第1子出産のとき、急きょ帝王切開に切り替わりました。初めてのことに緊張と不安・戸惑いの中、私は出産。赤ちゃんと私にひとまずは問題なく、すぐに母子同室になり幸せを嚙みしめていました。しかし、ほっとしたのもつかの間、傷が痛んで起き上がれない私の体を心配して面会を控えた実両親とは反対に、数時間後に面会に来るという義両親に私は違和感を抱きました。 帝王切開で無事出産。傷が痛む中の面会出産時、赤ちゃんの心拍が低下し始めるという事態になり、緊急帝王切開に切り替わりました。夫が病院に駆けつけたのですが間に合わず、私は不安の中出産。赤ちゃんの顔を見たときには安堵したことを、今でも鮮明に思い出します。 両家両親には事後報告をし、私の両親は「大変だったね。体休めて」と言って、面会は翌日にすると連絡をくれました。義両親は数時間後には揃って面会に来ると言い、疲れている私は乗り気ではありませんでした。 予想以上の面会時間に身も心もボロボロ…面会に来た義両親は孫にべったり。私はおなかの傷が痛くてつらかったのですが、義両親が話しかけてくれば相槌をうっていました。「寝ていていいよ」と言われても、遠慮して会話は続けました。 30分ほどで帰ってくれるかと思っていましたが、まったく帰る素振りのない義両親。夫から促す様子もありません。私は疲れからか急に眠くなり「どうして体のつらさを誰もわかってくれないんだ」と、イライラと悲しみの感情がどんどん溢れてきました。 イライラから助けてくれた看護師さんそんなときに看護師さんが体調チェックに。悪露(おろ)を見るので夫たちには一旦部屋の外に出てもらい、そのとき私は思い切って看護師さんに経緯を話しました。すると看護師さんから義両親に帰ってもらうように伝えてくれることになり、義両親はその後すぐに帰って行きました。 後日「長居してごめんね」と義両親から謝りの連絡が来ました。純粋に孫の誕生を楽しみにしてくれた気持ちがわかったので、イライラが長引くこともなかったです。 面会に来てくれたのに帰ってほしいなんて言えなかった私が、看護師さんや助産師さんに相談する手段をもっと早く知っていたら、気持ちがラクになっていただろうなと思います。赤ちゃんの誕生はうれしいことなので、面会に来てくれるならば前もって「短時間でお願いね」など伝えておくと、お互いに気持ち良く過ごせるなと勉強した出来事でした。 作画/ぐら子著者:樋山ゆり菜6歳男児、4歳女児の母。夫は不規則な勤務体制のためワンオペ育児多め。食べることが大好きで、地元・栃木県の食をメインとしたブログを運営しながら、飲食店にて接客のパートをしている。
2024年01月06日2人目を妊娠中の私。体調不良が続き、1人目の時との違いに悩まされていました。夫の勧めもあり、予定よりも早めに里帰りすることに。しかし、私が家を空けた後、ご近所さんやママ友の間でとんでもない噂が流れていたのです――。1人目の時と違い、安定期に入っても体調不良が続いていた私。まともに家事もできず、夫の夕飯もほぼ作れていません。在宅で続けていた仕事も、しばらくお休みすることにしました。 早めの里帰り夫は会社員で、遅い時間に帰ってくることもしばしば。休みの日も仕事の付き合いが入ったと言って、外出してしまいます。家事や育児を手伝ってくれないことに不満はありましたが、しっかり稼いできてくれるので文句を口に出すことはありませんでした。 私は、長男の出産の時も2カ月ほど里帰りしていました。今回も2~3カ月ほど里帰りする予定だったのですが、私の連日の体調不良を心配した夫から勧められたこともあり、早めに里帰りすることを決めました。 出産予定日まであと5カ月。しかし、私と長男が家を空けている間に、ご近所さんやママ友たちの間ではとんでもない噂が広まっていたのです――。 ママ友からのタレコミ1カ月後――。 実家に帰ってから、だいぶ体調が安定した私。放っておくとコンビニ弁当しか食べない夫のために、作り置きをこしらえては冷凍で送っていました。 そんなある日、長男と同い年の子を持つママ友から電話が入ったのです。 「いつの間にご主人と離婚したの?」「驚いたわよ!ご主人もう再婚もしてるし」「え、私里帰りで実家に帰ってるだけなんだけど…」 そのママ友は、私が実家に帰ったことを人づてで聞いたそう。そして、ママ友たちの間で「あの家のご主人はここら辺では見かけない女性を頻繁に家へ連れ込んでいる」「お嫁さんも長男くんもしばらく見かけないし、離婚したんじゃないか」という話になったとのことでした。 「妊娠中の大事な時期にごめんなさい……」とママ友。もしかして夫が私に早めの里帰りを勧めたのも、不倫相手を家に呼ぶためだったのでしょうか……。 「とりあえず、親に話してみる」「もし何か他にも情報があったら教えてくれる?」と言うと、ママ友は「私もママ友やご近所さんにもう少し話を聞いてみるね!」と快く協力してくれたのでした。 自宅をのぞいた結果、わかった事実は1週間後――。 「今日も早く会社が終わったの?」と夫にメッセージを送ると、「え?うん、そうだけど」「なんでわかったんだ?もしかして監視カメラとかつけてないよな?」とすぐさま返事が来ました。 「監視カメラなんてつけるわけないでしょ」「だってこの目で見てるんだから」「今すぐ家に行くからさっさと服着てその女と一緒に待ってろよ」 私は事情を知っているお向かいさんの家にお邪魔して、わが家の様子をうかがっていたのです。そのまま家に向かうと、青ざめた夫と不倫相手がいました。 不倫相手は夫の取引先の人だそうです。「奥さんが里帰りする前から関係を持っていた」「奥さんの出産後、離婚するから待っててほしいと言われた」とすべてを話してくれました。 一方の夫は、「里帰り中の期間だって約束で関係を持って……」「家族がいてくれたから、俺は仕事でもがんばれたんだよ」「2人目の子どもももうすぐ産まれるんだし、離婚だけはしないでくれ……」と、しどろもどろ。 夫は、私には家事育児を押し付け、不倫相手で性欲を満たそうとしていたろくでもない男だったのです。最終的に、私だけでなく、不倫相手からも白い目を向けられていました。 その後――。 ママ友やご近所さんたちの証言もあり、私と夫はすぐに離婚。元夫からは慰謝料と養育費をもらっています。離婚してから、元夫は私の実家を訪ねてくるようになりましたが、その度に両親が追い払ってくれています。今さら良い夫や父親になろうだなんて、はっきり言っていらだちしか覚えません。 なんだかんだあったものの、2人目も元気に産まれてきてくれました。2人目の子が保育園に入ったら、本格的に社会復帰をするつもりです。子どもたちが笑顔で生活できるように、しっかりがんばっていこうと思っています! 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年01月05日特に勉強ができたわけではありませんが、大学卒業後に運良く大手企業に就職できた私。おかげさまで給料も良く、業務の内容にも満足しています。同い年の夫は家事の分担にも協力的! 文句は1つもない幸せな結婚生活だったのですが……。ある日突然、夫の会社が倒産! すこし前から良くない話をちょこちょこ聞いていましたが、まさか本当に倒産するなんて……。突然職を失い、夫は相当落ち込んでいました失業した夫突然のことで私も動揺しましたが、夫婦2人なら私の給料だけでもなんとか暮らしていけるはず……。「蓄えもあるので、そこまで焦って仕事を探さなくても大丈夫」と夫に伝えました。その後、夫は近所でアルバイトをしながら再就職先を探し始めました。並行して、資格の勉強にも取り組んでいて、前向きに頑張っていると思っていたのですが、数週間が経過すると、夫の態度がすっかり変わってしまったのです。帰宅が遅くなり家事も一切せず、ときにはお酒を飲んで帰ってくることも……。 しばらくはそっとしておいたのですが、ついに、再就職の面接をすっぽかしたことが発覚! さすがの私も黙っていられませんでした。 夫のプライドはズタボロ私が責めると「大企業で稼ぐお前がいれば家計は問題ないんだろう?」と夫。どうやら妻に養われているという状況がつらかったようです。励ますつもりで言った言葉が夫のプライドを傷つけていたなんて、私もショックでした。 この日から夫はバイトを増やしたようで、早朝から夜中まで家を空けるようになりました。連絡もすべて無視。家に帰らない日もあり、一体どこで何をしているのかわかりません。失業のショックで失踪なんてことがあったら困ります。心配になった私は、探偵に夫の調査を依頼することにしました。話を聞いた瞬間に探偵は「おそらくクロですね」と苦笑い。夫はどうやら浮気をしていたようです。 調査の結果ほどなくして、夫と浮気相手の調査結果が届きました。夫はキャバ嬢と浮気をしていて、彼女に貢ぐために早朝から夜までせっせとアルバイトをしていたのでした。 でも、その相手のキャバ嬢というのがかなりの曲者。調査結果を見て思わず笑ってしまいました。十分すぎる証拠をどう使おうか考えていた矢先、なんと夫から離婚を突きつけられたのです。 「浮気相手が妊娠したから離婚する」と言い出した夫。しかも、払う慰謝料なんてないから免除しろと言います。一方的な言い分に腹は立ちましたが、私も離婚を考えていたので、慰謝料を請求しない代わりに「今後一切私には連絡してこない」と約束をして、離婚を受け入れることにしました。 1年後、約束を破った夫は…1年後、一切連絡をしないと約束したにもかかわらず、元夫から電話がかかってきました。話を聞くと、再婚したキャバ嬢の妊娠は嘘。結婚前から多額の借金があったようで、肩代わりをさせられた上、自分の名義でさらに闇金で借金を作られていたそう。 元夫は電話の向こうで泣いていましたが、どれも私の予想していたことばかりです。もちろん同情する気持ちもありません。離婚するときにした『一切連絡しない』という約束を破ったので、取り決め通り罰金を請求すると元夫に告げたのでした。 職を失うのはつらいことですが、夫婦で支え合えることはとても素敵なこと。元夫も、アルバイトを掛け持つエネルギーを資格取得や就職活動に注いでいたら、結果は変わっていたかもしれませんね。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年01月03日5歳になったばかり息子と夫を持つ妻。2人目を妊娠中で、夫も誕生を心待ちにしてくれていたのですが……。妊娠中体調があまり良くなかった私は、夫になるべく早く帰って来てほしいとお願いしていました。しかし口では早く帰ると言いながら、いつも帰りが遅くなる夫。子どもが生まれたら家事育児に協力すると言っていましたが、結局、ほぼワンオペ育児になっていたのです。夫と息子のお留守番私の体調を心配した夫は、病院に行くことを勧めてきました。それに従い、翌日私は病院に行ったのですが、なんと即日入院を言い渡されてしまったのです。家に置いてきた幼い息子が気になりましたが、安静を強いられていた私には何もできませんでした。 息子のお世話は夫にしてもらい、ときどき私の母も手伝いにきてくれるということに。ママがいなくてさびしいと思っている息子を元気づけるためにも、夫には子どもと一緒に大いに遊んでほしいと思い、週末に外で遊ぶことを提案。ただその週はあいにくの天気のようで、雷まで予想されていました。 実は息子は、大の雷ぎらい。雷鳴がとどろくと、怖くて1歩も動けなくなってしまうため、家で遊ぶのだろうと思っていました。雷雨の中…やはりその週末は雷雨でした。それもかなりの大雨。「どうしているかなぁ」と心配していると、実母から連絡が。いつもの口調とは違い、慎重に話し出した実母に、ただならぬ雰囲気を感じました。出産前にこんな話をするのもどうかと思うけれど……と前置きした母の口から出た言葉に、私は本当に驚きました。「離婚しなさい」 突然のことで、何が何だかわからないでいると……。「お母さん? 急にどうしたの?」「あんたの息子がびしょぬれでうちに来たのよ」「父親に追い出されたって」 衝撃的な話に、私は言葉を失いました。息子は大人の足で15分以上かかる道のりを、泣きながら走ってきたというのです。きらいな雷雨、しかも土砂降りの中を……。 実母が息子に話を聞いたところ、息子は夫に締め出され、鍵をかけられたと言ったそう。しかも女の人が来たから、そうされたとも言ったそうなのです。どんな理由があろうと5歳の孫をそんな目に遭わせたなんて絶対に許せないと、実母は憤っていました。 実母は夫を問い詰めるため、すぐさま私の家へ。