ミドルエイジの先輩たちが「自分らしい生き方」に至るまでーー古澤瑛子さん特別支援学校卒業後、飲食店やレンタルビデオチェーンでの勤務を経て、現在はアパレル企業で勤務する古澤瑛子さん(以下、アコさん)。約1年前に実家を離れ、発達障害や知的障害のある人たちが共に暮らす「グループホーム」で生活しています。先天性の遺伝子疾患・ウィリアムズ症候群とADHDのあるアコさんの良き理解者であり、子どもの療育やグループホーム運営を長年続けている「一般社団法人発達障がいのためのハッピーライフ研究会」の高見澤千佐先生と共に、幼少期から現在に至るまでをお話しいただきました。Upload By 鈴木悠平生まれつき心臓が弱く両親は心配していた。先生と出会い、療育でたくさんの経験を――お二人とも、今日はよろしくお願いします。はじめに、アコさんの幼少期のころのお話や、先生との出会いについてお聞かせください。古澤瑛子さん(以下、アコ):活発で、外で遊ぶのが好きな子でした。親からは「すぐどこかへ行っちゃう」って心配されていたみたいです。高見澤先生のところには、4歳から療育に通っています。会ったときからすぐ仲良くなって(笑)、そこからずっと、お世話になっています。Upload By 鈴木悠平高見澤千佐先生(以下、高見澤):ウィリアムズ症候群の特徴で、アコさんは生まれつき心臓が弱いのもあって、お母さんはものすごく緊張感を持って彼女を育てておられたんです。転んで怪我して入院するんじゃないか、なにかあったら死んじゃうんじゃないかって、どこかに連れていくのもすごく慎重で。わたしはいろんな子を見てきたプロなんで、まぁお母さんそんなに緊張しないで、と(笑)。アコさん本人も、わたしと相性が合ったらしく最初っからすごくなついてくれたし、自分で学んで覚えていく力はすごくある子だなと思ったので、どこにでも連れて行って、とにかくいろんなことを体験してもらいました。アコ:はい、いっぱい体験しました!先生のところでは合宿もあって、しょっちゅうお泊まりにも行ってましたね。高見澤:うちの療育にはだいたいいつも50人ぐらいが来ていて、半分が知的障害、半分が発達障害のある子どもたちです。基本的には幼児のときから通ってもらって、二十歳以降の自立を見据えて、一人ひとり課題に取り組んでもらっています。勉強だけでなく、言語療法や運動療法まで、その子がそのとき必要なことを、という感じですね。彼女は、手先の不器用さがあったり、気がものすごく散りやすかったりして、小さいときは集中して取り組むのがなかなか大変だったんですけど、うまくいかなくて泣くことはあっても、次の日にはいつもニコニコで現れて「先生、会いたかったー!」って(笑)。いつも明るいよねー。アコ:今でも先生にベッタリですね(笑)。みんな一緒に過ごしていたはずなのに、「障害がある」というだけで扱いが変わるーー保育園や学校などでの、集団生活はいかがでしたか?アコ:保育園のときは、遊具にうまく登れなくて、運動会の競技に参加できないと言われて…高見澤:運動会で、はしごを登って鐘をカーンって叩く種目があるんですが、参加を遠慮してほしいって園から親御さんに言われたことがあったんですよ。Upload By 鈴木悠平ーーそんなことが…高見澤:でも、わたしが園に行ってコツを教えたら10分でできるようになったんだよね!アコ:はい!先生にコツを教わったらすぐできました。高見澤:運動会当日もバッチリできて、みんなに大拍手をもらったよね。やっぱり当時はまだまだ、「障害があるとみんなと同じことはできないんじゃないか」というような偏見が強くて、本人も「それはおかしいんじゃないか」っていうのはすごく感じ取っていました。アコ:小学校に入ってからも、途中までは楽しく過ごせていたんですが、6年生のときにクラスメイトに思いっきり蹴り飛ばされて、それがすごく辛くて、不登校になっちゃったんです。高見澤:心臓が悪いっていうことは、本人は普段からいろんな人に言ってたんです。それなのに胸を蹴られたっていうのがものすごいショックだったみたいで。アコ:はい、ほんと怖かったし、友達に蹴られたっていうのがショックでした。知らなかったんならともかく、知ってるのにどうしてこんなひどいことするのって。高見澤:障害のある子が疎外感を経験しやすいのがこの時期で、やっぱり難しいですね。だいたい4年生ぐらいまでは、みんなフランクに、障害がある子もない子も一緒に遊んでたりするんですけど、思春期に入りかけると違いを気にするようになって、仲良しグループがつくられるときに障害のある子が仲間はずれにされやすいんですよ。今までは「一緒においで」って言われたのが、急に「え、なんでお前来んの」って言われたりして、そこで本人も違いを自覚して、寂しい思いをすることになる。うちの療育でも、不登校を経験したことのある人は多いです。アコ:そのまま、中学校は3年間ずっと不登校で、先生のところに毎日通ってお世話になっていました。Upload By 鈴木悠平高見澤:フリースクールとして、うちへの出席を学校の出席扱いにしてもらって、そのまま卒業ですね。―中学卒業後は、特別支援学校の高等部に通われたとお聞きしました。通常の高校か特別支援学校か、進学先はどのようにして決めましたか?アコ:やっぱりいじめられたときの印象がずっと残っていて、学校行くこと自体がすごく怖くなってしまっていたんです。でも母親は、やっぱり高校は出てほしいと言うので、先生に相談に乗ってもらいました。高見澤:うちのフリースクールに通ったあと、高校進学せずにそのまま就職できている人もいっぱいいるんですけど、彼女の場合は、お母さんがものすごく思いつめられていてね。「中学校を不登校にさせてしまったから、せめて高校だけでも」って。ただ、アコさんは漢字や英語を書くのがどうしても難しくて、その状態で入れる高校の選択肢が当時はほとんどなかったんです。だったら、就職に向けた訓練もできるし、特別支援学校の高等部が良いだろうと。本人はそういった特別支援学級・特別支援学校的なところをそれまで経験していなかったので、入学当初はかなりびっくりしていましたね。――3年ぶりの学校で、はじめての特別支援学校というと、不安や緊張も大きかったと思います。アコ:もうほんと、毎日泣いてましたね。怖い!行きたくない!って。高見澤:うちの療育にも来ていた彼女の親友が1学年上にいたのが救いで、ほぼ彼女に会うために学校に行ってたようなもんだよね。その分、その子が卒業するときは大変で(笑)。アコ:あまりにショックで「わたしも姉さんと一緒に卒業する!置いてかないで!」って大泣きしてましたね(笑)。高見澤:卒業式、本人よりこの子の方が泣いてたっていうね。働いてお金を稼ぐ。親元を離れて暮らす。自分がどう生きるかを「選べる」ことがとても幸せ――それでは、特別支援学校卒業後の就労についてお聞かせください。アコ:卒業して最初に働いたのは喫茶店です。お客さんの注文を取ったり、飲み物や料理を運んだり、それから清掃とか。高見澤:最初は福祉的就労でしばらく働いたんです。わたしも見に行ったんですが、アコさんはお客さんに合わせて話すのが得意で、「雨ひどかったですねー」とか「今日何になさいますか?」とか、常連さんともすぐ仲良くなって、楽しくやっていましたね。参考: LITALICO仕事ナビ 福祉的就労とはどんな働き方なの?一般就労との違いなどについても説明しますアコ:そのあとに、障害者雇用での就職先をいくつか見に行って、次に就職したのがレンタルビデオチェーンの店舗の仕事です。何年か経ってから、そこが一度障害者雇用を終了するということで辞めなくちゃいけなくなったんですが、就労支援センターに通っている間に今の会社の人が見学に来て、それで就職が決まりました。そこから7年間、今の会社で働いてます。――今のお仕事が一番長いんですね。若い世代に人気のアパレルブランドの、渋谷の店舗で働かれているとお聞きしました。具体的にはどんな業務を担当されているんですか。アコ:わたしの担当は主に倉庫の業務ですね。スペインから送られてきた洋服を出して、輸送用のハンガーから店舗用のハンガーに入れ替えて…という感じで、お店に出る前の商品を整える仕事です。――へええ、なるほど。普段なかなか見られない、バックヤードでのお仕事、興味深いです。仕事の中で、やりがいや楽しさを感じる場面はありますか?アコ:仕事のやりがいは、ええと、そうですね…やっぱり働いてお給料をもらえるのが。Upload By 鈴木悠平高見澤:仕事の内容というか、お金だよねぇあなたは(笑)。アコ:はい、まさにお金ですね(笑)!――シンプルな答え(笑)。働いて稼いだお金は何に使うんですか?アコ:お金を貯めて自分のほしいものをひとつずつ買っています!こないだはiPhoneも買ったし、次はApple Watchとか、Bluetoothのイヤホンを買いたいなって。高見澤:あとは食だよね。グループホームではお昼ごはんの提供はないので、ご実家からお弁当を持って行くことが多かったんですけど、せっかく毎日渋谷に通勤してるんだしということで、「ランチを自分のお金で食べる」という念願を叶えて、いろいろ好きなもの食べて楽しそうですよ。毎日、わたしが仕事で忙しい中、お昼になると「先生、今日はポークチョップです!」「今日は中華♡」とかって写真が送られてきて(笑)。アコ:ふふふ(笑)。高見澤:なかなか攻撃力のある「飯テロ」をしてくるんですよ(笑)。アコ:でも今はApple Watchを買うために節約モードに入ってて…今日もカップ麺でした。高見澤:耐え忍んでますね(笑)。でもほんとに、お金は楽しいみたいだね。アコ:楽しいですね。なんか、初めてなんですよ。ケータイを自分で選んで変えられるとか。――自分でお金を稼いで、自分で使いみちを選べる。アコ:そうそう、それは本当に感動しましたね。高見澤:やっぱりお家にいる間は、全部親御さんがやってくださっていたんでね。このグループホームの個室の家具やカーテン、彼女は全部自分で決めたんですよ。いろんなお店を回って、毎回店員さんに詳しく説明してもらって、すっごく悩んで決めてって、もう大変で(笑)。「わたし、カーテン選んでいいんですか!?」ってすごく感動しててね。Upload By 鈴木悠平アコ:実家にいるときは、そんなことをやらせてもらえなかったんですよ。高見澤:毎月、給料が入ってきたら「これがあなたのお給料です。どう使おうか」って、テーブルの上に出すんですよ。グループホームに生活費として入れる額をよけて、残りの中で「この中からあなたは今月いくら貯金したい?」「お昼にいくら使いたい?」「何かほしいものありますか?」って、毎回やるんだよね。アコ:はい、そうです。先生と一緒にやってます。高見澤:彼女、すごい悩んで吟味するので、いつも2時間から3時間かかりますよ(笑)。でも、自分でお金の使い方を決めるっていうのはほんとに楽しいみたいですね。やっぱりどうしても親御さんがいると心配しちゃって「あなたのお小遣いはこれね」「だけどそれは買っちゃダメ」とか「ほしいんだったらお母さん買ってくるから」ってなっちゃってたので。アコ:そうですね。お金以外でも、「どこどこ行ってくるよー」って外出するときも「1人で行かないで」って親が心配してついてくるというパターンがほとんどで。――ご両親も心配ゆえなのでしょうけど、アコさんにとって「自分で決める」機会を持てたのは、大きな変化だったんですね。グループホームでの日々の暮らしについても教えていただけますか。高見澤:ここは男性2人女性2人の、彼女を含めて4人で暮らしています。朝晩は食事の提供があって、昼はそれぞれ。この人はごはんが何より楽しみで、「今日の夕飯なんですかー!」って仕事からもルンルンで帰ってくるよね(笑)。アコ:はい!もう、ごはん大好きで!高見澤:共有スペースの掃除や片付けは、4人で分担決めてやってます。で、各自の部屋は、自分で掃除なんだよね。アコ:はい、やってます。掃除も洗濯もやっぱり、実家で親がいると頼りっぱなしというか…自分も甘えが出ちゃうので、それもなくしたかったんですよ。自分の部屋を持って一人暮らししつつ、みんなと一緒に家事をして、気持ちや思い出を分かち合えるっていうのが、すごく嬉しいですね。――なるほど、食事付きのシェアハウスみたいな感じですね。楽しそうです。高見澤:区が募集をかけるようなグループホームだと、知らない人同士で入居して、あんまり交流がなくて、というかたちになることも少なくないんです。わたしが運営しているグループホームは、それまで療育に来ている人たちが入るので、だいたいが顔見知りですね。月に1回ぐらいは、みんなで焼肉屋に行ったりとかしてますよ。――いいですねえ。高見澤:もちろん中には、グループホームの共同生活で、まわりにどう接していいかわからなくて困っちゃう人もいるんですが、彼女はそういうときにすごく自然に声をかけてくれてね。最初は黙ってた子が、気づいたら「あ、おはようアキコ」「今日また夜、会おうね」って言って会社に行くようになってたりね。お互い影響し合っていい感じに変化していくんですよ。アッコムードの力だなって(笑)。アコ:ふふふ(笑)。高見澤:彼女のこのキャラクターが、家では「お節介」って言われがちだったんですよ。「あんたそんな他人のことはいいから、自分のことやんなさい」っていっつも言われてたんだけど。ここではそのお節介が、すごくうまく作用してるんだなって思います。わたしはずっと、自分が大好き高見澤:ご両親との関係や、お互いが願うことのギャップの話もいろいろしてきましたが、彼女のずっと変わらない、素敵だな、美しいなって思うところが、すごく自分のことを愛していることなんですね。ウィリアムズ症候群は先天性の疾患で、本人も割と早くからそのことを理解していたんです。どうしても、障害のある子を産んだ親御さんは思いつめやすくなる面はあって、彼女のお母さんも「ウィリアムズに産んじゃってごめんね」って思っていた時期があったんです。わたしも彼女本人がどう思っているか少し心配していたので、療育に通ってしばらくしてから「ウィリアムズ嫌だ?」って聞いたことがあったんですけど、「いや、わたしは自分のこと大好きだから、ウィリアムズに生まれてよかった」って、あっさりでした。それ、今でも言うよね?アコ:はい、言いますね、ずっと言ってます(笑)。自分のことは、好きですね、ふふ。お母さんに「産んでごめんね」って直接言われたときにも、「いや、わたしはウィリアムズに生まれて嬉しいなって思ってるよ」って。Upload By 鈴木悠平――自分を大好きでい続けられるって、素敵です。きっとお母さんもアコさんにそう言われて楽になったと思います。高見澤:ほんと、ずっと言ってるよね。ウィリアムズ症候群の親の会があるんですけど、「わたしもそこに入って、後輩と会いたい」って言うぐらいで。親の会は親じゃないと入れないって言ったら悔しがってましたね(笑)。アコ:なんで本人は入れないの、行きたいじゃん、みたいな(笑)。――最後に、進学や就職、将来の生活について、不安や悩みのある若い読者に向けてメッセージをお願いします。アコ:そうですね…やっぱり、楽しく暮らしてほしいなっていうのが一番ですね。落ち込んだり、学校行けなくなったりとか、そういうこともあるけど、将来もあるし、前向きに生きていってほしいなっていうか。発達障害でも知的障害でも、ウィリアムズでも、好きなことをやったり、恋人をつくったり、いろんな幸せを感じて生きていけばいいじゃないかって、わたしは思っているんです。――アコさんにとっての、高見澤先生や、特別支援学校が一緒だった先輩、ここで一緒に過ごす友達みたいな、一緒に幸せを分かち合える存在をつくっていけるといいですよね。アコ:そうですね。ほんとに大事な存在です。嬉しいです。高見澤:ずっと朝から晩まで、けらっけら笑って生きてるよね。アコ:もうけらっけらけらっけら、ずっと笑ってます(笑)。――アコさんのように、いじめや不登校を経験している子もいると思います。そうした時期を経験して大人になったアコさんから、なにか伝えたいことがあれば。アコ:いじめられたときはとにかく、1人で抱え込まないでほしいなって思いますね。わたしもつらかったですけど、相談できる人が1人でも2人でも増えるといいなって。高見澤:あんたそんなこと言うようになったの、すごいね。はっはっは(笑)。アコ:わたしも抱え込んでたときがあったんですよ(笑)!高見澤:抱え込んでたって、毎日のようにわたしとワーワーワーワー言ってたじゃん(笑)。アコ:だから!抱え込んじゃってたからそうやって先生に相談したんじゃないですか(笑)。Upload By 鈴木悠平先天性の遺伝子疾患を抱え、両親に心配されたり、学校でのいじめや不登校を経験しながらも、ずっと「自分が大好き」だと語り、周りとも明るく活発にかかわりながら生きているアコさん。インタビュアーの私も、アコさんのお話を聞いているだけで明るい気持ちにしてもらいました。アコさん自身の明るい性格もさることながら、高見澤先生やグループホームの同居人をはじめ、日常を分かち合える大切な人たちの存在が、きっとものすごく大きなエネルギーになっているのだろうな、とも感じました。実家暮らしでも一人暮らしでもない、「グループホーム」という選択肢も、ぜひ読者のみなさんに参考にしていただければ幸いです。取材・文:鈴木悠平編集:佐藤はるか撮影:鈴木江実子LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年02月28日まずはお子さまの特性や、あったらいいなと思う配慮を整理するお子さまが小学校入学への準備といっても、いったい何から考えるのがいいのでしょうか。例えば、「動き回ってばかりで、まったくじっとできない」「トイレがまだ一人でできない」「全体に向けて言葉で出された指示の理解が難しい」など、お子さまが学校生活を安心して送れるか、気になるところを考えてみましょう。もしそれらの理由や対策に心当たりがあれば、合わせて整理してみてください。それによって「椅子にクッションがあればバランスがとれて長く座ることができる」「絵や図を使いながらなら指示を理解できる」など、できるようになる手がかりがあるかもしれません。とはいえ、うまくいく・いかないには様々な状況や事情があります。まずは「あのときだけはすんなりできていたなぁ…」など、ヒントを整理してみるのも一つかもしれません。就学相談の際に、それらの情報が役に立つことがあります。就学相談って?Upload By LITALICOライフ小学校には一般的なクラスである「通常学級」や、支援のある「特別支援学級」など、いくつかの就学先があります。どの就学先がお子さまにとってよりよい環境になりそうか、保護者・児童、教育委員会で話し合って決めるのが就学相談です。お子さまに障害があったり発達に気になるところがあったりするときに申し込むことができます。時期は地域によって異なりますが、入学する1年前の春から始まる地域も多くあります。また、基本的には就学時健康診断のように通知が来ないため、保護者から申し込む必要があります。もし就学相談を受けたいと思った場合は、通っている幼稚園・保育園から申し込むケースもあるので、まずは幼稚園・保育園に確認していただくか、あるいはお住まいの市区町村の教育委員会に連絡してみてください。就学相談では、発達検査や知能検査、お子さまの行動観察をすることもあります。普段の様子を質問されることもあるため、事前に整理しておくとスムーズです。どんな学級・学校がある?小学校の就学先には4つの選択肢があります。どの学級が合うのかは、人それぞれです。・通常学級…一般的な集団のクラスです。・通級指導教室…ふだんは通常学級にいながら、一部特別な指導が必要なときに、週数回程度、移動するクラスです。・特別支援学級…一人ひとりがニーズに合った教育を受けることを目的とした、最大8人の小さなクラスです。・特別支援学校…障害のあるお子さまが通い、自立を促すために必要な教育を受ける学校です。通級指導教室や特別支援学級は、学校によって設置されているところとそうではないところがあります。また、設置されている場合も支援や授業の内容は異なりますので、実際に確認・見学をすることが大切です。情報が少なかったり、判断が難しいこともあるかもしれません。LITALICOライフの無料勉強会では、それぞれの学級の特徴や、卒業後の進路の違い、就学相談のコツまでご紹介していますので、ぜひのぞいてみてください。生活習慣・こころの準備のためにできることは?お子さまにとっても保護者さまにとっても、小学校入学は大きな変化です。勉強や授業、登下校など、小学校入学で生まれる変化に事前に少しずつ慣れる機会があると、お子さまにも保護者さまにも心の準備の助けになります。起床時間・毎朝の行動を整えていく特性によっては、生活習慣を簡単には変えられないお子さまもいます。小学校入学前から、小学校に登校するのに合わせた起床時間に起きるようにして、朝ごはん、顔を洗う…などの行動を習慣にできるとスムーズです。通学路や学校の建物に慣れる慣れない道や建物が苦手な子どももいます。通学路を散歩コースにしたり、学校の近くを通りかかったときに「4月からはここに通うんだよ」と伝えることで、不安がやわらぐことがあります。翌日の持ち物の確認・準備をする習慣をつける寝る前に翌日のスケジュールや持ち物リストを確認しながら準備する習慣ができると、忘れ物がなくなったり、朝にパニックとなってしまうことがなくなりやすくなります。机に向かってじっとする機会を設ける小学生になると、授業で45分間座ることを求められます。絵を描いたり本を読むなど、お勉強でなくともかまいません。一日5分程度でも机に向かい、慣れていきましょう。いずれも少しずつ始めて、少しずつ慣れていくことが大切です。【東京、神奈川、埼玉、愛知、大阪、兵庫、福岡、広島に特化した情報から全国版までお届け】就学相談のスケジュールや、就学先の選び方がわかるUpload By LITALICOライフLITALICOライフの保護者さま向け勉強会「幼児期からの就学準備」は、これから小学校入学について考え始める・準備を始めるご家庭に向けて、今知りたい情報から将来に繋がる情報まで、ギュっとまとめてご紹介しています。また、東京、神奈川、埼玉、愛知、大阪、兵庫、福岡、広島では地域に合わせた情報もお伝えしています。勉強会後、より詳しく相談したい方には無料の個別相談もありますので、ご活用ください。【小学校入学前の準備に向けて、こんな情報がわかります】・4つの就学先って、何がどう違うの?実際は?・就学先によって、中学や高校以降の進路に影響はあるの?・これからの進路をどう考えたらいい?・就学相談って、いつからどんな準備をすればいい?勉強会はオンライン開催で、チャットを使った質問にも、時間の許すかぎり講師がお答えしています。「○○と聞いたのですが本当?」など、気になることを投げかけてみてください。LITALICOライフは、誰もが「自分らしい人生」を歩んでいけるよう、さまざまな興味・課題に合わせた情報提供や個別相談を通じて、そのひとりに合わせたライフプランニング(人生設計)をサポートしています。無料勉強会では、就学準備、地域ごとの進路情報、通級、支援級、グレーゾーンの子、不登校の子、親なきあと、私立中学受験まで、幅広く家族のための情報提供をしています。
2021年02月10日発達障害当事者の視点から描かれた夫婦のものがたりーー漫画『僕の妻は発達障害』2巻月刊コミックバンチにて連載中の『僕の妻は発達障害』は、「大人の発達障害」をテーマにあつかった作品です。漫画家のアシスタントとして働く夫と、発達障害のある妻の日常生活が描かれています。本作では、発達障害がある人の生きづらさを描くと同時に、支援者にもスポットを当てています。悪意がないとわかっていても、発達障害のある妻・知花の行動にストレスを感じてしまう、夫・悟の描写もあり、決して良いことばかりではない、リアルな2人の生活がわかります。2巻では、結婚生活を送る中で衝突や理解のズレが多くなり、少しずつ疲弊していく2人の様子や、妻・知花が発達検査をうけたエピソードなどが描かれています。ぜひ幅広い方に読んでいただきたい一冊です。保護者のサポートにフォーカスした『育てにくい子の家族支援 親が不安・自責・孤立しないために支援者ができること』保育園、幼稚園、小学校、学童保育の先生など、子育て支援に関わる方に向けて書かれた本、『育てにくい子の家族支援 親が不安・自責・孤立しないために支援者ができること』。著者は、NPO法人えじそんくらぶ代表で、臨床心理士をつとめる高山恵子さんです。長らくADHDを中心とした発達障害の子どもとその家族、支援者をサポートする活動を続けています。本書の前身は、2007年に出版された『育てにくい子に悩む保護者サポートブック』(学研)。今作では主に幼児期の支援者向けだった前著の内容を大幅に加筆修正し、小学生の保護者支援にも活用できる1冊にまとめています。本作では、多様な子ども、保護者がいることを前提に、それぞれにどういうサポートをしたら最適な支援になるのか具体的な事例とともに紹介しています。支援者はもちろん、「わが子の育てにくさ」に悩む保護者の方にもおすすめの1冊です。発達障害当事者の高校生が描く『発達障害の私の頭の中は忙しいけどなんだか楽しい』本書の著者のなずなさんは、2001年生まれ。5歳で高機能広汎性発達障害(ADHD傾向)と診断され、中学時代には不登校も経験。現在は、通信制高校を卒業し、体力の回復を目指しながら夢に向かって進んでいます。なずなさんが自身の世界を描いたこの本では、なずなさんが、自分の世界をマンガと文章で説明し、「フラッシュバック」などの困りごとについて、独自の対処法を紹介しています。そこに、なずなさんの主治医である精神科医の松本喜代隆先生が、キーワードごとに一般的な解説や対処法のヒントを挙げています。当事者による貴重な記録を読める本作。書いてあることはなずなさんの個人的な経験ですが、松本先生の解説・ヒントとともに、誰が読んでも参考になることがあふれています。子どもと大人の境目にある思春期の見守り方も教えてくれる1冊です。自閉症の娘と家族の愛と成長の記録ーー『ムーちゃんと手をつないで』4巻筆者のみなと鈴さんが自身の経験をもとに、自閉症子育ての経験を描いた漫画『ムーちゃんと手をつないで』。『ムーちゃん』ことむつみの成長と、家族の愛について描いています。「他害」がテーマとなった4巻。周りの人に噛み付くなど他害してしまうムーちゃんに悩む母の彩は、どうにか解決したいと療育施設の先生に相談します。しかし、そこで先生に言われたことは、「他害行動はそうそう簡単に消失しない」というものでした。4巻では、ムーちゃんの他害について何ができるのか葛藤する母・彩とそれを懸命にサポートする周囲の様子が描写されています。発達障害のある子どもを育てる親と子の成長を描いた本作。ぜひ子育てに関わる方に読んでいただきたい一冊となっています。お母さんが楽に、元気になれる本ーー『ママのピンチを救う本』本書は2005年に出版された『のび太・ジャイアン症候群5 家族のADHD・大人のADHD お母さんセラピー』の改訂版です。発達障害のある子どもの支援者にフォーカスした本書。なかでも保護者であり、家庭の調整役になることが多いお母さんに寄り添い、お母さんたちの毎日が楽に、幸せになるようなアドバイスを豊富に掲載しています。発達障害がある子どもがいる家庭では、お父さんやお母さんにも似た特徴が少しずつ見られることがあります。本書では、発達障害がある子どもや大人、診断がつくほどではないけれど発達障害の傾向がある人が、家庭でどのようにすれば過ごしやすくなるかについて考察しており、日々の暮らしを快適にするヒントがたくさん詰まっています。ぜひ参考にしてみてください。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年02月06日ミドルエイジの先輩たちが「自分らしい生き方」に至るまでーー光武克さん予備校講師、家庭教師、「発達障害BAR The BRATs」のオーナー(現在は休業中)とYouTubeチャンネル運営、医療系アプリのコンテンツ開発と、いくつもの仕事を掛け持ちしている光武克さん。それだけ聞くと「なんでそんなに大量の仕事をこなせるの!?」と驚く人もいると思いますが、その背景には自身のADHDとASDの特性をつかみ、サバイブするためのたくさんの工夫がありました。光武さんに、現在の働き方に至るまでの経緯を聞きました。通知簿ではいつも「生活態度」を指摘される子どもだった。成績を上げることで特性をカモフラージュする生存戦略――光武さんは小さいころ、どんなお子さんだったのですか?光武克さん(以下、光武):あまり覚えていないのですが、不器用な子だったんだろうなと思います。幼少期から交流のある友人によれば、出会いは遊具から落ちて大泣きしている僕を助けたことだったそうなので(笑)、不注意かなにかで、よく怪我はしていたんでしょうね。Upload By 姫野桂光武:小学生のころは落ち着きがなく、宿題などの提出期限を守れないことも多々ありました。小学校の通知表って、学習面と生活態度の評価があるじゃないですか。生活態度の中の「基本的な生活習慣」の項目は、毎回「努力しましょう」に印がつけられていました。当時、僕はすごく動物が好きで、どうしても犬を飼いたかったんです。そうしたら、親から犬を飼う条件として「基本的な生活習慣」の改善を言い渡されて。結局犬は飼ってもらえなかったので、小学校6年間では改善できなかったんでしょうね。――勉強面はいかがでしたか?光武さんは予備校の講師もされていますし、小学生のころから勉強が得意だったのでしょうか。光武:それが、小学生のときは中の上ぐらいで、ずば抜けて成績が良いわけではなかったんです。中学校に上がってから、成績が良い方がいろいろとメリットが大きいというか…自分の不注意など、周囲から変に思われる部分が目立ちにくくなることに気づいて。