吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。「信じる」という言葉に思う歌詞を書くとき、どうしても多く使う言葉があります。書くときには、もちろんその言葉がふさわしいと思うから使います。「愛してる」「信じてる」、そう書くときは心からその言葉を思います。音楽大学の授業で作詞について教えていく中で、その言葉の重みに気づき考え込んでしまうことがありました。「信じてる」「信じる」とは、実はとんでもないことなのではないか。人は、そう簡単に何かを「信じる」ことは出来ないのではないか。「明日を信じる」「未来を信じて」「自分を信じる」「あなたを信じてる」1時間後に死んでいるかもしれないのに、なぜ明日を信じられるのか。自分を信じる?思わぬ出来事に感情が翻弄されてしまい、不安定になる自分を信じられるのか。「信じる」というのは、実はとても凄まじいことなのではないか。耳障りのいいこの言葉をはまりのいいところに多用するのは、ちゃんと言葉を語っていないのではないか。「愛してる」も同じことです。本当に愛してる?愛してるってどういうこと?情愛と愛は違うのではないか。こう考え始めると迷路に入ってしまったようで、自分の中で問答が繰り広げられるのです。例えば歌詞の中で「いつか」「いつの日か」という言葉が出てきます。日常的にも使う言葉ですが、「いつか」ということは「いまはない」ということです。「いつか」という言葉には希望と、「いまはない」淋しさのようなものも含まれているのです。たった3文字の「いつか」にこもっている物語を短い歌詞の中でどう語るかが作詞家の仕事なのだと、改めて思うのです。日常の中で交わされる「いつか」という言葉が希望であり、この手にできる確かなものであるように意識して口にしたいと思うのです。このような言葉の重みは、一方で実践することで実現していくことがあります。自分を信じることができたら生きやすくなる。夢は叶うと心から信じられるからこそ、それは現実になっていく。最初から「信じてる」のではなく「信じよう」「信じる!」と強く思うからこそ、道が開けるのでしょう。「誰か」を信じる。それは「信じたい」という思いから始まっています。「信じる」ではなく「信頼する」という言葉を使うと、根を下ろすような安定感があります。「信じる」ということは、「信じてみる」「信頼する」ことから始まる。とても細かいことですが、言葉と心のつながりを大切にすると、心に映る風景が変わっていくのです。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2022年06月26日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。言葉のふくらみ1年9か月ぶりに留学先から娘が一時帰国。スケジュール満載の2週間を過ごし、また大学に戻っていきました。羽田空港は少し人が多くなった感はありますが、多くのフライトが欠航しています。今は検査票などの確認がありいつもよりもチェックインに時間がかかるので、私は先にカフェでコーヒーを飲んで待つことにしました。チェックインカウンターを見下ろせる席に座り、旅立つ人たちを眺めていました。隣のテーブルに座ったアラブ系の男性は、FaceTimeなのかLINEなのか誰かとうれしそうに話していました。これから国に帰るのかな。お土産が入っているのか、紙袋を時々覗いては微笑んで。空港はさまざまなドラマが行き交う場所。出会いと別れ、それぞれのドラマがあります。チェックインを済ませた娘と日常のたわいもない話をしながら、ああ、またしばらく会えなくなる……と胸の奥がきゅっとします。「もう、入ろうかな」「もう?」「ボーディングまで、あと30分」検査場に入るとき、ぎゅっとハグをして娘が言いました。「元気でね」私も伝えたいことがたくさんあるのですが、思いは胸の中をぐるぐると回り、言葉にしたら泣いてしまいそうで、ただ抱き締めていました。私も「元気でね」と言うのが精一杯。検査場の入口には、私と同じように子どもを見送った親たちが、姿が見えなくなってもずっと佇んでいました。「元気でね」わずか5文字の中にどれだけの想いがこもっているでしょう。言葉のふくらみ。『言葉の含み』という言い方がありますが、私には『ふくらみ』という表現が優しく響きます。言葉にできない想い。伝えたいのにうまく伝えられない想い。そんな想いが心からあふれるとき、想いは言葉のふくらみとなって現れる。「元気でね」という言葉には祈りがあります。「大丈夫」という言葉にも祈りがあります。「ありがとう」には有ることが難しいことがあることへの深い感謝がこもっています。「おかげさま」には、森羅万象への感謝。そんな5文字の言葉を口にする時には、それぞれの貴い気持ちがこもっているのです。言葉のふくらみ。5文字の中にこもっている想いの深淵さは、愛すること、生きることの貴さとなって心にしみます。それもまた言葉のちからなのでしょう。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2022年06月19日こんにちは、フリーアナウンサーの押阪忍です。ご縁を頂きまして、『美しいことば』『残しておきたい日本語』をテーマに、連載をしております。宜しければ、シニアアナウンサーの『独言(ひとりごと)』にお付き合いください。ラベンダーの香りに誘われて今、ラベンダーが、いい香りで咲いています。ラベンダーは、5月から7月にかけて咲く花ですが、茎をまっすぐ上に伸ばし、その端に小さな稲穂のような花をつける とても可憐な花ですよね。色は薄い紫が主流ですが、濃い紫、それに緑色のラベンダーもあるそうです。ラベンダーと言えば、何と言っても、香り一番です。フローラルの心地よいかおりが特徴でして、ヨーロッパでは、『ハーブの女王』と呼ばれ、古くから栽培されて来ました。庭から摘み取ってお風呂に入れたり、『サシェ』という布の袋に入れて、衣類の香りづけにしたり、日常の暮らしの中で、上手に利用されて来ています。また、ラベンダーの花を蒸留して得られる『精油』は、アロマテラピーでは『万能の精油』として人気があります。一般的には、リラックス、精神安定などに良い精油と言われているようですね。最近では、『ルームフレグランス』として、日常生活に取り入れる人もいれば、デンタルクリニックで、歯のクリーニングのオプションに使われるなど、様々に活用されているようです。歯医者さんで、当方も一度体験しましたが、気分爽やかでしたねぇ…。6月から7月にかけて、北海道の富良野では、一面に広がるラベンダー畑が最大の観光スポットになりますが、梅雨の無い北海道だけに、機会があれば、いらしてみては如何でしょうか…。香り最高、景観最高、観光客の笑顔も最高… そんな気持ちがしております。拙宅では、今、地植えの薄紫色のラベンダーが何とも言えない良い香りを漂わせております。<2022年6月>フリーアナウンサー押阪 忍1958年に現テレビ朝日へ第一期生として入社。東京オリンピックでは、金メダルの女子バレーボール、東洋の魔女の実況を担当。1965年には民放TV初のフリーアナウンサーとなる。以降TVやラジオで活躍し、皇太子殿下のご成婚祝賀式典、東京都庁落成式典等の総合司会も行う。2022年現在、アナウンサー生活64年。日本に数多くある美しい言葉。それを若者に伝え、しっかりとした『ことば』を使える若者を育てていきたいと思っています。
2022年06月15日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。生きる力〜食べて、笑って、どんなときも失恋をしてもお腹が空く。こんな自分に気づいたとき、生命力とはこういうことなのだと思ったことがあります。儀式のように泣くだけ泣いて泣くのに疲れて、(なんか食べよう。お腹が空いて死んじゃう)とお米を研ぎ始める。ごはんの友は何があるかな、と冷蔵庫を開ける。そして、そんな自分の滑稽さを笑う。すると生命力はさらに強まります。上智大学の名誉教授で死生学を日本に広めたアルフォンス・デーケン先生は、「にもかかわらず笑う」ことが大切だと説いています。悲しいにもかかわらず笑う。苦労をしているにもかかわらず笑う。笑い、ユーモアは生きる力になる、と。私はそれに加えて「にもかかわらず食べる」ことも大切だと思うのです。母が亡くなった日、私は大鍋いっぱいのカレーを作り、ごはんを5合炊きました。まずみんな食べることなど考えなくなる。親戚が弔問に訪ねてくる。もちろん手をかけたものなど作れない。そう考えると、カレーがいちばん適当なのです。マーケットに行き食材をたくさん買い、黙々と野菜を刻み、鶏肉を切り、大鍋でぐつぐつと煮込む。淡々と、黙々と料理をする。このような日にもお腹が空くだろうと考えて作っているのですが、同時に自分の気持ちを落ち着かせるために料理をしていたのです。母が亡くなったという非日常の中に、食事という日常が紛れ込む。カレーを食べている間、非日常という緊張が解けて何気ない日常の会話が交わされ、時には笑いが起こる。つい数分前までは涙ぐみ、悲嘆にくれていたというのに。そして食事が済むと重い空気がそれぞれの胸に流れ込み、非日常へと戻っていくのでした。生命力、生きる力はいろいろな場面に現れます。失恋してもお腹が空く。にもかかわらず笑える。生命力、生きる力とは体力や気力、精神力だけではないのですね。本能というのか、野性というのか、その時々の「思うがまま」「感じるがまま」に抗わないことも、生きる力となるのです。空腹なまま苦難は乗り越えられない。乗り越える力にも栄養が必要なのです。そしておいしく食べられること。空腹を満たすだけでなく、おいしいと思えたとき、生きている小さな喜びを受け取れるのです。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2022年06月05日こんにちは、フリーアナウンサーの押阪忍です。ご縁を頂きまして、『美しいことば』『残しておきたい日本語』をテーマに、連載をしております。宜しければ、シニアアナウンサーの『独言(ひとりごと)』にお付き合いください。ラジオの思い出その2テレビやラジオ番組の司会や進行は、大旨(おおむね)、アナウンサーが務め、有名人や歌手はゲストとして呼ばれるのが、今でも主流ですが、昭和40年、1965年、逆転の発想でスタートした番組があります。それが、当時日曜日お昼から夕方までニッポン放送で放送していた『ワイドワイドサンデー』です。人気歌手の坂本九さんが ゲストではなく、司会進行をするという番組で、当時話題となりました。大枠、東芝の提供だったかと記憶していますが、当方は『ラジオカー』で、東芝の電気製品が主流の東芝ストアーを廻って、お店からワイワイガヤガヤと生放送で参加するというお役目でした。TBSラジオ、毒蝮三太夫さんで人気となったコーナーの、いわば『走り』だったと思います。ラジオカーは、今では珍しいものではありませんが、当時は街中を走っているだけでも、人目につき、電気屋さんの前はもうかなりの人だかりでした。「当店がニッポン放送に出ます。押阪忍さんが3時頃来ます」というような張り紙が派手に貼られ、お店に到着すると、かなりのお客さんが待っているという感じでした。当方の出番は、3時半頃だったと思います。集ったお客さんとワイワイガヤガヤ…と…。お店での放送が終り、帰りの車の中から夕焼け真近の空の景色や、人や車の流れを、スタジオの九ちゃんに伝えるというお役目もありました。東芝ストアーでの、ワイワイガヤガヤ放送も楽しかったですが、夕暮前に交わす九ちゃんとの会話も、本当に懐かしい思い出となっております。<2022年5月>フリーアナウンサー押阪 忍1958年に現テレビ朝日へ第一期生として入社。東京オリンピックでは、金メダルの女子バレーボール、東洋の魔女の実況を担当。1965年には民放TV初のフリーアナウンサーとなる。以降TVやラジオで活躍し、皇太子殿下のご成婚祝賀式典、東京都庁落成式典等の総合司会も行う。2022年現在、アナウンサー生活64年。日本に数多くある美しい言葉。それを若者に伝え、しっかりとした『ことば』を使える若者を育てていきたいと思っています。