そしてわが家に乗り込んだとき、夫は不倫の真っ最中だったそうです……。 1度でも罪は罪夫は私が2人目を妊娠すると、期間限定不倫を始めたと言います。後腐れなく付き合うはずでしたが、不倫相手の夫の同僚はそれを認めず、あのひどい天気の中別れたくないと家まで押しかけてきたそうです。そこで夫は息子に車の中で待っているよう言って、外に出したと……。5歳にそんなことがうまく伝わるわけもなく、車のドアは重くひとりでは開かなかったのでしょう。息子の気持ちを考えると、胸が締めつけられました。 不倫相手から母が聞いた話では、夫は仕事の後毎日のように彼女と会っていたそう。私が体調不良で早く帰ってきてほしいと頼んだときも、仕事だからごめんと何度も断ってきた夫。さらに彼女に見せてもらったメッセージアプリには、私への不満や子どもの面倒を見たくないという愚痴であふれていたと言います。 でも何より許せないのは、息子をあのような目に遭わせたこと。息子がパニックになって大泣きしていたとき、夫はお楽しみ中だった。そのことを考えると、もう腹が立って腹が立って……腸が煮えくり返ると言っても過言ではありませんでした。 最悪、あのとき息子が事故に遭う可能性もありました。事の重大さがわからない夫は、親として失格だと思い、私は離婚を選択しました。 別れたくないとごねた夫ですが、状況は私のほうが圧倒的に有利で、あっという間に離婚は成立。両家の父母たちも、もちろん私の味方をしてくれました。 夫は不倫相手に関係を暴露され、会社に居場所を失くし、地方へ転勤することになったそうです。シングルマザーになった私は今、おさない子どもたちを抱え大変な毎日を過ごしていますが、周りの人たちに支えられ、何とか頑張れています。きっとこれからもつらいことがあるでしょうけれど、子どもたちからパワーをもらい、乗り切ろうと思います。 1度でも、期間限定でも、不倫は不倫。夫の怠惰な考えが、息子に危険な目を合わせたかもしれないと考えると、恐ろしいですよね。大切な家族のことを第一に思いながら毎日を過ごしたいものですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年01月03日自分で言うのも恥ずかしいですが、ラブラブだった私たち夫婦。しかし、娘が産まれてからは関係がギクシャク……。私は娘を出産したばかりで、家事や育児に追い詰められていました。お互いに鬱憤が溜まりつつあったある晩、夫は「娘の泣き声がうるさい」と家を出て行ってしまったのです――。娘が産まれて、1週間だけ育休を取ってくれた夫。しかし、夫は育休が明けると家事も育児も一切してくれなくなりました。 夫のイライラ初めての育児にくわえて、娘はなかなか寝ない子で……、私は心身ともに疲れて果てていました。夫は娘の夜泣きにイライラしており、「娘の夜泣きのせいで寝不足だ」「会社でミスしたらお前らのせいだからな」と私を責め立てるように。 妊娠した時はあんなに喜んでいてくれたのに……。思わず、「娘のこと、かわいくないの……?」と尋ねた私。すると、夫は「かわいいけど、今は余裕がないんだよ」「仕事が落ち着いたら育児も家事もするから」と返してきました。 「2人が暮らしていけるのは、俺が会社で働いているからだろ?」「仕事をして、家に帰って来ても眠れなくて……。それがどれだけつらいことかわからないのか?」と言われ、私はただ「ごめんなさい……」と謝るしかないのでした。 夫の家出1カ月後――。 相変わらず、夜泣きを続ける娘。私も手を尽くしているのですが、なかなか泣き止んでくれないのです。そして、夫のイライラも頂点に。 「こんな深夜にどこ行くの……?」とおそるおそる尋ねると、「ガキの声がうるさくて眠れないんだ!静かな場所で寝る」「あいつ泣きすぎだろ、お前の育て方間違ってるんじゃねぇの?」と夫。 初めての育児で、手探り状態でがんばってるのに……。家ではスマホゲームに夢中で、娘をあやしてもくれない夫に、何がわかるのでしょうか。 「しばらく家には帰らないから」という夫の言葉に、私は口をあんぐり。「とにかく早くガキがおとなしくなるようにしつけておけよ」「ちゃんと管理できるようになるまで俺は帰らないからな」と言い捨てて、夫は本当に出て行ってしまいました。 どこ行ってたの?3カ月後――。 家賃は払ってくれるものの、夫はまったく家に帰ってきませんでした。私は覚悟を決めて、「話があるから、近いうちに会えない?」と夫にメッセージを送りました。すると……。 「ガキの夜泣き少しはマシになったか?」「そろそろ帰ってやってもいいぞ」「どこに帰るの?」「あんたの帰る場所なんてないけど」 今まで夫の機嫌を取り、なんとか家事や育児を手伝ってもらおうとしていた私。しかし、もう諦めました。 「離婚しましょう」と切り出すと、「お前が1人で子どもを育てられるわけないだろ!」「子どもが成人するまでいくらかかると思ってるんだ?」と嘲笑ってきた夫。しかし、私は資格保有者で、職にあぶれる心配はないのです。 「仕事は目星をつけてるし、養育費ももらう」「あと、慰謝料ももらうからね」と告げると、夫は「何の慰謝料だよ!?」と返してきました。 調べはすでについているのです。夫は「知り合いの家を転々としている」と言っていましたが、それは真っ赤な嘘。娘の泣き声がうるさいというのは口実で、本当は不倫相手の家に行きたいだけだったのです。 興信所の調査によると、最近夫と不倫相手はうまくいっていないそう。だから、夫は「そろそろ帰ってやってもいい」という思考に至ったのでしょう。 私に家事も育児も押し付けて、不倫をしていた夫。私の育児を否定して、勝手に家出して不倫相手のところに転がり込んでいた夫。そんな男とまた一緒に暮らしたいなんて思えません。 「自分の娘を『ガキ』呼ばわりするような父親なんていりません」「今まで通り自分勝手に生きてください」 その後――。 離婚を拒否し続ける夫を説得するために、私は両親と義両親を呼んで話し合いの場を設けました。事の次第を話すと、満場一致で離婚が決定。夫は泣きながら離婚届にサインしていました。 私は娘とともに実家に帰り、両親のサポートを受けながら娘を育てています。娘が1歳になったら、社会復帰する予定です。まだまだ母親としては未熟ですが、かわいい娘のために精一杯がんばっていこうと思います。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年01月02日2人の子育て中に3人目を妊娠。でも、その子はお空へ帰ってしまいました。何も手につかない……そんな日々をしばらく過ごしたあと、妊娠が判明。その妊娠生活で、不思議な、そして私にとって衝撃的な夢を見て……。誰にも話さず、自分の中だけで大切にしてきた体験談を、ここで初めてご紹介します。自分を責め続けた流産の経験「そろそろ3人目が来てくれたらうれしいね」。長女が4歳、次女が2歳だったとき、夫とそんな話をしていました。当時は仕事が忙しく、なかなか子どもとの時間も取れない中だったけれど、家庭も仕事も大切にしたいと頑張っていました。 そんな中、妊娠が判明。まだ心拍が確認できたばかりの、小さな小さな命に、私と夫はとても喜びました。「まだまだ小さいし、妊娠4カ月くらいに子どもたちには伝えよう」と夫婦で話して、「男の子かな? 女の子かな?」など、気の早い想像をしていました。 ある日の仕事中、おなかに一瞬チクンッと痛みが。「あ、何か痛いかも。でも、気のせいかなぁ」。次の日が健診だったので、そのときに伝えたらいいかと思い、そのままにしていました。そして次の日。おなかの痛みがあったことを伝えると「初期はそんなことあるからね。見てみようねー」とやさしい笑顔の先生。私も、何も気にせず診察を受けていました。 ……でも、診察の時間が長い。先生はずっとモニターを見て、何もしゃべりません。だんだんとドキドキしてきました。「え、大丈夫だよね……?」。私が心配していると、「残念だけど……心臓が動いていない」 。稽留(けいりゅう)流産でした。先生は、「赤ちゃんの異常による流産で、仕方がないこと。あなたは何も悪くないよ」と慰めてくれました。 でも、どうしても「仕事をセーブしていれば……」「昨日すぐ病院に行っていれば……」「私の栄養が足りなかったのかな……」といろいろなことを考えてしまい、自分を責める言葉ならいくらでも出てきてしまう状態でした。夫にも「ごめんね、ごめんね」と謝りました。子どもたちにはなんと伝えればいいかわからず、妊娠したことも、流産したことも伝えられませんでした。 夢で会えた大切な息子数日仕事を休まないといけないため、職場にも伝え、 仕事に復帰してからも、しばらく涙が出てくる日々でした。「1人目じゃないから、悲しみは少ないよね」「上の子たちがいるからいいよ」。こう言ってくれる先輩や同僚の言葉にも何とも言えず、「私が悲しむのは、ぜいたくなのかな」と思い、当時はそのことも苦しかったです。 でも、しばらくして、だんだんと前を向かなきゃと思っていた、そんなとき。妊娠が判明。前回のことがあったので、うれしい気持ちの半面、怖い気持ちもあり、1人目、2人目以上に慎重に妊婦生活を送っていきました。 いよいよ臨月というところまできたある日。産休に入り、ゆっくり過ごしていた9月の終わり。昼寝をしていた私は不思議な夢を見ました。私は双子を妊娠していて、陣痛が来たところ。急いで病院に行って、分娩台へ。数時間後、男の子と女の子の双子が生まれた……という夢でした。 その夢から覚めてすぐ、「あ、あの子だ」 と思いました。そう、お空に帰った子です。私が今、妊娠しているのは女の子。夢で出産した男の子は、空に帰った子だと思ったのです。そのときに、「おなかにいる子を産むとき、この男の子も一緒に産もう」。そう決心しました。 そして、この男の子に「翼(つばさ)」という名前をつけました。この名前は、以前夫が「男の子が生まれたらつけたい」と言っていた名前でした。 息子に伝えたい「ありがとう」の気持ちそして、いよいよ出産の日。陣痛が来たのは、ちょうど日曜日の17時過ぎ。夫と子どもたちと一緒に病院へ行きました。「もうすぐ会えるね。一緒に頑張ろうね。翼くんも一緒に頑張ろうね」。おなかの赤ちゃんに話しかけ、いざ分娩台へ。初めて里帰りをしない中での出産で、初めての病院というのもあってドキドキしていました。 分娩台にあがって、「ふぅ」と息を吐き、上を見つめました。するとそこには、天井一面、空の壁紙だったのです。「あ、翼くんがいる」。そう思いました。「翼くん、見てくれているんだね。ありがとう。一緒に頑張ろうね。生まれてきてね」。心で語りかけながら、おなかをさすりながら、無事に女の子を出産。そして、私の中で翼くんも一緒に出産しました。 とてもとてもかわいい女の子。夫も子どもたちも立ち会って喜んでくれ、とても幸せなお産でした。三女を妊娠中、夢を見たこと。それが双子を出産する夢だったこと。そして、分娩室の天井が空の壁紙だったこと。すべてきっと偶然なんだろうけど、私にとって幸せに包まれた偶然でした。 現在、三女はもうすぐ4歳。そして、四女も生まれました。4姉妹のわが家。喧嘩も絶えない毎日ですが、賑やかな日々です。きっとお空で、わが家の黒一点、翼くんが笑って見てくれているのかな、と思っています。この話は、誰にもしたことがない私だけの話。いつか子どもたちが大きくなったら、家族で青空を見ながら話せたらいいなと思います。 ただの偶然が重なったことに、意味はないのかもしれません。ただの「変な話」かもしれません。でも、私の中で「翼くんを出産できた」と思えたことは、とても幸せな瞬間でした。「妊娠、出産は当たり前ではない。目の前にある幸せを見つけて大切にする」。……そんなことを息子から教わった気がします。 監修/助産師 松田玲子著者:マチコ9歳、7歳、3歳、1歳の4人の母。今年の目標は、「眉間の皺をのばすこと」。子育てに悩みながら泣きながら、9年目に突入。文章を書くことが大好きで、エッセーやコラムを書くことが夢。
