不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談です。卵の移植まで待つ間、図書館で中村さんが手にした1冊は『産まない女」として生きるあなたへ』。産まない女として生きるか採卵後の生理予定日に、しっかり生理がきました。人生の中でイレギュラーな採卵を終えた後だったので、予定通りきたことにホッとしました。年明けの移植についてスケジュールを決める以外は、しばらく治療もお休みです。クリスマスもお正月も、おっと! 結婚記念日も(笑)、気楽な気持ちでのんびり過ごせそうでウキウキしました。読書は好きで、図書館にはよく通っていましたが、不妊治療を始めてからは、それに関する本も読み漁っていました。治療の休憩期間に借りた一冊。『産まない女」として生きるあなたへ』。理由はいろいろあれど、最終的に「産まない」ことを選択した女性が、どのようにして自分の人生を生きていくか。不妊治療後、自分自身もその人生を歩む著者が、多くの女性へのインタビューとともに、それらの人生を輝いて生きるためのプロセスが書いてありました。顕微授精で凍結胚移植を待つ身の私でしたが、なんとなくタイトルに惹かれて手に取りました。私はこの体験記を、当時の日記を読み返しながら書いています。その時に感じたり思ったりしたことを忠実に文字にしています。日記にはこう書いていました。『自分がそうなったときの覚悟?いや、まだそんなことは考えられない。でも、もしかしたらそうなるかもしれないという漠然とした不安はある。今読むのと、自分が決心したときに読むのとでは雲泥の差の感じ方があるかな。とりあえず今の私は、私にできることをやるだけだ。やるだけやったら、どっちに転んでも、自分の答えが見つかるだろう。本の中の女性たちは「あの時こうしていれば…」と悔やんでいる人も少なくない。どれだけ悔やんでも過去はかえられない。自分が後悔しないように。思いっきり、やろう。出来るときに出来る事を。』子どもを産み育てることへの願望が薄いことを悩みながらも始めた不妊治療でしたが、治療が進み、すぐにできるものではないのだという事実を知るごとに、「産めないかもしれない」と考えたときに得体のしれない恐怖も感じていました。この本を読んだ私は、いろんな不安をぶるぶるっとふるい落とし、「今、やるしかないのだ」と改めて気合いを入れたようでした。図書館で借りるときは、本のタイトルとともに貸出日・返却日・利用者番号などを書いた小さなレシートのような紙を渡されます。返却を遅滞しないようにという目的でしょう。この本を読んでいる途中、ひらりとその紙が落ちてきました。私のものではありません。貸出日は去年の同じ頃。借りた本の名前がつらつらと並んでいます。文字数に制限があるらしく、タイトルは途中で切れていましたが、「産まない女」として生・・・あきらめないであなたの・・・大人の刺繍バッグをつく・・・おそらく女性でしょう。私と一緒で不妊の人。『あきらめないであなたの…』の後に続くのはきっと『赤ちゃん』。彼女もまた、産みたい気持ちと産めないかもしれない不安の間で揺れていたのかもしれません。その答えをいろんな情報に求めている。ちくちくとバッグを縫いながら…勝手にそんな想像をしていました。自分の人生なのだから自分で決めていい。決めていいはずなのに、どうして思い描いたとおりに進むことが難しいのでしょう。子どもを持つ持たないに関しては、特に。それとも人生は誰かに与えられるものなのでしょうか。神様の領域なのでしょうか。あの女性が今、どの人生であっても幸せであってほしい、そう思いました。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年02月21日不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談をシリーズでお届け。採卵を終え一安心するも移植可能な胚盤胞がいくつできたか…ドキドキしながら結果を待ちます。