2022年05月30日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。『大丈夫』の魔法〜高齢のペットたちに高齢犬の1週間は、人の1ヶ月に相当すると言います。1ヶ月で4ヶ月。3ヶ月で1年という計算になります。それが病気を抱えていたら尚更のこと、目に見えて弱っていくのがわかります。そして、あるときを境にガタッと機能が落ちるのです。15歳9ヶ月になる我が家のトイプードルのラニは1年半ほど前に腎臓の数値が高くなりました。週に一度点滴をするようになったのですが、いつもと変わらず元気に走り回ることができていました。ところが半年前に膵炎を起こしたことをきっかけに体重が減少し始め、2.4kgが1.6kgに。背骨がくっきりと出て、お尻の骨の形が見えるほど痩せてしまいました。ドイツの植物療法を取り入れた治療を始め、腎臓の数値も少し改善し、活力も出てきました。散歩に行きたがること。ごはんを食べることが、ラニの生命力の表れです。そこに望みをつなぐように、過ごしてきました。ところが、あるとき食べなくなり、外を歩くこともままならなくなりました。外に出たがるのですが、10メートルも歩くと止まってしまいます。その後はキャリーカートに乗せて散歩をします。風に吹かれながら気持ちよさそうにしている背中を見ていると、この地球の美しさを楽しんでいるような、目に焼き付けようとしているような……そんな感じがします。我が子のように慈しんできたペットたちは、いつか飼い主の年齢を超えていきます。それはいずれ私たちも辿る道です。彼らは生きるということを、身をもって示してくれている。高齢になったペットたちはおそらく、食べたいのに食べられなくなること、歩きたいのに歩けなくなること、目が見えなくなることなど、多くのことに不安を感じているでしょう。それは、飼い主たちが彼らを失う不安よりも大きいはずです。それを受け入れて命のままに生きる。私は改めて生きることの尊さを思うのです。言葉で何も伝えることができない動物たちの言葉に耳を傾ける。(ただそばにいてほしい)私はそんな言葉を丸まって寝ているラニを見ていて伝わってくる思いがありました。そして、大切なラニを失うことの怖れを『大丈夫』という言葉に変えて伝えていこうと思うのです。何があっても大丈夫、大丈夫。思いを込めたことの言葉が、ラニの不安の慰めになりますよう祈ります。大丈夫は魔法の言葉のようです。この言葉は、何よりも私の怖れを慈しむ気持ちに導いてくれるのです。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2022年05月29日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。優しいまなざしという癒しを目は心の鏡。目は心の窓。目は口ほどにものを言う。表情は、無意識のうちに心を表す言葉です。マスクをすることが『日常』になってからというもの、街から『表情』が消えてしまったかのようです。やはり笑顔の口元や、ムッとしてへの字になった口元は、そのまま心を表す表情です。マスクをしていても唯一見えている目。少し口角を上げると、たとえ口元は見えていなくても目元は柔らかくなります。努めて口角を上げ目の表情が柔らかくなるように意識すると、不思議と気持ちも穏やかになります。我が家にはもうすぐ16歳になるトイプードルがいます。昨年から腎不全を患い、その数値はかなり高く、毎日の養生に気を抜けない日が続いています。筋肉が落ち、よろよろとしながらも散歩に行きたがりますが、100メートルも歩くと歩みがさらに遅くなり、キャリーカートに乗せてしばらく散歩します。気持ちよさそうに目を細め、風を感じたり日差しを感じている様子に、時々せつなくなるのです。先日、近くのカフェまで散歩に行きました。お天気も良く、テラス席で本でも読もうかと。テーブルを拭きにきたウェトレスさんがわんこを見て、「わあ、かわいいですね。何歳ですか?」と話しかけて来ました。思いきり笑顔になったであろうそのまなざしが、とても優しかった。そのウェトレスさんが飼っている犬も高齢で、すっかりおとなしくなってしまったとか。愛しさで包み込むようなそのまなざしに癒され、心が震えました。そして私は大切なことを教えられた気がしたのです。サングラスをかけると世界は違って見えます。カメラのレンズのフィルターを替えると光景は違った色合いになります。私たちの目、まなざしも同じように、どのような気持ちで見るかによって、世界は違って映るのではないでしょうか。批判的な気持ちで見れば、世界はそのように見える。優しさを持って世界を見れば、人に対しても優しい気持ちを抱けるというふうに。時には批判も必要です。何が起きているのか冷静な目が必要です。それはそれとして、今の混沌とした世界に優しいまなざしという癒しを。自分の心の平穏のためにも、家族、友人たちのためにも。街ですれ違う知らない人たちのためにも。世界のためにも。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2022年05月22日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。丁寧さは心の表れSNSの広がりで、人と人とのつながりの垣根が低くなりました。とても知り合うことはないような有名人とも運が良ければつながり、コメントをすれば返事をもらえることもあれば、場合によってはお誕生日のメッセージをもらえることもあるでしょう。自分の呟きや近況報告を投稿しながら、人とのつながりが広がっていく。便利で興味深いツールです。「言葉は伝わればいいのだから、深く考えすぎないほうがいい」以前、仕事関係の人からこう言われたことがありました。言葉を単にコミュニケーション、伝達のツールだと思っているその人の言葉は、しばしば誤解や行き違いを生むものでした。一度発した言葉は削除することはできません。「そんなつもりで言ったのではない」と言って誤解は解けたとしても、言われた人のインパクトをなかったことにはできないのです。SNSの中での気軽なやり取り。気軽で手軽なだけに、言葉のほころびがあちらこちらに見られます。言葉が足りなかったり、失礼な物言いであったり。面識のない目上の人に対して、例えば「先生すごい!」「上手!!」とコメントする。悪気がないだけに残念。「先生、素晴らしいです!」と丁寧に伝えたら、不躾ではなく、より気持ちが伝わるのではないでしょうか。人と人との垣根が低くなった分、丁寧なコミュニケーションが求められる。垣根が低いというのは、ずかずかと相手に近づいていくことではないのです。片岡鶴太郎さんと仕事をしたとき、ご自宅に伺ったことがありました。鶴太郎さんは誰に対しても丁寧な言葉で話し、マネージャーさんにも丁寧に用事をお願いされるのです。「〇〇さん、お客さまに果物もお出ししていただけますか?」言葉が丁寧なだけで、その場の空気が和らぎます。それは、相手を大切に思う気持ちの表れです。丁寧な言葉でのコミュニケーションには美しさがあるのです。SNSという顔を合わせない場だからこそ、言葉のほころびに気をつけたいものです。丁寧に、よく考えて、そして気軽に楽しむ。低くても、垣根は越えないように。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2022年05月15日こんにちは、フリーアナウンサーの押阪忍です。ご縁を頂きまして、『美しいことば』『残しておきたい日本語』をテーマに、連載をしております。宜しければ、シニアアナウンサーの『独言(ひとりごと)』にお付き合いください。燕の姿を見たい…新緑の5月です。今月は記念日が続きますね…。1日が『メーデー』 2日が、夏も近づく『八十八夜』、3日が『憲法記念日』、4日が『みどりの日』、5日が『こどもの日』、8日が『母の日』と続き、祝日が多く、正に『ゴールデンウイーク』であります。ところで、10日から『愛鳥週間』が始まりましたが、『バードウィーク』と言う言葉も最近は余り聴かれなくなりましたねぇ…。都会ではマンションが多く、屋根瓦の家も少なくなり、屋根裏の軒先(のきさき)がなくなってきたので、ツバメの巣も見なくなってきました。去年まで、毎年ツバメの巣を楽しみにしていましたので、今年は至極、残念であります。親ツバメが、赤ちゃんツバメにエサを運んで来る甲斐甲斐しい巣の前での姿…赤ちゃんツバメが4、5羽、口を大きく開けて、エサを求める親子のシーンを、毎年この時季、楽しみにしていたのですが…。やはり、周囲の環境の変化なのでしょうか…。『燕返し』という剣術の使い手の1つに、振った刀の刃先を急激に反転させる表現があります。親燕が、素早く身を反転させながら、『エサやり』に行き来する姿を借用したものですが、正に一瞬の早技で、軒下の巣で待っている赤ちゃんに、空中で、その身を見事に反転させながら、確実に赤ちゃんにエサをやる親燕の早技は、実に美しく見事なものであります。地方都市に行けば、正に親子燕のエサ場の時季だと思いますが、今年はそれが見られなく、誠に残念であります。東京のどこかで、燕の親子の交流のシーンを見たいものだと、街頭の軒下を見つめながら歩いている、今日この頃であります。<2022年5月>フリーアナウンサー押阪 忍1958年に現テレビ朝日へ第一期生として入社。東京オリンピックでは、金メダルの女子バレーボール、東洋の魔女の実況を担当。1965年には民放TV初のフリーアナウンサーとなる。以降TVやラジオで活躍し、皇太子殿下のご成婚祝賀式典、東京都庁落成式典等の総合司会も行う。2022年現在、アナウンサー生活64年。日本に数多くある美しい言葉。それを若者に伝え、しっかりとした『ことば』を使える若者を育てていきたいと思っています。
