第二子を予定通りに妊娠し、もうすぐ4人家族になる!と思っていたら、まさかの双子であることが判明した私。子宝に恵まれて幸せは幸せだけれど不安もあって……。双子妊娠によって、幸せな気持ちと不安な気持ちに葛藤した私の体験談を紹介します。 第二子がまさかの双子?!長女が2歳になったころ、第二子を妊娠していることが判明しました。出産時期も夫と私の計画通りになり、子どもが2人になることが楽しみになりました。しかし、いざ産婦人科で調べてもらうと、双子である可能性が浮上。予想外だった双子妊娠に、妊娠初期は幸せな気持ち以上に不安な気持ちになることが多々ありました。 一卵性の双子に確定毎日長女の相手をしながら、生まれてくるおなかの子たちのことを思うと、それは幸せなことのはずなのに、妊娠数週が進むにつれ、不安や悩みは深まるばかりでした。 長女の子育てをしているからとはいえ、一気に3人の子どもをどのように育てたらいいのか、長女にさみしい思いをさせてしまうのではないか、自分に3人の子どもの母親が務まるのかなど、不安に押しつぶされそうになる毎日でした。 もう開き直るしかない!?子どもが一気に3人に増える不安から、「ママの実家の近くに引っ越そう」と夫が言い出してくれないかな……と、密かな期待をしていましたが、それは難しそう。悩みきった私は「もう、私が開き直るしかない!」「私は3人の母に選ばれたんだ!」という自信に、思い切って気持ちを切り替えました。 今はまだ出産前なので、リスクなどを考えると、まだまだ不安が消えることはありません。でも、私がいいほうに気持ちを切り替えたことで、長女への接し方にも余裕が出てきたように思います。そのおかげで長女にも笑顔が増え、その笑顔を見ると、私も5人家族になるのが楽しみに思えるようになりました。 イラスト/マメ美監修/助産師REIKO著者:西野ゆう一児の母。大学で救急救命士の国家資格、大学院で保健体育の教員免許を取得。出産を機に専業主婦に。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年12月03日ベビーカレンダーをご覧のみなさん、こんにちは。2018年4月生まれの男の子を育てています、じゅのです。 私は40歳で入籍、41歳で妊娠しました。出産時は42歳。不妊治療をしていたわけでもなく赤ちゃんを授かったのは本当に奇跡的なことでした。 今回は、妊娠糖尿病になってしまったお話、第2話です。 妊娠8カ月に入ったころ、定期健診での採血の結果を見て先生がちょっと顔をしかめました。「あれ~、血糖値高いね。あ、コレステロール値も。これは……もしかして……。一応、ブドウ糖負荷試験しておきましょうか」。 ギクッとしました。 体重が増えてもいいのはひと月に1kg程度と言われていたのにも関わらず、ここのところ体重がオーバーしていたからです。でもそれが原因とは限りません。 次の週に検査決定。75g経口ブドウ糖負荷試験って言ってたけど、何それ……? 検査前日は21時から絶食、検査当日はまず空腹時に採血、血糖値を測る。 次に、ブドウ糖液(かなり甘いサイダーのような味でした)を飲んだあと、30分後、1時間後、2時間後に採血、血糖値を測る、というものでした。 結果は……ほんの少しだけど数値がオーバー。ほんの少しでもオーバーしたらいけないんです。妊娠糖尿病と診断されました! あとから知りましたが、高齢出産のリスクの1つに妊娠糖尿病になりやすいことがあるそうです。高齢出産という心配をしながらもなんとかここまで順調に来られただけに、妊娠糖尿病と診断されてショックでした。 妊娠糖尿病になると赤ちゃんが巨大児になって難産になることがあるそうです。これまでの定期健診では、幸いにも、なにか問題があるなどの指摘を受けたことはなかったけれど、妊娠糖尿病と聞いて急に不安になってきました……。 「赤ちゃん大丈夫かな……」 私が通院していた大学病院は他の科との連携がスムーズ。このあとすぐに内分泌科の先生を紹介されました。 妊娠糖尿病と診断されてしまったら、どんなことが待っているのか……?次回に続きます! ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター じゅの2018年生まれの、自分と同じ誕生日の男の子の母。元グラフィックデザイナー。高齢出産、慢性腎臓病、妊娠糖尿病、そして出産間際にパニック発作を経験。インスタグラムにて育児絵日記・漫画を更新中。
2020年12月02日花粉症の私は、花粉の季節になると肌が超敏感になり、かゆみが出て赤くなり、ただれてしまいます。そのため1年中抗アレルギー薬を内服していたのですが、妊娠が判明してすぐに自己判断で内服をやめました。妊娠中に内服はしてはいけないと思っていたのです。しかしその結果……。私が体験した妊娠中の花粉症による体の変化と内服について紹介したいと思います。 まさかあんなところがただれるなんて妊娠が判明したのが2月の下旬で、ちょうど花粉の季節到来の時期。抗アレルギー薬の内服をやめた私は、顔を中心に体もかゆくなってしまいました。なかでもひどかったのが乳首です。 当時カップ入りインナーを着用していたのですが、下着で乳首がすれ、滲出液が出てかゆみもひどくなりました。かゆくて寝ている間に、パジャマの上からかきむしってしまうこともしばしば。 頼りになる助産師さん妊娠15週に妊婦健診に行ったのですが、私が通っていた病院は医師の診察のあと、毎回助産師外来がありました。そこでは妊娠中の不安や悩みを聞いてもらったり、出産に向けての準備についての指導があったりと、じっくり助産師さんが妊婦と関わってくれるのです。 私は乳首がかゆくてつらいことを話しました。この乳首の状態では出産後に授乳ができないのではないかと不安に思ったからです。助産師さんは乳首を診てくれ、主治医に報告したあと、医師の指示で薬剤部や皮膚科に連絡してくれました。 医師からの説明は医師によると、私が以前から内服していた抗アレルギー薬は、妊娠中に内服しても胎児への影響はないとのこと。そして、「内服することのメリットが内服しないことのデメリットを上回る場合は、内服したほうがいい」と説明を受けました。 また、乳首にはステロイド軟膏が処方されました。ステロイドなんて妊娠中に使っていいの?と思いましたが、こちらも胎児に影響はないとのこと。内服と外用薬のおかげで1カ月くらいで肌のかゆみもおさまり、乳首のただれも完治。そのため助産師さんがすすめる「乳頭マッサージ」もでき、出産後の準備をすることができました。 生まれてきた娘は元気そのものです。今のところ妊娠中の内服が原因での異常はみられません。妊娠中は可能な限り内服しないほうがいいと思っていましたが、私は内服したことで症状が改善し、出産後の準備ができました。助産師さんに相談したことで妊娠中も安心して内服することができました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:きのもとりんこ0歳女の子1児の母。看護師資格保有。自身の妊娠や育児の体験談を中心に執筆している。
2020年12月02日登場人物■ほにゅ:2018年2月生まれ。泣くのが得意な男の子。薄毛。飽き性。笑顔で母をノックアウトできる。■ねむ:2020年7月生まれ。よく寝る女の子。■つぶみ:ほにゅ&ねむの母。すぐムリっていう。一応一生懸命取り組む。■ぺー:ほにゅ&ねむの父。効率的に動きまくる。優しい。声がでかい。赤ちゃんのあだ名、どう名付けてる?編集後記赤ちゃんが生まれると、親しみを込めてあだ名で呼んでいる方もいることでしょう。妊娠中から、お腹の赤ちゃんをあだ名で呼んでいるご家庭もありますよね。赤ちゃんのあだ名はどのように名付けていますか。つぶみさんのご家庭では、上の子・ほにゅくんは喃語(なんご)からあだ名を名付けたとのこと。しかし、ほにゅくんの名付けの法則でいえば、下の子・ねむちゃんは、もしかしたら「んぼーちゃん」になっていたかも…と思うと面白いようなとてもかわいらしいような気がしますね。くすりと笑えるほっこりエピソードをありがとうございました。ままのて編集部※喃語…乳児期の赤ちゃんが発する言葉名付け&喃語に関する記事はこちらつぶみさんの二人目育児のマンガはこちらつぶみさんの二人目妊娠のマンガはこちらままのて公式SNSアカウントままのてのTwitter・Instagramをフォローすると、最新マンガの更新情報をご確認いただけます。ぜひフォローしてください!つぶみさんが描く漫画が動画になりました!ままのてで大人気の育児漫画が動画でも楽しめるようになりました。今後もつぶみさんの漫画動画を随時更新していく予定です。その他の育児漫画や育児に関するお役立ち情報、生活の知恵がたくさん配信されていますよ。どの動画にも字幕が付いているので、赤ちゃんや子どもが寝ているときでも音声なしで楽しんでいただけます。ぜひチャンネル登録してみてくださいね。過去のエピソード著者情報
