まわりの音がすべて音符で聴こえる。不協和音にならないように気をつけながらしゃべる子どもだったUpload By 発達ナビ編集部数々のヒット曲を産み出してきた、音楽家・作曲家の広瀬香美さん。最近ではYouTubeオフィシャルチャンネルでの「歌ってみた」シリーズが大きな話題を呼んでいます。音楽の天賦の才をもつと同時に、生きづらさも感じていた思春期を経て、才能あふれた明るい「広瀬香美」が誕生するまでを、LITALICO発達ナビ編集長・牟田暁子がインタビューしました。牟田暁子LITALICO発達ナビ編集長(以下――)広瀬香美さんご自身の、音楽的な感受性の強さを表すエピソードをぜひ教えてください。子ども時代、どんなお子さんでしたか?広瀬香美さん(以下広瀬)「ええと~、ええっと~…」って、言うでしょう。すると、それが私には、「ド ミ~、ド ミ~」って、音符で聴こえるんです。空気の音は和音に聴こえます。たぶん電気や電磁波みたいなものの音だと思うけれど、Eフラットの和音に聴こえるんです。だから、どんな静かな場所でもベースに和音があって、そこに自分が話す声をメロディーとして乗せようとしちゃうんです。そうしないと不協和音になってしまうから。具合が悪いときには、聴こえている和音には反抗するように全然違う音で喋りたいけれど、そうすると不協和音になってしまうので、黙り込んでしまう習性がありました。今だったら、生活音が全部音楽になってしまうということは、なんて素晴らしいと思えますが、昔は、「うるさいよね、人生って」と思っていました。ただ、いつもオーケストラみたいに音が鳴っているのは、食べたり眠ったりと同じ当たり前のことだと思っていたから、誰かに悩みを打ち明けるということもありませんでした。だって、お父さんもお母さんも友達もみんなそうだって思っていたから。――それが自分だけにあることだと気づいたのは何歳ごろでしたか?広瀬「私っておかしいの?」と思ったのは、仲間意識ができたりする小学校3~4年ごろかな。「あの子、なんかちょっと言うことがおかしいよね」と言われるようになったんです。たとえば、「なおこちゃん」と呼びかけるとき、「ミレドちゃん」と聴こえたままに言ってしまったりすることがあって、「ミレドじゃない!」となおこちゃんから言われてしまう。私としては「あれ?私ミレドちゃんて言った?」というようなことがありました。だから、学校のクラスメートから「あの子は変なこと言う」と言われて、ちょっとした仲間はずれのような、いじめみたいなことになってきたころから、「みんなの世界はオーケストラのような音の世界ではないの?もしかして私だけ?」と、だんだんわかり始めたんです。小学校の高学年のころからだんだんと、そのことが自分の中で処理できなくなってきて、微熱が出るようになり、学校を休むようになりました。実際、37度7分くらいあったので、親も学校を休ませてくれるわけです。親はとても心配していろいろな病院に連れて行ってくれました。精神科、思春期内科、東京から九州から、ありとあらゆる心の病気の先生のところに連れて行ってくれたし、自分でも治したいと思っていましたよ。薬もね、こんなに(両手ですくうようにして)飲んでいました。ただ、「私は病気じゃないのに、なんでこんな薬を飲むんだろう」と思っていたので、途中から薬は飲んだふりをして、親には隠すようになりました。ゴミ箱に捨てるとバレちゃうから、ソファの隅に押し込んだりしてね。ほかにも、過呼吸症候群や脳貧血を起こして、一度発作が起こると20分くらいしないと収まらないので、寝込むこともありました。不登校時代を経て、高校を卒業。「私だけじゃない!」と分かる環境になったら、スパッと元気になった!――大変でしたね。ずっと学校には行かなかったんですか?広瀬そんな日々が高校2年生くらいまで続いて…けっこう長かったですね。小学校は日数が足らなくてもなんとか卒業して、中学高校は私立でしたが、調子がいいときは行けるんですけど、行けない日もありました。高2のときは3分の1くらいの日数しか登校できなくて、最後の期末テストだけはなんとか受けて、留年ギリギリまでいったんですが、なんとか高3になれました。でも、体調もすごく悪かったんですよね。――そんな元気のない様子は今からは想像もできませんが、今のように元気な広瀬さんになったのはいつごろから?広瀬大学に入ってから、そういう体調の悪さは、スパッとなくなりました!東京の音楽大学に通うようになったら、周りに変な人がいっぱいいたんですよ(笑)。感受性が強い人たちね。私よりも変な人がいて、なんだかほっとしました。そしてラッキーなことに、大学1年生の夏休みに、ロサンゼルスに行けたんです。ロスに行ったら、「私が一番まとも?」と思うくらい、周りの人たちが変だったんですよ。言うことも変だし、全然平気で約束破るし、「この人たちが普通なの? この国!」と思ったときに、苦しかった部分が、サーッと溶けたようになって、すっごく楽になりました。自分たちが変わっているだけでなく、私がわがままや変なことを言っても、「お~!いいね」なんて言ってくれる人たち。私が「生活音もすべての音が、音階になるの」と話すと、「すごいね! 天才じゃん!」と、全部肯定してくれるんですよ。ここが私の住みかかもしれないと思った瞬間に、何の症状も出なくなりました。とはいえ、せっかく音楽大学に入ったし、親からはとにかく卒業だけはしてほしいと言われ、卒業証書だけはもらう約束をしました。大学側にも、アメリカと日本を行ったり来たりするけれど、卒業はしたいと直接交渉しました。もうとにかく必死で、最初の2年間で、4年分の必須の単位をとりました。3~4年生はとにかく作品だけ提出すればいいようにしてもらったのです。課題も、ほかの人が1曲のところ2曲アメリカから送るから、と。しょうがないな、OKと言ってくれる理解ある先生に出会えて、ほんとによかったです。卒業に必要なギリギリの単位だけとって、一応卒業証書はもらいました。――すごいですね。たしかに恵まれた環境なのかもしれないけれど、広瀬さんの人柄もあるかと思います。広瀬いえいえ! アメリカが私をこういう人柄にしてくれたんです。思春期の私はずっと、暗くて、泣き虫で、自分のことを何も言わない子でしたから。だってしゃべると不協和音になっちゃうから。大声で泣けない、自己主張もしない、自分の悩みを打ち明けられない、友だちもいない。その当時の写真を見ると、笑顔は1枚もないんです。笑顔の作り方、知らなかったんですよね。聴こえてしまう音をコントロールする方法を教えてくれた仲間に出会えたUpload By 発達ナビ編集部――すべてが和音になってうるさくて、というのは、今も続いていますか?こうして話していて、大丈夫ですか?広瀬今はね、大丈夫です。自分でボリュームを上げ下げできる技を覚えたんです。アメリカに行ったら、同じような感性をもった友だちがたくさんいたので、どんなふうに対応しているの?と聞いてみたら、「ボリュームが変えられるんだよ、ちょっと訓練したらできるよ」と教えてくれたんです。それでコントロールできるようになりました。今は、もうずっとボリュームはゼロにしています。最近は鈍感になってきたのか、ものすごく頑張って聴こうと思わない限り、聴こえなくなりました。たまに、スタッフやメディアの人が面白がって「今、何の音が聴こえる?」と聞かれたら答えられるけれど。自分の特性を仕事に活かして、ポップス作曲家・広瀬香美が誕生するまで――そうした感覚、感性を、今のお仕事に活かせるようになったのはいつごろから?広瀬音楽しか教育されなかったし、親は音楽家にしたかったんだと思うんですよね。センスがあると思うからこそ、音楽のレッスンや、いい先生を見つけてくれたりして、音楽の才能を伸ばそうとしてくれました。私自身も、音楽の勉強しかしませんでした。自分でも音楽のセンスがあると思っていました。音楽を分析して、直す能力が自分にはあるんだな、って。子ども時代、テレビからや街で聴こえてくる音楽を、「自分ならもっといいメロディーにするのにな~」「そこ、ちょっと違うんだよな~」なんて考えていました。ただ、親が勉強させようとしたクラシックの音楽は自分の中ではしっくりこなくて、変なの!暗い音楽だなと思っていて、学ばせられる音楽にはまったく共感しませんでした。とはいえ、これは違うとは思っても、どうしていいか分からなくて……。その当時、ポップス音楽大学のようなものも、コンピューターミュージック科といったものもなかったし。だから、好きじゃなくてもクラシック音楽の勉強をするしかなかったわけです。どの科に行くかについても、行くなら作曲学科かな、というところでした。そこで、大学1年で行ったロスで聴こえてきた音楽に「ああ、この音楽がいい!」って思ったんです。マイケル・ジャクソン、セリーヌ・ディオン、ボビー・ブラウン、そうした人たちの音楽を聴いて、「すごい!そうそう、これよ!!」って、思いましたよね。じゃあ、こういう音楽を勉強するにはどうしたらいい?というところから、先生を探しました。ポップスの勉強を始めて、やっぱりこういう音楽を作るには技術が要るし、クラシックとは書き方、作り方が全然違うんだなと知りました。好きなことだから、がむしゃらに勉強しました。そうこうするうちに曲が書けるようになったけれど、お金が足りないんですよ!ロスでのアパート代だけは親に出してもらっていましたが、勉強を続けるお金が足りなくて、曲を買ってもらうことはできないか、と考えたんです。その当時はバブルで、予算がたっぷりあった日本のレコード会社さんたちが、ロスにレコーディングのために来ていました。そこで、日本語ができる現地のアシスタントとなり、自分の楽曲をレコーディングクルーに売り込んでみたんです。そしたら、曲も褒めてもらえたけど、仮歌で入っていた私の声が気に入られて、歌の仕事をするようになりました。結局そのときは、曲はあんまり買ってもらえなかったんですけどね。そのうち、日本に帰国したときに、スタジオに行って歌うようにもなりました。ただ歌うだけでなく、音楽大学の頃の技術が重宝されました。譜面をパッと見てすぐに歌えたり、アレンジャーさんから「コーラスの和音が濁るので、ハーモナイズを直してください」と言われたり。どんどん仕事が入って、日本にいる間に1年分の家賃稼げちゃう、というくらいでした。日本で稼いで、アメリカで3ヶ月勉強して、それでまた日本に戻って…という生活。そこから私の遊牧民生活が始まりました!(笑)。気がついたら、アメリカと日本を行ったり来たりの人生ですね。ようやく、自分の話をできるときがきた!Upload By 発達ナビ編集部――最近、こうして自分のことを発信するようになったきっかけは?広瀬自分のことを、発信したいという気持ちはずっとあったんですが、「広瀬香美」という人格は、私だけのものではないんですよね。レコード会社の人のものであり、事務所のものであり、ファンの方々のものなんです、ありがたいことに。だから、自分の個人的な話や悩みを、そうそう話すわけにはいかなかったんです。元気に明るく楽しく、「冬の女王」として突っ走っていくということで、最初の15年ぐらいはトークもしてこなかったんです。歌声だけを、冬の時期に元気に届ける人として生きてきたのが、「広瀬香美」でした。その後、ちょっと病気をしたこともあって少しお休みしたあと、第2期として復活したころに、ちょうどTwitterなどのSNSが流行り始めました。当時、事務所はそういう発信を絶対許してくれなかったんです。だって冬の女王様のはずなのに、「寒いのはちょっと苦手」なんて絶対言えないじゃない?(笑)そんな制約もあって、個人的につぶやくことが咎められた時代だったんですよね。だけど、何度も事務所に呼び出しをくらいながらも、やめなかった(笑)。そのうち、広瀬香美のSNS面白いよねと言われるようになり、それがYouTube配信へとつながっています。その間に、オールナイトニッポンやUstreamでの発信もありました。私みたいな人たちが、たくさんいることを知ってほしい!Upload By 発達ナビ編集部――そのYouTubeの配信が、オフィシャルチャンネルで人気の「歌ってみた」シリーズですね。広瀬曲の解説は、子どものころから有名な曲をああだこうだ言っていたわけで(笑)、得意だから、弾いた曲を自分なりに解説をして、自分のキャラクターを発信するようになりました。それがちょうど、あの自粛生活の時期で、なかなか外に出られないときだったので、皆さんがたくさん聴いてくださることになり、楽しいねと評価されて今に至ります。そして、メインチャンネル以外に「バックヤードチャンネル」を開設して、自分の思いや演奏以外のことをお話するようになったんです。そこで話しているうちに、ふっと昔のことがフラッシュバックしてしまって、話が止まらなくなっちゃったときがあって。そのときは、これはどうせボツだからいいやと思って、泣きながら喋ったんです。そしたら、そのボツだと思ったほうの内容をスタッフが選んだんですよ。【広瀬香美】浜崎あゆみ/Mを歌い終えて…まさかの号泣【今だから言える】――こうした発信は、生きにくさを感じているお子さんとその保護者の希望になると思います。広瀬ありがとうございます。そう言ってもらえると本当に嬉しいです。私は、この国の仕組みに弾圧されたと思っているんです。弾圧のおかげで今があると思っているから、あえて弾圧という言葉を使うけれど、弾圧されてギューって抑え込まれたからこそ、パーン!とはじけることができました。日本には、パーンとはじけられないまま一生を終えてしまう人たちだってたくさんいるし、苦しんでる人たちが今もたくさんいると思います。だからといって、そういう方たちに、「あなたたちもはじけてごらん!」なんて言う気持ちは全然ないです。だけど、私が自分のこういうお話をすることによって、皆さんが何か考えるきっかけのひとつになったら嬉しいです。こういう、私みたいな人たちがたくさんいるということを、ある一部の特別な人たちではないということを、みなさんを代表として世の中に伝える広報になりたいと、心から思っています。――最後に、「発達ナビ」読者の皆さんへひとことお願いします。そういう子どもに、親はどう関わったら、いいでしょうか。広瀬私の親も、いろいろな病院に連れていってくれたり、勉強させてくれたりしました。ただ、私にとっては、別にありがたいことだったかといえば、そうではありませんでした。でも、子を思う親の気持ちは、みんな同じで、よかれと思っているわけですよね。こうした方がいいですよ、ということは私には言えません。私からの「こうしたら」という回答はないけれど、ひとつの例として、今していることをそのまま続けていったら、私みたいにはじけるときがくるかもしれません。こういう実例があるということを私がお話することによって、誰かの救いになればいいなと思っています。Upload By 発達ナビ編集部広瀬香美 Backyard channel広瀬 香美 Official YouTube channel
2021年04月01日はじめまして!ぐうたらこです趣味のブログを書きながら、デザイナーをしている42歳です!家族も、そして自分自身にも特性ありで、日々ドタバタしています。これから「凸凹一家のちょっとした日常」を書いていこうと思います。まずは家族のご紹介。いままでブログで書いてきたデザインから、すこし姿が変わりました。Upload By ぐうたらこ娘(おチャボちゃん)は4月から小学1年生。支援クラス(情緒)です。優しくて真面目、ルールを大事にするファンシー乙女です。Upload By ぐうたらこそしてダンナ。子どもを溺愛する、本人も子どものような42歳の陽気なサラリーマンです。Upload By ぐうたらこ保育園児の息子(コッコちゃん)は、とにかくお元気!自慢のバイクで毎日リビングを爆走しています。誰にでも手を振る、産まれながらのアイドル気質。Upload By ぐうたらこそして、私!!!不妊ブログ→育児ブログと、日記を書いてきました。娘のASD診断から、自分自身にも特性があると自覚し、病院に行き向き合いはじめました。ADHDの診断がでて、困り感を解消すべく投薬中です。薬は飲み忘れるし、予約日も忘れるし、「どうすりゃいいんだよ!」と叫びながら忘れっぽい人生を生きています。これはある日の我が家の日常娘を園に送ろうと車のカギを探しUpload By ぐうたらこしかしご安心ください。便利なものがあります!説明しよう。なくし物キング、いやクイーンの私が息をするように物をなくすために購入したアイテム「さがし物キーホルダー!」(商品名ではございません)コレがあれば、物をなくしても大丈夫。Upload By ぐうたらこ…って、Upload By ぐうたらこでも、大丈夫。流石の私もね。電池をね。しまう場所を決めてるしね。アレ?アレレ?どこ?Upload By ぐうたらこな…ないな。Upload By ぐうたらこあったあった!!!へそのおが!!!ずっと探してたの~~~~Upload By ぐうたらここうして「へそのお」「アルバム」「文集」などを次々楽しく見つけて夢中になるのが私の悪い所です。それにしても、「へそのお」って、いつも消えて、突然現れません?ほんとビックリしますよ。Upload By ぐうたらこそんなこんなでドタバタ遅れそうになっていると、おチャボちゃんはいつも涙目になってしまいます。Upload By ぐうたらこおお、ごめんよ。でも大丈夫、ほらリモコンに電池を入れたからね!Upload By ぐうたらこシーーーーーーーーーーンって、Upload By ぐうたらこそもそも、電池ってなんなの!!??Upload By ぐうたらこスペアキーすらない!!!………Upload By ぐうたらこおチャボちゃんは「ルールを守りたい」という素晴らしい子どもなので遅刻しそうになるとポロポロと真珠のような美しい涙を流します。こんなに美しいものがあるのかああ、物をなくす才能にあふれた自分が憎い。というか、カギって必要なんですか?そもそも、世の中に泥棒さえいなければ、カギなんかなくても生きていけるのに!!!犯罪が憎い!!!悪が憎い!!!Upload By ぐうたらこ罪を憎んでいるうちに、娘は無事ダンナが園に連れて行ってくれました。そんなこんなで娘の特性と、私の特性の相性が悪いことが悩みの一つです。PS、車のカギは車屋さんで再度作ってもらいました。電子キーはつくると1万近くかかるから、みんなも気をつけてね!!!!LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年03月31日【アンケート】21アイテムから「ほしい!あったらいいな」を教えてください!発達ナビ×フェリシモの、発達が気になるお子さまや保護者さまが快適に過ごせるためのグッズづくり第3弾がスタート。第2弾企画で、グッズ開発の参考にするためにユーザーの皆さまから「普段どんなことに困っているのか」を伺ったアンケートや、これまでの開発商品へのお声から「ほしいグッズ」をピックアップしました。あなたの「ほしい!あったらいいな」と思われるアイテムはどれでしょうか。21アイテムからどれがほしいかを選び、その理由や、具体的なイメージ、さらにあったらいいなという機能なども書いてください。さまざまなご意見を参考にして、「みんなが暮らしやすい日々」を目指していきます!・1度の回答で、1つお選びいただけます・複数回、ご回答いただくことができますアンケートでお選びいただく、21アイテムをご紹介します。クッション1.椅子の姿勢くずれを防ぐ!おしゃれな「両面滑り止めつきクッション」マスク2.感覚過敏さんのための快適「マスクカバー」3.感覚過敏さんのための快適「布マスク」4.感覚過敏さんのための快適「マスクインナー」衣服・靴下5.ぬぎっぱなしOK!「裏表のないカットソーパジャマ」6.ぬぎっぱなしOK!「裏表のない靴下」カバー・ホルダー7.水筒やネームホルダー苦手さんの首元にやさしい「ふわふわネックホルダーカバー」8.荷物が増えても忘れない!「バッグの持ち手おまとめホルダー」収納・ケース9.勉強道具もゲームセットもひとまとめで持ち運び簡単!「おかたづけ収納ラック」10.玄関で忘れ物防止!マスクも鍵もティッシュも入る「玄関ドアラック」11.障害者手帳も小銭もカードも全部入って提示が楽な「マルチ手帳ケース 」食器12.おっちょこちょいさんのための「倒れないおしゃれな食器」13.不器用さんのための「すくいやすくてこぼさないおしゃれな器」タスク管理14.めくるのが楽しみ!アドベントカレンダーみたいな「服薬カレンダー」15.乱しがちな曜日ごとのルーティンワークが一目瞭然!「1日todoリスト」16.部屋においても恥ずかしくない!おしゃれな「タイムスケジュール」17.マグネットで管理。家族で共有「やったかどうかチェックボード 」18.大人もさりげなく使える「タスクチェッカー シンプルバージョン」感情・空間19.感情コントロール苦手さんのための「怒りを描いて流してスッキリ!水に溶けるカード」20.感情コントロール苦手さんのための「感情コントロールレッスン キット」21.一人になりたい!が叶う。もう一つの部屋がつくれる「室内テント」第2弾企画では6商品がデビュー!2020年度に行った第2弾のコラボ企画では、6商品がデビューしました。第3弾も、発達ナビユーザーの皆さんと一緒にグッズをつくっていきます!
