ある日起きた急激なうつ症状2021年の3月に入ったある日の夜、突然うつ症状が私を襲いました。人生の何もかもが理不尽に感じる。怒りと悲しみと喪失感。必死に努力して身につけ、継続してきた健康的な生活習慣やセルフケアのすべてを放り投げてしまいたくなる。消えてしまいたい、どんなに死にたいと悩んだときも結局死なずに生きてきたのだからどうせ死なないんだろうけれど、死にたいと言ってしまいたい気分。鎮静剤でも打ってもらって何ヶ月かこんこんと眠り続けたい…その日の日中まではそこそこ元気に、いろいろなことにチャレンジして過ごしていたはずなのになぜ? とパニックになりました。とっさにとった緊急対応策 「人に頼る、そして寝る」私は経験上、一度ここまで気分が落ち込んで動揺した状態のときには人の手を借りる必要があると知っていました。身体のコリでも、あまりに凝っているとセルフマッサージでは間に合わないし、セルフマッサージをする気力体力も出ないですよね。心の疲れでも同じで、ひどいときにはセルフケアでは対応できなくなるのです。そこで真っ先に、かかりつけのトラウマ治療のカウンセラーの先生に現在の状況を伝え、直近のセッション枠をあけてもらいました。そして、いつも悩んだときには誰より先に悩みを相談しあっている親友にお願いして、チャットメッセージを使って少し話を聞いてもらいました。少し落ち着いてみると自分がこのところ無意識に無理していて心身ともに疲労困憊していたことに気づき、「何はなくともまずしっかり寝なければ」と思いました。それで抗不安薬と睡眠導入剤を飲み、いつも寝る前にやっているヨガもさぼって、寝落ちしてしまう直前まで先の友人に頼んで話につきあってもらいました。このうつ症状は「記念日反応」だと気づいた数日以内にかかりつけの先生のセッションを受けられるという安心感、とりあえずは親友に話を聞いてもらってパニックからは脱したこと、そしてとっさにしっかり睡眠をとったことで、私は翌朝には思ったよりも落ち着いていました。引き続き親友に話を聞いてもらう中で「しばらく緊張とハイテンションが続いたあとにガクッとうつっぽく落ち込むって、なんだか東日本大震災のときと似てるよね」と言われ、はたと気づきました。これは記念日反応かもしれない。記念日反応とは、何かの記念日のような日や時期に心身の調子が悪くなることです。災害記念日や誰かの命日、年度の変わり目や盆暮れ正月などに、関連の記憶や思いがかきたてられて調子を崩す。誕生日前後に調子を崩す人もいます。2021年3月は東日本大震災の10年目の時期です。私にとって震災から10年となる今年は、実家を逃げ出して現在の生活になってから10周年でもあります。このタイミングは年齢的にも、私が40歳を過ぎて来し方を振り返り、今後の生き方に思いを馳せるときでもありました。つまり、この春は私にとっていくつもの記念日反応が重なる時期だったのです。それに加え、去年から今年の場合はコロナ禍という特殊事情も重なっています。コロナ禍の影響で仕事の企画はいくつも流れたり延期になったりしていますし、気分転換にあちこち外出や旅行をしたりもできません。私にもほかの多くの人と同じように不安や焦り、フラストレーションがたまっていたでしょう。私はそんな中で、「それでも自分にできることをやっていこう、自己向上していこう」と頑張りすぎていたのかもしれません。自宅でフィットネスを頑張ったり、英語の勉強のしなおしにとりかかったりしていました。そうした無理が限界を超えたサインが、今回のうつ状態だったのだと思います。こうした気づきを得たことで、私の落ち込みと動揺は収まっていきました。突然の精神的危機に対する私なりの対応策記念日反応は誰にでも起こるものですし、世界的な情勢の変化によるストレスの影響からは誰も逃れられません。突然の精神的危機は「弱い人だから」起こるのではなく、誰もに起こるものだと思います。私が経験上自然と練り上げてきた、突然の精神的危機に対する対応策をまとめておきます。真っ先にやるのが、自分を助けてくれる人と連絡をとって頼ることです。かかりつけの治療者や、相談に乗ってくれたりそばにいてくれたりする信頼できる人など。助け手とやりとりする中で、まずは精神的危機によるパニックを落ち着けます。かかりつけの治療者には、できればなるべく早くに診察やセッションの予定を組んでもらいましょう。精神的危機に陥っているときはたいてい自律神経の状態も乱れていて、質のいい十分な睡眠がとれていません。まずは眠ることを優先にします。普段はできるだけ薬に頼らずセルフケアで対応している人も、このときばかりは薬に頼ってもいいと思います(必ず処方されている用量内で使いましょう)。結果的に眠れなくてもいいので、まずは薬で、逆立った神経を少しでも休めます。仕事、勉強、家事、セルフケアなど、日常の中でやらなければいけないことはたくさんありますが、精神的危機のまっただなかである今は緊急事態なので、「やらなければ死ぬこと」以外は徹底的にサボります。私は仕事も勉強も掃除も歯磨きも、ヨガも瞑想もさぼりました。私は入浴が好きなので入浴はサボりませんでしたが、人によっては入浴だってサボっていいと思います。3までのことをやっているとたいていパニックが落ち着き、当面の心身の疲れがとれます。落ち着きを取り戻した頭でいろいろ言語化しているうちに頭が整理されて、自分が置かれている状況に対する気づきが生まれます。今回私が「これは記念日反応だ」と気づいたような感じです。気づきを得たらしめたもので、もうそれは立ち直るフェイズに入ったということです。4までで立ち直るフェイズに入りはしたものの、まだ衝撃の余韻は残っています。気分や体調の大きな変調は「今までのやり方では参ってしまうよ」という心身からの大事なメッセージなので、このメッセージを少なくともしばらくの間しっかり尊重してあげます。私の場合、ダイエットを頑張っていたなら、無理してプロテインにしていたのを甘いものを心ゆくまで食べるとか、筋トレや有酸素運動を少し休んでストレッチしながら自分の身体の意外な部分の緊張に気づいてみるとか。日ごとのノルマを決めて勉強や仕事を頑張っていたなら、ノルマをつらく感じない程度まで思い切って引き下げてみるとか。大事なのが、どんな努力でも、心身の健康を保ちながら続けていく秘訣は「目標に自分を合わせていくのではなく、自分に目標を合わせていく」ことです。目標を自分にすり合わせていくと同時に「高すぎる目標に自分の心の傷が隠れていないか」も探ってみるのもとても大事です。たとえば私の場合、容姿のことでバカにされたトラウマがあるとか、いつも一番であるように親からプレッシャーがかかっていた、小さなころから有能であること以外に自信の持てる要素がなかった、とかが見つかります。二次障害も乗りこなしながら生きていく発達障害があるとただ生きているだけで発達障害のない人よりも傷つくことが多く、二次障害を負ってしまう人も多くいます。社会が発達障害者向けにつくられていない以上、私たちは今までもこれからも人よりも多くのストレスにさらされながら生きていかざるをえません。その意味で私たちは、発達障害それ自体だけでなく、二次障害とも一生つきあっていく必要があるのかもしれません。それでも私たちは障害者である前にひとりの人間として、自分の生き方に対して経験と知識を積み重ね、成長していきます。仲間たちと苦労やノウハウを分かち合いながら、二次障害も乗りこなしながら生きていきたいと私は思っています。
2021年03月16日今年度は友達がグンと増え、穏やかに過ごせた一年でしたUpload By スガカズADHDの次男は、小3までクラスメイトや先生との関わりでハラハラすることばかりだったのですが、今年度の小4は先生やクラスメイトにもとても恵まれており、穏やかな時間を過ごせました。お陰で、クールダウンがとても上手くなり、友達を想いやる姿を見られた1年だと感じています。少し前のことです。次男に、「小学5年生になるの楽しみ?」と聞くと、「楽しみじゃない」と…。「どうして?勉強が難しくなるから?」とさらに聞くと、「違うよ。だって今の先生じゃなくなるし、友達とも別々になるから。次の担任の先生と合うかわからないから。自分は怒られたら逃げたくなってしまう。だから優しい先生が良い」という次男。自分を客観的に見られる様になってきたなぁと感心しました。発達障害のある子どもたちに必要な「合理的配慮」わが家の次男の場合次男が通う小学校は、1学年の人数が120名程度。年度の人数によって3クラスか4クラスに分けられます。1クラス30~40人程度の生徒を先生1人で受け持っており、おそらく学校側の配慮があり、毎年慎重に編成が行われているのだろうなと感じます。【気づき その1】次男と似ているタイプのお友達とは同じクラスにしない方が良さそうUpload By スガカズ次男は白黒思考で、自分の意に反したことを指摘されることを嫌います。自分なりの正義感をもっており、「これは良くないぞ」と思ったときに、人に指摘してしまいます。一度、似た特性をもったお友達とクラスメイトになった年があり、お互いの意見がぶつかり合ってしまいケンカが絶えませんでした。Upload By スガカズケンカが多いなら離れることも方法の一つなのだろうと思いますが、意見がぶつかり合うとき以外は気が合うので、いつも一緒にいます。ケンカする程仲が良いとはいいますが、親としては「いつ何が起こるのか分からない」と、ハラハラ続きでした。相手のお母さまとなかなか会えるタイミングがなかったのですが、初めてお話できた日は、お互い謝り続けていました…。【気づき その2】仲が良いお友達も場合によってはクラスが別の方が良いUpload By スガカズもともと仲の良い友達と同じクラスだと、話したいことがあったときに、友達のところへフラフラ~と向かってしまいます。また、次男を好いてくれている友達(定型発達のお子さんです)もいたりして、次男の後にいつもついてくる、なんてこともありました。そのときは、保護者会でお母さまに会った際、挨拶させていただき、お互いの家庭で子どもへの指導を合せる様にしました。【気づき その3】優しい女性か、若い男性の先生が合っているUpload By スガカズ次男は人の感情を敏感に察知するところがあり、怒られていると感じた際に、自分を守るために怒りで対抗していました。特に大人から言われると、威圧感を感じるようで、怒りが倍増します。小1、小2のころは、強めに注意される経験があったのですが、クールダウンのために頻繁に校庭や廊下でうろうろしたり、悪態をついたり物にあたる行為が目立ちました。友達に近い関係を築ける男性の先生か、物言いが穏やかな女性の先生だとそのような結果にはなりませんでした。きっと次男とは反対で、優しくされるよりも怒られる方が成長するお子さんもいるのだろうと思うので、相性は人それぞれで、難しいなと感じます。ここまでざっと振り返ってみましたが、改めて自分の息子の気難しさを感じました…。毎年配慮してクラス替えをしていただいていると感じ、本当に学校の先生方に感謝しかありません。何かあったときに逐一学校に報告、相談する大切さUpload By スガカズ私は、次男に関して何かあったときは、逐一学校に報告・相談をするよう心がけています。トラブルの背景なども詳しく伝え、相談をしているからか、先生から「お子さんたちそれぞれが落ち着いて学校生活を送るためにも、クラスメートへの影響を考えても、〇〇君や●●君と違うクラスにしたほうがよさそうですね」とおっしゃっていただくことがあり、私の考えと同意見であることが多くあります。もちろん「みんな違ってみんないい」ですし、子どもに対して大人の都合を押し付けているのではないか、と心苦しくなることもあります。でもトラブルを避け、落ち着いて学校生活を送れるようにするための環境整備は、子どもの育ち、学びのためにも大切な合理的な配慮ではないかと感じています。本当に仲の良い友達であれば、クラスが違っていても放課後一緒に遊ぶでしょうし、放課後であればわが家に呼んでやりとりを見守れます。来年は小学5年生、その次は最終学年の小学6年生…と、小学校生活も残り少なくなってきました。来年度もハラハラ、ドキドキ…だけど次男にとって楽しい学校生活になると良いなと願っています。
2021年03月15日他の子に迷惑かけるかも?Upload By ぼさ子自閉症のあるほぺろうは他人とのコミュニケーションが苦手なので、保育園に入るまで『他の子と一緒に遊ぼう』という意思が一切ありませんでした。他の子と関わったことがないので「お友達に優しく」とか「叩いちゃいけません」といった教訓に触れたこともありませんでした。そしてこの3歳のころは癇癪が強い時期で、発語がなく自分の気持ちを伝えられないイライラをぶつけていたのか、自宅では私を叩きつけたり髪の毛をむしったりという行動が見られていたので、余計によそのお子さんに危害が及ばないか心配でした。幸い、現在お世話になっている保育園は障害児受け入れの経験が多いこともあり、ほぺろうの癇癪っぷりを見ても動じない先生たちの様子から、初めて訪問したときから園への信頼は持つことができていました。なので、ほぺろうの入園準備期間に先生たちにたくさん相談に乗っていただきました。Upload By ぼさ子ほぺろうは加配希望で入園したので、加配の先生に目配りをお願いしたのと同時に、お友達やその保護者の方が心配する様子があれば先生に窓口になってもらって私に伝えてほしいと申し入れました。そして、ほぺろうの普段の様子・発達クリニックの記録・特性・対処法などをまとめたノートを先生に渡して情報共有し、今もそれは続いています。他の子との差に心折れるかも?私はもちろん折れました。同じ歳の子のみならず、歳下の子と比べても追いついていないわが子の現実に、ほぺろうが5歳になった今でも正直凹むことがあります!実は私、過去に少しだけですが保育施設でお手伝いしたことがありまして、その経験から学んだことがあります。それは、『障害がない子も発達の差はある』『どんな子も全員、手を焼くところ・良いところが必ずある』『どんな子も漏れなく可愛い』ということ。すべてにおいてパーフェクトなんていう子は一人もいませんでした。「障害のない子だって発達の差はあるし、しっかり大人の手を焼かせている」。そう思うと気がラクになりました。Upload By ぼさ子障害児を良く思わない人もいるかも?恥ずかしながら私は、ほぺろうを産むまで障害のある人に対して『よく分からない、あまり関わりたくない』と思っていました。なので今の環境で、ほぺろうのことを良く思わない人がいたとしても不思議ではありません。幸い今は優しい方たちに囲まれていますが、お友達も保護者の方もいろんな考え方があって当然。私の『ほぺろうを受け入れてほしい』という考え方も多様性の一つ、否定的な考え方があったとしてもそれも多様性の一つ…。そんな風に考えておくと、不必要に傷つくことが減ったように思えます。以前お世話になった保育施設の先生が『ほぺろう君の存在は集団にとって必要。他の子にとって気づきや優しさの勉強になる』と仰ってくださったことがあり、その言葉とそう考えてくれる人の存在に励まされました。Upload By ぼさ子私ができることとしては、他の保護者の方に会ったら「こんにちは」など普段の挨拶は欠かさず、気になることがあったときに話してくれやすいように気をつけています。そして「いつもお子さんがほぺろうと仲良くしてくれてありがとうございます」と感謝を伝えたりしています。年中の今では保育園を楽しめるようになったほぺろう入園したものの、適応するには相当な時間と労力がかかったほぺろう。朝は私となかなか離れられず、日中もちょっとしたことがキッカケですぐに癇癪。先生にもお友達にもたくさん迷惑をかけていたと思います。それでも周りの皆さんに助けられて、1年かかってようやく泣かずに登園できるようになりました。年中の今では保育園が楽しそう!以前は私から離れられず保育園の玄関でグズっていたのに、現在は私をサッサと締め出すまでに成長しました。Upload By ぼさ子LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年03月12日小学校時代、クラスで浮く存在だった息子Upload By かなしろにゃんこ。現在22歳のADHDと広汎性発達障害がある息子リュウ太は、変わっている子と小学校ではクラスで浮いた存在でした。先生の指示に従って課題に取り組むことをしなかったり、授業の準備をしなかったりと授業態度がよろしくない子でしたから、保護者会では担任の先生との話し合いで「授業面では短期目標を設定して取り組んでいけるようにしましょう」と指導目安を話し合ったりしてきました。しかし自由奔放でルールを守れないリュウ太には簡単な目標でもクリアすることが難しく、小学校卒業まで、1時間目から午後の授業まで、きちんと座って授業を受けることが達成できませんでした。このままじゃ中学ではどうなっちゃうんだろう?と心配でした。担任の先生に相談したところ...Upload By かなしろにゃんこ。6年生最後の保護者会で担任の先生に相談したところ、「中学校では発達障害があっても特別な配慮は期待できないことも多いです。少しは理解がある先生が増えてきましたが、小学校のようなフォローはない場合もあります。もしご心配ならば入学前に一度学校に相談に行かれるといいかもしれません」こうアドバイスをいただきました。相談なんてしていいの?「自分ちの子どもに配慮をお願いします!」とお願いしに行くって恐れ多いな~と思いましたが、中学生活が合わなくて孤立してしまい登校拒否になる恐れも考えて、小学校の卒業式後すぐに中学校に連絡してみました。挨拶に行った校長室で言われた言葉はUpload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。校長先生と新1年生の学年主任の先生が話を聞いてくれることになり、息子と二人で校長室にご挨拶に伺いました。落ち着きがない、物忘れが多いなどリュウ太の特性を伝え、課題を忘れたり、持ち物を忘れたりしてしまうので、帰りのホームルーム後に声掛けをしていただけないかお願いしました。注意するときはパニックがおさまってからにしてほしいとか、暴れたときはクールダウンスペースに誘導してほしいなど、本当はもっとたくさんお願いしたいことがありましたが「過保護な親」と思っているだろうな…いくつも頼んだら嫌がられそうだな…と思い1つだけにしたのです。ところが校長先生からは「発達障害があっても特別扱いはしません。生徒の自主性に任せているので個別のサポートはしません」と言われてしまいました。Upload By かなしろにゃんこ。発達障害の特性がある子は他にもいて、一人ひとりに配慮はできないから家庭でなんとかしてください、もし特別なサポートが必要な場合は精神科医と相談して決めるので学校が紹介する精神科に通院してください、ということでした。息子は精神科には通いたくないというし、コレはもうサポートは望めないとわかりました。学年主任のT先生は「部活をはじめて、運動などもしてみると良い変化があるかもしれませんから、様子をみながら指導しますよ」と言ってくれました。でも、きっと社交辞令だと思い、学年主任の先生の言葉をあまり期待しませんでした。Upload By かなしろにゃんこ。ところが実際に入学してみると...!?発達障害って、理解してもらおうとして伝えれば伝えるほど、過保護な親と捉えられてしまいがちです。見えない障害も障害ですから配慮を頼んでいいはずなのに、目の前でシャッターを下ろされる感じです。校長先生の言葉に、中学校ってハンデのある子にも容赦ない優しくない教育現場だったのかー…なんて落ち込み、学校に相談に行くんじゃなかったかもな~なんて思ってトボトボ帰ったのでした。ところが入学してみると学年主任の先生が担任となり、課題にはついていけていないリュウ太でしたが、学校には慣れて楽しんでいくようになったのです。Upload By かなしろにゃんこ。先生は教員には珍しい、真面目すぎない、いい意味でおちゃらけた方で、息子はすぐになつきました。先生のおもしろいエピソードを家で話すようになり、運動オンチなのにテニスにも挑戦してみよう!とテニス部にも入りました。やるべきことを指示通りにやらず、先生にこっぴどく叱られる厳しい指導も受けましたが、先生に嫌われたくないという思いがあったからか?先生の指示には耳を貸すようになっていったのでした。先生に怒られても先生の話をする様子から、学校は発達障害がある子に特別扱いはしないという方針だけれど、先生はリュウ太がクラスの中で浮かないように声をかけてくれたり、文化祭や体育祭で係りの仕事をさせて自己肯定感を上げるように取り組んでくれたりしていたことが見えてきました。入学前、学校に相談するんじゃなかった...と思っていた私ですが、あのとき相談しておいて、結果的に良かったかもしれないと考えるようになりました。中学では担任の先生と話すのは保護者会だけで、特別に指導相談もなかったため、学校の様子は子どもから聞く情報でしか分かりませんでした。ですが先生は学校の方針とは別に息子の様子をみて、「声かけ」のタイミングなどを判断して、いつも気にかけてくれていたのではないかと思います。これからお世話になる学校に「子どもに発達障害があります」と伝えるのはやっぱり勇気がいりました。どの場面でも言えば配慮がもらえるわけではありませんが、子どもの特性や苦手なこと、できないことは伝えておいたら、必要な支援を考えてくれるのかもしれないと思うようになりました。