2020年12月02日これからお話しさせていただくのは私が「妊娠糖尿病」を経験したお話なのですが、まずは今回は私の自己紹介から……。 私は40歳で入籍、41歳で妊娠しました。出産時は42歳。不妊治療をしていたわけでもなく赤ちゃんを授かったのは本当に奇跡的なことでした。 私が高齢で出産することになった理由の1つに、30代のころに「IgA腎症」という種類の慢性腎炎を患っていたということが関係しています。腎機能が低い状態で妊娠すると腎臓にかなり負担がかかり、腎炎が悪化するかもしれないと言われていました。 胎児にも影響が出る可能性もあるそうです。(流・早産、胎児発育不全、胎児死亡、後遺症など) そんなこともあり、30代のころはまずは自分の体を治すことが優先、ストレスなく健康で、自分の好きなことをして生きようと思っていました。子どものいる人生はあえて考えないようにしていました。 ステロイドパルス療法と扁桃摘出で治療はうまくいき、慢性腎炎は寛解。そして気づけば40歳も過ぎ……。 「すぐ疲れる、体がだるい、熱があるような気がする、胃が重くて気持ちが悪い。ああ、これはついに更年期障害の始まりかな……?」と思っていたらなんと妊娠。実はこれらは妊娠の初期症状でしたが、しばらくのあいだ本気で更年期障害かと思っていました。 赤ちゃんを授かったは良いけれど、こんな私が本当に産めるのか? 分娩時にちゃんと赤ちゃんを出してあげられる体力があるのか? 定期健診では胎児の発育はいつも順調と言われていましたが、私自身は常に不安でした。 そこでいつも相談に乗ってくれるベテラン助産師さんの言葉に救われました。「そんなの、ぜ~んぜん大丈夫! 若い人でも高齢の人でも産む体力なんて実はそんなに必要じゃないの。赤ちゃん自身が出ようとする力も加わるからね! ……まぁ、違いがあるとすれば…『産後の回復力』だね!」 なるほど、と思いました。それを聞いて少しだけ安心しました。「産後の回復力」はまったく自信がありませんが……。 その言葉通り、分娩時に私はほとんどいきむ力がいらないくらいで。赤ちゃんが出ようとする力が強すぎて子宮口が開くまで留めておくのが大変だったくらいです。 そして産後は心身ともにボロッボロ。若ければもっとはやく回復するんだろうなぁと実感することばかりでした。普段通りに生活ができるようになるまでに、私はなんと5カ月もかかりました。 そんな私が妊娠中に妊娠糖尿病になった経験をお話ししていきたいと思います。これからしばらくの間おつきあいいただけるとうれしいです! ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター じゅの2018年生まれの、自分と同じ誕生日の男の子の母。元グラフィックデザイナー。高齢出産、慢性腎臓病、妊娠糖尿病、そして出産間際にパニック発作を経験。インスタグラムにて育児絵日記・漫画を更新中。
2020年12月01日妊娠10週。産婦人科で妊婦健診を受けたときのお話です。 ついに出産予定日が決定しました~~!! まだまだ生まれるのは半年以上も先なのに、「この日ですよ」って予定日が出るってすごいですよね。もちろん確実に予定日に生まれるということはないだろうけど(むしろ予定日に生まれるのは5%くらいだとか)この日がこの子の誕生日になるんだ! とか、あと〇日~! とカウントダウンが始まった気がしてわくわくします……! そして「妊娠届出書」という用紙をもらいました。クリニックの判子が押されたこの用紙を記入し、住民登録してある市区町村の役場窓口や保健センターに提出すると母子健康手帳がもらえるようです。 このままクリニックが終わったあとにもうもらいに行っちゃおうか! とも思いましたが、時間がない&ハンコを持ってなかったので日を改めました。 母子健康手帳って何が書いてあるんだろう!早く……手に入れたい……! 【第76話につづく】 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター 漫画家 まっふ令和元年5月1日生まれの男の子を子育て中の漫画家。多嚢胞性卵巣症候群からの妊娠を備忘録としてブログにのんびり4コマで更新中。ベビーカレンダーでは妊娠中のお話「妊婦レベル1 まっふの冒険記」を連載中。息子とのお昼寝と一日の終わりにするゲームがなによりの至福。
2020年12月01日2018年2月生まれの男の子育児中のみーすけです。 ベビーカレンダーで、妊娠から出産、日々の育児のことを絵日記連載させていただくことになりました。 第1話目の今回は、不妊治療を経て、妊娠がわかったときのお話です。 ※フーナーテストとは、排卵期にタイミングを取ったあと、子宮に元気な精子がいるかどうか調べるテストです。フーナーテストは100%信用できるものではないと医師から説明されていましたが、2回とも0だと、これは自然では難しいと思いました。 高額な不妊治療には至らず赤ちゃんを授かることができましたが、妊活中はやはり焦りがつのり、精神的にもつらい時期でした。「どうせ無理なんだ……」と自暴自棄になっていたので、妊娠判明時は信じられないような、不思議な感じがしていました。 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター 絵日記ブロガー みーすけ2018年生まれの男の子を育児中の絵日記ブロガー。日常をマンガにしてブログを更新中! ネットで子育て情報を検索するのが趣味。最近の悩みは赤ちゃんのおもちゃを買いすぎてしまうこと。
2020年12月01日この記事では、妊娠を希望し、婦人科検診を受けたときに病気が見つかった先輩ママの体験談をお伝えします。 当時、36歳で未婚だった私。結婚・妊娠に焦りはあったものの、婦人科検診もほとんど受けていませんでした。 婦人科検診で病気が見つかったそんななか、お付き合いしている方とそろそろ結婚という話になり、婦人科検診を受けることに。すると卵巣嚢腫、そして、子宮筋腫がボコボコあり、一刻も早く手術することになりました。 そして、どうにか無事に手術も終わり、結婚して子どもができればと思っていたのですが、なかなか妊娠できませんでした。 検査を受け、妊活をスタート!ようやく不妊治療も視野に入れ、病院に通い始めたのが39歳のときでした。当時の私はまったく知識がなく、体外受精などをおこなえばすぐに妊娠するだろうと思っていました。しかし、ようやく自分自身の置かれている状況がわかってきて、どうしてもっと早く病院に行っておかなかったんだろうと後悔に打ちひしがれていました。 夫婦それぞれ検査を受け、幸い問題はなかったため、タイミング法から始めました。しかし、そんな簡単には妊娠できず……。 気分転換に近場の旅行へそんななか、自分の年齢もタイムリミットが近づいているので、次のステップへと進む話がありました。そのとき、大した大きさではないものの、子宮筋腫を取ったほうがいいという話があり、腹腔鏡手術をして取ることにしました。 その後、次のステップに進む前に夫婦で気分転換に近場の旅行に行くことになり、その月は不妊治療をお休みして1カ月後に再開することになりました。 自然妊娠できてよかったところが、その気分転換がよかったのか、手術がよかったのか、その後まもなく自然妊娠することができました。妊娠したのは40歳、出産は41歳のときでしたが、高齢でも自然妊娠できたことが本当にうれしく、感謝しています。 不妊治療中は、終わりが見えなくて本当につらかったですが、もっと若いときにちゃんと病院に行って体を診てもらっていたら、もう少し苦労しなくていいこともあったのではないかと思います。 また、出産のトラブルの可能性も増えたり、40歳に入ってからの高齢出産はリスクがあることを知り、早めに病院へ行っておけばよかった、と感じました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/塩り監修/助産師REIKO著者:高橋えみ1児の母親。育休中。