2024年01月02日妊娠がわかり、私は妊娠・出産期について書かれた資料を読むようになりました。夫はその横でゲームやYouTube三昧。あまりに腹がたったので、あるものを突きつけました。すると少し変化がみられ……。 妊娠がわかっても変わらない夫妊娠がわかり、保健所で子育てに必要な情報が載っている冊子をもらいました。かなり沢山ありましたが、大事なことなのですべてに目を通すことに。私が読んだ後、夫にも読むように伝えました。 ですが、一向に読む気配がなく暇さえあればゲームとYouTube三昧。読んでほしいと伝えても、「わかったー」と言うだけで読まず……。そのくせ、「どんな制度があるの?」「親からこう聞いたけどどうなの?」「何歳からしゃべるの?」と質問責め。資料を見ることなく何でも質問してきます。 出産がどれだけ大変か理解しようとせず、最終的には「お金がかかる」と言ってくるだけ。あまりにも「お金」のことを言うので、私は怒りながら資料を渡して読む期限を決めました。ようやく目を通したようで、以前よりも無神経な発言は減りました。 ◇ ◇ ◇ 妊娠期の過ごし方や準備するものなど、夫婦で共有しておくと安心ですよね。お金についても出産育児一時金のほか、利用できる支援制度があったりするので知っておいて損はありません。出産するのは女性ですが、夫も自分ごととして捉えることで女性側の心の負担が少し軽くなるはず。新しい命に夫婦で向き合いたいですね。 作画/赤身まぐろ著者:吉田よしこ
2023年12月29日私は先日、娘を出産したばかり。育休を取るという夫の言葉を信じ、里帰り出産はしませんでした。しかし、夫は毎日のように出社しており……。生まれたばかりの娘はとてもかわいいですが、体調がまだ万全ではなく、寝不足も重なってフラフラです。しかも、わが家は予定外のワンオペ状態。1日も早く、夫の育休申請が通ることを願っているのですが……。 いつから取るの…?夫の育休私は夫が育休に入るのを、今か今かと待っていました。しかし育休どころか出張にまで行ってしまった夫。遠方でアクシデントがあり、夫しか対応できない案件なんだそう。 夫が家族のために仕事を頑張っていることは重々承知しています。ですが、いつから育休がとれるのかという話になったとき、夫は私に対してすこし辛抱が足りないのではと意見してきました。 一人で頑張っている母親はたくさんいるのだから、自分が甘え過ぎてることを自覚したほうがいいよ、と言われ……。そして今さらながら、実家に帰ることを提案してきたのです。頭にきましたが、自宅にいてもイライラするだけなのですぐに帰りました。真実を知った結果…夫を断捨離!?「出張から帰ってきたんだけど、家の荷物がないよ……?」「断捨離でもしたの?」「うん、あんたのことを捨てようと思って」 私が離婚を申し出ると、夫は「仕事で育児ができなかったくらいで離婚なんて!」 と言ってきました。私は事実を知ったのです。夫が出張ではなく、不倫旅行に行っていたことをーー。 じつは夫の出張中、彼の同僚にばったり道で会ったのです。夫の育休の様子を尋ねられ、初めてそこでおかしいなと思いました。夫を怪しんだ私は家に帰ってパソコンを開くと、旅行会社のサイトが出てきて……。メールを確認したところ、沖縄旅行のツアーに申し込んでいたことが発覚。 夫の会社に問い合わせると、私が退院したときから育休が始まっていたことがわかりました。後からわかったことですが、不倫は私の妊娠中から始まり、育休中は不倫相手の家に通っていたと言うのです。 私は体力もメンタルもボロボロになりながら育児をしており、そんななかで夫の不倫を知ることになりました。もう一度やり直すなんて、そう簡単ではありません。期間限定なら不倫もオッケー……なんてことはありませんから。 いい父親になると宣言する夫夫は反省して、これからは家庭第一でいい父親になると約束。戻ってきてほしいと頼み込んできました。しかし、私はすでにシングルマザーとして頑張る覚悟を決めていました。 なかなか復縁をあきらめない夫でしたが、両家の両親に説得され、やっと離婚届に判を押してくれました。支払うものはきちんと支払ってくれていますし、月1の面会では娘をとてもかわいがってくれます。もう二度と娘を裏切るようなことはしないと信じたいです。 ◇ ◇ ◇ 出産は体力を消耗しますし、産後は体力を回復するために休むことも必要。出産・産後の女性の体について男性も理解し、寄り添ってほしかったですが……。後悔先に立たず、といったことにならないよう気をつけたいですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年12月29日息子を出産したばかりの私。会社員の夫は激務で帰りは遅く、慣れない育児に翻弄されつつも、私はなんとかワンオペで息子の面倒を見ていました。しかし、そんなある日、突然義母から怒りの連絡が来たのです――。仕事が忙しすぎて、出産にも立ち会えなかった夫。その後も連日帰りが遅く、私が退院してからも日付が変わってから帰宅していました。 夫は激務私にとって初めての育児。事前に育児雑誌やネットで情報は集めていたものの、実践となるとうまくいかず……。夫の助けを借りられないこともあって、私は心身ともに疲れ果てていました。 そこで、私は実母よりも近くに住んでいる義母を頼ろうと決意。夫に「お義母さんにお手伝いしてもらえるよう頼んでもいい?」と聞いてみると、「母さんは多分無理だな」「おじさんが怪我したらしくて、しばらく親戚の家に行ってるんだよ」との返事が。 夫も私たちのことを気にしているようで、「来月になったら早く帰れるようになると思う」「シッターさんも検討してみて」と言ってくれました。しかし、その直後、夫は不思議な質問をしてきたのです。 「なぁ、生後1カ月くらいの子って1日に何回くらいお通じがあるものなんだ?」 いきなりの質問に私は戸惑いつつも、「うちの子は5~6回くらい」と答えました。夫によると、取引先の人にうちと同じ月齢の子がいて、便秘で悩んでいるそうです。私が助産師さんから聞いたことを伝えると、夫は「そうなんだ、良かった」となぜか安堵していました。 この子は誰!?1週間後――。 自宅で息子をあやしていると、突然義母から電話がかかってきました。しかも、とても怒っています……。 「新生児を置いて出ていくなんて母親失格よ!」「なんの話ですか?」「息子は私と一緒にいますよ」「じゃあうちにいる子供は…?」 激怒していた義母は、呆気に取られたようで、しばらく何も言いませんでした。タイミングが良いのか悪いのか、ちょうど息子が泣き出し、私と息子が一緒にいることは伝わったようです。 「あの……、お義母さん、大丈夫ですか?」「夫から親戚の方の看病に行っていると聞いてましたけど、介護でかなりお疲れなのではないでしょうか……」と私がおずおずと言うと、「親戚の看病?何のこと?私はずっと家にいるわよ」と義母はきょとん。 「1週間くらい前に息子から、あなたが急に家を出て行ったから孫を預かってほしいって言われたの」「それで、その子の面倒を今見てるんだけど……」と義母。しかし、うちの息子は私と片時も離れたことはありません。 「息子も毎日定時で仕事を終えて、まっすぐうちに来てくれてたけど、さすがに私だけじゃもう面倒見切れなくて……」と言う義母。夫は毎日残業していると言っていたのに……。 義母も私も、お互いへの連絡を夫に止められていたことが発覚。夫が黒幕なのは明らかです。「息子なら今日も夕方くらいにうちに来るって言ってたわ」と教えてくれた義母に、夫の足止めを頼み、私は息子を連れて義実家へ向かいました。 衝撃の子どもの正体翌日――。 私と義母に問い詰められて、夫は義母に預けていた子どもの正体を白状しました。その子は……、なんと夫と不倫相手の子どもだったのです。嫁と不倫相手を同時期に妊娠させるなんて……と私は呆れ、義母はまた激怒。 しかも、夫は不倫相手の子を「認知しない」と言い切ったようで、不倫相手も激怒していたそう。子どもを夫に押し付けて、どこかへ消えてしまったそうです。困り果てた夫は、その子どもを義母に預けることに。 義母の後押しもあり、私は離婚を夫に突き付けました。すると、夫は「離婚だけはしたくない!」「この子、息子と双子ってことにできないかな……」と言い出したのです。 「残業だから」と嘘をついて義母の家に行き、不倫相手の子どもの世話をしていた夫。息子のおむつ替えなんて一度もしたことなかったのに……。不倫していたことも身勝手てな嘘も許せませんでした。 その後――。 「離婚したくない」とごねていた夫。しかし、義母に一喝され、ようやく離婚届にサインしてくれました。私はシングルマザーになり、実家で両親のサポートを受けながら息子を育てています。私がたっぷり愛情を注いでいきたいと思っています。 一方、不倫相手の子どもは、義母から聞いた話によると、不倫相手が義実家に迎えに来たそうです。不倫相手もワンオペで限界を迎えていたようで、元夫に子どもを押し付けたことについて義母に泣いて謝っていたとのこと。憎みたい気持ちもありますが、同じような苦労をしてきた身としては憎み切れません。 不倫相手も実家に帰って、子どもを育てることにしたそうです。あの子には幸せに暮らしていってほしいと心から思います。子どもに罪はないのですから。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年12月29日ゆきえは男性が大きらい。しかしやさしい性格のようへいと結婚し、子どもを授かりました。ゆきえは「おなかの赤ちゃんは絶対に女の子」と、期待を膨らませて産婦人科に向かうのですが、男の子だと言われてしまいます。6カ月健診にて、性別が男の子だと知ります。信じたくないゆきえは、ようへいには内緒にすることに……。 いざ、出産のとき…! ようへいに嘘をついて「健診では女の子って言われた」と話すゆきえ。赤ちゃんの名前は、男の子でも女の子でも使える名前を考えることにしました。 そして「誰になんと言われようと、この子は女の子」と心の中で願うゆきえ。ベビーベッドの布団もピンク色を準備します。 そして出産のときがやってきました。生まれたわが子は、男の子。 ようへいが感動して涙を流す中、ゆきえも一緒に涙します。しかし、ゆきえの涙は「女の子を生めなかった後悔」の涙でした……。その日からゆきえは息子へ「女の子になぁれ」と唱えるようになるのでした。 無事に生まれてきた赤ちゃん。それだけで十分素敵なことなのに、ゆきえは性別に納得していません。 ゆきえがここまで女の子に執着するには、深い理由がありそうですね。いくら男性がきらいでもわが子なのですから、大切に育ててほしいものです。>>次の話 著者:マンガ家・イラストレーター 神谷もち
2023年12月26日もともと仕事が生きがいだった私。しかし、妊娠を機に夫と話し合い、しばらくは家と子どものことに集中するため、退職することに。「両親が仕事に追われて子どもに構ってやれなかったらかわいそうだろう?」「一番かわいい時にそばにいてやれよ」という夫の言葉をうのみにしていました。けれども出産後、夫は私を「無職」と呼び始め、私や子どもに対してどんどん横暴になっていったのです……。無事に出産を終え、退院してようやくわが家に帰ってきた私と子ども。夫はまだ帰宅していないようです。 わが子に無関心な夫「帰ってきたよ~」とメッセージを送ると、「おかえり」「今日は遅くなるから先に寝てていいよ」とすぐに返事が来ました。「残業?お疲れ様」と労わると、「仕事じゃないよ」「知人の誕生日パーティーに来てるんだ」「結構な金持ちでさ、俺今タワマンの高層階にいる」と返信が。 え?普通、生まれたばかりのわが子にはすぐ会いたいものじゃないの……?と私はびっくり。私の入院中にも、なかなか顔を見せなかった夫。知人の誕生日ももちろん大切ではありますが、普通はわが子を優先するのではないでしょうか……。 「パーティーに来てる人は仕事関係の人も多いから、仕事の延長線ってこと」「子どもは毎日見れるし、今までも写真で見てたからいいよ」「無職のお前と違って俺は大変なの」と夫。 私だって、本当なら仕事を続けたかった……。しかし、夫に説得されて退職を決断したのです。まだ小さなわが子を抱きしめながら、私はぐっとくちびるを噛み締めました。 離婚届4カ月後――。 あれからも毎日のように遊び歩いている夫。泥酔して朝方に帰ってくることもしばしばありました。ワンオペに限界を感じた私が協力を仰ぐと、「なんで俺が家事なんかしなきゃいけないんだよ」とバッサリ。 夫はお酒を飲むと気が大きくなるようで、私たちに対しても粗暴な発言を繰り返すのでした。しかも、タチの悪いことに、一切覚えていないのです。いつ警察のお世話になるかわからない夫。私は常にひやひやしていました。 「俺は家事とか育児とかできねーからお前を専業にしてやったんだろうが」「黙って家事と育児に集中しろよ、この無職が!」 最近では素面でも暴言を吐くようになった夫。子どものことを「ガキ」と呼び、私を「無職」「主婦失格」となじります。