2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。浸潤性小葉がんによる右胸の全摘、同時再建手術を受けたこほこさん。退院から2日たち、日常生活を送ろうとするも困難がたくさんあって……!?★関連記事:「ふんばれぬ…!」退院の翌朝、自宅の布団から起き上がるコツを見つけて!? #乳がん絵日記 22術後12日目、無事に退院した私は自宅でまったりと過ごしていました。手術をした右胸は利き手側だったので困ったことがたくさんありました。傷に響くので、重いものを持ったり力を入れたりすることはしばらく難しい状態でした。また、再建した右胸の傷を治すために、右腕を90度以上上げることもダメだったので動作が限られてしまっていました。退院して料理をしていたのですが、包丁でにんじんとか肉とか硬いものを切る、みじん切りのような細かい動き、重い鍋を持ち上げる、ビンのフタを開けるといった動きができず……。おたまで鍋の中身をかき混ぜることも意外と腕を持ち上げるので右腕ではできませんでした。ただ、無理に料理せずともお惣菜や宅配などテイクアウトのご飯で食事を済ませることもできるので、何とかなるか〜と思っていました。すると、料理が得意な母があらゆる食材を使った料理がクール宅急便で届いたのです! たけのこご飯やハンバーグ、れんこんのサラダなどうれしいものがたくさん!またもや母の愛を感じました。自宅での生活にも慣れてきた退院3日目。右胸の傷に貼るガーゼやテープが足りなくなってきたため、近所のドラッグストアへ行きました! 術後初めて外を歩いたのでやや疲れましたが、もっともっと歩きたくなっていきました。そこで、友人に付き添ってもらって近所の公園を散歩することにしました。休憩を挟みつつ、1時間半くらいゆっくりと歩きました。合計2〜3kmくらい歩き、夜は眠剤を飲まなくてもぐっすり眠れました。手術をしてから、右胸と左太ももの傷を治すために寝る体勢があお向けになっていて、普段うつ伏せか横向きで入眠していた私はなかなかうまく眠れなくなってしまっていました。でもこの日はスッと眠れたので、単に運動不足だったのかもしれません。右胸の再建は左太ももの自家組織を利用したので、左太ももの傷も確認していました。左の内ももから足の付け根に向かって、20cmくらいの大きさの傷がありました。普通に立ってると前後からはほとんど見えないので、あぐらをかいて傷の確認をしました。保湿してから病院の売店で買ってきたテープを週1くらいで貼り替えていました。左太ももの管を挿していた穴の周辺がプヨプヨと膨らんでて、入院中は何かたまっているのかな〜て思っていたのですが、退院日にエコーで見てもらったら自分の脂肪でした(笑)。この膨らみを抑えよう! と思いネット通販でサポーターを購入したのですが、すごくキツい。口コミでもキツいと書かれていたのですが、安いしサイズ表では問題ないなかったのです。太ももに巻こうとしたらすさまじい圧迫感を感じたので、膝を痛めている夫にプレゼントしました(笑)。ー--------------術後の制限が多いこほこさんに料理を送ってくれたこほこさんのお母さん。ふとしたことで親のありがたさを感じることってありますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年10月29日2人組の漫画家「黒百合姫」として活動している、マナカさん。ある日、生理中に尋常ではない下腹部痛に襲われ、婦人科で検査を受けた結果、子宮筋腫だと判明。 マナカさんが子宮全摘したときの体験談を綴ったエッセイ漫画です。【前回のあらすじ】MRI検査の結果、子宮筋腫だと判明し、子宮を全摘することになったマナカさん。ひと通りの検査を済ませたあと、2022年7月に入院し、入院した翌日に手術となりました。ところが、医師には「大体2時間くらいで手術が終わると思います」と言われていたのですが、午前9時に始まった手術はお昼を過ぎてもなかなか終わらず、マナカさんが目を覚ましたのは……。 術後の話 ※チョコレート嚢腫(のうしゅ)→チョコレート嚢胞(のうほう)。 マナカさんが目を覚ましたのは、夕方の5時。午前9時に手術が始まったため、およそ8時間も手術をしていたことになります。かなりの大手術だったようですね……! もともとは、子宮筋腫になっている子宮全部と、チョコレート嚢胞になって腫れてしまっている右側の卵巣を切除する予定でした。 しかし……。 いざ手術が始まり、医師が内視鏡で中を除いてみたところ、子宮内膜症の症状が進行しており、他の臓器との癒着が思いのほか進んでいたそうです。そのため、癒着部分を少しずつ剥がして取る作業に時間がかかってしまい、結果、約8時間の大手術になってしまったのだとか。 とにもかくにも、これで手術は無事に終了! 鼻に通された管の違和感が気になるものの、術後の体の疲れもあって、マナカさんは病室のベッドでうとうとし始めました。 ただ……。 寝入りそうになったときに唾をゴクンと飲んだら、喉の奥に「ズキーン」と激痛が! この喉の痛みに加え、鼻に通された管の気持ち悪さもあって、なかなか快眠とはいきません。 どうやら、翌朝に先生に診てもらうまで、鼻の管は抜けないとのこと。12時間以上もこの状態で過ごさなければならなくなりました。でも、どうしようもありません。 そして、寝たり起きたりを繰り返しているうち、ようやく朝に。 朝の8時。マナカさんは「朝になった! そろそろ先生がくるはず」「まだかな、まだかな〜」と、ようやく苦痛から解放される喜びを感じながら、先生の回診を今か今かと待ち望んでいました。 しかし……先生が回診にやってくるのは3時間後の11時。マナカさんはそれを知らなかったのです。 あと3時間。とはいえ、マナカさんにとっては地獄のような苦痛の時間がもうしばらく続いたのでした。 監修/助産師 REIKO 黒百合姫さんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター 黒百合姫石川県出身、東京都在住。ペンネームは地元の県花から由来。彩帆とマナカの二人組です。漫画のほか、イラストやキャラクターデザインも制作しています。「物語の中の人」連載中。
2022年10月27日2人組の漫画家「黒百合姫」として活動している、マナカさん。ある日、生理中に尋常ではない下腹部痛に襲われ、婦人科で検査を受けた結果、子宮筋腫だと判明。 マナカさんが子宮全摘したときの体験談を綴ったエッセイ漫画です。【前回のあらすじ】2021年9月某日、生理痛がひどくて近所の病院を訪れたことがきっかけで、のちに大きい病院でMRI検査を受け、子宮筋腫だと判明したマナカさん。手術が必要だと医師に言われ、「子どもを産む予定もないし別にいっか」との理由で、マナカさんは子宮全摘を即決! 2022年7月に手術を受けることが決まり、それまでに入院前の検査をすべて済ませました。そして、いよいよ入院となり……。 ついに入院からの手術! 入院にあたり、マナカさんが病院に持ち込んだ物の一覧を見てみると、生活必需品(充電器・入浴用品など)に加え、Switchやフック付きのカゴといった、病室で過ごす時間を快適にするためのものもありますね。 注目すべきは、ふりかけ! 確かに、体が弱っている術後は、おかゆなど消化に良く味の薄いものがメインになることが多いです。味が物足りないと感じたときのために事前にふりかけを持っていくとは、マナカさんは入院に慣れている印象がありますね。 実はマナカさん、約10年前にも入院した経験があるそうです。 約10年前、鼻ポリープの手術のために入院した際は、手術が終わったあとすぐに体が回復し、術後6時間後には自分で歩いてトイレに行っていたそうです。 その経験もあり、「まあ、今回もすぐ元気になるだろう」と安易に考えていたマナカさん。手術前日には、おいしい病院食を食べながら「ちょっとした旅行気分だな」と、入院生活をちょっぴり楽しんでいました。 そして、翌日はいよいよ待ちに待った手術! 普段からBL漫画も描いているマナカさんは、 「BL漫画で毒を盛られたときみたいだな……」「なんだか甘い匂いがする……腐ったリンゴのような匂いだな」 と、薄れていく意識の中で感じたのだとか。 ※腹腔鏡手術において、おなかに開ける穴の数や手術時間は、状況によって異なります。 今回、マナカさんが受けたのは「腹腔鏡手術」と呼ばれる、CO2(炭酸ガス)で膨らませたおなかに小さな穴を開けておこなう手術のこと。穴から内視鏡を挿入し、映し出された映像を見ながら手術をおこないます。 事前に、医師からは「大体2時間くらいで終わります」と告げられていたマナカさん。しかし、午前中に始めた手術は、午後5時になっても終わらず……。マナカさんと同居している、黒百合姫の片割れ・彩帆さんは、「マナカから電話がこないなぁ」と心配していたそうです。 監修/助産師 REIKO 黒百合姫さんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター 黒百合姫石川県出身、東京都在住。ペンネームは地元の県花から由来。彩帆とマナカの二人組です。漫画のほか、イラストやキャラクターデザインも制作しています。「物語の中の人」連載中。
