一人息子は発達障害夢はお寿司屋さん上口さんが30歳の頃、男の子を出産した。名前は悠樹くん。平成元年生まれで、偶然にも筆者と同い年だ。当時は今から30年以上前、今ほど発達障害への認知や理解は進んでおらず、典型的な症状でなければ見過ごされることが多かったという。今では発達性協調運動障害(DCD)という存在も知られるようになったが、悠樹くんが通っていた保育園では「手足の協調的な運動が難しい」と言われていた。段差に気付かず転んでしまうことは日常茶飯事で、穴に落ちてしまったり、保育園でのハサミを使った工作もとても苦労していた。しかし検診に連れていくとそれほど問題視はされず、「長い目で見ましょう」とあまり指摘されなかった。「ずっと親としては気になっていたんです。本を読んでみたり、発達障害者支援センターに相談に行ったりしてました。例えば、小学校に入ると集団登校ってありますよね。うちの子だけがどこかちょっと外れてるんですよ。ちょっと外れた動きをして、一生懸命高学年の人が手をつないでとか」(上口さん)Upload By 桑山 知之違和感を覚えながらも、しばらくやり過ごした。元々、底抜けに明るい子だった悠樹くんだったが、できないことが生活の中で多いことから、少しずつ暗くなっていった。学力こそ低くなかったものの、生きづらさを確かに抱えていたのだった。「小学5年のときに(診断を)受けました。あのときはもう混み合ってて、1年ぐらい待ってようやくWISCを受けて、ADHDとアスペルガーの混合型っていう、今だとまた違った診断名なんでしょうけど、その頃はそう診断されましたね」(上口さん)中でも特に辛かったのが発達性協調運動障害だという。近年その認知は徐々に広がっているが、これまでは「不器用」「運動音痴」という言葉で見過ごされてきたことが多い。悠樹くんにとってできないことも多々あったが、一方で悠樹くんは料理が大好きだった。家庭科の成績はいつも良く、時には上口さんに手料理を振舞った。悠樹くんの夢はお寿司屋さん。特に手先の技術を要する職業だった。Upload By 桑山 知之大学入学直後、拒食症に…上口さんによれば、中学ではいじめにも遭ったという悠樹くん。それでもなんとか高校へ進み、キャンパスライフを夢見て愛知県内の大学へと進学。一人暮らしを始めた。しかし、入学から1カ月後の5月には下宿先から一歩も出られなくなってしまった。「とにかく夢いっぱいだったので、スーパーでアルバイトもして、サークル活動もして。それで単位を取らないといけないじゃないですか。必修科目だとかいろんな履修登録をしないといけないんですね。それがうまくできなくて呆然となって、学校の中で自分一人でポツンといるような気持ちになって、それでもう学校も行けなくなって、バイトも辞めちゃって。結局、体重が30kg台になったときに、もう持たないと思って(悠樹くんを)家に連れて帰りました」(上口さん)Upload By 桑山 知之料理があれだけ大好きだった悠樹くんが、拒食症になってしまったのだった。「僕は何にも役に立ててない」と自分のことを責めもした。それでも程なくして、働く母親の上口さんを支えるため、「これからは僕が毎日夕飯をつくってあげる」と意気込んだ。その明るい性格から、買い物先の八百屋や近所の美容院の人からすぐに気に入られていたという。しばらくして余裕が生まれると、悠樹くんは自身が通っていた保育園でアルバイトを始めた。「うちの子はアルバイトをやってもすぐクビになるというか、なかなか合格しないんですよ。そうしたら、自分が行ってた保育園がおいでって言ってくださって。大学の中にある保育園なんですけど、そこで調理の経験をして、それをボランティアで半年ぐらいしてるうちに、今度は『僕、栄養士になりたい』って」(上口さん)Upload By 桑山 知之幸せな専門学校生活から一転、鬱に栄養士になるために名古屋・栄にある専門学校へ通い始めた悠樹くん。これまでと違い、同世代だけではなく少し年齢が上の“人生の先輩”がいたこともあり、「息子の人生の中で一番幸せだった」期間は1年以上続いたという。「初めて友達っていう存在がいっぱいできて。みんなで飲みに行って、今日まだ帰ってこない!って。親としてやっと普通の悩みっていうか。あれは嬉しかったですね。すごく楽しく過ごしていました。あのまま行けばよかったってすごく思います」(上口さん)クラスメイトには自身の発達障害についても打ち明け、周囲や先生は悠樹くんを受け入れてくれた。しかし、専門学校2年で実習が始まると、壁にぶち当たった。病院での厨房実習だった。運動障害によって真っ直ぐ歩けないため色んなものにぶつかった。手先が器用でなく、作業をすべてやり直しもした。きっと強迫観念もあったのだろう。「もう僕はできない、働けない」と落ち込み、悠樹くんは実習1日でドロップアウト。学校に行けなくなり、鬱状態に陥って自殺未遂を繰り返した。ベランダに飛び降りるための椅子が置いてあったり、紐が結び付けてあるなどした。夜中に自殺してしまうのではないかと、上口さんは悠樹くんの部屋の前で一夜を過ごしたこともあった。Upload By 桑山 知之「もう9年前ですね。その日は私が出張中で。だから私は現場にいなかったんですよね。(出張先は)京都だったので、何で日帰りしなかったのかなって思うんですけど、一泊しちゃったんです」(上口さん)2011年5月、悠樹くんは自宅マンションのベランダから飛び降りて自ら命を絶った。21歳だった。悠樹くんの携帯電話に残された遺書には、こう記されていた。「発達障害の人たちが生きやすい社会を願って」。Upload By 桑山 知之息子の自殺当事者が生きやすい世の中に「こんなことをお話ししていいのかわからないんですが、私はうちの子を育てながら『この子いつかいなくなる』って思ってたんですよ。電車の階段を落ちて骨折したり、自転車に乗ったら倒れちゃって病院で脳の検査とか、そんなことがしょっちゅうあったんです。『この子っていつまで一緒にいてくれるんだろう』って思ってました。だから、それが現実になったんだなって」(上口さん)悠樹くんの死後、「何かをやらないと潰れてしまう」と感じた上口さん。その中で、発達障害の当事者会に参加した。悠樹くんの話をすると周りは皆、親身に耳を傾けてくれた。県外にも足を運び、大阪でNPO法人「発達障害をもつ大人の会(DDAC)」広野ゆい代表(48)と出会った。Upload By 桑山 知之「広野さんの言葉で『自分が動いちゃいけない。自分と周りの環境があってその一番真ん中に自分がいなきゃいけない』っていうのがあって。引き寄せられて自分が動いたらいけないって言われて、なんかすごく救われたんですね。周りでいろんなことが起こるけれども、そこから動かないで距離を保ちましょうっていうことだと思うんですよね。私の場合は、悠樹の思い出との距離」(上口さん)当事者同士の交流が必要だと改めて感じた上口さん。実家を売り、駅近の物件を購入。こだわったのは、発達障害の当事者が集まりやすく、そして働きやすい居場所。「やめた方がいい」「無謀だ」と言われてもあきらめなかった。上口さんは2014年3月、ブックカフェ「Co-Necco」をオープンさせた。Upload By 桑山 知之「うちは職員も3分の1は障害のある方々で、発達障害や精神障害や身体障害などいろんな障害のある方々なんですね。最終的な目標は、障害者が対等に、それぞれの得意なことを生かした働き方っていうのかな、そんな職場をつくりたいですね」(上口さん)お店を開きたかったという悠樹くんの夢。上口さんが、悠樹くんの思いを形にして早6年半以上。定期的に開く交流会なども好評で、愛知県内だけでなく全国から“居場所”を求める客であふれる。決して無謀なことではなかった。「子どもを亡くす親って、何か子どものためにやりたいって思うもんなんです。そのときに、なんとなく当事者会が一番しっくり来た。自分も当事者ですからね、子どもを亡くしたっていう当事者ですから」(上口さん)Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2020年12月06日ゲームがやめられないなど発達障害あるある30事例と解決方法を掲載!ーー『家庭で育てる発達が気になる子の実行機能』本書は、編著者の鴨下賢一さんを中心に、5人の作業療法士が執筆を担当しており、宿題をしない、ゲームをやめられないといった家庭でのお子さんの困った行動に対してアプローチしています。鴨下さんは、実行機能を育てる実践家。児童発達支援や放課後等デイサービスなどの事業を展開し、発達が気になる子どもの家庭への療育指導をしています。また福祉機器の開発も多く手掛けており、そんな著者だからこそ、理論だけでなく、実際にどうしたらいいの?ということが具体的に、わかりやすく書かれています。子どもたちは成長とともに、それほど意識しなくても、スムーズに毎日を過ごす力を身につけていきます。しかし、発達が気になる子どもは、その背景にある機能をちょっと意識して、周囲の大人が手助けする必要があります。ただ適切に手助けすることは容易ではありません。本書は、保護者の方が子どもをどう手助けすればいいんだろうと困ったときに、自身の対応を考え直すサポートをしてくれる一冊です。心理・知能検査の結果の見方・活かし方が分かるーー『子どもの心理検査・知能検査 保護者と先生のための100%活用ブック』本書は、心理検査や知能検査について、「検査とはどんなものか」「なんのために検査を行うのか」「検査結果の難しい内容や専門用語」などについて、分かりやすく解説しています。また検査結果をもとに子どもを理解し、子どもを中心としたチーム支援を行うことの重要性や具体的な方法なども紹介しています。検査を受けるにあたって、検査に出てくる用語やおおよその内容を知っておくことは、不安や緊張感を和らげてくれます。また、検査は受けて終わりではなく、結果をどう受け止め、どう支援に生かしていくかも重要な問題です。本書ではそういった、検査を受ける前にどんなことを知っておくべきかというところから、検査の後に結果をどう活用するべきなのかというところまで詳細に解説しています。子ども・保護者、そして子どもに関わるすべての支援者が、必要な支援を共有し実施するための一助となる1冊です。実行機能、マインドフルネス、ジェンダー...3つのテーマで自分を知るーー『10代の心理をサポートするワークブック』シリーズ本シリーズは、「実行機能トレーニング」「マインドフルネストレーニング」「ジェンダークエストトレーニング」の3冊によって構成されています。10代の人たちが抱えている生きづらさに着目し、具体的にどうしたら「自分らしく」生きていけるようになるのかを細かい段階に分けて理解し、トレーニングできる本です。本を開くと、問題集のように自分で書き込むスペースが用意されています。また、参考書のようにたくさんのコラムがあり、それぞれのテーマをわかりやすくするための考え方、アドバイスや実例エピソードが登場するのでスムーズに学習を進めることができます。「実行機能」「マインドフルネス」「ジェンダークエスト」と、それぞれ全く違うテーマのトレーニングブックですが、3冊に共通している点が2つあります。1つは、「止まる」ことによって自分自身を客観的に見るトレーニングが大切だということ。もう1つは、「正解がない」ということ。そんな、学校では教えてくれないテーマに取り組むワークによって、10代の人が自分らしく生きていくための方法を身につけていけるのが『10代の心理をサポートするワークブックシリーズ』です。障害のある方のケアから誕生した、『おうちでタッチケア ぐるーみん』本書の著者は、整体師でありながら発達障害のある2児の母でもある、三宮華子さん。「ぐるーみん」はそんな三宮さんが独自に考案した、発達障害の子どもの体と心をほぐすプログラムです。これまで整体師として、300人以上の障害のある方の身体にふれた経験を持つ三宮さんは「障害のある方達は心身の緊張が強い傾向にあり、それによって身体の不調が生じている」といいます。本書では、そんな障害のある方たちが抱えやすい身体の不調について詳しく解説し、自宅で行える対処法についても記しています。また保護者が子どもに施術を行うことも想定し、図や写真なども交えながら詳しいやり方も紹介しています。「ぐるーみん」の特徴は誰でも簡単にでき、ケアする側の力をあまり必要としないことです。心身のコンディションを向上させるヒントがたくさん詰まった本書、ぜひ手に取り、親子で実践してみてください。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2020年12月05日母との確執、長距離通学に疲弊して私は、過労で倒れてまでの受験勉強を経て難関私大に入学したものの、さまざまな二次障害を起こして不登校ぎみになりました。母との確執も合わせ、詳細は過去記事に書いています。交際相手のエスカレートする独占欲私がのちに問題となる男性とつきあいはじめたのは1年次の秋口。年が明けてバレンタインを迎えるころには、私はすでに彼の態度に違和感を感じていました。手作りのチョコレートには、材料の関係でつくりやすい分量があります。レシピに従ってつくったら、靴一足が入る程度の箱ひとつにいっぱいのチョコレートができました。男性に箱ごとチョコレートを渡し、「じゃあ余ったぶんはみんなと分けようね」と言ったら、「嫌だ、俺が全部食う!」と言って箱を抱え込みます。最初冗談だと思って笑っていたら、彼は真顔。私はぞっとして、身体が硬直するのを感じました。同じころから、彼は私が家に帰ろうとすると怒って駅前で大声で騒いだり、停めてある自転車を蹴り倒して威嚇したり、私を脇に抱えて無理やり引きずったりと、暴力的な方法を使って彼の下宿に連れ帰ろうとするようになりました。なんとか振り切って帰ると、夜中に何十回も電話をかけてきます。留守電を聴くと恨みがましい声で死んでやるとか殺してやるとか言い募っている… 私は恐ろしくなって、彼に逆らうことができなくなりました。これはいわゆるデートDVの状態だったと思います。やっかいな人と関わりを持ってしまったと後悔しましたが、ときすでに遅し。私は当時友人も少なく、頼れる大人もおらず、支援ともつながっていない。いまの自分がどのような状態なのかを知るすべもない。総合して私は、彼のような男性との危険な関係性から抜け出すための力を持ち合わせていませんでした。どうしてこんなことになってしまったんだろう朝帰りや外泊を繰り返し、しょっちゅう未明に男性と電話で話している私を見て、母は「男にうつつを抜かしている」と言い放ちました。私はこのときかなり困っていたのですが、すでに母は私の中で、困ったときに頼るような相手ではなくなっていました。私が母に悩みごとを相談するのをやめたのは、私が中学生ぐらいのときだったと思います。母にショックを与えるようなことを相談するとすぐに泣き出したり寝込んだりしてしまうし、私が風邪を引いたときも看病するどころかあからさまに「うつるから近寄らないでほしい」という感じの表情をする。それどころか、「私を不安にさせてひどい」みたいなことを言いだすので、私は母には心のうちも体調の変化も必死に隠すようになっていたのでした。こうした感じだったので、私は母には本当の事情を開示することはありませんでした。「開示したらかえって面倒なことになる、下手したら母が考えなしの行動に出て男性の感情を逆撫でし、結果的に誰かの命に危険が及ぶ」と思ったのです。母は単純に、「娘をとられてなるものか」といった感じで男性に嫉妬したように見えました。そして、家庭内ストーカーのようになりました。家の中にいれば私を終始追い回す。1時間外出しただけで10回以上電話をかけてくる。こうして私は、「男性から右腕を、母親から左腕をぎゅうぎゅう引っ張られてちぎれそうになる」ような事態に陥りました。しばらくの間、二人の「ストーカー」の間でどちらの機嫌もとろうと懸命でしたが、結局疲れきり、2年次の夏休みに入ると男性の下宿に転がり込んで、家に帰らなくなりました。彼の望むとおりにしなければ自分は殺されると思ったのです。そんな状況でも多少なり甘い夢を見て始めた同棲生活でしたが、私はすぐに「どうしてこんなことになってしまったんだろう」という思いでいっぱいになりました。日雇いのアルバイトで生活費を稼ぎ、男性のお下がりの服を着回す。洗濯機はない。男性の下宿は6畳のワンルームで、折り畳みのシングルベッドを広げたらもういっぱい。窓には網戸もなく、蚊に刺されほうだい。あいた時間はいつも男性と一緒にいて、一挙一投足を男性の思うとおりにしなければ凄まれたり暴力をふるわれたりする。彼が好きだと言ったものを好きだと言わなければいけないし、彼の嫌いなものをうっかり好きだと言ってはいけない。まるで精神的な首輪のつけられたペットだと思いました。私は当時の幼い頭で、当面の命の危険を避けるためにできるだけよい選択肢をとったつもりだったのですが、私は命の保証の代わりに、自分がまがりなりにも20年ひとりの個人として積み重ねてきたものを、環境も意志もすべて捨てなければならなかったのです。父からの脅しのような助け舟「このまま帰らないなら学費を払わないぞ」大学の後期開始が近づいてきたある日、父から一本の連絡が入ります。「このまま家に帰らないと言うなら勝手にしたらいい。その代わり勘当だ。もううちの子ではないとして、後期の学費も払ってやらない。好きなように堕ちていけばいい」父は私が家出してわりとすぐに一度、私を呼び出して説得しようとしましたが、このとき父は、私と母との関係性の問題、父が不在がちなことによる困難を訴える私に対し、相変わらず取りつくしまもない態度でした。それで私は悲しくなって、引き続き男性の家にいつづけることを選んだのでした。あれから1ヶ月ほどして出された「帰らないなら学費は払わない宣言」は、父の悩み抜いた末の最後の助け舟のように思えました。このまま彼と一緒にいれば、自分はいずれにしろもっと「堕ちて」いくのだろう、と私は想像していました。自分は学業もまともにしないまま大学を辞めるだろうし、子どもができるなどして身動きができなくなったら彼の支配するDV家庭のいっちょあがり、彼はきっとそれを狙っているだろう、と思っていたのです。でも、父の「帰らないなら学費は払わない」とは、よく読めば「帰れば学費は払ってやる」ということです。父は不器用な人。まがりなりにも親子として長年つきあってきた中で、私にもそれぐらいの裏の意図は読めました。