスを親指で拭い「子供かよ」と笑った。「……」やっぱりおかしい。だから、どうしてドキドキするの。理想じゃない恋のはじめ方。第5話に続く…
2021年08月13日理想じゃない恋のはじめ方。(第3話)【これまでのあらすじ】腕の骨を折る大怪我をし病院に搬送された汐里は、そこで医者として働く幼馴染の大和と10年ぶりの再会を果たす。入院中でもプロジェクトのために夜遅くまで働く汐里。そんなとき、上司で元恋人の新実からスマホにメッセージが届く。新実からの連絡に喜ぶ汐里だったが、告げられたのは「プロジェクトから外す」という連絡だった…前回はこちら▼理想じゃない恋のはじめ方。(第2話)励ましプロジェクトから外された――。状況からみれば、仕方ないと思う人もいるかもしれない。だけど、私にとっては絶望でしかない。ここ数日の間、不運が立て続けに起こっても、「私には仕事がある」という思いで前を向いてきた。そんな中で、頼みの綱を切られた気分だった。何より、あのプロジェクトは入社以来ずっと頑張ってきた私の全てが詰まっていたのに……。「理不尽なことってあるよな」大和が、呟くように言った。「俺も、研修医の頃にものすごく偏屈な教授の下で働くことになって。毎日、理不尽な思いをしたよ」「どうやって耐えたの?」「ある人に言われたんだ、理不尽なことも一旦受け入れろって」「……?」よっぽど変な顔をしていたのだろう。大和は、「何だ、そりゃって思うよな」と笑った。「物事には必ず意味があるから。受け入れることも大事なんだって」「それで、何か変わった?」「受け入れたあと、どうするかは自分次第。教授から受けたパワハラを全部記録して、上に報告した」「すご……」爽やかな顔をしながら、やる時はやるんだ。「しおちゃんもさ、今は辛いと思うけど、いつか見返せる日が来るから。その時まで悔しさは温存しといたら?」「私はそんなに、ねちっこくないけど」「励ましてる相手をディスるなよ」不思議。大和と話していたら少し気が楽になった。◆頼れる男「退院、おめでとう!」「ありがとう……って、これは何?」「退院祝いの花だけど、好みじゃなかった?」車の運転席に座った大和が、肩をすくめた。「そうじゃないけど……」「喜んでもらえると思ったんだけどな」もちろん、嬉しい。お花をもらうのって、どれくらいぶりだろう?新実さんは、そういうの一切しないタイプだったし……。「感動しちゃった。ありがとう」病院からの帰り、大和が運転手役を買って出てくれたので、ひとまず実家に戻ることにした。空き巣被害にあった家は、さすがに気持ち悪くて帰る気になれない。「引っ越しするんだよね? いつ頃の予定?」「即入居可の良い物件が見つかれば、すぐにでも」「じゃぁ、不動産会社に寄ろうか」実家方面へと向かいかけていた車を別の車線へと移して、進路を変える。「いいよ、そんな。せっかくの休みなのにゆっくりして」「こういうの何て言うんだっけ……? 寄りかかった……じゃなくて、乗車じゃなくて、」「乗りかかった船」「そう、それ」すごいね、よく分かったねって、屈託なく笑う。今回の入院生活で、この笑顔にどれだけ助けられただろう。「大人になったよね。大和がこんなに頼れる男になっていたとは知らなかった」「惚れそうでしょ?」「調子に乗るんじゃないよ」生意気なやつには、デコピンだ。「痛ぇ。手厳しいなぁ、しおちゃんは」◆敵意退院から1週間後、仕事に復帰した。といってもプロジェクトから外されているので、まずは再びチームに加えて欲しいと頼むところからだ。物事を受け入れてから、どうしたいか自分で考える。大和が言った通りにやってみよう!「ご迷惑をおかけしてすみませんでした」深々と頭を下げた私に、新実さんは「いや」と短く答えた。「怪我はもう良いのか?」「はい、問題ありません。それで、あの……プロジェクトチームに戻してください」「そうだな……いや、当分は雑務を頼む」「え?」「まだまだ本調子じゃないだろ」「平気です! これまで通り……いえ、今まで以上に働きます」「そうは言ってもまだリハビリとかあるだろ。それに、やっとプロジェクトチームがまとまり始めたところなんだ。かき回したくない」「かき回すって、元々あの案は私が、」そこまで言いかけたところで、新実さんが大きく2回手を叩いた。業務準備に取りかかっていた社員たちが、一斉に注目する。「ちょっといいか、報告がある」新実さんはそう言うと、部屋の端っこの方にいた雪村さんに向けて手招きをした。「私事で申し訳ないが、このたび雪村さんと婚約する運びとなった」「わー、おめでとうございます!」部署内に驚きの声と祝福の言葉が飛び交う。隣にいた旭日も目を丸くしながら、私の服を引っ張った。「先輩、知ってました?」「いや……うん、まぁ」知っていたけど、改めて聞かされると胸の奥が痛くなる。新実さんの隣に立ち、恥ずかしそうにしながらも微笑む雪村さんを見ていられなくて視線を床に落とした。あの場所にいるのは、私だったのに……。「ごめん、ちょっと」いたたまれなくなった私は、電話がかかってきたフリをしてその場から離れた。祝福ムードに包まれる中、笑顔を続ける自信がない。あの2人はいつから付き合っていたのだろう?雪村さんがうちの部に配属されてから?それともその前から?二股をかけられていたこともショックだけど、全然気が付かなかった自分の鈍感さにも嫌気がさす。「……ダメだ、ダメ! 切り替えないと」いつまでもうじうじしていられないし、今はとにかく仕事で挽回しないと!