運動が苦手だという人が抱える悩みやコンプレックスは、運動が得意な人には想像もできないほど深いものです。自分の子どもが運動を苦手としているなら、「なんとかしてあげたい」と思うのが親心でしょう。ただ、親自身も運動が苦手だという場合、子どもに運動のコツを教えるのは簡単ではありません。そこで、アドバイスをもらったのは「スポーツひろば」代表の西薗一也さん。運動が苦手な子どもを対象にした体育指導のプロフェッショナルは、「まずは子どもと『できない』ことを共有してほしい」と語ります。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)「運動が苦手な子どもを救いたい」という思い僕がいまの仕事をするようになった理由のひとつとして、弟がいたことが挙げられます。僕自身がもともと「お兄ちゃん気質」なのです。また、高校を卒業したタイミングで、出身中学のバスケットボール部の監督になった経験も大きかった。後輩を指導していくなかで、体育教師になるという目標が定まっていったのです。でも、日本体育大学在学中の教育実習直前に父親が倒れてしまった……。当時はすでに母親が亡くなっていましたから、教育実習はキャンセルせざるを得ませんでした。幸い父親は一命をとりとめたのですが、教員免許を取れないまま卒業して、一時は一般企業に就職しました。その父親も亡くなって、日常的に世話をする必要がなくなったとき、あらためて「自分の夢はなんだったのか」と考えた。もちろん、それは体育の先生です。そこで、「教員免許がないのなら民間でやろう」といまの事業を立ち上げたわけです。ただ、当初から運動が苦手な子どもを対象に考えていたわけではありません。もともとは、運動が得意な子どもにもっと幅広い運動を経験させることで運動能力の底上げをするような事業を考えていました。ところが、いざ体育の家庭教師事業をはじめてみると、依頼のほとんどが運動を苦手としている子どもの親からのものだったのです。そういう子どもというのは自己肯定感がすごく低いし、なかには運動が苦手なことでいじめに遭ったり不登校になったりしている子どももいました。僕自身は、運動で人生を変えることができたと思っている人間です。ぽっちゃり体形で運動が苦手だったのに、バスケットボールに全力で打ち込むことで体形も性格も変わり、スポーツ推薦で高校に進学することができた。そして、最終的には体育の先生になることもできました(第1回インタビュー参照)。その経験があるからこそ、運動が苦手で悩んでいる子どもたちをどうにか救ってあげたいと思い、現在の方向に事業をシフトさせたのです。子どもだけにやらせるのではなく親も一緒に運動をする依頼者である親の願いはなかなか切実です。「うちの子は運動が本当に苦手で……」という認識を持ちながら、「せめて平均的に運動ができるようになってほしい」と思っている。もちろん、なかには親自身も運動を苦手としているというケースも珍しくありません。子どもに運動を得意になってほしいと願いながら、自分自身も運動が苦手だという親の場合であれば、まずは「子どもと一緒に運動をしてみる」ことをおすすめします。わたしの指導理念は、「褒めて伸ばす」ことが基本です。ところが、運動が苦手な親の場合だと、子どものどこを褒めていいのかがわからないのです。サッカーでゴールを決めたというようなわかりやすい「褒めポイント」があれば問題はありませんが、速く走るために子どもがいくら頑張って練習をしていても、どこがいいのか悪いのかということはそうはわかりませんよね。そうであるならば、まずは「子どもと一緒に学ぶ」ということを大切にしてください。そこで意識してほしいのは、どんな運動にもクリアしていくべき「段階」があるということ。この意識が学校の体育の授業にも欠けているように思うのです。算数の場合であれば、1年生で足し算と引き算を勉強して2年生になると掛け算、3年生は割り算というふうに、前に学んだことを生かして段階を踏んで勉強していきます。でも、体育となるとどうでしょうか?ドッジボールをやるときに、事前にボールの投げ方や受け方をしっかり教えてもらったという経験がある人はほとんどいないはずです。なにも学んでいないのに、突然「ドッジボールをやろう」と現場に放り込まれる。そういう状況では、運動が苦手な子どもはうまくプレーできるわけがないのですから、ますます運動を毛嫌いするようになっていきます。大人だからこそつかめるポイントを子どもに教えるボールをきちんと投げるという運動を細かく分解してみると、体重移動や腰の回転、手首の返しなど、本当にさまざまな動作によって構成されています。もちろん、これらの動作や段階を親が事前に勉強しなければならないというわけではありません。親が子どもと一緒に運動をしてみて、自らが学ぶことが大切なのです。親子そろって運動が苦手なら、まずは「できない」ということを共有し、共感してあげる。親だって苦手なことがあっていいし、それがふつうなのです。すると子どもは、「お父さんもできないんだ」と思う。それこそが、安心感を生んでいくことになる。運動が苦手な子どものなかにあるのは、「失敗したくない」という気持ちです。でも、「お父さんだってできない」「失敗してもいいんだ」と思って安心感を得られれば、練習を何度繰り返してもいいと思えるようになる。また、大人であれば、子どもが気づかないような運動のポイントに気づくこともあります。先に挙げたように細かい動作に分解して考えるような必要はないにしても、親自身が子どもと一緒に運動をするなかで「たまたまうまくいった」というとき、大人なら「いまのはなにがよかったのか」というポイントが見えるわけです。そのように、自らの体験を通じて学んだことを子どもに教えてあげればいい。「お父さんはむかしはできたからやらなくていいんだ」なんていって自分は子どもの動きだけを見ているだけでは、うまくいったポイントをつかむことはなかなかできません。繰り返しになりますが、子どもの運動能力を高めてあげたければ、まずは親が子どもと一緒に運動をしてみること。わたしのような第三者の力を借りることがあってもいいと思いますが、親ができる最良の方法を実践してみてください。『『うんどうの絵本 全4巻セット(ボールなげ・かけっこ・すいえい・なわとび)』』西薗一也 著/あかね書房(2015)■スポーツひろば代表・西薗一也さん インタビュー一覧第1回:運動神経は成功体験で伸びる!運動が「得意な子」と「苦手な子」の違い第2回:どんな運動も“細かく分解”できる。子どもの運動能力を高めるために親ができること第3回:「跳べた!」という強烈な体験が自己肯定感を押し上げる。“プロ直伝”縄跳び練習方法(※近日公開)第4回:子どもが泳げるようになる魔法の言葉。酸素を浪費する「バタ足信仰」は捨てるべし(※近日公開)【プロフィール】西薗一也(にしぞの・かずや)東京都出身。株式会社ボディアシスト取締役。スポーツひろば代表。一般社団法人子ども運動指導技能協会理事。日本体育大学卒業後、一般企業を経て家庭教師型体育指導のスポーツひろばを設立。運動が苦手な子どもを対象にした体育の家庭教師の事業をはじめとして、子ども専用の運動教室の開設や発達障害児向けの運動プログラムの開発など、新たな体育指導法の普及に幅広く取り組む。著書に『発達障害の子どものための体育の苦手を解決する本』(草思社)がある。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年08月27日「死なないで…」子どもの自殺がもっとも多いといわれる9月1日に、祈るようにこの言葉をつぶやいていた樹木希林さん。樹木さんの娘の内田也哉子さんが母の言葉を残そうと、 『9月1日 母からのバトン』 という書籍が生まれました。1回目では樹木さんの言葉の意味するところ、伝えたかったメッセージについて考えてきました。今回は、「学校に行くのってあたり前なの?」というテーマで、学校以外の選択肢や具体的に親子が救われる方法について、前回に引き続き不登校新聞の石井志昂(いしい しこう)編集長といっしょに考えていきたいと思います。 「『学校に行けない子どもたち』に最後まで想いを寄せ続けたワケ」 の続きです。 ■「学校に行くのがあたり前」の日本で苦しむ親子小学1年生になると、日本では義務教育が始まり、社会のあたり前のこととして、子どもたちは学校に通います。石井さんは、「不登校っていまの学歴社会のなかでは一大事なわけです。だから、将来を考えたときに、親は心配で学校に行かせたいと思うのは当然ですよね。ただ、『学校がすべて』だと親が思っていると、子どもは“学校に行ける子”だけが存在価値があると思って苦しんでしまいます」と話します。そんな「あたり前」という風潮がある学校との付き合い方において、樹木さんは彼女ならではの考え方を発揮し、まだ小学生だった頃の内田さんにこんな言葉をかけたといいます。東京の公立だったんですけど、そのときはすごく合わなかったですねえ。私という“異物”が突然入ってきたことで、そのクラスにあったコミュニティがざわざわしてしまって。今思えば“いじめ”だったと思うんですけど、お友達ができないまま数か月を過ごして、毎日泣いて家に帰っていました。(中略)ある日、私があんまりつらそうだったからか、「やめれば?」と言ってきたんですよね。「そんなにつらいのに、何をガマンしてるの。やめればいいじゃない」って。私まだ、「やめる」の「や」の字も言ってないのに(笑)。出典: 『9月1日 母からのバトン』 この樹木さんの言葉について石井さんは、「大事なのは、学校が主なのではなくて、『子どもが主』だという軸をしっかりとしておくことです。樹木さんのように、大事なのはあくまでも“あなた”なんだということを、子どもに伝えてあげることが大切です」と考察します。ただ、「やめればいいじゃない」と娘に伝えた母親としての樹木さんの対応は、常識にとらわれていては、なかなかできるものではありません。子どもが主であるという軸がしっかりあったからこそ、こうした発言ができたのだろうと思うと、「肝が据わっているな」と石井さんは感心していました。■不登校だからって将来は決まらないそれでは、「学校には行かない」と決めたとして、その後どうすればいいのか。樹木さんは書籍のなかで、このように語っています。不登校でも、ある日ふっと何かのきっかけで、学校はやめるかもしれないけど、もっと自分に合った、っていうと自分中心だけどそうじゃなくて、自分がいることによって、人が、世の中が、ちょっとウキウキするようなものに出会うということが、絶対にあると思うの。出典: 『9月1日 母からのバトン』 子どもたちにとって、自分がワクワクできるようなものを見つけるまでは、おそらく紆余曲折あることでしょう。不登校になった子どもたちは、どのように成長していくのでしょうか。文部科学省では、15歳で不登校だった子どもたちに、5年後「自分の不登校を振り返ってどう思うか」という調査を行っていて、「行けばよかった」が38.9%、「仕方がなかった」が31.7%、「何とも思わない」と「行かなくてよかった」が29.3%と、「否定」、「肯定」、「どちらとも言えない」という回答が、それぞれ大体3分の1ずつに分かれています(※)。この結果から、「不登校については、肯定と否定のどちらかはっきり答えられない実情が見えます。ただ、みんなそれなりに山あり谷ありの人生を送り、大人になっていく。不登校だから将来こうなるということは言えないのです」と石井さんは分析します。■子どもにとっての「居場所」は外にあるとは限らない書籍では、ロバート・キャンベルさんが「学校以外にも魅力的なハッチ(非常口)が必要だ」と語られています。子どもたちにとってどんな場所が非常口となるのでしょうか。義務教育期間の子どもたちにとって、学校以外の選択肢を石井さんに教えてもらいました。【学校以外の主な選択肢(小中学生)】●教育支援センター(適応指導教室)小中学校の不登校児童や生徒を指導、支援するため、全国の市町村の教育委員会が設置している。学校以外の場所や学校の余裕教室を使って開催されていて、無料で利用できる●フリースクール民間の教育機関で、利用料金の月額平均は33000円。全国に約500か所あり、その目的はそれぞれ異なっていて、内容もさまざま●ホームエデュケーション家庭をベースに学び育っていく教育方法のこと「魅力的なハッチ(非常口)」となる子どもたちに合った居場所の見つけ方については、石井さんは次のようにアドバイスします。「子どものために開かれている場所には必ず人が集まってきます。その場所の人の集まり具合を見ること、そしてその場にいる子どもたちの表情を確認してください。子どもって、心から楽しければ笑顔が出ますから」(石井さん)さらに石井さんは、「子どもにとって必ずしも居場所は外にあるわけではない」と言います。「子どもにとっての居場所が、“自分の部屋”ということも大いにありえます。本人が『いま、そこにいたい』と思える場所を尊重してあげてほしいですね」と話します。■子どもが心を閉ざす前に、親ができること書籍の中で、内田さんが母として不登校への向きあい方について、悩み、答えを探る様子がつづられています。不登校経験者との対談のなかで、内田さんは次のように問いかけます。私も、息子や娘が心を閉ざす瞬間に「もうちょっとヒントちょうだい!」って思っちゃう。「間違えたことを言っちゃってるんだったら、どの部分がダメだったのかを教えて」って。出典: 『9月1日 母からのバトン』 この内田さんの切実な想いの根底にあるのは、「親が子どもとどのように関わるのが正解なのかわからない」という想いなのかもしれません。この問いかけに対して不登校経験者は、「親との距離が近すぎたこと」と回答しています。石井さんも「私自身もそうだったのですが、親との距離が近すぎて、その期待に答えられず悩んでいる子どもは多くいます。毎日顔を突き合わせるなかで、煮詰まってきてお互いに苦しくなり、いがみあってしまう親子もこれまで目にしてきました」と語ります。お互いの幸せを願っているはずの親子間で、そうした悲しいすれ違いを起こさないためには、どのようにすればいいのでしょうか。石井さんは取材をするなかで、親子の分離がまったくできていない人と出会ったそうです。「幼児期は親のケアを必要としますが、子どもはどんどん自立しはじめますよね。親として戸惑いがあるのは当然だと思います。それでもやはり、親と子は別人で、親は他人として子どもを支えるんだという距離感は必要です」と石井さんはアドバイスします。親にとっては、失敗が許されないと思える子育ての現状。しかし石井さんによると、不登校をきっかけに、親子関係を再構築する人も多いといいます。親子の「距離感」はとても難しい問題で、簡単に正解は見つかりません。でも、親は子どもの意志を支えるということを意識しておくことが大切なのかもしれません。■「この子があぶない!」親だけができることとは?樹木さんが亡くなる直前に思いをはせていた9月1日、今年もまもなくその日が訪れます。実際に親たちは、夏休み中の子どもたちのどんな様子に気をつければいいのでしょうか。石井さんによると、注意するのは次の4つのポイントです。【夏休み中の子どもに注意すべきポイント4つ】・食欲がわかない・眠れない・イライラして情緒不安・勉強が手につかないもし子どもたちにこのような様子があれば、「すぐにでも学校から距離を取らせてあげた方がいい」と石井さんは言います。「親が『この子は危ない』と感じる勘を信じてください。それが一番間違いないからです。『学校に無理して行かなくてもいいんだよ』という最初の“ドクターストップ”をかけてあげられるのは、専門家ではなく一番身近な親だけなんです。その後、医師などの専門家に相談してください」と石井さんは語気を強めました。「死なないで、ね……どうか、生きてください……」という樹木さんから届けられたメッセージ。親自身が一人ひとりしっかりと受け止め、子どもたちの様子を見て、最初に対応してあげる必要性を強く感じます。■樹木希林流「親がつらいときの対処法」最後に、樹木希林流のしんどい時の対処法について、考えてみたいと思います。樹木さんは、「しんどいときにどうやり過ごすか」という質問に対して、「笑う」と答えています。私にもしんどいときはもちろんあります。(中略)しんどいんだけど、そのときにしんどいって顔をしないで、こうやって笑うの。笑うのよ。ね? あんた頑張ったわよって、頭をなでて、笑う。ほかの人がいるときにそうやってたら馬鹿みたいだけど(笑)、そうやって笑って、「いいなあ、いいなあ」って言ってるうちに忘れちゃうの。出典: 『9月1日 母からのバトン』 内田さんも樹木さんから生前にこのアドバイスを教わり、実際にやってみたそうです。「本当に無気力になって、もうこれは笑えないないと思った時にそれをやってみたら、心なしか気持ちが軽くなっていって、バカバカしいことをしている自分に対してクスッと笑えた」と書籍で打ち明けています。“しんどいときに笑う”。なかなか難しいとは思えますが、不登校の子どもに対しても、親はできれば笑顔でいてほしいと石井さんも話します。「子どもが不登校になると、どうしても思いつめてしまうとは思いますが、できれば悲しむ様子や涙は外で出して、子どもの前では見せないであげてほしい。親の楽しそうな様子や笑顔は、理屈ではなく子どもを勇気づけますよ」(石井さん)ここまで樹木さんの言葉をもとに、石井さんと学校に行きづらいと悩んでいる子ども、そして親との関わりについて考えてきました。いま学校に行くことがつらい人、「学校に行けない」ということを言えない人、“みんな”と同じようにできなくて苦しんでいる人がいるかもしれません。そして子どもの想いと将来を思いやって、どうすることが正解なのか苦悩している親御さんもいるでしょう。樹木さんの人生を通じて語られた言葉は、大きな学びとなったように思います。樹木さんと内田さん母娘の思いに触れて、あらためて自分自身は親として子どもに何ができるのか、考えるきっかけにしてはいかがでしょうか?樹木さんは、次のようなメッセージを贈っています。この子の苦しみに寄り添うしかないのよね。だから、ああしろ、こうしろとは、もちろん言わない。言って治るようならとっくに治ってるでしょう?出典: 『9月1日 母からのバトン』 「9月1日」子どもたちみんなに居場所がありますように。■樹木 希林さん、内田 也哉子さんの著書 『9月1日 母からのバトン』 (ポプラ社 ¥1,620(税込み))女優・樹木希林さんが生前、不登校の子どもたちへの思いを語った言葉などをもとに、娘の内田也哉子さんがさまざまな立場の人たちと対談しながら、その考えをたどる様子を記録した書籍。今回取材した不登校新聞の石井編集長が樹木さんを取材した記録や内田さんと対談した様子も収録されています。●不登校新聞とは1998年に創刊された不登校に関する専門誌。当事者の視点を大切に、不登校についての情報を発信し続けている。●石井志昂(いしい・しこう)さんプロフィール1982年東京都生まれ。中学校受験を機に学校生活が徐々にあわなくなり、教員、校則、いじめなどにより、中学2年生から不登校。同年、フリースクール「東京シューレ」へ入会。19歳からは創刊号から関わってきた『不登校新聞』のスタッフ。2006年から『不登校新聞』編集長。これまで、不登校の子どもや若者、親など300名以上に取材を行ってきた。<参考サイト>※文部科学省: 「不登校に関する実態調査」
2019年08月26日夏休み明けは「学校に行きたくない」と言う子がもっとも増える時期。気持ちを吐き出せずに抱え込んでしまうと、不登校になってしまうこともあるそうです。そうならないためにも、子どもが話してくれたときに、きちんと話を聞いてあげることが大切。スクールカウンセラーの先生に教えてもらった子どものストレス対処法を紹介します。必要なのは共感! 話を「聞く」と「共感」するのは違う息子が小学校へ上がったばかりのとき、「学校でイヤなことがあった」と毎日のように言ってくる時期がありました。話を聞いてあれこれ試しましたが、なかなか解決できず、スクールカウンセラーの先生に相談することに。先生いわく、子どもが問題を抱えているときに一番必要とされているのは、“共感”することだそう。「うれしかったんだね」「悲しかったんだね」子どもの気持ちに寄り添うのが共感。それとは逆に、してはいけない返しのパターンが9つあります。「学校で友達とイヤなことがあった…学校へ行きたくない」と言われたときの例で見てみましょう。<9つのパターン>1.命令:つべこべ言わず学校へ行きなさい2.脅迫:学校に行かないともっと仲悪くなるよ3.説教:あなただって兄弟に同じことするでしょ4.提案:イヤだって言ってみたら?5.非難:あなたが気にしすぎる性格なのよ6.称賛:イヤなことがあってもガマンしたのね7.同情:かわいそうに…あなたは悪くないわ8.侮辱:そんなこと言うなんて性格悪いわね9.分析:いつ?誰と?それでどうなったの?私の場合、状況を把握したいために根掘り葉掘り状況を聞き出そうとして、どうにかしてあげたいという気持ちから「ああした方がいいんじゃない?」「こう伝えてみたら?」と言っていました。上の例でいう提案と分析です。ある日、息子から「学校であったイヤなことを話したときに、いろいろ聞かないでほしい」と言われてしまいました。これではいくら話を聞いてあげても、問題が解決しないわけです。暴力的な表現にはどう対処する?共感するのが大切とはいえ、「ぶん殴りたい」など暴力的な言葉に対してはどう対処すればいいのでしょう。共感したら暴力を肯定することになるのでは?親としてはどんなことがあっても殴るのはよくないと言いたくなるのが本音です。すると先生は、「子どもは本当に殴りたいと思って言っているわけではありません。“殴りたいくらい怒っていたんだね”と、そのときの感情を代弁すればいいんです」と話されました。早速、「もう〇〇くん大っ嫌い!」と息子に言われたとき、「大っ嫌いになるくらい悲しかったんだね」と気持ちを代弁してあげました。すると、「なんでぼくの気持ちわかったの?」と急に笑顔に。普段は、プンプン怒りながら長々と話をするのに、共感した日はそれでおしまい。息子の場合、問題を解決してほしかったわけじゃなく、気持ちをわかってもらいたかっただけなんだと気がつきました。引きずってしまうイヤな気持ちを手放す方法話を聞いてもらっただけでスッキリする子もいますが、中には上手に気持ちの切り替えができず、引きずってしまう子もいるそうです。そこでイヤな気持ちを手放す方法を教えてもらいました。<イヤな気持ちを手放す方法>1.イヤな気持ちの顔を想像しながら紙に描きます。間違えてはいけないのは、描くのはイヤなお友達の顔ではありません。あくまで自分のイヤな気持ちを具現化させます。紙以外にも風船に直接描いてもOK2.紙を枕やクッションに貼りつけ、パンチしたりキックしたりして気がすむまでやっつけます3.最後にビリビリにやぶいてイヤな気持ちにさようならをします。そのあとは、アイスクリームを食べに出かけるなど親子で楽しいことをして過ごすといいそうこの方法を息子に提案したら、「かわいそうだからイヤだ」と言われてしまいました。「じゃあどんな方法ならいいと思う?」と聞いたところ、「おしっこと一緒に出して、ジャーって流す」「手の平にのせてフーって吹き飛ばす」という回答が帰ってきました。どんな方法でも、その子がスッキリするならいいとのことです。親がお手本になって最後に先生から「もっとお母さんも気を抜いていいんですよ」とアドバイスをもらいました。「今日こんなイヤなことがあってね」と子どもにグチを聞いてもらうのもあり。最後に「聞いてもらったらスッキリしちゃった!」と言えば、イヤな気持ちを手放す方法を教えることもできます。アドバイス通り、息子にイヤな出来事を話すと、「お母さんにもイヤなことがあるんだね! ぼくと同じだね!」とイヤなことがあるのは自分だけじゃないとわかってくれました。最近は、先生の話を参考にして、「休みの日はのんびり過ごそう!」「今日は疲れたからレトルトでもいいよね〜」などほどよく適当に過ごすようにしています。親子で上手にガス抜きしながら、子どもにはイヤな気持ちとのつき合い方を学んでもらえたらうれしいです。<文・写真:ライター三浦麻耶>