いま正直に事情を話せば、さすがにあの母も含めて、私を家庭を挙げて守ってくれるのではないかと思えました。だったら私は「堕ちない」ほうをとりたい…そもそも、私は堕ちようと思ってこの男性とつきあいはじめたわけではありません。私はこの男性とつきあうまで、(当時発覚していなかった)発達障害や両親とのアンバランスな関係性からくる、生きづらさや居場所のなさに汲々としていました。「生きるのがつらい、寂しくてどうにかなりそうだ」と思い始めたのはいつだったか、うまく思い出せないほどです。高校生ぐらいのときにはすでに、誰か私だけを見てくれる異性がいてくれないと死んでしまいそうな気持ちでした。そんな調子でしたから、初めてつきあった人には「重たい」とすぐにふられてしまいました。それで私は「誰でもいいから私を求めてくれる男性が欲しい」と思い詰めて、うっかりこのDV傾向の男性とつきあってしまうに至ったのです。ときどき今でも「自分が浅はかだったのではないか」と後悔することがありますが、一生懸命トラウマ治療をして、自分の中の罪悪感や恥に対処しています。そんなわけで私は、大学の後期が始まる前に、数ヶ月ぶりに家に帰りました。あまりのストレスによる解離性健忘だと思うのですが、その前後のことはほとんど覚えていません。世界同時多発テロ事件、そして学生運動が交際相手から離れるきっかけに家に戻り、事情も家族に話して少し理解を得たものの、彼ときっぱり離れるのにはそれから1年近く時間がかかりました。一度生命の危険を覚えるような支配を受けてしまったからだと思います。1年後、2001年9月に世界同時多発テロ事件が起こりました。じわじわと彼との距離をとりながら少しずつ勉強の楽しさを取り戻していた私は、あるクラスの先生と仲間の「今は小説なんか書いている場合ではない、反戦運動をしなければ!」という主張に共鳴して、にわか左翼学生になります。男女混じった10人ほどの仲間と平和や文学について語り合う日々に、私は初めて、中距離の友人関係というものの良さを味わいました。それでよけいに彼から離れようとしました。私の心境の変化を敏感に感じ取った彼はある日、私を大学近くのカフェに呼び出して「別れよう」と言います。私は1年前からずっと別れたかったので、「いいよ! 別れよう!」と二つ返事で答えますが、私の返答に彼は激怒します。別れ話でよくあることではありますが…。その日はリベラルな活動家が講演に来るという日で、学生運動の仲間たちともども楽しみにしていた日でした。それで私はなんとか彼を振り切って、キャンパス内の仲間が集まっているところに行きましたが、そこへ彼が飛び込んできて私を輪からひきずり出しました。彼はそのまま暗がりに私を引きずっていって、私を地面に引き倒しました。コンクリートに頭を打った私はうずくまります。皆がざわついて、一瞬のうちに宇樹親衛隊が結成されました。皆で私を彼から匿(かくま)います。体格のいい男子学生数人が彼を囲み、「宇樹はもう帰った、しつこいようなら警察を呼ぶぞ」と凄むと、彼は悪態をつきながら帰っていきました。この一件で彼はみんなに面が割れて、二度と私に近寄ってこなくなりました。彼がこの程度の人で幸いだったと思いますが、私は怖くて、ふたたび大学に行けるようになるまでだいぶ時間がかかりました。つい最近まで、ときどき急に当時の光景が蘇り、身体が凍りつくPTSDの症状に悩まされていました。「万一街中で彼に出会ったら、私は彼に殺されるのではないか」と怯えてしまったり。トラウマ治療でずいぶん楽になりましたが、今もときどき蘇ってくる恐怖感と戦っています。交際相手からは離れられたけれど…私はこうして、大学3年の秋にようやく問題の男性と離れることができました。けれど、私がこの男性の件でトラブルに巻き込まれている間、家の中ではもうひとつの問題が深刻化していました。それまで病弱ながらもフルタイムの仕事で千葉県から都内まで通勤していた母でしたが、私が外泊を繰り返すようになったあたりで本格的に仕事に行けなくなり、休職しました。もともと休みの日は寝込んでいるか、家で一日中、録画した映画を観ているかの超インドア派な母でしたが、一歩も家を出ない日がほとんどになりました。彼女は居間の真ん中に、手の届く範囲にリモコンなどを置いた「コックピット」を築き…。このあとの展開は、次回以降の記事でお伝えします。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2020年12月04日ADHD息子は16歳でスマホデビュー!でも、昔から物の管理がとにかくニガテで...Upload By かなしろにゃんこ。ADHDと広汎性発達障害がある息子は16歳でアルバイトをするようになってから自分でスマホを維持するようになりました。小さいときから物の管理が苦手で、過去に水筒を3つなくしたり、財布をなくしてしまったりとおっちょこちょいな子でした。物もよく壊していて、小5のときにはランドセルの肩ベルトを本体に繋ぐ背カンという金具が壊れて修理に出したことも...物の扱いに注意できないのも息子の特性でした。そんな子がスマホを持つとどうなるのか!スマホ歴7年で、画面割れ4回に水没4回!Upload By かなしろにゃんこ。落下破損防止のカバーを付けたり、画面保護のシートを付けたりと工夫はしていましたが、息子のうっかりを補えるものではありませんでした。現在22歳、スマホ歴7年ですが、落下の回数は数知れず、画面がバキバキに割れること4回、水没4回と事故が多い多い!トホホホです。「スマホを落としちゃいけない場所で、ふと『今やっちゃいそうだな~…なんてネ☆』と思うと、ナゼか本当に落としちゃうんだよね~、これがADHDあるある」と笑いながら言います。やってしまいそうだと考えると不思議とそう導かれてしまうことは確かにあります。このドジエピソードを『少し先の未来を予知する男』というタイトルで親子で笑い話にしています。Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。他にも「オイルの中に落としたときはオイルまみれになっちゃったから急いで水で洗わなきゃ!って、いやいやいや精密機械を水で洗ってどーする!...と自分にツッコんで冷静に布で拭いて復活させたよ」など、数々のスマホ武勇伝を持っています。自動車整備士として働く息子、仕事中に洗濯をする作業では、胸ポケットに入れていたスマホがスルリと水にダイブしてしまったこともあるそうです。「スマホは活きのいい魚のように水に落ちる(笑)」と言います。うっかりを何度も繰り返すことでさすがに注意するようになり、スマホを持つ手に力を入れることや置く場所を気をつけることなどが多少できるようになりましたが、やっぱりうっかりはあるようです。"うっかり"はどうしようもないから...慌てないために重要なことは?Upload By かなしろにゃんこ。息子は「注意することを忘れるときがあるADHDだからどうしようもない!大切なのはくり返してしまうことを受け入れることだ」と言います。修理等々経済的にキツイけれど、故障したときにパニックにならないような気持ちをつくっていくしかないということでした。そんなことから新品は避け、中古の機種を2台とiPadを持ち、不測の事態に備えているそうです。こんなことがあっても私が怒らないのは、リュウ太の場合は自分でバイト代やお給料からスマホ使用料を支払っていたからですが、親が支払う場合は頻繁に買い替えはツライですよね。とはいえ若いと収入も少ないので、息子も買い替えでお金がないときは「マネー貸してくれ~」と泣きついてきます。自分で維持すれば操作や管理に気をつけると思ったのですが、ADHDの特性ではそういう気持ちの持ちようはあまり関係なく壊します!(泣)注意できない特性なのだから、"うっかり"を責めても仕方がないですよね…うん、諦めよう。お子さんにスマホを持たせているご家庭では防水仕様の機種や落下防止のアクセサリーを使いながら破損リスクを減らしているご苦労があるかと思います。Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。私の知人の会社員のADHDの男性も、会社の中で財布と携帯電話を頻繁になくすと言います。「これは治るものではなく一生付き合っていくしかない、だから2つずつ所持して紛失した際に業務に支障が出ないように工夫している」と言っていたことを思い出しました。どんなときも慌てないために備えることはADHDのある人のライフスキルなのだと思いました。
2020年12月02日発達障害のあるお子さんがいる家族対象!白馬の人気宿を家族で貸し切りできるユニークキッズデイをご紹介!Upload By 発達ナビニュース長野県白馬村にある、「ゲストハウスジャパン白馬」は、有名旅行サイトBooking.comで10ポイント満点中9.6と非常に高い評価を得ている人気の宿です。また、この「ゲストハウスジャパン白馬」は、発達障害のある方々が、将来自信を持って働けるように、というコンセプトのもとで運営されている宿泊施設です。そんな「ゲストハウスジャパン白馬」では、2021年冬季の特定期間限定で、ユニークキッズデイを設けて運営します。全7室(26名まで宿泊可)あるゲストハウスジャパン白馬の客室を、ユニークキッズプロジェクト期間中は、1家族限定の貸切り(希望があれば知り合い同士の場合に限り、2家族以上の同時宿泊も可能)で宿泊が可能です。一棟貸し切りとなるため、周りに気兼ねなく過ごすことができます。また、スタッフはそれぞれ発達障害のあるお子さんを育てているので、特性についての知識や理解があるので安心です。【宿泊施設】ゲストハウスジャパン白馬長野県北安曇郡白馬村北城4980−7【対象期間】2021年2月21日〜4月11日(宿泊予約がある日は、貸切りのためクローズするので、早めの予約が安心です)【貸切り宿泊料金】1泊大人1名12,000円、小学生までは1泊1名6,000円食事:朝食付き(パン・スクランブルエッグ、ハムまたはソーセージ、シリアル、ヨーグルト)【申し込み・お問い合わせ】email: info@theguesthousejapan.com (メールの件名に「ユニークキッズ」と記載し、本文にお問い合わせ内容を記載してください。)<※感染症予防対策>スタッフの体温検査などの健康管理、換気とアルコール洗浄をはじめとした清掃業務のほか、ゲストの皆さまにもチェックインの際に体温検査の協力をお願いしています。【12/5生配信】パラ競泳日本代表選手と話そう!Speedo主催のオンラインキッズイベントをご紹介!Upload By 発達ナビニュースパラリンピックで活躍する競泳選手のサポートを行う水着ブランドSpeedoが、水泳に取り組む障害のある子どもたちとパラ競泳日本代表のトークセッションを開催!当日オンラインで生配信します。本イベントは、「障がいを持っている子ども達がアスリートと直接関われる機会はまだ少ない。そんな中でアスリートになる夢の一押しに、アスリートへの思いを抱くきっかけになってほしい」との想いから企画されました。当日は、選手の対談の様子をオンラインで視聴できるほか、チャット機能にて、出演する日本代表選手に生で質問もできます。ぜひ親子でご視聴ください!【日時】2020年12月5日(土)18時~19時【出演者】パラリンピック競泳日本代表選手・鈴木孝幸 選手・成田真由美 選手・木村敬一 選手その他一般募集で選ばれた水泳に取り組むキッズたち5名【参加方法】スポーツエンターテイメントアプリ、Player!で視聴できます。「チェーンブランケット」でうつやADHD等がある人の不眠が78%改善!スウェーデンの医科大学研究発表Upload By 発達ナビニュースカロリンスカ医科大学附属病院のエークホルム・ボーディル作業療法士と、マッツ・アドラー医師らの研究グループによって、重り付きの「チェーンブランケット」が重度のうつや双極性障害、全般性不安障(GAD)、注意欠如・多動症(ADHD)のある患者の不眠に対して効果的かつ安全であり、また日中の症状や活動レベルも改善することが発表されました。スウェーデンで開発されたチェーンブランケットは、国内でもすでに全国の精神科病院や療育センター、放課後等デイなどで導入が進んでいますが、不眠症にチェーンブランケットが効果的であるという科学的根拠はこれまでほとんどありませんでした。今回の研究では、不眠症に悩む120人の被験者に対して実証実験が行われ、その結果、1年間チェーンブランケットを使用した最終的な被験者112人のうち、78%の人の不眠重症度指数が睡眠障害として分類されない段階まで低下しました。この研究は、チェーンブランケットが不眠症に対して有効であると示した、明確なエビデンスとなります。チェーンブランケットは国内でもお求めいただけます。
2020年12月01日会話が難しい長男に対する次男の関わり方双子の次男は読書が大好きで、歴史や生物、法律の本など読みあさっています。一方、自閉症の長男はひらがなを全部読むことができません。また、発語も単語がぽつぽつと出るくらいでなかなか会話にはなりません。そのため二人で仲良くおしゃべりしたり、 一緒に本を読んで共感したり、会話を交わしたりすることはとても難しいです。にも関わらず、次男は長男が大好きで部屋の中で追いかけっこをしたり、手押し相撲をしたりと、何かと長男に働きかけ遊ぼうとしています。Upload By シュウママ小学6年生の現在も、次男はせっせと長男をくすぐっては関心をひこうと努力しています。特別支援学校のママ達と話すと、やはりきょうだいとの関わりに頭を悩ませていて...我が家がそんな感じなので、そういうものだと思っていた私。しかし、長男の通う特別支援学校のママたちと話しているときに、とても驚きました。なぜなら、だんだんと定型発達の子と障害のあるきょうだいとの関係が、うまくいかなくなっているという話が多かったからです。奇声をあげて感情をコントロールできない障害のあるきょうだい児に対して、定型発達のきょうだいが疎ましそうにしていたり、腹をたてて怒鳴ったりといったことが増えているとのこと。Upload By シュウママそれは実際に私も長男を見ていて、ありそうなことだなと思います。我が家も今は仲良しですが、いつかは次男が長男の存在を疎ましく思うときがくるかもしれません。「シュウが自閉症じゃなければいいのにって思わない?」そう聞いてみると意外な答えが…けれどいま、我が家ではそんな様子はありません。私は、「次男は長男のことをどう思っているのだろう?」と疑問に思い、ストレートに次男に聞いてみました。Upload By シュウママ「自閉症じゃなければ一緒の学校に通えたし、話もできたのにと思ったりはしないの?」すると次男はしばらく考えて「僕、自閉症について調べたんだよね」との答えが返ってきました。「脳機能の先天的な障害って書いてあったよ。それはシュウのせいじゃないんだから仕方ないでしょ。生物には解明できてないことがたくさんあるんだよ」ああ、まあそうだけどね…。「それにさ、シュウかわいいじゃん。もし、シュウが自閉症じゃなかったとしたらどうだったかな。例えば僕は体育があんま得意じゃないけどさ、お前足おっそ!とか罵ってくる嫌なやつだった可能性もあるよ?」Upload By シュウママそうかもしれないけど。ポジティブ思考だなあ、と思う私。そして次男は最後にこう言いました。双子でよかったと思うよ、次男のその言葉に涙が出て...「それに僕とシュウは双子だから。僕が自閉症だった可能性もあるでしょ?」Upload By シュウママその言葉が胸にぐさりと刺さりました。小学校低学年のころ、お兄ちゃんは自閉症なんだと次男に教えたことがありました。けれどあれから数年経って、次男は私が知らないうちに自閉症について自分なりに調べていたのです。さらに双子であるがゆえ、長男と自分が反対の立場だった可能性まで考えてより広い心で兄を受容していたのです。そのことに気づき、私は涙がこぼれそうになりました。先のことはわからないけれど。いま、次男が長男に抱いているその気持ちをずっと持ち続けてくれることを願うばかりです。