自分に喝を入れるため、近くにあった自動販売機から少し高めの栄養ドリンクを購入しようと考えた。しかし、まだ手が上手く使えずモタモタしてしまう。財布の小銭入れと格闘していると、背後から声をかけられた。「手伝いましょうか?」雪村さんだった。「あっ、ううん、大丈夫」「高杉さんって、いつもそうですよね」「そうって?」「自分は1人で何でもできる。他人に頼りたくないって。顔に書いてあります」強い、あからさまな敵意。控えめでいつも恥ずかしそうに笑っている雪村さんとは別人みたい。「リハビリの一環だから、できることは自分でしないと」「そういうところが可愛くないって言ってましたよ」「え?」「あいつは強いから1人でも生きていけるって。新実さんと付き合っていたんですよね?」「彼から聞いたの?」社内で私と新実さんのことを知っている人はいない。別に知られて困ることではないけど、あえて言わなかった。2人だけの秘密。その踏み込んで欲しくない場所に、ずかずかと入られて不愉快な気持ちでいっぱいになる。おそらく、その感情が顔に出ていたのだろう。雪村さんの顔つきが一気に変わった。「私、高杉さんのこと大っ嫌いなんです。顔を見るのも嫌なくらい」「そう。別に興味ないから理由は聞かないし、嫌われていても特に困らないからいいよ」「本当に困らないですか?」「……どういう意味?」嫌な予感がする。雪村さんは「これ言っちゃってもいいのかなぁ」と勿体つけてから、私の耳元に口を寄せた。「例のプロジェクトから高杉さんを外すようにお願いしたのは、私です」「はっ?」「あれ~忘れちゃったんですか? 私の伯父さんが常務だってこと」「……」「私をあんまり怒らせない方がいいですよ。じゃないと、彼氏だけじゃなく職も失うことになりますよ」勝ち誇ったような表情で鼻を鳴らす。悪魔のような顔をした雪村さんに呆然としてしまい、何も言い返せなかった。◆本当の私「信じられない!」「しおちゃん、落ち着いて!」退社後、むしゃくしゃした気持ちがおさまらない私は大和に連絡を入れた。ちょうど彼も仕事が上がりだったようで、近くの居酒屋で落ち合って愚痴を聞いてもらうことにした。「何が『職も失うことになりますよ』よ。小娘が」「小娘って、歳いくつなの?」「26? 27だったかな……知らない!」「俺と同じくらいじゃん」ビールと、お通しの枝豆が運ばれてきた。乾杯をするのも待ちきれずジョッキに手を伸ばしたところで、大和に止められた。「しおちゃんは、こっちのノンアルね」「えー! やだ」「嫌じゃない。骨折が完治するまで禁酒だってば」「そんなぁ」大和の意地悪、ちょっとくらい飲ませてよ。「それで? 何か言い返したの?」「何にも言えなかった」「しおちゃんらしくないじゃん。ぎゃふんと言わせちゃえば良かったのに」「ねぇ、私らしいって何?」強気で、負けず嫌いで、根性派で?強いから1人でも生きていける? そんなわけないでしょ、私だって本当は――。「知ってるよ、本当のしおちゃんは繊細で不器用で、泣き虫だ」目の前にいる大和の顔がぼやけて見える。子供のようにしゃくりあげて泣いてしまった私に、彼は何も言わず。着ていたパーカーを頭からかぶせて、隠してくれた。理想じゃない恋のはじめ方。第4話に続く…
2021年08月06日理想じゃない恋のはじめ方。(第2話)【これまでのあらすじ】信頼していた恋人、新実に別れを告げられた汐里。突然の裏切りに動揺し帰宅すると、自宅が空き巣に入られ部屋が無残な状態に。犯人と接触し怪我まで負うことになった汐里だったが、搬送先の病院で偶然幼馴染と再会する。汐里は無事に怪我を乗り越えて、大事なプロジェクトを成功させることができるのか…新実や幼馴染との関係は…?気になる第2話スタート!幼馴染「もしかして、しおちゃん?」「え?」「やっぱり、しおちゃんだ」懐かしい呼び名で私を呼んだその医師は、嬉しそうに顔を綻ばせた。切れ長の瞳、柔和なベビーフェイス、透けるような白い肌。この面影、見覚えがある……。「……大和(やまと)?」「そうだよ、久しぶりだね」びっくりした。驚きのあまり、手首の痛みが一瞬引っ込む。「何年振りだっけ?」「最後に会ったのは、俺が高校生の頃だから10年振りぐらいかな」「まさかあの大和がお医者さんになってたなんて……立派になったねぇ」「親戚のおばちゃんかよ」大和は、私の7歳離れた弟の親友。実家のすぐ近くに住んでいたこともあり、小さい頃からしょっちゅう家に遊びに来ていた。私が独り暮らしをするようになった後も、実家に帰ればだいたい大和の姿があって家族同然の存在だった。実家の母は、実の息子より大和のことを可愛がっていたっけ……。だけど、大和が高校を卒業した後は大学が忙しいこともあってあまり家に来なくなり、私もほどんど実家に帰らなくなったので疎遠になっていた。「元気だった?」「36時間勤務中だから元気とは言えないけど、今のしおちゃんよりは元気かな」「可愛くないなぁ、昔はもっと可愛かったのに」「俺のこと、いくつだと思ってんの?」いくつって……もう27歳か。顔つきも大人になったなぁ。「ちょっと北崎(きたざき)先生! 早く次の患者さんを診てくれないと終わらないですよ」ベテランっぽい看護師さんが、パーテーションの向こうから顔を覗かせた。それに大和は「やべっ」と小さく呟き、私に立つよう促す。「そこのドアから出て右に行ったらレントゲン室があるから、行って来て」「分かった」レントゲンと聞いて、再び手首の痛みが激しくなる。言われた通り診察室から出ようとした背後で、「お知り合いですか?」