「あいつは成績がいいから」と言われるキャラクターでいたほうが安全だろうということで、勉強するようになったのかもしれません。中学生のときには、親も昔通っていた、地元で有名なスパルタ英語塾にも通っていました。教科書の例文を20ページ分、つまらずに読めないと帰れないような塾だったのですが、そこで勉強したおかげで語学の道が少し開けた部分があります。高校でも英語の勉強には力を入れ、留学も経験しました。――当時、光武さん自身も、「自分は変わったところがある」という認識だったのですか?光武:自分が変わっているという自覚はたしかにありました(笑)。僕の出身地は田舎ということもあり、なかなか閉鎖的な環境だったので、自分の言動が目立ちやすい部分はあったと思います。でも、それと同時に、「周りの方がおかしい」という感覚もありましたね。なんでそんなに合理性のないことを、みんなが口を揃えて言うのかがわからない。それでも、ここは言ったらいけない場面だから言わない、といった対処をしていました。Upload By 姫野桂考古学者を目指すも、自分の特性との合わなさに挫折。予備校講師のアルバイトで見つけた適性――子どものころ、将来なりたい職業などはありましたか?光武:歴史、特に古代史が好きで、考古学者になりたいと思っていました。中高生のころは、吉村作治先生の本をよく読んでいましたね。2歳ぐらいのころ、奈良の親戚を訪ねた際にも大仏を30分ほどひたすら見つめていたそうなので、昔から古いものが好きだったようです。具体的に研究したい内容までは見えていませんでしたが、「研究」への憧れを持って大学にも進学しました。大学入学後は、古代史の研究をしたいなあと思い勉強していたのですが、やればやるほど歴史の研究に向いていないとわかってきました。歴史学の研究は緻密さが必要で、1つの資料にじっくり向き合い続けることになるんですが、それがもうしんどくて。僕のADHD特性との相性がすごく悪かったんですよね。飽きちゃうんですよ(笑)。なりたいと思っていたものに、絶望的に自分が合っていないと気づいたのが、大学2年生か3年生のときでした。これが初めての大きな挫折だったかもしれません。それから他にやりたいこともなく、このままだと就職もできそうにないしどうしようと悩んでいたのですが、当時していた予備校講師のアルバイトで、自分に向いていそうなことも見つかりました。教育の仕事って、ある面では仮説検証のような部分があると思うんです。学んだことをもとに、自分の中で仮説を立てて実践して、それがうまくいくか、つまり生徒にとって学びやすいかどうか確かめる。その一つである予備校講師の仕事は、歴史学で扱う資料と違い、生徒からすぐに反応が返ってくるじゃないですか(笑)。それがすごく面白かったし、目の前で反応を見られる環境では集中しやすくて。やったことのフィードバックがすぐに返ってくる、具体的な社会現象や人間を相手にするほうが僕には向いているのだと気づきました。そこから、社会学や教育学の本を読むようになりましたね。大学3、4年生ぐらいのことでした。Upload By 姫野桂悩んだ末、内定を辞退しフリーランスの予備校講師へ――光武さんはその後、就職活動もされていますよね。わたし自身もそうでしたが、発達障害のある方からは、「自分をよく見せなければいけない就活が苦しかった」という話を聞くことが多いです。光武さんの場合はいかがでしたかか?光武:もう、めっちゃ苦しかったです。ルールを説明してもらえれば、そのルールに従って動けるんですが、就活って「ルールは自分で考えなさい」みたいなゲームじゃないですか。エントリーシートで暗に求められていることなど、明確な指示がないものについては、要領をつかむまで苦労しました。結局、「どんなに社会が変わっても食いっぱぐれないだろう」と思った教育と医療の業界に絞って、当たり障りのないエピソードや、ウケのいい話を自分でつくり、組み合わせながら就活をしていました。でも、そもそも就職したくないという気持ちがあったので、「なぜうちの会社を受けようと思ったんですか?」と聞かれたら「そこに応募ボタンがあったから」という感じですし(笑)、「同業他社の中でなぜうちを選んだのですか?」と聞かれて、変に正直に「うーん、特に理由はないですね」と言ってしまったこともあります。そんなわけですから、最後に奇跡的に1社だけ、製薬会社から内定をもらうことしかできませんでした。――しかし、光武さんはその内定を辞退して、フリーランスの予備校講師になったんですよね。それはなぜだったのでしょうか?光武:就活の段階からグダグダで、まともに社会生活を送れる自信もなく、その会社でうまく働いていくイメージができなかったんです。そこで正社員になるという選択肢しか当時はなかったんですが、「これはベストではない、選んじゃダメなやつだ」という確信があって。かといって代替案もなく、悩むうちに時間だけが過ぎていました。そんなときに、個人事業主(フリーランス)として予備校講師をやっていくという方法もあると教えてもらったんですよ。これは乗るしかないと思い、そちらの道を選びました。――そのときのことについて、ぜひ詳しくお聞きしたいです。光武:その働き方を聞いたのは、アルバイト先の社員の方とお酒を飲んでいたときでした。ちょうど悩んでいたころ、勤めていた予備校で講師の授業力コンテストの第1回が開催されて、僕は東京都で1位を取ったんです。そこで教える力を認めてもらえたのか、部長クラスの方に、「君はプロとして、十分それで食っていけるよ」「個人事業主でやるという道があるよ」と言っていただけて。「ああ、そういう道があるんだなあ」とそこで初めて知りました。その話をきっかけに、大学生講師である「学生コーチ」から「プロコーチ」という枠に契約を切り替えてもらったのが、大学4年生の12月前後でした。一応「プロ」と名乗れるようになったことで、「これでなんとか食べていけるようになるんじゃないか」と思いましたね。あれは一つの転機だったかもしれません。だから、決して「フリーランスになりたい!」と思ってなったわけではないんです。当時はフリーランスという言葉も知りませんでしたし。今振り返ると、ずっと上司がいない状態で働いてきたのは、失敗だったなと思います。「こうすればうまくいく」という仕事のノウハウや、働く上でのメンタリティまで教えてくれる人が身近にいなかったので。20代のころの自分に、そういった「ロールモデル」になる人を、きちんと見つけたほうがいいよと言いたいですね。Upload By 姫野桂自助会での経験をきっかけに、「発達障害バー」という形態を選ぶ――フリーランスの講師として働き始めた光武さんが、その仕事を続けながらも、2018年、33歳で「発達障害BAR The BRATs」を開くまでに、仕事面ではどんなことがありましたか?光武:20代のころは、理想に燃えて講師の仕事を頑張っていました。しかし、教える仕事自体は楽しかったのですが、自分がやりたいことや興味があるものと、教育ビジネスの世界で展開されるものに、すごくギャップを感じるようになってしまい…。今はそのあたりのバランスがうまく取れるようになりましたが、当時は何よりもスコアアップが求められる受験指導に対して、嫌悪感がとても強くなってしまったんです。「予備校講師の仕事が嫌だ。一刻も早く辞めたい」とまで思っていた時期もありました。Upload By 姫野桂――それが「発達障害バー」という新たな仕事のスタートにもつながったのでしょうか。光武さんは、大人になってから発達障害の診断を受けたのですよね?光武:はい。31歳か32歳のときに、ADHD、ASDという診断を受けました。心境としては、これでようやくいろんなことの説明がつくんだなと腑に落ちた感じでした。当時、妻との関係がうまくいっていなかったので、この診断が関係改善の糸口になるかもしれないという安心が一番大きかった気がします。今ならわかりますが、なんらかの形で理由が説明できようとできまいと、嫌なものは嫌ですよね(笑)。結局、妻とは離婚に至りましたが、それも発達障害バーを始める一つのきっかけにはなりました。――人が集まる開けた場をつくることは、なかなかエネルギーが必要だと思うのですが、なぜ「バー」という形式を選んだのですか?光武:それまで、既存の発達障害当事者の自助会にも参加したことがあるんですが、自分にはちょっと肌に合わないなと感じて。そのときの経験を踏まえて考えた結果です。行ったタイミングの問題や、自助会ごとの違いもあるとは思うのですが、以前ある自助会に参加したときは、僕が求めていたような内容、例えば「プライベートの人間関係で、こんなときはどうしたらうまくいく?」「仕事のこんな場面でつまずいたときはどうしたらよかった?」といった話をする雰囲気ではなかったんです。そういった具体的なハックやプライベートな話を、もうちょっと気軽な空気で話せる場所があるといいなと思ったのが、大きなきっかけですね。僕の場合は、お酒が好きなこともあり、そういった話を友達や同僚とするときはお酒の席が多かったんです。だから、バーという形態なら、ふらっと気軽に立ち寄れて、気軽に話ができるんじゃないかと思い、発達障害バーをオープンさせました。――お店を持つことに不安はありませんでしたか?光武:めっちゃありましたよ。そもそも僕、お店を持つつもりはなかったんです。最初オープンさせたのも一時的な店舗でしたし、当初はイベント的に開催して、終わらせるつもりでした。ところが、思いのほか、お店を残してほしいという声が大きかったので。何らかの形で続けられないかと模索した結果、場所を渋谷に移して営業することになりました。(※現在は新型コロナウイルス感染症の影響で休業中)自分の特性を把握し、チームでトライアンドエラーを繰り返す――昼間は講師の仕事、夜はバーに立ちつつ、2019年からはYouTuberとしての活動も始めていますよね。最近は、さらに医療系アプリのコンテンツ開発もされていると聞きました。それだけいくつもお仕事をしていても、混乱しませんか?光武:「何曜日の何時から何時までは、どこで働く」というように、曜日や時間帯でやりことを区切った働き方をしているので、自分のADHD特性にはむしろ合っているのではないかと思いますね。適度に力が分散されて、適度に違う刺激を受けられるので。僕がこうやって働いている姿を見て、不登校だった子の大学受験の家庭教師を依頼されるなど、1つの仕事が他の仕事につながることもありますし。Upload By 姫野桂――さまざまな種類の仕事を複数並行して進めていくにあたり、何か気をつけていることがあれば教えてください。光武:僕の場合、何か作業をするときにマニュアルなどをもらっても、その中の重要なポイントがわからないとミスがすごく起きやすいんですよね。逆に言えば、作業する上での最低ラインが、要点の箇条書きでいいので示されていれば問題なくできる。齟齬が生まれるとすれば、要点の解釈ミスでしょうか。今取り組んでいるアプリのコンテンツ開発では、そのあたりがうまくクリアできています。上司となるプロジェクトマネージャーの方が、「自分も指示出しが雑になってしまうから、毎日15分、絶対にミーティングで話しましょう」と提案してくれたんです。ミーティングの場では、その都度できあがったコンテンツのよかったポイントをフィードバックしてもらったり、「この点とこの点が満たせていればOKという認識で大丈夫ですか?」とこちらから確認したりしています。おかげで、作業がすごく楽にできていますね。あとは、僕は今通院も服薬もしていなくて、どうしても脳の調子に波があるんですよ。それこそコンテンツ開発でも、まったくアイデアが浮かばず、「今日は全然書けない日だな」というときもある。それでも、「次は何時にミーティングだから、それまでにこの条件さえ満たして、何本出せればいい」というのがわかっていれば、そのときは難しかったとしても、合間の時間でパパパパッと書くこともできますよね。脳の波に乗れないときはいくら考えてもダメなので(笑)、そこで悩んでもしょうがない。書けるときに書くしかないと考えて、例えば夜中の3時とかでも、「あ、今いける」と思ったら書くようにしています。そうやって、うまーくうまーくやっていますね。――たしかに、わたしも「いける!」と思ったタイミングで書くことはありますね。光武さんの場合、講師などの1人で取り組むお仕事をされている一方で、YouTube含むバー関連のお仕事はチームで取り組んでいらっしゃいますよね。そちらの働き方についてもお聞きしたいです。光武:今一緒に働いているのは、「一緒にやりたい」と言ってくれた中から最終的にチームとして残った人たちです。「協力したい」と言ってくれる人は多かったのですが、実際にチームとしてうまく機能するかどうかは、さまざまな要素や相性がかかわってきます。その人たちとは、一緒にやる中でお互い特性を探り合っていって、「ここが嫌なのか」「こういうときはこうすれば良いのか」と、トライアンドエラーを繰り返しながら、ようやくまとまってきたところです。YouTubeの仕事は、僕は現場に行って撮影される担当で、撮影や編集などの作業は別のメンバーがやっています。僕はログインパスワードすら知らないレベルの分業体制です。――そういえば、光武さんにご連絡したときも、光武さん専用の連絡フォームから担当者の方に返信をいただきました。光武:組織として、役割がかなりきっちりと分かれているんです。それぞれが得意なことやできることをなるべく多く行い、苦手なことはなるべくそれが得意な人やできる人に任せるといったような体制になっています。Upload By 姫野桂セルフモニタリングを通して、自分の「反応」を客観的に捉えると解決策が見えてくる――紆余曲折を経て現在の働き方をされている光武さんですが、進路に悩んでいる人へ向けて、何かアドバイスがあればお願いします。光武:発達障害などの特性があると、どうしても働きにくい部分はあると思うんですよ。とくに、僕にもあるような脳の波の問題は大きいのかなと。そこに関しては、「うまくいかないときもある」という、ある程度の割り切りは必要なのかなと、個人的には思います。一番大事なのは、自分がどんな場面で、どんな「反応」をするかということを、客観的に捉えることだと思うんですよね。Upload By 姫野桂光武:僕は昔から楽器を演奏するのが好きで、トランペットとピアノを長く趣味として続けています。でも僕の場合、パニック障害のような傾向があり、特定の場面で著しく緊張して音を出せなくなることがあるんです。それがなぜ起こるのか原因がわからず、苦手意識をずっと持っていたんですが、ゆっくりセルフモニタリングをして紐解くことで、そのとき自分に何が起きているか、少しずつわかってきました。例えば、「人からどう思われるかを意識して、『ここでこういうアクションをとって、こんな風に思われたら嫌だ』という考えが起こると、肩がすごく固くなるんだ」とか。そうやって自分の状態を確認していくと、悪い流れの兆候が出始めた段階で自覚ができるので、1回楽器を置いてみたり、「今はちょっとダメです」と伝えたりして、悪化を防ぐことができるようになったんです。何かあったら一旦止まって、調子が戻ったらまた練習に参加するというプレーの仕方に変わりました。そういったセルフモニタリングと、それを受けての行動の変化は、仕事の場面でも活きる部分があると思うんです。仕事でも、ある特定の場面で同じ反応が起きるようなら、セルフモニタリングをしてみて「こうやったらうまくいった」「こういうときはこんな身体の反応がある」「こんなことが頭に浮かぶと、こんな身体の反応がある」と確かめていく。大体、仕事などで失敗しやすいケースは、どこかで考え方のクセが出ていたり、失敗するようなイメージが出てしまったりしていると思うので、そこを自覚できるようになるだけでも、かなり変わってくるのではないでしょうか。そこからさらに、「前回はこうしたらこうなったから、今度はこうしてみたらどうだろう」等と、試行錯誤し、わかったことをリスト化していくと、自分の取扱説明書になると思います。――最後に、光武さんの今後の目標を教えてください。光武:ベースにあるのは、「自分自身の生活を、できる限り、もうちょっと生きやすくしたいな」ということですね。そして、自分が生きやすくなれば、多分同じようなタイプの人が生きやすくなるとも思うんです。自分より若い人に「光武ってやつがこうやってなんとなく生き延びたんだな」というのが伝わって一つのロールモデルになれば、そこを目標に頑張る人も出てくると思います。そんな人が増えれば、ちょっとずつ社会の仕組みも変わっていくかもしれません。まずは地道にコツコツ、近い感覚や考え方を持つ人を増やすのが大事なのかなと思っています。また、自分にとっての仕事は、ご飯を食べるためのツールという側面の他に、他者と関わる中で自分がやったことを残すものという側面も持つものです。「人に知られたい」というよりは、もっと自己満足に近いものなのですが、「俺はこういうことをやったんだなあ」と納得できる、形になるようなものが残せたらいいなあと思いますね。Upload By 姫野桂一見するとスーパーマンのように数々の仕事をこなしているように見える光武さんですが、その根底には発達障害ならではの特性との合致と、チームで動く仲間たちとの協力がありました。人間関係を構築することに苦手意識がある人もいるかもしれませんが、光武さんのようにトライアンドエラーを繰り返していけば、チームで動くことも可能になるのではないでしょうか。取材・文:姫野桂編集:鈴木悠平・佐藤はるか撮影:鈴木江実子LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年01月24日「オンラインまなびフェスタ2021」が大切にしているのは、発達ナビユーザー皆さんの声です。2021年に5周年を迎えたLITALICO発達ナビが贈る、「オンラインまなびフェスタ2021」が2021年3月7日(日)に開催されます。皆さまのお役に立てますよう、専門家や企業と一緒に、家庭学習が楽しくなる教材や、進路選びのポイント、おすすめの学用品など、幅広いテーマのセミナーを準備しています。未就学~中学生まで、発達が気になるお子さんの保護者の方々にぜひ知っていただきたい情報が満載!オンライン開催なので、全国どこからでもご参加可能。事前に行ったアンケートでは、95.8%の発達ナビユーザーのみなさんに「参加したい」とご回答いただきました。2月中旬より参加予約を開始しますので、ぜひスケジュールを空けておいてくださいね。Upload By 発達ナビ編集部「オンラインまなびフェスタ2021」を企画する上で、何より大切にしているのは発達ナビユーザーのみなさんの声です。事前アンケートで寄せられた声を踏まえ、・発達が気になるお子さんの育児や療育に専門的な視点を取り入れられるようになること。・暮らしをサポートする商品・サービスについて知り、お子さんに合うかもしれないものの選択肢を増やすこと。を、このフェスタで実現できるように準備を進めています。Upload By 発達ナビ編集部また、特に興味のあるテーマとして声の集まった、「親子の関わり」や「進路選びや将来の仕事」、「学校の勉強・生活」について、役立つ情報に溢れた1日となるようにと企画をしています。そのためにも、専門家やたくさんの企業、そしてLITALICO全体のサービスを総動員して、発達ナビユーザーの皆さんにとって有意義な時間をつくっていきますので、どうぞお楽しみに!Upload By 発達ナビ編集部■日時:2021年3月7日(日)10時~17時後日アーカイブ配信も予定しています。■参加費用:無料■形式:Zoomなどオンラインツールを用いた配信■参加方法:事前申込必須。2月中旬より参加申し込みを受け付けます。■内容:専門家講演、発達が気になるお子さんを応援する企業によるセミナーその他、イベントに参加すると応募できる抽選会なども企画しています!※予定のため、今後変更となる場合もございます今回は先行して、「オンラインまなびフェスタ2021」のコンテンツの一部をご紹介させていただきます。特別講演:「親子関係のことから学校でのお悩みまで発達障害子育てQ&A ー鳥取大学院 教授・井上先生に質問ー」特別講演は、井上先生と発達ナビ編集長牟田によるトークライブです。「発達が気になる子の子育て」にまつわるお悩みや不安など、みなさまからの事前質問を受付け、当日はその中からピックアップして井上先生にお話を伺います。さらに、当日はチャット機能を使ってリアルタイムで井上先生に質問できるチャンスも!貴重な機会ですので、ぜひご参加ください。(時間の都合上、すべてのご質問を取り上げることは難しい場合もございます)その他の特別公演情報も追ってお知らせいたします。Upload By 発達ナビ編集部井上雅彦先生鳥取大学 大学院 医学系研究科 臨床心理学講座 教授 / 公認心理師 / 臨床心理士/専門行動療法士 / 自閉症支援士エキスパート / LITALICO研究所 客員研究員応用行動分析学をベースにエビデンスに基づく臨床心理学を目指し活動。対象は主に自閉症や発達障害のある人たちとその家族で、支援のための様々なプログラムを開発している。専門家セミナー:「発達が気になるお子さまの『かんしゃく』が起こる背景と手立て」毎月の個別相談やオンライン勉強会を通して、発達が気になるお子さまの子育てをオンラインサポートする「発達ナビPLUS」。本セミナーでは、発達ナビPLUSで、個別相談やオンライン勉強会の講師を担当している公認心理師・菅佐原先生に、お子さまの「かんしゃく」をテーマに登壇いただきます。発達ナビPLUSでよくご相談いただく、お子さまのかんしゃくのお困り。家庭学習や習い事などお子さまのまなびをスムーズに進めるために、かんしゃくとうまく付き合うことが大切になるケースも多いです。かんしゃくが起きてしまう仕組みや、対応するときのポイントについて解説します。Upload By 発達ナビ編集部菅佐原 洋先生公認心理師/臨床心理士/臨床発達心理士慶應義塾大学先導研究センター研究員、常磐大学助教を経て、現在LITALICOジュニアとLITALICO発達ナビのチーフスーパーバイザーに。発達障害のあるお子さまへの直接支援、幼・小・中学校での特別支援アドバイザー、大学・教育センター・医療機関でのスーパーバイズなど発達臨床歴20年超。発達ナビPLUSについて詳しくはこちら企業セミナー:発達が気になるお子さんを支える、商品・サービスのご紹介「まなびフェスタ2021」は、発達が気になるお子さんの成長を応援する、たくさんの企業の皆さまに協賛をいただいております。育児や療育、普段の暮らしをより豊かにする商品・サービスをご紹介いただきますので、ぜひご期待ください。今回ご参加いただく企業の皆さまから、当日お話される内容をいただきましたのでご覧ください。Upload By 発達ナビ編集部Upload By 発達ナビ編集部"遊び"を通して新たな支援、遊具メーカーが創る~発達障がいという言葉を使わない社会~アネビーは、「発達障がい」を「感覚障がい」と言い換えます。なぜなら感覚の違いは他の障害と違って、環境の設定や社会の理解が深まることでなくすことができるからです。遊具は医療器具と同じような役割を果たし、子どもたちが一日をいちばん長く過ごす場所の環境を、遊び=遊具の力で変えていきます。本セミナーでは、「感覚障がい」を特性に変える遊具の効果を紹介します。ぜひ、ご覧ください。Upload By 発達ナビ編集部株式会社アネビーUpload By 発達ナビ編集部ワンダーボックスは、「感じて、考えて、作り出す」体験を通じて、自分らしく生きるための土台となる思考力や創造性を育てる、新しい通信教育です。アプリと毎月届くキットを組み合わせて、STEAM教育領域の多彩なテーマを学びます。基本的に無学年制で、お子さま一人一人の特徴や発達段階に合わせて、自由に取り組むことができます。思考力教材制作のプロチーム「ワンダーラボ」が自社制作しており、IQや学力にも効果があることが、本教材にも収録されている思考力育成アプリ「シンクシンク」を用いた実証実験で確認されています。当日は、弊社代表の川島が皆さまからの質問に直接回答いたします。皆さまのご参加、心よりお待ちしております。Upload By 発達ナビ編集部ワンダーボックスについてはこちらUpload By 発達ナビ編集部学習教材「すらら」の学習者数が2020年12月末時点で約33万人となりました。お子さん1人ひとりに合った学習が求められる時代、「無学年方式」はこれからの教材トレンドです。全国学習塾1,016校、学校1,026校が採用し「勉強のプロが認める教材」としてブランド先行しておりますが、それに迫る勢いで家庭学習サービスとしてのご利用者も年々、増えてきております。家庭学習の利用者の半数以上が不登校、発達障害、2020年も多くのお子さまを導くことができました。2021年も是非、注目いただけたら嬉しく思います。Upload By 発達ナビ編集部株式会社すららネットUpload By 発達ナビ編集部コクヨの「しゅくだいやる気ペン」は、家庭学習の習慣化をサポートする、まったく新しいコンセプトのIoT文具です。いつもの鉛筆に取り付け、専用のスマートフォンアプリと連動させることで勉強への取り組みを分析し、日々の努力を見える化します。子どもには家庭学習に取りかかりやすく、保護者には褒めやすくするきっかけを与え、親子の円滑なコミュニケーションを通して「やる気」を育む体験デザインを目指しました。「かきたくなる。ほめたくなる。」の好循環を生み出すことで、子どもたちが楽しく自発的に学習する習慣を促します。Upload By 発達ナビ編集部コクヨ株式会社Upload By 発達ナビ編集部「ふわりぃランドセル」でおなじみの、ランドセルメーカー、株式会社協和です。当社は創業以来、70年以上にわたり千葉県にある工場でランドセルを作り続けております。この度のイベントでは、からだに負担なく快適に背負え、お子さまにとって使いやすいパーツを選ぶ事ができるランドセル「オーダーメイドUランドセル」を中心に、ランドセルの機能や選び方のポイント等をご紹介いたします。市販のランドセルと同等の価格なのにさまざまなパーツや色を選んでカスタマイズできるランドセルです。是非ご覧いただき、ランドセル選びにお役立ていただきたいと思っております。より多くの皆さまのアクセスを、ふわりぃランドセルスタッフ一同、心よりお待ちしております。Upload By 発達ナビ編集部株式会社協和Upload By 発達ナビ編集部明蓬館高等学校は「未来のジブンが好きになれる高校」です。学び辛さや生き辛さのある生徒のためのSNEC(スペシャル・ニーズ・エデュケーション・センター / スネック)には、教員だけではなく「支援と伴走」を実現させて、生徒の興味関心を引き出し社会進出に向けて能力の伸長をサポートするため、支援員やスクールカウンセラーが常駐しています。通信制のメリットを最大限活用しながら、生徒たちと一緒に高校卒業や、その先の進路に向けて学習をしたり、特別講座を開催したりしています。また、保護者の方や学校の先生等に向けての勉強会を開催も行っています。「ぷれすね」という、SNECのノウハウを活かして中学生が楽しく学ぶ環境もあります。Upload By 発達ナビ編集部明蓬館高等学校Upload By 発達ナビ編集部「あったらいいな」をいちばんに。いい保険って何だろう?保険に求める安心や満足は、きっと、一人ひとりの暮らし方やその時代によって変わっていくはずです。私たちがいちばん大切にしたいこと。それは、お客さま自身でさえ気づいていない「あったらいいな」を敏感に感じとって、新しい発想で保険を創り出していくことです。あった。よかった。たすかった。新しい保険で、みんなをもっと笑顔にできますように。「あったらいいな」をいちばんに。ネオファースト生命は、保険を通じて新しい安心や満足をお届けする、第一生命グループの生命保険会社です。Upload By 発達ナビ編集部ネオファースト生命保険株式会社他にもまだまだ参加予定!また随時お伝えいたします。参加者向けの楽しい企画も準備中!発達が気になるお子さんの役に立つ商品を抽選でプレゼント!「まなびフェスタ2021」をより楽しんでいただくための企画もご用意しています。協賛いただいた企業から発達が気になるお子さんに役立てていただける商品をご提供いただいております。今後もプレゼント商品は増える予定です!詳細は2月中旬公開の記事第2弾でお伝えするのでお楽しみに!Upload By 発達ナビ編集部wemoは手首に巻くバンドタイプのメモ帳です。油性ボールペンで書き、消しゴムや指で簡単に消せ、何度でも書き消し可能です。手首に巻いて使用、安全性にも配慮、なくすこともなく、何時でも確認できます。“見通しメモ”として、発達障害の子どもたちに安心感を与えられると、保護者の方々に大変ご満足をいただいております。について詳しくはこちらUpload By 発達ナビ編集部京都大学COI(センターオブイノベーション)では、企業と大学が共同で研究開発から商品化までを行っています。今回は、ユニ・チャーム(株)と共同開発した楽しくオムツ離れができるトイレトレーニングパンツ「トレパンマン」をプレゼントとしてご用意しました。その他にも、トイレトレーニング無料アプリ、ナチュラルムーニーや(株)ほっこりーのプラスと共同開発したLINEで子育ての困りごとに答えてくれる「ほっこりAI」(開発中)などをご紹介しておりますのでよろしければサイトもご覧ください。Upload By 発達ナビ編集部トレパンマンについて詳しくはこちら【アンケート実施中】専門家の先生、企業の皆さんへの質問を、どしどしお寄せください!当日のコンテンツをより磨いていくために、発達ナビユーザーの皆さんにアンケートを実施します。専門家や参加企業への質問などを受け付けておりますので、下記のボタンよりぜひご回答ください。ぜひ皆さんと一緒に、有意義な1日をつくることができたらと思っております。フェスタでの開催内容について、新たに決定したことについては、随時発達ナビユーザーの皆さんにお伝えしていきます。こちらも楽しみにしていただけると嬉しいです。たくさんの方のご参加を、心よりお待ちしております。