2021年03月30日「将来YouTuberになりたい!」ADHD次男の夢。だけど…Upload By スガカズわが家にとってYouTubeは、気軽に情報を得たり、ケンカなどのトラブルを減らせる一方で、子どもたちの行動の妨げになってしまう、悩みのタネになる面もありました。ですが、子どもの成長に大きな影響を与える出来事がありました。今回は、そのyoutubeをめぐるエピソードを紹介したいと思います。もともと私は次男が小2の時から、「将来YouTuberになりたい!」と聞かされていました。「YouTuberは楽しいお仕事に見えるけど、毎日働いているのと同じで、大変なお仕事だよ」「でも次男が本気でなりたいんだったら大きくなって挑戦してみても良いのかもね」とは言っていたものの、その時のわが子の状況を考えると、「マナー」「自己管理」「知識」などの課題をクリアするには相当な時間が必要でしょうし、できないことも充分にありえます。次男がどんな大人になるのか全く想像できないため、複雑な気持ちでした。Upload By スガカズそうこうしている内に2年近く経過。小3の終わりごろから情緒の面が成長していると感じる機会が増え、物事の理屈も理解できるようになり始めてきました。パパの思いつきで実際にYouTubeデビューすることに!Upload By スガカズ始めたのは昨年の夏頃。新型コロナウイルスの影響で不要不急の外出を控えていた頃、パパが「家での時間を有意義にしたい」「見る側だけじゃなく作る側の経験もしてほしい」と考え、中1の長男と小4の次男に「一緒にYouTubeを始めないか」と言ったのが発端です。長男は1人で取り組むことが好きなタイプなので、少し喜んだ程度なのですが、次男は念願だったYouTubeデビューに大喜びしました。子どもたちが気軽に続けられるように、まずは親子で一緒にゲームをプレイしながらトークする、「ライブ実況」をすることにしました。ゲーム画面と音声のみで、顔出しはしません。私は正直いうと、この話をパパから聞いた際に「子どもが余計なひとことを喋るのでは」と心配になりました。ですが、3人とも意気込んでいる様子を見て、「まず経験させてみるのもよいのかもしれない」とも思いました。始めるにあたって、パパにしつこく「子どもたちの言動には重々気を配って」と言いました。未成年の子どもが安全に始めるためのルール作りUpload By スガカズパパはYouTubeの管理役をし、私は長男と次男の勉強を見たり、配信している間に下の子たちと遊んだりする調整役です。YouTubeは未成年が投稿、配信する場合は、親の管理、同伴が必ず必要です。始めるにあたって配信するためのルールをしっかり決めることにしました。「誰が見ているのか分からないから、人が嫌な気持ちになる言葉や、個人情報が分かるような発言はしない」「自分で決めたことだから、続けることが大事」「配信する前は必ず勉強をする」など、言い聞かせました。勉強が苦手な小4の次男は、目を輝かせながら「がんばる!」と、張り切っていました。保護者がやるべき事Upload By スガカズルールを守って続けるのと同じく大事なのは、保護者がやるべきこと(環境調整)です。実際に始めてみて一番重要なのは、配信のための時間を確保することと、家族の協力だと気づきました。ゲームのライブ実況をするにはPS4(もしくはPS5)があれば最低限配信が可能です。YouTubeにはチャット機能があり、視聴者と会話したい場合やゲーム中に親子でトークしたい場合にはヘッドセットが必要です。Switchでのゲームを画面を録画したい場合は、キャプチャボードという機材とPCがあれば大丈夫です。突き詰めると必要な機材は山ほどあるのですが、始めたころは先ほどの機材で事足りました。環境もルールも準備万端!さっそくYouTubeデビュー!こうして親子でYouTube配信がスタートしました。私は最初のころは心配で心配で…3人の周りをウロウロしていましたが、今ではやらせてよかったと心から思っています。実際に始めて見ると、発達凸凹男子たちに驚きの変化がみられたのです。次回のコラムで、配信の様子や息子たちの成長について詳しくお話しようと思います。
2021年03月30日自閉症啓発デーって?2007年、国連総会により「4月2日は世界自閉症啓発デー」にすることが決議されました。この日には、それぞれの加盟国が、自閉症についての理解が進むように意識啓発の取り組みを行うことなどが求められています。世界自閉症啓発デーは、自閉症に関する理解を深めたり、自閉症のことについて知ったりすることで、自閉症のある人を含めたすべての人が過ごしやすい世界を実現していくための日です。例年、日本では東京タワーなどのランドマークが青く染まるほか、NYやパリ、ロンドンなどさまざまな都市のランドマークも同様に青く染められ、イベントが行われます。2018年、2019年も、発達ナビではその様子をリポートしています。青く染まる日本!自宅から参加できる、オンライン上でのイベント「Warm Blue 2021」を開催Upload By 発達ナビニュース2021年の自閉症啓発デーは、新型コロナウイルスの影響により、リアルイベントの開催は中止となりました。そこで、特設スタジオより、パフォーマンスや応援メッセージのライブ配信、自閉症のテーマカラー「ブルー」でタイムラインを染め上げようというイベントが開催されます。4月2日(金)の17:00~特設スタジオより、パフォーマンスや応援メッセージをライブ配信予定です。下記のリンクからYoutubeでのライブ配信に参加できます。タイムスケジュール17:00~「オンラインイベント」/ダンス・歌・キャラバン隊・応援メッセージetc17:50~「青でつながる日本」/全国各地の自閉症協会から生リポート!18:10~「青く染まる東京タワー」「私たちの4月2日」「青いものを身につけた写真」「青をテーマにした写真」「自閉症啓発デーを応援する活動・パフォーマンスの動画」などを投稿してください。投稿の仕方は以下2つです。1、直接以下の公式アカウントに投稿 Blue キャンペーンFacebook 公式ページ Blue キャンペーンTwitter 公式ページ2、みなさんご自身のTwitterやFacebookなどで発信青いものを身につけた姿や、青いグッズを撮影して、SNSに投稿しましょう。その際、以下のハッシュタグを使用すると、Warm Blue実行委員会が公式FBとTwitterでシェアをします。#WB_2021#2021TT#LIUB#MAZEKOZE皆さんの投稿で、タイムラインを青く染め上げましょう!「世界自閉症啓発デーを知っている?」アンケートの結果はUpload By 発達ナビニュース4月2日の「世界自閉症啓発デー」について、3月16日から3月24日までの間、発達ナビの「みんなのアンケート」にて、「4月2日の『世界自閉症啓発デー』を知っている?」というテーマでアンケートを行いました。みんなのアンケート762人の方から回答をいただき、以下のような結果になりました。Yes…67%No…33%「Yes」が67%で「No」より高い結果となりました。その中には去年、Twitterで青い物の写真付きのツイートをしたことを覚えている方も少なくなかったかと思います。また、東京タワーがブルーにライトアップされるのを知っている方もいました。ご協力いただいたユーザーのみなさま、ありがとうございました!世界自閉症啓発デーは、3月21日の世界ダウン症の日とともに、国連が定めた世界的な啓発デーです。そのため、毎年日本国内でも各地でさまざまな取り組みが展開されています。
2021年03月29日放課後児童クラブ(放課後児童健全育成事業)とは?保護者が労働等により昼間家庭にいない小学校に就学している児童に対し、授業の終了後等に小学校の余裕教室や児童館等を利用して適切な遊び及び生活の場を与え、その健全な育成を図るものです。該当施設は「放課後児童クラブ」「学童クラブ」などと呼ばれ、子どもたちが放課後や長期休みを過ごします。子どもたちは遊びや保育の知識のある支援員に見守られ、友達と遊んだり宿題をしたり、おやつを食べたりして生活します。施設によっては、ものづくりや料理、ハイキングなどさまざまなイベントを行うところもあります。全国に26,625か所あり、登録児童数は1,311,008人(令和元2年7月1日時点)です。公営の施設と民営の施設があり、具体的なサービス内容や過ごし方は施設によって異なります。放課後児童健全育成事業について(厚生労働省)令和2年(2020年) 放課後児童健全育成事業(放課後児童クラブ)の実施状況(厚生労働省)放課後児童クラブ(学童クラブ)を利用できる人は?出典 : 児童福祉法第6条では「小学校に就学している児童」であって、「保護者が労働等により昼間家庭にいないもの」が、放課後児童クラブ(学童クラブ)を利用できると定められています。学年については、平成27年度から対象児童が6年生まで拡大されたことにより、小学校1〜6年生まで利用することができます。具体的な利用条件については各市町村が定めているので、お住まいの自治体のHPで確認する必要があります。例えば広島県広島市の場合、HPに以下のように細かく記載しています。次の(1)~(3)までの条件を全て満たす場合に対象となります。(1)広島市内に住所を有している児童(2)小学校に在学している児童(3)保護者及び同居する親族(18歳未満の者を除く。以下「保護者等」という。)が次のいずれかの事由に該当することで、家庭において適切な保護を受けられないことが常態であると認められる児童ア保護者等が、就労のため、1週間のうち概ね4日以上(月16日以上)、午後5時頃まで家庭にいないこと。イ保護者等が、疾病又は負傷の状態にあるか障害があること。ウ保護者等が、疾病又は負傷の状態にあるか障害がある親族等を、常時介護していること。エ保護者等が、出産予定日前8週間(多胎妊娠の場合は14週間)に当たる日から出産日後8週間に当たる日までの間(以下「産前産後期間中」という。)であること。オ保護者等が、大学・専門学校等へ通学中であること。カその他児童を保護できない特別の事由があること市町村によってはHPに利用条件の詳細を記載していない場合もあり、また、民間学童では独自の基準を設けている場合もあります。放課後児童クラブ(学童クラブ)の利用対象にあたるかどうかは、ご自分の市町村や周辺のクラブに問い合わせてみると良いでしょう。放課後児童クラブ(学童クラブ)の利用方法出典 : ①問い合わせ概ね9月か10月ごろ、市町村や各施設で次年度の入室希望者の募集が始まります。募集開始時期は市町村によって異なるので、HPなどで情報をチェックしておく必要があります。市町村によっては年度途中からの入室申し込みを受け付けている場合もあります。申し込みをする際、まずは市町村、もしくは利用する可能性のある放課後児童クラブ(学童クラブ)に直接問い合わせて、空き状況や必要な手続きを確認しましょう。地域の放課後児童クラブ(学童クラブ)一覧や問い合わせ先は、市町村のHPにまとめられていることがほとんどです。②入室申し込み・選考入室申込書や保護者の勤務証明書等、放課後児童クラブ(学童クラブ)から指定された書類を期限までに提出します。施設によっては、入室説明会を行うこともあります。定員を超えると選考が行われる場合もあり、その選考基準も市町村によって異なります。また、学年があがるときの継続手続きや退室手続きも施設によって異なるため、直接確認する必要があります。③利用決定・手続き利用が決定した方向けに、説明会への出席や書類の提出が案内されます。開所時間は施設によって異なりますが、概ね、平日は学校が終わったあと(14時や15時ごろ)から19時ごろまで、長期休み等は朝8時や9時ごろから19時ごろまで開室しているところが多いようです。小学校から放課後児童クラブ(学童クラブ)までの送迎を行うところもあれば、子どもたちが自分で下校・登室するところもあります。施設によって方針が異なるため、気になる方は問い合わせの際に確認すると良いでしょう。放課後児童クラブ(学童クラブ)から自宅までは保護者が送迎を行うことが多いですが、保護者の希望があれば子どもが一人で登帰室できる場合もあります。放課後児童クラブの利用料は市町村や施設によって異なりますが、数千円の月額を徴収しているところが多いようです。利用料と別でおやつ代などが必要な場合もあります。例えば東京都港区の場合、学童クラブ育成料として月額3,000円と、おやつ代・お楽しみ会費月額2,000円を徴収しています(令和3年時点)。多くの場合、家庭の状況に応じた利用料の減免制度も取り入れられています。東京都港区の場合には、対象を以下のように定めています。・生活保護世帯・区市町村民税非課税世帯・生活保護に準ずる世帯(生活保護基準額の1.2倍以下の世帯、18歳未満の子どもが3人以上の場合は1.31倍以下の世帯)・低所得のひとり親世帯(児童扶養手当受給世帯)・兄弟・姉妹で学童クラブに入会している児童の第2子以降学童クラブ育成料について発達障害のある子どもが放課後児童クラブ(学童クラブ)を利用するには?日本放課後児童支援員協会による「放課後児童クラブ運営指針」では、障害を理由として受け入れを拒否せずに、受け入れに伴う負担が過重でない限りにおいて、当人の状態に合わせた必要かつ合理的な配慮をするよう記載があります。・障害のある子どもについては、地域社会で生活する平等の権利の享受と、包容・参加(インクルージョン)の考え方に立ち、子ども同士が生活を通してともに成長できるよう、障害のある子どもも放課後児童クラブを利用する機会が確保されるための適切な配慮および環境整備を行い、可能な限り受け入れに努める。・放課後児童クラブによっては、新たな環境整備が必要となる場合なども考えられるため、受け入れの判断については、子ども本人及び保護者の立場に立ち、公平性を保って行われるように判断の基準や手続き等を定めることが求められる。また、厚生労働省による「障害児受入強化推進事業」「障害者受入強化推進事業」では、障害児の受入に必要となる、専門的知識を有する「放課後児童支援員」等を配置するための人件費・研修費等を市町村が負担すると定められています。実際の支援体制は、市町村や施設、タイミングなどによっても大きく異なります。発達障害やその傾向のある子どもが利用できるかどうか、個別の配慮を受けられるかどうかは問い合わせて確認する必要があります。すでに障害児の受入れをしたことのあるクラブであれば、それまでにどのような体制でサポートしていたのか確認してみると良いでしょう。「放課後児童クラブ運営指針」では、家庭や地域の関係機関・学校との連携を密に行うよう書かれています。・障害のある子どもの受け入れに当たっては、子どもや保護者と面談の機会を持つなどして、子どもの健康状態、発達の状況、家庭の状況、保護者の意向等を個別に把握する。・地域社会における障害のある子どもの放課後の生活が保障されるように、放課後等デイサービス等と連携および協力を図る。例えば施設によっては、以下のような連携を行ってもらえる場合があります。▼例・相談支援員や放課後等デイサービスの職員、保護者をまじえてケース会議を行い、特性や困りごと、個別支援計画について共有する・特別支援学級の先生や担任の先生と、学校と放課後児童クラブそれぞれの様子を共有する・保護者と面談を行い、家庭の様子や学童の様子を共有したり、相談に乗ったりする放課後児童クラブ(学童クラブ)と、放課後等デイサービスの違いは?併用はできる?出典 : 障害のある子どもが放課後に利用できる施設として、放課後児童クラブ(学童クラブ)のほかに「放課後等デイサービス」があります。両者にはどのような違いがあるのでしょうか。●対象放課後児童クラブ(学童クラブ)の利用対象者は、「小学校に就学している」かつ「保護者が労働等により昼間家庭にいない」児童です。放課後等デイサービスの利用対象者は、「身体に障害のある児童、知的障害のある児童又は精神に障害のある児童(発達障害児を含む)」かつ「就学児童」(小学校、中学校、高等学校に通っている児童)で、障害のある児童のみを対象としているのが放課後等デイサービスです。●支援の内容放課後児童クラブの支援内容はクラブによって異なりますが、大きな役割としては、子どもたちがおやつを食べたり遊んだり、宿題をしたりするのを見守る、遊びと生活の場です。民間の学童クラブでは、イベントや習い事などを提供するところもあります。利用者20名につき1〜2名程度の支援員がつきます。一方放課後等デイサービスでは、個別支援計画に基づいて、子どもの特性や困りごとに応じた支援が行われます。その内容は預かり型や療育型、習い事型などさまざまで、利用者5名に対して1〜2名程度の支援員がつきます。施設の空き状況にもよりますが、制度のうえでは放課後児童クラブ(学童クラブ)と放課後等デイサービスの併用は可能です。また、相談支援員や各施設の職員に連携を依頼することもできます。放課後児童クラブに通所しつつ、週1日は放課後等デイサービスで、少人数で特性に合わせた療育の支援を受けるなど、併用するケースもあります。まとめ出典 : 「放課後児童クラブ」(学童クラブ)は、保護者が労働等により昼間家庭にいない小学校に就学している児童に対し、授業の終了後等に小学校の余裕教室や児童館等を利用して適切な遊び及び生活の場を与え、その健全な育成を図るものです。障害のある子どもの受け入れも行いますが、実際の支援体制は、市町村や各施設、タイミングなどによっても大きく異なります。発達障害やその傾向のある子どもが利用できるかどうか、個別の配慮を受けられるかどうかは問い合わせて確認してみましょう。
