今年で東日本大震災から13年が経ち、3月11日当日には各地で追悼の行事が。東京都・港区にあるサントリーホールでもチャリティコンサートが行われたのだが――。そこに姿を現したのは林芳正官房長官(63)。実は今回、出演者として同コンサートに参加した林官房長官。客席から小泉純一郎元総理(82)や鳩山由紀夫元総理(77)らが見守り、五木ひろし(75)や坂本冬美(56)、さだまさし(71)といった錚々たるミュージシャンが出演するなか、林官房長官はピアノの弾き語りでThe Beatlesの名曲「Let It Be」を披露した。「林官房長官は楽器演奏が得意で、外務大臣時代の’21年12月にはG7外相会合でJohn Lennonの『Imagine』をピアノで演奏しました。自民党の浜田靖一国対委員長(68)らとともに『Gi!nz(ギインズ)』というバンドも結成しています」(全国紙記者)チャリティコンサートの翌日に行われた会見で、林官房長官は「昨日の演奏にあたりましては、東日本大震災により犠牲になられた皆様への哀悼、また被害に遭われた方々へのお見舞い、そして被災者の力になりたい、そうした思いを込めて精一杯演奏させていただきました」とコメント。さらに「音楽には人と人を繋ぐ力や、人を元気にしたり寄り添ったりする力があると感じております」と言い、「音楽は私が子供の頃から続けております。私の人生の大切な一部でありまして、Gi!nzの活動を含めて、公務や議員活動と両立しながら続けていきたいという風に考えております」と述べた。「被災地の力になりたい」という思いを込めて弾き語りを披露した林官房長官だが、X上では、林氏の選曲に対し批判の声が相次ぐことに……。《演奏するのは良いと思うけど、被災地に向けて“Let It Be”はどうなのさ…。仮にも官房長官が、被災者に「Let it be(あるがままに/なんとかなる)」は…》《林官房長官、被災地に向けて “Let it be”はないだろう。歌詞の意味分かってる?》いったいなぜか?その原因は、披露した楽曲である「Let It Be」の歌詞にあるようだ。「Let It Be」というフレーズが繰り返される同曲。しかし「Let It Be」とはそもそも「そのままでよい」といった意味である。「本作は、ビートルズの中で分裂が起こっているときにつくられた曲として有名です。作詞・作曲をしたポール・マッカートニーは、バンドのごたごたで自暴自棄になっているときに亡くなった母が夢に出てきて、『きっとうまくいくわ、あるがままに(Let It Be)』と語りかけたことが作曲のきっかけになったと明かしています。曲の意味としては、困難があってもどうにかなるよ、と励ますようなもので、ポール自身もチャリティコンサートで歌うことがありました」(音楽誌ライター)物議を醸しているのは、この歌を歌ったのが“復興を進めていく”当事者である政治家だという点。「東日本大震災の復興は確実に進んできているものの、いまだに帰宅困難区域があったり人口が戻らなかったりなど課題もあります。また、能登半島地震による被災地の復興がすすんでないことを想起した人も多いよう。そのため、復興を率いていく立場である政治家が”あるがままで大丈夫”と歌ったことに無責任さを感じたようです」(前出・全国紙記者)被災地のために歌以外でも尽力してほしい!
2024年03月14日掃除は大変でした」きみ子さんは、ときに仕事とはまったく無関係な長電話に付き合うこともあるという。「関東に住む、30代と思しき女性からでした。幼いときから関係が悪く交流の途絶えていたお母さんが、急逝したと連絡が来て、彼女は直葬で済ませたんだそうです。でも『ずっと引っかかってる』と言ってました。『戒名もつけてあげなかった』『ちゃんとしたお葬式を出してあげられなかった』と」いしはら葬斎のホームページを見て、自分の胸の内を聞いてほしくて電話をかけてきたという。涙ながらに語る女性に、きみ子さんは優しく、こう諭したという。「いいんじゃない、別に戒名はつけなくても。それで困って戻ってきたって人、私は見たことないもの。それよりも、ずっとわだかまりがあったお母さんを、あなたはきちんと送ってあげた。そっちのほうがずっと大事。偉かったわね」電話の向こう側では女性の啜り泣きが長い時間、続いたという。連日のように、人の死と向き合う石原さんたち。「正直言うと、それぞれの詳細はあまり覚えていないの」ときみ子さん。「引きずらないことが、この仕事を続けるコツなのかも」とも。だが昨年末、引きずらないはずのきみ子さんの胸を、いまなお締めつける、そんな仕事があった。「遠方から車でこっちに来て、自殺してしまった男性がいて。彼のことを迎えにきたご両親と会ったんですけど……。親御さんたちの姿を見ていたら、もう……」朗らかに、インタビューに応じてきた彼女の目から、不意に大粒の涙がこぼれ落ちた。「いつもどおり出て行った息子が、変わり果てた姿で見つかったわけだから。ご両親、警察から引き取った車をそれは丹念に調べたそうです。そうしたら、ドライブレコーダーに、彼の足取りや最期のようすが鮮明に映っていたと……」人生最後の日、彼は大好きな祖母とよく訪れた店にランチに立ち寄るなど、思い出の場所を巡っていた。やがて、いわき市に入った車は、遺体が発見された駐車場へ。目元を拭い、きみ子さんは続けた。「彼は車内で練炭をたいて命を絶ってしまったんですが。ドライブレコーダーには、彼が車窓に淡々と目張りをする様子まで残っていたそうです。それを見たというお母さん、誰に向けてでもなく、絞り出すように言ったんです。『このとき、あの子はどんな気持ちだったの?』って。それ聞いて私、一緒に泣くことしかできなくて……」それまでも、一人さみしく自死した人を、何人も送ってきた。「自ら死を選ぼうとする人に向かって『頑張れ』と言うのは、酷なこととはわかってますけど……」こう前置きしながら、きみ子さんは言葉を継いだ。「自分で選んで、そして逝くことができたってことは、神様の許しが出たってことかもしれないですよね。でもね、あのときのお母さんの、打ちひしがれた姿を見たら、息子さんに『そんな勇気があるのなら』って言ってやりたくなった。『どうしてなの?』って、どうしても思ってしまうんです……」自身も3人の子の母であるきみ子さん。潤んだ目で語るその表情は、すっかり母の顔になっていた。■「震災のご遺体はお顔だけが驚くほどきれいでした」創業から1年ほどたった2011年3月11日に発生したのは、多くの人にとって忘れ難い出来事となった東日本大震災。それは、石原さん夫妻にとっても、同じだ。いわき市を襲った地震は震度6弱を観測したものの、石原さんたちのいた好間地区の被害は比較的軽かったという。石原さんたちは、震災翌日からドライアイスを遺体安置所となった総合体育館に運び込むなど仕事を再開。そして、いしはら葬斎では震災の犠牲となった4人を弔うことになった。そこには、孤独死の遺体を見送るときとはまた違った二人の気持ちが込められていた。それは「なんとしても家族のもとに返してあげたい」という、祈りにも似た思いだ。発災から間もない3月下旬から4月上旬にかけて、犠牲となった女性3人の火葬を任された。「思い出すと、いまも涙が出てくる」と充さんは目頭を押さえ語り始めた。「瓦礫の下から発見されたご遺体でした。しかも、亡くなってから、日数も経過していた。それなのに、うちがお預かりしたとき、体は傷だらけで、髪は砂まみれでも、お顔だけは驚くほどきれいだった。3人が3人とも、そうなんです」充さんは、彼女たちの一念が起こした奇跡のように感じていた。「きっと、離れ離れになってしまった家族に向けた『早く見つけて、私はここよ』という強い願いが、お顔だけは状態のいいままで見つけさせたんだな、そう思いました。私が常々『生きてる人と同じ』と考え、ご遺体と接しているのも、そういう経験があるからなんです」翌年にも犠牲者を一人、送った。きみ子さんが振り返る。「震災から1年ほどたって、やっと少し落ち着いてきたころ。警察からの連絡で、市の沖合で見つかったご遺体を預かったんです」海中を1年間も漂っていた遺体。さすがに身元はすぐには判明しそうになかった。充さんが続ける。「そのご遺体に手足はなく、顔の形もすっかり崩れていた。警察はDNAを鑑定し、被災各地の不明者情報と照合する作業をしていましたが、うちに来たときはまだ、どなただかわからない状況でした」身元がわからないまま、この犠牲者を火葬した。それから、およそ半月後。市役所から連絡が入った。きみ子さんは、12年も前のことを振り返りながら、まるで昨日のことのように顔をほころばせた。「ご遺体の身元が判明したんですよ。宮城の南三陸で津波に遭い流されてきた人だと。それを聞いて、私と夫はもちろん、いっしょに収骨してくれた火葬場の職員さんたちもみな、感激して泣きましたよ。『よかった、これでご家族のもとに帰れるね』って。姿形はすっかり変わってしまっても、帰るべき場所に帰ることができて、故人様はきっと、幸せだったと思います」■「私たちには“お墓”はいらない。」「みながみな、直葬や家族葬にする必要もないとは思います。でも、子どもの数も減り、コロナ禍も経て、家族の形もどんどん多様化した現代に、私たち世代や上の世代のいう『一般的な葬儀』とか、『ちゃんとしたお葬式』という考え方にとらわれるのは、もうあまり意味がないと思いますよ」きみ子さんはこう話す。石原さん夫妻が過去に立ち会ったなか、もっとも理想的と思えた葬儀。それは伝統やしきたりに縛られない故人の送り方だった。「奥様を亡くされた70代のご主人が喪主を務めたのですが、考え方がとても現代的で。『戒名も読経も墓も不要、家族でにぎやかに送れれば、それでいい』と。その葬儀は、本当に印象的でした。参列したご家族、みなさんがゆったりと時間を過ごしながら、笑顔で故人様をしのぶ、温かな家族葬でした」取材の最後、石原さん夫妻の思い描く「自分たちの最期」を聞いた。語られたのは案の定、一般的でもなければ、伝統やしきたりも度外視した最期だった。「私たち、献体するって、結婚当初に決めたんです」きみ子さんは愉快そうに笑った。「私も夫も、子どもはいますがどっちも当てにはならないし、当てにもしたくない。二人で『お墓なんていらないもんね』と話をして。それで。献体を申し込んだんです。お骨はみなさんと一緒の永代供養墓に納められることになってます」インタビュー中も、事務所の電話はひっきりなしに鳴った。夫婦二人だけの小さな葬儀社は、今日も、開いている。どんな最期を迎えた人でも、受け入れるために。「はい、いしはら葬斎です」(取材・文:仲本剛)