そのうえ、私が何か反論すると、「養ってやってる俺に盾突くな!」「これ以上偉そうな発言したら離婚するぞ!」と離婚を持ち出して脅すようになったのです。 離婚ならもう…1週間後――。 「無職のごく潰しが家事もしないでどこ行ってる?」「舐めた態度をとるなら離婚だ」「ガキと路頭に迷うか?w」「もう離婚してるよ」 私が子どもを連れて引っ越しを終えた日に限って、珍しく早く帰宅した元夫からメッセージが届きました。私たちは正式に離婚済み。夫はやはり、自分の言ったことを覚えていなかったようです。 家事と育児を押し付けられ、暴言を吐かれる毎日に耐えかねた私。夫が飲みに行く日を見計らって、両親と義両親を家に呼んだのです。 いつものように泥酔して帰宅した夫。両親と義両親には別の部屋に隠れて様子をうかがってもらいました。夫は「無職が旦那様に盾突くんじゃねぇ!」「こんな主婦失格の嫁とガキなんかいらねぇ!ドブに捨ててやる!」と言いたい放題。 さすがに私の両親も義両親も驚いたのか、部屋から飛び出してきました。しかし、「ガキがピーピーうるさくて眠れやしないんですよ」「無職のこいつらを俺が養ってやってるんですよ~」と、夫の暴言は止まりません。 夫が「俺の言うことを聞かないなら離婚するぞ!」と言い出したタイミングを見計らって、私は離婚届を夫の前に差し出しました。すると、夫は嬉々として離婚届にサイン。「せいせいした!」と言い、そのまま爆睡した夫を見て、義父は「お前が父親になるのは無理だったな……」とぽつりとこぼしていました。 元夫はこのことをまったく覚えていなかったそう。「無職のくせに!」「この離婚は無効だ!」などとわめいていましたが、先に離婚を切り出したのは元夫です。離婚届も受理されていますし、私と子どもが夫のもとに戻ることは金輪際ありません。 その後――。 両親や義両親のサポートのおかげで、子どもはすくすくと育っています。子どもを「ガキ」としか呼ばない夫と引き離せて本当に良かった、と心から思っています。 私は元の職場と話し合い、復職しました。子どもは保育園に預けています。ブランクのせいで、まだ仕事の勘を取り戻せてはいませんが、専業主婦だった時よりもストレスは少なく、むしろ生きがいだった仕事に再び就けたことで前向きに過ごせています。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年12月26日穏やかな妊娠期をイメージしていた、アラサーのみかんさんによる妊娠記録です。事前に提出していたバースプランで、出産時は夫に電話したいと書いていたみかんさん。分娩台に上がったところで夫にLINEで何度も連絡しますが、いっこうに繋がらないことからメッセージだけ送りました。夫よりも頼もしい助産師さんに感動を覚えながら、指示の通りにいきみます。破水してから約5時間、無事2,936gの元気な男の子を出産したのでした。赤ちゃんが無事生まれたことはうれしいものの、全身全霊で挑んだ出産に息も絶え絶えのみかんさん。元気な赤ちゃんの産声が聞こえて……? 赤ちゃんとの初対面はこんな感じなのね 赤ちゃんの元気な泣き声に、ひとり分娩台の上でよかったと安心するみかんさん。生後すぐの処置を終えた赤ちゃんを手渡され、「お母さん」と呼ばれたことに感動するものの、号泣して感動するというよりは無事に出産が終わった安堵のほうが大きく、冷静になっている自分に笑ってしまいました。 産後の処置の中、夫へメッセージを送りっぱなしだったことを思い出したみかんさんは、慌ててスマホを確認。院内は電波が弱かったからか、夫からかかってきた電話の通知が今になって届いたのでした。そして、夫と家族へ無事に赤ちゃんが生まれたことを報告。これから始まる赤ちゃんとの生活、大変なことや不安なことはあるだろうけれど、この日のことを一生忘れないだろうと心に刻んだみかんさんでした。 希望のバースプランを提出していても、必ずしもその通りに行くとは限らないのが妊娠・出産です。最終的に母子ともに健康であれば、ひと安心ですよね。妊娠がわかった日から出産まで、涙あり笑いありの濃い日々を送ってきたみかんさん夫婦。これから始まる子育ても2人で楽しんでほしいですね。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター もちみかん
2023年12月24日ゆきさんは、2年間交際していたしょうたさんと結婚し、半年後に妊娠していることがわかり、その後出産しました。ある日ゆきさんは、仲良しの友人りかとまゆみと3人で久しぶりに会うことに。妊娠をしたというまゆみは、つわりもないと得意顔。しかし、ゆきさんの出産時のエピソード聞いたまゆみは機嫌を悪くし、「大袈裟」だと言い放ちます。その後、ゆきさんはまゆみから「相談がしたい」と大量の連絡が。ゆりちゃんのお昼寝中で電話に出られなかったゆきさんは、夜の寝かしつけを夫にお願いし、まゆみに電話することに……。 その相談、私じゃなくてもよくない…?まゆみからの大量のメッセージと電話に、私は困惑。それでも本当に何かあったのかもしれないと心配になった私は、まゆみと電話で話すことにし……。 つわりがないことや、体形が変わらないという悩みを自慢げに話してくる、まゆみ。病院では問題ないと言われているそうなので、ゆきさんは「考えすぎないほうがいい」と励ましました。 そして不安だと言っているまゆみの気持ちを和らげようと、次の妊婦健診まで待たずに病院で相談するようゆきさんはアドバイスをします。 ところがまゆみから「何それ? 説教?」と言われてしまうのでした。 まゆみの話は相談というより、「妊婦になっても変わらない私」を自慢したいように感じますね。アドバイスよりもただ話を聞いてほしかっただけなのかもしれませんが、まゆみから相談を持ち掛けてきたのですから、ゆきさんの励ましや助言を素直に受け入れても良いのではないでしょうか? ゆきさんも育児中という忙しい時期。まゆみさんには、友だちが自分のために時間を割いてくれたことに対して、もう少し感謝の気持ちを持ってほしいと思ってしまいますよね。>>次の話 著者:マンガ家・イラストレーター たに
2023年12月23日私と義母は、良い嫁姑関係を築けていると思っていました。しかし私が妊娠しにくい体であると知って、義母の私に対する態度が徐々に変わってきたのです。これまでおいしいと言って食べていた手料理も、不妊がわかって以来「しょっぱすぎるから子どもができないんだ」「食べてきたものが悪いせいで妊娠できない」と、ケチをつけるようになった義母。 その都度夫が注意してくれるので、その場では大人しくなるのですが、1日経てばすべて忘れてしまうようで、翌日には再び嫌なことを言います。気にしないようにはしていても、毎日聞かされていると心身ともに疲れてしまいます。孫を生めない嫁は台所で寝ろ!?関係性が崩れ始めている中、夫が数日間の出張に出かけることが決まりました。たった数日とはいえ気が重かった私。案の定、夫が出かけた途端、義母のいやがらせはエスカレートしていきました。 私が作った料理に文句を言うだけではあきたらず、口を開くと私への批判ばかり……。つには台所に私の布団を敷き「ここで寝ろ」と命令します。『孫がほしい』という義母の願いを叶えられない私は、これくらいの罰を受けて当然なのだそう。 あまりに悲しかったので、義母に言われたことを夫に報告すると、夫は落胆しながらも私に詫び、ビジネスホテルへの避難をすすめてくれました。義母にうんざりしていた私は夫の提案をありがたく受け取り、ビジネスホテルに行くことを決めました。 そうと決まれば荷造りをせねばなりません。しかし、踏み台に乗って寝室の棚を開けようとしたところ、踏み台が壊れて私は床に転倒。私は、足と腕をけがしてしまったのです。 骨折した私への命令私は救急車で運ばれ、足と腕の骨折を言い渡されました。図らずとも入院が決まり、義母と離れることができたのです。 しかし入院してから数時間後に義母から着信が……。骨折し入院している私に「夕飯はどうするんだ!」「骨折ぐらいで大袈裟だ!」「入院費がもったいない」と、ヒステリックにまくしたてます。 あまりにひどい言葉の数々、夫に報告せずにはいられません。私はスマホの録画ボタンを押し、義母の罵声を記録し始めたのです。 義母は「すぐに家に帰って家事をしろ」と怒鳴って電話を切りました。ここまで言われたら仕方がありません。私は、義母の言うとおり、家に帰ることにしました。 義母の命令に従って…しかし骨折している私の足では、その道のりはつらく厳しいもの。すんなり家に帰ることができません。病院から家まで、亀よりも遅い歩みで一歩一歩帰ることになります。 すると、近所の人が次々と家の外に出てきて、声をかけてくれました。中には車で送ると声をかけてくれた人もいましたが、私はその都度義母の暴言の録音を聞かせます。「義母に怒られるので歩いて帰ります」と告げて、長い道のりを歩きました。 義母の本性は瞬く間に近所の噂になって、広く知れ渡ることになりました。あまりのひどさに、義母が街を歩くと後ろ指をさされる始末。義母が必死で言い訳をしても誰も本気にしてくれませんでした。 孤独な老後出張から戻ってきた夫は、これ以上一緒には暮らせないと義母に告げ、私たちの同居生活は解消となりました。 その後、義母のストレスから解消された私はすんなり妊娠し、今ではかわいい息子と夫の3人で暮らしています。もちろん義母に会わせるつもりはありません! 嫁は孫を生んだり、義父母の面倒をみたりするためにいるわけではありません。仲良く過ごしていれば楽しい老後を過ごせたかもしれないのに、自分のエゴを押し付けたがために、孤独な老後になってしまいましたね。なんとも残念な話でした。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年12月23日明るく楽しい家庭を作りたいと思って結婚した私たち夫婦。出産や育児に必要なお金を貯めてから妊活を始めることにしていたので、今はまだ子どもはいません。そろそろ蓄えもできてきたので、考え始めてもいいかと思っていたのですが……。とある日曜日。突然義姉が訪ねてきました。義姉とは縁を切っていたのですが、たまたま街で私を見かけたようで、家がバレてしまったようです。義姉はお金にだらしくなく、今回もお金を借りにきたのでした。迷惑な義姉案の定、お金を貸してほしいという義姉。しかしわが家に貸せるお金はありません。もう私たちにかかわらないでほしいと夫が言って、そのときは帰っていったのですが、義姉とのトラブルはこれだけではありませんでした。 数日後、いつも穏やかな夫がひどく興奮しながら帰ってきました。一体何事かと思って事情を聞いてみると、義姉が子どもを連れて歩いているのを見かけたとのこと。その話には、私もビックリ! さすがに夫が実の姉を見間違えるとも思えません。 子どものパパは誰なのか、結婚しているのかなど、いろいろな疑問が頭をよぎり、いてもたってもいられません。 夫が電話で確認すると「そうなの! もうお金がかかってしょうがなくてさぁ~。うちの子が食べるのに困ってるから、お金ちょうだい!」と、義姉はあっさり子ども存在を認め、またしてもお金の無心をしたのでした。 赤ちゃんを置き去りに!?しかしそれとこれとは話が違います。お金の支援を断ると「それなら1週間うちの子預かってくれない? 元カレから、旅行に行こうって誘われてるの」と、頼んできたのです。 しかし軽はずみに引き受けることはできません。断ろうとしたのですが、途中で電話が切られてしまいました。 そして翌朝早くやってきた義姉は、私たち夫婦が制するのも無視し、子どもを置いて出かけていきました。今回子どもを預かってしまうと、義姉は今後もわが家を託児所代わりにするのが目に見えています。そこで私たち夫婦は考えました。 義姉が顔面蒼白になったワケ「旅行楽しかった~! 子ども預かってくれてありがとう」 1週間後、のんきに旅行を楽しんだ義姉が帰ってきました。しかし私は「ここにはいないけど……」と知らんぷり。子どもを勝手に置いていくような無責任な人は、許せません。 それを聞いた義姉は、真っ青な顔になり涙目になっていました。無理やり子どもを置いて出かけ、1週間何の連絡もよこさなかった義姉でも、子どもを心配して涙を流すのだと思った私。本当はもっと懲らしめてやりたかったのですが、早々に種明かしをすることにしました。 実は姉の子どもは、夫と一緒に義実家に泊まっていて、義父母に助けてもらいながら1週間を過ごしたのでした。