2021年03月29日おうちルールご家庭ならではの、生活上のルールってありませんか?わが家には「おやつは1日1回15時ごろ」「テレビゲームは30分」「テレビや動画は1日1時間まで」など、生活する上での簡単なおうちルールがいくつかあります。このルールを子どもたちに守ってもらいたい!のですが、守ってもらうには何より本人に内容を理解してもらう必要があります。この理解してもらう道のりが面白いほどに兄と弟で違うのです。Upload By ウチノコルールの伝え方むっくん編7歳の兄のむっくんは小さいころからルールが大事だと理解していて、なぜそのルールが必要なのかを理解したら、守る努力をしてくれます。そのため、ルールを守ってもらうには最初にいかに納得してもらえるかが大切になります。というわけで、むっくんに理解してもらうためのポイントはこちら。①明確に伝える②理由を具体的に伝える③本音を伝えるこの3つを怠らないことが今後の穏やかな生活のカギを握るのです。むっくんは私が長々と話すと「いったい何が言いたいのかわからん!」と言い出します。そのため、とにかくわかりやすく伝えることを心がけています。端的に、箇条書きにすると、とても伝わりやすく反応が良いです。Upload By ウチノコむっくんはとにかく「なぜ?」を気にします。なのでルールを守ってほしい理由や守らないとどのように私が困るのかなどを具体的に伝えるようにしています。そこに共感が得られると、むっくんにとってルールは「親に押し付けられたもの」から「本人も必要だと感じたもの」にレベルアップするのです。もし、むっくんが納得できない場合は、納得できるようにルールを一緒に考えて微調整することもあります。Upload By ウチノコむっくんの協力を仰ぐうえで大切なのが本音を伝えることです。大人はつい建前や正論を持ち出し「ルールは守ることが正しい!」と子どもに押し付けてしまいがちです。だけど家庭内のルールなんて、よく考えてみれば根拠が曖昧なことも多い。「私はなぜこのルールを守らせたいんだろう?」と自問自答してみれば、単に自分の不安の緩和が目的であることも多い気がします。しかし、「じゃあそんなルール撤廃しよう!」とするほどの肝も据わってない私なので、その不安…ちょっとカッコ悪い部分をむっくんには正直に言葉にして伝えるようにしています。むっくんも、親の不安や迷いも知ることで「なんか納得できないけど、仕方ないから守ってやるか。」なんて思ってくれているような気もしています。Upload By ウチノコルールの伝え方くーちゃん編4歳のくーちゃんは、むっくんのような理解が難しいときがあります。また、むっくんは言葉の情報に強いので、言語や文章で十分に伝わるのですが、くーちゃんは視覚情報のほうが理解しやすい様子です。そこで、くーちゃんに理解してもらうポイントとしては①言語に頼らない②ルールが一目でわかる③おやつなど消費タイプのタスクは終わったことを理解しやすい工夫といったことが必要になるのです。Upload By ウチノコ条件をクリアできる方法を考えてたどりついたものが、イラスト表示のチケットでした。イラストが描いてあればくーちゃんも内容を理解できます。また、チケットと権利を物々交換することで、本日分を使い終わったことが明確になります。まずは「おやつ」「テレビ」「ゲーム」から試してみることにしました。Upload By ウチノコまた、くーちゃんがチケットを理解しやすいように一覧表示にしたところ、なぜかくーちゃんは慌てて全部使おうとしたことから、チケットが全部見えないように不透明の袋に入れておくように微調整。このように、様子を見ながら試行錯誤を繰り返して運用しやすい工夫もつくり込んでいきました。Upload By ウチノコUpload By ウチノコくーちゃんは特におやつへの執着が強く、以前は食べ終わると「もっと欲しい!」と泣くことも多かったのですが、チケットとおやつの交換を1週間くらい続けると、「また明日食べようね」で納得できる日が増えていきました。毎日同じやりとりを繰り返すことで、明日も同じようにおやつがもらえると見通しが立ちやすくなり、安心できるようになったのかもしれません。Upload By ウチノコさらにチケット制のデメリット、「融通が効きにくくなる問題」の対策に、私自身にも子どもと同数のチケットを発行することにしました。テレビチケットを使い切っていて、今日はもう時間オーバーだけど、テレビに子守を頼みたい!そんなときは「特別にお母さんのチケット使っていいよ」という抜け道を使います。この対策のおかげで、母も子も疲れすぎずにチケット制を楽しめている気がします。Upload By ウチノコ工夫もオーダーメイドでチケット制を3ヶ月くらい続けたことで、くーちゃんはチケットなしでもある程度ルールを理解して行動できるようになりました。兄弟と言ってもタイプは違う。それぞれの個性や特性、理解の癖などを見極めてそれぞれに合った接し方を心がけると、穏やかに過ごせる日が増えるような気もします。むっくんの取扱説明書も、くーちゃんの取扱説明書もどこにもありません。個性豊かな2人をしっかり観察して工夫を凝らしつつ、これからも仲良く暮らしていけたらいいなぁと思っています。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年03月28日発達でこぼこをテーマにした子ども向け番組がEテレにて放送されます!Upload By 発達ナビニュースNHKエデュケーショナルが制作する新番組『でこぼこポン!』の放送が決定しました。番組タイトルからも分かるように、発達障害の子など、発達にでこぼこのあるお子さんに向けた番組で、また多様性を含んだ社会の創造のため、特性の有無に関わらず観た人みんなが楽しめる工夫がたくさん詰まった内容で構成されています。番組では、ロボットの『でこりん』を中心に、『ぼこすけ』『ポン』の3人のキャラクターが繰り広げる、楽しいドタバタ劇を土台に、ゲームや体操などの楽しいコーナーを加えて、お子さんの発達をサポートします。LITALICOも監修として番組に協力させていただきました。気になる物語のあらすじは...研究所に住まう、年老いた1人のはかせ。彼が長年開発してきたのは、スーパーロボット。しかし、ロボットが完成するまさにその瞬間、どう猛なネコがネズミを追いかけ回す途中で開発用コンピューターをめちゃくちゃに操作してしまいます。研究所は大爆発! さらに、いろいろなことが変化してしまって…。年老いたはかせは、身も心も幼い子どもに。どう猛なネコは、 ちょっと変わったやさしいネコに。そしてロボットは、発達でこぼこなロボットに。ロボットが引き起こす騒動に振り回されながらも、やさしくサポートするはかせとネコ。そんな二者と過ごすロボットの成長物語です。『でこりん』を演じるのは、お笑い芸人の鳥居みゆきさん。『でこりん』は、はかせによって生み出されたロボット。発達にでこぼこがあり、悪気はないのに周りを振り回す行動をとります。共演するのは、『でこりん』を生み出した発明家で、身も心も幼くなってしまった『ぼこすけ』(キャスト:猪股怜生さん)と、ネコにねずみや空き缶などが合体した不思議な生き物『ポン』(声:河合郁人さん(A.B.C-Z))。今回は『でこりん』役で出演される鳥居みゆきさんに、番組出演に際しての思いを伺いました!Upload By 発達ナビニュースーー今回「発達のでこぼこがある子が社会生活を送るうえで大切なスキルを学べる番組」へのご出演とのことですが、どのような思いで出演されたのでしょうか。鳥居みゆきさん(以下 鳥居さん):キャラクターについて、"大人なのに子どもみたいな人"ってマネージャーから言われたんですよ。だから「素でいけますね」と言われて。それを聞いて、確かにそうだなと思って。ロボット役だけど、大人なのに、子どもの心を持っているキャラクターだから。第1話も第2話も、内容が全部私に当てはまるんですよ!私もしゃべりすぎるところなどがあって。キーワードに乗っかって違う話が広がっちゃう。本当に私のことだ!と思いました。喜怒哀楽が激しいし、感情の起伏が激しくて、言いたいことが感情的にたくさん出すぎて、伝わらないことが多いんです。そのせいで、自分で立ち上げた劇団の座長から降ろされたことなんかもあって(笑)本当に支離滅裂になっちゃうんです、感情が先に出ちゃうから。どうしたらいいのかなとこれまで思っていたんですけど、今回の台本に答えがありました。「落ち着けばいいんだ」とか、答えが一個一個分かりやすいし、子どもだけじゃなくて、私みたいな大人の人にも絶対に当てはまると思う。毎日平常心で生きていられる人なんていないですよね。みんなに当てはまる、だれでも共感できる内容だと思います。わたしまた、しゃべり過ぎちゃってますね(笑)ーー発達でこぼこロボット『でこりん』役とのことですが、演じる上で心がけていることなどがあれば教えてください。鳥居さん:人間らしい動きが出ないようにしてたんですけど、わたし、普段から動きがぎこちないみたいで。でこりんでやってる手の動きは私のクセなんです。ーー自然体で演じられたんですね。『でこりん』は鳥居さんから見て、どんなキャラクターでしょうか。鳥居さん:そう、自然体なんです!動きながらいっぱい喋っちゃうし、ぴったりすぎるんですよ。笑わたしの中での『でこりん』は、小学2年生くらいの元気いっぱいなひと!男でも女でもなく、妖精でもないのが『でこりん』。抑揚がありつつも、無機質でありたいなと思っています。『でこりん』について、もっとシンプルにいうと...「明るくて楽しくて素直、みんなの心の中にいるキャラクター」かな。大人だったら抑え込んでいる気持ち、子どもだったらそのまま吐き出しているような気持ち、そういう誰にでもある気持ちをかたちにしたものかなと思います。ーー番組をどのような人に見てもらいたいですか。鳥居さん:でこぼこしてる人たちもフラットになる必要はなくて、でこぼこを「個性」として伸ばしていけたらそれもいいし、生きづらかったら人の言葉に耳を傾けてもいいのかなと思います。まわりから浮いているなって思う人には、ぜひみてもらいたいですね。わたしも、ずっと人とうまくいかないな、自分だけ変わっているのかなって悩んでいたので。でも、私は孤独じゃなくて「孤高」と呼んでチェンジしてたんですけどね(笑)大人になるのは大変で、嫌なことにも「うん」て言わないといけないことがありますよね。私は小学校のとき、校歌を1オクターブ下で歌ってたんですけど、それを許してくれる小学校だったんです。授業中もずっと空想していて、地下シェルターの絵を描いて「もし地球がなくなったら」って妄想していました。今も、心は子どものままかもしれないけど、体は大人なので、自分自身もいいところをつまんでいけたら良いなと思います。だから大人が見ても良い番組なんです!こんなに心が子どものままで良いのかなって思っている大人にも見てもらいたい。みんなにとって、ちょっとした支えになるのがこの番組であってほしいです、重たいかもしれないけど。ーー番組をご覧になる保護者の方にメッセージをお願いします!鳥居さん:自分のお子さんに発達でこぼこがあって、手がつけられないな...と思うときがあったとしても、こういう番組をみて、許せる心や、「いろんな子がいていいじゃない」という視点を持っていただけたらいいなと思います。鳥居さんのお話に対し、総合演出の岩田さんも「発達障害当事者の取材をさせていただく中で、自分の話しばかりしてしまう子など、いろんな特性がある子に出会いましたが、そこま特別ではないと思うようなことも、周りから許容されないことがあると気づきました。それは、社会の側にも課題があるんじゃないかなと思っていて。鳥居さんのような考えの人が増えると、どんな子も生きやすくなるのかなと思います」とコメントされています。『でこぼこポン!』は発達でこぼこのある子どもたちの学びになることはもちろん、番組を見るすべての人が「みんな違う」ということに改めて気づけるきっかけになるかもしれません。ぜひ放送をご覧ください!本放送:2021年3月30日(火)・31日(水) [Eテレ]午後3:30~3:40再放送:2021年4月1日(木)・2日(金) [Eテレ]午前9:00~9:10Upload By 発達ナビニュース PR 『でこぼこポン!』
2021年03月27日実家を離れることになったASD息子大学生になったものの…20歳になった息子、今は歩いて5分ほどの大学へ通っています。Upload By 寺島ヒロ大きな音もざわざわ声も苦手タケルには聴覚過敏があり、音に驚いてパニックになることもあります。幼稚園の頃は、同じ年の子どもたちの声に耐えられなくなって学舎から逃げ出すこともしばしばで、小学生になってからも、何を言っているか聞き取れない程度のざわざわした人の声で不安な気持ちになり、家に逃げ帰ってしまうなど…度々問題を起こしていました。以前このコラムでも書きましたが、大きな太鼓の音に驚いて、お祭り会場で倒れてしまったこともあります。Upload By 寺島ヒロ大学での対応なので、大学に通うにあたっては、担当教授、講師の皆さんと面談し「騒がしくしない、大きな声で呼びかけない」など、息子の耳に届く音に気を付けていただけるようお願いしました。また、他の人が気にしない音でも不快に感じることがあること、音を聞きすぎて疲れたときには休むのを許して欲しいことなども入学前にお話しし、ご配慮いただけることになりました。とはいえ、周りの学生もみんなもう大人ですし、授業中の私語がうるさくて困るということもないでしょう。私もタケルの大学内の生活については概ね大丈夫だろうと思っていました。発達障害のある人には厳しい都会のラッシュアワーしかし、心配なのは通学のこと。タケルは中学生の頃、通学でバスと電車の乗り継ぎを経験していたので電車の乗り降り自体は出来ますが、たくさんの人がいる駅での乗り換えには慣れていないのです。Upload By 寺島ヒロ大学の近くにお引っ越しそこで、大学の近くにアパートを借り、歩いて通えるようにしました。Upload By 寺島ヒロアパートから大学はわずか5分ほどの距離にあります。ところが、このわずかな道のりにある小さな踏切が曲者で…電車がひっきりなしに通るのです!(都会では当たり前?)この踏切の音がタケルには大きな試練となってしまいました。踏切の手前にいて、向かっているときは、点滅が始まったら近づかないという方法で対処していますが…踏切を越えて、後ろから「カーンカーン!」という大きな音が後ろから聞こえてきたときは、やはりびっくりしてしまうようです。そんなこともあり、タケルは出かけると、しばしば「音に驚いて動けなくなった!」と電話をかけてきます。Upload By 寺島ヒロこの日も、「HELPコール」がかかってきたので急いで迎えに行ったところ…Upload By 寺島ヒロタケルは一応、18歳の頃からデジタル耳栓も使っていて、普段のざわざわした不快な音には対処できているのですが、突然の大きな音や、信号機や警笛などの注意を引くように作られている音は、デジタル耳栓では十分に和らげてはくれないんですよね。固まってしまう場所によっては事故につながる可能性もありますし、周囲の人も驚くでしょうから、親としても何とかしたいとは思うのですが、今のところ倒れたら回収するという対処をするしかありません。ちなみに、本人に対処法を聞いたら「なるべく安全そうな道を選んで歩くことにしている。」とのことです。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年03月27日東京都児童発達支援事業所Upload By 発達ナビ施設情報コペルプラス平井教室では、未就学の子どもの1日/1週間は、大人の1ヶ月/1年に相当すると考えており、1対1の個別療育でお子さん一人一人に寄り添ったプログラムを提供しています。大切な時間に充実した療育が行えるよう、フラッシュカードを使い集中力や脳の活性化を促す認知プログラム、音楽を使って心と身体を育てるためのリトミックや、就学を見据えた学習支援も行っています。保護者と今すべきことが何かを一緒に考え、知識と経験豊富なスタッフがチーム一丸となってサポートしています。東京都の児童発達支援事業所をもっと見る神奈川県放課後等デイサービスUpload By 発達ナビ施設情報きっずあいらんどふたば中川教室では、運動部屋・学習部屋の2つの広い部屋を特徴とし、支援を行っています。運動部屋では、鉄棒やトランポリンなどが置いてあり、バランス力や体幹の強化・体育の予習や復習も可能です。学習部屋では、学校の宿題をしたり、ルール遊びをしたりとお子さんがみんなでゆったり過ごすことが出来るようになっています。お子さんや保護者のニーズを聞き、保護者と一緒になってお子さんの成長を考えていけるよう、サポートしています。神奈川県の放課後等デイサービスをもっと見る神奈川県児童発達支援事業所Upload By 発達ナビ施設情報てらぴぁぽけっと向ケ丘遊園教室では、てらぴぁぽけっと独自の825項目基準ステップを基に、一人ひとりに合わせたセラピーを行っています。特に発語に関するプログラムがあることが特徴です。1日2時間の中で行われる療育には、個別療育だけでなく、指示理解や体幹を鍛えることを目的に集団で行うリズムウォークや、集団でのルールを学ぶ「かえりの会」などもあります。お子さんの成長を保護者と一緒に喜び合える場所にできるよう、スタッフがお子さん一人ひとりと向き合っています。神奈川県の児童発達支援事業所をもっと見る埼玉県放課後等デイサービスUpload By 発達ナビ施設情報叱られない教室らいくす 放課後等デイサービス【川口安行教室】では、リトミック体操、SAQトレーニング、学習支援等様々なプログラムを行う中で、「自分の好きなこと,自信が持てる得意」を見つけてから、徐々に自然な形で苦手を克服できるようサポートしています。様々な視点から子ども達を理解し、成長を促す支援計画に取り組みながら、一人ひとりの子どもたちに寄り添うことを大切にしています。近日開所予定、お気軽に相談が可能です。埼玉県の放課後等デイサービスをもっと見る埼玉県児童発達支援事業所Upload By 発達ナビ施設情報叱られない教室らいくす 児童発達支援【川口安行教室】では、名前の通り、得意な事をどんどん伸ばしていき、好きなことを見つけて自己肯定感を高められるような支援を行っています。集団レクリエーションや、体を使った活動、勉強サポート等のプログラムは、すべてほめて伸ばすことを大事にしています。子どもへの声かけや関わり方は、「CCQ(穏やかに・子どもに近づいて・静かな声で)」というテクニックを使ってわかりやすい指示を行っています。施設スタッフが一丸となって愛と情熱を込めて精一杯サポートしています。Upload By 発達ナビ施設情報叱られない教室 らいくす 児童発達支援【川口並木教室】は一人ひとりの子どもたちの成長に寄り添うことをコンセプトに、2月にオープンした施設です。マンツーマンの個別指導で、お子さま一人一人の発達段階に合わせたオリジナルプログラムを指導員と1対1で取り組みます。保護者の方々からいただく声を参考に、より良い支援を行っていくことを心がけており、子どもたちの小さな成長を本人やその家族、職員一同皆で共感し喜び合いながら、『輝き』の部分を最大限に伸ばしていけるよう、スタッフ一丸となってサポートしています。