「幼馴染のようなものです」「先生の初恋相手だったりして!」「何で分かるの?」看護師さんと冗談っぽく話す大和の声が聞こえた。◆予期せぬ入院「えっ、手術?」「うん、橈骨の手首部分と……あぁ、尺骨骨幹部も折れてるね。手術した方が良いと思う」レントゲンを撮り終わり再び診察室に入った私に、大和は画像が映ったディスプレイを見せた。彼の指摘通り、素人でも骨が折れていることが分かる。「手術は大和がしてくれるの?」「いや、執刀は他の先生がされると思う。でも、俺も助手としてオペには入るよ」「そうなんだ……」「そんな不安そうな顔をしなくても大丈夫だよ。とりあえず、入院することになると思うから」「入院!?」思わず聞き返した私に、大和は目を丸くした。だって、入院だなんて、そんなの……、「無理! 日帰りにして」「何言ってんの、日帰りなんて無理だよ。2箇所も折れてんだから」「何日くらい?」「2週間くらいかな」嘘でしょう……仕事どうするのよ。寝る間も惜しんで準備したプロジェクト企画が通ったところなのに、2週間も休んでいられない。入社した当初からずっとやりたかった案なのに……、やっと実現できると思ったのに……。本当に最悪。どうしてこのタイミングなの?「しおちゃん、骨折を甘くみたらダメだよ」「でも、仕事が……」「ごねる患者さんを説得して最善の治療を提供するのが俺の仕事。病室の空を確認するから待ってて」◆頑張るの禁止結局、大和の押しに負けて入院することになった。本来なら1度家に戻って入院の準備をしたかったけど、空き巣被害にあった家に入る気にはさすがになれず。翌朝、後輩の旭日に無理を言って、必要なものを買って来てもらった。「災難でしたね、先輩。大丈夫ですか?」「うん、ごめんね。ありがとう」こういう時、頼れる人が後輩しかいないってどうなの? 私。情けなさと申し訳ない気持ちでいっぱいになる。「何言ってんですか! 水くさい。こういうのは女同士の方が頼みやすいですからね」「うん……?」「さすがに彼氏さんにパンツ買ってきてとは言いづらいでしょ?」あぁ、そうか、そうだよね。確かに彼氏に着替えの準備をお願いするのは、気が引ける。というか、もうそんな相手もいなくなってしまったんだ……。そう思った瞬間、また気持ちが重くなる。新実さんは私が入院したことを知っているはずなのに「大丈夫か?」のメッセージすら送ってこない。「ええと。着替えと、洗面道具と、パソコンと、ポケットWiFiと……先輩、ここで仕事するつもりですか?」「するでしょ。幸い怪我は利き手じゃないし、腕以外は元気なんだから」「もう仕事の虫なんだから。先生に怒られても知らないですよー」だって、入院しろと言われたけど、仕事を休めとは言われなかったもの。パソコンとネットがあれば、病室にいてもプロジェクトを進められる。そう思ったから入院を承諾したのだけど、旭日の忠告は正しかった。「しおちゃん、今何時だと思ってんの?」ブルーの手術着に白衣を羽織った大和が病室にやって来た。「えっと、2時05分」「消灯はとっくに過ぎてるよ。こんな夜中まで仕事したらダメだ」「いいでしょ、別に。個室だし、誰にも迷惑はかけてない」「規則正しい生活をして、手術に備える。何のための入院だと思ってんだよ」大和はそう言うと、私のパソコンを取り上げた。怖い顔しちゃって……こんなに融通が利かないタイプだったっけ?「分かった、もう仕事しない。でも、眠れないの」「手術が怖い?」「そうじゃないけど……色々、考えることがあって」「しおちゃんって、昔っから変わってないよね」ふふっと吹き出すように笑った大和は、パイプ椅子を出してベッドの隣に座る。怒ったり笑ったり忙しい奴だな。「しおちゃんが大学を受けた時のこと、覚えてる?」「どうだったかな? 覚えてないよ」「朝から晩まで勉強して、周りのみんなが『絶対受かるから大丈夫』って言っても、不安で眠れないって机にかじりついてた」「あぁ~そうだったかも」「昔からすごい努力家だったよね。でも、必ず無理が祟って体を壊すんだよ」「そういや受験が終わってからしばらく寝込んだ気がする」やだな、そんな昔のこと。どうして覚えているのよ。「仕事が大事かもしれないけど、体はもっと大事だから。頑張るの禁止」きっぱり言い放ったかと思えば、「今の、医者ぽかったよね?」と、歯を見せて笑う。大和の方こそ昔から変わってない。生意気で心配性で、可愛い弟分。「そういや、警察の人から聞いたけど。空き巣犯を捕まえようとしたんだって?いつもそんなに勇ましいの?」「違う……、あの時はちょっとむしゃくしゃしてて、お酒も飲んでいたし。気が大きくなってただけ」「それならいいけど、次からは彼氏を呼びなよ」「うるさいな」「もしかして、彼氏いない?」痛いところを突かれて、言葉に詰まる。「そろそろ仕事に戻ったら?」話題を変えた私に、大和は悪戯っぽい笑顔を浮かべて病室から出て行った。◆絶望手術は予定通り、無事に終わった。鎮痛剤が上手く効いてくれたおかげで、術後もそれほど痛くない。早々に始まったリハビリも思っていたより辛くなかった。「これなら早く退院できそうですね」検温にやって来た看護師さんが、ニコッと笑う。「そうですか」「浮かない顔ですね、お辛いことでもありますか?」「いえ、大丈夫です」手術が終わっても、相変わらず新実さんからの連絡はこない。別れたとはいえ、部下であることには変わりないのに、気遣いの言葉1つ無いなんて……。「(いや、きっと忙しくて連絡できないだけだよね)」こんなことぐらいで落ち込むのは私らしくないと思い直したところで、スマホにメッセージが届いた。送り主は、新実さん。「(ほら、きた!)」はやる気持ちを抑えながら画面をタップして――――。「おはよう、しおちゃん。調子はどう?」看護師さんと入れ違いに、大和が病室にやって来た。「……」「しおちゃん?」「最悪」「え?どうしたの?痛みが酷い?それとも吐き気がするとか?」「……」大和が心配そうに私の顔を覗き込む。痛い?吐きそう?悔しい、苛立ち、悲しい、色んな感情が胸の中で渦巻く。「……プロジェクトから外された」絞り出した声は、自分でも驚くほど弱々しかった。理想じゃない恋のはじめ方。第3話に続く…理想じゃない恋のはじめ方。第1話はこちら