2024年03月11日東京工芸大学芸術学部(学長:吉野 弘章、所在地:東京都中野区、以下 本学)は、東日本大震災時に宮城県石巻市大川小学校で起きた津波事故を題材にした映像作品を公開します。この作品は地震発生から津波襲来までの51分間の出来事と事故後の行政対応を多角的に探る作品で、本学中野キャンパス6号館地下1階ギャラリーで3月17日(日)まで展示しています。51分と13年本作品は、東日本大震災時に宮城県石巻市の大川小学校で起こった津波事故を題材としたアートプロジェクトであり、本学芸術学部インタラクティブメディア学科の野口靖教授と、映像作家の三行英登氏の共同研究の成果です。彼らは、地震発生から津波襲来までの51分間に、大川小学校で何が起こったと考えられているのか、また事故後の行政対応について、報道記事や書籍など事故後十数年のあいだに蓄積された様々な資料を丹念に調べるとともに、関係者への取材を重ねてきました。これらの調査を通して得られた「事実」をベースとしながら、独自の解釈を含む映像作品が完成しました。本作品では、大川小学校事故に内在する問題について多角的な視点を提示します。この取り組みは、工学部と芸術学部を有する本学の特色ある教育研究活動の発展に寄与し、「工芸融合研究(成果公開型)」事業の一環として制作されています。本作品は、2024年3月2日(土)から3月17日(日)まで本学中野キャンパス6号館地下1階ギャラリーで公開されます。複数の映像を並置する映像インスタレーション手法を用い、場所や空間全体を通じて体験ができます。これにより、大川小学校の事故に関する多角的な視点からの社会的認識と理解を深めることが期待されます。詳細は以下のとおりです。■「51分と13年」会場 : 東京工芸大学 中野キャンパス6号館 地下1階ギャラリー(6B01)展示期間: 2024年3月2日(土)~3月17日(日)休館日 : 月曜日開館時間: 12:00~18:00入場料 : 無料作品形態: 映像インスタレーション展示施工: 株式会社 O.D.A【展示詳細URL】 ※本展示作品には津波事故に関する事故現場の風景や語りによる具体的な描写が含まれます。ご了承の上ご覧ください。6号館アクセスMAP■東京工芸大学東京工芸大学は1923(大正12)年に創立された「財団法人小西寫眞(写真)専門学校」を前身とし、創設当初からテクノロジーとアートを融合した無限の可能性を追究し続けてきた。2023年に創立100周年を迎えた。【URL】 ■野口靖東京工芸大学芸術学部インタラクティブメディア学科教授過去にも、福島第一原発事故から10年経った際に風評被害防止を目指し、放射性物質の食品影響を時間経過と共に示す地図をウェブサイトに公開。【研究室URL】 ■三行英登映像作家、グラフィックデザイナー。舞台・映像・美術など様々な場で美術家や音楽家、詩人、ダンサー、研究者との共同創作を数多く行う。2003年から2008年まで高山明主宰のPort Bに参加し、舞台映像や宣伝美術を担当する。2015年より河崎純主宰の音楽詩劇研究所に参加し、ロシア、アルメニア、トルコ、ウクライナ、カザフスタンなど国内外の公演を共同でプロデュース。ドキュメンタリー、舞台作品の映像のほか、近年はビデオインスタレーションなど美術作品の制作も行っている。【URL】 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2024年03月04日有機質肥料メーカーの大成農材株式会社(代表:杉浦 朗、本社:広島県広島市)は、自社商品の肥料の出荷量が東日本大震災による被災前と比較して177.8%となったことをお知らせいたします。工場に流れ込むトラック2011年3月11日、東日本大震災の津波により、石巻市にあった当社の工場が被災。春の出荷最盛期を前にストックしていた在庫は倉庫ごと流失。社内でも復興は難しいとの声もあり、肥料事業からの撤退を一度は考えたものの、数少ない国産の魚を原料とした有機肥料メーカーとして、長年愛用している全国の農家への供給と工場従業員の雇用を守る為、約1年かけて工場を復興し製造を再開しました。しかしながら、操業停止中に離れたユーザーも多く、再開後の主要品目の出荷数量は震災前に比べて59%となり、その後もしばらく業績は低迷しておりました。しかし、震災から13年が過ぎようとしている現在、2023年の肥料の出荷量は震災前と比較し177.8%となりました。全壊した原料タンク復興後の工場【35年前から国内原料のみで製造する有機肥料 問い合わせや注文が急増】大成農材では35年前から、国内で水揚げされた魚を利用した魚エキスと、国産米ぬかを使った有機質肥料の製造を石巻市で続けてきました。魚の体液に含まれる水溶性アミノ酸が特徴の「栄養価が高い」肥料は、作物の味が変わる・強く育つなど、全国の農家から好評を得ています。みどりの食料システム戦略や国内肥料資源活用総合支援事業に影響もあり、ここ数年、農家から「有機栽培をこれから始めたい」、「化学肥料から有機質肥料に切り替えたい」といった問い合わせや、新規の取引先から「有機質肥料の取り扱いを始めたい」といった問い合わせや注文が増加しています。【みどりの食料システム戦略や国内肥料資源活用総合支援事業で有機肥料へ注目が集まる】世界的には欧米をはじめとする世界各国において、環境配慮型の農業(脱化学肥料)への移行が進んでいます。日本においても、2021年5月に「みどりの食料システム戦略」が策定され、2022年7月には「みどりの食料システム法」が施行されました。肥料は作物生産において必要不可欠な農業資材の一つであるにもかかわらず、国内で使用されている肥料のほとんどは、原料を輸入に頼る化学肥料です。新型コロナやウクライナ問題、大幅な円安等の社会情勢の影響を受け、2022年に化学肥料の価格が高騰しました。肥料を生産現場に安定的に供給していくためには、こうした影響を受けにくい生産体制づくりを早急に進めることが必要という観点から、国内肥料資源の利用を拡大し、国内資源を活用した肥料への転換を進める取組等を支援すべく、2023年より国内肥料資源活用総合支援事業が開始され、現在、有機質肥料への注目がより一層高まっています。【今後の展開】創業以来、ひたむきに有機肥料の製造に取り組み、品質の高い肥料を販売してきましたが、かねてより、日本全国の生産者様より高い評価を頂いている自社の有機質肥料の特性を生かした農作物の栽培方法を確立すべく、青果物の試験栽培を行っていました。2020年には、自社農園で栽培したミニトマト「ひりょうやさんのトマト」の自社ECサイトでの販売を開始し、現在に至るまで大変ご好評いただいております。広島発の美味しいミニトマトとして広島での認知をより一層ひろげるべく、栽培ハウスの増設を計画しており、2024年の8月には今の4倍の面積となる予定です。その後は全国へ展開を広げ、さらには広島から世界へと美味しいミニトマトをひろげていきたいと考えています。ひりょうやさんのトマトひりょうやさんのトマト商品画像【商品詳細】■バイオノ有機s形状 :ペレット商品規格:20kg袋原料 :フィッシュソリュブル(魚肉エキス)、米糠油粕(脱脂米ぬか)保証成分:N-P-K 7.2-4.0-2.5特徴 :有機質100%肥料で有機JASにも使えます。作物のおいしさ、色つや、鮮度の持続性が向上します。有効微生物が増え元気な土づくりができます。肥効が早く、じっくり効きます。代表商品「バイオノ有機s」■エキタン有機特選エース形状 :液体商品規格:20kgバロンボックス(R)、5kgボトル原料 :フィッシュソリュブル(魚肉エキス)保証成分:N-P-K 6-0-0特徴 :有機質100%肥料で有機JASにも使えます。魚肉タンパクの濃縮エキスを酵素分解した液肥です。葉面散布でも潅水施肥でも効果がすぐに期待できます。野菜や果実のおいしさが増します。なり疲れを解消し作物の生育が旺盛になります。代表商品「エキタン有機特選エース」【会社概要】名称 : 大成農材株式会社所在地: 〒730-0017 広島県広島市中区鉄砲町7-8URL : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2024年03月04日冬になると、全国各地で積雪が観測されます。雪で遊べて嬉しい一方、公共交通機関には運行の乱れや運休などの影響があるため、気が重い人もいるでしょう。特に、通勤で利用している電車が止まってしまうと、帰宅困難者が大量に発生します。そもそも、なぜ雪が降ると、電車は運行の乱れや運転の見合わせが発生するのでしょうか。積雪で起こる、電車の輸送障害東日本旅客鉄道株式会社(通称:JR東日本)は、自社のウェブサイトにある『JR東日本なるほどQ&A Guide』で、雪による影響について詳しく説明しています。ガイドによると、雪が降ると架線の凍結、進路変更の措置『ポイント』が動かなくなる、倒竹や倒木、列車が雪を抱え込み停車するなど、さまざまな輸送障害が起きるとのこと。状況を見ながら対策を講じているとして、次のように説明しています。多くの降雪が見込まれる場合は、運転本数を減らしたり、ポイントを固定する等、影響が最小限となるよう努めています。特に豪雪地帯では、可能な限り列車の運行を継続できるようさまざまな対策を講じています。JR東日本ーより引用首都圏での降雪では、すぐ溶ける程度なら通常運転。雪が地面にうっすらと積もる程度であれば、警戒しつつの通常運転か、本数を減らしての運行となるそうです。地面にしっかり雪が積もる場合は、列車本数の削減か、運転を見合わせるとのこと。また、ポイントが動かなくなる『不転換』を防ぐため、熱や空気圧で雪を除去する『融雪装置』を整備するほか、除雪機械を配備するなどの対策もしているといいます。※写真はイメージ予定通りに電車が運行していないと、駅員に怒りを向ける人もいるもの。しかし、電車の運行の乱れや、運転の見合わせは、安全を確保するためです。雪が降った日は、自然を相手に奮闘する鉄道会社のことを想い、落ち着いた行動を心掛けたいですね。[文・構成/grape編集部]
2024年02月05日イギリス出身の歌手、俳優であり、エルメスの“バーキン”でおなじみのジェーン・バーキンさん(7月16日逝去、享年76歳)。映画『ガラスの墓標』(1970年)のPRでの来日を機に、日本に興味をもち、日本でのコンサートも行っていた。そして2011年、東日本大震災の報道を受けたジェーンさんは自費で緊急来日し、4月に渋谷クラブクアトロで無料チャリティコンサートを開催。『女性自身』2011年4月26日号では、当時の公演を「会場は足の踏み場もないほどで、ジェーンの歌声に酔いしれた一夜となった」と紹介している。公演内でジェーンさんは、「とにかく日本の皆さんが心配で、いてもたってもいられなかった。幸いにも、私には飛行機のチケットを買うお金があったので、『愛してる』と伝えに来ることができました」「原発事故のことがあるので、友達や家族から来日について反対もありました。“それでも行くなら、マスクや靴下を常に装備して、寿司は絶対に食べるな”と……正直、パリを出るときは、危険な場所に向かうという雰囲気でしたが、東京に来てみたらどうでしょう、私も皆さんと一緒です。靴下もマスクもつけていません」「今、フクシマでは命がけで戦っている人たちがいます。自分の犠牲を顧みずに昼夜立ち向かっている彼らは真のヒーローだと思います。原発の問題は私の国フランスでもたくさんの議論がなされています」ジェーンさんはその後も、復興支援を目的としたワールドツアーや、東北への慰問、クラウドファンディングで支援金を募るなど精力的に“日本応援活動”をしてきた。「ガンバッテ。世界の人々が皆さんを称賛しています。あなたの勇気をたたえ、あなたから学んでいます。アリガトウ」「あなたの勇気をたたえ、あなたから学んでいます」「アリガトウ」ーーこの言葉をそのまま彼女に送りたい。
2023年12月22日一般社団法人 日本損害保険協会では、関東大震災100年を契機に、地震への備えについて今一度見直すためのコンテンツとして、地震発生時の住まいの推定被害状況を確認できる新デジタルコンテンツ「地震被害チェッカー」を2023年8月30日(水)より特設サイトで公開します。■画面上の住まいに「地震」を疑似演出。震度別の被害状況を可視化!「地震被害チェッカー」は、地震が起こった場合に、自分や家族の暮らしを支える「住まい」がどの程度被害を受ける可能性があるのかを可視化するデジタルコンテンツです。「地震被害チェッカー」では、建物の構造や耐震性をもとに区分した4つのパターンから建物を選択した後、スマートフォンの加速度センサーを活用して実際にスマートフォンを揺らすことで、推定被害がチェックできます。加速度センサーによってスマートフォンの揺れを感知し、画面上に表示された建物が壊れ、「震度5弱~5強」「震度6弱~6強」「震度7」の3段階で、選択した建物の屋外/屋内双方の具体的な被害内容が提示されるため、震災後の住まいの状況をリアルに感じ取ることができます。関東大震災100年を契機として防災意識が高まるなか、より具体的に地震の被害想定をイメージできるようにすることで、地震への備えについてさらなる意識向上を図るとともに、地震保険の必要性を呼びかけるコンテンツとなっています。「地震被害チェッカー」(マイナビウーマン編集部)
