双子妊娠が判明後、医師から少しだけ聞いた「双胎間輸血症候群」というワード。順調に妊娠生活を送っていたのに、妊娠6カ月の健診でまさか自分の身に起こるとは思っていませんでした。珍しい症例でしたが、無事に出産を終えるまでのお話をお伝えします。 双子妊娠。初めて聞く言葉ばかりで不安妊娠11週での健診時、おなかの子が双子だとわかり、個人病院から大きい病院へ転院になりました。担当医からは「前の病院で膜性は聞いているよね?」と言われましたが、何かわかりませんでした。双子には、一卵性と二卵性の他にも膜性の違いによって分類されるそうで、わが家の場合は一絨毛膜ニ羊膜双胎(※いちじゅうもうまくにようまくそうたい ※赤ちゃんは羊膜によって別々の部屋に分けられているが、ひとつの胎盤から栄養補給などおこなっている状態の双子)だったのです。 医師は、「妊娠中に双胎間輸血症候群が起こることがあるが、話すと不安が大きくなってしまうので必要になったら詳しく話をします」と言われました。どれも初めて聞く言葉で戸惑ったのを覚えています。 順調だったのに妊娠6カ月目で問題がエコーをしていると医師から「No.1とNo.2の子の羊水量に差ができている。進行すると双胎間輸血症候群になる可能性があり、腹腔鏡によるレーザー手術で2人が共有している胎盤の血管を焼き切る必要があるかもしれない」と言われ、ポカンとしてしまいました。ですが、手術も今すぐに必要なわけではなく、私自身が注意できることは何もない。慎重に経過を見たいので、週2回から週1回の健診に来てほしいと言われました。 調べてみると手術ができるのは日本で数カ所私自身にできることは何もないと言われたので、心配しすぎず、今まで通りの生活を心がけ、いつ入院してもいいように準備していました。そして「双胎間輸血症候群」についてネットで検索してみると、レーザー手術は日本でわずか数カ所の病院でしか受けられないことがわかりました。幸運なことに私の通っている病院・担当医は日本で初めてこの手術をおこなっていたのです。安心して先生たちにおまかせすることにして、毎週おなかの子たちと会えるのだからと健診も楽しみになりました。 結果的には羊水量の差は小さくなり、手術の必要もなく、妊娠32週目から1カ月間の管理入院に入り、退院した2日後に双子を出産しました。ハイリスクな妊娠・出産を経験して不安を乗り越えたからこそ、わが子に出会えた感動は言葉にできないほどうれしかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:山中 凪一卵性の双子男児(2歳)の母。何を言っても「イヤ!」が合言葉の2人を、追いかけまわす毎日。双子ならではの悩みや経験を生かした記事を執筆中。
2020年11月29日妊娠36週1日になった日の朝、目覚めたらパジャマが濡れていました。すぐに病院へ連絡し、大慌てで入院準備をしました。診察の結果は、前期破水。前期破水の診断を受けてから出産するまでの2日間、私がどのように過ごしていたのかなどの体験をお話しします。 目覚めるとパジャマが濡れていて不安に…前日まで体調の変化もなく、元気に家事をしていました。しかし、朝7時に目が覚めるとお尻が冷たく感じ、パジャマが濡れていました。慌ててトイレに駆けこむと、変なにおいがしました。嗅いだことのないにおいと出血があったので「破水?!」と一気に心配になりました。妊婦健診で破水したときの対処法を聞いていましたが、焦りながら病院に連絡。助産師さんの指示に従い、あらかじめ用意していた荷物を持って夫と病院に行きました。 病院に着くと即入院!病院へ着くと、救急外来で手続きをし、車椅子に乗せてもらって診察室に向かいました。医師の診察を受け、前期破水の診断がくだりました。そして、妊娠10カ月に入っていることから陣痛を待って出産することになったのです。入院後は陣痛室兼分娩室で出産まで過ごしました。感染予防の点滴を打ち、エコーで赤ちゃんの様子を見ながら陣痛が来るのを待ちました。赤ちゃんの心音がドクドクとテンポ良く聞こえ、おなかの中は大丈夫そうだと一安心。そして、ここから赤ちゃんを産むことの不安と赤ちゃんに会えることへの期待が交互にやってきました。 陣痛はいつ来るの?医師の説明によると、前期破水の場合、通常は破水から24時間以内に陣痛が来ることが多いということでした。私の場合、15時間以上は待ちました。その間血圧測定や分娩監視装置で赤ちゃんの様子を確認していきました。そのほかの時間はテレビを見たり本を読んだりして、昼と夜には入院食を食べました。陣痛を待つ間、何もしないでいると、「24時間以内に産まないといけない」と思って落ち着きませんでしたが、時間の経過とともに母になる覚悟も固まってきました。 陣痛から出産へ入院から15時間後、ついに陣痛が! 10分間隔で痛くなり、6時間後には子宮口が全開大になったので、分娩台でいきんでは呼吸を整えてを繰り返しました。途中、分娩が長くてつらくなり、早く終わってと投げやりな気持ちにもなりました。その後、10回以上いきんでようやく生まれてきれてくれました。決して長いお産ではありませんが、ようやく赤ちゃんが生まれてほっとしたのを覚えています。 破水をしても、事前にどう行動すれば良いかを病院で聞いていたおかげですぐに行動できました。初めての出産は期待と不安でいっぱいで落ち着かないものですが、入院してからでも、気持ちを整理する時間はありました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/(c)chicchimama監修/助産師REIKO著者:尾浦 三奈2015年長男、2018年次男出産。二児の母。高校教諭一種免許を取得。結婚前から続けていた塾講師の傍ら、子育て、教育に関する記事を執筆中。
2020年11月28日結婚をして、夫婦でライフプランを立て、計画的に子どもを授かるのが理想的かもしれませんが、必ずしもその通りにできるとは限りません。私は付き合って3年目の彼との間に子どもを授かりました。当時、私は20歳になったばかりで、彼もまだ大学生。そんな私の妊娠・出産エピソードをお伝えします。 社会人1年目の春に妊娠判明社会人になりたての6月、体のだるさと2週間ほどの生理の遅れに不安を覚え、妊娠検査薬を試すと陽性反応が出ました。 このとき、彼はまだ大学4年生。しかも喧嘩をして、あまり連絡を取っていない状態でした。まずは産婦人科へ行き、妊娠していることをしっかり確認。覚悟を決めて彼に妊娠したことを報告しました。たくさん話し合い、最後はおなかの赤ちゃんのおかげで仲直りして、子どもを産み育てることを2人で決めました。 想定外の妊娠に対する気持ち私も20歳になったばかり。働き始めて間もない私が母親になるというのは不安もありましたが、私の母も20歳で出産したので若い母親にあこがれもありました。また、私自身、子どもが大好きで保育士として働いていたこともあり、不安はすぐに消え去りました。 ひとりの時間がなくなり、なかなか遊べなくなるかもしれないとも考えましたが、子どもとの楽しい未来を想像すると、そんなことも気にならなくなりました。 ベビー用品はリサイクルショップなどを活用! 彼がまだ大学生なので経済的な不安はありましたが、私の場合、出産に関する入院費用は出産育児一時金から3万円ほどはみ出す程度に収まりました。 大きいベビー用品は、リサイクルショップやフリマアプリを活用。チャイルドシートは1,700円、ベビーラッグは300円など、非常に安く揃えることができました。児童手当で毎月15,000円から10,000円支給され、医療費も無料なので、ありがたいことに急なお金が必要になる場面もなく、なんとか平凡に暮らしていくことができました。 子どもは現在1歳になり、これまでの人生で今が一番幸せだと感じています。毎日が楽しくて仕方がありません。赤ちゃんが幸せを運んできてくれました。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/(c)chicchimama監修/助産師REIKO著者:白木あい男児の母。保育士・幼稚園教諭の資格を取得。保育士として勤務後、出産を機に退職し、専門知識や子育て経験をもとに記事執筆をおこなう。