2022年10月25日2人組の漫画家「黒百合姫」として活動している、マナカさん。ある日、生理中に尋常ではない下腹部痛に襲われ、婦人科で検査を受けた結果、子宮筋腫だと判明。 マナカさんが子宮全摘したときの体験談を綴ったエッセイ漫画です。【前回のあらすじ】2021年9月某日、生理痛がひどくて近所の病院を訪れたマナカさん。超音波検査を受けたのですが、医師に「手術になるかもしれません。ここでは手術ができないので別の病院へ行ってください」と言われ、紹介状を持って大きい病院へ。2022年3月に転院先の病院でMRI検査を受けた結果、子宮筋腫だと判明し、やはり手術が必要とのこと。「子どもを産む予定もないし」との理由で、なんとマナカさんは子宮全摘を即決! そして、2022年7月に手術を受けることが決まったのでした。 入院前検査を受けたときの話 マナカさんが2021年9月に近所の病院を初めて受診してから、2022年7月に大きい病院で手術を受けるまで、なんと半年以上もかかったそうです。入院するまでにいろいろな検査を受けないといけない中、生理中で検査を受けられなかったり、なかなかMRI検査の予約が取れなかったりしたことが理由なのだそう。 入院する半月ほど前には、『子宮体がん検査』を受けることになりました。子宮体がん検査では、まず、腟を広げるためのクスコという器具を挿入した上で、細い棒状のブラシやヘラで子宮の奥をこすって、組織を採取し、がん細胞がないか調べます。 以前、子宮頸がん検査を受けたことのあるマナカさんは、「子宮頸がんの検査とあまり変わらないなら、そんなに痛くないだろうし楽勝だぜ!」と高を括っていたそうです。 こちらは、マナカさんが描いた婦人科の診療室の図解です。非常にリアルですね! 過去にも何度か婦人科を訪れたことのあるマナカさんは、婦人科のいわゆる「足パッカーン」する診察台にも慣れていましたし、「医師はこれまでに何人もの患者を見てきているわけだし、ここで恥ずかしがるほうがむしろ失礼だろう!」と、堂々とした態度で診察台に上がりました。 そして、いよいよ子宮体がん検査のため、クスコと細いブラシを腟内に挿入されたのですが……検査中、マナカさんはひたすら「早く終われ、早く終われ、早く終われ!!」と耐え忍んでいたそうです。マナカさんいわく、「この時間は地獄だった」と思うくらい、かなり痛かったのだとか……。 実は、子宮体がん検査では、子宮の奥に器具を挿入しないといけないため、子宮頸がん検査に比べて痛みを伴うことも多いのだそうです。 今回の検査で、腟を広げられて子宮を触られる痛みを経験したマナカさんは、 「不妊治療で人工授精をしている人は、この痛みを毎回経験しているのか」「世の中のママさんたちってすごいなあ」と感じたそうです。 また、今回の子宮体がん検査に比べると、子宮頸がんの検査は圧倒的にラクだったと感じたマナカさんは、世の中の女性にはもっと子宮頸がん検査を気軽に受けてほしいとも思ったそうです。 監修/助産師 REIKO 黒百合姫さんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター 黒百合姫石川県出身、東京都在住。ペンネームは地元の県花から由来。彩帆とマナカの二人組です。漫画のほか、イラストやキャラクターデザインも制作しています。「物語の中の人」連載中。
2022年10月24日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの体験を描いたマンガを紹介します。子宮頸がんの手術をおこなったとりだまりさん。抗がん剤治療中、自分の体に異変を感じて……。★関連記事:「めっちゃうるさくない?」消灯後も続く抗がん剤治療で思わぬ事態に… #子宮頸がんゆる闘病記 36抗がん剤治療の2日目と3日目は、輸液を点滴します。初日に投与した抗がん剤をどんどん水で流していく感じなのですが、ずっと点滴をしていると、夏なのに体が冷える。すると、看護師さんがジェルタイプの湯たんぽを用意してくれました。気にしてくれる方がいる。それだけで気分がほっこりして、ストレスが和らぐのですよね~。抗がん剤の副作用は3日目から出てきました。歩くとちょっとフラついたり、食べるとちょっと「うっ」となるのですが、このときはそこまでつらくありませんでした。ただ、何だかとにかく暑いんですよ!午前中はいいのですが、午後になると汗がダラダラ止まらなくなりました。暑さと汗の原因、それは更年期障害でした。死なないためには仕方ないんです。……と自分に言い聞かすのですが、まぁ軽くショックです。私の場合は、術後2カ月しないうちに、ホットフラッシュが出てきちゃいました!……出るにしたって、早くねぇ? 出ない人は全然出ないっていうのに……。「女である時期は終わっちゃったんだな~」とか、つまらないことをチラリと思ったりもしました。あ、でも、その後もビジュアル的に女らしさはなくなっていないし、ぶっちゃけ生理がないのは、めっちゃラクです!ただ若いころから更年期の症状が出ることは、いいことはないので、妹には電話で検診を受けるよう勧めたのです(笑)。マンガは、これで最終話となります。私の体験が少しでも皆さんの役に立てたらうれしいです!ー------------------------術後2カ月で更年期の症状が出てびっくりしたと、とりだまりさん。突然症状が出てくるものなのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まど(46歳)フリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2022年10月23日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。右胸の全摘と同時再建手術を受け、退院して自宅へと戻ったこほこさん。病院との違いに戸惑いながらも自宅での生活に戻って……。★関連記事:「お世話になりました!」ついに退院。帰宅して感じた病院との違いとは #乳がん絵日記 21私は右胸に浸潤性小葉がんができ、右胸の全摘、左太ももの組織を使った再建手術をおこないました。それから約2週間の入院生活を経て、わが家へと帰宅しました。入院する前、脱ぎ履きがしやすく、かかとを覆ってくれて転倒防止になる靴を探していました。病院の売店に表面にファスナーがあって、足の甲の部分を調整できる靴が売っていたのですが、短期間しか履かないから手持ちの靴で何とかしたいと思っていました。スリッパやサンダルはNGだったのでスニーカーにするか……と入院直前までは思っていたのですが、術後にひもを結ぶことができるのか? と気付き、手を使わず脱ぎ履きできる柔らかくて軽い皮でできたスリッポンを履くことにしました。私は左太ももの自家組織で右胸の再建をしたので、術後すぐは左脚を持ち上げたりしゃがんだりできませんでした。なので、ひもで調整するスニーカーは脱ぎ履きに時間がかかっただろうと思います。予想外だったのは、術後6日目まで足がむくんで靴に足が入らなかったこと。はだしでもかかとが入らず、やむを得ずかかとを踏んで靴を履きました(笑)。靴についてはかかとを踏んでも良かったのですが、転倒防止の面ではあまり良くなかっただろうな……と思います。術後7日目以降はむくみも引いて、かかとまでしっかりと履いて普通に歩けるようになりました。退院して帰宅し、自宅の床に座った後立ち上がることが難しいと気付きました。左太ももに力を入れてふんばったり、正座のような角度まで曲げると左太ももの裏の傷のそばがピリピリしていました。帰宅し、布団で寝るようになって起きてから立つことが大変でした。入院中はベッドでの生活だったので起き上がるのが大変だなんて思いませんでした…!そこで起床したらまずは四つんばいになって力を分散させて、手術をしていない右脚を軸足として踏み出します。このとき、うっかり左脚に重心が移ると支えきれないので、右太ももに全体重を預けて片足で立ち上がります。右胸を手術しているので、右腕に力が入らないよう左手でサポートするようにしていました。そして右脚重心の片足だけだとヨロヨロするから、壁に手をつけて壁伝いに立ち上がる。術後15日目までの3日間は布団からの立ち上りに四苦八苦しましたが、16日目からは完全にコツをつかんで割とすんなり立ち上がることができるようになりました!なんだか病室のベッドが恋しい〜と思った3日間でした。退院翌日、午前中のうちにシャワーを浴びようと準備しました。術後初めてのシャワーでウキウキな気持ちでした。傷を濡らす勇気が湧かず、ひとまず立ったままま頭だけ洗いました。それから体にもシャワーでお湯をかけて……気持ち良い〜!右胸と左太ももを濡らさないようにしたので、かえって難しいシャワーの浴び方をしていたので、翌日からは普通に全身シャワーしました(笑)。お風呂上がりにまさかの排水の点検業者さんが登場! 入院中に点検のお知らせが来ていたようだったのですが、夫が失念しており頭が濡れたまま点検してもらいました……。その後、初めて右胸の傷を鏡で正面から見ました。傷の壊死したところは2cmくらい薄黒くカサカサ乾いたかさぶたのような感じになっていました。ー--------------病院と自宅の違いに戸惑いながらも何とか生活しているこほこさん。普段通りに生活できないことって不便ですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年10月22日2人組の漫画家「黒百合姫」として活動している、マナカさん。ある日、生理中に尋常ではない下腹部痛に襲われ、婦人科で検査を受けた結果、子宮筋腫だと判明。 マナカさんが子宮全摘したときの体験談を綴ったエッセイ漫画です。 おなかが痛いと思ったら子宮筋腫だった 2021年9月、生理痛があまりにも痛すぎて近所の婦人科を受診したマナカさん。その日は超音波検査だけを受け、10月に入ってから内診を受けました。さらに、12月になって別の病院でMRIを受け、1月に検査結果が出たのですが、子宮筋腫(しきゅうきんしゅ)ができていて、卵巣も腫れていることが判明。 そして、2022年3月。その病院では治療ができないらしく、おそらく手術になるとのことで、紹介状を持って別の大きい病院へ足を運ぶと……。 子宮筋腫とは、筋肉組織が異常増殖することで子宮壁にできる良性の腫瘍のこと。なんと、女性の4人に1人が子宮筋腫になると言われています。 子宮筋腫の治療法には、手術や投薬などがあります。症状が軽い場合は経過観察となり、治療をおこなわないケースもあるそうです。 手術の場合は、子宮を全摘出するか、筋腫部分のみを切除するか、選ぶことになります。今後、妊娠を希望する場合は筋腫部分のみ切除するケースが多く、妊娠を希望しない場合や、子宮筋腫に悪性の疑いがある場合は、子宮全摘を選ぶこともあるのだそうです。 投薬の場合は、子宮筋腫の発育を抑えたり、子宮筋腫の症状(出血や痛みなど)を緩和させたりする目的で、薬で体を閉経状態にさせる「偽閉経療法」をおこないます。 治療方針で悩んだ結果、マナカさんは「子どもを産む予定もないし、薬を飲み続けるのも面倒くさいから、子宮全摘にしよう!」と決断。あまりの思いきりのよさに、医師も驚いていたそうです。 しかし、手術を待つ間にかかる薬代が予想以上に高額で……。 ※「子宮筋腫はストレスで大きくなる」…現代医学では、子宮筋腫が大きくなる原因には女性ホルモンが関係していると考えられています。中でも、東洋医学では、子宮筋腫の進行には精神的ストレスも関係しているという考え方もあります。子宮筋腫の発育を抑えつつ子宮筋腫の症状を緩和させる目的で、精神的ストレスがかかりやすいなどの体質に応じて、子宮筋腫の治療に漢方薬を用いるケースもあります。 2022年3月に初診を受けたマナカさん。4月に再びMRIを撮り、4月末に手術することを決意。そして、5〜6月は手術前検診の流れとなりました。 はじめは、医師の都合で「手術は9月にしましょう」と言われたのですが、9月まで手術を待つとなると、その分薬代がかさんでしまい、薬代だけで大きな出費に。 そこで、マナカさんは「7月は漫画の締め切りがなくてスケジュールが空けやすいから、何卒、手術は7月でお願いします!!」と医師に懇願。結果、マナカさんの希望が通って7月に手術を受けることになりました。 監修/助産師 REIKO 黒百合姫さんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター 黒百合姫石川県出身、東京都在住。ペンネームは地元の県花から由来。彩帆とマナカの二人組です。漫画のほか、イラストやキャラクターデザインも制作しています。「物語の中の人」連載中。