義姉の身勝手な行動には、義両親も激怒しています。子どもを迎えに行ったら、義姉はこってり説教されるでしょう。 赤ちゃんを無理やり預けて出かけてしまうなんて……。これを機に心を入れ替えて、子育てをしてほしいですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年12月21日2人目の子を出産したときの話です。私はこれが最後の出産になるからと、バス・トイレ付きの個室がある産院を選びました。逆子が直らず予定帝王切開だったため、入院は1週間。赤ちゃんとの優雅な産院生活を送るつもりだったのですが……。2度目でも産後は大変…産後は赤ちゃんのケアに追われる毎日でした。帝王切開の痛みは徐々に軽くなるものの、ベッドから起き上がるのもひと苦労。 ほとんど人と会わない個室ということもあり、空き時間はシャワーもせずにただ横になっていました。 シャワーなしで1週間経過体を動かせるようになってからも、全然眠ってくれない赤ちゃんを夜通し抱っこする日が続き、常に寝不足状態。赤ちゃんが眠った隙を見て、私もばたっとベッドに倒れていました。 そんなふうに過ごしているうちに、結局1回もシャワーを浴びずに退院日を迎えたのです。バス・トイレ付きの部屋だったにもかかわらず! しかし、このことは誰に知られるわけでもありません。「もう帰るんだし、いっか」とのんきに構えていました。 退院前の内診で大慌て!退院当日は診察がありました。診察といっても切開した傷口を診られるだけかと思っていたら、大誤算。子宮の収縮度合いを確認する内診もあったのです。 「子宮もですか!?」。私はとっさに声が出ました。入院中1回もシャワーをせず、悪露まみれでひどい悪臭を放つアソコをお披露目しなくてはいけません。 慌てる私に看護師さんは心配そうな顔。私は平静を装って内診台に座り、もしかしたら運良く担当医師の鼻が詰まっているかもしれないという、少ない可能性を信じました。そして内診は問題なく終わり、医師と看護師さんに笑顔で見送られながら、私はそそくさと部屋に戻ったのです。 産後は体を動かすのが難しく、赤ちゃんのお世話をしながら隙を見て仮眠をとる生活。シャワーを浴びる気力が湧かないまま退院日を迎え、退院前検査で冷や汗をかいてしまいました。助産師さんいわく、産後に不衛生な状態が続くと創部や子宮内で感染の恐れがあるとのこと。助産師さんに相談すれば清拭などをしてくださるようです。今になってみれば、シャワーを浴びるのがしんどいということを助産師さんに伝えたらよかったなと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子イラスト/森田家著者:原 かすみ
2023年12月21日夫の転勤が決まったときの話です。私は大きなプロジェクトを任されたばかりで、マンションも購入したばかり……。夫婦で話し合い、夫には単身赴任をしてもらうことになりました。単身赴任を始めたころ、夫は毎週末帰ってきたのですが、だんだんと仕事が忙しくなったようで、休日出勤が増えるとともに帰宅する回数も減ってしまいました。寂しいのはもちろんですが、放っておくと外食しかしない夫が体を壊さないかと心配でたまりません……。怪しいと思ったきっかけ数カ月間赴任先から戻らなかった夫が、やっと帰宅することになった週末。私は夫の好物を買い込んで、手料理をたくさん作って待っていました。しかし待っても待っても帰ってきません。電話をしても留守電で、メッセージも既読にならず、私は不安で一睡もできませんでした。連絡がついたのは翌日の昼のこと。「今週も仕事になったから帰れない」と言われてしまったのです。 いくら忙しいと言っても、ちょっと連絡を入れるくらいはできるはず。夜中も電話が繋がらないなんて絶対に怪しいと思い、私は夫の赴任先へ向かうことにしました。 夫の赴任先に突撃すると…仕事中だと言っていたはずなのに、職場は真っ暗で人の気配はありません。私はその足で夫が住むマンションに向かいました。しかし駐車場に車はなく、夫も留守……。マンションの入り口を見張ることができる向かいのカフェに入り、帰りを待つことにしたのです。2時間ほど経ったころ、戻ってきた夫は、ふわふわとした雰囲気の若い女性を連れていました。私の勘はビンゴ! 夫は単身赴任先で不倫をしていたのです。 居ても立っても居られず、私は夫の部屋に乗り込みました。まさか私が訪ねてくるとは思わず、夫と不倫相手は激しく動揺していました。夫は「毎日ひとりぼっちで寂しくてつい……」と言い訳をしますが、それは私も同じです。 夫に反省させ、浮気相手に慰謝料を請求したら終わりだと思いきや、夫が信じられないことを言い出したのです。 衝撃の事実!「彼女妊娠してるんだ。お前みたいなきっちりした生活には疲れたから、離婚しよ!」 それを聞いて、私は頭の中が真っ白になりました。正直、浮気は疑っていたものの、ここまでの展開は予想していませんでした。その横でニコニコしている浮気相手を見て、私は腹を立てる気力も失い、離婚を承諾したのでした。 離婚してしばらくは落ち込んでいましたが、時間とともに傷も癒え、夫と不倫相手からもらった慰謝料で趣味に専念できたので、結果オーライだと思えるようになりました。 風の噂で聞いた話では、夫はその後再婚して、無事に子どもも産まれたようです。もう会うことはないと思っていたのですが……。 うまくいくと思ってた?1年ほど経ったある日、私の前に元夫が現れ「やっぱりやり直したい」と言い出します。しかし私たちはキレイサッパリ別れていて、相手には子どももいるはずです。今さらそんなことを言っても、無理に決まっています。 それでも元夫は、再婚したけどうまくいかないと泣きついてきました。 「誰と再婚してもうまくいかないだろう」という私の予想は的中! 夫の生活態度はあまりにだらしなく、その上ひどい浪費家なので、よほどの女性ではないと管理ができません。私だからどうにかなっていたものの、他の女性では即破滅するだろうと思っていました。 案の定、再婚した浮気相手は夫に似ていたようで、家の中はぐちゃぐちゃ。生活費を残すことなく子どもの洋服を買い漁ってしまうため、生活もままならないようでした。しかしそれは自分自身が選んだ道。しっかり向き合ってもらうしかありません。 一時の感情に流されてしまった元夫は、自分に合うタイプの女性が見極めきれず、大変な思いをすることになりました。しかし子どもには何の罪もありません。せめて不自由な思いをさせないように、生活を立て直してほしいですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年12月20日娘が生まれるまで、仲の良い夫婦だった私たち。しかし娘を出産してからは、夫は育児を一切せず、毎日飲み歩くようになっていました。私の両親はすでに他界しており、義両親は遠方に住んでいるので頼れる人はいません。ワンオペのつらさに「ちょっとは手伝って……」とお願いすると、夫は逆ギレ。私への暴言も次第にひどくなっていき、「養ってやってるのは俺だ」と言い出すようになって――?ワンオペ育児で疲弊した私が助けを求めても、「俺は忙しいんだよ。暇な専業主婦と一緒にしないでくれるか?」とそっけない返事しかしてくれない夫。こんな人じゃなかったはずなのに……。 暴君夫男孫を望んでいた義両親。しかし、生まれたのは女の子でした。それでも義両親は喜んでくれましたが、夫は「お前は俺の両親の期待を裏切った」と言って、私に当たり散らすようになったのです。 「こっちは仕事で疲れて家に帰ってきてんのに、リビングも寝室も汚いままだし」「この間なんて飯すら用意してなかったよな?」「毎日夜泣きもするし、今度から夜中は外で泣かせてくんないかな」 育児は2人で協力してやるものだと思っていた私。退院してから1カ月ですが、1日たりともまともに眠れておらず、体も心もいっぱいいっぱいでした。 「俺が養ってやってるんだから、お前は俺の言うことを黙って聞いてろよ」とまで言われ、言い返す気力もない私はただただわが子を腕に抱きながらくちびるを噛み締めるしかないのでした。 閉じ込められた…その後も夫の暴言は止まらず……。それどころか、次第にエスカレートしていきました。「凡ミスした。夜泣きで睡眠不足だからだ」「上司から注意された。わが家が汚くてストレスがたまってるからだ」と、会社で起きたことまで私と娘に責任転嫁するようになったのです。 そんなある日、夜泣きのひどい娘を抱いて、寝室から和室に移動した私。少しでも夫が眠れるように、そして私たちに八つ当たりしないように……。さすがに夜中に外に出るのは怖かったので、寝室から一番遠い和室に向かったのです。 娘を寝かしつけながら、一緒に眠ってしまった私。はっと気が付くと、朝日が昇っていました。夫の朝食を用意しようと、引き戸に手をかけたのですが……。 開かないのです。 つっかえ棒でもしてあるのでしょうか、全然開きません。私がガタガタやっていることに気付いたのか、和室の外から夫が声をかけてきました。 「真夜中も朝方もギャン泣きするし、おかげで全然眠れなかったわ」「しばらくそこで反省しておけ」「お前が『俺に逆らってごめんなさい』って言ったら出してやってもいいかな」「勝手に出たら離婚だからな!」 そのまま、夫は仕事に行ってしまったようです。こんなところに赤子と妻を閉じ込めるなんて……! スマホや娘のおむつやおしりふきは持ってきていたものの、ミルクはありません。私の両親はすでに亡くなっているし、義両親だってそう簡単に来れる距離ではありません。 すやすやと眠る娘を見ながら、必死で頭をしぼり……私は一か八かでとある人物に助けを求めることにしたのです。 助けて!数時間後――。 私のスマホに夫から電話がかかってきました。和室に閉じ込められて、途方に暮れる私を嘲笑いたかったのでしょう。 「お前は俺が養ってやってる寄生虫だろ?」「子どもに飯を食わせたいなら黙って言うことを聞け」「君はたいして稼いでもなにのに随分偉そうだな~」 娘にミルクをあげていた私に代わって、夫の電話に出たのは私の父の兄、つまり私の伯父でした。海外で暮らしている伯父は、年に数回日本に戻って来るのです。私の祖父の墓参りのために、毎年ちょうどこの時期には帰国するはず……と思って連絡したのですが、ビンゴでした。 隠しておいた合鍵の場所を教えて、伯父に和室から助け出してもらった私と娘。温和な伯父ですが、私たちの様子を見て怒り心頭でした。 「よくも僕のかわいい姪をあんなにボロボロにしてくれたね?」と穏やかな口調で言う伯父。「いや、これは俺だけが悪いんじゃなくって……」「専業主婦のくせに家事すらまともにしないんですよ!」「子どもの世話なんて片手間でできるのに、甘えてるんですよ!」と、まだ私のことを貶める夫。 夫がまったく育児に関わってこなかったことがわかったのでしょうか。伯父は大きくため息をついて言いました。 「そういえば、君のところの社長は元気か?大学時代の後輩なんだけど」 夫は、「いくら知り合いだからって簡単に会える人じゃないですよ!」「おじさん、無職なんでしょう?物価の安い海外にいるのは、日本じゃろくな生活ができないからだって聞いてますよ」と、伯父すらも嘲笑します。 「君の働いている会社の設立メンバーに、僕の名前があるはずだけど?」「僕ね、いくつか会社を経営してたんだけど、早期リタイアしたから今は無職で、海外の別荘でのんびり暮らしているだけだよ」「お金を持ってる自慢なんてしたら格好悪いじゃないか」「あ、今君のとこの社長から『会える』って返信が来たよ、君のことはよーく伝えておくからな」 伯父の正体を知って、「社長に俺のことは伝えないでください……!」「今回のことは謝りますから!」と半泣きで懇願する夫。しかし、伯父の怒りはおさまりません。 「家の中とはいえ、妻子を閉じ込めるなんて人間のやることじゃない」「今回のことは警察に被害届も出すつもりだ」 夫が「ごめんなさい」「許して」と涙ながらに叫んでいるのが聞こえます。娘にミルクを飲ませ終わった私に、伯父がスマホを返してきました。私の代わりに娘を抱き、げっぷさせようと背中をトントン。 「伯父さんからスマホ返してもらったよ」と電話越しに言うと、夫が「ごめん!仕事がうまくいかなくて八つ当たりしてただけなんだ!」と謝ってきました。しかし、それは私たちをこんな目にあわせていい理由にはなりません。 毎日眠れなくて、ずっと限界だった私。話し合いたいと言っても、冷たくあしらわれ、挙句の果てには「養ってる俺に逆らうな」と言われたのです。