2019年08月25日「死なないで、ね……どうか、生きてください……」亡くなる2週間前にこんな言葉を残したのは、昨年2018年9月に亡くなった女優の樹木希林さん。樹木さんは、学校に行けなくてつらい思いをしている子どもたちにメッセージを贈っていました。樹木さんが不登校などについて生前語った言葉と、その娘である内田也哉子さんがその思いを受けて語った内容がつづられた書籍 『9月1日 母からのバトン』 が発売されました。樹木さんに取材経験があり、書籍内で内田さんとも対談されている不登校新聞の石井志昂(いしい しこう)編集長とともに、不登校で悩む親子に対する樹木さんからのメッセージを読み解きたいと思います。お話をうかがったのは…●石井志昂(いしい・しこう)さん1982年東京都生まれ。中学校受験を機に学校生活が徐々にあわなくなり、教員、校則、いじめなどにより、中学2年生から不登校。同年、フリースクール「東京シューレ」へ入会。19歳からは創刊号から関わってきた『不登校新聞』のスタッフ。2006年から『不登校新聞』編集長。これまで、不登校の子どもや若者、親など300名以上に取材を行ってきた。●不登校新聞とは1998年に創刊された不登校に関する専門誌。当事者の視点を大切に、不登校についての情報を発信し続けている。■樹木希林さんの言葉が持つ力「死なないで、ね……どうか、生きてください……」去年の9月1日、母は入院していた病室の窓の外に向かって、涙をこらえながら、繰り返し何かに語りかけていました。あまりの突然の出来事に、私は母の気が触れてしまったのかと動揺しました。それから、なぜそんなことをしているのか問いただすと、「今日は、学校に行けない子どもたちが大勢、自殺してしまう日なの」「もったいない、あまりに命がもったいない……」と、ひと言ひと言を絞り出すように教えてくれました。この2週間後に、母は75年の生涯に幕を閉じました。出典: 『9月1日 母からのバトン』 より夏休み明けの9月1日は、子どもの自殺が最も多くなる日。内閣府の調査でも明らかになったこの数字(※1)。書籍の冒頭で、亡くなる直前に病床で語られた樹木さんが語られた言葉は胸に迫るものがあります。書籍には、生前語られた樹木さんの言葉がつづられています。そして樹木さんのメッセージは、子どもたちからの切実なSOSの代弁にも感じられ、さらに親に対する思いも込められていました。■樹木希林さんは、なぜ不登校の子どもに思いをよせたのか?石井さんが初めて樹木さんと会ったのは、2014年7月。不登校新聞の取材に、樹木さんが答えたときのことでした。「こちらは不登校について話を聞く。樹木さんは自分が人生で得たものについて答える。お互いに生きざまのぶつけ合いのような取材でした。直接的な答えがなかったとしても、希林節の言葉が不思議と心に響く。信じられないくらいおもしろい取材ができました」と石井さんは振り返ります。その後、2015年に再び樹木さんに会った石井さんは、「毎年9月1日前後に、18歳までの若い人たちがたくさん自殺している現状」を伝えます。そのとき「自殺するよりはもうちょっと待って、世の中を見ててほしい」と語った樹木さんが、この日のことをその後もずっと覚えてくれていたのだと、娘の内田さんからの連絡で知ります。「樹木さんが、自分と同じ気持ちでいてくれたことを知り、感動で震えました。闘っているのは自分だけじゃないんだと思えましたね」(石井さん)■樹木希林さんの「親としての価値観」とは書籍では、樹木さんの娘である内田さんが、さまざまな立場の人たちと対談しながら、樹木さんの思いをたどっていきます。樹木さんは母親としてどのような考えだったのか、書籍からみえてきたことは、「親の価値観」の持ち方を重視していたということです。子どもには子どもの社会があるんですよね。大人から見て「そんなの!」って言ったってだめだから。そういうときはもう、寄り添ってやるしかないかなと思っています。(中略)不登校の子どもよりも、私は親の価値観(の問題)なんだと思うんです。もっと、何かと比べるとかはなしでいいじゃないですか。違っててもいい。出典: 『9月1日 母からのバトン』 より親にとっては、子どもが不登校になるのは人生の一大事で、どうしても学校に行けるほかの子どもと比べてしまいがちです。でも樹木さんの言葉からは、そういった状況のなかでも「親の価値観」をしっかりと持ち、子どもの個性を「違っていてもいい」と認めてあげることのほうが大切だという考えが伝わってきます。■苦しみは「わかってもらえなくてあたり前」という考え自身も不登校の経験があり、「不登校新聞」の取材で多くの不登校の子どもたち、親と話す機会がある石井さんによると、親とくに母親は、子どもが不登校になると、深く傷つくのだそうです。「『私がダメな母親だから、子どもが不登校になった』という加害意識と、『でもだれも助けてくれなかった』という被害意識が堂々巡りして、母親は、孤独な状態に追い込まれていきます」(石井さん)そんな母親たちにとって、同じ立場の人と出会い、自分が置かれている大変な状況を認識して、「自分自身も救われていいんだ」と思えることが、大切なのだそう。そうした傷つき、孤独な親の気持ちにも、樹木さんは思いを寄せていました。みんなそれぞれの苦しみを抱えてられていることがわかったんだけど、それを「わかってくれ」って、「わかってくれない」って、嘆いてもはじまらないの。わからないの、人の苦しみは。(中略)「わかってもらえなくて当たり前なんだ」と思ったときに、もっと楽になっていくんじゃないかな、というふうに思いました。出典: 『9月1日 母からのバトン』 より「自分の苦しみはわかってもらえなくて当然」という樹木さんの言葉は、一見突き放したようにも思えます。ただ、樹木さんは苦しみから救われるために、「自分でも不幸な思いをした人が、不幸な思いで苦しんでいる人に会ったときに、すごく気持ちをわかってあげられることがある。それが”寄り添う”こと」とも語り、同じ立場の者同士が寄り添い、理解し合うことをすすめています。「子どもの気持ちを理解したいのに、わからない」とか「だれもこの苦しみをわかってくれない」とつらい状況にいる親の気持ちに寄り添ったうえで、親をその苦しみから解放してあげる術を樹木さんは考えていたのかもしれません。また「同じ悩みを持つ人同士が話し合う」という方法については、石井さんも「不登校の子どもやその親にも当てはまる。私自身、不登校になって初めてフリースクールに行ったときは、”自分だけじゃないんだ”と体に入ってくる安心感がありました。親も同じで、同じ立場の人と出会うだけですごく安心できるんです」と、同調しました。■子どもの最後の命綱を握れたという信頼関係9月1日に寄せた樹木さんからのメッセージ。一体私たちはどのように受け止めればいいのでしょうか。石井さんは、不登校の子どもをもつ親に対して、「どうか自分を責めすぎないでほしい」とメッセージを送ります。不登校になったきっかけについて、文部科学省の調査によると、小学生では「家庭生活が起因する」とする答えた人が54.1%ともっとも多くなります。そして中学生では「学校生活に起因する」の割合がもっとも高くなります(※2)。石井さんは、こうした不登校理由の1位が「家庭」となることもあって、責任を感じすぎてしまう親が多いと言います。しかし、「『不登校になって、家で引きこもることで苦しさを出せた』ということは、それだけ親を信頼していることの表れ」だとも話します。「『あなたの子育ては間違いじゃなかった』ということをぜひ親御さんには伝えたいです。不登校になった子が命綱を親に差し出し、その命綱を親が握ることができたこと。そういう信頼関係を築けたことを親は誇りにしてもらいたいんです」(石井さん)さて、ここまで樹木さんの言葉を石井さんといっしょにひもとき、不登校への親の対応や意識の持ち方について考えてきました。樹木さんならではの言葉はどのように胸に響いたでしょうか。次回は、「学校に行くことって当たり前?」というテーマで、より具体的な対策について引き続き石井さんとともに考えていきたいと思います。■樹木 希林さん、内田 也哉子さんの著書 『9月1日 母からのバトン』 (ポプラ社 ¥1,620(税込み))女優・樹木希林さんが生前、不登校の子どもたちへの思いを語った言葉などをもとに、娘の内田也哉子さんがさまざまな立場の人たちと対談しながら、その考えをたどる様子を記録した書籍。今回取材した不登校新聞の石井編集長が樹木さんを取材した記録や内田さんと対談した様子も収録されています。<参考サイト>※1、内閣府: 「学生・生徒等の自殺をめぐる状況」 ※2、文部科学省: 「平成29年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について」 (PDF:3006KB)
2019年08月25日お子さんたちは夏休みをいかがお過ごしですか。昔は、夏休みには多くの地域でラジオ体操が行なわれていましたので、子どもたちもそれに合わせて早起きをしていたものです。最近ではそのような光景が少なくなり残念ですね。夏休み中に学校のプールが開放されている場合には、ぜひ参加して水と仲良くなるといいでしょう。塾や地域のスポーツチームでの練習、家族との帰省など予定がぎっしりつまっている人もいると思います。人によって過ごし方はいろいろですが、夏休みは何か普段できないことにチャレンジするとてもいい機会です。ご家庭で、夏休みをどう過ごすかをしっかり話し合って、計画的に充実した夏を過ごせるといいですね。夏休み中の「遅寝・遅起き」はこんなに危険!夏休みをどう過ごすかによって、体や心に大きな影響が出ます。特に、学校がお休みだからといって「遅寝・遅起き」の生活を続けていると、体調が崩れてしまいます。具体的には、体のだるさを感じる、食欲がなくなる、精神的にも意欲が低下して「何もやる気がしない」という状態になる、などの問題が起きてしまうのです。私の養護教諭時代の経験では、夏休み明けに、もともとやせていた子どもがますますやせてしまったとか、太り気味だった子どもがさらに太ってしまったなどということがよくありました。前者は、もともとたくさん食べられないうえ、夏のだるさで体を動かさないためにますます食欲がなくなり、そうめんなどの口当たりがいいものしか食べられなくなるケース。後者は、食欲の旺盛さは維持しつつも体を動かさなくなる分、そのまま体重増につながってしまうケースです。例えば、夏の間に身長が3cmも伸びたのに、体重は逆に1kgぐらい減ってしまった子どもや、身長は確かに伸びたものの、体重の増加が身長の伸びを極端に上回る子(1ヶ月で5kg増)などもいました。先ほど述べた心身の調子だけでなく、こうした体の成長にも、夏休み中の生活の仕方は大きく関係しているのです。人間の体のリズムは、夏休みだからといって変わることはありません。7月号でも紹介しましたように、生活リズムが崩れると「夏バテ」や「熱中症」にもかかりやすくなりますので、規則正しい生活1日1回以上は外に出て汗をかくぐらい体を動かす食事は3食しっかり食べるの3つは、きちんと守りましょう。1日のスタートはやはり、家族そろって一緒に朝ごはんを食べることをお勧めします。ゲームなどのやりすぎに要注意夏休みには、ゲームなどのやりすぎにも注意が必要です。自由時間が長いのをいいことにゲームばかりしていると、知らないうちに依存症になってしまう可能性があるからです。最近は若者たちの間でゲーム依存症が増えています。これは世界的にも問題になっており、世界保健機関(WHO)は2019年5月にゲーム依存症を「精神疾患」として位置づけ、治療が必要な疾病に分類しました。特に問題なのは、ネットにつないで友だちと競い合うようなゲームです。夢中になると、1日中お部屋にこもったり、夜更かしをしてしまったりすることにもつながります。こうしたゲームは若者のみならず小学生の間にも広がってきていて、小学生のなかにもゲーム依存症に近い人(予備軍)が出てきているのです。お子さんがゲームに依存しないためには、各ご家庭で 「ゲームの時間は1日何時間」と決め、それをしっかり守らせることが大切です。また、何もすることがないとついついゲームを手にしてしまうことになりますから、1日をどのように過ごすのか、何をするのかなどを「親子できちんと決めて、行動する」ことを大切にしましょう。そういう意味では、学校のプールの活用や、地域の児童館などが開催する催し物などへの参加をお勧めします。夏休み中に見られる、休み明けの“不登校”の兆し夏休みが終わると、ほとんどの子どもたちが真っ黒に日焼けして、友だちや先生に久しぶりに会うことを楽しみに元気に登校してきます。しかし、なかには夏休み明けに学校に来られなくなるお子さんもいます。その原因はいろいろなことがあり得ますが、ひとつには「生活リズムの崩れ」による影響が挙げられます。先に述べたような「遅寝・遅起き」に代表される夏休みの不規則な生活のせいで、「夜眠れない」「朝起きられない」「体調が悪い」といった不調が起き、それが気力・体力の低下につながってしまうのです。そういった不調が、単なる生活リズムの乱れによるものにすぎない場合には、朝多少無理やり起こして活動させても大丈夫でしょう。ですが、もしかしたらその現象が「学校に行くことが辛い」というサインである可能性も。その場合には子どもの接し方に注意が必要になってきます。「学校に行くことが辛い」のはなぜなのか、誘因となっているものを探り、丁寧に対応する必要があるのです。その誘因は、夏休み中というより1学期の生活の中にあったかもしれません。学習のつまずき、友だちや先生との関係、あるいは家庭の中にある心配などです。夏休みこそ親子でしっかり向き合い、お子さんが不安に感じていることは何かを理解し、対策を考えましょう。また、子どもにストレスが見受けられる場合は、普段はできない家族旅行や解放的な自然環境のなかで、体も心もリラックスして遊び込むことがとても有効です。自然には、人間に癒しを与えてくれるたくさんのエキスがありますし、とことん遊ぶと頭がすっきりし、よく眠れます。親御さんもお子さんと一緒に体を動かせば、日頃の疲れやストレスが解消されるはず。夏休みの家族の過ごし方としてはもってこいだと思いますよ。普段は子どもとゆっくり話をする時間が取れない方も、夏休みは絶好のチャンスです。長い休みを有効活用しましょう。就寝が遅くなったら、翌朝は寝坊OK?NG?夏休みならではの親御さんの困りごとに、いくつかアドバイスをいたしましょう。【親御さんからの質問 1】夏祭りや帰省、旅行など、イベントがあるたびに生活リズムが崩れ、一度崩れるとなかなか元に戻りません。特に、就寝時間がどうしても遅くなってしまいます。何日間ぐらいまでなら生活リズムが乱れても大丈夫でしょうか?生活リズムの崩れは、意識的に直さないとなかなか元に戻りません。時差ボケの経験がある親御さんはわかると思いますが、昼間とても眠かったり夜中に眠れなかったりしても、昼間の活動を続けているうちに2~3日もすれば元のリズムに戻ります。ですから、「生活リズムの崩れが何日までなら大丈夫か」というより、リズムの乱れが直るのには2~3日かかることをまずは知っておいてください。イベントなどで疲れて帰ってきても、翌日の朝はとにかくあまり寝坊しないで、体を動かしましょう。昼寝は30分ぐらいならいいかと思いますが、長く寝すぎたり夕方近くに眠ったりしてしまうと、夜の睡眠に響きますので要注意です。また、外出が続けば体も疲れますので、新学期が始まる前1週間はなるべく遠出などは控え、普段どおりの生活に戻すことが大切だと思います。テレビは1日何時間まで見せていいの?【親御さんからの質問 2】外で長時間遊ばせると熱中症が怖いし、かといって家の中で過ごさせるとテレビを長時間見たがります。「テレビの見すぎは良くない」と思うのですが、そもそも1日何時間ぐらいまでなら子どもにテレビを見せてもいいのでしょうか?親として安心できる指針が欲しいです。今の時代は、テレビ視聴だけでなくゲームやDVD、インターネット動画など、メディアとの接触時間をトータルで見ていくことが必要だと思います。特にYouTubeは、子どもたちの多くがなりたい職業にYouTuberを挙げている(※)ことからも、その視聴時間はかなり長いことが予想できます。(※2018年9月、学研教育総合研究所学研教育総合研究所調べ)私が小学校で養護教諭をしていた頃、夏休み明けの子どもたちに、長期休み中のメディア接触時間を調査したことがあります。そのなかに、テレビやゲームの時間を合わせて1日6時間~8時間と答えた子がいたのにはびっくりしたものです。また、いま教鞭をとっている短大の学生のなかにも、1日5~6時間はメディアを見ているという学生がいます。彼らの多くは、短大生になってからというより、子ども時代からメディアに長時間接触しているのだとか。幼少期のメディアの視聴習慣は長きにわたって影響を及ぼすといえそうです。ご家庭でのテレビの視聴時間は、「1時間」とか「2時間」というような決め方だと、ドラマの途中でも見るのを止めなくてはならなくなってしまいます。1週間を通してどの番組を見るのかを決め、おおよそ1日2時間程度だと理想的ですね。午前中1時間、午後1時間などのような規則を作るといいでしょう。しかし、親が見ているのに子どもはダメというのも矛盾がありますから、テレビを消したら親子で一緒に何かをするというような方策が必要だと思います。一緒に料理を作るとか、本の読み聞かせをするなど、家族でコミュニケーションを取る時間にしたいですね。「10歳の壁」は夏休み中に越えられる?【親御さんからの質問 3】うちの子は、夏休み前あたりから学校の勉強が難しく感じると言うようになり、勉強への苦手意識が出始めました。夏休み中に少しでも苦手な箇所を克服してもらいたいのですが、あまりうるさく言うのもかわいそうな気がするし、「このまま不登校になったらどうしよう?」と心配になります。どう声をかけてあげたらいいでしょうか?今、「10歳の壁」という言葉がよく使われていますね。その1つに挙げられるのが、10歳前後の子どもが勉強面や心理面でつまずき劣等感を抱いてしまうこと。学校の勉強で抽象的な思考が始まるこの時期に、「勉強が難しい!」と感じる子どもたちが増えているのです。昔はこうした問題はなかったのか、というと、昔もあるにはありました。ですが、昔は今日ほどには社会も親も勉強のことを気にしなかったので、子どもたちも「勉強はきらい!」と平然としていられたように思います。しかし、今は3年生ぐらいの子どもでも、「自分はクラスの中で勉強ができる方だ」とか「できない方だ」ということをかなり意識しているようです。「勉強ができない」という自覚が自尊感情の低下につながらないようにしたいですよね。お子さんの授業のノートやテストの結果を見て、どこでつまずいているのかを把握し、親御さんが教えてあげられればそれが一番いいかと思います。しかし、高学年になるとなかなか学習も難しくなります。難なく教えられることばかりではなくなってきますので、親御さんもお子さんの教科書をみて「ママにできるかな~」などと言いながら、一緒に勉強するといいでしょう。また、事情が許せば夏休みに友だちを呼んで一緒にグループで宿題などに取り組むのもお勧めです。友だち同士の教え合いもいいですね。「勉強って、わかると面白い!」という経験を、夏の間にぜひたくさんさせてあげたいものです。心も体も元気で新学期を迎えるために長いお休みの間には新しい体験や楽しい思い出ができるように、家族でいろいろ話し合ってみましょう。おうちのお手伝いなども、子ども自身が家族の一員として役立っていると実感できるチャンスです。子どもが少し頑張ったらできそうなことをお願いし、達成できたら「助かったよ」というメッセージを伝えてあげましょう。意欲が増し、心の成長にもつながるはずです。夏休み明け、「友だちに会うのが楽しみ!」「こんな作品作ったから早く先生や皆に見せたい!」といった楽しい気持ちで、心も体も元気で新学期を迎えられるといいですね。(参考)yomiDr.|ゲーム依存症は「精神疾患」…WHOが分類改訂日本海新聞,「中高生ネット依存93万人」,2018年9月1日付.学研教育総合研究所|小学生白書Web版2018年9月調査 6.将来について 将来つきたい職業(全体ランキング)
2019年08月08日学校生活を楽しんでいた息子が、ある日「学校に行くのが嫌になってきた!!」と叫んだ理由特別支援学級の利用を始めたことにより、教室で過ごす不快感を軽減。約1年半に渡る不登校生活を送っていたことが嘘であるかのように、息子は楽しそうに通学を続けた。しかしある日、「また学校行くのが嫌になってきたよ!!」と言い出すではないか。理由を聞き、息子が話してくれた内容をまとめると、下記の2点だった。●衝動性の高いクラスメイトとの衝突が絶えない(特別支援学級で)息子は感情を言語化するのがやや苦手で、頭の回転に言葉がついていかないことがしばしばある。そのうえ、言葉を選びながら話をするので、思考と言語がスピーディーに結びつくタイプの子からしたら、「どうしてすぐ返答がないのか」とじれったくなるのだろう。そこでけんかになってしまうらしい。●授業中に発言を求められるときや、給食のおかわりをするときなど、注目されるのが辛い(通常学級で)自閉症スペクトラム障害の特性か、息子は失敗を極端に恐れ、緊張と不安を感じやすい。同時に、注目を浴びることを心底嫌っている。授業であれば発言者の話を聞くのが当然の空気であるし、おかわりのときは「誰かおかわりしているな」と、音に反応する程度のことで、おそらく深い意味などないだろう。誰も悪くない話だ。どう返していいのか分からない。私は「そうか、それは大変だったね」と返したあと、しばし言葉に詰まってしまった。スピーディーなクラスメイトも、授業中や給食の時間、息子に振り向くクラスメイトたちも、誰も悪意があってそうしているわけではない…と伝えたところで、息子は自分だけが叱責されているような気分になるかもしれない。これには困った。困ったが、口を開いた。「大変だし辛いのは分かった。分かったんだけどね、一旦ここで回避しても、同じような問題がまた出てくると思うんだ。でね、あなたは決して悪くないんだけど、相手も悪くないんだよ。だから両方の話を聞いて、説明する人が必要だと思う。でもそれを私がしてしまったら、不公平になる気がするんだよね。だからさ、先生に相談してもいいかな?」合間合間に入る息子の「でも!」「だって!」をなだめつつ、私が話し終えると、息子は黙って頷いた。「それが解決しても、学校へ行くのは嫌かい?」と私が問うと、息子はかぶりを振って、「ううん、友達に会いたいし、勉強もしたい。学校に行きたい」と呟いた。学校側の迅速な対応で問題解決。円滑なコミュニケーションを行えるようになった息子連絡帳を通じて、私は担任の先生に相談をし、その日のうちに連絡をいただいた。耐えない衝突については、双方に思考と発言の特性の違いを説明し、スピーディーな子には「焦る気持ちは分かるけど、急かさずに待ってみよう」、息子には「急かされると困るのは分かるけど、“もうちょっと待ってね”と怒らずに言うようにしてみよう」と話してくださったそうだ。注目されることに関しては、特別支援学級で過ごす時間を増やすことで視線の数を減らし、そのうえでストレスが減るか様子を見ましょう、という話になった。以降、衝突することはほぼなくなり、注目への恐怖感については特に息子から何も言ってこないが、おかわりをしたなどの報告をしてくるところをみると、気にならなくなったのだろう。発達障害あるあるのひとつ、アレキシサイミア(失感情症)による感情の後出しは息子にも見られる。そのため、「あのとき学校でのあれが嫌だった!これが嫌だった!」と、急にいろいろ思い出して爆発することは今でもあるが、その都度私ができるケアは私が、できないことは先生に相談し、大きなトラブルには至っていない。そして「学校に行きたくない」という言葉も聞かれなくなった。以前よりコミュニケーションも円滑に行えるようになったのか、気の合う友達が増えたようだ。放課後はすぐ遊びにでかけ、家に戻る時間も少し遅くなった。学校が休みである土日も、友達と遊びに出かけることが増えている。良かった。本当に良かった。参考:失感情症(アレキサイミア)| e-ヘルスネット(厚生労働省)不登校のきっかけは、授業だった?特別支援学級への転籍を勧められた、息子の学習姿勢「来年、進級するタイミングで、息子さんの所属を特別支援学級に転籍しようと思うのですが、いかがですか」個人懇談のとき、特別支援学級の担任の先生から持ちかけられた。この方、実は1、2年生のときの担任の先生でもある。息子が登校渋りをしていたころや、不登校を始めたばかりのころは、意見が合わずに悩むこともあったが、徐々にこちらの思いをご理解くださり、校長先生と教頭先生、特別支援コーディネーターが入れ替わるまでは、学校の中ではほぼ唯一の味方になってくださった。校長、教頭、特別支援コーディネイターとの4者面談は毎回辛かったが、この先生が寄り添ってくださったからこそ、私は乗り切ることができたのだ。「今さらですが、ずっと頑張っていた息子さんが、あの辺りで心が折れたのかな、と思える場面を思い出したんです。