移植できる卵はいくつできたか採卵の3日後、心配していた採卵後のOHSS( 第21話参照 )についてチェックするために、体重と腹囲を計測しました。採卵直後とあまり変わっていませんでしたが、内診してもらうと、少し腹水がたまっていました。残った卵胞たちもかなり大きくなっていました。それに伴い、卵巣も腫れているようです。言われてみれば、少し張った感じはありました。もう少し水が溜まってたら、かなり苦しかったと思うよ~とドクターに言われました。残った卵胞はもう排卵しないので、これ以上症状が悪化することはないとのことで、軽いOHSSとの診断です。これくらいで済んで本当に良かったです。しばらくは、飛んだり跳ねたりはNGです。卵巣がぐるんと捻じれると大変なのです。(余談ですがこの7年後、本当に捻じれてしまい(卵巣茎捻転)救急搬送されました。幸い手術は免れましたが、正直出産より痛かったです!二度と味わいたくない痛みです。)腫れた卵巣は1ヶ月で戻るのは難しいかもとのことで、移植は年明けになりました。年末はゆっくり過ごせるんだぁ~と嬉しくなりました。受精から5日経ちました。13個の受精卵のうち、いくつ胚盤胞になったか電話で確認します。高校受験のドキドキを思い出します。結果…10個!おぉ。想像していたより多い!4日目の夕方に初期胚盤胞になったものが4個。あとは5日目以降になったものが6個。私の場合はそれら全てを凍結し、OHSSが改善されてからの移植になります。4日目の4個は各1個ずつ凍結しました。5日目以降のものは各2個ずつ一緒に凍結しました。なかなかいい卵です。とドクター。とりあえず高校に合格したようです(笑)。あとは無事に卒業できるか…何はともあれ、移植できる卵が凍結できてホッとしました。最後に言われた、凍結料金9万円は悲しかったけれど…。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年02月07日不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談をシリーズでお届け。いよいよお腹から卵子を取り出す採卵の様子についてです。身体的にも痛いその治療は、実に懐にも大変痛かった…という後の費用のお話も…。卵はいくつ採れたかな?下半身を丸出しにして、大股を開いています。これから、卵巣内で育てた約30個の卵を採卵します。何度も卵巣に針を刺す…その想像だけでかなりドキドキしています。まず3回ほど子宮内を消毒しました。その後、膣内に局所麻酔を施します。この工程も地味に痛いけれど、まだ我慢できる痛みです。いよいよ針の挿入です。…くぅ、なんのこれしき…。歯を食いしばります。超音波によって、画面に卵巣の様子が映されています。もう一つの画面には、採った卵を入れる培養液の入ったシャーレが映っています。針が卵胞をググッと押してプシュッと入ります。プシュッと卵胞に針が刺さる瞬間はお腹の中でも感じました。針先から卵胞内の液ごと卵子が吸い込まれ、卵胞はしゅるるると小さくしぼみました。吸い込んだ卵子はシャーレに移されます。モヤモヤとした液体の中に包まれた白い丸い小さな点。「あれが私の子ども…」単純に思いました。こんな時期から顔を合わせることができるなんて、すごいなぁって。君が卵の頃から知ってるんだよ、なんて子どもに話すときがくるのかな。何個か吸った後、角度を変えるため、ドクターが針を動かしました。「ヴ~~~×△×、い、痛い~!」でも痛いって言ってもヤメてもらえるわけもなく(笑)、我慢です。手術室内に流れるBGM(平井堅さんでした)に耳を傾けたりして、痛みを無視…できるわけもなく、ただただ歯を食いしばり堪えました。20分くらい経ったでしょうか、採卵が終了しました。消毒して、2分ほど横になります。看護師さんに「休んでいきますか?」と聞かれましたが、そんなに痛みを感じなかったので大丈夫です。とすぐに着替えて、待合室で待つオットの元へ戻りました。しかし、ドクターの説明を待つ間、段々とお腹に痛みを感じ始めました。診察室に呼ばれ、ドクターから説明を受けます。「卵は20個採れました。