2020年11月30日育児につまずき、思い詰めて心療内科を受診した私。そこで医師から投げかけられた言葉は「発達障害の疑いがある」という、私にとって意外な言葉でした。そこで心理テストを受け、結果を受け止めた今の自分の心境をお伝えします。 ほかのママとどこかで比べてしまう現在、私は3歳と0歳の姉妹を育てている2児の母親ですが、上の子も下の子も出産後から両親や親戚などに頼らず、ほぼワンオペで育児をおこなっていました。孤独に育児をしていたこともあってか、ほかのママ友たちと自分を比べると「どうも私は子どもに対する愛情に欠けているのではないか」と思ってしまう自分がいることに気付いたのです。たとえば、子どもとどうやって遊べばよいか本気でよくわからなかったですし、一生懸命に育児本を読んでそのようにおこなっても、いまいち乗り気になれない自分がいたりしました。特に下の子を出産したあとの数カ月の間は、上の子に対して感情的に怒鳴るなどひどい扱いをしていたことも事実です。そんな出来事から「私はもしかして産後うつなのでは?」と思い悩み、また慢性的な睡眠障害もあって、思い切って心療内科を受診したのです。 思い切って心療内科を受診心療内科を受診したのは下の子が生後半年を過ぎたころでした。医師からの診断は「適応障害と産後うつ」そして「発達障害の疑いがある」という、私にとっては衝撃的な話でした。恥ずかしながら発達障害というワードだけは聞いたことがありましたが、詳しくは知りませんでした。早速家に帰って発達障害について調べてみたり、セルフチェックテストなどをおこなったりしました。たしかに今までの人生を振り返ってみて対人関係においてのつまずきや、職場でのトラブルなどはあったのも事実ですし、いわゆるADDやADHDの症状である「忘れっぽさ」や「衝動性の強さ」「こだわりの強さ」があったように感じました。 愛着障害と診断を受けて後日、2日ほどに渡って精密な発達障害の心理テストを受けたのですが、結果は「発達障害の所見はなし」でした。しかし、私が過去に実親から暴力などの虐待を受けたことがあるということから、「愛着障害の可能性がある」と医師から聞かされました。愛着障害とは、乳幼児期において暴力やネグレクトなどで傷を負い、適切な愛情を持って育てられなかった子どもが、社会人になったときに対人関係や仕事、そして育児などに支障が出る障害のことだそうです。医師からその診断を受けたときは、正直言って「やっぱりな」と思う自分がいました。 まさか自分が発達障害の疑いを持たれるとは思いもよらず、心理テストの結果が出るまではモヤモヤでいっぱいでしたが、発達障害やそのほかの精神疾患などについての勉強にもなりました。客観的に自分が親にされてきたことは虐待だったのだと受け止め、過去の自分と向き合うことで本当の私になれる気がしています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年11月29日”片付けられない子ども”だった私を変えたきっかけは…?Upload By 丸山さとこ今ではコウに対して日々「出したらしまう、使ったら戻す」と言っている私ですが、かつては”片付けられない子ども”でした。今振り返ると、ASD・ADHDの特性によるところもあったのだろうと思います。物を管理することの必要性や収納の使い方自体は知っていましたが、「知らないうちに物が移動する」「母の言う通りに収納すると、(見えなくなったものは)どこに何があるか分からない」と感じていました。そのため、理屈では分かっている収納の意義も、実感は持てない状態でした。そんな私でしたが、少し高いコートを買ってもらったときに「どうしよう、床に置いたらシワになる」と扱いに困ったことで、初めて”その辺に置かずにハンガーにかける”ことを行いました。Upload By 丸山さとこいつも着ている上着と違い、高いコートは自宅では洗えないのではないか?と考え、「大切に扱わないといけない」と思ったのです。(礼服のような感覚でとらえていました)自分に合った”片付け”を探して試行錯誤する中で…1人部屋をもらったころだったので、勝手に物が動くことがなかったのも”物がある“ということへの理解を深めたのだと思います。私はその1着のコートをきっかけに「明確な意思を持って置いたものは動かない」という認識を得ていきました。Upload By 丸山さとこそうして物を管理しようとすると、次第に、見えないものは分からなくなりがちな自分に気づくようになりました。そのことから「母と私は向いている収納スタイルが違うのでは?」と考えるようになり、私は少しずつ”自分の収納方法”を獲得しようと試行錯誤していきました。最初はオープン収納やカゴ収納から始めていき、私の中にある”物のカテゴリーの基準”がはっきりしてきてからは”見えない収納”も扱えるようになってきました。Upload By 丸山さとこ現在では持ち物の量を管理できる量に抑えることで、ある程度片付いている状態を保っていられるようになりました。食事の量や走れる距離が人によって違うように、”把握管理できる物の量”は人それぞれなのだろうなと思います。また、同じ個人の中であっても、コンディションによってその量は変わることもあるのだろうと思います。Upload By 丸山さとこ私はキャンプに行くのが好きなのですが、1箱に納まるキャンプ道具を見ていると「これだけでも生活そのものはできてしまうのだな」と感じます。一方、毎日の生活は”一定の拠点を構えて構築する暮らし”なわけで、「便利な物や心を潤す物は大切なのだろうな」とも思います。Upload By 丸山さとこ「管理第一!」にならないように、生活に豊かさを取り入れつつ、”私の片付け”を続けていこうと思っています。次回は、折り紙を無限増殖させがちな、現役の“片付けられない子ども”である息子コウの片付けについて書いていきます。
2020年11月29日長男のタケルは通常学級に通うも...Upload By 寺島ヒロうちのでこぼこ兄妹は6歳違い。お兄ちゃんのタケルが小学生になった2007年は、まだ学校での発達障害支援は始まったばかり、当時の保護者はもちろん、小学校の先生の中にも「発達障害って何?単にサボってるだけじゃないの?」という感覚の方も正直いらっしゃったのではないかと思います。また、当時の地域での判定基準がIQに偏っていたこともあり、タケルは就学時健康診断でも特に問題とされることなく、ベテランの先生方にも「ちょっと変わっているかもしれないけど、こういう子っているものよ。」「これからたくましくなるんだよな。」と優しく言っていただき、多少のずれを感じながらも通常学級に通うことになりました。しかし、問題続出…!!Upload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロしかし、「ほらあ!」というわけにもいきません。結局、2年後に地元の発達相談をきっかけに、療育センターで「アスペルガー症候群(当時)に近い症例」と診断され、通級に通うことになりました。しかし、その2年間の間に市内の小学校の間で発達障害への理解が深まっていたことも大きく、幸運にも当時県内で唯一の心理士が在籍する小学校に転校でき、スムーズに通級での指導に切り替えることができました。本人が環境の変化についていけるかは心配でしたが、最初から障害がありますといって登場したことで、それまでより快適になり、意外とすんなり新しい2つの教室に馴染めたようです。授業に飽きたり、教室がうるさくて逃げだしたくなったりしたときにも、休むところができたので、「帰りたい」ということもなくなりました。一方、妹のいっちゃんは…妹のいっちゃんは2007年生まれ。小学校に入る前から、県内の療育センターで療育を受けていました。Upload By 寺島ヒロ療育センターでのリハビリテーションのおかげか、いっちゃんも就学時健康診断では「通常学級相当」とされ、地元の小学校の通常学級に通うことになりました。しかし実は、その前に療育センターからは、「学校生活がやりやすいかどうかは学校の対応次第だが、それはそれとして通常学級に行くとここでの支援は難しくなる。他の県内のデイサービスでも支援に当たらないとされる可能性がある。」と言われていたので、むしろ特別支援学級の方がいいんじゃないかと思っていました。Upload By 寺島ヒロですが、仕方ありません。センターの先生からは、眠りが一定しないことで十分な登校ができない可能性があることや、動きがぎこちないことがあるが、ふざけているわけでも病気でもないことなどを書面で書いていただき、小学校で特別支援学級の子どもたちと同じように支援ファイルをつくっていただきました。そして、今…特別支援学級の先生の一言から気づいたこと現在は中学生となったいっちゃんですが、睡眠リズムがずれ込むのが止められず、中学から通級になりました。学校に行くのはたまにですが、それなりに親しい人もでき、楽しくやっているようです。今、気になるのは卒業してからのこと…。本人はテレビやアニメの主人公たちのようになんとなく高校に行くものと思っているようですが…。Upload By 寺島ヒロ出席日数が少ないので、高校からは「通う意思なし」とみなされ入学できない可能性が高いのです…。そこで、帰り際に支援担当の先生を呼びとめて、このようにお願いしました。「娘はああ言っていましたが、あの子がほかの同じ年頃の子と同じくらい進学や将来について理解しているかは微妙です。私は芸術系の学校などに進学して手に職系の仕事につき、自立できれば有難いと考えています。本人が高校を目指すのは良いと思いますが、何が何でも15歳でと考えなくてもいいと思っていて、本人がどの程度高校のことについて理解しているのか、行きたいという意思が固いかが分かるような言動があったら、教えていただけませんか?」すると、「お母さんは自分の希望と、いっちゃんの考えを分けてお話してくれるので助かります。分かりました、気をつけて覚えておきます。」と、言われました。自分の希望と本人の希望は別なんだから当たり前じゃないか?と思ったのですが、お兄ちゃんのタケルが通級に通い始めたときのこともあわせて後々考えると、これは自分の希望を「ウチからの要望」としてカタマリのまま支援者に投げる保護者の方が意外と多くいらっしゃるからなのかなと、ふと思いました。Upload By 寺島ヒロまた逆に、すごく勉強もされてプランを練り「私はこう育てたいので、学校でもこうしてください。」と言われる方もいらっしゃるようです。家庭が主体性をもって決めるのは良いことだと思いますが、あまりに度が過ぎると学校を自分の下請けにするようで、これもまたよろしくないなあと思います。「なんでも言ってください」という支援者の言葉に甘えて、子どものための要望という形で自分の不安をぶつけてはいないか?何か頼み事をするとき、自分の勝手なプランのお手伝いをさせようとしていないか?時にはちょっと立ち止まって考えてみるといいかもしれません。Upload By 寺島ヒロ目の前にいる学校の先生や支援スタッフが、支援に対する十分な知識や能力がないことも、まあ実際あります。ですが、元々彼らは子どもを一緒に育ててくれる「外の目」「外の手」。親のやりたいことを代わりにやってくれるわけではなく、むしろ親ができないことをやってくれるプロのはずです。なので、まずはプロが用意した支援を有難く受け取り、任せるべきところは任せ、そしてその分の余力で、自分がやるべきところを頑張るというやり方をしてみると案外上手くいくんじゃないかなと思います。とか言いつつ、今日も学校から「いっちゃん、今日は学校に体操服を忘れていきました。明日も体育ありますよね。洗って学習室に干してありますので朝持っていくようにお願いします。」と電話がかかってきた私です。それ先生(プロ)の仕事じゃないですよね!!すみませえぇんん!!
2020年11月28日むっくんの異変私がむっくんの様子に違和感を覚えたのは、不登校を決断する3週間前でした。もともと家で癇癪をよく起こす子でしたが、その頻度が激増!四六時中イライラしており、以前は穏やかにやり取りできていたことにも、激しい反応を示すようになりました。Upload By ウチノコそんな様子に、私は「小学校ではどうだろう?」と不安を覚え学校での様子を先生に確認するも、穏やかに過ごせているとの返答。イライラもパニックも家庭内のみで、この時点では学校への行き渋りもありませんでした。異変の理由?その後も大荒れが続くむっくん。そんな時少し前から運動会の練習が始まったと聞きました。「それだ!!」年間行事の中で運動会の練習はむっくんと最も相性の悪い行事です!おそらくそのストレスを家庭で吐き出しているのだとようやく納得。Upload By ウチノコ先生の話では、練習は嫌がりつつも何とか参加しているとのことで、私はむっくんが学校でとても頑張っていることを知りました。「むっくんは疲れていて、自己コントロールが困難になっているのだな...期間限定だし仕方ない、耐えよう」と家で極力休めるよう心がけることにしました。学校に行きたくないしかしその週末に、むっくんは初めて「学校に行きたくない」と言い出しました。Upload By ウチノコUpload By ウチノコこれは疲れが限界だと判断し「疲れているみたいだから、1日休もうか」と、私から提案しました。ホッとした顔で喜んだむっくんは、元気休みでストレスから解放され、自宅でゆっくり静養。「明日は頑張るよ!」と明るい顔で言うものだから、一見回復したようにも見えました。しかし...不登校へ翌日は休んだことを怒られるかも...(もちろんそんなことはないのですが)と、少し緊張した顔で学校へ行きました。Upload By ウチノコ今までも何度か授業拒否はありましたが、同じ日にいくつかの授業に出ない、となると入学してから初めてのことでした。ここへきて私もようやく今までとは違う状況であることを理解。慌てて即日、学校に面談をお願いしてむっくんの状況を共有。対応の希望を伝え、短時間登校を始めました。Upload By ウチノコUpload By ウチノコむっくんは、家庭でよくパニックを起こしますが、一度も小学校では起こしていませんでした。それはやはり「友達にあの姿を見られたくない」という思いで、必死に自分をコントロールしていたのだろうと思います。それが続けられないことは、むっくんにとって一番辛い状況だと感じました。崩れ始めたきっかけは運動会の練習でしたが、入学後の頑張りをこれ以上続けること自体が限界なのだと感じました。満身創痍のむっくんには、一度負担をゼロにして回復する時間が必要だと判断し、翌日から学校を休むことに決めたのです。行かないと決めたけれど...むっくんは保育園時代から集団生活を好みませんでした。行き渋りも強く、私はいつか不登校を選んでも不思議はないなぁと考えていていろいろと準備をし、覚悟もしていたつもりでした。Upload By ウチノコそれなのに、家でのんびり過ごしているむっくんに、苛立ちや焦りを覚えました。先のことばかり考えてしまい、不安が次々と襲ってきます。想像と経験はやはり全然違うものだなと、そんな自分にも正直がっかりもしました。Upload By ウチノコ私の心の変化むっくんが休むようになって、私はまず自分の気持ちを外に出すことから始めました。家族に「黙って話を聞いてほしい」と頼み、ひたすら話を聞いてもらい、SNSで発達障害について理解のある方々とも繋がっているので、そこでも気持ちを吐き出させてもらいました。また、準備として繋がっていた方々ととにかくお話をさせていただきました。Upload By ウチノコたまっていた気持ちを吐き出して、いろいろな方のお話を聴きながらさまざまな価値観に触れ、不登校経験者の方々の今を知り、何より実際むっくんと日々を過ごすうちに、少しづつ不安は和らぎました。Upload By ウチノコ和らぐどころか、だんだんと楽しくなってきてしまったのです。こんなにゆっくり、弟の邪魔もなくむっくんと一緒に過ごすのは久々で、新鮮で。「面倒!仕事させて!」と思う日もありますが、明日は何しようと、ワクワクする自分も見えてきました。Upload By ウチノコ何かを失った気がしていたけれど、手放した代わりに得ているものがある。そう考えられることも増えてきて、今は以前より焦りも落ち着いてきています。新しい形を探していこう学校で学べることは多岐にわたります。そういった良さを手放すには勇気がいりますが、不登校だからこそ学べることも、たくさんあるのだと思います。むっくんは、決まった一本道を歩いているわけではありません。これからはむっくんが楽しく、幸せに歩ける「ちょうどいい道」を一緒につくっていけたらと思っています。次回「むっくんの周囲の子ども達へ学校に行かない決断を伝えた時の話」に続きます。
2020年11月27日初めての行事、運動会に参加。「参加させてよかった」と思ったけれど...Upload By かさはらあやこ先日、幼稚園に入園して初めての運動会がありました。(今年は小規模なもの。)ただただ園庭を走り回る息子と、追う先生をハラハラしながら眺めていただけでしたが、それでも息子が行事に参加できていることが嬉しく、日々のサポートを感じ、涙ぐむ場面もありました。なにより息子がとても楽しそうで、参加させてよかったと感じました。それから、遠足や焼き芋パーティーなどの行事が続き、あることが気になりはじめます。少しずつ荒れ始めた息子。ある日事件が起きてUpload By かさはらあやこ…………最近、荒れてる?秋になってから睡眠が乱れたり、突然泣き出したりと不安定な部分が増え、癇癪の質が変わったような気がする…と思っていた矢先、事件は起きました。焼き芋パーティーで焼き芋を一本ぺろりと食べたと連絡帳に書いてあったことに嬉しくなった私は、「いっちゃん、焼き芋食べられたんだね!すごいね!」と声をかけました。その瞬間...ギギギギギ!スパーン!ぐいーーー!!顔を引っ掻かれ、頭を叩いてから髪の毛を引っ張られ、私は呆然としました。幼稚園でもやっているかもしれない、やっていたらどうしよう。不安になり先生に報告したところ…数日前から先生を噛んだり、お友達の髪を引っ張ったりしていたことが判明したのです。療育の先生「いっちゃんは自分の世界で楽しんでいる」穏やかだった息子が家族以外の人間に手を出した。ショックと不安でいっぱいになりました。すぐに療育の先生に相談し、幼稚園へ様子を見に行ってもらい、息子の様子を確認した先生はこう言いました。「いっちゃんは自分の世界で楽しんでいるから、それを乱されると、ストレスを感じるのかもしれない。」〝自分の世界で楽しんでいる〟その言葉をきっかけに、こんなことを考えました。Upload By かさはらあやこUpload By かさはらあやこUpload By かさはらあやこUpload By かさはらあやこUpload By かさはらあやこ息子は卵の殻のようなものの中にいて中から外はみえない殻の中は今までみたことのあるものや聞いたことのある音が流れ息子の好きなことで満たされていてとても心地がいいたまに嫌なことを思い出して卵の中が恐怖でいっぱいになることもある小窓があってその小窓から自分の好きな時に周りの世界をみることはできる殻はそうやって得た外の世界の情報が増えて成長とともにゆっくり、少しずつ大きくなる外から勝手に小窓を開けて情報を流し込んだり卵を揺すって外の世界のことを伝えようとしたら殻は大きくなろうとするけれどきっと痛みが伴うしぎゅうぎゅうになって苦しくなってしまったりヒビが入って壊れてしまうかもしれない外が見えないのに地震みたいに揺すられる恐怖は計り知れない息子にかかっていた負担に気づいて、わが家が下した決断はUpload By かさはらあやこ息子にとってイレギュラーなこと(行事)は刺激であり、刺激はもちろん成長にも繋がるが、それ以上に負担をかけてしまうことにもなる。6月に入園してから現在までに、コップやフォークを使えるようになったりなど、できることが急激に増えたちいさな息子の心にはどれだけの負担がかかっていたのだろう。何かができるようになったことを喜んでいたのは周囲の大人で、息子はただ自分で見聞きしたことを模倣して楽しんでいるだけ。本当の意味でそれができるようになったわけではない。無理をさせすぎた結果、荒れてしまったのではないだろうか。療育の先生に相談し、話し合いの結果、イレギュラーなことを減らし、安定した園生活を送る方が、今の息子にとってはよいだろうということになり、行事の晴れ姿を見たいという自分のエゴは捨て、今後行われる小さな行事から大きな行事まで、参加させるのを一旦やめるという判断に至りました。過度な成長を望むのではなく、息子にとって安心できる場所で、穏やかな日々を積み重ねることが大切だということに改めて気づかされた出来事でした。これからは無理をさせずに、息子のペースに合わせてゆっくりと成長を見守っていきたいと思います。