2020年11月27日長男を妊娠したときは、出産の時をとても楽しみにしていました。妊娠や出産に予想外の展開はつきものだと先輩ママの体験談から学んでいたので、私は心の準備ができたつもりでいました。しかし実際はバタバタ、あたふたで心身ともにぐったりだった私の陣痛体験談をご紹介します。 あれ? 痛いかも? 気のせいだと思った痛み妊娠33週のときに、プチ旅行がてら住んでいる街から2時間ほどの場所に夫と車で出かけた日のこと。出発前の朝、少しおなかがくだるような痛みがありました。しかし、実際におなかがくだっていたわけでもなく「おかしいな」と思っただけでそのまま出発。道中も便意を感じて何度もコンビニに寄ってみるものの、何も変わらず。でも、目的地の少し手前でおなかの張りを感じて、車を停めて寝る体勢をとっていました。寝てみるとおなかの張り具合に緩急があるような……。そうは思ったものの痛みが強いわけでもなく、だんだん張りも治まってきたので再出発することにしました。今になって考えると、このときに自宅に引き返していればよかったと思います。 すぐに治まると思いきや…目的地に到着後は、おいしいごはんを食べたりしながらゆったり過ごしました。そのとき、おなかの痛みに加えて腰も痛くなってきて、いろいろな体勢で寝てみるものの改善せず。そしておなかの張りもどんどん強くなっていったのです。念のために痛みと張りの間隔を計ると15分ほどの等間隔でした。出産予定の産婦人科に電話すると、今すぐ来るようにとのことで、急いで帰り産婦人科へ。NST(ノンストレステスト)やエコーなどの検査をしてみると、切迫早産の状態とのこと。このとき妊娠33週だったこともあり、張り止めの点滴でおなかの張りを抑えるとともに、出産予定だった個人病院では対応できないとのことで、総合病院へ緊急搬送されることになってしまったのです。 入院したのに…!?その後は搬送先の総合病院で24時間点滴をして正期産の時期まで入院することに。しかし点滴でおなかの張りを抑えているにもかかわらず、また強い張りと痛みが出てきてしまい、陣痛が起きてしまったのです。検査の結果「母体の細菌感染により陣痛が起こっている恐れがある。赤ちゃんにも感染してしまう可能性があるのでこのまま産みましょう」と産科の医師から提案されました。陣痛は来るものの、なかなか子宮口が開かず結局は帝王切開になってしまいましたが、なんとか赤ちゃんへの細菌感染はせずに出産することができました。 初めての妊娠で「陣痛は正期産の時期に起こるのが当たり前」だと思い込んでいた私。しかし無知が故に、出かけ先で陣痛が始まりかけて大慌て。とにかく想像していた陣痛とはまったく違うものになって、困惑した陣痛体験でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:三上美咲3人の未就学児年子の母。営業職でほぼ不在の夫と5人暮らし。育児をはじめとするさまざまなジャンルについてライターとして活動中。育児については主に自身の体験談を元に執筆している。
2020年11月27日登場人物おかめ:息子の成長記録にと日々育児マンガを描いている。夫:普通のサラリーマン。最近の悩みは『息子のパパイヤ期』おまめ:2015年夏に生まれた我が家の長男。プラレールとトミカに夢中。最近の欲しいものは『プラレールのレール』妊娠糖尿病疑惑…!?妊娠糖尿病の症状や治療・予防法など詳しい解説は以下の記事をご覧ください。おかめさんからのメッセージ今回、なぜ育休や産休ではなく、退職を選んだかについてお話します。実は一人目のおまめのとき、保育園に入れたいと考え、当時の職場を休職扱いにしてもらいました。ですが、自身の住んでいる場所が保育園激戦区に加えて、引っ越しや里帰りなどで忙しく、保活の準備ができないまま出産となりました。休職明けの仕事の忙しさなども積み重なった結果、かなり出遅れての保活スタートになってしまい、当然入園することができませんでした。保活失敗によるストレスでかなり落ち込み、今でもトラウマのようになっています。今では、産後でヘトヘトななか無理して園見学や説明会、役所への相談に行かなくても良かったのではないかと思うこともあります。おまめのときにわたしには産後すぐに保活をする体力が無いのだとわかったので、今回は休職ではなく退職を選びました。育児と仕事・保活の板挟みを避け、少しでも心に余裕を持って保活を始めたいと考えています。今のところは下の子も年少の時期に幼稚園へ入園させて、そのタイミングでまた求職活動をしようと考えています!上の子との2人育児にもなるので、自分が一番どうしたいかを選択しました。編集後記妊婦さんなら誰でもかかる可能性がある妊娠糖尿病。日本産婦人科学会によると、妊婦さんの7~9%は妊娠糖尿病と診断されるそうです(※)。不安なことや正しい予防法・治療法についてはかかりつけの医師に相談してくださいね。「妊娠糖尿病で困っている妊婦さんに向けて何かを残したい」というおかめさんの思いのもと、妊娠糖尿病についての体験談を何回かに分けてお届けしていく予定です。ぜひ、次回もご覧くださいね。(ままのて編集部)妊娠・育児に関するお役立ち情報発信中!ままのてのTwitter・Instagramをフォローすると、最新マンガの更新情報をご確認いただけます。ぜひチェックしてみてください!過去のエピソード著者情報
2020年11月27日2018年7月生まれの女の子の母、キヨさんのゆるっと笑える育児マンガ! この連載では、キヨさんの妊娠から出産までの出来事と、子育ての様子をかわいいイラストとともに紹介します♪2018年7月生まれの女の子の母、キヨさんのゆるっと笑える育児マンガ! 第64話、娘ちゃんが1歳ごろからハマりだした「ちゅぱ」の正体とは……!?こんにちは、キヨです! 1歳ごろからベッドの毛布を吸うようになった娘。毛布の代わりに薄手のブランケットを渡してみたら、これがどハマりしてしまい肌身離さず持ち歩くように! 調べてみると「ブランケット症候群」というもので、娘は常にブランケットの端っこを口に入れて吸っていたため、歯並びにも影響がありそうで少し不安でした。 とはいえブランケットがないと超不機嫌になりギャン泣き・落ち着かない・眠れない状態の娘……。かわいそうだったのでそのまま様子を見ることに。 ずっと持ち歩いているので衛生上良くないと思い、他のブランケットで代用してみましたが娘は気に入らず……。お気に入りのブランケットは某ドーナツ屋さんの福袋に入っていた非売品のため、フリマアプリで探して購入。さらに翌年の福袋にも同じブランケットが入っていたので、ブランケット欲しさに2つ買いました! あれから月日が経ち娘は2歳になって、「肌身離さず」というほどではなくなりました。朝起きたら寝室に放置されたブランケットを回収し、夜寝るときに洗濯したきれいなものを渡すようにしています。 日中はブランケットを求めてこなくなって、本当に自然に卒業するものなんだなぁ〜と思いました。 著者:イラストレーター キヨ2018年7月生まれの女の子の母。妊娠を機にデザイン会社を退職しフリーランスに。出産してから食べることが癒やし……。ゆるっと育児漫画、絵日記、イラストをツイッターで更新中!
2020年11月26日私は現在元気いっぱいの2歳の子どもを育てています。この子を出産するときは何日もかかる難産だったのですが、妊娠中に助産師さんから教えてもらった呼吸法が大活躍でした! 呼吸法を練習しておいてよかったと感じた私の体験談です。 産婦人科で開かれた勉強会妊娠中、定期健診を受けている産婦人科で勉強会があるということで、どんなことを教えてもらえるのかワクワクしながら出かけました。勉強会では産婦人科の先生や助産師さんが出産までに大切なことをたくさん教えてくれました。 そのなかでも私が1番勉強になったのは、出産時の「呼吸法」についてでした。出産時にゆっくり深く息を吸うことを意識すると、赤ちゃんも生まれるまでおなかの中で苦しくないということでとっても勉強になりました。 寝る前に意識して呼吸法を練習!出産時のゆったりとした呼吸法について、学んだ日からすぐに寝る前に取り組むようにしました。出産時の呼吸法で1番大切なポイントは、ママが急いで呼吸をせずにゆっくりと呼吸をすることだそう。 いざ出産のときになると陣痛の痛みから呼吸を深くすることができないということを聞いたので、ゆっくりとそして深く呼吸する練習をしました。慣れるまではゆっくりと呼吸をすることが難しかったのですが、少しずつじょうずにできるようになりました。練習しているうちに、いつしか呼吸の練習が寝る前の日課になっていました。 出産時に呼吸法が大活躍!そして迎えた出産日。微弱陣痛だった私はなかなか出産までたどり着くことができず、陣痛が来ているのに産むことができない状態でした。自然分娩で産む予定だったものの、母子ともに体力の限界がきたため急きょ帝王切開になり……結局3日くらいかかった出産。 おなかの赤ちゃんの健康が心配だったのですが、生まれてきた赤ちゃんはとても元気でした! 助産師さんの「ママがゆっくりと呼吸していたから難産でも無事に生まれたのよ! お疲れ様!」という言葉は今でもしっかりと覚えています。 妊娠中は体調の変化に悩まされることが多いですが、おなかの中にいる赤ちゃんと向き合う時間がたくさんありました。私は難産だったのですが、助けてくれたのが「呼吸法」でした。妊娠中に勉強会に積極的に参加していたおかげで、難産にも負けずにわが子を無事に出産することができて本当によかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産時の呼吸法&赤ちゃんの様子 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 監修/助産師REIKO著者:優木 のぞみ1児の母。元幼稚園教諭で子どもの成長を見守ることが大好き。障がい児保育も経験あり。現在はわが子との生活を楽しみながら、自身の体験談を中心に執筆している。