OHSSを防ぐために、未熟な卵もあえて採りました。ですので、20個全てが受精卵になることはないでしょう。また、ご主人の精子の値が30%台とよくありませんでした。数次第では顕微授精(ICSI)にするかもしれません。」顕微授精とは、顕微鏡で見ながら卵子のなかに精子を針で直接注入し授精させる方法です。まだ不妊治療について知識が全くない頃、よくイメージしていた『卵子に針がプスッと刺さる…』あの映像。体外受精は、卵子に精子を振りかけて自然に受精するのを待ちますが、顕微授精は人工的に授精を行うため、受精が成功する確率は高いとのこと…。というような内容でした…が、そんな話も遠くに聞こえるほど、お腹が痛い…。前屈みになって、苦悶の表情を浮かべる私に気付いたドクターから指示が出て、また安静室に戻り、1時間ほど休むことになりました。オットも傍らに付き添ってくれました。痛いのと、終わってホッとしたのと、オットがいてくれる安心感で、涙が二つ、ポロリポロリと落ちました。休んだおかげで、お腹の痛みはだいぶましになりました。この日のお会計、約199,000円。私の通っていたクリニックでは、採卵数により金額が加算されるシステムで、たくさん卵が採れた私は基本料金より5万円ほど金額が高くなっていました。数字を見て、また涙が出そうになりました(笑)。帰宅し、クリニックから電話がありました。結局、全て顕微授精になったとのこと。顕微授精の基本料金が約5万円が上乗せになりました。く、苦しい。お腹も痛いけど、財布も痛い…。でも、凍結卵があれば、次回からの移植は、排卵誘発も採卵もしなくていいのです。その分の体と金額の負担はないので、ヨシとしよう。と自分を納得させました。受精したかどうかの結果は翌日分かります。培養士さんから電話がかかってくることになっています。たくさん受精してくれますように…。今のところ、野球チームもサッカーチームも作れるね、とオットと笑いました。翌日、受精確認の電話がきました。採卵した20個のうち、成熟卵が17個。そのうち受精したのが13個とのことでした。これから5日間かけて胚盤胞まで培養するそうです。胚盤胞まで培養すると良質な胚を選定でき、初期胚よりも着床率は高くなるとのこと。受精した卵は、分裂を繰り返し胚盤胞の状態になって子宮内に着床します。その状態まで体外で培養することで、卵が自力で成長する期間が短くてすむメリットもあるようです。胚盤胞になる確率は全体の5~6割程度とのこと。ということは6~7個移植できるのね…。じゃあ…バレーチームかぁ(笑)実感の湧かない私たちは、のほほんとこんな皮算用をしてこの時期を過ごしていました。※痛みの感じ方には個人差があり、上記はあくまで私の感想です。全ての方が同じような痛みを感じるとは限りません。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年01月24日不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談をシリーズでお届け。お腹の中で卵子を育てるために定期的に注射を続けるこてつさん。はたしてその結果とは…。お腹の卵は何パック?卵を育てるため、激痛の注射を打ちました。妊婦さんに囲まれながら、地元の産婦人科に通い、毎日打ち続けました。たくさんの卵が順調に育っているのか、お腹が張ってくるのを感じます。7日目、クリニックで超音波検査をしました。卵胞(卵子の入っている袋)の数は左右合わせて約30個ありました。そりゃ、お腹も張るわ。大きい卵胞で18mm程度になっていました。OHSS(卵巣過剰刺激症候群)の可能性も?採血の結果、2日後に採卵が決定しました。その後、看護師・培養士より説明を受けました。オットの精子は、人工授精のときと同じく自宅で採取します。てっきり病院で活きのいい精子を採るもんだと思っていたので拍子抜けしました。男性は、こんなときぐらいしか治療に関わっていると実感できる時はないのに、なんだか悔しくなりました。いやいや、採卵の日は、会社を休んで付き添ってくれるというオットです。