2021年03月11日私には2人の息子がいます。次男は2歳のときに言語発達遅延、その後、自閉症スペクトラム障害だと診断されました。当時の私は発達障害についてまったく知識がなく、戸惑うばかり。夜な夜なインターネットで検索しては落ち込み、将来を悲観したり、枕を濡らしたこともありました。そんな私が障害をもつ次男にどう接してきたか、次男が二語文を話し出すまでの体験をお話しします。 言葉が減っていく次男次男の異変に気が付いたのは、2歳の誕生日を迎えたころでした。それまで順調に増えていた単語が、徐々に消えていったのです。言葉の爆発期といわれる時期に、単語を忘れていく次男。不安を感じていましたが、新たに覚える単語もあったため、私は気のせいだろうと思っていました。 そんなある日、ついに次男は「ママ」まで言えなくなってしまったのです。これはさすがにおかしいと感じ、藁にもすがる思いで市の発達相談窓口へ連絡しました。 すべての動作を言語化する市の発達相談窓口に相談すると、療育センター、専門医を紹介してもらえました。そこで私は次男を連れて、紹介してもらった専門医を受診しました。専門医からは、言葉を増やす転機となる重要なアドバイスを受けることができたのです。 それは、すべての動作を言語化すること。例えば、手を洗うときは「袖をまくって、水を出すよ。水が冷たいね。泡を付けて……」と説明しながら洗うというものです。これは、簡単に見えてなかなか精神的に大変でした。反応の薄い息子に向けて、1日中、実況中継しているようなものですから。 ついに、二語文が…!次男は電車が大好きで、駅までの散歩を日課にしていました。ある日いつもの通り電車を見に行くと、突然次男がこう言ったのです。「電車、きたね」。待ちに待った二語文。 私は目に涙をうかべながら、「うんうん、そうだね。電車きたね。きたって言えてすごいよ!」と何度も何度も次男をほめました。この日の出来事は、一生忘れないと思います。長男のときは成長過程の1つだと感じていた二語文ですが、次男にとっては本当に大きな一歩でした。 次男はその後も少しずつ言葉が増え、自分の思いを相手に伝えられるようになりました。今、4歳の次男は幼稚園の人気者。先生や友だちに愛されて、笑顔あふれる日々を過ごしています。まだ会話の受け答えはうまくはありませんが、これからもたくさん話しかけて、次男らしく元気に過ごせるようサポートしていきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日なりますように! 監修/助産師REIKO著者:中田りこ8歳と4歳の兄弟の母。次男は自閉症スペクトラム障害。教育業界を退職後、現在は実家の家業を手伝っている。
2021年03月10日まだまだ発生するパニック。広汎性発達障害の娘は、小学4年生。来月には5年生になりますが、パニックはまだまだ発生しております。特に多いのが、宿題に関する忘れ物のパニック。プリントや教科書を忘れると、この世の終わりかというくらい泣いてしまいます。Upload By SAKURA娘にとって忘れものは、この世の終わりに匹敵するほどの悲しみなのです。国語の教科書を忘れて、宿題ができない!つい先日も帰宅後、音読の宿題をしようとして、国語の教科書を忘れたことに気がつきました。Upload By SAKURAこんなとき、感情的に「仕方ないでしょ!」と言っても、娘にはあまり効果がありません。Upload By SAKURAこういうとき、私はいつも娘にどうしたいかを聞くようにしています。Upload By SAKURA希望を聞いても、叶えられないこともある。娘は、学校に教科書を取りに行きたいと言いました。しかし、この日は学校の後に放課後等デイサービスに通った日だったので、このときすでに夕方の6時すぎ...学校も閉まっているだろうし、この時間から学校に物を取りに行くことはさすがにできません。私は娘にそのことを説明しました。Upload By SAKURAどうしたいか聞きはしますが、叶えられないこともあります。一つひとつ娘の要求が不可能なことを説明していくと、今度は謝り始めます。Upload By SAKURAこの『ごめんなさい』は、私に対する謝罪ではなく、ミスをした自分が許せず、発している言葉。娘は『ごめんなさい』と言った後は、黙り込んでしまいました。できることを提案。そこで私は、一つ提案しました。Upload By SAKURA提案は、受け入れてほしいという思いよりは、ただ「こういう方法もあるよ」と教える感じでするようにしています。無理強いはもちろんしません。最終的には、時間がかかっても、娘に決めてもらいます。学校で先生に説明して...次の日、私はいつもより早く娘を学校に送りました。念のため事の経緯を連絡帳には細かく書いていましたが、まだ娘の気持ちが凹んでいたので、学校の中まで付き添いました。教室に行く途中、去年まで娘の特別支援学級の担任をしてくれていた先生にばったりあったので、経緯を説明。Upload By SAKURA娘の特性をよく理解している先生のおかげで安心した娘は笑顔になり、私は学校を後にしました。パニックが起きた後、自分で抜け出せるように。宿題を忘れるぐらい...と思われるかもしれませんが、娘にとって宿題を忘れるということは許せないこと。その気持ちが、パニックを起こしてしまいます。ただ、人生、予想外の事態はつきもの。パニックが起きないように回避することもできますが、自分でそこから抜け出す力を身につけるのも必要なことだと、私は思っています。パニックが起きたとき、そこからどうするかを自分で見つけることができるようにすることは、娘の将来に必要なことです。今はできる限りのサポートをして、同じようなシチュエーションで練習をして、娘の経験にしたいと思っています。
2021年03月10日3月21日は「世界ダウン症の日」。ダウン症啓発月間にあわせて、日本ダウン症協会がポスターを配布中!Upload By 発達ナビニュース3月21日は国連の定めた「世界ダウン症の日」、また3月は日本ダウン症協会(JDS)が定めた「ダウン症啓発月間」です。「世界ダウン症の日」は、2011年に国連総会で制定されました。ダウン症(21トリソミー)は、「21」番染色体が「3」本あることで起こることから、3月21日となっています。2012年3月21日から毎年、「世界ダウン症の日」に向けてダウン症のある人たちがその人らしく、安心して暮らしていけるよう、日本中・世界中で啓発イベントが行われています。日本ダウン症協会でも、いまを生きているダウン症のある方をフォーカスし、毎年啓発ポスターを制作、送付料も含め無料で全国に配布しています。今年のテーマは、「つながると、嬉しい。誰だって。誰とだって。」ーーダウン症のある方の生活のさまざまを表現できるように、ダウン症のある方の「この1枚」を公募して作成されました。生後間もない赤ちゃんからから41歳まで、幅広い年代の方々の写真が掲載されているポスターは、メールやFAX、はがきからお申し込みいただけます。実話をもとに、自閉症スペクトラムの息子と父の絆を描く『旅立つ息子へ』(3/26公開)Upload By 発達ナビニュース『旅立つ息子へ』は、実話をもとに自閉症スペクトラムのある息子と父の絆を描いた作品です。監督はイスラエルを代表する巨匠ニル・ベルグマン。東京国際映画祭では、史上初にして唯一の二度のグランプリ受賞の快挙を果たしました。本作のストーリーで主役をつとめる、父アハロンは自閉症スペクトラムのある息子ウリのために人生を捧げていました。しかし、別居中の妻タマラが息子の将来を心配し、全寮制の支援施設への入所を決めたことから物語は始まります。定収入のないアハロンは養育不適合と判断され、裁判所の決定に従うしかありませんでした。しかし、入所の日、ウリは大好きな父との別れにパニックを起こしてしまいます。アハロンは「息子は自分が守る―」と決意し、2人の無謀な逃避行が始まります。本作品を担当した脚本家の、父親と自閉症の弟がモデルとなっている映画です。互いを信じ、思い合う姿が切なくも愛おしく描かれています。特別な絆で結ばれた2人の旅立ちを、ぜひ劇場で見届けてください。【公開日時】2021年03月26日(金)TOHOシネマズ シャンテほか全国公開※公開劇場はHPでご確認ください。映画公開を記念し、児童精神科医・田中康雄先生、NPO法人ファザーリング・ジャパン メインマンプロジェクト・リーダー橘謙太さん、発達ナビ編集長・牟田による座談会を開催します。【日次】2021年3月14日(日)10:00~11:00youtubeで配信予定!どなたでもご覧いただけます。障害のある人たちが活躍するチョコレート店『久遠チョコレート』をご紹介!Upload By 発達ナビニュース愛知県豊橋市を拠点に全国展開するチョコレート店「久遠チョコレート」は、グループ全体で約500人いる従業員のうち、半数以上の方に障害があります。代表の夏目さんが障害のある人の賃金問題に関心をもったことをきっかけに始まった「久遠チョコレート」。働く時間や仕事の内容は、一人ひとりの事情に合わせており、給料は障害のある人も定型発達の人も全員同じで、時給950円以上です。さまざまな背景をもつ人たちが力をあわせて、トップブランドを目指している「久遠チョコレート」。日本一のチョコレートの祭典であり、世界中の一流ブランドのチョコレートが並ぶJR名古屋タカシマヤの「アムール・デュ・ショコラ」にも、4年連続で出店しています。看板商品のテリーヌチョコレートは、厳選したカカオと日本各地の食材をあわせてつくられていて、その組み合わせは150種類以上。こだわりの詰まった商品が「久遠チョコレート」ファンを増やし、各地に出店が続いています。ぜひ、近くのお店やデリバリー情報をチェックしてみてください。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年03月10日いじめが続いて気づいた「これは私に問題がある」東京・目黒に生まれたコッピーさんは、研究者の父と専業主婦の母、それに姉の4人家族。「外交的だった」小学生の頃から、生きづらさを抱えていたという。「小4ぐらいのときに、お腹が痛くなることが増えました。今思えば仮病のようなもので、保健室によく行っていました。無理矢理休もうとしていたんですよね。友達もいたし、なんなら中心的な存在で楽しかったんですけど、今思えばその空間がつらかったというか……。朝から夕方まで椅子に座ってじっとしているっていうのがつらかったんじゃないのかなって。たぶん教室にいられなかったのかな」(コッピーさん)Upload By 桑山 知之女性のASDは男性よりも分かりづらいという。コッピーさんはその正義感の強さから、廊下を走る上級生などにも物怖じせず注意していた。「今考えれば、ASD特性も出ていたのかな」と当時を振り返る。さらに都内にある中高一貫の私立女子校に進学すると、いじめの標的にされてしまう。「中1の春からいじめに遭いました。仲良かったグループから仲間外れにされることがあって。なんか話しかけても無視されたり、目の前でヒソヒソ言われたり。仲良くなった別の子もいじめの主犯格で、その子にもガッツリいじめられました。廊下ですれ違うと舌打ちされたり、ブスって言われたりしました。それを相談してた相手も実はいじめっ子とつるんでいて、『裏でアイツこんなこと言ってたよ』って面白がっていたみたいで……それを最終的に知って人間不信になりました」(コッピーさん)Upload By 桑山 知之その後も、グループに所属しては仲間外れにされることがあった。「これはたまたま失敗したのではなく、私に問題がある」――。そう気づいたコッピーさんは、そこからどうしたら人間関係をうまく結べるのかを考えるようになった。悪目立ちをしないように、無難に会話をやり過ごすといった“暗黙の了解”を学び始めたのだった。マルチタスクができない夢のために受験へ中高一貫校だったが、高校2年の頃に週に4日通えばOKだという単位制の私立高校に編入した。ADHDの症状として多くみられる過眠症はコッピーさんも例外ではなかったが、授業のコマも好きに組むことができることで朝もゆっくり過ごせるようになった。クラスメイトは「ギャルみたいな子」がいて怖かったものの、コッピーさんも髪を染めるなどして適応。そして、アルバイトをやってみたいと思い立つ。Upload By 桑山 知之「コンビニバイトが簡単だって聞いたからやっていたんですけど、意外と覚えることが多くて、マルチタスクなんですよ。それが致命的にできなかったんですよね。年上のお姉さんとかにすごく怒られて。品出し(商品を陳列すること)している最中に列ができちゃっていて、だけどまったく気づかなくて。ハッとして走っていくんですけど、そのあとめっちゃ怒られる。あとお金の勘定ミスがすごくて、マイナス5000円とか出しちゃうんですよ。けっこう深刻に悩んでいたんですけど、フリーターの上の人に自腹を促されて、泣く泣く支払ったりしていました」(コッピーさん)その後、制服がかわいいということでカフェでのバイトに切り替えたが、結局マルチタスクをこなさなければならない状況は変わらなかった。そんな17歳という悩み多き頃、気になった邦画を片っ端からレンタルしていたとき、とある映画に出会う。舞台はタイ。臓器移植や人身売買などを描いた『闇の子供たち』(監督:阪本順治、原作:梁石日)だ。「子どもたちが人身売買されている現状が描かれていて、売春のシーンもあったり、めちゃくちゃ衝撃的なんですね。私は人間関係とかしょうもないこととかで悩んでいるけれど、こんな壮絶な状況の人がいるんだって衝撃を受けました。私の悩みは贅沢な悩みだったんだなって。今思えばそれぞれの立場があってそれぞれの悩みがあるんだって思うんですけど。当時はすごく罪悪感に近いものを感じたんですね。普通に暮らしていることに不満を持って、途上国支援がしたいと思いました」(コッピーさん)国際協力や途上国支援ができるような仕事に就きたいと志すも、それには大学を出る必要があると感じたコッピーさんは、死ぬ気で受験勉強に励んだ。友達付き合いも一切やめ、インターネットはすべて遮断。集中力などとっくに切れているのに、1日に十何時間も机にへばりついていた。精神的に病みかけながら臨んだ受験当日、周囲の他の受験生が気になった。「第一志望の受験の日に覚えているのは、近くの人が貧乏揺すりをしていたんですよ。それがずっと気になっちゃって。あと、ページをペラペラめくる音が気になったり、試験官がどこにいるかとか、些細な刺激が気になって、ずっと集中できませんでした」(コッピーさん)Upload By 桑山 知之自分と向き合うということ行き着いた「マイノリティの尊重」カンボジアやミャンマーなど、東南アジア諸国を実際に自分の目で見た。しかし、“この人生を歩んできた私”がそこで働く必然性をなかなか見出せなかった。大学のカリキュラムに加え、児童養護施設でのボランティアや、雑誌『ビッグイシュー』のインターンシップにも自主的に参加した。国内の貧困問題を学んだ末、「貧困」と「人間関係」には密接な関わりがあると感じた。不登校児を専門に対象とする『東京家学』で家庭教師も経験した。こうして“自分が関わるべき必然性”を追求していった結果、日本での社会問題に目を向けること、さらに当事者と研究者両方の視点での発達心理学にたどり着いた。Upload By 桑山 知之「心理学で『アタッチメント理論』っていうものがあって。簡単に言うと、初期にお母さんと言うか主な養育者との間に築いた関係性は、生涯に渡って人間関係に応用されていくよって言うこと。それぐらい1番最初の人間関係って大事だと。家庭環境でつまずくと、その後の人生にまで影響があるって衝撃だったんですよね。家庭環境のように、自分にはどうにもできないのに人生に影響してしまう要因がたくさんあるのに、世の中ではほとんど考慮されていないことに大きな違和感を覚えたんです。それって貧困とか障害に関してもそうですが、『みんな頑張っているんだからあなたも文句言わずに頑張れ』という世の中のスタンスに、それはおかしいぞって思うようになって、心理学的観点から自分の障害についても向き合っていきたいと思うようになりました」(コッピーさん)Upload By 桑山 知之修士論文のテーマは「成人期のADHD者の質的研究」。レジリエンス(逆境から適応に至る現象)について、ADHDの人はどういうプロセスで適応するのかを当事者へのインタビューを通してまとめ上げた。現在、コッピーさんは東京大学大学院で心理学博士課程の1年。一般就労をしているADHDのある人に適応状態や働き方をヒアリングし、論文にまとめている。「社会に出たADHDのある人ってどうやって生活しているんだろう?というのがすごくあったんですね。でも、スティグマ(負のレッテル)のせいで公表しながら生活している人にまったく出会えない状態だったので、じゃあみんなコソコソどうやって生活しているんだ?というのが、疑問のスタートでした。正直怖さもあって向き合ってこなかった部分で、感情移入しすぎてしまわないかと思ったんです。なんかもう世の中ひどい、辛いみたいな気持ちになるかなって避けていたんですけど、それをテーマにすることで発達障害に関する知識が深まりました。私自身、ASDだったかもしれない、かつてその傾向が強く出ていたかもしれないってことも、そこまで深くやらないとわからないことだったと思うので、結果的にたどり着いてよかったなと思います」(コッピーさん)Upload By 桑山 知之「しっくりきた」両親マイノリティ尊重する働きかけをコッピーさんは発達障害について研究を続ける傍ら、「ブラインド当事者会」と題しTwitter上で当事者同士が情報を交換するハブになるなど、少しでも生きやすい世の中になるように活動している。「多様な立場の人のことをインプットする。自分が想像できないぐらい違う感じ方の人がいて、それも網羅できないぐらいいるんです。発達障害に限らず、マイノリティを尊重することであったり、想像力を働かせる方向に、そういうことができる人を育てるような働きかけができたらいいなって思っています」(コッピーさん)Upload By 桑山 知之コッピーさんが自らを障害者だと名乗ることについて、「両親はきっと当初、自分たちの子育てが否定されたように感じ、抵抗があったのではないか」と言う。しかし、時間をかけて説明した。過去のコッピーさんの行動が発達障害の特性として体系的に説明されていくにつれ、「しっくりきている」のが目に見えてわかった。今となっては両親とも、コッピーさんの取り組みの社会的意義を理解した上で応援してくれていると言う。将来的には、心理学の授業を通じてあらゆる社会問題を考えていくような授業ができるようになりたいと語るコッピーさん。多様な立場の人のことをインプットできる授業を通して、自分が想像できないくらい違う感じ方をする人達が網羅できない程いるんだという感覚を持つことで、相手のことを決めつけずに思いやりを持って接することができるような人が増えて欲しいと願っているそうだ。Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海
2021年03月09日今のわが家に幼児はいないけれど…!?Upload By 丸山さとこ子どもを育てていると、メンバーは入れ替わりつつもずっと家の一角を占めるものがあります。園や学校の鞄や服・本・各種サイズの絆創膏などいろいろある中でひときわ存在感を放つのがおもちゃたちです。発達の段階が変わることで興味を失ったり、単に飽きてしまったりと入れ替わりの激しいおもちゃたちの中でも、小さなブロックやゲーム機などのように”息の長いおもちゃ”もいろいろあると思います。わが家にもかれこれ10年近く存在しているおもちゃがあります。差し込んだりしてつなげられるタイプの知育ブロックです。1歳半から遊べるセットもあるその知育ブロックを最初に買ったのは、コウが2歳の誕生日を迎えたときでした。Upload By 丸山さとこニューブロック小さいブロックのほうが長く遊ぶだろうと思っていた私としては意外な息の長さなのですが、大きさがあるからこそいろいろな発想で組み合わせを楽しめているようです。先日は「筋肉が動く仕組みが分かる模型」をつくって実演してくれました。筋肉が縮んで膨らみ、関節が動くところが上手に表現されていて、数個のブロックで面白いものがつくれるんだな~と感心しました。何かをつくっては「できたよー」と見せに来るコウ。『特徴を捉えていて中々上手いものだなぁ』と楽しんでいたら、新作を手にして意気揚々とコウがやってきました。自信ありげに「分かる?」と差し出された作品がこちらです。Upload By 丸山さとこ見た瞬間「あっ!!分かる!!」となった一品です。何をつくったのかは分かったものの、名前がスッと出てこない私が「あれでしょ?あの…薬をゴリゴリすり潰すやつでしょ!?」と大雑把な答えを言うと、コウは「そうだよー」と笑顔で頷いてくれました。(後に調べて”薬研・やげん”だと分かりました。次にこの知識を使う機会はいつなのでしょうか…?)何歳になっても幼児用ブロックは楽しめる!?いろいろとコウの作品を見ている内に「これをこうしたらアレがつくれるんじゃない?」と手を伸ばし始めたりして、気がつけば私も一緒になってブロック遊びをしていることもしばしばです。そんな風に一緒になって遊んでいると、”現役の幼児”だったころや低学年のころのことが思い出されます。Upload By 丸山さとこ「誰かと一緒に遊ぶなんてことができるようになったんだなぁ」「相談しながらつくったり、意見を主張したり譲ったりできるようになったなんて凄いことだなぁ」…と、コウの変化に思いを馳せながら、子どもと同じノリでブロック遊びに夢中になってしまう私でした。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年03月08日障害がある人の就労スキルを評価!ーー『発達障害の人の就労アセスメントツール』発達障害がある人は、仕事自体はできても、いわゆる「常識」と呼ばれるような生活ルールを守ったり、あるいは良好な対人関係を築くことが難しかったりすることがあり、そのせいで就労に支障をきたす場合があります。本書のベースとなっている「就労アセスメントツール」(BWAP2)は、元々は知的障害がある人の就労課題を評価するもので、仕事のハードスキルだけではなく、ソフトスキルが把握でき、障害の程度や課題、支援ニーズを明確に見出せるツールです。障害者職業総合センター研究員を経て、多くの障害者就労問題・課題に関わってきた梅永雄二先生が手がけた本書、『発達障害の人の就労アセスメントツール』は、誰でもできる簡易なアセスメントで、職場や作業所など多様な現場で活用でき、個々の能力・特性にあった支援を行う手助けとなる1冊です。支援に携わる人など、アセスメントについて関心がある方にぜひおすすめしたい一冊です。困難に直面しても立ち直る力を育む!ーー『「たすけて!」は生きぬくための合言葉 レジリエンスが育つ たすけ合い体感ゲーム』レジリエンスとは、困難に直面して落ち込んでも立ち直る心の力のことです。そんなレジリエンスについて着目した本書。著者は、小学校の教師として多くの子どもたちと関わりながら、「子どものレジリエンス研究会」の代表も務める上島博さん。上島さんは、変化が激しい今の時代の子どもにとって、失敗してもそれを糧として成長していく、しなやかでへこたれない心の力は必要不可欠だと語ります。本書は『たすけ合い体感ゲーム』といったゲームを通じて、レジリエンスについて学べる仕組みが整えられています。ゲームをしていくうちに、「たすけて!」と声に出すのは決してはずかしいことではないことや、困っている人をたすけられたら自分も幸せな気持ちになれること、が自然とインプットされていきます。子どもの生きやすさ、成長を考えるうえで非常に参考になる一冊です。睡眠についての最新研究をご紹介ーー「発達障害当事者の睡眠困難と発達支援の研究」近年、子どもや若者の生活リズムの乱れや心身の不調が大きな問題となっています。その背景としてあげられるのが、睡眠時間の短縮や夜型化です。現代のこども・若者の睡眠困難に着目する中で、発達障害当事者の多くが何らかの睡眠困難を有していることがわかっています。本書は、そんな発達障害当事者が有する睡眠困難の実態や支援ニーズを解明し、発達支援の課題を明らかにすることを目的として執筆されました。本書は国内外の論文から、最新の睡眠困難についての研究動向を紹介すると同時に、学齢期や成人期など年代ごとに起こりうる睡眠困難について研究を深め、支援方法を検討しています。子どもの睡眠困難に悩む保護者の方や、支援に携わる方に読んでいただきたい一冊です。