埼玉県の児童発達支援事業所をもっと見る静岡県放課後等デイサービスUpload By 発達ナビ施設情報SPROUTSでは、早い時期からパソコンを使いこなすことで学習面や生活面での苦手を補うツールとして活用できるようにパソコン学習をプログラムに取り入れています。タイピング練習やペイント機能で絵を描いたり等、興味が持てる学習内容を提供しています。また、運動遊びも取り入れ、平衡感覚、コントロール感覚、スピード感覚などの運動機能向上やルールを守ることによるソーシャルスキル等も学んでいきます。放課後等デイサービス卒業後の、就労・自立を見据えた支援に取り組み、時間をかけ一貫性のある指導の中で様々なことにチャレンジできるよう、スタッフがサポートしています。静岡県の放課後等デイサービスをもっと見る大阪府放課後等デイサービスUpload By 発達ナビ施設情報児童発達支援・放課後等デイサービスHUGSは、楽しむ心を育む音楽療育・体の動きを身につけてできる楽しさを感じる運動療育・わかる嬉しさを育てる学習支援・見る力を育てるビジョントレーニング等さまざまなプログラムを用意し、きめ細かくお子さん一人ひとりに対応した支援をしています。様々な資格を持つ経験豊富なスタッフの中にくわえ、看護師も常駐している為、医療的ケアが必要なお子さんも安心して通えます。自分らしく毎日を過ごすために、まずは自分の気持ちを表現することができるよう、スタッフ一同サポートします。大阪府の放課後等デイサービスをもっと見る大阪府児童発達支援事業所Upload By 発達ナビ施設情報児童デイサービス グッドサポートでは、遊ぶ・学ぶ・創造する・体験することで、コミュニケーション・社会性・生活性・働くスキルを身に着け、自立できるようサポートしています。物を作る楽しさを学び、想像力を豊かにする創作活動に力を入れ、最近ではバスボムやアルミボール作りを行っていました。自然や文化に触れ、生活習慣や公衆道徳等を学ぶ遠足や、専門知識を持つ講師によって定期的に行われるヨガのセミナーでは、お子さんそれぞれで楽しみながらも真剣に取り組んでいます。スタッフの外部・内部研修も積極的に行っており、笑顔で安心して過ごせる場所を作っています。Upload By 発達ナビ施設情報児童発達支援・放課後等デイサービスHUGSでは、音楽療育を始め、運動・ソーシャルスキル・ビジョントレーニング等様々な療育を取り入れ支援を行っています。スタッフ全員が資格保持者であり、保育士、教員免許取得者、看護師、介護福祉士など経験豊かなスタッフがお待ちしています。看護師・喀痰吸引等研修(第3号)修了者が常駐している為、医療的ケアにも対応可能です。ひとりひとりの笑顔がみんなの「楽しい」と「成長」につながるように、保護者・お子さんに丁寧に寄り添っています。大阪府の児童発達支援事業所をもっと見る「もっと施設の情報を詳しく知りたい!」「見学をしてみたい!」と思ったら、WEBからもお問い合わせが可能です。施設情報ページでは、掲載されている施設の情報を地域ごとに検索して見ることができますよ。
2021年03月26日Upload By 発達ナビ編集部自閉症者の独特な世界観を表現した作品編集部(以下、――) 映画の原作となったエッセイ『自閉症の僕が跳びはねる理由』は、自閉症者の内面の感情や思考を分かりやすい言葉で伝えたことで注目され、34か国以上で出版され、117万部を超える世界的ベストセラーになりました。書著を書こうと思われたきっかけを教えてください。話せなかった僕が気持ちを伝えられるようになってから、母は僕の行動について「なぜ、そんなことをするの?」と、ことあるごとに聞くようになり、僕の説明を聞いては驚いていました。僕の行動の理由が分かるようになり、僕に接する母の態度に余裕が出てきたと思います。僕は母に尋ねられなければ、自分の行動を言葉にすることはなかったのではないでしょうか。なぜなら、それが僕にとっての日常だったからです。僕の世界が母の世界と違うと知ってから、僕が見たり感じたりしている世界を母に伝え、母からは“普通”と呼ばれている人たちが見たり感じたりしている世界について教えてもらうようになりました。当時の母は僕の行動の理由を知り、親子関係がよりよくなったと感じていたようです。自閉症者である僕の気持ちを知ってもらうことで、自閉症者に関わる人たちの気持ちが少しでも楽になればと思い、この本を出版しました。――映画は「自閉症と呼ばれる彼らの世界が“普通”と言われる人たちと、どのように異なって映っているのか?」を世界各地の5人の自閉症の少年少女たちの姿やその家族たちの証言を通して追い、明らかにしていく内容でした。著書がこのような形で映画化されたことについて、どのように思っているか教えてください。すばらしい映画にしてくださり、制作者のみなさまに感謝しています。僕は、自閉症者の生きづらさや独特な世界観について文章で表現しましたが、ジェリー・ロスウェル監督は映像で表現してくださいました。多くの方にこの映画をご覧いただき、自閉症とは何かということについて考えていただければうれしいです。――本作では、自閉症のある人が世界をどのように感じているのか、視覚や聴覚で伝えている描写がありました。東田さんが完成した映画の映像を見て、感じたことを教えてください。とても芸術的な映像だと思いました。自閉症者が見ている風景のように描かれている場面がありましたが、僕が日常のすべてにおいてこのような風景を目にしているわけではありません。僕は著書の中で世界の見え方について「最初に部分が目にとびこんできます。その後、徐々に全体が分かるのです。」と書いていますが、僕の視界にそう映っているというよりは、意識の向け方がそういう感じだということです。意識というのは本人にしか分からないものだと思っていました。意識下で起きていることを映像で表現し、それを見ている人に自分の視界で起きているかのような錯覚を起こさせる映画の技術に感動しました。Upload By 発達ナビ編集部「繰り返し行動」「動きを制御できない不安」、言葉にするなら――「不安に感じるとき、繰り返し行動を行うと安心する。不確かさから自分を守ってくれる」という言葉がありました。映画のなかでも、ある女の子がキラキラしたひもをいつも持っていて、集中している時は平穏、目を離すとさまざまな刺激が飛び込んでくる描写があります。東田さんも、繰り返し行動をしていないとさまざまな刺激が飛び込んでくるのでしょうか。また、どのようなことをすると気持ちが落ち着きますか?繰り返し行動をしていないとさまざまな刺激が飛び込んでくるのではなく、さまざまな刺激が飛び込んでくるために繰り返し行動をしてしまうのです。どちらが先でも同じではないかと思われるかもしれませんが、繰り返し行動は、したくてしているのではないという意味では、自分を守るために繰り返し行動をしてしまうという表現の方が、自閉症の人の心境をよく表しているのではないでしょうか。僕も刺激には弱いです。気になる音や風景が目に入ると、自分を落ち着かせるために、いつも見ている絵本や昔の写真を見たり、手で耳をふさいだりしていました。今は、周りの刺激にもだいぶ慣れました。――発達ナビを読んでいる人たちのなかには、お子さんが突然家を飛び出してしまったりすることにどうしたらいいか悩んでいる人もいます。東田さんもよく家を出て外にいらっしゃったと言います。外に飛び出すことで得たかったものはなんですか?外に出ることで自分が何かを得たかったわけではなく、脳が僕にそう指令を出すのです。外に出てしまったら、あとは歩き続けるだけです。赤い靴を履いた女の子のように、僕はただ目的地に向かって足を動かします。目的地といってもどこを目指しているのか、自分でもよく分からないのです。自分がどうなるのかなんて考えませんでした。自分の行動を自分でうまくコントロールできないというのは、なぜこんなことをしているのか、自分でも説明できない状況なのだと思います。僕の場合は、警察に保護されたり、車にひかれそうになったりしたことで、勝手に外に出て行かなくなりました。――東田さんは、記憶は線でつながっておらず点としてばらばらに存在し、突然思い出されるといいます。そのような時間の感覚を持っていることで大変だと思う点、逆に良いと思っている点等があれば教えてください。大変だと思っているのは「前にやったでしょ」「もう忘れたの?」などと注意されることです。普通の人たちは、これくらい覚えているのは当たり前という前提のもと、僕たちが記憶していないことに対して、叱ったり怒ったりします。けれど記憶というのは本来、意思の力だけでどうにかできるものではなく、脳の機能も関係しているものではないのでしょうか。僕がこんな文章を書けることを不思議に思われる方もいますが、僕が言う「点のような記憶」というのは、記憶が線のようにつながらないだけで、場面ごとの記憶はあるということです。場面としての記憶があれば、言葉や知識そのものは増えていきます。僕の記憶で良かったと思っているのは、過去から現在、どの地点においても、自分という人間の存在感が変わらないことではないでしょうか。小さい頃の自分も今の自分もそれほど変わらないのです。過去に思いをはせ遠い昔を振り返るというよりは、自分がたくさんいるようなイメージです。自分という人間がこの世に無数にいるような感覚は、時間を超越しているとも言えるでしょう。フラッシュバックに怯えることもありますが、もしかしたらこれは、四次元を体感している状態なのかもしれません。――自分の体や行動を制御できない不安はありますか?そのような不安から守るためにしていることがあれば教えてください。僕は、体の機能に問題がないにもかかわらずみんなのように動けない自分のことを、「壊れたロボットのようだ」と表現してきました。大人になった今も、あまり違いはありません。指示に従うことも、集団行動も上手くできないのです。じっとしていることさえ苦痛です。そんな自分を不安に思う気持ちはずっと続いています。特別な対策はしていませんが、失敗してもそれほど落ち込まなくなりました。なんとかなると、自分で自分を励ませるようになったからだと思います。――「人間にどれだけ否定されても、自然は僕を抱きしめてくれる」という表現がありました。東田さんはどのように自然とふれあい、感じてきたのでしょうか。光を浴びれば僕の体は分解し、分子となって周りに飛び散るような感覚になります。風が吹けば風よりも速く走りたくなり、水中に潜れば自分に手足がついているのを忘れてしまいます。僕は自分が人であることが、いまだに信じられません。人の中にいる自分より、自然の中にいる自分の方が安心できるからです。嫌なことがあったら空を眺めます。流れる雲やまたたく星を見ているだけで、気持ちが癒されるのです。自閉症者として、人として、自分に向き合うUpload By 発達ナビ編集部――思ったことを会話で伝えられないことで、人とのコミュニケーションに苦労されてきたと思います。そんななか、人との関わりで癒されたり救われたりした経験はありますか?僕が心から信頼しているのは家族です。僕がここまで元気に生きてこられたのも、家族の支えがあったから。自分が信じた道を歩くことの大切さを身をもって教えてくれた母には、感謝しています。父からは、世の中にはさまざまな価値観が存在するということを教わりました。学校の先生も、僕に優しかったです。僕が友達に笑われることはあっても、いじめられることはありませんでした。先生は僕をいつも気にかけてくれていました。僕が人を嫌いにならなかったのはこのような経験も影響していると思います。僕はコミュニケーションでずっと苦労していますが、人との関わりを拒絶しているわけではありません。むしろ、人にとても興味を抱いています。――人の、どのようなところに興味があるのですか?人はいつも正反対の性質を持って生きています。「善と悪」「やさしさと厳しさ」「期待する気持ちと失望する気持ち」…どんな人もさまざまな一面を持っています。誰でも自分の気持ちに正直に生きたいと願う気持ちと、人として正しくありたいという気持ちの間で揺れ動いているし、それは僕も同じです。だから、そんな思いは自分だけではないと知ることで、僕は未来に希望を感じるのです。僕の悩みも自閉症だからではなく、人として生まれたからだと思えるからです。――映画に出てきたある自閉症の方は、文字盤で意思を伝えられるようになる前の学校教育について、苦い思いを語っていました。東田さんは、受けてきた教育についてどのように感じていますか?僕は小学校時代、5年生まで地域の学校(通常学級)で学びました。ただし、授業中も母がずっと付き添ってくれていました。小学校6年生から中学3年生までは特別支援学校に通い、高校は障害のある生徒も受け入れてくれる通信制の学校に在籍しました。普通の学校も特別支援学校も、一長一短があったと思います。子どもには教育を受ける権利があります。どんな人生を歩みたいのか、学校の選択も含め本人が決められれば理想だと思っています。――東田さんは、どのようにご自身の学校を選択してきたのでしょうか。学校は、基本的に自分で選択してきました。小学校では、とにかくみんなと一緒に勉強したかったです。けれどもだんだん周りが見えるようになり、他の人との違いに気づき始めたのです。自分はいったい何者なんだろうと、思春期の入り口で深く考えるようになりました。みんなとの違いは努力だけではうめられないことも知りました。当時は、みんなのことがまぶしかったです。そこで小学6年生から特別支援学校に転校することを決めました。小学校の卒業まであと1年、せっかくだから頑張ったら?と言われたこともありましたが、将来のためにも、自分で自閉症という障害を受け止めるべきだと思いました。特別支援学校では、自閉症である自分と向き合うことができたと思います。世界中の自閉症者が、自分らしく生きられるように――発達ナビの読者は、主に保護者や支援者です。自閉症など、特性がある人の保護者、支援者に対して伝えたいことがあれば教えてください。当事者にとっては、自分のことを心配し、気にかけてくださる方々の存在が生きる希望につながっています。人が生きるうえで最も大切なものは、希望ではないでしょうか。どうすればできるようになるのかを考えることは大切ですが、そのためにも次も頑張ろうと思えるよう応援をしてあげてください。――映画に出てくる自閉症の人たちを見て、何を感じましたか?僕が気になったのは、やはり自閉症であるために差別されている人たちがいるということです。人は生れながらに平等で誰もが幸せに生きる権利を持っているはずです。そして、幸せかどうかを決めるのは、周りの人ではなく本人だと思います。世界中の自閉症者が自分らしく生きられることを祈っています。そして、これからもどうして差別が起きてしまうのか考えていきたいです。――自閉症のある人とまわりの人たちには、どの様な対話が必要だと思っていますか。また、どの様な人に対話へ加わってほしいですか。特別な対話はいらないと思います。ただ普通の人たちとは少し違う人たちも、社会の中にいることを知ってほしいのです。「どの様な人に対話に加わってほしいですか」というご質問には、「どなたでも」と僕は答えます。――今日はありがとうございました!インタビューを終え、東田さんの繊細かつ独特な感受性と、人に対する温かいまなざしの伝わってくる言葉の数々が印象に残っています。著書では自閉症者の見ている世界観が言葉で的確に表現されていますが、映画では映像と音声で、その世界観を体感することができます。ぜひ鑑賞してみてください。※インタビューは、東田さんにお送りした質問事項に文章で回答していただく形と、オンライン対面で質問してその場で文字盤を使いながら回答していただく形の2つをとりました。この記事は、その両方の回答をあわせて執筆しています。Upload By 発達ナビ編集部東田直樹さんの著書『自閉症の僕が跳びはねる理由』が原作となった映画、『僕が跳びはねる理由』 が、4月2日(金)より、角川シネマ有楽町、新宿ピカデリー、アップリンク吉祥寺 ほか全国順次公開。東田さんが文字でつづった自閉症のある人の感じている世界を、東田さんの言葉と美しい映像とともに描いた作品。アメリカをはじめ、さまざまな国で暮らす自閉症当事者の暮らしや夢、友情などを丁寧に取材している。原作:東田直樹『自閉症の僕が跳びはねる理由』(エスコアール、角川文庫、角川つばさ文庫)翻訳原作:『The Reason I Jump』(翻訳:デイヴィッド・ミッチェル、ケイコ・ヨシダ)監督:ジェリー・ロスウェルプロデューサー:ジェレミー・ディア、スティーヴィー・リー、アル・モロー撮影: ルーベン・ウッディン・デカンプス/編集: デイヴィッド・シャラップ/音楽: ナニータ・デサイー原題:The Reason I Jump2020年/イギリス/82分/シネスコ/5.1ch/字幕翻訳:高内朝子/字幕監修:山登敬之/配給:KADOKAWA
2021年03月26日今一度「視覚支援」に取り組んでいるこのごろですUpload By 丸山さとこ「発達障害がある子どもに対しては視覚支援をすると良い」という話をよく聞きます。視覚優位なタイプの子であれば尚更”視覚支援は定石”くらいの感じで言われることも多いのではないかと思います。具体的には”子どもそれぞれに合わせた形”で支援方法を取り入れることを前提としつつも「まずは視覚支援」という流れになりやすい療育の世界の中で、コウは視覚支援があまり効果的ではありませんでした。コウは、幼いころから今に至るまで”耳で聞いた話”を理解したり覚えたりすることが苦手です。口頭での説明だけでは「え?何の話し?」「なんだったっけ…」と混乱することも多い彼ですが、文字やイラストを使って説明することで理解しやすくなります。これも視覚支援の方法のひとつで、これは幼児のころから有効でした。Upload By 丸山さとこ一方、ルールや手順を示すタイプの視覚支援は、4歳から9歳ごろまで全然効きませんでした。コップを置く場所を示すためにテープを貼れば『ここには置きたくない』とはがし、手順を示すボードは(理解できるものの)無視し、やることを示したカードは全く興味を示しませんでした。「コップはここにおいて」「次にやることはどれ?」などと声をかければ動くことはできたので、”絶対にやりたくないことなので抵抗していた”というわけではないようです。当時のコウにとって、従いたくない視覚支援の内容は”無視をすればいいもの”だったのかもしれません。そんなコウと視覚支援の関係でしたが、高学年になってから少しずつ「視覚支援がはまること」が増えてきました。Upload By 丸山さとこ・触らないでほしいスイッチの上に「さわらない」と書いたマスキングテープを貼る・「ここに置いてね」という場所をビニールテープで囲む・「ここからこっちは物を置かないでね」と机の上にラインを引いて目印にするそんな、”発達障害児への視覚支援”と聞いたときにスッとイメージされそうな「ベタな視覚支援」が、急に効くようになってきたのです。どの支援方法が有効かは、やってみないと分からないUpload By 丸山さとこ発達障害児への支援方法はいろいろありますが、どの支援方法が有効かは子どもによっても違うし、時期によっても違います。文字にすれば凄く当たり前のことなのですが、ルールや手順を示す視覚支援に対して「理解はできるけど全力で無視する期間」の長かったコウが相手だったため、完全に”ダメでもともと”の気持ちでやってみた支援でした。何色のテープをどう貼るかコウと相談しては、『意外だな~やってみるもんだな~』と不思議な気持ちでテープを貼っていく私でした。