2021年07月30日作詞や詩、エッセイ、絵本の執筆など多方面で活躍する高橋久美子さんが初の小説集を上梓。『ぐるり』は世代も立場も異なる、時に動植物が主人公となる短編集だ。一人でいても、繋がっている。作詞や随筆で人気の著者の初小説集。「最初はエッセイの連載でしたが、途中で別の人の人生を書きたくなって。編集者に“小説に変えてもいいですか”とお願いしたんです」日常の光景や、ファンタジーやSFなど多彩な内容。実体験に基づいているものもあるようで、「男の子が蟻の王国に行く話は、実際に庭の苔をダンゴムシに食べられて、蟻の王国があればいいのにと思いつき、宮沢賢治の童話風に描いたもの。姉妹と母親のベトナムを旅行する話は、私小説といえるかも」見事なオチのある話もあるが、想像の余地を残す作品も。「サビがどこか分からない話って好きなんです。音楽でも聴けば聴くほど味が出るものを“スルメ曲”と言いますが、何回も読み返せる“スルメ小説”ですよね(笑)」いくつかの短編で登場人物がクロスする。ニヤリとするのは「DJ久保田」の2編。他の話の登場人物たちがゲストで登場したり、番組にメールをよこしたり。「私もラジオのパーソナリティをしていますが、ラジオと小説って相性がいい気がして。ゲストやメールをくれるリスナーって、顔は見えないけれどお互いを知っていて、友達みたいに思えますよね。小説の登場人物たちもそうだなって」どの人物にも愛着がわくのは、著者の優しい眼差しがあるから。「人間観察が好きです。人間のことが、すごく好きなんだと思う。嫌な感じの人がいても嫌と思わず“へえーそんなふうに考えるんやー”と思いながら見てしまう」人に言えない思いや孤独を抱いた人も多い。全体を通し、そんな人たちが隣り合わせだと思わせる。「一人で歩いていても通り過ぎるトラックには乗っている誰かがいるし、一人で部屋にいても外には人の気配がある。地球の上でみんな一緒に暮らしているという感覚があります」そんな思いがタイトルにも滲む。「今はコロナ禍で会えない人も多いけれど、だから一層相手のことを考えたりしますよね。孤独と孤独が繋がって、孤独でなくなればいいなと思っています」『ぐるり』さまざまな世代、立場が見つめる光景を自在に描き出した短編集。連載を楽しみにしていたという奈良美智さんが挿絵を描き下ろしている。筑摩書房1540円たかはし・くみこ作家、詩人、作詞家。さまざまなアーティストへの歌詞提供や翻訳などの創作活動を続ける。主な著書にエッセイ集『いっぴき』『旅を栖とす』、詩画集『今夜凶暴だからわたし』など。※『anan』2021年6月9日号より。写真・中島慶子(本)インタビュー、文・瀧井朝世(by anan編集部)
2021年06月08日凄腕弁護士が奇妙な遺言に遭遇し…超大型新人・新川帆立さんによる、痛快なミステリー『元彼の遺言状』とは?「女性が読んで楽しめるものを書きたかったんです。従来のミステリーで描かれがちな、男性に都合のよい美人ではなく、女性が憧れる女性を主人公にしたかった」精神的にも経済的にも自立、バリバリ働きがっつり稼ぎ、10億円くらいじゃなびかない――突き抜けすぎていて痛快な女性弁護士、剣持麗子。新川さんの「このミステリーがすごい!」大賞受賞作にしてデビュー作の主人公である。新川さん自身も弁護士として働いてきたが、ずっと小説家を志望していたという。「司法試験に受かった後に弁護士事務所に入ったのですが、残業が多くて書く時間がなくて。転職し、2年ほど前から本格的に書き始めました。ジャンルはこだわっていなかったのですが、『このミステリーがすごい!』大賞に応募したものが一次にも通らずに悔しくて、そこからちゃんとミステリーに取り組みました」麗子の元彼で製薬会社の御曹司が死去。その遺言は、「僕の全財産は、僕を殺した犯人に譲る」という奇妙なもの。麗子は知人に依頼され、分け前をもらうべく犯人を仕立て上げようと奮闘。犯人を捜すのでなく作る、というのが斬新な設定だ。「過去の受賞作や選評を読み、ミステリーとして新しい謎を用意する、キャラクターを立てる、といった要素が必要だと考えていきました」強気で聡明な麗子の人物像は、インパクトを狙っただけではない。「自立したいと思ってゴリゴリ働いてゴリゴリ経済を回している女性はたくさんいるのに、エンタメ小説にはあまり出てこない。だからこそ主人公像はそこを起点に考えました」かといって、いわゆる“女を捨てている”タイプではなく、恋愛だってしている。「仕事と恋愛って二者択一じゃないですよね。今は仕事もしつつ女性としても楽しんでいる人が多い。小説に出てくるキャリアウーマンは男勝りで肩ひじ張っている形で描かれやすいけれど、現実はその先をいっている、という思いがあります」元彼の親族やら元カノやら、個性あふれるキャラクターが登場し、物語は意外な方向へ。