2020年12月01日第1子である長女を妊娠・出産したのは、私が20歳のときでした。周りの友人たちは、まだ独身ばかり。保育園のママたちは“怖い”というイメージがあり、仲良くなれず……。当時、私にはママ友と呼べる存在がいませんでした。 相談できる友人、同僚がいなかった私が20歳で第1子の妊娠・出産をした当時、周りの友人たちは、子どもはおろか結婚もしていませんでした。また、当時働いていた職場にも結婚している人や、子どもがいる人がいなかったのです。 私には実母がおらず、義理の母も遠方に住んでいるため、身近に妊娠や育児の相談をできる相手がいませんでした。育児でわからないことを聞くのは、もっぱら医師や保健師さん。もっと気軽に相談や話を聞いてくれる存在が欲しかったです。 他のママたちが怖く思えて避けるようにまだ若かった私は、他のママたちから良く思われないのではないかと思い、乳幼児健診や子どもが入園した保育園で、他のママたちとあまり接しないようにしていました。 また、“保育園のママたち=怖い”というイメージがあり、「ママ友なんて必要ない」と思っていたのです。そのため、第1子である長女が年長組(6歳)になるまで、保育園のママたちとはほとんど話したこともありませんでした。 先輩ママの助言を受け、ハッとした長女が6歳のとき、医療事務の資格を取るために職業訓練校に通ったのですが、そこで中学生の子どもを持つ女性と親しくなりました。その女性がいろいろと子どもの話をしてくれて、「子どもが小学校に入る前に、ママ友を作っておいたほうがいい」とアドバイスをくれたのです。 ママ友がいると情報共有や相談ができる他に子どもの友だち作りにも役立つと言われ、ハッとしました。自分のことばかりで、子どものことを考えていなかったと気がついたのです。 考えを改めママ友づくりに挑戦!「若いから良く思われない」と思い、他のママたちとの交流をもたないまま、6年が経過していました。今から間に合うのかと不安に思いながらも、まずは長女と仲のいい友だちのママたちに話しかけてみることに。 するとフレンドリーなママたちばかりで、年長組の1年間であっという間に仲良くなれました。家に呼んでもらったり一緒に出かけたりするようになり、私だけではなく、子どもにも友だちが増えたのです。こんなことなら、最初から変な壁を作らなければよかったと後悔しました。 今では「若いから……」と、自分で周りに壁を作っていたことを後悔しています。6年間ママ友がいませんでしたが、先輩ママの助言と長女の交友関係のおかげで、今ではたくさんのママ友がいます。育児の相談や愚痴、保育園や学校でわからないことなど、気軽に話したり聞いたりすることができます。ママ友がいなかった時期より、今のほうが子育てをより楽しめています。 監修/助産師REIKO 著者:ライター 木村なち三児の母。現在4人目を妊娠中。パニック障害を抱えながらの妊娠・出産・育児の経験に基づき、体験談を中心に執筆している。
2020年11月30日第一子の息子は現在1歳3カ月、そして私は第二子妊娠中で妊娠8カ月になります。第二子の妊娠が判明したとき、息子はまだ生後10カ月でした。ハイハイとつたい歩きをしている息子の育児中につわりがやってきたのです。私がつわり中の息子の様子やパパの奮闘ぶりをお伝えします。 第二子妊娠時のつわり息子を妊娠したときのつわりは吐きづわりで、20日ほど入院するくらいつらいものでした。第一子妊娠時は自分のことだけを考えればよかったので入院できましたが、今回は息子の育児をする必要があり、入院している場合ではありません。なんとかその気持ちが通じたのか、入院するほどひどい状態にはなりませんでした。ただ、気持ち悪くて動くことがつらいため、妊娠が判明したころからほぼ1カ月ほどは寝て過ごす日々でした。 つわり中の息子の様子生後10カ月の息子にはまだ言葉も通じないので、「つわりでつらい」ということを理解してもらうことは当然不可能です。そのため、寝ている私に向かってハイハイで突進してくることも多々ありました。 私は寄って来た息子を横になったまま抱きしめ、「ごめんね、つらくて遊んであげれないんだよ」と言葉にするよう心がけていました。幸い息子がまだ歩き出していなかったので、決められたスペース内でハイハイしている様子を見守ることができて助かりました。 つわり中のパパの奮闘ぶり!私が寝込んでいる状態だったため、家事・育児のほぼすべてをパパがおこなうことに。毎日の買い物、洗濯、料理、そうじ、そして息子のお風呂と離乳食作り……。すべてパパが頑張ってくれました。 もともとひとり暮らしも長く、普段も家事を率先してやってくれるパパだったので、私が寝込んでも特に困ることなくこなしてくれて、ありがたいと感じました。 現在、つわりのようなつらさはありませんが、おなかが大きくなり、動きが制限された状態になってきています。息子が走り回るようになり、第一子のときのようなのんびりした妊娠生活は送れていませんが、パパにも協力してもらって、なんとか妊娠生活と家事・育児を両立中です! ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/(c)chicchimama監修/助産師REIKO著者:岩田かおる子育て中のママ。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年11月30日次男を授かり、妊娠7カ月のとき、逆子と診断されました。その後、出産まで一度も逆子が直らず、出産予定日より11日早く帝王切開で出産することになりました。逆子も帝王切開も初めてで、とても不安になりました。今回は、逆子と診断されたときの気持ちや、逆子を直すためにおこなってみたことをお話しします。 逆子と診断されたときの心境妊娠5カ月のときに胎動を感じ始めてからずっと、とにかく動きが激しい子だと思っていました。長男のときと比べて動きが速く、ずっと動いている感じがして、とても元気な赤ちゃんが生まれてくるのだろうと思っていました。そして妊娠7カ月の健診で逆子と診断されたのですが、私は「逆子はそのうち直るだろう」と思い込んでいたのです。当時は逆子と診断されても、特に心配したり不安に思ったりはしていませんでした。 逆子体操や鍼もやってみたけれど…産婦人科で逆子体操をすすめられたので、とりあえず毎日1回、寝る前に逆子体操をやってみたり、「頭の位置はここですよ」と赤ちゃんに問いかけるようにおなかの下のほうをなでてみたりもしました。妊娠8カ月になっても逆子が直らなかったので鍼にも通ってみたのですが、そんな努力もむなしく妊娠10カ月目に入ってもそのままの状態でした。さすがに3カ月もの間ずっと逆子のままの状態では、おなかの中で赤ちゃんに何かあるのではないかと不安を感じるようになっていきました。 最終的に帝王切開で出産することに結局妊娠10カ月目に入った最初の健診で、ずっと逆子の状態が続いているから早めに産んだほうがいいと言われ、出産予定日よりも早く帝王切開で産むことになりました。私が出産した産院では、予定帝王切開の場合は出産日を候補日のなかから選ぶことができるのです。子どもの誕生日を自分で決められるとは思っていなかったので、ちょっとうれしかったです。結果として出産予定日よりも11日早く出産することになりました。出産当日、帝王切開の手術中に先生が教えてくれたのですが、へその緒が赤ちゃんの足にぐるぐる巻きにからまっていて、動けない状態になっていたようです。でも赤ちゃんの足には問題なく、元気に退院できました。 その後、次男の成長に問題はなく、すくすく育ってくれています。出産前までは何が問題で逆子が直らないのかわからなかったのでとても心配しましたが、何より無事に生まれてくれてよかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:川本 千華発達障害の長男、兄が大好きな次男を育てる2児の母。元ピアノ講師。自身の経験を活かし音楽・発達障害に関するライターとして活動中。
2020年11月30日私は第1子を帝王切開で出産したのですが、産後の想像を絶する苦しみのあとに身内の心ない言葉によって心にも傷を負いました。今回は、私がその苦しみを乗り越え、幸せな今に至るまでをお伝えします。 予定帝王切開から産後まで私は逆子のため妊娠38週で予定帝王切開となりました。手術中に大量出血し、急激に血圧が下がり、頭痛、吐き気、寒気などに襲われて、死を意識するほどの状態でした。 でも、本当につらかったのは術後です。アレルギーの関係で痛み止めが使えず、後陣痛に加えて傷口の痛みが数日間続きました。 身内に言われた心をえぐられる言葉帝王切開による出産のため、9日間の入院生活の間に身内がお見舞いに来てくれました。久しぶりに知り合いに会ったうれしさで話がはずむなか、「帝王切開だと子どもを産んだ気がしないでしょ」と、心ない言葉が……。 その言葉を聞いた私は、術中や産後の大変だった様子を話すと、「痛かったの? でも、陣痛の痛みはわからないんだよね?」と言われ、悔しさのあまり何も言い返せず、心がえぐられる思いでした。 心の傷薬は“わが子の笑顔”身内に言われた心ない言葉によって精神的ダメージを受けましたが、育児は待ってくれません。数時間おきの授乳やおむつ替え、沐浴に寝かしつけなど、日々が目まぐるしく過ぎてゆき、あのとき帝王切開で産んだ子が1歳になりました。 いたずらやイヤイヤなど、新たな悩みが増えていきますが、健康にすくすく成長してくれて、私に向ける100万ドルの笑顔を見ていると、赤ちゃんへのリスクを抑えた帝王切開手術が誇らしく思えるようになりました。 あのとき身内から言われた言葉は、体の傷跡を見るたびに思い出すと思います。ですが、わが子のためにおなかを切って産む出産も、まさしく命がけです。わが子を見るとおなかの傷跡も勲章のように思えて、少し誇らしく感じるようになりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:上原りな一児(女の子)の母。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は、手芸、映画鑑賞、ネットサーフィン。