2021年03月25日「長男の発達障害の話」最終話。「なんでうちの子が発達障害なんだろう……」。息子の発達障害という現実をなかなか受け入れることができずに苦しむばよさんでしたが、ひとまず療育相談センターへタロちゃんを連れて行き、検査やトレーニングをおこないました。その後、小学校入学するにあたって「通常級」か「支援級」か、葛藤することに。ばよさんの答えは……?! 「長男の発達障害の話」最終話 療育相談センターは市の施設で、平日しかやっていませんでした。もし仕事が平日休みじゃなかったら、どうしてたんだろう……。会社辞めてたのかな??などとたまに過去の自分に思いをはせます。 ひとたび気持ちがストンと決まり、ご近所の仲良いママたちに何もかもすっかり打ち明けたら、気持ちが軽くなってオープンマインドになれました。何をあんなに私は悩んでいたんだ?とすら思えます。 市の教育委員会による就学相談会が開催され、特別支援級が望ましいとの通知を受けます。 「できれば通常級に入れてやりたい……」と悩みましたが、「一番大事なことはなんだ?」と改めて考え直したばよさん。 「タロに合ってるんだからいいじゃん」 ストンと気持ちが決まりました。 仲の良いママたちにも打ち明けることができ、気持ちが軽くなってよかったですね! 監修/助産師REIKO
2021年03月24日姉弟間のコミュニケーション。広汎性発達障害の娘は、春から小学5年生。発語が遅く心配した時期もあった娘ですが、今では日常会話はほとんど支障なく、伝えたことの理解も伝えたいことの説明もスムーズにいき、以前に比べたら安心感も増していました。しかし、これが姉弟間になると、うまくいかないもので...Upload By SAKURA息子は操作方法を聞きたいため、説明の言葉を待っていたのですが、娘は「どうやるの?」の質問に対して、やってあげて返す...という方法を取っていました。視覚優位な姉と、聴覚優位な弟。視覚優位の特性がある娘は、何事も見て判断するので、耳からの情報(言葉)は意外といらないことが多いです。しかし、息子は対照的に聴覚優位。目で見るというより、耳で聞いて情報を収集するタイプ。Upload By SAKURA息子は説明の言葉がほしくて「やり方教えてって言ってるでしょ!」とその後も何度も聞くのですが、娘は「え?さっき教えたじゃん」と言います。二人のかみ合わない会話が続いたため、私は間に入りました。Upload By SAKURA分かりやすい方法は、人それぞれ。Upload By SAKURA視覚優位の娘は「見せたら分かるだろう」と思っていたみたいですが、どうした方が分かりやすいかは、人それぞれ。自分が分かるからと言って、みんなそうとは限らないということを話しました。Upload By SAKURA娘はしゃべりながら手を動かすということが苦手ながらも、弟に対して必死に言葉で説明し、息子は姉の説明を真剣に聞いていました。言葉を忘れがちな姉と、言葉を待つ弟。別の日のこと...息子がタブレットで動画をみているときに、変なところを押してしまい、よく分からない画面になってしまいました。息子は、姉に助けを求めにいきました。娘が元に戻してあげようとすると、横から息子が手を出し、更に変な画面に。Upload By SAKURAおそらく「触らないで」と言いたかったのでしょうが、興奮したときの娘は、なかなか先の言葉が出てこないという特性もあります。息子は名前を呼ばれるたび、「なに?」「なに!?」と聞きます。息子からしたら、呼ばれたから返事をしているのに、その先をなかなか姉が言わないので「いったいなんなんだ」状態。イライラした息子は怒り始めました。一方娘は、自分が先の言葉に詰まっていることに気づいていないので、なぜ弟が怒っているのか分からず「そっちが変な画面にしたのに、なんで怒るの!?」と驚いていました。回数を重ねて経験に。Upload By SAKURA娘にとって、一番身近なコミュニケーションの勉強相手が息子です。私たち親だと、娘が何を言いたいか、どう思っているかをどうしても先に察してしまうため、もめるところまではいきません。しかし4歳の息子は、良くも悪くも感情のままに娘に向かっていきます。分かりにくければ怒るし、文句だって言います。娘にとっては、相手がどう思っているか、一番分かりやすく、勉強できる相手だと思います。それに、息子は感情のままではありますが、意外と姉思い。娘がパニックになったら言い方を柔らかくしてくれますし、姉に『待って』と言われれば、真面目に待ちます。せっかく姉弟になったわけですから、仲良くもしてほしいですが、たくさんもめて、お互いコミュニケーションについて学んでほしいというのが、私たちの思いです。
2021年03月24日「長男の発達障害の話」第3話。療育をすすめられ、ショックを受けているばよさんの気持ちを思いやることもなく、矢継ぎ早に決断を迫る主任保育士の態度に堪忍袋の緒が切れた!その場で判断せずに夫と帰宅したものの、その後数カ月にわたって夜眠れなくなってしまったばよさん。「長男が発達障害」という現実を受け入れるのにかかった時間は……? 「長男の発達障害の話」第3話 あの面談のあと、なかなか眠れなくなりました。ショックと怒りでめらめらと……。 心は置いてけぼりでしたが、タロの成長に関わる大事なことだからと療育相談センターに行きました。 面談からどれくらい経ってたかな。遅くとも面談の翌月にはセンターに向かったと記憶しています。 悲しみ、自責、ショック、否定、成長への希望……現実を受け入れるのに2年かかりました。 いろいろな感情が大波、小波、津波のように次から次に押し寄せた2年でした。 同じように面談で子どものことを言われたママ友と情報を共有したり交換したことで、本当に救われました。 「なんでうちの子が発達障害なんだろう……」 なかなか受け入れることができずに苦しむばよさんでしたが、ひとまず療育相談センターへタロちゃんを連れて行き、検査やトレーニングをおこないました。 そして、同じように面談で子どものことを言われたママ友とつらい気持ちや情報を共有しました。 次回、長男が小学校入学するにあたって、「通常級」か「支援級」か、葛藤することに。ばよさんの答えは……?! 監修/助産師REIKO
2021年03月23日目も合わず、おもちゃに興味も示さなかった息子。「好きな遊びは?」に答えられず...Upload By かさはらあやこ自閉症の息子。歩けるようになった1歳4ヶ月のころには第二子を妊娠していたため外出することが少なく、現在は幼児二人を連れて外出することが困難なため、療育に通う以外、3歳と9ヶ月の人生をほぼ家の中で過ごしてきました。赤ちゃんのころからひとりで黙々と遊び、〝一緒に遊ぼう!見て見て!〟のように求められることは一切なく、母子手帳や健診の問診票に書いてある〝どんな遊びが好きですか〟という質問に答えることができなかった私。「好きな遊び…えーと…」とうろたえていると、「好きなおもちゃとか。こんな遊びをしているとか。何かありませんか?」と聞かれ、「ちょっとわかりません…すみません」と答える。自分の子どもが好きな遊びも、どんなおもちゃに興味があるのかも全くわからず、答えることができないなんて…と情けなくて悲しい気持ちになり、記入を求められた先で泣いてしまったこともありました。それもそのはず、当時はおもちゃなどを渡しても正しい使い方で遊ぶことも興味を示すこともなく、床の傷やねじの穴などを触ったり、回りそうなものを回したりするだけ…目も合わず、何も求められない状態で、どうやって息子に接したらいいのかわからず…声をたくさんかけてみたり絵本を読んでみたりもしましたが、なんの手応えもなく、ただ遊んでいる息子を見ているだけ。わたしは子どもが苦手な面倒見の悪い人間で接し方も下手だから、自分のせいで息子は何も話さず、暗い性格になっているのだと思っていました。療育に通い、息子と向き合い始めて。遊び方にも変化がUpload By かさはらあやこ1歳半で療育に通いはじめてから、先生が息子に接する様子をみたり質問したりしながら、少しずつ少しずつ向き合う努力をするようになりました。段ボールで家をつくってあげるといいと言われればつくり、小さいものが好きなんだねと言われれば小さいものを与え、療育で使っているおもちゃでつくれそうなものがあれば100円ショップへ。療育の先生に『何かをする前に必ず、なんでもいいから合図を出すといいよ』と教えてもらってからは(声をかけることで注目させることと、ひとに期待するというこころを育てるため必ず好きな遊びや楽しいこととセットで行うようにアドバイスされました。先生はシャボン玉を吹く前に必ず『せーの!』と言います)、毎日必ず5分程度の時間、『さん!にー!いち!』と言ってからくすぐるという遊びをするようにしました。どんなにくすぐっても笑うことはなく無反応だった息子がだんだんと笑ってくれるようになり、いまでは『さん!』の時点でグッとお腹に力を入れ、手で防御して構えたり、堪えきれなくて笑ったり。初めて発達の病院にかかったとき、医師に「この子には人間なんて見えていない。私のこともオブジェとしか捉えていない。典型的な自閉症の中の自閉症です」と言われた、ひとりで遊ぶことしかできなかった息子は、療育に通い出し、先生のおかげで他者の存在に気づき、目が合うようになり、大人と遊びながら同じ時間を過ごすことができるようになりました。Upload By かさはらあやこ何の反応もない息子にどう接したらいいのかわからず、自分を責めたり責められたり、辛かった時期もありましたが、療育の先生に出会い、向き合うことを諦めずに接することができ、息子はあのころからは想像できないほど成長し、いまでは好きな遊びを聞かれても戸惑うことなく、自信を持って答えられるようになりました。遊びの幅も少しずつ広がって...最近の家での遊びは?Upload By かさはらあやこ・ひとり遊びの最中は静かに見守る細かいおもちゃで手先を使う遊びが多い息子。並べることが大好きで常に何かを並べています。ひとりであそんでいるときに、楽しそうだからといって話しかけたり一緒に遊ぼうとしたりすると、とたんにやめてしまうことがあります。息子の世界を壊さないようにと気を遣っていましたが、妹が産まれてからはそうもいかず…よく邪魔をされて怒っています。・家の中で粗大運動にもチャレンジなかなか外で遊ばせることができない中、発語には体を動かす粗大運動も大切だと小耳に挟み、ブランコ付きのジャングルジムを購入。最初は興味を示さず、乗れなかったブランコ。いまでは飛んでいきそうなくらい毎日激しく漕いでいます。・最近になっての注意点も基本的に細々しているおもちゃが多いのですが、赤ちゃんのころからおもちゃを口に入れたりすることがなかったので特に心配することなく自由に遊ばせていました。…が、最近、小さなプラスチック片の誤飲をしてしまう事件が発生。たまに口をモゴモゴさせていることがあるので油断は禁物です。息子の世界はまだまだ謎が多く、学ばなければいけないことも盛りだくさん。これからも向き合うことを諦めず、でもお互いに無理することはなく、毎日楽しく過ごしていけるといいなと思っています。
2021年03月23日「長男の発達障害の話」第2話。「わが子は他のお友だちができていることが、できない」。保育園での他の子と違うタロちゃんの様子を聞かされ、ただでさえショックを受けているばよさんでしたが……。現実を受け止められないばよさん夫妻にグイグイ迫る保育士! 主任保育士にこれからどうするのか、その場で判断を迫られて……。 「長男の発達障害の話」第2話 私は大抵のことなら我慢できますが、このときはプチンと切れました。 こちらの心をえぐってくるような話し方と迫り方で、今でも忘れられません。 これほど腹が立ったのは後にも先にもないんじゃないかな……と思うくらい。こんなふうにグイグイ迫られるのつらかった。 「どうしますか、決めてくださいお母さん! 療育相談センターに行かれますか? センターの方に保育園にきてもらいますか?」 ショックを受けているばよさんの気持ちを思いやることもなく、矢継ぎ早に決断を迫る主任保育士。 堪忍袋の緒が切れ、やけになって答えようとしたそのとき、旦那さんの呼びかけで我に返ったばよさん。その場での返事はせず、帰ることになりました。 次回、ばよさんが息子さんの発達障害を受け入れられず……?! 監修/助産師REIKO
2021年03月22日「長男の発達障害の話」第1話。Instagramでフォロワー4千人超えの星河ばよ(@bayo_fantasy)さん。2人の男の子のママです。長男タロちゃんの発達障害の判明から、小学校の就学までの葛藤のお話を短期連載でご紹介します。長男タロちゃんが保育園に通っていたころ、主任保育士さんにつきつけられた事実!初めて聞く保育園でのタロちゃんの様子にショックを受け……? 「長男の発達障害の話」第1話※発達障害はいくつかのタイプに分類されており、自閉症、アスペルガー症候群、注意欠如・多動性障害(ADHD)、学習障害、チック障害、吃音(症)などが含まれます。(厚生労働省 「知ることはじめよう みんなのメンタルヘルス 総合サイト」より) 当時は次男の育休中で、長男は日中保育園に通っていました。 「わが子は他のお友だちができていることが、できない」 思いもよらなくて、いきなり辻斬りに遭ったようにとてもショックでした。 現実を受け止めるのが私にはやっとでしたが、主任保育士は私たち夫婦にグイグイ迫ってきました。 「療育相談センターに行ってみますか? それともセンターの方に保育園まで巡回にきてもらいますか?」 保育園での他の子と違うタロちゃんの様子を聞かされ、ただでさえショックを受けているのに、主任保育士にこれからどうするのか、その場で判断を迫られたばよさん。 どう対応するのでしょうか……? 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター 星河ばよ
2021年03月21日ミドルエイジの先輩たちが「自分らしい生き方」に至るまでーー田村一晃さん岡山県で車の整備士として働いている田村一晃さん(27歳)。彼がASDの診断を受けたのは子どものころだといいます。小さいころから車が大好きだったという田村さん。自分の「好き」を大切に、趣味に打ち込みながら仕事を続けていく、充実した日々の様子をお話しいただきました。子どものころから車が大好きだった――田村さんはどんな子どもだったのでしょうか?田村一晃さん(以下、田村):幼いころから車が大好きで、車で出かけるのを楽しんだり、ミニカーを集めたりしていました。小学生のときには、紅白の厚紙などを切り貼りして、車のようなものをつくったりもしましたね。算数や理科など理数系の科目が得意で、音楽や図工などの表現する科目が好きな子どもでした。――子どものころからの好みが今のお仕事に繋がっている面もありそうです。田村さんは幼少期にASDの診断を受けたとのことですが、そのころASDの特性の影響は何かありましたか?田村:うーん、小さいときは、そこまで不便に思うことはなかったですね。ものづくりには一人で没頭するタイプですが、「周りが目に入らない」とまではいかないし。僕が生まれたのは岡山の田舎のほうで、小学校は全校で60~70人ほどと少人数だったこともあり、友人とも仲良くできていました。学校外では、同じ町の小・中学校から集まった、発達障害のある人たちとの交流会に参加することもありました。それとはまた別に、「アリスの会」というASDのある子どもと親の当事者グループにも、たしか小学生か中学生のころに参加し始めたと思います。自然な流れで入っていたので、あまりきっかけは覚えていないのですが(笑)。そこでは、みんなで体を動かして遊んだり、一緒に料理をつくったりしました。電話のマナー講習も一度受けたことがありますね。活動を通じてコミュニケーションをとるような感じでした。もともと、特にコミュニケーションに難しさを感じたことはありませんでしたが、アリスの会でいろいろな人と話すことで、より多様な人とのコミュニケーションができるようになったんじゃないかなとは思います。アリスの会――中学・高校ではどうでしたか。田村:小学校と同じく、正直あまり覚えていない感じです。部活は中・高ともに吹奏楽部に入って、トランペットをやっていました。小学校の運動会での集団行動の特訓や、吹奏楽部での活動が、人と一緒に何かをするいい練習になっていたのかもしれません。特に、吹奏楽の演奏はチームワークが大事なので、社会性を身につける良い機会になったと思います。Upload By 姫野桂進路は、身近な職業だった「自動車の整備士」一本で考えていた――高校生になると、進路のことも考え始めるかと思います。田村さんは、どのようにして車の整備士という道に進んだのですか?田村:もともと車が好きだったので、車関係の仕事をしたいなとは思っていました。それで、ある4年制の専門学校の、自動車整備を勉強できる学科に進学することに決めました。――車関係の仕事には、車を売る仕事や、レーサーや運転手のような自分が乗る仕事もあると思うのですが、田村さんの場合は車の整備士に絞って考えていたのでしょうか?田村:そうですね。地元に車屋さんがあって、「整備士」が僕にとって身近な仕事だったからというのもあると思います。