女性も多数登場するが、安易に麗子と対立構造にならないのも従来のエンタメとは違う。「女の敵は女、という言葉がありますが、私は嘘だと思っています。私のまわりではそんなことは全然起きなくて、みんな立場の違う相手を尊重しています。そうした、私に見えている世界を書きたかった」それにしても遺言の真意は何か。法律上有効なのかも気になるが…。「ありえなくはないギリギリのラインを考えました。ハッタリ芸です(笑)。ただ、一応私も法律家なので、あからさまな法的誤りがないように考えています」発売前から評判だった本作、すでにシリーズ化が決定。「応募した時に続編はまったく考えていなかったんです。なので編集部から提案されて最初は焦りましたが、今は3作目まで構想しています」今年の秋までには2作目を刊行したいという。麗子も大物だが、新川さんも今後、驀進していきそうな予感大。超大型新人にご注目を。しんかわ・ほたて1991年、テキサス州生まれ、宮崎県育ち。東京大学法学部卒業。弁護士として働きながら本作で「このミステリーがすごい!」大賞を受賞しデビュー。『元彼の遺言状』凄腕の弁護士の剣持麗子。学生時代の恋人が奇妙な遺言を残したため、莫大な遺産の分け前をもらうべく行動を開始するのだが――。宝島社1400円※『anan』2021年2月3日号より。インタビュー、文・瀧井朝世(by anan編集部)
2021年02月01日2020年11月13日、ミステリー作家の北里紗月さんがTwitterを更新。その内容にクスッとする人が相次ぎました。現在新作を執筆中の北里さん。物語に登場する『死体遺棄現場』をGoogleマップで検索したところ、とんでもないことに気付いてしまったといいます。現在書いている小説の死体遺棄現場周辺情報をGoogleマップで確認したところ、目の前が警察署だった。どうしよう。もう遺棄しちゃった。— 北里紗月 (@kitazatosatuki) November 12, 2020 警察署の前で遺棄しちゃった…!北里さんは「知っている場所ならば死体遺棄に最適」と思い、その場所を選んだといいます。地図を見て気付いた時は、とても驚いたそうです。ネット上ではさまざまなコメントが寄せられました。・灯台もと暗しを地で行く大胆な犯人ですね。・まだ間に合いますよ。警察に見つからないように回収しましょう!・大胆不敵!挑戦的でいい展開だと思います。・笑いました。第一発見者を警官にしちゃえばいいかも。「死体遺棄現場の変更、もしくは強行については犯人とよく話し合って決めていきたい」とつづっていた北里さん。相談の結果、どこに死体を遺棄したのか気になってしまいますね。作品の完成が待ち遠しいと多くの人が思ったことでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年11月13日この夏、「首里の馬」で芥川賞を受賞した高山羽根子さん。受賞後の第一作『暗闇にレンズ』は空想が炸裂、虚実入り交ぜて大風呂敷を広げた濃密な長編だ。映像の歴史と女たちの年代記。新芥川賞作家による注目長編。「とても楽しく書かせてもらえた、自分にとってご褒美的な小説です。自分が楽しんで書いて、そこに人を巻き込むことができたらなと考え、自分のテンションを文章に写すことに心を注ぎました」映画の黎明期から現在に至るまでの、映像に関わった女性たち数世代の物語や、映像や映画の歴史、さらには兵器として映像が使われたエピソードが並行して語られていく本作。「そもそも映画の歴史みたいなものを、ねじれを生じさせながら書きたい気持ちがありました。正確なきっかけは忘れましたが、7~8年前にフィレンツェの科学館みたいなところに行ったことがあって。そこに、古い、レンズのついた測量機器が並んで展示されていて、最初見た時に“武器かな”と思ったんです。そのあたりから、こういう話を考えていたのかもしれません」女性の年代記というテーマもある時から頭に浮かんでいた。「映画の歴史は100年ちょっとなので、何世代かにわたる年代記的なものができるなと思いました。調べると海外では黎明期の映画業界で活躍した女性もいるんですが、歴史で取り上げられるのは男性の作品が多い。それで、ある程度女性にスポットを当てることにしました」19世紀末、横浜随一の歓楽街の娼館の娘・照は機械学を学び、フランスに旅立って映像技術の研究所で働くことに。やがて、亡くなった友人の幼い娘を呼び寄せるが、その娘も成長し、また違う場所で映像に携わるように―。「こういう人生、ああいう人生が奇妙な縁で繋がっていく奇譚のようなものが書けたらと思っていました」一方、別のパートで語られるのは、監視カメラに囲まれた町でスマホで映像を撮る〈わたし〉の物語や、先述の通り兵器として利用された映像の話など、ちょっと不思議なエピソード。これがまた、どれもリアリティがありつつ、突拍子もなくて絶妙の面白さ!「古いものと新しいものを混ぜて、ありうる気がしなくはないものを書いていきました。私は分かりやすく笑わせるのは不得意なんですけれど、ヘンなことを大真面目に言っている面白さが出るといいなと思いながら書きました(笑)」ドキュメンタリーなど記録としての映像のあり方も考えさせられる。「映像は説得力があるから、それで世論が動く場合もある。簡単に映像が加工できるようになった今、私たちはそれらにどう接していくか、ということはよく考えます。