2020年11月26日30歳で結婚し、1年経っても子どもができず1年半の不妊治療。タイミング法と人工授精を経て、念願の妊娠! しかし妊娠後、「出生前診断」を受けるかどうしようか悩みました。結果として、NIPT(新型出生前診断)を受けた私の体験談です。 出生前診断を受けようと思った理由1年半の不妊治療で主な検査をし、特にコレといった原因は見つからなかったものの、妊娠したあとも「私の体」に何か子どもに悪いことがあるのでは……?という気持ちがありました。また正直なところ、障害に対して正しい知識がなく、不安や偏見がないと言ったらウソになる自分がいました。仮に障害が見つかっても、それに向き合う準備期間にしたい。特に妊婦健診での指摘もなく、一般的に出生前診断が推奨される35歳以上の出産でもありませんでしたが、漠然とした不安から出生前診断を受けようと考えていました。 苦労した病院探し出産予定の病院では出生前診断をおこなっていませんでした。出生前診断を受けたい気持ちはありつつ、しっかりと調べていなかった私。妊娠15週のときにふと読んでいた妊婦向け雑誌に「出生前診断は妊娠18週くらいまでに受ける」という記載を読み、無知な自分に焦り、急いで病院探しを始めました。 可能であれば、確定診断の出る羊水検査が希望でした。しかし外来の患者や35歳未満の妊婦には実施していない病院が多く、見つけた病院は平日の日中にカウンセリングと検査を含めて3回来院が必要と、フルタイムで仕事をしていた私にとっては難しい条件だったのです。ネットで調べた結果、年齢制限がなく1回の来院で日曜日でもNIPT(新型出生前診断)を実施している病院を発見。すぐに予約し、週末に受診しました。 いざ検査検査はまずNIPTを受け、陽性だった場合は羊水検査に進むという流れでした。費用は23万円ほど。当日は、まず問診表や同意書を記入。その後個室に呼ばれ、医師から検査の説明とカウンセリングがありました。その後採血し、お会計で終了。所要時間は1時間弱でした。結果は10日ほどで郵送されるとのことで、10日間は「普通に過ごそう」と思いつつも、どこかでずっと診断結果のことを考えていました。陽性だった場合は、どうしようか……と。 診断結果は郵送で診断結果が届き、紙には各項目ごとの内容と「すべての項目で異常は見られませんでした」という記載がありました。 もちろん、この結果がすべてではないことは理解していますが。しかし、冒頭でもお話ししたとおり、もし障害が見つかっても、それに向き合う準備期間が必要だと考えていたので、私は出生前診断を受けてよかったと思っています。 出生前診断は賛否どちらの意見もありますが、私は受けたい自分の気持ちに正直になり、検査を受けることを決意しました。ただ、実際に検査ができる病院を探すのが大変でした。そして費用もかかりますので、受けたくても条件的に受けることが難しい人が多いのではないかと感じました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:森まり子0歳の男の子のママ。本業は育休中で、現在は子育てをしながらライターとして活動中。主に子育て・共働きに関する体験談や、ママ向けの美容記事を執筆している。
2020年11月25日小さなときから体格のよかった私。深夜の仕事をしているせいか、生理周期も不順でした。芸能人の子宮がんや子宮筋腫などのニュースが続き、心配した私の母に受診をすすめられ、婦人科へ。診察の結果は、思いもよらないものでした。 驚きの診察結果婦人科の病気がないか診てもらうために受診した婦人科でしたが、診察後、先生が言った言葉は「産科に行ってね」というものでした。 先生の言葉を聞いてびっくり! 妊娠していたんです。産科での診察の結果、推定妊娠37週ということでした。そのころは冬。除雪を普通にこなしていたので、もっと安静にしているべきだったと、今となっては恐ろしく思います。 検査と手続きへ産科の先生は、「妊娠に気が付かないことも、ごく稀にあるからね。これからできること早急に済ませようね」と親身になってくださって、出産に向けていろいろなことを教えていただきました。 まず、必要な血液検査や血圧などの検査。今まで受けられなかった健診の足りない分を補えませんでしたが、2日おきくらいの頻度で病院に行きました。並行して彼との婚姻届けの提出や、職場の育休申請もおこないました。 そして、無事に出産出産一時給付金の申請をしたのですが、赤ちゃんが生まれたのが休日と祝日にかぶってしまったため、かなりの金額がかかってしまいました。それでも周りの方々の支えがあって、検査も役所での手続きも職場の手続きも、しっかりとこなすことができました。 そして、無事に出産。本当であれば、赤ちゃんの成長を感じながら日々を過ごし、出産を迎えたかったと感じますが、無事に生まれてきてくれて本当によかった。私が無事に赤ちゃんを産むことができたのは、赤ちゃんが頑張ってくれたからだと思っています。 私と同じように、ごく稀に長く妊娠に気付かなかったという方もいると思います。日ごろから自分の体に関心を持つことも大切だと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/imasaku監修/助産師REIKO著者:浦松あや一児の母。学校事務や保育士を経験したのち、産休を機に退職。現在はパート。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は編み物。
2020年11月24日妊娠8週ごろのこと…… しばらく辛いものが食べたくて仕方ない時期(66話)がありましたが、さらに味覚が変わって…… 今度はトマトが無性に食べたくて仕方なくなりました……! さっぱりしたものならつわり中も食べられると、トマトを欲する人は多いと聞いたことあるのですが、あの時はもう飲みたいくらいトマトを欲していたような気がしますw けどトマトって意外とお高いじゃないですか~?大量に食べたいんですよ~~!ってことでサラダビュッフェで食べまくってきました(節度は保って……)。本当は大きなトマトにかぶりつきたい気分でしたが、まあそこは我慢です。 なんか知らんけどみーくん(夫)が張り合ってめちゃトマト食べてたけど、味覚移ったんかい?w 【第74話につづく】 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター 漫画家 まっふ令和元年5月1日生まれの男の子を子育て中の漫画家。多嚢胞性卵巣症候群からの妊娠を備忘録としてブログにのんびり4コマで更新中。ベビーカレンダーでは妊娠中のお話「妊婦レベル1 まっふの冒険記」を連載中。息子とのお昼寝と一日の終わりにするゲームがなによりの至福。
2020年11月24日私は高校卒業後、専門学校に通うために地方の学校へ進学しました。そして専門学生2年目にしてまさかの妊娠が判明しました。当時の私は19歳です。驚くほど若い妊娠……というわけではありませんが、いろいろと葛藤も多かった出産までの体験談をお伝えします。 予定外の妊娠に私の心はちぎれそうに…当時、私は専門学校に通いながらアルバイトに勤しんでいました。そのとき付き合っていた彼(今の夫)とは親公認の半同棲生活でした。もちろん性生活もあり、一度だけ避妊に失敗したことがあったのです。19歳の秋に、その一度の失敗によって妊娠が判明しました。学校も残り1年だったため、なかったことにしてしまおうかという考えも頭によぎったのですが、彼と「どうにか頑張れる方法を考えてみよう」と話し合い、出産を決意したのです。 彼の親は猛反対! バッシングに同居の強要私の親にはひと足先に報告を済ませ、学校は必ず卒業すること、資格も必ず取得することなどを約束し、同意を得ました。その一方で、彼の親は猛反対です。母親は妊娠を喜んでくれましたが、父親は違いました。「子どもを諦めろ」「片親の奴とは結婚させない」「まだ未熟なのだから同居しなさい」と理不尽なことを言われ続け、私の心は崩壊寸前でした。でもその後、彼が父親を何度も説得し、結婚・出産を許してもらったのです。それは、19歳という若さゆえの反対だったのだと思います。 お金がないって本当につらい結婚してからは同居の提案を振り切り、安いアパートに2人で暮らしました。それから夫の立ち会いのもと、無事に元気な男の子を出産。それからの生活は幸せでしたが、お金がないことが本当につらかったです。当時20歳同士の夫婦がそこまで稼げるわけもなく、私の学生時代のバイト代の貯えを削りながら節約生活に明け暮れていました。子どもにかわいい赤ちゃんブランドの服やおもちゃを買ってあげたかったのですが、とりあえず安くてかわいいもので我慢する生活に、泣いてしまう日もありました。でも、出産を後悔する日は1日もなかったというのが私の本音です。それだけわが子に愛情を感じていたし、これから頑張ろうという気持ちになれました。そして、しばらくしてから私は復学し、無事国家資格を取得することができたのです。 若いというだけで浮いてしまうことも…出産から3年後、仕事にも子育てにもやりがいを感じていました。そんななか健診や子どもの幼稚園行事など、ほかの保護者と関わる機会も多くなっていたのですが、私はどこへ行っても最年少ママ。幼稚園のボスママ的な存在の方に年齢を聞かれたり、「若いね~」とあからさまな嫌味を言われたりすることもありました。でも、私を守ってくれたのは仕事です。いわゆる“専門職”であるため、私がどんな仕事をしているか知っているママにはよく相談を受けたり、ワーキングマザーの方からは「有休ないよね」と話しかけてもらったりと、仕事のおかげで悪目立ちせずに済んだという経験もありました。 若くしての出産で悲しいニュースを目にすることもありますが、「どうすればよりよい生活を送れるかな?」「どうすれば子どもは幸せになるんだろう」と日々考えながら、現在私は2人の子どものママになっています。もちろん大変なことや泣いた日も多かったです。でも、あのとき子どもを産んでよかったなと、今心から思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:菅田ゆうり1歳・7歳の男児を育てるワーキングマザー。自身の体験をもとに、妊娠や出産、育児、仕事との両立についての体験談を中心に執筆している。