2020年11月29日ベビーカレンダー編集部がおすすめの「妊娠・出産・育児マンガ」をご紹介♪ Instagramでフォロワー7千人を超えるHYPかなこ(@hyp_kanako)さんの産後レポを連載でご紹介していきます。ベビーカレンダー編集部がおすすめの「妊娠・出産・育児マンガ」をご紹介♪ Instagramでフォロワー7千人を超えるHYPかなこ(@hyp_kanako)さん。「出産レポ」、「産後レポ 入院編」に続いて、「産後レポ 自宅編」 をお届けします! 産後レポその6です!当時の写真を見ては、本当に申し訳なく思います。 母乳で育てたいとはいえ、自己判断をしてしまった自分はバカでした。今ムッチムチに育っていることが何よりありがたい……。そんなわけで、今回からチビコーの体重推移と母乳・ミルクについて描いていきます! HYPかなこさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター HYPかなこ2018.5生まれのチビコーと夫のこうじ氏、セキセイインコのうなぎの3人+1羽の家族です。WEB制作(私は画像と写真担当)などを夫婦でしてます。婦人科通いの干物→婚活→結婚→不妊治療→ギリギリ35歳で出産→2人目不妊治療中なコミュ障新米母です。
2020年11月29日妊娠10週を迎え、産婦人科に行ってきました。 また長い2週間を経て産婦人科へ、お待ちかねのエコーの時間です。 前回はムンクの叫びしたクリオネのような姿が見れましたが、今回はさらに進化して頭と手と胴と足が確立されてきてました! し…しかも……手を振ってるんですけどー!!! 子「ここにいるよ、見てる~?」って私に手を振ってるんですけど(勝手なイメージ)! 胎児の大きさ、頭殿長(CRL)は27.4mm。そんな3cmもない子でも立派に人間してるんだなあと感動と興奮でした。かわいすぎる……。 【第75話につづく】 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター 漫画家 まっふ令和元年5月1日生まれの男の子を子育て中の漫画家。多嚢胞性卵巣症候群からの妊娠を備忘録としてブログにのんびり4コマで更新中。ベビーカレンダーでは妊娠中のお話「妊婦レベル1 まっふの冒険記」を連載中。息子とのお昼寝と一日の終わりにするゲームがなによりの至福。
2020年11月29日思いもよらない妊娠は喜びと同時に驚きや戸惑いも多いのでは? 誰もが迷わず産む選択ができればよいけれど、すべてがそうではないのも事実。私が“出産する”と決意するまでのエピソードをご紹介します。 思いがけず、妊娠が判明!それは突然のできごとでした。まだ彼と付き合い始めて1年も経過していなかったときのことです。生理が来ず、妊娠検査薬で調べて妊娠がわかりました。 突然のことで驚きを隠せませんでしたが、子どもが欲しかった私にとってはとてもうれしく、子どもができたと伝えれば、彼も産んでいいと言ってくれるだろうと思っていました。ところが……彼は、「結婚はしてもいいけど子どもはおろしてほしい」と言ってきたのです。 ショック! 子どもをおろしてほしいだなんて…なぜ彼がそんなこと言うのかまったく理解できませんでしたが、本当に妊娠しているのか? 何かの間違いかもしれないと思い、病院へ。エコーを見せてもらって、私は本当に妊娠しているんだと実感したのを覚えています。 彼が産むことに反対していたのは経済的な問題ではなく、2人の時間が減ってしまう、子どもに奥さんをとられてしまうという理由からでした。男の人は命よりも自分を優先するんだということがとても悲しかったです。中絶の話を病院で聞いて、彼の前では、話を合わせたように中絶する方向で話していました。 でも、心の中では絶対的に産みたいという希望が捨てられませんでした。せっかく宿った命を捨てることがどれほどつらいか、命を粗末にするなんて、そんなこと私にはできないと思いました。そのときが一番つらかったです。 彼を説得。産んでよかった!彼を説得するのには両親との話し合いも含めて何回もしました。1カ月話し合い、彼もしぶしぶ納得してくれました。妊娠生活では制限も多かったですが、2人の時間を存分に楽しむことができました。そして、子どもが生まれてから、夫はおむつを替えたり子どもをあやしたりしてくれていて、私のことも大事にしてくれています。 子どもと夫が一緒に寝ている姿や触れ合っている様子を見て、私は産んでよかったと心から思っています。悩み、つらかったときもありましたが、私はこの結論、選択でよかったと思います。子どもがいると自分の時間は減りますが、その分、幸せなことも増えるし、少し取れた貴重な時間を有効に使おうと思うようになり、自分自身も成長できたと感じます。「生まれてきてくれてありがとう」と子どもに感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。本記事の内容は、母体保護法 第14条 第1項 第1号「妊娠の継続または分娩が身体的または経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」に該当します。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/(c)chicchimama監修/助産師REIKO著者:田中あきこ0歳の母。子どもと共に成長していける母を目指している。
2020年11月29日双子妊娠が判明後、医師から少しだけ聞いた「双胎間輸血症候群」というワード。順調に妊娠生活を送っていたのに、妊娠6カ月の健診でまさか自分の身に起こるとは思っていませんでした。珍しい症例でしたが、無事に出産を終えるまでのお話をお伝えします。 双子妊娠。初めて聞く言葉ばかりで不安妊娠11週での健診時、おなかの子が双子だとわかり、個人病院から大きい病院へ転院になりました。担当医からは「前の病院で膜性は聞いているよね?」と言われましたが、何かわかりませんでした。双子には、一卵性と二卵性の他にも膜性の違いによって分類されるそうで、わが家の場合は一絨毛膜ニ羊膜双胎(※いちじゅうもうまくにようまくそうたい ※赤ちゃんは羊膜によって別々の部屋に分けられているが、ひとつの胎盤から栄養補給などおこなっている状態の双子)だったのです。 医師は、「妊娠中に双胎間輸血症候群が起こることがあるが、話すと不安が大きくなってしまうので必要になったら詳しく話をします」と言われました。どれも初めて聞く言葉で戸惑ったのを覚えています。 順調だったのに妊娠6カ月目で問題がエコーをしていると医師から「No.1とNo.2の子の羊水量に差ができている。進行すると双胎間輸血症候群になる可能性があり、腹腔鏡によるレーザー手術で2人が共有している胎盤の血管を焼き切る必要があるかもしれない」と言われ、ポカンとしてしまいました。ですが、手術も今すぐに必要なわけではなく、私自身が注意できることは何もない。慎重に経過を見たいので、週2回から週1回の健診に来てほしいと言われました。 調べてみると手術ができるのは日本で数カ所私自身にできることは何もないと言われたので、心配しすぎず、今まで通りの生活を心がけ、いつ入院してもいいように準備していました。そして「双胎間輸血症候群」についてネットで検索してみると、レーザー手術は日本でわずか数カ所の病院でしか受けられないことがわかりました。幸運なことに私の通っている病院・担当医は日本で初めてこの手術をおこなっていたのです。安心して先生たちにおまかせすることにして、毎週おなかの子たちと会えるのだからと健診も楽しみになりました。 結果的には羊水量の差は小さくなり、手術の必要もなく、妊娠32週目から1カ月間の管理入院に入り、退院した2日後に双子を出産しました。ハイリスクな妊娠・出産を経験して不安を乗り越えたからこそ、わが子に出会えた感動は言葉にできないほどうれしかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:山中 凪一卵性の双子男児(2歳)の母。何を言っても「イヤ!」が合言葉の2人を、追いかけまわす毎日。双子ならではの悩みや経験を生かした記事を執筆中。