2021年01月21日逆境に強く、ポジティブ思考の人になるためのキーワードがあります。それが「レジリエンス」。 “心の筋肉” とも言われ、鍛えれば人生がパワーアップするそうです。また、レジリエンスは、近年注目されている「やり抜く力(GRIT)」を構成する4つの要素、根性(GUTS)・回復力(RESILIENCE)・自発性(INITIATIVE)・執念(TENANCY)の1つでもあります。レジリエンスを鍛えることで、やり抜く力もアップするはず。今回は、親子で身につけたい能力であるこのレジリエンスについて、詳しく見ていきましょう。レジリエンスとは「折れない心」であり「回復力」いま話題のレジリエンスとは、「折れない心」であり、逆境から立ち直る「回復力」のこと。一般社団法人 日本ポジティブ心理学協会では、次のように説明されています。レジリエンスとは、心理学においては、「逆境やトラウマ、惨事、脅威、さらには重大なストレス源に直面したときにうまく適応するプロセス」であり、総じて「困難な経験から『再起する』こと」と定義されます(アメリカ心理学会の定義より)。(引用元:一般社団法人 日本ポジティブ心理学協会|JPPA認定 第3期レジリエンス・トレーニング・コースのご案内)※太字は編集部が施したストレスマネジメントの専門家である小関俊佑氏(桜美林大学准教授)は、「レジリエンスとは、ストレスに負けずに自分がやりたいことをやるためにあるもの」と言います。人生にストレスはつきものです。ストレスを上手にかわすためにも、レジリエンスを育みたいところ。レジリエンス育成はできるだけ早い時期がいいとされています。なぜならば、いろいろな経験の積み重ねこそがレジリエンス育成につながるから。では、レジリエンスとは具体的にどういう力なのか。次に見ていきましょう。レジリエンスが高い子と低い子の違い臨床心理士で医学博士の小玉正博氏は、レジリエンスには次の7つの要素が含まれていると言います。気持ちや感情をコントロールする力変化する状況に順応できる柔軟性「自分は大切な人間だ」という感覚人に助けを求められる力楽観的であることネガティブな気持ちを引きずらない力 「成績が悪かった」「友だちとケンカした」など、子どもにとって困難なことが起こり、落ち込んだり挫折したりしたとき、これらの要素をもつ子(レジリエンスが高い子)ともたない子(レジリエンスが低い子)では次のような反応の違いが出てきます。【レジリエンスが高い子】・・・楽観的、人に頼ることができる「なんとかなる」「この状況は長くは続かない」「いままでのようにきっと大丈夫」「お父さんかお母さんに相談してみよう」【レジリエンスが低い子】・・・悲観的、自分の殻に閉じこもる、ひとりで耐える「どうしたらいいのかわからない」「きっともうダメだ」「もうどうでもいい」「恥ずかしいから、誰にも話したくない」「怒られるかもしれないから、親には話せない」「自分でなんとかしなきゃ」このような反応の違いには、ふたつのポイントがあります。まずひとつめは、子どもに自己肯定感があるかどうか。自己肯定感とは、自分のよい面だけでなく欠点も含めて「私は私」と認められる感覚のこと。自己肯定感を高める活動をしている日本セルフエスティーム普及協会は、「自己肯定感を高めることでレジリエンスも高くなる」と説明しています。レジリエンスの土台は自己肯定感なので、レジリエンスを高めたいのであれば、まずは自己肯定感を高めるべきなのだそう。そして、ふたつめのポイントは、周りにSOSを出せるかどうか。これにはまず周りとの信頼関係が必要です。普段から親や友だちとの人間関係において、人との関わり方を学び、人から助けられる経験をすることがとても大切になります。問題を抱えてひとりではどうしようもなくなったとき、助けを求められるかどうかは、そのようなコミュニケーション体験の有無によるのです。これらをふまえたうえで、レジリエンスを育むコツをご紹介します。親子でやってみよう!レジリエンスを育む方法“折れない心” には、「自己肯定感」と「信頼関係」が必要だということがわかりました。次はいよいよ、レジリエンスを育むための方法をご紹介します。「自己肯定感を上げてレジリエンスを鍛えるトレーニング」と、「親子で信頼関係を築き、レジリエンスを強化する方法」です。ぜひ今日から親子一緒に実践してみてくださいね。方法1:劣等感に負けない、自己肯定感を育むトレーニング法政大学文学部心理学科教授の渡辺弥生氏は、「人がネガティブな感情をもつのはあたりまえで、むしろ必要」と言います。なぜならば、嫉妬や劣等感がモチベーションになり、よりよい自分であろうとするための成長ステップになるから。しかし、その過程でネガティブ感情に負けてしまっては意味がありません。そうならないために、渡辺教授が提唱する「レジリエンスを鍛える4つのトレーニング」で “心の筋肉” を鍛えてみてください。「I am」マッスル私は〇〇(自分を肯定する言葉)例:私は優しい「I can」マッスル私は〇〇ができる(自分ができること)例:私は泳げる「I like」マッスル私は〇〇が好き(自分が好きだと思うこと)例:私はサッカーが好き「I have」マッスル私には〇〇がいる、私は〇〇をもっている(自分が大事にしている人や宝物)例:私には頼りになるお父さんがいる、私は電車のおもちゃをもっているこのトレーニングは、子どもがもつ「いいところ」「いいもの」を「見える化」し、自分自身の劣等感に打ち勝つことを目的としています。子どもは、ポジティブな気持ちで眠りにつくことができるでしょう。そして、毎日続けることで自己肯定感もアップします。方法2:親子の絆を深め、レジリエンスを強化する方法子育てコーチング専門家でNPO法人ハートフルコミュニケーション代表理事の菅原裕子氏は、「レジリエンスがもともと低い子はいない」と言います。親との関係や、周りの人との関わりによって、子どものレジリエンスの高低は変化するのだそう。東京学芸大学名誉教授で臨床心理学者の深谷和子氏も、子どものレジリエンス育成の重要な鍵となるのは、親や家族との信頼関係だと指摘しています。家庭を「居心地のよい場所・心の拠り所」にすることで、子どもは外の世界で嫌なことがあったとしても、安全基地であるお父さん・お母さんのもとで充電し、気持ちを回復させることができるのです。それでは、深谷氏をはじめとした専門家の意見を取り入れた、親子コミュニケーションのポイントをお伝えしましょう。【親子の会話】子どもとの信頼関係を深めるのは、なんといっても “毎日の会話” です。しかし、親だけが一方的に話してしまうのはNG。もし子どもが失敗してしまったときでも、「だから〇〇しなさいって言ったのに」なんて言わず、「悲しいね」とネガティブな感情を受け止めてあげましょう。子どもの話をじっと聞き、どんなネガティブな感情を受け止めることで、親子の信頼関係のベースが築かれます。実際に、この方法で不登校が解消した例も報告されているようですよ。もしテストで思ったような点数がとれなくて子どもが落ち込んでいるときなどは、「勉強頑張っていたよね!」と努力の過程をほめてください。すると、ストレスを感じていたとしても、再度、挑戦する力が湧いてくるものなのです。また、親自身の「失敗談」や「立ち直りストーリー」を話すのも◎。「完璧な人はいない」というメッセージは子どもを安心させます。【子どものお手伝い】親を助ける、親の役に立つお手伝い経験は、子どもを無力感から開放し、「自分は家族のなかで大切な存在だ」と再確認できる機会です。洗濯物をたたむ、冷蔵庫からドレッシングを出す、買い物をお願いする、旅行の計画を立てるなど、簡単なお手伝いから少し難しいお手伝いまで、とりあえずどんなことでもお願いしてみませんか?「できた!」という達成感から自己肯定感も育まれますし、「失敗しちゃった……」という場面でも「頑張ってお水を運んでくれたよね。ありがとう!」と、親ができたことを認めてあげることで、子どもは、心を回復させる力を手に入れることができますよ。レジリエンスを学べる本そして家庭外では、ゲームなどのバーチャルではない、リアルな遊びを通して、できるだけ多くのお友だちと遊ばせましょう。また、スポーツに励むこともレジリエンス強化に効果があると、深谷氏は推奨しています。どうやら、レジリエンスを鍛えるには、まだまだたくさんの方法があるようです。おすすめの書籍をいくつかご紹介しますので、ぜひ読んでみてくださいね。『親子で育てる折れない心 レジリエンスを鍛える20のレッスン』うまくいかなくてもへこたれずに頑張ることができる、失敗しても立ち直れる――そんな「レジリエンス・キッズ」を育てる技術を紹介した1冊。どんなタイプの子どもにも有効なトレーニングばかりです。毎日3分、親子で取り組んでみませんか?『子どもの「逆境に負けない心」を育てる本』「挫折しやすい子」「キレやすい子」「すぐあきらめる子」が変わる!レジリエンス教育の第一人者による実践ワークブックです。日本の学校でも効果が実証済みの教育プログラムをイラストとともに説明しています。『イラスト版 子どものレジリエンス』著者は、子どものレジリエンス研究会代表の上島博氏。「気持ちを言葉にしよう」や「ストレスをパワーに変える」など、落ち込んでいる気持ちを回復させる方法がたくさん書かれています。子どもと一緒に読みたい1冊。『ヘコんでも折れない レジリエンス思考』健康心理学が専門の医学博士・小玉正博氏が「レジリエンス」について詳しく解説。また、ストレスから心を回復させるための思考法も事例とともに紹介しています。鋼のような強い心ではなく、復元力に富む「しなやかな心」をつくりましょう。***変化の激しい時代を力強く生き抜くために、「レジリエンス」はこれまで以上に必要不可欠な能力と言えるでしょう。レジリエンスを育むためには、子どもに大きな影響をもたらす大人(親)のレジリエンスを高めることも重要です。親子一緒にレジリエンスを鍛えていきましょう。(参考)一般社団法人 日本ポジティブ心理学協会|JPPA認定 第3期レジリエンス・トレーニング・コースのご案内SHINGA FARM|子どもの「心理的レジリエンス」を高める3つのコツとは?AllAbout|子どものレジリエンスを鍛える10のコツ!逆境を跳ね返す力とはベネッセ教育情報サイト|乳幼児から育む、折れない心【前編】困難に負けない、レジリエンスとはベネッセ教育情報サイト|乳幼児から育む、折れない心【後編】レジリエンスを伸ばす保護者の働きかけとは朝日新聞 EduA|逆境に負けない心、「レジリエンス」を育てるには他人に助けを求める能力も身につけて一般法人日本セルフエスティーム普及協会|レジリエンス(折れない心)は自己肯定感でつくる日経DUAL|レジリエンス、しなやかさ、負けないメンタル…「心が強い子」の育て方|レジリエンスを育むにはこの気質を理解することから個別指導塾スタンダード|どんな困難にもくじけない!我が子のレジリエンスを鍛えるには?STUDY HACKER こどもまなび☆ラボ|劣等感を自尊心に!寝る前に親子で実践、「レジリエンス」の簡単トレーニング法STUDY HACKER こどもまなび☆ラボ|子どもの「レジリエンス」を高めるのは、親子の会話。結果ではなく“挑戦”を褒める!
2021年01月20日多くのご家庭の悩みごとは?反抗的、ゲーム・ネット依存、学校での人間関係など小学生や中学生の子どものいるご家庭の多くが、子どもが言うことを聞いてくれなかったり、反抗的な態度に困ることがあります。「勉強を全然してくれない。学年が上がるごとに成績がどんどん下がってきているのに、まったくやる気を出してくれない」「ずっとゲームばかりしている。そのせいで夜更かしになり、朝は起きれず、遅刻してばかり…」「学校での人間関係がうまくいっていないみたい。学校に行きたがらず、休みがちになってきた」せっかく子どもの気持ちも尊重したいと思っても、何を悩んでいるのかわからなかったり、本人にやる気がないように見えてしまうこともあります。そのせいで、保護者としては学校と子どもの板挟みになってしまうこともあるかもしれません。小・中学生は「自分のできないこと」を自覚し始める時期。放っておく・見守ることも一つUpload By LITALICOライフ発達障害のあるなしに関わらず、小・中学生は「自分はいくら頑張っても無理だ」などと現実の壁を意識するようになる時期です。クラスメイトと比較して自分の容姿を気にしたり、できないことにショックを受けることもあります。発達障害のある子の場合は、社会のルールや人間関係に苦手意識を持ち、失敗や挫折を重ねてしまいがちです。そういったままならなさや自立心の芽生えによって、大人の言うことを聞かず、反抗的になることがあります。保護者としてははがゆいかもしれませんが、重要なのは子どもが自分で決めて、行動できるようになることです。その場で「もうやめなさい」と言うのではなく、事前にルールを話し合って決めることが大切です。保護者としてなぜゲームやネットをしすぎてほしくないのか、一日どれくらいならOKなのか、意見を整理したうえで、「一日何時間」など約束をします。約束をしたのにすぐには守れないこともあるかもしれません。どうすれば決めたとおりにできるのか、一緒に考えたり、ときには問いかけながら見守るのも一つです。子どもはなかなか自分の思ったように行動ができません。「もう〇年生なんだから」「これくらいできるようにならないと」とつい言いたくなってしまうこともあるかもしれませんが、ぐっとこらえて辛抱することも大切です。保護者も子どもも意見が合わず、心が疲れてしまいやすい時期です。子どもの良いところをたくさん見つけて褒めることで、お互いの気持ちが楽になることもあります。話し合いが難しい場合も、褒める言葉や感謝の言葉であれば、耳を傾けてくれるかもしれません。監修:古川 圭介(株式会社LITALICOライフライフコンサルタント。心理カウンセラー。発達障害のある子ども向けの教室にて子育てが楽になるペアレントトレーニングを、のべ3,000家庭以上に実施。)保護者ができる見守り方は?「こうなったらどうしよう」を整理しておくよりお子さまに合った環境・選択肢を整えることも保護者だからこそできることの一つです。例えば下記のようなことが気になったときに、より合う環境を選ぶ、いざというときの指針にできるかもしれません。・学校に行きたがらない意思は尊重してあげたいけれど、内申点はどうなるんだろう?・中学校進学に向けて通級か支援級か悩ましいけれど、そもそも地元の中学校はどのような体制なんだろう?・子どもの夢や楽しみになるような、高校以降の進路や仕事はある?先々の「悩みやすいポイント」や最新の進路情報が、勉強会でわかる!Upload By LITALICOライフLITALICOライフの保護者さま向け勉強会「中学・高校の選択と今からできる準備」では、発達障害のある子にあった進路の選択・特長を知ることができます。 今知りたい情報から将来に繋がる情報まで、ギュっとまとめてお話しています。また、より現実的に情報を活かしていただけるよう、勉強会の各都道府県版では、都道府県ごとに下記の情報も紹介しています。【こんな情報が都道府県ごとにわかる!】・中学校の選択肢(公立支援学級の仕組みや私立中学の特徴など)・高校の選択肢(公立高校の取組み、通信制高校の事例、高等専修学校、特別支援学校高等部など)・高校以降の就労、自立に関してLITALICOライフは、誰もが「自分らしい人生」を歩んでいけるよう、さまざまな興味・課題に合わせた情報提供や個別相談を通じて、そのひとりに合わせたライフプランニングをサポートしています。無料勉強会では、就学準備、地域ごとの進路情報、通級、支援級、グレーゾーンの子、不登校の子、親なきあと、私立中学受験まで、幅広く家族のための情報提供をしています。
2021年01月19日勉強が得意ではないいっちゃんと得意なタケル1歳の頃から絵を描き、歌をつくってきたいっちゃん…。いわゆる「お勉強」はあまり好きではありません。Upload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロ対してタケルは小学校では「ハカセ」と呼ばれていたようなタイプ。Upload By 寺島ヒロ小さい頃からなんでも記憶するのが得意で、中高生向けのビジネスプランの大会やゲーム大会でも良い成績を残してきました。テストの結果などでいい成績を残すことは、進学を考えるうえで大変重要。実際、タケルは1年の1/3以上遅刻をしていましたが、テストの点数でカバーして大学の推薦を出してもらえたこともあるのです。体調不良や粗大運動の困難さえも「理屈を勉強して、対処すればなんとかなる!」と力技で乗り切ってきたタケル。そんなタケルにとって、いっちゃんは大変頼りなく、心配な妹のようです。Upload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロ睡眠障害がふたりの勉強時間を阻む!しかし…睡眠障害もあるいっちゃん、お兄ちゃんとなかなか時間が合いません。お兄ちゃんも決して暇ではないので、自分のもろもろの用事を済ませてからいっちゃんに声をかけるのですが、そのときにいっちゃんが暇とは限らないわけです。普段のいっちゃんは、すごい集中力で何かつくっているか、寝ているかのどちらか。ちょうどいいタイミングで声をかけるのは大変です。Upload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロそれはともかく...。全速力で走って倒れるような毎日ですが、充実した生活を送るいっちゃんを見ていると「学校の勉強は大事!今やっていることをすぐにやめて、お兄ちゃんと勉強しなさい。」と言いにくいんですよね。絵を描いている時や音楽の打ち込み(最近『GarageBand』を使うようになりました)をしているときには、普段全く人の顔色を見ないお兄ちゃんも話しかけることをためらいます。それほどの集中力なのです。寝ているときにはたまに起こそうと努力していますが…起こそうとして起きるならそもそもこんな苦労はしないのです。どうにもできないなら活かせない?いっちゃんのそんな状況を見て、「そこまで好きなら、例えば絵や音楽を専門にする学校に行けばいいのでは?」と言ってくださる方もいます。しかし、どんな学校であろうと基本的には登校せねばなりません。それに、いわゆる「芸術系の学校」は朝から晩まで絵を描いたり、歌を歌っているイメージがありますが、実際のところは普通教科にプラスして実技があるという感じです。実習などに時間を取られる分、リベラルアーツな科目の時間は凝縮されており、1回休むと大きく点数を削られます。私も芸術系の学校出身なのですが、私の行っていた学校は授業を2回休むとアウト、1年分の単位が出ませんでした。私も睡眠障害があったので、しばしば朝の授業に間に合わず、留年もしています。単位取得の難しさを考えると積極的に勧める気にはなれないというのが正直なところ。では、どうするか…?実のところ、まだこれといった結論は出ていません。ただ、どんなところでもいいから入れそうな高校に在籍し、18歳にこだわって高卒の資格を取得することを目指すのは、なんとなくいっちゃんには合わないような気がします。元々中学校からはみ出しているので、いれものを用意すればそれに合うように収まるということもないでしょう。オンライン授業やリモートワークが急速に普及したこの一年で、「何がなんでも朝起きて登校、出勤すべし!」という圧力を、以前に比べて明らかに感じなくなってきました。来年ではないかもしれませんが、登校をせずに高校で学べる日も遠からずくるかもしれません。そう考えると無理に中学を卒業したらすぐ次の学校へ入れる必要も、もしかしたらないのかも…と思えてきました。のんびり…とは、さすがにいきませんが、社会情勢も見ながら、いっちゃんが納得する道を焦らず探っていけたらと思う今日この頃です。Upload By 寺島ヒロ焦らない焦らない。これも親修行…。
2020年12月31日発達ナビPLUS会員の”うちの活用術”をお届け!「ほっとして泣いてしまいました…」「目から鱗でした!」「2~3回読み返しました!」などの反響を多数いただいている発達ナビPLUSの個別ケース相談。発達ナビPLUSでは、お子さまやご家庭の個別の状況を踏まえて、個々の困りの原因分析と適切な手立てを回答する個別ケース相談に加え、視聴し放題のオンライン勉強会、子育てヒント動画、ダウンロードし放題の特別支援教材といったサービスが毎月自由に使えます。今回は、発達ナビPLUSを利用中の保護者さま2名それぞれの使い方や使ってみての声をご紹介します。※匿名性を担保するため、一部の内容や流れは改変しておりますのであらかじめご了承ください。オンライン勉強会の動画をパートナーにも見せたことで、子どもへの接し方の共通認識にUpload By 発達ナビ編集部● 佐藤さま(仮名)【お子さま】小学2年生/通級利用/放課後等デイサービス利用【発達ナビPLUS入会当初のお悩み】・宿題に一人で取り組めない・やりたくないことがあると癇癪に・物を投げる、妹への暴言、他害も・親のアドバイスを受け入れない-発達ナビPLUSをご利用いただくきっかけは?夏ごろから、学校への行き渋りが出てきて不登校気味になっていました。家にいても、妹にあたったり、部屋を荒らしたりと…特に宿題など勉強を一人でやらず、教えようとすると対処ができないほど暴れていました。放課後等デイサービスは週1回利用しているのですが、あまり頼るところが分からず…それがきっかけでした。-発達ナビPLUSはどのように活用していますか?最初にオンライン勉強会に参加しました。こちらは、顔出しもないので気軽に参加しやすく、事前に質問を送って当日の講義で答えてくれるのも嬉しかったです。心理士の先生の「癇癪、暴言、自傷、他害との付き合い方・接し方」では、この時期、発達に特性がある子が心と体のバランスを取ることの難しさや、課題の具体的な理由分析、いくつかの対応方法まで学べました。特に良かったのは、パートナーにもオンライン勉強会の過去動画で同じ内容をみてもらったことで、子どもへの対応について共通認識を持てたことです。視聴後に接し方のスタンスを話し合い、夫婦でお互いによくなかったこと、これから実施することを決めてチャンレジしています。参加したことで、学習障害の可能性も感じ、個別ケース相談で相談することにしました。自分たちだけでがんばらない!具体的な提案と寄り添った回答に自信を取り戻せました!Upload By 発達ナビ編集部-個別ケース相談の申し込みはどうでしたか?書くことがそこまで得意ではないのですが、相談フォームに質問項目が整理されていることで、状況を整理する良いきっかけになりました。-専門家からの回答はどうでしたか?まず量にびっくりしました(笑)。思ったより細かい内容で、夫婦で2~3回読み返しました。自分たちがしてきたことで子どものためになっていた対応とその理由も具体的に説明いただき、ほっとして泣いてしまいました…ねぎらいの言葉もありがたかったです。なんというか、優しかったですね。思いがけない子どもの特性など新しい気づきもありました。本人も自覚してない感じで、こっちで気づくきっかけがもらえたのは本当によかったです。できないところばかりに目がいきがちですが、得意なところもあることが分かり、今までの方法では学習を無理強いさせていたかもしれないと気づかされました。子どもの認知の特性と理解のしやすさについて、いくつかの仮説とそれぞれの手立てをいただいたので、より合った方法をこの後の1ヶ月試してみたいです。また、放課後等デイサービスや教育機関への相談の仕方、助けてもらえる福祉・教育の範囲を初めて理解したので、今までより見通しがたって気持ちが楽になりました。抱え込まずに頼れる部分は頼っていこうと思っています。-今後はどのように発達ナビPLUSを活用していきますか?今回は学習について個別ケース相談をしましたが、学習面以外でも色々な分野に関して相談できるとわかったので、来月にきょうだい間のトラブルに関して相談したいと思います。頼れる人がいない…近所からの苦情がこないかおびえる日々Upload By 発達ナビ編集部● 新田さま(仮名)【お子さま】年中/診断なし/児童発達支援利用【発達ナビPLUSに入会当初のお悩み】・こだわりが強い・思い通りにならないと癇癪を起こす・幼稚園で暴れることもある・偏食がひどい-発達ナビPLUSをご利用いただくきっかけは?子どものこだわりが強く、思い通りにならないとすぐに癇癪を起こします。登園してすぐにすべり台で遊ばないと気がすまず、やることの順番が変わると大癇癪。また、その日の予定が少しでも変わったときも泣いて大暴れし、園に行けないこともしばしばあります。偏食もひどく、食べられるものが2~3種類しかないため、毎日の食事作りが苦痛でした。児童発達支援の先生には相談できる時間がなく、話せたとしても立ち話で10分程度。あれもこれも聞ける余裕はありません。頼れる人が他にいればよいのですが、パートナーは単身赴任で家におらず、家のことはすべて自分でやらなければならない状況です。最初は必死にサポートしていましたが、最近は疲れ果ててしまい、子どもが激しく泣いても何もせず立ち尽くしてしまいます。ただ子どもの声でいつかご近所から苦情がくるかもしれないと思いますし、やっぱり何とかしなければとは思うのですが、解決の糸口など見つけるすべもなく…憂鬱でたまりませんでした。そんなときに、見つけたのが発達ナビPLUSでした。心理士の方やOT・STといろいろな専門家の先生方に相談できることが決め手でした。もらった仮説から分かった…癇癪の原因は過敏さだったUpload By 発達ナビ編集部-発達ナビPLUSはどのように活用していますか?元々人と話すのが苦手だったので対面だと聞き忘れてしまったり、言われたことをメモできなかったりしていたので、個別ケース相談をすぐに使わせていただきました。-専門家からの回答はどうでしたか?保護者の私へのいたわりの言葉をかけてくださったことに感謝します。いつも「何とかしなければ」で頭がいっぱいだったのですが「頑張りすぎるくらい頑張っている」という一文に、救われました。児童発達支援以外にも、使える福祉支援が複数あることは知りませんでした。さっそく教えていただいた具体的なサービスについて区役所に利用を問い合わせてみます。アドバイスにあった、癇癪の原因の分析のしかたはとても参考になりました。確かに妹の泣き声や小さい子の声で耳を押さえて辛そうにしています。相手が嫌い、の意思表示かなと思っていたので、苦しさまで想像が及びませんでした。いただいた仮説から、冬服になってから服を着るのを嫌がるのも、感覚の過敏さかもしれないと思い、機嫌の悪い日に着ていた服を交換したら拍子抜けするほどすんなり着替えてくれました。でも本人も何が苦しいのか自覚できてなさそうなので、引き続き様子を見て相談させてください。偏食と予定の見通しの付け方についても、いただいた提案を早速試してみたいと思います。子どもの味方でもありつつ「私のサポーター」としての言葉で返してくださるのが嬉しいです。【無料】体験会で、お得なクーポンGET!Upload By 発達ナビ編集部発達ナビPLUSでは、無料のサービス体験会を随時開催しています。個別ケース相談の回答例や、オンライン勉強会の一部を視聴するなど、詳しくサービスについてご理解いただくことができます。チャットでスタッフに質問することもできます!さらに、オンライン体験会にご参加いただいた方には、初期コンテンツ利用料が【 50%OFF 】のクーポンをプレゼント中!イラスト:かなしろにゃんこ。