2022年05月13日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。紙とインクとスマートフォン紙の匂い。新しいノートを開いたとき、紙の乾いた匂いがふっと空気に触れて消えていく。その瞬間が好きです。紙質がよくなったからなのか最近ではあまり感じることはありませんが、それはインクを吸い込む前のまっさらな紙の息遣いのようです。小学生のとき、本の匂いについて作文を書いたことを思い出しました。『小さな目』という小学生が書いた詩集が好きで、机の上に置いて何度も読み返したものです。自分と同じ年頃の小学生の詩は、教科書に載っている詩よりも心に入って来たのです。「本を開くと、ぷーんと卵色の紙の匂い……」半世紀以上も前の作文の、こんな出だしも思い出しました。週に一コマ担当している音楽大学の授業は、この4月から対面授業になりました。大学で教えるようになって4年目、そのうち2年がオンラインでの授業です。テキストはweb上にアップし、スライドを使っての授業でした。対面授業になり、テキストをどうするか。70名のコピーをとり、配るのは労力がかかりすぎる。また大学がペーパーレスを推奨しているということで、引き続きweb上にアップすることになりました。時代は変わりました。デジタルの社会に生まれた若い人たちは、紙がなくても学べるのです。メモもスマホなりPCに打ち込む。スマホを使ってレポートを書くことに、何の抵抗もない。不自由も感じないのでしょう。むしろいつでもどこでも楽にできるので、それが彼らの普通のやり方になりつつあります。A4のコピー用紙に3Bの鉛筆で、書いては消し、思い浮かんだことを走り書きし、ごちゃごちゃと書いた下書きの中から歌詞を完成させていくのとは、もう思考回路そのものが違うのかもしれません。「紙に書いて考えなければいけないのですか?」そんな質問に驚きつつ、「試しにアナログな方法を試してみたら?新しい発見があるかもしれないですよ」と答えるのが精一杯でした。大切なことは、言葉の温度や手触りを伝えていくこと。物語を綴る言葉が生きていること。ごちゃごちゃ書かれた下書きには、作品への思考の道すじが残っている。そこにもいろいろなヒントがあるのです。デジタルの恩恵を受けつつも、何が自分にとって心地よく、自分を幸せにしてくれるのか。仕事場には新しいノートや走り書きの紙、本でいっぱいです。アナログなアプローチで綴る言葉。デジタルを使いこなす若い人たちが紡ぐ言葉。互いに発見が生まれたとき、進化し合えるのではないか。私にとっての紙の匂いは、彼らのスマホのスクロールの感覚なのかもしれません。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2022年05月01日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。『美』はあなたの心が生みだすもの世界は、美しいと思うものであふれている。それぞれの季節の良さはあれど、4月は一年のうちでも取り分け美しい時期です。色のない冬の終わり、ぽっと咲いた梅の花が春を予感させ、沈丁花の香りが春の訪れを告げる。そして早咲きの河津桜や寒緋桜からソメイヨシノ、八重桜、その頃にはハナミズキの葉がすっかり出ている。離れて見ると、それはたくさんの蝶々が舞っているようで、美しい。桜の花が終わると新葉が一斉に芽吹き、新緑の季節を迎えます。風が葉を揺らし、木洩れ日ゆれている。そんなささやかな光景も、美しいものです。季節だけでなく、息を呑むような自然があり、見入ってしまうような芸術作品がある。生き方が美しい人がいる。美しく微笑む人も。心の窓を大きく開いて眺めてみると、世界は美しいものであふれています。でも、本当はこの世界に美しいものはひとつもありません。これは、事実です。もしもこの地球上に人類が存在せず、そこに大自然だけがあり、四季折々の花が咲いたとしても、それは美しいものではないのです。なぜか。美とは、美しいと心を震わす人がいて初めて美になるのです。美しいと思う人がいなければ、ただそこに存在しているものに過ぎません。美は、美しいと思う感性から生まれるものなのです。ということは、『美しいもの』を生み出しているのは、私たち自身、私たちの感性、心ということになります。それをもう少し広げて言うと、『感動』です。ささやかなことも素直にうれしいと思い、素敵だなと思う。喜ぶこと。素直に受け取り、その感度を高めていく。これは、美しいものに出会っていく一つの秘訣です。私たちの日常生活は、決して平坦なものではありません。時には、人生を揺るがすような困難に遭遇します。人間関係も、時に軋んで心をすり減らすこともあるでしょう。そのとき、世界はどう見えるでしょう?何も感じなくなっているのではないでしょうか。日常の中でネガティブなことを拾い上げるのではなく、努めてよかったこと、うれしかったこと、感動を拾い上げていく。それをできるだけたくさん、スケジュール帳や日記の片隅などに記す習慣をつける。すると、感動の感度が上がっていきます。ネガティブに思えることをオセロのチップをひっくり返すように、ポジティブな方向に考えられるようになります。私たちは二つの目で世界を見ていますが、実際は心の目でも見ているのです。心というフィルターをクリアに、感度を高めて美しいものと出会い、人生の豊かさを味わっていきましょう。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2022年04月24日こんにちは、フリーアナウンサーの押阪忍です。ご縁を頂きまして、『美しいことば』『残しておきたい日本語』をテーマに、連載をしております。宜しければ、シニアアナウンサーの『独言(ひとりごと)』にお付き合いください。チューリップの小話春です。光の春、花の春到来です。木に咲く花は、梅、マンサク、コブシ… 足元には、スミレ、タンポポ、レンゲ草… そして鉢植えにはチューリップです。チューリップと言いますと、すぐ頭に浮ぶのはオランダですよね。今や世界のチューリップの、約90%を栽培しているそうですから、正にチューリップ大国ですね。そのチューリップの歴史を紐解(ひもと)いてみますと、元をたどればオスマン帝国を中心に、中央アジアに自生していたようです。それが16世紀にヨーロッパで、もてはやされ、その球根があれよあれよと高騰して、ピーク時には、なんとなんと、馬車2台分の小麦とライ麦、太った雄牛千頭、豚5頭、ビール4樽、バター160キロ、ベッド1台と、衣類と銀のカップ、これを球根「1個」と交換したという、とんでもない記録が残っています。世界最初の『バブル』と呼ばれる『チューリップバブル』は、今でも語り草になっています。そんなチューリップが日本にやって来たのは、江戸時代でした。ただ普及には至らなかったようで、大正8年になって新潟市で、本格的な球根栽培が始まったとか…。一説によると大正7年に、富山で既に栽培されていたとも。物の本には書かれています。色とりどりのチューリップ。その種類はなんと400種、400種です。オランダのあの見事なチューリップ畑を見ますと、それぐらいあるのでしょうねぇ…。我が家のチューリップは、赤、白、黄色の3色です。そのチューリップで変な事を思い出しました。女性を見てニヤニヤしている男性をチューリップと言っていたことを…。それは、花(鼻)の下が長い…。失礼をいたしました。<2022年4月>フリーアナウンサー押阪 忍1958年に現テレビ朝日へ第一期生として入社。東京オリンピックでは、金メダルの女子バレーボール、東洋の魔女の実況を担当。1965年には民放TV初のフリーアナウンサーとなる。以降TVやラジオで活躍し、皇太子殿下のご成婚祝賀式典、東京都庁落成式典等の総合司会も行う。2022年現在、アナウンサー生活64年。日本に数多くある美しい言葉。それを若者に伝え、しっかりとした『ことば』を使える若者を育てていきたいと思っています。
2022年04月22日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。駆け引きのさじ加減おまけしてもらうのが苦手です。値段交渉というのでしょうか、海外のお土産屋さんなどで値切るのは旅の楽しみの一つですが、大概そのまま買ってしまいます。真夏にエジプトを旅したとき、あまりの暑さに遺跡の前の露天商でストールを買いました。1枚500円くらいだったと思います。色違いで3枚、少しおまけしてくれて1000円くらいだったと思います。一緒に行った友人は値切って値切って3枚500円に。後からその値段を聞いて驚きました。バリ島にダイビングをしに行ったときのことです。マイクロバスが休憩で停まるたびに、物売りたちが寄ってきます。たいていが子どもたちで、手作りのアクセサリーや絵葉書などを売りにきます。お金も持ってきていなかったし、買うつもりもないので「ごめんね、お金ないの」と断っていると、ひとりの少女がニコニコ笑いながら、私の首に木の実で作ったネックレスをかけました。私が外そうとすると、“No,no,gift,gift”と笑っています。え?物売りの女の子からもらうの?と半分戸惑っていると、“Friend,friend”と。そんなこともありました。娘がメキシコへ行ったときのこと。メキシコの装飾品はとても手がこんでいて素敵で、観光地の露店で売っているビーズのアクセサリーも丁寧に作られたものが多いそうです。それをアメリカ人観光客が一つ2ドルの指輪を値切って半額にし、一つ買っていたのを見て、唖然としたと言います。娘は2ドルの指輪を10個、他のものもそのままの値段で友達のお土産に。メキシコに旅行に来るほど裕福なアメリカ人が、地元の人が丁寧に作ったものを買い叩く。その姿も心も醜かったと話してくれました。値段の駆け引きを、売り手も買い手も織り込み済みで楽しむこともあります。お互いに恩恵を受ける頃合いを見定める。さじ加減を考える。高額なものならともかく、楽しむ程度、ほどほどにした方がいいように思うのです。年に一度、花市場に行く機会があり、市場に並んでいる花の安さに毎回驚きます。市場ですから安くて当然なのですが、この花の向こうにいる生産者が、商品になる花を育てるのにどれだけの労力がいるか。