2022年10月20日今回は口腔外科の診察に行ったときのお話です。先生が「小学校に上がった後、手術が必要ですね」と言うと、くぴこちゃんの口からは「また手術するの?嫌だな……」と本音が飛び出してしまって……!?「また手術するの?」娘が本音を言い始めて…生まれてすぐから毎月のように通っていた口腔外科。 口唇手術、口蓋裂手術、修正手術と経て口腔外科に通う頻度も変わり、6歳になってからは診察も3カ月1回になりました。 矯正歯科で作られたフェイスマスクをつけるようになって1年。 上の顎も下の顎も同じくらいの位置になり、やや受け口気味だった歯並びが整ってきました。 この1年娘が慣れない矯正器具をしっかりつけて、改善に努めている姿勢を先生はとても褒めてくれました。 しかし……。 レントゲンでみると、娘の上顎左側の部分の骨の一部が欠損しているのが、ハッキリとわかり、小学校にあがったあとに骨移植の手術は避けられない。 レントゲンを元に説明する先生の言葉を聞いて、娘が思わず「手術はもう嫌だ」と落ち込みます。 すると先生は娘の目線に合わせてこう言いました。 先生は「半分は嫌で、半分が楽しみみたいな感じだから、それを聞くとワクワクしない?」と冗談めいて話すと、娘も「手術はワクワクしないよ!」と突っ込みを入れてさきほどの空気ががらりと和やかになり2人は談笑します。 娘の目線に合わせて説明する先生の様子からこれまで私たち保護者主体で動いてきたことが、当事者の娘も含めた治療へと進みだしたことを感じました。そして、先生は改めて私たち夫婦に目を向けてこう続けました。 口唇口蓋裂治療のために、今までも何度も乗り越えてきた手術。 次の手術は、より難しく、娘にとっても家族にとっても乗り越える課題が多く、そしてその後もまだまだ治療は続いていく……とのことでした。 今後自覚をもって治療に向かわなくてはならない娘に待ち構えている試練を親としてどう支え向き合うべきか、その不安と心配な気持ちはずっと拭えません。しかし「乗り越えることが多いかもしれないけど、前向きなこともある」という言葉には小さな希望を感じて、とても勇気づけられました。 2013年生まれの長女くぴこは「口唇口蓋裂」ちゃん! この記事が、口唇口蓋裂についての理解につながり、ひとりでも多くの親御さんの励みになりますように。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター じぇにこ1986年生まれ愛知県在住。 2013年生まれの長女と2017年生まれの次女、二児の母。デザイン学校卒業後、社会人経験を経てお絵かき主婦へ。 口唇口蓋裂や夫婦のこと、日々の育児で翻弄される様子を絵日記ブログで公開中!
2022年10月18日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの体験を描いたマンガを紹介します。子宮頸がんの手術をおこなったとりだまりさん。いよいよ抗がん剤治療をする日を迎えて……。★関連記事:「何これ…」初の放射線治療後、異様な眠気と吐き気が襲ってきて… #子宮頸がんゆる闘病記 34私が飲んでいたのは「イメンドカプセル」という吐き気防止のお薬。めっちゃ強い吐き気止めなんでしょうね~。6本中4本が「輸液」。抗がん剤が終わった後は、輸液をガンガン流すことで、強力な抗がん剤を排出するようです。点滴、ひんやりしますよね~。「ああ、今、抗がん剤が入ってるんだなー」と実感する瞬間です。私はなんか緊張して、気付けば全身に力入ってました。なんかそれだけで疲れるじゃないですか。というわけで、私はずっと「抗がん剤は美容液!」と思い込みながら、点滴を受けていました。うふふふふ。でも、そう考えるだけで、だいぶ楽しかったんです。それに、せっかく研究者さんたちががんを治療するために作ってくれた薬を、ただただ怖がるのは嫌だったし。頑張っている私の体に対しても、「今体に入ってる物は、嫌な物だ」と感じさせちゃったら、余計ストレスになりそうな気がしたんですね。それに、がん細胞を抗がん剤で「たたく」みたいなイメージも、私はちょっと怖いなって。だって、がん細胞だって、私の体の一部なんです。がん細胞からしてみたら、私の中で、ただ生きたいだけなのですよね。まぁ、あんまり元気に生きられると、宿主である本体が死んじゃうので困るのですが……。それを悪者みたいに捉えちゃうのは、ちょっとかわいそうだなと思っていました。だから、黒くてトゲトゲしたがん細胞が、抗がん剤や放射線に触れると、魔法みたいに瞬時にキラキラキラ……となんかビタミン的な栄養豊富なものに生まれ変わる。だから、私、治療のたびに美肌になっちゃうわ~!そんなふうに思いながら治療を受けていたんです。治療が長くなってくると、なかなかこうも言っていられないと思うんですけども。でも、自分で自分のメンタルを楽しく保てたのは、結構うれしかったです。ー------------------------最初はすごく緊張して、全身に力が入っていたけれど、考え方を変えることで気持ちがだいぶラクになったと、とりだまりさん。ポジティブに捉えられるのは、とてもすてきなことですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まど(46歳)フリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2022年10月15日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。右胸の全摘と同時再建手術を受けたこほこさん。術後から12日目、退院の日を迎えてこほこさんが思ったこととは……。★関連記事:「もっと入院させてもらったら?」娘を心配するがあまり母が衝撃発言! #乳がん絵日記 20私は右胸に浸潤性小葉がんが見つかり、右胸の全摘手術を受けました。同時に左太ももの組織を使って右胸の再建手術もおこないました。約2週間の入院生活も終わりに近付いてきました。入院生活最後の日の朝もさわやかな目覚めでした。いつものようにモーニングコーヒー飲みながら窓からの日の出を堪能。8時45分ごろに形成外科の先生が病室に来て、一緒に処置室へ向かいました。左太ももからの体液の排出が減ってるから、管が出てるあたりの黒い糸を切って、管を抜いてもらいました。すると、形成外科の先生から「退院です!」とひと言。病室に戻ると、乳腺外科の先生たちも来てくれて傷の確認や退院の処理を進めてくれました。看護師さんが入院費の計算書を用意してくれて、入院患者用のリストバンドも取ってもらいました。突然のことでしたが、夫に迎え頼んで部屋の片付けや荷造りして、看護助手さんと部屋の点検して10時30分ごろには退院していました。仕事を抜けて病棟の入口で待機してくれていた夫と合流して、見送りしてくれる病棟のスタッフの方たちとお別れしました。病棟スタッフの方は入院中とてもやさしくしてくれて、たくさんお世話になりました。外来や手術室、病棟などでたくさんの方に支えられてるなと実感する2週間でした。退院するのでレンタルパジャマともおさらば! 2週間ぶりに普通の服を着ました。入院中はずっとノーブラで過ごしていました。先生や看護師さんに傷をすぐ見てもらえるし、手術した胸を締め付けたくないし、浴衣タイプのレンタルパジャマは程良い厚みで手術していない左胸もノーブラとバレにくい仕様になっていました。退院日用に用意したのは前開きのブラジャーでした。いろいろなメーカーが前開きのブラジャーを販売していて、どこのものも良さそうだったのですが伸びが良いものを選びました。肌着も前開きのものを購入し、前開きのボタンで留めるタイプの軽いコットンワンピースを着用しました。ワンピースは荷物を減らすために入院日に着たものを同じものを着ました。ちなみに術後1カ月くらいまでは前開きの服ばかり着ていました。前開きのブラジャーは退院後2週間くらい着用して、その後は伸びに伸びたブラトップを着るようにしました。ブラトップのパッドが再建した右胸に食い込んでるときがあったので最初は気になっていましたが、だんだん慣れてきて今もブラトップを着ています。退院の日は、夫が仕事を抜けて車で迎えに来てくれました。おしりを座席に着けて、左太ももの裏面が座席の端にある膨らみに当たると少し痛かったです。左太ももの傷は内ももにあるので傷自体は痛くないのですが、左太ももの傷周辺の皮膚が張ってて、触っても感覚がないのに座席に当たると若干痛いという謎な感じでした……。車を降りるときも左脚から外に出すので、左太ももの裏側に体重が乗らないように腰を浮かして降りるようにしました。そしてひさびさに家に帰ってソファに座ってくつろいでると、なんだか左の腰が痛くなってきた……。病室ではずっとベッドの角度を調整して足を上げて座ってたから問題なかったのですが、足を降ろして座ったら膝下の重みを腰が支えきれていないような感じがしました。ソファに座るのは諦めて、床にクッション置いてもたれかかると快適に座れました。退院して帰宅して、なんやかんやしてなにげなく冷蔵庫で冷やした水を飲みました。その水が喉から食道を通過するとき、全摘した右胸全体がヒヤァ〜と冷たいものが通過している感覚がありました!