2021年03月06日1歳半健診とは?1歳半健診は「1歳6か月児健康診査」といい、各市町村の保健センターなどで主に集団で行われ、1歳半~2歳の間に受ける乳幼児健診の一つです。日本の乳幼児健診事業は、母子保健法に基づいて実施されています。1歳6か月児(1歳半児)および3歳児を対象とする健診は、「法定健診」ともいわれています。母子健康法第十二条 市町村は、次に掲げる者に対し、厚生労働省令の定めるところにより、健康診査を行わなければならない。一 満一歳六か月を超え満二歳に達しない幼児二 満三歳を超え満四歳に達しない幼児第二十一条 市町村が行う第十二条第一項の規定による健康診査に要する費用及び第二十条の規定による措置に要する費用は、当該市町村の支弁とする。乳幼児健診は、長い歴史と住民の高い理解の中で、現在でも受診率が非常に高くなっています。「法定健診」のほとんどは集団健診で実施されていますが、個別健診の割合も少しずつ高くなっているようです。そして健診の対象時期や、集団健診か個別健診かの実施方法は、市町村によって異なってきます。また、費用は自治体負担のため原則無料となっていますが、住んでいる地域の自治体ホームページなどで確認する必要があります。1歳半健診を行う目的は、厚生労働省によって下記のように定められています。“幼児初期の身体発育、精神発達の面で歩行や言語等発達の標識が容易に得られる一歳六か月児のすべてに対して健康診査を実施することにより、運動機能、視聴覚等の障害、精神発達の遅延等障害を持った児童を早期に発見し、適切な指導を行い、心身障害の進行を未然に防止するとともに、生活習慣の自立、むし歯の予防、幼児の栄養及び育児に関する指導を行い、もって幼児の健康の保持及び増進を図ることを目的とする。”まとめると、1.子どもの体の健康、発達の確認2.子どもの心の健康、発達の確認3.疾患の有無4.子どもとその保護者のサポートとなりますが、1歳半健診以前のものと比べて大きく違うのは、体の成長だけでなく、運動面、言語、生活習慣、社会性を診ることも目的となっており、子どもの「心の発達」も診査するということです。1歳半は、心身の発達に大きな差が出てくる時期。発達がゆっくりであれば、早期に働きかけることが必要となってきます。1歳半健診で子どもの発達状況をしっかり把握しておくことは、とても重要です。このコラムでは、おもに1歳半健診の発達に関する検査項目やその内容、検査の結果発達について指摘された場合どうすればいいのかを、詳しく紹介していきます。1歳半健診のおおよその健診内容や持ち物、待ち時間過ごし方などについては、「1歳半健診、積み木や指差しどんなことを診ているの?診査内容や目的、持ち物の工夫など」で詳しく触れています。1歳半健診では、具体的に下記の項目で子どもの様子を診ていきます。事前に保護者からの発育、発達に関するアンケートに担当医師が目を通し、それをもとに健診、問診を行います。・身体発達状況身長や体重、栄養状態や、背骨や胸、皮膚、口腔内に疾病がないか。また、手足がしっかり動き、歩行や運動および指先の協調運動ができているか、など。・精神発達の状況言葉の発達の遅れ(意味のある言葉を言えているか)、視線(しっかり見るか、追視できているか)、呼びかけへの反応など。・予防接種やその他の疾病の状況これまでの予防接種の実施状況、上記以外の疾病や異常がないか。・その他育児上問題となる事項生活習慣の自立、社会性の発達、しつけ、食事、事故など。1歳半健診を含む乳幼児健診は、「命を守る子育て健康支援」の根幹であると考えられています。その子どもに今後どのような医療的配慮、あるいはどのような発達支援が必要かを考えていく大切な材料となります。そして全国で標準化された健診が実施されれば、発育や発達の遅れを発見できるだけでなく、地域のすべての親子とつながることができ、児童虐待予防にもなります。そしてその健診データを利用し、よりよい健診事業、支援事業を広げていくことができます。発達に関する診査にはどんな項目がある?1歳半健診を前に、「ことばに遅れがある」「なかなか歩かない」など、わが子に関する発達の不安を抱える保護者も少なくありません。1歳半健診では、発達を診る項目にはどんなものがあるのか、子どものなにを診ているのかを紹介します。歯科検診、身体測定や身体診察の内容については、「1歳半健診、積み木や指差しどんなことを診ているの?診査内容や目的、持ち物の工夫など」のコラムで詳しく紹介されています。「育てにくさ」や「子育てへの不安」を感じる原因はさまざまですが、一部には発達障害などが原因になっている場合があります。2004年に制定された「発達障碍者支援法」の中で市町村が発達障害の早期発見に十分留意することが定められ、健診においても発達障害に適切に対応することが求められるようになりました。集団検診という限られた時間の中で、効率よく見落としがないよう、ポイントを絞り込んで診察が行える工夫もされています。発達面の診察・問診を行う際、主にどこにポイントを絞って診るのでしょうか。いくつか紹介していきます。◎運動発達面・歩行できているか・手足の動きがぎこちなくつっぱった感じがあるか・手を引かれて階段を上ることができるか・手先を使ってどのようなことができるか(指先の協調)…積み木を積む、積み木を打ち合わせて音が出せるか、殴り書きなど◎言語発達・理解面・絵本を見て知っているものを指さすか・大人の言う簡単な言葉が分かるか(おいで、ねんね、ちょうだい、など)・ママ・ブーブーなど意味のある言葉をいくつか話すか(有意語)◎社会性(周囲への関心)・コミュニケーション面・うしろから名前を呼んだとき振り向くか(呼びかけへの反応)・視線が合うか、追視するか・大人の真似をしたがるか・周囲の人や他の子どもたちに関心を示すか特に「有意語が出ない」場合は知的能力障害(運動発達の遅れも伴っていることが多い)や自閉スペクトラム症などの社会性の障害の可能性、また「呼んでも振り向かない」場合、知的能力障害、自閉スペクトラム症、聴覚障害という可能性が考えられます。このほかにも「排泄のしつけを始めているか」「自分でコップを持って水を飲めるか」「かんが強く泣きいったりすることがあるか」「おとなしすぎると思ったことがあるか」など、生活面や情緒面における発達についても、問診で確認します。参考:参考資料3 乳幼児健診に用いられる標準的な様式 | 厚生労働省1歳半健診にて活用されることがあるお子さんの発達を評価する指標の1つとして、『M-CHAT(Modifield Checklist for Autism in Toddlers)』が導入されている地域もあります。M-CHATは、自閉スペクトラム症の特性を早期にスクリーニングする目的で使用されます。全23問の質問で構成され、親が「はい」「いいえ」で答える形式です。3項目以上が不通過、または重要10項目とされるもののうち1項目以上不通過だった場合には、1ヶ月ほどの期間をおいて保健師が電話などで状況の確認を行い、その後必要な支援へと適切につなげていきます。参考:国立障害者リハビリテーションセンターホームページ様子を見ましょうといわれたら?一連の発達検査を終え、「少し様子を見ましょう(経過観察)」あるいは「しかるべき機関で診てもらった方がいい」と助言されるケースもあります。少なからず発達に不安のあった親は、さらなる不安でいっぱいになってしまいそうですが、家庭だけで抱え込まずに、身近で受けられる支援を受けながら子どもの育ちを見守っていくことが大切です。適切な支援、サポート方法や受けられる施設、機関は必ず見つかります。「様子を見ましょう」といわれるケースに中には、「ことばの遅れ」や「親子のコミュニケーションが取れない」など、言語発達、社会性・コミュニケーションが気になるという方が多いようです。1歳半健診で発達が気になる点があった場合、その後の子どもの発達を電話相談や個別の検査等によって見守ります。経過観察の期間や方法については、その地域や子どもの特性によって異なりますが、経過観察を受けることによって、1歳半健診では分からなかったことや、今後の発達・子育て支援のアフターフォローに繋げていくことができます。市町村窓口は、子育て支援や福祉サービス等に関する身近な相談・申請窓口の役割を果たしますが、今後子どもに必要な支援を申請する際に必要な書類や意見書の作成、より専門的な相談や支援に応じるのは、以下の専門機関になります。・地域の児童発達支援センター・子ども発達支援センター週3~5日の通園グループ指導、個別指導(ST、OT、PTなどのリハビリや親子グループ指導)などの療育、地域支援(保育所等訪問支援等)を受けることができます。児童通所受給者証(受給者証)が必要なので、事前に自治体の窓口に相談します。受けられる支援内容については各センターによっても異なるので、詳細は問い合わせて確認しましょう。・発達障害者支援センター発達障害児(者)への支援を行う専門的機関。発達障害児(者)とその家族、関係機関等から、日常生活のこと、家庭での療育方法のことなど、さまざまな相談に応じてくれます。必要であれば、保健、医療、福祉、教育など関係機関への紹介、福祉制度やその利用方法も教えてくれます。・療育センター心身の発達に遅れや障害があったり、その心配がある子どもと家族のために医療、福祉、相談等の必要な支援を行うとともに、障害のある人の自立を支援する総合的な施設。障害者総合支援法に基づく障害者支援施設、児童福祉法に基づく福祉型障害児入所施設および障害児通所支援事業所や診療所が併設されている場合があります。・発達障害の専門医療機関心理検査や小児神経疾患など発達障害に関連する診療を行う医療機関です。ホームページに発達障害医療機関リストを掲載している自治体もあるので、子どもの特性に合った、あるいは自宅から近い医療機関を探すことができます。・児童相談所0~17歳の児童を対象として、保健相談・発達障害などの心身障害相談を行います。必要に応じて発達検査も行い、医師や児童福祉士、保健師、児童心理士、言語聴覚士などの支援や療育を受けられたり、アドバイスももらえます。また、療育手帳の申請受付、判定、発行も行っています。実際に様子見(要経過観察)といわれた後、どのような事後フォロー(療育やサポート)が受けられるのかは、自治体によっても異なります。ここでは「ことばの遅れ」と「コミュニケーション困難」を例に挙げて紹介します。◎ことばの遅れ・地域の発達支援センター主催の「遊びの教室」に定期的に通い、子ども同士遊ばせることで、少しずつ言葉を引き出していく。(神奈川県横須賀市の場合)・発達支援センターで個別の言語リハビリを受け、簡単なゲームや遊びの中で言葉を増やしていく。・家庭では、「よく噛んで食べる、笛を吹く(構音を良くする)」「絵本の読み聞かせなど、なるべく言葉をたくさん聞かせる」「語りかけるときは、短く分かりやすい言葉で」「なるべくテレビやDVDなどからの一方的な語りかけにならないようにする」などの指導を行う。実物やイラストを見せながら話しかけるなど、言葉以外の手段も活用して子どもにとってわかりやすい伝え方を心がける。◎コミュニケーションが取れない・地域の発達センターの通園型グループ指導に定期的に通い、身体を動かす遊び、感覚あそびなど、集団での共通行動を通じて、親や友達とのかかわりを構築していく。・家庭では、「どうぞ、ちょうだい」などのやり取り、親の動作を真似させる、「積み木を積んでみようか」「箱に入れてみようか」など簡単な指示に従いながら人の話を聞いて実行することなどを教えていく。「ことばの遅れ」や「コミュニケーションが取れない」背景にはさまざまな要因が考えられます。専門医療機関などでその原因を調べることで、より子どもに合った療育やサポートを受けることができます。また、地域の子育て支援施設などでは保護者に対するケアも行っているので、子育てに関する悩みや、感じている不安なども相談してみましょう。神経学的発達および精神発達遅滞の疑いある場合は、療育相談において、医療機関からの発達専門医による2次スクリーニングを行う。また、3次スクリーニングとしては、専門医療機関、児童相談所が位置付けられているが、市町村における1次スクリーニングでの結果によっては、直ちに、この専門機関に紹介されることもある。参考:乳幼児健康診査の事後フォロー横須賀市 | 厚生労働省自治体、市町村窓口からの紹介がないケースもあります。ほかにはどのようなところで相談・療育を受けられるのでしょうか。いくつか紹介していきます。・児童精神科のある病院総合病院であれば発達相談だけでなく、他の疾病や眼科・耳鼻科・歯科など、総合的な相談や診療も受けることができます。東京都立小児総合医療センター横浜市立大学附属市民総合医療センター小児総合医療センター・大学内で行っている療育附属施設で子どもの発達に関する研究と相談・治療を行っている大学もあります。発達相談の対象年齢は乳幼児から思春期と幅広く、発達に心配のある子どもに対して、診断や発達の状況に応じた適切な治療教育、心理指導や両親の相談カウンセリングなどを行っています。岩手大学人文社会科学部 こころの相談センター明星大学 心理相談センター・特別支援学校や併設研究所での療育相談特別支援学校やその中にある研究施設などで、療育相談を行っているところもあります。支援学校が蓄積してきた教育支援のノウハウを活用し、発達の遅れに不安のある子どもへの支援を目的としています。東京学芸大学特別支援教育・教育臨床サポートセンター「発達障害相談のご案内」(附属特別支援学校 発達障害相談)東京都立羽村特別支援学校発達相談・加配の先生とは1歳半健診で発達に気なる点があった子が園生活を送る際に、手厚い配慮があると安心です。加配の先生とは、保育所等で障害児保育を行う場合、その対象となる子どもがスムーズに園生活を送ることができるよう、個別の配慮を行いながら生活の手助けをするために、通常の配置基準に追加して配置される先生のことです。市区町村の「保育に関する課」などに、「子どもにこのような心配があるので、障害児保育や加配の先生について教えてほしい」と問い合わせれば、申し込み方法や面接など、手続きや申請について教えてくれます。自治体によって加配を付けるための基準はさまざまなので、前もって確認する必要があります。・保育所等訪問支援保育所等訪問支援とは、発達の気になる子どもや障害児が通う保育所等に、専門の支援スタッフが定期的に訪問し、必要な支援やアドバイスを行う支援です。支援スタッフが訪問先で子ども本人への「直接支援」と、子どもと関わる職員(先生)への助言やサポートをするなどの「間接支援」を行います。申請方法や利用料なども自治体によって変わるので、事前確認が必要です。参考:保育所等訪問支援の効果的な実施を 図るための手引書 | 厚生労働省まとめ1歳6か月は、人間の発達において、脳幹支配から大脳支配が優位となる時期といわれています。具体的には、アイコンタクト、呼名反応、模倣(大人の動作を真似るなど)、注意喚起(親の注意を自分にひきつける)、共同注意(親の視線を目で追ったり、自分の興味あるものを指さしで親に伝えるなど)、見立て遊びが増えるなどの順を追って、社会性やことばを獲得していく時期です。もちろん個人差はありますが、1歳半健診は、コミュニケーションの取り方や遊びの性質、対人関係、ことばの状態など、子どもの発達を確認するのにふさわしいタイミングといえます。そして、ことばの遅れやコミュニケーション困難などの子どもの特性や、子どもを取り巻く環境などにも注目しながら、早期の発見、支援および健康な生活習慣の獲得につなげていくことも1歳半健診の大きな意義であり、目的なのです。健診後のフォローアップがきちんとなされているか、その現状や評価を行っている自治体も増えてきています。1歳半健診が、支援が必要な子どもを把握する場としてだけでなく、適切かつ継続性のある支援を行うために活用されていくといいですね。参考:乳幼児健康診査事業実践ガイド | 国立研究開発法人国立成育医療研究センター(平成30年3月)