2023年09月07日モレスキン(Moleskine)から、JR東日本鉄道開業150周年を記念した「限定版Suicaのペンギンノートブック」が登場。2023年4月18日(火)より順次、モレスキン取り扱い店舗にて発売される。モレスキン×JR東日本、Suicaのペンギンの限定ノート歴史の中で生み出されてきた様々な紀行文や物語の多くは、鉄道の発展がもたらした自由な移動の機会の中で生み出されきてたものだ。今回のコラボレーションでは、人々の移動を支えてきた東日本旅客鉄道の150周年を記念して、これからの旅人たちの物語や思い出や記録する、カスタムエディションのノートブックが制作された。鉄道員に扮したSuicaのペンギン方眼と無地の2種類で展開されるハードカバーのノートブックに描かれているのは、JR東日本を象徴する人気キャラクター・Suicaのペンギン。モレスキンの定番として愛されるクラシックノートブックをベースに、鉄道員に扮したSuicaのペンギンが表紙・裏表紙・見返しページにデザインされている。商品情報「限定版Suicaのペンギンノートブック」発売日:2023年4月18日(火)価格:・ノートブック / 方眼 / ハードカバー / ラージサイズ 4,290円・ノートブック / 無地 / ハードカバー / ラージサイズ 4,290円取扱店舗:モレスキン取り扱い店舗ⒸChiharu Sakazaki/JR東日本/DENTSU
2023年04月20日東日本大震災から12年を迎えた今年。復興庁が4月に公表した資料によれば、震災関連死を含む死者は1万9765人、行方不明者は2553名。そして現在もなお、3万1000人が避難生活を続けている。震災のあった3月11日は全国各地で犠牲者に哀悼の意が捧げられ、日本中が鎮魂の祈りに包まれた。そんななか、SNSに投稿された“ある不適切動画”が物議を醸したのだった。少年が笑いを堪えながら、「東日本大震災のこれを観て生きている方、とても嬉しいです。また死んでしまった人はお墓で聞こえないと思うがwwほんとに悔しいです」とカメラに向けて語る。動画には「3.11」のテキストが添えられ、少年は合掌のポーズで締めくくった。もとはInstagramのストーリーズに投稿された動画だが、11日深夜にTwitterでインフルエンサーが取り上げると瞬く間に拡散。“被災者や犠牲者を侮辱している”といった批判の声が、ネット上で相次ぐ事態となった。すると翌12日、この少年が通う埼玉栄高校は「本校生徒による不適切動画掲載に関するお詫び」と題する謝罪文を公式サイトに掲出。そこには、お詫びの文章が次のように綴られていた。《このようなことが二度とおこらないように、当該生徒も含め、全校生徒に対してよりきめ細かな心の教育による道徳心の向上を図ると共に、ネット社会、特にSNSに対するリテラシー教育を更に充実させていく所存です》当時、本誌の取材に応じた埼玉栄高校の教頭は、謝罪文を出した経緯をこう説明していた。「本来であれば、生徒のSNS上のトラブルについて学校側がコメントすることはほとんどありません。ですが、今回は内容が社会的な問題であり、3月11日付近にこうした不適切動画を投稿してしまいました。生徒を預かっている学校として、ちゃんとした教育を施せていなかったことに対して大変申し訳なかったとの意味合いで、お詫びを掲載させていただきました」また、不適切動画に関わった生徒の処分について問うと、「現在、学内で聞き取りの調査をしたり、色々と会議を持ったりして検討している最中で、まだ具体的には決まっていません」とのことだった。あれから1カ月。世間では新学期が始まったが、件の生徒はどうなったのか――。改めて4月7日に教頭に問い合わせると、「処分については部外秘ということで、外には申し上げる予定はございません」と回答。生徒の様子については、「十分に反省していると思います。ここ最近は直接その生徒と会っているわけではないので、状況は正確には掴んでおりませんが」との返答があった。一方で、現在までに学校でどのような指導を実施したのかと問うと、「これからになりますが、今月にSNS教育の授業を行う予定です。先だって3月には、東日本大震災で被災した人のお話などをビデオで視聴したりする教育も行いました」と教えてくれた。ただ、東日本大震災を伝えるビデオ授業において、不適切動画に関わった生徒は自宅待機中だったため欠席していたという。まだ先の長い人生。今回の失敗を教訓に、少年の行動が変わることを願うばかりだ。
2023年04月07日「東日本大震災のこれを観て生きている方、とても嬉しいです。また死んでしまった人はお墓で聞こえないと思うがwwほんとに悔しいです」少年が笑いを堪えながら、カメラに向かってこう語りかける。最後は合掌のポーズをとり、動画には「3.11」のテキストが添えられている。東日本大地震が発生して今年で12年。震災のあった3月11日は日本中が鎮魂の祈りに包まれたが、SNSでは冒頭の動画が物議を醸していた。もとはInstagramのストーリーに投稿された動画だが、11日深夜にTwitterでインフルエンサーが取り上げると瞬く間に拡散。震災の犠牲者を侮辱する不適切動画だとして批判が殺到し、少年のInstagramアカウントや学校、部活動などを特定する動きが広まった。炎上騒動を受けて、少年が通う埼玉栄高等学校は12日に公式サイトで「本校生徒による不適切動画掲載に関するお詫び」と題するコメントを発表。謝罪の言葉とともに、《まだまだ心の教育が生徒個々に行き渡っていなかったことを深く反省しますと共に、このような事態を防げなかったことに対し、大変悔しい思いをしております》と記している。本誌が13日に高校へ取材を申し込むと、教頭が応じた(以下、カッコ内は教頭)。学校側が生徒の不適切動画を把握したのは、12日の早朝。生徒が所属する部活動の顧問から炎上していると校長の方に連絡があり、その後、学校側で対応したという。「本来であれば、生徒のSNS上のトラブルについて学校側がコメントすることはほとんどありません。ですが、今回は内容が社会的な問題であり、3月11日付近にこうした不適切動画を投稿してしまいました。生徒を預かっている学校として、ちゃんとした教育を施せていなかったことに対して大変申し訳なかったとの意味合いで、お詫びを掲載させていただきました」現在、学校にどのような声が届いているか問うと、「学校に寄せられた全てのご意見を確認できているわけではありませんが、生徒の発言内容に非常に憤りを覚えられている方からの苦情や、『学校は悪くないから謝る必要はない』とおっしゃられる方など様々なお声をいただいております」とのこと。一方で、学校内部の保護者からは特にお叱りの声などは寄せられていないという。不適切動画を投稿した生徒たちの様子を聞くと、「こんなにも大事になるとは本人たちも思っていなかったようで、ショックを受けており、非常に落ち込んでおります。『大変なことをしてしまった』ということで、深く反省をしております」とのこと。また、生徒の処分については、「現在、学内で聞き取りの調査をしたり、色々と会議を持ったりして検討している最中で、まだ具体的には決まっていません」という。今後、学校としてどのような指導をしていくのかと質問すると、次のような回答があった。「ネットリテラシーの教育をより細かく指導することはもちろんですが、今回の件はネットリテラシー以前の問題です。人の気持ちに寄り添う思いやりの心など、道徳面でまだ足りない部分がございました。道徳心の向上を中心に、担任が細かく子供たちと向き合いながら話を進めていけるような生徒指導を今後も続けていきたいと思います」SNSで拡散され続ける不適切動画は、もはや“悪ふざけ”だけでは済まなくなってきている。
2023年03月13日海岸線の美術館・館長の髙橋窓太郎(そうたろう)さんが初めて雄勝(おがつ)を訪れた当時、防潮堤は建設中だった。町のアイデンティティを取り戻す、“もう一つの海岸線”。「景色の半分は壁で半分は海。海岸線と地続きだった土地が変貌していく様子が衝撃でした」宮城県石巻市雄勝町は東日本大震災で甚大な津波の被害を受けた。現在は高さ10m、距離3.5kmの防潮堤が海と町とを隔てている。ここで髙橋さんはある経験をしたという。「防潮堤の前に立つととても静かで波の音が聞こえない。その空間性が美術館みたいだと思ったのです」このある種啓示めいた経験が「見えなくなった風景をアートの力で取り戻す」プロジェクトとして始動したのは2020年のこと。「しかし、地元では防潮堤の建設に反対する声も多くありました。だから壁をよくしようという発想自体、受け入れられない人がいるのも事実。一方で子どもたちに聞いてみると、『安心する』という声も。防潮堤はネガティブとポジティブを孕むものと気づいたとき、元々あった営み、風景を描くことでもう一つの海岸線を作っていこうと思ったのです。その向こうの本当の海岸線とともに」『THEORIA|テオリア』は、作者の安井鷹之介さんが「あなたの好きな雄勝の風景はどこですか?」という住民へのヒアリングをもとに描いた風景画がソースだ。一つの絵の中を春夏秋冬が巡り、夜明けから暗くなるまでの光がグラデーションのように移り変わる。この壁画を見た町の人は皆、自分の知る風景だと感じるだろう。そして壁の向こうの海に思いを馳せるだろう。今後は「海沿いに生まれる大壁画群」をイメージに規模を広げていく。「年1~2作品、制作を進めていきたいし、いろいろなコラボレーションを考えています。例えば壁画の前に移動式サウナを設置したり、美術教室をやったり。ここが盛り上がったら日本の地域の面白さ、豊かさに多くの人が気付くはず。そんな唯一無二の場所にしていきたいですね」『THEORIA|テオリア』(安井鷹之介)クレーンに乗り、小さな刷毛1本で2か月余りで描き上げた。「美術館のように一定の光量ではないのが野外ならではの面白さ。空の色と続いているようだったり、雪が積もったり、東北らしい光景も」(髙橋さん)撮影・KYON.J『A Fisherman|漁師』(安井鷹之介)撮影・KYON.J制作中の安井さんが「あっちの壁には描かないの?」と地元の人に声をかけられたことがきっかけで生まれた作品。朝焼けに浮かぶ漁師の背中を描いたポートレート。2つの絵は昨年11月に完成、お披露目された。海岸線の美術館宮城県石巻市雄勝町上雄勝2‐22みうら海産物店裏防潮堤0時~24時(野外美術館につきいつでも観覧可能)無休無料seawallclub@gmail.com※『anan』2023年3月15日号より。取材、文・松本あかね(by anan編集部)
2023年03月12日2011年3月11日に発生した、東日本大震災。大きな地震や津波で多くの人の命が奪われた大災害は、今もなお、人々の記憶に深く刻み込まれています。東日本大震災から、12年が経過した、2023年3月11日。地震が発生した14時46分には、各地で黙祷が捧げられました。戦後最大といわれるほどの自然災害の傷跡は深く、産経ニュースによると、同日現在、全国で約3万1千人が避難生活を送っているとのことです。『東北魂義援金』がトイレットペーパーを気仙沼市に寄贈お笑いコンビ『サンドウィッチマン』の伊達みきおさん、富澤たけしさんが開設したことで知られる『東北魂義援金』。2人は宮城県仙台市出身で知られ、東日本大震災から5日後の2011年3月16日、東日本大震災の被災者支援を目的に『東北魂義援金』を開設しました。『サンドウィッチマン』が所属する芸能プロダクション『GRAPE COMPANY』のウェブサイトによると、2022年には、気仙沼市役所の提案で、移動設置型トイレ『トイレトレーラー』を寄贈。2023年3月9日には、トイレトレーラーでの使用を中心とした、トイレットぺーパーを7200個を気仙沼市に寄贈することを発表しました。このたび本格稼働に合わせて、JPホームサプライ株式会社(東京都中央区)より一般社団法人東北魂を通じて「トイレトレーラー」での使用を中心としてトイレットぺーパーを7,200個を気仙沼市に寄贈させていただくことになりました。こちらはトイレトレーラーでの使用のほか、気仙沼市の防災物資集積配送基地に保管し、災害備蓄などに使用していただく予定です。GRAPE COMPANYーより引用加えて『東北魂防災備蓄ゼリー6個セット』が、気仙沼市に500セット、宮城県に600セット寄贈されるそうです。一連のニュースに、ネット上では「『サンドウィッチマン』の2人は本当にすごい」「ありがとう」など感謝の言葉が上がっていました。避難生活を送る人たちが1日でも早く、もとの生活に戻れることを願うばかりです。[文・構成/grape編集部]