算数の授業で掛け算が始まったとき、(数字が好きで、就学前に掛け算の九九を覚えていた)息子さん、“やったあ!”って喜んだんです。きっとそれまでは退屈だったのでしょうね」授業で掛け算が始まったと、息子が報告してくれたことは私も覚えている。本当に嬉しそうだった。「だからしばらくは楽しそうだったんですけど、すぐに高度な応用問題に授業が進むはずはありません。だんだん上の空で授業を受けるようになって…」おそらくその時期に、「大好きな算数が嫌いになってきた」と息子がこぼしたことがあった。感覚過敏による苦痛も訴えていたので、特別支援学級の利用をお願いしたのだが、「頑張れば通常学級でもやっていける」というのが学校側からの回答だった。行政の特別支援教育センターに間に入ってもらうこともあったが、こちらの要求が受け入れられることはないまま、息子は不登校生活を選択することになる。「あのときすぐに、特別支援学級を使ってもらえば良かったのかもしれません。本当に申し訳ありませんでした」とはいえ、今では特別支援学級での学習が叶い、息子も嬉しそうに登校をしている。だから私は気にしていないと伝えた。ただ一つ問題があるとすれば、私が学習のサポートをしきれなかったことで、いくつかの教科に遅れが生じてしまったことだ。「息子さん、それもあっという間に覚えていくんですよ。今はほとんど足並みが揃っていますよ。学ぶことが好きというか、そういうゲームをしているような感覚なのかもしれません。ここ(特別支援学級)では、今日はここからここまでと、授業を進める範囲が決められています。それが終わったら自由学習の時間。学習の範囲であれば何をしてもいいことになっているんです」自由学習の時間、息子は上学年の教科書を開き、タブレットでその内容について調べていることもあるらしい。やはり、新しいことをどんどん覚えていきたいという気持ちが強いのだろう。「せっかくの意欲を削いではいけないので…理解をしている内容に関しては復習程度にとどめ、他の児童が通常の学習をしている間、息子さんには応用問題などを解くなどして、先に進んでもらうようにします。そのためにも、通常学級も利用しながら学ぶことには変わりないのですが、基本の所属を特別支援学級にした方がいいかと思うんです」その他にも、さまざまな制度の説明を丁寧にしていただき、転籍した方がいいと思われる理由を伺った。細かな内容は忘れてしまったが、至極納得したことは覚えている。そして先生は、息子の様子をつぶさに観察なさって、どのように学習を進め、どのようにサポートすべきかを考えてくださっている。心底ありがたかった。衝突することもあったが、この先生に思いを伝え続けて良かった。ちなみに息子は、この先生のことが1年生のころからずっと大好きだ。「それでは、転籍する方向でよろしくお願いします」私は、先生に頭を下げた。不登校生活“一旦”終了。そして今思うことさて、もうじき夏休みに入ろうとしている現在、体調不良で2回欠席したものの、「あー、今日はあの授業受けたかったし、○○君たちに話したいことがあったのに!」とゲホゲホ咳をしながら申し上げる程度に、息子は学校好きである。しかし、成長に伴って解決する問題があれば、成長に伴って生じる困難もある。だから、今後トラブルが一切ないとは言い切れないし、「学校に行きたくない」と言い出さないとも限らない。「これからもあなたは学校が好きなままなのでしょうかね」と、聞いても仕方のない質問を私から息子に投げかけると、案の定「そんなの分かるわけないよ」と笑ったあと、「でも、ずっと好きだったらいいな。何かを勉強して覚えると、何かが楽しくなるじゃん。例えば、文字を覚えたら本が読めるとかさ。友達からは、のん(私の呼び名)と自分だけでは知ることができなかったことを教わったりできるし」と、彼なりに感じている“学校へ行くメリット”が添えられた言葉が戻ってきた。まあ、先のことなんて誰にも分からないのだ。不幸中の幸いと申せば語弊があるかもしれないが、息子の不登校生活をきっかけに、私は「小さなことであっても、学校にまつわる何かがあれば、迷わず学校に相談する」という手段を選べるようになったし、発達障害児やその保護者が受けられるさまざまなサポートや相談窓口があることを知った。そしてまた、信頼できる先生が、つぶさに息子の様子を把握し、最適な対応をしてくれている。終わってしまえば短かったかと問われたら、はっきり言って長かった。もうあんな日々は二度と訪れてほしくはないが、もし起きてしまったらそのときはそのとき。私はまた慌てたり騒ぐだろうが、頼れる存在に頼ったり相談をして、何とかするしかないだろう。経験は無駄ではない。と、思いたい。
2019年07月17日前回までの我が家の 不登校体験 は親からの視点で、不登校に対する親の関わり方や考え方などを描かせていただきました。また、うちは娘が不登校だったのですが、男の子の場合は違うことも多いのでは?と思い、今回は会ってみたかったスペシャルゲストにお話を聞いてきました!「学校生活が合わない子」がいることを認めよう!10年の不登校を経験し 「学校は行かなくてもいい ―親子で読みたい「正しい不登校のやり方」」 「ゲームは人生の役に立つ~生かすも殺すもあなた次第」 という著書も出されている小幡和輝さん(24)。小幡さんは「#不登校は不幸じゃない」の発起人で、10年の不登校後なんと高校3年の時に企業し、現在は会社経営をされています!会社を経営しつつ「#不登校は不幸じゃない」をキーワードに、昨年は全国100箇所で不登校の子どもたちに向けたイベントを各地で開催したり、 ブログ や Twitter などでご自身の経験など、不登校に関する情報をいろいろ発信してくださっています。スラっと長身の優しそうな、でも話し出すとキレのあるトークが印象的でした。「不登校は不幸じゃない」と掲げて精力的に活動されていますが小幡さんは不登校を推奨してるわけではありません!我が家の体験談でもお伝えしましたが、不登校になるということは辛いことでもあります。小幡さんも学校自体にたくさんのストレスを感じていて小学2年生の時から本格的に不登校になったとのことですが、両親との「行きなさい! vs 行かない!」の攻防が3ヶ月ほど続き、この時期が一番辛かったそうです。「親が学校に行かせようとする」それは世の中がそういう価値観・常識だから必然なのかもしれません。しかし実際には学校生活が合わない子がいるわけで…そういう子にとって、学校へ行かないという選択肢がないということは苦しみが長引き、状態も悪化してしまうと思います。私の不登校体験談でも描きましたが、不登校の苦しみを乗り越えるためには親が変わることが最初のステップだと思っています。子どもの気持ちを知る…そして受け入れる。このステップなくしては次には進めないと思っています。小幡さんの場合はどうだったのでしょうか。親も子も精神的に明るくいられることが大事なるほど!大人は不登校もゲームも悪いものと思いがちですが、我が家の息子もゲームが好きで、ゲームを通して仲良くなる友達もいます。(※ゲームというのは家庭用ゲーム機やスマホゲームだけを指すのではなく、ボードゲームやカードゲームも含みます)科学的にもゲームは脳に悪いことなんて無いそうです。小幡さんは不登校中もゲームをしていたそうですが、一人籠ってではなく、いとこや友達と一緒にやっていたので楽しかったそう。とても明るい不登校だったというのがお話から伝わってきました(笑)また、小幡さんは不登校は選択肢としてあってもいいけれど、引きこもりにならないことが大事とおっしゃってました。引きこもりにしないためには、親が子どもの気持ちや状態を受け入れ、そして家以外にも所属できるコミュニティがあるといいですよね。学校の友達と疎遠になってしまったのなら、習い事や、ネットで趣味が合う人やコミュニティを探すという方法も今ならあります。(危険もあるので注意しないといけないですが)私も不登校中、親も子どもも精神的に明るくいられることがとても大事だと思っています。子どものことだけで頭がいっぱいになって「過度な心配」をするのは、子どもをさらに追い詰めてしまうことにもつながります。ですが、子どもが不登校になると将来が不安になってしまう親心はなかなか消えませんよね。それについて小幡さんの意見は…学校を出て良い企業に就職というコースだけではなく、これからはいろんなコースが増えていくのかもしれませんね。私たちの親の時代にはなかった価値観が新しく生まれてきています。親として知っておきたいのは学校に行かなくても、仕事をするスキルを身につけて自立できる方法はあるということです。そして、小幡さんは高校生のときに起業された…とのことで、どのように起業したのか聞いてみると…好きなことをとことんやった経験がある人は強いえっ…そんなに気軽に…?と驚きのお話でした(笑)10年間の不登校時期に30,000時間くらいゲームをして、歴史、社会へ興味が出て、夜間の定時制高校に進学し「地域活性のワークショップ」をやったのがキッカケだそうで、今はイベント企画の会社を経営されています。…とにかく迷いがない。我が娘の場合、ゲーム漬けの日々もあったのですが、そのうち飽きました。つまり、そこまで好きなことではなかったようです。その後、絵を描きまくって現在イラストレーターとして働いています。親がゲームをしている子どもをみると、なんの生産性もない暇つぶしにみえることもあるのですが、ゲームに勝つために、攻略するためには子どもはいろいろ考えてます。ゲーム自体が問題なのではなく、付き合い方が大事だと思いました。それを親が理解するためには、一緒にやってみるのもいいのかなと。そして、好きなことをとことんやった経験があるというのは人を強くする気がします。子どもが安心して日々を過ごすこと、そのために子どもの気持ちを受け入れること、そして子どもの力を信じて待つこと。親が安心して、長い目で子どもの将来を見守ることで、子どもの精神状態は良くなると思います。そして、待ちながら良さそうな場所を探して誘ってみる(情報提供する)ことが親の仕事かなと思ってます。子どもにどう働きかけたら関係が良くなり、何を提示したらやる気を育てられるのかな~と「育成ゲーム」をするような客観的視点も大切なのかもしれません。ただ育児はゲームではないのでリセットはなく常に愛を持って最善を尽くすしかないんですけどね。「#不登校は不幸じゃない」イベントについて…夏休み明けは学生の自殺報道が増えます。「本当の不幸は学校に行けないことではなく不登校になれなかった子に起こる」と小幡さん。そんな悲しい出来事を減らしたい!この記事の冒頭でも触れました、全国一斉イベント「#不登校は不幸じゃない」が今年も行われます。 イベント詳細はこちら>> 小幡さんの活動をもっともっと知りたい人はブログやSNSなどを見てくださいね!◆ 小幡和輝オフィシャルブログ | 不登校から高校生社長へ ◆Twitter: @nagomiobata ◆instagram: nagomiobata ◆著書: 「学校は行かなくてもいい ―親子で読みたい「正しい不登校のやり方」」 ◆著書: 「ゲームは人生の役に立つ~生かすも殺すもあなた次第」
2019年07月14日幼稚園から毎日遅刻...原因は睡眠障害…!?わが家のASD兄妹は、2人とも幼い頃から睡眠に問題がありました。Upload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロ現場の先生方のご協力と家族の送迎で、何とか休みながらも登校していた兄タケルでしたが、8歳のとき「アスペルガー症候群」の診断がつき、小学3年生から気持ちを安定させる薬を飲み始めました。夕方の気分の落ち込みを防いで20時〜21時には眠ってもらい、十分な睡眠をとることができるようにするのが目的でした。直接的な影響がどのくらいあったのかは不明ですが、結果的にタケルは21時台には眠るようになり、朝早く起きてくるようになりました。服薬は1年程でやめたのですが、タケルに限って言えばこれ以降もそのリズムを崩すことなく過ごせるようになり、日常生活への支障が少なくなりました。その結果、季節による不調などはありつつも中学・高校も何とか通い切ることができました。現在中学1年生の妹いっちゃん。睡眠の問題を抱えながら、学校生活は体調優先でUpload By 寺島ヒロ「キタキタキターー!!」って思いました。なぜなら私もこのタイプだから。概日リズム睡眠障害といって、寝る時刻と起きる時刻が毎日少しずつ遅れていく症状があります。私自身もこの症状があるため、私の生活時間につられて子どもたちが生活リズムを壊すことを恐れ、実は私は子どもたちが幼い頃は睡眠薬を飲んで生活リズムを無理やり朝型にしていました。でも、ちょっとした風邪でも寝込むほど体調を崩してしまってとてもきつかった上に、朝型の生活リズムが習慣化することもなく、睡眠薬を飲まなければ翌日からまた1時間ずつ体内時間がずれていく…。私にはこの方法はあっていないことに気づき、妹いっちゃんの睡眠傾向がはっきりしてきたあたりで、私自身も朝型の生活にこだわることはやめました。参考:概日リズム睡眠障害 |厚生労働省 e-ヘルスネットUpload By 寺島ヒロ中学1年生になったいっちゃんですが、今でも起きられた時に登校するスタイルは変わっていません。毎朝決まった時間に起きようと試みて体調を崩した自分自身の経験からも、1時間目から登校することにこだわるあまりに健康を損ねては本末転倒…。中学校の先生にもご理解いただいています。ただ、月の3分の2は学校に行けておらず、不登校状態になっているいっちゃん。授業を受けられなかった分の全ての勉強を家庭や支援教室でカバーできるわけではないので、今後の進学などのことも考えると睡眠をはじめとした生活リズムについてはフォローしていかなければならないですよね。その辺りが今後の課題だと思っています。
2019年07月12日春休み。進級に伴って変化する環境に息子が適応できるのか、不安を抱える私。そんなある日、息子が1枚のチラシを差し出した担任・N先生の寄り添いに心を動かされたこともあり、3年生の後期が終わるあと1週間のところで、通学を始めた息子。とはいえ、学校で起こる不便や不快感など、根本的な問題が解決したわけではない。そして転出により児童数が減少したため、新学年からは2クラスが統合されて1クラスになるという。全校生徒の顔をなんとなく把握できるような、田舎の小さな小学校だ。「教室に見たことない子がいる」というようなことはないだろうが、1つの教室で過ごす人数が変わることで、人間関係はもちろん、室内に響く音声が、聴覚過敏もある息子の耳にどう響くかも変わってくるだろう。となると、これまでとは違った問題が発生する可能性もある。本人も不安があるのか、「新学期になったら、また毎日行けるか分からない」と言っている。まあ、考えてみたらここまでが余りにも順調すぎたのだ。本人だって「いきなり毎日最初から最後まで、というのはできないかもしれない」と言いながら、3年生のラスト1週間の毎日、始業から終業までを学校で過ごすのには、かなりのエネルギーを要しただろう。短い春休みの間で、身心両面のリカバーができるかどうかは分からない。仕切り直しだと考えて、過度な期待をせず様子を見ることにした。そんな構えで春休みを迎えようとした私に、息子が1枚の紙を差し出した。「これ、行ってきてもいいかな」それは小学校で行われている、放課後と週末のレクリエーション会の予定表だった。息子が通う小学校では毎週水曜日の放課後と土曜日の午前中、地域ボランティアの方と提携して行われるレクリエーションの時間が設けられている。会場は校舎の中。その春休み特別企画として、プログラミング体験講座が開催されるのだとか。そのころ息子は、いくつかの要素を組み合わせてオリジナルゲームを簡単に作れる、という携帯ゲーム機のソフトに夢中になっていて、それをきっかけにプログラミングに興味を示していた。何年か前に私は障害者向けの就業研修で、プログラミング言語のJavascriptを学んではいたが、きれいさっぱり忘れてしまっていたし、覚えていたとして(あと、JavaScriptが最新ではないことはさておいても)、彼の興味を引きつけるように教える自信は一切持ち合わせていない。レクリエーションでは、現役のSE兼プログラマーの方が、小学生が楽しく、分かりやすく学べるように指導してくださるようだ。徒歩で出かけられる場所で、しかも無料である。反対する理由はない。「いいじゃんいいじゃん、行ってきなよ!」「レクリエーション、3年生は対象外だったの!?」冷や冷やしながら迎えに行くと、満足そうに微笑む息子。なぜ?当日息子は冷えたルイボスティーを自分で水筒に詰め、張り切って出かけた。レクリエーションが終了するお昼近くなったら迎えに行くから、と息子の後ろ姿に声をかけ、私は仕事の作業に取りかかった。合間にふと「今ごろ楽しんでいるかな」と、レクリエーションのスケジュール表に目を向けた私はすぐさまフリーズ。そこにははっきりと「対象:4年生~6年生※3年生以下は見学」と印字されているではないか。そのときはまだ3月、息子は3年生なのだ。プログラミングを体験したくてわくわくで出かけた息子が、「3年生だから、見学ね」と言われてその状況を受け入れられるだろうか。そこで不満とともに「自分も参加させろ」と申し立てるようなタイプではないが、かなりのフラストレーションを募らせることは想像に難くない。(こりゃもしかしたら途中で帰ってくるかもしれないな…)などとぼんやり考えながら作業を再開したが、昼近くなっても帰宅する気配はない。意外にも見学を楽しんでいるのか。私は、身支度をして小学校へと向かった。待合室になっている教室で待機して、どれくらい経ったころだろうか、「お待たせしてすみません!みんなで盛り上がってしまって、ついつい長くなってしまいました!」と、レクリエーション担当の教員・K先生と、参加した児童たちが戻ってきた。もちろん、息子もおり、満足そうに微笑んでいる。「ごめん、私、チラシの説明をよく読んでいなくて…」「あ、それなんだけどね」私の言葉を受けてこちらを見上げた息子は、K先生に向き直った。「あの、本当は対象外なんですけど、見学になる参加者が息子さん1人で。ほかの児童たちも“ハルくんならきっとできるよ”と言うので、一緒に参加してもらったんです」「そうなんだよ!上級生のみんなが仲間に入れてくれたんだよ!それで、分かりにくいところは教えてくれてね!マイコン制御のロボットを(プログラミングで)操作したんだけど、あまり上手くできなくてもみんなが“最初からこんなふうにできるなんてすごいよ!”ってさあ!」K先生が説明してくださったあと、息子は目を輝かせながら、何があって、それがいかに楽しかったり嬉しかったのかを早口でまくし立てた。私が心配するまでもなく、息子は充実した時間を過ごしていたのだった。K先生にお礼を申し上げて帰ろうとしたら、K先生がこうおっしゃった。「息子さん、いろいろ学校が不便をかけて、ずっとお休みをしていたので、楽しんでもらえるか心配だったんですけど…プログラミングやものづくりが得意で大好きなのでしょうね、いきいき楽しそうに取り組んでいましたよ」私はもう一度お礼を申し上げ、息子とともに学校をあとにした。「今日から新学期だよ!」やりたいことが見つかった息子は、ランドセルを揺らしながら学校へさて、気づけば4月。まもなく新学期に突入というある朝、朝食を終えて食器洗いやらなんやらをしている私を尻目に、息子がなにやら慌ただしい。「どしたの?今日なんかあんの?」「なんかあんの?じゃないよ!今日から新学期だよ!!」新学期、間もなくではなく完全に突入していた。数日前に支度はしてあったものの、「また毎日行けるか分からない」という息子の言葉が頭に残っていたからか、私は完全に油断し日付の感覚がおかしくなっていた。「お、おう。そうだった、ごめんごめん」「のん(私の呼び名)が忘れちゃダメでしょう。じゃ、行ってきます!」息子は笑いながら靴を履き、「うおおおお!小学4年生!!!」という雄叫びとともに、集団登校の集合場所へ走り去って行ったのだった。完全に、予想外の光景である。もちろん、登校すると想定していなかったわけではない。とはいえ、約1年半の不登校生活を過ごし、1週間登校をしたものの、春休みをはさんで「また毎日行けるか分からない」と懸念していた9歳児が「うおおおお!小学4年生!!!」という雄叫びを上げながら学校に向かう姿なんぞ、誰が想像するものか。「のんが小学生のころには、コンピューター室ってあった?」春休みのレクリエーションを終えてからの帰り道、同じ小学校の卒業生でもある私に、息子は聞いた。「ないない。30年以上前は、こんなにコンピューターが普及していなかったもん。PCなんて、学校にも家にもなかったよ」「ふーん…コンピューター室が学校にあるのは知ってたけど、今日初めて入ったよ。楽しかった。でね、またプログラミング教室をレクリエーションの会でもやるし、学校でも、まあ毎日だったりしょっちゅうは無理かもしれないけど、PCを使ってプログラミンクとか、いろいろ勉強できるんだって!」普段、私が使用しているスペックの低いPCをたまにいじる程度しかできなかった息子は、比較的新しくてスペックの高いPCを、時間の限り思う存分使用できたことが本当に嬉しかったようだ。「携帯ゲーム機でオリジナルゲームを作るのも楽しかったけどさ…自分が入力した文字や数字が言葉になって伝わって、ロボットが作動したり、静止画だと思っていたものが動画になるってすごいよ!だから、すぐでなくてもいいから、ああいう勉強をしていきたいなって思ったんだよね」話しながら進む息子の足取りは、まるでステップを踏むように軽やかだった。「また毎日学校に行けるかは分からないけど、これからも勉強はしていきたいなって思う」私に向けているとも、ひとりごととも取れるような口調で、息子がつぶやいていたのを思い出す。「やりたいことがあるっていうのは、外野があれこれいう言葉より心に響くもんだね…」ランドセルを揺らして駆けていく息子の背中を眺めながら、今度は私がベランダでつぶやいていた。児童数が増えたことに伴う困難なども、特別支援学級の利用で万事解決!ではなかった…しかし、やはりというべきか、問題が浮上した。元々黒板にチョークで文字を書くカツカツという音が息子は苦手だったのだが、教室内にいる児童数が増えたことで、音の響き方がますます苦痛に感じられるようになったらしい。加えて、「班ごとで相談」という場面では、大声ではないとはいえ、たくさんの話し声が耳に届いてしまい、「自分の班の人の声を聞き取るのも大変だし、頭がちゃんと働かなくなる感じがする」と訴えた。在籍は通常学級のままではあるが、様子を見て特別支援学級の利用も可能であるという話を、以前校長先生から聞いている。特別支援学級では黒板とチョークは使わずにホワイトボードで授業を進めるらしいし、人数だってかなり少ない。今息子が抱えている困難は、解決すると思われる。そこで息子に「どうする?特別支援学級で授業を受けてみる?」と問うてみたところ、「是非そうしたい」と返ってきた。私は連絡帳を開き、息子が感じている困難と、特別支援学級での授業を希望しているということを、担任の先生に宛てて書いた。息子が連絡帳を持参したその日に担任の先生から電話をいただき、いくつかの授業を特別支援学級で受けることになった。2つの教室を行き来することで不快感が軽減され、快適に学習できるようになった息子は、毎日嬉しそうに登校。帰宅したらすぐ友達の家に出向いて一緒に宿題をしたり遊ぶなど、「本当にあなたは少し前まで不登校だった人なのですか?」と疑いたくなるほど、いきいきと過ごしていた。「特別支援学級は嫌な音がしないから、勉強も楽しくできるんだよ。休み時間に中庭や体育館でみんなと遊ぶのも楽しい。土日にのんとどこかに出かけるのも楽しいけど、今はそれと同じくらい学校が楽しいんだ!」などと申し、ゴールデンウィークの10連休については「半分でいいのに」とぼやいていたほど、学校が大好きになっていた。これで万事解決、めでたしめでたし…で、収まれば良かった。収まってほしかった。ゴールデンウィークが終了し、私の仕事が忙しくなってきたある日の午後、息子はえらく憤慨した様子で学校から帰宅した。「もうやだ!また学校行くのが嫌になって来たよ!!」えっ、ちょっと待って、今の時期に家にいられると困る…とうっかりこちらの都合による本音が出そうになったが、息子だって辛いことがあったのだから、とぐっと堪え、「どうした?何かあった?」とだけ、どうにか口にできた。この前まであんなに楽しそうだったのに、何があったんだ…。<第3回に続きます>