2020年11月26日年々難易度の上がる、娘の疑問への説明。広汎性発達障害の娘は、9歳(小学4年生)です。わが家では、娘に対して、物事の理屈や、意味を説明することが、よくあります。小さいころは、娘が知っている少ない数の言葉で説明することが難しかったのですが…Upload By SAKURA小学生になってからは、学年が上がっていくたび、質問の内容も、説明の難易度も上がっていき…Upload By SAKURA頭をフル回転させねば、説明しきれないことが、増えていきました。ごはんが遅かった娘が、言った言葉。引っかかったけれど…娘はごはんを早く食べるのが苦手。私たちは、娘のやる気を出させようと、娘の食事のときに、30分以内に食べ終わったら、ゲームをしていいという約束をしています。ある日、娘が約束した時間までに、ごはんを食べ終わらなかったときのこと…。Upload By SAKURA私はすぐ、その言い方が引っかかりました。しかし、娘の言った言葉に対して、私の引っかかりを、どんなふうに話せばいいか…考えがまったくまとまりませんでした。動いた夫!私も絵でサポート!どう話していいか、考えがまったく浮かばなかった私が固まってしまったとき、夫が話し始めました。Upload By SAKURA何も発言できなかった私は、せめて手助けを…と、白い紙を手に取り、会話を聞きながら夫の話を図にして、2人ところに持っていきました。Upload By SAKURAなぜ、嫌な感じに聞こえる?夫の上手な説明。Upload By SAKURA娘への説明はわが家では、必要不可欠。しかし、すべてを私一人で対応することはできません。いつもは私がメインで娘の対応をしていますが、実は説明も説得も夫の方が上手。しかし、普段夫は私のやり方を優先してくれ、特別前に出ることはありません。夫は、私の脳が思考停止になりつつあるときに、私の様子を見てそれを察し、進んで説明をかって出てくれます。私は、夫の気づかいと、行動力と、説明力のおかげで、年々難易度が上がっている娘への説明を、なんとか乗り越えられています。娘への説明も、夫婦二人三脚。夫も同じ気持ちなようで…Upload By SAKURAこういうことを2人で対応するたび、子育て、療育というのは2人で乗り越えるものだと強く感じ、夫がいつも協力的であることに、感謝しています。これから、娘が中学生…高校生と、進級するたび、言葉を駆使してしなければいけない、大変な説明もあるでしょう。引き続き、夫と二人三脚で頑張っていきたいと思います。
2020年11月25日ミドルエイジの先輩たちが「自分らしい生き方」に至るまでーー高梨健太郎さん都内で会社員として働く、高梨健太郎さん。働く中でのつまずきをきっかけに、ADHD(注意欠如・多動性障害)の診断を受けました。現在ではご自身の経験を活かして、就労支援のトレーナーや、タスク管理支援ツール「タスクペディア」の企画・発案といった活動もされています。今年の4月、仕事をやりやすくするための秘訣をまとめた『要領が良くないと思い込んでいる人のための仕事術図鑑』(サンクチュアリ出版)も上梓しました。現在はいい環境で働けていると語る高梨さんですが、今の働き方にたどり着くまでには、紆余曲折があったと言います。会社員として働きつつ、「タスク管理」をテーマに就労支援も――(名刺を交換して)会社の管理部門と広報部門、リワークトレーナー、タスク管理支援ツール「タスクペディア」の広報…。高梨さんは今、4つの名刺を持って活動しているのですね。高梨健太郎さん(以下、高梨):はい。障害者雇用枠で入社した会社で、今は一般枠の社員として週5日働いています。広報部門と管理部門の業務を週4日。残り1日は、会社の業務の一環で「EXP立川」という就労移行支援事業所に行き、タスク管理に関する就労支援のプログラムをしています。わたしのタスク管理方法を元に、プログラマーの友人が開発してくれた「タスクペディア」は、EXP立川を運営する社会福祉法人SHIPから、無料でリリースされているクラウドツールです。自分が担当するプログラムでも、使っています。タスクペディア公式Upload By 姫野桂――高梨さんも診断されているADHDには、忘れ物をしやすかったり、優先順位を決めるのが苦手だったりといった、まさにタスク管理術を役立てられそうな症状もあるかと思います。高梨さんの場合は、どんな症状がありますか?高梨:段取りをつけることや整理整頓が苦手だったり、物事を忘れやすかったりします。多動性や衝動性よりも、不注意の割合が大きいですかね。会社の代表電話をとるような、誰からかかってきて、どこにつなげばいいかをすぐに考える必要があるものも、混乱してしまうので苦手です。また、叱責されると、しばらくの間、頭が真っ白になってしまうことがあります。だから、今の会社の入社面接で「配慮してほしいことはなんですか?」と聞かれた際には、「怒るのではなく、提案という形で改善点を教えてほしい」と伝えたりもしました。症状は出ていたが自覚はなく、「天真爛漫」な子ども時代――これまでお話いただいたような症状は、昔からありましたか?どんな子ども時代を送ったのでしょうか。高梨:今思えば、子どものころから症状はありました。小学1年生ぐらいのときには、とにかく片付けができなくて。学校の夏休みの前って、机の中身を空にしたり、朝顔の植木鉢を持ち帰ったりするじゃないですか。あれが嫌で仕方ありませんでした(笑)。他の子たちは毎日少しずつ持ち帰っていたのですが、わたしは最終日まで全然持ち帰らなかったので、大荷物で。それを見越していたのか、親から「とにかくなんでも全部入れて帰ってきなさい」と、ものすごく大きい袋を渡されたことがありました。当時の自分は、素直に「うん、わかったー!」と荷物を詰め込んで持ち帰り、褒めてもらっていましたね。自分の中ではすごく楽しい、笑える思い出として印象に残っています。とにかく不器用で、人より行動が遅く、必ず1回は失敗するような子どもだったのですが…親の理解があったんでしょうね。あまり怒られることがなかったからか、「天真爛漫」と言われるような性格でした。この「できなさ」は何なのか?行き当たった「発達障害」という言葉――小さいころから発達障害の特性は出ていたものの、それにひどく悩まされることはなかったのですね。高梨:はい。本格的に困り始めたのは、20代後半になってからです。大学を卒業後、司法書士を目指して勉強する中で、実務経験を積もうと司法書士事務所でアルバイトを始めたのですが、面白いくらい仕事ができなかったんです(笑)。Upload By 姫野桂――具体的には、どのような業務を担当していたのでしょうか?高梨:「補助者」というポジションで、事務作業や法務局へ書類を持っていくおつかいなどをしていました。仕事としては簡単ですが、責任重大な内容ですね。うまくできないながらも数ヶ月働いていたある日、所長である司法書士の先生にクビを言い渡されてしまって。職場に迷惑をかけているのはわかっていましたが、人並み程度だと思っていたので、ものすごくショックでした。――高梨さんからすると、本当に突然の出来事ですものね。衝撃は大きそうです。高梨:それでも、回復はなかなか早かったんです。落ち込みはしましたが、「こんなこともあるだろう」ぐらいに捉えていたので、次のアルバイトを始めました。今度は不動産会社でのアルバイトだったのですが、またしても仕事がうまくいかず、ミスばかり。そのときに、「あれ、何かおかしいな」と思い始めました。そんなときに、不意に「死にたい」という言葉がこぼれてしまったことがあって。「今、自分なんて言った⁉」と驚き、メンタルがすごく落ち込んでいるんだなあと気づきました。もともと、一部の人間関係でやりづらい状況だったこともあり、そのアルバイトは辞めさせてもらいました。――自分の特性に関わることでそこまで落ち込んだのは、初めてだったのですね。そこから、どのようにして診断を受けるに至ったのでしょうか?高梨:「何かおかしいかも」と思ってからは、自分が一体何者なのか、どういう状態なのかが知りたくて、「仕事できない」や「仕事忘れるミス」といったワードで検索していました。そこでようやく「発達障害」という言葉にたどり着いたんです。そこから、都内の精神保健福祉センターや、発達障害専門の支援機関に行って相談し、紹介してもらったクリニックで、晴れてADHDの診断をもらいました(笑)。30歳手前のことですね。期待に応えたいと頑張りすぎてしまい、二度の休職Upload By 姫野桂――診断を受けたときの心境を教えてください。高梨:自分の努力不足ではなかったのだと、それはもう安心しました。でも、職場での経験から、完全に自信を失ってもいました。あるとき、喫茶店でアイスコーヒーを頼んだら、ちゃんとアイスコーヒーが出てくることにすごく感動しちゃったんですよ。オーダーを間違いなく取り、厨房に伝え、作られたコーヒーを正しい席に運ぶ……。そういう、一般的にはできて当たり前だと思われているようなことが、きちんとおこなわれている。当時の自分には、そんなこととてもできる気がしなかったんです。それでも、自分で仕事をして収入を得ていきたいと悩んでいたときに、クリニックのソーシャルワーカーさんと話す機会がありました。そこで初めて、障害者雇用や合理的配慮というものを知り、障害があっても安心して働ける場所があるとわかって。「ああ、自分でも働けるかもしれない」と、すごく嬉しかったというか…安堵したのを覚えています。――ソーシャルワーカーさんと話したことで、障害者雇用という選択肢が見つかったのですね。その後、IT企業の総務として、障害者雇用で入社したとのことですが、実際に合理的配慮は受けられたと感じますか?高梨:とくに最初のほうは、配慮があったと思います。具体的には二つあり、一つは苦手な電話対応を、最初の3ヶ月はしなくてもいいように調整してもらえたこと。もう一つは、同じ部署の先輩社員が、関わり方を考えてくれたように感じたことです。先輩の机には、「精神障害の人と働く方法」といった内容の本が置いてあったんですよ。「ああ、この人は勉強してくれているのだな」と、すごく嬉しかったです。やりとりをするときにも、言い回しを工夫してくれているように感じました。その会社には5年勤めましたが、だんだんと1人あたりの仕事が多くなり…。結果として、十分な合理的配慮を受けるのが難しい状況になりました。実は、途中で障害者手帳の更新を忘れ、雇用枠も障害者雇用から一般雇用に切り替えることになったのですが、「こんな自分を採用してくれたのだから、頑張って働いて恩返ししなくては」という思いで、わたしもすごく頑張ってしまって。毎日終電帰りのようなときもありました。Upload By 姫野桂――それは、心身ともにすごくハードそうですね…。高梨:気持ちではまだ頑張れると思っていましたが、4年目後半ぐらいには体が追いつかなくなりましたね。アルコールに弱いのに毎日お酒を飲んだり、乗り換えが嫌で、電車で600円のところをタクシーで12,000円払って帰ったりするようになってしまい、ある日「ああ、もうこれはダメだ」と思って休職。その後そのまま退職しました。退職後は、半年で障害者雇用と一般雇用、合わせて250社程度の採用試験を受けまして。有名な不動産会社の一般雇用で、クローズ(障害を伝えずに就職すること)で入社することを決めました。――半年で250社ですか!最終的に一般雇用を選んだのは、何か理由があったのでしょうか?高梨:そもそも内定をいただいた企業が一般雇用のみだったのですが、妻との結婚を、その時点で決めていたからというのもあります。妻も働いていましたし、わたしがADHDだということは伝えていたので、障害者雇用について何か言われたわけではありません。ただ、出産や育児などでもし私だけの給料で生活することになったら、比較的給料が低い障害者雇用では難しいのではないかと思ったんですよ。――経済的な面での判断もあったのですね。クローズで働くとなると、特性由来で苦手なことについて、理由を説明するのが難しく、大変なこともありそうです。高梨:そうなんです。しかも、主任という立場を任せていただいたので、「主任なのに、なんでできないんだろう」と周りから思われているのではないかと苦しくなり…。1社目と同じような流れで、また休職してしまいました。4ヶ月後、復職したときには、自分にほとほと愛想が尽きていました。でも、今思えば、それが転機になったような気もしているんです。できない自分も受け入れた先に、タスク管理術があった高梨:自分で言うのもなんですが、わたしは勉強が得意で、偏差値の高い大学を卒業しました。そこでの優秀な同期たちがどんどん出世していくのを見て、自分も同じはずだとこれまでは思っていたんですね。だから、失敗することがあっても「そんなはずはない」「自分はできる」と考えていたのですが…。2回の休職を経て、「いや、やっぱり自分ダメなんじゃない⁉️」と思い始めたんです。できるはずだと思って頑張っては、しんどい思いをするのを繰り返して、やっとできない自分も受け入れられたんだと思います。それと同時に考えたのが、忘れたりミスをしたりするなら、そうじゃない自分になろうとあがくのではなく、忘れない・ミスが起きない環境をつくることで、このままの自分でなんとかやれないか、ということです。――自分を変えるのではなく、周りの環境を整える。発想の転換があったんですね。高梨:そうなんです。復職直後は時間の余裕もあったので、勉強も兼ねて、自分ができないことをカバーする仕組みをExcelでつくっていきました。例えば、段取りがその場でうまく組めないのなら、あらかじめ組んでおいて、実行するときにチェックすればいいようにする。先送りするなら、やることを細かい手順に分けて、全てに締め切りを入れ、「今日はこれだけやればいい」とハードルを下げるようにする。いつも仕事のことを考えてしまうなら、自分と相手、どちらが作業中なのかわかるようにしておいて、自分が担当でない期間は安心して忘れられるようにする。そんなことを考えながら、どういう仕事があって、いつ発生して、いつ締切で、次に何をやるのか、見るだけですぐに状況がわかる表をつくりました。Upload By 姫野桂Upload By 姫野桂――たしかに、ここまで可視化すると、頭の中を整理できそうです。高梨:作成当時、我ながら傑作だと思いました(笑)。そして、同じようなことをしている人がいないか検索してみたところ、初めて「タスク管理」という言葉に行き着きました。そのとき、わたしはすごく希望を感じたんです。自分の特性をカバーできる方法論を突き詰めていったら、仕事ができると言われるビジネスパーソンが活用する「GTD(Getting Things Done)」という手法とそっくりだった。ADHDのわたしも、自分がエリートだと思っていたビジネスパーソンも、仕事を効率化する上でやっていることは一緒なんだ、と。このときの表を改善して、クラウド上で使えるようにしたのが、タスクペディアです。Upload By 姫野桂高梨:タスクペディアは、誰でも無料で、パソコンからもスマートフォンからも使えるように開発してもらいました。Excelだと、使える環境が限られるじゃないですか。必要な人が気軽に使えて、仕事がうまくいったとか、仕事が見つかったという話が聞ければ嬉しいなと思って、クラウド化してもらい、2018年にリリースしました。――そのような背景でタスクペディアはつくられていたのですね。タスク管理ができるようになってから、仕事のしやすさは変わりましたか?高梨:それはもう、劇的に変わりました。ただ、自分にとってのタスク管理の目的は、仕事ができるようになることそのものではありません。タスク管理をして、無理なく仕事を進められるようになった結果として、落ち着いて仕事ができるようになる。その気持ちの安定が、自分にとっては目的だったのかなあと思います。挫折経験もむしろアリ。背伸びはせず、考え方を変えてみるUpload By 姫野桂――2社目への復職後、転職を経て、現在の職場は3社目ですよね。今の高梨さんからは、とても充実した日々を送られている印象を受けます。高梨:たしかに、幸せだなと感じることは多いです。途中でまたしても障害者手帳の更新を忘れてしまい(笑)、障害者雇用から一般雇用への変更はありましたが、現職は勤続6年目になりました。すごくいい環境で働かせてもらえていると感じます。わたしの感覚では、自分の特性を受け入れて、苦手なことをカバーできたら、その時点ですごく幸せだと思うんですよ。そのタイミングで、自分の強みにも目を向けやすくなりますし。それに加えて自分は今、これまでの経験すべてを、人に役立つ活動へと還元できているように感じるんです。就労移行支援事業所でのプログラムもそうですし、本の出版もそうです。無料でおこなっている活動もありますが、それが巡り巡って勤め先の新たな仕事につながり、会社の利益に貢献できたりもします。このような活動は、すべて自分のしくじり、もっと言うならばADHDの特性が元になっているんですよね。そう考えると、挫折体験って普通はあまりしたくないものかもしれませんが、得るものもあるんじゃないかと思えます。――特性についてのポジティブな捉え方も発見されたのですね。高梨さんは、仕事で苦手と向き合いながら、ご自身の特性を受け入れていったかと思います。自分の特性や診断に悩む子どもたちに、何か伝えたいことはありますか?高梨:そうですね…。「背伸びしなくていいんじゃないかな」と伝えたいです。苦手なことについて、ある程度の努力でカバーできるのならカバーしたほうがいいという考え方もあるとは思うのですが、どうしてもカバーが難しかったり、努力すればできるけれど、代わりに体を壊してしまったりする場合もあると思うんです。そんなときは、別の考え方をする手もあります。背伸びせずに、「あ、これできないんだ」と、自分を少し離れたところから見て、「じゃあ、どうする?」と、直接カバーする以外の対策を練るだとか。自分1人で対策を考えていると、できない自分を認めたくない気持ちも襲ってくるかもしれないので、客観的に見てくれる、頼れる存在がいるとすごくいいですよね。わたしも、妻や家族、担当医や支援機関の方など、たくさんの人に話を聞きました。似たような悩みを持つ同志と、ファミレスで9時間ぐらい話して、励まし合っていたこともあります。苦手なことに対して、自分だけで・直接取り組む以外の方法も、ぜひ試してみてほしいですね。Upload By 姫野桂仕事を始めてから発達障害の特性に悩まされ、一時は休職し、転職も複数回経験した高梨さん。「できなさ」にふさぎ込むのでなく、そんな自分も受け入れて発想を転換し、苦手をカバーする方法を身につけました。高梨さんの場合は、タスク管理術を身に付けたことで自分らしさを取り戻したのではないか――彼の笑顔を見て、そう感じました。何かにつまずいた際は、どうすれば自分らしくいられるか、自分のよさを発揮できるかを考えてみると、少し違う見方ができるようになりそうです。取材・文:姫野桂編集:鈴木悠平・佐藤はるか撮影:鈴木江実子