2020年11月23日産後2カ月のころ、友人の結婚式に出席しました。打診があったのは妊娠中で、産後の様子は正直あまりイメージできませんでしたが、大切な友人だったので赤ちゃんを実母に預けて出席することに。しかし、いざ式が近付くと、出席の返事をしたときには想像しなかった問題がいくつか出てきました。 ※コロナ禍前の体験談です パーティードレスが入らない!産後思ったように体型が戻らず、着ようと思っていたパーティードレスが入りません。どうにもこうにも背中のファスナーを上げることができず、困ってしまいました。 赤ちゃんは連れて行かない予定だけど、授乳口の付いた産後ママ向けのドレスを買うべきか……と考えていたところ、妹が持っていた、ゆったりしたデザインのドレスを貸してもらえることに! ホッとしました。 溢れる母乳はどうしよう!産後すぐには出なかった母乳も、式のころには授乳間隔があくと溢れ出るようになっていました。 赤ちゃんと離れて過ごす間、母乳パッドはどのくらい必要? 借りものの服を濡らしてしまったら申し訳ないし、なにより恥ずかしい……と心配でした。結局、家を出てから帰宅までの間に母乳パッドを4〜5回交換し、そのほかに搾乳もしました。 久しぶりのヒールで足が痛い!妊娠中から1年以上ヒールのある靴を履いていなかったので、独身のころのような高いヒールで歩く自信がなく、低めのヒールの靴を選びました。それでもやはり歩きにくく、帰宅するころには靴擦れができ、ふくらはぎも筋肉痛になってしまいました。 せめて、行き帰りの移動の間は履き慣れたぺたんこ靴に履き替えればよかったなと、あとから思いました。 いろいろと思いがけない苦労もありましたが、大切な友人の花嫁姿を見られてうれしかったです。披露宴の最後の花嫁からの手紙は、生まれたばかりの娘がこんなふうに手紙を読む日もいつかくるのかなと想像して感動しました。 監修/助産師REIKO著者:奥田美紀二児の母。IT企業にてSE・プログラマーとしてシステム開発やWEBサイト運用等をおこなう。夫の転勤や子育てのために退職し、現在は妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年11月23日第一子を妊娠したとき、里帰り出産を予定していたことと諸々の恥ずかしさもあり、女医さんひとりの婦人科医院を選びました。まったくつわりもなく、おなかも目立たず、健診を受けるたびに「小さめだけど大丈夫」「小さくてかわいい赤ちゃんよ」と言われていました。そのときの私の体験談をお伝えします。 初めての妊娠、つわり知らずなワケは?初めて妊娠したとき、妊娠についてまったく無知なうえに体力にも自信があった私。つわりもなく、気楽な妊娠生活でした。母子健康手帳ももらい、毎回の健診が楽しみでした。 安定期に入ってようやく家族以外にも妊娠報告をして、祝福してもらっていた矢先の妊娠4カ月の健診のこと。「あなたの体格にしては体重も増えないし、赤ちゃんも小さめね」とちょっと不安なひと言を医師から言われました。 羊水が多くて、赤ちゃんも小さめそして妊娠5カ月目に入り、妊娠16週の定期健診で、「ちょっと羊水が多いわね。赤ちゃんも小さめだから、念のため大きな病院に紹介状を書くので早めに明日にでも行ってみて」と言われました。 “小さめな赤ちゃん=かわいい”と思い込んでいたので、突然の宣告に奈落の底に突き落とされたような気分でした。沈んだ気持ちで、何が何やらわからぬまま夫に連絡し、次の日、付き添ってもらって隣駅の大病院に行くことにしました。 「無脳症」の診断病院では、紹介状を渡した途端、「胎児に障害がある」という前提で検査が進みました。重苦しい雰囲気でいくつかの検査を終え、胎児が「無脳症」であると診断されました。 羊水が多めに見えるのは、胎児の脳の部分に羊水が入り込んでいるためで、そのため胎児の成長も著しく遅く、このまま妊娠を進めても胎内で亡くなる可能性が高いこと、万が一出産できてもすぐに赤ちゃんが亡くなる可能性が高いことを説明されました。 苦渋の決断を迫られ、「母体保護法」適応の週数内に手術をすすめられました。仕方ないことだったと思いつつも、胎児が小さめというサインに私自身がもっと敏感だったならと悔やむことばかりです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:村上悠美自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年11月22日妊娠8週になりエコーで赤ちゃんの心拍を確認したあと…… 赤ちゃんの心拍が確認できたら母に言おうと思ってたので、早く言いたいのを必死で我慢してようやく報告できました! 母は今まで私に「孫が見たい」とうるさく言ったことはなく、「子ども早く作りなよ」と一度言ったことがあるだけでした。それはあくまで“自分(私)のペースで、人生が幸せで楽しいことが一番”と願っていたからこそ、ただただ私からの報告を静かに待っていたのだと思います。 なのでとても良い報告ができてよかったです。母のテンションの高さにうれしくなりました! そしていろいろと母の話も聞けました! 布団を持ち上げようとして尻もちをついて逆子になったとか、子どもを産んだら体ガタガタになって「子孫を残し自分の役目は終わった」と思ったとかw つわり遺伝説はほんとかどうかわかりませんが、とても経過が似ていたので、母と同じならこれで大丈夫なんだな~と安心することができました。 久しぶりに長電話できてよかったです! 【第73話につづく】 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター 漫画家 まっふ令和元年5月1日生まれの男の子を子育て中の漫画家。多嚢胞性卵巣症候群からの妊娠を備忘録としてブログにのんびり4コマで更新中。ベビーカレンダーでは妊娠中のお話「妊婦レベル1 まっふの冒険記」を連載中。息子とのお昼寝と一日の終わりにするゲームがなによりの至福。
2020年11月22日長女が生後10カ月のときに下の子の妊娠が判明しました。うれしい反面、まだ私にべったりの長女にさみしい思いをさせてしまわないか不安でもありました。お姉さんになる準備をしつつ、残り少ないひとりっ子の時間を満喫させながら、下の子を迎えたときのことをご紹介します。2人目を妊娠。当時、長女は生後10カ月長女出産後、夫と私は年が離れていることもあり、2人目を考えるなら、なるべく早くと思っていました。しかし、いざ2人目の妊娠がわかったときに、うれしい気持ちと同時に長女の気持ちを考えると複雑な気持ちにもなりました。 私にべったりの長女がやきもちをやいたり、さみしい思いをしてしまわないだろうか……。せっかく2人目ができたのに素直に喜べなかったことを、おなかの子にも申し訳なく思いました。 「お姉ちゃん」になる準備はするべきか?長女本人はわかっているのかわかりませんが、周りからは「お姉ちゃんになるんだね」と言われるようになりました。ですが、私と夫は「お姉ちゃんになるんだから、しっかりさせないと」というよりは、残り数カ月のひとりっ子の時間を満喫させてあげようと考えました。 そのころからお人形遊びやおままごとに興味を持ち始めていたので、赤ちゃんの存在を知ってもらおうと一緒にお人形のお世話をしながら遊んでいました。 想像以上に「お姉ちゃん」らしい長女に感激!そして迎えた出産。立ち会いOKの産院だったので、さっそく出産直後の赤ちゃんと長女を会わせることにしました。産後、私と赤ちゃんが突然家に帰るより、生まれたばかりの赤ちゃんを見せるほうがいいと思ったからです。長女は不思議そうに赤ちゃんを見ていました。 その後退院し、家に帰った私が赤ちゃんのおむつ替えなどをしていると、長女は「自分もしたい」とおむつを持ってきました。またある日は、赤ちゃんが泣いていると私を呼びにきてくれました。長女は、私の想像以上にしっかり「お姉ちゃん」になっていたのです。 年子だからまだ難しいだろうと思っていましたが、想像以上に赤ちゃんをすんなり受け入れた長女。下の子を自分より小さいものとして大事にしている姿に日々感激しています。 原案/深田ようこ作画/YUDAI9℃