2019年07月08日中学入学後すぐから、高校見学をすすめていたけれど発達障害の娘が、小学5年生のころからスタートした進路探し。娘の意思で地域の中学校の通常学級に進学し、入学後すぐから、通信制、単位制、特別支援学校高等部など、中学卒業後の進路に向けた学校見学をすすめていました。その中で、中1のころの娘は、見学した中で心に決めた学校があったようです。しかし、次第に体調を崩すようになり「クラスにいるのがつらい」と訴えるようになった娘。学校側は特例として特別支援学級に机を設けてくれるなど対応をしてくれました。ですが、進路選びに大きく影響する出来事がおきたのです…。球技大会がトリガーに娘の通う中学では毎年11月にクラス対抗の球技大会があります。「優勝を目指す!」という熱い思いを抱く一部の男子生徒は、休み時間を利用した自主練習の時、ミスをするクラスメイトを強い言葉で責めました。その強い口調に泣き出してしまう女子生徒も複数いました。障害の特性もあり、球技が苦手な娘も、何度も注意を受けました。本人への障害告知の後、ほとんどの時間を通常学級で過ごすようになっていた娘でしたが、再び体調を崩し始めました。保健室の先生が「練習は2回に1回は休むようにしたら?」と助言をしても、娘は「皆が団結して頑張っているから」と受け入れようとはしませんでした。担任の先生は休み時間に娘に用事を頼んだりして練習に参加しなくても良いようにさりげなく工夫をしてくれました。幻聴が聞こえる!?そして発作まで…!娘の体調に大きな異変がある日、顔面蒼白、涙目で帰って来た娘は家に入った途端、崩れ落ち泣き出しました。それまでの娘の様子から早退は予想していましたが、玄関先での号泣は想定外でした。そして娘は泣きながら言いました。「先生には黙ってたけど、そこにいないはずなのに、男子が「あいつサボった」っていう声が聞こえて、怖くなって帰ってきたの~!!」中1の時にクラスメイトからいじめを受けて学校で過呼吸発作を起こしたことがあった娘でしたが、今回のようなことは初めてでした。娘は私の目の前で「あっ、また聞こえた!」と怯え、過呼吸発作を起こしました。私は過去に娘が過呼吸発作を起こした時に処方された薬を娘に飲ませました。そして娘を毛布で包み抱きしめました。※過呼吸には口に袋を当てるという対処法もありますが、私は保健室の先生からこの“毛布で包み込んで抱きしめる”という方法も“気持ちを落ち着かせるのに有効な方法のひとつ”と教えてもらっていました。娘が落ち着いた後、私はかかりつけの病院に電話をし、看護師さんに娘の様子を伝えました。折り返しの電話で看護師さんは医師からの指示を伝えてくれました。それは「薬は不安が強くなった時の頓服として使用する」「次回の診察予約を早めて受診する」「球技大会が終わるまで学校は休む」というものでした。通常学級で、頑張りすぎていたことに気づいて幻聴と過呼吸発作。本人が一番辛くて怖かったと思いますが、目の前でその様子を目の当たりにした私も大きなショックを受けました。「もう十分に頑張ったよ(むしろ頑張りすぎ)。もうこんなつらい思いはしたくないよね」「やっぱり心と体の安定が一番だよ」「私達って実際体験してみないとわかんないんだよね~。頑張りすぎるとどうなるか学んだね」涙ながらに語り合った私達。このような状況にも関わらす私達の心の中には「最初から可能性を諦めたのではなく、やれるだけのことはやった。限界まで頑張った」という達成感にも似た気持ちがありました。元気を取り戻して、学校へ行きたいから。前向きな不登校にUpload By 荒木まち子医師から暫く学校を休むように言われたことを伝えると、担任の先生はとても驚いていました。それでもやはり「前向きな休み」に理解のある学校は「前向きな不登校」にも理解がありました。休みの間、担任の先生はよく娘に電話をくれました。でも決して登校を急くようなことは言いませんでした。先生はいつも飾らない言葉で話をします。「いつも荒木がいる席に誰もいないと、やっぱり何か寂しいんだよな」球技大会が終わると担任の先生が学校帰りに自宅を訪れました。先生と娘の会話から、先生が生徒を子ども扱いせず対等に接していることが伝わってきました。そして娘がそんな先生を信頼していることも分かりました。小学校高学年以降、なかなか相性の合う担任の先生との出会いがなかった娘でしたが、この時、担任の先生と娘の間に信頼関係が出来ていたのは幸いでした。通常学級の友達も、電話をくれたり手紙を書いて届けてくれたりしました。外の世界と遮断され、自分だけ周りから置いて行かれたような気持ちになっていた娘は、友達からの連絡をとても喜んでいました。再登校に向けて規則正しい生活は心の安定にもつながるので、休みの間、家庭では睡眠、運動、食事など最低限の生活ストレスは掛けることを心がけました。また、学校復帰に向けて再登校の方法(最初は1時間。保健室→特別支援学級→通常学級へと徐々に慣らしていく)などの打ち合わせを病院、学校、NPO法人と行いました。新設のE特別支援学校へ学校を休んでいる間、娘は家事を手伝ったり、学習・余暇支援を行っているNPO法人に通ったりしていました。それでも娘は徐々に時間を持て余すようになりました。そこで私達は、以前教育委員会の教育相談で情報を得た『新設のE特別支援学校』を見に行くことにしました。今までタイミングが合わずなかなか見学ができていなかった特別支援学校を実際に見ておきたいと考えたからです。自治体が設定している“学校に行こう週間”(※)を利用した学校見学に事前申し込みは必要ありませんが、特別支援学校高等部の説明会参加には学校を通しての申し込みが必要です。特別支援学級と違い、通常学級には特別支援学校説明会のお知らせの手紙は配布されないので、私は説明会の案内が学校に届いたら知らせてくれるように学校側にお願いをしていました。※公立の小・中・高等学校を地域住民に知ってもらうために、(私達家族が住む)自治体が設けている学校開放週間のことでも夏になっても連絡が来なかったので学校に確認すると「夏と秋の説明会は定員オーバーでもう参加できないそうです。12月に追加で開かれる最後の説明会なら間に合うかもしれません」と告げられていました(この時私は通常学級在籍で特別支援学校の情報を得る難しさをひしひしと感じたものです)。E特別支援学校は週に一度ほど生徒が作った菓子類を学校の敷地内で地域住民に販売していました。この特別支援学校は、就労に向けたカリキュラムが充実していることもあり、授業の一環でこうした販売もしていたのです。私達は「説明会に参加できないのなら販売日に合わせて学校に行き、買い物ついでに学校や生徒の様子を見てみよう」と考えたのです。地域の住民と生徒のやり取りや、学校のアットホームな雰囲気を娘は気に入ったようでした。特別支援学級入級への意思2週間ほどの「前向きな不登校」を終え再登校した娘。そんな娘に対して、中には心無い言葉を掛ける生徒もいました。つらいと感じると、娘は特別支援学級に行っていたそうです。Upload By 荒木まち子Upload By 荒木まち子娘は、中2の1月に正式に特別支援学級に移籍することになりました。(※)クラスメートとのやり取りの中でのストレス、頑張りすぎて心身ともに限界を超え体調を崩してしまったこと、そして特別支援学級への転籍。中2になってから起こった一連の出来事は、娘にとって“自分”を知る機会ともなりました。※ 通常学年途中での移籍は行いませんが、娘の体調を配慮して移籍が可能となりました。次回、最終話通常学級から特別支援学級在籍へと変わった娘でしたが、これまで見学してきた高校は、特別支援学級在籍でも受験が可能な学校ばかりです。通信制、単位制、専修学校、特別支援学校高等部…いろいろなタイプの高校を見学し、また中学校でもさまざまな経験を経て、娘が選んだ道は…。次回、最終話です。おまけUpload By 荒木まち子“クラスメイト”は特別支援学級の先輩のこと。親や先生などの大人からの言葉よりも、同世代の友達の言葉の方が娘の心に深く響くようです。
2019年07月05日長女の不登校体験談の第5話です。不登校になって専門機関に相談に行ったりしているうちに、子どもの感性や発達に偏りがあるのかも…と思う方もいらっしゃるかもしれません。私は「不登校の親の会」を数年やっているのですが、そこでお会いした方々にもそういった個性の強いお子さんが多かった印象があります。そこで今回は、子どもの感性や発達の偏りについて描いてみました。繊細で感受性が豊かな「ハイリー・センシティブ・パーソン」娘の場合は、とても繊細・敏感、ゆえに疲れてしまうという状態でした。最近知ったのですが、『HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)「生まれつき人一倍敏感な人」のこと』、これが一番しっくりくる感じです。※気になる方は調べてみてくださいね。程度にもよるのかもしれませんが、我が子と向き合っていたらその特性には気付くかと思います。また、発達検査をすると、その人の特徴が数値で現れるので、その人の得手不得手やどのくらいしんどさを感じてるのかも察することができます。発達障害という言葉がありますが、私はその言葉から受ける印象が良くないので好きではありません。発達の偏りは誰しもあり、それが強いか弱いか、そしてその偏りで日常生活に支障がでているかどうかが問題だと思っています。発達検査について、私は、その子の気持ちに寄り添うため、しんどさを想像するため、そしてどんなサポートが必要かを考えるためにあるべきものだと思っています。…しかし、寄り添う、見守るって口で言うのは簡単ですが、実際は難しいことですよね。それがどういうことなのか、私がストンときたのが「ガーデニング」だったのです。キレイに咲く花を見たいなら、その花に合った環境を花や植物は、その花に適した環境と育て方が必要ですよね。手をかけないと上手く育たない花には、土壌を適した状態に変え、日当たりや気温で置き場所を変えたり、水やりもその花に合った量や頻度にしますよね。肥料も加えたりなど、花の状態を観察しながら必要なサポートをします。育てる人の都合で「ここで咲いて!」と植えても、それは無理な話で枯れてしまいます。キレイに咲く花を見たい。植物の様子をみながら適した環境を用意て世話をしたりするのに、なぜ我が子だと型にはめたくなるのでしょうか。なぜみんなと同じでないと不安なのでしょうか。不登校の子に限らず、深く傷ついてしまったり心が折れてしまった子はこういう花と似てるなと思います。雨風(人とのいざこざ)に弱かったり、水はけが悪かったり(気持ちの切り替えが苦手でストレスがたまりやすい)、気温にやられて病気になったり。肥料だって多すぎたら枯れます。不登校の原因が発達の個性とは関係がない場合もあると思いますが、不登校になったということはその時点でもう疲れて自信を無くしている子が多いです。でも、適した環境(学校ではないかも)と適切な関わりさえあればまた元気を取り戻し、いつかその子らしいステキな花を咲かせてくれるはずです。どんな花を咲かせてくれるのか楽しみに日々を送っていこう!そして親がそれだけを楽しみにしてしまっては子どもにとっても重たいので親自身が楽しく生きようやりたいことやろう!大人が楽しんでる世の中の方が子どもたちが希望を持てると思います。娘の不登校を通して、いろんな生き方があっていいんだということ、また人と違うことはマイナスなことではなく多くを学び合えるということに気が付きました。「ママが私のママで良かった」…こんな嬉しい日がくるなんて!娘は敏感で繊細がゆえに人付き合いも苦手になっているのだろう…とマイナスに思っていた部分も、今ではそこが活きていて、人の気持ちに考慮できるので仕事での人間関係も良好なようです。不登校になったからといって、「うちの子はダメな子なんだ」なんて絶対思わないでください。周りの関わり方、考え方で将来は変わってくるはずです。我が家の不登校体験談は、いかがでしたでしょうか。…悩んでる方に、なにか少しでもヒントになるような、前を向けるような部分があったら嬉しいです。不登校を受け入れられずに状態が悪化するご家族が減るといいなと本当に思っています。そして、不登校と無縁の方にも、不登校がどういうことか少しでも興味を持って、なんとなくでも知っていただけたら幸いです。第一話はこちら
2019年07月04日意欲的に、家庭学習に取り組む息子。一方、在宅ワーカーの私はストレスを蓄積させ…登校渋りを幾度も繰り返し、8歳の誕生日を迎えたその日に「もう学校には行かない」と宣言した息子は、この4月で小学4年生になった。不登校開始1週間の時点で、「行かない気持ちに変わりはない。万が一気が変わったら申告するから、そちらからは一切聞いてくれるな」との旨の申し出があったので、私から働きかけることは避けていた。根性論にて復学を強く勧める学校側に辟易しつつ、息子の意思を尊重すると決めた私。それが2年生後期までの話である。それが1年前、3年生に進級したとき、風向きが一気に変わった。息子たちのクラスを受け持つことになった担任の先生、そして新しく着任した校長先生と教頭先生は、息子の自宅学習に協力的だったのだ。月に一度、担任の先生が課題を持ってきてくれ(もしくは私が受け取りに行き)、息子が1ヶ月かけてこなす。翌月に終了した課題と新しい課題を交換、さらに翌月には先生が添削した課題をまた持ってきてくれる、ということを繰り返すのだ。通学するのと全く同じペースとはいかないし、教科の偏りは出てしまうが、大幅な遅れを取ることはない。エネルギー出力にムラはあるが、息子はもともと知識欲が強い、勉強の好きな人間だ。学校からいただいた課題以外にも、自ら所望した問題集などにも取り組むほどで、家庭学習はとても順調に進んでいくように見えた。しかし、問題が発生した。息子ではなく、私に。フリーランスのライターである私の仕事は、ほぼ在宅にて行われている。だから打ち合わせ等がない限り、四六時中息子と同じ空間で過ごすことになる。1人の時間が持てないだけでも息苦しいというのに、集中力が途切れやすい私は、自分のペースで作業を進行できない状況にいらだちを募らせていた。分かっている、息子は悪くない。しかし、例年であれは冬季うつの時期にしか服用しない抗うつ剤が、春になっても手放せなくなっていた。些細なことで腹を立て、そんな自分を呵責し、深夜に眠れず涙すること連日。数ヶ月に1回、1泊2泊の出張や1人旅をしたところで、蓄積されたストレスは解消しきれなくなってきたのだ。そんなある日のことだった。平日の午後、小学校が終わるころを見計らって公園へ出向くことが増えていた息子が、帰宅後にこう申し出たのだ。「文化祭の日、学校に行ってみようと思う。同じクラスのJ君に誘われたから。行ってもいい?のん(私の呼び名)も付き合ってくれる?」久しぶりに登校し、文化祭を楽しんだ息子の口から出た意外な発言。しかし、いつ気が変わるかも知れず…出典 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文化祭のスケジュールは、午前中が体育館で行われる音楽発表会、正午手前に各々の教室で帰りの会を行い解散、あとは自由見学となっていた。いつごろ行きたいのかと息子に聞くと、音楽発表会の時間から行きたいのだという。私の都合で朝一番からの見学は叶わなかったが、それでも早いうちに学校にたどり着けた。実のところ、体育館のような空間に響く音声というものは、聴覚過敏を持つ私が苦手とするものだった。両耳から勢いよく水を流し込まれるような痛みと不快感で、めまいと吐き気を催してしまうのだ。デジタル耳栓を用意していなかったことを激しく悔やみつつ会場に入ると、存外辛くない。不快感がゼロというわけではないのだが、幾分か楽だ。どうやら私は「体育館のような空間で、“複数の人が雑談している声”の響き」が苦手であり、音楽だとそこまでではないようなのだ(体育館や音楽にもいろいろあって、どこでもそうとは言い切れないが)。さて、私自身が特性について再発見をし、1人密かに感激していたところ、担任の先生が私たち親子の姿に気づいた。息子をクラスメイトたちが並ぶ列へ、そして私も発達障害の当事者であり、聴覚過敏を持っているとご存知の先生は、私を保護者席から離れた職員席へと、それぞれ誘導してくださったのだ。息子は列の最後尾についたのだが、前にいた子が気配を感じたのか、振り向いた。更に前の子が何かを察して振り向き、また更に前の子が…というように次々とみんなが息子の存在に気づいて、声こそ出さないし、振り返るのもそれぞれ1、2回であったものの、そわそわとした雰囲気になるのが、見ていておかしいやら微笑ましいやら。演奏が終わり、一旦休憩になった途端、「ハルくんだ!」「ハルくんだ!」「ハルくんがいる!」「ハルくん、久しぶり!」と、たくさんのクラスメイトが一斉に息子に駆け寄ってくれた。詳しい会話の内容までは聞こえない。息子本人はとても照れくさそうな、でも確実に嬉しそうな表情で応対しているのが分かった。それから息子は音楽会だけでなく、終わりの会にも参加し、クラスの友達に誘われて、自由見学にも出向いた。途中でパニックを起こして、途中で何も言わずに帰宅してしまったのだが、後日会ったときにそれを責めることもせず、むしろ心配してくれたのだという。彼らを含む、息子の存在を受け入れてくれたクラスの児童たち、息子だけではなく、私の特性にもご配慮くださった先生方には心から感謝している。その数日後、「行事のときとか、たまには学校に行ってみようかな」と息子がひとりごちた。正直、とても驚いた。とはいえ、いつ気が変わるとも知れない。私はさしたる期待をせずに聞いていた。限界を迎えていた私。約束を守りたい気持ちと復学を促したい気持ちの間での葛藤案の定、「たまに」は年をまたいでも訪れることはなく、私は出張や旅行で息抜きをしつつ、ギリギリのところで踏みとどまっていた。いや、すでにおかしくなりかけていた。寝入る直前に「何か食べたい」と申し出た息子に「もう寝る前だし、牛乳ぐらいにしておこうか」と言葉を返し、寝つかせたあとに「あれはネグレクトではないか?ネグレクトに違いない」と自責を始め、夜半を過ぎるまで泣きとおすなど、精神のバランスも生活のリズムも著しく乱れていた。仕事も思うように進行させられず、「もう私にはコラムなど書けないかもしれない」と、『発達ナビ』の牟田編集長に宛てて、泣きながらメールを打ったのもこのころだ。とにかく、限界だった。「フリースクールや放課後デイ施設などがあるではないか」とおっしゃる方もいるだろうか。もちろん視野に入れ、自分なりに調べた。しかし私たち親子は、施設数が都会に比べて圧倒的に少ない地方に住まう身である。学費や立地など、条件に見合う場所を見つけられなかったのだ。そして3月の半ばになって、「たまに」がようやく訪れた。とても興味を引かれる学習内容ばかりの時間割で、給食は好物ばかりの献立の日があるから、というのだ。息子はその日、朝の会から終わりの会まで学校で過ごし、「音が辛いこととかちょっとあったけど、勉強は面白かったし、みんなと遊ぶのも楽しかった!次はいつ行こうかな?」と笑顔で帰宅し、私に話してくれた。(次の「たまに」はまたしばらく来ないのかな…)と考えるだけで胃から何かがせり上がる。楽しいのなら、もっと高い頻度で登校して欲しい。できれば毎日。でも、私から登校を促す働きかけをしない約束を、息子とは交わしている。だから言えない。私を信頼してくれるこの人との約束を破りたくない。破りたくはないのだが…。約束を破り、私は切り出したさて、話は前後するが、以前のコラムにも書いた、息子が3年生になってすぐの面談で、「息子さんとの(登校を促さない)お約束もありますし、もし学校に行きたいという話を息子さんがしたら、というつもりで聞いていただきたいのですが」という前置きのあと、校長先生がこんな話をしてくれた。「教科書を使って、みんなと同じペースで学ぶ、という学習方法が、向いている児童と向いていない児童がいます。すでにお渡ししている教科書よりも使いやすいと息子さんが思える教材があれば、それを使って児童の数が少ない特別支援学級や、もしくは別の学習室で学ぶという方法もあります。特性の関係で疲れやすいでしょうから、そんなときは遅れてきても構いませんし、早退しても構いません。息子さんが無理をせず、のびのびと学校生活を楽しめるように、私たちはできる限り協力します」フリースクールを検討して調べたことは前項で述べたが、私が調べた限りの、どのフリースクールよりも手厚い。これが公立の小学校である。しかも、身心ともに疲弊しきった息子が不登校を決めたときに、「苦手を克服するということから逃げ続ける息子さんを容認して、成長の機会を奪ってもいいんですか?」と私を叱責し、これは書いたことがなかったが、特別支援学級の利用や、進級を期にした転籍を願い出た際、「息子さんは頑張れば通常学級でもやっていけますから必要ありません」と跳ね除けた公立小学校と、同じ公立学校なのだ。知識欲の強い息子はいずれ、私の学習サポートでは物足りなくなるだろう。現状だって、私は自分の仕事と家事に手一杯で、十分な時間を割けているわけではない。そして条件に合うフリースクールは見当たらない。しかし、フリースクール以上に手厚い、すでに息子が在籍している小学校がある。もう、これは言うしかなかろう。「ごめんなさい、私は今からあなたとの約束を破ります」そう、私は切り出した。何事かと表情を引き締めた息子に向かって、続けた。「約束を破るわけだから、あなたが怒ったとしても無理はない。でも、最後まで聞いてほしい。正直、私は今の生活が限界。仕事をしながらあなたの学習をサポートするのはとても大変だし、正直ちゃんとサポートできているかも自信がない。これからあなたがさらに多くのことを、深く学びたいと願うときが来るかもしれない。そうなったら学力面と知識面、時間の面でも私の手には負えなくなると思う。あなたの学びの妨げを、もし自分がしてしまったら、私は悔やんでも悔やみきれない。それから、仕事の効率が確実に落ちているなと感じている。これは私の気が散りやすいというのが問題であって、あなたが悪いわけではないから、気に病んでほしくない。とはいえ、もっと仕事に集中する時間がほしい。そうした私の勝手な事情で約束を破ることを、本当に申し訳なく思っている。許さなくてもいい。…いきなり、毎日、最初から最後まで、とは言わない。でも、もう少し学校に行く頻度を高くしてほしい」そして、面談で校長先生が話してくれたことを、息子に伝えた。息子は何も言わずに聞いていたが、私の言葉が途切れたのを見計らってか、ゆっくりと口を開いた。「今の学校だったら、行くのは嫌じゃないよ。でも、ずっと家にいたし、のんが言ったように、いきなり毎日最初から最後まで、というのはできないかもしれない」「うん、それは仕方ない。ありがとう、聞いてくれて、怒らずに受け入れてくれて、本当にありがとう」「うん。だって、のんが仕事をできなくなったら、まだ働ける年齢じゃない自分だって困るし」「いきなり毎日最初から最後まではできないかもしれない」などと申していた息子だったが、土日をはさんだ週明けから春休みに突入するまでの1週間、毎日最初から最後まで、つつがなく登校し、帰宅すると、学校での様子を楽しそうに伝えてくれたのだった。「学校に行ってみよう」と息子が思えるきっかけとなった、N先生の寄り添い出典 : 年生の中盤過ぎから始まった息子の不登校生活は、3年生のラスト1週間で、ひとまず終わりを迎えた。ここで私の頭に疑問が浮かぶ。そもそもどうして「学校に行ってみよう」と息子は思えたのか。本人に質問をしてみたところ、このような答えが返ってきた。「(担任の)N先生、学校に来てねみたいなことを一度も言わなかったから」そうなのだ、N先生は「息子さんの顔が見たいのでお構いなく」とおっしゃって、ほぼ毎月わが家にご足労くださっていたのだが、ただの一度も登校を促すような発言はなさならかったのだ。2年生のころ、当時の担任の先生が、クラス全員からの手紙を持って、わが家にいらしたことがある。「早く学校に来てね」との旨の内容がそれぞれの文字と言葉で綴られていたそれに、息子は一瞥もくれなかった。「あなたはこんなに必要とされているんだよ」ということを伝えたい、先生の愛情と善意であることは理解できる。でも、そこに息子はいないのだ。学校に行くことが辛くてたまらない息子の気持ちが、まるで「改めるべきもの」として扱われているように、私には見えてしまったのだ。「助けてってお願いしているのに、無視されているような気持ちになった」と、後日息子も述べている。「N先生って、元気?とか、最近好きな遊びはある?とかは聞いてくるけど、学校に来てねとかは言わなかった。なんかそれが、こっちの気持ちを大事にしてくれているように思えたから」思いやりや寄り添いは、なにも気遣うような優しい言葉をかけることだけではない。言葉少なであるからこそ、自分が尊重されていると感じられることは、大人にだってある。イソップ寓話『北風と太陽』を私は思い出し、次年度もN先生が担任であったらいいなと願いつつ春休みを迎えた。いや、担任がどなたになるかという話の前に、休みが明けたら「やっぱり学校に行きたくない」と息子が言い出す可能性は、なきにしもあらず。心の準備を、私はした。《次回に続きます》