それを考えると、店頭に並んでいる花の値段は決して高くはないと思うのです。リーズナブルであることに越したことはないのかもしれません。でもときどき、その『もの』の向こう側に思いを馳せることは、世の中が少し優しくなることにつながるかもしれません。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2022年04月17日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。『引き寄せられの法則』にご注意をネット詐欺なるものに二件、引っかかってしまいました。銀行から確認の電話がかかってくるまで詐欺だと気づかず、ただ振り返ってみると、(なんか妙だなあ)と心をよぎった点がいくつかあったことを思い出しました。ひとつ目は、なかなか手に入らない作家の器です。どこか販売しているサイトはないか、いろいろ探していたところ、多種多様の商品を扱っているサイトになんとその作家の器があったのです。ネットで買い物をするときは、会社案内、特定商取引法に基づく表示を確認します。また、商品説明などの日本語がちゃんとしているかどうかもチェックします。そのサイトを運営する会社は地方にあり、一応、クリアしていました。中古の品だったのですが、それでも欲しかったので購入手続きをしました。割安だったことと、決済方法が銀行振込みのみだったこと。そして写真があまりきれいに撮れていないこと。そんな妙な点も、地方の個人経営の会社が運営しているからなのかな、くらいにしか考えていませんでした。そしてもうひとつ。我が家の15歳のわんこは腎不全を患っていて、ごはんもあまり食べたがらなくなっていました。ムース状の腎臓食であれば何とか口に入れてくれたのですが、なんとウェットの腎臓用のフードがどのメーカーのものも品切れ状態だったのです。でも、それしか食べるものがない……。この同じサイトに、2ダース出品されているのを見つけ、すぐに購入手続きをしました。「愛犬のために買ったのですが亡くなったのでお譲りします」と、飼い主の女性が二つの箱を持っている写真。亡くなった愛犬のために買ったもの……縁起が悪くないだろうか……いや、そんなことより命をつなぐことが先決……などと逡巡しつつ購入手続きをしました。二件の振込先は別々の地方の信用金庫でした。サイトの責任者と、口座名義が違ったのも、考えるとおかしな点です。数日後、銀行から電話があり、この口座に詐欺の疑いがあると。一件は返金手続きをしてもらえたのですが、腎臓フードを振り込んだ口座はすでに解約済み。取り戻す術はありませんでした。初めての詐欺被害。そのどちらも、人の気持ちを揺さぶるようなところをついてきます。なかなか手に入らない作家の器。よくこれをリサーチしたものです。そして、手に入りにくくなった腎臓フード。まるで私のために用意されたような詐欺サイトですが、こちらの強い思いが引き寄せられていったという方が正しいかもしれません。『引き寄せられの法則』にご注意を。そして、何事にも(変だな)という野性の勘も大切に。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2022年04月10日こんにちは、フリーアナウンサーの押阪忍です。ご縁を頂きまして、『美しいことば』『残しておきたい日本語』をテーマに、連載をしております。宜しければ、シニアアナウンサーの『独言(ひとりごと)』にお付き合いください。4月は、桜、さくら、サクラ花の4月になると、どうしても毎年、桜の話題になってしまいます。当方は桜が大好きです。かつて拙宅の新築の際、庭の西北にソメイ、南の高台の歩道側に枝垂(しだれ)を植えました。ソメイは今では大木となり、庭全体に枝木を拡げ、その枝の先は、当方の書斎の窓に当るほど延びて、お蔭様で花咲く頃は、毎日机に座りながら桜見物をしております。お隣の高層マンションからも、そのソメイ桜は評判も良く、南高台の歩道側の枝垂桜も、歩道を歩く方から丁度いい視線になるようですし、ご近所の方からも喜んで頂いております。その桜が散りかけた頃、風に舞い散る桜を眺めながら散歩をするのが「この季節の楽しみです」と仰って下さる方も多いのです。桜が散ってご近所の玄関口に溜っても不思議とお咎(とが)めもありません。朝、顔を合わせご挨拶をする時、「ゴメンナサイ、スミマセン」と一言も二言も謝りますが…「むしろ、散る花を楽しんでいますから…」との有難いご返事が戻って来ます。何のお咎めもなく玄関先に溜りかけたサクラの花びらをニコニコしながら箒(ほうき)で集めて下さっています。2度、3度、頭を下げてお詫びを言います。ハラハラ舞い散る桜は、なかなか味のある眺めですが、散って溜った桜は余り美しいとは言えません。しかも雨が降った後(あと)に溜った桜の姿は、決して奇麗なものではありませんね。従って桜が散る頃の強い雨を当方は忌み嫌っております。4月に美しく華やかに咲いて、春の風にハラハラとキレイに散ってくれる桜を眺めながら 桜の4月を気分よく過ごしたいと願っております。<2022年4月>フリーアナウンサー押阪 忍1958年に現テレビ朝日へ第一期生として入社。東京オリンピックでは、金メダルの女子バレーボール、東洋の魔女の実況を担当。1965年には民放TV初のフリーアナウンサーとなる。以降TVやラジオで活躍し、皇太子殿下のご成婚祝賀式典、東京都庁落成式典等の総合司会も行う。2022年現在、アナウンサー生活64年。日本に数多くある美しい言葉。それを若者に伝え、しっかりとした『ことば』を使える若者を育てていきたいと思っています。
2022年04月07日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。祖母と私と桜の頃私が育った家は、駅から続く桜並木の先にありました。今から数十年前は、桜が咲き始めるのは3月の下旬くらいからで、満開になるのはちょうど入学式が行われる頃だったと記憶しています。一年のうちで最も美しい2週間、桜のトンネル、落ちた桜を拾ったり、花びらを集めたり、子どもなりに楽しい季節でした。小学生の頃、母方の祖母を九州から呼び寄せ、一緒に暮らしていました。リウマチを患っていた祖母は足も弱く腰も少し曲がり、そろりそろりと歩いていました。まだ60代の後半でしたが、昔話に出てくる『おばあさん』のようでした。ほとんど家から出ることなく、時々庭で日向ぼっこをするくらい。祖母は何を楽しみにしていたのか。ソファに座ってテレビを観ている姿ばかり思い出します。祖母は特別の信仰を持っていませんでしたが、ある宗教関係の小冊子を購読したいと言いました。編集部に連絡し、購読の手続きをしました。その小冊子には子ども向けのコラムもあり、私も毎月それを読むのが楽しみでした。祖母はこのことをずっと感謝してくれました。祖母が話してくれたことでひとつだけ、今でも覚えていることがあります。「由美ちゃんが好きじゃないなと思う人も、由美ちゃんのことを好きじゃないと思っているのよ」祖母は穏やかに話していましたが、私はどきっとしました。自分も好きじゃない友達からでも嫌われているというのはちょっとショックなものです。今も苦手な人に会うと祖母の言葉を思い出します。相手は自分を映す鏡。思いはエネルギーなので、伝わってしまう。祖母はそういうことを伝えたかったのでしょう。祖母は私が中学校に上がった秋に亡くなりました。当時、栄養ドリンクのCMで『頑張らなくっちゃ』という歌が流れていました。心臓の手術を受けることになった祖母は、手術室に入る前に「頑張らなくっちゃ」と微笑みながら歌っていたそうです。いたずらっぽい目をして歌っていたんだろうなあ。病室の祖母に歌って歌ってとせがんだことも、こうして書きながら思い出しました。桜の季節です。昔の家へ続く桜並木も満開でしょう。祖母はこの桜を一度も見たことはありません。どうして車椅子を借りて、外に連れ出すという知恵が出なかったのか。祖母が亡くなって桜の季節がめぐってきたとき、私は激しく悔やみ泣きました。今年も桜の下を、心の中で祖母と一緒に歩きます。一年に一度の穏やかで優しい時間は、少しせつなくもあるのです。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2022年04月03日【2分で読める子育てエッセイ】我が家が静まりかえる必殺技〇〇我が子から学ぶ、言葉と行動の奥深さ。日常生活の「あるある」から子どもの成長まで、思わずクスッと笑えて共感できる、まいまいまま(mymymama)さんのエッセイをお届けします。題名の通り、2分でサクッと読めるので日々の家事の合間やお仕事の休憩時間にぜひご覧ください。リビングでの独り言うちのだんなはテレビを観ながら独り言がやたらと多い。リビングに家族がいるのにも関わらずマイペースで、映画やドラマの主人公の行動やセリフにいちいちツッコミを入れる。「そんなバカな!あんな怖そうな人が来たら、アワアワ言わずに逃げるよ?普通」さらに、アナウンサーの発音や言い間違いに訂正と解説を入れるので、我が家のテレビは知らず知らずのうちに二重音声。挙句の果てにはCMの背景にまで、イチャモンを入れるという念の入れよう。テレビを観ているより、だんなを眺めている方が断然面白い。※※※ある日、小1の息子と小4の娘が学校に行っている間、ワタクシ、大好きなドラマを観ていたら、在宅勤務のだんながお茶を取りにリビングにやってきた。すると、反射的にポツリポツリといつものが始まった。おかげで泣ける場面も、イケメンの甘~いシーンも台無し。「ちょっと~!早く仕事に戻りなさいよ~!」こうして静けさを求めて、夜中にこっそりドラマを見るという悪習慣が出来上がる。※※※なかなか静かにならないリビングだんなは一人暮らしが長かったので、独り言が多くなったのかな。でも、結婚してもう10年以上経つよ?そのテレビへの独り言、いる?必需品なの?大人げなく小4の娘に愚痴ったら、娘が大きくうなずきながら同意してくれた。「私も思ってた~。お父さんのツッコミがうるさくて、ゆっくり観られないのよね~。」ところが、気が付くと今では娘もだんなと同様、テレビに向かってこんな事を言い始めた。「え~。現実ではそんな訳ないよね~。」え!?今言ったのお姉ちゃん?それってだんなのいつものセリフじゃーん。テレビにツッコミを入れる家族が、また一人増えた。だんなによる、英才教育。お見事。「ちょっと!お姉ちゃん。お父さんみたいにテレビに向かってツッコミ入れてるよ!」と注意したら、驚いたのは娘でなく、だんなの方だった。「え、俺?何か言ってる?」ー賑やかにテレビにツッコミ入れてる「うそ。俺、いつも?いつも言ってるの?」今度はこっちが驚いた。うそ~ん。今?今気が付いたの?もっと早く言っておけばよかった!この後、ワタクシ10年分後悔した。