試しに椅子にもたれて水を飲んでみたら、胸の近くではなく背中側を水が通過するのかあまり冷たさは感じませんでした。入院中も冷たい水を飲んでいたのですが、まったく気付かなかったので不思議な感じでした……。ー--------------無事退院し、家へと帰宅したこほこさん。ひさびさに家に帰るとほっとする気持ちになりますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年10月15日グラフィックデザイナーで一児の母のなつきちさん。人間ドックで子宮筋腫について指摘されたことについてのマンガを紹介します。人間ドックの婦人科検診を受けたなつきちさん。超音波検査で、子宮筋腫が相当ひどい状態になっていると言われて……。★関連記事:「そんなに!?」超音波で映りきらないほど子宮筋腫が広がり… #人間ドックで指摘された子宮筋腫 2子宮筋腫が相当ひどいと指摘されてから数日……私はずっとモヤモヤしていました(2021年の出来事です)。筋腫が大きくなっていたのはわかっていたけれど、超音波検査で映らないほど広がっているというのは本当なのか、MRIで検査すれば確実にわかるだろうけれど、費用が高いし……いろいろと考えていたら、5年前に子宮筋腫の摘出手術でお世話になった、M先生のことが頭に浮かびました。今すぐにでも、M先生に診てもらいたい! 今後のことを相談したい!けれど、M先生は実家の近くの病院の先生のため、診てもらうには帰省しなければならない……。コロナ禍だったこともあり、帰省して受診というのはアリなのか?悩んだ私は、とりあえず母に相談してみることに。すると、M先生に定期的に診てもらっている母が、自分が受診するときに聞いてみてくれることになったのです。ー------------------------子宮筋腫のことを考えれば考えるほどに、納得がいかなくてモヤモヤしていたと、なつきちさん。やはり心配事は1度診てもらったことのある先生に相談できると安心ですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/なつきち(40歳)グラフィックデザイナーを生業としている一児の母。基本元気だが、数年に1回大病に見舞われて周りに大迷惑をかけている。22、32歳のときに手術入院をしているので42歳を迎えるのが恐怖。今はもっぱら歯のことで悩み中。育児漫画も描いている。Instagram:@natsukichix777
2022年10月13日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの体験を描いたマンガを紹介します。子宮頸がんの手術をおこなったとりだまりさん。抗がん剤治療と放射線治療のために入院し、初日にしたのは……。★関連記事:「えっ、抜けない?」抗がん剤治療による脱毛に腹をくくったけれど… #子宮頸がんゆる闘病記 33入院初日から、放射線治療を開始しました。放射線を浴びるので、熱かったりとか、ジリジリしたりとか、何か感じるの!? と、ものすごくドキドキしていたのですが……。放射線って、びっくりするほど何も感じないんですよ!局部にピンポイントで照射するラルス(腟内照射)の場合は、残念ながら痛みがあることも多いようですが(なのでたいてい麻酔を使います)、私が受けたものはちっとも痛くなくて。痛みがなく治療ができること、とってもありがたいと思いました。ただ、徐々にダメージが蓄積していくのですけれどね……。実際、肌も次のような感じで……。私が看護師さんに教えてもらって肌に塗っていたのは、「ベーテル」という保湿ローションです。医療現場で使うことを念頭に作られているので、肌への刺激が少ないのが特徴なのだとか。きちんと塗っておくと、肌が焼ける速度が実際に違うみたいなので、放射線治療をする方には良いと思います。ちなみに、放射線治療は準備を入れても10分程度で終わってしまいます。なので、抗がん剤治療がない日はめっちゃ暇です……。出ちゃいました、放射線酔い。正しくは「放射線宿酔」というようです。症状が出る人はそんなに多くないようですが、治療から数時間後に、なんとなくだるくなったり、眠くなったり、気持ち悪くなったり……。慣れてくると出なくなる人もいれば、最後までずっと酔う人もいるようです。私の場合、最初の10日間くらいは、連日、吐くほど気持ち悪くはないものの、胃のムカムカや、足元がフワフワするような浮遊感が続きました。ちなみに、がん治療で吐いたのは、私の場合はこの放射線治療1回目のときだけ。(しかも喉の奥に指を突っ込んで自分で吐いただけ)抗がん剤のときも吐き気止めがよく効いて、「なんか気持ち悪いかな~」くらいで、吐くほどではありませんでした。治療がどんどんラクになっているの、ありがたいですね。しかし……放射線治療の場合は、治療継続2週間を過ぎたころから出てくる、腸炎による下痢がだいぶしんどかったのでした。ー------------------------放射線で酔ったことがわかる前は「まだ抗がん剤治療もしていないのに、どうして?」と思ったと、とりだまりさん。放射線治療では、眠気や吐き気が出ることもあるのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まど(46歳)フリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2022年10月11日グラフィックデザイナーで一児の母のなつきちさん。人間ドックで子宮筋腫について指摘されたことについてのマンガを紹介します。人間ドックの婦人科検診を受けたなつきちさん。おじいちゃん先生の痛過ぎる診察に耐えていたところ、衝撃の言葉が……。★関連記事:「嫌な予感」人間ドックで子宮筋腫の相談をしようと思ったら… #人間ドックで指摘された子宮筋腫 1超音波検査をすると、先生から「子宮筋腫! あなたこれ、相当ひどいよ!」と言われました(2021年の出来事です)。超音波検査では、筋腫の全体が映らないくらい筋腫が広がっているようで、「そんなに!?」とショックを受ける私。そして、検査を受けながら筋腫の大きさを聞くと、「ここから! ここまで! ぜーんぶ!」と、器具を腟内でグリグリと動かされたり、器具を抜いた後も指を奥まで入れられて、「ここまで子宮があって、ぜーんぶ筋腫だからね」と言われて……。「そこまでやる必要ある!?」と、不安や焦りよりも怒りが湧いてきてしまいました。そして、身も心もボロボロになり、検診が終了したのです。ー------------------------なつきちさんは、痛さ、恥ずかしさ、怒りで、「早く終われ!」と心から思ったそう。そういう状態になってしまうと、相談したいという気にはなれないですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。★関連記事:「俺、脱毛に通うよ!」美意識高めの夫がヒゲのレーザー脱毛を始めて… #アラフィフの日常 87★関連記事:「え!?壁に…」恋に悩む長女の1人暮らしの部屋で母が見たものは #わが子が恋をしたとき 6★関連記事:「え、どうして?」会社の飲み会で酔いつぶれた私を彼が待っていて #10歳下の彼と付き合った話 1著者/なつきち(40歳)グラフィックデザイナーを生業としている一児の母。基本元気だが、数年に1回大病に見舞われて周りに大迷惑をかけている。22、32歳のときに手術入院をしているので42歳を迎えるのが恐怖。今はもっぱら歯のことで悩み中。育児漫画も描いている。Instagram:@natsukichix777
2022年10月11日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの体験を描いたマンガを紹介します。子宮頸がんの手術をおこなったとりだまりさん。抗がん剤治療と放射線治療の前に、駆け込んだところは……。★関連記事:「尿をためて固定具を作る?」放射線治療が始まる前にやったこと #子宮頸がんゆる闘病記 32私が入院していたのは、がん専門の病院だったので、院内美容院がありました。髪の毛が残バラ状態で、外の美容室に行かなくていいというのは、何となく心強かったです。3日間も生理食塩水を点滴するのは、「シスプラチン」という抗がん剤を使うから。婦人科系のがんに用いる、他の抗がん剤の場合は、こんなに何日も生理食塩水を点滴しないようです。私の場合は、「シスプラチン」を次のような感じで投与しました。がんの種類・ステージ・患者さんの体重などによって、使う抗がん剤の種類・量・投薬期間が異なります。ですから、「抗がん剤治療」とひと口に言っても、患者さんによってすることがかなり違うんです。そういうことって、実際に治療してみなきゃわからないですよね。さらに私の場合、全28回の放射線治療があり、月曜日~金曜日に、連日何かしらの治療をするため、少なくとも放射線治療が終わる1カ月半程度、入院することになりました。通院治療ができる方がうらやましいなと思っていましたが、実際に入院してみたら、連日通うよりはだいぶラクでした。私が今回受ける、「同時化学放射線療法(CCRT)」では、あんまり髪が抜けない!そのことを知ったのは、抗がん剤治療をスタートする前日でした。これまで抗がん剤治療を受けた人たちに聞いたら、みんな口をそろえて「きれいに抜けるよ!」って言っていたのに!手術入院のときだって、周りで抗がん剤治療をしていた人は、たいてい抜けていたし、先生だって、「まぁ、髪は抜けますね」って言っていたのに……!30万円のカツラを買う前で、マジでよかったです。というわけで、抗がん剤治療をすることになったら、髪を切ったりウィッグを買ったりする前に、まず薬剤師さんに話を聞いてみることを心底おすすめします!ー------------------------薬剤師さんに「髪はあまり抜けない」と言われたときは、頭の中が真っ白になったと、とりだまりさん。抗がん剤治療の直前ではありますが、高額なカツラを購入する前に知ることができてよかったですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まど(46歳)フリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2022年10月08日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの体験を描いたマンガを紹介します。