2020年11月29日妊娠36週1日になった日の朝、目覚めたらパジャマが濡れていました。すぐに病院へ連絡し、大慌てで入院準備をしました。診察の結果は、前期破水。前期破水の診断を受けてから出産するまでの2日間、私がどのように過ごしていたのかなどの体験をお話しします。 目覚めるとパジャマが濡れていて不安に…前日まで体調の変化もなく、元気に家事をしていました。しかし、朝7時に目が覚めるとお尻が冷たく感じ、パジャマが濡れていました。慌ててトイレに駆けこむと、変なにおいがしました。嗅いだことのないにおいと出血があったので「破水?!」と一気に心配になりました。妊婦健診で破水したときの対処法を聞いていましたが、焦りながら病院に連絡。助産師さんの指示に従い、あらかじめ用意していた荷物を持って夫と病院に行きました。 病院に着くと即入院!病院へ着くと、救急外来で手続きをし、車椅子に乗せてもらって診察室に向かいました。医師の診察を受け、前期破水の診断がくだりました。そして、妊娠10カ月に入っていることから陣痛を待って出産することになったのです。入院後は陣痛室兼分娩室で出産まで過ごしました。感染予防の点滴を打ち、エコーで赤ちゃんの様子を見ながら陣痛が来るのを待ちました。赤ちゃんの心音がドクドクとテンポ良く聞こえ、おなかの中は大丈夫そうだと一安心。そして、ここから赤ちゃんを産むことの不安と赤ちゃんに会えることへの期待が交互にやってきました。 陣痛はいつ来るの?医師の説明によると、前期破水の場合、通常は破水から24時間以内に陣痛が来ることが多いということでした。私の場合、15時間以上は待ちました。その間血圧測定や分娩監視装置で赤ちゃんの様子を確認していきました。そのほかの時間はテレビを見たり本を読んだりして、昼と夜には入院食を食べました。陣痛を待つ間、何もしないでいると、「24時間以内に産まないといけない」と思って落ち着きませんでしたが、時間の経過とともに母になる覚悟も固まってきました。 陣痛から出産へ入院から15時間後、ついに陣痛が! 10分間隔で痛くなり、6時間後には子宮口が全開大になったので、分娩台でいきんでは呼吸を整えてを繰り返しました。途中、分娩が長くてつらくなり、早く終わってと投げやりな気持ちにもなりました。その後、10回以上いきんでようやく生まれてきれてくれました。決して長いお産ではありませんが、ようやく赤ちゃんが生まれてほっとしたのを覚えています。 破水をしても、事前にどう行動すれば良いかを病院で聞いていたおかげですぐに行動できました。初めての出産は期待と不安でいっぱいで落ち着かないものですが、入院してからでも、気持ちを整理する時間はありました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/(c)chicchimama監修/助産師REIKO著者:尾浦 三奈2015年長男、2018年次男出産。二児の母。高校教諭一種免許を取得。結婚前から続けていた塾講師の傍ら、子育て、教育に関する記事を執筆中。
2020年11月28日結婚をして、夫婦でライフプランを立て、計画的に子どもを授かるのが理想的かもしれませんが、必ずしもその通りにできるとは限りません。私は付き合って3年目の彼との間に子どもを授かりました。当時、私は20歳になったばかりで、彼もまだ大学生。そんな私の妊娠・出産エピソードをお伝えします。 社会人1年目の春に妊娠判明社会人になりたての6月、体のだるさと2週間ほどの生理の遅れに不安を覚え、妊娠検査薬を試すと陽性反応が出ました。 このとき、彼はまだ大学4年生。しかも喧嘩をして、あまり連絡を取っていない状態でした。まずは産婦人科へ行き、妊娠していることをしっかり確認。覚悟を決めて彼に妊娠したことを報告しました。たくさん話し合い、最後はおなかの赤ちゃんのおかげで仲直りして、子どもを産み育てることを2人で決めました。 想定外の妊娠に対する気持ち私も20歳になったばかり。働き始めて間もない私が母親になるというのは不安もありましたが、私の母も20歳で出産したので若い母親にあこがれもありました。また、私自身、子どもが大好きで保育士として働いていたこともあり、不安はすぐに消え去りました。 ひとりの時間がなくなり、なかなか遊べなくなるかもしれないとも考えましたが、子どもとの楽しい未来を想像すると、そんなことも気にならなくなりました。 ベビー用品はリサイクルショップなどを活用! 彼がまだ大学生なので経済的な不安はありましたが、私の場合、出産に関する入院費用は出産育児一時金から3万円ほどはみ出す程度に収まりました。 大きいベビー用品は、リサイクルショップやフリマアプリを活用。チャイルドシートは1,700円、ベビーラッグは300円など、非常に安く揃えることができました。児童手当で毎月15,000円から10,000円支給され、医療費も無料なので、ありがたいことに急なお金が必要になる場面もなく、なんとか平凡に暮らしていくことができました。 子どもは現在1歳になり、これまでの人生で今が一番幸せだと感じています。毎日が楽しくて仕方がありません。赤ちゃんが幸せを運んできてくれました。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/(c)chicchimama監修/助産師REIKO著者:白木あい男児の母。保育士・幼稚園教諭の資格を取得。保育士として勤務後、出産を機に退職し、専門知識や子育て経験をもとに記事執筆をおこなう。
2020年11月27日長男を妊娠したときは、出産の時をとても楽しみにしていました。妊娠や出産に予想外の展開はつきものだと先輩ママの体験談から学んでいたので、私は心の準備ができたつもりでいました。しかし実際はバタバタ、あたふたで心身ともにぐったりだった私の陣痛体験談をご紹介します。 あれ? 痛いかも? 気のせいだと思った痛み妊娠33週のときに、プチ旅行がてら住んでいる街から2時間ほどの場所に夫と車で出かけた日のこと。出発前の朝、少しおなかがくだるような痛みがありました。しかし、実際におなかがくだっていたわけでもなく「おかしいな」と思っただけでそのまま出発。道中も便意を感じて何度もコンビニに寄ってみるものの、何も変わらず。でも、目的地の少し手前でおなかの張りを感じて、車を停めて寝る体勢をとっていました。寝てみるとおなかの張り具合に緩急があるような……。そうは思ったものの痛みが強いわけでもなく、だんだん張りも治まってきたので再出発することにしました。今になって考えると、このときに自宅に引き返していればよかったと思います。 すぐに治まると思いきや…目的地に到着後は、おいしいごはんを食べたりしながらゆったり過ごしました。そのとき、おなかの痛みに加えて腰も痛くなってきて、いろいろな体勢で寝てみるものの改善せず。そしておなかの張りもどんどん強くなっていったのです。念のために痛みと張りの間隔を計ると15分ほどの等間隔でした。出産予定の産婦人科に電話すると、今すぐ来るようにとのことで、急いで帰り産婦人科へ。NST(ノンストレステスト)やエコーなどの検査をしてみると、切迫早産の状態とのこと。このとき妊娠33週だったこともあり、張り止めの点滴でおなかの張りを抑えるとともに、出産予定だった個人病院では対応できないとのことで、総合病院へ緊急搬送されることになってしまったのです。 入院したのに…!?その後は搬送先の総合病院で24時間点滴をして正期産の時期まで入院することに。しかし点滴でおなかの張りを抑えているにもかかわらず、また強い張りと痛みが出てきてしまい、陣痛が起きてしまったのです。検査の結果「母体の細菌感染により陣痛が起こっている恐れがある。赤ちゃんにも感染してしまう可能性があるのでこのまま産みましょう」と産科の医師から提案されました。陣痛は来るものの、なかなか子宮口が開かず結局は帝王切開になってしまいましたが、なんとか赤ちゃんへの細菌感染はせずに出産することができました。 初めての妊娠で「陣痛は正期産の時期に起こるのが当たり前」だと思い込んでいた私。しかし無知が故に、出かけ先で陣痛が始まりかけて大慌て。とにかく想像していた陣痛とはまったく違うものになって、困惑した陣痛体験でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:三上美咲3人の未就学児年子の母。営業職でほぼ不在の夫と5人暮らし。育児をはじめとするさまざまなジャンルについてライターとして活動中。育児については主に自身の体験談を元に執筆している。