2020年11月25日子どもが生まれて変わった意識。それは”挨拶”育児をするということだけでも子どもに接する大変さがありますが、社会の中で生きていく限り「周囲の目」も気になるもの。ましてや障害児の育児ともなると、それが大きなストレスになったりします。ほぺろうの癇癪がピークだったころ、どんなに対策しても効果がなかったこともあり「ご近所からどう見られているか」も私の頭を悩ませる要因の1つでした。Upload By ぼさ子子どもを授かる前、もともと社交的でないこともあって「ご近所付き合いは首を突っ込まないことが親切。無干渉がモットー」と思っていた私達夫婦。だけど、ほぺろうが生まれた途端にその考え方はガラリと変わりました。私達が意識したのは「人にきちんと挨拶すること」。Upload By ぼさ子Upload By ぼさ子苦労しているという事実は変わらないのに対応1つで誤解されるのは悲しいですし、親の印象が少しでも良くなれば、それがわが子を守ることに繋がると思ったのです。「たまたま会ったら...」くらいではありましたが、普段の「おはようございます」「こんにちは」を、こちらの様子を伝えるツールとして相手に安心感を持ってもらうために欠かしませんでした。通報されてもおかしくないレベル。それでも見守ってくれたご近所さん達現住所に引っ越してきたとき、ほぺろうは3歳。自閉症の診断は出ていませんでしたが、すでに癇癪が激しい時期でした。引っ越しのご挨拶のときにご近所さん一軒一軒に「息子の泣き声が激しめです。ご心配掛けることもあるかもしれません。気になることがあれば遠慮なく教えてください...」と伝えたことを覚えています。「何も言われてないと、泣き声が聞こえたときに気になっちゃうよね。最初に伝えておけばご近所さんのストレスが少しでも減るかな...」と思ったのと、自分も早めにカミングアウトした方がラクになれるかもしれないという気がしたのです。Upload By ぼさ子寝ているとき以外は一日中泣き暴れていたほぺろう。事情を知らない人から見たら「騒音」や「虐待の疑い」で、それこそ「いつ通報されてもおかしくない」レベルでした。ご近所に住む方々にご迷惑をかけていたのは間違いないです。(実際に最近「あの時は泣き声がすごかったもんね~」と言われました)それでも「泣き声のことなんて気にしなくて大丈夫だよ!」と温かく見守ってくださったのは、私達家族が「怪しい者ではない」と思っていただけたからという気がします。Upload By ぼさ子自閉症の診断を受けた後ほぺろうが自閉症の診断を受けたことも、ご近所の方々に説明しました。自閉症という診断名を聞かされても、当事者ではない方々にとっては「?」だと思うので、「理解してほしいとまでは望まない。他の子と違う困りごとがあるとだけ伝われば儲けもの」くらいの気持ちで簡単に。「自閉症、知ってるよ~。確かに特徴が当てはまるね」とか「自閉症って??」など反応はさまざまですが、診断名があるおかげで「そういう理由がある」と思ってもらえたと感じます。Upload By ぼさ子やがて、嬉しい変化も...事情を知ってくださっているからか、その後もご近所の方々には優しい言葉を掛けてもらえたり、困ったときは手を差し伸べてくださったり...と親子共々お世話になっています。また、普段から挨拶をしているからか、ほぺろうの成長に気付いてもらえたり、人見知りだったほぺろうがいつの間にかご近所さんに懐いていたり...親としてはありがたい変化もあります。Upload By ぼさ子Upload By ぼさ子療育と同じくらい大切。”居場所”をつくることほぺろうの癇癪が激しいと、後ろめたくて周囲と疎遠になってしまいがちです。私はいまだに、ほぺろう連れでの集会やイベントは癇癪が怖くて尻込みしてしまうのですが、それでも「大丈夫だよ。ほぺろう君連れておいで!」と声をかけていただけたりします。”挨拶”という何のひねりもないことですが、これを大切にしていたから周りの方々に助けてもらえるようになったのかな...?と勝手に思っています。いろいろな癇癪対策をやってみても効果が出ず、「ほぺろう自身がすぐに成長するのはチョット無理だな...」と落ち込むこともありましたが、今振り返ると「ほぺろうを成長させることだけが、生きる手段ではない」と気づかされました。ほぺろうがありのままでも生きやすい環境があれば、それ以上に素晴らしいことはないのかもしれません。Upload By ぼさ子※発達ナビに無料会員登録をしていただくと、他の【かんしゃく特集】記事もお楽しみいただけるようになります。
2020年11月24日床に寝そべり、協調性ゼロだった保育園時代Upload By かなしろにゃんこ。ADHDと軽度の広汎性発達障害がある息子のリュウ太が保育園のころと学童期は、保育士や先生から日中の様子を聞くと、多くはケンカや揉めごとの報告で、聞くたびに「あちゃー」と情けない気持ちになっていました。保育園のころ、好きなオモチャを他の子に取られて遊べない日は調子が出なくて、オモチャを巡ってケンカをしていました。お友達をオモチャで殴りましたとか、外遊びでは滑り台を階段から登らず滑る方から登ってルールを守りませんなど、悪い報告が多かったのです。日中の子どもの様子を影からこっそり見てみませんか?と先生に促されて、黒幕の影から子どもたちにバレないように覗くということをしたことがあります。Upload By かなしろにゃんこ。先生のピアノ伴奏に合わせてみんなで簡単な楽器演奏をする時間に、リュウ太は一人で床に寝そべってミニカーで遊んでいました。この覗きによってリュウ太は集団行動が取れない、協調性ゼロの問題児だったことを知ったのです!うわーん(泣)就学してからもすぐに、教室で座っていられない、ノートや教科書を準備せずに授業がはじまっても工作やお絵かきを続行するなど、自由な振舞いが目立っていました。トホホ……。就学後も集団のルールが守れない状態は続き...Upload By かなしろにゃんこ。勉強を無理に強制すると、工作やお絵かきを邪魔されたとパニックになります。先生は発達障害がある子の指導に慣れている方だったので、学校生活に馴染めないリュウ太をある程度自由にさせてくれていて、クールダウンスペースもつくるなど、息子の気持ちに寄り添った対応をしてくれて、ルールを守れないことも大目に見てくれました。リュウ太がアルバイトをはじめた16歳のころ、息子に「リュウ太はルールに従えなかったのに、働けるようになるまでに成長して良かった~」と話していたときに、「なんで昔はルールを守ることができなかったの?」と聞いてみたんです。ルールを守る同級生たちを見て「それ、本心でやってんの!?」Upload By かなしろにゃんこ。「保育園のときはいろいろルールがあるって気にしてなかったから、実はよく知らなかったんだよね。自分がやりたいことを今やりたいから、できないと体の中にストレスがドンドン溜まっていっちゃうから、気持ち悪くなっちゃうんだよ。だからルールよりも自分が大事!」とリュウ太は言います。「小学校に入ってからは、なんでルールに従わなくちゃいけないんだろう?って思った。ルールって誰かがつくったもので、人の気持ちをムシした規則じゃん。みんなは真面目に従っていてエライな~っていうよりも、先生の指示に反発もなくってマジ?それ本心でやってんの?って思った。」Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。自分を大事に生きていたリュウ太の考えに、思わずナットクみんながやるからやるとか、一人だけ目立つのがイヤだから合わせるとかバカバカしいことにこだわっていないで、やりたくなければやらなくていい!勉強とかやらなきゃいけないこともあるけれど、いやいややるならやらない方がマシ!という持論なんだそうです。それに、指示されると余計にやりたくなくなる!とも言います。指示の言い方に悪意を感じると絶対に従いたくなくなる、従うくらいなら戦う!なんだとか。私が「明日の時間割準備しなさいよッ」って半分怒りながら言うと絶対やらなかったのは、そういうことか!と気がつき、トホホ…。リュウ太が言うことをまとめると...人間は我慢が多すぎる。人からどう思われるか気にしたり、一日24時間の中で自分らしく生きている時間が少ないよね、日本人は特に我慢ばかりしている気がするから、もっと自由な感覚を持ったほうがいい。ということでした。なるほどね~、リュウ太はいつでも自然体で生きていたんだとわかりました。自分を大事にすることを忘れていた私。うん、なんとなくわかる。ルールって秩序を保つのに大事だったりもするけど、確かに従いたくないものも中にはある!大人は我慢して従っちゃうけど…そうやってルールに縛られて自分らしさをなくしていたな~。って気づかされました。Upload By かなしろにゃんこ。こんなことを言っていたリュウ太ですが、今では自分も我慢しながら生きる大人の一人として就労先のルールを守って働いています。幼児期や学童期にルールに従えない子でも、遅れてルールを守れるようになることがあると分かりました。徐々に「そのくらいは付き合ってやるか、ルールを守ってもいいよ!」という気持ちになるんだそうです。あくまでも「やってもいいけど」という上からの気持ちだそうです。何様?笑
2020年11月23日埼玉県放課後等デイサービスUpload By 発達ナビ施設情報放課後等デイサービスすくすくすてっぷ朝霞店では、2つを療育方針で支援を行っています。ひとつ目は「子どもの成長」です。さまざまなプログラムからお子さまの興味関心を広げ、得意なことを伸ばすことで、将来の仕事にもつながるよう成長を促します。ふたつ目は「地域の理解」です。年に2回の大きなイベントを開催し、お子様の活躍を披露する場を設けると共に、地域の方々との関わりを持つ機会を増やしています。お子さまがいろいろなことにチャレンジできる環境を整え、保護者様の意見も取り入れながら、知識経験豊富なスタッフがサポートします。埼玉県の放課後等デイサービスをもっと見る埼玉県児童発達支援事業所Upload By 発達ナビ施設情報こぱんはうすさくら川口戸塚教室では、ひとつのプログラムの中に多数の目標を設定し、お子さまのニーズに合わせた療育に取り組んでいます。お子さまの発達段階はアセスメントツールを用いて正確に把握し、スモールステップで支援していくことで、社会生活能力の獲得を目指します。スタッフは経験豊富でチームワークも抜群、研修等には日々積極的に参加しているそう。お子さま一人ひとりの才能を輝かせられるような場所を目指し、スタッフが細かくサポートしています。埼玉県の児童発達支援事業所をもっと見る大阪府放課後等デイサービスUpload By 発達ナビ施設情報就労準備型放課後等デイサービスBe Smile Mastersでは、ソーシャルスキルトレーニングやビジネスマナー、パソコンスキルや学習等を通して、将来の就労という課題に早いうちから意識を向けていただく事で、社会生活への移行を実現することを目的として支援を行っています。また、不登校のお子さまへの配慮にも力を入れていて、生活リズムを整えたり、学習支援を行ったりしているそう。社会経験豊富であったり、教員資格のあるスタッフが、お子さまの状況を確認・理解しながら支援するとともに、個性も伸ばしていけるよう、日々サポートしています。大阪府の放課後等デイサービスをもっと見る神奈川県幼児教室・学習塾Upload By 発達ナビ施設情報LITALICOジュニア幼児教室・学習塾武蔵小杉教室は12月1日に新しくオープン予定の教室です。言葉の遅れや学習やコミュニケーションのつまずき、集団行動などの困りごとを中心に一人ひとりの特性やスキル、好き興味関心、困りやその背景などを専門的に分析し、お子さまへの直接授業だけでなく、ご家庭でも成長を促すためのご家族さまへのサポートやレクチャーも行います。教室スタッフは、日常場面での生活のしやすさやスキルの発揮を見据えた、総合的かつオーダーメイドのサービスを提供し、お子さまの成長をサポートしたいと考えているそう。園・学校、家庭でのご様子を適宜面談等でヒアリングしながら、それぞれの場面で、お子さまの「できた」を拡げられるよう、保護者と密に連携しています。神奈川県のその他発達施設をもっと見る「もっと施設の情報を詳しく知りたい!」「見学をしてみたい!」と思ったら、WEBからもお問い合わせが可能です。施設情報ページでは、掲載されている施設の情報を地域ごとに検索して見ることができますよ。
2020年11月22日週1回、特別支援教室で指導を受けているミミASDのミミは週に1回、特別支援教室で2コマ指導を受けています。特別支援教室の先生からの「連携ノート」には、授業の内容が毎回びっしり書き込まれていて、熱心な先生でありがたいです。帰宅したミミにどんなことをしたのか聞くと、「折り紙をした」「楽しかった」と言うので、楽しめているんだと思っていました。Upload By taeko3回目の日の夕方、特別支援教室の先生から電話がきました。ミミがかたくなに特別支援教室へ行くのを嫌がり、通常学級の自分のイスから離れようとせず、先生に「来ないで!!」と言ったそう…。Upload By taeko先生がなんとかなだめて「少しだけ特別支援教室へ行き、2コマ目は通常学級に戻ろう」という約束で移動できたそうです。先生が「なぜ行きたくないの?」とミミに理由を聞くと、「(通常学級の)お友達と離れるのがイヤ。どうして行かないといけないの?」と答えたそう。電話で先生と話しているうちに、事前の説明が十分ではなかったと気付きました。確かに、「○曜日に2時間ここで勉強するんだよ」ぐらいにしか伝えていませんでした。ミミは普段「学校が楽しい」と言っていたので、すっかり安心してしまっていました。ミミにとって、慣れてきた通常学級の教室から1人だけ別室へ行くのは嫌なことだし、理由もよく分かっていなかったのでしょう。もっとしっかり説明してあげればよかったと後悔。特別支援教室の説明が子ども向けに書いてあるプリントを見せながら、自分の気持ちやお友達との関わり方、学校や世の中のきまりごとを特別に教えてくれる場所であることをミミに話しました。「ミミは〜が苦手だから行く」といったマイナスに感じる言葉は避けました。Upload By taeko後日、校長先生や特別支援教室の先生などが方針を相談してくださり、ミミが嫌がったら無理に特別支援教室へ行かせずに通常学級で見守ることなどが決まりました。そして翌週も、特別支援教室の先生が電話でミミの様子を教えてくれました。ミミは特別支援教室に行けたけれど、やる気はなし。先生が用意したおもちゃにも興味を示さなかったそう…。帰宅したミミに「今日は、どんなことをしたの?」と聞くと、「折り紙」と少しだけ話してくれました。「そっか、がんばったね。でも、行きたくなかったら行かなくてもいいんだよ」と伝えました。さらに翌週の朝も、「行きたくなかったら行かなくていいよ」と伝えました。夕方ミミに楽しかったか聞くと、「うん」。どんな勉強したのかは「忘れちゃった」とのこと。私は行けたことを褒めて、深くは追及しませんでした。Upload By taeko後日、特別支援教室の先生と初めての面談。ミミの様子を詳しく教えてもらいました。前回はミミが自分から特別支援教室に向かい、ノックして名前と勉強をしに来たことを元気な声で言えたと聞き、びっくり!「人が変わったようです!」と先生も驚いていました。ほっとしたのも束の間…順調に行けるようになって3回目の夕方、担任の先生から電話が。その日は、ミミが楽しみにしていた日直当番。特別支援教室の日と重なってしまったため日直を翌日にずらすことを聞いたミミはやる気が下がってしまい、特別支援教室に行くのをまた嫌がったそう。急な予定変更は、これからもたくさんあるでしょう。ミミにとって、よい経験なのだと思います。これからも波があると思いますが、優しい先生方に助けてもらいながら見守っていきたいと思います。Upload By taeko
2020年11月21日刺激がなさ過ぎて気が散る!?一筋縄ではいかない環境調整Upload By 丸山さとこ私と息子はADHDです。集中する先を意識的に選んだり、丁度良いレベルで集中したりすることが苦手です。気が散りやすい反面過集中も起きやすいため環境調整が必要なのですが、”静かで視覚刺激も少ない環境”であれば上手くいくかというと、案外そうでもなかったりします。私もコウも”強すぎない快適な刺激”があることで集中しやすくなる傾向があります。「集中できるように」と刺激を排除し過ぎることで、かえって集中力が発揮できなくなるのです。Upload By 丸山さとこ音楽や独り言など、”一見よそごとにしか見えない何か”を取り入れることで作業が捗ったりするのが不思議です。それでいて、集中が深まっていく過程では急に「微細な刺激が邪魔だな」と感じるときもあり、そういうときには”静かな環境で黙って集中”することになります。微細な刺激は集中の導火線みたいなものなのかもしれません。導火線の段階で作業が終わることもあれば、深い集中という”集中力の爆発”まで至ることもあるのかな?と思います。人それぞれな環境調整。コウの場合は…?”強く興味を引き過ぎない刺激”が集中に対して有効な一方、強く興味をひくものは、やはり集中の妨げになります。ゲーム機・読みかけの本・タブレット端末などは、”目につかない・手が届かない”場所に置くようにしています。Upload By 丸山さとこ「ADHDのある孫みたい」加齢で集中力がダウンしたと言う母の言葉に一瞬ナットク…でも息子コウとは違う?起こりがちなパターンに対してはそれぞれに対応方法を考えます。例えば、コウは学校から借りてきた本に夢中になって宿題や支度を後回しにしがちなので、「宿題や支度が終わるまで本はランドセルの中」というルールをつくったりして対応しています。私が家事などで長時間リビングダイニングを離れるときにも集中が乱れがちなので、宿題などを行っている際はできる範囲で同じ空間にいるようにしています。(同じ部屋でゲームをしたりしていても、コンディションが悪くなければ気にならないようです)Upload By 丸山さとこコウが好む状況を私なりに分析してみると、どうやら彼は自分とは関係のない作業をしている人がいて、なおかつその人が「あまり動かないで同じ場所に座っている」状況で落ち着いて宿題などができるようです。「カフェや図書館で作業をするとはかどる」と言う人は珍しくありません。そう考えると、案外、コウの持つ環境の好み自体は珍しいことではないのかもしれません。(隣でゲームをしていてOKなのは、少し珍しいのではないかと思いますが)将来的にはカフェや図書館などで勉強をするのが向いているかもしれないということで、最近は「それらの場所を静かに利用するために、独り言は段々と頭の中で行えるようになるといいかもしれないね」と提案しています。Upload By 丸山さとこ「音読を黙読に変えていくようなものだと思う。だから、それができたコウなら、いつかできるようになると思うよ。お母さんは、静かにしているときでも頭の中では結構おしゃべりだったりするよ」と言うと、「そうなんだ…全然分からない!」とコウは目を丸くしていました。今は主に薬と母親のサポートを受けている彼が、成長にしたがって”自分のコンディションやそれにあった環境”を色々と覚えて、便利に選べるようになるといいなと願っています。