2023年03月11日意外と知らない社会的な問題について、ジャーナリストの堀潤さんが解説する「堀潤の社会のじかん」。今回のテーマは「大川小学校の教訓」です。東日本大震災から12年が経ちます。宮城県石巻市立大川小学校では、74人の児童と10人の教職員が津波の被害に遭い亡くなりました。12年前の3月11日に地震が起き、津波が来るからと授業は中断され、児童は校庭に集められました。子供たちは、いつも遊んでいる裏山に逃げようと先生に提案しましたが、指示が遅れておよそ50分間校庭にとどまり、あろうことか川のある方向に逃げてしまったために多くの児童が犠牲になってしまいました。なぜ指示が遅れたのか。裏山に逃げなかったのか。現場に行きご遺族のお話を伺い、実際に登らせていただいたのですが、学校のすぐ裏にあり、危険な場所でもないので、全速力で走ればすぐに逃げられたはずと思うと無念でなりません。学校ではその理由に関して回答しませんでした。犠牲になった児童のうち23人の保護者は、責任の所在や原因を明らかにし、二度と子供たちの命が失われることがないよう対策を取ってもらうために、市と県に対して2014年に訴訟を起こしました。裁判は長く続き、’19年10月に、市と県に約14億3600万円の支払いを命じる仙台高裁の控訴審判決が確定しました。学校を運営する行政の、防災に対する事前の不備を指摘し、原告の訴えが全面的に認められた形です。学校の教員には、住民よりもはるかに高いレベルの防災知識や経験が求められるということです。公開中のドキュメンタリー映画『「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たち』では、真相を究明しようとした遺族の姿が見られます。小学校の近くには川が流れており、津波が川を遡ってきます。そして堤防が決壊して、被害が広がりました。のちに文科省の調査で、津波の浸水が予測されていた地域に位置する約4割の学校が、津波に対する避難訓練を実施していなかったことがわかりました。東日本大震災を機に、災害時に子供たちをどのようにして保護者に引き渡すかの防災マニュアルが作られました。大川小学校の亡くなった児童の親御さんや生き残った子供たちは、自らが語り部となり、事故の教訓を伝えようという取り組みが続けられています。この悲劇を忘れてはならないと思います。ほり・じゅんジャーナリスト。元NHKアナウンサー。市民ニュースサイト「8bitNews」代表。「GARDEN」CEO。Z世代と語る、報道・情報番組『堀潤モーニングFLAG』(TOKYO MX月~金曜7:00~)が放送中。※『anan』2023年3月15日号より。写真・小笠原真紀イラスト・五月女ケイ子文・黒瀬朋子(by anan編集部)
2023年03月11日2023年3月11日、東日本大震災から12年が経ちました。同日、宮城県出身であり、被災地を支援し続けている、お笑いコンビ『サンドウィッチマン』の伊達みきおさんが自身のブログを更新。伊達さんは、東日本大震災発生日に、13年連続で同県の気仙沼を訪れたことを報告。伊達さんは「なんというか、10年以降は、何年とかじゃなくて『3月11日ですね』っていう感覚でしょうか」とつづり、心境を明かしています。前にも書いた気がしますが、特に被災県の方は、時期を表す時に必ず「震災前」「震災後」と言う。震災前だから、12年以上前かぁ…とか。3月11日、この日を境に、この1年どうだったとか…この先の1年はとか…ある意味、また新しい年になる感覚もある。今日も、とても暖かい1日でした。12年前は、雪が降って凄く寒かった。同じ日なのに、こんなに違うんだよなぁ。違う日みたい。サンドウィッチマン伊達のもういいゼ!ーより引用また、宮城県気仙沼市にある『リアスアーク美術館』のスタッフから、明治時代や昭和初期などにも、東日本大震災クラスの津波が起こっていたと教えてもらった伊達さん。いずれまた来る震災や津波で被害を出さないために、伝承することの大切さを改めて訴えました。ちゃんと、後世に伝承してないからあんな大きな被害が出てしまったんだと。そして、いずれまた必ずくる震災・津波に備えられるかが大事な事。東日本大震災を経験した人がそれを伝えていかないと、また同じ被害が繰り返される。宮城県の海沿いは、7メートルの防潮堤で囲まれている。震災後に生まれた子供達は、それが当たり前になる。何故、こんな高いコンクリートの壁が海沿いにあるの?って事も思わないだろうな。。だから、しっかりと伝承していかなければならない。何でもない日常が続くって、有り難い事なんだと。この日は、そんな事を考える1日になれば良いと思います。サンドウィッチマン伊達のもういいゼ!ーより引用ブログの最後を「平和で、笑い合える1日がいつまでも続きますように」と締めくくった、伊達さん。伊達さんの言葉に、改めて震災や津波の被害を伝承する大切さについて、多くの人が考えさせられたようです。・伊達さんをはじめとする、さまざまな人が3月11日にはこうして東日本大震災の話をしてくれることに感謝。忘れてはいけない。・これから先、大きな地震や津波がこないことを願いたい。でも、くるかもしれないから、ちゃんと伝えないといけないですね。・あの日被災して、電気がない中「明日からどうなるんだろう」と思ったのをはっきり覚えてるのに、悲しい記憶は忘れたいのか、ぼんやりしてきました。でも、未来の人たちにはきちんと伝えていきたい。当たり前のことですが、年数が経つごとに、当時のことを知らない世代が増えていきます。これから先、東日本大震災レベルの震災や、津波が発生した時、多くの被害を生まないために、当時を知る世代が語り継いでいかなければなりませんね。[文・構成/grape編集部]
2023年03月11日2022年12月から始まった、JR東日本によるサービス『どこかにビューーン!』をご存知でしょうか。JREポイントを6000ポイント利用して、おすすめの4つの駅のうち、どこか1駅へお得に旅行できるというサービスです。JREポイントはJR東日本が提供するポイントサービスで、鉄道利用やSuica決済、駅ビルでの買い物などでポイントが貯まります。1ポイントが1円相当のため、このサービスを利用すると、6千円相当で新幹線指定席を往復利用できるとのこと。気になった筆者は、早速このサービスを利用して1泊2日の旅行をしてみました!『どこかにビューーン!』の利用方法JR東日本のウェブサイトにアクセスすると、『どこかにビューーン!』の申し込みができます。まず、発着駅と人数、行きと帰りの新幹線の乗車日、時間帯を設定。発着駅として選択できるのは、東京駅、上野駅、大宮駅の3駅。設定すると、ランダムで選ばれた4駅が行き先として表示されます。「すでに行ったことがある駅ばかりだった…」など、選ばれた4駅がしっくりこなければ、再検索をして駅を選び直すことも可能です。筆者も何度か再検索を繰り返した後、白石蔵王駅、赤湯駅、新潟駅、新青森駅の4駅で申込みをしました。この4駅のうち、どこか1駅が今回の旅の目的地になります。『どこかにビューーン!』で、ドキドキの旅行先が決定!申し込みの2日後に、行き先決定のメールが届きました。ドキドキの旅行先は…新潟駅!行き先決定ページでは、その地域の観光情報も確認できました。今回は親子2人で初めての雪国。観光するよりも、ホテルでゆっくりする旅行にしたいと思っていました。悩んだ結果、4つ手前の駅である越後湯沢駅のホテルを利用することに。『どこかにビューーン!』の乗車券は、途中乗車と下車もできるので、とても助かりました。旅行に行った感想は…万全の準備をして旅行当日を迎えましたが、当日は10年に一度といわれる大寒波の日。新幹線が遅延するトラブルもあって、定刻より40分遅れで越後湯沢駅に到着しました。この日は風が強く、気軽に外を歩けるような天気ではなかったため、『CoCoLo湯沢』という駅直結の商業施設内で、ホテルの送迎バスが来るまでの時間を楽しむことに。まずは、羽釜で炊いた南魚沼しおざわ産コシヒカリを贅沢に1合使用した『爆弾おにぎり』で有名な『雪ん洞』に直行!筆者は写真の塩おにぎりを購入しました。お米はつやつや!塩がお米の甘みを引き立てていて、とてもおいしかったです。続いては、『清酒八海山』を作る酒造の甘酒をたっぷり使ったアイスクリームやドリンクメニューが人気の『糀らって』で『糀ソフトクリーム』を食べました。ほんのりと糀を感じられる濃厚なソフトクリームで、濃厚だけど優しい甘さにスプーンが止まりませんでした。その後、送迎バスに乗りホテルに到着すると、そこには一面の雪景色が!この写真を撮影したのは3階の部屋でしたが、まるで1階の部屋にいるかのように思えるほど、雪が高く積もっています。翌日は天気もよく、子供と雪遊びをして冬の新潟を十分に満喫!新潟県に行ったことがなかった筆者でしたが『どこかにビューーン!』の旅を通じて新潟県を知り、おいしい食事や見たことのない景色を経験することができて、とても充実した旅程を過ごすことができました。気になるお得感を検証!『どこかにビューーン!』で利用できる座席は新幹線の指定席です。今回は東京駅を出発駅として、料金を計算してみました。当初の行き先である新潟駅までは往復2万1520円、越後湯沢駅までは往復1万3580円です。今回は6千円相当で目的地まで行けたので、半額以上もお得に旅行ができました。交通費を節約できたぶんは観光や買い物、宿泊先のランクアップに回してもいいですね。今回は1泊2日で利用しましたが、『どこかにビューーン!』チケットの旅行期間は乗車日含めて7日間のため、日帰り利用や最長6泊7日の旅行を計画することも可能!気になった人は、ポイントを貯めて利用してみてはいかがでしょうか。[文/AnyMama(エニママ)・構成/grape編集部]
2023年03月10日東日本大震災追悼~祈りの花火in竹岡~実行委員会は、2023年3月11日(土)に東日本大震災犠牲者の慰霊と復興への思いを込めて「東日本大震災追悼~祈りの花火in竹岡~」を開催します。追悼行事として黙祷、追悼の音楽、花火打ち上げを行います。あれから12年、今年も富津市にて追悼を捧げます。ポスター【開催概要】日時 :2023年3月11日(土)18:00~19:15 (花火打ち揚げは19:00~)主催者挨拶・黙祷・追悼の音楽・花火打ち揚げ会場 :・主催者挨拶・黙祷竹岡コミュニティセンター(千葉県富津市竹岡473-1)・追悼の音楽(NPO法人ひこうき雲)・花火打ち上げ(約100発 約5分間)竹岡漁港※竹岡漁港は竹岡コミュニティセンターから徒歩2分程※追悼の音楽は2部構成((1)18:10~18:25 (2)18:40~18:55)駐車場:なし JR竹岡駅をご利用ください。荒天時:3月12日(日)に順延東日本大震災から12年を迎える2023年3月11日(土)、富津市竹岡地区にて「東日本大震災追悼~祈りの花火in竹岡~実行委員会」主催の追悼行事を開催いたします。私たちは震災によって亡くなられた人々と、その遺族に対して深く哀悼の意を表します。また、被災された全ての人々に、心からお見舞い申し上げます。大きな災害はいつでもどこでも、誰にでも、起こりうることを知るとともに、家族や友人たちと災害に対する備えと災害が起こった時にどうするべきかを考えていく事は必要だと思います。東日本大震災の記憶を風化させることなく、震災を体験していない世代やこれから生まれてくる子どもたちにもあの日の悲しみと教訓を伝承していく事は必要ではないでしょうか。今後も大災害の発生が想定されており、改めて、東日本大震災の経験と教訓を活用することが重要だと思います。これからも東日本大震災の記憶を決して忘れることなく、甚大な被害を受けた被災地の人達を忘れずに思い続けていく事が大切だと思います。過去の花火主催:東日本大震災追悼~祈りの花火in竹岡~実行委員会(実行委員長 千倉 淳子) 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年02月20日私は東日本大震災を機に好きな旅行関係の仕事から転職することになりました。しかも、今まで患者として通うことすら苦手ともいえる歯科医院に勤めることになったのです。そのときの私は41歳でした。私の仕事の変遷、働き方についてお話しします。★関連記事:「もう会社に行けない」夫が転職して半年でうつ病に。約2年の療養期間を経て再スタート【体験談 】東日本大震災により退職を余儀なくされた結婚を機に、東京へ引っ越した後からずっと憧れの旅行会社勤務でした。