2019年06月25日長女の不登校の体験談、第4話です。前回の記事でも書きましたが、娘の不登校を受け入れたつもりでいた私。しかし、毎日何の予定もない日々なので娘の生活リズムはどんどん乱れていきました。おそらく多くの不登校の子が通る道なのではないかと思うのですが、ゲームばかりで昼夜逆転してしまうのです。不登校になってから生活リズムが乱れてしまった娘娘の中には「学校のことを忘れたい」という気持ちが隠れていたのです!ただゲームがやりたいからやってるのではありませんでした。昼夜逆転してしまったのには、夜寝付けないという理由以外に学校が終わる時間以降に起きるほうが気持ちが楽だということも分かりました。出かける家族、帰ってくる家族、みんなが当たり前にできていることを目の当たりにすること、また、自分だけが学校へ行かず家で過ごす罪悪感、焦燥感、そういったものを避けるためにも昼夜逆転は自分の心を守る手段でもあったように感じました。私としては昼夜逆転なんて良くない、学校行かなくても最低限の生活くらい守らないと!という気持ちがありました。でもそれはいつかまた学校に戻ることが前提ということに娘は気づいていたのかもしれません。「学校行かなくていいよ」と言えたとしても言動や表情に出ていたら意味がないことに改めて気づきました。ここで娘に「話しても無駄…どうせ分かってくれない」と思われていたら、事態はもっと悪化したのでは…と思います。生活リズムは「朝起きる目的ができれば戻る!」と信じて、人に迷惑かけてないのだからと自由に過ごす娘を見守るようにしました。好き! を見つけた娘そのうちにゲームにも飽きた娘、ネットで絵を投稿できるサイトがあることを知ったようです。1人でただ描くのとちがって、ネットに投稿すると反応がある…やはり反応があるということは楽しいんですよね。不登校だと人との関りが無くなってしまうことが心配なのですが、ネットは外出しなくても共通の趣味を持つ人と知り合えるステキなツールだと思いました。(もちろんネットの怖い側面に気を付けることが必要です)こうして娘に教えてもらいながら一緒にイラスト投稿を楽しみました!娘が絵の才能がズバ抜けていたとは思っていません。が、好きこそものの上手なれ!ってやつです。もうひたすら絵を描いていました。あと私事ですが、こうしてデジタルで絵を描くことを娘と楽しんでるうちに始めたのが、今の私のブログ 「じゃがいもころりん」 なのです(笑)娘はひょうきんなところがあるので、そこにスポット当ててマンガを描き始め…今に至ります。元気を取り戻す薬は「自分は価値ある存在」と思えること元気を取り戻すためには「こんな自分でも受け入れられてる、分かってもらえてる」と思えることが一番の薬かなと今の私は思っています。子どもが幼い時、ただそこにいて元気に笑っていてくれたらそれだけで幸せでしたよね。子どもも親の笑顔に「自分は価値ある存在なんだ」ということを感じてきたはずです。不登校の間…子どもはいろいろと考えています。子どもと信頼関係さえあれば、別の居場所を探すこと、好きなことを見つけることを一緒にやったり情報集めたりができ、手探りの中にも希望を発見できる可能性があります。将来の仕事に繋がるとは思えないことや、才能がないのでは…と思うことでも、「本人が楽しめること」ならそれが元気ややる気の源になるのではないでしょうか。そして好きなことが見つかって、とことんやれるとそれは自信に繋がります。その後月日は流れ、中学3年になり、進路を考える時期となりました。この頃には学校の先生との面談など要所要所は学校に顔を出すこともできるようになっていました。そして…3年間の不登校が終わったキッカケ節目である高校進学を機に、3年間の不登校が終わりました。次回は個性や発達のことについて思ったことを書きたいと思います。
2019年06月20日長女の不登校の体験談、第3話です。不安や引け目などから家庭内でケンカが増えますます自己嫌悪に陥る娘。家と学校しか知らない子どもにとって、どちらも居心地の悪い状態は相当しんどいものだったでしょう。私も娘の苦しさに気が付いたもののどうしていいかわかりませんでした。ふさぎ込んだりしてたので外へ誘うも…他人の目が気になって外出が辛くなってしまった娘学校にいるはずの時間帯に出かけることは不登校の子にとってはハードルの高いことだったようです。ですからこのころは夜少し出かけるといった感じで、外出もままならなくなった娘。この先引きこもってしまうのでは…私も不安にさいなまれます。自分たちを追い込むのはやめた!「学校に行かなくていいよ」とはなかなか言えなかった私ですが、もうすでに行けてないわけだし、毎日心が休まらない娘をなんとかしなくてはという思いから…毎晩、明日は行けるかな毎朝、今日こそ学校に行かせたい、行けない、行かなきゃ、と自分たちを追い込むことをやめることにしました。朝のストレスが無くなったことで私も娘も気持ちがずいぶん楽に。状況的には不登校確定! って感じではありましたが、そこから娘の表情も少しずつ穏やかになりましたし、妹や弟も姉の状況を受け入れてきたようでした。しばらくすると、今度は「家族以外の誰ともと会ってない…」と社会から孤立してるのを気にするようになりました。ただやはり他人の目が怖いのは変わっていなかったので、同じ立場の子たちがいるところを調べました。不登校の子を対象したイベントに参加フリースクールや教育支援センターにも出向き、見学させていただきましたが、娘がしっくりくる雰囲気のところは見つからず。でもNPO法人で企画されていた単発の不登校の子対象イベントを見つけそれには参加することができました。不登校の子の集まりなので、お互いに交流したりという元気はなかったようですが、それでも「自分だけじゃないんだ」という安心感や、不登校でも普通に見てくれる大人がいるということ、きっと参加した子どもたちの心に響いたのではないかと思いました。久しぶりに娘の解き放たれたような笑顔を見ることができました…!(涙)今回の記事は、学校に行くことをいったん封印する話でしたが、そうすることが正解だと言いたいのではありません。それぞれ状況も性格も違うでしょうから参考程度に読んでいただけたらと思います。不登校で親が一番難しいなと思うのは、子どもの甘えなのか本当に苦しいのかの見極め、線引きだと感じます。「それくらいで苦しいなんて言ってる場合じゃない!」って思ってしまうのが親心ですよね。繊細で敏感で真面目な面がある長女。娘にとって学校はとてもストレスが多いところでした。たくさんの違和感…でもこれが当たり前なんだろうと耐えてきたなかで自信も気力も失ってしまったのだと思います。将来を考えると、皆と同じように学校へ行ってくれたほうが安心なのですが…合わない子もいるんですよね。不登校になってしまった場合、その後の人生は手探り、自分たちで見つけていかなくてはなりません。次回はどうやってその「道」を見つけていったかのお話です。
2019年06月11日育児日記で気づいた…わが子は梅雨に不調になる!?梅雨の足音がバシャバシャと聞こえてまいりました!季節の変わり目は体調を崩しやすいとは言いますが、発達障害があるとそれがより顕著な気がします。うちの息子と娘はどちらも、特に梅雨のこの時期に不調に見舞われることが多くあります。Upload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロ眠れない、起きられない、体が言うことをきかない…!妹いっちゃんはあまり「病気」という状態までになることはないので説明しにくいのですが、やはり「不調」としか言いようのない時期が梅雨のころにやってきます。特に悩ましいのが、睡眠がうまくとれなくなることです。まず、夜眠れなくなります。眠ろうと布団に入るのですが、頭がさえて眠れないというのです。そして当然の帰結ですが、朝起きられなくなります。起きられないといっても通常の寝坊と違い、呼びかけにも応じない完全な"寝落ち"状態。意識があるときでも、起こそうとするとそっくり返って抵抗され、無理に体を立たせたりすると泣きわめいて布団に戻ります。(そしてまた寝てしまう...)起きたとしても大変機嫌が悪く、食欲もありません。そんな状況で起きているときは、たとえ学校に行っても、家でテレビを見ていても、後で聞くと内容をほとんど何も覚えていません。本人もある程度自覚があるらしく、「起きなければ」「学校に行かなければ」と思っているのに、体が言うことをきかないとのこと。ゴソゴソと工作をしたり、ピアノを弾いたりと好きな活動をしていることもあるのですが、それは「いつもの自分」を取り戻すための必死の行動で、決して遊びではないのです。得意なはずのことも思ったようにできないようで「ギーーー!!」と怒声が…。Upload By 寺島ヒロ年を重ねるうちに不調の波は小さくなって…兄のタケルも、幼いころは梅雨の時期に1~2週間寝込んでいました。しかし、12歳ぐらいからだんだんと寝込むことが減ってきました。18歳の今でも梅雨に入るころの2~3日は頭痛と吐き気に悩まされてはいますが、頭痛薬を飲みながら登校しています。妹のいっちゃんも、去年と比べると今年は5月下旬に学校に行けている日数が多くなっています。2人とも成長するにつれて少しずつ不調の波が小さくなっているように感じるので、ある程度は身体の発達を待つという姿勢も必要なのかな…と思っています。朝起きられない!不登校!という事態を目の当たりにすると親も慌ててしまいがちですよね。私もこの時期は寝ている娘を横に、始業時間を指そうとする時計の針をじっと見ています。心中は穏やかではないです(笑)。それでも、育児の記録をつけていたことで「そろそろ来るな」という心づもりができ、だんだん落ち着いて対処できるようになってきたと思います。
2019年06月11日中学生の発達障害当事者が綴る、心の様子ー『発達障害な私の頭の中。』著者は軽度の自閉症やHSPで、うつ病や不登校も経験している中学3年生です。物事の捉え方や苦手なもの、自分の心の状態や経験談などが自らの言葉で綴られているほか、過去のエピソードを家族とともにどのように乗り越えてきたのかが母との対談によって記されています。味方となって接してくれる周囲の人々への感謝なども綴られており、繊細であたたかい著者の心の様子があらわれています。普通とは何か、いじめをなくすにはどうしたら良いのかなどの答えを出すのが難しいテーマについても、これまで乗り越えてきたことや自己分析を踏まえながら丁寧に考え、綴っています。発達障害やうつ病でつらい思いをしているお子さまに接する大人も、自分自身やクラスの友だちとの関係で悩む子どもも、読むと新しい視点が得られそうです。物語をかくことが好き、という著者。物語の短編集のように、著者の心の様子が詰まった一冊です。生きるのがしんどい...そう感じる環境にいる子どもたちへー『生きる冒険地図』この本は、さまざまな理由で頼れる大人が周りにおらず、「生きるのがシンドイ」と感じている子どもたちのために描かれたものです。手書きの文字とイラストで構成されており、必要なときに必要なページだけ開けばいい、まさに生きるための地図のように使える一冊です。著者は心の不調や発達に凸凹のある親とその家族、子どもたちを応援する活動を行うNPO法人に所属しています。誰かに悲しい言葉をかけられたらどうしたらいい?怖いと感じたときはどうしたらいい?学校生活でピンチのときは...?など、子どもが一人で抱え込んでしまいそうなさまざまな場面について、対処法が柔らかいイラストとともに描かれています。描かれる対処方法はどれもとても具体的ですが、ときには肩の力を抜いて考えられるようなものも。保護者の精神障害や家族の不和で悩む子どもにはもちろん、自分で自分を守りながら生きていくという観点では、今が息苦しいと感じている多くの子どもたちにとってヒントになる情報が詰まっています。心理発達相談に特化した、相談支援のガイドブック『発達が気になる幼児の親面接』子どもたちが特性に合わせた適切な支援を受けるため、またその家族の生活を支えるためにも、心理発達相談は非常に重要です。本書は、相談支援の中でも子どもの心理発達相談支援に焦点を当て、そのポイントをまとめた支援者向けのガイドブックです。子どもたちを取り巻く環境について適切にアセスメントするために重要な保護者のタイプにあわせた面接の進め方や、保育園・幼稚園をはじめとする他機関との連携の際に心がけたい点などがまとめられています。また具体的に子どもの発達に関する相談支援の事例も複数紹介されており、アセスメントや相談支援にあたってのポイントを実践の中でのどう生かしたのかを実例から知ることができます。心理発達相談は、子どもの発達についての正確な理解や家族やきょうだい児への支援、関係機関連携等、幅広い知識を総合して行われます。日頃心理発達相談に関わる人もこれから関わりたいと思っている人も、支援者として必要な技量や考慮すべき観点などを確認する際に活用したい一冊です。パソコンやゲームが大好きなお子さまに!はじめてでも大丈夫『使って遊べる!Scratchおもしろプログラミングレシピ (ぼうけんキッズ)』機械やパソコン、ゲームが好きなお子さまの世界を広げられる、Scratchの入門書が発売されました。Scratchは、マサチューセッツ工科大学のメディアラボ・ライフロングインダーガーテングループの運営するプロジェクトで、無償で利用できるオンラインのプログラミング環境です。本書ではScratchのアカウントを作るところから説明が始まり、「手づくりメッセージカード」「みんなで使える伝言メモ」「Scratch福笑い」など使える、遊べるプログラミングレシピが15作品紹介されています。実際の画面の図に合わせて手順が書かれているので、初めてプログラミングを体験するお子さまや、パソコンがちょっと苦手で教えられるか心配...という親御さまも一緒に取り組むことができます。全編ふりがな付きなので、お子さまが自分で読み進めることもできるかもしれません。夏休みも近づき、まとまった時間で好きなことに思いっきり取り組ませてあげたい!そう考えるご家族も多いのではないかと思います。お子さまがパソコンやゲームが好きなら、親子で一緒にプログラミングに取り組んでみてはいかがでしょうか。
2019年06月07日今までの経緯発達障害がある娘の進路、どう探す?どう選ぶ?何も分からないままスタートしたのは、小学5年生のときでした。地域の中学校の通常学級、特別支援学級、通級を見学。また、私立中学も検討しました。娘の意思により、中学校は地域の中学校の通常学級へ。さまざまな選択肢を見たうえでの進学だったので「つらくなったら転校・転籍すればいい」と、親である私も焦らずに進学をさせることができたように思います。障害のある子どもの、進路選択の難しさ障害のある子どもの進路選択の難しいところは、一概に学力や偏差値で学校を選ぶことができないところにあります。発達障害といっても、特性もタイプも個性もまちまちで“伸びる”時期も一人ひとり違います。だから、“そのとき”の“その子”に合った学校を探さなくてはならないのです。中学校生活は大変…!でも、個別支援計画の作成もしてもらえて中学校は、教科担任制、提出物、定期テスト、体育祭、文化祭、部活動など、多くの面で小学校と違いがあります。入学前から相談に訪れていたとはいえ、実際学校生活が始まるとやはり娘はさまざまな面で壁にぶつかりました。それでも学内に併設されている通級指導教室の先生が特別支援コーディネーターをされていたこともあり、障害に対しての理解、話の通じやすさ、安心感は小学校の頃とは比べ物にならないほどでした。念願だった個別支援計画書も入学後すぐに作成してもらえて、中学は親にとっても“学校に相談しやすい”環境でした。中学校の校長先生に相談中学校の校長先生は私が入学前に特別支援学級の先生にお話を伺いに行ったときも、入学後に小学校からの申し送りについて副校長先生と話をした際も、直接会話に参加することは控えつつも横でしっかりと話を聞いていらっしゃいました。そして特別支援コーディネーターの先生との定期的な面談の後などに廊下で会うと、よく私に「良かったら校長室でお茶でも飲んでいきませんか?」と声を掛けて下さいました。あるとき、私は校長先生に近隣の高校について質問しました。Upload By 荒木まち子お話を聞き、早速私はA学園の学校説明会に参加をしました。単位制高校・A学園最寄り駅からA学園までの案内板持ち、入り口でのスリッパ出し、説明会会場への誘導などをA学園の在校生自らが行っていたことに私は驚きました。また、参加者にはペットボトルのお茶や学校名の入った文具が配られ、説明会は至れり尽くせり感満載でした。先生による学校説明の後には卒業生のスピーチがありました。それは「自分はかつて不登校だったけれど、A学園に通ううちに教師になりたいと思いはじめた。今は教員資格取得を目指して大学に通っている」という内容でした。説明会後の個別相談の順番待ちの間に、私は参加者同士の「この学校は〇〇君に合いそうね」という会話を耳にしました。私のように一人で参加したり、夫婦で参加される方の他に、塾や施設、学校の仲間同士で説明会に参加する方も多いようでした。個別相談では担当の先生に『習字』のカリキュラムについて質問をしました。私「習字は選択科目ではなくて必修科目なのですか?」先生「はい、必修科目です。」私「娘は視覚認知機能に弱さがあるのですが、希望すればテキストの拡大コピーなどの配慮はしていただけるのでしょうか?」先生「当校ではそういったことは行っていません。」先生とのやり取りから、私はこの学校は障害のある生徒向けではなく、不登校の生徒の学び直しに力を入れている学校なのだと感じたのでした。通級にはパンフレットがたくさん!情報の宝庫でした学内支援の一環として、私は学内特別支援コーディネーターでもある通級の先生との面談を定期的に受けていました。通級の面談室には発達障害に関する専門書の他に近隣の学校のパンフレットがたくさん置いてありました。中学卒業後の情報を探している私とってそれはまさに「宝の山」でした。Upload By 荒木まち子そこで初めて「専修学校」というものを知った私は、まず通級に似た取り組みもあるというB専修学校に一人で見学に行くことにしました。専修学校・B学校B専修学校は一般科目の他に簿記やマーケティング、パソコンなどの授業もありました。英検、漢検、数検の他に情報処理やビジネス文書、簿記や秘書検定など様々な検定取得にも積極的に取り組んでいました。校舎は複数のビルにわかれていて校庭や体育館はありませんでしたが、発達障害に関する知識を持つ先生もいて、卒業後は進学、就職の他、就労支援事業所との繋がりもある学校でした。娘に合いそうと感じた私は改めて体験入学の申し込みをしました。娘と一緒にCAD(設計や製図を支援するシステムソフト)の授業を見学した主人もこの学校を気に入ったようでした。パソコンに興味のある娘もB専修学校を気に入り、その後何度も体験入学をしました。この学校は土曜日の体験入学の他に夏休み中のサマースクール、春休み中のスプリングスクールなど多くの体験入学を実施していました。内容も理科実験教室やPC体験(名刺作り)など多岐にわたっていました。中でも私が特に面白いと思ったのは『女子会』でした。それは在校生を交えてお菓子を食べながら話をしたり、制服を試着して写真を撮るという企画で「どんなタイプの男子生徒が多いか」「部活の様子はどうか」「アルバイトはして良いのか」など、生徒の生の声が聞けました。“先輩”とざっくばらんに話をすることで緊張や不安が減り、進学への意欲を高めるのにとても効果的だと感じました。また、PC体験入学の際に、以前見学した私立中学の生徒が複数人参加していたことも印象的でした。高校付属の私立中学に通っていてもそのまま付属の高校にしない生徒もいるのだと私はその時知りました。専修学校とは | 文部科学省学習支援を受けていたNPO法人主催の学校見学会娘は中学入学後、障害のある子どもの学習支援や余暇支援を行っているNPO法人に通い始めました。そのNPO法人は保護者向けの学習会や講演会、福祉事業所の見学会などさまざまな企画も行っていました。Upload By 荒木まち子ちょうどその年に開校したC学園の見学会が開催されると聞き、私は迷わず見学会に参加しました。単位制高校・C学園C学園は不登校や軽度発達障害がある生徒向けの通信制高校でした。習熟度別クラスや通う日数を選べるスタイルの学校で、WISCなど発達検査の結果を読むことのできる先生もいました。新設校の為、卒業生の進路実績が不明瞭でしたが、それまで見学した中で一番通いやすい場所にあることと、開校間もなくてこぢんまりとアットホームな雰囲気があるところに好感が持てました。後日家族で体験入学を受けに行ったところ、体験の内容は名刺作りや美術体験などB専修学校に似た内容でした。でも娘はB専修学校の方が気に入っているようでした。いざ!特別支援学校高等部の見学へ娘が小学生の時にはタイミングがうまく合わず、見学ができなかった特別支援学校高等部。家族そろって見学に行けたのは中1の終わりごろでした。この学校は軽度の知的障害の生徒が『卒業後に企業就労による社会参加や自立をめざす』学校でした。進学を目的にした学校ではないため、学習科目は主に国語:コミュニケーションの基礎とした「聞く」「話す」「読む」「書く」の学習数学:四則計算(生活の中で使う単位時間金銭計算など)社会:社会のきまりや制度、生活に関わることがら家庭科:自立生活のための調理・裁縫等英語:あいさつや日常表現体育:体力つくり運動を学ぶといった内容でした。当日見学した授業の内容はPCの授業では生徒たちはデータ入力に加え、各机に置かれた内線電話を使った受け答えや業務連絡のメモ取り作業も同時に行っていました。また別の授業では生徒がペアを組みシーツの畳み方の実施テストを行っていました。私は「娘の苦手なコミュニケーションや四則演算が学べて、将来一人暮らしした時に役立つ料理や洗濯などの家事を授業で教えてもらえるなんて、願ったり叶ったり!」と思ったのですが、当の娘は…Upload By 荒木まち子そこまではっきり言われたらまだ予定していた学校すべてを見学したわけではありませんでしたが、どの高校に行きたいのか娘の中では決まりつつあると私は感じていました。でもそのまますんなりとはいかないのが障害児育児です。この後、中2になった娘に思いもよらぬ出来事と変化が起こり、それは進路選択へも大きな影響があったのです…。次回コラムでは、中2のときのできごとを中心に紹介します。
2019年06月06日前回の不登校体験に続き第2話です。小6の頃から登校渋りが始まり、休みがちになった娘(長女)。不登校と言っても完全に行かないのではなく、たまに短時間行ったりもしたのですが、疲れ果ててしまうようでした。親も毎朝…憂鬱な日々中学校に入学し、環境が変わった(ちょっとだけ揉めてた子とは別の学校)ので行けるかな~と期待したのですがまた学校に休みの連絡を入れる日々となりました。この電話が親にとっては地味に辛い。「今日は行けるかも」という期待がどうしても捨てきれないので毎朝…憂鬱な状況でした。夫に相談しても解決しない…本人もですが私も不安です。夫に相談しても、どうしていいか分からないのは同じだったからか話にならずケンカになってしまいます…。学校に行っている兄弟との間に溝が…妹(小6)弟(小3)がちゃんと登校し帰ってくれば、お姉ちゃんとしてやりきれない気持ちもあったのでしょう。妹・弟にしてみたら、不登校に直面し悩んでる私を励ましたい気持ちや、熱があるわけでもないのに休む姉が羨ましい気持ちもあったと思います。ちょっとしたことでケンカばかりの日々となってしまいました。解決の糸口を探しに親の会、講演会、病院へこのままでは良くないと思い、私はあちこちに出向き解決の糸口を探します。しかし、どこへ行ってもしっくりこないというか、こうすれば解決という具体的なお話は聞けませんでした。娘の「消えたい」の一言で気がついたことそんなある日、また激しいケンカをしてお互い疲れ切ったとき娘が言いました。この言葉を聞いて私はやっと気がつきます。娘の苦しみは思ってる以上に深いこと。誰もが認めるような理由が見えなくても甘えなんかではないこと。そして休んだからと言って気持ちは全然休めていないということに。次回へ続きます。 ↑ウーマンエキサイトベストコミック大賞はこちらから!