2020年11月19日「私を育てるのは、大変?」娘から突然質問されて...広汎性発達障害の娘(小学4年生)は、自分が小さいころの話を聞くのが好きです。小さいとき、なかなかしゃべらなかったことや、表情がなかったこと…療育に通った話も、娘が聞いてくることは、何でも話すようにしています。ある日、娘と小さいときの話をしていた時のこと…Upload By SAKURA「私を育てるのは、大変だった?」と聞いてきました。これまでのことを思い出してみても、娘の子育ては正直言って、大変でした。でも、ただひたすら大変で、辛かったわけではありません。そこには楽しさもありました。Upload By SAKURA一筋縄ではいかない娘の子育ては、大変でしたが、その一つひとつ勉強になることばかり。発達障害に無知だった私は、娘のおかげで、発達障害についても学ぶことができました。"娘がどうしたらできるようになるか"を考えるのは何だかんだで楽しいし、それを解決できる療育グッズをつくれたとき、大きな達成感もありました。ずっとできなかったことが、長い時間をかけてできるようになったときの感動は、娘以外の子育てでは味わえなかったと思います。娘の子育ては、まとめると「大変で、楽しい」のです。娘から見た、ママは…そんな風に見えていたの!?話し終えると、娘は私に、予想していなかったことを言いました。Upload By SAKURAまさかわが子にこのセリフを言われると思わず、思わず吹き出してしまいました。「子育てに苦労してなさそう」は、他の人から言われると、ちょっと複雑な気持ちになるセリフ。しかし、わが子に言われると、不思議と嫌ではありません。私は終始ニコニコして菩薩のように、子育てしてきたわけではありません。むしろその逆。Upload By SAKURA娘のパニックの対応ができず、一緒にパニックになったこともあるし…娘との話し合いの中で伝えたいことをわかってもらえなくて、泣いたこともありました。もしかしたら娘には、そんな記憶はないのかもしれません。でも、親が苦労して大変な思いをしていた記憶なんて、できればない方がいい。親が笑っていた記憶だけ残ってくれているなら、万々歳ではないでしょうか(笑)私はそう感じました。Upload By SAKURA「育ててくれてありがとう」と、普通結婚式で言われるであろうセリフを、9歳の娘から言われたことも、予想外でした。私の子育ては、まだまだ続きます。引き続き、娘に「子育てに苦労してなさそうなママ」と思ってもらいながら、頑張りたいと思います(笑)
2020年11月18日出典 : こんにちは。『発達障害&グレーゾーン子育てから生まれた楽々かあさんの伝わる! 声かけ変換』他、著者・楽々かあさんこと、大場美鈴です。「ちょっと待って」「ちゃんとやって」「キチンとして」…日常生活や、学校生活の中でよく使われる言葉ではありますが、小さな子だけでなく、こんなアバウトであいまいな表現が、イメージしにくくてピンと来ない子、イマイチ伝わりにくい子は案外多いんじゃないでしょうか。だって、「ちょっと」や「ちゃんと」って、目には見えませんからね。でも、”超・具体的に”、声かけを翻訳するだけで、どんな子にもガゼン、伝わりやすくなると思いますよ。そこで今回は、家庭でも園・学校でも即!使える、あいまい言葉の「声かけ変換」のコツを直伝します。「ちょっと」「もうすぐ」「だいたい」は、具体的な時間や目安を出典 : あいまいな言葉を子どもに伝わるように翻訳するコツは、「見えないものを具体的にイメージし、それを相手と共有できるようにすること」です。通常、「時間」や「相手の気持ち」などは、目には見えませんし、「適量」や「適度」などは、その人によって感覚が違います。更に「適切な行動」などになると、その人の主観や価値観次第でも変化するのではないでしょうか。そこを、人生経験の少ない小さな子や、空気を読むのが苦手な合理的なタイプの子などに、「察して、推し量るべし」と求めるのは、少々ハードルが高いことだと思います。そこで、子どもが経験値を積むまでは、こちらと同じイメージを共有できるように、具体的な数字・目安・行動などで伝えることで、分かってくれること、実行できることも結構多いんですよ。まずは、「ちょっと」「もうすぐ」など、時間に関する基本の伝え方から。Upload By 楽々かあさん例えば、お出かけ前に「早く、早く!」なんて、何度も子どもに急かされると、こちらにも都合があるので「ちょっと待って」と、連発したくなりますが…「ちょっと」とは、あとどれぐらいの時間なのかが分かるように、「あと3分待って」「9時45分になったら、出かけよう」など、具体的な数字を入れて伝えると納得しやすいでしょう。この時、まだ時計が読めない小さな子や、なかなか時間を意識しにくい子などは、スマホのゲージ付きのタイマーアプリや砂時計など、「時間が見えるようになっているもの」を併用して見せるとGood!また、ハッキリとした時間が伝えにくい場合には、「かあちゃんが、この洗濯物をたたみ終わるまで待って」など、具体的な行動などで区切りや目安を伝えてあげると納得できることも。運が良ければ、お子さんが一緒にお手伝いしてくれるかもしれませんしね。Upload By 楽々かあさん子どもは待つのが苦手なことが多いもの。ましてや、楽しみなことが目の前にあったら、「ワクワクし過ぎて、待ちきれない!」のは尚更でしょう。また、いつまで待てばいいのか分からなくて不安になったり、漠然と待っているとどうしたらいいのか戸惑ったりすることも。そんな時に、「もうすぐだから」と、大人がうまいことお茶を濁そうと思っても、子どものほうは、なかなか納得してくれないこともあります。例えば、人気のお店や映画などの長蛇の列に並んでいる時には、「あと、〇人だよ」「今、◯番目だよ」など、時間同様、人数や回数などの具体的な数字を伝えて、「ゴールが見える」ようにすると安心できるかもしれません(事前予約や座席指定をしたり、空いている時間帯や場所を選んだりするのも、お互いに疲れないための賢いテです)。この時、整理券や番号札などがあると、なお分かりやすいのですが、お店で配ってない場合はメモ帳などに番号を書いて渡してあげると、落ち着けることもあります。小さな子には、指で見せてあげるだけでも違うと思いますよ。また、「〇〇して待ってようか?」など、具体的な待ち方を提案したり、予めゲーム機やマンガなど、その子の好きなものを持参したりなどして、待ち時間に「何をして待てばいいのか」がハッキリしていると、結構気長に待てることも(大人だって、応接室でお茶菓子を出されたら、多少の時間は大丈夫ですよね)。そして、大人と子どもの時間感覚は違うので、「冬休みまで、もうすぐだから」など、大人にとっては数週間後の話も「もうすぐ」かもしれませんが、子どもにとってはとてつもなく先の話に感じられることも。こんな時は、一緒にカレンダーを毎日斜線で消していったり、メモ帳パッドで日めくりカウントダウンを作ってあげたりするのもいいかもしれません。出典 : 例えば、子どもが宿題などで、些細なことにこだわって、なかなか自分で今やっていることを終われないときに、親が助け舟を出すつもりで「だいだいでOK」なんて言ってあげても、真面目で完璧主義タイプの子などは納得できないことも。そんなときには、「だいたい」とは、何%くらいのことなのか、ひとまずの目安を具体的な数字で伝えてあげるだけでも、気持ちに区切りをつけやすくなるでしょう(時間に余裕のある時には、本人が納得できるまでトコトンやらせてあげるのも、いいと思います)。この時、ワークなどの課題に1ページずつふせんを貼って「今日は、ふせん◯枚取れれば大丈夫」とか、優先順位をつけた一覧表を作って「最低限ココまでできれば、十分だよ」などと、ひとまずの合格ラインを引いてあげると、安心できる子もいるでしょう。また、宿題などで、完璧さを求め過ぎてなかなか終わらず、子ども本人も悩んでいる場合などは、あえて「字を雑に書く練習」をしてみたり、「ココだけは完璧に」「ココからは、"できれば"でOK」など、時間をかけて一緒に「妥協ラインを引く練習」をしていくと、その子も少しラクになれるかもしれません。「ちゃんと」「しっかり」「キチンと」とは、どんな行動なのかを「ちゃんと」「しっかり」「キチンと」などの言葉も、その人それぞれの主観や価値観次第で、「どの程度が合格ラインなのか」が変わってきますし、どんなことをすれば「ちゃんと」になるのか、「具体的な行動」をなかなか明確にイメージできない子もいます。ここは、どんな行動をすればいいのか、何ができていればいいのか、こちらが想定している「ちゃんと」の「中身」まで取り出して、具体的に翻訳して伝えると動きやすくなるでしょう。出典 : 「もう!男子〜、ちゃんと掃除やって!」…なんて、学校の掃除の時間の班行動などで、しっかりさんタイプの子が大変そうにしているときもあるでしょう。みんなで何かをする場面で、単独行動を取りがちな子や、他人事のようにぼんやりしちゃう子などには、「誰が、どこからどこまで、何をやればいいのか」それぞれの子の担当する範囲や役割を明確にして、具体的な行動で「個別に」お願いすると、自分から"ちゃんと”動いてくれるかもしれません。とはいえ、最初から、ここまで子ども同士に期待するのはハードルが高いので、まずは周りの大人が声かけのお手本を見せてあげると、しっかりさんも助かるんじゃないでしょうか。大人が目の前で繰り返し声かけのお手本を見せていると、自然と子ども達がマネしてくれること、いつの間にか身に着けてくれることも、多いと思いますよ。出典 : 大人が子どもに対して「しっかりしている」と感じるとき、その子は自分で判断して、「自分が何をしたらいいのかが分かり、それを実行できている」ことが多いのではないでしょうか。逆に言えば、「やるべきこと」を把握し、それを実行できれば、どんな子も”しっかり”できるかもしれませんね。つまり、子どもに”しっかり”やって欲しいときには、「今やること」「次にやること」「何と何ができればいいか」等を確認できる声かけなどをするといいでしょう。この時、一緒に「やることリスト」に書き出したり、計画表を作ったり、ふせんなどを使って物事の優先順位づけをしたり…と、頭の中の整理整頓ができるようにすると、先のことを見通して動くことが苦手な子でも、実行力がUPすると思います。こうして、最初は大人の声かけで促されつつも、「有言実行できた」経験値を貯めていくと、次第に自分で判断し、"しっかり”できるようになってくるでしょう。Upload By 楽々かあさん例えば、子どもの服装や姿勢をだらしないと感じて、大人が「キチンとして」と、注意したとしても…子ども本人が、周りからどう見られるのかをあんまり意識していない場合、「キチンと」しないといけない場面でも、その場に合った適切な服装や行動ができないこともあります。でも、その子に悪気はなく、単に知らない・気づいていないだけのことも多いので、「どういった服装や行動をすれば、キチンと見えるのか」を、具体的に伝えればOK!その際、写真・動画や、大人や友達などが目の前で”キチンと”している具体的な「実例」を見せるのも、分かりやすくていいと思います。また、既に「キチンとする」とは、どうしたらいいのかは(知識として)知っているけど、”今がそのタイミング”だと気づいてないこともあります。この場合は、「周りの人の服装を見てごらん」「ここでは、どうすればいいと思う?」等と、周りに気づかせたり、適切な行動を思い出せる声かけをしたりすると、”キチンと”してくれるでしょう(まあ、その子が「シャツをインするのはダサいから、絶対ヤダ」等と、強固な意思を持って”あえて”そうしている場合は、この限りではありません)。このように、見えない空気が見えるように、あいまいな言葉を「超・具体的に」翻訳する声かけを意識すると、”ちゃんと”分かってくれること、”しっかり”"キチンと”できることだって多いんです。できるようになってきたら、あいまい言葉にも慣れるように…出典 : …とはいえ、周りの人達みんながいつもそんな風に、親切に丁寧に言ってくれるわけではありませんよね。そこで、「超・具体的に」翻訳する声かけで、子どもが「どうしたらいいのか」だんだん分かってきたら…あえて「ちょっと」「だいたい」「ちゃんと」などをフツーに使ってみて、あいまいな言葉の表現にも、徐々に慣らしていくといいでしょう。そして、実際にそれができたら、「そうそう、それくらいが”だいたい”」とフィードバックしたり、うまくできなかったら、「もう”ちょっと”こうしてくれる?」等と微調整したりして、あいまいな言葉のイメージを子どもと共有できるようにするとGood!こうして、少しずつ手を離していくと、少々空気を読むのが苦手な子でも、だんだんと「通訳なしでも大丈夫」になっていくと思いますよ。大場美鈴(著),『発達障害&グレーゾーン子育てから生まれた 楽々かあさんの伝わる! 声かけ変換』あさ出版, 2020.6.27
2020年11月17日ご家族の悩みや不安の解消をサポート「発達ナビPLUS」とは?Upload By 発達ナビ編集部「発達ナビPLUS」は、発達が気になるお子さまの保護者さま向け子育てサポートサービスです。「うちの子の困った行動の原因が分からない…」「どう対応すればいいか分からない…」「子どものことで頼りになる相談先がない…」など、子育てにおける不安やストレスを抱えている保護者さまを、精神科医・小児科医・公認心理師・作業療法士・言語聴覚士など、発達支援にかかわる専門家チームがオンラインでサポートします。具体的には、以下の4つのサービスを提供しています。・毎月専門家に相談できる「個別ケース相談」・さまざまなテーマで毎週開催「オンライン勉強会」・すぐに実践できるヒントがたくさん「子育てヒント動画」・教材・支援ツールが7,000点以上「特別支援の教材」【個別ケース相談】毎月専門家に相談できる!Upload By 発達ナビ編集部\【個別ケース相談】の特徴/✔ 毎月1ケース2往復の相談が可能✔ すべての相談を発達支援の専門家がケース検討✔ 個別の状況を踏まえた平均約3,300字の回答が届く✔ 毎月1ケース2往復の相談が可能発達が気になるお子さまの子育てについて、頼りになる相談先が身近になく、おひとりで奮闘されている保護者さまも多くいらっしゃいます。発達ナビPLUSでは、毎月安定して専門家に相談できる体制を整えています。✔ すべての相談を発達支援の専門家がケース検討すべてのご相談に対し、適切な分野の専門家がケース検討を行います。相談フォームにご記載いただいた内容から拝察されるお子さまの困った行動の背景や原因を分析し、分析に基づいた適切な手立てをご提案します。✔ 個別の状況を踏まえた平均約3,300字の回答が届く回答文字数に制限はなく、ご相談内容に対して必要な分だけ回答をお送りしています。原因分析の考え方や手立てについて、保護者さまでも分かりやすいように詳しく解説します。平均で、1通あたり約3,300文字の回答をお送りしています。【オンライン勉強会】さまざまなテーマで発達支援の専門家が登壇!Upload By 発達ナビ編集部\「オンライン勉強会」の特徴/✔ 精神科医・小児科医・公認心理師・作業療法士・言語聴覚士が登壇✔ 過去1年分の録画動画をいつでも視聴し放題✔ 細分化されたテーマ設定で踏み込んだ内容までカバー✔ 精神科医・小児科医・公認心理師・作業療法士・言語聴覚士が登壇医師の先生方を含めた支援経験豊富な専門家陣が、毎月さまざまなテーマで登壇します。講師に対してチャットで質問することもできます。✔ 過去1年分の録画動画をいつでも視聴し放題「日程が合わない」「急用が入った」など、興味がある勉強会に参加できない場合もご安心ください。実施する勉強会は録画し、サイトにアップしていますので、お時間があるときに自由に視聴ができます。過去1年分の動画が見られるため、過去開催のものもチェックできます。✔ 細分化されたテーマ設定で踏み込んだ内容までカバー毎週開催しているからこそ、単発のイベント等では扱えないような、細いテーマ設定で踏み込んだ内容までカバーしています。発達支援の理論から具体的な支援方法の実践まで、保護者さまにも分かりやすいように専門家が解説しています。短時間で見れる【子育てヒント動画】や便利な【特別支援の教材】も!Upload By 発達ナビ編集部さらに、日々の子育てに役立つヒントをご紹介している短い動画集「子育てヒント動画」の視聴や、全国の支援の現場で活用されている教材サイトから「特別支援の教材」を自由にダウンロードして活用することもきます。【無料】サービスのオンライン体験で\お得なクーポンGET!/「発達ナビPLUSちょっと興味あるけど、よくわからない…」という保護者さま向けに、【無料】のオンライン体験会を随時開催しています。個別ケース相談の回答例や、オンライン勉強会の一部を視聴するなど、詳しくサービスについてご理解いただくことができます。さらに、オンライン体験会にご参加いただいた方には、初期コンテンツ利用料が50%OFFになるクーポンをプレゼント中!