ありがとうと言わねば(笑)。培養士によると、今回の私の場合、OHSSになる確立は高いとのこと。〔OHSS(卵巣過剰刺激症候群):卵巣が腫れたり、同時に排卵することで腹水がたまったり、重症になると胸水も溜まる。血液濃度が濃くなって、血栓(脳梗塞などの心配)ができやすい。※医者より説明された内容で筆者が記憶しているものです。〕30個近くの卵は採卵で全て採るわけではなく、未熟なものはそのまま残します。その残した卵が後々、排卵したりして腹水が溜まることがあるそうです。治療仲間で20個採卵した人はOHSSになった話も聞いていたので、ドキドキしてきました。そして採卵は、卵の数が多ければ多いほど時間もかかるし、角度を変えるため何度も針を刺し直すそうです。膣壁には局所麻酔をするけれど、卵巣には麻酔ができない…ということで痛いらしい。うーん、うーん。怖いよう。怖さから、オットへの恨み節が再燃しました。(笑)その日の夜、地元の産婦人科にて排卵させるための注射を打ちました。いよいよ採卵当日採卵日当日になりました。朝6時半に起床。採精のため、オットを一人寝室に残し、シャワーを浴びました。無事にオットの精子、確保。痛み止めの坐薬を入れて、クリニックへ向かいました。クリニックに到着後、ほどなくして看護師さんに呼ばれました。安静室と呼ばれる部屋で血圧を測定後、下半身裸になり、上から手術着を着用しました。歩いて隣の手術室へ移動します。足を台に乗せ、大股開きになります。普段の診察はカーテンがあるのに今日はありません。ドクターの顔が股越しに見えます。そして私のお股にはスポットライトが。…なかなか、いや、かなり恥ずかしかったです。いよいよ採卵が始まります。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年01月10日不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談をシリーズでお届けします。卵を大きく育てるための注射を定期的に打たなければいけないこてつさん。どうやら、その注射はとっても痛いらしいのです。妊娠するための試練!? 恐怖の注射卵巣嚢腫も問題ないとされ、その日から点鼻スプレーを始めることになりました。卵の発育を均一にするのと、自然に排卵しないように抑制するために使用するそうです。朝・昼・夜の3回。だいたい8時間おきに鼻にスプレーの先を差し込んでプシュッと投薬します。プールで鼻に水が入ったときのつーんという感じと、苦い味がして、美味しくはなかったです(笑)。これもピル同様、携帯にアラームをかけて投薬忘れを防止しました。ピルを予定日数飲み終わると3~4日で生理がきます。その後、7~10日間、卵を大きく育てるための注射が始まります。この注射については前々から恐怖を感じていました。なぜなら、経験者の友人みんなに「痛いよ~」と脅されていたからです(笑)。誰一人「痛くないよ」とは言ってくれません。みんな「痛いけど頑張ってね」と応援してくれるので、ビクビクしていました。 生理が来ました。生理5日目から注射が始まりました。採血後、処置室に入ると、初めての看護師さんでさらに不安になります。(これまでの経験で、痛みは看護師さんでも違うのではと疑っていました(笑)。)どこにしますか~と聞かれて、迷ったあげく右尻をチョイスしました。頭の中で「超痛いよ~ぉぉぉ!」という誰かの言葉がリフレインします。「刺しますね♪」と看護師さん。いちいち言わないでいいよぉ~(涙)。ブスッ。「(注射液を)入れますね♪」と看護師さん。だから、いちいち言わないでいいよぅ~(涙)。液が入ってくると、じわじわと痛みが大きくなってきて、ぬうぉぉ!痛い!!本当に一瞬、クラッと気が遠くなりました。でも、これで質のいい卵がたくさんできるのだから…我慢我慢。この注射があと7~10回あるのね…ふごーーっ(痛みでおかしくなりました(笑))。クリニックへは高速を使って1時間半かかります。毎日通うのは困難な場合、地元の産婦人科でも注射できると言われました。