子宮頸がんの手術をおこなったたとりだまりさん。抗がん剤治療をすることが決まり、治療が始まる前にしたことがあるそうで……。★関連記事:「抗がん剤をやります」マジか…病理検査の結果がいよいよ出て… #子宮頸がんゆる闘病記 31放射線治療のために入院をすることになったのですが、その前に放射線治療に使う「固定具」を作ることに。放射線治療では、治療前に1時間ほど尿をためます。尿がたまった状態にして放射線を当てることで、放射線の患部以外へのダメージを避けるためなのだそう。そのため、固定具を作る際も、1時間分の尿をためた状態で作りました。全裸でペンで何か書かれる……というのが、変なプレイみたいでちょっと楽しかったです(笑)。ここから、固定具作りがスタート!スケルトンの濡れバスタオルのような素材が、うちわで冷ますと固まるわけです。でも、なんでうちわ……? 扇風機とかでも良さそうなのに。わらわらと、放射線技師さんたちが出てくるのが、ほほ笑ましい。あと少しで完成です!悩みに悩んだカツラについては、結局、入院前には買えませんでした……。安いカツラも見に行ったのですが、種類があり過ぎて、目移りしちゃったんですよね。ネットで買える、「帽子+付け毛」のタイプも、涼しくて良さそうだな、と思ったり。「いざとなったらネットで買えばいいや~!」と思った決断が、後日、良いほうに転がることになるのですが、このときの私には知る由もなかったのでした。ー------------------------再入院の前の1カ月間は、結構することがあったと、とりだまりさん。放射線治療に向けていろいろな準備が必要なのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まど(46歳)フリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2022年10月04日グラフィックデザイナーで一児の母のなつきちさん。人間ドックで子宮筋腫について指摘されたことについてのマンガを紹介します。人間ドックを受けることにしたなつきちさん。子宮筋腫持ちだったため、婦人科検診で相談してみようと思っていたのですが……。★関連記事:人間ドックはいつも同じクリニックで受けている私。子宮筋腫持ちだということがわかっていたので、いつも婦人科検診をしてくれる女性の先生に、相談しようと思っていました(2021年の出来事です)。しかし扉を開けた先にいたのは、今まで診てもらっていた先生ではない、おじいちゃんの先生。少し嫌な予感がしました……。「いやいや、人を見かけで判断してはいけないな」と思い直して診察台に座ったのですが……座った瞬間、がん検診のための細胞を取る器具を、間髪入れずにかなりの勢いで腟に突っ込まれて、とっても痛い!その後の超音波の器具を入れられたときも、もちろん痛い!今まで受けた婦人科検診の中でダントツに痛かったのです(涙)。ー------------------------なつきちさんは直感的に、「この先生はひと癖あるぞ」と思ったそう。不思議とそういう直感が当たることって多いですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/なつきち(40歳)グラフィックデザイナーを生業としている一児の母。基本元気だが、数年に1回大病に見舞われて周りに大迷惑をかけている。22、32歳のときに手術入院をしているので42歳を迎えるのが恐怖。今はもっぱら歯のことで悩み中。育児漫画も描いている。Instagram:@natsukichix777
2022年10月04日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの体験を描いたマンガを紹介します。子宮頸がんの手術をおこなったとりだまりさん。病理検査の結果で、抗がん剤治療をするかどうかが決まるのですが……。★関連記事:「なかなか、かっこいい」おなかの手術痕をポジティブに考えられる理由 #子宮頸がんゆる闘病記 30病理検査の結果が出るまで、宙ぶらりんになっていた「今後の治療の有無」。ようやく結果が出て……抗がん剤治療をすることに。正直、涙が出そうになりました。激しいショックと、抗がん剤があまりにも怖くて、先生に「抗がん剤って本当に効果あるんですか?」と軽くキレてしまった私。だって抗がん剤、怖いもん。でも、先生の言葉で、なんだかとても安心したことを覚えています。抗がん剤治療をする覚悟も固まりました。「30万円のお高いカツラでも買う! 私の心の平安のために!」と以前は思っていましたが、いざ実物を買うとなると、「本当ににいいの……?30万円……」と揺れて揺れて。結局もう少し考えることにしたのでした。そんな私に、抗がん剤治療の先輩である、フルダテさんがくれたアドバイスとは……。昔、本当に似合わなかったので、このときも髪を短くするのが本当に嫌でした。それなのに、治療のために切らざるをえなくなって……。気付けば、「この人より、私のほうが不幸」と無意識のうちに比べて、不幸マウンティングを取ってしまって。そんな自分の不幸に酔っぱらっていた私ですが、美容師さんは心地よく酔いを覚ましてくれたのです。お母さんが弱っていくところを間近で見ていた経験は、とてもしんどいものでしょう。そのしんどさを、やさしさに変えることができた、とてもすてきな美容師さん。できれば私も、そんなふうになりたいなと、とても自然に思うことができました。彼のおかげで、似合わないと思っていたショートカットが似合うこともわかり、「嫌だな~」しかなかったこの時期が、ちょっと楽しいものになったのでした。ー------------------------抗がん剤治療を控えて、しんどい時期に、この美容師さんに出会えてよかった、とりだまりさん。つらいことがあると、無意識に人に当たってしまうこともありますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まど(46歳)フリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2022年10月01日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。浸潤性小葉がんが見つかり、右胸の全摘と同時再建手術をおこなったこほこさん。経過は順調で、退院に備えていろいろなことを看護師さんから教えてもらったそう。★関連記事:「スッキリ!」全摘手術した右胸の管を抜いたら体が軽い! #乳がん絵日記 18手術から10日。術後すぐはあまりなかった食欲も回復し、病院食を完食できるようになっていました。傷口については一部が壊死しているものの、おおむね良好で順調に回復していました。術後は右胸と左太ももを体液パックにつなぐ管が出ていて、シャワー浴びられませんでした。なので、看護師さんが洗髪と体拭きを1日ずつ交互にしてくれていました。術後8日目に右胸の管が抜けて、術後10日目になるとそろそろ左太ももの管も抜けそうな感じ。近々退院という雰囲気になっていました!そこで、自分で髪を洗う練習を始めました。左手でシャワーヘッドを持ち上げて、右腕はあまり上げないよう届く範囲で頭を洗う。右腕を上げていいのは90度まで出そうで、頭を動かしながらなんとか洗髪! ドライヤーも左手で持ちあげて髪を乾かしました。久しぶりに自分で思う存分頭をガリガリできてとてもスッキリしました!!洗髪の後は胸の傷口に薬を塗る方法を教えてもらいました。前日に形成外科の先生からも傷口の処置について教わっていましたが、改めて看護師さんから右胸の薬の塗り方や左太ももの包帯の巻き方を教わりました。自分の指先はバイ菌ついてるから薬は直接指で取らず、ガーゼに塗ってそのガーゼを傷に被せてテープで止める。テープは予め必要な長さに切っておくとすぐ貼れて良いのだそう。テープやガーゼは病院の売店に売っているそうなので、退院の日に売店で買って帰ることにしました。近所のドラッグストアではテープがあったりなかったりするので、病院の売店で買いだめしました(笑)。術後11日目のこの日は退院の前日でした。いつものように夜明け前に起床して、コーヒーを飲んだりしてゆっくりとした朝を過ごしていました。そしてこれもまたいつものように近くの部屋からナースコールの音が聞こえてくる。ここの病院のナースコールは「ミードーミードー」という感じの落ち着いた音色でした。入院初日は就寝後に聞こえてくるのが気になっていましたが、毎日聞いてたら小鳥のさえずりか虫の音かというくらい耳になじんでいました(笑)。右胸の再建は左太ももの組織を使っておこなったので、左太ももにも傷があり生活に少しだけ支障がありました。しかし術後11日目になると、傷の引きつれもマシになりしゃがめるようになっていました。私は毎週日曜日に体重測定をしており、この日は体重測定の日。1週間前の手術直後の測定では、急に3kgくらい増えていたのですが、元の体重に戻っていました。やっぱりむくみがひどかったのかな? と思いました。ー--------------自分の手で頭を洗ってスッキリしたというこほこさん。けがなどで思うように洗髪ができないとなんだかもどかしいですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年09月30日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの体験を描いたマンガを紹介します。子宮頸がんの手術をおこない、退院したとりだまりさん。シャワーのたびに手術痕を見て思うことは、意外にも……。★関連記事:「座っているのが一番しんどい…」退院後の生活でガラッと変わったこと #子宮頸がんゆる闘病記 29子宮頸がんで子宮や卵巣を摘出すると、下腹部に20〜30cm近い傷が、残念ながら残ります。ただ、私はこの傷痕が嫌ではありません。無理しているわけではなく、「なかなか、かっこいい」と本気で思うのです。というのも、ある友人に会ったからで……。「手術の傷痕は、私を生かしてくれた勲章!」そう教えてくれたSは、しんどいことも、嫌なことも、鼻で笑い飛ばして自力でキラキラに変えてしまう、最高に魅力的な友人でした。