2021年03月05日「お母さんにだけ内緒の話があるんだ」秘密を打ち明けた次男…その内容に驚愕Upload By スガカズ通常学級に在籍しているADHDの次男。小4の2学期のある日に、次男は私に「お母さんにだけ内緒の話があるんだ」と、言いました。「正直に話すから…怒らない?」という意味深な言葉に、「これは何かあるぞ」と不安になりました。内容がまだ分からないので、絶対に怒らないとは約束できません…。私は次男に「正直に話してくれることが大事だから、怒らないようにがんばるよ」と伝えました。すると、次男は仲の良いEくんからゲームソフトをもらったと話しました。もらったゲームソフトは数ヶ月前から次男が「欲しい」と言っていた物ですが、「欲しいなら自分のお小遣いで買おうね」と私は伝えていました。それに対して次男は「頑張って貯金する!」と意気込んでいたのですが、なかなかうまくいかず…。「頑張って貯金をする」と意気込んだものの、目標の前にADHDの特性が邪魔をして…Upload By スガカズ大きな目標を前に、「やる気を維持しづらい」「興味の対象が次々に変わる」「我慢することに対してエネルギーが必要」などの特性が邪魔をします。そんな中、仲良しのEくんに「ほしいゲームソフトが買えないからプレイできない」と話したそうです。Eくんは、そのゲームソフトをお小遣いで買ったものの、あまり遊ばなかったそうで、「もう必要ないからあげる」と次男に言ったのだそうです。正直に打ち明けた次男にどう対応すれば良い?Upload By スガカズ私は親としてどういう対応をすれば正解なのか、非常に悩みました。Eくんに、もらったゲームソフトを返すのは当たり前ですが、次男にはどう言えば良いのだろう?高価なソフトを安易にもらったことに対して叱ると、せっかく正直に私に打ち明けたのに本人にとっての失敗体験になってしまいます。ゲームソフトをEくんに返しただけで終わらせることもまた、失敗体験になりそうです。次男の性格を考えると「言うんじゃなかった」と後悔する可能性が高いです。また、正直に言ってくれたからといってご褒美のように買い与えてしまうのも良くないと思いました。Upload By スガカズ正解だとはハッキリ言えないですが、「正直に言ってくれて助かったけど、ゲームソフトはすぐに返そう。人から物をもらったり交換をしたりしてはいけないよ。今回だけ特別にお母さんが買うけど次からは自分のお小遣いで買おう」と言いました。その後無事にEくんにゲームソフトを返し、お母さまにも謝罪しました。一安心…とはいきません。同じことを繰り返さないように、対応する必要があります。自分がしたいことを我慢する機会を増やしたり子どもとの関わり方を見直すUpload By スガカズ今までは「時間通りにお風呂に入る」「寝室では小さい声で話す」など、自分の良い行動に対してお小遣いをあげていましたが、条件を見直すことにし、家のお手伝いを中心にお願いすることに。そうすることで自分のしたいことを中断してお手伝いをするという状況をつくれるので、我慢する機会が増え、自分中心ではないことを教えることが可能です。小4になって情緒の面が成長していると感じることが増えたため、見直すタイミングとしては丁度良さそうでした。Upload By スガカズまた、私は今までは家のことを中心に動いていたので、子どもたちとゲームをすることがほとんどありませんでした。一緒に趣味を共有することで「ゲームって面白いな」と思えるようになりましたし、次男が「このゲームが欲しいから買って」と言ってきたとしても「面白そうだね」と気持ちに共感する事ができます。ただし、次男が欲しいゲームは買いません。本当に欲しい物は、やっぱり自分の力で得てほしいからです。その代わり、私が欲しいゲームソフトは、私が働いたお金(お小遣い)で買って次男と一緒に遊ぶので、「欲しいゲームは違うけど、一緒にやりたい」と、不満に思う回数は減らせるのではないかなと期待しています。物の価値観を学ぶのは大人でも難しいこともあります。ですが、欲しい物をただ我慢するだけでは辛い経験ばかりが大きくなるので、我慢を小さくしながら、物の価値観を理解して行動できるといいなと思います。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年03月04日前回までのあらすじ転校先の学校で、いじめや冷やかしにあうようになった4年生の娘。5年生になっても状況は変わらず、娘は次第に家で暴れるように。いつまで続くかわからない状況に途方にくれる日々が続きました。娘自身もその状況に悩み、さまざまな相談先を頼ってみたものの、解決の糸口は見出せず...インターネットやクチコミを頼りにやっと見つけた民間の支援機関との出合いで、母娘ともに少しずつ前を向けるようになったのでした。家庭での支援と学校へのアプローチ娘は小学校5年生の時から民間の支援機関でSST(ソーシャルスキルトレーニング)やビジョントレーニングを受け始めました。私も娘に適した整理整頓の方法やホワイトボードの活用、応用行動分析(ABA)に基づく娘への対応やリフレーミングなどを教えてもらいました。コノビ―コラム~スケジュールボードをつくろう!~学校でのいじめへの対応については、校長先生を交えた話し合の場を設けたほうが良いとのアドバイスも受けました。初めのうちは「学校に話し合いの場を開くお願いをするなんて大それたこと無理!」と思っていましたが、いくら家で娘のケアをしても、ほとんどの時間を過ごす学校でのいじめがなくならないことには状況は改善しません。私は勇気を出して学校に話し合いの提案をしました。話し合いは校長先生、副校長先生、担任の先生、特別支援教育コーディネーターである特別支援学級の先生、主人、私で行いました。資料共有していたはずが...!?打合せの最中に校長先生に電話がかかってきて席を外したとき、副校長先生が私に言いました。「娘さんは発達検査は受けたことはありますか?手先が不器用とのことですが、検査をすると例えば“消しゴムかけが『できない』のか、それとも『意図的に雑に消しているのか』”などがわかるんですよ」私は副校長先生のこの言葉にとても驚きました。(まさか先生は娘が発達障害だということを知らない!?)私が「転校時に過去の発達検査の資料などはすべてお渡ししていますが、先生方はご覧になったことはないのですか?」と聞くと「資料いただいているんですか!?」と副校長先生も驚いていました。娘が転校してきた年には校長先生が、翌年には学校見学の時に対応してくれた副校長先生と特別支援学級の先生も異動でいなくなりましたが、まさか娘の資料が引き継がれていなかったとは私は夢にも思っていませんでした。それまでの担任の先生の娘への対応や、校長先生が私に「困っているのはお母さんではないですか?もっと他の保護者さんとコミュニケーションを取ってみたらどうですか?」などと言った理由を私はこの時理解し、納得したのでした。―いま学校にいる先生方は娘の障害のことや、これまで家庭で行ってきたことを知らなかったんだ―問題解決には時間がかかった学校で話し合いをしたからといって、すぐに娘のイライラや癇癪が収まったわけではありません。それには理由がいくつかありました。Upload By 荒木まち子進路先のことや発達障害に関する講演会、余暇支援の情報などを特別支援教育コーディネーターの先生に聞こうとしても「特別支援教育コーディネーターは特別支援学級の担任なので、相談は在籍の通常学級の担任の先生にしてください」と言われました。私は通常学級にいながら障害に関する情報を得ることの難しさを痛感しました。一方娘も…Upload By 荒木まち子Upload By 荒木まち子日々の娘の様子は私が担任の先生、養護教諭、スクールカウンセラー、校長先生それぞれに伝えていました。これには時間と労力をとても要しました。キーパーソンとなる先生が不在だったことが大きな原因だったと思うのですが、この時期は(学校に限らず療育センターなどでも)やたらと「個人情報の関係で…」という言葉を耳にしていたので、当時は“情報共有”や“チームで支えていく”といった意識が低かったように感じます。次回は次回は最終話、療育センターとの学校との連携のお話です。発達ナビライターによる小学校生活での困りごとエピソードをあつめたまとめコラムはこちらです。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年03月03日診断がつかない状態を「咳が止まらない」場合で置きかえて考えるとわが子の発達が気になり、「もしかして発達障害があるのかもしれない」と思いつつ、こんな小さいうちから診断名を付けられてしまうと、伸びるものも伸びなくなるのではないか。似たような子は他にもたくさんいるじゃないか、と思ってしまうこともあるのではないかと思います。ですが、この状態が「咳が止まらない」場合と比較してみるとどうでしょう。咳が止まらない場合、新型コロナなのかインフルエンザなのか単なる風邪なのか、それとも喘息なのかわからないと不安になります。咳をしている原因が明確になると風邪ならば→風邪薬を飲んでゆっくりしていましょう。インフルエンザならば→リレンザやタミフルを服薬しましょう新型コロナ→自宅待機がホテルか入院、ともかく保健所に連絡だ!濃厚接触者もPCR検査だ!と対処の方法がわかります。でも、どの病院に行っても「原因不明です」と突き返されてしまい、どれにも該当しない場合、「この咳の原因は一体何だろうか?」と不安になります。これは、発達障害の診断と似ているような気がします。Upload By 立石美津子診断名が付くメリット診断名が付かないと、「この子はどういう状況にあるのか」分からないまま過ごすことになります。診断名が付くことで、「発達凹凸のある子にどのような手を打っていけばいいのか分からない」という焦りから抜け出し、一歩前進できます。集団行動がとれない、落ち着きがないことをむやみやたらに叱責することも減ります。診断を受けたときは、保護者はショックを受けるとは思いますが、意味のない叱責がなくなることは親にとってもまた本人にとってもストレスが少なくなるのではないでしょうか。「授業中気が散ってしまうとき、本人に努力を求めるのではなく、座席位置を前にする、窓際に座らせないなど気が散らない環境を準備してほしい」などの要求を幼稚園、保育園、学校にお願いするときも…保護者の意見だけで伝えると「あなたのお子さんだけ特別扱いは出来ません」と突き返されてしまうかもしれません。(あからさまな態度はとられなかったとしても、心の中ではそう思われてしまっているかもしれません)でも、医師の診断書というお墨付きがあれば、障害者差別解消法により幼稚園、保育園、学校側に合理的配慮も求めやすくなります。父親や姑から落ち着きのない子、集団行動がとれない子を「お前のしつけの仕方が悪いからだ!」と責められていたとします。でも、診断名が付くことで母親や本人の努力不足ではないことを理解してもらえるかもしれません。理解してもらえない場合は家族を説得しようとむやみやたらに戦うと、自身が精神的に疲弊してしまいます。距離を置くしかありません。近視の人が黒板の文字が読みづらいとき眼鏡を付けることを禁止され、「努力不足だ!気合が足りないから見えないんだ!」と言われたらどうでしょうか。発達障害の診断を受けることで親も本人も「努力のせいだ。気合が足りないんだ」と自らを責めることがなくなります。自分のせいではなく元々生まれつき持っていた「脳の機能のせいだった」と思えるようになります。ただし、自閉症のある子も、一人ひとり違います。持って生まれた気質と育った環境でさまざまな性格をしています。・文字や数字に興味のある子、ない子・逆さバイバイをする子、しない子Upload By 立石美津子・オウム返しをする子、しない子・人に関心のない子、ある子診断を受けることで、「自閉症は○○という行動をする。○○が好き」と決めつけることなく、わが子を育てていくことも、また大切なことだと思います。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年03月02日感覚過敏で教室にいられず、廊下に出ていた息子Upload By かなしろにゃんこ。わが家のADHDと広汎性発達障害がある息子リュウ太には、音に敏感になってしまう・人が大勢いる場所だと視覚情報が多くて疲れる・光が眩しく感じる・服の繊維の感触が気になってしまうなどの感覚過敏があります。授業中は感覚のせいで気持ちが疲れてしまって、教室にいられず、廊下で一人になってクールダウンをしていました。Upload By かなしろにゃんこ。何かに夢中になると、感覚が鈍くなる!?そんな症状に悩まされている息子ですが、全く真逆のことも起きていて、何かに夢中になると寒い、暑い、空腹、疲労、痛みなどを感じる感覚が鈍くなるという状態になり、一日の中で感覚過敏になったり感覚鈍麻になったりが交互にやってくるというのです。それを教えてくれたのは息子が成人してからでした。全く真逆の感覚がどうして入れ替わり立ち替わり現れるのかを聞いてみました。Upload By かなしろにゃんこ。「学校などで集団で生活していると、先生の話を聞かなきゃ!周りの状況を確認しなくちゃ!と自分の外側に意識を向けているときに感覚過敏は起こりやすいんだ」と言います。「特に授業中は、人の話を聞くなど、外的刺激に対応しなければいけない状況でしょ。外にアンテナを向けているときに五感が敏感になっていて、その状況が20分以上になり、長く続くと疲れてきちゃってしんどい。ボクの場合は45分間授業もたない。入ってくる情報がキャパオーバーしたら、ホワイトアウトのように目の前が真っ白になって、『このまま教室にいたらマズイな』と思って廊下に出るようにした。白目になっているわけじゃないよ(笑)」「授業中のお絵かきは、自分がラクになるための手段だったんだ」Upload By かなしろにゃんこ。「だから自分が楽になる方法として、授業中に絵を書いたり工作をはじめる!そうすると創作に意識が向くから周りの声や音が遠のいていくし、暑さや寒さなどの不快な感覚も感じにくくなっていくんだ!このままではツライと感じていたときに、無意識に感覚を内側に向ける行動をとっていたんじゃないかな?」と言います。その2つの感覚の状態が一日のうちに何度か繰り返し起こることで、今日もなんとか学校で過ごすことができた♪めでたし♪めでたし♪となるそうです。「人の話に集中しなくちゃいけないとき、指示に従って何かをやらなくちゃいけないなど本意じゃないときに、意識を向けるときが一番感覚過敏になる。そのときに汗がたくさん出て皮膚の感覚が過敏になったりとか、連鎖していく感じかな?」と息子は教えてくれました。Upload By かなしろにゃんこ。授業中に工作をはじめてしまうことが頻繁にあると先生から報告を受けていた当時の私は、リュウ太が勉強をしないことが心配で、工作は休み時間だけにしてほしいな~と思っていたのですが、工作をするという行動は自分を守るためにやっていたことなのかもしれないと考えるようになりました。どっちの感覚もなんだか大変そうだな?と思いますが、感覚過敏も鈍麻も少しずつ付き合い方を知っていくことが大切なのだなと感じました。しんどかった学校生活の経験があって大人になった現在は、上手とはいえませんが、過敏になりすぎず、鈍麻も控え目にほどほどに自分でコントロールして過ごせているように感じるのでした。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年03月01日むっくんと行事むっくんは行事の練習がとても苦手です。行事の時期になるととても不安定になり、保育園時代も運動会、発表会など練習は不参加、本番だけ参加するスタイルを貫いてきました。卒園式も例外ではなく、練習には参加せずにみんなが練習するなか、端の方で自分の好きなことをしながら過ごしていました。Upload By ウチノコ練習しない理由練習に参加しない理由は色々あります。まず、人がたくさんいる場所は音なども多く、感覚過敏があるむっくんにとってつらい空間になります。そのためいつも以上に疲れてしまい、ただでさえ苦手な「周囲のペースに合わせて行動すること」がいっそう難しくなります。特に合唱などは、周りの人の歌声をうるさく感じてしまいその場にいることすら耐えられないようです。Upload By ウチノコまた、色んな人の会話を同時に聞き取ってしまうむっくんは、先生の子ども達への個別の注意を全て自分に言われていると感じてしまうようで、その場にいるだけでたくさん注意を受けていると思い込み、とてもしんどくなってしまうようです。Upload By ウチノコ保育園の対応保育園ではむっくんが練習不参加を貫く理由を理解してくださっており、参加を強いることなく練習時間は別の部屋で過ごせるような配慮もしていただいていました。しかしむっくんは、参加はしなくても練習の場に留まることを望むことが多かった様子。それは練習の様子を離れた場所からでも見聞きして、行事の流れや自分の役割を把握するためです。むっくんは練習に参加はせずとも自分なりに関心を持ち、できる範囲で行事に関わろうとしていたのだと思います。園の先生方は「むっくんは練習しなくてもしっかり聞いて理解しようと頑張っているんです!」と、むっくんの行動の裏にある思いを汲み取り、本人のペースを尊重し見守ってくださいました。だから本番だけはいつも頑張ることが出来たのかなと私は思っています。Upload By ウチノコむっくんの卒園式いよいよ卒園式当日。練習はほとんどしておらず、更にお別れが苦手なむっくんは、今までのどの行事よりも緊張し不安そうな顔をしていました。私も内心どうなることかと心配していましたが、むっくんはお友達と一緒に無事入場を果たします。新型コロナウイルスの影響で時短になっていた式はむっくんにぴったりで、来賓のあいさつなどの苦手な待ち時間も少なく、卒園証書授与も無事にクリア!Upload By ウチノコいよいよ最後の卒園児の歌、ここを終えれば式は終わる…はずなのですが、むっくんは突然席から離れふらふらと歩いて行ってしまったのです!むっくんはそのまま進行していた担任の先生の前に行き、何かを話しかけました。そしてお友達が起立して歌っているなか自分の席に戻り、歌うことなくすとんと着席!私は何が起こったのかわからないまま、式は終わりを迎えましたUpload By ウチノコ先生たちに見せた成長の姿式が終わると担任の先生が大急ぎでむっくんの行動の真意を教えに来てくださいました。苦手な歌が始まることを理解していたむっくんは「自分は疲れたから、座って歌が終わるのを待ちたい」と先生に伝えに行ったそうです。先生たちは3年間通して、何度も何度も繰り返し「周りのみんなと違う行動をしたいときは、先生に一言伝えてからにする」ということを集団生活が苦手なむっくんに教えてくれていました。かくいう私も、小学校生活やその先の将来のことを見据え、むっくんが周囲に誤解されず、自らの意志を大事にできるよう、「伝えずに行動してしまうと勝手な行動になっちゃうけど、伝えることができれば問題にはならないんだよ」と繰り返し伝えてきました。最後の大舞台でむっくんは、そんな先生や私からの3年間の教えを守り、成長した姿を見せてくれたのです。Upload By ウチノコ式の途中、突然立ち上がったむっくんを制止する先生は居ませんでした。それはその行動の意味をあの場にいたすべての先生が理解して見守ってくださったからです。人一倍敏感で、気分屋で怒りっぽくて、そのくせ不安も多く、怯えて一歩踏み出せないむっくん。その繊細な心を先生方がただひたすら大事に守り育ててくださったことを痛感しました。式の後は年少、年中、年長それぞれ担任だった先生方が泣きながら褒めてくださって、他の先生方からも「あの独特の雰囲気の中あんなに頑張れるなんて思っていなかったよ」と泣き笑いで伝えてもらって。この保育園に通えて本当に幸せだったなぁと心から感謝した卒園式でした。Upload By ウチノコ保育園生活を振り返ってむっくんの保育園生活は波乱万丈で、私はあちこちに謝罪してばかりで大変なときもありました。むっくんはびっくりするくらい周囲と違う行動をとるので、離れて見ていればその姿はワガママにも見えるかもしれません。でも見方を変えると、むっくんは「自分を貫くことができた」と言うことができます。自分を貫くことは、実はとても大変で大きなエネルギーを要します。寂しいときもあるでしょうし、怒られ理解してもらえなくて孤独を感じることも、傷つくこともあるでしょう。それでもむっくんはいつだって自分の気持ちを大切にします。彼の背中を追ううちに、人はそうあることが幸せなのかもしれないと私は思えるようになりました。私にできることは「むっくんがみんなと同じになる方法」を探すのではなく、「むっくんが自分を貫くにはどういう方法があるのか」を考えることだと、私はこの3年間で学びました。むっくんを支え、導いているつもりでも、本当に支え導いてもらっているのはいつだって私です。むっくんのお母さんになれたこと、たくさんのことを学ばせて貰ったことに、ただただ感謝。これからも未熟な私をむっくんにしっかり鍛えてもらおうと思っています。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年02月28日ミドルエイジの先輩たちが「自分らしい生き方」に至るまでーー古澤瑛子さん特別支援学校卒業後、飲食店やレンタルビデオチェーンでの勤務を経て、現在はアパレル企業で勤務する古澤瑛子さん(以下、アコさん)。約1年前に実家を離れ、発達障害や知的障害のある人たちが共に暮らす「グループホーム」で生活しています。先天性の遺伝子疾患・ウィリアムズ症候群とADHDのあるアコさんの良き理解者であり、子どもの療育やグループホーム運営を長年続けている「一般社団法人発達障がいのためのハッピーライフ研究会」の高見澤千佐先生と共に、幼少期から現在に至るまでをお話しいただきました。Upload By 鈴木悠平生まれつき心臓が弱く両親は心配していた。先生と出会い、療育でたくさんの経験を――お二人とも、今日はよろしくお願いします。はじめに、アコさんの幼少期のころのお話や、先生との出会いについてお聞かせください。古澤瑛子さん(以下、アコ):活発で、外で遊ぶのが好きな子でした。親からは「すぐどこかへ行っちゃう」って心配されていたみたいです。高見澤先生のところには、4歳から療育に通っています。会ったときからすぐ仲良くなって(笑)、そこからずっと、お世話になっています。Upload By 鈴木悠平高見澤千佐先生(以下、高見澤):ウィリアムズ症候群の特徴で、アコさんは生まれつき心臓が弱いのもあって、お母さんはものすごく緊張感を持って彼女を育てておられたんです。転んで怪我して入院するんじゃないか、なにかあったら死んじゃうんじゃないかって、どこかに連れていくのもすごく慎重で。わたしはいろんな子を見てきたプロなんで、まぁお母さんそんなに緊張しないで、と(笑)。アコさん本人も、わたしと相性が合ったらしく最初っからすごくなついてくれたし、自分で学んで覚えていく力はすごくある子だなと思ったので、どこにでも連れて行って、とにかくいろんなことを体験してもらいました。アコ:はい、いっぱい体験しました!先生のところでは合宿もあって、しょっちゅうお泊まりにも行ってましたね。高見澤:うちの療育にはだいたいいつも50人ぐらいが来ていて、半分が知的障害、半分が発達障害のある子どもたちです。基本的には幼児のときから通ってもらって、二十歳以降の自立を見据えて、一人ひとり課題に取り組んでもらっています。勉強だけでなく、言語療法や運動療法まで、その子がそのとき必要なことを、という感じですね。彼女は、手先の不器用さがあったり、気がものすごく散りやすかったりして、小さいときは集中して取り組むのがなかなか大変だったんですけど、うまくいかなくて泣くことはあっても、次の日にはいつもニコニコで現れて「先生、会いたかったー!」って(笑)。いつも明るいよねー。アコ:今でも先生にベッタリですね(笑)。みんな一緒に過ごしていたはずなのに、「障害がある」というだけで扱いが変わるーー保育園や学校などでの、集団生活はいかがでしたか?アコ:保育園のときは、遊具にうまく登れなくて、運動会の競技に参加できないと言われて…高見澤:運動会で、はしごを登って鐘をカーンって叩く種目があるんですが、参加を遠慮してほしいって園から親御さんに言われたことがあったんですよ。Upload By 鈴木悠平ーーそんなことが…高見澤:でも、わたしが園に行ってコツを教えたら10分でできるようになったんだよね!アコ:はい!先生にコツを教わったらすぐできました。高見澤:運動会当日もバッチリできて、みんなに大拍手をもらったよね。やっぱり当時はまだまだ、「障害があるとみんなと同じことはできないんじゃないか」というような偏見が強くて、本人も「それはおかしいんじゃないか」っていうのはすごく感じ取っていました。