2020年11月27日登場人物おかめ:息子の成長記録にと日々育児マンガを描いている。夫:普通のサラリーマン。最近の悩みは『息子のパパイヤ期』おまめ:2015年夏に生まれた我が家の長男。プラレールとトミカに夢中。最近の欲しいものは『プラレールのレール』妊娠糖尿病疑惑…!?妊娠糖尿病の症状や治療・予防法など詳しい解説は以下の記事をご覧ください。おかめさんからのメッセージ今回、なぜ育休や産休ではなく、退職を選んだかについてお話します。実は一人目のおまめのとき、保育園に入れたいと考え、当時の職場を休職扱いにしてもらいました。ですが、自身の住んでいる場所が保育園激戦区に加えて、引っ越しや里帰りなどで忙しく、保活の準備ができないまま出産となりました。休職明けの仕事の忙しさなども積み重なった結果、かなり出遅れての保活スタートになってしまい、当然入園することができませんでした。保活失敗によるストレスでかなり落ち込み、今でもトラウマのようになっています。今では、産後でヘトヘトななか無理して園見学や説明会、役所への相談に行かなくても良かったのではないかと思うこともあります。おまめのときにわたしには産後すぐに保活をする体力が無いのだとわかったので、今回は休職ではなく退職を選びました。育児と仕事・保活の板挟みを避け、少しでも心に余裕を持って保活を始めたいと考えています。今のところは下の子も年少の時期に幼稚園へ入園させて、そのタイミングでまた求職活動をしようと考えています!上の子との2人育児にもなるので、自分が一番どうしたいかを選択しました。編集後記妊婦さんなら誰でもかかる可能性がある妊娠糖尿病。日本産婦人科学会によると、妊婦さんの7~9%は妊娠糖尿病と診断されるそうです(※)。不安なことや正しい予防法・治療法についてはかかりつけの医師に相談してくださいね。「妊娠糖尿病で困っている妊婦さんに向けて何かを残したい」というおかめさんの思いのもと、妊娠糖尿病についての体験談を何回かに分けてお届けしていく予定です。ぜひ、次回もご覧くださいね。(ままのて編集部)妊娠・育児に関するお役立ち情報発信中!ままのてのTwitter・Instagramをフォローすると、最新マンガの更新情報をご確認いただけます。ぜひチェックしてみてください!過去のエピソード著者情報
2020年11月27日2018年7月生まれの女の子の母、キヨさんのゆるっと笑える育児マンガ! この連載では、キヨさんの妊娠から出産までの出来事と、子育ての様子をかわいいイラストとともに紹介します♪2018年7月生まれの女の子の母、キヨさんのゆるっと笑える育児マンガ! 第64話、娘ちゃんが1歳ごろからハマりだした「ちゅぱ」の正体とは……!?こんにちは、キヨです! 1歳ごろからベッドの毛布を吸うようになった娘。毛布の代わりに薄手のブランケットを渡してみたら、これがどハマりしてしまい肌身離さず持ち歩くように! 調べてみると「ブランケット症候群」というもので、娘は常にブランケットの端っこを口に入れて吸っていたため、歯並びにも影響がありそうで少し不安でした。 とはいえブランケットがないと超不機嫌になりギャン泣き・落ち着かない・眠れない状態の娘……。かわいそうだったのでそのまま様子を見ることに。 ずっと持ち歩いているので衛生上良くないと思い、他のブランケットで代用してみましたが娘は気に入らず……。お気に入りのブランケットは某ドーナツ屋さんの福袋に入っていた非売品のため、フリマアプリで探して購入。さらに翌年の福袋にも同じブランケットが入っていたので、ブランケット欲しさに2つ買いました! あれから月日が経ち娘は2歳になって、「肌身離さず」というほどではなくなりました。朝起きたら寝室に放置されたブランケットを回収し、夜寝るときに洗濯したきれいなものを渡すようにしています。 日中はブランケットを求めてこなくなって、本当に自然に卒業するものなんだなぁ〜と思いました。 著者:イラストレーター キヨ2018年7月生まれの女の子の母。妊娠を機にデザイン会社を退職しフリーランスに。出産してから食べることが癒やし……。ゆるっと育児漫画、絵日記、イラストをツイッターで更新中!
2020年11月26日私は現在元気いっぱいの2歳の子どもを育てています。この子を出産するときは何日もかかる難産だったのですが、妊娠中に助産師さんから教えてもらった呼吸法が大活躍でした! 呼吸法を練習しておいてよかったと感じた私の体験談です。 産婦人科で開かれた勉強会妊娠中、定期健診を受けている産婦人科で勉強会があるということで、どんなことを教えてもらえるのかワクワクしながら出かけました。勉強会では産婦人科の先生や助産師さんが出産までに大切なことをたくさん教えてくれました。 そのなかでも私が1番勉強になったのは、出産時の「呼吸法」についてでした。出産時にゆっくり深く息を吸うことを意識すると、赤ちゃんも生まれるまでおなかの中で苦しくないということでとっても勉強になりました。 寝る前に意識して呼吸法を練習!出産時のゆったりとした呼吸法について、学んだ日からすぐに寝る前に取り組むようにしました。出産時の呼吸法で1番大切なポイントは、ママが急いで呼吸をせずにゆっくりと呼吸をすることだそう。 いざ出産のときになると陣痛の痛みから呼吸を深くすることができないということを聞いたので、ゆっくりとそして深く呼吸する練習をしました。慣れるまではゆっくりと呼吸をすることが難しかったのですが、少しずつじょうずにできるようになりました。練習しているうちに、いつしか呼吸の練習が寝る前の日課になっていました。 出産時に呼吸法が大活躍!そして迎えた出産日。微弱陣痛だった私はなかなか出産までたどり着くことができず、陣痛が来ているのに産むことができない状態でした。自然分娩で産む予定だったものの、母子ともに体力の限界がきたため急きょ帝王切開になり……結局3日くらいかかった出産。 おなかの赤ちゃんの健康が心配だったのですが、生まれてきた赤ちゃんはとても元気でした! 助産師さんの「ママがゆっくりと呼吸していたから難産でも無事に生まれたのよ! お疲れ様!」という言葉は今でもしっかりと覚えています。 妊娠中は体調の変化に悩まされることが多いですが、おなかの中にいる赤ちゃんと向き合う時間がたくさんありました。私は難産だったのですが、助けてくれたのが「呼吸法」でした。妊娠中に勉強会に積極的に参加していたおかげで、難産にも負けずにわが子を無事に出産することができて本当によかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産時の呼吸法&赤ちゃんの様子 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 監修/助産師REIKO著者:優木 のぞみ1児の母。元幼稚園教諭で子どもの成長を見守ることが大好き。障がい児保育も経験あり。現在はわが子との生活を楽しみながら、自身の体験談を中心に執筆している。