2020年11月22日私は妊娠中、赤ちゃん用品の準備と出産のことで頭がいっぱいでした。そのため、出産後の赤ちゃんのお世話をなんとなくイメージしていたものの、勉強はしませんでした。そして仕事が忙しく母親学級にも参加できず……。その結果、赤ちゃんが生まれてから睡眠不足のなか赤ちゃんのお世話について調べる羽目に。ちゃんと勉強しておけばよかったと私が後悔したことを3点ご紹介します。 おむつの替え方初めてのおむつ替えのとき、「おむつを替えてね」とだけ言って立ち去ってしまった助産師さん。助産師さんが全部教えてくれるものと考えていた私は戸惑いました。サンプルでもらったおむつに替え方が書いてあったので、それを見てなんとかおむつを替えることができました。抱っこの仕方やお着替えの方法など赤ちゃんのお世話の仕方は生まれる前に勉強しておいたほうがよいと思いました。 母乳の出し方・飲ませ方赤ちゃんが生まれたら自然に母乳が出てきて、赤ちゃんもごくごくじょうずに飲んでくれるものと思っていました。しかし、実際に出てきた母乳の量はほんの少し。加えて、私の乳首が吸いにくい形状だったようで、娘はほとんど自力で吸えませんでした。 1時間授乳しても飲んでいる量はほんの少し。3時間おきの授乳で寝不足のなか、母乳の出し方や吸わせる方法を調べるのはつらかったです。最終的にニップシールドを使ったらじょうずに吸えるようになりました。 赤ちゃんの睡眠リズムの作り方寝られないことがつらかった私は、生後1カ月を迎えたころにネントレをすることを決意。娘の体重は順調に増えていたので、これまでこまめにおこなっていた夜の授乳を、欲しがったタイミングであげるようにして、娘が夜に長く寝ることを目指しました。 生まれるまでは、ネントレといえば「赤ちゃんをひとりで寝かせ、泣いても放置するもの」というイメージがあったので、おこなわないつもりでした。しかし調べてみると、朝一で日光を浴びさせる、お風呂は夕方の同じ時間に入れるなど生活習慣と環境を整える「泣かせないネントレ」もあったので実行することに。 睡眠不足を我慢してネントレの本を読むのはとてもつらかったですが、ネントレによって娘の睡眠リズムができたあとはとてもラクになりました。 今思うと、母親になったプレッシャーと勉強不足であることの負い目から周りを頼ることができず、ひとりで頑張りすぎていたと思います。わからないことを親切に教えてくれる助産師さんもいたので、もっと積極的に質問したり、同室のママたちと交流を持って助け合ったりすればよかったです。 監修/助産師REIKO著者:三葉アキ0歳の女の子を育てながら化粧品会社で働くワーキングマザー。夫が激務なため、平日はワンオペ。忙しくても楽しく子育てすることをテーマに、育児に関する記事を執筆している。
2020年11月22日ベビーカレンダー編集部がおすすめの「妊娠・出産・育児マンガ」をご紹介♪ 今回は、Instagramでフォロワー10.1万人超えで3姉妹のママの竹内文香(@ayyyyyaka.t)さん。長女ちゃんの不思議な胎内記憶のお話をご紹介していきます! 第17話目は、5歳の長女ちゃんが話してくれた、死後の世界・輪廻転生にまつわる不思議なお話です。3人目を妊娠中、突然長女ちゃんが「次は私がお母さんを産む」と言い出して……?! 「大スキな人たちが元気でいてくれる今が、長女ちゃんはとっても幸せなんだよ」 たった5歳で「今が幸せ」という、大切なことに気づいている長女ちゃん。 大人もハッとさせられますね。 竹内文香さんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。そして、書籍『おかあさん、お空のセカイのはなしをしてあげる!胎内記憶ガールの日常』が発売!ぜひチェックしてみてくださいね。 この投稿をInstagramで見る 竹内文香(@ayyyyyaka.t)がシェアした投稿 - 2020年 7月月15日午前3時08分PDT監修/助産師REIKO著者:イラストレーター 竹内文香竹内文香(タケウチアヤカ) 高校3年生のときに集英社マーガレットにて漫画家デビュー。 大学在学中に連載を開始し、著作は「友達ごっこ」「凛!」「カテメン」等。 サンスマイルプリンのキャラクターデザイナー、日経xwomanアンバサダーとしても活躍中。 3人の娘の母親として育児にも奮闘中。 長女が話す胎内記憶や不思議な予言、自身の流産経験をSNSで発信し始めたところ多くの反響を集め、現在Instagramのフォロワーは10.1万人を超える。
2020年11月21日3人のお子さんを持つママの、妊娠中と産後の不調にまつわる体験談です。3人目のお子さんを妊娠したころから、本を読んでも内容が頭に入ってこなくなってしまったママ。さらに産後は強迫性障害の症状に悩まされ、心療内科を受診した結果……。3人目の子どもを妊娠中、本を読んでも内容が頭に入ってこなくなりました。本だけでなくSNSの投稿や学校のプリントも頭に入ってこなくなり、頭が回っていないことを実感する日々……。出産後もその症状が続いたものの、呑気な私は疲れているのだろうと気に留めずにいたのです。そんなときに診察に行った病院で告げられたのは、まさかのあの病気でした。 読んだ文章が頭に入ってこない!最初に違和感を覚えたのは、3人目の子どもを妊娠中のことでした。読書が趣味でよく本を読んでいたのですが、ある日まったく文字が頭に入ってこなくなっていると気づいたのです。 本どころか、友人のSNSの投稿すら読んでも内容がまったく入ってきませんでした。文字は追えるのですが、読んだ内容が頭に入ってこないのです。そのときは「疲れているのかな」と気に留めていませんでしたが、その症状は産後まで続くこととなりました。 強迫性障害の症状が現れ、心療内科を受診!3人目の子どもが生まれると、症状はますますひどくなってきました。上の子たちが持ち帰るプリントの内容もまったく頭に入ってこず、買い物に行っても何を買えばいいかわからない状態になったのです。 さらに私を襲ったのは、強迫性障害(きょうはくせいしょうがい)の症状です。物を並べる順番が決まってないといけない、行動の順番が決まってないと不安でイライラするなどの症状が顕著に現れ始めました。 高校生のころ強迫性障害とうつ病で心療内科に行った経験があった私は、心療内科の受診を決めました。 心療内科で告げられた病名はまさかの!?心療内科で症状を伝えると、強迫性障害と軽いうつ状態であると診断が下りました。この診断に私はビックリ! 強迫性障害であるだろうとは予想していましたが、うつ状態だとは思っていませんでした。高校生のころうつ病になったときは、体の倦怠感がひどく起き上がることも困難だったかったからです。 今回は気分の落ち込みもなく体のだるさもなかったので、まさか自分がうつ状態だとは思いませんでした。文字が頭に入ってこないのは頭が疲れている証拠だそうです。心療内科では抗うつ薬が処方され、月に1度のカウンセリングを受けることになりました。 心療内科に通い始めて半年経つころには症状も治まり、投薬も終えて活動的に過ごせるようになりました。私はうつの自覚症状がなかったのですが、受診して初めてイライラや不安感を強く抱いていたんだなと実感……。育児中はなかなか自分の心と向き合う余裕がありませんが、精神状態を確認することの大切さを学んだ出来事でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:河津明香2男1女の母。旅行代理店勤務をしながらの育児を経て、フリーランスのライターへ転身。現在は発達障害の長男のサポートをおこないながら、旅行・育児・生活雑貨などの記事を中心に執筆。イラスト制作者:イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2020年11月20日赤ちゃんとの生活が落ち着いてくると、生理再開の時期が気になってきます。第二子のタイミングも悩みどころ。生理はなければラクだけど、来なければ来ないで不安でした。今回は私が体験した第一子出産後の生理についてお話しします。 第一子が1歳1カ月のときに、生理が再開産後の生理は、長男が1歳1カ月のころに再開しました。再開前日から熱っぽい感じはあったものの、なにせ生理から遠ざかり2年強。毎日やんちゃな長男に振り回され、その熱っぽさが生理が来る前兆だと気が付く余裕はまったくありませんでした。 いざ生理が再開してみると、第二子を考えていた私は「また赤ちゃんを作っていいんだ!」とホッとする半面、憂うつな生理がまた始まることを残念に感じるという少々複雑な気持ちでした。 再開するも、順調に生理が来ない…!妊娠前は28~30日周期で、安定して生理が来ていた私。そのため、産後の生理が再開してからも同じ感覚でいました。ところが、前回の生理から30日を過ぎても来ず、40日でやっと来たこともあれば、月によっては45日かかるときもありました。 妊娠前、生理周期がずれることがほとんどなかった私は、それだけで動揺。2人目の赤ちゃんを妊娠できるのか不安になってきました。「特に体の不調があるわけでもないけれど……でも気になる……」と散々迷った末、思い切って産婦人科に相談に行くことにしました。 産婦人科を受診! しかし思わぬ落とし穴私は出産のときにお世話になった産婦人科を受診。産後の生理周期が以前と変わっていること、産後の性交渉はなく、今現在は生理が50日来ていないこと、2人目を希望していることを伝えました。先生は親身に話を聞いてくれ、診察の結果、子宮内膜が厚くなっていて自然に待っていても生理は来そうであること、もし気になるならホルモン剤を使って生理を起こすこともできることを丁寧に説明してくれました。 時は折しもゴールデンウィーク前。家族旅行を計画していたため、今は生理が来ないほうが助かるかもと思い、ホルモン剤は使わないことにして、その日は帰宅しました。 診察台で絶叫!! その理由は…ゴールデンウィークは旅行へ行き、おいしい料理や長男・夫とゆっくり過ごしました。しかし、やはり生理は来ないまま、旅行後に予約していた産婦人科の再診へ。内診を受けていると、先生から「赤ちゃんがいますよ!」と驚きの一言! 「えええ~!?」と私が驚愕の声を上げたことは言うまでもありません。 1回でも夫婦生活があれば妊娠の可能性はゼロではないと頭ではわかっていたはずなのに、まさにその1回のことを失念していたのでした。 はじめに受診したとき、ホルモン剤を使った治療を選択していたら、第二子に会うことはなかったかもしれません。自分の生理と夫婦生活を把握していることの重要さ、体に変調を感じたら産婦人科を受診することの大切さを痛感。少しでも気になることがあるならば、こんなことで……などと思わず受診することが大切と学びました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO文/黒木あこ