2020年11月17日発達障害の長男は、赤ちゃんのときから「寝ない子」でした。長男を産む前の私は、子どもは一度寝たらぐっすり寝るものだと思っていましたし、寝付くときも30分くらいで寝るものだと思っていました。しかし、いざ育児が始まると現実はあまりにも違っていたので、もしかしたら長男は「寝ない子」ではないかと感じるようになりました。そのときの私の思いや、長男が寝なかった理由などについてご紹介します。 とにかく寝なくて大変だった乳児期長男は生後6カ月から保育園に入ったのですが、30分くらいしか昼寝をしないので保育園の先生がとても心配するほどでした。家でも授乳中には寝るものの布団に寝かせるとすぐに起きてしまうのです。1歳を過ぎても昼も夜もなかなか寝付かず、2時間近くゴロゴロ転がってばかりで全然寝ないので、私のほうがだんだんイライラ……。長男が寝ないことへのストレスと、成長への影響の不安がどんどん募っていきました。 寝なくてもいいやと発想を変えた結果1歳を過ぎてもあまりに寝ないので、疲れ果てた私は発想をガラリと変えてみました。保育園に行くために夜8時半には寝かせたかったのですが、寝る時間にこだわることをやめました。 それまでの私は、長男を寝かしつけたあとに、家事を済ませたり自分の時間を過ごしたりしていたのですが、それをすべて夕食後にすることにしたのです。そして夜10時になったら長男と一緒に寝てしまうスタイルに変えてみました。お互いに好きな時間を過ごせるようになったので、私のストレスも減っていきました。 長男が寝たくない理由とはその後しばらく経って、長男が年長のときに寝なかった理由を聞いたことがあります。理由は2つありました。1つ目は、「音とか光が気になって眠れない」。もう1つは、「起きていれば、もっとおもしろいことがありそうだから」でした。なるほどと思いました。長男は感覚過敏があり、蛍光灯が苦手です。そして音にもとても敏感なのです。起きている間は自分の興味のあることに熱中しています。私が起きていれば、長男も「何かおもしろいことを見つけて遊べる」と思っていたのでしょう。 小学5年生になった今でも、睡眠時間は少ないほうだと思います。「子どもは早く寝るもの」という大人の理想に当てはめず、長男のペースに合わせることで、私の気持ちが「寝られないものは寝られないんだ」と割り切ることができました。感覚過敏がある、発達障害という特性があることで、当時は不安を感じてしまっていたのです。寝る時間が少ないということは、理想の生活習慣を身につけるには本当は良くないのかもしれません。しかし、長男の成長を信じてやっていこうと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:川本 千華発達障害の長男、兄が大好きな次男を育てる2児の母。元ピアノ講師。自身の経験を活かし音楽・発達障害に関するライターとして活動中。
2020年11月16日未就学の娘、コト子との日々をお届けします!Upload By koto初めまして。現在、未就学の娘(コト子)を育てているkotoです。コト子は、得意なことと苦手なことの高低差が激しい自閉症スペクトラムです。注意欠如多動性障害でもあり、破天荒な毎日を過ごしています。私がコト子の異変に気づいたのは出産直後。まだ入院中のときでした。母乳拒否、触るだけでギャン泣き…。コト子の健康状態は良好だったので、周りのお母さん達と比べ、自分のお世話が下手なせいだと思っていました。Upload By koto抱っこすら拒否するコト子に「何かが違う」とモヤモヤして...そこから1年近く、ずっと『何かが違う。赤ちゃんとはこんなに大変なのか?』とモヤモヤする日々。目は合わない、呼んでも振り返らない。起きているときは、ほぼ怒っているか泣いているコト子…。抱っこしてあやそうにも、抱っこ拒否。唯一泣き止んでくれるベビーカーに乗せて、ほぼ立ち止まらずに朝から歩き続ける毎日。人との交流もできなくなり、とにかく1日を終わらせるのに必死でした。Upload By kotoいつか私の方を向いてくれたら...1歳から療育園へそんな日々が続く中、買い物に出かけた先でふと、他のお母さんの様子が目に入りました。片手で赤ちゃんを抱っこしながら買い物をしていたそのお母さん。片手に抱かれた赤ちゃんは、しっかりとお母さんにしがみついていたのです。コト子は抱っこすら拒否するのに...そのときに強く感じたのが「私はこの子に必要とされていない」ということでした。そこから、コト子のためにやれることをやって、いつか私のほうを向いてくれたら...という思いで、1歳になってすぐ療育園に通い始めたのです。そこは朝からお弁当を持って通園し、午後まで親子で集団活動を行う園でした。困り感のタイプは違えど、こんなに沢山の仲間がいる!と、勇気付けられたのを覚えています。親子で色んな経験をして、いつの間にか、私に触られても怒らなくなったコト子。4年経った今では、当時の困り感が嘘のようです。ただ、やはり何も困り事が無くなる訳ではなく…。次から次へと、新たな課題が出てきます。でも、1人で悩んでいたころとは違い、今では園の先生達や、理解ある人達がいます。Upload By koto同じ悩みを抱く人との繋がりが、心の拠り所に普段はSNSでコト子との日々を発信しているのですが、SNSで発信しようと思った理由はシンプルです。コト子が赤ちゃんのころ、インスタで必死に『同じ様なタイプの子』を探していました。でも、どこを探してもニコニコの赤ちゃん達と、キラキラした素敵なお母さん達が多くて...写真からも、穏やかな雰囲気が流れていました。激しく落ち込んだ私は、SNSを避けるようにさえなっていました。更に困り感の強い時期を経て、少しSNSを見る余裕ができたときに気づいたのが、『もしかしたら、今まさにあのころの私の様な子育てを、検索している人がいるかも』ということ。そんな人たちの力になればとそう思って、少しずつ投稿していきました。SNSは、医師やペアレントトレーニングの先生の勧めでもありました。同じような悩みを持つ人達との交流や、情報交換がしたいと相談していたからです。地域にそういった人達の集まりを見つけられなかった私は、SNSで沢山の人達と繋がることができました。私は療育のプロでもなく、今でも子育ては分からないことだらけです。でも、同じように頑張っている人達がいる。同じように心が折れそうな人達がいる。感情のジェットコースターのような日々でも、深夜でも、誰かがいつもそこにいてくれる。少しでも、誰かのためになれば、と思って始めた投稿ですが、私の心の拠り所にもなっています。発達ナビのコラムでも同じように、情報や交流を求めている方々とつながっていけたらと思い、コト子との生活をお届けしていきます。まだまだ手探りの毎日ですが、よろしくお願いします。
2020年11月16日最難関私大に進学はしたけれど……私は、中高一貫の私立進学校から、いわゆる最難関私大へ進学しました。学歴カーストの中、いじめとは無縁に過ごすことができた中高6年間については、以前のコラムでもご紹介した通りです。過酷な受験勉強を経て大学に進学した春。私は、大学受験で無理しすぎたせいで心身ともに燃え尽きていて、「もう一生勉強したくない」みたいな気分になっていました。当時は精神科とつながっていませんでしたが、今思えばすでに離人感や抑うつなどの二次障害が出ていて、「毎日を寝て起きるだけで精一杯」という感じでした。履修登録はてんやわんやでした。それまで受動的に授業を受けるだけだった私にはカルチャーショックでしたし、ほかの学生とコミュニケーションをとりながら情報を集めなければいけなかったからです。履修登録の疲れもさめやらぬ中で授業が始まります。そこで私は自分が文学にまったく興味を抱けないことに気づいて、愕然としました。私が進んだのは、小説家になりたいと志向する人が多く在籍するコース。過労で倒れてまで入った最難関大での四年間を棒に振るかもと怖くなりました。今思えば私は、「義子ちゃんは小説家になるのよね、なるのよね、なるのよね?」という母の気持ちにおもねって進路を選択していたのです。自分の興味に正直になって理系の大学に進めばよかった、と後悔しました。センター試験では理系の難関大に受かっていて、あとは得意な小論文を書けば受かるところでしたが、辞退してしまっていたのです。服装や化粧に対する強迫観念に苦しむように思い返してみると、服装や化粧といった容姿や身支度に関することについて、母との間で葛藤を抱えて育ったのが私でした。小学生のころまでは、母の好みのお嬢様風のピンクのフリフリの服や、祖母の手編みのセーター(上質のウールなのよと言い聞かせられましたが、感覚過敏の私には苦痛でした)などを着せられてとても嫌でした。一人だけ流行に沿っていないうえ、ほかの子のものより上質なこともわかるので、学校でいじめられるという理由もありました。皆と同じ量販店の服やキャラものの服が着たいと言うと、母は「こっちのデパートのものやおばあちゃんの手作りのほうが品質もいいし素敵なんだからこっちを着なさい」と言います。母は、私が思春期に入って自分の好きなように化粧したり服を選んだりしようとするとだんだんうるさく口を出すようになりました。髪をブラウンに染めたら「あなたは肌が白くてきれいなんだから髪なんか染めたら台なし」、エスニックな格好をしていたら「そういう服はお母さん好きじゃないわ、もっとお嬢様らしいフワッとしたものを着たら」など。母に気に入られる格好をしたい、でも若い女性として、人から今どきのお洒落で可愛い女の子と思ってもらいたい。そういった葛藤にさらされ、答えが見つからない中で、私はだんだん身支度にやたらと時間をかけるようになっていきました。「こんな服・顔ではだめだ。人に笑われる、人に不快感を与える」という考えで頭がいっぱいになるのです。クローゼットからあふれるほどに服があるのに、「着られる服がない」。母から「お母さんの思い出の服だから」「とても上質なものだから」と押しつけられたお下がりがクローゼットの大半を占め、そのほかは私が試行錯誤しながらこづかいで買い集めた服でした。ストレスからか顔中にニキビができていて、それをどう隠すかにも腐心しました。私は、もともと昼夜逆転傾向だったことに加え、身支度に3,4時間かけるようになりました。家を出られるようになったころには夕方で、結局出かけるのを諦める、ということが続き、不登校気味になりました。当時、これが強迫性障害だなどとは思いもしませんでしたが、最近になって強迫性障害が専門の先生にかかるようになり、これが「整理整頓強迫」という、少しマイナーな症状だと知りました。整理整頓強迫は、自分の身の回りのものごとが思ったとおりに仕上がらないと繰り返しやり直してしまうものです。当時の私が強迫性障害が専門の精神科医にかかっていたら診断が出ていたと思います。身支度に関する整理整頓強迫には、醜形恐怖や対人恐怖といった、「人からどう見られるか」に強い不安を抱く恐怖症が関わっているそうなのですが、私にはまさに、こうした醜形恐怖や対人恐怖がありました。上に書いた「こんな服・顔ではだめだ。人に笑われる、人に不快感を与える」という考えがそうです。母はそんな私を、無遠慮に批判したりからかったりするようになりました。「ファッションショーじゃないんだから」「ナルシスくんみたい。よっぽど自分の顔が好きなのね」とか。私は「自分は実際にはまったく逆の理由で身支度にかけているのだ」「半分ぐらいはあなたのせいだ」と母に伝えたかったですが、どうせ通じないだろうと考え、諦めたまま過ごしていたのです。家からなかなか出られない私と、喜ぶ母。「こんな時間が永遠に続けばいいのに」そんなふうにして大学に行けずに苦しんでいていた私ですが、私の心中をそっちのけにして、母はあからさまに喜んでいました。学校に行けずにいる私をつかまえては、嬉しそうにテーブルに両肘でほおづえをついて、いろいろな話に半日付き合わせるのです。そしてある日母は、うっとりと目を潤ませて「なんて幸せなの、こんな日が永遠に続けばいいのに。ねえ、ずっと一緒に暮らそうよ…」と言いました。私はその瞬間、母に対して強い嫌悪感と絶望を抱きました。「この人は母親なのに、娘には娘の人生があると理解していない」と感じたのです。どうやらいろいろな生きづらさを抱えてきたらしい母にとって、「最難関私大の文学部に進み、将来が小説家として有望な娘を持つ自分」の姿は、自分の夢が叶ったような幸福感をもたらすものだったようです。(彼女が「あなたに小説家になるように望んだのは、小説家が自分の夢だったけどなれなかったから」と告白し、まったく悪びれずにテヘッと笑ったのは、私が30になるころでした)同時に、学歴の面で彼女を超えてしまい、彼女よりも若く、自由な時代に生きる私に、彼女は嫉妬も覚えていたのかもしれません。だから自分の支配下に戻したくて、私の容姿をあれこれコントロールしようとしたのだと思います。つまり、母が私に対して発していたメッセージは、以下のようなダブルバインドです。「有能で美しく、親の私のトロフィーであれ、私の夢を叶えろ。でも私のプライドが傷つかないように、親の私より有能だったり、美しく幸せであったりしてはいけない」親の幸せのために、自分は不可能を可能にしなければならない…私が深く動揺し、心を病んだのも当然だったと思います。この年、私は秋口に同級生の男性とつきあうようになります。この男性はまもなくデートDV傾向を示すようになりました。私は彼と別れようとしましたが、彼は暴力と脅しで私を支配します。家に帰ろうとすると彼は私を脇に抱え、無理やり引きずって自分の下宿に連れ帰ろうとしたり、駅前で大声でわめいたりするので、当時は彼に従わざるをえませんでした。彼は離れているときは何十回も電話をかけてきたり、夜中でも応答することを求めます。要求に応えないと暴力をふるうのです。夜中でも男性と電話している私のことを、「男にうつつを抜かしている」と判断した母は、ここに書けないほどひどい言葉で私を批判するようになりました。そして、彼女も私に何十回でも電話をかけてくるようになります。私は、ストーカー(男性)と家庭内ストーカー(男性に嫉妬する母)との間でぎゅうぎゅうと両腕を引っ張られてちぎれそうかのような状態になっていました。感覚過敏を抱えて1時間以上の道のりを騒がしい都内まで通う体力的負担もあいまって、私はますます家に帰りたくなくなります。この後の展開は次の記事でお伝えします。
2020年11月15日はじめまして、ハル11歳ですUpload By bethハルは多動を伴う発達障害、自閉症スペクトラム(知的障害あり)と診断されています。療育手帳は2度。これから母である私ベスが、そんなおもしろ子どもハルの世界をご紹介していきます。Upload By bethUpload By beth2秒前に話しかけてきていたのに、もう振り向くといないです。さながら忍者のようです。とにかく興味先行型というか、なにかに気を取られればそちらに行かずに済みません。警察に捜索願を出したことも過去10回以上...。あれ...もっとかな...記憶が(白目)。ですが本人の頭の中にはしっかりと地図が入っているようで、うろたえることなく1人で過ごし、気が済んで戻ってくることも。慌てていないため、周囲の方々に「迷子」と思っていただけないのですよね。「多動で迷子になる」ピークは、3歳〜8歳ごろ。高いところ(大木のてっぺんや電話ボックスの上)にいるハルを見つけては、降ろしていました。最近は落ち着いたのか、はたまた自重が重くなったからか笑、高いところに登ることは減りました。Upload By beth感受性が豊かなほうで、自然の中で四季を感じたり生き物を愛でたりしています。気候の良い日は本当に日向ぼっこをしている野生動物のように気持ちよさそう~にしているので、そんな過ごし方をハルに教わったりしています。とてもファンタジーな世界で生きているようで、トトロやラピュタの世界にいたり、アンパンマンの世界にいたりするようです。満月をとってくれと頼まれたことも笑。Upload By beth家族の紹介も少しだけ。弟イツは理系で独自の考えがあったり、小学生らしいあほな部分もあったりするおもしろ子ども。妹ぴっぴは真面目なタイプで、小柄ながらいつも筋トレをしている天真爛漫な女の子です。パパは冷静沈着ローテンション、でもいつもふざけています。替え歌やマニアックなモノマネの研究に勤しんでいます。たまに真剣な相談をすると、1番欲しい言葉をくれます。私ベスは、まあまあぽんこつ人間です...。なんでもおもしろがれる才能はあると自負します。Upload By bethただいまと同時に「いっちゃんは!?」と探し、弟イツとハグ。イツもハルが大好きなようで2人は兄妹愛がでっかいです。そしてパパの帰宅時には、いつも感動の再会のようなテンションで『無事でよかった!?』と言います。でもそうだよね。ほんとみんないつも無事で帰ってきてくれるのは当たり前ではない、尊いことだよね。よかった。ハルありがと!Upload By beth私やパパのメンタルが落ち込んでしまうような日は、必ずといっていいほどハルもメンタルがくずれてしまいます(離れた場所にいても)。なにかをキャッチしてしまうのかもしれません。ハルのすごいなぁと思うところは、そんなちょっとした第六感?みたいなところです。自分で植えたみかんの種の発芽の日を当てたり、近所のカメの冬眠が明けた日を知っていたようにその日に会いにいったり。いろいろなエピソードがあります。思春期にさしかかってきたハルと一緒にUpload By bethハルは現在11歳。少し思春期にさしかかってきたのか、パニックになってしまう頻度が増えて手を焼く日もあります。どうやら、ハル自身が納得いかないと感じられることが増えたのかなと思います。小さな頃は淡々とスケジュールに沿っていたので楽ではあったけれど、いまのこの変化も成長だと思ったりします(思えない日もあります...!)いままでも、これからも。ハルはハルのまま、ハルの世界の日々を素敵なまま重ねていって欲しいです。もちろん弟妹たちも。そして、完璧な良いママにはなれないけれど、私も私のまま一緒に暮らしていきます。