※※※別の日の夕食後。さらに、騒音が増え、我が家のリビングはますます賑やかに。だんながニュースを見始めると、1ミリも興味がなく退屈になった息子が、暇つぶしを始めた。今お気に入りのキャスター付きの椅子に乗って、リビングのわずかなスペースを行ったり来たり、それはそれは楽しそうにシャーシャーしている。ところがそのスペースはよりによってテレビの画面の前。画面に映るキレ~イな風景が、息子のシャーシャーとマルかぶり。「テレビが観えなーい!」何度も何度も息子を注意するだんなの声と相まって、テレビどころではなくなる。※※※我が家が静まりかえる必殺技!『家族が揃っている状態で、リビングでくつろぐことは無理なのかな?』と諦めかけたワタクシ。そのタイミングで、しゃべり疲れた娘のリクエストで甘~いあれを作る事になった。●あれの準備物●☆スライスしたリンゴ+ザラメ(砂糖)☆テレビでよく見るあれ、焼き目をつける道具ガスバーナーザラメをガスバーナーで炙ると、あっという間に即席の「りんご飴」の出来上がり!作った直後は熱いので要注意!「わ!これ、パリパリするよ!音、聞いて!聞いて」娘が食べる、その音を聞こうとする他の3人。「・・・。」なんと!奇跡的に静まりかえる我が家のリビング!直後に聞こえてくるおいしそうな音。「わ!本当だ!パリパリ言ってる」みんな思い思いに食感を確かめる。※※※「おおっ!めっちゃ静か!」ワタクシ、美味しいより、その静けさに驚いた。結局、おいしい物を食べている時が手っ取り早く静かになるのではないかと思った。ほんのひと時の静かな時間の作り方。ほんのひと時だけね。ちなみに、バナナバージョンのバナナ飴もイケます。ー完ー
2022年03月28日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。花を飾る〜人生を彩る贈りもの二十代の半ばにひとり暮らしを始めたとき、自分に二つの決め事をしました。できるだけ食事を作ること。ひとりだからと言って食事を疎かにしないように。二つ目はいつも花を飾ること。生活に季節の彩りを取り入れるために。小さな1LDKのリビングの隅に黒の脚付膳を置き、花を生ける場所を作りました。高さのある花器にカサブランカやカラーを投げ入れ、春には桜も。花を選ぶ楽しみ、生ける楽しみ、そして愛でる楽しみ。そればかりでなく、『命あるもの』と共にいる喜びは、慈しむことを教えてくれました。真紅のバラの花びらはビロードのようで、その手触りは小さい頃のお出かけ着を思い出させました。そして、こんな真紅のビロードのドレスが似合う女性になれるか……などと、一瞬そんなことを思ったり。黄色いバラが出ると、一輪だけ求めます。黄色いバラには、小学生の頃に習っていた英語の先生との思い出があります。レッスンの中で、「何の花が好きですか?」と英語で質問したところ、先生は黄色のバラが好きと。先生は1930年代にアメリカの大学に留学され、とてもモダンな方でした。外国に憧れていた小学生の私は、先生のエレガントであたたかく、そしてハイカラな雰囲気をとても素敵に思ったものです。通い始めて1年ほど経った頃、先生は体調を崩され、そのまま帰らぬ人となってしまいました。告別式に向かう道すがら、母に亡くなった人が生き返ることはあるのか尋ねました。母は少し考えてから「2万人にひとりくらいかしら」と、細い糸のような光を見せてくれました。根拠のない、母の絶妙な答えです。どうか先生がその2万のひとりに入りますように。教会へ向かう電車の中で祈ったことを覚えています。それから何年か、先生の命日にお小遣いで黄色いバラを一輪求め、お参りに伺いました。先生が旅立った年齢をとうに越しましたが、黄色いバラに先生を思い出し、あの頃の自分を思うのです。2月過ぎると、お花屋さんにアネモネが出始めます。まさに春が来たことを告げるように。アネモネは、誕生日が私と同じ、友人のママを思い出させます。小学生の頃、誕生日に、アネモネの小さなブーケをいただきました。そのママもハイカラで、お洒落で、大好きでした。お話もとてもおもしろかった。素敵な大人の女性のモデルでした。そのママは私の妊娠がわかった頃に亡くなりました。母は私がショックを受けるからと、しばらく私にそのことを告げませんでした。アネモネもまたあたたかい思い出の花になりました。花は、それぞれの人の心に物語をもたらします。花を飾る。それは日常を彩り、心の世界を彩り、人生を彩るのでしょう。一輪の花からの贈りものです。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2022年03月27日こんにちは、フリーアナウンサーの押阪忍です。ご縁を頂きまして、『美しいことば』『残しておきたい日本語』をテーマに、連載をしております。宜しければ、シニアアナウンサーの『独言(ひとりごと)』にお付き合いください。ラジオの思い出その1放送の仕事に携わって、今年で64年になります。入社はテレビ局ですが、フリーになってから、すぐにラジオの仕事を始めるようになりました。これまで各局のラジオ局は体験して来ましたが、今でもラジオのレギュラーを、もう30年務めさせて頂いております。ところで、当方のラジオのデビューは、有楽町のニッポン放送(LF)でした。1965年(昭和40年)のことです。テレビ朝日を辞し、フリーになってからすぐに、ラジオの仕事もするようになり、その1つがニッポン放送でした。『東芝オーケストロン』という5分のミニ音楽番組でした。電子オルガンは、ヤマハが主流でしたが、東芝は、東芝音楽工業(後の東芝EMI)を設立し、坂本九、水原弘、黛ジュン、奥村チヨといったスター歌手が活躍し始めました。そして東芝は、電子オルガンも開発したのです。ニッポン放送1階の第1スタジオの左前方の、片隅にピアノが置かれていましたが、その隣に、東芝の電子オルガン『オーケストロン』が置かれ、番組名もそのまま『オーケストロン』だったと記憶しております。そのオーケストロンの傍に机が置かれ、マイクがセットされています。広いスタジオに、オーケストロンの演奏者と喋り手の当方だけ…。2階の録音室の窓ガラス越しに、ディレクターが手を上げスタートのサインを出すと、それを演奏者が確認して音出しをして、当方のお喋りが始まります。ガランとした広いスタジオに、演奏者と喋り手の2人だけの殺風景な収録…。でも、懐かしいラジオの思い出であります。次回は坂本九さんとご一緒した『ワイドワイドサンデー』のお話しをご披露させて頂きます。どうぞ、お楽しみに。<2022年3月>フリーアナウンサー押阪 忍1958年に現テレビ朝日へ第一期生として入社。東京オリンピックでは、金メダルの女子バレーボール、東洋の魔女の実況を担当。1965年には民放TV初のフリーアナウンサーとなる。以降TVやラジオで活躍し、皇太子殿下のご成婚祝賀式典、東京都庁落成式典等の総合司会も行う。2022年現在、アナウンサー生活64年。日本に数多くある美しい言葉。それを若者に伝え、しっかりとした『ことば』を使える若者を育てていきたいと思っています。
2022年03月22日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。風の時代〜一人一人が時代の担い手に風の時代。200年に一度起きる木星と土星の大接近『グレートコンジャンクション』が、これまでの土の星座から風の星座に移行しました。それが2021年、12月21日頃からと言われています。土の星座(牡羊座、乙女座、山羊座)は、目に見えるもの、形あるものを重んじ、物質的なことに価値を見出す時代と言われます。忍耐と根性を発揮して、物質的な豊かさを目指した時代です。そしてこれから始まる風の時代は、形のないもの、情報や伝達、教育など、知ること、覚醒していく時代。自分の好きなこと、想像力、コミュニケーション。心や感性、自由さが大切になってくる時代です。物質的な価値を求める苦しさに疲れた多くの人たちは、風の時代の到来を待ち望んでいたでしょう。わくわくと共に、なんとなく、重い荷物を下ろしたような気がしたのではないでしょうか。この『宇宙的な大変化』のいま、世界は混乱の真っ只中にあります。コロナ禍、そして戦争。他にも人類はあまりにも多くの問題を抱えながら、これらがどのように解決していくのか、まったくわからない状態です。まさに時代の変革期。でも、いったい何を目標にしているのか。それぞれの国、立場の人間たちの思惑が交錯し、多くの情報によって何が『事実』で、何が『真実』なのかわかりません。私も、何を信じていいのか、何も信じられないのか、わかりません。時代が変わっていくには、大きな痛みを伴うのかもしれない。こんな動乱期に生きていることに、自分の問題として大きな意味があるのではないかと考えるようになりました。風のように軽やかにしなやかに生きる。そうできるようになるには、自分の中に沈み込んでいるわだかまりや執着を手放していくこと。まずは自分自身が軽くなること。これがなかなか難しいのですが、先の見えない不安定な情勢の中、ある意味、腹を括ることではないかと思うのです。この時代を選んで生まれてきた。この時代の変革を体験するために選んできた。だからとことん味わい尽くす。本気でそう思えると、世界情勢の先は見えなくても、自分のこれからが見えてくるのではないでしょうか。いいことも、つらいことも、最善を尽くし、味わい尽くす。中途半端でいることが、ストレスとなるのだと最近思うようになりました。風の時代。風は外から吹いてくるのではなく、自分の中に吹かせていく。自分から風を吹かせる。それこそ、形のない、想像力や伝えていく力を発揮していくことではないでしょうか。まずは、大好きなことを楽しむ!趣味でも仕事でも、自分の中に風を吹かせる。そういう意味で、一人ひとりが持てる才能を発揮しながら担い手となっていく時代の到来なのです。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2022年03月20日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。旅立つ日の『走馬灯』人は死ぬときに、これまでの人生の走馬灯を見ると言われます。瀕死の状態から生還した人の体験からしか窺い知ることはできませんが、カナダの研究チームが死の間際の脳波の変化から『走馬灯』の可能性があるのでは、という論文を発表しました。80代のてんかん患者の男性の脳波を測定している際、患者が心臓発作を起こして死亡しました。死へ移行するまでの30秒間、脳波は夢を見たり、記憶を呼び覚ますための高度な認識作業をしているときと同じパターンになり、それは心停止後も30秒間続いたそうです。この『高度な認識作業』が夢なのか、フラッシュバックのようなものなのかは判別できません。