2020年11月20日1人目が1歳3カ月のときに2人目の妊娠が判明しました。私と年齢が近く、1人目の子ども同士も同い年でよく遊んでいたママ友がいたのですが……。妊娠前からの友だちで付き合いも長かったはずなのに、2人目の妊娠を報告してからというもの、なんとなく連絡が途絶え疎遠になってしまいました。今回はそのママ友との関係についての体験談をお話しします。 気軽に何でも話せるママ友お互いに妊娠する前から友だちだった彼女と私は、他の友だちには言いづらいことも話せるような仲の良い関係でした。毎日のように連絡を取ったり、電話で何時間も話すこともしょっちゅう。 しかも1人目の妊娠時期もほぼ同時期だったため、子どもたちが動き出すようになるといろいろなところに一緒に遊びに行っていました。そのため2人目をいつにする? 最近、夫婦関係どう?なんて話もよくしていたのですが……。 2人目の妊娠を報告私の1人目の子どもが1歳3カ月になったころ、2人目の妊娠が判明。しばらくしてからそのママ友に会う機会があったので、まだ早い段階でしたが報告をしました。ママ友はすごく喜んでくれて、同い年の2人目の子ができたらいいなあ、次は性別どっちかなあというような話もして会話が盛り上がった……と私は思っていました。 お互いに2人目ができたらにぎやかになるし、楽しいことばっかりだなあと私自身は妄想が膨らむばかりだったのです。 なんだかそっけない…?妊娠報告をしてからも今までと変わりなく連絡を取っていたものの……しばらくすると返信が何日も空いたり、忙しいからあんまり連絡が取れないというようなことを言われるようになりました。それでもごくたまに会うことはあったのですが、妊娠や出産、赤ちゃんの話題はそれとなく話をそらされている気がして、気まずい……。 そのまま私も連絡をすることがなくなり、一応2人目の出産報告をして返信が来ましたが、それから一度も連絡をしていません。 2人目が生まれてもうすぐ1年になりますが、そのママ友とは連絡しないままです。私も2人目の妊娠がうれしくて、当時はもしかしたら相手の気持ちに気づいていなかったり、無意識に傷つけてしまったのかもしれません。時々寂しい気持ちにはなりますが、今は少し距離があったほうがお互いのためかもしれない……と思うようにしています。 監修/助産師REIKO著者:小松潤子2歳男の子と0歳女の子の母。幼稚園教諭・保育士資格を保有し、4年間教育現場に携わる。現在は育児、美容の記事を中心に執筆中。
2020年11月20日高校生のとき、生理不順だった私は生理が来たり来なかったりでした。「若いからまだ不順なのは仕方ない」と保健の先生は言っていましたが、子宮筋腫で婦人科に通っていた母親が1回診てもらおうと言ってくれて、一緒に婦人科を受診してくれました。 多嚢胞性卵巣症候群だと言われ…そこで医師から告げられた病名は、「多嚢胞性卵巣症候群(たのうほうせいらんそうしょうこうぐん)」(※1)。私は内服薬に夜ホルモン治療を受けることになりました。 すぐに効果が現れ、内服しなくて良くなったのですが、20歳を過ぎて働きだしてから再度不順に……。2、3カ月に1回の生理でラクだから良いやと放置していたら、次は生理が来たら1カ月は出血が続くと言う状況になっていました。 (※1)排卵に関連のある2つの女性ホルモンのアンバランスなどにより卵胞(卵子を包み込んでいる袋のようなもの)の発育が抑制され、排卵障害をきたす疾患。無月経や無排卵周期症(無排卵月経)などの月経異常がみられ、不妊の原因にもなる。 内服治療を開始するも、ぶり返してしまう徐々に出血期間が伸びだし、貧血にもなるからと病院を受診しました。そこで、多嚢胞性卵巣症候群だったこと医師に伝えると、「病名をわかってて放置はダメ!」と怒られて内服治療を開始しました。 内服治療を始めると、すぐにバランスが整ったので治療終了になりました。私自身も周期的に生理が来るようになったことや、顔の吹き出物が減ったことで、ホルモンバランスが整ったことを実感していました。 一緒に受診してくれた親に感謝!私は職業柄、時間が不規則なほかストレスも溜まるので、そのせいでホルモンバランスが乱れているようでした。 多嚢胞性卵巣症候群は不妊の原因にもなるようで、私が妊娠することができたのは、若いからまだまだ生理不順は仕方ないとは思わず病院にすぐ受診させてくれた親のおかげなんだろうなと思い、今では母に感謝しています。 監修/助産師REIKO-------------文/藤林ねこさん
2020年11月19日私は2015年1月に入籍し、同年の4月に挙式、6月には新婚旅行に行きました。新婚旅行までは生理は順調に来ていたのですが、それから突然来なくってしまいました。生理が来なくなった原因ですが、ちょうどそのころ仕事の人間関係でメンタルがやられていたので、ストレスが原因だったのではないかと思っています。 ストレスでメンタルが崩壊…私の仕事は24時間勤務で体力勝負な接客業でした。お客様のクレーム対応や女性社会のいざこざなど、いろいろなことが重なりメンタルが崩壊。一時期は何をしても楽しくなく、笑えなくなってしまっていました。 病院を受診すると自律神経失調症と診断され、診断書をもらい1カ月休職しましたが、勤務5年目で契約終了。2016年3月に退職しました。 婦人科で卵巣機能不全と診断生理がないって快適だ~と思い、3カ月くらい放置していましたが、さすがにこのままではまずいのではないかと思い、婦人科へ行くことに。婦人科を受診すると卵巣機能不全と診断されました。検査をすると卵巣年齢が50歳代だと言われ、卵巣がほとんど機能しておらず、年に数個しか排卵していないとのことでした。 そのあと、2016年5月には近所の不妊治療専門病院に通い始め、8月には別のクリニックに行ったりして治療を受けていました。私が受けたのは低刺激治療法という治療方法なのですが、こちらは低用量ピルを使用することで生理を起こさせるというものでした。 しかし、不妊治療は思ったようにスムーズにはいかず……。一度だけ採卵できたものの受精卵がうまく育たず、移植することができませんでした。そして、2018年8月はメンタル的に通い続けるのがつらくなってしまったので、夏ごろにはいったん通院を休止していました。 なかなか子宝に恵まれず、苦労した日々2018年11月ごろ、かかりつけの産婦人科で「もう一度やってみたら」と後押ししてもらい、前からすすめられた実績のある病院で予約を取り、そこに通い始めました。治療方法はまた低刺激治療法だったのですが、的確な治療対応をしてもらったと思っています。一度採卵手術をしたのですが採卵できず、次の採卵手術で採卵→体外受精→受精卵移植という経過を経て2019年9月に妊娠することができました。 妊娠経過は順調でしたが、胎児機能不全で緊急帝王切開し出産しました。今は母子ともに元気に過ごしています。一時期は子どもが授からなくて養子を提案されたこともありましたが、医療技術の発展のおかげで子どもを授かることができました。私自身も本当に奇跡だと思っています。 監修/助産師REIKO-------------文/まなまなさん