私が仕事をしておらず、両親もいないことから、逃げられないとわかっていて追い詰めてきたのでしょう。 「離婚してください」と言うと、「え?」と呆気にとられた様子の夫。「和室から勝手に出たら離婚するぞ、って言ったのはそっちでしょ?」「だからもう離婚でいいよ」と言うと、「いや、俺謝ってるんだけど……」「それに、本気で離婚したいわけじゃなくて……」ともごもご。 「脅しで言ったとしても最低だから、今すぐ離婚して」と重ねて言うと、「じゃあせめて社長に言うのと、被害届を出すのだけはやめてくれ!」とわが身かわいさを露呈した夫。どこまでも自分勝手な男です。こんな人と早々に離れられるのは、私にとっても、そして娘にとっても良かったのかもしれません。 その後――。 伯父は夫の会社の社長に事の顛末を伝え、私は警察に被害届を提出しました。話し合いの結果、被害届は取り下げたものの、会社からは自主退職を促された夫。すべてを失った夫との離婚は、案外スムーズでした。そして私は両親の遺産を使って、遠くに引っ越しました。 伯父はしばらく私たちと一緒に暮らしてくれましたが、離婚してから半年後くらいに海外へ帰ってしまいました。娘の成長を楽しみにしていて、「一緒に海外に住まないか」と最近では移住を勧めてきます。 今は慣れない育児にあっぷあっぷしているので、海外移住する余裕はないですが、もう少し娘が大きくなったらアリかなと思っています。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年12月18日ゆきさんは、2年間交際していたしょうたさんと結婚。半年後に妊娠していることがわかり、その後出産しました。ある日、仲良しの友人りかとまゆみに妊娠を報告したゆきさん。まゆみから出生前診断をしないのかと聞かれました。どうやらまゆみは、障害のある子どもを産むことは自分勝手で、子どもがかわいそうだと考えているようです……。ゆきさんはその日を境に、まゆみとは関わらないように。その後、ゆきさんは無事に女の子を出産。初めての育児に奮闘しながらも充実した毎日を過ごしていました。そんなある日、まゆみから「話したいことがあるから3人で会えない?」と言われ……? まゆみの報告って…?私は出産報告をした日からまゆみとは全然連絡をとっていませんでした。そんなまゆみから会えないか聞かれ、私は少し悩みますが……。 久しぶりにりか、まゆみと3人で集まったゆきさん。まゆみからの話は、なんと妊娠報告でした。 体調を気づかうゆきさんに「私つわり全然ないんだよね」とまゆみは自慢げに言います。さらにゆきさんがつわりで苦しんだのは「体調管理ができていなかったから」ではないかとまで。 その後、りかから出生前診断をするのか聞かれたまゆみさんは、「やんないけど?」と当然のように言うのでした。 つわりがないことを健康的な生活のおかげだとまゆみさんは言っていますが、医師によるとつわりの期間も人によって異なりますし、つわりが起きるはっきりとした原因はまだわかっていないのだそう。新しい命を授かったことはめでたいことですが、まゆみさんには他人と自分の妊娠を比べず、お互いを尊重しあうような心を持ってほしいですよね。 著者:マンガ家・イラストレーター たに
2023年12月16日結婚当初から「女の子を産んでちょうだい!」とせがんできた義母。しかし、私たちの1人目の子どもは男の子でした。納得がいかなかった義母は、2人目の妊娠がわかった途端、またもや義母は「女の子を産め」と、私にプレッシャーをかけてきました。さらに、今度は夫まで義母に加勢して――?2人目の妊娠を夫から聞いた義母は、私のもとへ突撃してきました。そして、開口一番「次の子は絶対に女の子じゃないと許さないからね」と言ったのです。 次は女の子じゃないと…早くに離婚した義母の子どもは息子、つまり私の夫のみ。しかし、義母は女の子を育てるのが夢だったと言います。ですが、私に押し付けられても困ってしまいます……。 「名前は何にしようかしら」「あ、男か女かわかったらすぐに報告しなさいね」と、どこまでも自分勝手な義母。子どもは授かりもの。私は性別に関係なく、子どもたちには平等に愛情を注いで育てるつもりでおり、とても困惑していました……。 2週間後――。 夫の付き添いのもと、産婦人科で健診を受けた私。エコー画面を見ながら、医師はこうつぶやきました。 「まだわからないけど、男の子かもしれないね」。するとそのとたん、夫が激怒。医師につかみかかって「どうして女じゃないんだ!どうにかしろ!」と怒鳴りつけたのです。 医師も私も呆然。怒りがおさまらない様子の夫は、私を置いて先に帰ってしまいました。夫は義母にも話したようで、義母からは「あれだけ女を産みなさいって言ったのに、本当に使えない嫁ね」とメッセージが来ていました。 「次は女の子がいいって、毎日お医者様にもお電話でお伝えしていたのよ?」「それにしても、また男なんて……。本当に産むつもり?」 義母は毎日私の通う産婦人科に電話していたそう。義母のあまりの執着に、私は気持ち悪くなってしまいました。 私が何も言い返せずにいると、「あんたみたいな嫁、もらうんじゃなかったわ」「女を産めないなら、こっちにも考えがありますからね」と、義母は何やら企んでいる様子でした。 義母の信じられない企み 2日後――。 実家の母から「あなたの私物が突然送られてきたけど……。何かあったの?」とメッセージが届きました。すぐに母に電話をして確認すると、引っ越し業者が実家に来て、段ボール10箱くらいを置いて行ったそう。私の仕事中に、義母が勝手に私の私物を実家に送ったのです。 仕事から帰ると、ニヤニヤしながら義母が待ち受けていました。「荷物はちゃんとご実家に届いたかしら?」「離婚届はちゃちゃっとサインして、明日出しに行ってちょうだいね」「ちゃんと息子も納得してるわよ?」と言われて、私はびっくり。義母の言う通り、離婚届には夫の筆跡でサインが……。 何も話し合わずに離婚なんて……と思いましたが、今の義母や夫に何を言っても聞いてはくれないでしょう。義母はともかく、最近は夫まで幼い息子に対して冷たい態度を取っていたのです。 このままでは息子とおなかの子のためにならない……。そう思った私は、義母の指示通り、翌朝市役所に離婚届を提出し、その足で息子を連れて実家へ帰りました。 先に捨てたのはそっち月日は流れ、3年後――。 実家に戻った私と息子は穏やかに暮らしていました。家を追い出された時におなかにいた子どもも無事に産まれ、すくすく育っています。 そんなある日、私の母のもとに義母から「元嫁にどうしても伝えたいことがある」と連絡が入ったのです。私はすでに義母の連絡先をブロックしていたので、義母は仕方なく私の母に電話したようです。 母によると、義母は相変わらず自分勝手な物言いをしていたようですが、3年前より勢いは衰えていたそう。元夫が再婚し、その相手がなかなかくせ者で参っているとのことでした。 「一番信じられないのがその子、子どもは作らないって言うのよ!」「私ももう10年もすれば介護が必要になるし、今の嫁がしてくれるとは思えないから、そちらの娘さんに帰ってきてもらいたいのよ」「この際、男孫でもうちで育てることを許可してあげるから、それでどう?」 私に聞くまでもなく、母は「NO」とバッサリ。すると義母は、「娘が娘なら親も親ね」「こっちが下手に出てるからって調子に乗って……」と母にも暴言を吐いてきたそうです。 「男しか産めない無能女はいらないワ(笑)」「名前はリナちゃんになりました♪」「は?」 実は、私が実家に戻ってから産んだのは女の子。うちの両親も息子も大喜びで、かわるがわる世話を焼いています。ずっと女孫が欲しかった義母は、あ然とし一瞬言葉を失ったようです。 その後、「私だけでもあなたたちの家族に加えてくれないかしら?」「その女の子は私の孫でもあるんですから!」「自分たちだけで女孫を独り占めしないでちょうだい!」ととんでもないことを言い出した義母。 しかし、母は「先に孫を捨てたのはあなたです」と淡々と返したそう。その後も義母は電話口でひたすらわめいていたようです……。 その後――。 義母は、私となんとか連絡を取ろうとしていたようですが、すべて母がブロック。私と息子、娘は平和で穏やかな日々を送っています。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年12月14日この記事では、2023年11月に妊娠・出産を発表した芸能人や有名人をご紹介! 妊娠・出産時期が自分と近い芸能人や有名人には、なんとなく親近感がわくものですよね。鈴木ちなみさん、ギャル曽根さんなど、多方面でご活躍中の方々からおめでたいニュースが届きました。俳優・タレントなど、7名の出産のニュースをお届けします。 出産発表鈴木ちなみ(34歳)モデル・タレント 妊娠発表:2023年9月8日(2人目) 出産発表:2023年11月3日 ブログ・SNS:Instagram(@chinami_suzuki0926)May J.(35歳)歌手 ※夫は尚玄(45歳)俳優 妊娠発表:2023年5月12日(1人目) 出産日:2023年11月16日 ブログ・SNS:公式サイト植村花菜(40歳)シンガー・ソングライター ※夫は清水勇博(40歳)ミュージシャン 妊娠発表:2023年6月16日(2人目) 出産日:2023年11月17日 ブログ・SNS:「愛があればそれでいいのだ」ギャル曽根(38歳)タレント 妊娠発表:2023年11月9日(3人目) 出産日:2023年11月18日(女児) ブログ・SNS:「ごはんは残さず食べましょう」北林明日香(44歳)俳優・ダンサー 出産日:2023年11月21日(1人目・男児) ブログ・SNS:Instagram(@asuka_kitabayashi)パパになった芸能人・有名人金子ノブアキ(42歳)俳優・ロックバンド・RIZEのメンバー 出産発表:2023年11月6日(2人目)福井俊太郎(43歳)お笑いトリオ・GAG 出産日:2023年11月9日(1人目・男児) ブログ・SNS:X(@shuntarofukui)気になる芸能人や有名人はリストの中にいましたか? 同じくらいの妊娠週数だったり、わが子と近い月齢の赤ちゃんが登場したりする芸能人のブログには、マタニティライフや子育てのヒントがあるかもしれません。家事や子育ての息抜きにチェックしてみてはいかがでしょうか。
2023年12月10日この記事では、2023年11月に妊娠を発表した芸能人や有名人をご紹介! 妊娠・出産時期が自分と近い芸能人や有名人には、なんとなく親近感がわくものですよね。ギャル曽根さん、石出奈々子さんなど、多方面でご活躍中の方々からおめでたいニュースが届きました。俳優、タレントなど、8名の妊娠のニュースをお届けします。 妊娠発表木村ミサ(32歳)モデル・アイドルプロデューサー 妊娠発表:2023年11月1日(1人目) ブログ・SNS:Instagram(@misaxmas)竹内 渉(37歳)タレント ※夫は白洲 迅(31歳)俳優 妊娠発表:2023年11月2日(1人目) ブログ・SNS:Instagram(@ayumu_takeuchi)ギャル曽根(38歳)タレント 妊娠発表:2023年11月9日(3人目)多岐川華子(35歳)俳優 妊娠発表:2023年11月20日(1人目) ブログ・SNS:Instagram(@hanako__official)岡副麻希(31歳)フリーアナウンサー ※夫は蒲生尚弥(34歳)レーシングドライバー 妊娠発表:2023年11月21日(1人目) ブログ・SNS:Instagram(@maki_okazoe_official)有村智恵(36歳)プロゴルファー 妊娠発表:2023年11月22日(1人目) ブログ・SNS:Instagram(@chiearimura)鈴木サチ(44歳)モデル 妊娠発表:2023年11月28日(5人目) ブログ・SNS:Instagram(@sachi_suzuki)石出奈々子(39歳)お笑い芸人 ※夫は望月隆寛(35歳)お笑いコンビ・ダニエルズ 妊娠発表:2023年11月28日(1人目) 出産予定:3月ごろ ブログ・SNS:Instagram(@ishide_nanako)気になる芸能人や有名人はリストの中にいましたか? 同じくらいの妊娠週数だったり、わが子と近い月齢の赤ちゃんが登場したりする芸能人のブログには、マタニティライフや子育てのヒントがあるかもしれません。家事や子育ての息抜きにチェックしてみてはいかがでしょうか。