彼女にそんなふうに言われた後は、脇腹のケロイド状の傷が本当に特別なものに見えて、「なんてかっこいい傷痕なんだ!」と思ったことを覚えています。それに、彼女が大切な宝物を見せようと決めた仲間の1 人に、私を加えてくれたことが、ものすごくうれしかった。その瞬間から、私にとっても彼女の傷痕は、彼女を生かしてくれている宝物になったのでした。だから、私のおなかにも30cm近い大きな手術痕が残ったけれど、この傷は私にとって、同じくすごくかっこいいものです。この先、医療技術が発達して、手術痕をきれいに消せるようになったとしても、絶対に消さないと思います。それくらい気に入ってます。だって、みんなが助けてくれて、私も頑張って、そんなことの象徴なので。あのとき、友人のSがくれたキラキラは、20年近くたった今も、私の中に残っていて、ずっと私を助けてくれています。ー------------------------友人Sさんのおかげで、自分の手術痕を勲章だと思えたと、とりだまりさん。そうポジティブに考えられるとりだまりさんも、とてもすてきですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者/とりだまり まど(46歳)フリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2022年09月29日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの体験を描いたマンガを紹介します。子宮頸がんの手術をおこない、退院したとりだまりさん。久しぶりの自宅での生活は……。★関連記事:「存在感がかすむ!」がんと一緒に摘出した子宮筋腫がデカ過ぎて… #子宮頸がんゆる闘病記 28手術を終えて、とりあえず退院し、自宅に帰ってきました!抗がん剤をするかどうか、病理検査の結果が出るまで、しばしの中休みです。家に戻れてうれしかったのは、久々に飼い鳥に会えたこと!お世話の後は、手術後に始めた習慣に取り組みます。女性用トランクスでもだいぶラクなのですが、男性用に比べると、やっぱりちょっと締め付けがあるんですよね~。脚の付け根の締め付けが気になる方は、よろしければ男性用を!術後、とにかくしんどいのが、下腹部に負担がかかる体勢で過ごすこと。立っていても、座っていても、数時間たつと下腹がむくんでパンパンになり、微妙に熱をもってくる。なので、こまめに横になって、リンパ液を上半身に向かって流し、下腹部の負担を和らげる必要があります。その際、足を心臓の位置よりちょっと高めにするために、クッションなどで10cm程度厚みを作っておくと、脚のむくみが引きやすいと病院で習いました。ただし、あまり高く上げ過ぎると、太ももの付け根あたりで、かえってリンパ液が滞ってしまうとのことで、注意が必要みたいです。こうしたこまめな休憩を挟んで、リンパ液が下肢にたまらないようにしないと、リンパ浮腫になるリスクが高くなります。なので、私の場合は、2時間おきくらいに、こまめに横になるようにしていました。で、そのまま眠っちゃう。実をいうと、術後1年間くらい、こんな感じでした。自宅仕事だから、好きなときに横になれるということもありますが……だいぶだらけてますでしょうか(汗)。外で働いている方は、どうやって休んでいるんだろう? すごく気になります……。ー------------------------下腹部にかかる体勢で過ごすことがとにかくしんどかったと、とりだまりさん。仕事柄、座っての作業がメインだと、こまめな休憩がより必要になりそうですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まど(46歳)フリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2022年09月27日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの体験を描いたマンガを紹介します。子宮頸がんの手術をおこなったとりだまりさん。術後10日目、そろそろ退院する日も近そうですが……。★関連記事:「えっ、いつまで?」手術後の行動制限にショック! 思わず涙が出て… #子宮頸がんゆる闘病記 27術後10日目、まだ尿を出したという感覚が戻らず、看護師さんに導尿してもらいました。退院するには、導尿が50mlを切らないといけないらしく、自分で尿を出しきれないと、退院後も自己導尿をしないといけないため、「尿感覚よ、戻れ!」と思いながら、とにかく院内を歩きまくりました。こんな物が自分のおなかに入っていたなんて……。そして、がんと一緒に摘出した子宮筋腫がデカ過ぎてびっくり!術後は、下っ腹がめっちゃスッとしました。まぁ、子宮と卵巣の分も減っちゃっているわけですが……。子宮頸がんの場合、4cmというサイズが、1B1期→1B2期へのランクアップの基準になるそう。ああ、本当に嫌だ。というわけで、手術入院はなんとか無事に(?)終えることができました。このときはまだ「がんは4cm以上だったけれど、病理検査の結果次第では、もしかすると抗がん剤、やらなくてもいいのでは!?」と、むなしい期待を抱いておりました。4cm超えとはいえ、がんは子宮の扁平上皮内(へんぺいじょうひない)にとどまっていて、手術できれいに取れたんじゃないかなー、と。先生の「1B2期で、4cm以上」という診断で、抗がん剤フラグはしっかり立っているわけですが、「抗がん剤やるよ!」と言われるまでは、諦めきれないのが、がん患者心です。そんなこんなで、抗がん剤をやるかどうかは、次回の通院まで持ち越されたのでした。ー------------------------摘出した子宮筋腫が本当に大き過ぎて、がん(子宮と卵巣)の存在がかすんで見えたと、とりだまりさん。そんなに大きな筋腫がおなかにあったかと思うと、驚いてしまいますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まど(46歳)フリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2022年09月24日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの体験を描いたマンガを紹介します。子宮頸がんの手術をおこなったとりだまりさん。手術を終えてからしばらくの間は、いくつか生活上の注意点があるとのことで……。★関連記事:「やりたくない。でも…」がん友と抗がん剤治療について話したら… #子宮頸がんゆる闘病記 26体にメスを入れるということは、たとえ病気が治ったとしても、これまでとは異なる生活が待っているということ。私がそのことに気付いたのは、実際に手術を終えてからでした。まず、一度開腹手術をすると、当分は腸閉塞が起こりやすくなるのだとか。そのため、消化の悪い物や食物繊維が多い物は、小さく切って、少量から食べることを勧められます。決して食べてはいけないということではないようですが、注意するに越したことはないようです。ただ、「当分」がどれくらいの期間なのかは、誰にもはっきりとはわからないようで、病院側に聞いてみても、「半年」とか「年」とか「それ以上」と言われることもある様子。他にも、私のようにリンパ節郭清をやった人が気を付けなければいけないのが「リンパ浮腫」。「浮腫」とは「むくみ」のことです。手脚のリンパ液の流れが滞らないようにして、むくみをためないようにしなければならないので、こまめに手足を心臓より高い位置に上げてみたり、ウォーキングなど適度な運動をしてリンパ液の流れをよくしたり。そして、締め付けのきつい衣類や服を避けたり、長時間湯船に浸かることを避けたり。私は、湯船でゆったりと本を読むのがとても好きだったので、これが制限されると知り、本当に嗚咽(おえつ)しました……。手術ができない方からすれば、ぜいたくな悩みなのだと思いますが、「好きなことと引き換えに病気が治るなら、仕方ない」とは、やっぱりなかなか思えないのでした。ー------------------------長湯はNGと聞き、本当にショックだったと、とりだまりさん。術後、日常生活で制限しなければいけないことは、想像以上に多いのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まど(46歳)フリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2022年09月22日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの体験を描いたマンガを紹介します。子宮頸がんの手術をおこなったとりだまりさん。卵巣がんの手術をした友だちができて……。★関連記事:「これも手術が原因? それとも…」手術後、頭痛と腰痛に悩まされて… #子宮頸がんゆる闘病記 25子宮・卵巣の手術では、尿管のそばの神経をいじるので、一時的に排尿の感覚がなくなります。尿意はあって、力んでみるのですが、何かが出てくるわけではなく……。出ているんだか、出てないんだか、自分でもよくわかりません。初めのうちは、ちっともおしっこが出てこなくて、焦りました。入院中、卵巣がんの手術をしたシマダさん(仮名)と仲良くなりました。私もシマダさんも、ともに進行具合はステージ1。ただし、抗がん剤をする必要があるかどうかは、手術で摘出した物を病理検査しなければわからない……という段階でした。ちなみに、私もシマダさんも、抗がん剤治療が必要と言われたら「やる」の一択。ちまたではいろいろなことも言われていますが、いざとなったら死の恐怖が先立ち、「やらないなんて、怖くてできねぇ」という感じ。とはいえ、怖いしやりたくはないのですが。病理検査の結果が出るまでの3週間は、本当に長くて心苦しかったです。そんなときに、同じ境遇でバカ話ができる友人に出会えたのは、とってもありがたいことでした。ー------------------------抗がん剤治療を受けるのかどうか、結果が出るまでの時間がとても長く感じたと、とりだまりさん。