高校のころは原付バイクで通学をしていたので、そのオイル交換に行ったり、自転車がパンクしたら持って行ったりしていたんです。親が車を持って行くときについていくこともありました。進学先を選ぶときも他はほぼ考えず、「車の整備を学べる学校の、どれにするか」を決める感じでした。専門学校に進学してからは、好きなことだからこそ勉強も楽しめましたね。最初の2年で2級の整備士資格を取って、残りの2年では職場体験もしつつ、「一級自動車整備士」の資格を取得しました。高校を卒業する前に自動車の運転免許を取って、車も買ってもらっていたので、その車を移動手段にしつつ、実験台にもしていました(笑)。オイル交換などのメンテナンスをしたり、LEDやイルミネーションをつけたりとか。多分、それをやっていたおかげで、仕事でも電気系の作業は特に得意なんですよ。Upload By 姫野桂整備士としての経験が、趣味の車いじりの中で活きることも――田村さんは現在、整備士としてどんなお仕事をされているのでしょうか。田村:運送会社の自社工場で、自社のトラックの定期点検やオイル交換、ちょっとした修理などをおこなっています。専門学校卒業後、学生時代にインターンをさせてもらった会社に入って、今5年目です。職場はフレンドリーな雰囲気で、整備士としては工場長と僕の2人が勤めています。Upload By 姫野桂――整備士として実際に働いてみて、いかがでしたか?田村:専門学校では、普通自動車を主に扱うのですが、僕の仕事は大型トラックの整備がメインになるので、そこの違いはだいぶ出てきましたね。整備の仕方が難しかったり、いろんな部品が増えたり。部品自体も大きくなりますし。外れてしまうネジの扱いやサビの処理など、「これ、どうするんかなあ」と思うようなことは、実を言うと今でもしょっちゅうあるんです。そんなときは、工場長に教えてもらいながら取り組んでいます。以前、燃料フィルターのネジを締めすぎて割れてしまったことがあるんですが、そのときは工場長が部品を手配してくれて、解体屋まで取りに行ったこともありました。工場長には、インターン時代からお世話になってます。そんな風に難しい場面もありますが、やっぱり、担当した車が整備を終えて出ていく瞬間には、やりがいを感じますね。――子どものときは、ASDの特性由来の困り感は特に感じなかったとのことですが、大人になってから何か変化はありましたか?田村:整備士以外にしている荷物の仕分け作業の仕事で荷物を積むときに、なかなか覚えられないことがあったりと、最近になってちょっと特性が出てきているのかな、と感じることはあります。たまに忘れ物をすることもありますが、リカバーできている範囲なので、なんとかなっているかなと。――田村さんの趣味についてもお聞きしたいです。車に日々携わる整備士という仕事についた今も、趣味としての車も楽しんでいらっしゃるのでしょうか。田村:はい。今もミニカーは集めていて、テレビラックに飾ったりしています。車に関しては、幼少期よりも今のほうがこだわりがありますね。コンパクトカーや大きいステーションワゴン、スポーツカー、トラック、デコトラ…いろんな車が好きですが、乗っていて楽しいドライブしたくなるような車や、かっこいい車が好きです。Upload By 姫野桂田村:自分の車も相変わらずいじっていて、家で部品を自分で変えて車高を下げたり、マフラーを変えたり、ライトをLEDにしたりもやってましたし。今は車がハイブリッドになって、できなくなったんですけど、前は親の車のオイル交換もしていました。昨日も、自分の車を洗うついでに、じいちゃんの車を洗ったりして。車で走りに行ったりもしますね。趣味と仕事が近いと、趣味で車をいじるときに、「ああ、ここはこうすればいけるんだな」と気づくことがあります。車によっては、一部似ている構造があることもあるんです。他の趣味としては、ゲームのキャラクターグッズを集めたり、オンラインゲームをしたりもしています。最近はいわゆる「痛車」にもハマっていて、車のボンネットに好きなキャラクターのステッカーを貼っているんですよ。――趣味が充実しているのが伝わってきます。田村:僕、一時期はイラストを描いて、サークルで同人誌をつくっていたこともあったんです。同じようにイラストを描いていた人たちとのオフ会のようなものに参加したり、車やゲームなどの趣味が合う仲間たちと遊びに行ったりと、幼いころより今のほうが、人と一緒に楽しむことは増えたかもしれません。Upload By 姫野桂好きなものを見つけることが、何かの入り口になる――車の整備士という、趣味とのつながりが深い仕事をしながら、余暇の時間を存分にを楽しんでらっしゃる田村さんですが、これから進路や仕事について考える若い読者の人たちに、伝えたいメッセージやアドバイスはありますか?田村:まずは趣味を持つことが一番ですね。好きなこと、楽しいことがあれば、そこから何かやりたいことが見つかっていく可能性があります。「とりあえず好きなことを見つけろ」と伝えたいです。趣味を楽しむのも、ある意味では勉強みたいなものですよ。そこから興味が深まったり、できることや知識が増えたり、仲間ができたりしますし。僕も、ゲームで同じチームに入っている仲間や車仲間、絵描き仲間など、いろんな趣味の仲間がいます。それから、もしコミュニケーションに悩んでいる人がいたら、まずは同じ趣味を持ついろいろな人と話してみるのが一番いいかもしれません。そうやって話すことが、ちょっと言い方は変かもしれませんが、コミュニケーションの実践練習の機会になると思うので。「習うより慣れろ」といった感じもありますね。自分の場合は、アリスの会での経験や、趣味の合う仲間とのやりとりが、そのような実践の場になったと思います。同じ趣味というきっかけがあれば、コミュニケーションもとりやすくなると思うんです。入り口さえ掴めたら、あとは実践あるのみですね。趣味を通じてできた仲間は、一緒にいてとても楽しい存在です。好きなことは、仕事以外にもさまざまなきっかけになりうるので、あるとないとでは全然違うと思います。――最後に、今後の目標があれば教えてください。田村:仕事で言うと、今はだんだん大きいトラックの台数が減っていて、代わりに違う種類の新しいトラックが入ってきているんです。新しいトラックは、ブレーキが別の種類になっていたりもするので、新しいものにもできる限り対応できるようになりたいですね。趣味の面では、好きなことをもっと極めていきたいなと思っています。先ほど少し話したように、今は「痛車」にハマっているので、ボンネットだけでなく横のほうにもステッカーを貼りたくて。イラストを描いてくれる人を探そうかなと思っているところです。それより先に車が壊れてしまいそうなので(笑)、今は次の車を買うために貯金をしています。もっともっと、自分好みの車に仕上げていきたいですね。「仕事を頑張ってこそ、趣味も充実する」という考え方もあると思いますが、僕の場合は「趣味に満足がいかないから、仕事を頑張ってお金を稼ぐ」という感じです。今は通勤距離が長すぎて、ほとんどガソリン代に消えていっていますが(笑)。Upload By 姫野桂好きなことを仕事にして、今もなお趣味を追求し続ける田村さん。その趣味にかける情熱は潔く気持ちが良いものでした。田村さんの言うよう、どんな仕事に就きたいか分からない人は、一度自分の好きなものは何かを考えてみると、ヒントが見えてくるかもしれません。取材・文:姫野桂編集:鈴木悠平・佐藤はるか
2021年03月21日マジョリティー隊長が隊長職を退き、悩む「PP団」幹部はマジョリティー隊の隊長が隊長職を退くことを「PP団」に伝えた前回。「PP団」の幹部は今後について悩んでいて...「PP団」幹部、今後の相談をしに出かけるが...Upload By 荒木まち子途中で遭遇した"PP団の仲間"のおせっかいに翻弄されて!?Upload By 荒木まち子執筆後記マジョリティー隊の上層団体PP団。その幹部が師と仰ぐ「ガバナー」とは一体何者なんでしょうか?ガバナー登場までもう少しお待ちください^^LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年03月20日自閉症スペクトラムのあるウリと、その父親の暮らしを描くイスラエル映画Upload By 発達ナビニュース障害のある子どもを育てている親にとって、子どもの自立は大きな課題であり、心配や不安を感じることも多いのではないでしょうか。今回紹介する映画『旅立つ息子へ』は、自閉症スペクトラムのある一人息子・ウリと、妻と別居し息子と二人で暮らす父親のアハロンの、自立と子離れの物語。美しい映像描写で定評のある、イスラエル映画です。アハロンとウリは、まるで一心同体。二人の毎日は平穏で、言葉はなくても通じ合っています。2人がイキイキと自転車で街を疾走する様子、楽しそうに電車に乗るウリと寄り添うアハロン…静かで穏やかな風景、美しい色合いで描かれる二人の日常。ですが時に理解の無い周囲の視線が、観る人の心をチクりと刺します。その視線から息子を守るように寄り添うアハロンに、自分の姿を重ね合わせる人も多いのではないでしょうか。父子二人の平穏な生活に訪れた、ある変化二人の平和な毎日に、突然の激震が走ります。別居している母親が、ウリを施設に入れるというのです。母親もまた、親なきあとのウリが路頭に迷わないようにと、最善を尽くそうとしてるー。自分よりウリを理解してくれる者はいないと頑なな父の気持ちも、父の愛情に包まれた暮らしの中に安心を見出しているウリの気持ちも、どちらも分かるからこそ、切なさがこみ上げます。そしてまた、二人の間に入っていくことができない母の嘆く姿に、入り込む余地のない父子二人の強固な関係を、改めて感じさせられるのです。Upload By 発達ナビニュース父親は意を決して、息子と家を出ます。「いつもの電車の旅とは何か様子が違うぞ。これが最後の旅、別れの旅になる。旅の先には、父と離れて住む施設がある」そう感じたウリは駅のホームでパニックを起こします。そして、パパと一緒にいたいと訴えるのです。改めて「ウリを手放したくない」と痛感したアハロンは、施設や妻との約束を破って、リゾート地に向かってしまいます。アクシデントの中でふと垣間見えた、息子の成長Upload By 発達ナビニュース二人の旅は、さまざまなアクシデントに見舞われます。そしてアクシデントが起こるたびに、アハロンは考えないようにしてきたことに、少しずつ気づくのです。同い年くらいの女の子を見て思わず近寄って行くウリを必死で止めるアハロン。目を離したすきにどこかへ行ってしまったウリを必死に探すアハロン。ようやく見つけたとき、ウリがいた場所は…。ウリの年相応の成長、楽しみ、興味に。それは父親とともに過ごしたのでは得られない、ウリに秘められた可能性なのかもしれないと。「自分の人生を生きているのか」という問いUpload By 発達ナビニュースそしてまた、訪れる人との会話を通して、私たちは父親の人生についてもまた、深く考えさせられる機会を持ちます。今は職なし、一文無しで、妻に養ってもらっているアハロンですが、実は第一線で活躍する優れた才能の持ち主だったこと。息子のために輝かしいキャリアを捨てて、息子のためだけに生きてきたこと。でも本当に息子のためだけにキャリアを捨てたのか。自分の人生をかけて育ててきた息子だから、自らのエゴのために手放せないのではないか。父は息子に依存し、また息子も父に依存しているのではないか。その問いもまた、観る人の胸に刺さるのです。親はいつか、子どもを手放さなくてはいけません。そして子どもは親元を離れていかなくてはいけない。そんなとき、どこで、だれと暮らせるなら、我が子は幸せなのだろう。親の愛以上に子どもの力となるものとは、なんだろう。今は、毎日のことに必死かもしれません。でもいつか来る巣立ちの日のために、親自身も自分の人生を生きるという事、そして子どもには子どもの道があるということを忘れてはいけない。この映画は、あたたかく私たちを包みながら、そんなことを教えてくれるのではないでしょうか。『旅立つ息子へ』上映情報映画『旅立つ息子へ』は、3月26日(金)TOHOシネマズ シャンテをはじめ、全国公開。公開日:2021年3月26日(金)上映館:TOHOシネマズ シャンテ他、全国公開イラスト:かなしろにゃんこ2021年3月14日に、公開を記念してオンライン座談会を行いました。その様子がアーカイブでもご視聴いただけます。発達ナビユーザーにもご協力いただいた、障害がある子どもの自立や、保護者自身のキャリアについてのアンケート結果をひきながら、つながりたい支援や、これからの社会に願うことまで話しました。座談会登壇者牟田暁子(LITALICO発達ナビ編集長)田中康雄(北海道大学名誉教授/児童精神科医)橋謙太(NPO法人ファザーリング・ジャパンメインマンプロジェクト・リーダー)
2021年03月19日発達が気になる子どもを受け持つ、園の先生方の悩み私は発達障害のある子どもを育てる保護者としての苦しみを伝えるべく、保育園や幼稚園の先生に研修をすることがありますが、そこで出会う先生方が「保護者になかなか子どもの問題を伝えられない」と悩んでいることがとても多いように感じています。同時に「悩みが目先のことに向いているようだ」「親も先生も“子どもに幸せな人生を送ってもらいたい”という見ている方向は同じなのに、大人同士の人間関係を優先してしまい、言い淀んでいる状態なのかもしれない…」と感じることがあります。研修で耳にした、園の先生方が実際に受けた言葉これらは、実際に私が耳にした園の先生方の言葉です。「親御さんに伝えられない理由はなんですか」と質問をすると…。・「子どもの問題行動は先生の指導力が問題!うちの子を障害児扱いして」と詰め寄られた経験がある。それが原因でうつになり、退職してしまった同僚がいる。・行政に訴えられたことがある。・「障害児加算をあてにしているんですか」と言われたことがある。・ほかの保護者に担任の悪口を言いふらされたことがある。・「上の子も同じ感じだったが今はしっかりしている」「家では問題ない」と言い訳されてしまい、それ以上話が進まない。・「文字も書け、数字も得意だし問題ない」と言われる。保護者と話がかみ合わず、そのまま話が止まっている。・相談機関とつなげようとしたり、「就学相談に行って、小学校の進級先を検討してみてはいかがでしょうか」と伝えたりしても無視される。・頑なに福祉サービスを受けることを拒否している。それぞれの家庭の方針があるので、踏み込めない。・「障害者手帳を所持することで、障害者のレッテルを貼られたくない」と言われた。・「障害ではなく、個性の一つ。障害としてしまったら、伸びるものも伸びなくなる」と言われた。身につけさせたいことはある保育士からの相談は、5歳児クラスのお子さんについてでした。お箸やスプーンで食事することが難しく、そのお子さんは、食事は手づかみ食べ、発語もあまりない状態だということでした。そしてそのお子さんの保護者の希望は、「わが子には、通常学級に行って定型発達の子どもたちから刺激を受けて、さらに読み書き計算ができる学力をつけてほしい。特別支援学級に進学するとそれが叶わない」ということでした。本当にそれでそのお子さんに必要な支援は受けられるのだろうか、子どもに必要な力はその環境で伸ばすことができるのだろうか、とその保育者は悩んでいました。私は思います。「その保護者の考えかたも一理ありますが、定型発達の子どもとの違いを思い知らされ、努力しても授業内容が理解できず、更にいじめにあったら、お子さんはどう感じるでしょうか。通常学級にこだわることはあまり意味がないのではないか」と…。Upload By 立石美津子教育委員会で働いていた方から次のコメントを頂いたことがあります。「障害のある子の保護者には、『隔離された特別支援学校・特別支援学級より、地元の通常学校・通常学級に入って定型発達の子どもたちと育ったほうが発育によい影響がある』と信じる方が多いです。でも、子どもの発達段階によっては、「特別支援学校・学級の方が手厚い教育を受けられるのではないか…」と思うケースも多々あります。特別支援学校・学級に入っても通常学級の子たちと交流する機会はあります。決して隔離ではありません。アメリカでは保護者はむしろ「障害のある子が特別な学校・学級で特別な教育を受けるのは権利」と考えると耳にしたこともあります。」傷つくのを恐れて研修会でのことです。ある保育士が「保護者を傷つけたくないし、園職員との人間関係を悪化させたくないので、これ以上、話したくない。」と発言しました。私は「もしかして、自分自身が傷つきたくない気持ちが潜んでいるのではないですか」と言うと、その保育士は怒ってしまいました。まさか「園との間にトラブルを起こすことなく無事卒園してほしい…」とは思っていないでしょうが、子どもやその保護者のこれからを思えば、保護者やそのお子さんを相談機関につなげるべきではないかと感じます。保育士や幼稚園の先生は親ではないので子どもの人生に関わるのは6歳までです。でもそのお子さんの人生は、園で過ごした数年間よりずっと長く続きます。幼稚園・保育園・・・小学校にいけば何とかなるだろう小学校・・・中学にいけば何とかなるだろう中学・・・高校にいけば何とかなるだろう高校・・・就労させる、そのための訓練に必死このように分断されがちです。実際、幼稚園、保育園の先生が園児のことが気になっても小学校に見に行くことはできません。ただし、保育士や幼稚園の先生は専門の医師ではないので、「発達障害の疑いがありますので専門機関に相談に行ってください」と言うことはできません。でも、保護者に対して、専門機関への一歩を踏みだせるよう、「○○さんの行動で気になることがあります。相談機関に足を運ばれたらどうでしょうか」と背中を押してほしいと私は思います。最後に保護者のみなさん方へもし、園の先生から発達の偏りや遅れを指摘されて、不愉快に感じている方がいたら「園の先生は一番言いにくいことを、伝えてくれている勇気ある先生なのだ。」と捉えてみてはどうでしょうか。