2020年11月26日30歳で結婚し、1年経っても子どもができず1年半の不妊治療。タイミング法と人工授精を経て、念願の妊娠! しかし妊娠後、「出生前診断」を受けるかどうしようか悩みました。結果として、NIPT(新型出生前診断)を受けた私の体験談です。 出生前診断を受けようと思った理由1年半の不妊治療で主な検査をし、特にコレといった原因は見つからなかったものの、妊娠したあとも「私の体」に何か子どもに悪いことがあるのでは……?という気持ちがありました。また正直なところ、障害に対して正しい知識がなく、不安や偏見がないと言ったらウソになる自分がいました。仮に障害が見つかっても、それに向き合う準備期間にしたい。特に妊婦健診での指摘もなく、一般的に出生前診断が推奨される35歳以上の出産でもありませんでしたが、漠然とした不安から出生前診断を受けようと考えていました。 苦労した病院探し出産予定の病院では出生前診断をおこなっていませんでした。出生前診断を受けたい気持ちはありつつ、しっかりと調べていなかった私。妊娠15週のときにふと読んでいた妊婦向け雑誌に「出生前診断は妊娠18週くらいまでに受ける」という記載を読み、無知な自分に焦り、急いで病院探しを始めました。 可能であれば、確定診断の出る羊水検査が希望でした。しかし外来の患者や35歳未満の妊婦には実施していない病院が多く、見つけた病院は平日の日中にカウンセリングと検査を含めて3回来院が必要と、フルタイムで仕事をしていた私にとっては難しい条件だったのです。ネットで調べた結果、年齢制限がなく1回の来院で日曜日でもNIPT(新型出生前診断)を実施している病院を発見。すぐに予約し、週末に受診しました。 いざ検査検査はまずNIPTを受け、陽性だった場合は羊水検査に進むという流れでした。費用は23万円ほど。当日は、まず問診表や同意書を記入。その後個室に呼ばれ、医師から検査の説明とカウンセリングがありました。その後採血し、お会計で終了。所要時間は1時間弱でした。結果は10日ほどで郵送されるとのことで、10日間は「普通に過ごそう」と思いつつも、どこかでずっと診断結果のことを考えていました。陽性だった場合は、どうしようか……と。 診断結果は郵送で診断結果が届き、紙には各項目ごとの内容と「すべての項目で異常は見られませんでした」という記載がありました。 もちろん、この結果がすべてではないことは理解していますが。しかし、冒頭でもお話ししたとおり、もし障害が見つかっても、それに向き合う準備期間が必要だと考えていたので、私は出生前診断を受けてよかったと思っています。 出生前診断は賛否どちらの意見もありますが、私は受けたい自分の気持ちに正直になり、検査を受けることを決意しました。ただ、実際に検査ができる病院を探すのが大変でした。そして費用もかかりますので、受けたくても条件的に受けることが難しい人が多いのではないかと感じました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:森まり子0歳の男の子のママ。本業は育休中で、現在は子育てをしながらライターとして活動中。主に子育て・共働きに関する体験談や、ママ向けの美容記事を執筆している。
2020年11月25日小さなときから体格のよかった私。深夜の仕事をしているせいか、生理周期も不順でした。芸能人の子宮がんや子宮筋腫などのニュースが続き、心配した私の母に受診をすすめられ、婦人科へ。診察の結果は、思いもよらないものでした。 驚きの診察結果婦人科の病気がないか診てもらうために受診した婦人科でしたが、診察後、先生が言った言葉は「産科に行ってね」というものでした。 先生の言葉を聞いてびっくり! 妊娠していたんです。産科での診察の結果、推定妊娠37週ということでした。そのころは冬。除雪を普通にこなしていたので、もっと安静にしているべきだったと、今となっては恐ろしく思います。 検査と手続きへ産科の先生は、「妊娠に気が付かないことも、ごく稀にあるからね。これからできること早急に済ませようね」と親身になってくださって、出産に向けていろいろなことを教えていただきました。 まず、必要な血液検査や血圧などの検査。今まで受けられなかった健診の足りない分を補えませんでしたが、2日おきくらいの頻度で病院に行きました。並行して彼との婚姻届けの提出や、職場の育休申請もおこないました。 そして、無事に出産出産一時給付金の申請をしたのですが、赤ちゃんが生まれたのが休日と祝日にかぶってしまったため、かなりの金額がかかってしまいました。それでも周りの方々の支えがあって、検査も役所での手続きも職場の手続きも、しっかりとこなすことができました。 そして、無事に出産。本当であれば、赤ちゃんの成長を感じながら日々を過ごし、出産を迎えたかったと感じますが、無事に生まれてきてくれて本当によかった。私が無事に赤ちゃんを産むことができたのは、赤ちゃんが頑張ってくれたからだと思っています。 私と同じように、ごく稀に長く妊娠に気付かなかったという方もいると思います。日ごろから自分の体に関心を持つことも大切だと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/imasaku監修/助産師REIKO著者:浦松あや一児の母。学校事務や保育士を経験したのち、産休を機に退職。現在はパート。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は編み物。
2020年11月24日妊娠8週ごろのこと…… しばらく辛いものが食べたくて仕方ない時期(66話)がありましたが、さらに味覚が変わって…… 今度はトマトが無性に食べたくて仕方なくなりました……! さっぱりしたものならつわり中も食べられると、トマトを欲する人は多いと聞いたことあるのですが、あの時はもう飲みたいくらいトマトを欲していたような気がしますw けどトマトって意外とお高いじゃないですか~?大量に食べたいんですよ~~!ってことでサラダビュッフェで食べまくってきました(節度は保って……)。本当は大きなトマトにかぶりつきたい気分でしたが、まあそこは我慢です。 なんか知らんけどみーくん(夫)が張り合ってめちゃトマト食べてたけど、味覚移ったんかい?w 【第74話につづく】 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター 漫画家 まっふ令和元年5月1日生まれの男の子を子育て中の漫画家。多嚢胞性卵巣症候群からの妊娠を備忘録としてブログにのんびり4コマで更新中。ベビーカレンダーでは妊娠中のお話「妊婦レベル1 まっふの冒険記」を連載中。息子とのお昼寝と一日の終わりにするゲームがなによりの至福。
2020年11月24日私は高校卒業後、専門学校に通うために地方の学校へ進学しました。そして専門学生2年目にしてまさかの妊娠が判明しました。当時の私は19歳です。驚くほど若い妊娠……というわけではありませんが、いろいろと葛藤も多かった出産までの体験談をお伝えします。 予定外の妊娠に私の心はちぎれそうに…当時、私は専門学校に通いながらアルバイトに勤しんでいました。そのとき付き合っていた彼(今の夫)とは親公認の半同棲生活でした。もちろん性生活もあり、一度だけ避妊に失敗したことがあったのです。19歳の秋に、その一度の失敗によって妊娠が判明しました。学校も残り1年だったため、なかったことにしてしまおうかという考えも頭によぎったのですが、彼と「どうにか頑張れる方法を考えてみよう」と話し合い、出産を決意したのです。 彼の親は猛反対! バッシングに同居の強要私の親にはひと足先に報告を済ませ、学校は必ず卒業すること、資格も必ず取得することなどを約束し、同意を得ました。その一方で、彼の親は猛反対です。母親は妊娠を喜んでくれましたが、父親は違いました。「子どもを諦めろ」「片親の奴とは結婚させない」「まだ未熟なのだから同居しなさい」と理不尽なことを言われ続け、私の心は崩壊寸前でした。でもその後、彼が父親を何度も説得し、結婚・出産を許してもらったのです。それは、19歳という若さゆえの反対だったのだと思います。 お金がないって本当につらい結婚してからは同居の提案を振り切り、安いアパートに2人で暮らしました。それから夫の立ち会いのもと、無事に元気な男の子を出産。それからの生活は幸せでしたが、お金がないことが本当につらかったです。当時20歳同士の夫婦がそこまで稼げるわけもなく、私の学生時代のバイト代の貯えを削りながら節約生活に明け暮れていました。子どもにかわいい赤ちゃんブランドの服やおもちゃを買ってあげたかったのですが、とりあえず安くてかわいいもので我慢する生活に、泣いてしまう日もありました。でも、出産を後悔する日は1日もなかったというのが私の本音です。それだけわが子に愛情を感じていたし、これから頑張ろうという気持ちになれました。そして、しばらくしてから私は復学し、無事国家資格を取得することができたのです。 若いというだけで浮いてしまうことも…出産から3年後、仕事にも子育てにもやりがいを感じていました。そんななか健診や子どもの幼稚園行事など、ほかの保護者と関わる機会も多くなっていたのですが、私はどこへ行っても最年少ママ。幼稚園のボスママ的な存在の方に年齢を聞かれたり、「若いね~」とあからさまな嫌味を言われたりすることもありました。でも、私を守ってくれたのは仕事です。いわゆる“専門職”であるため、私がどんな仕事をしているか知っているママにはよく相談を受けたり、ワーキングマザーの方からは「有休ないよね」と話しかけてもらったりと、仕事のおかげで悪目立ちせずに済んだという経験もありました。 若くしての出産で悲しいニュースを目にすることもありますが、「どうすればよりよい生活を送れるかな?」「どうすれば子どもは幸せになるんだろう」と日々考えながら、現在私は2人の子どものママになっています。もちろん大変なことや泣いた日も多かったです。でも、あのとき子どもを産んでよかったなと、今心から思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:菅田ゆうり1歳・7歳の男児を育てるワーキングマザー。自身の体験をもとに、妊娠や出産、育児、仕事との両立についての体験談を中心に執筆している。