夢のようなヴィジョンが、好ましいものなのか悪夢なのか。生きている私たちが体験していない『死』について、医学的、科学的に説明することには限界がありそうです。それでも、死に及んだときに自分たちに何が起きるのか、その後はどうなるのか。これは生きている私たちの最も関心のあることだと思います。誰も体験したことのない死は哲学、宗教の中で語られ、それを受け入れるかどうかは人それぞれです。そこで『物語』が必要になります。親しい人たちの旅立ちを見送ること。それは、ひとつの死の体験です。7年前のクリスマスイブの朝、母が脳梗塞で倒れました。病院に駆けつけ、意識のない母を見たとき、こんなシナリオになっていたのか……と呆然としました。でも、しばらくすると母が光っているように見えてきたのです。(最後まで生ききるのを見なさいね)と言っているような。その姿は、愛そのものでした。これは私の心に浮かんできた『物語』です。本当に光っているように見えたのですから私にとっての『本当のこと』なのですが、こう思うことによって私は自分を納得させ、受け入れ、母の人生の物語を見守る心の準備をしたのです。『物語』は妄想などではなく、挫けそうな心を守るための、心の作用なのです。急性期病院から療養病院へ。そして、もう手を尽くしたとの判断で老人病院に転院した翌日、母は旅立ちました。その病院にだけは入りたくないと強く思っていた病院に移ったとき、何も言えなくなった母は心の中で(もういいわ)と旅立つことを決めたのだと思います。無理やり連れて行かれたのではない。自分で決めて逝ったのでしょう。最後に母はどんな走馬灯を見たのでしょうか。幸せな光景であったらいいなと思います。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2022年03月13日こんにちは、フリーアナウンサーの押阪忍です。ご縁を頂きまして、『美しいことば』『残しておきたい日本語』をテーマに、連載をしております。宜しければ、シニアアナウンサーの『独言(ひとりごと)』にお付き合いください。女子陸上の女王福島千里選手も引退体操の内村航平選手が引退し、その功績を称(たた)えるコメントを書いたばかりなのに、今度は女子陸上、短距離の女王、福島千里選手の引退のニュースです。男子の短距離では、山県、桐生、多田、小池と、その名前がすぐに出て来るのですが、失礼ながら女子の陸上では、福島選手の名前しか出て参りません。それだけ長い間、陸上の女王として君臨して来た訳ですね。彼女の記録をふり返って見ると、100mと200mの日本記録を更新すること計7回(6年連続)、五輪も2016年まで3大会連続! これは驚異であり、正に快挙であります。関係者の話によると見えない所で、それは厳しい練習をしていたと聞いております。福島選手は19才から33才まで14年間、常にトップで走っていた訳ですが、日本の大会で彼女が2番目で走っている姿は 当方、一度も見たことがありません。「ケガさえなければ…」と彼女は記者会見で言っていましたが、ケガさえなければ、トップで疾走する福島選手の姿をまた見られた訳ですよね…。誠に残念であります。ケガは最近では陸上選手の職業病と言われるようになりましたが、彼女も『アキレス腱痛』に悩まされ、この1年、納得のいく記録は残せなかったようです。※写真はイメージでも彼女は長年、女子陸上の美しい花でした。言わば水泳の池江璃花子選手の存在だったのです。女子陸上の短距離レースで、彼女がやや長い髪の毛をなびかせながら、常にトップを走っている姿は、今でもハッキリ瞼(まぶた)に焼きついています。福島千里選手、長い間、日本の女子陸上を盛り上げて下さり、本当に有難うございました。<2022年3月>フリーアナウンサー押阪 忍1958年に現テレビ朝日へ第一期生として入社。東京オリンピックでは、金メダルの女子バレーボール、東洋の魔女の実況を担当。1965年には民放TV初のフリーアナウンサーとなる。以降TVやラジオで活躍し、皇太子殿下のご成婚祝賀式典、東京都庁落成式典等の総合司会も行う。2022年現在、アナウンサー生活64年。日本に数多くある美しい言葉。それを若者に伝え、しっかりとした『ことば』を使える若者を育てていきたいと思っています。
2022年03月07日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。『人生ベスト10』の勧め思いがけないうれしいこと。頑張って達成したこと。人生の中の、日常の中の、忘れられないこと。そんな出来事、思い出は宝物のようです。思い出すたびにあたたかい気持ちになり、感動がよみがえる。それは、宝石箱を開けて宝物を手にとってみることに似ています。そんな出来事を『人生ベスト10』として記憶する。ベスト10だけでなく、20でも30でもいいのですが、あまり多いと特別感が薄まるので、まずはベスト10から数えてみるのがいいでしょう。数え上げるのは、特別大きな出来事でなくもいいのです。大切なことは「感動」、「心が震える」出来事という点です。大切なものは、一カ所にまとめて保管するものです。家中に散らかってはいないでしょう。『ベスト10』を考えてみるのはそれと同じこと。これまで生きてきた中で、最もうれしかったことを心の中でまとめてみることで、自分が歩んできた年月を彩ることができます。そして何よりも幸せ感が高まります。大変なことも多くあったけれど、うれしかったこともたくさんあった。そう考えると、幸せを感じる感性が高まってきます。すると、ささやかなこともうれしいと思えるようになるのです。私が『人生ベスト10』を意識したのは、ハワイでの挙式でのこと。指輪の交換や宣誓の儀式が終わり退場するとき、ふと見ると最前列に座っている母の隣に杏里が座っていたのです。友人たちのサプライズでした。あまりの驚きに泣いてしまいました。当時、杏里はロサンジェルスに住んでいて、なかなか連絡が取りづらい時期でもあったのです。このとき、このサプライズは人生ベスト10に入るなあ、と思ったことがきっかけでした。遡って考えてみると、作詞家になれたこともベスト10に入ります。結婚したことも子どもを授かったことも宝物です。ミュージカル『RENT』の日本語詞の制作に関われたことも、『Jupiter』という大きな作品に出会えたことも、ベスト10に入ります。17歳のときに船の上で見た満天の星空も、授業をさぼって見に行った、最高にきれいだった5月の海も、生き方に示唆を与えてくれた思い出です。インパクトは大きさではなく、心への響き方でもあります。ベスト10を考え始めると、10個では足りないことに気づくでしょう。それは、これからランクインする感動を予感させるのです。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2022年03月06日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。本気になると道が開ける(最近、本気になったことがあるだろうか)音楽大学のミュージカル科の卒業公演『RENT』のサポートしながら、ふと思いました。指導、演出している大人たちはプロ中のプロフェッショナル。バンドのメンバーも、普段はアーティストのステージで演奏する人たちです。指導陣が目指すところに学生たちのパフォーマンスをどこまで持っていけるか。学生たちはどこまで進化できるのか、進化したいのか。発表会でなく公演として成立させるハードルは、お互いにとって高い高いものです。「大人が本気にならなくて、どうして学生たちが本気になれるのか。学生たちの本気度が甘いのは、大人の本気度が甘いからだ。本気になることがかっこいい!と、示していこう」演出家のこの言葉に、ハッとしました。私は、最近本気になって何かをしただろうか。熱いくらいの本気度……。それは情熱という言葉に置き換えられるかもしれません。日々の中で手応えを感じているか。ああ、何だか本気から遠ざかっている気がする。これには焦りを感じます。仕事をするとき、学生に教えるとき、コンテンツを考えているとき、もちろん本気で取り組みます。適当に何かができるほど、器用ではありません。でも、何かが足りない。それは、今感じている本気度を超えていこうとする気概です。東宝ミュージカル『RENT』の日本語詞を書くのは難儀しました。自分の不甲斐なさに、作詞家になって初めて涙が出ました。英語の楽曲に日本語を載せる。ミュージカルの歌詞は台詞なので、情報を入れ込まなければなりません。例えば、I love you.という歌詞は3つの音にのります。日本語で正確に伝えようとすると「わたしはあなたがすきです」と、8つの音が必要になります。もちろん「すきよ」と3つの音でも伝えられますが、あくまで一例として。言葉を凝縮し、意味を保ち、なおかつ歌詞として成立させていく。今思い出しても厳しい仕事でしたが、多くのことを学び、多くのインスパイアを受けました。時間は限られている。その中でどれだけ本気になれることと出会っていくか。本気になると、道が開ける。それは、人生の宝物になります。そして、日々の仕事にも、ごはんを作ることにも、掃除をすることにも本気をこめる。本気になったときに見えてくる風景を楽しみながら、進化していきましょう。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2022年02月27日こんにちは、フリーアナウンサーの押阪忍です。ご縁を頂きまして、『美しいことば』『残しておきたい日本語』をテーマに、連載をしております。宜しければ、シニアアナウンサーの『独言(ひとりごと)』にお付き合いください。花待ち月の二月寒いですねぇ…。建国記念日の前後が一番寒さが厳しいように思います。春待ち心も 日一日と期待感を増して来ています。梅一輪一輪ほどの暖かさ嵐雪すみずみに残る寒さや梅の花蕪村春を告げる花は、先ずは梅でしょうが、その他にも、フクジュ草、サクラ草、コブシなどがあります。それらは『報春花、迎春花』などと表現されています。葉のない冬枯れの枝いっぱいに、黄色の花をつけるマンサクは、余寒の続く早春、万花に先がけて咲きます。マンサク「先ず咲く」が訛(なま)ってマンサクと言われていますが、花弁のちぢれた黄色の花は、春の先ぶれのように思われます。そして早春、まだ花の少ない北国で、花を咲かせ始めている白い花があります。新芽の出ない灰色の裸木に、白い六弁の大型の花を咲かせる『コブシ』です。「こぶし咲く、あの丘北国の…」千昌夫さんが唄う北国の春…。あのコブシです。雪解けの北国の山で咲いているのを一度見たことがありますが、冬枯れの中で灰色の裸木に、白い六弁の大形の花を、枝木の一つ一つにびっしりとつけたコブシの姿は、北国の冬の青空に映えて、それは実に美しく、一瞬心を奪われるほどの壮観なものでありました。コブシの花寒風吹きすさぶ花の無い時季に、一番に花をつけるコブシや梅は、やはりそれなりの『値打ち』があるように思われます。春を待つ花は、スミレ、タンポポ、レンゲ草、椿、桃、桜など多種多彩ですが、本日は 北国でしっかり見た『コブシ』の印象を書かせていただきました。<2022年2月>フリーアナウンサー押阪 忍1958年に現テレビ朝日へ第一期生として入社。東京オリンピックでは、金メダルの女子バレーボール、東洋の魔女の実況を担当。1965年には民放TV初のフリーアナウンサーとなる。以降TVやラジオで活躍し、皇太子殿下のご成婚祝賀式典、東京都庁落成式典等の総合司会も行う。2022年現在、アナウンサー生活64年。日本に数多くある美しい言葉。それを若者に伝え、しっかりとした『ことば』を使える若者を育てていきたいと思っています。