地元の産婦人科なら車で10分弱です。絶対楽に決まっています。でも、産婦人科。…妊婦さんいっぱい。落ち込まない自信があるだろうか、私…。知らない病院・先生よりいつものクリニックのほうが絶対リラックスできるだろうなぁ。体の楽をとるか、心の楽をとるか…。が、ドクターに「注射だけのために遠くからくるなんてもったいないよ」とバッサリ切られ、翌日からの注射は地元の産婦人科で受けることになりました。そうだよね、自分の体が疲れちゃ何にもならないものね。妊婦さんの妊娠菌を吸い尽くすくらいの勢い(笑)で行こう。翌日からは、左右の腕・お尻、と場所を変えながら打ちました。注射後はよく揉まないと、後にがちがちに硬くなってしいます。なので待合室には腕を揉みまくる女性たちがよく見られました。そしてどんなに揉んでも打ち身のような痛みは残ります。そこにまた翌日注射針を刺すのは辛すぎる…ということで私はそうしていました。クリニックの帰りに、腹巻を購入しました。薄手なので普段の服の下にも着られます。カイロを入れるポッケ付きです。「移植したら、着よう。」辛い治療を頑張ったら、その見返りは当然あるような気がして、いつのまにか体外受精を楽しみにしている自分がいました。※痛みの感じ方には個人差があり、上記はあくまで私の感想です。全ての方が同じような痛みを感じるとは限りません。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2017年12月20日不妊治療を体外受精にステップアップする中村こてつさん。2ヶ月間、治療をお休みし充電期間を経て、いよいよ体外受精編の開始です。2005-8年の体験記になります。体外受精はじめましたタイミング療法→人工授精→体外受精と、不妊治療のお手本のように順調にステップアップしてしまいました。しかし、ここまで来たら後には引けません。2ヶ月間、治療をお休みして、心も身体もパワーはみなぎっています。9月末、生理開始。さあ、いよいよ体外受精、始動です!体外受精とは、卵巣から取り出した卵子を体外で受精(シャーレに入った卵子に精子をふりかける)させ、その受精卵を培養した後に子宮に戻す治療方法です。まず、採卵のための準備として、生理3日目から、低用量ピルを服用することになりました。避妊に使われるイメージの強いピルですが、不妊治療では卵巣の地ならし用な役割で、あとあと卵の質を均一にするために使用するそうです。飲み始めると高温期に入り、しばらくすると出血もなくなりました。ピル服用中は、飲酒も運動も性交も問題ないとのこと。(飲酒してよいかはいつも必ず聞いていた私です(笑))ただ飲み忘れは要注意です。生理が始まってしまいます。晩ご飯~就寝の間に1錠ずつ。14日間飲み続けます。飲み忘れてしまった場合は翌朝に飲んで、その日の夜にまた1錠。薬の飲み忘れをよくやってしまう私なので、携帯にアラームをセットして臨みました。薬の副作用は個人差があると思いますが、私の場合、飲み始めて1週間ほどは眠気との闘いでした。とにかく眠くて眠くて、無職でしたので一日中ゴロゴロしていました。あ、ゴロゴロしているのはいつものことでした(笑)。ピル服用12日目にクリニックで卵巣の状態をチェックしました。左の卵巣、何も無くキレイ。右の卵巣、ん?と私でも分かるくらいの丸い卵胞のようなものが一つ…。「卵巣嚢腫があるね~」と小さくつぶやくドクター。その前日に図書館で借りた不妊体験本で「卵巣嚢腫で手術~ほにゃらら」という文言を見たばかり。の、のうしゅ!? 今、嚢腫って言った? 先生。聞きなおしたいけれど怖くて聞けません。それがあるとまずいんですか? とだけやっと聞くと「まぁ多分、水が入ってるんじゃないかな」との的を得ていない返事。ドクター曰く、卵巣にできる腫瘍の9割以上が良性腫瘍であり、良性腫瘍の中で一番多いのが、卵巣嚢腫だそう。分泌物などがたまってできる袋状のものとのこと。一番最初の診察での超音波画像にも写っているから、普段から常にあるものではないかと言われました。