2020年11月19日私は現在、2歳の息子と生後3カ月の娘を育てています。第一子、第二子ともに、妊娠中、義母との間に“あるトラブル”がありました。それは、子どもの名前についてでした。自分が話の中心にいないと嫌な義母義母との関係は良好ですが、夫は義母のことがあまり好きではないため疎遠です。半年に1度は会う義母。夫と私が話していても、自分のわからない話になると明らかに不機嫌に。そして、全然違う話に変えてしまい、私のわからない昔話などを始めます。 夫によると、昔からワガママで、自分の思い通りにならないと怒り出す義母だったようです。 妊娠報告後からしつこい提案私の妊娠がわかると、会うたびに、そしてメールの文末には必ず子どもの名前を提案してくるようになりました。私や夫と趣味が合えばまだ良いのですが、趣味の合わない名前ばかり……。 夫婦で「名前については候補があるので……」と言っても、結局名前が決まるまで義母の提案は継続。私もかなりストレスが溜まり、夫にも相談しましたが、「最後は自分たちで決めるのだから放っておいていいよ」と言われました。 名前が決まったとき、義母の反応は…その後、無事に出産! 義母から提案された名前を1つ候補に入れ、義母と夫で話し合い。最終的に夫婦で相談し、夫婦で考えた名前が決定しました。 私と夫それぞれから、義母にメールで報告。夫はメールや電話で義母から「決まった名前は知り合いにいるから」などやめるようにも言われたようですが、私には「おめでとう! 良い名前だね!」とメールが来ただけでした。 第二子でも…約二年後、私は第二子を妊娠しました。うれしい反面、また子どもの名前で義母と揉めるのは嫌だなと思いました。でも、性別が女の子とわかってからも、名前のことは何も言ってきませんでした。きっと義母は私たちの気持ちをわかってくれたのだと思い、安心していました。 ところが、義母は我慢できなくなったのか、出産が近づくとまた子どもの名前の候補が送られてくるようになりました。夫と話し合い、夫から義母へ「上の子のときから女の子だったらつけたいと思っていた名前をつける」と伝えたのですが、結局第二子のときも出生届を提出するまで、いろいろな子どもの名前の提案がありました。 あんなに悩んでストレスを抱えていたのに、今、義母はニコニコと夫婦で考えた子どもの名前を呼んでいます。孫のかわいさが勝ったようで、義母は子どもの名前のことについて何も言ってきません。子どもの名前をつけるのは一度きり。いろいろとありましたが、夫婦で話し合って素敵な名前を子どもにプレゼントできたと思っています。 原案/山本加奈子作画/YUDAI9℃
2020年11月18日ずっと会いたいと願っていたわが子。その願いがようやく叶ったのですが、私は妊娠初期に切迫流産になり、その後も出産までハラハラするようなできごとばかりでした。そんな私に、出産時に立ち会っていた医師はさらなる衝撃的な事実を告げたのです。 出産目前にして最後のトラブル発生妊娠34週目の妊婦健診。体重が3kg増え、上の血圧が何度計っても140を下回ることがありませんでした。再健診では体重は2kg減ったものの、上の血圧は180にまで上昇していました。もちろん正常な数値ではないので、個人病院に通っていた私は大きな市立病院に移ることになりました。 そこで妊娠高血圧症候群と診断され、出産までMFICUというハイリスク出産に対応するための場所で過ごすことに。そして正期産の時期である妊娠37週を待ち、計画出産することになりました。 出産自体は超安産だったものの…陣痛促進剤を使い、妊娠37週3日の朝に母子ともに無事出産を終えることができました。出産自体も約2時間と、初産にしてはかなりの速さだったと思います。 ただ、お産の最中のことです。赤ちゃんの頭が顔を出し、もうひと踏ん張りしなければというときに、「赤ちゃん、ちょっとおくち切れちゃってるね~」と主治医が言ったのです。私はそのとき、ただ単純に「産道が狭くて出てくる拍子に切れちゃったのかな?」程度に思っていました。 でも、このとき聞こえてきた産科医の言葉は、のちにとても大事なことだったんだと知りました。 生まれてきてくれたことがうれしかった「形成の先生が手術できれいに治してくれるからね」と続けて医師はそう言いました。だから「そっか、先生が治してくれるんだ! よかった!」と安易に考えていました。 冷静に考えれば、かすり傷程度で手術をするなんてあまりないですよね。でもそのときは、目の前のお産に必死でそんなことを考える余裕もなかったんです。 そして、たとえ他の子と少し様子が違っていても、自分の胸でしっかりとその命の重さを感じることができたことがうれしくて仕方なかったのです。 両側完全口唇口蓋顎裂という疾患が判明出産後の夕方、形成外科の先生方が病室に来てくださり、娘は「口唇口蓋裂(こうしんこうがいれつ)」という先天性の疾患だと告げられました。娘は口唇口蓋裂のなかでも「両側完全口唇口蓋顎裂(りょうそくかんぜんこうしんこうがいがくれつ)」という分類で、鼻の穴を通るようにして二箇所、口が裂けていました。 先生に今後のことを説明されて、ようやく重大さに気づきました。手術は成人するまで数度おこない、歯列矯正や言語指導なども含まれていて、思ったよりも治療に時間を割かなければなりません。それを知ったとき、娘は楽しい学生生活の一部を削らなくてはいけないかもしれないということに気がつき、ようやく「ショック」というものを受けました。 口唇裂は妊娠中のエコー時に判明することが多いそうです。妊娠時に判明していたら、ネットで検索していろいろと考えこんでしまっていたかもしれません。私の場合は娘が腕で顔を覆ってなかなか顔を見せてくれなかったこともあり、主治医が代わっても出産するまで判明することがなかったんだと思います。それがいいのか悪いのかはわかりませんが、私はお産に集中することができてよかったと考えています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:ライター いとう みい夫と娘、猫1匹と暮らすフリーの事務員兼デザイナー。娘は産後に口唇裂が判明。主に妊娠・出産・子育てや趣味のコレクション、ダイエットレシピについて執筆している。
2020年11月16日ネットの情報や先輩ママから、妊娠中は腰が痛くなると聞いていたため、「双子ならなおさら仕方のないこと」と腰痛が悪化しても妊婦健診で先生に相談することなく耐え続けていました。しかしあまりの激痛に耐えきれなくなり、出産予定日を目前に控えた日の真夜中、病院へ。そこでわかった腰痛の原因を紹介します。 妊娠3カ月には目立つおなか双子を妊娠して妊娠3カ月ごろにはおなかが大きくなり、妊娠前にはいていたズボンのチャックが閉まらなくなりました。それからはどんどんおなかが大きくなり、腰痛と付き合う日々。 仕事をしていても、運転をしていても、常に腰が気になります。妊婦健診の際に腰が痛いことを先生に伝えてみましたが、「もともとひとり用のおなかに2人入っているのだから、腰への負担も仕方のないこと。できるだけ寝転がって過ごしなさい」とのことでした。 腰痛で眠れない日々妊娠5カ月に仕事を退職し、妊娠7カ月ごろからは必要最低限の行動以外は自宅のベッドにいる日々を過ごしました。それでも腰痛はひどくなる一方です。寝る向きを変えてみたり、腰をさすってみたり、押してみたり……。 少しでもラクになる体勢を探しながらゴロゴロ。夜中も痛みで起きてしまうため、ゆっくり眠ることもできない毎日。ただ、“腰痛は仕方のないこと”という認識から、妊婦健診でも先生に腰痛がひどくなっていることを相談しませんでした。 腰痛の原因が判明出産予定日を1週間後に控えたある日、とうとう腰痛が限界にきました。どうやっても治まらない激痛に涙がこぼれ、真夜中に通っていた産婦人科へ行くことに。そこで腰にエコーを当ててもらい、腎臓に水が溜まっていることが判明! 双子の成長により尿の通り道が圧迫され、水腎症になっていました。水腎症を発症していては個人病院の産婦人科では産むことはできないということで、そのまま市民病院へ転院し、緊急入院。2日後に、もともと予定していた帝王切開で出産しました。 出産したことで、尿の通り道への圧迫がなくなり、水腎症は回復しました。腰痛は赤ちゃんの重みが原因だと思い込み、先生に相談しなかった結果が緊急入院です。不安や心配事があれば思い込みで過ごすのではなく、なんでも先生に相談しておけばよかったと、今回の体験から学びました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO作画/うちここ著者:桜田はな双子男児と女児1人の母。子育てやサブスク関係のライターとして活動中。
2020年11月16日長男妊娠7カ月のときです。家にひとりでいると突然、下腹部に激痛が。だんだんひどくなっていく痛みに、おなかの赤ちゃんは大丈夫なのかとても心配で不安でした。かかりつけの産婦人科で診察してもらい、総合病院に緊急搬送されることに……。そのときの体験談をご紹介します。 突然、原因不明の激痛当時、共働きで土曜日も出勤だった私は17時ごろ帰宅。眠くて横になっていました。夫は用事で実家に戻っていて不在でした。しばらくして突然、下腹部に違和感が。はじめは安静にしていれば治まると思いましたが、時間が経つにつれ痛みが強くなっていきます。まだ我慢できない痛みではなかったため、どうしようか迷いましたが、かかりつけの産婦人科に連絡したところ、「念のため来てください」ということでした。 前もって電話で相談していた夫が手配してくれたタクシーに乗って病院に向かい、すぐに診察してもらいましたが、原因は不明。痛みもやや治まり、おなかの赤ちゃんも異常なしということで、ひとまず帰宅して様子をみることになりました。 気が遠くなるほどの痛みで緊急搬送その後、夫も帰宅。時間が経つにつれ、徐々に我慢できない痛みになってきました。当時は「とにかく痛い」しか頭になく、痛みで気が遠くなることも。23時ごろになっても痛みは強くなる一方でした。再度、産婦人科に連絡して病院へ行きました。 そして今度は血液検査をおこなうことに。検査の結果、白血球の数が増えているということで、総合病院に救急車で緊急搬送されることになりました。激痛は本当につらく涙が出そうでしたが、おなかの赤ちゃんは問題ないということだけが救いでした。 原因は「尿管結石」だった! 総合病院に搬送され、いろいろな診療科の先生たちに囲まれたのを覚えています。その日は原因がわからず、そのまま入院することになりました。病室に入ったときはすでに明け方の3時近くでした。痛み止めの点滴を打ってもらいましたが、それでも痛みでほとんど眠れませんでした。自分だけではなく、おなかの子も心配でしたが、当時すでに胎動は感じることができていたので安心感はありました。そして翌日の診察で、痛みの原因が「尿管結石」であることがわかりました。病気が判明後は治療もスムーズで、3日間で無事退院となったのです。 夫も不在で実家も義実家も遠く、ひとりで痛みに耐えるのはとても不安で心細かったです。それまではとても順調な妊婦生活でしたので、まさか自分が妊娠中に入院することになるとは思いもよらず、赤ちゃんに何かあったらととても心配でした。その後は出産まで問題もなく、尿管結石も再発しませんでした。当時、おなかにいた長男も問題なく、すくすくと元気に成長しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:竹内優実5歳と2歳の男児を育児中。時短と節約が大好きなアラフォー母。簿記2級・MOSマスター・初級シスアド取得。パソコンを活かした育児グッズの作成が得意。夫は激務の為、ほぼ一人育児中。