病理検査の結果が出るのには、ある程度の時間がかかるのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まど(46歳)フリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2022年09月20日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの体験を描いたマンガを紹介します。子宮頸がんの手術をおこなったとりだまりさん。入院中、徐々に手術後の痛みは治まってきたのですが……。★関連記事:「使ってあげられなかった」子宮と卵巣を失って、初めて泣いた夜 #子宮頸がんゆる闘病記 24入院中は、積極的に起き上がって歩くことにしたのですが、歩くほどに痛みが和らいていきました。無理のない範囲で少し頑張って歩くと、回復が早くなるみたいです。とはいえ、ちょっと気になることが…。おなかの痛みは徐々に和らいでいくのに、痛み止めの薬が切れてくると、頭痛と腰痛がひどかったのです。そのときは、「ずっと横になっているからかな?」と思っていたのですが、数年後、同じような症状が出たことで、あることに思い当たりました。それはカフェイン断ち。カフェイン断ちをすると、頭痛や腰痛などの離脱症状が出ることがあるらしく、私もそうだったのかな、と。術後は検査の値に影響することもあるので、病気によっては「術後はカフェインが入っていないものを飲むように」と指示されることもあるそう。私の場合は、買いに行くのが面倒(というか痛くて行けなかった)で、事前に購入した水ばかり飲んでいました。そのため、術後は自然と「カフェイン断ち状態」になっていたのです。事前に知っていれば、入院前にカフェインを採る量を減らしたり、先生に「カフェイン入りのお茶を飲んでもいいですか?」と聞いたりして対策できたかもしれないな〜。(離脱症状は、コーヒーの1杯でも飲めばすぐに落ち着くので)なので、これから入院の予定がある方で、普段からカフェイン入りの飲み物を常飲している方は、気を付けたほうがいいかもしれません。ちなみに、カフェインの離脱症状は人それぞれで、頭痛に始まり、疲労感、倦怠感、イライラ、筋肉痛などが特徴的なようです。ー------------------------頭痛と腰痛は、痛み止めの薬が効いている間は気にならないけれど、切れてくるととてもしんどかったと、とりだまりさん。手術とは関係のない痛みに悩まされることもあるのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まど(46歳)フリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2022年09月18日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。右胸に浸潤性小葉がんが見つかり、全摘手術を受けたこほこさん。自家組織による同時再建手術もおこないました。手術から8日が経過して、こほこさんの様子は……。★関連記事:「サバイバーです!」退院後の説明中、聞き慣れない言葉を耳にして #乳がん絵日記 179時間にも及ぶ乳がんの手術から早8日。体は順調に回復しており、退院後の生活についての説明を受けたりしました。私の右胸と左太ももには管が入っていたのですが、今日は右胸の管を抜くことになりました!術後、あまり食欲がなくご飯を残し気味だったのですが、体が回復してきて久々におなかが減る感覚がありました。おかげで朝食は完食、昼食の天ぷらもおいしく食べることができました!15時ごろ、形成外科の先生と一緒に病棟の処置室へ行きました。そこで右胸に刺さっている管を抜くことに。管が刺さっている辺りに黒い糸のようなものがあって、それを切るとき若干痛みを感じました。でも、管自体はスッと抜けて痛くはありませんでした。ずっと管が刺さっていたので、最早体の一部みたいになっていたので何だか物足りないような気もする……。ですが、やっぱりスッキリして軽いという気持ちが強かったです!左脚の管はまだ抜けませんが、管同士が絡まるのを気にしなくなってよくなりました。微熱が出たりしているものの、退院が近付いた気がしてうれしかったです。入院生活の中で一番充実していたのは朝の時間でした。というのも、夜は10時ごろに寝るので、朝5時くらいに自然と目が覚めるようになっていました。当然、出勤の支度も家事もしなくていいのでゆっくり優雅に過ごせました。音楽を聴きながら、パックをして美顔器をかけていました。私が入院していたのは4月だったので、5時半くらいになると外がうっすらと明るくなり6時くらいには日の出を見ることができました。コーヒーを飲みながら窓の外を眺めていると、山の端から陽が昇って色がどんどん変わっていくのが見えていました。入院中の私の楽しみで、ぜいたくな時間でした。術後9日目も朝から乳腺外科の先生や形成外科の先生が傷の様子を見に来てくれました。午後は形成外科の先生に右胸の薬の塗り方や左太もものバンドの巻き方を教えてもらいました。その後、前日に撮影した顎のCT検査の結果を聞きに歯科外来へと行きました。外来や売店など病棟の外へ出るときは長めの羽織を着ていました。これがあれば左太ももの管も隠せていたので、入院している感じが薄れていました。歩いているとき、左太ももの管を挿入している部分から体液が漏れていたのですが、気にせず歯科へと向かいました。顎は今は様子見で良いとのことでしたが、念のため6カ月後にまたCT検査の予約をしてもらいました。以前なら放置していたけれど、ちょっとのことでも検査することが大切だなって思うようになりました。ー--------------入院中は朝の時間が楽しみだったというこほこさん。入院経験のある方は何を楽しみにして過ごしていましたか?※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。★関連記事:「大切にしているものは」今までになかった質問に私は… #看護師でシングルマザーな私の話 39★関連記事:「ラッキー!」健康のために買ったエアフライヤー、妻よりも夫がハマり… #ときめけBBA塾 120★関連記事:「もしかして新型コロナ?」体調不良とおなかの違和感がずっと続いて… #大腸がんらしい 1著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年09月16日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの体験を描いたマンガを紹介します。子宮頸がんの手術をおこなったとりだまりさん。手術後、鈍い痛みを抱えながら夜を過ごし、翌日になると……。★関連記事:「さ、さぶっ…!」こんなの初めて…全身麻酔の副作用で激しい震えが #子宮頸がんゆる闘病記 22看護師さんに「違う痛め止めを使ってみます?」と言われるも、反射で「大丈夫です」と言ってしまった私。ずっと横になっていたから、腰まで痛くなってきました。そして午後からは、歩行練習をすることに。似たような手術をした同室の方たちは、あまり痛がる様子もなく、しっかり歩けていたのを見て「あ、これなら行けるな」と思っていたのですが……上半身を起こすだけで吐き気が!「でも、起きる!」「無理でも立つ!」「吐いても立つ!」歩行練習では「鬼になります」と宣言していた看護師さんが、本当に鬼のように厳しかったです。歩行練習後、しんどさで軽くキレた私は、「……痛み止め、替えてください!」とリクエストしました。そして違う痛み止めにしたら…効果てきめん。全然痛くなくなったのです。私の場合、自分でボタンを押して注入するタイプの痛み止めは、ほとんど効果なかったみたいです。でも、ロキソニンを服用したら、30~40分後にはまったく痛みを感じなくなりました。めっちゃラク。周りの患者さんを見ていても、人によってさまざまで、「ロキソニンなんか、てんで効かないぜ!」という人もいれば、自分でボタンを押して注入するタイプの痛み止めがよく効いて「術後は痛くもかゆくもなかった」という人も。どんな痛み止めが効果的なのかは、試してみないとわからないこともあるようです。手術前に看護師さんが「痛みやつらさがあったら、我慢しないで教えてください!」と言っていたのは、痛み止めがうまく効いていない場合もあるからなんだな……と身をもって知りました。ちなみに、私が術後の痛みを我慢していたのは、「痛いといえば痛いけど、まぁ、耐えられないほどの痛みではない」という微妙な状態だったからです。激痛ってわけじゃないんだけれど、うずくように、どんよりジクジクと痛い、みたいな。痛み止めが効いているから、この程度の痛みなんだろうな、みたいな。あのまま耐えられたとは思うんですけれど、地味な痛みがなくなったら、それだけで本当にめちゃくちゃラクでした。「しなくていい我慢は、する必要はないんだなぁ」と今は心の底から思います。以降、私はさらに積極的に、どんどん弱音を吐くことにしたのでした。ー------------------------痛み止めを替えたら本当にラクになり、とりだまりさんは「一晩中我慢したのは何だったのか」と思ったそう。我慢せずに、つらさを伝えることも大切なのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まど(46歳)フリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2022年09月15日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの体験を描いたマンガを紹介します。子宮頸がんの手術をおこなったとりだまりさん。術後1日目の歩行練習後、痛み止めを変えてもらったら……。★関連記事:「吐いても立つ!」術後1日目から、地獄の歩行練習が開始されて… #子宮頸がんゆる闘病記 23痛み止めの種類を変えてもらったら、びっくりするほど痛みを感じなくなりました。痛みがないって、なんて幸せなんだろう!苦痛が消えた反動で、気持ちがラクになり、周りを見渡す余裕も出ました。そして、ストレスも影響しているのか、自分の汗が獣のようなにおいになっていることにも気付いた私。点滴で入れている薬のにおいと、獣のような汗くささが相まって、「お願いだから、誰もそばに来ないで!」という状態に。そんなワイルドな香りを放ちつつ、2日目の夜がやって来ました。夜になって、ようやく手術をした実感が湧きました。