2020年12月27日北海道放課後等デイサービスUpload By minami.shiozawaディードジュニア札幌では、「未来につながる成長体験を」をコンセプトに、中学生~18歳前後の発達障害のあるお子さんで自身の特性を生かしたい方、不登校の方などを対象として、就職や進路実現の準備をサポートする放課後等デイサービスです。「生きる力」につながる3つの力、「はたらく」「くらす」「つくる」の力を伸ばす豊富なプログラムがあり、グループ会社でのさまざまな就業体験もできます。挑戦の先には失敗もありますが、失敗しても次に向けて一緒に考えて支援するスタッフがいます。スタッフや仲間、学校や社会とつながりながら、成長し合い、自立をめざせる場です。北海道の放課後等デイサービスをもっと見る福島県放課後等デイサービスUpload By minami.shiozawaユニバーサルプレイス きっずでは、就学児が学校授業終了後や長期休暇中に生活能力の向上のために必要な訓練や、社会との交流の促進など多様なメニューを設け、ご本人の希望を踏まえたサービスを提供しています。家庭や学校をイメージした環境の中で療育をし、お子さん自ら自分で考え行動する主体性・自主性を尊重しながら、見守る支援を大事にしています。またお休みの日には外出やイベント等様々な体験をし、保護者様サポートとして定期的な面談や交流会等を開催しています。福島県の放課後等デイサービスをもっと見るUpload By minami.shiozawaユニバーサルプレイスりとるは、未就学児を対象に、日常生活における基本的動作や知識や技能の習得や、または集団生活への適応のための療育や生活の自立の為の支援を行っています。特別支援学校や保育士等、経験豊富なスタッフが日々自身も勉強しながらお子さまの個性や特性に合わせ、できる事やりたい事を支援する中で、自己肯定感を育みます。事業所のこだわりは、発達期から積極的に色々な事にチャレンジし、就労まで一貫して療育が行えるという「将来を見据えた支援」です。福島県の児童発達支援事業所をもっと見る東京都放課後等デイサービスUpload By minami.shiozawaピースホームタウン駒沢では、運動をメインとし、理学療法士と作業療法士が作成した運動療育のプログラムを用意しています。まずは基礎的な身体作りを行い、脳の発達を促す運動を取り入れることで身体能力や運動神経を向上させることを目指します。また、落ち着きのなさ、動作のぎこちなさなどの発達の遅れの問題に対し、感覚統合の考え方をもとにした運動も取り入れています。その他充実したプログラムでお子さんの「できる!」を増やせるようにスタッフが精いっぱいサポートします。東京都の放課後等デイサービスをもっと見る神奈川県放課後等デイサービスUpload By minami.shiozawaシュウエール 宮前区平第2では小2・小3を中心とした「コミュニケーション能力の向上」と「学習の支援(主に授業の補習)」を、子どもたちの様子を見ながらサポートしています。ソーシャルスキルトレーニングでは、数名のグループを作り、コミュニケーションカードゲーム等で自分の意見を発表します。学習面では毎日少しずつスモールステップで進め、少しでも出来るようになった事をほめて自信につなげてあげる事が大切です。なのでシュウエール 宮前区平第2では、お子さんが学校で習った事の理解度を把握し、つまずいている部分を見極め、前の学年との関連があればそこに戻ってあげるといった工夫を行います。熱心なスタッフがお子さんについて精一杯サポートします。Upload By minami.shiozawaシュウエール等々力緑地は学習塾運営の指導ノウハウを生かし、学習支援を中心に療育を行っている事業所です。障害特性に合わせた、読み聞かせやワーク、語彙力を高めるゲームなど、楽しみながら学習の習慣が身につくよう支援するとともに、学校授業の補習・進学アドバイス等も行います。その他にも、サーキットトレーニングなどの運動や、コミュニケーション能力向上を目指したソーシャルスキルトレーニングなど、様々な療育プログラムを実施し、興味と関心の幅を広げていきます。できる楽しさを大事にしながら、経験豊富なスタッフがお子さんに合わせてサポートします。Upload By minami.shiozawaきっずあいらんど港南台教室では、学校の宿題への取り組み・個別プログラム・運動プログラム等を行っています。運動プログラムでは、「36の動作」を基本に、お子さんの興味・関心を引きながら、バリエーションを豊富にした運動サーキットに挑戦し、今できることを伸ばし、「またやりたい」とより楽しく活動ができるように楽しみながらからだを動かしていきます。お子さんが、幼児から中高生になるまで一貫して療育ができる多機能型施設となっており、一人ひとりの成長を観察して療育方針を決定、社会性や協調性を培っていくことを目的としています。Upload By minami.shiozawa放課後等デイサービス ハミングバード荏田西では、広い庭で野菜やハーブを育てる体験や、生き物を飼育し共存の仕方を学ぶなど、自然や生き物と関わる中で、季節を感じながらゆったり・じっくり自分と向き合う時間を作りつつ、お子さんの感受性やコミュニケース力を身につけられるよう支援しています。他にも学習が不安なお子さんのために、宿題学習を始め、プリント課題にも取り組み、成績向上を目指しサポートしています。セラピードッグと楽しい時間を過ごしながら、経験豊富なスタッフが支援します。神奈川県の放課後等デイサービスをもっと見る神奈川県児童発達支援事業所Upload By minami.shiozawaヨリドコロ横浜妙蓮寺では、「アートデザイン療育」という正解不正解のない色彩をベースとしたカリキュラムを通し、子どもたちの表現力や創造力を養い、無限の可能性を引き出していくサポートをしています。また、毎回のおやつ作りでは、実際に食材に触れ、楽しみながら食材を切ったり、焼いたり飾り付けたりと、食べる事への興味関心を作るきっかけとなっています。お子さんの現状をしっかりと把握したうえで、「現段階でのお子さんの成長にとって何が一番良いのか」をご家族と一緒に追求し、楽しく個性を伸ばせる環境作りを心がけています。神奈川県の児童発達支援事業所をもっと見る埼玉県放課後等デイサービスUpload By minami.shiozawa放課後等デイサービスぱすてるでは、運動療育、買い物体験や調理実習、遠出の外出等、幅広く支援・体験ができる場を提供しています。その中でも最新の支援として、VRを活用した発達支援プログラムがあります。ソーシャルスキルトレーニングをより実践に近い状態で体験することができ、効果的な療育をすることができます。喜びや達成感をみんなで共有できる支援を行い、お子さんの「楽しい!」「またやってみたい!」を大事にしながら子どもたちの可能性を引き出し、将来に繋がるような支援をスタッフ全員で提供していきます。埼玉県の放課後等デイサービスをもっと見る千葉県児童発達支援事業所Upload By minami.shiozawaてらぴあぽけっと柏教室は、2021年2月にオープンする新しい事業所です。ABAを取り入れた個別療育を行っており、お子さんの発達段階に合わせて「たくさん・小さく・確実に」を心掛けています。発達段階に合わせた825項目からなるプログラムから、日々目標達成できるようスモールステップでのプロセスを見つけ、その日一緒になるセラピストがマンツーマンでお子さんの成長を見守ります。小集団活動も取り入れ、教室外・ご家庭でも養育に役立てられるよう、保護者との連携をとりながら、日々研修に励んでいるセラピストがサポーしています。千葉県の児童発達支援事業所をもっと見る大阪府放課後等デイサービスUpload By minami.shiozawa放課後等デイサービスKurumiでは、主に4つのプログラムからお子さんに応じた支援を行っています。学習では宿題を中心にサポート、運動では筋トレ、ストレッチ、生活では制作活動を通して療育を通して見通しを持つことや、集中力、創造力を養います。社会では集団の中で大事になってくるソーシャルスキルトレーニングやジョントレーニング等、ルールや気遣い等を学びます。子ども一人一人の個性やニーズを的確に把握し、主体性と自己肯定感を尊重し、成長や学びにつながる活動から達成感と満足感が得られるような療育に取り組んでいます。大阪府の放課後等デイサービスをもっと見る福岡県放課後等デイサービスUpload By minami.shiozawa療育支援エフ原北教室では、お子さんの将来の可能性を広げ、しっかりとした就労や自立した生活をイメージし学齢期からの積み上げを目的とした療育を行います。具体的には、個別のカリキュラムのもと、テキストやタブレットを使い、将来の就労スキルのベースになる脳機能向上のトレーニングとソーシャルスキルトレーニングを行うことで、学校生活での困りごとや将来の不安を解消していきます。苦労する場面、身に付きにくい能力も熟知した経験豊富なスタッフがお子さんをしっかりとサポートします。福岡県の放課後等デイサービスをもっと見る「もっと施設の情報を詳しく知りたい!」「見学をしてみたい!」と思ったら、WEBからもお問い合わせが可能です。施設情報ページでは、掲載されている施設の情報を地域ごとに検索して見ることができますよ。
2020年12月26日学校に行かない道を選んだけれど不登校生活をはじめたむっくん。家庭の中では少しずつ落ち着きを取り戻し、表情も明るくなっていきました。しかし、私が「一緒に出掛けてみるのもいいかも」と思い、誘ってみると渋い顔...。どうやら周囲から「どうして学校に行かないの?」と聞かれることを想像して怖がり、外出に踏み出せないようでした。Upload By ウチノコそこで、もし聞かれたらどう答えるのかをむっくんと決めることにしました。むっくんと一緒に決めておけば、私が誰かに説明するときも安心できます。そこで、私たちは「行かない理由」「今後への気持ち」「周りにどう接してほしいと思っているか」の3点を説明できるようにしました。また、聞かれることが嫌ならば、出会う可能性の高い人、関わりの深い人にはこちらから先に説明しておけばいいかも!と思いつき、直接伝えることにしました。Upload By ウチノコ周囲へ伝える最初に、4歳の弟に伝えました。むっくんと決めた3点に加えて、弟にも疲れたら保育園を休めるんだよということを伝えました。兄が休んでいることを知ったら、保育園に行かなくなるかもと内心不安でしたが、園が楽しい弟は今のところそういうこともありません。それでも、弟は今後も影響を受けることが多いと考え保育園にも事情を説明し、弟の様子に変化があれば教えてもらえるようお願いしておきました。Upload By ウチノコまた、むっくんには同じ小学校の2年生に「よっちゃん」といういとこのお姉ちゃんが居ます。小さなころからずっと一緒で、登下校も一緒、一番近い存在です。早速伝えてみると・・・Upload By ウチノコUpload By ウチノコUpload By ウチノコよっちゃんをはじめむっくんの友達は、仲の良い子が急に来なくなって、きっと不安や心配を感じていたでしょう。そして、学校へ行かないという「自分と違う選択」を聞くことで、戸惑いや驚き、寂しさ、羨ましさなどさまざまな感情を抱くことも当然だと思います。もし、よっちゃんの「どうして?」という言葉に、私が一方的に説明を続けていたら、よっちゃんの心に芽生えたモヤモヤはむしろ広がるばかりだったかもしれません。伝えるということは、こちら側の事情だけを一方的に説明して理解を求めることではなく、その話を聴いた相手の心にも寄り添う必要があるということを私は教えてもらいました。まず、小学校の先生に「お友達には正直に不登校のことを伝えたい」という私達の思いを伝え、同時に「もし子どもから質問があれば正直に答えていただいてかまいません」ということもお伝えしました。そして、いよいよお友達に「学校に行かないこと」を伝えます。クラスメイト、交流級の仲良し同級生、登校班の上級生・・・反応はさまざまでした。Upload By ウチノコ伝えた後は、その子自身の感情に焦点を当て、傾聴し、気持ちを汲んだり、努力を認める言葉かけを意識したりしました。子ども達の話を聴いていると、むっくんのように休む選択も大変だけれど、学校へ毎日行くこともやっぱり大変で。「みんなとっても頑張っているんだなぁ」と感じました。日々頑張っている子どもたちみんな、たくさん褒めてもらえていたらいいなぁと思っています。Upload By ウチノコ子どもだけではなく、連絡先を知っているクラスメイトやお友達の親御さんには直接お会いしたり、メールなどを使って連絡したりしました。私自身も伝える前は何とも言えない不安があったのですが、えいっ!と伝えてみると、皆さん優しい反応で・・・今も偶然出会えば、「元気にしてる?」とむっくんの頭をなでたり、以前と変わらず接してくださって。その優しさに、私はとても救われています。Upload By ウチノコ伝えたことで得たもの周囲に伝えてから、少しずつ外出できるようになったむっくんですが、調子は上がったり下がったり。相変わらず周囲の目を気にする日もあります。Upload By ウチノコそれでも週に1時間の登校では、クラスの子ども達は今までと変わらず(むしろ前のめりに)接してくれて、友達も偶然道で会えば駆け寄ってきてハイタッチ。温かい言葉をかけてくれた上級生もいました。Upload By ウチノコUpload By ウチノコ不登校開始から2か月たった今は、夕方に公園で下校後の子ども達と野球や鬼ごっこで遊ぶ日もあります。学校に行かなくても、みんなと同じではなくても、友達はむっくんを受け入れてくれる。今のこの経験はむっくんの人生にとって、財産になるとても大切なものだと感じています。当初私も「不登校になれば、友達と縁が切れるかもしれない」と、不安を抱いていました。だけど、学校に行かない現在も変わらず友達はむっくんに成長と変化をもたらしてくれているのです。Upload By ウチノコもし学校に行かない理由や、どう接してほしいと思っているのかを伝えていなければ、お友達もむっくんへの接し方がわからず、疎遠になっていたかもしれません。皆に直接、正直に思いを伝えたことが信頼を生み、今の程よい関係を生むことに繋がったように感じています。成長するということ今、周囲の子ども達は自分とは違う道を歩くむっくんを、その子たちなりに理解し、どう接していくか模索しているように感じています。距離が開いた子もいれば、新しく友達になった子も、距離が近くなった子もいます。むっくんにも、怖がっていた周囲の子からの「どうして?」に理解してもらいやすい伝えかたを模索する様子が見られています。そんな子ども達それぞれが歩み寄り、時に距離をとり「ちょうどいい」を探す姿に、私は頼もしさとほほえましさを感じています。むっくんを見ていると、何を選択をしても、人は常に学び、前へ進んでいくのだなぁと感じます。むっくんには悩みながらも自分の選択に胸を張り、堂々と歩いていってくれると嬉しいなと私は思っています。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2020年12月22日子どもを勇気づける「親の失敗体験」出典 : こんにちは。『発達障害&グレーゾーン子育てから生まれた楽々かあさんの伝わる! 声かけ変換』他、著者・楽々かあさんこと、大場美鈴です。子どもが落ち込んでいるときや失敗したとき、親はなんて声をかけていいのか、戸惑ってしまうこともありますよね。かける言葉が見当たらないこともあるし、励ますつもりだったのに、なぜか怒らせてしまう結果になったり…。こんなときには、まずは子ども自身の話を否定せずに「うん、うん」「そっか、そっか」と、最後まで聴いてあげるのがいいと思いますが、それでも気持ちを引きずってしまう場合などに、親ができる"とっておきの秘策"があるんです。それは、親自身の「失敗体験」を話してあげること!特に繊細な子や、失敗体験が多くなりがちな子などの場合、話のタイミングやその子の受け止め方によっては、親の立派な武勇伝や学歴自慢、成功体験などは、かえってプレッシャーになることもありますが、親の失敗体験やしくじりエピソード、黒歴史、短所や欠点についての話なら、ほぼ「ハズレ無し」で、どんな子も勇気づけ、元気にすることができると思います(うちの経験上!)。それでは、恥ずかしながら”うちの実例”エピソードを、いくつか紹介しますね。出典 : まずは、不器用すぎて失敗が多くなりがちな長男を始め、うちの3人の子ども達になぜか大人気で、もはや定番ネタと化した「クッキーがおもちになった話」から。大学時代、学園祭で私が所属していたサークルは毎年喫茶店を出店していたのですが、そこで手作りクッキーを手分けしてつくり、飲み物と一緒に添えて出すことになりました。私は、お菓子づくりだけはどうしても苦手で、それまで一度も成功した試しがありません。不安しかありませんでしたが、材料も受け取ってしまったし、仲間達に負担をかけるわけにも行かず、仕方なくつくる羽目に…。とはいえ、クッキーはごく一般的な、生地を伸ばして型抜きしてシートに並べて焼くだけの、誰にでもできる"ハズ"の簡単なモノ。もちろん私は、我流のアレンジなどは一切加えずに、レシピに書いてある通りに素直につくったつもりでした。ところが、オーブンレンジを開けて出てきたのは、見事に一枚につながった謎の物体…。どうしてこうなるのか。時間もなく、仕方なしに「ソレ」を四角く切り分けて持っていくと、「な、なんだコレは!」と、ざわつく仲間達。そのうちの勇気ある1人が試食して一言…「うん、おもちだね」。結局、心優しい仲間達が、「クッキーだと思わなければ、意外と美味しいかも?」「モチモチ新食感だね」等と笑いながら食べてくれ、その後も何度か飲み会でネタにされたりもしましたが、今では学生時代のいい思い出です。こんな母の失敗体験を、何かある度に「ねえねえ、あの、おもちの話、して〜!」と子ども達にワクワク顔で迫られ、読み聞かせのように何度も繰り返し話しました。わが子がこんなに喜んでくれるなら、「あの時、失敗して良かった」とすら思えてきます。出典 : 子どものゲーム依存などを心配されるご家庭も多いかと思います。うちは基本的には「やるべきことさえやっていれば、ゲーム時間に制限はつけない(ただし、夜9時就寝!)」というルールです。それでも、特に好きなことに熱中しやすい長男は、オンラインゲームにのめり込み過ぎて心配になることも…。でも、ここで正論のお説教をするよりも、私のしくじりエピソードを話すほうが、ずっと説得力が出るんです。実は私、ちょうど今のうちの子達の年頃に、「パズルゲーム中毒」のようになってしまい、ちょっとヤバかった時期があるんです。私は元々パズルが大好きで、小学生の頃はジグソーパズルやルービックキューブなどに、健全な範囲で夢中になっていたのですが、思春期のころは、ちょうどファミコンブーム全盛期。そして、「上から落ちてくるT字やL字のブロックをキッチリ積んでいって、I字ブロックで一気に全消しする」という、例の元祖パズルゲームに私はどハマリして、もう本当に一日中、ぼーっとブロックを積んでは消し、積んでは消し…と、ひたすら繰り返していました。当時の私は、悶々と悩み続ける事も多く、自分で思考を止められずにしんどかったのですが、パズルゲームに無心で没頭している時間だけは、パズルに必要な部分以外の脳をオフにして、ほっとできたんですね。でも、その結果、ゲームをやめたくてもやめられない状態に…。それで結局、学校の成績が下がったり、ついゲームに手が伸びてしまって受験勉強に集中できなかったりもして、いろんなところに影響が出てしまいました。…こんな私の実体験を子ども達に切々と語ると、結構真剣に耳を傾けてくれるんです。やっぱり、経験者のリアルな話は重みが違いますからね。当然、こんな自分のダメっぷりをわが子の前で晒せば、親としての威厳なんて簡単に地に堕ちてしまいます。でも、だからこそ、子どもと同じ目線で語る言葉のほうが、難しい年頃の子達の心にも、ちゃんと届くんじゃないかな、なんて思います。まあ、長男は「でもさ、もし、かあちゃんがゲームに浪費した時間を勉強とかに全フリしてたら、人生の分岐ルートも違って、オレ達も生まれてなかったかもよ。だから、今、オレ達がいるのはテ◯リスのおかげ」なんて、言ってくれたりも…。出典 : そして、次男が小学校時代、体調を崩して学校に行けない日が続いていた時に、本当に役に立ったのが私自身の不登校の経験でした。私は、小学3年生のころ、1ヶ月ほどですが、同じように体調不良がきっかけで急に学校に行けなくなったことがあります。だからこそ、本人は「本当は学校行きたい」と言うけれども、どうしても身体が思うように動かないときの気持ちがよーく分かるので、かつて私の母がそうしてくれたように、無理に行かせたり、説得を試みたりはしませんでした。そして、家でテレビをぼーっと見ながら過ごす次男との母子2人の時間に、当時のいろんな思い出話をしました。例えば…「あの頃、かあちゃんはさ、学校って人が多くて疲れちゃったんだよね。いつもザワザワしてるしさ〜、休み時間はちっとも休めないしさ〜」…なんて切り出すと、我慢強い次男も、「そうそう、そうなんだよ」なんて、少しずつ本音や溜め込んだ不満を話してくれたりも。それから、「こういうとき、かあちゃんのかあちゃんがね、忙しい仕事の合間に『何か食べたいものある?』って聞きに来てくれたのが嬉しかったんだよね。で、〇次郎は今、何か食べたいものある?」…と、懐かしい思い出と共に希望を聞くと、嬉しそうにリクエストしたり…と、普段は兄や妹になんとなく遠慮している次男も、時折こっそり私に甘えてくれるようにもなりました。そうしている間に、本当にゆっくり、ゆっくりと、次男の体調は回復していきました。Upload By 楽々かあさんまた、春のコロナ休校が終わり、学校が再開された直後に、朝「行きたくない」と長女の登校しぶりが続いたときも、私の過去の「ズル休みの経験」が活きました。長女は悪知恵を働かせて、朝の検温を愛犬の脇の下で計って、「37.5度」という、なかなか”いい数字”を出して、得意そうに体温計を見せてきましたが、実は、体温の偽装に関しては私もプロなのです(良い子はマネしないでね)。「かあちゃんも小学生のとき、ズル休みしたくてさ〜…」と、当時、水銀体温計で、「心配されて病院に連れて行かれるほどの高熱ではなく、かつ、親が一応念の為、休ませておこうと思えるラインの、ちょうどいい数字」を出すにはどうしたらいいか、あんな方法やこんな方法で試行錯誤したことを話すと、ちょっと尊敬(?)の眼差しを送ってくれました。それから、運動が苦手だった私が「マラソン大会がイヤ過ぎて、毎年前日にお腹を出して寝た」だとか、「運動会が消えてなくなるように、台風の進路に全身全霊で念を送った」だとか、ちょっとカッコ悪い思い出話を気前よく披露すると、苦手な行事を前に沈んでいた子ども達を笑顔にすることもできました。どんなにネガティブな気持ちだって、身近な人に分かってもらえたり、「自分だけじゃない」と思えたりすることで、気がラクになることも結構あるのではないでしょうか。親の失敗体験は財産!出典 : こうして見ると、私は自分の失敗体験やしくじりエピソード、黒歴史…あるいは短所や欠点なども「あってよかった」と、財産のように思えてきます。ちょっとくらい失敗したって、間違ったって、寄り道したって、結構なんとかなるものだし、少々できないことや苦手なことがあっても、ちゃんと大人になれますから。「失敗のお手本」が目の前にあれば、子どもだって思い切って失敗できるハズ。そして、不思議なことに、子どもに自分の失敗体験を話してみると、なんだか親のほうも元気になるんです。それは、「親だって、完璧じゃなくてもいい」「子どもの前で、立派な親であり続ける必要はない」…と思えると、少しだけ”いい親”のプレッシャーから解放されて、肩の荷を降ろすことができるから…なのかもしれませんね。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!大場美鈴(著),『発達障害&グレーゾーン子育てから生まれた 楽々かあさんの伝わる! 声かけ変換』あさ出版, 2020.6.27
2020年12月18日凸庵流自分の考えを言語化するポイント出典 : 私はASDとADHDと診断されている30代の男性です。現在とある企業でプログラマとして仕事をしています。職場では自分の考えを相手が理解できるよう伝えられることや、誰かの困りごとに対して具体的な解決方法を提示できることを高く評価してもらっています。私が自分の考えを言語化するときに意識しているポイントは3つあります。1. まず自分が何を感じてどう考えているのか気づくこと2. 自分が感じていることや考えていることに気づけたら、それを自分が納得できるよう言葉にしてみる3. 自分が納得できた言葉を、相手に伝わるような表現にして伝える自分の考えを言語化するためには、相手に伝わる表現にすることも大事ですし難しいポイントにはなりますが、まずは自分が何を感じてどう考えているのか気づくところから始まると思っています。言い方を変えると、自分の気持ちや考えに気づけないとそれを誰かに伝えることができないということです。...なんて偉そうに書いている私ですが、子どものころは自分の考えを誰かに伝えることはまったくできていませんでしたし、その必要性すらよくわかっていませんでした。それどころか「自分が何に対してどう感じていて、何を考えているのか」ということをあまりよく考えていませんでした。みんな私の気持ちがわかってるから自分から誰かに伝える必要なんかないと本気で思っていた子どものころの私出典 : 私が小学生になったころ、周りのひとたちや両親が、いつも自分がやってほしいと思っていたことをやってくれたり、助けてくれたりすることを、とても不思議に思っていました。私が教科書を忘れてオロオロしていたら隣の席のひとが「教科書忘れたの?みせてあげるよ」と言ってくれたり、台所でうろうろしてたら母が「おなかがすいたの?」と聞いてくれたり。いま思えばASDの特性で、私が他者の気持ちを想像できなかったから不思議に思っただけだったのかもしれません。ですが当時の私は、何も言わずとも、やってほしいことや困っていることに周りの人たちが気づいてくれているということが本当に不思議で、一時期本気で「みんなには私の考えが読めるんだろうな」と思っていたことすらありました。そんな当時の私は「周りのひとたちが自分の気持ちを読んでくれるなら、自分の考えを言葉にしなくてもみんなわかってくれるよね」なんてことを考えていました。自分の考えを誰かに伝えなきゃいけないなんて少しも考えていなかったのです。周りのひとはみんな読心術を使えるエスパーだと思っていた私でしたが、小学校4年のころに不登校になったときの出来事をきっかけに、自分の考えはちゃんと伝えなきゃダメなんだと気づくことになります。私が不登校だったのころの詳しいお話は以前記事にさせていただいたので、そちらをご参照いただけますと幸いです。周りのひとも私の気持ちを読むことができなかったんだ…と気づいた母の一言出典 : 不登校のころに母親と言い争っていたとき、私は「母は私の気持ちをわかってるはずなのになんでこんなことをするの?」と思いながら話していました。そのため、話す内容も母親が私の気持ちや考えをわかっている前提になっていたと思います。そんなある日、どんな話をしていたのかは覚えていないのですが、話しをする中で母親から「そんなの言ってくれなきゃわからないよ!」と言われました。私としては「えっ?そうだったの...?」という驚きがあり、しばらく何も言えませんでした。私がエスパーだと思っていたひとたちの中でも特に自分の気持ちを読んでくれていると思っていた母親が、「言ってくれなきゃわからないよ!」と言うなら、他のひとはもっと自分のことがわからないはずだよな...と、このとき初めて自分の気持ちや考えを伝えることの必要性に気づいたのです。そして、少し落ち着いてきていざ自分の気持ちや考えを伝えようと思ったとき、そもそも自分がどう感じているのかがわからないことに気づきました。そのころの私は内省する時間がとても多かったので自分の考えを持つことはできていたのですが、気持ちや感情については「いい感じ」と「嫌だ」くらいしか意識したことがありませんでした。そのため、他者に伝える必要性に気づいてからも、「これはいいんだけどこれは嫌」というような、つたない言葉で自分の気持ちを伝えていたことを覚えています。自分の考えを自分の言葉で話していた思春期の私出典 : 自分の考えは言葉にしないと誰にも伝わらないことに気づいた私は、もう周りの人たちがエスパーだと思ったりはしませんでした。当時の私は、自分が感じたことや考えていることを自分の言葉で率直に話すようになっていました。その際、自分の考えの参考にするために相手の考えも聞きたかったので「あなたはどう思うの?」とよく人に聞いていました。おそらく相手からは「こいつ、よく議論を吹っかけてくるな」と思われていただろうと思います。なんとか自分の考えを相手に話すことができるようにはなったのですが、その後社会人になり、このコミュニケーションの方法でも問題が起こるようになってきます。そのころの出来事も以前記事にしています。自分の考えを言語化できるようになったいまの私出典 : 社会人になりいろいろな失敗をする中で、自分の考えを相手が理解できるように伝える必要があるんだなと気づきました。そのために、いまの私が自分の考えを誰かに伝えるときには、自分がそう考えた背景や理由を相手に伝えるようにしています。先の記事の例でいうと、上司「凸庵くん、これどうやって実装したらいいと思う?」私「○○のようにするのがいいと思います」上司「どうしてそう思ったの?」私「この方法はこういうデータを取り扱うため、この方法だとこういう理由で他の方法と比べて安全ですし、だいたい1週間くらいで実現できるのでこの方法がいいと思いました」のように話すようにしています。相手に察してもらうのではなく、自分の考えをなるべく誤解を与えないよう伝えることが大事なんだなと思っています。自分の気持ちがわからなくなったときには心地いいなと感じることをやってみる!出典 : 実は最近仕事が忙しかったこともあり、子どものころのように自分の気持ちや考えがわからなくなってしまう日々が続いていました。自分の気持ちや考えがわからないと自分の考えを伝えることもできなくなってしまうため、仕事上でもなかなか苦戦する状況が続いていました。そんな中、自分が心地いいなと思う生活をして「あー、いま自分はすごく気分がいいな」と感じていることに気づいたことで、少しずつまた自分の気持ちがわかるようになってきました。少し具体的な話をすると、私はいつも22時以降にお風呂に入っているのですが、ある日たまたま20時より前にお風呂に入った日があり、そのときとても充実感を感じました。「もうこれで寝るだけだ!」と思えて、すごく自由な気持ちになったのです。それからしばらく20時前にお風呂に入る生活をつづけたところ、だんだん自分の他の気持ちにも気づけるようになっていき、こうして記事をかけるくらい自分のことを言語化できるようになりました。まずは自分の気持ちや考えに気づくことがスタート出典 : 私は自分の考えや気持ちを誰かに伝えるときに一番大事なことは、自分の気持ちを誰かに伝えることに意味や価値があるんだと気づくことだと思っています。そしてその次に大事なことは、自分の気持ちや考えに気づくことだと思っています。