出産を機に仕事を辞めなければいけなくなったのは残念でしたが、娘が小学校へ入学してからは、旅行会社のコールセンターで約7年働きました。しかし、東日本大震災後は長期休暇を余儀なくされました。いろいろと検討した結果、旅行会社は退職することになったのです。私にとっては、こんなに大きな人生の転機はありません。東日本大震災は本当に怖かったですし、しばらくは旅行どころではない雰囲気でしたが、旅行業界から離れることが、本当に悲しかったのです。そんなとき、たまたま近所に歯科医院が開院しました。自宅から近いという点に惹かれた私は、履歴書を手に歯科医院へ面接に行きました。自宅から近い点がよかったのは、愛犬が東日本大震災での経験をきっかけに臆病になったため、働くなら自宅からの近い職場が良いと思っていました。職場が近ければ昼休みにも様子を見に帰れますし、終わるとすぐに帰れるのも安心だと思ったからです。歯科医院での仕事は、今まで経験のない初めての医療業務でしたが、その場で採用となりました。苦手ながらも学んだ歯医者での勤務経験患者として通うのも嫌だった歯医者ですが、歯科助手として勤めながら勉強していくうちに、歯医者が苦手ではなくなりました。歯医者の独特な「キーン」という音や、独特な薬品のにおい、麻酔しているのに痛いのか?など、働きながらその理由や仕組みを学んだためです。しかし、歯科助手の仕事は本当に大変な仕事でした。医師のアシストに付いたときは、少しも気が抜けません。治療している場所を集中して見ているため、目も疲れます。また、立ち仕事なので、足もパンパンです。 朝から医師と二人だけの勤務で、受付から先生のアシスト、洗浄、消毒、最後の診療室の掃除機など、すべてひとりでおこなっていたために、ついに体調を崩してしまいました。精神的にも不調が続き、メンタルクリニックにも通い始めるようになりました私が体調を崩してからは、午後から出勤にさせてもらっていましたが、それでも仕事が終わるのが、夜の9時や10時です。診療時間は夜7時までだったのですが、治療が終わってから2時間は洗浄、消毒に時間がかかりました。ついに体も心も疲れ果てて歯科衛生士は、歯医者では必要不可欠な人材です。同じ過ちをしたとしても、同僚の歯科衛生士は許してもらえても、歯科助手の私はやり直しをさせられました。歯科衛生士は時間が来ると帰ってしまいますが、私は仕事が終わるまで仕事をします。歯科衛生士との待遇の差もありますが、コロナ禍でさらに消毒の手間も増え、疲れ切ってしまいました。休憩もままならないのですが、受付の方が休憩しているコーヒーのにおいを嗅いで、休憩した気分に浸るのが精一杯です。こんな生活に、本当に体と心が悲鳴を上げていたのです。さらに追い打ちをかけるかのように、施設に入っていた祖母が入院したという知らせが入りました。状態も良くないとの連絡です。私はお休みをもらい、帰省しますが、コロナ禍で入院している病院に入れてもらえません。それでも祖母の容態が気になり、すぐに東京へは戻ることができませんでした。祖母に会えないのなら、すぐに仕事へ戻れば良いのでは?と思われるかもしれませんが、私は幼いころから、祖父母に育てられたと言っても過言ではありませんから、会えなくてもそばにいたかったのです。退職し、新たな生活に挑戦中!祖母のこともあり、私は51歳で歯科医院の退職を決意しました。大切な人とお別れもできない職場にいることも、悲しくなってきたのです。結局は祖母に会えないままでしたが、1週間は病院に毎日通い続けることができました。退職後、祖母との別れを悲しむのを避けるために、すぐにWebライティング実務士の資格を取得し、持病を持っているわが家の老犬もいるので、在宅で仕事をすることにしました。さらに、歯科助手経験を小冊子にして出しました。私自身が勉強になったことや、意外と歯医者選びに困っている患者さんも多かったので、役に立てればと思ったのです。1年間修行した歯医者の先生が受付に置いてくれています。心は相変わらずで引き続きメンタルクリニックに通っています。いつもキャパを超えないようにと先生に言われてしまいます。まとめ私にとっては、東日本大震災が大きな人生の転機となりました。ずっと続けてきた大好きな旅行業界から、まさか患者として苦手意識を持っていた歯科医院に勤務するとは思っていませんでした。でも今となっては、良い勉強と良い経験になったと思っています。歯科医院では薬について扱うことも多かったため、薬にも興味を持ち、「登録販売者」の勉強もしています。気付けば、東日本大震災から12年たとうとしています。やはり昔ほど頑張りも利かず、心と体は悲鳴を上げていました。これからは、無理をしない範囲で仕事をしようと考えています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/takaramomo(52歳)2021年に歯科助手を退職し、現在はWebライターとして活動中。夫と生まれる前から反抗期の25歳の娘、宝物わんこの桃太郎くんが唯一の癒やし。好奇心旺盛なアラフィフゆえ寺・国内地理・城郭・日本茶・救急救命指導員・アマチュア無線など多数の資格を保持。
2023年02月16日2023年2月6日、トルコ南東部を震源としたマグニチュード7.8の大地震が発生しました。同月12日時点で、亡くなった人の数は2万8千人以上。建物も多数倒壊し、甚大な被害が出ているのです。トルコでの地震を受けて、登山家の野口健さんはTwitterを通じ、寝袋の寄付を呼び掛けるなど、多くの人々に支援を求めています。極寒のトルコ・シリア被災地野口健が寝袋の寄付を呼びかけ「日本にとってトルコは恩人」野口健が東日本大震災でタバコを寄付した理由トルコ地震での支援活動を行っていると、野口さんの心の中では「支援者側も、当事者意識を持つことが大切だ」という想いが芽生えてきたといいます。想像力を働かせることで、今どんな支援が必要なのかが分かり、それが日頃の防災に対する意識を高めるそうです。トルコ地震の災害支援活動を行いながら感じるのは、支援している僕らも当事者意識を持つこと。「明日は我が身」だとリアルに想像する事が大切なのだろうと。リアルにイメージをする事で、今、何を求められどのような支援をすべきか想像がつきますし、また、自分が被災者になる前提で備えにも力が入る。— 野口健 (@kennoguchi0821) February 11, 2023 野口さんの投稿に対し、2011年に起きた東日本大震災の被災者から、こんな感謝の声が届きました。被災地にタバコを届けた野口さんの話を知った時は、「この人はきれいごとでは済まない物事の道理を理解している」と思いました。大きな災害が起きると、各地から食料品が届けられます。もちろん、生きていくうえで食べ物は必要不可欠。しかし同時に、野口さんは被災者のメンタルケアも大切だと考え、タバコを寄付したと振り返りました。あの時は「津波で助かった人を肺ガンで殺すのか!」などの抗議電話が多数、事務所に寄せられましたが、現場に訪れる中で本当に必要とている物が何か、見えてくるもの。救援物資の中に嗜好品は含まれるべきだと今でも思っています。お届け先では大歓迎されましたが、外部からはかなり叩かれました。同じ事が熊本地震で運営したテント村でも。「避難所は禁酒」だと被災自治体から告げられ「テント村も禁酒にすること」と。しかし、雨風を防ぐ事だけが避難所の役割ではなく、被災者のメンタルケアも重要なポイント。テントですからいわゆる個室ですし。ルールを破りテント村はアルコールOKにしました。@kennoguchi0821ーより引用(原文ママ)東日本大震災や2016年に起きた熊本地震の時、それまでの日常が突然奪われ、激しいストレスに苦しんだ被災者もいたことでしょう。タバコを日常の支えにしていた人ならば、吸えないことでなおさらストレスを抱えていたはず。野口さんはそう考え、被災地にタバコを届けたようです。タバコを寄付した野口さんのエピソードに、多くの人から反響が上がりました。・災害で避難した時、水や食料はもちろん必要だけど、何かしら日常を感じられるものも大切なんだと思います。・普段必要なくても、もし自分が被災したらタバコとコーヒーが欲しい。飲み込んだ重たい空気を、溜息と一緒に吐き出したいかも。・被災地に、嗜好品の1つであるタバコを届けるという発想がすごいです。震災時、避難所として開放された体育館の端に喫煙スペースが設置され、分煙はされていたとのこと。タバコを届けたことに対する、被災者からのクレームは1件もなかったとも野口さんは明かしています。避難所の中で喫煙できる避難所は僕の知る限り存在していません。喫煙者は体育館の外のしかも端っこに喫煙ブースがあり、そこでタバコを吸っていました。テント村もJTさんが喫煙ブースを端っこに設置してくれました。タバコを届けた事に対し被災者の方からのクレームはたったの一件もなかったです。@kennoguchi0821ーより引用災害が起きた時、自分には何が必要で、準備をしておくべきかを、考えることが大切ですね。[文・構成/grape編集部]
2023年02月12日「岩倉めぐみに扮する永作さんが今作の演技でもっとも悩んだパートが、2週にわたって描かれた“夫を失っためぐみがどう新社長として会社を立ち直せるか”だったそうです」(制作関係者)現在放送中のNHK連続テレビ小説『舞いあがれ!』に出演中の永作博美(52)。めぐみは「IWAKURA」社長で夫の浩太(高橋克典)が急死し、悩み抜いた末、新社長に就任。現在は娘・舞役の主演・福原遥(24)とともに物語の主軸を担っている。「リーマン・ショックの直撃を受け、倒産寸前の会社を引き継いだめぐみは、慎重にして大胆なリストラの断行や、取引先に赴いて、先方の社長相手に一歩も引かない金銭交渉をしてみせるなど、工場を徐々に再興していきます。4年後、会社は危機を乗り越えパイロットの内定を辞退した舞は営業部のエースに成長。めぐみと共に亡き父の“飛行機の部品となるネジ作り”という夢を追っていきます」(テレビ誌ライター)家業のピンチを乗り切る永作の“キャラ変”新社長役の評判は上々のようだ。「ネット上でも《有能なやり手社長爆誕》《スカッとさせてくれてありがとう!!》など、多くの共感の声が上がっています」(前出・テレビ誌ライター)前出の制作関係者は言う。「永作さんが、めぐみを説得力あるキャラクターへと昇華できたのは、実は彼女自身も家業のピンチを救っていたことが影響しているのだと思います」■東日本大震災から半年、行方市をPRする「なめがた大使」に永作は4世帯が同居する茨城県内のイチゴ栽培農家に生まれた。「祖父母の代で農園を広げ、地元では有数の規模だと聞いています。幼少期から家の手伝いをして家業の大変さは身に染みるほど知っているはずです。彼女は専門学校に通うため上京し、19歳のときにアイドルとしてデビューしました。テレビ番組で両親の家業を聞かれると『イチゴ農園』とは言わずに『ストロベリーファーム』と呼ぶなど家業へのこだわりがあったといいます」そんな実家を襲った悲劇――。それが、’11年3月の東日本大震災だった。本誌も当時、永作の実家のピンチを報じている。「被災地に近いというだけで農作物が放射性物質に汚染されているという風評被害に遭ったんです。その影響で売り上げは激減。イチゴ狩りも中止になりました。永作さんの実家は70メートルの巨大ハウスが並ぶような広大農園ですから、当時の被害額は莫大なものでした」(地元紙記者)実家および地元の窮地を受け、実は永作は立ち上がっていた。東日本大震災から半年、出身地である行方市をPRする「なめがた大使」に選ばれ、多忙な女優業の傍ら、地元の広報活動に注力していったのだ。「永作さんは“実家のために自分に何ができるだろう”と大いに悩んだそうです。大使になった永作さんは直後に広報紙に登場して行方市の市長と対談したのです」(前出・地元紙記者)地元の広報紙で、永作は風評被害に苦しむ地域住民に対して、こうメッセージを送っていた。《災害に関しては起きてしまったことなので、心が折れないように踏ん張っていくしかないのかなと思っています。ことが大きすぎてわたしがなにか言うのもおこがましい気がするのですが、ほんとうに自分を強く持って頑張ってほしいと思います》(『市報なめがた』’11年10月号)もちろん、実家への強い思いも込められていたはずだ。