2021年03月19日いよいよ幼稚園へ!入園面談では…案の定、ハルは全然座っていませんでした。かろうじて面談の部屋には入れましたが、「いってちます」と爽やかに出ていこうとしては連れ戻し…変な汗をかきました。普段のようすは私の口から説明しました。園長先生は、ハルや私をずっと穏やかにエレガントに見守ってくださり、ほっとしたものです。ですが、おそらく他のお子さんはされなかったであろう「加配の先生のお話」は、さりげなく出してくださいました。(加配とは担任の先生の補助として、心配のある子をサポートしてくれる先生のことです)ハルと一緒にいると何一つ聞く余裕もなく、元気な印象だけでも残そうとハキハキ挨拶したのを覚えています(笑)。一つ上の従兄弟が在園していたこともあり、一応問題なく入園は決まりました。スーパー多動児ハル、幼稚園に入園しました!ハルは私の実家にとって初孫。初孫が初めて幼稚園に入園するとあって、家族一同お祝いフィーバーでした。私も新生活にドキドキわくわく!というよりは…正直…疲れ切っていて精神的に余裕がゼロだったため、数時間でも離れられることで心の平穏を得られると期待していたりもしました。ごめん、ハル…。本気で可愛かった。ぷにぷにのほっぺも肩も、座っている姿だけでも涙が出るくらい可愛かったです。ずっと抱きしめて穏やかな愛情を注ぎたい。それでも、それは叶いません。道路へ、歩道橋へ、電話ボックスの上へ。手を繋いでも一瞬。するりと逃げるんだもの。ハーネスも軟体動物のように縄抜け。一日数十回追いかけていると、母は…鬼の形相にもなってしまうのでした。Upload By beth(ベス)集団生活に入れば、少しは協調性やルールが身につく…?との期待もありました。幼稚園に入って、同年代の子どもたちがみんな教室で楽しそうなら、一緒に何か活動したり、するかな…?と。ところがどっこい、やはり母の期待の斜め上を生きるハル。集団生活に、そもそも入りませんでした…。Upload By beth(ベス)木の上です(笑)。ちょっと木登りとかでなく、てっぺんまで登ってようやく、動きが止まるのでした。速攻で園のほうから加配の先生を付けていただいたハル。そこから、集団生活ではなく、加配の先生との濃密な時間が始まりました。優しかったです!担任の先生も、加配の先生も、園長先生も、温かく見守ってくださいました。これは、本当に救われました。ハルが木の上にいたこと、用具入れの屋根に登ろうとしたこと、非常用のすべりだいを逆走してさすがに止められたこと、従兄弟の教室に乱入したけれどそのあと一緒に過ごさせてもらったこと。これらのことすべて、「困ったこと」としてではなく「微笑ましいエピソード」として語ってくださったので、正直、面食らいました。「すみません」しか言っていなかった気がします。今なら胸を張って、「そんな風に見守ってくれてありがとうございます!」と言いたいです。毎日外で「すみません」だらけの私は、家族以外でも、こんなにハルを受け入れてくれる場所があるんだ…!と思いました。Upload By beth(ベス)「ハルくんのお母さんー」、降園時間に迎えに行くと私だけ呼び止められます(笑)。「今日…どうでしたか?」恐る恐る聞くと…「ずっと木の上にいました」と、清々しい笑顔で教えてくれました。「なので私はハルくんの下でずーっとボーッとしてました。ハルくんといると、忙しいけど、時間がゆっくり流れる気がしますね」と。…!先生ありがとう。そう、そうなんですよ。わかってくれますか!!なんだかしょっちゅう感動してました。育児で大変な反動か、いつの間にかかなりの感動屋になっていました。感受性を豊かにしてくれたハルには感謝しかないです。幼稚園の先生たちは、木の上の世界にいるハルを下ろして集団に入れようとすることは一度もありませんでした。それで、迎えに行くときの心持ちが軽くなりました。大変なことは、多くても数時間離れて再会するハルは、可愛くて可愛くて仕方なかったです。なんてまあるいほっぺなんだろう。なんて小さい手。先生が「ハルくん!ママきたよ」というと駆け寄ってくるハルを見て、ああ~わたしの迎えを心待ちにしていたんだな、とわかりました。抱き上げると、数時間しか離れていないのに、愛おしさがこみあげました。なぜこんな可愛い子を怒れたんだわたしは…と思ったりもしました。ハルが可愛いと罪悪感が湧いてくる。不思議で面倒臭い心理状態でした。子育てをする上で、不思議でメンドクサイ複雑な気持ちは、山ほど経験しました。一色では表せない気持ち、これもまた愛と呼ぶのだと思っています。Upload By beth(ベス)なんて可愛いんだと感動したり、普段の鬼母な自分に反省したりするものの、まあ数分も経てば、現実に直面するのでした。いくら言ってもつないでくれず、振り払われる(先程愛しかった)小さな手。その手をがしっと捕まえ、鬼の形相で叱るけれど、ハルには響かず、道ゆく人は振り返るのでした…。帰りに公園に寄って遊ばせて、お母さんたちと喋ることに最初は憧れていましたが、2分もできなかったです。まず公園内に留まっていない…。そんな帰り道。幸い自転車は好きだったので乗せて、後部座席に「きょうは何したのー?」と話しかけながら帰りました。返事が返ってくることはないけれど、その時間がけっこう好きでした。そして信号待ちで自転車の後ろを振り返ると、ハルはだいたい寝落ちしていました。その寝顔を見ると、ハル自身もまた、なかなか慣れない幼稚園生活のなかでとても疲れるよね、と気づくのでした。お疲れさま、ハル。人の世は慣れないことばかりでしょう。あれ?ふと、疑問が沸きました。人の世で生きていけるのかしらこの子…?と。そんな心配は、そっとしまって、帰路についたものでした。Upload By beth(ベス)次回は、幼稚園でのさまざまなイベントでのハルの様子や、ちょっと不思議だった出来事などを書いていきます!LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年03月18日気になる友達との関わり長男のASDミミは4月から小学2年生になります。学校の昼休みに何をしているのか聞くと、「忘れた」「何もしてない」と答えることが多いです。学童では1人で遊んでいることが多いよう。夕方迎えに行って学童の活動で校庭で遊んでいる様子を見ると、みんなが遊んでいる周りをふわふわしたり、職員さんに抱きついて遊んでもらったりしています。Upload By taeko私はもっと公園で遊んでほしいなと思っています。体力をつけてもらいたいし、近所にお友達ができるから良いと保育園のときに民間療育の先生が勧めてくれたからです。でも、私が公園に誘っても服が汚れるのが嫌、家でゲームや動画を見る方が良いと断られることが多いです。休日の昼過ぎごろ、近所の公園にミミと同じ学校の子どもたちが集まることが多くなってきて、ミミも通りすがりに見かけて遊びに参加しました。遠くから見ていると、以前スクールカウンセラーさんが言っていた通りで、遊びには参加しないミミ。「~したい人この指とまれ」と誰かが言って、みんなは集まるけどミミは近くでふわふわしています。遊びには参加しないけど、周りにくっついて、みんなが走り出したら自分も走る。Upload By taekoUpload By taekoたとえば「鬼ごっこ」。参加していない「つもり」だけど、みんなと一緒に逃げるミミ。初めて遊ぶ年上の子がミミのことも追いかけてタッチ!けれど、鬼にならず相手を追いかけないミミに対して「ねえタッチしたよ!ねえキミ大丈夫??」、仲間に向かって「あの子タッチしたんだけど、あの子大丈夫!?」と言う年上の子。どうしようか困った私はミミを呼び、「タッチされたら追いかけなきゃだよ」と言うと、無言になり公園から出て行ってしまいました。追いかけて聞くと「あの人がやめてって言ってるのに追いかけてきたの」と涙目で答えます。見ていた感じではミミは嫌がってるように見えなかったけど…。モヤモヤしたまま帰宅。特性を知っている同級生と、知らない年上の子Upload By taeko放課後等デイサービスの先生に相談すると、年上の子はミミにとって初めて遊ぶお兄さんで、追いかけられてタッチされると思っていなかったのでは?とのこと。クラスメイトはミミの普段の様子や特性を分かっているから、追いかけないのですね。なるほどと思うと同時に、私はミミのことを全然わかってあげられていないのだな…と気づかされました。先生のアドバイスは、ミミのことを話せば年上の子ならわかってくれることが多いから、まだ幼いといった意味合いの「おまめさん」と思ってもらいましょうとのこと。次の休日に公園へ誘うと「ルールを守れないから…」と行くのを嫌がるミミ。でも、知っている子を見つけると、走って公園へ飛び込んでいきました。気の合う子とは抱きついたりしてじゃれ合うこともあるのだと分かり、安心しました。まったく相手にされていないわけではなさそう。ミミはブランコができないので、お友達がブランコをしているときは、ほかの遊具で遊んでいます。それでもミミは楽しいようで、数日後、学校から帰るとまた次の休みの日に公園で集まろうという話になったようでホッとしました。いろいろあるけど、公園でお友達と楽しんでいるミミの姿が見られるのは嬉しいこと。どんどん服を汚してきてね!Upload By taekoLITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年03月17日子どもをうまく愛せない……。そう深く思い悩み、心療内科を受診した私の行き着いた先は「愛着障害の疑いがある」という診断でした。なぜ愛着障害になったのか? それは私自身の生い立ちにありました。 なぜ無性にイライラするの?私は現在2児の母親ですが、上の子どもを出産したときは実家との折り合いが悪く、里帰り出産をしませんでした。したがって、退院してからは自分ひとりで子育てをしなければならず、毎日とても必死だったのを覚えています。そんなストレスフルな環境で、上の子どもが1歳半くらいのときから、子どもに対して無性に腹立たしくなってしまうことがありました。 子どもは特にかんしゃくがひどいとか、何か成長に関して大きく気になることがあるといった問題もありません。冷静に考えてみれば、ごく一般的な子どもが、ごくごく普通にママに愛情を求めて泣いたり、自己主張したりしているだけなのに、それだけでもイライラしてしまう自分がいたのも事実です。 2人目もワンオペ。そして精神の限界へ本格的に上の子に対して嫌気がさしてきたのは、下の子を出産したときでした。このときも里帰りはせず、退院直後から3歳になった上の子と新生児をワンオペで見る毎日。もう私の精神も限界に達していたのでしょう。思わず感情的に怒鳴り散らしたり、またある日は突然涙が止まらなくなったり。 そんな状態が下の子を出産して半年。私の情緒は落ち着くばかりか、ますます不安定になっていき、ついに意を決して心療内科を受診することに。結果は「適応障害」と「産後うつ」。おまけに「発達障害の疑いがある」とも言われ、後日心理テストを受けることになったのです。 発達障害を調べるテストを受けた私発達障害などを詳しく調べる検査は2日かかりました。1日目は臨床心理士さんとの面談があり、具体的にどのような家庭で生まれ育ったか、また学業成績など客観的な私の過去のデータについて話したのです。2日目はIQテストや、日常生活においてどれほど困難さを感じるかの自己記入式テストをしました。 2日合わせて3~4時間ほど費やして、精密に検査をしていただきましたが、結果は「発達障害はない」との所見でした。しかし、私の症状や実親からの虐待などの出来事から「愛着障害である可能性がある」と聞かされたのです。 検査を通してわかったこと「愛着障害」とは、乳幼児期において暴力やネグレクトなど適切な愛情を持って育てられなかった子どもが、社会人になったときに対人関係や仕事、そして育児などに支障が出る障害のことだそうです。 愛着障害と聞かされたときは「やっぱりな」と腑に落ちる私がいました。しかし、この検査を通して愛着障害と判明したことで、今までの生きづらさの理由がわかり、それを私の子どもたちに味合わせたくないと強く感じたのです。 イライラの理由が明確にわかったことで、これからは自分のつらかった過去とも向き合いながらも、子どもたちを育てていこうと心に決めることができたので、私は検査を受けてよかったと感じています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。「共感した」「私の場合はこうだった」など、ぜひベビーカレンダーサイトのコメント欄にご感想をお寄せください。また、ベビーカレンダーでは皆さんから募集した体験談を記事でご紹介させていただくことも。ベビーカレンダーに会員登録すると届くメルマガから、皆さんのオリジナル体験談をご応募ください。 イラスト/マメ美監修/助産師REIKO著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年03月16日ある日起きた急激なうつ症状2021年の3月に入ったある日の夜、突然うつ症状が私を襲いました。人生の何もかもが理不尽に感じる。怒りと悲しみと喪失感。必死に努力して身につけ、継続してきた健康的な生活習慣やセルフケアのすべてを放り投げてしまいたくなる。消えてしまいたい、どんなに死にたいと悩んだときも結局死なずに生きてきたのだからどうせ死なないんだろうけれど、死にたいと言ってしまいたい気分。鎮静剤でも打ってもらって何ヶ月かこんこんと眠り続けたい…その日の日中まではそこそこ元気に、いろいろなことにチャレンジして過ごしていたはずなのになぜ? とパニックになりました。とっさにとった緊急対応策 「人に頼る、そして寝る」私は経験上、一度ここまで気分が落ち込んで動揺した状態のときには人の手を借りる必要があると知っていました。身体のコリでも、あまりに凝っているとセルフマッサージでは間に合わないし、セルフマッサージをする気力体力も出ないですよね。心の疲れでも同じで、ひどいときにはセルフケアでは対応できなくなるのです。そこで真っ先に、かかりつけのトラウマ治療のカウンセラーの先生に現在の状況を伝え、直近のセッション枠をあけてもらいました。そして、いつも悩んだときには誰より先に悩みを相談しあっている親友にお願いして、チャットメッセージを使って少し話を聞いてもらいました。少し落ち着いてみると自分がこのところ無意識に無理していて心身ともに疲労困憊していたことに気づき、「何はなくともまずしっかり寝なければ」と思いました。それで抗不安薬と睡眠導入剤を飲み、いつも寝る前にやっているヨガもさぼって、寝落ちしてしまう直前まで先の友人に頼んで話につきあってもらいました。このうつ症状は「記念日反応」だと気づいた数日以内にかかりつけの先生のセッションを受けられるという安心感、とりあえずは親友に話を聞いてもらってパニックからは脱したこと、そしてとっさにしっかり睡眠をとったことで、私は翌朝には思ったよりも落ち着いていました。引き続き親友に話を聞いてもらう中で「しばらく緊張とハイテンションが続いたあとにガクッとうつっぽく落ち込むって、なんだか東日本大震災のときと似てるよね」と言われ、はたと気づきました。これは記念日反応かもしれない。記念日反応とは、何かの記念日のような日や時期に心身の調子が悪くなることです。災害記念日や誰かの命日、年度の変わり目や盆暮れ正月などに、関連の記憶や思いがかきたてられて調子を崩す。誕生日前後に調子を崩す人もいます。2021年3月は東日本大震災の10年目の時期です。私にとって震災から10年となる今年は、実家を逃げ出して現在の生活になってから10周年でもあります。このタイミングは年齢的にも、私が40歳を過ぎて来し方を振り返り、今後の生き方に思いを馳せるときでもありました。つまり、この春は私にとっていくつもの記念日反応が重なる時期だったのです。それに加え、去年から今年の場合はコロナ禍という特殊事情も重なっています。コロナ禍の影響で仕事の企画はいくつも流れたり延期になったりしていますし、気分転換にあちこち外出や旅行をしたりもできません。私にもほかの多くの人と同じように不安や焦り、フラストレーションがたまっていたでしょう。私はそんな中で、「それでも自分にできることをやっていこう、自己向上していこう」と頑張りすぎていたのかもしれません。自宅でフィットネスを頑張ったり、英語の勉強のしなおしにとりかかったりしていました。そうした無理が限界を超えたサインが、今回のうつ状態だったのだと思います。こうした気づきを得たことで、私の落ち込みと動揺は収まっていきました。突然の精神的危機に対する私なりの対応策記念日反応は誰にでも起こるものですし、世界的な情勢の変化によるストレスの影響からは誰も逃れられません。突然の精神的危機は「弱い人だから」起こるのではなく、誰もに起こるものだと思います。私が経験上自然と練り上げてきた、突然の精神的危機に対する対応策をまとめておきます。真っ先にやるのが、自分を助けてくれる人と連絡をとって頼ることです。かかりつけの治療者や、相談に乗ってくれたりそばにいてくれたりする信頼できる人など。助け手とやりとりする中で、まずは精神的危機によるパニックを落ち着けます。かかりつけの治療者には、できればなるべく早くに診察やセッションの予定を組んでもらいましょう。精神的危機に陥っているときはたいてい自律神経の状態も乱れていて、質のいい十分な睡眠がとれていません。まずは眠ることを優先にします。普段はできるだけ薬に頼らずセルフケアで対応している人も、このときばかりは薬に頼ってもいいと思います(必ず処方されている用量内で使いましょう)。結果的に眠れなくてもいいので、まずは薬で、逆立った神経を少しでも休めます。仕事、勉強、家事、セルフケアなど、日常の中でやらなければいけないことはたくさんありますが、精神的危機のまっただなかである今は緊急事態なので、「やらなければ死ぬこと」以外は徹底的にサボります。私は仕事も勉強も掃除も歯磨きも、ヨガも瞑想もさぼりました。私は入浴が好きなので入浴はサボりませんでしたが、人によっては入浴だってサボっていいと思います。3までのことをやっているとたいていパニックが落ち着き、当面の心身の疲れがとれます。落ち着きを取り戻した頭でいろいろ言語化しているうちに頭が整理されて、自分が置かれている状況に対する気づきが生まれます。今回私が「これは記念日反応だ」と気づいたような感じです。気づきを得たらしめたもので、もうそれは立ち直るフェイズに入ったということです。4までで立ち直るフェイズに入りはしたものの、まだ衝撃の余韻は残っています。気分や体調の大きな変調は「今までのやり方では参ってしまうよ」という心身からの大事なメッセージなので、このメッセージを少なくともしばらくの間しっかり尊重してあげます。私の場合、ダイエットを頑張っていたなら、無理してプロテインにしていたのを甘いものを心ゆくまで食べるとか、筋トレや有酸素運動を少し休んでストレッチしながら自分の身体の意外な部分の緊張に気づいてみるとか。日ごとのノルマを決めて勉強や仕事を頑張っていたなら、ノルマをつらく感じない程度まで思い切って引き下げてみるとか。大事なのが、どんな努力でも、心身の健康を保ちながら続けていく秘訣は「目標に自分を合わせていくのではなく、自分に目標を合わせていく」ことです。目標を自分にすり合わせていくと同時に「高すぎる目標に自分の心の傷が隠れていないか」も探ってみるのもとても大事です。たとえば私の場合、容姿のことでバカにされたトラウマがあるとか、いつも一番であるように親からプレッシャーがかかっていた、小さなころから有能であること以外に自信の持てる要素がなかった、とかが見つかります。二次障害も乗りこなしながら生きていく発達障害があるとただ生きているだけで発達障害のない人よりも傷つくことが多く、二次障害を負ってしまう人も多くいます。社会が発達障害者向けにつくられていない以上、私たちは今までもこれからも人よりも多くのストレスにさらされながら生きていかざるをえません。その意味で私たちは、発達障害それ自体だけでなく、二次障害とも一生つきあっていく必要があるのかもしれません。それでも私たちは障害者である前にひとりの人間として、自分の生き方に対して経験と知識を積み重ね、成長していきます。仲間たちと苦労やノウハウを分かち合いながら、二次障害も乗りこなしながら生きていきたいと私は思っています。