発達障害当事者の方の中にはこのどちらか片方、もしくは両方とも苦手な方が多いのではないかと感じています。なのでもしかしたら発達障害当事者の周りの方の中にも、当事者の考えや気持ちがわからないと感じている方もいらっしゃるかもしれません。気持ちや考えがわからない当事者の方に対しては、「この本どうだった?」のようにまず率直に聞いてみるのが良いのではないかと思います。そして、当事者の方の回答に「あー、そうだったんだ!○○くんはこういうのが好きなんだね」のように何かリアクションしてあげることが良いのではないかと思います。というのも、子どものころの自分の気持ちになって考えてみると、自分の気持ちや考えを聞いてもらって、その内容にリアクションしてもらうことで「あれ?これって自分が言わなきゃわからなかったのかな?」とか「今度は自分から言ってみよう」と思うきっかけになるかもしれないなと思ったからです。自分の経験がもとになった内容ですが、私の経験が皆さんやお子さんの生活の役に立てば幸いです。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2020年12月16日母との確執、長距離通学に疲弊して私は、過労で倒れてまでの受験勉強を経て難関私大に入学したものの、さまざまな二次障害を起こして不登校ぎみになりました。母との確執も合わせ、詳細は過去記事に書いています。交際相手のエスカレートする独占欲私がのちに問題となる男性とつきあいはじめたのは1年次の秋口。年が明けてバレンタインを迎えるころには、私はすでに彼の態度に違和感を感じていました。手作りのチョコレートには、材料の関係でつくりやすい分量があります。レシピに従ってつくったら、靴一足が入る程度の箱ひとつにいっぱいのチョコレートができました。男性に箱ごとチョコレートを渡し、「じゃあ余ったぶんはみんなと分けようね」と言ったら、「嫌だ、俺が全部食う!」と言って箱を抱え込みます。最初冗談だと思って笑っていたら、彼は真顔。私はぞっとして、身体が硬直するのを感じました。同じころから、彼は私が家に帰ろうとすると怒って駅前で大声で騒いだり、停めてある自転車を蹴り倒して威嚇したり、私を脇に抱えて無理やり引きずったりと、暴力的な方法を使って彼の下宿に連れ帰ろうとするようになりました。なんとか振り切って帰ると、夜中に何十回も電話をかけてきます。留守電を聴くと恨みがましい声で死んでやるとか殺してやるとか言い募っている… 私は恐ろしくなって、彼に逆らうことができなくなりました。これはいわゆるデートDVの状態だったと思います。やっかいな人と関わりを持ってしまったと後悔しましたが、ときすでに遅し。私は当時友人も少なく、頼れる大人もおらず、支援ともつながっていない。いまの自分がどのような状態なのかを知るすべもない。総合して私は、彼のような男性との危険な関係性から抜け出すための力を持ち合わせていませんでした。どうしてこんなことになってしまったんだろう朝帰りや外泊を繰り返し、しょっちゅう未明に男性と電話で話している私を見て、母は「男にうつつを抜かしている」と言い放ちました。私はこのときかなり困っていたのですが、すでに母は私の中で、困ったときに頼るような相手ではなくなっていました。私が母に悩みごとを相談するのをやめたのは、私が中学生ぐらいのときだったと思います。母にショックを与えるようなことを相談するとすぐに泣き出したり寝込んだりしてしまうし、私が風邪を引いたときも看病するどころかあからさまに「うつるから近寄らないでほしい」という感じの表情をする。それどころか、「私を不安にさせてひどい」みたいなことを言いだすので、私は母には心のうちも体調の変化も必死に隠すようになっていたのでした。こうした感じだったので、私は母には本当の事情を開示することはありませんでした。「開示したらかえって面倒なことになる、下手したら母が考えなしの行動に出て男性の感情を逆撫でし、結果的に誰かの命に危険が及ぶ」と思ったのです。母は単純に、「娘をとられてなるものか」といった感じで男性に嫉妬したように見えました。そして、家庭内ストーカーのようになりました。家の中にいれば私を終始追い回す。1時間外出しただけで10回以上電話をかけてくる。こうして私は、「男性から右腕を、母親から左腕をぎゅうぎゅう引っ張られてちぎれそうになる」ような事態に陥りました。しばらくの間、二人の「ストーカー」の間でどちらの機嫌もとろうと懸命でしたが、結局疲れきり、2年次の夏休みに入ると男性の下宿に転がり込んで、家に帰らなくなりました。彼の望むとおりにしなければ自分は殺されると思ったのです。そんな状況でも多少なり甘い夢を見て始めた同棲生活でしたが、私はすぐに「どうしてこんなことになってしまったんだろう」という思いでいっぱいになりました。日雇いのアルバイトで生活費を稼ぎ、男性のお下がりの服を着回す。洗濯機はない。男性の下宿は6畳のワンルームで、折り畳みのシングルベッドを広げたらもういっぱい。窓には網戸もなく、蚊に刺されほうだい。あいた時間はいつも男性と一緒にいて、一挙一投足を男性の思うとおりにしなければ凄まれたり暴力をふるわれたりする。彼が好きだと言ったものを好きだと言わなければいけないし、彼の嫌いなものをうっかり好きだと言ってはいけない。まるで精神的な首輪のつけられたペットだと思いました。私は当時の幼い頭で、当面の命の危険を避けるためにできるだけよい選択肢をとったつもりだったのですが、私は命の保証の代わりに、自分がまがりなりにも20年ひとりの個人として積み重ねてきたものを、環境も意志もすべて捨てなければならなかったのです。父からの脅しのような助け舟「このまま帰らないなら学費を払わないぞ」大学の後期開始が近づいてきたある日、父から一本の連絡が入ります。「このまま家に帰らないと言うなら勝手にしたらいい。その代わり勘当だ。もううちの子ではないとして、後期の学費も払ってやらない。好きなように堕ちていけばいい」父は私が家出してわりとすぐに一度、私を呼び出して説得しようとしましたが、このとき父は、私と母との関係性の問題、父が不在がちなことによる困難を訴える私に対し、相変わらず取りつくしまもない態度でした。それで私は悲しくなって、引き続き男性の家にいつづけることを選んだのでした。あれから1ヶ月ほどして出された「帰らないなら学費は払わない宣言」は、父の悩み抜いた末の最後の助け舟のように思えました。このまま彼と一緒にいれば、自分はいずれにしろもっと「堕ちて」いくのだろう、と私は想像していました。自分は学業もまともにしないまま大学を辞めるだろうし、子どもができるなどして身動きができなくなったら彼の支配するDV家庭のいっちょあがり、彼はきっとそれを狙っているだろう、と思っていたのです。でも、父の「帰らないなら学費は払わない」とは、よく読めば「帰れば学費は払ってやる」ということです。父は不器用な人。まがりなりにも親子として長年つきあってきた中で、私にもそれぐらいの裏の意図は読めました。いま正直に事情を話せば、さすがにあの母も含めて、私を家庭を挙げて守ってくれるのではないかと思えました。だったら私は「堕ちない」ほうをとりたい…そもそも、私は堕ちようと思ってこの男性とつきあいはじめたわけではありません。私はこの男性とつきあうまで、(当時発覚していなかった)発達障害や両親とのアンバランスな関係性からくる、生きづらさや居場所のなさに汲々としていました。「生きるのがつらい、寂しくてどうにかなりそうだ」と思い始めたのはいつだったか、うまく思い出せないほどです。高校生ぐらいのときにはすでに、誰か私だけを見てくれる異性がいてくれないと死んでしまいそうな気持ちでした。そんな調子でしたから、初めてつきあった人には「重たい」とすぐにふられてしまいました。それで私は「誰でもいいから私を求めてくれる男性が欲しい」と思い詰めて、うっかりこのDV傾向の男性とつきあってしまうに至ったのです。ときどき今でも「自分が浅はかだったのではないか」と後悔することがありますが、一生懸命トラウマ治療をして、自分の中の罪悪感や恥に対処しています。そんなわけで私は、大学の後期が始まる前に、数ヶ月ぶりに家に帰りました。あまりのストレスによる解離性健忘だと思うのですが、その前後のことはほとんど覚えていません。世界同時多発テロ事件、そして学生運動が交際相手から離れるきっかけに家に戻り、事情も家族に話して少し理解を得たものの、彼ときっぱり離れるのにはそれから1年近く時間がかかりました。一度生命の危険を覚えるような支配を受けてしまったからだと思います。1年後、2001年9月に世界同時多発テロ事件が起こりました。じわじわと彼との距離をとりながら少しずつ勉強の楽しさを取り戻していた私は、あるクラスの先生と仲間の「今は小説なんか書いている場合ではない、反戦運動をしなければ!」という主張に共鳴して、にわか左翼学生になります。男女混じった10人ほどの仲間と平和や文学について語り合う日々に、私は初めて、中距離の友人関係というものの良さを味わいました。それでよけいに彼から離れようとしました。私の心境の変化を敏感に感じ取った彼はある日、私を大学近くのカフェに呼び出して「別れよう」と言います。私は1年前からずっと別れたかったので、「いいよ! 別れよう!」と二つ返事で答えますが、私の返答に彼は激怒します。別れ話でよくあることではありますが…。その日はリベラルな活動家が講演に来るという日で、学生運動の仲間たちともども楽しみにしていた日でした。それで私はなんとか彼を振り切って、キャンパス内の仲間が集まっているところに行きましたが、そこへ彼が飛び込んできて私を輪からひきずり出しました。彼はそのまま暗がりに私を引きずっていって、私を地面に引き倒しました。コンクリートに頭を打った私はうずくまります。皆がざわついて、一瞬のうちに宇樹親衛隊が結成されました。皆で私を彼から匿(かくま)います。体格のいい男子学生数人が彼を囲み、「宇樹はもう帰った、しつこいようなら警察を呼ぶぞ」と凄むと、彼は悪態をつきながら帰っていきました。この一件で彼はみんなに面が割れて、二度と私に近寄ってこなくなりました。彼がこの程度の人で幸いだったと思いますが、私は怖くて、ふたたび大学に行けるようになるまでだいぶ時間がかかりました。つい最近まで、ときどき急に当時の光景が蘇り、身体が凍りつくPTSDの症状に悩まされていました。「万一街中で彼に出会ったら、私は彼に殺されるのではないか」と怯えてしまったり。トラウマ治療でずいぶん楽になりましたが、今もときどき蘇ってくる恐怖感と戦っています。交際相手からは離れられたけれど…私はこうして、大学3年の秋にようやく問題の男性と離れることができました。けれど、私がこの男性の件でトラブルに巻き込まれている間、家の中ではもうひとつの問題が深刻化していました。それまで病弱ながらもフルタイムの仕事で千葉県から都内まで通勤していた母でしたが、私が外泊を繰り返すようになったあたりで本格的に仕事に行けなくなり、休職しました。もともと休みの日は寝込んでいるか、家で一日中、録画した映画を観ているかの超インドア派な母でしたが、一歩も家を出ない日がほとんどになりました。彼女は居間の真ん中に、手の届く範囲にリモコンなどを置いた「コックピット」を築き…。このあとの展開は、次回以降の記事でお伝えします。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2020年12月04日むっくんの異変私がむっくんの様子に違和感を覚えたのは、不登校を決断する3週間前でした。もともと家で癇癪をよく起こす子でしたが、その頻度が激増!四六時中イライラしており、以前は穏やかにやり取りできていたことにも、激しい反応を示すようになりました。Upload By ウチノコそんな様子に、私は「小学校ではどうだろう?」と不安を覚え学校での様子を先生に確認するも、穏やかに過ごせているとの返答。イライラもパニックも家庭内のみで、この時点では学校への行き渋りもありませんでした。異変の理由?その後も大荒れが続くむっくん。そんな時少し前から運動会の練習が始まったと聞きました。「それだ!!」年間行事の中で運動会の練習はむっくんと最も相性の悪い行事です!おそらくそのストレスを家庭で吐き出しているのだとようやく納得。Upload By ウチノコ先生の話では、練習は嫌がりつつも何とか参加しているとのことで、私はむっくんが学校でとても頑張っていることを知りました。「むっくんは疲れていて、自己コントロールが困難になっているのだな...期間限定だし仕方ない、耐えよう」と家で極力休めるよう心がけることにしました。学校に行きたくないしかしその週末に、むっくんは初めて「学校に行きたくない」と言い出しました。Upload By ウチノコUpload By ウチノコこれは疲れが限界だと判断し「疲れているみたいだから、1日休もうか」と、私から提案しました。ホッとした顔で喜んだむっくんは、元気休みでストレスから解放され、自宅でゆっくり静養。「明日は頑張るよ!」と明るい顔で言うものだから、一見回復したようにも見えました。しかし...不登校へ翌日は休んだことを怒られるかも...(もちろんそんなことはないのですが)と、少し緊張した顔で学校へ行きました。Upload By ウチノコ今までも何度か授業拒否はありましたが、同じ日にいくつかの授業に出ない、となると入学してから初めてのことでした。ここへきて私もようやく今までとは違う状況であることを理解。慌てて即日、学校に面談をお願いしてむっくんの状況を共有。対応の希望を伝え、短時間登校を始めました。Upload By ウチノコUpload By ウチノコむっくんは、家庭でよくパニックを起こしますが、一度も小学校では起こしていませんでした。それはやはり「友達にあの姿を見られたくない」という思いで、必死に自分をコントロールしていたのだろうと思います。それが続けられないことは、むっくんにとって一番辛い状況だと感じました。崩れ始めたきっかけは運動会の練習でしたが、入学後の頑張りをこれ以上続けること自体が限界なのだと感じました。満身創痍のむっくんには、一度負担をゼロにして回復する時間が必要だと判断し、翌日から学校を休むことに決めたのです。行かないと決めたけれど...むっくんは保育園時代から集団生活を好みませんでした。行き渋りも強く、私はいつか不登校を選んでも不思議はないなぁと考えていていろいろと準備をし、覚悟もしていたつもりでした。Upload By ウチノコそれなのに、家でのんびり過ごしているむっくんに、苛立ちや焦りを覚えました。先のことばかり考えてしまい、不安が次々と襲ってきます。想像と経験はやはり全然違うものだなと、そんな自分にも正直がっかりもしました。Upload By ウチノコ私の心の変化むっくんが休むようになって、私はまず自分の気持ちを外に出すことから始めました。家族に「黙って話を聞いてほしい」と頼み、ひたすら話を聞いてもらい、SNSで発達障害について理解のある方々とも繋がっているので、そこでも気持ちを吐き出させてもらいました。また、準備として繋がっていた方々ととにかくお話をさせていただきました。Upload By ウチノコたまっていた気持ちを吐き出して、いろいろな方のお話を聴きながらさまざまな価値観に触れ、不登校経験者の方々の今を知り、何より実際むっくんと日々を過ごすうちに、少しづつ不安は和らぎました。Upload By ウチノコ和らぐどころか、だんだんと楽しくなってきてしまったのです。こんなにゆっくり、弟の邪魔もなくむっくんと一緒に過ごすのは久々で、新鮮で。「面倒!仕事させて!」と思う日もありますが、明日は何しようと、ワクワクする自分も見えてきました。Upload By ウチノコ何かを失った気がしていたけれど、手放した代わりに得ているものがある。そう考えられることも増えてきて、今は以前より焦りも落ち着いてきています。新しい形を探していこう学校で学べることは多岐にわたります。そういった良さを手放すには勇気がいりますが、不登校だからこそ学べることも、たくさんあるのだと思います。むっくんは、決まった一本道を歩いているわけではありません。これからはむっくんが楽しく、幸せに歩ける「ちょうどいい道」を一緒につくっていけたらと思っています。次回「むっくんの周囲の子ども達へ学校に行かない決断を伝えた時の話」に続きます。
2020年11月27日埼玉県放課後等デイサービスUpload By 発達ナビ施設情報放課後等デイサービスすくすくすてっぷ朝霞店では、2つを療育方針で支援を行っています。ひとつ目は「子どもの成長」です。さまざまなプログラムからお子さまの興味関心を広げ、得意なことを伸ばすことで、将来の仕事にもつながるよう成長を促します。ふたつ目は「地域の理解」です。年に2回の大きなイベントを開催し、お子様の活躍を披露する場を設けると共に、地域の方々との関わりを持つ機会を増やしています。お子さまがいろいろなことにチャレンジできる環境を整え、保護者様の意見も取り入れながら、知識経験豊富なスタッフがサポートします。埼玉県の放課後等デイサービスをもっと見る埼玉県児童発達支援事業所Upload By 発達ナビ施設情報こぱんはうすさくら川口戸塚教室では、ひとつのプログラムの中に多数の目標を設定し、お子さまのニーズに合わせた療育に取り組んでいます。お子さまの発達段階はアセスメントツールを用いて正確に把握し、スモールステップで支援していくことで、社会生活能力の獲得を目指します。スタッフは経験豊富でチームワークも抜群、研修等には日々積極的に参加しているそう。お子さま一人ひとりの才能を輝かせられるような場所を目指し、スタッフが細かくサポートしています。埼玉県の児童発達支援事業所をもっと見る大阪府放課後等デイサービスUpload By 発達ナビ施設情報就労準備型放課後等デイサービスBe Smile Mastersでは、ソーシャルスキルトレーニングやビジネスマナー、パソコンスキルや学習等を通して、将来の就労という課題に早いうちから意識を向けていただく事で、社会生活への移行を実現することを目的として支援を行っています。また、不登校のお子さまへの配慮にも力を入れていて、生活リズムを整えたり、学習支援を行ったりしているそう。社会経験豊富であったり、教員資格のあるスタッフが、お子さまの状況を確認・理解しながら支援するとともに、個性も伸ばしていけるよう、日々サポートしています。大阪府の放課後等デイサービスをもっと見る神奈川県幼児教室・学習塾Upload By 発達ナビ施設情報LITALICOジュニア幼児教室・学習塾武蔵小杉教室は12月1日に新しくオープン予定の教室です。言葉の遅れや学習やコミュニケーションのつまずき、集団行動などの困りごとを中心に一人ひとりの特性やスキル、好き興味関心、困りやその背景などを専門的に分析し、お子さまへの直接授業だけでなく、ご家庭でも成長を促すためのご家族さまへのサポートやレクチャーも行います。教室スタッフは、日常場面での生活のしやすさやスキルの発揮を見据えた、総合的かつオーダーメイドのサービスを提供し、お子さまの成長をサポートしたいと考えているそう。園・学校、家庭でのご様子を適宜面談等でヒアリングしながら、それぞれの場面で、お子さまの「できた」を拡げられるよう、保護者と密に連携しています。神奈川県のその他発達施設をもっと見る「もっと施設の情報を詳しく知りたい!」「見学をしてみたい!」と思ったら、WEBからもお問い合わせが可能です。施設情報ページでは、掲載されている施設の情報を地域ごとに検索して見ることができますよ。
2020年11月22日最難関私大に進学はしたけれど……私は、中高一貫の私立進学校から、いわゆる最難関私大へ進学しました。学歴カーストの中、いじめとは無縁に過ごすことができた中高6年間については、以前のコラムでもご紹介した通りです。過酷な受験勉強を経て大学に進学した春。私は、大学受験で無理しすぎたせいで心身ともに燃え尽きていて、「もう一生勉強したくない」みたいな気分になっていました。当時は精神科とつながっていませんでしたが、今思えばすでに離人感や抑うつなどの二次障害が出ていて、「毎日を寝て起きるだけで精一杯」という感じでした。履修登録はてんやわんやでした。それまで受動的に授業を受けるだけだった私にはカルチャーショックでしたし、ほかの学生とコミュニケーションをとりながら情報を集めなければいけなかったからです。履修登録の疲れもさめやらぬ中で授業が始まります。そこで私は自分が文学にまったく興味を抱けないことに気づいて、愕然としました。私が進んだのは、小説家になりたいと志向する人が多く在籍するコース。過労で倒れてまで入った最難関大での四年間を棒に振るかもと怖くなりました。今思えば私は、「義子ちゃんは小説家になるのよね、なるのよね、なるのよね?」という母の気持ちにおもねって進路を選択していたのです。自分の興味に正直になって理系の大学に進めばよかった、と後悔しました。センター試験では理系の難関大に受かっていて、あとは得意な小論文を書けば受かるところでしたが、辞退してしまっていたのです。服装や化粧に対する強迫観念に苦しむように思い返してみると、服装や化粧といった容姿や身支度に関することについて、母との間で葛藤を抱えて育ったのが私でした。小学生のころまでは、母の好みのお嬢様風のピンクのフリフリの服や、祖母の手編みのセーター(上質のウールなのよと言い聞かせられましたが、感覚過敏の私には苦痛でした)などを着せられてとても嫌でした。一人だけ流行に沿っていないうえ、ほかの子のものより上質なこともわかるので、学校でいじめられるという理由もありました。皆と同じ量販店の服やキャラものの服が着たいと言うと、母は「こっちのデパートのものやおばあちゃんの手作りのほうが品質もいいし素敵なんだからこっちを着なさい」と言います。母は、私が思春期に入って自分の好きなように化粧したり服を選んだりしようとするとだんだんうるさく口を出すようになりました。髪をブラウンに染めたら「あなたは肌が白くてきれいなんだから髪なんか染めたら台なし」、エスニックな格好をしていたら「そういう服はお母さん好きじゃないわ、もっとお嬢様らしいフワッとしたものを着たら」など。母に気に入られる格好をしたい、でも若い女性として、人から今どきのお洒落で可愛い女の子と思ってもらいたい。そういった葛藤にさらされ、答えが見つからない中で、私はだんだん身支度にやたらと時間をかけるようになっていきました。「こんな服・顔ではだめだ。人に笑われる、人に不快感を与える」という考えで頭がいっぱいになるのです。クローゼットからあふれるほどに服があるのに、「着られる服がない」。母から「お母さんの思い出の服だから」「とても上質なものだから」と押しつけられたお下がりがクローゼットの大半を占め、そのほかは私が試行錯誤しながらこづかいで買い集めた服でした。ストレスからか顔中にニキビができていて、それをどう隠すかにも腐心しました。私は、もともと昼夜逆転傾向だったことに加え、身支度に3,4時間かけるようになりました。家を出られるようになったころには夕方で、結局出かけるのを諦める、ということが続き、不登校気味になりました。当時、これが強迫性障害だなどとは思いもしませんでしたが、最近になって強迫性障害が専門の先生にかかるようになり、これが「整理整頓強迫」という、少しマイナーな症状だと知りました。整理整頓強迫は、自分の身の回りのものごとが思ったとおりに仕上がらないと繰り返しやり直してしまうものです。当時の私が強迫性障害が専門の精神科医にかかっていたら診断が出ていたと思います。身支度に関する整理整頓強迫には、醜形恐怖や対人恐怖といった、「人からどう見られるか」に強い不安を抱く恐怖症が関わっているそうなのですが、私にはまさに、こうした醜形恐怖や対人恐怖がありました。上に書いた「こんな服・顔ではだめだ。人に笑われる、人に不快感を与える」という考えがそうです。母はそんな私を、無遠慮に批判したりからかったりするようになりました。「ファッションショーじゃないんだから」「ナルシスくんみたい。よっぽど自分の顔が好きなのね」とか。私は「自分は実際にはまったく逆の理由で身支度にかけているのだ」「半分ぐらいはあなたのせいだ」と母に伝えたかったですが、どうせ通じないだろうと考え、諦めたまま過ごしていたのです。家からなかなか出られない私と、喜ぶ母。「こんな時間が永遠に続けばいいのに」そんなふうにして大学に行けずに苦しんでいていた私ですが、私の心中をそっちのけにして、母はあからさまに喜んでいました。学校に行けずにいる私をつかまえては、嬉しそうにテーブルに両肘でほおづえをついて、いろいろな話に半日付き合わせるのです。そしてある日母は、うっとりと目を潤ませて「なんて幸せなの、こんな日が永遠に続けばいいのに。ねえ、ずっと一緒に暮らそうよ…」と言いました。私はその瞬間、母に対して強い嫌悪感と絶望を抱きました。「この人は母親なのに、娘には娘の人生があると理解していない」と感じたのです。どうやらいろいろな生きづらさを抱えてきたらしい母にとって、「最難関私大の文学部に進み、将来が小説家として有望な娘を持つ自分」の姿は、自分の夢が叶ったような幸福感をもたらすものだったようです。(彼女が「あなたに小説家になるように望んだのは、小説家が自分の夢だったけどなれなかったから」と告白し、まったく悪びれずにテヘッと笑ったのは、私が30になるころでした)同時に、学歴の面で彼女を超えてしまい、彼女よりも若く、自由な時代に生きる私に、彼女は嫉妬も覚えていたのかもしれません。だから自分の支配下に戻したくて、私の容姿をあれこれコントロールしようとしたのだと思います。つまり、母が私に対して発していたメッセージは、以下のようなダブルバインドです。「有能で美しく、親の私のトロフィーであれ、私の夢を叶えろ。でも私のプライドが傷つかないように、親の私より有能だったり、美しく幸せであったりしてはいけない」親の幸せのために、自分は不可能を可能にしなければならない…私が深く動揺し、心を病んだのも当然だったと思います。この年、私は秋口に同級生の男性とつきあうようになります。この男性はまもなくデートDV傾向を示すようになりました。私は彼と別れようとしましたが、彼は暴力と脅しで私を支配します。家に帰ろうとすると彼は私を脇に抱え、無理やり引きずって自分の下宿に連れ帰ろうとしたり、駅前で大声でわめいたりするので、当時は彼に従わざるをえませんでした。彼は離れているときは何十回も電話をかけてきたり、夜中でも応答することを求めます。要求に応えないと暴力をふるうのです。夜中でも男性と電話している私のことを、「男にうつつを抜かしている」と判断した母は、ここに書けないほどひどい言葉で私を批判するようになりました。そして、彼女も私に何十回でも電話をかけてくるようになります。私は、ストーカー(男性)と家庭内ストーカー(男性に嫉妬する母)との間でぎゅうぎゅうと両腕を引っ張られてちぎれそうかのような状態になっていました。感覚過敏を抱えて1時間以上の道のりを騒がしい都内まで通う体力的負担もあいまって、私はますます家に帰りたくなくなります。この後の展開は次の記事でお伝えします。
2020年11月15日みんなはどうしてる?進路を考えるときに読みたいコラムをまとめました小学校への入学や、中学校・高校への進学は、お子さんの学びや生活に関しての大きな決断をするタイミングですよね。就学相談や進路指導など相談できる機会はあっても、わが子にとってどのような選択がよいのか、どう判断したらよいのか...悩みも多いかと思います。発達ナビユーザーに行った「どんなコラムが読みたい?読みたいテーマを教えて」アンケートでも、「進路選び」についてのコラムが読みたいとの声を多くいただきました。そこで、連載ライターによる「進路」に関するコラムをまとめてご紹介します。Upload By 発達ナビ編集部【小学校】特別支援学校?通常学級・特別支援学級・通級指導?就学先をどう決めた?面談や見学を通して、どんな環境がわが子に合うのかをじっくり検討したウチノコ家。むっくん本人の気持ちも確認して、決定した就学先は...複数の小学校を見学して、クラスの人数や雰囲気などを見ながら、わが子に合う環境をイメージ。希望を提出したのは、年長の9月でした。先輩ママや家族、主治医の意見も参考に、通常学級に入学したSAKURAさん家のあーさん。最初は順調だったけれど、学習面も友達関係も少しずつ課題が見えてきて...本人にとってよりよい環境をなんども検討し、2年生からは「特別支援学級」に転籍することに。【中学校】より子どもにあった環境を考えたい。私立受験も選択肢?娘が5年生のときに考え始めた進路。小学校では通常学級に在籍しているけれど、中学校は?特別支援学級、通級指導教室、私立中学など、選択肢にあがった先をそれぞれ見学することに。小学校時代から高等部進学に至るまで、全7話の連載。まずは第1話から読んでみてください。小学校では周囲と馴染めず、いじめも経験した宇樹さん。私立中学に進学すると取り巻く環境が一変して...6年生になってから私立中学を受験することに決めた、スガカズ家の長男。どの学校がいいか、メリットとデメリットを整理しながら親子二人三脚で学校選びをしていきました。【高等学校】子どもの気持ちも尊重して選びたい、中学卒業後の進路さまざまな選択肢を検討した上で、通常学級に入学した荒木家の娘は、中学2年生で特別支援学級に転籍することに。高校選びも早くから動き出していたけれど、中学生活を経て気づいた大切なことは...受験勉強になかなか身が入らなかった中学3年生のリュウ太くんが、「行きたい学校があるから」とパンフレットを持ってきたのは『専修学校』でした。不登校の娘が、パンフレットをみて「見学に行きたい」と言った通信制高校の技能連携校。見学に行き、付設するフリースクールに週に1回通い始めて...