2020年11月14日現在、生後8カ月になる娘の子育て中です。この子には姉がいました。結婚3年目でやっと授かった子どもは妊娠10カ月のときにおなかで突然亡くなり、不育症の診断を受けました。子どもの死を経験し、そこから這い上がって無事出産するまでの体験談です。 子どものことよりも仕事を優先してしまう自分結婚後、私はすぐに子どもが欲しいと思っていましたが、夫は妊活にあまり積極的ではありませんでした。お互いの考え方やタイミングが合わなかったこともあり、子どもを授かったのは結婚して3年後のことでした。 妊娠中はおなかの子どものことよりも仕事を優先してしまう自分がいました。職場で貧血で倒れることや、おなかが張ることがありましたが、「これくらい大丈夫」とおなかの子どもに言い聞かせていました。 職場の先輩が「ひとりの体じゃないんだよ」と声を掛けてくれても、妊娠の経過が順調だったこともあり、大分無理をしていたと思います。 胎動が感じられない臨月に入ったある日、おなかが張ったかと思うと、それから胎動を感じなくなったような気がしました。不安な気持ちのまま誰にも相談することができず、一晩過ごしました。そして、次の日の朝、かかりつけの個人病院の診療時間が始まるのを待って受診しました。 病院の診察台の上に横になったときには、すでにおなかの子どもの心臓は動いていませんでした。原因不明の突然死でした。私は事態を受け入れる間もなくそのまま市内の総合病院に運ばれ、陣痛促進剤とバルーンで陣痛を誘発して3日後、赤ちゃんを出産しました。 心も体も回復できないまま…医者からおなかの子どものことは説明されていたのに、産んだら本当は生きているんじゃないかと出産するそのときまで私はどこかで期待していました。そして、動かない自分の子どもと対面するまで、私はひどい夢を見ているんだと思っていました。 現実を受け入れられないまま退院し、子どもの埋葬を済ませ、夫は仕事に戻っていきました。空っぽのおなかと残酷な現実に、私は何のために食べるのかわからなくなりました。そして、子どもと幸せそうに過ごす友だちを見るのがつらくて、部屋に引きこもっていました。体は軽くなったはずなのになぜか鉛のように重いのが不思議でした。 それでも仕事は待ってはくれませんでした。心も体もまったく回復していないのに、産休はあっという間に終わってしまったのです。1日のうちに気持ちがジェットコースターのように上がったり下がったりを繰り返し、自分の気持ちをコントロールすることがとても難しく思いました。仕事の帰り道、「ああ、こうやってうつになっていくのかな」とふと考えることもありました。目の前の仕事をこなし、忙しさに身を任せていたら月日は勝手に過ぎていきました。 2人目の妊娠もう一度、子どもが欲しいと思えるまで1年かかりました。友だちの何気ない言葉に励まされ、妊娠する決心ができました。子どもの死を経験するまでは、妊娠して出産するのは当たり前にできることだと思っていましたが、2人目の妊娠中は出産するそのときまでずっと不安がついてまわりました。 赤ちゃんの産声を聞いた瞬間は、感動し過ぎて涙は出ませんでした。前回の出産のときに全部流しきってしまったのかもしれません。出産は大変だけど、こんなに愛おしい気持ちになれるから、みんな頑張れるんだと思いました。温かく、必死に生きている赤ちゃんを見て、お姉ちゃんの分まで大切に育てようと心に決めました。 1人目のときも2人目のときも妊娠経過は順調で、今でも何が原因で亡くなったのか、どうして2人目の子は元気に生まれてきてくれたのか自分でもわかりません。それぞれの運命だったとしか……。ただ私が言えるのは子どもを亡くしたときにそこで諦めて立ち止まっていたら、今の子どもには一生会うことはなかったということです。つらいときは気持ちも目の前も真っ暗でしたが、自分の子どもを見たとき、自分はこの子に会うために生まれてきたんだと思えるくらい素晴らしい気持ちになりました。命の大切さ、命があることに感謝することの大切さを教えてくれたこのできごとは、私には必要な経験だったのかもしれません。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:八代 華8カ月の娘と育休消化中。
2020年11月13日「生理について、子どもにどう伝えればいいのか…」、悩まれている方もいらっしゃるかと思います。 前回は、生理を”「赤ちゃんベッドバイバイ」の日”と伝えていることをお話しましたが、今回は、長女のぽよ子に「妊娠っていつからできるの?」と聞かれたときのことを、マンガでご紹介します。 赤ちゃんを授かることに憧れを抱く女の子も多いと思います。 赤ちゃんを授かるって、とっても素敵なこと。うれしいこと。でも同時に、大変なこともいろいろと起きてくるもの。 6歳のちょっとおしゃまな年長さんになっていた娘に、「赤ちゃんを体で育てていくことの責任」について、ふんわり伝わったらいいな、と思いながら話しました。 そう遠くない未来に思春期へと向かっていく娘。 「気付いたら好きな子の話を親にしてくれなくなっていた」となる前に、性的なコミュニケーションの大切さと、同時に生まれる責任、そして、自分の身を守るということをじんわりじんわり伝えていけたらいいな、と思っています。 ※生理が始まる年齢については、早発月経(10歳未満で生理が始まること)の可能性も踏まえて、娘には「あと3歳くらい」と伝えています。 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター kico
2020年11月13日2018年7月生まれの女の子の母、キヨさんのゆるっと笑える育児マンガ! この連載では、キヨさんの妊娠から出産までの出来事と、子育ての様子をかわいいイラストとともに紹介します♪2018年7月生まれの女の子の母、キヨさんのゆるっと笑える育児マンガ! 第63話、娘ちゃんが急に離乳食を食べなくなる期間にキヨさんがとった対処法は…… ?こんにちは、キヨです! 離乳食も進んできた生後10カ月ごろ、娘は基本的によく食べてくれるほうなのですが、1カ月に数日ほど“食べない期”がありました。 “食べない期”に突入すると、大好きなうどんも断固拒否! 用意したその他ごはんもすべてムダに……。 幸いバナナなどの果物は食べてくれたので、食べてくれない炭水化物やタンパク質を横目に「食べないものはしょうがないから果物だけでいいか…」と果物だけをあげていました。 離乳食期は作ったごはんがムダになってしまうときがあって、なかなかしんどいものでした。 著者:イラストレーター キヨ2018年7月生まれの女の子の母。妊娠を機にデザイン会社を退職しフリーランスに。出産してから食べることが癒やし……。ゆるっと育児漫画、絵日記、イラストをツイッターで更新中!
2020年11月12日妊娠8週の妊婦健診で無事に赤ちゃんの心拍を確認。そして前から気になっていた出血の原因もわかります。 この日、妊娠8週での妊婦健診だったのですが、先生がなにやら子の大きさを測り、その大きさをもとに「8W2d」と変更しているようでした。※w=week(週)、d=day(日) そして生理予定日から長く悩まされていた茶色い出血ですが、どうやら前に見つかったポリープが原因ということがわかりました! 赤ちゃんには影響がないようなのでほんと一安心……! 「安定期入ったら取るかどうするか考えます」とのことでしたが、結局取らずに済みます。 あとこの日は子宮頸がんとクラミジアの検査もしていただきましたが、相変わらず何も感じず一瞬でした! 【第71話につづく】 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター 漫画家 まっふ令和元年5月1日生まれの男の子を子育て中の漫画家。多嚢胞性卵巣症候群からの妊娠を備忘録としてブログにのんびり4コマで更新中。ベビーカレンダーでは妊娠中のお話「妊婦レベル1 まっふの冒険記」を連載中。息子とのお昼寝と一日の終わりにするゲームがなによりの至福。
2020年11月10日こどもと見つけた小さな発見日誌
育児に遅れと混乱が生じてる !!
ムスメちゃんとオコメちゃん