アコ:小学校に入ってからも、途中までは楽しく過ごせていたんですが、6年生のときにクラスメイトに思いっきり蹴り飛ばされて、それがすごく辛くて、不登校になっちゃったんです。高見澤:心臓が悪いっていうことは、本人は普段からいろんな人に言ってたんです。それなのに胸を蹴られたっていうのがものすごいショックだったみたいで。アコ:はい、ほんと怖かったし、友達に蹴られたっていうのがショックでした。知らなかったんならともかく、知ってるのにどうしてこんなひどいことするのって。高見澤:障害のある子が疎外感を経験しやすいのがこの時期で、やっぱり難しいですね。だいたい4年生ぐらいまでは、みんなフランクに、障害がある子もない子も一緒に遊んでたりするんですけど、思春期に入りかけると違いを気にするようになって、仲良しグループがつくられるときに障害のある子が仲間はずれにされやすいんですよ。今までは「一緒においで」って言われたのが、急に「え、なんでお前来んの」って言われたりして、そこで本人も違いを自覚して、寂しい思いをすることになる。うちの療育でも、不登校を経験したことのある人は多いです。アコ:そのまま、中学校は3年間ずっと不登校で、先生のところに毎日通ってお世話になっていました。Upload By 鈴木悠平高見澤:フリースクールとして、うちへの出席を学校の出席扱いにしてもらって、そのまま卒業ですね。―中学卒業後は、特別支援学校の高等部に通われたとお聞きしました。通常の高校か特別支援学校か、進学先はどのようにして決めましたか?アコ:やっぱりいじめられたときの印象がずっと残っていて、学校行くこと自体がすごく怖くなってしまっていたんです。でも母親は、やっぱり高校は出てほしいと言うので、先生に相談に乗ってもらいました。高見澤:うちのフリースクールに通ったあと、高校進学せずにそのまま就職できている人もいっぱいいるんですけど、彼女の場合は、お母さんがものすごく思いつめられていてね。「中学校を不登校にさせてしまったから、せめて高校だけでも」って。ただ、アコさんは漢字や英語を書くのがどうしても難しくて、その状態で入れる高校の選択肢が当時はほとんどなかったんです。だったら、就職に向けた訓練もできるし、特別支援学校の高等部が良いだろうと。本人はそういった特別支援学級・特別支援学校的なところをそれまで経験していなかったので、入学当初はかなりびっくりしていましたね。――3年ぶりの学校で、はじめての特別支援学校というと、不安や緊張も大きかったと思います。アコ:もうほんと、毎日泣いてましたね。怖い!行きたくない!って。高見澤:うちの療育にも来ていた彼女の親友が1学年上にいたのが救いで、ほぼ彼女に会うために学校に行ってたようなもんだよね。その分、その子が卒業するときは大変で(笑)。アコ:あまりにショックで「わたしも姉さんと一緒に卒業する!置いてかないで!」って大泣きしてましたね(笑)。高見澤:卒業式、本人よりこの子の方が泣いてたっていうね。働いてお金を稼ぐ。親元を離れて暮らす。自分がどう生きるかを「選べる」ことがとても幸せ――それでは、特別支援学校卒業後の就労についてお聞かせください。アコ:卒業して最初に働いたのは喫茶店です。お客さんの注文を取ったり、飲み物や料理を運んだり、それから清掃とか。高見澤:最初は福祉的就労でしばらく働いたんです。わたしも見に行ったんですが、アコさんはお客さんに合わせて話すのが得意で、「雨ひどかったですねー」とか「今日何になさいますか?」とか、常連さんともすぐ仲良くなって、楽しくやっていましたね。参考: LITALICO仕事ナビ 福祉的就労とはどんな働き方なの?一般就労との違いなどについても説明しますアコ:そのあとに、障害者雇用での就職先をいくつか見に行って、次に就職したのがレンタルビデオチェーンの店舗の仕事です。何年か経ってから、そこが一度障害者雇用を終了するということで辞めなくちゃいけなくなったんですが、就労支援センターに通っている間に今の会社の人が見学に来て、それで就職が決まりました。そこから7年間、今の会社で働いてます。――今のお仕事が一番長いんですね。若い世代に人気のアパレルブランドの、渋谷の店舗で働かれているとお聞きしました。具体的にはどんな業務を担当されているんですか。アコ:わたしの担当は主に倉庫の業務ですね。スペインから送られてきた洋服を出して、輸送用のハンガーから店舗用のハンガーに入れ替えて…という感じで、お店に出る前の商品を整える仕事です。――へええ、なるほど。普段なかなか見られない、バックヤードでのお仕事、興味深いです。仕事の中で、やりがいや楽しさを感じる場面はありますか?アコ:仕事のやりがいは、ええと、そうですね…やっぱり働いてお給料をもらえるのが。Upload By 鈴木悠平高見澤:仕事の内容というか、お金だよねぇあなたは(笑)。アコ:はい、まさにお金ですね(笑)!――シンプルな答え(笑)。働いて稼いだお金は何に使うんですか?アコ:お金を貯めて自分のほしいものをひとつずつ買っています!こないだはiPhoneも買ったし、次はApple Watchとか、Bluetoothのイヤホンを買いたいなって。高見澤:あとは食だよね。グループホームではお昼ごはんの提供はないので、ご実家からお弁当を持って行くことが多かったんですけど、せっかく毎日渋谷に通勤してるんだしということで、「ランチを自分のお金で食べる」という念願を叶えて、いろいろ好きなもの食べて楽しそうですよ。毎日、わたしが仕事で忙しい中、お昼になると「先生、今日はポークチョップです!」「今日は中華♡」とかって写真が送られてきて(笑)。アコ:ふふふ(笑)。高見澤:なかなか攻撃力のある「飯テロ」をしてくるんですよ(笑)。アコ:でも今はApple Watchを買うために節約モードに入ってて…今日もカップ麺でした。高見澤:耐え忍んでますね(笑)。でもほんとに、お金は楽しいみたいだね。アコ:楽しいですね。なんか、初めてなんですよ。ケータイを自分で選んで変えられるとか。――自分でお金を稼いで、自分で使いみちを選べる。アコ:そうそう、それは本当に感動しましたね。高見澤:やっぱりお家にいる間は、全部親御さんがやってくださっていたんでね。このグループホームの個室の家具やカーテン、彼女は全部自分で決めたんですよ。いろんなお店を回って、毎回店員さんに詳しく説明してもらって、すっごく悩んで決めてって、もう大変で(笑)。「わたし、カーテン選んでいいんですか!?」ってすごく感動しててね。Upload By 鈴木悠平アコ:実家にいるときは、そんなことをやらせてもらえなかったんですよ。高見澤:毎月、給料が入ってきたら「これがあなたのお給料です。どう使おうか」って、テーブルの上に出すんですよ。グループホームに生活費として入れる額をよけて、残りの中で「この中からあなたは今月いくら貯金したい?」「お昼にいくら使いたい?」「何かほしいものありますか?」って、毎回やるんだよね。アコ:はい、そうです。先生と一緒にやってます。高見澤:彼女、すごい悩んで吟味するので、いつも2時間から3時間かかりますよ(笑)。でも、自分でお金の使い方を決めるっていうのはほんとに楽しいみたいですね。やっぱりどうしても親御さんがいると心配しちゃって「あなたのお小遣いはこれね」「だけどそれは買っちゃダメ」とか「ほしいんだったらお母さん買ってくるから」ってなっちゃってたので。アコ:そうですね。お金以外でも、「どこどこ行ってくるよー」って外出するときも「1人で行かないで」って親が心配してついてくるというパターンがほとんどで。――ご両親も心配ゆえなのでしょうけど、アコさんにとって「自分で決める」機会を持てたのは、大きな変化だったんですね。グループホームでの日々の暮らしについても教えていただけますか。高見澤:ここは男性2人女性2人の、彼女を含めて4人で暮らしています。朝晩は食事の提供があって、昼はそれぞれ。この人はごはんが何より楽しみで、「今日の夕飯なんですかー!」って仕事からもルンルンで帰ってくるよね(笑)。アコ:はい!もう、ごはん大好きで!高見澤:共有スペースの掃除や片付けは、4人で分担決めてやってます。で、各自の部屋は、自分で掃除なんだよね。アコ:はい、やってます。掃除も洗濯もやっぱり、実家で親がいると頼りっぱなしというか…自分も甘えが出ちゃうので、それもなくしたかったんですよ。自分の部屋を持って一人暮らししつつ、みんなと一緒に家事をして、気持ちや思い出を分かち合えるっていうのが、すごく嬉しいですね。――なるほど、食事付きのシェアハウスみたいな感じですね。楽しそうです。高見澤:区が募集をかけるようなグループホームだと、知らない人同士で入居して、あんまり交流がなくて、というかたちになることも少なくないんです。わたしが運営しているグループホームは、それまで療育に来ている人たちが入るので、だいたいが顔見知りですね。月に1回ぐらいは、みんなで焼肉屋に行ったりとかしてますよ。――いいですねえ。高見澤:もちろん中には、グループホームの共同生活で、まわりにどう接していいかわからなくて困っちゃう人もいるんですが、彼女はそういうときにすごく自然に声をかけてくれてね。最初は黙ってた子が、気づいたら「あ、おはようアキコ」「今日また夜、会おうね」って言って会社に行くようになってたりね。お互い影響し合っていい感じに変化していくんですよ。アッコムードの力だなって(笑)。アコ:ふふふ(笑)。高見澤:彼女のこのキャラクターが、家では「お節介」って言われがちだったんですよ。「あんたそんな他人のことはいいから、自分のことやんなさい」っていっつも言われてたんだけど。ここではそのお節介が、すごくうまく作用してるんだなって思います。わたしはずっと、自分が大好き高見澤:ご両親との関係や、お互いが願うことのギャップの話もいろいろしてきましたが、彼女のずっと変わらない、素敵だな、美しいなって思うところが、すごく自分のことを愛していることなんですね。ウィリアムズ症候群は先天性の疾患で、本人も割と早くからそのことを理解していたんです。どうしても、障害のある子を産んだ親御さんは思いつめやすくなる面はあって、彼女のお母さんも「ウィリアムズに産んじゃってごめんね」って思っていた時期があったんです。わたしも彼女本人がどう思っているか少し心配していたので、療育に通ってしばらくしてから「ウィリアムズ嫌だ?」って聞いたことがあったんですけど、「いや、わたしは自分のこと大好きだから、ウィリアムズに生まれてよかった」って、あっさりでした。それ、今でも言うよね?アコ:はい、言いますね、ずっと言ってます(笑)。自分のことは、好きですね、ふふ。お母さんに「産んでごめんね」って直接言われたときにも、「いや、わたしはウィリアムズに生まれて嬉しいなって思ってるよ」って。Upload By 鈴木悠平――自分を大好きでい続けられるって、素敵です。きっとお母さんもアコさんにそう言われて楽になったと思います。高見澤:ほんと、ずっと言ってるよね。ウィリアムズ症候群の親の会があるんですけど、「わたしもそこに入って、後輩と会いたい」って言うぐらいで。親の会は親じゃないと入れないって言ったら悔しがってましたね(笑)。アコ:なんで本人は入れないの、行きたいじゃん、みたいな(笑)。――最後に、進学や就職、将来の生活について、不安や悩みのある若い読者に向けてメッセージをお願いします。アコ:そうですね…やっぱり、楽しく暮らしてほしいなっていうのが一番ですね。落ち込んだり、学校行けなくなったりとか、そういうこともあるけど、将来もあるし、前向きに生きていってほしいなっていうか。発達障害でも知的障害でも、ウィリアムズでも、好きなことをやったり、恋人をつくったり、いろんな幸せを感じて生きていけばいいじゃないかって、わたしは思っているんです。――アコさんにとっての、高見澤先生や、特別支援学校が一緒だった先輩、ここで一緒に過ごす友達みたいな、一緒に幸せを分かち合える存在をつくっていけるといいですよね。アコ:そうですね。ほんとに大事な存在です。嬉しいです。高見澤:ずっと朝から晩まで、けらっけら笑って生きてるよね。アコ:もうけらっけらけらっけら、ずっと笑ってます(笑)。――アコさんのように、いじめや不登校を経験している子もいると思います。そうした時期を経験して大人になったアコさんから、なにか伝えたいことがあれば。アコ:いじめられたときはとにかく、1人で抱え込まないでほしいなって思いますね。わたしもつらかったですけど、相談できる人が1人でも2人でも増えるといいなって。高見澤:あんたそんなこと言うようになったの、すごいね。はっはっは(笑)。アコ:わたしも抱え込んでたときがあったんですよ(笑)!高見澤:抱え込んでたって、毎日のようにわたしとワーワーワーワー言ってたじゃん(笑)。アコ:だから!抱え込んじゃってたからそうやって先生に相談したんじゃないですか(笑)。Upload By 鈴木悠平先天性の遺伝子疾患を抱え、両親に心配されたり、学校でのいじめや不登校を経験しながらも、ずっと「自分が大好き」だと語り、周りとも明るく活発にかかわりながら生きているアコさん。インタビュアーの私も、アコさんのお話を聞いているだけで明るい気持ちにしてもらいました。アコさん自身の明るい性格もさることながら、高見澤先生やグループホームの同居人をはじめ、日常を分かち合える大切な人たちの存在が、きっとものすごく大きなエネルギーになっているのだろうな、とも感じました。実家暮らしでも一人暮らしでもない、「グループホーム」という選択肢も、ぜひ読者のみなさんに参考にしていただければ幸いです。取材・文:鈴木悠平編集:佐藤はるか撮影:鈴木江実子LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年02月28日神奈川県児童発達支援事業所Upload By 発達ナビ施設情報てらぴぁぽけっと淵野辺駅前教室では、さまざまな悩みや不安な気持ちをお持ちのご家族に寄り添い、マンツーマンによる1回2時間枠の中で、個別療育と小集団療育を行っています。お子さんの発達に合わせて、825項目ABAの基準ステップを基に、専門の指導員が一人ひとりにあったプログラムをつくり上げ支援をしています。個別支援で個々の目標や特性に応じた課題に挑戦し、次のステップとして、大きな部屋や小集団、ご家庭でもチャレンジできるようにサポート。どんな小さなことでも、経験豊富なスタッフにご相談が可能です。Upload By 発達ナビ施設情報児童発達支援事業所おれんじハウス西横浜教室では、施設内に訪問看護ステーションが併設されているため、医療的ケアの有無・障害の程度に関わらず、幅広いお子さんにご利用いただけます。また、感覚統合・コミュニケーション支援を中心とした療育を行っており、環境からの刺激を上手に処理できるからだづくりを行うことで、就園・就学後の学習や、身辺自立がよりスムーズに行えることが期待できます。まだ家族以外とかかわったことがない子には、人とのかかわりの心地よさを伝え、気持ちを上手に出せない子には、伝え方と伝わる喜びを教えるなど、それぞれの発達段階に合わせ、その子らしく生きる力を支援します。神奈川県の児童発達支援事業所をもっと見る埼玉県放課後等デイサービスUpload By 発達ナビ施設情報放課後デイGranny伊奈町は、重症心身障害のお子さんを対象とした施設です。小児医療機関や福祉施設での勤務経験が豊富な「看護師」、リハビリを担当する「理学療法士」、さらに保育や教育の充実を図るために、学校・医療センター・児童発達支援施設での指導実績がある「病児保育のスペシャリスト」など、専門性の高いスタッフが連携を図り、お子さんの療育をしています。1日5名の超小規模定員で、お子さん一人ひとりに合わせた個別カリキュラムを基に、1対1の手厚い療育を実施。「すべての子どもたちに輝く未来を!!」を合言葉に、お子さんの将来も含めた支援を提供しています。埼玉県の放課後等デイサービスをもっと見る大阪府放課後等デイサービスUpload By 発達ナビ施設情報グッドフレンズでは言語療育、作業療育、プログラミング療育、個別学習、クッキングや創作活動、外出支援など各種療育を行っています。言語聴覚士と作業療法士が常勤し、お子さんの発達段階に合わせた言語や体の発達を支援。また、療育の一環としてプログラミング的思考を取り入れ、段取り良く物事を進めるためのプロセスを学べます。学んだこと、経験したことが、子どもたちの「生きる力」となって、未来につながってほしい。そんな願いを込めてお子さんをサポートしています。Upload By 発達ナビ施設情報放課後等デイサービス グッドサポートは、就労準備型放課後等デイサービスとして、子どもがより豊かに生きる力を身に着けることを支援しています。子どもたちは、遊ぶ・学ぶ・創造する・体験するといった経験をつむことで、コミュニケーション能力・社会性・生活性・働くスキルなどを身に着け、独り立ちできるようになっていきます。また、ヨガ講師など専門知識を持つ講師によるセミナーを定期的に開催し、子どもたちの興味の幅を広げているほか、ハンドマッサージを行い、リラックスや血行促進効果を心と体の双方で感じるアロマ療育を取り入れるなど、楽しみながらさまざまなことを学べるよう、スタッフがサポートしています。大阪府の放課後等デイサービスをもっと見る大阪府児童発達支援事業所Upload By 発達ナビ施設情報グッドフレンズでは、言語療育・作業療育、プログラミング療育、他にも個別学習、クッキングや創作活動、外出支援など、幅広く療育を行っています。作業療法士・言語聴覚士が常勤しており、言語療法では、お子さんの発達段階に合わせた課題を提示し、遊びの中で言語をはぐくむための基礎づくりを支援、作業療法では子どもたちの「仕事」であるあそびをつかって、体や手の発達、日常生活動作の獲得と向上をサポートしています。自ら学び、考え、判断し、行動し、それぞれに思い描く幸せを実現してほしいという想いを持ちながら、スタッフ一人ひとりがお子さんと向き合っています。大阪府の児童発達支援事業所をもっと見る「もっと施設の情報を詳しく知りたい!」「見学をしてみたい!」と思ったら、WEBからもお問い合わせが可能です。施設情報ページでは、掲載されている施設の情報を地域ごとに検索して見ることができますよ。
2021年02月27日この街から日本の風景を変えていく。発達障害や感覚過敏のある方が暮らしやすい川崎市の取り組み「障害のない社会をつくる」。発達ナビを運営する株式会社LITALICO メディア&ソリューションズが掲げるこの理念にも通じる、「誰もが自分らしく暮らし、自己実現を目指せる地域づくり」の実践を全国に先駆けて始めている街があります。それが、神奈川県川崎市の「かわさきパラムーブメント」です。今このプロジェクトが、近い将来の人口減少社会を見据え、一人ひとりが尊重され、能力を発揮することができる環境づくりのモデルケースとして、大きな注目を集めていることをご存知でしたか?Upload By 発達ナビ編集部2016年度から継続する「かわさきパラムーブメント」は、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会(以下、「東京2020大会」)の開催をきっかけとして、「人々の意識や社会環境のバリアを取り除き、誰もが社会参加できる環境を創り出す」ことを理念としています。「人それぞれの個性への理解」が「心とハードのバリアフリー」につながり、「社会環境によるバリアのない暮らし」が自己実現を可能にし、「社会への参加」が当たり前となり、そのことで新しい価値が創出されていくという循環を目指すプロジェクトです。Upload By 発達ナビ編集部川崎市は、パラリンピアンとの交流をきっかけに共生社会を実現するための先導的かつ先進的な取組を総合的に実施する「先導的共生社会ホストタウン」に認定され、「心のバリアフリー又はユニバーサルデザインの街づくりの取組の継続的・加速的な実施」と「東京大会の事後交流も含めた幅広い形での相手国・地域のパラリンピアンと市民との交流」に取り組んでいます。今回はその先導的・先進的な取り組みの事例について、川崎市 市民文化局 オリンピック・パラリンピック推進室の永田光太郎さんに、お話を伺いました。Upload By 発達ナビ編集部人々の意識や社会環境のバリアを取り除き、誰もが社会参加できる環境を創り出す――まずは「かわさきパラムーブメント」が始まった背景について教えてください。以前から少子高齢化、人口減少社会の到来を見据えた持続可能なまちづくりについて議論や検討を重ねてはいましたが、その計画をさらに大きく前に進めるきっかけになったのは東京2020大会の開催が決まったことでした。川崎市では、パラリンピックを未来につながるダイバーシティとインクルージョンの象徴と捉えています。パラリンピックに重点を置き、障害のある人が生き生きと暮らすうえでの障壁となっている、私たちの意識や社会環境のバリアを取り除くことや、新しい技術でこれらの課題に立ち向かうこと、これらを「ムーブメント」として展開していくことを目指し、かわさきパラムーブメントの取り組みがスタートしました。――その中でも川崎市では、身体障害がある方の他にも発達障害や感覚過敏がある方への取り組みに力を入れているそうですね。全国的にも身体障害がある方への取り組みはハード・ソフトの両面で増えてきている一方で、目に見えない困難を抱える人たちへの取り組みはまだ実践の例が少ないのが現状です。ですので、先導的に川崎市発で発達障害や感覚過敏がある方へのサポートを全国に広めていければと、そんな想いで取り組みを進めています。今回は、「かわさきパラムーブメント」を象徴する3つの事例について、紹介させていただきます。日本初!発達障害、感覚過敏のあるお子さんのための「サッカー&ユニバーサルツーリズム」――その取り組みのひとつが、「サッカー&ユニバーサルツーリズム」と伺いました。