2020年11月08日発達障害の作家が描く「生きづらさに寄り添う物語」ーー漫画『僕の妻は発達障害』「大人の発達障害」をテーマにあつかった本作。漫画家のアシスタントとして働く夫と、発達障害のある妻の日常生活が描かれています。本作では、発達障害がある人の生きづらさを描くと同時に、支援者にもスポットを当てています。悪意がないとわかっていても、発達障害のある妻・知花の行動にストレスを感じてしまう、夫・悟の描写もあり、決して良いことばかりではない、リアルな2人の生活が描かれています。本作は、多様性社会の現代において、夫婦とは何か?普通とは何か?そんな重要なことを考えさせてくれる作品となっています。ぜひ、発達障害のある人、支援者の方に読んでいただきたい一冊です。子どもの「トリセツ」をつくろう!ーー『自己理解力をアップ!自分のよさを引き出す33のワーク』本書の著者は、NPO法人えじそんくらぶ代表・高山恵子さん。自分自身も知らない、多様な自分の姿を知り、うまくいかないことが、うまくいくようになる問題解決の方法を紹介しています。意外と知らない自分のほんとうの姿。その中には、まだ気づかざる才能や可能性が隠れているかもしれません。逆に、自分の苦手なことに気づかないために、大きなストレスやトラブルの種になることもあります。本書では、そんな自分のほんとうの姿をしり、自分が「うまくいく条件」を探す方法を紹介しています。本書に書かれている、サポートを受けるメインの対象は子どもたちですが、実は大人にも実践できることがたくさん掲載されています。ぜひ親子で読んでほしい一冊です。赤ちゃんが自分から食べる離乳法を紹介!ーー『手づかみ離乳食』「楽しい離乳」をテーマとした本書。著者は、たつのシティタワークリニックの院長で、昭和大学医学部の客員教授もつとめる田角勝さん。田角さんは、これまでの離乳・離乳食の常識は、大人目線で考えられたもので、もっと赤ちゃん視点で考えるべきだと言います。本書では、「離乳食はスプーンですりつぶしたおかゆを一口から」といった常識に対して疑問をぶつけながら、赤ちゃん視点の新しい離乳を提案しています。また、食べ方や量、食べむらなど、育児をするなかで保護者の方が感じるさまざまな不安に対しても、エビデンスをもとにわかりやすく解説をしてくれています。また離乳時につまづきやすいポイントについても丁寧に解説してくれているので、「子どもが離乳食を食べない」そんな悩みをかかえる保護者の方に役立つ一冊です!脳科学の知識から、発達障害を理解するーー『改訂版脳からわかる発達障害』本書は、2009年に刊行された『脳からわかる発達障害』の改訂版です。著者は、教員や指導主事として、発達障害、不登校、非行など多様な子どもの教育に関わってきた鳥居深雪さん。LD、ADHDなどがある子どもたちは、日常生活のなかでさまざまな問題をかかえることがあります。本書では、脳科学の知識をもとに、発達障害のある子どもたちが日常で抱えやすいトラブルについて解説しています。また、鳥居さんがこれまでの経験から学んだ支援のコツや具体的な事例も、紹介されています。脳科学の基礎知識から子どもの行動をわかりやすく説明した本書。子育てをしている保護者の方や、支援者など、教育・子育てに関わる方におすすめしたい一冊です。
2020年10月17日今までのゲームに対する価値観が変わるかもしれない、全く新しい「ゲームの習い事」をご存知ですか?「ゲームで遊んでいる時くらいに夢中で勉強してくれたらいいのに…」そんな風に思われたことがある方に、ぜひご紹介したい習い事があります。勉強に集中することは苦手だけど、ゲームだったら時間を忘れて夢中で続けられる。それだったらゲームで遊ぶ時間自体を、学びの時間に変えることができたなら、家にいながら自分らしく学びを深めていけるはず。その想いで、ゲームが本来持ち合わせている「学びの可能性」を最大限引き出そうとしているのが、日本初のゲームのオンライン家庭教師『ゲムトレ』。プロゲーマーになるためのトレーニングではなく、ゲームを通じて脳を鍛えたり、コミュニケーション力を高める教育プログラムです。今人気のゲームをそのまま活用して、その中でプロのコーチが学びを掘り下げてくれます。Upload By 発達ナビ編集部eスポーツの注目度がかつて無いほどに高まるなど、ゲームの可能性への期待感が高まる中で、もしかするとまだゲームに対する抵抗感を持たれている方もいるかもしれません。ただ元々、ゲームはそれ自体に学びの要素を内包していて、例えば目標を自分で定め課題を解決していく問題解決力だったり、現実では難しいスケールのものをつくる創造力、クリアした時の達成感が生む自信など、様々な力を自然に育むことが出来ます。『ゲムトレ』によると、実際にゲームを通じて集中力や情報処理能力など、脳の力が高まるという研究結果もあると言います。Upload By 発達ナビ編集部一方で、一人の世界でゲームをしていると学びが顕在化されにくく、おうちの方としても何をしているか分からずに心配になることもあるはず。だからこそ『ゲムトレ』では、トレーナーがお子さんのゲームでの学びを引き出し、また他の子どもたちと一緒に学ぶことを誘導していきます。Upload By 発達ナビ編集部そんな『ゲムトレ』だからこそ、発達障害や不登校のお子さんが受講し、それぞれの個性を現在進行形で伸ばしています。そこで本日は、ADHDとASDの傾向があり、不登校の小学6年生のお子さんを持つおうちの方の体験談を通して、『ゲムトレ』のどんな部分がお子さんの成長に寄り添っているのか見ていきます。そこには、発達ナビユーザーの中で同じような状況にある方にとって、一筋の光となるような成長ストーリーがありました。不登校になった彼にとって、『ゲムトレ』が心の拠り所となっています「不登校になった時にずっと家でゲームばかりしていて。そんな息子を肯定してあげたい自分がいたんですよね」Fさんの息子さんは、小学5年生になる頃から学校に行くことが辛くなってしまい、不登校になりました。学校に行きたい気持ちはありながらも授業での字の読み書きが難しくなってしまい、他の子どもたちと同じように出来ないことが辛くて、外に出ることが怖くなってしまいます。苦しい状況の中で自信も失って、「間違っていると思うんだけど…」が口癖となり、否定されて傷つくことを恐れて人との関わりも避けるように。大好きだったサッカーの習い事も、通えなくなりました。そんな時に、外に出られない彼の心の安定剤になっていたのが、ゲームだったと言います。「ゲームの時間を、この子の先に何かが見えてくる形に変えてあげたかったんです」他の習い事は受けるのも難しい中で、小学5年生の終わりから『ゲムトレ』を始めることに。試しに体験会に申し込んでみると、授業を終えた彼は興奮気味に「すっごい面白かった!」と話してくれたそうです。そして始めた『ゲムトレ』は、彼の世界の中の大きな場所を占めるようになりました。Upload By 発達ナビ編集部「お兄さんみたいな存在の先生と、ゲームで打ち解けられる友達の存在が、彼の世界を広げてくれています」週1回のペースで、現在は大人気ゲーム『マイクラ』と『フォートナイト』のトレーニングを受けています。基本的にゲーム毎に同じ先生が教えてくれて、最大3人の生徒で参加します。授業時には同じリビングにいるようにしていますが、基本は一人で楽しく受けているそうです。ライン通話を繋いで対話をしながら、先生が引率する形でゲームを進めていきます。ゲームのランキングでアジアの上位の先生もいて、プロにしか教えられない専門的な知識やテクニック、考え方を学ぶことが出来るようです。参加するのは同世代の子どもたちで、同じように学校に通えない子も参加しています。「今日は何がやりたい?」とみんなで目標を決めて、それに向かって材料を集めたり謎を解いたり課題をクリアしたりと、同じゲームの世界で協力し合わなければいけません。「コミュニケーションが、ゲームを通してハードル低く実践してみられるのが彼には良かったみたいで」『ゲムトレ』では一人でゲームをやるのではないという所が肝で、協調性も必要となるため、コミュニケーション力が育まれるきっかけとなります。授業の終わりにはおうちの方にラインで学んだことが送られてくるので、ゲームの学びと成長が常に可視化された状態になることも安心です。Upload By 発達ナビ編集部「ここで普段もゲームで遊べる友達が出来たことも、彼の変化として大きかったと思います」顔の見える関係性の中で、少しずつ対人関係の自信も取り戻していきました。同じトレーニングに参加していた2つ年下のお子さんと、『ゲムトレ』以外でも遊ぶ関係になり、お互いに刺激し合うように。好きなことで繋がり、ゲームという共通言語を持てる友達は、学校にも見つからなかった、かけがえのない存在となりました。少しずつ、少しずつ。彼はここから、彼の世界を再び広げ始めています。世界への一歩を踏み出した彼は、自分の言葉で夢を話せるようになりました「今必要なことって誰もが苦もなく覚えようとしますよね。彼にとってはその原動力となったのがゲームだったんです」『ゲムトレ』を通した半年での大きな変化で、文字が読めるようになったことがあると言います。国語の教科書の2行を読むのも辛くてたくさんの時間を必要としていた彼は、ゲームを通して文字への抵抗を無くしていきました。ゲームの中にはテキストも多く存在し、それが読めなければ先に進むことができません。学校の授業ではつまずいてから先に進めなかった彼ですが、大好きなゲームだからこそ彼は自分から勉強して、日本語はもちろんアルファベットまで読めるようになったと言います。もちろんゲームの中で読み方を教えてくれる先生の存在も大きかったようです。漫画や本にも興味が出てきたようで、ゲームの世界を通して学んだことがゲームの世界を飛び越えた日常でも、成長としてあらわれてきています。Upload By 発達ナビ編集部「日常の中でも自信が芽生えていて、自分の考えを相手に伝えられるようになったんです」トレーニングを受ける中で、ゲームのランキングもAにステップアップし、偶然家に来た友達にゲームを教えてあげていたと言います。今の彼の口からは、「間違っていると思うんだけど…」という言葉は出ませんでした。ゲームで育んだ自信やコミュニケーション力が、想いを言葉にする力を支えてくれています。「思えば以前は私自身も、学校に行かせなきゃというプレッシャーがありました。でもそうじゃなくたっていいって、『ゲムトレ』が心を軽くしてくれた気がします」それはやはり、『ゲムトレ』を通した彼の成長を目の当たりにしているからに他なりません。不登校で学校に行けないのであれば、家での時間を成長の時間に変えてあげればいい。そう信じさせてくれる変化を、彼は今見せてくれています。Upload By 発達ナビ編集部「最近、プロゲーマーになりたいと言い出したんです。自分の目標を話したことなんて無かったので、本当に嬉しくて」将来プロのゲーマーになるにしても、そうじゃ無かったとしても、今この瞬間に大好きなゲームに打ち込み学ぶ経験が、きっと大きな財産になると考えていると言います。大人になったらゲームだけじゃ生きてはいけないかもしれない、それは本人が自然と理解していくことで、その時はきっとゲームに代わる熱中できる何かを、見つけられるはず。そしてなんと、今彼は自分の意思でフリースクールに通い始めるようになり、サッカーの習い事も少しずつ再開できるようになりました。「ゲームを通して、彼は確かに多くのことを吸収して変わりました。そんなお子さんが増えるといいなと思います」もちろん必ずしもゲームが無くても、学びの機会を見つけられるお子さんたちはいます。でも彼のように、夢中で取り組める大好きなゲームだからこそ、無理なく学ぶことができるという同じ状況のお子さんもきっと多いはず。ぜひ、彼と同じように、まずは体験会から始めてみてはいかがでしょうか?Upload By 発達ナビ編集部「ゲームで学ぶ、だから夢中になる」。新しい学びの形を体験してみませんか?Upload By 発達ナビ編集部ゲームで学ぶという、全く新しい成長のカタチ。ゲームを通した健全な成長を応援できるように、『ゲムトレ』では様々な試みも取り入れています。Upload By 発達ナビ編集部新しいからこそ、まずは一度体験してみることで、お子さんの反応を確かめていただきたいと思います。彼のような成長の機会がきっとあるので、ぜひこの機会に新しい習い事の選択肢の1つとして、検討してみてください。『ゲムトレ』はこれからの未来に、囲碁や将棋を習うように、ゲームを習う文化をつくっていくと言います。学びのハードルを下げてくれるゲームというものを通して、お子さんが成長のきっかけをつかんでいただけることを、願っております。Upload By 発達ナビ編集部
2020年10月13日ちょっとしたことですぐに機嫌が悪くなり、怒ったりすねたりするお子さんの対応にお悩みではないですか?もしかしたら、親の何気ない言動や対応の仕方が、お子さんの “困った行動” を引き起こしているかもしれません。今回は、アドラー心理学に基づいた「子どもの問題行動(不適切な行動)」について解説していきましょう。子どもの “困った行動” を解明するアドラー心理学たとえば次のようなケース、子育てをしていたらよくありますよね。下の子のお世話で忙しいときにかぎって、上の子が「見て見て!」「聞いて聞いて!」と話しかけてくる。大した内容ではなさそうなので、軽く聞き流していたらプイッとすねてしまったーー。バタバタしているときに「あれやって」「これやって」と甘えてくるわが子に、「自分でできるでしょ!」「いいかげんにして!」と叱ったら怒って大泣きしてしまったーー。こういった反抗的な態度や行動は、その瞬間の親御さんの言葉に反応しただけだと思っていませんか?しかし多くの場合、「親が叱ったから子どもの機嫌が悪くなった」という単純な話ではなく、叱らなくなったからといってすぐに解決する問題でもないのです。では、なぜ子どもたちは、ちょっとしたことですねたりいじけたりしてしまうのでしょう。そのヒントは、あの有名なアドラー心理学によって解き明かされています。アドラーによると、子どもの問題行動(不適切な行動)は、徐々に段階を踏んでエスカレートしていくそうです。子どもの問題行動がエスカレートする理由みなさんが問題だと感じる子どもの困った行動は、アドラー心理学では「不適切な行動」と表現しています。金沢学院大学人間健康学部スポーツ健康学科の高賢一教授は、「適切な行為をしていても認められない子どもは、なんとか別の方法で注目を集めるような行動を始める。それが、問題行動に代表される不適切な行動である」と説明しています。たとえば、お手伝いをしたり勉強を頑張ったりしても親があまりほめてくれず、不満を抱いている子がいるとします。おそらく親は、「うちの子は手がかからなくて助かるわ」と、わが子がいい子でいることを “当たり前” だと感じているのでしょう。しかし、しだいに子どもは「認められたい」「無視されるくらいなら注意されても叱られてもいい」と思うようになり、問題行動=不適切な行動をとるケースも少なくないというのです。アドラーの不適切な行動5段階■第1段階称賛の欲求まわりの人に称賛されるためによい行ないをする段階。ほめられるための行動なので、思うようにほめてもらえないなど気持ちが満たされずにいると、次の<第2段階>へと進む。■第2段階注目・関心を引くほめられなくてもいい、むしろ叱られてもいいから、自分に注目してほしいと強く願うようになる。親の気を引こうと、突然すねてみせたり、いじけてみせたりするのはこの段階。注目を集めることが目的なので、叱っても叱ってもやめない。■第3段階権力闘争をしかける反抗的な態度や行動によって、力を見せつけて特権的な地位を得ようとする段階。<第2段階>において親が無視したり、頭ごなしに叱りつけたりすることによって、子どもの不適切な行動はよりエスカレートし、権力を握ろうとしてくる。■第4段階復讐をする<第3段階>で権力を手に入れられないとわかると、次は復讐の段階に入る。学生であれば、親への復讐として非行に走ったり不登校になったりするケースも。相手の気を引きたいがための行動が攻撃性を帯びてしまうことで、復讐に発展する。相手から憎まれてでも注目を得ようとするのが特徴的。■第5段階失望させる第1段階~第4段階までの行動で相手が適切な援助を行なわないと、無気力になり自分からも逃げようとする。「すべてがダメならもう何もしない」と極端な思考に陥ってしまい、相手から無能だと思われるための証明をする。このように、子どもの不適切な行動は、第1段階から順番にエスカレートしていきます。段階が上がれば上がるほど修復が困難になるので、「いま子どもはどの段階にいるのか」をしっかりと見極めて対応するように心がけましょう。子どもの困った行動への対処法アドラーの「不適切な行動の5段階」の仕組みが理解できれば、いままで悩んでいた子どもの問題を解決するヒントが見えてくるのではないでしょうか。アドラー心理学では、人間の行動の一番の目的は “所属” だと考えます。つまり、いまいる集団に受け入れられたいと願い、その一員であることを求め、そのために行動するのが人間本来の姿であるということ。小さな子どもにとっては、まさに「家族」こそが自分が所属する唯一の集団であり、親から認められることで「自分は家族のなかで、なくてはならない存在だ」と実感できるのです。「不適切な行動をする子どもへの一番の対処法は、共感すること」。そう話すのは、日本アドラー心理学会/日本個人心理学会正会員の熊野英一さんです。親がしっかり子どもの話を聞いて共感してくれたら、「お父さん・お母さんは、自分のことを本当にわかろうとしてくれているんだ」と子どもは感じ、家庭のなかで居場所が確立していると安心するでしょう。ただし、ひとつ注意すべきなのは「共感=同意」だと勘違いしないこと。共感と同意はまったくの別物であり、子どもの発言すべてに同意することで親が子どもの言いなりになってしまう恐れがあるのです。また、不適切な行動をする子どもに対しては、「あなた」が主語になる「ユーメッセージ」を使って話しかけないことを心がけてください。「どうしてあなたはいつも片づけをしないの!」「なぜあなたはお友だちと仲良くできないの?」では、子どもは一方的に責められていると感じてしまいます。効果的なのは「わたし」が主語になる「アイメッセージ」。「お片づけをしてくれると、お母さんは嬉しいな」というように、 “自分は” こう思う、 “自分は” こうしてくれると嬉しいと伝えることで相手の心を動かします。子どもの不適切な行動は、「認められたい」という思いが根源になっています。まずはお子さんの気持ちに共感し、行動自体を責めるのではなく「こうしてくれると嬉しいな」とメッセージを伝えることで、エスカレートする前に不適切な行動を止められるでしょう。***子どもがすねたり機嫌が悪くなったりするのは、親に叱られた瞬間にスイッチが入るのではなく、その前の段階で「認めてもらえない」「自分に注目してくれない」と不満を感じているからです。日頃から子どもの様子をよく観察することが大事ですね。(参考)金沢星稜大学|アドラー心理学を活かした学校教育相談に関する考察HugKum|どんなときに子どもは困った行動をするの?【アドラー式子育て術「パセージ」に学ぶ対処法】弁護士法人山崎和代法律事務所|不適切な行動の5段階STUDY HACKER こどもまなび☆ラボ|「○○ファースト」がポイント!アドラー心理学で親子間のコミュニケーションがうまくいく
2020年10月05日「先生、ウソつき…」小2で不登校、診断は広汎性発達障害Upload By 桑山 知之「♯見えない障害と生きる」連載3回目となる今回、愛知県名古屋市の高校に通う森本陽加里さん(18)と母・奈生子さん(47)に話を聞いた。陽加里さんが小学2年の頃、上級生が下級生に嫌がらせをする「いじめ」が校内で起きていた。「いじめられている子がいたら守らなくてはいけない」と先生から言われていた陽加里さんは、その教えの通り友達を助けた。しかし標的がすぐさま陽加里さんに変わってしまったため、先生に相談したという。「(自分が)やられるようになったから、『助けろ』って言ってた先生に『助けたらいじめられました』って言ったら最終的に『自分の身は自分で守りなさい』とか言われちゃって。先生、ウソつき…ってなっちゃいました」(陽加里さん)慕っていた先生からの心ない言葉に失望。それから学校への足取りは重くなり、不登校になった。着替えることも食事を取ることもままならず、授業時間中は自宅で録画した吉本新喜劇の同じ回をひたすら見続けたり、韓国海苔をかじりながら国会中継を眺めていた。一方で、日が落ち始めると異常なまでに元気を取り戻していたと母・奈生子さんは振り返る。「その頃はもう夜が寝れなくて。今思うとおかしかったですよね。ベッドの上で寝る時間になるとピョンピョン飛び跳ねて『キャー!』とか奇声発したり……。多分、次の日に学校があるっていうプレッシャーで寝れないんでしょうけど、もう興奮状態になっちゃってて。それで心療内科に通い出して、睡眠導入剤をもらって寝かせてました」(母・奈生子さん)その後、陽加里さんは広汎性発達障害という診断を受けたのだった。Upload By 桑山 知之娘が見た母の涙と変化二人三脚で生きる矛盾したことに折り合いをつけて進めていくことや、人の表情や言葉の真意を理解することがうまくできなかった陽加里さんは、通級で社会性を身に付ける「ソーシャルスキルトレーニング(SST)」を始めることにした。さらに母・奈生子さんは、文献を読みあさり陽加里さんの特性を理解したうえで「スモールステップ」を始めた。目標を細分化し、小さな目標を達成する体験を積み重ねながら、最終目標へ近づけていく方法だ。「着替えができないなら『着替えをしましょう』じゃなくて、例えばパジャマを脱ぐ、自分が着るものを持ってくる……ってやっていくと、行動ってすごく細かく分かれるんですよ。全部完璧にできなくても『今日はパジャマ脱ぐとこまで自分でできたじゃん!』って褒める。『じゃあ服はお母さんが着せてあげるわ』とか。そういう感じで細かく行動を分けていって、達成できたらまずそこで褒めるんです」(母・奈生子さん)「着替えることができないって思ってんの?って。今までパジャマを脱いだだけで褒めてもらったこともないのに、何を褒め始めてるんだ?って思って最初は嫌でした(笑)。でも根気よく向き合ってくれて、お母さんすごいなって思います」(陽加里さん)最初は陽加里さんも、対応が急に変わり、事あるごとに褒めてくる母・奈生子さんの姿に動揺した。しかし、奈生子さんによる小学校への働きかけなどもあり先生はバックアップ。「今日はここで僕とハイタッチしたからOK。明日は校門まで入ろうね」と、カレンダーに目標を書き込み、達成できたらスタンプを押すなど、歩みを揃えてくれたという。陽加里さんは少しずつできることが増えていき、再び通学できるようになった。Upload By 桑山 知之実は発達障害の診断が出る前、母・奈生子さんは陽加里さんの目の前で声を上げ大泣きする姿を見せていた。当時、思うようにできない子育てのストレスから心は限界に。「二人でどこか遠くまで行ってしまおうか」と思うくらい切羽詰まっていたという。しかしその後、奈生子さんは「娘が発達障害だと言われ、道が開けた」と話す。「今までの怒りはこの子のために怒ってたんじゃなくて、全部自分のために怒ってたんだ……って。それまでは、この先この子と生きていく術はないと思って、どこか田舎で学校行かなくても暮らしていけるようなところへ引っ越した方がいいんじゃないかとか色々考えてて。でも発達障害なら手があるじゃんと思って。自分の感覚や常識がこの子にスッと入るものだと思って育ててきてたから、発達障害って分かった瞬間に、ここを切り離そうと思ったんです」(母・奈生子さん)「娘のために時間を掛ける」と決めた母・奈生子さん。スモールステップを献身的に実践したほか、選択肢を与え本人に選ばせる方法を取った。自分の思うように娘が行動しなくても、決して怒らずに諭すような形で、自分の状況や事情も相手が理解するまできちんと説明した。こうした奈生子さんの変化に対し、陽加里さんは「人間味を感じた」という。「まず、親は泣かないものだと思ってたので、『あ、泣くんだ……』って。そのあとくらいから、お母さんが変わったなっていうのは分かりました。今までの人と違う!って思うぐらい違いました。人間味が増したというか、納得感がありました。『お母さんは今こういう状態にあって、こういう風に私にしてほしくて、でも妥協案としてこういう案があって、どっちか選ばせてくれるんだ』みたいに」(陽加里さん)Upload By 桑山 知之中学で2度目の不登校に陽加里さんは中学入学後、最初のテストで数学の学年順位はなんと1位、学級委員も務めるなど順調すぎるくらいの滑り出しだった。土日はダンスにも打ち込んだ。しかし程なくして、仮入部したバスケットボール部で先輩から目を付けられた。やがて再び不登校となったが、高校へは進学したかった。小学校時代の校長先生の「中学校は行くことを目的とするんじゃなくて、高校へ行くための手段にしなさい」という言葉もあり、中学2年のときに愛知県内の私立高校がブースで学校説明をするイベントに参加した。そこで名城大学附属高校という学校に出会う。「名城のブースの人に今の状況を説明したら、『今から頑張れば大丈夫だよ』ってすごくポジティブに言ってくれて。おいでみたいな感じに言ってくれたから、ここ素敵!って思って。その後オープンキャンパスで国際クラスの説明のときに、探究活動で自分が興味のあるテーマを調べて、プレゼンテーションをするっていうのがあったんです」(陽加里さん)関心事を自由に深掘りする。好奇心の強い陽加里さんにとってぴったりなカリキュラムだった。しかし推薦でしか入学できないことを知り、母・奈生子さんは最大何日欠席したら推薦が貰えないのかなどを調べ上げ、陽加里さんの目標までの道のりを具体的に細かく描いていった。学習塾にも通いながら、無理をしすぎないよう適度に休みを入れた。前例がない中で無事に推薦をもぎ取り、志望校へと進学した。入学後はカナダやニュージーランド、バリ島での海外研修にも参加。「遅刻や早退、欠席の数はギリギリ」だと奈生子さんは苦笑するが、娘の成長ぶりを肌で感じているのは間違いないだろう。Upload By 桑山 知之発達障害でも通える学校とは…ビジコン壇上でカミングアウトもし高校に進めなかったら起業していたと話す陽加里さん。学校に毎日行けず、将来社会人になっても毎日同じ時間に同じ場所へ行くのは難しいと感じていたようだ。それをふと高校1年の終わりに思い出した。「高校は楽しいんですけど、起業したい思いは抜けてませんでした。じゃあ何で起業するんだろう?って思って。そこで、海外研修はそれぞれテーマを設定してたんですけど、全部それを『特別支援教育』でやってたから、自分はなんとなくその辺に興味があるんだなって思って。それで『あっ、発達障害が自分にあるから、多分そこ(学校教育)が気に入らないんだろうな』みたいな」(陽加里さん)コミュニケーションがうまく取れない。感覚過敏があり、チャイムの音や朝日の眩しさが苦しい。数えきれないほどの我慢をしながら、陽加里さんは学校に通っていた。「しんどかった自分が行ける学校ってどんな学校だろう」「行きたいって思える学校ってどんな学校だろう」と考えた。そして“発達障害の悩みを抱える生徒らを支援するアプリ開発”というビジネスプランを携え、高校生ビジネスプラン・グランプリ(主催:日本政策金融公庫)に出場。悩んだ末に勇気を振り絞り、これまで隠してきた自身の発達障害を壇上でカミングアウトした。「自分に発達障害があって、それが自分の中できっかけになったっていうことを言おうか言うまいか、めっちゃ悩みました。でも、私が喋りたいことを喋ろうって思って。このアプリに対しての想いはこういうところからあって……っていう筋がちゃんと通った話をしたいと思いました」(陽加里さん)Upload By 桑山 知之自分自身を差別していたあの頃…いまは「ご褒美の人生」陽加里さんはビジネスコンテストの壇上でカミングアウトする前、友達数人には直接伝えていたという。「陽加里は陽加里だから」。そのときの友人らの言葉に涙が止まらなかった。「初めてお母さんから発達障害について説明されたとき、『あっ、違うんだ』って悲しかったんです。自分で自分を差別してたっていうか、自分のことを発達障害って重荷に感じてて。友達に言うときも、発達障害って言葉をこの子の前で口にしたらどうなるのかな……とかすごく思いました。でも、一番気にしてたのは自分でした」(陽加里さん)コンテストの結果は審査員特別賞だった。地元紙でも大きく報じられた。陽加里さんの障害を知ったクラスメイトも、泣きながら抱きしめてくれたという。Upload By 桑山 知之現在、学校生活における発達障害児の生きづらさをなくすアプリ「Focus on」は実装に向け開発中で、このうち個人カルテの機能だけを別立てした「Focus on《mini》」がすでにリリースされている。そんな陽加里さんの「なりたい女性像」は、母・奈生子さんだという。いま、発達障害がある自分についてどうか訊くと、間髪入れず目を輝かせながらこう答えた。「めちゃ良かったと思います。だって、なんかこんなに色んな経験することないから。お母さんにもずっと言われてるよね。 “ご褒美の人生だね”って」(陽加里さん)Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海