2023年12月09日里帰り出産の前に健診へ行くと、逆子であることが判明しました。帝王切開に恐怖感があったものの、医師からの説明を受けて帝王切開を決断! 出産前の医師の説明や入院当日、出産、産後までリアルなレポートをお届けします。手術台の上では間髪入れずに準備が進み、恐怖を感じる間もなく痛み止めや麻酔を打っていきます。麻酔は想像よりも痛みはなく、下半身がビリビリするような不思議な感覚に。 麻酔が効いているか、氷で確認されますが、へその左上に冷たい感覚が残っているのです……。「麻酔が効かなかったらどうしよう!?」と焦る雛田さん。助産師さんたちに「ここは冷たい?」と聞かれ、「冷たいです……」というやりとりを3回ほど繰り返し、やっと麻酔が効きました。 ついに、手術が始まり……。 「おなか切られてる?」初めての帝王切開 早速手術が始まりますが、麻酔がしっかり効いているため、いつおなかを切られたのかもわかりません。また、局所麻酔なので意識はあり、液体を吸っているような音や医師たちの会話は聞こえてきます。 様子が気になる雛田さんに、助産師さんが「すごい目を見開いてるよ!」と話しかけてくれました。緊張している雛田さんは、できれば声をかけてほしいと思ったのでした。 手術が決まってから、ドキドキしていた雛田さんですが、ついに帝王切開の日を迎えました。下半身の感覚がないのに、意識があるというのは、不思議な感覚かもしれませんね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修者:医師 神奈川県立こども医療センター 産婦人科 松井 潔 先生 著者:マンガ家・イラストレーター ひぃちゃん
2023年12月08日私は29歳の兼業主婦。社内恋愛で結ばれた8歳年上の夫は、結婚後すぐに転勤が決まりました。突然言い渡された転勤。数年はないという話だったので、ビックリです。私は「一緒に行く」と提案したけれど、週末は帰ろうと思っていることや、私が今の職場に慣れてきたばかりだということを理由に断られてしまいました。 新婚だというのに、夫には心配や寂しさのような気持ちはないのでしょうか……。 ひょっとして…女がいる?!あまりにドライな夫の態度が腑に落ちず、親友に相談すると「転勤自体が夫の希望なんじゃないか」「単身赴任先に女がいるのかも?」と、思ってもみなかったことを言われます。そんなことを言われると不安な気持ちが消えません……。 そんな中、ついに単身赴任生活がスタート。いざ離れて暮らしてみると、どことなくおかしい夫の行動が目につくようになりました。 週末に帰ってきたのは最初の1度だけ。電話をかけても、なんだか面倒くさそうです。仕事が忙しいというので「私が家事をしに行こうか?」と思い切って提案してみましたが、来なくていいの一点張り。信じようと思っていたのに、こんな態度を取られてしまうと、嫌でも疑ってしまいます。 結局、帰宅するのは3カ月に1回程度。連絡も週に1度きりで、こちらからの連絡も一切無視するので、「これは限りなくクロかもしれない」と覚悟を決めました。 突然やってきた彼女…あるとき、珍しく夫から「週末に帰宅する予定だ」と連絡がありました。でも、いつもとはなんだか様子が違い「話したいことがある」と言います。そして、週末になり予告どおり夫が帰宅。若い女性と一緒です。突然の登場に言葉を失っていると、夫がさらに衝撃の発言をします。 「俺、彼女と本気で付き合ってて結婚を考えてるんだ」「でさ、彼女が妊娠したんだ。だから、離婚してくれ」 夫は単身赴任先で不倫をしていただけではなく、相手を妊娠させたようです。 油断していた夫、形勢逆転!離婚届にサインをしろという夫。強気な態度が鼻につきます。おそらく夫は、新婚でまだ猫を被っているおとなしい私の姿を信じていて、完全に油断していたようです。実は私、探偵に依頼し、不倫をしないか探っていたのでした。 証拠が揃っているので慰謝料を請求してから離婚すると告げると、一瞬で手のひらを返した夫。「やり直したい」なんて信じられるわけがありません。そんなのもちろんお断り! 無事に夫と彼女から慰謝料をもらい、私の1年足らずの結婚生活は幕を閉じました。 妻を単身赴任先に頑なに近づけなかった夫。ひとりになって羽を伸ばしすぎたのか、はたまた最初から相手がいたのか、今となってはわかりません。 たとえ単身赴任がなかったとしても結局幸せにはなれなかったはずです。何事も引き際が肝心! 今ではこれでよかったと思っています。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年12月07日里帰り出産の前に健診へ行くと、逆子であることが判明しました。帝王切開に恐怖感があったものの、医師からの説明を受けて帝王切開を決断! 出産前の医師の説明や入院当日、出産、産後までリアルなレポートをお届けします。帝王切開が決まってからの数週間は「おなかを切られるのが怖い」と思っていましたが、当日は恐怖心を感じることもなくあっという間に予定時刻に。 手術室まで歩いて行くことに驚きつつ、ついにベッドに横になります。「手術着はいつ脱ぐの? 下半身の毛は剃らないの?」など疑問が頭によぎっているうちに、サッと手術着が取り除かれハダカに! 「配慮がすごい!」と感動し、いよいよ麻酔を打たれ……。 「イヤ~な感覚!」麻酔が効かない!? ※体制(誤)→体勢(正)※感染症予防のため術前に抗菌薬を1回投与することがあります。 手術台の上では間髪入れずに準備が進み、恐怖を感じる間もなく痛み止めや麻酔を打っていきます。麻酔は想像よりも痛みはなく、下半身がビリビリするような不思議な感覚に。 麻酔が効いているか、氷で確認されますが、おへその左上に冷たい感覚が残っているのです……。「麻酔が効かなかったらどうしよう!?」と焦る雛田さん。助産師さんたちに「ここは冷たい?」と聞かれ、「冷たいです……」というやりとりを3回ほど繰り返し、やっと麻酔が効きました。 SNSを始め、ネット上に転がっている体験談を読むと、いろいろな不安に襲われてしまうかもしれません。痛みの感じ方や麻酔の効き具合などは、人それぞれなので、雛田さんのように「意外と平気だった」という方もいます。恐怖心でパニックに陥りそうなときこそ、一度冷静になりたいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修者:医師 神奈川県立こども医療センター 産婦人科 松井 潔 先生 著者:マンガ家・イラストレーター ひぃちゃん
2023年12月07日私は4回出産を経験しましたが、妊娠中や産後に身内に不幸があり、葬儀がおこなわれることがありました。まさかの出産予定日直前に夫の祖母が亡くなり、臨月の状態で葬儀への参列をどうするべきか悩んだことも。また、次男が生後2カ月のときには義父が他界。小さい子どもを連れて葬儀に参列することになったのですが……。ここでは、妊娠中や産後に葬儀があった際、私がどのように対応したのかをお話しします。まさかの出産予定日に葬儀が……私は長女の出産予定日1週間前に、2歳の長男を連れて実家に帰っていました。すると、実家に帰って2日後に夫の祖母が危篤という連絡がありました。今動くべきか悩みましたが、夫はもちろん、私まで本当にかわいがってもらっていたので、どうしても会いたくて病院へ行くことに。その後、義祖母は息を引き取り、まさかの出産予定日に葬儀が執りおこなわれることが決まりました。 義両親や親戚も、私が臨月ということは知っていたので、無理に参列しなくてもいいと言っていただきました。ただ、本当にお世話になった義祖母と最後のあいさつがしたいという気持ちがあり、夫や母と相談することに。 お通夜だけ参列することに夫は義祖母にとっては初孫で長男ということもあり、本当にかわいがられていました。その義祖母をきちんとお見送りしたい気持ちと、私に何かあったらすぐに動かないといけないことから、臨月の私には安静にしておいてほしいと夫から言われました。 けれど、私も最後に会いたいと言うと、お通夜だけということで話がまとまったのです。おなかの大きい私はなんとか入るサイズの黒い服を探し出し、長男を連れて、母と一緒にお通夜へ。ただ、本当に義祖母にあいさつだけをして、短い時間で帰ることにしました。 出産予定日より1週間遅れて出産結局、出産予定日当日に陣痛は来ず。その後、祖母の初七日が終わった1週間後に陣痛が来ました。長男は夫の実家にあずけ、長女を出産。義祖母のことが一段落するタイミングだったので、夫も無事出産に立ち会うことができました。あのとき無理に動いてお葬式まで参列していたら周りに迷惑をかけていたかもしれないと思うと、あの判断は間違っていなかったと思います。 それから時が経ち、次男を授かり出産。次男が生後2カ月のときに義父が亡くなり、葬儀がありました。私はもう動ける状態だったので、長男の妻としてバタバタしながら、次男への授乳やお世話をして本当に大変でした。 妊娠中や、小さい子どもを連れての葬儀は本当に大変です。特に妊娠中となると、地域によっては風習があり、生まれてくる子どもに影響があるかもと心配されることもあります。私の場合は運良く4回とも家で陣痛が始まりましたが、急な葬儀の対応なども含め、妊娠中は自分の体調を考え、ベストな状態を整えておくことが大事だと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:松田みさと長男と次男が15歳差の2男2女の母。仕事をしながら子育てに奮闘中。現在はライターとして、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2023年12月07日里帰り出産の前に健診へ行くと、逆子であることが判明しました。帝王切開に恐怖感があったものの、医師からの説明を受けて帝王切開を決断! 出産前の医師の説明や入院当日、出産、産後までリアルなレポートをお届けします。助産師さんがまさかの知り合いで、少しだけ緊張がほぐれた雛田さん。 術後に備え、ベッドの周りを整理整頓し、ついに手術着にお着換え。11時を過ぎたころにエコー検査をして点滴を打ちます。 あと2時間後におなかの子に対面できると思うと、待ち遠しい気持ちでいっぱいになりました。手術を待っていると、雛田さんの両親がやってきて……。 「そんなに緊張しなくても…」妊婦より心配そうなのは? 手術室に移動する前に10分ほど両親と対面すると、雛田さんよりも父親のほうが緊張した様子。 帝王切開が決まってからの数週間は「おなかを切られるのが怖い」と思っていましたが、当日は恐怖心を感じることもなくあっという間に予定時刻に。 手術室まで歩いて行くことに驚きつつ、ついにベッドに横になります。「手術着はいつ脱ぐの? 下半身の毛は剃らないの?」など疑問が頭によぎっているうちに、サッと手術着が取り除かれハダカに! 「配慮がすごい!」と感動し、いよいよ手術がスタートするのでした。 出産前に家族の顔を見るとホッとしますよね。家族の温かいサポートはママの力になります。もうすぐ赤ちゃんに会えると思うと、とってもワクワクしますね。雛田さんと赤ちゃんの無事を祈るばかりです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:マンガ家・イラストレーター ひぃちゃん