「かわさきパラムーブメント」の取り組みにより未来へ遺していくレガシーのひとつとして、「誰もがスポーツ・運動に親しんでいるまち」があります。このレガシーの形成に向けて、JTBやANA、富士通、川崎フロンターレ等と連携し、2019年7月27日の川崎フロンターレ対大分トリニータ戦において、日本で初めて発達障害のあるお子さんを対象とした「サッカー&ユニバーサルツーリズム」を実施し、当日の試合観戦と翌日のサッカー教室にご参加いただきました。――それはどのような課題に対しての取り組みだったのでしょうか。発達障害のあるお子さんの中にはその特性から感覚過敏の方も多く、人混みや喧噪などが外出等における障壁となっていて、外出や旅行をためらってしまうこともあるそうです。またスポーツ観戦に関しても、スタジアムは歓声や音響が大きく、照明の光も強いので、そもそも観戦を諦めてしまう親子も多いとも聞いています。そんな親子の力になりたいと思ったんです。Upload By 発達ナビ編集部――多くの企業と連携したプロジェクトとなりました。元々はJTB主催のシンポジウムで、発達障害をテーマとしたパネルディスカッションで生まれたご縁から始まりました。関わるスタッフに向けた勉強会や研修を実施していただいたり、川崎市自閉症協会の方にお話をいただいてケーススタディをしたり、発達障害というものを全員で学びながら進めていきました。――企業と連携したからこそ、できたことがあったと。それぞれの企業ができることは何かと考え、ひとつずつ形にすることで最後には大きな力となりました。当日は大分からも当事者のご家族に参加いただいたので、まずANAに飛行機やツアー中の移動をサポートしていただき、JTBには移動時に限らず運営に携わるスタッフに向けた心のバリアフリー研修を行っていただきました。また、富士通には当事者ではない方にも感覚過敏の特性とそれに対する配慮の仕方を学習できるVR動画を制作してもらったほか、サッカー観戦などの貴重な体験を簡単に日記にできる「気持ち日記」というアプリを提供してもらったりと、コンテンツ面で力を発揮していただきました。Upload By 発達ナビ編集部――お子さんにとって、スタジアムで直接サッカーを観戦するという、得難い体験になったのではと思います。そうですね。会場となった等々力陸上競技場にはセンサリールームを特設して、音も光も抑制された部屋で観戦できるようにしました。同時にカームダウンスペースとスヌーズレンも用意して、疲れた時に休憩できるようにもしたんです。また試合開始前には川崎市長からこの取り組みについての説明をしたり、川崎フロンターレの計らいでオーロラビジョンの選手名をひらがなで表記していただいたりしました。サポーターの方たちが歓迎の横断幕を用意してくれたのも印象的でした。――そして翌日にはサッカー教室も開催されました。当日は、前日の試合に出場してリカバリートレーニングをしていた選手も急遽参加してくれて、思う存分サッカーを楽しんでもらう体験をしていただきました。普段見られない一面が見られて良かった、ひとつの成功体験となりその後の学校生活の中でも積極的に動けるようになったと、ご家族にも喜んでいただけたことが嬉しかったですね。Upload By 発達ナビ編集部――今振り返ると、どのような意味のある取り組みとなったのでしょうか。発達障害の当事者以外の方も巻き込んで、みんなが考えるきっかけとなったことが大きかったなと考えています。実施後も、国際ユニヴァーサルデザイン協議会主催のIAUD国際デザイン賞2019UXデザイン部門での金賞や、公益社団法人日本プロサッカーリーグ主催の2020Jリーグシャレン!アウォーズでのJリーグチェアマン特別賞の受賞など、たくさんの反響をいただきました。現在も、他の自治体などから問い合わせをいただいており、今後はこの取り組みが全国的に広がっていくことが大切だなと思っています。Upload By 発達ナビ編集部日本初!商業施設で安心して買い物を楽しむための「クワイエットアワー」――他の取り組みとして、「クワイエットアワー」についても教えてください。「サッカー&ユニバーサルツーリズム」のサッカー教室の日に合わせて、会場近くの「イオンスタイル新百合ヶ丘」に朝9時から10時まで、日本で初めての試みとなる商業施設における「クワイエットアワー」を実施していただきました。買い物を楽しんでから、サッカー教室に参加しようという提案です。――まだ「クワイエットアワー」は日本で浸透していない中での取り組みとなりました。そうですね。例えば、川崎市のホスト国である英国では、すでに商業施設でも特定の曜日・時間帯に行われているもので、感覚過敏のある方も安心して買い物ができるよう、音や光を緩和していると聞いています。感覚過敏がある方にとって、店内の音や光や匂いなどによって、生活に必要な買い物が苦痛になってしまうことがあります。この取り組みをきっかけに川崎市内、将来的には全国で「クワイエットアワー」が浸透していってほしいと願っています。Upload By 発達ナビ編集部――具体的にはどのような取り組みだったのでしょうか。店内の照明の明るさを通常時より2~5割程度暖和したり、店内に流れるBGMに配慮したり、カームダウンスペースの配置などを行いました。検討にあたっては、医師のほか、音響の専門家、当事者団体など、多くの方に意見を伺いながら進めました。Upload By 発達ナビ編集部――日本初の商業施設における「クワイエットアワー」、やってみていかがでしたか?当事者の方のサポートになるということは前提として、やはり大切なのは当事者以外の方に知ってもらう、考えてもらうことだと思っています。その意味で、普段お買い物をされている方が「クワイエットアワー」を知り、「よい取り組みですね、応援します」と言ってもらえたことは収穫でした。同時に、「少し店内が暗くて見えにくい」との素直なお声もいただき、今後も理解を広げていくための取り組みを推進していきたいと考えています。――取り組みを川崎市全体に広げたいという想いもあるのではないでしょうか。そうですね、市内の他の商業施設などに展開をしていきたいと考えていて、現在各方面から情報を集めながら進めています。構えずに参加しやすいように、例えば照明やBGMを落とすだけでもサポートになるんですよという提案をしていきたいと考えています。そして実施事例が増えていくことで、発達障害や感覚過敏について知る機会が増え、自分も何かできないかと行動に移す、そんな風に広がっていって欲しいです。マイノリティの立場で世の中を考える、「バリアフルレストラン」――最後に、今年実施した「バリアフルレストラン」についても伺わせてください。「バリアフルレストラン」とは、車いすユーザーと二足歩行者が逆転した架空の世界を体験する、「チーム誰とも(主体:公益財団法人日本ケアフィット共育機構)」によるプログラムのことです。「令和2年度共生社会ホストタウンサミットin多摩川」に合わせて、目玉となる出展のひとつとして二子玉川ライズ ガレリアで実施しました。――障害の社会モデルの一環で、マイノリティの立場を体験するための企画ということですね。はい、今の社会の多くは無意識のうちにマジョリティ優先の考え方で成り立っています。その前提をひっくり返して、世界の中で車いすユーザーが多数だったときに、どういうレストランになるのかを具現化して当事者ではない方に体験していただきました。コロナ禍ですので人数制限などの対策を万全にしながらの実施となりましたが、体験された方から貴重な機会になったとのお声をいただいています。Upload By 発達ナビ編集部――発達ナビのメンバーも参加させていただきましたが、非常に貴重な体験となりました。ありがとうございます。川崎市長も体験をしたのですが、「すごい気づきをいくつも感じることができる非常に貴重な体験であり、このような機会をいろんなステークホルダーの方たちと連携しながらいくつもつくり出していきたい」とのコメントがありました。この取り組みをきっかけとして、身体障害のある方もそうですし、発達障害や感覚過敏がある方についても、当事者以外が自分事で考えたり体験したりしてもらうための取り組みを続けていきたいと思っています。Upload By 発達ナビ編集部――東京2020大会の見通しは不透明ですが、一旦は「かわさきパラムーブメント」の区切りを迎えることになります。もちろん東京2020大会はきっかけのひとつでしかないので、今後も培ってきた考え方を広げて、どのように推進していくかを議論しているところです。時代の流れと共に常に視点は更新しながら、川崎市としての軸はブラさずに、レガシーを形成するために一歩一歩着実に取り組んでいきます。――発達ナビの読者の皆さんにも、メッセージをお願いします。川崎市では、街の物理的なバリアフリーの実現はもちろん、「心のバリアフリー」についても浸透させていくことで、発達障害や感覚過敏のある方にとっても暮らしやすい街づくりを目指していきます。私たちの取り組みを知っていただき、ぜひ川崎にお越しいただきたいと思います。そして何より、川崎市が始めた「誰もが自分らしく暮らし、自己実現を目指せる地域づくり」の取り組みについて、ぜひご友人や暮らしている街の人たちにも伝えて広めていただきたいと思っています。この活動が川崎市だけではなくて全国に広がっていくことが、真に多様性を受け入れる社会の実現に繋がると考えているからです。真の共生社会の実現に向けて、ともに歩んでいきましょう。「かわさきパラムーブメント」についてご興味をお持ちいただき本当にありがとうございました。2024年に100周年を迎える川崎市、その取り組みをたくさんの方に知っていただきたいから「かわさきパラムーブメント」の考え方や取り組みには、発達障害や感覚過敏の当事者の方も、当事者でない方も、この社会で暮らす全員にとって多くの学びや発見があります。川崎市が踏み出した一歩が少しずつでも広がっていくことが、これからの社会には必要なはず。多様性を受け入れる街が、ひとつ、またひとつと増えていくことで、「障害のない社会」はきっと実現していきます。ぜひ皆さんにも、もっと取り組みについて知っていただき、近くの誰かに伝えていただけると幸いです。サッカー&ユニバーサルツーリズムの取り組みを動画で見る!
2021年02月26日帰ってきたらすぐお風呂に入って欲しいけどわが家では、新型コロナウイルス感染症のこともあり、外から帰ってきたらすぐお風呂に入るよう心がけています。しかし、でこぼこ兄妹の妹いっちゃんは何か描きたいものを思いついたら、もうそのことが頭から離れません。Upload By 寺島ヒロ外から帰ってきてすぐiPadに向かいます。すぐお風呂に入りなさい!と言いたいところですが、ここはグッと堪えて…Upload By 寺島ヒロいっちゃんも返事は元気よくしてくれますし、私も創作意欲は尊重してあげたいなと思うので、そのままにしておきます。Upload By 寺島ヒロしかし、いっちゃんはいっこうに腰を上げる気配がありません。Upload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロこういうことは以前からしばしばありました。しかもいっちゃんは、「怒られた!」とショックを受けるとその後1時間ほど「体に力が入らないよー…」と、激しくパニックを起こすほどではないですが…だらだらモードになってしまうのです。そんな様子を見て私は無駄な時間だな~とイライラしていました。この日も、やっぱり固まってしまった娘。「わ、めんどくさー」と正直思いましたが…。「あっ!」と、気がついたんです。わたし、「まだ入ってないの?」と聞いただけで、「今すぐお風呂に入りなさい」とは言ってない…!!Upload By 寺島ヒロでも、いっちゃんが「30分ぐらい…?」と、気まずそうに言ったので、「早くお風呂に入ってほしい」という、私の言いたいことが伝わっていると思い込んでしまったんですね。もしかしたら気まずそうというのも、私が勝手にそう受け取っただけで、手元の作業に集中していたので、言葉がすぐ出てこなかっただけかもしれません。反省です伝わりやすくするための2つのルールそこで次から・何かをやらせたいときは、すぐに今やっていることを止めるのではなく期限を決める。・指示を省略しない。ということを気をつけるようにしました。Upload By 寺島ヒロここでまずは確認です。Upload By 寺島ヒロその次にやってほしいことを伝えます。Upload By 寺島ヒロその際には無理に今やっていることを止めず、納得するような期限を決めて伝えます。Upload By 寺島ヒロそして15分経ったら、「描いている絵を保存して(とても重要)、お風呂に行きなさい」と、再びやってほしいことを言葉で伝えます。すると…Upload By 寺島ヒロ指示を明確に...で明らかにするものは内容じゃなかった!発達障害の子ども、特にASDのある子どもの場合、「指示を明確に伝えると良い」とは、よく言われることです。しかし、指示を明確に伝えるとはどういうことか?ということを誤解している人は結構多いように感じています。例えばよく言われる「内容を整理して紙に書く」というのも大切なことなのですが、実はASDのある人が困るのは、指示や依頼の内容よりも、そもそも「指示や依頼をされた背景や理由がわからない」ということなのです。「モード」の切り替えが、お互いのストレスないコミュニケーションのコツ!?実は私自身も仕事の場などで、同僚に「~はもうやりましたか?」と言われ、「これは私への依頼かな?確認しただけかな?」と分からなくて困ることがしばしばあります。そのくせ、「いつでも文法通りに喋ると、多数派の人たちはしつこいとか、うざいという印象を持つんじゃないかな…」と思って、頑張って省略して喋っています。そして一旦「省略モード」に入ると、子どもに接するときにも、瞬時には「モード解除」されなくて、そのままの感じで接してしまうことが多いのです。これを読んでいる方の中にも、できるだけ言葉を省略することが習い性になっている人は多いのではないでしょうか?言葉をその通りに受け取ってしまうASDの人は「まだ〜してないの?」や「もう何時だよ」のような言葉から、「何かを促している」と解釈するのは難しい場合があります。経験を重ねれば会話のパターンから覚えていくということもありますが、子どもの場合は(特に目の前のものに集中している場合は!)どうしても会話の中から聞き取りしやすいところだけ拾って、中途半端に理解するということになりがちです。モードを切り替えるのは大変ですが、子どもに対しては、ここは頑張ると決めて、「〜をやってね」の部分だけでも省略せず喋るよう心がけています。明確に「これは指示だ!」といっちゃんにも分かる言葉にすることで、お互いにストレスなく次にすべきことを意識できるように思います。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年02月26日”必要な情報”を伝えることが苦手なコウの大きな成長にビックリ!Upload By 丸山さとこコウは自分の状況や意思を説明することが苦手です。必要な情報が抜けてしまって「何の話?」「どういうこと?」と突っ込まれることも多く、こちらから「〇〇のこと?」などと情報を引き出したり推測したりしなければ会話が成り立たないことも珍しくありません。かと思えば、微に入り細に入り説明し過ぎて「話が長い」「結局何だったの?」と突っ込まれることも多く、必要な情報を話すことの難しさを感じさせられます。そんな彼がある日、小さな厚紙を数枚手に乗せて「これどうしたらいい?」と聞きにきました。私は「どうしたらいいって…それは何なの?」と戸惑い、何と答えればよいのか困ってしまいました。Upload By 丸山さとこ「えっと…それは工作の材料なの?ゴミなの?」と聞くと、コウも「あぁ、そうだよね」とハッとし、「これゴミなんだけど、どこに捨てたらいい?」と聞き直してくれました。それだけで十分に意味は伝わったのですが、彼はそこからさらに少し考えて「これ、どこに捨てたらいい?」と言い直したので、私はとても驚きました。必要な情報を足したり引いたりするということ以前のコウであれば、私の質問に対して「えっと…これ…工作してて…あの、これもう使わないから…何て言えばいいんだろう…?」と困り果てて固まっていただろうと思います。Upload By 丸山さとここれが、もし夫とコウの会話だったとしたら、多分以下のようなやりとりになっただろうと思います。コウ:「これどうしたらいい?」夫:「どうしたらいいって何が?」コウ:「何って…?」夫:「それは何なの?」コウ:「何って…えっ?コレ…(紙を差し出す)」夫:「だからそれは何なの?」コウ:「えっ…?」夫:「どういうこと?」Upload By 丸山さとこ多少コウとの会話に慣れている私であったとしても、疲れているときは上記のようなやりとりになることは珍しくありません。そんなコウが「これはゴミです」ということを伝えられたということは、それだけでも画期的なことなのです。それなのに、さらに「捨てるって言ってるんだから『これゴミなんだけど』はいらないよね」という判断までしたのですから、その成長の大きさには本当にビックリです。必要な情報を足すことで「何の話か分からない」をクリアした後に、更なる成長があったとは!と思うと、”自然な会話”というものの面白さと難しさを改めて感じます。周囲もまだ幼かった低学年のころと違い、11歳になったコウが学校での会話で求められるものは”本人ができること”よりも高く、いろいろと苦労しているのだろうなということがチラリと見えることも多々あります。Upload By 丸山さとこ見えれば気にはなりますが、それらの難しさに対して親があれこれ言うことはできなくなっていく年頃だなー…ということも感じるこのごろです。そんな日々の中で、「コウはいろいろなことを吸収して試行錯誤しているんだなー…」としみじみした、日常のひとこまでした。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年02月25日いじわるが嫌で、泣いてしまう娘。1年生の頃は・・・広汎性発達障害の娘が、小学1年生のころ、周りにされるいじわるやいたずらに、いつも泣いていました。相手にとってはちょっとふざけたことでも、娘にとっては涙が出るほど嫌なこと...小学生になればある程度のもめ事は仕方ないと、覚悟していた私でしたが、帰宅するたびに、「今日も泣いちゃった...」という娘の言葉に、頭を抱えていました。Upload By SAKURA1年生のころの娘は言われっぱなしで、先生に助けを求めることができませんでした。そのため、私が娘の話を聞き、悪質だと感じたものは事後報告として先生に連絡帳で伝えていました。Upload By SAKURA先生は事実確認をしてくれ、もめた子に注意はしてくれていましたが、娘に対するいじわるがなくなることはありませんでした。娘が第一子である私にとっては、初めての経験。先生に「この時期の子は、こんな感じですよ~」と言われても納得ができず、モヤモヤしていました。Upload By SAKURA2年生になると、先生に助けを求められるように。2年生になるころには少しずつ先生に助けを求められるようになりましたが、冗談やふざけただけの行為で大泣きしてしまうことは変わらず、娘はちょっかいをかけてくる特定の男の子たちをとても怖がっていました。Upload By SAKURAただ、幸運にも2年生のときの担任の先生は超体育会系の先生で、「人の嫌がることをする」「いじわるをする」ということに対して、指導がとても厳しい先生でした。Upload By SAKURAおかげで、娘のことも注意してみてくれ、娘も先生を頼るようになりました。3年生からは、友達の言葉に嫌な思いをするように・・・しかし3年生になると、子どもたちも知恵をつけてきます。先生のいないところで、娘にちょっかいを出したりするようになりました。また、「バカ」「死ね」といった言葉も飛び交うようになり、冗談と本気の区別がうまくつけられない娘は、その言葉を聞くだけで泣いてしまうことがありました。特別支援学級の先生から、泣いてしまったという報告も多くあり、言葉や行動を繊細に感じやすい娘は、これから人よりたくさん嫌な思いをしなければならないのかと心配になりました。私に何ができるのか、どうしたら娘が辛くないのか、考えても答えは出ず、いつも何事もなく学校から帰るのを祈っていました。Upload By SAKURA4年生の今、いじわるはされるけど・・・現在4年生の娘。今は先生からのお友達とのもめ事で「泣いた」報告は、ほとんどありません。他の子からのいじわるが、なくなったのだと思っていた私。娘に聞いてみると...Upload By SAKURA以前は一つひとつを真剣に捉えて大泣きしていた娘でしたが、その対応は、なんというか...いい意味で冷めていました。Upload By SAKURA1、2、3年生のころの娘からは、全く想像できない姿でした。家での様子にも変化が・・・確かに娘は4年生になってから、家でも少し変わり、弟のからかいをとても冷静に返すようになっていました。Upload By SAKURA以前なら弟の言葉に大泣きしていた娘ですが、ちゃんと指摘したり、相手にしなかったりして、うまく対応できるようになっていました。どうして変わった?思い出した主治医の言葉。正直、どうしてこういう変化を遂げたか、私にもさっぱりわかりません。娘が成長した...そういうことなのだろうか...と思ったとき、私は、以前主治医の先生に発達の定期健診のときに言われた「娘さんはずーっとこのままではありません。少しずつ変わっていきます」という言葉を思い出しました。その言葉通り、私が慌てたり、心配したりしている間に娘は変わっていき、私の心配から抜け出していたようでした。