2020年10月04日親子で学校がしんどかった頃、支え続けてくれたスクールカウンセラー出典 : こんにちは。『発達障害&グレーゾーン子育てから生まれた楽々かあさんの伝わる! 声かけ変換』著者・楽々かあさんこと、大場美鈴です。現在、新型コロナウイルスによる影響下で、登校をしぶりがちだったり、学校生活に戸惑いや負担感を感じるお子さんも、少なからずいるでしょう。また、親だって、子育ての悩みや不安があっても、他の人には気軽に相談しづらい方もいるのではないでしょうか。そんな「学校、しんどいな」「子育て、大変だな」という時、うちでは長男が小1の頃から現在まで、スクールカウンセラーを親子で活用し、支え続けて頂きました。そこで、今回はスクールカウンセラーの基本的な利用のしかたと、相談できることや活用法などを、うちの親子の実体験からご紹介します。出典 : 「スクールカウンセラー」は、学校の中で、児童・生徒、保護者、教員などの心のケアを中心に支援をしてくれる身近な相談役です。一般的に、臨床心理士・公認心理師・精神科医などの専門の資格がある先生が配置されることが多く、子どもの発達面についても詳しいことが多いようです。ただし、現在その配置数は年々増加傾向にあるとはいえ、各学校専属のカウンセラーはまだ少なく、大抵は自治体ごとなどで複数の学校を巡回している先生が多いかと思います。うちでお世話になったスクールカウンセラーの先生も、公立小学校も私立中学も、複数校のかけ持ちです。スクールカウンセラー等活用事業:文部科学省こういった事情から、スクールカウンセラーの利用は「第2・第4の○曜日」など、決まった回数、決まった曜日が相談日になっていることが多いでしょう。また、自治体によっては、在籍校ではなく、近隣の他校に訪問する必要があることも(あえて、他校での相談を希望する方もいるようです)。ですので、もし、「ちょっと相談してみようかな?」と思ったら、まずは学校のお便りなどをチェックしてみるといいでしょう。うちの小学校では、月に一度配布される「スクールカウンセラーだより」に、先生の来校日や予約のしかたが書いてあります(分からなければ、管理職の先生等にお問い合わせを)。うちの小学校の場合、予約は予約担当の先生(教頭先生、特別支援コーディネーターの先生)か、事務職の方に電話で希望日時を伝えて調整していただきましたが、「利用日時を在籍校の先生方に知られたくない」などの場合は、カウンセラーの先生の来校日に電話をして、本人に直接予約を取ることもできるようです。また、一度利用すると、次の予約を相談時間内に口頭で取ることもできました。うちでは長男にも小学生の頃から「予約の取り方」を電話の横で一つひとつ教え、自分で予約をして1人でも相談できるようになり、中学でも(勝手に)活用しているようです。スクールカウンセラーって実際どう?話聴くだけ…?出典 : 「スクールカウンセラーって、実際どうなの…?」「話を聴いてくれるだけじゃないの?」と思われる方も多いのではないでしょうか。でも、スクールカウンセラーの相談内容は、子どもの心のケアはもちろん、発達面の心配や不登校の悩み、学校の先生や友人関係のこと、いじめ対応、進路や就学の相談、家庭問題や親自身のこと…など多岐に渡り、実は「話を聴く」以外の働きかけも沢山あるんですよ。実際に、うちでは主に…・子どもの発達のこと・学校との連携や仲介・子ども自身の相談・代理相談と親のケア…などを相談してきました。また、最初に、「ここで話したことには『守秘義務』が課され、本人から希望しない限り、学校の先生なども含めて、他人に知られることはありません」と、(子どもにも)説明がありました。では、それぞれ、うちではどう相談し、学校生活に活かしてきたのか、可能な範囲で紹介しますね。出典 : 「子どもの発達のことが気になるんだけど、専門の医療機関は敷居が高い」「初診の予約がなかなか取れない」などや、「発達障害の診断はついたものの、その後どうしたらいいのか分からない」「検査結果が上手に学校生活に活かせない」などでお悩みの場合、スクールカウンセラーが助けになってくれるかもしれません。私は、長男が小1で発達障害の診断がついた頃、初めてスクールカウンセラーを利用しました。担当してくれた先生は、臨床心理士の資格もあり、発達面についても詳しい方でした。当時の私は「発達障害」という言葉を知ったばかりで、右も左も分からない状況の中、知能検査の結果などを持参しながら、「専門病院でこんな風に言われたのですが…」と、恐る恐る相談しました。すると、カウンセラーの先生は、数字だけではよく分からなかった知能検査の結果を見立てながら、「この数値が高いので、〇太郎君はこういうことが得意で、こういうことが苦手だと思います」「こことここの差がこんなに開いているので、学校では〜することが、かなり負担なんじゃないかな」など、ひとつひとつ詳しく解説してくれ、「あー、そういう意味だったのか!」と、ストンと納得できたことを覚えています。そして、当時の長男は漢字書き取りの宿題を泣くほど嫌がり、「国語のある日は学校行きたくない」と、毎朝登校しぶりが続いていました(国語って、毎日ありますよね…)。私も親としての自信をすっかりなくして抑うつ的な気持ちが続き、外出するのもつらく感じていました。こんな悩みは、幼稚園からの長いつき合いでも、普通に元気に学校に通えているお友達のママ友さんにも打ち明けられず、私は1人で抱え込み思いつめていたので、話を否定せずに聴き、一緒に「どうしたらいいか」考えてくれる存在がいたこと自体が、何よりの助けになった気がします。私も、カウンセリングの最初の数回は泣いてばかりだったように思いますが、相談を重ねるうち、次第に気持ちや頭の中が整理され、長男に対しても、学校に対しても、なんらかの前向きな行動につなげる力を頂きました。また、長男のことが落ち着いてきてからも継続的にカウンセリングをお願いし、その際、「発達障害の診断が出るほどではない」グレーゾーンの次男や長女のことも、最近の様子などを報告しながら一緒に成長を見守って頂きました。Upload By 楽々かあさん「担任の先生のやり方が我が子に合わないようだけど、モンスターペアレントだと思われないか心配」「配慮をお願いしたいけど、先生も忙しそうで言いづらい」「学校に理解を求めたいけど、口下手で上手に伝えられない」…などでお悩みの場合も、スクールカウンセラーを頼ってみてはどうでしょうか。私は子どものことで、学校に配慮や理解をお願いしたい時に助言を頂いたり、時には、スクールカウンセラーの先生が直接、担任の先生などに「カドが立たないように」上手にこちらの要望を伝えて下さったり…と、親と学校の間の仲介役となって調整して下さいました。また、私は長男が小学生の時、毎年担任の先生に「サポートブック」を作って連携をお願いしてきたのですが、その際も、担任の先生に渡す前に、スクールカウンセラーの先生に一旦チェックしていただきました。第三者の客観的な視点から、「学校に過剰な要求をしていないか」「担任の先生の負担にならないか」…などへのご意見を頂けたのは(お互いのためにも)助かりました。そして、子どもと担任の先生やクラスメイトとの関係が気になる時などは、スクールカウンセラーの先生が、実際に休み時間や授業中に教室の様子を見に行くことも。うちでは、校内で長男に声をかけてくれたり、クラスの子や他のクラスの先生からもそれとなく様子を聞いてくれたりしました。親は大抵、わが子の話からしか学校の様子が分かりませんし、また、一見その子の個性の問題に思えることでも、クラス全体の雰囲気や子ども同士の関係などが影響していることもあります。そこを、「〇太郎君は、クラスで全く孤立しているワケでもなさそうですよ」「今、教室が結構騒がしいようで、〇次郎君にはきついかも…」など、第三者の視点から様子を教えて頂き、私も安心できたり、家での接し方を変えたりすることができました。また、教室の状況次第で、管理職の先生方などにも連携を取って頂けるように働きかけてもくれました。出典 : こうして、なにかある度に、私はスクールカウンセラーの先生に相談してきたのですが、長男が小学校高学年になった頃、前述のように「自分で相談できるように」徐々に慣らしていくことにしました。その理由は、改善傾向にあるとは言え、発達障害・グレーゾーンの子に対する公的な支援体制は、(特に地方では)まだまだ十分とは言えず、また、子どもの成長に伴い、「なんでも親が解決!」とはいかなくなるからです。そして、思春期の子には、親には話しにくい悩みもあれば、時には親への不満だって出るのも健全な成長の証でしょう。だから、子どもが自分で、親以外の誰かに助けを求めたり、相談したりできる力を、親が間近でフォローできるうちから、ゆっくり身につけておこうと思ったのです。そこで、長男の場合、最初は親子面談で予約しました。私は「初回は挨拶程度でも十分」と考えていたのですが、まあ、よく喋ったこと!(笑)とにかく言いたいこと、誰かに聞いて欲しいことが沢山あった長男は、親以外でそれを否定せずに受け止めてくれる存在が身近にいたことが、すごく嬉しかったようです。それ以来、相談時間をとても楽しみにしていました(ちなみに、カウンセリングは授業中の時間帯でも可能なので、正当に教室を抜け出せるのも良かったようです)。そして、長男が自分1人で相談できるようになると、カウンセラーの先生は、中学受験前の面接の練習にもつき合ってくれたり、時には一緒に給食を食べてくれたりもしたようです。後日、お礼を伝えると、「〇太郎君と話すの、私もすごく楽しいんですよ。素直でユニークで、いろんなこと考えてて…」なんて聞き、私もなんだか嬉しくなりました。出典 : でも、カウンセリングに積極的になれる子ばかりではありませんよね。うちの次男もそうでした。次男は、5年生の頃、登校前になるとお腹が痛くなって、学校に行けない時期が続きました。そこで私は長男同様に、次男も一度、親子でカウンセリングを受けてみたものの、控えめで繊細な次男は「うーん、僕は『さあ、どうぞ、悩み事を何でも話して下さい』ってカンジが、どうも苦手なんだよね…」とのこと。なので、次男の場合、それ以降は無理に本人をカウンセリングに連れて行くことはせず、親だけでの代理相談で続けてもらいました。そこで、家での次男の様子や、お医者さんから聞いたことなどを詳しく伝えると、カウンセラーの先生は、「おうちではこんな風に接してみてはどうでしょうか?」と助言してくれたり、担任の先生や保健の先生などともやりとりしてくれ、いろんなことが複雑に絡まっていた当時の次男への「支援の中継地点」のようになって、働きかけて下さいました。そして、突然「不登校の子を支える親」となった私の心のケアも同時にして頂きました。子どもが学校に行けなかったり、その子の個性や親の育て方などに何か問題があるかのように周りから思われたりすることが続くと、親はどうしても自分を責めがちになりますから、同じようにつらい思いをされている方もいるでしょう。私自身も事態が長期化してくると、「一番つらいのは子ども」だと分かっていても、正直かなりストレスや疲労を溜めがちに…。こんな、親のほうもしんどい時期に、「自分を気にかけてくれる人がいる」「大変さを分かってくれる人がいる」というだけでも、かなり違うのではないでしょうか。どんなに大変な時でも「自分を孤独にしない」努力だけは、したほうがいいように思います(私の経験上!)。親子でスクールカウンセラーを利用してきて…出典 : こうして、小学校時代、私達親子は長い間継続して、スクールカウンセラーのお世話になってきました。そのおかげもあり、長男は「自分の言葉で、自分のことを説明する」のが、かなり上手になりました。そして、中学でも自分で定期的にスクールカウンセラーを利用しているようです(ほぼ、雑談をしに行っているだけみたいですが、本人は「超楽しい!」そうです)。そして、次男のことの相談時間の終わりに、私は中学で自分らしく過ごしている長男の近況などを伝えると、スクールカウンセラーの先生は目を細めながら、(少々手のかかる子だった)長男の成長を「〇太郎君、本当に良かったですね〜」って、一緒に心から喜んでくれました。でも、そのカウンセラーの先生はコロナ休校中の間に、いつの間にか転任されていきました。お別れのご挨拶もできなかったけれど、その後、心配をかけた次男も回復し、無事小学校を卒業して、「おかげさまで、お兄ちゃんと一緒に、毎日元気に中学に通ってますよ」って、いつか報告できたらいいな…と思っています。大場美鈴(著),『発達障害&グレーゾーン子育てから生まれた 楽々かあさんの伝わる! 声かけ変換』あさ出版, 2020.6.27
2020年09月14日\チェック!/うちの子どうしたら勉強してくれる?こんな場合はオンライン学習が合うかもUpload By LITALICOライフUpload By LITALICOライフUpload By LITALICOライフ「学校の勉強に集中できない」「マイペースすぎて学校を窮屈に感じている」というお悩み。LITALICOライフの勉強会や個別面談でも、よく耳にします。Upload By LITALICOライフオンライン学習ってどんな学習スタイル?過去の学年の学び直しもできる2019年、文科省は「GIGAスクール構想」を打ち出しました。タブレットやインターネットを使い、それぞれのお子さまに最適な学習スタイルを実現させる構想です。オンライン学習の良い点は、自分のペースで進められること。そのため、苦手な科目を重点的に学んだり、好きな科目を先取りして学ぶこともできます。大人数で同じペースで進めることが苦手なお子さまも、主体的に取り組める良さがあります。Upload By LITALICOライフUpload By LITALICOライフ通学するスタイルのオンライン学習もある!「オンライン学習」というと、どんなものを思い浮かべますか?学校から帰ってきた放課後、自宅でタブレットなどで学習する…というイメージもあるかもしれません。実は今、授業そのものがオンライン化しているものもあります。高校の選択肢では「通信制高校」はずいぶん認知されてきましたが、中学でも一部出てきました。家で一人でもくもくと机に向かうスタイルのものもあります。一斉指示が通りにくかったり、周りがガヤガヤしていると集中できない、というお子さまには良いかもしれません。先生やお友だちと関わるタイプだと、スクールに通学し、自習室で自分のペースで進めるスタイル、家で、ビデオ会議を用いて朝礼やグループワークをするスタイルなどもあります。Upload By LITALICOライフUpload By LITALICOライフUpload By LITALICOライフオンライン学習はあくまでも選択肢の一つ。他の選択肢や、お子さまに合った環境の整理は、無料勉強会でお伝えしていますもちろん、オンライン学習は、あくまでも選択肢の一つです。学習方法や合うと感じる環境は、お子さまによってそれぞれです。Upload By LITALICOライフLITALICOライフでは、保護者さまに向けた無料勉強会を開催中です。オンラインでの開催なので、ご自宅からご参加いただけます。「グレーゾーン向け 個性を伸ばす「中学・高校受験」発達に特性のある子にあった個性を伸ばす進路の選択肢勉強会」では、STEAM教育やものづくりの特色がある学校、海外留学についてなど、多様な学びの環境についてもお話します。「個別でより具体的に話したい」という場合は、勉強会参加後に希望すると、個別面談で進路や教育費など幅広い話をすることもできます。Upload By LITALICOライフ「不登校の支援と将来への準備」がテーマの勉強会は、不登校だけではなく、“お子さまが学校を行き渋っている”“不登校ではないけれどさまざまな選択肢を知りたい”、という方にもおすすめです。義務教育以降の高校進学の選択肢として、通信制・サポート校や高等専修学校、チャレンジスクールなどについてもお話します。Upload By LITALICOライフどの勉強会でも、チャットで質問できる機能や個別面談の案内をしています。少し興味がある、という方はお気軽にご参加ください。LITALICOライフでは、幼児教育や中学・高校受験、キャリア支援など、さまざまな専門領域をもつコンサルタントが、年間2,000以上のご家庭へ勉強会や個別面談を行っています。これらの知識やノウハウを基に、より多くのご家庭の困りごとや将来への不安を、少しでも「安心」に変えていけるような情報をお届けするメルマガを配信しています。想定配信内容・発達障害のある子にあった進路や自立に関するヒントやイベント情報・発達障害のある子の特性や個性を活かす手立てやお役立ち情報・読者からの子育てのお悩みQ&AなどUpload By LITALICOライフLITALICOライフはお子さまとご家族が「自分らしい人生」を歩んでいくために障害分野とファイナンス、その両方の専門家としてライフイベントやライフプランの見直しを相談できるパートナーです。社会資源やサービス・お金の知識といった幅広い内容を身につけることができる勉強会や、専門領域をもつコンサルタントとの個別面談・プランニングを提供しています。Upload By LITALICOライフ
2020年09月13日学校では教えてくれない、発達障害当事者の「将来」の描き方「進路や職業を考えろと言われるけれど、自分には何ができるのか分からない」年若い、発達障害当事者の友人から、そんな悩みを聞かせてもらったことがあります。「中学、高校、大学と進むにつれて支援が薄くなっていく。我が子の将来をどう考えればいいのか」発達障害のあるお子さんを育てる保護者の方から、そんな不安をお話しいただいたことがあります。発達障害者支援法が制定されてから15年が経ち、「発達障害」という概念やその特徴に対する認知は高まってきました。学校での特別支援教育や、児童発達支援・放課後等デイサービス、就労移行支援といったさまざまな福祉サービスも少しずつ、ですが着実に、充実してきたと言えるでしょう。しかし、思春期・青年期の子ども・若者たちの進路や職業選択に関するサポートはまだまだ手薄いのが現状です。世の中にはさまざまな職業があり、生き方がありますが、このような生の声は学校では教えてくれません。「他の多くの人と同じような人生を送ることはしたくないし、できない、しかし何がやれるのか分からない」「好きなことはあるけれど、自信がなくて諦めざるを得ない」と嘆く子どもたち・若者たちも少なくないと思います。そこでこの度、発達障害の診断のあるミドルエイジの先輩方から思春期の後輩たちに向けた、仕事・人生に関するアドバイスやメッセージを届けていく『すてきなミドルエイジをめざして:発達障がいのある子どもたちの人生設計のために』(仮)という企画をスタートしました。職業やライフスタイル、診断や特性、年齢もさまざまなミドルエイジの発達障害当事者の先輩方のインタビューを重ね、学苑社(特別支援教育関連図書を発行する出版社)さんからの書籍出版を予定しています。今回、LITALICO発達ナビとの連動企画として、書籍出版に先がけて、ウェブ上でのインタビュー記事連載をお届けします。職業も特性も多種多様。ミドルエイジの先輩たちが「自分らしい生き方」に至るまで記念すべき連載第1回は、落語家の柳家花緑さんのインタビューです(2020年9月23日に記事を公開します)。Upload By 鈴木悠平2017年に、発達障害の一種で文字の読み書きが難しいディスレクシア(読字障害・読み書き障害)であることを著書で公表した落語家の柳家花緑さん。幼少期の悩みや、落語家の道を進み、自信をつけるまでの過程を語っていただきました。研究者、事務職、整備士、バーテンダー、作家、心理士、ショップ店員などなど、これからご紹介するインタビュイーの方々の職業や働き方も多種多様です。働き方や生き方に、万人に通じるたったひとつの「正解」というものはありません。「発達障害だから」こういう仕事ができる・できないと決めつけることもできないし、するべきではないと思います。だからこそ、この連載では「答え」を提示するのではなく、多様な先輩たちの多様な生き方と、そこに至るまでの考え方や道のりをなるべく丁寧に共有していきたいと考えています。「これから」を考える思春期・青年期の若い発達障害当事者の皆さんが、自分らしい生き方を考える上での「ヒント」を、それぞれに見つけてもらえるような、そんな連載・書籍にしていきたいと思います。ぜひお読みいただき、感想をいただければ幸いです。企画メンバーからのメッセージ連載企画をスタートするにあたって、企画メンバーからのメッセージです。Upload By 鈴木悠平皆さんの将来の夢はなんでしょう?この企画では、発達障害のあるミドルエイジの人の仕事や生き方にフォーカスしていきます。自分のやりたいことと自分のやれることのギャップに悩んでいる人、障害があることを理由に夢を諦めようとしている人、また子どもの将来に不安を持つ保護者の方にはぜひお読みいただきたいと思います。連載で取り上げられる職業の中には一見、発達障害がある人には向いてなさそうな仕事で活躍している人もいます。自分の特性に周りの環境をいかに合わせるか、先輩達の工夫から「発達障害」の考え方自体が変わるかもしれません。プロフィール:鳥取大学医学系研究科臨床心理学講座教授 LITALICO社外取締役専門は、応用行動分析学、自閉症と発達障害への支援、臨床心理学、特別支援教育。 ペアレントトレーニングシステム、強度行動障害研修プログラム、不登校支援プログラムなどの支援プログラムを開発し、LITALICOジュニアのプログラム監修も務める。学生時代はオフロードバイクにテントを積んで各地を放浪、長らく続いたバイク乗り行動も最近は周囲のご批判から黄色信号。大人になりきれないアラフィフ。井上研究室ホームページ井上雅彦TwitterUpload By 鈴木悠平思春期はどんな人でも悩む時期です。発達障害の特性のある方は、さらに人付き合いや家族のこと、進路で頭がいっぱいになってしまうこともあるでしょう。実際、私も何をやりたいのか、やりたいことがあっても実際にそれで食いっぱぐれずに生活していけるのか、不安だらけだった時期がありました。誰に相談すればいいのかも分かりませんでした。でも、これからご紹介するミドルエイジの先輩たちならば、きっと乗り越えるためのヒントを何かしら知っているはずです。連載、どうぞご期待ください。プロフィール:フリーライター。1987年生まれ。宮崎市出身。日本女子大学文学部日本史学科卒。大学時代は出版社でアルバイトをし、編集業務を学ぶ。卒業後は一般企業に就職。25歳のときにライターに転身。現在は週刊誌やウェブなどで執筆中。専門は性、社会問題、生きづらさ。猫が好き過ぎて愛玩動物飼養管理士2級を取得。著書に『私たちは生きづらさを抱えている発達障害じゃない人に伝えたい当事者の本音』(イースト・プレス)、『発達障害グレーゾーン』(扶桑社新書)、『「発達障害かも?」という人のための「生きづらさ」解消ライフハック』(ディスカヴァー21)趣味はサウナと読書、飲酒。姫野桂TwitterUpload By 鈴木悠平進路のこと、仕事のこと、将来のこと。未だ来ずの「未来」のことなんか分からない。「早めに考えてしっかり準備する」なんてこと、僕にはとても出来ませんでした。今もあんまり分かっていません。これから連載を読んでくださる皆さん、特に、思春期・青年期の若い世代の皆さんには、だからどうか、焦らずじっくり、考えたり悩んだりする時間を大事にしてほしいなと思います。今回の企画では合計8名のミドルエイジの先輩方のインタビューをお届けしますが、参考になることもあれば、ならないこともあるでしょう。全部を無理に取り入れようとする必要はありません。でも、たくさんのインタビューの中から、何か1つでも2つでも、皆さん一人ひとりにとって「お守り」となるような、言葉や考え方が見つかると嬉しいな、と思っています。楽しんでもらえると嬉しいです。ぜひ感想もお聞かせくださいね。プロフィール:文筆家/インターミディエイター® 1987年生まれ。株式会社閒 代表取締役。LITALICO発達ナビの初代編集長として、2016年〜2019年4月までの3年間、発達ナビユーザーの皆さんと一緒に歩んできました。現在は独立し、文筆・研究を中心に活動しています。ADHD/ASD混合型。体調を崩したり色々ありながらも、仲間たちと助け合いながら無理なく健やかに働き続ける方法を模索中です。閒 - あわい -鈴木悠平TwitterUpload By 鈴木悠平年を重ねるにつれて、支援は薄くなっていく――これは障害のある子どもを育てる私にとっても常に心のどこかで不安を感じ、懸念していることです。そしてそれは保護者の方が多く感じていることだと思っています。「才能を生かして自立すればいい」と言われ、なぜ障害のある子ばかりがそう言われなくてはいけないのか、そのように吐露してくださった保護者の方は一人や二人ではありません。「手に職を」と言われ、まだ将来の夢も描き切れない幼いうちから職につながる進路選択を迫られることへの悩みを話してくれた中学生もいました。生き生きと等身大で暮らす当事者の取材を通して、将来に悲観することなく、今を大切に生きる道しるべを届けられたらと願っています。プロフィール:LITALICO発達ナビ編集長。慶應義塾大学法学部政治学科卒。大学卒業後、約15年大手出版社で雑誌・書籍の編集に従事。その後、事業会社の広告宣伝部を経て現職。子どもは高校生と小学生の2人。長女には先天性の重度知的・身体障害がある。発達ナビ上でのダイアリーへの投稿、コラムへのコメント投稿、編著メンバーのSNSへのリプライなども大歓迎です。
2020年09月11日私は高校生のときに、ちょっぴり不登校になったことがあります。夏休み明けで少しだけ学校に行きたくない気持ちがあったのと、それに重なったちょっとした友達との気持ちのすれ違い。息子が小学3年生の夏休み明けのある日、そのころの自分を思い出すような出来事がありました。仲良しグループからの突然の仲間外れ暑い日が続くので、息子はいつも決まった友達の家でゲームをして遊ぶことが多くなっていました。その友達の家で数人で遊んでいるときに「もう遊ばない」と言われたようで、次の日の朝、息子は初めて「学校に行きたくない」と言いました。その日は学校を休み、家でゴロゴロ過ごしていましたが、元気なのにすることもなくてつまらない様子。翌日は学校へ行きました。でも、その後も仲良しグループからの仲間外れが続き、学校へは行ったり、行かなかったりで2週間が過ぎました。そんなある日、学校を休んだ息子と夕焼けチャイムが鳴った後の誰もいないうす暗い公園へ散歩に行くと、誰かが忘れていったザリガニ釣りの道具が用水路にありました。あのときの私にかけてくれた両親の言葉私は、自分が学校へ行けなくなったときに、両親がかけてくれた言葉をよく覚えています。父は朝、仕事に行く時間に私の部屋に来て、「学校まで一緒に行ってあげるから、一緒に行こう」と私の腕をとってくれました。母は夕焼けチャイムが鳴るころになると「本屋さん行こう、マンガを買いに行こう」と部屋のドアの隙間からちらっと顔をのぞかせました。子どもだった私は両親の気持ちがなかなかわからず、学校を休んだり、遅刻や早退をたくさんして、心配をかけてしまいました。でも、今は私にいろいろな角度から近づこうとしてくれたことに感謝の気持ちでいっぱいです。あの頃のことを思いながら、「学校に行きたくない」という息子の言葉を聞いていた私。「行きたくない」けれど「ほっといてほしいわけではない」と思っていた自分を思い出しました。そばに寄り添って、ただ聞くザリガニ釣りに行ったときの私は、息子の方へ日傘を差し出すくらいしかできませんでした。でも、やっぱり子どもの力はすごいです。公園にある水路を一生懸命のぞいていると、それを見た誰かがとなりに来て一緒にのぞいて、また他の誰かがとなりに来て…。すると、その楽しそうな姿を見て、「もう遊ばない」と言っていた友達が「ぼくも入れて」とやって来たのです。その子に、「いいよ!」と元気に返事をする息子の姿に、私は心からすごい!と感動しました。そばに寄り添って、ただ話を聞くこと。それはちょっと難しかったりします。自分が母になるまでに「私はこうしてきた」「あの時できなくて後悔したから、次はこうしたい」と積み上げてきたことがたくさんあるから。つい、子どもにも「こうすればいいよ」と言いたくなってしまいます。でも、息子がぶつかった壁を乗り越えるのは息子にしかできません。今の私がこれだけは頑張ろうと思っていることは、息子との心の距離をできるだけ離さないこと。そして息子が話したくなったらできるだけ話を聞くこと。これだけはずっと忘れずにいたいと思っています。<まんが・文:しみず宇海>