2022年02月22日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。スープの魔法寒い日が続きます。体が縮こまっているせいか、朝からだるくて元気が出ない。マッサージに行こうか、熱いお風呂に入ろうか……。(そうだ、スープを作ろう)そう思い立った途端、なぜか身体がスッと動き始めます。冷蔵庫にあった南瓜と玉ねぎ半分、そして人参で、ポタージュスープを作ることにしました。玉ねぎを炒めて、南瓜と人参を加えて炒め、ひたひたの水を張りくつくつと煮ます。十分に柔らかくなったところで火を止めて、冷めたところでブレンダーにかけます。そしてお鍋に戻し、牛乳を入れ、味を整えて出来上がり。そして熱々のスープをひと口、ふた口、すると体の内側から暖かくなるのがわかります。なんともほっとします。スープには味や栄養や温かさだけでなく、何か心まで満たしてくれる魔法があるようです。童話の『三匹のくま』に、お父さんくま、お母さんくま、こぐまの三つのスープが出てきます。お父さんの大きなお皿に入っていて熱々。お母さんのスープは中くらいのお皿に入っていて冷めている。こぐまのスープは女の子にちょうどいい大きさで、ちょうどいい温かさ。女の子はこぐまのスープを飲んでしまいます。小さい頃にこのお話を読んだときも、娘に読み聞かせをしたときも、『スープ』という響きに命を守るというイメージが広がりました。日頃食べているにもかかわらず、何か特別大切なもののように思えたものでした。料理研究家の辰巳芳子さんは、命に向けられた『スープ』を提唱されます。良い素材を使い、丁寧に丁寧に仕上げていく。手間を惜しまない。丁寧さや手間をかけるのは自分の心を整え、心を込めることなのです。「愛する者のために、トマトを買ったり、煮たり、そんな日々は、思うより短いのです」父親のためにガスパチョを作ったときのことについて、インタビューの中でこう話されています。手軽に、手短に、簡単に、時短で……と、料理も合理性が求められている中、辰巳芳子さんの言葉は大切なことを思い起こさせてくれます。とんとんとんと野菜を切る音、ことことと煮込んでいる香り。そしてひと口食べたときに身体中に広がる温かさ。作り始めたときから癒しが始まっているのかもしれません。もちろん誰かが作ったスープにも、ほっこりの癒しの魔法がこもっているのです。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2022年02月20日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。母の強さが教えてくれたこと母の遺品を整理していて、30年前の母の動画を見つけました。クリスマスの家族での食事会の光景を撮ったもので、クリスマスプレゼントのパジャマを開けている場面です。母はとても優しく穏やかな表情で、ちょっとはにかみながらリボンをほどいています。そしてスモーキーピンクのパジャマを胸に当て、「似合う?」と。今の私よりも若い母がそこにいました。当然のことながら母はずいぶんと大人に思えたものです。30歳の私には57歳というのは遠い未来で、その年齢になった自分は想像できませんでした。それが若さの特権なのかもしれません。だからこそ、恐れることなく無茶なこともやれたのかなあと思います。母の荷物の中には育児日記もありました。私の夜泣きがひどいのは自分のせいではないか。「未熟なママでごめんなさいね」「どうしたら泣きやむのか。どこか痛いの?わかってあげられなくて悲しい」自分を責めるような言葉に、母のさまざまな思いがこもっているようで胸がいっぱいになります。初めての子育てに戸惑っている様子が綴られていますが、母は実に強い人でした。母が大学2年生の時、癌の手術、治療をするために九州から東京に出てきた祖父をひとりで看病しました。そして余命幾ばくもない祖父はどうしても九州に帰ることを希望し、寝台列車でつれて帰ることになったのです。母は医師に同行をお願いし、停車駅ごとに交代の医師に待機してもらいました。どうしてこんなことを思いついたのでしょうか。20歳だった母の機転に感服するばかりです。そしていよいよ祖父の状態は悪くなり、大阪で降りることになります。そのときも駅に救急車に待機してもらい、受け入れ先の病院を手配したのです。携帯電話もない時代に、どうしてそんなことができたのか。おそらく車掌さんに頼んで連絡をとってもらったのだと思います。祖父は大阪で亡くなりました。荼毘に付し、遺骨を抱いて祖父が観たがっていた歌舞伎を観て、九州に連れ帰ったのです。動画の中で穏やかな笑顔を見せていた母は、晩年までさまざまな困難に見舞われました。最後は大病をし身体が不自由になっても、堂々とした母でした。「生き抜くとはこういうことよ」意識のなくなった母は光に包まれて、こう全身で伝えているように私には思えました。強さというのは外に対して発するものではなく、自分の内に向けるもの。それが生きる強さになる。その言葉を超えたメッセージは、言葉以上に心に響いたのです。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2022年02月13日2021年8~10月に開催された、エッセイコンテスト『grape Award 2021』。『心に響く』というテーマを軸に、コロナ禍により変化した生活スタイルが続く中、自分の周りであった心温まるエピソードや、心が癒されるような体験談を募集しました。寄せられた376本もの応募作品の中から、最優秀賞が1作品、タカラレーベン賞が1作品、優秀賞が2作品、選ばれています。今回は、応募作品の中から優秀賞に選ばれた『心も温まるラーメン屋さん』をご紹介します。「今日のお昼ご飯は、何ですか?」「ラーメン」週末、電車の中で交わす息子との会話。息子は11歳。知的には1歳。自閉症。単語は少し言えますが、パターンになっていない会話は難しい。急に大きな声を出すこともあります。コロナ禍になり、マスクをすること、静かにすることが当たり前の世の中になった。しかし、両方苦手な彼にとってストレスな世の中になってしまった。そんな中でも、週末に通うトランポリン教室が楽しみだった。教室へ行く途中、外食をするのが習慣だった。しかし、コロナ禍になり、店内での飲食は、大声禁止。難しくなった。電車で教室に向かっている途中、西新井駅のホームへ降りた。立ち食いラーメン店があった。ここなら、外だし、電車が通るから大きな声を出しても誰も気にしないかも。しかし、彼にとって、食事は座ってするもの。立って食べることができるだろうか?ドキドキしながら挑戦。大丈夫だった。しかも、このラーメンをとても気に入った。それから、週末通うようになった。常連になり、店員さんと話すようになった。いつも息子に「こんにちは」「元気?」「おいしかった?」彼が答えることはほとんどないが、普通に話しかけてくれる。大体の人は、息子の障がいがわかると、私に話しかけてくる。もしかして、障がいがあることに気づいてないのかも?と思っていたある日、「ここにはいろんな人が来てね、ヘルパーさんと一緒にラーメンを食べにくる子もいるよ。ホームで大きな声でアナウンスの真似をしている子もいるよ。いつも大きな声で独り言を言っているから、聞こえないときは、今日はいないのかなと寂しくなってしまう。」と。私は、息子がいつも大きな声を出すたびに、ハラハラドキドキして、一生懸命止めていた。周りからの視線も気になり、皆に迷惑がられていると思っていた。それを、その子の存在と思ってくれる人がいてくれることに、とても心が救われ感動した。帰り際、いつも通り息子に「いつもいっぱい食べてくれるね」と。私は「ありがとうは?」と言葉を促した。すると、「言わなくてもわかっているから大丈夫」と、彼のペースを尊重してくれた。こんなに彼のことを理解してくれていることに、感謝の気持ちでいっぱいになった。私たち家族が安心して出かけることができる心のオアシスとなった。今週も、西新井の駅が近づくと車窓から外を見て、ワクワクする息子。らーめんの看板をみつけ、下車した瞬間「キー」と大きな声で叫びながら、ラーメン店に走っていく。その声を聞いて、「今日も来てくれたね」と、優しくほほえみかけてくれる店員さん。コロナ禍にならなかったら、なかった出会い。西新井駅のホームには、心も温まるラーメン店があります。grape Award 2021 応募作品タイトル:『心も温まるラーメン屋さん』作者名:イルミ※この作品は、3分7秒からご聴取いただけます。ほかの受賞作品も知りたい人は、こちらをご覧ください!grape Award 2021受賞作品が決定!心に響くエピソードがPodcastで楽しめる『grape Award 2021』詳細はこちら[文・構成/grape編集部](function($) { $(function() { if (window.playerjs) { var p = new playerjs.Player( document.getElementById("award_player") ); p.grid = location.href.match(/[0-9]+/)[0]; p.psnd = false; p.on(’play’, function() { if (window.gtag && !this.psnd) { gtag(’event’, ’play’, {event_category:’Audio’, event_label:this.grid + ":心も温まるラーメン屋さん", value:1}); this.psnd = true; } return; }); } return; });})(jQuery);