小学校に入ると、本当にいろんな心配事が増えます。泣いてしまうこと、人より時間がかかってしまうこと、パニックを起こしてしまうこと...しかし、1年生の娘と、4年生の娘は、全く違います。1年生のときに大騒ぎしていたことが、今はすんなりできています。「ずっとこのままではない」という主治医の先生の言葉が、とても身に染みる結果となりました。これから先、中学生、高校生と成長していく上で、最初は壁にぶつかったり、できないことで頭を悩ませるかもしれません。しかし、「ずっとそのままではない」ということを忘れずに、娘と一緒に成長していきたいと思っています。発達ナビライターによる小学校生活での困りごとエピソードをあつめたまとめコラムはこちらです。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年02月24日食事や着替え、手洗いまでも介助が必要でUpload By かさはらあやこ3歳8ヶ月、自閉症の息子は朝起きてから寝るまで、身の回りの動作については全介助の生活。全介助とは、移動・食事・入浴・排泄・更衣など、生活するうえで必要な動作全てに助けが必要であるということです。どのような介助が必要なのかはひとりひとり違うのでイメージしにくいためか、こんなことを言われることが多々あります。「大変だね。でも、子どもが大変なのは皆同じ。幼児なんて障害があるなしに関わらずみんな手がかかるでしょ?」子どもが大変なのは皆同じ。それはごもっともです。でも身辺自立に関しての大変さは、障害があるなしでは違うと思います。いや、ぜんぜん違います。そこはわかってもらいたい。現在1歳10ヶ月の娘は、器用にスプーンやフォークを使って自分で食事をし、ズボンを履こうとしたり、歯磨きや手洗いを自らやろうとしたりするし、オムツを替えるときに腰を浮かせてくれたりもします。些細な動作ですが、あるのとないのとでは雲泥の差。そんな小さな動作に気づくたび、こんなことができるのかと衝撃を受けています。Upload By かさはらあやこ全介助で気力も体力も消耗...夕方にはヘトヘトにUpload By かさはらあやこ息子を着替えさせるとき、手足の動かない人形に服を着せているような感じで、腕や脚を曲げたり伸ばしたりしてくれないため、スムーズに着脱ができません。靴を履かせるときは、足を靴にねじ込むものの、履けた手応えは感じられず、すぐ脱げてしまったり。関節を本人の意思とは関係なく可動させなければいけないため、今のは痛かったのではないだろうか…。と、日々気にしています。オムツ替えでは、全く拭けていない状態で衝動的に動くため、凄く焦るし、イライラもします。また、履かせるときは下半身を持ち上げなくてはいけないため、手首は負担がかかりすぎて常に痛い。手を洗うことも、本人には全く意思がないので、手を引いたり、時には抱き抱えたりして連れて行き、真っ直ぐ立つことなくグニャグニャしながら寄り掛かってくる息子を脚で支え、左手で息子の両手首を持ちながら右手で手に泡をつけて無理やり洗い、暴れるのをおさえつけてタオルで拭いて…やっと終わったと思ったら、床はべちゃべちゃ、自分もべちゃべちゃ。床を拭いて、ため息。なんてことを毎日やっています。歯磨きや入浴に関しては、日によって泣く・暴れるがプラスされるので、日中の育児で疲れ切っている私では手に負えず、帰宅した夫に任せていますが、 一緒に入浴できないことに寂しさを感じることもあります。甘やかしすぎかな?と不安もあったけれどUpload By かさはらあやこきっと息子は、身の回りのことについて、なぜその動作をするのかをまだ理解できておらず、慌ただしい朝など、何も分からない状態で振り回されるているだけ。相当なストレスを感じていると思います。朝起きてから約束の時間までに身だしなみを整えて車に乗せ、出発する。そんな簡単で当たり前のことが、私にとっては前日から入念にイメージトレーニングをして、気合を入れなければこなすことができない、大変なことなのです。本当は、息子にはもう少し自分でできることがあるのではないかと思っています。しかし、今はスムーズに支度が進むことを優先させてしまっている部分があり、時間をかけて向き合ってあげられていないことを反省しています。食事の介助など、フォークを使うことができるのに、自分で食べずに口を開けて待っている状態で、こんなに全てやってしまっていいのだろうか?甘やかしているのではないか?と悩んだこともありますが、息子に関しては、「今は食べさせて欲しいというなら、食べさせてあげて大丈夫。一度できたことができなくなったわけではない」と療育の先生が言ってくれたおかげで、身辺自立を焦ることはなく、安心して見守ることができています。4月から保育園に入園する予定の息子。小さな世界が少し拡がることで、どう変わっていくのか楽しみです。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年02月23日書くことが苦手だったミミミミが鉛筆を持つようになったのは年長のころですが、とにかく嫌いで苦手でした。1年生になって仕方なく鉛筆を持つようになったけれど、平仮名のドリルはまったくやる気なし。年長向けの運筆ドリルもイヤイヤでした。国語の宿題では、同じ文字を何回も書かなければならず、1文字書くのにも時間がかかっていました。興味のわかない文字を何回も書くことは私もつまらないと感じるはず、ミミが国語を好きじゃない気持ちもわかりました。Upload By taekoミミが文字を書くように?小学生になり半年くらいたったころ、学童で昆虫の名前と絵がある「昆虫カード」をたくさん紙に書いてきました。ミミは自分の好きなことなら文字を書けるんだとわかりました。ちなみに足し算や引き算は得意で、ミミは 「好き」らしいです。だから数字は嫌がらずに書いています。昨年の休校時期に、iPadの算数アプリをやって、算数を好きになれたことが良かったのかも?Upload By taeko新しい苦手も出てきたけれど授業はだいぶ進んできて、算数では「60マス計算」が始まりました。プリントを見ると、得意なはずの計算が間違っている!ミミに聞くと、計算する数字を誤って見てしまうとのこと。先生も丁寧に教えてくださっているようですが、ミミはバツのチェックが付くので「算数キライ」と言うようになりました。ネットで探した計算のやり方をミミに伝えても、聞く気がなく、学校の先生じゃないとダメなのかも?Upload By taekoミミは、家でも積極的に漢字を書いてくれるように。パパとのゲームに出てくる漢字や、外で見かける漢字が分かって、楽しんでいるようです。学校の授業で手紙を書くようで、私の誕生日に書いてくれました。保育園のころはまったく文字を書こうとしないので、興味を持ってくれたらいいなと思い、「だいすきだよ」と書いた手紙を持たせると保育園で破いていたことも。あのころはつらかったけど、今は私に手紙を書いてくれるなんて、成長がとっても嬉しい。Upload By taeko手紙を書く相手は...?休日に動物との触れ合い体験に行き、そこにいるオカメインコがすっかり気に入ったミミ。学校でインコ宛に手紙を書いてきました!封筒に入れて、次の休日に手紙を持って行きました。インコの前で手紙を読み、手紙を差し出すとインコは手紙をガジガジかじりました。「ありがとうって言ってるみたいだね」と言うとミミは嬉しそう。「また手紙を書くね!ほかの〇〇ちゃんにも書く!」と、10羽くらいいるインコの名前と性別を全部覚えていたことにびっくりです。Upload By taeko「好き」の力は大きいミミにとって、好きかどうかが大きいのだなと感じました。好きになると、勉強もうまくいくようです。国語を好きになってくれて良かったです!LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年02月22日社会の常識を疑う…兄の自由帳に書かれた“謎の言葉”筆者がヘラルボニーという存在を初めて知ったのは、とある意見広告だった。2019年12月当時の背景としては、内閣府が「桜を見る会」の招待者名簿を廃棄した問題について、安倍晋三首相(当時)は、名簿をシュレッダーで廃棄した人物は「障害者雇用の職員で、短時間勤務だった」と答弁したのだった。そうした中、東京・霞が関の弁護士会館の前に掲示されたのがこの意見広告だ。「この国のいちばんの障害は、『障害者』という言葉だ。」Upload By 桑山 知之29歳、岩手県出身の一卵性双生児。4歳上に、重度自閉症と重度知的障害のある兄・翔太さん(33)を持つ。崇弥さんと文登さんは、保育園から小学校、中学校、高校までをともに岩手県で過ごし、その後は別々の道を歩んでいた。Upload By 桑山 知之文登さんは東北学院大学(宮城・仙台市)に進学後、大手ゼネコンに就職。一方、崇弥さんは東北芸術工科大学(山形市)の企画構想学科へと進学した。そこで放送作家を軸にマルチに活動する小山薫堂さんのゼミに所属。卒業展示では、社会の“常識”を疑う「常識展」を企画した。インドと日本の水を比べるものや、駅に花を植えることに心からの喜びを感じているホームレスなど、常識を問うさまざまな作品を並べた。その主軸こそが、自らの兄だった。「常識展っていうタイトルやアイデアの出発点も、兄貴がかわいそうではないという伝え方をしたいっていうところから入っているので。障害=かわいそう、とか、障害=欠落、というものをそうではないという世界観を提示したいって思って。だから兄貴を題材にすると決めて最初からスタートしていました。昔からそういうのを提示したい思いはありましたね」(崇弥さん)Upload By 桑山 知之現在の屋号「ヘラルボニー」。一度耳にしたら忘れない“謎の言葉”に出合ったのは、この卒業展示の制作のため実家を訪れたときだった。「兄貴の部屋の押し入れをバーッて探していたんですよ、いろんなものを。母親もよく残していたなと思うんですけど、何十冊も自由帳とか絵日記とかあって。けっこう絵日記も世界観がおもしろいものが多くて、これなんかフォントおもしろいですよね」(崇弥さん)Upload By 桑山 知之「障害者だって同じ人間なんだ」中学時代に母とすれ違いも2人が幼いころから、自閉症の兄とともに福祉団体に遊びに行くのが毎週末の決まり事だった。そこでは、自閉症に限らずダウン症や精神障害などさまざまな人が集っていた。2人にとっては、そこで“障害”というものはあまり関係なく接しているのが当たり前だった。ただ、小学4年のころに覚えた違和感を、文登さんは作文に綴っていた。「団体の人と土日一緒に出掛けていたときに、目線とか……同い年ぐらいの人が指を差して、僕らの兄の集団を笑っていたんです。それに対して腹が立って。小4ながらに自分の中で思ってた感情っていうものがけっこう多くあったんだろうなって。僕ら双子の中でのフツウの感覚と、社会側のフツウの感覚のズレみたいなものとか、単純に『兄をバカにすんなよ』っていう思いもそこに乗っかっているのかなと」(文登さん)Upload By 桑山 知之2人はやがて中学校に進学し、卓球部に所属した。兄は県内の特別支援学校へと進学。しかしここで、関係性は一度悪化してしまったという。「僕らの中学校は自閉症スペクトラムのことを『スぺ』って言ったりする子がいて、『お前、スぺの教室行けよ』みたいな。自閉症=欠落、スぺ=欠落みたいな風な使い方をするような中学校だったんです。試合の応援にも母親が兄貴をよく連れてきていたんですけど、僕もすごい兄貴が応援に来ることにアレルギーが起きるようになったんですね。それで母親に『兄貴連れてこないでよ』ってすごい言っていたんですけど、母親はしきりに『隠すことじゃないよ』って逆上するわけですよ」(崇弥さん)「自分たちの心の弱さから、小4のころはふざけんなよって言えても、中学ぐらいになって言えなくなってしまう自分もけっこういて。『スぺ』っていうものが蔓延して、スぺのきょうだいだって思われるのがすごく嫌になってしまった時期があって」(文登さん)Upload By 桑山 知之障害者の兄がいることは決して恥ずべきことではない。そんな思いから、部活を引退するまで母親は兄を連れて試合に応援へ駆けつけ続けたのではないかと2人は推測する。しかし、地元から200キロ離れた高校へ進学すると、自然にこの“すれ違い”はなくなった。「周りから言われることを避けるために、兄貴を迫害することによって自分を守っていた」と崇弥さんは振り返る。「中学時代も、兄貴のことを嫌いになったりとか、兄貴のことを大切に思ってない、ではないんですよね。兄貴のことはずーっと大切で、好きな状態はずっと今も思っていて。ただ、中学のころは防衛本能が働いていたっていうか……。高校に上がると、その当時の友達とかもいなくなったので、環境が変わったので普通に兄のことも言えるようになったんですよ。なので、自分で過ごしている環境ってすごく大事なんだろうなってホント感じますね」(崇弥さん)Upload By 桑山 知之子育てに正解はないという。「もしかすると正解は『ずっと連れて来るもの』って書かれるかもしれないけど…」としながら、きょうだいにはきょうだいの生活があり、親としてはその立場を考えるのもアリではないかと崇弥さんは語った。文登さんはそれを「逆張りだ」と笑いながら、親子で話し合う場の必要性を思案していた。前身ブランドからヘラルボニーができるまで崇弥さんは、小山薫堂さんが代表を務めるオレンジ・アンド・パートナーズという広告会社に4年半勤務した。かつて薫堂さんが住んでいた東京・赤坂のアパートも紹介してもらい、住んでいたという。社会人2年目の夏、岩手へ帰郷した際、衝撃を受けた。「岩手県にある『るんびにい美術館』(岩手・花巻市)っていう、それこそ知的障害のある作家が描いた作品が展示されている、社会福祉法人が運営している美術館がありまして。そこに行ったときにものすごい衝撃を受けて、これはおもしろい!っていう風に思ったんです。一発目に文登に電話をかけて、『なんかやろう!』って。何かを立ち上げようと」(崇弥さん)あの衝撃からちょうど1年後、2人はヘラルボニーの前身となるブランド『MUKU』を立ち上げた。ラッパーの晋平太さんを介して、『見えない障害と生きる。』にも出演したGOMESSさんに依頼し、楽曲も誕生した。見た人を惹きつけるプロダクトはすぐに話題となった。しかし一方で、崇弥さんはもどかしさを感じていたという。「当時は副業だったので、もっと全然いけるのに……っていつも思っていたんですよ。もっとコミットしたら絶対にいけるのに、でもこんなにリソースを割けないから悔しいなっていつも思っていて」(崇弥さん)Upload By 桑山 知之そこから2年後の2018年7月、謎の言葉「ヘラルボニー」を掲げた会社を設立した。翌年には経済誌『Forbes』が選ぶ「世界を変える30才未満の30人」に双子起業家として選ばれたほか、先述の意見広告でも一大ムーブメントを巻き起こした。建設現場の仮囲いを期間限定のミュージアムと捉えたプロジェクトも話題を呼んだ。そして何より、障害のある作家がつくるアートを生かした製品は、飛ぶ鳥を落とす勢いでファンを獲得し続けている。その大きな要因として、「着想の出発点」が違うからだと筆者は思う。「時代に後押しされているというのはものすごく感じます。もともとSDGsやりたいとかそういう思いで始めたわけでは全然ないけれども、社会側がSDGsっていう文脈を持ってきてくれているし、ダイバーシティやりたいって思ってダイバーシティって言ったこともないけれども、社会側がダイバーシティ&インクルージョンっていう文脈をウチに紐づけてくれるし。社会側が色んな文脈をウチの会社にありがたいことに紐づけてくれたっていうところがすごくある」(崇弥さん)「10年前やっていたら全然違う結果になっているだろうけれども、今っていう時代にやれているからこそっていうのもあるだろうなと。僕ら双子揃って運が良くて、いろんな方に恵まれているというか、自分たち双子としては大したことないんですけど、関わってくれている皆さんが本当に素晴らしい人が多いんです」(文登さん)Upload By 桑山 知之異彩放つ活躍数字で語れる会社に人気セレクトショップ『TOMORROWLAND』での製品販売や、吉本興業とのコラボブランド『DARE?』など、ヘラルボニーの躍進は止まらない。今年度の売り上げは1億円を超えるという。もちろん、アーティストへの還元も忘れない。「正直ホント数字面ではまだまだなんで。数字で語れる会社になれたらいいなってすごい思いますね。あそこは数字も素晴らしいよね、障害のある作家にもめっちゃ還元するよね、っていう会社になりたい」(崇弥さん)「今後の目標設定とかもすべて透明化させたいなと来期から思っていて。障害のある作家さんにどれぐらいバックしていて、これまでどれだけバックしてきたか、みたいなところとかも全部見える化して、それに対する社会的なインパクトとかもつくっていきたいなと」(文登さん)Upload By 桑山 知之兄・翔太さんは現在、岩手県奥州市にある就労継続支援施設(B型)「わかくさ」で、コーヒーのパック詰めや空き缶つぶしをしている。週に3回はグループホーム、残りは自宅で暮らしているという。きっと弟2人の“異彩を放つ”活躍を、誇らしく感じているだろう。Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年02月21日レンジャーたちにもそれぞれの趣味や特技があってそれぞれのライフワークを楽しんでいるレンジャーたち。一方、マジョリティー隊にも動きがあったようで...マジョリティー隊長が隊長職を退く?『PP団』とはいったい...!?Upload By 荒木まち子マジョリティー隊をPP団に委ねた隊長、意外な本業に専念Upload By 荒木まち子執筆後記隊長の名前は『鏡 大慈』。鏡を“きょう”と読み替えると...そう、隊長は“きょうだいじ”だったのです。きょうだい児のケアやフォローもとても大切ですよね。さてマジョリティー隊の上層団体PP団とは一体...?次回はPP団のお話です。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年02月20日外国にルーツを持つ子どもの人口変移日本に暮らす外国人は、年々増え続けています。2020年12月に法務省が公開した統計によると、2012年12月時点で約203万人だった在留外国人の総数は2019年12月時点では約293万人となり、7年間で約90万人増えていることが分かっています。そして、在留外国人の人数は今後も更に増える見込みだと言われています。そんな中で、外国にルーツを持つ子どもたちの、特別支援級・特別支援学校への在籍率の高さについて指摘されることが増えてきました。ある調査では、全児童生徒のうち特別支援学級に在籍する日本人児童は2.25%程度であるのに対し、外国人の子どものみで見た場合は5.01%と、日本人児童生徒の約2倍の割合で外国人児童生徒が特別支援学級に在籍しているというデータが示されています。私は、人口の8人に1人(総数およそ4400万人)が移民であるアメリカに、私自身も移民として長年住んでいました。アメリカの国家資格である Speech-Language Pathologist (CCC-SLP)という資格を取得し、言語病理学の専門家として発達障害、先天性の疾患、後天性の脳障害によるコミュニケーション障害や嚥下障害を抱える子どもや成人の検査・評価を行い、訓練や指導も実施していました。また、言語心理学も専門としており、アメリカの大学で外国語としての日本語教育にも携わっていた経験があります。現在は、LITALICOジュニアでシニアスーパーバイザーとして、支援のスーパーバイズや研修を行っています。そしてまた、外国にルーツを持つ子どもたちの支援に特化したプログラムの開発なども行っています。このコラムでは、言語的・文化的に多様なバックグラウンドを持ち、発達障害の可能性も疑われる子どもの支援について検討していきます。外国にルーツを持つ子ども達の抱える困難さ現在日本に住んでいる在留外国人のうち、20歳未満の子どもは約35万人ということが分かっています。2018年に実施された文科省の調査では、今現在日本に住む外国にルーツを持つ子ども達のうち、約5万人が日本語での日常会話が十分にできなかったり、日常会話ができても学年相当の学習言語が不足していることで学習活動への参加に困難さが生じており、特別な日本語指導が必要な児童生徒とされています。言葉の分からない異国の地で学校に通い、現地で生まれ育った同級生と一緒にさまざまな活動に参加することの困難さは想像に難くないでしょう。また、外国にルーツを持つ親御さんにとっても、自分自身が受けた母国の教育システムとは異なる日本の学校に自分の子どもを通わせるとなると、日々の学校生活の中でどんな活動が行われ、お子さまがどのように毎日を過ごしているのか想像しにくく、大きな不安を抱えている人が多いのではないでしょうか。そして、外国にルーツを持つ児童生徒を取り巻く環境として顕著なのが、冒頭でも触れた特別支援学級・特別支援学校の在籍率の高さです。これは移民の多い諸外国でも見られている傾向で、米国でも、英語を第二言語として話す児童生徒の中で特別支援を受けている児童生徒の割合は、ネイティブスピーカーで特別支援を受けている児童生徒の割合よりも高くなる傾向が知られています。なぜこういったことが起こるのか。それは、バイリンガルの児童の言語スキルや知能を正確に測ることの難しさにあります。ある研究では、発達心理検査の一つであるWISC-IVを外国にルーツがある子どもに対して施行したところ、対象児童の第二言語(日本語)で施行した場合は、母語(ポルトガル語)で施行した場合に比べて低いスコアが算出されたという結果が出ています。