私自身、書いているのはフィクションですが、人が生活している場所を舞台に小説を書く以上、なんらかの倫理的な物差しを持っておく必要があるなと感じます。その物差しは時代によって変わっていく。ちょっとずつ更新しながら、自分の物差しを信じていくしかないなと思っています」最後数ページでは熱いものがこみ上げる。極上の偽史をご堪能あれ。『暗闇にレンズ』レンズをのぞいて世界を切り取る〈わたし〉。彼女の母、祖母、曾祖母もかつて映像に関わっていた。映画と映像をめぐる奇妙で壮大な物語。東京創元社1700円たかやま・はねこ1975年生まれ。2010年に「うどん キツネつきの」で第1回創元SF短編賞の佳作に選出され、’14年、同作を表題とした短編集を刊行。今年「首里の馬」で芥川賞受賞。※『anan』2020年10月21日号より。写真・土佐麻理子インタビュー、文・瀧井朝世(by anan編集部)
2020年10月14日“小説を音楽にするユニット”YOASOBIの楽曲「たぶん」の原作小説が実写映画化。2020年11月13日(金)より公開される。YOASOBIとは?若者を中心に高い人気を集めるYOASOBIは、コンポーザーのAyase、ボーカルのikuraからなる、二人組の音楽ユニット。“小説を音楽にする”という新感覚のアプローチが最大の特徴で、2019年に公開したデビュー曲「夜に駆ける」では、ストリーミング再生回数2億回を突破するヒットを記録。また2曲目「あの夢をなぞって」は原作小説がコミカライズ、3曲目「ハルジオン」は飲料や映像作品とコラボレーションを果たすなど、活躍の場を広げている。YOASOBIの原作小説が、初の実写化!そして今回映画化される「たぶん」は、2020年7月にリリースされた4作目の楽曲のベースとなった原作小説。YOASOBIの原作小説を実写映画化するのは、同ユニットにとって初となる出来事だ。映画は、3組の男女が繰り広げる3つのショートストーリーで構成。同棲をしていたが、お互いの気持ちのズレを感じ別れを選んだ大学生カップルのササノとカノン。夏の大会が自粛で中止となってしまった高校生サッカー部員・川野とマネージャーの江口。恋人同士だがお互いの気持ちに応えられなくなっている社会人のクロとナリ。それぞれの“最も切ない別れ”と“新しい一歩”を、YOASOBIの楽曲「たぶん」にのせて描き出す。物語を彩る個性派キャスト陣物語を彩る3組の男女役には、個性豊かなキャスト勢が集結。<大学生カップル>ササノ役を演じるのは、俳優だけでなくアーティストとしても活躍する木原瑠生、カノンにはドラマ「中学聖日記」に出演した小野莉奈が務める。<高校生カップル>川野役は、映画『滑走路』に出演した寄川歌太、その彼女となる江口は吉田美月が担当。<社会人カップル>インテリアデザイナーのナリをユーチューバーのめがねが、彼氏のクロをミュージカル「刀剣乱舞」に出演する糸川耀士郎が演じる。詳細映画『たぶん』公開日:2020年11月13日(金)監督:Yuki Saito脚本:岸本鮎佳原案:しなのキャスト:木原瑠生、小野莉奈、寄川歌太、吉田美月喜、黒澤はるか・めがね、糸川耀士郎主題歌:YOASOBI「たぶん」配給:イオンエンターテイメントあらすじ【ササノとカノン】大きな物音で目覚めるカノン。別れたササノが部屋を整理しに帰ってきていた。同棲を始めた時、「私たちは変わらない」そう思っていたのに些細なことで少しずつ“ズレ”を感じ、別れを選んだ二人。大学はオンライン授業になり、就職活動を控える中、将来を真剣に考えるカノンと楽観的なササノ。どうしてこうなったの?悪いのは彼なのか、私なのか。たぶん…。【川野と江口】サッカー部の川野とマネージャーの江口はビデオ通話をしていた。今頃、最後の大会を迎えているはずだったが、今年は自粛により中止に。努力が報われないまま、憂鬱な受験の話をしていた。通話を切ると川野のラインにチームメイトから江口が東京へ引っ越すと知らされる。3年間チームと自分を支えてくれていた江口のことを思い、気づくと川野は自転車で走り出していたー。【クロとナリ】インテリアデザイナーのナリは彼氏のクロとなかなか連絡が取れず、直接家を訪ねる。インターホンを押すとクロが出迎えるも、玄関にはヒールの靴が。アリサと名乗る女性は編集の仕事をするクロの元同僚。クロが貸していた DVD を返しにきていたという。クロのことが大好きなナリは動揺を隠せずその場で言い合いになってしまう。こんなにも好きなのに…。
2020年10月12日「韓国文学は昨今、良質な作品の邦訳が増えて、注目度が高まっています」と、ライターの瀧井朝世さん。ロングセラーから近作まで、さまざまなジャンルが発売され、多くの支持を集めている。自分の生き方を考えるきっかけに。「お隣の国だけに、文化的、社会的価値観において日本社会に通じる部分も多く、日本人が共感できる部分も多いのではないでしょうか。日本でもベストセラーとなった『82年生まれ、キム・ジヨン』は、その典型例です。物語の背景に歴史的、経済的な要素が盛り込まれていたりと、その時代、その社会の中での個人が描かれることも多い。そのため、価値観や人生観、社会観を見つめ直し、“今の時代に自分はどう生きるのか”ということを、さまざまな角度から考えさせてくれるところも、韓国文学の魅力となっています」『フィフティ・ピープル』チョン・セラン斎藤真理子 訳/亜紀書房「(中略)でも、傲慢にならずにいましょうよ。