元々、子どもを持ちたいという欲がほぼなかったので、がんになって子宮と卵巣を取ると言われたときも、「女性ホルモンが出なくなって、女らしくなくなったら嫌だなぁ」と、それくらいにしか考えていませんでした。ただ、実際に子宮と卵巣がなくなると、何とも言い表せない喪失感が……。「産まない」のと、「産めない」のは、同じことではないようです。「産まない」は自分の選択の結果だったりするけど、「産めない」は産むことも産まないことも、自分じゃ選べないってことだからなぁ。選べないと、なんだか希望を奪われたような気がしてしまう。初めから産む予定なんてなくても、「なんだかなぁ」と感じてしまうのです。とはいえ、時間は巻き戻せないし、おかげで私は今も生きていられるわけだし。ありがとう、というのは、ちょっと違う気がするけれど、子宮と卵巣、いなくなってしまったあなたたちのおかげで、私は今も生きてるよ。ー------------------------子宮と卵巣が自分の体からなくなったことを実感し、がんが判明してから初めて少しだけ泣いたと、どりだまりさん。喪失感を受け入れるのは、つらいものですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まど(46歳)フリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2022年09月13日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。こほこさんは乳がんによる右胸の全摘と再建手術を受けました。手術から1週間、退院後の生活について説明を受けていると「こほこさんもサバイバーです!」と看護師さんから言われ……。★関連記事:「どんどん回復する!」乳がんの全摘手術から6日、できることが増えてきて… #乳がん絵日記 16私は乳がんの手術のために2週間入院していました。手術から5日目、形成外科の先生に傷口を確認してもらうとその一部が壊死していることがわかりました。乳腺外科の先生から皮膚を貼るなどの処置があることを聞き、心配しつつも入院生活を送っていました。術後7日目になると、組織を取った左太ももの裏にあったピリピリとした感じも少し緩和されていました。前屈みができるようになりましたし、両足のむくみが解消されて靴もちゃんと履けるようになりました!でも、まだ右腕はまだ上げられなかったので、何かするときは左手を使うようにしていました。お箸とペンだけは右手で持っていました。この日は朝食後、歯科で術後の歯の様子を見てもらいました。念のため、と顎のCTを撮影することに。その後、売店で2リットルの水を買ったりして疲れを感じながら病室へ戻りました。それから薬剤師さんが来て、下痢や発疹がないか確認してもらいました。抗生剤を飲むのはこの日が最後でした。形成外科の先生も来てくれて、左太もものテープの貼り直しや右胸の傷を見てくれました。体液の排出は前日より減って、右胸から25ml、左太ももから60mlでした。同じく術後7日目、薬剤師さんが来る前に看護師さんから退院後の生活について説明がありました。「退院のしおり」というものをいただき、わかりやすく教えてもらっていると看護師さんから「こほこさんもサバイバーです!」と言われました。がんサバイバーというのは、がん治療を終えた人だけではなく、診断を受けたりばかりの人や、治療中、経過観察中の人もがんサバイバーというそうです。私も乳がんサバイバー! 何だか戦隊ヒーローのイメージがして強そうだと思いました(笑)。退院後は、動く習慣をつけるために毎日歩いたり、手術した右側の腕をなるべく上げたりしないように指導を受けました。仕事でパソコンを触りっぱなしになってしまうので、1時間ごとに休憩を取ることを心がけようと思いました。退院後の説明をしてくれた看護師さんは、いろいろなことによく気付いてくれる方でした。私は術後、左太ももに管が入っていてシャワーができませんでした。なので、1日おきに温かいタオルで体を拭いてもらっていました。術後5日目くらいにこの看護師さんが体を拭いてくれたのですが、私の足の様子を見て、タライにお湯を入れて足も洗ってくれました! すごくありがたかったです。それから、術後は食欲が落ちていてご飯を残していたのですが、それにも気付いてくれてご飯を少なめにしてくれました。朝食のパンも薄切りにしてくれたりしたお陰で、完食できるようになりました。他の看護師さんや看護助手さんも話かけてくれたり、見守っていてくれたりと、とても良くしてくれました。また入院することがあればあの病棟がいいな〜と思うくらいです!ー--------------こほこさんは入院中、看護師さんたちにとても良くしてもらったそう。心細い入院生活では、やさしくしてもらえるとうれしいですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年09月12日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの体験を描いたマンガを紹介します。子宮頸がんの手術をおこなったとりだまりさん。全身麻酔により一瞬で寝落ちした後、目が覚めると……。★関連記事:「何かあった場合は連絡があります」手術直前PHSを手渡そうとするも #子宮頸がんゆる闘病記 21手術に関しては、「寝落ちした」→「起きたら終わっていた」という感じなので、体感としては、ホントに一瞬。現代医学、バンザイです!ただ、私の場合は、全身麻酔の副作用である「シバリング(shivering)」という震えが出ました。これは、麻酔から覚めた脳が、涼しい手術室で低下した体温を戻そうとして起こるみたいです。若めの女性(手術時はギリギリAYA世代(※)でした)。普段お酒を飲まない人、乗り物酔いしやすい人などが、なりやすい傾向があるのだとか。※AYA世代とは、Adolescent and Young Adult(思春期・若年成人)の頭文字をとったもので、主に、思春期(15歳~)から30歳代までの世代を指しています。全身がガクガク震える経験は初めてだったので驚きましたが、布団をかけてもらったら、割とすぐに治まってホッとしました。その後、再び目覚めて、家族と話し始めると、今度は「うっ!」とくる吐き気が。これもやっぱり麻酔の副作用で、「PONV(ポンブ:postoperative nausea and vomiting)」という症状だそうです。PONVが起こる理由はいくつかあるようですが、今のところ防ぎようもないみたいですし。ならない人はまったく平気みたいなので、これから手術という方は「自分はならないといいな~」と気楽に構えているのがよいのではないでしょうか。実際に、あとで患者仲間に聞いても、私の周りにPONVを経験した人はあまりいませんでした。まぁ、なったらなったで「これがPONV……」と思えれば、理由がわかってちょっと気分が落ち着くかもしれません。ー------------------------全身麻酔の副作用は初めての症状で、驚いたというとりだまりさん。症状が出る人、出ない人と、個人差もあるのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まど(46歳)フリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2022年09月11日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。右胸の全摘手術と同時再建の手術を受けたこほこさん。手術を無事に終え、順調に回復している一方で傷口の壊死などの問題もあって……。★関連記事:「一部が壊死している」術後の傷を見た形成外科の先生から衝撃のひと言が… #乳がん絵日記 15浸潤性小葉がんというがんが右胸に見つかった私は、約9時間の大手術を受けました。術後すぐは観察室にいましたが、翌日には病室へ戻ることができました。毎日乳腺外科や形成外科の先生方に様子を見てもらっていましたが、右胸の傷の一部が壊死していたそうでした。病棟には洋式トイレが2つしかなかったので、いつも早起きしてトイレに行っていました。しかし、朝5時の時点で満室。みんな早起きしてトイレに行こうという考えは一緒なんだな……という気持ちになりました(笑)。術後6日目の午前10時ごろ、執刀してくれた乳腺外科の先生が右胸に傷を見に来てくれました。前日に形成外科の先生が傷を見てくれたのですが、そのときに傷の一部が壊死していると言われました。乳腺外科の先生は壊死してしまったら皮膚を貼るなどの処置もできることを教えてくれました。左脚のぷよぷよとした膨らみについても「治るから大丈夫!」と心配する私を励ましてくれました。そういったトラブルがありつつも、体調はどんどん回復していました! 左膝を曲げると、太ももの裏が引きつるような感覚があったのですが、それもマシになってあぐらをかいて座れるようになりました。それ以外にも歩くときは左脚を引きずりながら歩いていたのですが、持ち上げて前に踏み出して歩けるようにもなりました。手術のときに気管挿入したせいで生じた喉への違和感も落ち着き、裏返りやすかった声も普通の声で話せるようになってきていました。体液の排出も右胸から30ml、左太ももから80mlとかなり減っていました。入院期間は2週間だったので、時間はたっぷりありました。なので、長期の休みがあったらやってみたかったことを存分にやって過ごしていました(笑)。映画やドラマを見まくったり、電子書籍で本や雑誌を読みまくったり、ゲームしたり。個室に入院できたので、動画を見ていないときはBGMを流したりしていました。カフェミュージックを流しながら持参したコーヒーや紅茶を飲めば、もうそこはカフェでした!体もかなり回復していましたし、病室での生活にも慣れてまるでわが家のように過ごしていました。コロナ禍での入院だったので、家族ですら面会禁止。その分、趣味に没頭していました。ー--------------すっかり入院生活に慣れたこほこさん。期間に関わらず、入院生活はできるだけ快適に過ごしたいですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、ア著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年09月10日