2021年03月16日今年度は友達がグンと増え、穏やかに過ごせた一年でしたUpload By スガカズADHDの次男は、小3までクラスメイトや先生との関わりでハラハラすることばかりだったのですが、今年度の小4は先生やクラスメイトにもとても恵まれており、穏やかな時間を過ごせました。お陰で、クールダウンがとても上手くなり、友達を想いやる姿を見られた1年だと感じています。少し前のことです。次男に、「小学5年生になるの楽しみ?」と聞くと、「楽しみじゃない」と…。「どうして?勉強が難しくなるから?」とさらに聞くと、「違うよ。だって今の先生じゃなくなるし、友達とも別々になるから。次の担任の先生と合うかわからないから。自分は怒られたら逃げたくなってしまう。だから優しい先生が良い」という次男。自分を客観的に見られる様になってきたなぁと感心しました。発達障害のある子どもたちに必要な「合理的配慮」わが家の次男の場合次男が通う小学校は、1学年の人数が120名程度。年度の人数によって3クラスか4クラスに分けられます。1クラス30~40人程度の生徒を先生1人で受け持っており、おそらく学校側の配慮があり、毎年慎重に編成が行われているのだろうなと感じます。【気づき その1】次男と似ているタイプのお友達とは同じクラスにしない方が良さそうUpload By スガカズ次男は白黒思考で、自分の意に反したことを指摘されることを嫌います。自分なりの正義感をもっており、「これは良くないぞ」と思ったときに、人に指摘してしまいます。一度、似た特性をもったお友達とクラスメイトになった年があり、お互いの意見がぶつかり合ってしまいケンカが絶えませんでした。Upload By スガカズケンカが多いなら離れることも方法の一つなのだろうと思いますが、意見がぶつかり合うとき以外は気が合うので、いつも一緒にいます。ケンカする程仲が良いとはいいますが、親としては「いつ何が起こるのか分からない」と、ハラハラ続きでした。相手のお母さまとなかなか会えるタイミングがなかったのですが、初めてお話できた日は、お互い謝り続けていました…。【気づき その2】仲が良いお友達も場合によってはクラスが別の方が良いUpload By スガカズもともと仲の良い友達と同じクラスだと、話したいことがあったときに、友達のところへフラフラ~と向かってしまいます。また、次男を好いてくれている友達(定型発達のお子さんです)もいたりして、次男の後にいつもついてくる、なんてこともありました。そのときは、保護者会でお母さまに会った際、挨拶させていただき、お互いの家庭で子どもへの指導を合せる様にしました。【気づき その3】優しい女性か、若い男性の先生が合っているUpload By スガカズ次男は人の感情を敏感に察知するところがあり、怒られていると感じた際に、自分を守るために怒りで対抗していました。特に大人から言われると、威圧感を感じるようで、怒りが倍増します。小1、小2のころは、強めに注意される経験があったのですが、クールダウンのために頻繁に校庭や廊下でうろうろしたり、悪態をついたり物にあたる行為が目立ちました。友達に近い関係を築ける男性の先生か、物言いが穏やかな女性の先生だとそのような結果にはなりませんでした。きっと次男とは反対で、優しくされるよりも怒られる方が成長するお子さんもいるのだろうと思うので、相性は人それぞれで、難しいなと感じます。ここまでざっと振り返ってみましたが、改めて自分の息子の気難しさを感じました…。毎年配慮してクラス替えをしていただいていると感じ、本当に学校の先生方に感謝しかありません。何かあったときに逐一学校に報告、相談する大切さUpload By スガカズ私は、次男に関して何かあったときは、逐一学校に報告・相談をするよう心がけています。トラブルの背景なども詳しく伝え、相談をしているからか、先生から「お子さんたちそれぞれが落ち着いて学校生活を送るためにも、クラスメートへの影響を考えても、〇〇君や●●君と違うクラスにしたほうがよさそうですね」とおっしゃっていただくことがあり、私の考えと同意見であることが多くあります。もちろん「みんな違ってみんないい」ですし、子どもに対して大人の都合を押し付けているのではないか、と心苦しくなることもあります。でもトラブルを避け、落ち着いて学校生活を送れるようにするための環境整備は、子どもの育ち、学びのためにも大切な合理的な配慮ではないかと感じています。本当に仲の良い友達であれば、クラスが違っていても放課後一緒に遊ぶでしょうし、放課後であればわが家に呼んでやりとりを見守れます。来年は小学5年生、その次は最終学年の小学6年生…と、小学校生活も残り少なくなってきました。来年度もハラハラ、ドキドキ…だけど次男にとって楽しい学校生活になると良いなと願っています。
2021年03月15日他の子に迷惑かけるかも?Upload By ぼさ子自閉症のあるほぺろうは他人とのコミュニケーションが苦手なので、保育園に入るまで『他の子と一緒に遊ぼう』という意思が一切ありませんでした。他の子と関わったことがないので「お友達に優しく」とか「叩いちゃいけません」といった教訓に触れたこともありませんでした。そしてこの3歳のころは癇癪が強い時期で、発語がなく自分の気持ちを伝えられないイライラをぶつけていたのか、自宅では私を叩きつけたり髪の毛をむしったりという行動が見られていたので、余計によそのお子さんに危害が及ばないか心配でした。幸い、現在お世話になっている保育園は障害児受け入れの経験が多いこともあり、ほぺろうの癇癪っぷりを見ても動じない先生たちの様子から、初めて訪問したときから園への信頼は持つことができていました。なので、ほぺろうの入園準備期間に先生たちにたくさん相談に乗っていただきました。Upload By ぼさ子ほぺろうは加配希望で入園したので、加配の先生に目配りをお願いしたのと同時に、お友達やその保護者の方が心配する様子があれば先生に窓口になってもらって私に伝えてほしいと申し入れました。そして、ほぺろうの普段の様子・発達クリニックの記録・特性・対処法などをまとめたノートを先生に渡して情報共有し、今もそれは続いています。他の子との差に心折れるかも?私はもちろん折れました。同じ歳の子のみならず、歳下の子と比べても追いついていないわが子の現実に、ほぺろうが5歳になった今でも正直凹むことがあります!実は私、過去に少しだけですが保育施設でお手伝いしたことがありまして、その経験から学んだことがあります。それは、『障害がない子も発達の差はある』『どんな子も全員、手を焼くところ・良いところが必ずある』『どんな子も漏れなく可愛い』ということ。すべてにおいてパーフェクトなんていう子は一人もいませんでした。「障害のない子だって発達の差はあるし、しっかり大人の手を焼かせている」。そう思うと気がラクになりました。Upload By ぼさ子障害児を良く思わない人もいるかも?恥ずかしながら私は、ほぺろうを産むまで障害のある人に対して『よく分からない、あまり関わりたくない』と思っていました。なので今の環境で、ほぺろうのことを良く思わない人がいたとしても不思議ではありません。幸い今は優しい方たちに囲まれていますが、お友達も保護者の方もいろんな考え方があって当然。私の『ほぺろうを受け入れてほしい』という考え方も多様性の一つ、否定的な考え方があったとしてもそれも多様性の一つ…。そんな風に考えておくと、不必要に傷つくことが減ったように思えます。以前お世話になった保育施設の先生が『ほぺろう君の存在は集団にとって必要。他の子にとって気づきや優しさの勉強になる』と仰ってくださったことがあり、その言葉とそう考えてくれる人の存在に励まされました。Upload By ぼさ子私ができることとしては、他の保護者の方に会ったら「こんにちは」など普段の挨拶は欠かさず、気になることがあったときに話してくれやすいように気をつけています。そして「いつもお子さんがほぺろうと仲良くしてくれてありがとうございます」と感謝を伝えたりしています。年中の今では保育園を楽しめるようになったほぺろう入園したものの、適応するには相当な時間と労力がかかったほぺろう。朝は私となかなか離れられず、日中もちょっとしたことがキッカケですぐに癇癪。先生にもお友達にもたくさん迷惑をかけていたと思います。それでも周りの皆さんに助けられて、1年かかってようやく泣かずに登園できるようになりました。年中の今では保育園が楽しそう!以前は私から離れられず保育園の玄関でグズっていたのに、現在は私をサッサと締め出すまでに成長しました。Upload By ぼさ子LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年03月12日小学校時代、クラスで浮く存在だった息子Upload By かなしろにゃんこ。現在22歳のADHDと広汎性発達障害がある息子リュウ太は、変わっている子と小学校ではクラスで浮いた存在でした。先生の指示に従って課題に取り組むことをしなかったり、授業の準備をしなかったりと授業態度がよろしくない子でしたから、保護者会では担任の先生との話し合いで「授業面では短期目標を設定して取り組んでいけるようにしましょう」と指導目安を話し合ったりしてきました。しかし自由奔放でルールを守れないリュウ太には簡単な目標でもクリアすることが難しく、小学校卒業まで、1時間目から午後の授業まで、きちんと座って授業を受けることが達成できませんでした。このままじゃ中学ではどうなっちゃうんだろう?と心配でした。担任の先生に相談したところ...Upload By かなしろにゃんこ。6年生最後の保護者会で担任の先生に相談したところ、「中学校では発達障害があっても特別な配慮は期待できないことも多いです。少しは理解がある先生が増えてきましたが、小学校のようなフォローはない場合もあります。もしご心配ならば入学前に一度学校に相談に行かれるといいかもしれません」こうアドバイスをいただきました。相談なんてしていいの?「自分ちの子どもに配慮をお願いします!」とお願いしに行くって恐れ多いな~と思いましたが、中学生活が合わなくて孤立してしまい登校拒否になる恐れも考えて、小学校の卒業式後すぐに中学校に連絡してみました。挨拶に行った校長室で言われた言葉はUpload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。校長先生と新1年生の学年主任の先生が話を聞いてくれることになり、息子と二人で校長室にご挨拶に伺いました。落ち着きがない、物忘れが多いなどリュウ太の特性を伝え、課題を忘れたり、持ち物を忘れたりしてしまうので、帰りのホームルーム後に声掛けをしていただけないかお願いしました。注意するときはパニックがおさまってからにしてほしいとか、暴れたときはクールダウンスペースに誘導してほしいなど、本当はもっとたくさんお願いしたいことがありましたが「過保護な親」と思っているだろうな…いくつも頼んだら嫌がられそうだな…と思い1つだけにしたのです。ところが校長先生からは「発達障害があっても特別扱いはしません。生徒の自主性に任せているので個別のサポートはしません」と言われてしまいました。Upload By かなしろにゃんこ。発達障害の特性がある子は他にもいて、一人ひとりに配慮はできないから家庭でなんとかしてください、もし特別なサポートが必要な場合は精神科医と相談して決めるので学校が紹介する精神科に通院してください、ということでした。息子は精神科には通いたくないというし、コレはもうサポートは望めないとわかりました。学年主任のT先生は「部活をはじめて、運動などもしてみると良い変化があるかもしれませんから、様子をみながら指導しますよ」と言ってくれました。でも、きっと社交辞令だと思い、学年主任の先生の言葉をあまり期待しませんでした。Upload By かなしろにゃんこ。ところが実際に入学してみると...!?発達障害って、理解してもらおうとして伝えれば伝えるほど、過保護な親と捉えられてしまいがちです。見えない障害も障害ですから配慮を頼んでいいはずなのに、目の前でシャッターを下ろされる感じです。校長先生の言葉に、中学校ってハンデのある子にも容赦ない優しくない教育現場だったのかー…なんて落ち込み、学校に相談に行くんじゃなかったかもな~なんて思ってトボトボ帰ったのでした。ところが入学してみると学年主任の先生が担任となり、課題にはついていけていないリュウ太でしたが、学校には慣れて楽しんでいくようになったのです。Upload By かなしろにゃんこ。先生は教員には珍しい、真面目すぎない、いい意味でおちゃらけた方で、息子はすぐになつきました。先生のおもしろいエピソードを家で話すようになり、運動オンチなのにテニスにも挑戦してみよう!とテニス部にも入りました。やるべきことを指示通りにやらず、先生にこっぴどく叱られる厳しい指導も受けましたが、先生に嫌われたくないという思いがあったからか?先生の指示には耳を貸すようになっていったのでした。先生に怒られても先生の話をする様子から、学校は発達障害がある子に特別扱いはしないという方針だけれど、先生はリュウ太がクラスの中で浮かないように声をかけてくれたり、文化祭や体育祭で係りの仕事をさせて自己肯定感を上げるように取り組んでくれたりしていたことが見えてきました。入学前、学校に相談するんじゃなかった...と思っていた私ですが、あのとき相談しておいて、結果的に良かったかもしれないと考えるようになりました。中学では担任の先生と話すのは保護者会だけで、特別に指導相談もなかったため、学校の様子は子どもから聞く情報でしか分かりませんでした。ですが先生は学校の方針とは別に息子の様子をみて、「声かけ」のタイミングなどを判断して、いつも気にかけてくれていたのではないかと思います。これからお世話になる学校に「子どもに発達障害があります」と伝えるのはやっぱり勇気がいりました。どの場面でも言えば配慮がもらえるわけではありませんが、子どもの特性や苦手なこと、できないことは伝えておいたら、必要な支援を考えてくれるのかもしれないと思うようになりました。
2021年03月11日私には2人の息子がいます。次男は2歳のときに言語発達遅延、その後、自閉症スペクトラム障害だと診断されました。当時の私は発達障害についてまったく知識がなく、戸惑うばかり。夜な夜なインターネットで検索しては落ち込み、将来を悲観したり、枕を濡らしたこともありました。そんな私が障害をもつ次男にどう接してきたか、次男が二語文を話し出すまでの体験をお話しします。 言葉が減っていく次男次男の異変に気が付いたのは、2歳の誕生日を迎えたころでした。それまで順調に増えていた単語が、徐々に消えていったのです。言葉の爆発期といわれる時期に、単語を忘れていく次男。不安を感じていましたが、新たに覚える単語もあったため、私は気のせいだろうと思っていました。 そんなある日、ついに次男は「ママ」まで言えなくなってしまったのです。これはさすがにおかしいと感じ、藁にもすがる思いで市の発達相談窓口へ連絡しました。 すべての動作を言語化する市の発達相談窓口に相談すると、療育センター、専門医を紹介してもらえました。そこで私は次男を連れて、紹介してもらった専門医を受診しました。専門医からは、言葉を増やす転機となる重要なアドバイスを受けることができたのです。 それは、すべての動作を言語化すること。例えば、手を洗うときは「袖をまくって、水を出すよ。水が冷たいね。泡を付けて……」と説明しながら洗うというものです。これは、簡単に見えてなかなか精神的に大変でした。反応の薄い息子に向けて、1日中、実況中継しているようなものですから。 ついに、二語文が…!次男は電車が大好きで、駅までの散歩を日課にしていました。ある日いつもの通り電車を見に行くと、突然次男がこう言ったのです。「電車、きたね」。待ちに待った二語文。 私は目に涙をうかべながら、「うんうん、そうだね。電車きたね。きたって言えてすごいよ!」と何度も何度も次男をほめました。この日の出来事は、一生忘れないと思います。長男のときは成長過程の1つだと感じていた二語文ですが、次男にとっては本当に大きな一歩でした。 次男はその後も少しずつ言葉が増え、自分の思いを相手に伝えられるようになりました。今、4歳の次男は幼稚園の人気者。先生や友だちに愛されて、笑顔あふれる日々を過ごしています。まだ会話の受け答えはうまくはありませんが、これからもたくさん話しかけて、次男らしく元気に過ごせるようサポートしていきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日なりますように! 監修/助産師REIKO著者:中田りこ8歳と4歳の兄弟の母。次男は自閉症スペクトラム障害。教育業界を退職後、現在は実家の家業を手伝っている。
2021年03月10日めまぐるしいけど愛おしい、空回り母ちゃんの日々
ヲタママだっていーじゃない!
ムスメちゃんとオコメちゃん