どんなに若い人にも、次の世代がいるのですから。しょせん私たちは飛び石なんです。だからやれるところまでだけ、やればいいんです。後悔しないように」とある大学病院に、何らかの形で関わるごく普通の人々50人の、それぞれのドラマが交錯する連作短編集。年配から子どもまで、さまざまな人が主役を務める。「引用したのは、老教授の言葉です。誰かが遠くに石を投げたら、次の世代がその落ちた石を拾ってまた遠くに投げてくれる、というたとえ話に続けて語られている。自分一人ですべてを成し遂げようと気負うのではなく、未来を信じて、今できることを頑張ろうと思わせてくれます」『四隣人の食卓』ク・ビョンモ小山内園子 訳/書肆侃侃房大きくなったり、積もったりしてから「たかが」で済ませられるものなど、この世には一つもない。“入居10年以内に子どもを3人もうける”ことを入居条件とする、国家の少子化対策の一環として作られた集合住宅に越してきた4組の夫婦。「育児などを協力し合おうとする彼らだが、家族同士、あるいは夫婦間で、価値観の違いにより、少しずつ軋みが生じていく。“たかがこれくらいは見過ごしておこう…”という違和感や不快感が、やがて耐えられないものになっていく状況は、きっと、誰しもにおぼえがあるのではないでしょうか」『わたしに無害なひと』チェ・ウニョン古川綾子 訳/亜紀書房愛ほど不公平な感情はないだろうと私はたまに思う。第51回韓国日報文学賞を受賞した、7つの作品を収録している短編集。その中の「砂の家」からピックアップした一文。「同じ高校に通っていた男女3人は、大学生になってから交流を深めていく。青春のきらめきと同時に、親しいからこそ傷つけ、傷つけられてしまう苦しさが、濃密に描かれています。恋愛感情だけに限らず、友情も含めて“愛”というものはアンバランスだという、切なさの詰まった一編になっています」『ワンダーボーイ』キム・ヨンスきむふな 訳/クオン理解とは、誰かの代わりに彼らについて語ること、そしてその話を通じて、ふたたび彼らを愛すること。父親の運転するトラックに乗っている時に遭遇した交通事故から、奇跡的に一命をとりとめた一人の少年。病室で目覚めると、人の心の声が聞こえるという不思議な能力を獲得していた。そのせいで、彼は軍部に利用されそうになるのだが…。「そんな少年に、ある人物が言った言葉です。誰かのことを理解することの難しさ、理解したと思ってしまうことの傲慢さと同時に、誰かを理解しようと寄り添うことの尊さをも教えてくれる言葉です」『こびとが打ち上げた小さなボール』チョ・セヒ斎藤真理子 訳/河出書房新社「暴力とは何か?銃弾や警察の棍棒や拳だけが暴力ではない。都市の片隅で乳飲み子が飢えているのを放っておくことも、暴力だ」急激な都市開発が進むソウルを舞台に、そこで虐げられた人々の怒りを映し出す。「軍事政権下での不平等に苦しむ、さまざまな立場の人間が描かれています。引用は、〈こびと〉と呼ばれ、家族のために懸命に働くものの報われない男の長男が、ノートに書き写していた言葉から。こうした類の暴力に無関心であるというのは、暴力に加担していることになるのではないか、と考えさせられます。1978年に発表されたロングセラーです」たきい・あさよライター。著書に『偏愛読書トライアングル』(新潮社)、『あの人とあの本の話』(小学館)、『ほんのよもやま話』(文藝春秋)。『恋の絵本』シリーズの監修を手がけている。『王様のブランチ』ブックコーナーのブレーン。※『anan』2020年9月23日号より。取材、文・重信 綾(by anan編集部)
2020年09月18日しなのによる小説「たぶん」を原案とする映画が公開されることが決定した。小説「たぶん」は、若い世代を中心に爆発的な人気を誇っている、小説を音楽にするユニット「YOASOBI」が楽曲化し話題に。当たり前が当たり前じゃなくなったいま、誰もが経験する新しい時代の、新しい選択。映画では、曖昧な言葉の中にある確かな気持ちを描く。昨年11月に公開した「YOASOBI」第1弾楽曲「夜に駆ける」が、Billboard Japan Hot 100やオリコン週間合算シングルランキングで複数週にわたって1位を獲得し、ストリーミング再生回数は今年夏に1億回を突破。続く第2弾楽曲「あの夢をなぞって」は原作小説がコミカライズ、第3弾楽曲「ハルジオン」は飲料や映像作品とのコラボを果たし、さらには初の紙書籍となる「夜に駆けるYOASOBI小説集」が発売と、活躍の幅を広げている「YOASOBI」。そんな「YOASOBI」の原作小説が今回、初映像化。「YOASOBI」Ayaseは「小説、音楽、MV、そして実写映画というまた新しい作品の広がりに今からとてもワクワクしています。『たぶん』の世界観がどんな風に膨らんでいくのか、とても楽しみです」と完成に期待を寄せ、ikuraも「どんな広がりを見せてくれるのかとても楽しみです!完成が待ちきれないです!」とコメントしている。なお、主題歌は「YOASOBI」の「たぶん」に決定している。『たぶん』は2020年晩秋公開予定。(cinemacafe.net)