永作は’14年にも広報紙に登場して、《茨城県産(の食材)をいっぱい食べています。スーパーに行って産地名を確認するようになりました。茨城産や行方産は結構多いですよ》(『市報なめがた』’14年10月号)と、地元への愛情を熱く訴えていた。■撮影現場にも実家のイチゴを差し入れして……さらに’15年10月には同市内に農と食の大型複合施設「なめがたファーマーズヴィレッジ」がオープンした。同所の広報担当者は本誌の取材にこう語る。「なめがたファーマーズヴィレッジはそうした風評被害を払拭するためにも、地元の方々と一緒に作っているヴィレッジです。竣工式には永作さんに来ていただきました。永作さんは当施設のマスコットキャラクターである『焼き右衛門』の声を担当してくださっています」そんな永作の地道な“草の根活動”は、撮影現場でもたびたび見られたという。「当時のドラマや映画の撮影現場では、永作さんが差し入れとしてよくご実家のイチゴを持ってきてくださいました。出演者からもスタッフからも大好評でしたね。永作さんはご実家から送られてくる新鮮なイチゴを自ら煮詰めてジャムにしているそうです。あの若々しさもそういった健康的な生活のおかげなのかもしれません。調理師免許を持っていることもあり、イチゴをサラダにトッピングするなど、仲のよいスタッフの方々と“こういうの作ったよ”と写真を見せて盛り上がってる姿を見たことがあります。“地元の農作物がいかにみずみずしくておいしいか”を共演者の方々やスタッフの皆さんに笑顔で話されていた記憶がありますね。永作さんの後方支援もあり、ご実家の売り上げも回復したそうです」(前出・制作関係者)家業を続ける厳しさをよく熟知しているからこそ、彼女なりの“営業活動”を行っていたのだろう。その経験はめぐみを演じるうえで大いに役立ったはずだ。「高橋克典さん演じる夫が病院で亡くなるシーンの撮影は、朝から主演の福原さんの涙がずっと止まらなくて大変だったんです。撮影終了後も号泣する福原さんを永作さんはハグしてずっと介抱していました。その姿に、スタッフたちも涙が止まらなかったんです」(前出・制作関係者)主演の福原も絶大な信頼を寄せる“強い母”“折れない社長”を体現する永作こそ、“リアルめぐみ”だった――。
2023年02月03日1995年1月17日に発生した、兵庫県淡路島北部を震源とする、『阪神・淡路大震災』。最大震度7の大きな揺れにより、街のいたるところで建物の倒壊や火災などが発生し、人々の生活に大きな影響をおよぼしました。多くの尊い命が失われた災害は、2023年現在になっても語り継がれています。震災から28年が経過した2023年1月17日、タレントの榊原郁恵さんがInstagramにつづったのは、夫で俳優の渡辺徹さんが震災時に体験した出来事。震災発生当時、渡辺さんは仕事のため、兵庫県神戸市のホテルに滞在していたといいます。早朝、渡辺さんから1本の電話が自宅にかかってきました。「今、大きな地震があってさ…」「え?気が付かなかった…!」「窓から外見えるんだけど、あちらこちら煙が見える、もしかして火事かも…」「え!大丈夫?」「うん、又電話する」数分後「いやー…これ…大変なことになったのかも…」「えー⁈」それから連絡が取れず、5〜6日して足に血まめ、ボロボロになって東京に帰って来た。sakakibara.ikueーより引用目の前で起きた災害の惨状を榊原さんに語った渡辺さん。当時、通信などにも大きな影響が出たことで、連絡がつながりづらくなったのでしょう。連絡が途絶えて6日程度が経過した頃、動いている電車の駅まで歩き続けていたという渡辺さんは、命からがら戻ってきたそうです。そんな大変な思いをしたあの日から28年後。家族が、愛犬であるコーンちゃんを長年大切に世話をし続けたことが、愛犬家の模範として表彰されたことを榊原さんは明かしました。※写真は複数枚あります。左右にスライドしてご覧ください。 この投稿をInstagramで見る 榊原郁恵(@sakakibara.ikue)がシェアした投稿 渡辺さんは2022年12月、病気のため逝去。生前、大震災に見舞われた渡辺さんの出来事に、多くのファンが想いを寄せています。・「なんとかして家族のもとに戻りたい」という一心があったのだろうと思うと、泣けてきますね。・慣れない場所で被災をして、帰るのに渡辺さんは大変だったろうと思います。・渡辺さんは疲労困ぱいで、榊原さんも心配でたまらなかったのではないでしょうか…。『阪神・淡路大震災』以降も、『東日本大震災』など各地で大きな地震が起きています。災害が起きても、家族や自分の身を守れるようにしたいですね。[文・構成/grape編集部]
2023年01月18日2023年1月15日、デジタル庁の河野太郎大臣がTwitterを更新。イギリスのボリス・ジョンソン元首相を映した動画が話題となっています。早速、その動画をご覧ください。以前からずっと福島のことを気にかけてくれていたジョンソン元首相。今回も「福島の美味しい桃ジュースを飲もうぜ」と。 pic.twitter.com/z46oqRelK7 — 河野太郎 (@konotarogomame) January 15, 2023 ジョンソン元首相が飲んでいるのは、福島県産の桃ジュースです。河野大臣によると、ジョンソン元首相は、以前から2011年3月に被災した福島県のことを気にかけているのだとか。2017年にも、ジョンソン元首相が福島県産の桃ジュースに舌鼓を打つ姿を、河野大臣がTwitterに投稿しています。ボリス ジョンソン英国外相が福島の桃ジュースを美味しそうに飲むところ。福島の桃を食べたいと言ってくれていたのですが、シーズンを外しているので桃ジュースを代わりに持っていきました。 pic.twitter.com/6xjv7jj0In — 河野太郎 (@konotarogomame) December 14, 2017 被災地のことをずっと気にかけているジョンソン元首相の姿に、ネットから感謝の声が上がっています。・桃ジュースをおいしそうに飲む姿にきゅんとしました。福島県のことを気にかけてくれて、本当にありがとう。・福島県で農家をやっている者です。福島の桃を褒めてくれて本当に嬉しい。泣けてきた。これからも頑張ります!・ジョンソン元首相、相変わらず髪がボサボサ!そんなところがキュートで大好き!・福島県の桃ジュースは本当においしいよ!まだ飲んだことがない人はぜひ飲んでみて。2023年1月16日現在、この投稿には19万件以上の『いいね』が寄せられています。まだまだ、被災地への支援は必要です。被災した地域の品を購入したり、旅行で訪れたりして、支援をし続けていきたいものですね。[文・構成/grape編集部]
2023年01月16日『すずめの戸締まり』が公開中のアニメーション監督・新海誠が、12月12日(月)に放送する「クローズアップ現代」に出演する。11月に劇場公開された『すずめの戸締まり』で原作・脚本も務めた新海監督。17歳の少女・鈴芽が日本各地で発生する「災い」を鎮めていく冒険物語で、興行収入は公開24日で75.9億円を突破した(※12月9日現在)。エンターテインメント性が高く多くの支持を受けているが、実は東日本大震災を真正面に描いた意欲作であると話題を呼んでいる。番組では、なぜ監督が東日本大震災に向き合い続けるのかを探るべく、東北での舞台挨拶の裏側にも密着。映画製作の不安を告白しながら被災した当事者たちと交流する姿を追った。「いま、“物語”に何ができるのか?」日本を代表するアニメーション監督の思いの真相に迫る。新海誠監督新海監督は出演に寄せて、「映画を一本作って公開すると、様々な声が届きます。それらの言葉にずっと励まされたり教えられたりしてきました。しかし、監督である自分に向かっては決して語られないような言葉、僕からは見えてこないような声をずっと聞きたかったのです」とコメント。「番組の取材と桑子(真帆アナウンサー)さんとの対話は、その声の一端を聞かせてくださいました。心から感謝しています」と明かしている。「クローズアップ現代」は12月12日(月)19時30分~NHK総合にて放送。※再放送は13日(火)17時30分~NHK BS1にて。12月19日(月)までNHKプラスにて見逃し配信(text:cinemacafe.net)■関連作品:すずめの戸締まり 2022年11月11日より全国東宝系にて公開Ⓒ2022 「すずめの戸締まり」製作委員会
2022年12月12日2022年11月11日に公開される、新海誠監督の最新アニメ映画『すずめの戸締まり』。日本各地に点在する廃墟を舞台に、災いのもととなる扉を1人の少女が閉めるため冒険に出かける物語です。『君の名は。』『天気の子』など、数多くのヒット作品を手掛けた新海監督の最新作なだけあって、SNSでは公開前から注目を集めています。『すずめの戸締まり』についての注意喚起同年10月22日、『すずめの戸締まり』のTwitterアカウントは、鑑賞予定の人々に向けた『注意喚起』を明かしました。注意喚起は、作品の中身を一部明らかにするもの。公開前に、予告以外で作品の中身について公式に明かすのは異例ともいえます。それは、かつて大災害が起きた日本ならではの内容だったのです。映画「すずめの戸締まり」が完成致しました。ご鑑賞予定の皆様、楽しみにして頂ければ幸いです。本作には、地震描写および、緊急地震速報を受信した際の警報音が流れるシーンがございます。警報音は実際のものとは異なりますが、ご鑑賞にあたりましては、予めご了承いただきます様、お願い申し上げます。@suzume_tojimariーより引用映画『 #すずめの戸締まり 』ご鑑賞予定の皆様へ pic.twitter.com/KVfAk6s2aw — 映画『すずめの戸締まり』公式 (@suzume_tojimari) October 22, 2022 2011年3月に発生した、『東日本大震災』。最大震度7の大きな揺れだけでなく、東北地方を中心に津波が襲うなど、『未曽有の災害』と呼ばれました。『東日本大震災』の発生以降も、大きな地震が日本各地で起きています。大きな揺れが起きると予想される際に、気象庁から『緊急地震速報』がテレビやスマートフォンなどに流れることも。地震や『緊急地震速報』の音に恐怖心やトラウマとなった体験を思い出す人もいるため、『すずめの戸締まり』のTwitterアカウントは、あらかじめ鑑賞予定の人々に注意喚起を行ったのです。同作品が発信した『注意喚起』は、大きな反響を呼びました。・「知りたくなかった」という人もいるけど、実際に地震や『緊急地震速報』の音が苦手な人もいるから、これはむしろ親切な発表なんじゃないかな。・この事前周知は助かります!教えていただきありがとうございます!・これはいい注意喚起ですね。早く見に行きたいです!過去、災害に遭った経験などで地震や、『緊急地震速報』の音が苦手だと感じる人は、一定数います。そうした人たちに、『すずめの戸締まり』のスタッフは配慮したといえますね。[文・構成/grape編集部]