2020年11月14日特別支援学級、実際はどんなところ?「特別支援学級」とは、障害のある子ども一人ひとりに応じた教育を行うために小・中学校に設置されているクラスです。最大8名の少人数クラスで、子どもの発達や障害の程度に応じた指導を受けることができます。(呼び名は特別支援学級やなかよし学級など、さまざまです)■特別支援学級のメリット・手厚い指導を受けられる可能性が高い・発達や障害に応じたカリキュラムが受けられる可能性が高い■特別支援学級のデメリット・集団行動を学びにくい・通常学級と学習カリキュラムが異なるため、学習の差が出やすい学級の選択は、お子さまの発達や特性に合わせて考えることが大切です。しかし、特別支援学級は全ての小学校・中学校に設置されているわけではなく、なかには遠くの学区に通学しなくてはならないケースもあります。指導内容や体制についても、学校ごとにばらつきがあるのが現状です。子どもが特別支援学級に在籍している、または在籍を検討している方は下記のようなことで悩まれることが多いようです。【子どもが特別支援学級に在籍している、検討している方の悩みごと】・学区をまたいででも在籍するべき?・指導・学習内容を具体的に知りたい・サポートや要望(合理的配慮)はどこまで求めていいの?・友だちづくりや、人間関係を学ぶことはできる?・内申がつかないと聞いたけど、卒業後の進路はどうなる?実際のところ、どうなのでしょうか。特に中学校卒業後の進路は、義務教育が中学校までのため、自ら選んでいく必要があります。特別支援学校と高等学校の進学率、半々にUpload By LITALICOライフ小学校に入るとき、「手厚い学級が良い」と思い特別支援学級を選択。そのまま中学校も特別支援学級…と進んでいくと、高校進学を考える時期に、内申がなく高校受験が難しくなる…という話があります。すべてがそうではありませんが、実際にそういった経験をした方もいるようです。実際のところ、特別支援学級に在籍した子どもの中学卒業後の進路は、どうなのでしょうか?上の図は文部科学省の「学校基本調査」より、中学校が特別支援学級だった子どもの卒業後の進路をまとめたものです。ここから、この10年間で卒業後の進路が大きく変化したことがわかります。10年前の2010年は、7割の子どもが特別支援学校に進んでいました。高等学校に進む子どもは約2割と、少数派でした。しかし2019年になると、特別支援学校に進む子どもと高等学校に進む子どもは、約5割ずつと半々になりました。高等学校に進学する特別支援学級の子どもは、この10年間で約2倍になりました。中学卒業後の選択肢は広がってきています。高卒の資格をとれる通信制高校も増えてきています。10年前と比べて選択肢が増えてきているからこそ、お子さまの将来の可能性も視野に入れながら、最新の情報をもとに学級選択をすることが大切です。文部科学省「学校基本調査 /卒業後の状況調査 中学校」令和元年度版、平成22年度版とはいえ、うちの子の場合は?最新の情報が得られる勉強会も活用してここまで、特別支援学級にまつわるよく耳にするお悩みや、実際の数字データをご紹介しました。しかし、特別支援学級の体制や選択できる進路は、住んでいる自治体やご家庭によってさまざまです。お子さまの特性や好み・考え方もそれぞれです。進学予定校の特別支援学級の現状や、お子さまとの相性など、実際の見聞も参考にしながら考えていきたいところです。将来の可能性もふまえた総合的な判断について、相談しながら整理するのも一つの方法です。そこで、LITALICOライフでは、特別支援学級についての情報や、卒業後の進路の選択肢まで、最新の情報がわかる勉強会を開催します。また、勉強会参加後に希望を出すと、後日、個別相談をすることもできるので、「わが子の場合は?」についての疑問や不安もご家族だけで抱え込まずにすみます。就学時の学級選択、進路相談、お子さまの将来の自立まで、相談経験豊富なスタッフがおりますので、ぜひ勉強会後にお申し込みを検討してみてください。特別支援学級卒業後の情報や、いま準備しておきたいことが勉強会でわかる!Upload By LITALICOライフLITALICOライフの保護者さま向け勉強会「支援級卒業後の進路(全国版)」は、特別支援学級に在籍する方の卒業後の進路の選択肢について、広く知ることができる勉強会です。子どもが特別支援学級に在籍している、または在籍を検討している方にとって、今知りたい情報から将来に繋がる情報まで、ギュっとまとめてお話ししています。【特別支援学級 卒業後のこんな情報がわかる!】・高校進学に内申点が必要か・公立高校での特別支援教育の取組み・通信制高校/サポート校とは・高等専修学校とは・特別支援学校 高等部とは・進路選択するときに手帳が必要か・高校卒業後の生活に関して(仕事やお金)【通級】が気になる方は…⇒無料勉強会『「通級」の活用と進路の選択肢』LITALICOライフは、お子さまとご家族が「自分らしい人生」を歩んでいくために障害分野とファイナンス、その両方の専門家としてライフイベントやライフプランの見直しを相談できるパートナーです。社会資源やサービス・お金の知識といった幅広い内容を身につけることができる勉強会や、専門領域をもつコンサルタントとの個別面談・プランニングを提供しています。ぜひ皆さまにご活用いただきたいと思っています。
2020年11月13日教授に相談できなくて…卒論が書けず引きこもりに三重県出身の戸田さん。三兄弟の末っ子として生まれ、義務教育から高校卒業後、一年間の浪人を経て近畿大学農学部(奈良市)へと進学した。つまずいたのは、卒業間近の論文執筆時だった。「卒業論文がありまして、その作成がうまくいかなかったっていうか……考察とかそういう部分がうまく文章が書けなくて。そこから引きこもりになりました」(戸田さん)Upload By 桑山 知之“情報を整理する”ということができなかった。奈良県内の病院の精神科を受診すると、適応障害と診断された。周囲のサポートもあり、なんとか大学は卒業できたものの、その後は実家近くの病院のデイケアに通いながら、自宅療養生活を送った。「先生に頼りにいくという力がなかったんです。当時卒論を担当していた教授は別に怖い方ではなかったんですが、普段誰かを頼ったりしていなかったので……」(戸田さん)思い返せば「小さな頃から誰かを頼ることが苦手だった」と話す戸田さん。小学3年のころにてんかんを発症したこと、中学時代にロボコンに出場したこと、高校で吹奏楽部に所属していたこと以外、学生時代の記憶はほとんどない。戸田さん曰く「事実は覚えているが、感情は覚えていない」らしい。Upload By 桑山 知之過去に認定されていた発達障害24歳で再診断「発達障害はグラデーション状に広がっている」と言われるように、それが生活に支障が出ない人も少なくない。実は戸田さんが小学校低学年のころ、発達障害だと診断されていた。しかし、戸田さんや両親は特段気に掛けていなかった。しかし、大学卒業間近でつまずいた戸田さん。両親と同居しながら、以前の診断時に受診していた海南病院(愛知県弥富市)の精神科が運営しているデイケア施設「ネバーランド」に通った。改めて発達障害の診断を受けたのは、24歳のころだった。Upload By 桑山 知之「担当者と問答したり、数学の問題とかパズルのテストもやりました。結果は広汎性発達障害という名前がつきました。大まかに言うと、人の言っていることを理解するのが苦手なのと、優先順位をつけるのが苦手なのと、物事を文章化するのが苦手という3つが症状ですね」(戸田さん)自らの特性について話す様子は淡々としていて、どこか晴れやかな表情をしている。「自分はこういうのが苦手なのでサポートをお願いします、っていうスタンスが取れるようになりましたね」。戸田さんは、診断によって自己理解が深まったと胸を張っていた。Upload By 桑山 知之大学時代に出会った唯一無二の友人今でも支えに近大では「メダカの学校同好会」に入っていた戸田さん。「メダカの住み良い環境を作り出そうというコンセプト」だそうで、ビオトープ班に所属していたという。「ペットだと飼い殺しにしてしまいそうな感じがするので、飼うのは向いてないかなと(笑)。メダカの学校同好会では生物の調査をしたり、小規模ですが生物が入りやすいように溜池を作ったりもしました。楽しかったですね」(戸田さん)当時付き合いがあっても卒業するとほとんど縁が切れてしまったが、今でも唯一連絡を取っているのが同好会の友人。もう8年ほどの仲で、彼は宮城県仙台市で仕事をしているが、今年の頭には熱海へ旅行に行った。ゲームやアニメなど、彼をきっかけに戸田さんも趣味が広がったといい、現在の戸田さんにとって一番の支えになっていると話す。「定期的に向こうから今夜スカイプどう?みたいな感じで、複数人でオンラインゲームで遊んだり。パソコンのシューティングゲームもそうですし、今やっているオンラインのゲーム『World of Warships』もそうですし、最近アニメで定期的に毎クール観ようと思ったのも、その友人が絡んでいますし。今の趣味すべてに友人がどこかしら関わっている気がします」(戸田さん)Upload By 桑山 知之就労移行利用し就職上司「僕らが一番苦手なことができる子」厚生労働省が委託する機関で、各地域に「若者サポートステーション」というものがある。働く意向のある若者と向き合い、職場定着するまでを全面的に支援する機関で、49歳までの就労意欲のある人が対象だ。戸田さんは若者サポートステーションでパソコンについての訓練を受け、その後LITALICOワークスの就労移行を利用。現在、ネッツトヨタ愛知のデジタル推進部に所属し、各販売店で働くスタッフのサポート業務を行う。もう働き始めて2年目だ。「彼と面接したときに一番感じたのが、僕らって物を売る会社なので、対面のコミュニケーションが主になるんですよ。でも彼は逆で、文字のコミュニケーションができる子。僕らが一番苦手なことができる子だろうなって。だからすごく助かっていますよ」(戸田さんの上司)Upload By 桑山 知之「今までの人生においても、対面のコミュニケーションよりも文字情報のコミュニケーションの方が大半占めていますからね。小学校のときは2ちゃんねるをやっていましたし、中高はオンラインゲームでチャット、大学のときはTwitter。弊社ではMicrosoft Teams越しでやり取りすることが多いので、すごく質問しやすいんです」(戸田さん)大学時代につまずいたあの経験を二度としない。情報を整理するのが苦手だという自覚から、メモ帳はジャンルごとに7種類に分けて工夫するほどの徹底ぶり。新型コロナウイルスの影響でオンラインでの業務がより増えたが、自分にとってはむしろ心地いいという。今では文字でのコミュニケーションを主に置き、ストレスなく仕事に励んでいる。「僕はすごく恵まれてます」。戸田さんは、前を向いて笑っていた。Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞など。CM内楽曲GOMESS『COMMON』は各サブスクで配信中取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海
2020年11月13日個性炸裂で手強いレンジャーたち!さらなる『必殺技』を求めて...!?レンジャーから送られた衣装を返しに行きますが、レンジャーたちのペースに完全に飲まれるマジョリティ隊。レンジャーの手強さを痛感します。『ケンポウ』の達人に技を習うことになったレンジャー!『ケンポウ』って...Upload By 荒木まち子武術じゃなかった...!?習得した技は『愚行権』Upload By 荒木まち子執筆後記愚行権 (ぐこうけん)・・・たとえ他の人から「愚かでつむじ曲りの過ちだ」と評価・判断される行為であっても、個人の領域に関する限り誰にも邪魔されない自由のこと。皆さんも「明日はお休みだから今日は夜更かししちゃおう♡」とか「頑張ったから自分にご褒美♪」など、少なからず経験がありますよね?私に愚行権について教えて下さった方は“普段とても頑張っているのが前提として「愚行権」があると思っています。その人なりの頑張りで良いと思います。「愚行権」だけが一人歩きするとまた違うのかなと思います。”っと仰っていました。ほんとうにその通りだと思います。(愚行権については今後も描いていきます。)次回はガラッと変わって海回です(笑)荒木まち子
2020年11月12日小さなころと比べて、だいぶ落ち着いてきた癇癪2歳から始まった娘の癇癪でしたが、2歳…3歳…4歳と、成長と共に少しずつ落ち着く傾向にありました。小学1年生になるころには、癇癪を起こすペースは、2週間に1回ぐらいになっていきました。でも、完全に癇癪が落ち着くことはなく…精神的に不安になる時期(進学や進級時)には一時的に激しくなることもあり、ゲームの時間や約束をしっかり守れるようになって、すっかり安心しきっていると…Upload By SAKURA突然、癇癪を起こしていました。そんな時は娘に対して「今まで大丈夫だったでしょ!?」という言葉は言わないように心がけ、今の娘の心境の変化や体調が影響していると捉えて、受け止めるようにしていました。Upload By SAKURA小学生になると…もう大丈夫になったと思っていた部分で、小さいときのように癇癪を起こすということは、小学4年生になった今も時々あります。しかし、昔と違うのは、話し合いができることです。小さいころ(2~5歳)の癇癪は、自分の気持ちを言葉にできないということもあって、そもそも原因を探るまでにとても時間がかかっていました。そして、原因がわかっても説得というものが通じず、交渉することも難しく、落ち着くまで見守るだけ…という感じでした。しかし小学生になってからは、何が嫌だったのか、納得いかないのかを話してくれるようになり、私たち親の対処が早くなりました。そして理解力が上がって、提案もできるようになったことで、以前より冷静な話し合いにもっていきやすくなりました。Upload By SAKURA娘に聞かれた「大人は、なんで泣かないの?」の問いに...最近では、それが駄目だと理屈でわかっていても、感情がついていかないという自己分析もできるようになってきました。Upload By SAKURAそんな理解からか、『なぜ大人(私たち親)は、泣きわめかないか』が気になってきたようで、ある日、「どうして大人は…パパとママは我慢できるの?」と聞かれました。しっかりとした質問内容にちょっと驚きつつ、私はこう答えました。Upload By SAKURA嫌なことは、言っていい!私は、娘の癇癪をゼロにしようという思いは、正直ありません。癇癪は心の叫びだと思っているので、家の中では出してもらってかまわないと思っています。それに向き合うことで、私たちは娘の叫びを聞くことができるし、自分をそこまで押し殺す必要はないと思っています。その思いは主人も同じようで…Upload By SAKURAただ、家の外や他人にぶつけてしまうと、トラブルになります。家での癇癪、そしてそこでする話し合いは、将来的に外で出してしまわないための練習なのです。娘の個性を受け止めつつ、大人になったときに出ないようにする…それは私の中にある、娘に関して数ある目標の1つになっています。
2020年11月11日専修学校最後の年、周りはどんどん内定をもらっていくけれど...?Upload By かなしろにゃんこ。ADHDがある息子リュウ太が専修学校に通っていた最後の年、20歳ときのことでした。専修学校では来年度就職希望の学生向けに就活サポート授業というのがあって、ビジネスマナーやソーシャルスキル検定の授業、面接の練習時間などがありました。卒業する者の大半が就職を希望して就活をし、ほとんどの人が就職していくような学校でした。夏季に学校を通して企業面接や企業実習をスタートさせ、うまくマッチングしたら改めて面接試験を受けて内定が決まるという流れで、自動車整備の学校ですから多くの人が自動車関連の会社に就職していきます。少子化問題や後継者不足、人手不足の業界ということもあって就職率は99%です。秋にはほとんどの人の内定が決まり、後は卒業後に受ける整備士国家試験の勉強に打ち込むだけ。なのに息子のリュウ太は一向に就活をしようとしませんでした。先生からの電話で発覚!リュウ太の「就職はしません」宣言Upload By かなしろにゃんこ。「就活はどうするの?」と聞かれても、「まだ学校や企業側が始まってない」とか「今考えてる」とか、ウソをついてはのらりくらりとかわしていたリュウ太でしたが...実は、学校の先生に「就職はしません!絵の専門学校に行く予定です」と報告していたのでした。秋のある日、学校をさぼっていたリュウ太のことを心配して先生が連絡をくれたことで分かった事実でした。勝手に決めちゃってまったくもう、プンプン!息子の将来はどうなることやらと心配しました。息子は絵を描くことが趣味で、中学生のころから同じ趣味の仲間と繋がりたいという思いもあり、絵の専門学校に行きたがっていました。Upload By かなしろにゃんこ。専修学校でせっかく自動車整備の技術を学んだのに、就職しないなんて意味がないじゃないのーーーー!と呆れてしまいましたが、就活をどうするか⁉親子で話し合ったときに息子から「就職をしたくない理由」が他にもあることを教えてもらいました。ネットを開くと毎日目に入ってくる、働く人たちの不幸なニュースを見て、リストラやパワハラ自殺、過労死などを知れば知るほど社会に出ることへの希望が持てなくなったというのです。上司の命令に逆らうといじめられる、契約を超えるようなみなし残業を要求される!などなど、息子の社会へのイメージが強烈にダークだったのです。確かに親は子どもに多少は「社会は甘くないぞ!」と言ったりするかもしれませんが、そんなに強烈な闇を教えたりはしません。ネットに流れる情報の悪い部分だけにフォーカスして受け取ってしまっていたようでした。そんなの社会人になれば当たり前!という思いを、グッとこらえてUpload By かなしろにゃんこ。「就職しても、どうせ安い給料で一生こき使われる、そんなのイヤだ!整備士になるのがイヤなわけじゃなくって、自由な時間が持てなくなって絵が描けなくなるのがイヤなんだよっ」とやっと本音を吐き出すようになりました。そんなの社会人になったら当たり前じゃない?社会に出たらみんなそんなもんなのよ、ツライことも飲み込んでいくのよ!と言いたいけれど、発達障害がある子は心が育つのに時間がかかるから3割幼く見積もって計算するお約束を思い出しました。体は大人でも心はまだ成熟していない子どもの部分があり、働くってどういうことか、イマイチわかっていないのです。本人が言うには「社会人の心構えとか理解できないし、わかりたくもない」のだそうです。もうすぐ成人式を迎えるという時期でしたが、「わお、正直だし尖がってますな!まだ反抗期なのかしら?笑」と思ったのでした。何度か話し合いましたが、リュウ太自身に就活するヤル気が見えてこなくて、親がお尻を叩いても無理な気がしたんです。卒業3か月前の年末に「じゃぁいいよ就職しなくても」と伝えたら、すごくホッとした顔をしたのでした。Upload By かなしろにゃんこ。高いお金を払って学校に通わせたのに車業界に就職しないなんて残念で親は複雑な思いですけど、ヤル気がないのに就活しても面接官に見破られてしまって採用されないでしょうし、アルバイトでも社会で数年揉まれて「やっぱり就職したほうが生きやすい!」と気がついたときにやり直せばいいと思いました。失敗してすぐに軌道修正するのは得意のようなので、迷いながら未来の進路を探っていけばいいのかな?と捉えるようにしました。ADHDがある人は狩人特性といいますから、自分がコレだ!と思う目標が見つかると猪突猛進して努力します。でも目指す目標が大きくて手が届かないとわかると、ターゲットを変更して次の目標を探すことが得意だったりもします。子どもの頃には多動や衝動性が障害だったことでも社会に出ると、障害ではなく能力に変わることもありますから、就職だけにこだわらずに能力を発揮できる分野があるのではないか?とも考えました。就職して安定した社会人生活をスタートしてくれたら安心なんですけど、親が思うようにはいかない!ということも覚悟しました。これまでも周りの子と肩を並べて歩んでほしいと、リュウ太ができないことも無理をさせてきました。でも、できないことがあるから発達障害なんだから、できるようになるまで(本人が就職したいと思うまで)成長するのを待つしかないと思ったのでした。その後リュウ太は学校をズル休みしすぎて単位が取れておらず卒業が危ないという状態に陥り...だははは!就活どころではないじゃないのっ(笑)結局、卒業後に就活することになったのでした。♪ちゃんちゃん♩ADHDリュウ太の人生はいつもギリギリの綱渡り的なところがあります、予測不能で危うい道なんですよね、トホホ(涙)初めての就活での失敗談もいつかお話したいと思います。
2020年11月10日