2023年12月06日私が34歳のときのお話です。あれ? 生理が2カ月くらい遅れてる? 前よりも太った? お酒が大好きだったのに自然と受け付けない……と思いつつ、現実を受け止められなかった私は見て見ぬふりを。しかし、当時の部下から「絶対妊娠しているから、早く検査したほうがいい」と言われ、妊娠検査薬を購入し検査したところ陽性。父親は、交際途中からストーカーのようになり、1カ月前に別れた男性であることはわかっていました。 妊娠判明から、人生で一番悩んだ日々元カレには一度暴力を振るわれたこともあり、妊娠の事実は絶対に伝えないと心に誓いました。同居する母にも言えず、ひとりで育てられるかという不安はもちろん、もう1つ心配事があり、かかりつけの婦人科医へ相談したかったのですが休診日。 仕事も忙しい時期だったため、初診時はすでに妊娠12週4日でした。かかりつけではない産科を受診し、「最短の中絶の手術予約日にはすでに妊娠4カ月になってしまうため、こちらではできない」と言われ、以前子宮内膜症の手術をした大学病院への紹介状をもらいました。 しかし、大学病院に行くと「この週数での中絶はおこなっていない」と言われ、今度こそかかりつけの婦人科医へ。 実際にエコーを見て「絶対に産みたい!」私は妊娠前からうつ病と診断されており、薬を飲みながら治療を続けていたため、妊娠・出産に対してメンタル面での不安もありました。しかし、一番の気がかりは、胎児の奇形リスクが高いと言われているてんかんの薬を、妊娠初期も知らずに服用していたこと。 医師は「この薬を飲みながらでも、元気な赤ちゃんを産んだ人をたくさん見てきた」と出産を後押し。また、前回初めておなかの赤ちゃんのエコー写真を見て、私の体の中にはもう1つの命があると実感していたこともあり、「やっぱり私、この子を産みたい!」という気持ちが芽生え、出産に踏み切りました。 母からの条件「羊水検査 異常なし」妊娠4カ月に入ったころに、妊娠検査薬で陽性になり産婦人科へ行ったこと、そして、出産したいと思っているとを母に伝えると、もちろん猛反対。もし障害児だった場合、母も70歳近くのため、いつまで手伝えるかわからないと言われ、羊水検査をして異常がないことを条件にされました。※羊水検査ですべての先天性疾患を診断できるわけではありません。 妊娠5カ月ごろに羊水検査を受け、結果は異常なし。そして、検査結果により男児だと判明! 子宮内膜症の手術歴があり、妊娠38週3日で予定帝王切開と決まったので、妊娠34週まで仕事に通い、産休へ。出産すると決め、刻々と時期が近づいてくるとともに、母も協力的になってくれました。 出産前に35歳、ハイリスク出産へ子宮内膜症の手術歴があり、妊娠38週3日で予定帝王切開。ただですら、メンタル疾患、てんかん疑いのある私は、予定日の約1カ月半前に35歳になり、ハイリスク出産となりました。 出産は無事に終えたものの、生まれたあとが大変。昼夜問わず1~2時間で起きる赤ちゃん、そして母乳が出ず、育児用ミルクの飲みも悪くて赤ちゃんの体重が増えず、私の心と体は崩壊寸前でした。24時間以上不眠状態が続き、生後3日目の日、特別に産婦人科にメンタルの先生が往診。その夜は赤ちゃんを預けて、メンタルの薬でぐっすり眠りました。 私は20代後半で子宮内膜症の手術をして、妊娠しづらい体だと思い込んでいました。思いもよらない妊娠ではありましたが、子どもを産むことを選び、本当によかったと思っています。また、仕事復帰した今、私が残業で遅くなることも多く、子どもにはかわいそうな思いをさせることも多々ありますが、私のところにきてくれてありがとうという気持ちでいっぱいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。 監修/助産師 松田玲子著者:おおこし 侑紀4歳のわんぱく男児を育てる未婚のシングルマザー。調剤薬局にて薬剤師歴15年以上。医療編集プロダクションにも属し、主に医療系記事の執筆をおこなうライターとして活動中。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2023年12月06日もともと私より収入が低いことを気にしていた夫。妊娠を機に私が仕事を辞めると、突然夫の態度が豹変して……!?私も夫の稼ぎだけに頼るのは不安だったので、子どもを産んだ後も仕事を続ける予定でした。しかし、夫の説得により、妊娠・出産後は専業主婦になることをしぶしぶながらも受け入れました。 そしてついに退職届を出した日、なんだか夫の様子がいつもと違ったのです――。 夫への違和感仕事に未練を残しながらも、専業主婦になることを決めた私。退職届を出して家に帰ると、夫から「お疲れ様」とメッセージが届きました。 「私、本当に仕事を辞めてよかったのかな……」とぽつりとつぶやくと、「俺の収入だけで問題ないって結論になったろ?」「生まれた子どもの世話だってあるんだ」「退職届を出したんだからもう諦めてくれ」と夫。 私だって、夫を困らせたかったわけではないのです。ついこぼしてしまった言葉に対して、そこまで言わなくても……と思ってしまった私。なんだか夫から威圧されているような感じすら受けました。 妊娠で気持ちが不安定になりやすいのだろうと思った私は、「もうこの話は終わりね。私も気持ちを切り替えるわ!」と仕事の話題を打ち切ることに。夫も「俺もいろいろと手伝うから、身体を第一にしろよ」と私を気遣ってくれたので、私は子どもが生まれた後の暮らしに思いを馳せながら家事に勤しむことにしたのです。 しかし……。 豹変した夫2カ月後――。 私が退職してから、夫は豹変。毎日のように飲み歩き、来月出産予定の妊婦の私に車で迎えに来させるのです。なんだか夫のいいように使われているような気がして、私は愚痴をこぼすことが増えていました。 今夜もまた、日付が変わっても帰ってくる気配のない夫に「いつ帰ってくるの?」とだけメッセージを送りました。すると、「もうちょい後になるわ、それまで起きてて~」「妊婦でも車の運転くらいできるだろ、働いてないんだから迎えくらいきてくれよ」といつもと同じ返信が。 「最近ひどすぎない?私は別にあなたの召使じゃないんだよ?」と苦言を呈すと、夫は「当然だろ?お前は仕事をやめて俺に養われる立場になったんだから」「俺の方が立場が上なの」と返してきました。 私に仕事を辞めるよう、説得してきたのは夫の方。子育てや家事に専念するために仕事をやめたのであって、夫婦の立場は対等なままだと私は思っていますが、夫の考えは違ったようです。次の言葉には絶句してしまいました……。 「俺にたてついて困るのはお前の方だぞ?別に俺は生活費入れなくてもいいんだけど?」「女のくせに無駄に出世しやがって、俺より収入高かったからって偉そうにするな!だから仕事辞めさせたんだぞ」 私は一度も収入のことで夫を見下したことはないのですが、私が思っていた以上に夫は気にしていたようです。「本当だったらお前が気を利かせて自分で辞めるのが筋だったのに……」とまで言われて、私は怒るどころか呆れてしまいました。 「ちゃんと反省して、俺を迎えに来いよ」と相変わらずの調子の良い夫。これだけ言っておいて、まだ迎えに来いという神経がわかりません。「帰りはタクシーなりなんなりで勝手に帰って来てください」とだけ返すと、「迎えに来なかったら許さないからな!」と脅しはじめました。 しかし、妊婦は身体が第一。産まれてくる子どものためにも、私はスマホの電源を切って寝ることにしました。 翌日――。 結局遅くまで飲んで、タクシーすら捕まえられなかった夫は、ビジネスホテルに宿泊。今日はそこから出社したようです。 「お前のせいでこうなったんだぞ」「誰のおかげで飯食えてると思ってんの?」と、私のスマホには夫から暴言メッセージが続々と届いていました。 「私は収入とか立場とか気にしてないから」と返すと、「お前がそういう態度なら俺にも考えがある」「お前とは離婚する」と離婚を持ち出してきた夫。昨日は酔った勢いであんなことを言っていたと思っていた私は、素面でもこの有様なのかと驚きました……。 「『調子乗ってすみませんでした』ってちゃんと謝ったら許してやるぞ?」「お前がちゃんと立場を理解するだけでいいんだぞ?本気で離婚になったら困るだろ?」とあくまで私に立場をわからせたい様子の夫。私はもう付き合いきれなくなりました……。 「いいよ、離婚してあげる」「これから離婚届もらってくるから、帰ったらサインしてね」と離婚に応じると、「……離婚して困るのはお前の方だぞ?」と勢いを失った夫。 「本当はあなたの方が離婚したくないんでしょ?いざ離婚ってなってビビってるの?」と煽ってみると、「そこまで言うなら離婚してやるよ!後から泣きついてきても許さないからな!?」と強がり始めました。 その日のうちに、私たちは離婚届にサイン。そして、私はサイン済みの離婚届を自分の手元に置いておいたのです。 私の選択は…1週間後――。 「おい、今日はちゃんと迎えに来いよ」と元夫からメッセージが。 「今実家だから無理」と返すと、「俺は実家に帰るとか聞いてないんだけど?」「俺のおかげで生きていけてるくせに、ナメてんの?」と相変わらず私に立場を弁えさせようとしてくる夫。 「もういいわ、離婚決定」「ん?1週間前にしてるけど?」「は?」 離婚届にサインした翌日、私は嬉々として役所にその離婚届を提出しました。それから1週間で自分の荷物をまとめ、ようやく実家に帰ってきたところなのに……。 「あの日は俺が許してやるって言っただろ!」「俺が許してやったんだから、離婚はなしだ!」と喚く元夫。しかし、元夫の許しがどうこう以前に、私自身、元夫のことが無理になっていました。だから、すぐさま離婚届を提出したのです。 「収入のないお前がどうやって子ども育てるんだよ!?」「シングルマザーってそんなに簡単なことじゃないんだぞ!?」となおも喚き散らす元夫。私はこの1週間の間に、元の職場に頼みこみ、出産後にまた働かせてもらう手はずを整えていました。実家に帰ってきたのは、私の両親に子育てを手伝ってもらうためです。 「生まれてくる子どもに、あなたの言いなりで過ごしている私を見せたくない」「この子にはあなたみたいになってほしくないの」と淡々と述べた私。すると元夫は、「あーあ、お前一人で育てたってろくな大人にならない」と言ってきたのです。 その言葉で、この人と離婚できてよかったとあらためて思いました。自分の子どもに対して、平気で「ろくな大人にならない」などと言える元夫のそばで、この子を育てたくない。私の選択は間違っていなかったのです。 その後――。 私は無事に女の子を出産。今は実家で娘の世話をしながら、職場復帰に向けて体力と知識を蓄えています。これから先、この子が大きくなるにつれていろいろなことがあるとは思いますが、元夫を反面教師に精一杯育てていきたいと思います。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年12月05日里帰り出産の前に健診へ行くと、逆子であることが判明しました。帝王切開に恐怖感があったものの、医師からの説明を受けて帝王切開を決断! 出産前の医師の説明や入院当日、出産、産後までリアルなレポートをお届けします。「体は元気なのに、入院してるなんて不思議な気分」と思うほど、体調に問題はありません。暇ではあるのものの、検査や巡回で看護師さんや助産師さんが来るため、落ち着きません。 「おなかを切るのが怖い!」という思いと「明日の今頃には子どもが生まれているのか」とワクワクした気持ちが交互に押し寄せてくるのでした。 出産当日、朝の巡回に助産師さんがやってきました。すると、「あゆこ先輩!?」と声をかけられ……。 「先輩!?」声をかけてきたのは? ※トランスデューサーについて実際は直接肌にトランスデューサーを装着する。(服の上にベルトはしない) ※胎内音(誤)→胎児心音(正) 助産師さんから「あゆこ先輩!?」と下の名前を呼ばれてびっくり! 小学校から高校まで一緒だった後輩のQちゃんでした。「何かあったら遠慮なく声をかけてくださいね」と頼もしい言葉を聞いて、安心した雛田さん。 術後に備え、ベッドの周りを整理整頓し、ついに手術着にお着換え。11時を過ぎたころにエコー検査をして点滴を打ちます。なかなか点滴の針が入らず、看護師さんが苦戦していましたが、緊張のあまり痛みを感じにくくなっていた雛田さん。 あと2時間後におなかの子に対面できると思うと、待ち遠しい気持ちでいっぱいになりました。 点滴の痛みを感じにくくなるほど、緊張していた雛田さん。おなかを切ることや術後の痛み、傷跡など不安に感じる妊婦さんも多いかもしれません。医師や助産師さんに相談したり、家族に支えてもらったり、リラックスした気持ちで出産に挑みたいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ※NSTノンストレステストの略で、胎児心拍数モニタリングと言われる検査の1つ。お母さんやおなかの中の赤ちゃんに負荷をかけることなく、赤ちゃんの状態やおなかの張り有無を診断できます。NSTは「異常とは言えない」、「異常がある」で評価します。 監修者:医師 神奈川県立こども医療センター 産婦人科 松井 潔 先生 著者:マンガ家・イラストレーター ひぃちゃん
2023年12月05日たんこんちは ボロボロゆかい
ぽこちゃんです&どんちゃんです
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