2020年08月30日長かった休校期間中、「早く学校が再開しないかな」と親が思う一方で、当の子どもは「学校に行くよりも家にいたほうがずっといい」とのびのび過ごしていた……。そんなご家庭も意外と多かったのではないでしょうか。今回は、長期の休み明けに子どもから「学校に行きたくない!」と言われたとき、親はどのように対応したらいいのかを考えていきます。長期休み明け「学校に行きたくない」78.7%数ヶ月にもわたる休校期間を経て、ようやく学校や幼稚園・保育園が全面的に再開しました。ほっとひと安心したのもつかの間、「やっとお友だちに会える!」「給食楽しみ!」と元気よく登校してくれると思っていたのに、子どもはなんだか浮かない顔……。今回の新型コロナウィルス対応のための休校に限らず、GWや夏休みといった通常の長期休み明けにも、「学校に行きたくない」と登校を渋る子どもたちはたくさんいます。朝日新聞デジタルの調査では、「夏休みが終わるとき、『学校に行くのがつらい』『行きたくない』と悩んだことはあるか?」との問いに、78.7%もの子どもが「ある」と答えています。学校や園に行きたくない理由は、子どもによってさまざまです。たとえば、幼稚園・保育園に通う幼い子の場合、「大好きなお母さんと離れたくない」といった理由が考えられるでしょう。公認心理師の佐藤めぐみさんによると、この「分離不安」は、子どもの発達段階において「あって当然」のことであり、時間が解決してくれるとのこと。「園に行きたくない!」ふたつの要因では、分離不安のほかに、どんな「幼稚園(保育園)に行きたくない!」理由があるのでしょう?要因1:もともとの子どもの気質佐藤さんは、「一番の要因として考えられるのは “もともとの気質”」と話します。気質とは「もって生まれたもの」なので、無理に変えようとしても変えられません。にぎやかな場所が好きな子もいれば、静かな場所を好む子もいます。初めての場所や人との出会いにワクワクする子もいれば、その逆もいるでしょう。周囲からの刺激に敏感な子ほど、不安を感じやすく、新しい環境に順応するのに時間がかかります。小さい子どもは、自分の気持ちを明確に言葉にすることができないので、モヤモヤした不安な気持ちを「行きたくない」という一言で表しているのです。要因2:家の居心地がよすぎる「家の居心地がよすぎることも、行き渋りの要因のひとつ」と佐藤さんは述べています。自宅の環境がいいのは、子どもにとってとてもいいことです。問題は、「なんでも親が世話をしてくれて、甘やかしてくれるから “居心地がいい”」ため、外に出たがらなくなってしまうケース。当然ですが、幼稚園や保育園では、自分だけを甘やかしてくれる人はいません。集団活動において、我慢しなければならないこともたくさんあるでしょう。すると子どもは、とことん甘やかしてもらえる家と、我慢ばかりでつらい時間を過ごす園を比べて、登園を嫌がるようになるのです。この場合は、家での過ごし方を見直す必要がありそうですね。小学生は学校生活での心配事やエネルギー不足が原因次に、小学生が「学校に行きたくない」理由について考えていきましょう。公立小学校の教諭を22年間にわたって務めた鈴木邦明先生は、登校渋りの原因として「学校生活での心配事」と「生活のリズムの乱れ」を挙げています。「学校生活における心配事」は、小さなトラブルがきっかけとなっていることが多いそう。友だち関係の悩みはもちろん、学習面での不安も、子どもにとっては大きな負担となっています。そして、連休中に不安が少しずつ大きくなり、「学校に行きたくない」気持ちが強くなってしまうのです。5月の連休明けに学校へ行きたくない子が増える理由として、「新学期の疲れがどっと出る時期だから」と話すのは、『不登校新聞』編集長の石井志昴さん。新しいクラス、新しい先生、新しい友だち……大人からすればたいしたことがない出来事でも、子どもにとっては世界がガラリと変わる大きな出来事です。この時期の登校しぶりは、新学期に無理をしながらでも一生懸命新しい環境に慣れようとした努力の表れでもあるのですね。帝京短期大学教授の宍戸洲美先生は、夏休み明けに学校に行きたがらない子が増える要因として、「エネルギー不足」を指摘しています。夏休みは、ホッとして生活リズムが変わったり、学習への規制が少なくなったりしますから、それを元に戻すにはとても大きなエネルギーが必要になります。夏休み明けに不登校になる子どもたちは、このエネルギーが十分にたまっていないとも言えるのです。(引用元:STUDY HACKER こどもまなび☆ラボ|夏休み明けに「不登校」が増えるのはなぜ?親が知っておくべき子どものSOSサインと対処法)いくら元気な子どもとはいえ、長い休みを経ていきなり通常カリキュラムの学校生活に戻るためには、大きなエネルギーを使います。できれば、夏休みが終わる数日前から徐々に生活のリズムを戻し、スムーズに登校できるように準備しておくといいでしょう。「学校に行きたくない!」そのとき親はどうすべき?最後に、わが子に「学校(園)に行きたくない」と言われたとき、親はどのような対応すべきか、いくつか紹介していきます。■幼稚園・保育園に通う子どもへの対応佐藤めぐみさんは、登園児に子どもが泣かないようにするには、「アタッチメント」の形成が必要不可欠だと述べています。アタッチメントとは、「子どもが特定の人に示す愛着感情」「特定の人との精神的な絆」を意味し、子育てのすべてを支える土台となります。子どもが甘えたがっていたら、その気持ちをしっかりと受け止める、抱っこしたり、手をつないだり、膝の上に乗せて絵本を読んであげたりと、普段から子どもの甘え行動にきちんと向き合ってあげましょう。アタッチメントによってエネルギーをチャージできた子どもは、幼稚園や保育園で不安を感じることなく過ごせるはずです。法政大学人文科学研究科の渡辺弥生先生は、「ぐずぐずする子は嫌い」などと、愛情のかけひきのようなことをするのは逆効果になると指摘します。子どもはお母さんに嫌われたくないので、一瞬従うかもしれません。しかし、これではかえって行き渋りが長引くことも。この場合、「今日は3時にお迎えに来るからね。家に帰ったらホットケーキを食べようね」などと声をかけるといいでしょう。大事なのは、必ず約束を守ること。子どもは「この先に楽しいことが待っている」と信じて頑張ることができます。■小学校に通う子どもへの対応小学生の場合、学年が上がるにつれて、友人関係のトラブルや学習面での不安も重なり、登校渋りの原因は複雑になっていきます。宍戸先生は、「重要なのは子どもが発する『不登校のサイン』を見逃さないこと」と述べています。子どもの日々の様子をよく観察していると、元気がなくなったり食欲がなかったり、おなかや頭が痛いと言ったり、何かしらの兆候が見られるはず。宍戸先生は「年齢が低ければ低いほど、脳の機能が未分化なので、心にかかったストレスが体の症状として現れやすい」と言います。また、口数が減ってしまうのも不安を抱えているサインです。子どもが漠然とした不安を抱えている場合には、それをどう表現してよいのかわからず口数が減ってしまうそう。このような様子が見られたら、無理して登校させるのではなく、まずはしっかりと話を聞いてあげましょう。前出の石井志昴さんは、次のように述べています。「学校に行きたくないのは、何かつらい思いを抱えているからで、それを受け入れて休ませるのは甘えではありません。親が子供の不安な気持ちを受け入れ、一緒に楽しく過ごすことで、子供も落ち着きを取り戻します。まずは、目の前の子供の状況を考えてあげることが大切です」(引用元:いこーよ|「登校しぶり」の原因&親の正しい対応は?SOSの気づき方も!)「病気でもないのに学校を休ませるなんて」「無理してでも行かせないと、不登校に発展してしまうのでは?」と不安を感じられる親御さんも多いかと思います。しかし、ここで無理をさせるより、「そうか、わかった」「今日はお休みしようか」と子どもの気持ちを受け入れてあげることを優先させましょう。逆に、無理に登校させようとすると、親に対する不信感が芽生えてしまうこともあるので注意が必要です。親としては心配ですが、あまり深刻に考えすぎないことで事態が好転することも。石井さんによると、「子どもが休みたいと言ったときは1日休ませてあげると、次の日から行けるようになることもある」そうです。なぜなら、「自分が苦しいときに『親が守ってくれる』『自分には安心できる場所がある』と実感することで、学校に行きやすくなる」から。子どもの「休みたい」という気持ちをしっかりと受け止め、「今日は充電日」として割りきって見守ってあげることで、子どもは安心感を得られるのです。「友だちってなんだろう?」答えられますか?もしお子さんが、お友だち関係で悩みを抱えていたら、親として何ができるでしょうか。その場しのぎの慰めや励ましは、はたして子どものためになるのでしょうか。いずれ子どもが成長したとき、自分自身で人間関係の問題を解決できるように、いまのうちから「本当の人付き合い」について親子で考えてみませんか?明治大学教授の齋藤孝先生による『友だちってなんだろう?ーひとりになる勇気、人とつながる力』(誠文堂新光社)には、子どもの「人付き合いの悩み」を解決するヒントがたくさん詰まっています。「みんな仲良く」という呪縛にとらわれて無理をしてしまう子、学校のなかにしか自分の居場所がないと思っている子、ひとりでいることが不安でたまらない子ーー。親には言えない悩みを抱えている子も、この本がきっと心の支えになり、人付き合いがぐんと楽になるでしょう。もちろん大人が読んでもOK。人間関係にお悩みの人はぜひお読みください。心がすっと軽くなるはずです。『友だちってなんだろう?ーひとりになる勇気、人とつながる力』齋藤孝 著/誠文堂新光社(2020)***小学校や幼稚園・保育園という場所は、私たちが思っている以上にエネルギッシュで活気に満ちています。どんなに元気な子どもでも、集団生活のなkで気を遣ったり我慢をしたりと、意外とストレスを感じているもの。「行きたくない」にはそれぞれ理由がありますが、大事なのは子どもの気持ちを受け止めて、しっかりと話を聞いてあげることです。(参考)朝日新聞デジタル|夏休み明け、学校に行きたい?STUDY HACKERこどもまなび☆ラボ|「登園時、毎朝大泣き」問題は、親がコレをしてあげると解決できる!All About|学校行きたくない…子どもの5月病「登校しぶり」対策YAHOO!JAPAN ニュース|親も教師もカン違いしてます。休み始めが「限界」なんです【連休明け子どものSOS】STUDY HACKERこどもまなび☆ラボ|夏休み明けに「不登校」が増えるのはなぜ?親が知っておくべき子どものSOSサインと対処法ベネッセ教育情報サイト|久々の学校再開!でも子どもがなんだか元気がない……そんなとき、どんな声をかけてあげるべき?いこーよ|「登校しぶり」の原因&親の正しい対応は?SOSの気づき方も!日経DUAL|不登校・行き渋りには前兆が見逃しはこじれのもと齋藤孝(2020),『友だちってなんだろう?ーひとりになる勇気、人とつながる力』,誠文堂新光社.
2020年08月08日発達障害当事者との対談連載、スタート発達障害を描いたドキュメンタリーCM「見えない障害と生きる。」でプロデューサーを務めた東海テレビの桑山知之が聞き手となり、さまざまな発達障害の当事者と対談する連載がスタート。連載初回は、このCMにも出演したラッパー・GOMESSを取材し、「家族と発達障害」について語ってもらった。10歳の冬、診断は高機能自閉症…あだ名は“障害者”GOMESSが初めてパニックを起こしたのは、地元のバザーに家族で行ったときのことだった。楽しむ母や姉を横目に公園でうたた寝をしていたところ、ふと首に違和感を覚えた。毛虫だった。GOMESSは、毛虫が大の苦手だった。我に返ると、パニックを起こしたGOMESSは母親によって強く抱きしめられていたという。後日、家族に連れられ赴いた精神病院で、高機能自閉症という診断を受けた。その後、症状が悪化するのを見かねた母は、小学5年の春、担任教師に相談した。自閉症とはどういうものか、子どもにも分かるような資料が朝の会で配られた。「それが成功する可能性もあったと思うんですよ。でも僕の場合は違って。陰で言われてたのは、障害者とか、野獣とか、エイリアンとか……。どんどん学校に行きづらくなりました」そこから5年間にわたり不登校、引きこもり生活を送ったGOMESS。今でこそ母の支えや頑張りが痛いほど分かるものの、当時は「お母さんが余計なことをしたから」と責めてしまったと振り返る。しばらくは母もなんとか学校に行かせようとしたが、GOMESSは強く抵抗した。「本当に悪いことなんですけど、すぐに死をほのめかしてたんですよ。『そんなに言うんだったら学校に行くフリして死ぬけどね?』とか。『生まれてこなきゃよかった』とか、お母さんに直接言わなくてよかったようなこともいっぱい言いました」3歳上の姉とは、自身が引きこもる前はケンカもしていたが、やがてほとんど会話もなくなった。避けられていた。「ずっと部屋で暗い顔してる弟は嫌だったんじゃないですかね」。Upload By 桑山 知之担当医「この子にはできないことがある」親が考える“正規ルート”からの脱却静岡県内の精神病院で診断を受けたGOMESS。代表的な楽曲の一つ『人間失格』にも登場する当時の担当医師“カゲヤマ先生”のある言葉で、家族の接し方は変わっていったという。「カゲヤマ先生がいなかったらうちの家庭はダメだったと思います。お母さんたちに『この子にはできないことがあります。それはできるものじゃないです。無理なものは無理。それをきっぱりと親が諦めてください』と言ってくれたんですよ。そこから僕の生活が楽になりましたね。文字が読めないのも、頑張って読めと言われなくなりましたし、ひどい偏食も理解してくれるようになりました。いつかカゲヤマ先生にお礼を言いたいんですよね」言うなれば「お父さんはスポ根の熱血系で、お母さんは知性と優しさ」だという両親。どちらかが叱るときは、もう一方が必ず優しく包み込んでくれた。特に母は、海外の和訳本を取り寄せるほど発達障害に関する本を読み漁るなど、息子について理解を深めようと努力を惜しまなかったという。GOMESSは「親がしてくれたことはすべて自分のことを思っての行動だった」と当時を振り返りながら、「子としてはすごく理想の両親」と誇らしげに語る。「親が予定していた我が子の“正規ルート”みたいなものからの“外れ方”ってすごく大事だと思うんです。一番まずいのは、子どもが何もしなくなること。どんな形であれ、ポジティブな気持ちで何かやろうとしていることがあるんだったら、止めない方がいいと思います。ポジティブな気持ちを何かに向けてることってけっこう奇跡だから、その奇跡的なポジティブは守ってあげてほしい」進学や就職など、親が思い描く「理想」は少なからずある。しかし、それは必ずしも我が子を幸せにするとも限らない。引きこもっている間も呆けるだけでは退屈だったGOMESSは、親に見守られながら、とにかく熱中できるものを追い求め続けたのだった。Upload By 桑山 知之教科書は読めないが、五線譜は読める色んなものに熱中していく中で、「音楽」へと到達するまでにそう時間は掛からなかった。ワールドミュージックを聴けば、ラテンのリズムについて母に力説していた。文字が読めないゆえ、教科書は読めなかったが、五線譜はすぐに読めるようになった。気づけば自ら音楽を作るようになっていた。「(親としては)本当は学校行かないにしても義務教育で習うものくらいは勉強してほしかったんだと思いますけどね。これだけ熱心にやってるんだからいいか、みたいな。僕は“プレイ”よりも“クリエイト”の方が好きだから、毎日毎日色んなことをクリエイションするようになって。その中で音楽が一番ハマりました」ここでもう一つエピソードがある。「音楽に勉強的だった」頃、ゲームにも没頭していた。裕福な家庭ではなかったため、買ってもらえたのは中古で300円ほどのスーパーファミコンのソフト『RPGツクール2』。その名の通り、命令や画像・音楽を組み合わせ、オリジナルのロールプレイングゲームを作るゲームで、GOMESSはPC版も含めこのシリーズをやり込んだ。そこで音楽素材のため、曲を作り始めたのだという。結果、自作のRPGは完成しなかったが、サウンドトラックはできていた。「親がゲームを止めないでくれたんですよね。それは大きかったですね。だからポジティブな気持ちで何かやってるときは、そういう何かが生まれることがある」姉が好きだというモーニング娘。のCDも借りて聴き、衝撃を受けた。「これめっちゃファンクじゃん!すげぇかっこいい!」と、インストゥルメンタル版のテンポを遅めてビートを乗せ、ラップをする。自然とサンプリングもこなれたものになっていた。Upload By 桑山 知之家族が疲弊…ラップが人生を見つめ直すきっかけに献身的に我が子を見守り続けた親だったが、自分を責め、時に精神的に病むこともあったという。「何年も何年も手を尽くしてくれた結果、頑張った末ですね。俺もズカズカとお母さんに言っちゃうから、お母さんは自分を責め続けちゃって。お母さんが僕よりも程度のひどい引きこもりになりました。部屋から出てこないみたいな。台所とかでたまたま会って、目が合うと下向いてすぐに速足で自分の部屋に帰っていって、扉をバンと閉めるみたいな」当時は自分が正気を保つのに精一杯で、家族に支えられていることに気付いていなかった。ラップを通して、いつしか自己を客観的に見られるようになった。「CDデビューをしたり、テレビに出たり、ライブをしたりするようになってから、精神的自立が始まったのかなと思うんですよね。その辺から少しずつ。歳で言えば18・19歳から20・21歳にかけての4年間くらい。僕にとって過去の清算じゃないですけど、こういう恩恵を受けていたんだなとか、一つひとつ噛み砕いていく時間だったなと思います」第2回『高校生RAP選手権』で準優勝を収め、世間からの注目が彼に集まる中で、姉も存在を認めるようになっていた。家でブツブツとラップをしていた引きこもりの弟が、「お姉ちゃんにとっても、ようやく人として接する価値のある人間になれたのかな」と感じた瞬間だった。Upload By 桑山 知之家族を幸せにするために、僕は幸せにならなきゃいけない自身の人生は「みんなのおかげで運良く素敵になった」と語るGOMESS。一方で、母から「私があなたをフツウに産んであげられなかった」と、我が子に対して罪を感じていることを吐露されたこともあった。自分にできることは何か。答えは明確だった。「手間暇かけて全力注いで頑張って育てた息子が人様の役に立つっていうのは、きっとすごくお母さんにとって誇らしいことの一つだと思うから、実際“罪滅ぼし”はできないにしても、何かお母さんのためになると信じてやっているんです」GOMESSは、ラッパーとしての現在の活動について「罪滅ぼしみたいな気持ち」と表現する。「だから、僕は幸せにならなきゃいけないんだなって。僕が幸せになれば、お母さんが感じてきた罪悪感は消えるんじゃないかなと思うんですよね」Upload By 桑山 知之GOMESSがCM「見えない障害と生きる。」で書き下ろした楽曲『COMMON』は、Apple Musicなどで近日配信予定。本連載では、第2回以降も桑山知之が見えない障害のある人を取材し、社会で生きる上でのヒントを探っていく。平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞など。・2019年 日本民間放送連盟賞 CM部門 最優秀賞・2019 59th ACC TOKYO CREATIVITY AWARDS フィルム部門Aカテゴリー ACCゴールド・第58回JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール 経済産業大臣賞・第57回(2019年度)ギャラクシー賞 CM部門 優秀賞取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海公式サイト
2020年08月03日休校期間、中学生いっちゃんの家庭学習は...今年の3月下旬から新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために、多くの全国の小中学校が休校となりました。でこぼこ兄妹の兄、タケルの大学は急遽リモートのみの授業となり、妹いっちゃんの中学はなんと無期限休校というロングバケーション。これまでは不登校気味とはいえ、週に1~2度は学校に行って総合学習室で支援スタッフの先生と勉強したり、授業で使ったプリントなどをやったりしていたいっちゃんですが、休校期間は出された宿題を家でやり進めることに。提出日の遠い宿題を毎日少しずつ家でこなすのは難しく、次第にお絵かきやMMDなどの"自主学習"に熱を入れるようになりました。元々、夏休みの宿題はカンタンなところは最初にやって、残りはギリギリまでやらないタイプです。必然的に学校での勉強の方は積み残しが多くなってきました。「いつ学校が再開して総合学習室に行けるかわからないんだから、おうちでも宿題をやっておかないといけないよ。」と言っても、「いつもよりはしてるよ!」と涼しい顔。そりゃあ、いつもは平日の自宅学習は0ですから、ウソではないのでしょうけど…。Upload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロずーっと家にいますし、リラックスするところと勉強するところ、場所が変わらないとなかなかけじめがつきにくいということもあるのでしょう。しかし、塾などに行かせようにも、この時期、見学などもなかなか行けませんし、子どもが集まって一緒に勉強するような場所はどこも閉まっている…困ったなとは思いつつも、大物の動画づくりに挑戦する娘を見て、「時間が自由に使える今しかできない事に熱中しているのだから、まあいいか。そのうち学校も再開するだろう。」と思っていました。長引く休校、そろそろまずいかも!?そこで現れた助っ人はしかし、ゴールデンウィークを越えたあたりから「これはまだまだ学校再開は先になるんじゃないか?再開したらすぐ目の前が期末試験!やばいんじゃないか?」という気がひしひしとしてきました。テストで良い点を取ってほしいというわけではないのです。再開したときに、他の子どもたちとあまりに勉強の進度が違うと、一緒に授業を受けることが難しくなるんじゃないか…という思いが頭をもたげてきたのでした。睡眠障害のある娘にとって、週に1~2回しかないクラスのみんなと一緒に受ける授業の時間が、ただただ時間をやり過ごすだけになるのは辛すぎる…やはり、学校の勉強も少しは…いえ頑張ってやらせなければ!!でもどうやって??Upload By 寺島ヒロタケル「練習を兼ねて、私がいっちゃんに授業をしますので、その時間分のバイト代をください。」わたし「それだー!!」実はお兄ちゃん、この新型コロナ流行のあおりをくって、バイト先の塾が休みになっていたのです。灯台下暗し、渡りに船とはこのこと。時給を払って、お兄ちゃんに丸投げすることにしました。これが思った以上に大はまり!さくさくと…とはいきませんが、宿題の山が目に見えて減ってくるようになりました。また、調子の上がり下がりの大きい娘の様子を、常にタケルが気にして見ていてくれるので、大変私が楽になりました。兄妹のことでも、時給制!そこにはいくつもメリットがUpload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロあまり意識していなかったのですが、休校になってから、わが家ではいっちゃん一人がハイテンション(そしてしばしば調子が上がりすぎて真っ青な顔で倒れる)な中で、息子が静かにストレスを溜めていました。私もまた、子どもたちのどちらかが倒れないように、爆発しないように、仕事をしながらも常にカットインするタイミングを計っていたりするので、いつも以上に疲れていたようなのです。この「時給を出す作戦」を始めて、家の中がすーっと明るく、空気も軽くなったのを感じました。年が上の子どもに年下の子どもの面倒を任せるというと、年長の子どもの負担が大きいことや、親の代わりができるのか、任せてよいのかという問題が出てくると思います。私の年代でも「"お兄ちゃんでしょ、お姉ちゃんでしょ"と言われて辛かった」と、大人になってから言う人もいますから、恨みは深いものと思われます。(ちなみに私自身は一人っ子です。なんか申し訳ない。)しかし、私はその「恨み」は、妹弟の面倒を押しつけられて自分の遊ぶ時間がなくなったとか、責任を負わされて困ったということではないと思います。親が負担を負担と認めず、「自分の弟妹なんだから可愛いでしょう?可愛いんだから負担なんて言っちゃダメ」という訳の分からない理屈で、当たり前のように自分の時間を奪われ、労働を強いられているように感じるという、ぼんやりとした悲しい想いが正体なのではないでしょうか。年若い血縁を可愛く感じることと、作業の負担が重いことは別の話です。私たちは母親の権利の話となるとそれに思い至るのに、子どものこととなると少し鈍感になってしまうのかもしれません。私は息子に「仕事をするから時給を払え」と言われ、「全くその通りだ!さすがタケルさん!」と感心しました。負担を負担として認め、対価を払うことにしたのです。(対価を現金にしたことについては、まだ議論の余地があるかもしれませんね…。)しかし、いっちゃんは自分の仕事(動画づくりなど)で忙しいので、勉強時間を確保するのも大変です。声掛けをしてもなかなか捕まってくれません。おかげで時給もあまり稼げていないのですが、それでもタケルはそれなりにやりがいを持ってやってくれているようです。Upload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロところで、この雀の涙のような時給の使い道ですが...タケルはいつもいっちゃんを連れて動物園や水族館に出かけます。そして、出かけた先でパフェを食べたり、動物園とコラボしているアニメのグッズを買ったりするのです。もちろん、いっちゃんの分も…!「私が時給を稼げば、自分が良いところに連れて行ってもらえると認識させるのです。こうして、勉強へのモチベーションを強化するのです。」と言うタケル。さすがすぎます…。
2020年07月27日朝、登校前に玄関ドアを開けようとした瞬間、わが子が「お腹が痛い」と言ったらどうしますか?私の娘は、学校が大好き。帰宅すると、その日学校であった出来事をたくさん話してくれていました。しかし、小学2年生のある時期だけ、「お腹が痛い」と言って登校をしぶったことがありました。登校直前、突然「お腹が痛い」小学2年生のある日、登校直前になって突然、娘が小さな声で「お腹が痛い」と言い出しました。いつも一緒に登校している大好きな友達が迎えに来てくれていたし、家を出る時間が迫っていたので焦りました。「トイレかな?」と聞くと「違う」と。吐き気がある様子もなく、熱もなく、一見して何も問題がなさそうに見えました。お腹をさすってあげながら、「大丈夫?」と聞くと、娘は力なく「うん」とうなずいたので、「もし途中で具合が悪くなったら先生に相談しなさい」と言って送り出しました。普段は、学校が大好きで、特に給食の時間を楽しみに登校する娘ですから、この日のことは私にとっては驚きでした。しかし、次の日も、その次の日にも同じことが起こったのです。「お腹が痛い」は「学校に行きたくない」という意味だった娘は「お腹が痛い」とは言うものの、お腹を押さえたり、トイレから出てこないということはなく、本当に体調が悪いわけではなさそうでした。これは、実際に腹痛があるわけではなく、「学校で何かがあるのでは?」と思い、帰宅後に娘に聞いてみました。娘は、下を向きながらポツリと「学校に行きたくないの」と言いました。あれだけ学校が大好きで、ランドセルを背負ってお友達とスキップしながら登校する娘が…と思うと、「何かあったの!?」と焦ってしまう私。しかし、ここはガマン…と娘が話してくれるのをじっと待っていると、ゆっくりと「大縄跳びが怖い」「当たると痛い」「私ひとりだけ跳べない」「みんなのジャマになる」と話してくれました。その時期は、ちょうど全校大縄跳びの大会前だったのです。クラスのみんなが記録を伸ばそうと楽しくチャレンジしている中、ぐるぐる回る縄の前で怖くて、たったひとりで固まっている娘の姿が想像できました。まず最初に「その気持ち、わかるよ」と話した幼い頃の私にも同じ経験があり、「自分ひとりだけできない」ときの寂しい疎外感もわかりました。「ママも小さい頃、同じだったよ」と体験談を話し、「大縄が怖くならないように、どうしたらいいかな?」と聞くと、娘は「練習する」と言いました。そこで百円ショップで見つけた大縄を使い、放課後に練習することに。ほぼ同時に、担任の先生から、連絡帳を通じて連絡がありました。「学校で元気がない。大縄を怖がっているのでは。家庭での様子を教えてほしい」という内容でした。返信に、娘の様子を知らせてくださったお礼と家庭で今後どう取り組むか書くと、先生から再度返信があり、「学校でも気をつけてみます」とのことでした。「ほら、先生も応援してくれているね!」と話したら、娘もホッとした笑顔を見せたことを覚えています。その後は、帰宅してから「先生が背中を押してくれたから縄に入れた!」とか「今日はクラスで何回跳べた!」など学校での様子を笑顔で嬉しそうに話すことが増えました。最終的には、残念ながらクラスで優勝とはいかなかったものの、本人なりに「がんばった」出来事として終わらせることができたようです。この一件で、私は親として気づいたことがたくさんありました。冷静になること、先生に知ってもらうことの大切さ「学校に行きたくない」と言われた時、私は動揺しました。「まさかいじめ?」「不登校になったら?」と考えが飛躍してしまったのです。ですが、今回の場合は、まずは落ち着いて目の前の娘に集中しようと話を聞いたことで、「大縄が怖い」という問題点がわかり、解決の糸口が見つかりました。このことから、どんなことがあってもまずは落ち着くことを心がけようと思いました。また、「大縄が怖いから学校に行きたくない」というのは、一見すると大きな悩みではないので、私から先生には伝えませんでした。しかし、先生からこの件で連絡があったことから、ちょっとしたことでも先生は気にかけてくれていることがわかりました。担任の先生という力強い味方がついてくれたことで、娘の不安を取り除くことができたので、今後は、「ささいなこと」と思っても、先生の負担にならない範囲で相談しようと思います。当時、小学2年生だった娘は高学年になりました。現在もまれにですが、ふと学校に行きたくないと言うことがあります。そんなときは、「まずは落ち着いて」話を聞く姿勢で、娘に向き合うようにしています。<文:ライターeurope>
2020年07月18日ヲタママだっていーじゃない!
ムスメちゃんとオコメちゃん
猫の手貸して~育児絵日記~