念のため、ピルを1週間延長して経過を見ることになりました。1週間ずれるってことは、採卵日は11月初め。体外受精が始まるまでは、日にちが遅く進めばいいなんて思っていたけれど、いざ始まってしまうと、順調に進まないことにモヤモヤします。ピル服用19日目、再びクリニックへ。前回、経過を見ることになった卵巣嚢腫は今回も見えました。大きさは変わらず。やはり水の入った袋、水ぶくれみたいな感じでしょうねとドクター。これがあっても特に体外受精に問題はないとのことでした。ホッとしました。これからもずっと卵巣内にあるんですか? と聞くと「採卵のときに針刺しちゃうから、一時的に小さくなるかもしれないけれど(多分ずっとある)」とのこと。その言葉に改めて、「そうだった、卵巣に針刺すんだよな~」とドキリとしました。痛そうなのでなるべく考えないようにしていたのですが…。ギョッとしたり、モヤモヤしたり、ホッしたかと思えばドキリとしたり、体外受精に向け、心が忙しいです。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年12月06日不妊治療は終わりの見えないトンネルのように思えた、という中村こてつさん。体外受精を始める決心をしたものの、一旦治療は2か月のお休みに入ります。中村こてつさんの2005-8年の体験記です。不妊治療中ものすごくよく言われた言葉2ヶ月間の治療休み。自分で思っていたより治療へのストレスはあったらしく、何も考えなくてよい心から穏やかな日々に懐かしささえ感じました。しかし、そんな穏やかな日々は数日で、お休み中も生理が始まりそうな気配を感じると、なんだかイライラ…少しのことでムッとなり、その後急に悲しくなってポロリと涙…。子どもを持つと意識して治療を始めてから、生理前に自分の感情が不安定になることはもう自分ではどうしようもないのでした。 不妊治療をしていると人に話すと、何人もの人から言われた言葉があります。その人の友達や知人は「治療をやめたら自然にできたらしい」と。そのたびに思いました。でたーーーっ!「治療やめたら自然妊娠」説~っ、と(笑)。きっとその人は、励まし・応援の意味でその話をしてくれたのだと思います。たしかに、不妊の大敵と言われるストレスから解放されて、実際に妊娠された方もいるのでしょう。けれども不妊の理由も特定されて、ほぼほぼ自然妊娠は無理とされている私には、その言葉にパワーをもらうことはないのでした。へぇ、そうなんだ。と言うしかありませんでした。…けれども、いざ自分が治療を休むと決めたとき、心の中に蘇る「治療やめたら自然妊娠」説(笑)。ぜ~んぜんっ、期待してないしぃぃ…可能性はゼロじゃないけどさぁ~…。…そして…生理。落ち込む。というのを2回繰り返して、私の休息は幕を閉じました。人生、そう上手くはいきません。いよいよ体外受精をはじめます。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年11月15日8度目の人工授精を終え、体外受精に進む前、治療を休むことについて夫婦で話し合いました。私は自分の体を休めたかったし、大仕事(?)を前に時間を作るのは当然だと思っていました。しかしオットは自分の年齢を気にして、休みは設けず、少しでも早く取り組みたいようでした。話し合いは平行線。すっかり休みたいモードになっていた私は、オットの意見に段々悲しくなってきて、「でも、薬飲んだり、注射したりするのは私なんだよぉ~っ!少しくらい考える時間をちょうだいよ~、うわぁ~ん!」と、泣きました。「分かってる、それは分かってるよ」オットは言いました。いや、分かっていない。本当の意味で分かっていない、私の辛さなんて。治療について夫婦で意見が食い違い、険悪なムードになることは時々ありました。ある日、病院からもらってきた体外受精の資料をオットにも見せました。会話中、「いまだに、どうして子どもが欲しいのかたまに分からなくなるんだ~」と私が呟きました。とたんにオットの機嫌が悪くなりました。