2019年06月04日「ソーシャルスキル」という言葉を知っているでしょうか。直訳すると「社会的な技能」となりますから、なんとなく意味も想像できるかもしれません。いま、子どもたちのソーシャルスキルが不足している、あるいは未熟なままであると危惧しているのが、法政大学文学部心理学科教授の渡辺弥生先生。きちんと社会生活を営むために欠かせないというソーシャルスキル。具体的にはどんなものなのでしょうか。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)「バイバイ」のハンドサインもソーシャルスキルソーシャルスキルというと、なにか特別な技能を想像するかもしれませんね。でも、これはみなさんすべてが日常的に使っているしぐさや行動なのです。たとえば、手の振り方次第で相手に「こっちに来て」とも「バイバイ」とも伝えられますよね?このように、社会生活をうまく営むために「こういう場合はこういう振る舞いをする」というフォーム(モジュール:人間の行動のうえで、まとまった社会的機能を有する単位)のようなものです。「うまく営む」というと、「要領良く生きていく」ためのスキルだと勘違いする人もいるでしょう。でも、そういうものではなくて、ある社会に暮らすために誰にも求められているものなのです。電車に乗るときのマナーをイメージしてもらえるとわかりやすいかもしれません。電車でのマナーは、社会生活をスムーズに営むためのものであって、要領良く生きるためのものではないですよね。それらは、かつては親やおじいちゃん、おばあちゃん、近所の大人たちが子どもたちに教えてきたものです。でも、地域との接点が薄れ、核家族化が進んだいまはそれが難しくなってきています。極端にいえば、家庭教育を担うのは親だけという状況。その親が教えることができなければ、子どもはソーシャルスキルを学ぶことができないのです。遊びが多くのソーシャルスキルをもたらすまた、子どもがソーシャルスキルを身につけることが難しくなってきている原因としては、子どもたちが自由に遊べる時間が激減しているということも挙げられます。いまの時代の親は本当に教育熱心です。子どものためを思って塾はもちろんさまざまなお稽古事に子どもを通わせますから、子どもが自由に友だちと遊べる時間はどんどん減っています。でも、本来、子どもは遊びからさまざまなソーシャルスキルを学ぶのです。たとえば、近所の子どもたちと遊ぶうち、年上のお兄さんやお姉さんに優しくされれば、「思いやる力」を学べます。そうして学んだスキルを、今度は年下の子どもたちを相手に発揮することもあるでしょう。また、山の急勾配を登るような遊びなら、何度転げ落ちても粘り強く挑戦を続けるうちに、子どもは「あきらめない力」を身につけます。逆に、遊びのなかで「あきらめる力」を身につけることもあります。たとえば、本当はもっと遊んでいたいのに、日が暮れてしまって遊ぶことを「あきらめた」という経験はみなさんにもあるでしょう?これも立派なソーシャルスキルです。「あきらめる力」は「粘り強さ」の対極にあるものではありません。ときと場合によっては、どこかで妥協することも必要なのです。そうできなければ、次のステップに進んで頑張るということもできないでしょうからね。そういった「決断」が「あきらめる」ということなのです。ソーシャルスキルの不足が招く悪影響ソーシャルスキルは、いってみれば「生きるための総合力」です。それらが不足してしまうと、当然、子どもたちにはさまざまな影響が表れます。その筆頭は、「人とうまくかかわれなくなる」ということ。人間は社会生活を営む動物ですから、「ひとりで生きていける」なんて思っている人であっても、実際にはどこかで人とかかわって生きています。それなのに、人とうまくかかわることができなければ、まわりから「迷惑な人だ」と思われるなどして、幸せな人生を歩むことが困難になります。それから、「うまくかかわれなくなる対象」には「自分」も含まれます。「ソーシャル」というからには他者とのかかわりをイメージすると思いますが、先に挙げた「あきらめない力」や「あきらめる力」がそうであるように、ソーシャルスキルが欠乏すると、自分ともうまくかかわれなくなるのです。「不安ありき」の家庭教育では子どもも不安になるでは、子どもにソーシャルスキルを身につけさせるために親はどうすればいいのでしょうか。わたしは、変に難しく考える必要はないと思っています。なによりも楽しく子育て、家庭教育をすることを心がけてほしいのです。先に、ソーシャルスキルが不足すると人とうまくかかわれなくなるとお伝えしました。すると、「うちの子がそうなったらどうしよう」と思った人もいることでしょう。いまの親を見ていると、多くの人が「不安ありき」の家庭教育をしているように思えてくるのです。自分の子どもが「不登校にならないか」「いじめに巻き込まれないか」といくつも不安があって、そうならないための家庭教育になっているのではないでしょうか。それはすごく残念なこと。子どもは無限の可能性を秘めています。だとしたら、起きてもいない問題をイメージして不安を取り除くような発想ではなく、子どものいいところをどんどん伸ばしてあげるためになにをすべきなのかという発想で、もっとポジティブに家庭教育をしてほしいですね。親が毎日のように不安な顔をしていたら、子どもだって不安になります。でも、お父さんとお母さんが人生を楽しんで、いつもニコニコして「人生って面白いよ!」と伝えてくれたら、子どもはワクワクした気持ちで毎日を過ごせるにちがいありません。「情動感染」という言葉がありますが、気持ちは即時に影響し合うところがあるのです。そうすれば、幼稚園でも小学校でも友だちがどんどんできて、先生ともいい関係を築けるし、自己肯定感が高まり、結果として自然に必要なソーシャルスキルを学んでいくように思うのです。『感情の正体 ――発達心理学で気持ちをマネジメントする』渡辺弥生 著/筑摩書房(2019)■ 法政大学文学部心理学科教授・渡辺弥生先生 インタビュー一覧第1回:「あきらめない力」も「あきらめる力」も大切!子どもの決断力を伸ばす家庭教育法第2回:我が子の自己肯定感を育むなら“親の基本”の徹底を。「見返りを求める」は絶対NG!(※近日公開)第3回:劣等感を自尊心に!寝る前に親子で実践、「レジリエンス」の簡単トレーニング法(※近日公開)第4回:「10歳の壁」ではなくて「10歳の飛躍」!親が我が子の10歳をもっと面白がるべき理由(※近日公開)【プロフィール】渡辺弥生(わたなべ・やよい)大阪府出身。法政大学文学部心理学科教授。筑波大学卒業、同大学大学院博士課程心理学研究科で学んだあと、筑波大学文部技官、静岡大学助教授、ハーバード大学在外研究員、カリフォルニア大学客員研究員等を経て現職。同大学大学院特定課題ライフスキル教育研究所所長も務める。専門は発達心理学、発達臨床心理学、学校心理学。『まんがでわかる発達心理学』(講談社)、『小学生のためのソーシャルスキル・トレーニング スマホ時代に必要な人間関係の技術』(明治図書出版)、『イラスト版 子どもの感情力をアップする本 自己肯定感を高める気持ちマネジメント50』(合同出版)、『子どもの「10歳の壁」とは何か? 乗り越えるための発達心理学』(光文社)、『考える力、感じる力、行動する力を伸ばす 子どもの感情表現ワークブック』(明石書店)、『図で理解する発達 新しい発達心理学への招待』(福村出版)など著書多数。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年06月03日コマーシャルとちょっとした宣言このたび、金子書房から新刊が出ます。タイトルは『ADHDとともに生きる人たちへ〜医療からみた「生きづらさ」と支援〜』です。これは、2017、18年の2回にわたり開催した研修会の講演内容を文字化し、大幅に加筆修正したものです。精神科医になった1983年に、僕は診療録に書いた内容を先輩医師のまえで報告する時がありました。報告後、「キミは、書いたものよりも、口頭のほうが、伝わりやすいね」と言われました。果たして本書がそうなっているか、内容について関心があれば、読んでいただければ幸いです。ADHDに関しては、実は、もう一つ、2001年に刊行した、星和書店の『ADHDの明日に向かって』を、ここ1、2年の間に大幅に修正するか、新たに書き下ろさないといけないと思っています。あのままでは置いておけないと思っているのです。僕は、発達障害のなかでも、縁あって特にADHDに関心を抱き続け、ここまで来ました。でも、正直、ADHDに関しては、今でも2001年のあの本を超えたものが書けていないように思っています。これは、悔しいというか、恥ずかしいというか、このままではいけないと思っています。ただ、今の課題は、日々の臨床のなかで、その作業時間がつくれるかどうかです。でもこうして宣言しておくと、これからとぼけることが出来なくなります。これは覚悟です。さて、話は変わって。発達ナビからは、「日々の臨床で感じていること、考えていることを書いてみて」と依頼されました。でも、日々の臨床で感じ続けていることは、いつも己の力不足であり、学習不足と自責の念です。そこで、過去と現在と未来について考えてみました。過去のこと――院外での出会いも。発達障害のある子どもたちと社会との架け橋役に出典 : 僕は1983年に精神科医になり、故郷を離れて北海道に来ました。初期研修を終えて、医師になって10年を目前にしたとき、僕は児童精神科医を目指し、児童部門のある精神病院に就職し、数年後に児童部門を背負いました。当時は不登校から(軽度)発達障害と児童虐待問題へと大きく展開した時期でもありました。僕は北大や札幌医大、旭川医大の卒業生でもなく、本州からの流れ者医者です。どこにいっても常に一人で、どことも本当は決して馴染まない存在という異邦人的な感覚を持ち続けていました。もちろん、これは僕の単なるコンプレックスなのですが、こうした僕にある心許なさが、僕が出会いたいと切望していた子どもたちと、どこか重なる部分があったのかもしれません。ほかの誰の味方でもなく、キミの味方になりたい、という僕の思いは、僕自身を支える僕の気持ちでもあったのでしょう。児童部門を背負ってからは、児童相談所の嘱託医となり、子どもだけでなく家族全体を生活の視点で診ることを学び、福祉、教育分野の仲間たちが出来たことで、虐待防止活動や、家族と子どもたちと専門家が一蓮托生の思いで集う会を結成しました。「専門家の話だけでなく、同じ思いの親と出会いたい、親と話をしたい。教育、福祉の方々とも対等に話を、正直な思いを聞きたい」という切実な思いから結成した「十勝ADHD&LD懇話会」は、昨年結成30年目にその活動にピリオドを打ちました。僕自身は、こうした院外活動を通して、診察室のなかで、なかなか広がらない話から、たくさんの窓が開き、多くの方々と出会うことになりました。僕は、白衣を脱いで地域、現場に足を運ぶことで、異邦人的な感覚が薄まり、子どもたちや家族が躊躇している社会への接点への橋渡し役をすることが出来るようになりました。昨年「十勝ADHD&LD懇話会」の幕を閉じるとき、僕は懇話会の合い言葉でもあった“Children First”という言葉が、今も僕たちの心を支えていたことに気づきました。この哲学は、今、目の前の方々を大切に、という思いへと繋がっていきます。僕たちが向き合い、大切にしてきたのは、「発達障害」ではなく、一人一人の子どもが、親が、そして僕たちが、どうしたら日常をより豊かに生きられるか、という生き甲斐探しのようなものだったのかもしれません。現在のこと――クリニックで患者さんと向き合う毎日出典 : 僕の最初の10年は一般精神科医の時代で、次の10年は児童精神科医と研究機関と大学で教育と医療の境界線上に立ちました。2013年が30年目の節目でしたが、僕はすこしばかり早く大学の職を辞し、2012年からクリニックで日々、受診される方々と向き合い続けています。クリニックでは朝の9時前から夜の8時前後まで休みない診察が続きます。先日、思い立って患者状況を分析しました。それによると、この3月で登録患者数が1300名を超えました。男性は56%とわずかに多く、年齢的には、初診時18歳以下が65%を占め、2.2対1で男性優位ですが、19歳以上では35%、男女比は1対2で女性優位となります。初診時診断は、発達障害圏が70%で、いわゆる精神病圏は5%とかなり少ないのです。発達障害圏での主診断は、自閉スペクトラム症が68%と圧倒的に多く、2位のADHDが13%です。僕は発達障害圏にいわゆる第四の発達障害と称される発達性トラウマ障害を加えていて、それが3位で9%程度です。最近話題になっている「大人の発達障害」ですが、僕のクリニックでは、19歳以上で発達障害圏の方が19.4%を占めていました。また、きょうだい、親子、家族の受診者が全体の10%強を占め、さらに離婚問題を抱えていたり、DVや虐待事例も外来で対応しています。こうした特異な医療を7年も続けてこられたのは、ひとえにすべてのスタッフがクリニックの「治療的空間」を形成してくれているおかげです。クリニックは、僕以上にスタッフ各自が持つ、ホスピタリティに大きく依存していると言って良いかと思います。それでも僕の外来医療を後方で支えているのが、週1、2回外勤している精神科病院となります。そこには、道内の児童相談所の一時保護委託をはじめ、児童相談所からの紹介で診る子どもたちも含まれます。僕が外勤している精神科病院には児童病棟はありません。入院中に子どもの教育の保障ができません。それでも苦渋の選択のなか、1ヶ月以内の短期入院を30%程度で維持しつつ、全体の50%以上を3ヶ月以内の入院でしのぎ、支援しています。未来のこと――複合的な要因を紐解き、発達障害・被虐待児をいかに支援していくか出典 : 僕はいつも、やりたい仕事よりも、求められている仕事に追い立てられています。子どもの精神科医としてスタートした頃は、はじめは学校に行きにくい、行きたくない、行きたいのに行けない子どもたちと出会っていました。それはそれでとても有意義な時間を過ごせたと思います。しかし、すぐに診察室は発達障害が疑われる子どもたちと、その子との関わりに困り果て疲れ切っている親との出会いの場となりました。僕は子どもたちの成長を信じ、親や家族、関係者を労い励まし、勇気づける役割を担うことを目指しました。臨床を離れ大学での研究時代には、虐待が避けられない事態となり、自然、社会的養護の子どもたちと出会いはじめ、これまで以上に児童相談所等と連携する仕事が増え、再び臨床に戻りました。発達障害の多様さを知らなかった時代、僕はその視点で子どもたちを診ることができませんでした。マルトリートメント(※)のなかで育った方々の、人への不信感とそれでも人を求め続ける姿を知ってから、発達の躓きはマルトリートメントの結果となる場合もあり、発達障害が沢山の誘因の一つとしてマルトリートメントを生じさせる場合もあることを学びました。そして最近では、マルトリートメントしてしまう親自身が、子ども時代にマルトリートメントを受けてきた、あるいは生活のなかで深い心の傷を負っていたということにも気がつくようになりました。これからの外来・入院診療では、発達障害とマルトリートメントが重なりあっている病態への対応が急がれます。個人的には、その複雑な病態の評価と支援を構築する力をつけていきたいと思います。※虐待をはじめとする、不適切な養育のこと。今後も終わりのない学びを続けていく自己研鑽が、僕には必要です。同時に、これまで関わってきたなかで学んだことに普遍的なこともあります。それは、出会う方々は皆、これまで生きてきたことをきちんと周囲に理解してほしいという思いがあるということです。評価してもらいたいわけではない。ただ、振り返ると、いつも一生懸命に生きていた自分がいたことを、自身以外の誰かに知っておいてほしいという思いがあることです。だから僕は、教えていただいた話を評価するのではなく、ただただ、聴けたことに、話をしてくれたことに感謝します。もちろん話の中身は壮絶です。それでも教えてくれたことに心から感謝しています。先日もある方が語られたあとに「私は、大変でしたねっていってほしくて話をしたのではなくて、ただ、知ってほしかったのだろうと思います」と言われました。僕が信じる精神科臨床とは、その方の生い立ちと生活環境、家族との関係性のなかでの成長変化と、個々にあるその人らしさという個性あるいは特性を、評価し続け、その方の心身を整え、生活の質を高めるよう、共に相談をしていく有り様です。そしてそれは常に「個別の物語」から成り立ちます。わが子の育ちを通して、自分自身の子ども時代に思いを馳せ、親としての自身の思いから自身の親の思いを推察するとき、それまで抱えてきた自身の親への思いが変化する、あるいは、ずっと蓋をしてきた過去がよみがえる、そんなとき、僕は、親に対して、あなたが主人公としてクリニックを受診をしてみたらどうでしょうかと伝えます。そこに新たな個別の物語が始まります。そうして家族個々のカルテが増えていく…。「きょうだい」ではなくキミ、「父」ではなくあなた、個々の物語には個々の過去と未来があります。そうして診察室は、スピンオフの物語で埋もれていきます。そこで僕は気づきます。この社会で、だれもひとりぼっちではなかったと。マーガレット・ラスティンが『発達障害・被虐待児のこころの世界精神分析による包括的理解』(岩崎学術出版)で「子どもの精神病状態の本質を理解することは計り知れない困難があり、その複合的な原因は理解され始めたばかりである」と述べたように、僕の目指す児童と家族の精神科医療も、ようやくスタートラインに立ったばかりです。僕は、もう少しワクワクしながら、未来に目を向けていきたいと思います。精神科医になって35年が過ぎ、僕はもう少し、歩みを止めず進んでいきたいと思っています。だから、一緒に未来を見続ける仲間がほしいと、切実に思います。誰か、誰でもいい、このクリニックでワクワクした仕事を僕と一緒にやりませんか。
2019年05月30日前記事の最後でも触れましたが、今回は宿題嫌いで大変だった長女がその後どうなったかのお話、数回にわたって書いていきたいと思います。結論から言ってしまうと、娘は不登校を3年間経験後、高校から社会復帰し現在大好きな絵を描く仕事に就いています。娘の不登校の原因について不登校については、ちょうど今話題にもなっていますよね。…賛否両論あると思います。ひどいイジメにあったり、病気があるなどハッキリした理由がある場合は仕方ない。…でもたいした理由がないのに不登校って…甘えでしょう?学校行って勉強するより、好きなことだけして遊んでいたいだけ?そんなんじゃ…社会にでれなくなる! …って思いますよね。実は私もかつてはそう思っていました。学校に行くのは当たり前だと思っていたし、自分が学校に行けたからです。しかし、娘が不登校になったことで「学校がとても苦痛な子がいる」ということを私は学ぶことになりました。(不登校の原因や苦しさは、その子その子によって違うと思いますのであくまで我が家の体験談です)もともと娘はひょうきん(死語?(笑))なタイプで、みんなを笑わせたりするのが好きで、慕ってくれる友達もいました。ですが集団(幼稚園・学校)はどうも今一つ楽しめてる感じではありませんでした。「どうして行かなきゃいけないの?行きたくない」とよく言っていました。何が嫌なのか聞いてみると…意地悪するクラスメイトがいる、先生の怒鳴り声が嫌、給食を残してはいけない…などそりゃそうだろうけど…ということばかり。クラスメイトの意地悪や、先生が怒るなどは、自分に対してではなくても気になっていたようです。給食や体育が苦手なのは私もわかっていたのですが、頑張ってるうちに鍛えられていくかな~という期待もあったので、親は深刻にならずに背中を押すくらいでいいかなと思っていました。友達付き合いができる子だし、勉強嫌いでも理解はできているのだからそのうち楽しくなるだろう、慣れるだろう、なんて気楽に考えていました。娘にしたら…悩みは結局ひとつも解決しなかったわけです。娘はどんどん家から出れなくなり…これからどうなる?と不安な日々にそして6年生の時、朝登校時になると腹痛や頭痛などの体調不良を訴えるように。改めて学校でなにかあったのか聞いてもやはり大した理由は出てこない…クラスメイトとのいざこざはあったようですが思春期に入り難しいお年頃なので仕方ない…くらいに思っていました。体調不良は家にいるとケロッと落ち着く。これは乗り越えさせないとこのまま本当に不登校になってしまう。それだけは避けたいと思い…なんとか休みを増やさないようにと必死で思いつく限りの試み(遅刻や早退でもいい、教室が苦痛なら保健室でもいい、先生と相談・協力)に尽力しました。がその甲斐虚しく…娘はどんどん家から出れなくなりました。不登校になった娘に寄り添えるようになるまでは、私にとっても娘にとっても苦しい時間でした。まるで出口の見えない暗いトンネルにいるようでした。次回へ続きます。
2019年05月28日「好き」で自信を創り、「好き」で社会とつながるこんにちは。「『好き』で自信を創り、『好き』で社会とつながる」をビジョンに、発達障がい児向けのメンターマッチングサービスと教室運営をしているBranchの中里祐次です。Branchは、「発達障がい児の好きなことを見つけたり、好きなことができる環境創りのサポートをするサービス」です。こんなことをやっています↓↓Upload By 中里祐次Upload By 中里祐次 | 発達障がい児の孤独をなくし、可能性を伸ばす習い事って、「役に立つからやる」ことなんだっけ?出典 : この仕事を始めてから、「お子さんが自分の好きなことをできる時間って、今はどれくらいあるのかな?」と、よく考えます。自分の子どもの頃を考えると、おそらく100%に近いくらい、好きなことばっかりやっていたように思うんですよね(勉強していた記憶のない子どもだからかもしれませんが…)。友だちと公園で遊んで、その公園での遊び方を自分で考えたり、当時自分が好きだったドッジボールをみんなでやりたくて勝手にドッジボール部を創ったり…とにかく好きなことばっかりやっていた、のんびりした子ども時代だったなぁ、と。ただ、今のお子さんを見ていると、時代は変わってきているのかな、と感じます。というのは、学校の勉強や習い事に関して、お子さんが好きでやりたいことをベースにやる/やらないの判断をしているわけじゃない場合が多くなってきているように見えるからです。「これを覚えること、習うことがすべての子どもに役立つ」といった、まるで「正解」が決まっているかのような言説をよく見るようになりました。もし本当に、そういったすべての人に正解と言える方法があれば楽だと思う人もたくさんいるでしょう。Branchに相談に来る保護者さんの中にも、「次は子どもに何を習わせれば将来うまく行きますか?」というような質問をされる方がいらっしゃいます。なんとなくそれを聞いていると、スマートフォンのアプリをインストールするように「その習い事に通わせれば、自動でわが子に必要な能力がインストールされる」ような感覚でいらっしゃる方も多いのかなぁ、と感じます。でも、肝心のお子さんの感情はどこ行っちゃったんだろう…。ためしに、自分のお子さんに学校の勉強や習い事について「これは好きかどうか?」を一つずつ聞いてみてください。全部好きっていうなら、とてもその子はラッキー。残念ながら実際は、そうじゃない場合がとても多いと思います。習いごとに行ったあとに僕がお子さんに会うと「実はさっきの習い事、好きじゃないんだよなぁ」なんて言うお子さんも多いです。僕らは、なんでも言ってくれるような関係性が創れて良かったなと思うとともに、悲しい気持ちになります。好きで好きでたまらないことを、大人が全力で応援する出典 : 僕たちBranchは、我慢して我慢して勉強したり習いごとをした先にあるものよりも、「好きで好きでたまらないので誰にも止められない!」ということを大事にすることが、今の時代の学びにとても大切だと思っています。たとえばうちの子は、大好きなレゴをやってる時は大きい声で声をかけても肩を叩いても気づかないような子でした。今はマインクラフトをやったり、YouTubeでマインクラフトの動画を見たりしている時がその時間です。好きなことをやってる時は自発的にものすごい集中力でやっていますが、嫌いなことは絶対やりたくない。思えば自分もほぼ同じタイプの子どもでした。ある時、東京大学の文化祭で東大レゴ部の方が出展されているのを見つけて子どもと出かけました。レゴ好きなので、何か良い影響があるかなー、と期待をしながら。実際うちの子は、目をキラキラさせて東大レゴ部の方にレゴについてたずねたり、帰ってきてからも学校の作文にそのことについて書いたり、大きくなったら東大レゴ部に入りたいから東大に行きたいといったりと、中々良い影響があったようです(東大に行けるかどうかとかは置いておいて…。