2020年09月18日『持続可能な魂の利用』は、フェミニズム小説の旗手・松田青子さんの初長編だ。痛烈な「おじさん」批判小説であり、女性たちの連帯を描くシスターフッド小説でもある。「おじさん」は、見た目や年齢のことではない。カギカッコ付きなのは、それが家父長的な価値観で女性について勝手に語ったり評価したり貶めたりして消費し、女性の絶望を作り出す総体としての存在だからだ。「いまの女性たちが置かれている日本社会の理不尽な状況を、一度しっかり書いておきたいと思ったんですね。同時に、そうした『おじさん』の視線や悪意がなくなったら、女性たちはどれほどの自由を享受するだろうかとも想像しました」物語は2つの時空を行き来する。現代のパートでは、陰湿なハラスメントで負った傷を、射すくめるような視線の媚びないアイドル〈××〉に癒される敬子、ハラスメントの真相を知って、敵を討とうと誓う歩、二次創作にハマっている元アイドルの真奈、新生児の育児に右往左往する由紀などが活躍。未来のパートは「おじさん」から少女が見えなくなった世界だ。少女たちは伸び伸びと、現代社会の性差のゆがみを研究発表という形で考察していく。「未来の少女たちの目から見れば、なんてバカバカしいことがまかり通っていたのかと呆れることだらけ」作中で、アイドルは複雑かつ重要なモチーフとして描かれる。「敬子は女性アイドルに純粋に惹かれながら、その消費構造を手放しでは喜べないことにはっとします。人間は矛盾した生き物なので、女性が見られることで傷ついた心を、今度は自分が見る側に立つことで癒されるというのもあると思うんですね。私自身も実在のアイドルをモデル化して小説に登場させている時点で、やはりそこは綺麗事にならないように、自覚と自戒が伝わるような、ブーメランが自分にも返ってくる文章構造と書き方を心がけました」それでも本書に描かれた世界に、希望を見つける人は多いだろう。「SNSなどで女性を取り巻く問題が可視化されたことは気が重くなる部分もあるんですが、敬子の妹が言った〈鬱陶しい霧のようなままの気持ち〉のころよりは、多少は対策も立てられる。繋がれる人もいる。変化は生まれていると感じています」まつだ・あおこ作家。兵庫県生まれ。2013年、デビュー作『スタッキング可能』が三島由紀夫賞および野間文芸新人賞候補に。『彼女の体とその他の断片』(共訳)など、翻訳家としても活躍。『持続可能な魂の利用』見られることから少女たちが解放された世界と、そこへ至る前史ともいえる女性が生きにくい社会。描かれる事象のリアリティに驚く。中央公論新社1500円※『anan』2020年8月26日号より。写真・土佐麻理子(松田さん)中島慶子(本)インタビュー、文・三浦天紗子(by anan編集部)
2020年08月23日小説現代長編新人賞受賞作『晴れ、時々くらげを呼ぶ』の作者・鯨井あめさんに、作品に込めた思いを聞きました。クラゲは空から降ってくるのか?現役大学生による驚きのデビュー作。高校2年生の越前亨(えちぜんとおる)は、作家だった父を病気で亡くしてから心を閉ざしている。彼が図書委員として一緒になった後輩の小崎優子(こさきゆこ)は、毎日、屋上で雨乞いならぬクラゲ乞いをしている――小説現代長編新人賞受賞作『晴れ、時々くらげを呼ぶ』で作家デビューを果たした鯨井あめさんは現役大学生。執筆歴は実に11年!「好きな小説の真似をして書くことから始めて、5年ほど前からネットに投稿していましたが、去年、一回全力で書いたもので挑戦してみようと思って新人賞に応募しました」その作品で見事受賞したわけだ。本作の出発点は、クラゲが降る様子が頭に浮かんだこと。もちろん、クラゲは空から降るものではない。「小崎も最初は“不思議ちゃん”と呼ばれています。ということは、作中のどこかで“不思議ちゃん”じゃなくなる瞬間がくる。その瞬間を書きたいと思ったのを今でも覚えています。誰かが変わる瞬間って、ちょっとわくわくするんです」クラゲ乞いの意外な理由が見えてくるなか、頑なだった亨のものの見方にも、少しずつ変化が。「小学生の頃に読んだ問題に“A君はそれを長方形と言い、B君はそれを円だと言う”というのがあって。答えは円柱です。世の中ってそんなふうに、別の角度から見ると違って見えることは多いんじゃないかと思って。事実は変えられなくても、とらえ方を変えることはできる」友人や先輩、事情ありげなクラスメイト、教師ら周囲の人物造形も実に丁寧。物語展開も、意外性に満ちて巧みだ。「ものすごく集中して書いたので、細かいところをどう決めたのか覚えていないんです(笑)。ただ、書いている間、すごく楽しかった」図書委員の話だけに実在の作家名や書名が続々登場。彼らが本について語り合う様子がとっても楽しそう。「そこはノリノリで書きました(笑)。登場させた本はあまり偏らないようにしましたが、出したいのに出せなかった本もたくさんあります」というように作中人物だけでなく、著者自身の本への愛も伝わってくる。「小説って文字だけでできているのに、感動したり、びっくりしたりできる。それが小説のすごいところだと思うし、自分もそういうことができる作家になりたいと思います」鯨井あめ『晴れ、時々くらげを呼ぶ』高校生の越前亨は人と関わることが苦手。だが、屋上でクラゲ乞いをする“不思議ちゃん”の後輩・小崎優子と図書委員で一緒になって…。講談社1300円くじらい・あめ1998年生まれ。兵庫県出身。2015年より小説サイトに短編、長編の投稿を開始。‘17年「文学フリマ短編小説賞」優秀賞を受賞。初めて新人賞に応募した本作で受賞を果たす。※『anan』2020年8月12日-19日合併号より。写真・中島慶子インタビュー、文・瀧井朝世(by anan編集部)
2020年08月18日