2022年02月09日2021年8~10月に開催された、エッセイコンテスト『grape Award 2021』。『心に響く』というテーマを軸に、コロナ禍により変化した生活スタイルが続く中、自分の周りであった心温まるエピソードや、心が癒されるような体験談を募集しました。寄せられた376本もの応募作品の中から、最優秀賞が1作品、タカラレーベン賞が1作品、優秀賞が2作品、選ばれています。今回は、応募作品の中からタカラレーベン賞に選ばれた『エール』をご紹介します。父は気難しい。言いたいことはいつも顔に書いてある。ドアを強く閉めることもあれば、階段をドスドス駆け上がることもある。私が「弁当店をやりたい」と言った時も、テレビのボリュームを一気に上げた。反対とは言わないまでも言いたそうな素振り。たまらず「もういい!」と出ていこうとすると「失敗しても帰ってくんなよ」とボソリ。以来父とは顔を合わせていない。そんな私が飯能に店を出したのが十年前。小さな町の、小さな店だ。当初はほとんどお客さんが来ず、手書きのチラシをあちこちに配り歩いた。お客様は一日に十人。それに対し十万円の赤字。やっと赤字から脱出できたのは三年後。そこにはひとりのお客様の存在があった。ふじの。その人は開業当初から買いに来てくれるお客様だった。そして年に一度、決まって7月3日に弁当を大量注文する。やり取りはいつもFAX。取りに来るのはいつも代理の方だった。「いつもありがとうございます。しかしこんなに沢山のお弁当、どなたが食べるんですか」ある時私が尋ねると「まあ、いいじゃないですか」と代理人は言葉を濁した。その後も弁当を取りに来てはすぐに帰っていく。車のナンバーが地元ではないことから近隣の住民でないことは明らか。ひょっとして転売目的?でもなあ、と思う。たまにお菓子の差し入れをする様子を見ると悪い人ではなさそうだった。やがて弁当店が軌道に乗り始めると『ふじのさん』からの注文はパタリとなくなった。それでも毎年7月3日には必ず弁当を200食注文する。それは店にとって大変ありがたいものだった。しかし昨年。コロナウイルスの感染拡大によって事態は一変。予約のキャンセルが相次ぎ、店の経営は一気に傾いた。店舗の家賃に、光熱費。休業しても伸し掛る毎月の支払い。気力より先に貯金が底をついた。『誠に勝手ながら今月末で閉店させて頂きます』結局、私は廃業の道を選んだ。悲しくて、悔しくて。コロナに胸ぐらがあったら掴んでやりたい。何度も思った。だがそうもしていられず、店の撤去作業に追われた。自らペンキを塗った看板。何枚も配り歩いたチラシ。分厚い顧客リスト。それらを見ては涙に暮れ、悲嘆に暮れた。お客様からのFAXをシュレッダーにかける時は、身も心も刻まれるようだった。そんなある日、店にFAXが届いた。FAXの主は『ふじのさん』だった。見れば『7月3日シャケ弁200食』とある。だがその日にはもう店はない。ないんだ。私は切なさいっぱいに、その旨をFAXで伝えた。店を立ち退く日。その日は朝から別れの挨拶に訪れるお客様で賑わった。その中に『ふじのさん』の代理人がいた。大きなダンボール箱を抱え「これはヤッサンから」と差し出した。中身は伊予柑だった。「いい予感、ってことだそうです。またがんばって下さい」いい予感、か。私たちは顔を見合わせて笑った。「そう言えばいつも7月3日にご注文を頂いていたのですが、あの日は何があったんですか」するとそれまで私を見ていた代理人さんが、すっと目をそらした。そしてたったひと言。「誕生日だから」と言った。途端に頭が真っ白になった。年に一度の大量注文。それは私へのハッピーバースデーだった。おめでとう。がんばれよ。声にならない『ふじのさん』のエールが聞こえた気がした。ありがとう。わたし、がんばるよ。なんかいい予感がするよ。ダンボール箱を抱きしめて、私は、ちょっとだけ、泣いた。『ふじのさん』は、父だ。 grape Award 2021 応募作品タイトル:『エール』作者名:こまゆみ※この作品は、19分34秒からご聴取いただけます。ほかの受賞作品も知りたい人は、こちらをご覧ください!grape Award 2021受賞作品が決定!心に響くエピソードがPodcastで楽しめる特別協賛企業のご紹介株式会社タカラレーベン株式会社タカラレーベンは全国で新築分譲マンションを中心に展開する不動産総合デベロッパーです。「幸せを考える。幸せをつくる。」を企業ビジョンとして掲げ、幸せをかたちにする住まいづくり、街づくりを実現しています。本コンテストでは、『心に響く』をテーマとした全応募作品の中から特に「幸せ」が感じられる作品に、『タカラレーベン賞』が贈られました。『grape Award 2021』詳細はこちら[文・構成/grape編集部](function($) { $(function() { if (window.playerjs) { var p = new playerjs.Player( document.getElementById("award_player") ); p.grid = location.href.match(/[0-9]+/)[0]; p.psnd = false; p.on(’play’, function() { if (window.gtag && !this.psnd) { gtag(’event’, ’play’, {event_category:’Audio’, event_label:this.grid + ":エール", value:1}); this.psnd = true; } return; }); } return; });})(jQuery);
2022年02月09日2021年8~10月に開催された、エッセイコンテスト『grape Award 2021』。『心に響く』というテーマを軸に、コロナ禍により変化した生活スタイルが続く中、自分の周りであった心温まるエピソードや、心が癒されるような体験談を募集しました。寄せられた376本もの応募作品の中から、最優秀賞が1作品、タカラレーベン賞が1作品、優秀賞が2作品、選ばれています。今回は、応募作品の中から優秀賞に選ばれた『母の宇宙ステーション』をご紹介します。夕飯の支度を始めかけた時、電話が鳴った。ディスプレーには母の名前があった。最近の母からの電話と言えば、一人暮らしをする孫娘達の心配ばかりだ。暗いニュースが続くせいで、心配はさらに膨らんでいる。「どうしているんやろ」や「連絡はないの」ばかりを繰り返す。今回もそれだろうと思い、小さくため息をつきながら受話器を取った。「もしもし、元気ですかぁ。」母が明るい声で私の近況を問う。私は適当に返事をし、「連絡はない。ないのが元気な証拠だ」といういつもの言葉を準備した。しかし母は、「今夜なぁ、宇宙ステーションが見られるんやって。」と、全く予想外の話を始めた。思わず、「なにそれ。どうしたん。」と、大きな声を出した。母は様々な事に興味を持つ人だった。いくつもの習い事に通い、友達とあちこちへ出かけもしていた。しかし、母の口から「宇宙ステーション」などという言葉が出てきたことは、本当に驚きだった。母によると今夜、宇宙ステーションが日本の上空を通るらしい。その時間に空を見上げると、宇宙ステーションが光りながら飛ぶのが見えるというのだ。「さっきのニュースで聞いてん。だから教えてあげようと思って。」と、母は嬉しそうに言った。思ってもいなかった話題に、母の事が少し不安になった。それでも、「みんな元気にしてるんかなぁ。連絡は何かないの。」と、最後には孫娘達の心配になる。やはりいつもの母だと安心し、準備通りに素っ気なく返事をした。電話を終え、夕食の支度を始める。全て終えて時計を見たら、母の言っていた時刻が近い。用事は済んだし、見たいテレビもない。それならとさんだるをひっかけ、近くの高台へと向かった。外灯の少ない場所を探し、空を見上げる。本当に見えるのか。母の事だから、時間を聞き間違えていないか。あれこれ考える。そのうちにふと、「母も今、空を見上げているのだろうか」と思った。実家の周りは車も多く、星は見えにくいだろう。そんな中で空を見上げる母を想像する。母は、一人きりで立っていた。九年前に父が亡くなり、母はずっと一人だ。今日も母は一人で夕食を食べ、一人で空を見上げている。今更のように気づき、奥歯がぐっとなった。しかし母が、自分の寂しさを話す事はほとんどない。母からの電話はいつも、私たちの事ばかりだ。私が趣味にしている投稿が新聞に載った朝には、必ず母から電話が来る。朝一番にかかってくる電話に、「大袈裟や」と笑い飛ばす。それでも母は「よかったね」と、笑って言ってくれる。そしてどんな話をしていても、最後には必ず孫娘達の心配をし、仕事で毎日忙しい妻を気遣ってくれる。ずっと一人きりなら、あれこれ思う事もあるだろう。しかし、母がそれを口にすることはなかった。今日の電話でも母は、「嫌なニュースばっかりやけど、上を向いていられるようにと思って電話してん。」と言っていた。切れる前には、「上を向いて暮らしてくださいね。」とも言ってくれた。適当な返事ばかりをしていた。空を見上げたまま、唇をかんだ。結局、宇宙ステーションは見えなかった。薄い雲がかかっていたし、見る方角が正しかったかどうかも分からない。あきらめて家へ戻る。たまにはこっちから電話してみようか。歩きながら思った。「宇宙ステーションは見えへんかった。ずっと上向いてたんやけどなぁ。」そう言えば母は笑ってくれるだろうか。立ち止まり、また空を見上げた。grape Award 2021 応募作品タイトル:『母の宇宙ステーション』作者名:嶋田 隆之※この作品は、11分10秒からご聴取いただけます。ほかの受賞作品も知りたい人は、こちらをご覧ください!grape Award 2021受賞作品が決定!心に響くエピソードがPodcastで楽しめる『grape Award 2021』詳細はこちら[文・構成/grape編集部](function($) { $(function() { if (window.playerjs) { var p = new playerjs.Player( document.getElementById("award_player") ); p.grid = location.href.match(/[0-9]+/)[0]; p.psnd = false; p.on(’play’, function() { if (window.gtag && !this.psnd) { gtag(’event’, ’play’, {event_category:’Audio’, event_label:this.grid + ":母の宇宙ステーション", value:1}); this.psnd = true; } return; }); } return; });})(jQuery);
2022年02月09日