2022年10月22日2011年3月。シングルマザーの私には交際中の彼がいました。しかし、娘があまり彼に懐いていないこともあり、彼とこのまま交際を続けて結婚してもいいのか悩んでいました。そんなとき、宮城県の田舎町で暮らしていた私たちに東日本大震災が襲いかかったのです。震災直後からスマホやライフラインはすべて停止。私と娘、2人きりでの在宅避難生活が始まったのですが……。 突然の東日本大震災私は、宮城県内陸部にある田舎のスーパーで働いていました。2011年3月11日の午後、最大震度7のこれまでに経験したことのない激しい揺れにスーパーの店内は壊滅状態。店から帰宅を許され、車を走らせたはいいものの……停電で信号機は全停止、大きな交差点に差し掛かったときは多くの車が事故になりそうになっている光景を見て、パニックになりました。 それでも何とか娘の小学校に迎えに行くと……娘は校庭で大泣きしながらも、お友だちに励まされ私の迎えを待っていました。私たちはお互いの無事を喜び、抱き合って大泣きし帰宅しました。 母子2人の在宅避難生活震災以降は、在宅避難生活が始まりました。しかし、ライフラインはすべて停止しスマホは電波がなくて繋がらず、ラジオも持っていません。外部からの情報や連絡が遮断され、世界は私と娘の2人きりになったようでした。 外の様子はというと、スーパーも商店もガソリンスタンドも閉店しており、街にはひと気がありません。ついには、自宅の近くに1本しかない生活道路に亀裂が見つかって車両通行止めに。車や徒歩での外出も難しくなりました。 自宅の損壊は無事免れたため自宅で避難していましたが、東北の3月はまだまだ寒く雪が降る日もあるほど。石油反射式ストーブで暖をとりつつ、停電で使えなくなった冷蔵庫の食材を取り出しては煮炊きして食べ、飲み水は近くの川から水を汲んで煮沸して使用。寒さの中で娘と2人で体を寄せ合い暖をとって、夜はろうそくの灯りで過ごしました。 突然の彼の訪問当時、小学生の一人娘を持つシングルマザーだった私には交際中の彼氏がいましたが、娘が彼にあまり馴染めていないこともあり、別れたほうがいいのかな……?と悩んでいました。 そんなときに起きた大震災。「必要なものを届けてもらえないか」と交際中の彼へ連絡をしても、電波がなくて繋がらず諦めていました。しかし、東日本大震災の初日から3日が過ぎ、3月14日になった日のことです。 大小の2枚のビニール袋を持って、彼が突然わが家へやってきたのです! どうやら、試車両通行止めになった道をはるばる歩いてきてくれたとのこと。お互いに無事だとわかって、私たちは心の底から安心しました。 彼に訪問理由を尋ねると、小さいビニール袋を私に手渡しながら「今日はホワイトデーだから。スーパーも商店もほとんど閉まっていて、何軒も駆け回ってやっと1軒だけ小さなお店を見つけたんだよ。そこで、ほんの少しだけどお菓子があったから。少ないけど、娘ちゃんと2人で分けて食べてね」と言うのです。 「ホワイトデーだから」との口実でしたが、彼は私たちが不安になっているだろうと思って、安心させに来てくれたに違いありません。大きいほうのビニール袋にはいろいろな食材も入っており、彼は言葉通り何軒ものお店を回ってきてくれたようです。私も娘も、彼が来てくれたことで不安や恐怖が解消され、心の底から安心できました。 人生の中で、あんなにうれしく安心したホワイトデーは、過去にもこれからもないのではないかと思います。娘もとてもうれしかった様子で、それ以来、彼に懐くようになりました。それから2年後、この出来事が後押しとなって彼と結婚することができました。人生は本当に何が起こるかわからないと思いましたし、私の人生の中でもとても印象に残った出来事です。 著者/桜井いずみ作画/しお 著者・イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター しお5歳年下の夫&猫と暮らしているアラサー女子!ゆるゆるな日々のエッセイなどを描いている。
2022年10月04日お盆になると、亡くなった人や先祖が、浄土からこの世に戻ってくるとされています。お盆の時期には墓参りに行くほか、魂の乗り物となる『精霊馬』などを自宅に用意する家庭も。そうして故人をしのんでいると、不思議な体験をすることも少なくないようです。ごぼふく(gobohuku)さんは、夏にピッタリな話題として、自身の体験をInstagramに投稿。東日本大震災で伯父と伯母を失くした、ごぼふくさんは、夏に家の跡地まで手を合わせに行きました。姉と姪と一緒に、伯父と伯母を想って手を合わせた、ごぼふくさん。そのまま実家に行き、一家で団欒していると、誰も来る予定がないのに玄関で引き戸の音がします。しかし、見に行っても誰も立っていません。不思議と怖くは感じず、「伯父と伯母が遊びに来たのだろう」と一家は受け入れたのでした。きっと、伯父と伯母は一家の団欒を、ほほ笑ましく思いながら眺めていたことでしょう。ごぼふくさんが体験した心霊現象に、心打たれた人たちからは、こんなコメントが寄せられています。・心が温まるお話だった。・こういう現象って、不思議と怖くないですよね。・みんなに気付いてもらえて、お2人とも嬉しかっただろうな。・私も、祖父のお通夜で似た体験をしました。本当に、そういうことってありますね。故人とは、もう直接話すことはできません。代わりに、このような現象があると、大切な人の存在が感じられそうです。[文・構成/grape編集部]
2022年08月13日「これまでのどんな作品より、私の素に近い声で演じました。東日本大震災を描くドキュメンタリーのような作品ですから、軽い気持ちではできません。いろいろ考えて、等身大の私のまま、主人公『吉野由紀』とともに悩みながら迷いながら演じたつもりです。キャラクターが確立しているほかの作品より、とても難しかったですね」『進撃の巨人』のミカサ・アッカーマン、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』のヴァイオレット・エヴァーガーデンなど、数々のキャラクターを演じてきた石川由依さん(32歳)が主人公を演じるのは、『とんがり頭のごん太-2つの名前を生きた福島被災犬の物語-』だ。福島県浪江町で食堂を営む富田家と愛犬ごん太を、あの日、東日本大震災が襲った。福島原発からわずか9キロの地で、富田一家は泣く泣くごん太を置いて避難。当時はペットを連れていける避難所などなかったのだ。いっぽう、大学生の吉野由紀は、ペットを救済するボランティア活動に参加。そこでごん太を保護し、「ピース」と名付けて世話を始める。だがピースは悪性腫瘍に侵され、余命1カ月と診断される。由紀はなんとかしてピースを元の飼い主に会わせたいと奔走するが……。石川さんは、「吉野由紀」と同じく関西出身。由紀がボランティアを始めるきっかけは阪神淡路大震災の思い出にある。「阪神淡路大震災のころ、私は大阪のマンションの11階に住んでいて、地震を経験しました。私は幼稚園児だったので、揺れに気づかず寝ていたらしいのですが、母が私の上に、父がその上に覆いかぶさり、母の悲鳴で目が覚めたことを覚えています。11階だったからか、いろんなものが落ちて壊れて、地震の怖さを初めて知る体験でした」由紀とは同世代でもある。「東日本大震災のとき、私も大学生でした。でも私は『何かできないか』と思いながらも、行動できなかった。一歩踏み出した由紀はすごいと思います」とはいえ、由紀も不安が大きかったのでは。「そうですね。不安を抱えつつ踏み出した小さな一歩から、ボランティア仲間や支援してくださる方、それにごん太たち被災犬との出会いなどがあって、少しずつ成長できたのではないかと思います」石川さんは震災当時、ペットを救済するボランティア活動を知らなかったという。本作との出会いで石川さん自身に変化はあったのだろうか。「本作では被災犬の救済が描かれていますが、ふと、猫はどうしていたんだろう。ほかのペットは?と、思いをはせました。ペットレスキューの活動をまったく知らなかったときは何も想像できませんでしたが、一を知るとそこから派生して想像が広がるんだなと。だから、本作でひとつの事実を知っていただき、それをきっかけに、東日本大震災やいまもなお自宅に帰れない福島の方々のことなど、さまざまに考えていただけたらと思います」震災からもう11年が過ぎたが、まだ避難生活が続く人もいる。「みなさん、震災のときに感じたことがたくさんあったと思います。でも、忘れかけていることも多いのではないでしょうか。それに、震災を知らない世代も増えています。いま、あらためて震災を振り返ること、そして忘れずに考え続けることが未来を作るのだと思います。本作はあの震災で本当に起きた事実をもとに描いています。ご覧になる方によって感じるものはいろいろだと思いますが、これからの人生に生かせるものがあると思います。多くの方に観ていただきたい映画です」『とんがり頭のごん太-2つの名前を生きた福島被災犬の物語-』は5月28日からフォーラム福島で先行上映が始まり、6月3日~9日ヒューマントラスト渋谷などで劇場公開が予定されている。原案本『福島余命1カ月の被災地犬 とんがりあたまのごん太』(光文社)が発売中。(取材・文:森本光由希)
2022年05月23日2011年3月11日に起きた『東日本大震災』。多くの尊い命が奪われ、各地に甚大な被害をもたらしました。震災から11年が経った、2022年3月11日に、有働由美子アナウンサーがInstagramを更新。有働アナウンサーといえば、Instagramで『うどばあちゃん』という独自のキャラクターを使い、さまざまな情報を発信しています。緊急事態宣言の一部解除に有働由美子アナ「違いが出る時には…」続く言葉に、絶賛の声有働アナウンサーは、岩手県の鵜住居(うのすまい)町にある民宿を訪れたことを明かしました。震災時の津波で娘さんを亡くした、前川さんという被災者が営む民宿で、おいしい魚をたくさん食べてきたという有働さん。そこで、被災者と交わした会話を振り返りました。 この投稿をInstagramで見る 有働由美子(@udoyumiko)がシェアした投稿 その鵜住居で、今日青色と黄色の風船があがる。「ウクライナの人たちを励ましてぇ」という想いだ。前川さんがいうんだ。おらたちは人間の手でどうにもなんねぇ津波で亡くしちまったのに。11年経ってもさ、こんなに悔しくてつれぇのに、ウクライナの人たちの気持ち考えっと、かわいそうでなんねえ。すごく心が痛む、って。できることはなんでもしてあげてぇって。udoyumikoーより引用有働アナウンサーが訪れた鵜住居町では、3月11日に青色と黄色の風船が上がったのだそうです。黄色と青色といえば、ウクライナの国旗。同月12日現在、ロシアから侵攻を受けているウクライナの情勢が、連日のように報道されています。有働アナウンサーは、訪れた被災地で、多くの犠牲者のことを想って心を痛める被災者の姿を目の当たりにしたのです。動画とともに、有働アナウンサーは「傷みを知っている人たちが、誰より一番、今痛んでいる人たちを想っている。それを感じた11年目の現地でした」と、つづっています。【ネットの声】・うどばあちゃんの声を聞いたら、涙が止まらなくなった。・被災地の人が、ウクライナを想う気持ちに感動した。想いが届いてほしい。・有働さん、ありがとうございます。1日でも早く世界に平和が戻りますように。・震災から11年が経っても、まだ痛みは消えません。今はニュースを見るたびに、心が締め付けられます。災害や戦争は、私たちの日常や大切なものを奪い去ります。痛ましい現状から目を背けず、「自分たちに今できることは何か」を考えさせられますね。[文・構成/grape編集部]