というか、本人はそれを言ったことをたぶん忘れています笑)。実はその時の経験から生まれたのがBranchなんです。つまり、お子さんの好きなこと(例えばレゴ)を得意な大人(ここで言えば東大レゴ部の方)とマッチングする、というサービスです。その後、サービスが続くうちに代官山に教室を構えたり、お子さんの好きなことを保護者の方と一緒にどう伸ばしていくかを考える計画書を提出するようになったりと、色々と進化を続けて今に至ります。「好きなことで社会とつながる」その最初のきっかけを例えばどんなお子さんがいらっしゃるかというと、こんなお子さんです。Upload By 中里祐次Upload By 中里祐次発達障がいのあるお子さんがメインですが、発達障がいはないけれど不登校状態だというお子さんも多いです。また、たまに「天才を育てるサービス」と勘違いされますが、それは違います。すべてのお子さまが「好きなことができて、それによって自信がつくことと、好きなことで社会とつながるきっかけを創る」ことがBranchが行っていることです。またもう一つ「お子さんの才能を新しく生み出す」ことを期待されることもありますが、基本的に「お子さんが好きなこと」をベースに考えていくので、それがお子さんの好きなことであれば一緒に考えていきますが、お子さんが嫌いなこと、興味のないことであれば僕たちがやることの範疇ではないかな、と思っています。安心して好きなことができる環境を創るのがBranchの役割まだサービスがスタートして3年弱なのですが、最近、Branchのチームで大事にしたいと考えているのはこんなことです。Upload By 中里祐次上述したように、Branchには社会の中で傷ついたお子さんがとても多くいらっしゃいます。好きなことにはすごい集中力を見せるのですが「学校に行けなくなってから、その好きなこともあまりやらなくなっちゃったんです」というようなお悩みも。Branchの場合は上記の図にあるようにまず最初に「安心して好きなことができる環境設計」を大事にしています。人と会うことや、外へ出ることも難しいお子さんもいますので、先に「どんな人」がいるか「どんな場所なのか」を伝えたり、場合によってはこちらから訪問したりもします。他にも、教室事業である「Branch room」のスタッフが共有する「グランドルール」として、こんなことを大事にしています。----------------------------ここはお子さまの「好き」を見つけること、「好き」を育むことを目的としています。・一緒に考える=つまり「教えない」ことです・見守る=つまり「指示しない」ことです・整える=居心地良く、少しの新しい発見がある空間を創ることです上記のようなことを私たちは主に行います。----------------------------まだまだ至らない点もありますが、安心できる場所があると、お子さんにちょっとずつ自信や自己肯定感が生まれるのかな、と思いながら日々活動しています。そして、だんだんと自己肯定ができるようになってくると、自主的に「これやってみよう!」と、自分のやりたいことをやるスイッチを押せるようになると思っています。大人になった時にこの「自主的に自分のやりたいことのスイッチを押せること」がとてもとても大事だと思っていますので、まずはそのための環境創りに取り組んでいるのが、いまのBranchです。もちろん、すでに自己肯定もできていてやりたいこともあるお子さんの場合、それをどう伸ばしていくかの環境創りのサポートが大事になるので、そのあたりも語りたいのですが…長くなってきましたので、今日はこの辺で。ご興味を持ってくださった方は、ぜひBranchに遊びに来ていただければ幸いです。オンラインのメンターマッチングサービス「Branch」は全国どこからでもご利用可能です。東京におられる方は教室事業の「Branch room」も覗いてみてください。それでは。 | 発達障がい児の孤独をなくし、可能性を伸ばす東京・代官山Branch room
2019年05月23日ゲームは人生の役に立つってホント?はじめまして。コラムニストの小幡和輝(おばたかずき)と申します。僕は子どものころ約10年間を不登校として過ごしました。正直、学校に楽しい思い出はありません。そんな僕がハマったのはゲームでした。1日に10時間以上。合計で30000時間を超えるほど、ゲームに没頭していました。僕はこの経験があったから、自分の人生が豊かになったと考えています。ゲームからたくさんのことを学びました。今回はそんなお話ができたらいいなと思っています。僕のことを先に知ってもらわないと、あまり信用してもらえないかとも思いますので、自分のことをもう少しお話ししておきますね。僕はいま24歳で自分の会社を経営しています。地域の文化を発信したり、イベントを作ったり、地域活性化に関わる仕事をしています。起業したのは18歳で、現在で7年目。最近では内閣府から『地域活性化伝道師』という肩書きもいただきまして、最年少の地域活性化の専門家ということでお仕事をしています。Upload By 小幡和輝いまとにかく人生が楽しいです。この土台は「ゲームが作ってくれた」と確信しています。ゲームをネガティブに考えずに、人生を豊かにするツールとして活用してほしい。ですが、それを生かすも殺すもあなた次第なのです。子どもがゲームにハマっても大丈夫なの?子どもはゲームをいっぱいやりたがりますよね。この記事が、保護者としてゲームとどう向き合っていけばいいのかの参考になれば嬉しいです。僕はよく子育ての相談を受けるのですが、ある日こんな相談を受けました。「うちの子どもはゲームばっかりやってるんです。せめて囲碁とか将棋にハマってくれたらいいんですけど…」「お母さん。囲碁や将棋もゲームですよ…」ここで保護者の皆さんがいう「ゲーム」というのはテレビゲームやスマフォゲームのことを指しています。ですが、広義の意味では、囲碁や将棋はもちろん野球やサッカーなどのスポーツも『ゲーム』です。どうも「ゲーム」という言葉のイメージであったり、なんとなくダメなものという印象を持たれている方が非常に多いので、まずはその誤解を解いていければと思います。少し自分の話に戻りますね。僕は不登校でした。学校に行かなくなって、人との関わりも少なくなってくる。そんな中で僕を救ってくれたのがゲームでした。Upload By 小幡和輝ゲームを通じて友達ができたんです。僕は30000時間以上ゲームをしてきました。しかしそれは、たった一人でゲーム機に向かっているのではありませんでした。常に”誰かと一緒に遊んでる時間”だったんです。遊ぶ相手は、同じく不登校の同世代や、ときには世代を超えた社会人も。僕にとって「ゲーム」とは人と人をつなぐコミュニケーションツールでした。勉強も運動も苦手だった僕にとってゲームは自己肯定感を高めてくれるものでもありました。中学時代には大会に出場するようにもなり、さまざまなタイトルで優勝したりして、全国大会に出場することもできました。ゲームのコミュニティでは、僕のことを「不登校の小幡くん」として見る人はいません。この場所では「ゲームが強い小幡くん」です。最近のeスポーツの流れはとてもいいなと感じています。ゲームが強いことで尊敬される人が増えるというのはとても大切なことだと考えています。ゲーム依存症の定義を知っていますか?ゲームにハマることをそのまま依存症と繋げる方が多いのですが、依存症についての正しい理解が進んでいないように思います。WHOでは、「普段の生活が破綻するほどの」ゲームへののめり込みを指すものをゲーム依存症(※)と定義しています。僕の場合は友人と遊ぶためのツールとしてのゲームであるため、ゲーム依存症ではなかったと考えています。もちろん、家の中に引きこもり、昼夜逆転して、ひたすら1人でゲームをやり続けるというのはゲーム依存症かもしれません。でも、ゲームをたくさんやっているからといって、そのすべてがゲーム依存症ではないと思うので、保護者の皆さんはお子さんに、もう少し広い視点と、正しい環境をつくってあげてほしいと思います。ゲームをすると学力が下がるという話もありますが、それは単純に勉強時間が少なくなっただけですよね(笑)。ゲームは間接的な原因であるはずなのに、なんでもかんでもゲームのせいにされている状況には、僕には違和感があります。※WHO(世界保健機関)は、『ICD-11』において、ゲームのやり過ぎで日常生活に支障をきたす依存症を「ゲーム症・障害」という疾患と認め、2019年5月の総会で承認する見通しであることを2018年6月18日に発表しました。2019年5月20日、WHOの年次総会がジュネーブの国連欧州本部で開幕し、オンラインゲームやテレビゲームのやり過ぎで日常生活が困難になる「ゲーム障害」を新たな依存症として加えた「国際疾病分類」最新版が28日までの会期中に採択される予定です(2019年5月22日現在の状況)ゲーミフィケーションという考え方ゲームと教育の相性は非常にいいと思います。楽しみながら学ぶことで、スラスラ入ってくるという経験はみなさんにもあるのではないでしょうか。僕自身、ゲームからたくさんのことを学びました。いま地域の文化の発信や地域活性化の仕事に関わっていますが、そもそも最初に興味を持ったのは戦国時代を舞台にしたゲームからです。ゲームを通じて、日本文化や歴史が好きになって、それがそのままいまの仕事に繋がっています。中学時代にカードゲームにハマったのですが、僕はよくカードゲーム専門店に出入りをしていて、大会の運営にも関わるようになりました。そのときの経験があったから、18歳でイベントを主催したときも抵抗がなく、そのまま会社をつくることができたのだと思います。僕にとってのゲームは人生を豊かにしてくれたツールです。しかし一方で、異常な課金や依存症など、ゲームによって人生を破滅させてしまう場合もあります。つまり、「生かすも殺すもあなた次第」なのです。今回書いたものはほんの一部。他にもいろんな視点でゲームの魅力を書いた本が今日発売されました。ゲームの「良い面」やその効果について、実体験を踏まえて一つひとつ丁寧に解説しています。 また、脳科学者の茂木健一郎さんをはじめ、さまざまなの分野の識者との対談を通じて、ゲームの魅力や効果をあらゆる側面から考察しました。もしよければ手にとってみてください。ゲームをネガティブに考えず、広い視点を持って、その魅力をぜひ最大限に活用してほしいです。ゲームはたくさんのことを教えてくれる「ツール」だから。(@nagomiobata)(@nagomiobata)
2019年05月22日17歳前後の少年が相次いで凶行を起こしたことで、「キレる17歳」という言葉がメディアをにぎわせたのは、2000年頃のこと。それから約20年が過ぎましたが、その間にも、いわゆる「キレる」子どもたちの存在による学級崩壊等の問題は報じられ続けています。では、子どもをキレにくい人間に育てるにはどうすればいいのでしょうか。カウンセリング心理学博士であり、アンガーマネジメントの専門家でもある早稲田大学教育学部教授・本田恵子先生にアドバイスをしてもらいました。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)「キレる」人間には3つのタイプがある一般的に「キレる」というと、興奮して怒っている状態をイメージするでしょう。でもそれだけではなく、「キレる」人間には大きく3つのタイプがあります。ひとつは、そのすぐに興奮して怒りっぽいタイプ。わたしは「赤鬼」タイプと呼んでいます。アドレナリンが出やすく、いろいろな刺激に対してすぐに興奮してカッとなるタイプですね。このタイプは、八つ当たりをしやすく周囲に自分の感情をまき散らします。大人でも、パワハラをするような人はこのタイプに属します。その逆にあたるのが「青鬼」タイプ。強い不安を抱えていて、ひきこもる傾向にあります。自分が安心できる場所にいたり活動をしたりしているときは安定していますが、そこに他者が侵入してきてやりたいことを止められたり、無理やり外に出されそうになったりすると、激しい攻撃をすることもあります。さらに「凍りつき」というタイプもあります。これは、虐待やいじめ、それから支配的な家庭に育った子どもに多いタイプですね。子どもは3歳くらいになると、「こういうことをやりたい」といった自我が出てきます。でも、自我を出したときに親に否定されると、子どもは「いい子でいないといけない」と思うようになります。ただ、自我に逆らって「いい子」でい続けるのは大変です。小学校ではずっと「いい子」だった子どもが、中学生になるといきなり不登校になっちゃった――。「いい子」でいることに疲れてしまうと、こういうことが起きるのです。親が怒鳴るときは子どもの脳も怒鳴っているそういった点も含めて、「キレやすい子ども」になってしまうかどうかは、親のかかわり方にかかっているといってもいいと思います。じつは、安定した子どもになるかどうかのまず第1段階は、生まれてから3カ月くらいのあいだに決まってしまいます。生まれたばかりの赤ちゃんは、まだはっきりとものを見ることができません。音は聞こえてにおいも感じられるけど、その正体はわからない。だから、とっても不安です。体も動かせませんから、赤ちゃんができることは泣くことだけ。その泣き声を聞いた親が、しっかりと赤ちゃんの不安を察知して、おむつを替えてあげたりミルクをあげたりするなど、赤ちゃんが感じているいろいろな不快を快に変えることで、赤ちゃんは少しずつ安心して穏やかになっていくのです。その3カ月のあいだに、たとえば未熟児で生まれたりなんらかの病気を持っていたりしたことで親から離される経験をした子どもの場合、分離不安を生じやすくなります。だから、幼稚園や保育所に行く際にもすごく泣く傾向にある。その原因は、生まれてから3カ月のあいだの親との接し方にあるのです。そのあとも、子どもがキレやすくなるかどうかは、親のかかわり方が大きく左右します。3歳くらいになって感情が出そろってくると、子どもは親の感情や行動を真似していくようになります。自分にとってマイナスになる場面では、うそをつくとうまくいくことを見ていると同様の行動をする。また、親から怒鳴られている子どもは、人と接するときや人になにかをしてもらいたいときには怒鳴るようになる、という具合です。だから、親から虐待された子どもは、学校ではいじめっ子になりやすくなるといいます。このことには、脳内にある「ミラーニューロン」という神経細胞の働きが関連しています。これは、文字通り、「鏡の神経細胞」です。これによってどんなことが起こるのか。たとえば、父親が母親に暴力を振るっている場面を子どもが見てしまった。すると、子どもの脳のなかでは、ミラーニューロンによって子ども自身が暴力をしているときと同じ活動をする。つまり、親が怒鳴っているのを見たら、子どもの脳も怒鳴っているというわけです。「三つ子の魂百まで」という言葉がありますが、これは脳科学的にも正しいといえます。頭ごなしの否定は絶対にNG子どもをキレやすい人間にしないためには、親は自分の行動を振り返って見直すしかありません。そのチェックポイントともいうべき行動指針はいくつもありますが、重要なことをいくつかお伝えするならば、まずは「肯定的で具体的な行動を起こす声かけ」を意識することではないでしょうか。頭ごなしの否定の言葉はNGです。「○○しないで」といわれると、子どもはなにをしていいのかわからず不安になってしまいます。電車のなかで静かにしてほしいときなら、「騒がないで」ではなくて「お口を閉じましょうね」「本を読もうか」というといった具合です。また、さまざまな試行錯誤をさせてあげることも大切です。子どもは3歳くらいになると、いろいろと「実験」をしたがります。お風呂で石けんやシャンプーなどを混ぜて遊んでいるなんてこともあるでしょう。もちろん、危険が伴うことはやめさせなければいけませんが、ある程度の試行錯誤、実験は許容してあげてほしいのです。すると、そういった遊びなどを通じて、子どもは「これをやると怒られるんだ」「こういう遊び方はケガをするんだ」と、実体験に基づいた説得力のあるルールやパターンを学んでいくことになる。そのなかには、「うまくお友だちと付き合うにはこうすればいいんだ」というふうに、人間関係にかかわることも含まれます。いずれにせよ、大切なのは子どもに対する親のかかわり方。それを肝に銘じて子どもの目線に立ち、子どもに暴力的な場面を見せていないか、頭ごなしに子どもの欲求を否定していないかと、普段の行動を振り返るようにしてほしいですね。『キレやすい子へのアンガーマネージメント―段階を追った個別指導のためのワークとタイプ別事例集』本田恵子 著/ほんの森出版(2010)■ 早稲田大学教育学部教授・本田恵子先生 インタビュー一覧第1回:子どもが「キレやすい」人間に育ってしまう、“絶対にNG”な親の振る舞い方第2回:意外と言いがち!子どもがますます反抗する、親のフレーズ3パターン(※近日公開)第3回:「10歳の反抗期」に親がすべきこと。子どもは親の思いどおりには育たない!(※近日公開)【プロフィール】本田恵子(ほんだ・けいこ)早稲田大学教育学部教授。中学、高校の教員を経験したあと、教育現場にカウンセリングの必要性を感じて渡米。アメリカにて特別支援教育、危機介入法などを学び、カウンセリング心理学博士号取得。帰国後にスクールカウンセラー、玉川大学人間学科助教授等を経て現職。学校、家庭、地域と連携しながら、児童、生徒を支援する包括的スクールカウセリングを広めている。2000年代からは、矯正教育の専門家を対象としたアンガーマネジメント研修の講師も務める。著書に『改訂版 包括的スクールカウンセリングの理論と実践』(金子書房)、『脳科学を活かした授業をつくる 子どもが生き生きと学ぶために』(みくに出版)などがある。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年05月20日子どもの知能を示す「IQ」とは別に、昨今では「SQ」という指数に注目が集まっていることをご存知でしょうか?SQが高い子どもは、一人ひとりの個性や多様性が重視されるこれからの社会で活躍できるといわれています。今回は、SQの意味や役割、それを高めるポイントについてご紹介しましょう。そもそも「SQ」って?今、子ども達に求められる能力とは「SQ」とよく似た言葉に、IQとEQがあります。しかし、この2つはSQとは少し異なったものです。IQは、Intelligence Quotient(知能指数)の略で、俗にいう「頭の良さ」を指すものとしてよく知られていますよね。そして、EQはEmotional Intelligence Quotientの略で、「感情指数」や「心の知能指数」とも呼ばれています。自分自身の感情を把握してコントロールすることで、その場に合った言動をとれるかどうか、また相手の感情を理解しながら適切な配慮をし、他者との関係を良好にできるかどうかを指しています。SQ(Social Intelligence Quotient)とは、著書『EQこころの知能指数』を通してEQの認知度の向上に貢献したアメリカの心理学者ダニエル・ゴールマンが発表した概念であり、コミュニケーション能力や社会性の高さを指すものです。「社会的指数」や「生き方の知能指数」などとも呼ばれています。SQが高い人は、自分の考えを相手が理解できるようにまとめて、わかりやすく伝えることができ、人に何かをお願いしたり、されたりといった協力することの大切さをしっかりと理解できる傾向にあります。さらには、自分なりの目標を作って取り組んだり、成功しても謙虚な気持ちを忘れずにまた新たな挑戦ができたりするという特徴も。ダニエル・ゴールマンは、EQの考え方に脳科学研究をプラスすることで、SQを生み出しました。著書『SQ生きかたの知能指数』では以下のように述べています。人生でかかわりあう人々から受ける作用によって、気分だけでなく身体そのものが影響され、形成されることを自覚して、賢明に行動しなければならない。また、逆に自分自身が他人の情動や健康にどのような影響を与えるかも、よく考えてみなければならない(引用元: ダニエル・ゴールマン(2007),『SQ生きかたの知能指数』,日本経済新聞出版社.)人が生きていくためには、家族や友だち、学校の先生や職場の人々など、誰かとコミュニケーションをとることが不可欠です。周りの人々とうまくかかわれるかどうかは、自分がその環境で快適に過ごせるかどうかや、社会に出てからの生き方に大きく影響します。そのため、小さな頃からSQを高めていくことは、子どもが人とのつながりからさまざまなことを学んだり、子ども自身が生きやすくなったりするためにも非常に重要なのです。「SQの低さ」が招きかねない恐ろしい将来とは昨今では、不登校や引きこもり、犯罪行為など、さまざまな問題が子どもたちを取り囲んでいます。こうした問題を回避するためにも、SQを育てることが重要です。SQが低いと、共感力が低く相手の気持ちが理解できなかったり、友だちや家族と信頼関係を結びづらくなったりするなどの弊害があります。さらに、キレやすく攻撃的な性格になって人をいじめたり、周囲から孤立したりしてしまうことも……。こうなってしまうと、子どもは生きにくさを感じるようになり、自己肯定感が低くなったり、強い孤独感を覚えたりするようになります。そこから不登校や引きこもりになってしまったり、危険行為や犯罪行為に走ったりする危険性があるのです。子どもがすこやかで楽しく、安心・安全な毎日を送るためにも、SQを育てることは欠かせないといえるでしょう。SQを育むために重要な3つのポイントSQは「愛情が感じられるやりとり」をすることで育っていくといわれています。具体的には、子どもと接する際に以下のポイントをおさえることが有効です。・愛情をめいっぱい表現する子どもと接する際には、愛情表現を忘れないようにしましょう。愛情表現にはさまざまな種類があります。例えば、アイコンタクトを欠かさない、タッチやハグ、手をつなぐなどのスキンシップを習慣にする、子どもの話にしっかりと耳を傾けてリアクションする、などです。いずれも当たり前のように思えますが、忙しさに追われるとついつい忘れがちになってしまうことでもあります。これらを意識して行うことで、より子どもに愛情が伝わりやすくなりますよ。また、親が子どもに対して表情豊かに接することで、子どもの免疫力が高まるという説もあるのだそう。・「親は子どもの絶対的味方」であることを伝えるどんなときでも、「ママ(パパ)はあなたの味方だよ」「あなたのことが大好きだよ」と伝えてあげましょう。言葉で伝えるのももちろん良いですし、字が読める場合はお手紙にして子どもに渡すのも良いでしょう。子どもにとって「どんな自分でも味方でいてくれる存在」がいることは、精神的な安定はもちろん、他者に優しく接することにもつながります。ただし、お手伝いをした際や、テストで良い点をとった際など、「いい子だったとき」にしか褒めないというのはNGです。この場合、子どもは「『いい子でいる自分』しか受け入れてもらえない」と思うようになり、本音を隠すようになったり、ストレスをうまく発散できなくなったりする可能性があります。・テレビやインターネットはほどほどにテレビやインターネットには、さまざまなコンテンツがあり、「子どもの教育に良い」と謳っているものもたくさんあります。もちろん、これらを観て楽しむのもよいのですが、何時間も見せっぱなしにするのは避けましょう。感情の変化や他者への思いやりなどは、テレビからではなく人間同士のかかわりから学んでこそ、実践できるようになるからです。***SQの高さは、学校の成績や運動能力だけでは測れない、人間としての魅力でもあり、トラブルや悩みにぶち当たったときの助けにもなります。普段の接し方を意識して、子どものSQを高めましょう。文/田口るい(参考)ダニエル・ゴールマン(2007),『SQ生きかたの知能指数』,日本経済新聞出版社.All About|SQ(社会的指数)とは?子育てにおける7つのポイントAll About|子供の性格を「良い子=SQ(社会的指数)高い子」に育てるにはカオナビ|SQとは? 人間の社会性や対人能力を示すSQとEQとの違いについて日本の人事部|SQ