「そんな風に考えるってことは治療がイヤなんでしょ、じゃ辞めよう」…うーん、なんですぐ極論になるかな~。欲しくないわけではないのです。でも、注射だ薬だ、と慌しく流れていく治療の中で、ふとそういう風に思うときもあるのです。オットはそのグレーな部分をよく理解してくれません。性格上、黒か白か、キッパリどちらかに決まっていないと居心地が悪いようです。自分でも分からなくて悩んで、でも立ち止まることもできなくて、悩みながらも必死に前に進んでいるつもりでした…。オットはずっと思っていただろうことを言いました。「目標がないのに(子どもを望んでいないのに)、そんな気持ちで治療をしてるから成果が出ないんじゃないの?」私も思っていることを言いました。欲しい欲しいと言う割には、オットは自分から治療について勉強しようという姿勢が見えないと。人工授精にトライしていたとき「まだ体温下がらない?」とまだまだ高温期の真っ最中に何度も聞いてきました。不妊治療に関する本を図書館から借りてきても、オットが読むことはありませんでした。(もともと読書は好きではないですが)その度に、ため息が出ました。治療は二人でするものではなかったかなぁと。知識が豊富になって欲しいわけではないけれど、気持ちがあれば自然にそういった行動をとるものではないのかなぁと思っていました。妻が今、どんな治療を何のためにしているのか。オットが分かっていてくれてるのと、無知なのとでは、安心感が全然違うと思います。理解したうえでの「大丈夫?」と、そうじゃない「大丈夫?」は支えてもらっている感はかなりの差があると思います。治療を受けるのはほとんどが女性側だから、この温度差はしょうがないのでしょうか。1人で治療しているみたいな気分だ…と訴えました。するとオットは言いました。「治療には役割分担があると思っている。だから俺は主治医がこうしてくださいと言えば従う。けれど、ネットや本を見てまで知識を得ようとは思わない。」キッパリ。意味不明。役割分担で言えば、たしかに、オットは元気な精子の提供だけ、ですが(笑)。だから俺は勉強しない、って自信満々に言われても…。話し合いながら、気付きました。私はそれが不満で不安でした。もっと理解してよ、私の苦労を分かってよ、治療を変わるのは無理だけど支えてよ~!と思っていました。治療に前向きなオットは、よいと聞いたサプリを飲んだり、禁煙したりと、自分ができることは努力してくれていました。そこに、更にもっと理解してと求めるのは、私のただのワガママなのか…。けれども、暗いトンネルの中、何も手がかりがなく進まねばならないとき、オットにはいつも隣にいてほしかったのです。心細いときその腕につかまりたかった。一人じゃないと安心したかった。険悪になりながらも話し合った結果、オットも勉強する。私もクリニックに言ったら詳しく教える。分からない言葉があれば、そのつど覚えていく。という風に努力しようということになりました。私も体外受精までは頑張る。と決めました。でもやはり少し休みを入れたい…と言いました。2ヶ月間、治療を休むことにしました。 オットは私がまだ”乗り気でない”という印象で受け止めた様子でしたが、もう揉めるのが面倒くさかったのであえて説明はしませんでした(笑)。またそのときが来たら、真意を伝えようと。この頃はまだ話し合いが足りず、私の視点で書いているので、オットが悪者のように書いていますが(笑)、きっとオットはオットなりに治療の不安やストレスはあったけれども誰にも弱音は吐けず、腫物のような妻の扱いについても心を痛めていたんだろう、と今になれば思います。その時の私は自分のことで精一杯だったのでそこまで思いやることはできませんでした。こんなふうに治療中、数々の意見の食い違いや温度差を感じ、時々険悪になりました。そして、その時々にすごく腹が立ち、不快になりましたが、苦しくても、言葉と言葉で伝え合うことを積み重ねました。そして私たち夫婦は少しずつ寄り添っていきました。何も言わなくてもツーカーで伝われば一番楽なんですけどね。