このように、第二言語で発達心理検査を受けた結果、誤って発達障害の診断を受けてしまう「過大診断」と言われるケースが多く存在します。一方で、発達心理検査の結果子どもが抱える困難さは認められたものの、検査の結果が振るわなかったのは第二言語で検査を受けたことの影響だと考えられ、適切な診断に繋がらないという「過少診断」のケースもあると言われています。こういった背景もあってか、外国にルーツを持つ子どもの支援に関わる際に、ほとんどのご家庭が直面する問題に「家庭内で何語を使うべきか」という疑問があります。子どもに発達障害の診断が下っている場合はもちろん、診断がない場合でも、子どもの発達に不安を抱えている家庭において、「子どもの言語発達を促し、スキルを育むためには、一つの言語に絞った方が良いのではないか」という疑問を持つことは、ごく自然なことだと言えるでしょう。また、ご家族が今後長きに渡って日本に住むことを予定している場合は特に、今後の居住地となる日本で話されている言語である日本語が一番重要だという想定のもと、日本語力を最優先で伸ばすべきなのではないかと考える方も多いようです。しかし、現地語である日本語の獲得を優先させるあまり母語を蔑ろにすることは、長期的な目で見ると、外国にルーツを持つ子ども達と親の間の絆である母語をなくすこと(母語喪失)につながります。母語喪失により、親子間のコミュニケーションが難しくなり、親子の関係構築にネガティブな影響があることも指摘されています。世界規模でみると、人口の約半数が複数の言語を話す「マルチリンガル」であると言われており、複数言語環境下で育つことが子どもの言語発達にどういう影響があるのかは、世界各国のさまざまな言語の組み合わせで研究がされてきています。ここでは、そういった研究で分かっていることを紹介していきます。参考:外国にルーツをもつ児童の発達アセスメントと言語の問題について | 松田真希子・中川郷子(著),(2017)複数の言語を聞いて育つことで子どもが「混乱」することはない複数の言語を聞きながら育つと、今何語を話されているのか理解できず複数の言語を切り分けて理解することができないのではないかという説がよく聞かれますが、複数言語下で育つ子どもがさまざまな言語を聞いているときの行動や脳波を分析した研究では、新生児や幼児であっても、複数の言語を聞き分けており、異なる反応を示していることが分かっています。また、バイリンガルの子どもや大人が二つの言語を混ぜて使う「コードスイッチング」という現象がありますが、これも、どちらの言語を使ったらよいか分からないから混同しているというわけではなく、一方の言語では伝わりにくい概念などを他方の言語で的確に伝えるために、複数の言語をうまく使い分けているという解釈が実情に近いとされています。参考:Evidence of Early Language Discrimination Abilities in Infants From Bilingual Environments | Infancy, 2(1), 29-49. | Bosch, L.&Sebastián-Gallés, N. (2001)発達障害のある子どもの言語発達においても、複数言語環境の悪影響はないASD(自閉症スペクトラム)、発達性言語障害、知的障害のあるモノリンガルの子どもとバイリンガルの子どもの言語発達を比較した複数の研究で、バイリンガル環境自体が発達障害を持つ子どもの言語発達に悪影響を及ぼすことはないという結果が出ています。これは音声言語だけでなく、社会的コミュニケーションの点においてもバイリンガル環境自体が不利に働くことはないとされています。例えば日本語と中国語を使用する環境で育った子どもと日本語だけを使用する環境で育った子どもを比べたとき、語彙数などには差が見られることも多いです。しかしこれは、多くの場合一時的な差と言われています。また、比較している語彙数に関しても、バイリンガル環境で育った子どもの日本語語彙数とモノリンガル環境で育った子どもの日本語語彙数を単純に比べると前者の方が少ない傾向があっても、バイリンガルの子どもが第一言語と第二言語のそれぞれで知っている語彙数を合計した場合、バイリンガルの子どもの方が語彙数が多いという結果が見られています。このことから見ても、言語発達をさまざまな観点から包括的に分析すると、バイリンガル環境で育つことが悪影響を及ぼすことはないというのが、多くの研究で立証されている結果です。参考:Comparative language development in bilingual and monolingual children with autism spectrum disorder: A systematic review | Journal of Early Intervention, 39(2), 106-124. | Lund, E. M., Kohlmeier, T. L., & Durán, L. K. (2017)参考:Bilingual children with primary language impairment: Issues, evidence and implications for clinical actions. | Journal of communication disorders, 43(6), 456-473. | Kohnert, K. (2010)参考:The language abilities of bilingual children with Down syndrome. | American journal of speech-language pathology. | Bird, E. K. R., Cleave, P., Trudeau, N., Thordardottir, E., Sutton, A., & Thorpe, A. (2005).親の第一言語で子どもに話しかけることが、子どもの言語発達に良い効果をもたらす子どもの将来を考えると居住国の言語を習得することが最優先なのではないかという認識のもと、家庭内での使用言語を日本語に絞るようアドバイスされるケースが少なくありません。しかし、親が得意としない第二言語のみを家庭内で使うことは、期待されている第二言語の上達には繋がりにくいとされています。第二言語で話すとなると、親から子に語りかける自然な発話の量が減り、使う語彙や文型も限られてしまい、子どもが触れる言語のモデルが量・質ともに下がってしまうからです。一方で、親の第一言語を家庭内で育んでいた場合、親から得る言語のインプットがより豊かになり、言語発達だけでなく、認知的能力にも良い効果が見られています。また、家庭内で親の第一言語を使ったコミュニケーションを促すことで、親子関係の向上にも繋がり、情緒面のサポートにも繋がるとされています。更には、家庭内で第一言語を使って第一言語の土台を強くすることで、読み書きのスキルが上がり、学齢期以降に学習面で必要となる複雑な概念などの理解もしやすくなり、学習によって得た知識は第二言語へも汎化されるという研究結果が出ています。このように、親の第一言語を家庭内で使用し外国にルーツを持つ子どもの母語支援をすることがさまざまな良い影響を及ぼすということが分かっており、居住国の言語のみに絞る減算型支援ではなく、加算型支援が諸外国でも進められているバイリンガル児童の支援の方向性と言えます。外国にルーツを持つ子ども達の持つ背景や成育歴は非常に多種多様です。何語をどのぐらいの割合で、どんな場面で使っているのか、周りにいる大人の言語習得度はどれぐらいなのか、生まれたときから二言語に触れていた「同時バイリンガル」なのか、それとも後から第二言語に触れるようになった「後続性バイリンガル」なのか…というように、一口に「バイリンガル」と言っても、さまざまな状況が複雑に絡み合って子どもの発達に影響を与えています。外国にルーツを持つ子どもや家族のルーツはアイデンティティそのものです。彼らのアイデンティティを否定することなく、育みサポートしていく方法を、それぞれの家庭の環境に合わせて考えていけると良いでしょう。このシリーズでは、今後複数回にわたって、外国にルーツを持ち発達障害の疑いがある子ども達やその家族の支援について、異文化理解、言語発達理論、第二言語習得論といった観点から検討していきます。参考:What clinicians need to know about bilingual development. | Seminars in speech and language (Vol. 36, No. 2, p. 89), NIH Public Access. | Hoff, E., & Core, C. (2015)参考:在留外国人統計(旧登録外国人統計)統計表| 総務省参考:「日本語指導が必要な児童生徒の受入状況等に関する調査(平成 28 年度)」の結果について | 文部科学省参考:外国にルーツをもつ特別支援学級在籍児童の複言語能力に関する調査研究|松田真希子(金沢大学 国際機構 准教授)
2021年02月19日小学校1年生、はじまった問題行動。物がなくなる...?長男が小学校に入学したときのこと。私は彼が新しい環境になじめるだろうかと不安だらけでした。けれど授業中の離席や、給食の食べ残しなどといったことはほとんどなく、思ったよりスムーズに学校生活は進んでいったようでした。そのときは「あ~、よかった」と胸をなでおろしていたのです。ところが...、長男の、問題行動が始まってしまったのです。気づいたのは、朝学校に行くときに持たせたハンカチやタオルがなくなっていることでした。Upload By シュウママ連絡帳でそのことを伝えると、次の日先生から書かれたお返事にびっくりしました。「シュウちゃん、実は2階の教室の窓からタオルやハンカチを落としてしまうんです。今1階の屋根にタオルが引っかかってますので、風が吹いたら下に落ちると思います。そのときお返しできるかと。本当に申し訳ありません」へっ…?タオルを落とす?戻ってくるのは風次第?Upload By シュウママ長男は、自宅で窓から物を落とすことはなかったので、それを聞いたときはなかなかの衝撃でした。その後も先生が目を離した隙に、靴や帽子を投げ落としたりしていたようです。学校で応急処置として、窓を下半分だけほんの少し開けて(窓を完全に締めると換気ができないので)対策してくださいました。やってはいけないことだと本人はわかっていたようです。投げ落とした後、ワーッと泣き叫んでいたらしいので。なぜそんなことをするのか理由ははっきりとはわかりませんが、おそらく周りの人が「駄目だよ!」と激しく反応する様子が見たかったのかもしれません。やっとおさまった問題行動。でも他にも困りごとはいっぱいあって...この行動はしばらく続き、たぶん3年生くらいまで隙を見てやっていたようでした。先生や私がどれだけ注意したり、怒ったりしても効果はなくて悩んでいたのですが、高学年になるとおさまりました。成長とともに物を落としたいという衝動が徐々に消えていったのだと思います。やっとおさまった問題行動に、一安心した私。しかし思い返せば、長男の小学校生活の困りごとはこの問題行動以外にもいろいろとありました。Upload By シュウママほかにもこんなことが大変でした...先ほど紹介した物を落とす問題行動以外にも、シュウには小学校生活での困りごとがたくさんありました。ここからはシュウが成長したなと私が思ったことを紹介していきたいと思います。これは1年生のときから根気強く先生が練習を手伝ってくださり、始めは前後を逆に着たりしていましたが、3年生くらいには一人で間違えずに着られるようになりました。1年生の運動会では、一応完走したものの他の人のコースに平気で侵入していたシュウ。しかし、2年生の時には自分のコースを走り切り、見事1等賞をとりました。乗り物、食べ物、体のパーツ、数字や色など、学校でカードを使って学習した効果か、今では身の周りのものの名前はたいてい理解しているようです。これが一番大変だったと思います。先生の話によると、9時のチャイムの音が聞きたくて校舎の時計の前で座り込んだり、途中先生に抱っこをせがんでみたり、「嫌だー!」と泣いて暴れたりとなかなか大変だったようです。実は一人で歩いて教室まで行けるようになったのは、ごく最近のことでした。きっかけはなんだったのでしょう。先生に聞いてみると「たぶん、お兄ちゃんになったんだと思います」とのことでした。先生は「もうすぐ中学生になるよ!と繰り返し学校で言っているので、お兄ちゃんになるという自覚がめばえてきたのかな」と笑っておられました。もしそうなら、嬉しいことだなと私は思います。Upload By シュウママUpload By シュウママどれもひとつひとつは小さな小さな成長で、定型発達の小学6年生なら、当たり前のようにできることです。けれど長男は6年かけてひとひとつ壁を越えて克服していったのです。それは先生方のご支援のおかげも大きかったのですが、長男の心が見えにくいけれど、ゆっくりゆっくりと育っていったことも大きかったと思います。6年間、よく頑張りました3月にはいよいよ卒業です。よく頑張ったねと長男の頭をなでてやりながら、果たして母は泣かずにいられるか。今から心配しています。Upload By シュウママ発達ナビライターによる小学校生活での困りごとエピソードをあつめたまとめコラムはこちらです。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年02月18日「オンラインまなびフェスタ2021」特設サイトがオープンしました!発達に凸凹があるお子さんの「まなび」の形は十人十色。良いものってなんだろう、なにが子どもに合うんだろう。悩むことがたくさんあると思います。そんなあなたのお役に少しでも立ちたくて、いろんなことを一気に知るためのイベントをつくりました。プロや専門家から学べる。良い商品やサービスと出合える。そんな特別な一日をお届けします。Upload By 発達ナビ編集部先日も開催決定をお伝えした、「オンラインまなびフェスタ2021」。発達ナビユーザーの皆さんが、出演する専門家や企業のことを知っていただき、もっと当日を楽しみにお待ちいただけるように。「オンラインまなびフェスタ2021」の全てが分かる、特設サイトを心を込めてつくらせていただきました。当日ご登壇いただく専門家や企業を一挙公開していますので、内容をご確認いただきどの講演を視聴するか、今のうちから考えていただけると幸いです。Upload By 発達ナビ編集部【開催概要】●日 時 2021.3.7(日)10:00~17:00●場 所 インターネット環境のあるところなら全国どこからでもご参加できます。●参加費用 無料(要事前参加登録)●主 催 LITALICO発達ナビ●参加方法 参加登録された方に、視聴用のURLをお送りいたしますので、パソコンやタブレット、スマートフォンからご参加ください。●視聴について どうしても当日ご参加いただけない方は、アーカイブでの視聴も可能となっています。当日は、各タームで参加するセミナーを選び、視聴することが可能です。どれも専門家や企業の方が、発達が気になるお子さんがいるご家族のために準備を重ねた特別な内容ばかり。たくさんの情報にまとめて触れることができるので、この日を境にお子さんの学びへの環境や姿勢、関わり方が大きくアップデートされるはず。Upload By 発達ナビ編集部当日企業コラボセミナーに参加いただいた方には、豪華プレゼントが当たるチャンスも!プレゼントの詳細も、特設サイトで公開しています。参加するためには事前の参加予約が必要となりますので、特設サイトよりぜひお申し込みください。発達ナビユーザーの皆さんと、「オンラインまなびフェスタ2021」を盛り上げていけることを楽しみにしています。たくさんのご参加を、心よりお待ちしています!
2021年02月17日これ...普通なのかな?ハル2歳。イヤイヤ期?という感じのものは特になく、でも大げさではなく外に出れば1分もそこに留まっていることはありませんでした。毎日毎日、息子を追いかけて、てんやわんやして。初めてのことだらけで、正解がわからない!!育児については、本でもネットでも勉強しました。マニュアルは見ないほうがいいと思っていたけれど、当時目にしたものはほぼマニュアルでした。でも、やっぱり当てはまらない。こんなに多種多様な人類の発達を、年代別にくくれるわけがないのだろうと思ったりしました。比べると気持ちが病んでくるので見るのをやめたけれど、見るのをやめたとて正解がわかるわけでもなく。「子育てに正解なんてない」、それはわかる。とはいえこの毎日は?これでいいのか?正解?まちがい?答えがほしい。みんなこんなもん?と。Upload By beth(ベス)そうだ、周りの子育て経験者に聞いてみよう!ちなみに当時24歳前後、周りに3歳以上の子どもがいる友達はいませんでした。男の子を育てていない実母に聞いてみました。「男の子ってそうなのかねぇ...元気だねー大変そう」男の子を育てた義母に聞いてみました。「男の子はみんなそう!子どもはみんなそうだよー」親戚たちは気をつかって「そのうち落ち着くものだから...」とお盆や正月に会うたび、そう言ってくれました。そう言うほかなかったのだと思います。笑そうか、そういうものなのか。落ち着いて周りをよく見てみよう!ハルみたいな子、周りを見てもたまにいるもんね。けっこうやんちゃで動き回ってる子、いるもんね...と安心しようとしました。Upload By beth(ベス)同級生でわちゃわちゃ動いていた元気な子たちも幼稚園の準備に入るころには大体落ち着いていて、座って話を聴いたりできる子が大半になっていて、いつの間に!?あれ、わが子はまだまだ絶賛多動だけど!?と衝撃を受けました。同年代の子たちの成長に、うろたえるばかりでした。3歳、最初の迷子騒動の思い出ショッピングモールの中の子育て広場(乳幼児の遊び場)にはよく行ったけれど、絵本を取って振り向いたらもういなかったことがあります。一瞬のことすぎてもはや忍びかと思いました。本をとり、顔をあげると、もういない。(五・七・五、多動育児しんどみ俳句)Upload By beth(ベス)Upload By beth(ベス)近くにいるだろうと思って探したけれど、ついに職員の方に助けを求めることに。青ざめた職員の方に申し訳ない気持ちでいっぱいになり、「よくあるんで!すぐ見つかるんで探してきます!アハハ〜」と言って探しに行きました。こんなときにも人の顔色を見ているのか私は...とまた自分のことが少し嫌になりました。そうして1人で集中して探しに。建物の外に出たらどうしよう。すぐに駅もある。道路もある。改札をするりと抜けたら?道路の向こうに興味をひくものがあったら渡ってしまったこともある。ひょいと連れ去られて車に乗せられたら?どんどん想像してぞっとしました。地下の食品売り場へ行っただろうか。本屋?外ではありませんように!どちらに探しに行くかはいつも賭けでした。たくさんの選択肢が頭に浮かんでは、選ぶごとにプレッシャーはつのっていくのです。必死に探し、館内放送もかけてもらい、座って休んでいたお年寄りにも「3歳くらいの男の子を見ませんでしたか」と聞くと、お年寄りを慌てさせてしまい、これも心苦しかったです。Upload By beth(ベス)わたしのアンテナがキャッチしたその声のほうへ行くと...色々予想して頭をフル回転させる。足もフル回転させる。そうして駆け回って探していると、小さな高い声が聴こえた気がした。蚊の鳴くような、普段なら雑踏に埋もれるくらいの音量の音にも似た声。それは毎日聴き慣れたもので、楽器みたいな、動物の赤ちゃんみたいな...Upload By beth(ベス)いた。やっぱりハルの鳴き声だった(鳴き声って)。ちょっと暗い中階段に腰かけていた。最上段から見下ろしていたその顔は、というと、何食わぬ顔すぎた。Upload By beth(ベス)わたしはというと、無表情で無感情でした。なんだか感情を動かすことに疲れていて、無言で抱っこして子育て広場に戻りました。そして報告と、迷惑をかけたことを謝らなくては、と思いました。Upload By beth(ベス)周りの反応は...子育て広場の職員さんは私たちが現れた瞬間、歓声を上げてくれました。みんなそれぞれに安堵してくれて、「よかったよかった」と言ってくれました。ちらっとしか見ることができなかったけれど、その30代くらいの女性職員さんは、少し泣いてくれていて。それを見たら、涙が出てしまいました。Upload By beth(ベス)そうしてだんだん気づいたこれが覚えている限りの最初の、人をお騒がせした大きめな迷子だと思います。人に迷惑をかけてしまうことがひどくストレスでした。もうあのころは、ストレスによってアンテナが張り巡らされ、それによってストレスを拾っていたようで、なんだって疲れました。そうしてだんだん気づいたんです。この子育て広場に週に何回も通っていたけれど、こんな風に子どもが外に出ていってしまってお母さんが捜索に出るといった光景、こういった親子は、一度も見たことなかったなと。なのでいやでも、「やっぱりわが子は普通ではない...?」という思いが、ハルの行動を目にするたび頭をよぎるようになっていました。幼稚園に行けばきっと...あっという間に、幼稚園へ入園する年齢が迫ってきていました。不安もあったけれど「集団の中でお友達をまねて、一緒に行動できるようになるのでは」と期待もありました。そして入園のための面談の日を迎えることとなったのです...LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年02月17日4人の子ども育ててます
子育て楽じゃありません
めまぐるしいけど愛おしい、空回り母ちゃんの日々