2019年05月11日いつから?何がいい?わが家の兄妹、それぞれの習い事選び春が近づくと、テレビやネットのポップアップでいろいろな習い事の広告が目に入ってきます。子どもに生きる力をつけさせたい!余暇時間に好きなことで有意義に過ごしてほしい!と考えていた私は、子どもにはぜひ習い事をさせたいと思っていました。でも、いつから始めるか?何をやらせたらいいか?についてはこれといった考えがなく、「まあ、同じ年齢の子どもよりのんびり育っているわけだし、小学校に入ってからでいいや。」と、ぼんやりしていたのでした。ところが…Upload By 寺島ヒロ娘がトリコになったのは、リンゴのキャラクターでおなじみの某有名音楽教室のCM。やはり音楽に感度の高い人には何か響くようなつくりになっているのでしょうか。あのソファミッソファミレッ♪というフレーズを繰り返し歌うようになりました。Upload By 寺島ヒロこの子は音楽に親和性が高いのかもしれない…と思い、本人の言うがまま、3歳3か月から音楽教室に入会しました。Upload By 寺島ヒロ現在、娘は中学一年生。ピアノの練習は面倒な時もあるけど、音楽や楽器がない生活は考えられないという感じです。小学校の6年生の頃は睡眠障害(概日リズム障害※)で朝どうしても起きられない日があり、学校も休みがちだったのですが、週一のレッスンには何とか皆勤できましたし、ピアノのクラスで一緒の友達とはいつもどおり接することができました。当初はもちろんそんなつもりはなかったのですが、大好きな音楽を介してつながれる人や場所が持てたことは、娘の心の安定にも寄与しました。学校以外に同じ年ごろの友達のいる居場所があるのは、逃げ場にもなるので良かったなと思います。※概日リズム障害…昼夜のリズムと体内時計がうまく合わず、調節できなくなって睡眠リズムがくずれてしまい、社会生活に支障をきたす状態のことです。子どもの場合、朝起きられないと園や学校にも遅刻してしまい、不登校につながりやすい傾向も指摘されています。Upload By 寺島ヒロ対して、お兄ちゃんのタケルは、あまりピアノなどの楽器には興味を示しませんでした。幼稚園の頃、同じ年ごろの子どもたちには当時Jリーガーが人気で、特に男の子たちはサッカーに夢中!でしたが、タケルは動物や虫の図鑑を見ているのが好きな子だったので、そういう子どもたちの輪にも入れなかったようです。音楽もスポーツも特に何もせず、小学生になってから、かかりつけのお医者さんの提案を受け水泳を習ってみることにしました。結局、この時入ったスイミングスクールに6年生まで通うことになりました。Upload By 寺島ヒロしかし、そんなに運動神経がいいわけではない息子…。一緒に入学した同級生たちは、3年生になるころには全員「上級コース」に進級してしまい、「基礎コース」にはタケル一人だけになってしまいました。「上級コース」に行った子どもたちは、どんどん泳ぐのが速くなり、全国的な大会に出るためバスで泊りがけで出かけたりするのですが、タケルはずっと「基礎コース」で小さな子どもたちや、新入会してきた大人たちと泳いでいます。タイムも大して伸びませんでした。体力づくりが目的とは言え、面白くはなかったのではないかと思い、「どうして辞めずに続けられたのか」と、聞いてみたことがあります。すると「いざというときの生存率を上げるためだよ!」と、決まってるじゃないかという顔で返されてしまいました。生物学者になってフィールドワークをする際、ジャングルや海で遭難しても生きて帰ってこれるようにだそうです。速くは泳げないけど、長く浮いているのはみっちりやったので自信があるとのこと。Upload By 寺島ヒロ子どもたちとスクールが教えてくれたこと目的のために黙って何年も頑張れるのはASD(自閉症スペクトラム)の特性的なところとも言えますが、スイミングスクールで、タイムを縮めることだけを良いこと、遅いのはダメなこととせず、速いことと、長く泳げること、どちらも良いと指導してくれたおかげで頑張れたのかもしれません。こういう視点を私自身忘れずにいたいものだと思います。
2019年05月04日見やすく分かりやすい工夫が詰まったユニバーサルなデザイン『みんなの地図帳~見やすい・使いやすい~』弱視をはじめとする視覚に障害のあるお子さん向けに、視覚に障害のある教員を含めた日本視覚障害社会科教育研究会の会員が集まり、約4年にわたる検討を経て作成された地図帳です。日本地図28枚、世界地図38枚の地図が収録されており、地図帳の使い方や記号の意味も見やすく分かりやすく説明されています。各ページで図の左上にタイトルが入るように統一されていたり、地図部分を枠線で囲ってその外側に緯度経度やページ数が配置されていたりと、レイアウトにも見やすい工夫が施されています。また各地図上に記載されている都市名や自然物は、小・中・高等学校での学習で必要な基本的な項目に絞られているので、1つのページに多くの情報が詰まっている従来の地図帳よりも探したい情報を見つけやすく、学びやすいデザインになっています。視覚に障害のあるお子さんだけでなく、学習に困難さを感じている多くのお子さんにとって学びやすいユニバーサルな地図帳です。自分の気分を楽にする方法を、分析して見つけてみよう!『ビジュアルブック ASDの君へ:ラクな気持ちになるためのヒント集』当事者のお子さん向けに描かれた本書は、自分の現在の気分を理解する方法、気持ちをラクにする身体の使い方や呼吸の仕方、自分なりの休憩方法や気分転換の仕方などを、イラストをベースに分かりやすく説明しているビジュアルブックです。具体例も多く記載されているので、お子さんが自身に当てはめて考えながら読み進めることができます。今まで知らなかった新しいリフレッシュ方法を見つけることができるかもしれません。また巻末には、気持ちをラクにするために自分にとって良い方法はなにかを分析するためのワークシート付き。嫌な気持ちになるのはどんなときか、楽な気持ちになったのはどんな活動をしたときかなどをワークシートに沿って書き出すことで自己分析ができます。本編を読んだらワークシートを使用して、自分にあった気持ちをラクにする方法を考えてみましょう。不登校時代、さまざまな知識や人との交流はすべてゲームを通して学び育んだ――『ゲームは人生の役に立つ。生かすも殺すもあなた次第』18歳で起業し、24歳の現在、地域活性化伝道師としても活躍している著者の小幡さんは、子どものころ、約10年間不登校で過ごしていました。そんな小幡さんの人生を豊かにしてくれたのはゲームでした。テレビやパソコン、スマートフォンでたくさんのゲームに触れることができる現代、お子さんがゲームばかりしていることに悩んでいる方も多いのではないでしょうか。ゲームを通した人との繋がりや、ゲームで積み重ねた成功体験による自己肯定感。ゲームを通じて好きになった日本の文化や歴史。ゲームを通して得た多くのことが、著者の現在の活動にいかされています。正しく遊べばゲームは人生を豊かにしてくれる。好きなことに没頭する子ども時代を経て今の人生を楽しく生きる著者の言葉は、不登校に悩むお子さんや親御さんにもヒントを与えてくれるはずです。患者と向き合い続ける医師が語る支援のあり方『ADHDとともに生きる人たちへ医療からみた「生きづらさ」と支援』本書は2017年と2018年に田中康雄先生が金子書房主催により開催したワークショップの内容を元に書籍化されたものです。ADHDの概念や診断基準の歴史から、現在の支援方法までが優しい言葉で書かれています。また、ただ診断結果をつけてそれに基づいた支援をするだけではなく、一人ひとり違う複雑な特性や多様な生き方に応じた支援のあり方や家族も含めた支援の大切さについて、多くの患者と向き合ってきた医師だからこその思いが垣間見える内容となっています。「生活の障害にならなければその発達障害の特性は良い特性だと思っている」と書かれているように、当事者とその家族の生活を知り、困っている部分を解決し、良い部分を伸ばすという田中先生の考え方は、ADHDの当事者にとっても支援者にとっても背中を押してくれるものとなるでしょう。インクルーシブな視点からみる発達障害支援『公認心理師・臨床心理士のための発達障害論インクルージョンを基盤とした理解と支援』主に公認心理師・臨床心理士などを志す学生や現場で支援に携わる専門職向けに書かれた専門書ですが、発達障害について初めて学ぶ人にも読み進めやすい、分かりやすく丁寧な内容になっています。内容は、発達障害の定義からライフサイクルに沿った支援のあり方までが記されています。中でも第8章から第12章には、発達障害のお子さんに対する発達支援、家族支援、学齢期の社会資源の活用や学習面のサポートなど、年齢に合わせて必要となっていく支援内容について書かれています。インクルーシブな環境での育ちを大切にしながらその子にとって必要な支援を取り入れていくという支援体制のつくり方は、発達障害のある子どもたちの支援に関わる人や、これから関わろうと考えている人にぜひ知ってもらいたい内容です。
2019年05月01日小5なのに、もう中学校のことを考えるの?娘が小学5年生の秋のことです。その頃娘は、通常学級に在籍していましたが、主治医から「小学校卒業後の進路についてどう考えているか」と問われたのです。Upload By 荒木まち子それまでわが家では、毎年度末に「来年は通常学級にするか?特別支援級にするか?」ということを、本人も含めた家族で話し合って決めていました。そのため、主治医からこの話をされた当初は「まだ小5なのに、今から中学校のことを考えるなんて早すぎるのでは?」と思ったのです。でも…よく考えてみると、すぐに「決める」というのではなく、早いうちから「調べて」「考えておく」ことは、娘の将来の選択肢を広げる上で確かに大切なことかもしれないと思うようになりました。発達障害の子どもの進路は「分からないこと」だらけ!この出来事をきっかけに、発達障害がある娘の進路についてあれこれ考えてみました。すると、たくさんの疑問が浮かんできたのです。・中学校から特別支援学級に入級すると、特別支援学校高等部しか選べないの?・知的・身体障害がない場合、中学で特別支援学級に通っていても、特別支援学校高等部には入れないの?・特別支援学級に在籍していても公立高校を受験できるの?(内申書はどうなるの?)・地元の中学校に進学しない場合、その他の選択肢は、私立中学やフリースクールになるの?・高校ではなくフリースクールに進学する場合、高校卒業資格は取れる?取れない学校もあるの?・高校卒業後の進路ってどうなるんだろう?考えれば考えるほど、疑問は増していきます。そして小学校卒業後に通う中学校を決めることは、その先の高校や、さらに先の進路にも影響してくるのだということに気づきました。娘がこれからどう成長していくのかはまだイメージできないけれど、とりあえずどうなっても対応できるように、たくさん情報を集めよう。そして選ぶのは子ども自身だとしても、親がある程度は情報整理しておくようにしよう。私は、そう考えるようになったのです。いざ、情報収集スタート!当時娘は小学校の通常学級に在籍していたため、障害のある子どもに配慮された中学や高校の情報は入手することが難しく、自分たちで積極的に調べて探すしかありませんでした。そこで、娘の学習支援とSST(ソーシャルスキル・トレーニング)をしてくれていた家庭教師の先生に、中学や高校について尋ねてみたところ、さまざまな資料を持ってきてくださいました。そして、私が思っていた以上に多様な学校があることを知ったのです。例えば、通信制高校は学校教育法により「高等学校」と定められているので、一定の条件を満たせば高校卒業資格を取得することができます。でも似た名前の「通信制サポート校」は、通信制高校に通う生徒に対して勉強や精神面での支援を行っているので、通信制サポート校で勉強したとしても、高校卒業資格を取得することはできません。東京都の例だと、小・中学校で不登校になったり、高校を中退したりした子どもを受け入れる総合学科・定時制の「チャレンジスクール」や、小・中学校で十分能力を発揮できなかった生徒が、社会生活を送る上で必要な基礎的・基本的学力を身に付ける「エンカレッジスクール」という取り組みもあります。「え?通う日数を選べるの?」「受験に内申書が不要の学校もあるんだ」「芸術に特化した学校?」「そういえば、こっちの学校はテレビ番組で見たことがあるかも」資料を読みながら、私は自分の知識の無さを改めて感じました。こうした取り組みをしている学校は首都圏に多く、わが家からは距離的に厳しいケースもしばしばありましたが、それでも障害のある子どもにもさまざまな可能性や選択肢がいろいろあることを知り、驚いたのです。参考:これまで設置してきた多様なタイプの学校|東京都教育委員会資料やネットの情報では分からないこともあるこうした学校で、障害がある子どもにどのような配慮や支援をしているのか、具体的な内容を知りたいと思い、ネットのクチコミなども調べてみました。でも、ネットには「偏差値は〇〇」「芸能人の△△が通っている」「設備が充実している」「制服がかわいい」といった表面的な情報しかなく、私が本当に知りたかった情報を得ることはできませんでした。その学校が自分の子に合うかどうかは、やはり直接学校見学や説明会に行って、自分の目で確かめるしかない。そう感じた私は、早すぎるかもしれないと思いつつも、少しずつ学校見学をスタートすることにしたのです。次回コラムでは、実際に学校見学をして感じたことや、私たち親子が大切にした視点などについて紹介したいと思います。
2019年04月22日障害がある子が利用できるサービスの基礎知識から申請方法までが詰め込まれた1冊『障害のある子が将来にわたって受けられるサービスのすべて』障害がある子が産まれてから、親なきあとのことまで利用できるサービスを広く紹介されているので、今利用できるものの理解から、将来に向けて準備しておくことまでを1冊読むことで理解でき、漠然とした不安をを解消できそうです。1章は「保育・教育」に関するサービスについて。通所サービスの利用まで種類や利用までの流れ、多様な学びの場についてなどが紹介されています。2章では就労について、3章では障害者手帳によるサービスが、4章では障害者総合支援法に基づくサービスとして、ショートステイや同行援護、相談支援などさまざまなサービスや申請、費用などについての詳細を知ることができます。5章では、障害年金についての基礎知識や請求方法が、6章では親なきあとに向けてどのような制度が活用できるかが紹介されています。親子の視点で振り返る、0才から24才までの発達障害のある子どもの軌跡『ADHDと自閉症スペクトラムの自分がみつけた未来』ADHDと自閉症スペクトラムがある著者のこれまでの軌跡を、自身と母親2人の視点で振り返った一冊。生まれてすぐの様子から、幼稚園、小学校、中学、高校、大学、そして就職までがまとめて書かれています。多動、不登校、就活など、それぞれの時期にある困りごとや葛藤、乗り越えるまでがリアルな感情とともに綴られているため、描かれる場面の様子が鮮明にイメージできます。またこの本の特徴ともいえるのが、当事者である本人の声だけでなく、母親の声が共に紹介されていること。同じ時期に母親が考えていたこと、思ったことも記されているため、保護者としての気持ちに共感したり、こんな捉え方もあっていいんだ、と感じられるはず。子どもの感情を育てるヒントが盛りだくさん!『イラスト版子どもの感情力をアップする本 自己肯定感を高められる気持ちマネジメント50』嬉しい、楽しい、困った、悲しい、毎日たくんさんの気持ちがあふれる子どもたち。その一方で上手くそうした感情とつき合うことができない子どももいます。どのように感情を言葉にすれば良いかが分からなかったり、感情のコントロールが苦手であったりと、一人ひとり困りごとは異なります。この本では、場面ごとに子どもの気持ちを育くみ、自己肯定感を高めるヒントをワーク形式で紹介しています。心理学の専門家であり教育学博士でもある渡辺弥生先生が監修を務めます。イラストが主体のワークに加えてポイントで解説も書かれているので、子どもと一緒に取り組むのにぴったりな一冊です。3つのステップで友達や先生との関わり方を解説する『ソーシャルスキルトレーニング絵カード 小学生低学年版』①こんなとき②こうするよりは③こうしてみてはの”3つのステップ”で、場面ごとに人との上手なやり取りが分かる絵カードです。小学生低学年でよくある状況、お友達とのやりとりなどがかわいらしいイラストで描かれています。3つのステップを効果的に子どもに伝える使い方のヒントも紹介されているので、初めてでも取り組みやすいつくりです。また別売りの「アクトボイスペン」という音声ペンと連携しており、絵カードのセリフを読み上げてくれる仕様になっています。同じ言葉でも声色の違いを直接耳にすることで感情を読み解くヒントに繋がったり、実際の状況に近い練習としても使いやすそうです。教科別サポート方法も!発達に凸凹がある子どもの支援が分かる『小学校特別支援教育 指導スキル大全』発達障害のある子どもは小学校にあがると日常生活だけでなく、国語、算数、理科、社会など勉強で困ってしまう場合があります。教科ごとに必要なスキルが異なるため、学校や家庭での勉強のサポートにも工夫が必要です。この本には日常生活での場面に加えて、教科ごとのサポートのアイデアが沢山載っています。音楽や図工、体育や道徳などバリエーションに富んだ内容になっています。写真や例を沢山用いているため、すぐに実践することができそうです。
2019年04月20日子どもの成長のためには、充分な睡眠と規則正しい生活習慣が必要です。子どもに質の良い睡眠を取らせるには、どんな工夫をしたら良いのでしょうか。早寝早起きの工夫やヒントを、睡眠の専門家である明治薬科大学の駒田陽子先生にお聞きしました。構成・編集/木原昌子(ハイキックス)取材・文/田中祥子写真/児玉大輔(インタビューカットのみ)朝と夜の明るさのメリハリを味方に睡眠習慣をつくる眠りは長さと質とリズムを考えることが大切です。人間は昼に活動して夜は寝る昼行性の動物なので、体の中に備わっている体内時計をそれに合わせて整えなければいけません。生まれたばかりの子どもは、寝たり起きたりを数時間ごとに繰り返します。日中に寝ているときは明るいままにして、夜に起きたときにはあまり明るくしないであげましょう。昼夜で明るさのメリハリをつけることによって、子どもの体内時計のリズムがはっきりとしてきます。体内時計は24時間より少し長い周期になっています。そのため、私たちは夜更かしと朝寝坊をしやすいのです。ずれた時計を前倒しして毎日を24時間に合わせるには、午前中に光の信号を目から入れて脳に知らせることが必要です。子どもは昼間は太陽の下でたくさん動くことによって光を浴びることができます。“昼間の活動が多い” “光が明るい” という2つの条件が整うと体内時計がきちんと作動し、夜ぐっすり眠る体を作ってくれます。寝る前のテレビやゲームは睡眠を阻害する眠りを促す「メラトニン」という物質は周辺が暗くなると分泌され始めるので、夕方以降は部屋の照明の明るさを少し落とし気味にすると良いでしょう(インタビュー第3回参照)。ブルーライトはメラトニンの分泌を抑制する作用があるので、オレンジ色の白熱灯色の光の間接照明やダウンライトなどの利用をおすすめします。テレビやスマートフォンのディスプレイにも注意が必要です。電子機器を使うことで頭も興奮してしまうので、寝つきが悪くなってしまいます。気持ちを落ち着かせるような雰囲気で過ごさせることも大切ですね。そして、朝すっきりと起きるにはコツがあります。先ほどもお話しましたが、体内時計は光の信号で調整されるので、朝はカーテンを開けて部屋を明るくして、起きる時間だと体に知らせてあげると良いでしょう。それから、「コルチゾール」というホルモンには、血糖値と血圧を上げて起床の準備をする働きがあります。興味深いことに、起床時間を意識することでもコルチゾールの分泌を調整することができるのです。ある実験で、寝る前に「朝9時まで寝てもいい」と「6時に起こします」と言った場合とを比べてみると、6時に起こすと伝えた条件では朝5~6時にコルチゾールが多く分泌されたのに対して、9時まで寝ていいと伝えた条件では朝5~6時のコルチゾール分泌は少ないものでした。つまり、起きる時間を意識することで、寝ている間でも体の中で起きるための準備が始まるのです。夜寝る前に「明日は7時に起きようね」と声を掛けてあげることも大切なのかもしれません。また、朝から活動できる体をつくるためには、朝食も大切です。体内時計の中心は脳の中にありますが、体のあらゆる細胞も体内時計を持っています。内蔵の時計はきちんと食事を取ることで作動するのですよ。朝食を英語では “breakfast” といいますが、これは “fast(断食)” を “break(破る)” ことを意味する言葉です。朝食が7時、昼食が12時、夕食が夜7時とすると、寝ている間が1日で一番長い食べない時間(断食)になり、朝食が “breakfast” になります。この断食を破ることが、体内時計の朝のスイッチになっているのです。もし朝食を食べないで昼食、夕食、夜食を食べたとすると、昼食が “breakfast” になり、内臓の体内時計がずれてしまいます。週末はゆっくり起きて朝食と昼食を合わせてブランチを取るというご家庭もあるかもしれませんが、朝食は毎日決められた時間に摂ることが大切なのです。週末にのんびりすると「ソーシャルジェットラグ」に!ソーシャルジェットラグ(社会的時差ボケ)という言葉をご存じでしょうか。週末にいつもよりゆっくり起きたり、夜更かしをしたりすることで、海外旅行で長距離の飛行機に乗ったときと同じような時差ボケ状態を作り出してしまうことを指します。ソーシャルジェットラグになると、体内リズムが乱れます。その影響は翌週の前半まで及び、日中のパフォーマンスを低下させてしまうのです。また、子どもの日中の活動機能や学業成績にも、ソーシャルジェットラグは影響します。日本の幼稚園・保育園児を対象とした研究では、朝型の子どもに比べて夜型の子どもはソーシャルジェットラグが大きい傾向にあり、多動傾向があるほか、仲間関係にも悪影響があることがわかっています。さらに、子どものゴールデンウィークや夏休みなどの長期休暇の生活習慣の乱れは深刻な影響を与えます。不登校の児童が休み始めた時期は7~9月が最も多く、夏休み明けの睡眠専門クリニックは小中学生が多く相談にきます。多くの子は学校が始まれば元通りに起きられるようになりますが、夏休みの習慣がなかなか解消できずに起きられなくなってしまうこともあります。ソーシャルジェットラグを起さないためには、休みの間も規則正しく過ごすことが大切です。大人が率先して睡眠時間確保することから始めましょう米国睡眠財団は、子どもに規則正しい睡眠生活習慣を身につけさせるには、それを妨げるような習慣(夜の光、うるさい音楽など)は親がきちんと禁止すべきだとしています。さらに、大人が手本になるように、生活の中で睡眠の優先順位を上げてよい睡眠を実行することを説いています。日本では、30~40代の女性が他の年代の女性や男性に比べて睡眠時間が少なくなっています。子育てに加えて仕事や家事、介護の負担による影響が大きいのでしょう。大人でも、寝るということは体の土台となるものなので、睡眠時間を何とか確保してもらいたいと思っています。親御さんは、お子さんを寝かしつけるときに少し寝てしまって、また起き出して残りの家事を片付けることもあるかと思いますが、ばらばらに分断された睡眠はかえって辛いものです。思い切ってお子さんと一緒に早く寝て、朝早く起きた方が、まとまった睡眠時間が確保できて良いかもしれません。子どもに大切な「成長ホルモン」は、大人にとっては肌など全身の細胞のメンテナンスに必要なものです。睡眠不足になると太りやすいのは大人も同じ(インタビュー第2回参照)。忙しい大人も子どもも睡眠は大切です。家族一緒になって睡眠を確保するように心掛けてください。***現代の子どもたちは幼児期から忙しいスケジュールで行動し、結果的に睡眠が削られるケースが多く見られます。でも睡眠を軽視することは、後々の体や心の発達に負債を抱えさせてしまいます。正しい睡眠習慣でたっぷり寝かせることが、子どもが成長するための一番の課題なのです。■ 明治薬科大学准教授・駒田陽子先生 インタビュー一覧第1回:“世界一寝不足”な日本の子ども。「11時間37分」が示す、眠りにまつわる切実な問題第2回:寝るのが遅いと自己肯定感が下がる。デメリットだらけの「子どもの睡眠不足」第3回:「昼寝のせいで夜なかなか寝ない」問題の解消法。朝のグズグズ防止にも効果大!第4回:「起きる時間」を意識させるだけ!子どもの早起きを楽にするちょっとしたコツ【プロフィール】駒田陽子(こまだ・ようこ)明治薬科大学 リベラルアーツ准教授。早稲田大学にて博士号(人間科学)取得。日本学術振興会特別研究員、国立精神・神経医療研究センター特別研究員、東京医科大学睡眠学講座准教授を経て現職。日本睡眠学会、日本時間生物学会の評議員を務める。睡眠が心身の健康に及ぼす影響の研究に従事。
2019年04月17日育児に遅れと混乱が生じてる !!
ムスメちゃんとオコメちゃん
ドイツDE親バカ絵日記