2022年03月12日東日本大震災からもうすぐ11年が経ちます。公益社団法人Civic Force(東京都渋谷区、根木佳織代表理事)は、本日3月4日、東北の被災地で復興支援活動に尽力する有志団体と連携し、被災地で実施される11年目の追悼行事を支えるクラウドファンディングを開始しました。▼東日本大震災応援企画|次の10年につなぐ、11年目の「追悼の祈り」目標金額 1,000,000円 東日本大震災応援企画|次の10年につなぐ、11年目の「追悼の祈り」 - クラウドファンディング READYFOR : 追悼行事の継続を支えるクラウドファンディングについて3月11日14時46分。今年も3月11日の地震が発生した時刻に、東北沿岸の各地で追悼の祈りが捧げられます。犠牲者を悼む追悼式典の多くは、国や被災自治体によって運営されてきましたが、10年の節目を機に政府主催の追悼式は終了し、新型コロナウイルス感染症の影響も相まって開催を取りやめる自治体も出てきています。新型コロナウイルス感染症の影響で東北の地域経済が低迷する中、なんとか今年の追悼行事を存続させて来年につなげていくために、Civic Forceは東北の有志団体が実施する追悼の祈りの行事を支えるために、READYFORにてクラウドファンディングを開始しました。ご寄付は、コロナ禍での感染対策にかかる経費やオンライン配信のための運営費など、11年目の「追悼の祈り」を存続させ、次の10年につなげるために活用させていただきます。拡散のご協力をお願いします。<概要>・タイトル「東日本大震災応援企画|次の10年につなぐ、11年目の「追悼の祈り」」・URL: ・目標金額:100万円・募集期間:2022年3月4日(金)~3月31日(木)・資金使途:東北各地で実施される追悼イベントの会場費や通信費、コロナ禍での開催にかかる経費や運営費などもサポートします。・形式:通常型 / All-in形式 ※目標金額の達成の有無に関わらず、集まった支援金を受け取ることができる形式クラウドファンディング立ち上げの背景について2011年3月に緊急支援活動を開始して以降、東北での被災地支援活動を続けてきたCivic Forceは、現在、独自の復興支援プログラム「NPOパートナー協働事業」を通じて、地域の復興の動きを後押ししています。2021年からは、新型コロナウイルス感染症の影響で、存続が危ぶまれていた団体の追悼行事の開催をサポートしてきました。Civic Forceが支援する有志団体主催の追悼行事は、これまで地元企業からの寄付や外からのボランティアのサポートによって成り立っていましたが、2020年以降コロナ禍で地域経済が低迷し、また感染拡大を防ぐために、地元企業や県外のボランティアに頼りづらい状況が生まれています。また震災から10年が過ぎ、国や行政、企業などからの助成金がなくなり、追悼行事を続けていくための資金調達や人手不足が大きな課題となっています。他方、これからは誰かに頼るばかりでなく、地域の人が自分たちで祈りの形を考え、次世代へとバトンをつないでいこうという機運が生まれています。当日打ち上げる花火や風船、灯すあかりには、犠牲者への思いや防災の大切さ、そして真の復興に向けたメッセージなどが書かれます。2022年3月、地域の有志によって続く「追悼」の時間を守るために、以下の2団体ほか東北被災地で追悼行事を実施する団体をサポートします。11年目の「追悼」の時間は、犠牲者を悼むだけでなく、あの日の記憶を振り返り教訓を後世に伝えていくための「伝承」の取り組みでもあります。2021 3.11 祈りの花火白菊 希望未来大切な人を想う日に : 閖上の記憶 : 【公益社団法人Civic Forceについて】国内外の大規模災害時に企業、NPO、行政などが対等なパートナーシップのもとに協働し、迅速で効果的な支援を行うための連携組織です。発災直後から復旧・復興まで、個々の強みを最大限に生かすことで、被災地のニーズに即した支援を目指している。被災地と被災地をつないで教訓を共有することで、災害に強い地域づくりのサポートも続けている。2019年からは空飛ぶ捜索医療団ARROWSに参画し、捜索救助や救急医療、空からの支援体制の強化をはかっています。<緊急支援実績>・2011年3月:東日本大震災支援・2012年7月:九州北部豪雨支援・2014年8月:広島土砂災害支援・2015年9月:関東大雨災害支援・2016年4月:熊本地震支援・2017年7月:九州北部豪雨支援・2018年7月:西日本豪雨支援、9月:北海道胆振東部地震支援・2019年10月:台風19号支援(継続中)・2020年7月:九州豪雨支援(継続中)・2021年1月:新型コロナウイルス緊急支援(継続中)、7-8月:熱海・佐賀豪雨支援(継続中)【問い合わせ先】公益社団法人 Civic Force代表理事 根木佳織本部事務所〒151-0063東京都渋谷区富ヶ谷2-41-12富ヶ谷小川ビル2階TEL:03-5790-9366FAX: 03-5790-9368佐賀事務所〒840-0831佐賀県佐賀市松原1-3-5 まるなかビル6階TEL:0952-20-2900FAX:0952-20-1608URL: 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年03月04日東日本大震災からもうすぐ11年が経ちます。公益社団法人Civic Force(東京都渋谷区、根木佳織代表理事)は、本日3月4日、東北の被災地で復興支援活動に尽力する有志団体と連携し、被災地で実際される11年目の追悼行事を支えるクラウドファンディングを開始しました。▼東日本大震災応援企画|次の10年につなぐ、11年目の「追悼の祈り」目標金額 1,000,000円 東日本大震災応援企画|次の10年につなぐ、11年目の「追悼の祈り」 - クラウドファンディング READYFOR : 追悼行事の継続を支えるクラウドファンディングについて3月11日14時46分。今年も3月11日の地震が発生した時刻に、東北沿岸の各地で追悼の祈りが捧げられます。犠牲者を悼む追悼式典の多くは、国や被災自治体によって運営されてきましたが、10年の節目を機に政府主催の追悼式は終了し、新型コロナウイルス感染症の影響も相まって開催を取りやめる自治体も出てきています。新型コロナウイルス感染症の影響で東北の地域経済が低迷する中、なんとか今年の追悼行事を存続させて来年につなげていくために、Civic Forceは東北の有志団体が実施する追悼の祈りの行事を支えるために、READYFORにてクラウドファンディングを開始しました。ご寄付は、コロナ禍での感染対策にかかる経費やオンライン配信のための運営費など、11年目の「追悼の祈り」を存続させ、次の10年につなげるために活用させていただきます。拡散のご協力をお願いします。<概要>・タイトル「東日本大震災応援企画|次の10年につなぐ、11年目の「追悼の祈り」」・URL: ・目標金額:100万円・募集期間:2022年3月4日(金)~3月31日(木)・資金使途:東北各地で実施される追悼イベントの会場費や通信費、コロナ禍での開催にかかる経費や運営費などもサポートします。・形式:通常型 / All-in形式 ※目標金額の達成の有無に関わらず、集まった支援金を受け取ることができる形式クラウドファンディング立ち上げの背景について2011年3月に緊急支援活動を開始して以降、東北での被災地支援活動を続けてきたCivic Forceは、現在、独自の復興支援プログラム「NPOパートナー協働事業」を通じて、地域の復興の動きを後押ししています。2021年からは、新型コロナウイルス感染症の影響で、存続が危ぶまれていた団体の追悼行事の開催をサポートしてきました。Civic Forceが支援する有志団体主催の追悼行事は、これまで地元企業からの寄付や外からのボランティアのサポートによって成り立っていましたが、2020年以降コロナ禍で地域経済が低迷し、また感染拡大を防ぐために、地元企業や県外のボランティアに頼りづらい状況が生まれています。また震災から10年が過ぎ、国や行政、企業などからの助成金がなくなり、追悼行事を続けていくための資金調達や人手不足が大きな課題となっています。他方、これからは誰かに頼るばかりでなく、地域の人が自分たちで祈りの形を考え、次世代へとバトンをつないでいこうという機運が生まれています。当日打ち上げる花火や風船、灯すあかりには、犠牲者への思いや防災の大切さ、そして真の復興に向けたメッセージなどが書かれます。2022年3月、地域の有志によって続く「追悼」の時間を守るために、以下の2団体ほか東北被災地で追悼行事を実施する団体をサポートします。11年目の「追悼」の時間は、犠牲者を悼むだけでなく、あの日の記憶を振り返り教訓を後世に伝えていくための「伝承」の取り組みでもあります。2021 3.11 祈りの花火白菊 希望未来大切な人を想う日に : 閖上の記憶 : 【公益社団法人Civic Forceについて】国内外の大規模災害時に企業、NPO、行政などが対等なパートナーシップのもとに協働し、迅速で効果的な支援を行うための連携組織です。発災直後から復旧・復興まで、個々の強みを最大限に生かすことで、被災地のニーズに即した支援を目指している。被災地と被災地をつないで教訓を共有することで、災害に強い地域づくりのサポートも続けている。2019年からは空飛ぶ捜索医療団ARROWSに参画し、捜索救助や救急医療、空からの支援体制の強化をはかっています。<緊急支援実績>・2011年3月:東日本大震災支援・2012年7月:九州北部豪雨支援・2014年8月:広島土砂災害支援・2015年9月:関東大雨災害支援・2016年4月:熊本地震支援・2017年7月:九州北部豪雨支援・2018年7月:西日本豪雨支援、9月:北海道胆振東部地震支援・2019年10月:台風19号支援(継続中)・2020年7月:九州豪雨支援(継続中)・2021年1月:新型コロナウイルス緊急支援(継続中)、7-8月:熱海・佐賀豪雨支援(継続中)【問い合わせ先】公益社団法人 Civic Force代表理事 根木佳織本部事務所〒151-0063東京都渋谷区富ヶ谷2-41-12富ヶ谷小川ビル2階TEL:03-5790-9366FAX: 03-5790-9368佐賀事務所〒840-0831佐賀県佐賀市松原1-3-5 まるなかビル6階TEL:0952-20-2900FAX:0952-20-1608URL: 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年03月04日街や人々に甚大な被害を及ぼす震災。直接被害を受けていないように見える人も、あまりの事態にショックを受け、心を砕かれていることがあります。お笑いコンビ『インパルス』の板倉俊之さんも、東日本大震災が発生した当時、打撃を受けた1人。東日本大震災の後にライブが控えていたため、ネタを考える必要があったのですが、「こんな時に、自分は一体何をやっているんだ?」という思いが浮かんだそうです。その時の苦悩をnoteにつづり、反響が上がっています。仕事の意義が揺らいだ板倉俊之テレビを通して、救助活動を続ける自衛隊員や消防隊員などの姿を見た板倉さんは、ある思いに取りつかれてしまいます。無意識にテレビ画面を見つめているとき、僕は気づいてしまった。自分は、必要のない仕事をしている。ずっと、人が生きていく上で必要のない仕事をしていたのだ。早くして結果を出せたことで、自分はネタをつくる力を持っているのだと思っていた。だがそんなものに、価値などなかったのだ。芸人を目指すと告げたとき、「売れるわけない」と表情で言ってきた奴らに勝ったつもりでいた。だがそんな勝負など、ただの一人相撲だったのだ。自分は、必要のない仕事をしているのだから。itakuratoshiyukiーより引用人を笑わせる仕事は、人命救助をしている人たちと比べたら、直接生命に関わらない仕事のように思えます。その点から、自分の仕事に誇りを持っていた板倉さんも、自信を喪失してしまったのです。ライブが無事に終わった後も、板倉さんの心には暗い影が残りました。しかし、数年後に再開した、高校時代の友人の言葉に救われるのです。消火活動をするポンプ隊員だけではなく、救急車で出動する救急隊員や、『オレンジ』と呼ばれるレスキュー隊員の仕事も行っている友人。話をしているうちに、東日本大震災の時の体験談になったので、板倉さんは「すごい仕事だな。俺なんかとは違う」とこぼします。すると、友人は即座に否定して、こう続けました。「あのときマジで精神的にきつかったから、俺もう関係ないものが見たくて、よくツタヤでお笑いのDVDを借りてきて観てたよ。笑ってだいぶ楽になったんだ」その言葉を聞いたとたん、あの時期にネタを考えて一人笑っていたことが、許された気がした。そして頭の中にあるあの問題が、みるみる小さくなっていく感覚をおぼえた。お笑いが、困った人を直接的に助ける男の救いになっていたなんて思わなかった。itakuratoshiyukiーより引用板倉さんは、友人の言葉を聞いて「ただやっている本人に自覚がないだけで、きっとどんな仕事も、見知らぬ誰かの救いになっている」と思えるようになったそうです。投稿を読んだ人たちは、板倉さんの苦悩に共感しつつ、たくさんのエールを送っています。・エンタメは心を救ってくれる仕事です。・直接、人命を救助する仕事は大切ですが、誰かの生きるモチベーションとなる仕事も大切。・不安に襲われた時、板倉さんのお笑いに救われました。感謝しております!・人の心に寄り添う仕事は、素晴らしいものですよ。直接命にかかわらない仕事をしている人はたくさんいます。けれど、その仕事が誰かの心を救っていることもあるでしょう。自身の仕事に誇りを持っていきたいですね。[文・構成/grape編集部]
2021年12月23日私のママ友付き合い事情
うちのダメ夫
あの日、私はいじめの加害者にされた