2020年11月23日産後2カ月のころ、友人の結婚式に出席しました。打診があったのは妊娠中で、産後の様子は正直あまりイメージできませんでしたが、大切な友人だったので赤ちゃんを実母に預けて出席することに。しかし、いざ式が近付くと、出席の返事をしたときには想像しなかった問題がいくつか出てきました。 ※コロナ禍前の体験談です パーティードレスが入らない!産後思ったように体型が戻らず、着ようと思っていたパーティードレスが入りません。どうにもこうにも背中のファスナーを上げることができず、困ってしまいました。 赤ちゃんは連れて行かない予定だけど、授乳口の付いた産後ママ向けのドレスを買うべきか……と考えていたところ、妹が持っていた、ゆったりしたデザインのドレスを貸してもらえることに! ホッとしました。 溢れる母乳はどうしよう!産後すぐには出なかった母乳も、式のころには授乳間隔があくと溢れ出るようになっていました。 赤ちゃんと離れて過ごす間、母乳パッドはどのくらい必要? 借りものの服を濡らしてしまったら申し訳ないし、なにより恥ずかしい……と心配でした。結局、家を出てから帰宅までの間に母乳パッドを4〜5回交換し、そのほかに搾乳もしました。 久しぶりのヒールで足が痛い!妊娠中から1年以上ヒールのある靴を履いていなかったので、独身のころのような高いヒールで歩く自信がなく、低めのヒールの靴を選びました。それでもやはり歩きにくく、帰宅するころには靴擦れができ、ふくらはぎも筋肉痛になってしまいました。 せめて、行き帰りの移動の間は履き慣れたぺたんこ靴に履き替えればよかったなと、あとから思いました。 いろいろと思いがけない苦労もありましたが、大切な友人の花嫁姿を見られてうれしかったです。披露宴の最後の花嫁からの手紙は、生まれたばかりの娘がこんなふうに手紙を読む日もいつかくるのかなと想像して感動しました。 監修/助産師REIKO著者:奥田美紀二児の母。IT企業にてSE・プログラマーとしてシステム開発やWEBサイト運用等をおこなう。夫の転勤や子育てのために退職し、現在は妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年11月23日第一子を妊娠したとき、里帰り出産を予定していたことと諸々の恥ずかしさもあり、女医さんひとりの婦人科医院を選びました。まったくつわりもなく、おなかも目立たず、健診を受けるたびに「小さめだけど大丈夫」「小さくてかわいい赤ちゃんよ」と言われていました。そのときの私の体験談をお伝えします。 初めての妊娠、つわり知らずなワケは?初めて妊娠したとき、妊娠についてまったく無知なうえに体力にも自信があった私。つわりもなく、気楽な妊娠生活でした。母子健康手帳ももらい、毎回の健診が楽しみでした。 安定期に入ってようやく家族以外にも妊娠報告をして、祝福してもらっていた矢先の妊娠4カ月の健診のこと。「あなたの体格にしては体重も増えないし、赤ちゃんも小さめね」とちょっと不安なひと言を医師から言われました。 羊水が多くて、赤ちゃんも小さめそして妊娠5カ月目に入り、妊娠16週の定期健診で、「ちょっと羊水が多いわね。赤ちゃんも小さめだから、念のため大きな病院に紹介状を書くので早めに明日にでも行ってみて」と言われました。 “小さめな赤ちゃん=かわいい”と思い込んでいたので、突然の宣告に奈落の底に突き落とされたような気分でした。沈んだ気持ちで、何が何やらわからぬまま夫に連絡し、次の日、付き添ってもらって隣駅の大病院に行くことにしました。 「無脳症」の診断病院では、紹介状を渡した途端、「胎児に障害がある」という前提で検査が進みました。重苦しい雰囲気でいくつかの検査を終え、胎児が「無脳症」であると診断されました。 羊水が多めに見えるのは、胎児の脳の部分に羊水が入り込んでいるためで、そのため胎児の成長も著しく遅く、このまま妊娠を進めても胎内で亡くなる可能性が高いこと、万が一出産できてもすぐに赤ちゃんが亡くなる可能性が高いことを説明されました。 苦渋の決断を迫られ、「母体保護法」適応の週数内に手術をすすめられました。仕方ないことだったと思いつつも、胎児が小さめというサインに私自身がもっと敏感だったならと悔やむことばかりです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:村上悠美自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年11月22日妊娠8週になりエコーで赤ちゃんの心拍を確認したあと…… 赤ちゃんの心拍が確認できたら母に言おうと思ってたので、早く言いたいのを必死で我慢してようやく報告できました! 母は今まで私に「孫が見たい」とうるさく言ったことはなく、「子ども早く作りなよ」と一度言ったことがあるだけでした。それはあくまで“自分(私)のペースで、人生が幸せで楽しいことが一番”と願っていたからこそ、ただただ私からの報告を静かに待っていたのだと思います。 なのでとても良い報告ができてよかったです。母のテンションの高さにうれしくなりました! そしていろいろと母の話も聞けました! 布団を持ち上げようとして尻もちをついて逆子になったとか、子どもを産んだら体ガタガタになって「子孫を残し自分の役目は終わった」と思ったとかw つわり遺伝説はほんとかどうかわかりませんが、とても経過が似ていたので、母と同じならこれで大丈夫なんだな~と安心することができました。 久しぶりに長電話できてよかったです! 【第73話につづく】 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター 漫画家 まっふ令和元年5月1日生まれの男の子を子育て中の漫画家。多嚢胞性卵巣症候群からの妊娠を備忘録としてブログにのんびり4コマで更新中。ベビーカレンダーでは妊娠中のお話「妊婦レベル1 まっふの冒険記」を連載中。息子とのお昼寝と一日の終わりにするゲームがなによりの至福。
2020年11月22日長女が生後10カ月のときに下の子の妊娠が判明しました。うれしい反面、まだ私にべったりの長女にさみしい思いをさせてしまわないか不安でもありました。お姉さんになる準備をしつつ、残り少ないひとりっ子の時間を満喫させながら、下の子を迎えたときのことをご紹介します。2人目を妊娠。当時、長女は生後10カ月長女出産後、夫と私は年が離れていることもあり、2人目を考えるなら、なるべく早くと思っていました。しかし、いざ2人目の妊娠がわかったときに、うれしい気持ちと同時に長女の気持ちを考えると複雑な気持ちにもなりました。 私にべったりの長女がやきもちをやいたり、さみしい思いをしてしまわないだろうか……。せっかく2人目ができたのに素直に喜べなかったことを、おなかの子にも申し訳なく思いました。 「お姉ちゃん」になる準備はするべきか?長女本人はわかっているのかわかりませんが、周りからは「お姉ちゃんになるんだね」と言われるようになりました。ですが、私と夫は「お姉ちゃんになるんだから、しっかりさせないと」というよりは、残り数カ月のひとりっ子の時間を満喫させてあげようと考えました。 そのころからお人形遊びやおままごとに興味を持ち始めていたので、赤ちゃんの存在を知ってもらおうと一緒にお人形のお世話をしながら遊んでいました。 想像以上に「お姉ちゃん」らしい長女に感激!そして迎えた出産。立ち会いOKの産院だったので、さっそく出産直後の赤ちゃんと長女を会わせることにしました。産後、私と赤ちゃんが突然家に帰るより、生まれたばかりの赤ちゃんを見せるほうがいいと思ったからです。長女は不思議そうに赤ちゃんを見ていました。 その後退院し、家に帰った私が赤ちゃんのおむつ替えなどをしていると、長女は「自分もしたい」とおむつを持ってきました。またある日は、赤ちゃんが泣いていると私を呼びにきてくれました。長女は、私の想像以上にしっかり「お姉ちゃん」になっていたのです。 年子だからまだ難しいだろうと思っていましたが、想像以上に赤ちゃんをすんなり受け入れた長女。下の子を自分より小さいものとして大事にしている姿に日々感激しています。 原案/深田ようこ作画/YUDAI9℃
2020年11月22日うちの家族、個性の塊です
夫婦・子育ていまむかし
めまぐるしいけど愛おしい、空回り母ちゃんの日々