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年11月01日不妊治療を始めて、2年経とうとしていました。治療を重ねていくうちに、憂鬱になるときがありました。そのうちの一つが、『子持ちの友人との集まり』に行くときでした。子どもがいてもいなくてもどちらでもヨシ、と思っていたはずの私でした。それなのに、私より後に結婚した友人たちが次々に妊娠・出産していくのを見聞きしながら、治療を続けていると、それまで平気だった集まりが、なぜだか憂鬱になりました。大好きな友人たち、集まることが決まったら会える日をワクワクと待っていたくらいなのに。親しい友人たちは決して私に子どもがいないことを揶揄したり、デリカシーのない質問を投げかけてくるような人たちではありません。今までと変わらず私に接してくれています。それなのに私はどうしたことでしょう。なるべくなら行きたくない会いたくないと思ってしまう…落ち込むようなことを言われるのでは? なんらかの出来事で子どもがいないことを痛感させられるのでは? 勝手にネガティブな想像をして重い気持ちになっていました。しかし、行ってしまえばそれなりに楽しいのです。勝手に暗い想像をしていただけでした。ただ、友人と話が盛り上がっている最中、子どもが呼んだり泣いたりで、しょっちゅう会話を中断されてしまうとき、何とも言えない気持ちになりました。そうせざるを得ないし、母親は子ども優先なのが当たり前。そう分かってはいても、当たり前に話を中断されることにモヤっとしている自分がいて、そんな自分もイヤで、複雑な気持ちになったものでした。ある日、友人から相談されました。「それまで仲良くしていた義理のお姉さん(既婚・不妊治療中)に妊娠したとメールを送った以来、連絡がない。どうしたものか」優しい性格の友人が、珍しくムッとしている印象を受けました。初めての妊娠なのにどうして喜んでくれないんだろう、と。お義姉さんの気持ちが分かる気がしました。近しい存在の妊娠ほど衝撃を受けるものです。一番の親友からメールで妊娠の報告を受けたとき、それまでのどの妊娠報告よりもドクンと心臓が波打ちました。おめでとうの気持ちと、それ以外の気持ちが混在していました。また追い抜かれちゃった…おめでとう…自然にできる人はできるんだなぁ…なんで私はできない側だったのかなぁ…〇〇子がお母さんか、楽しみだなぁ…苦しい…おめでとう…おめでとうって言わなくちゃ……どうしてっ…私だけっ…動揺を抑えながら、心のドロドロを悟られないようにしながら、慎重に返信したのを覚えています。不妊治療を始めたら、いつのまにかもう一人の自分がいました。もう一人の私は、時々現れて、憂鬱でネガティブでドロドロしながら、自分自身の存在に傷ついていました。治療中の方が集うネット上の掲示板では、子持ちの友人と会いたくない・妊娠した友人と距離を置いてしまう・赤ちゃんの載った年賀状がイヤだと思う…、そんな意見もよく見ました。掲示板の女性たちも私と同様、傷ついていたのでしょうか。人の幸せを喜べない自分自身に。私は一体どうしてしまったんだろう。どうなってしまうんだろう。とてもとても苦しい。不妊治療のトンネルは一時的に人格さえも変えてしまうのでしょうか。私は、私たちは、ただ一つの命を育みたいだけなのに。「不妊治療していると気持ちが落ち込むことも多いの。かわいがっている義理の妹の妊娠が嬉しくないわけがないよ。時間はかかるかもしれないけれど、おめでとうって言いたいはず。だから、もう少し待ってあげて。お義姉さんから何か言ってくるまで。」自分に語りかけながら、友人にそうお願いしました。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年10月18日生理予定日から使えるという妊娠検査薬。予定日を過ぎてもまだ生理がこない。明日使ってみよう…そう決めた翌日、体温は見事に低下しました。妊娠検査薬の封を切ることはありませんでした。着床出血か? と検索しまくっていた出血も徐々に減っていき、生理だったのか不正出血だったのか分からぬまま、私の人工授精でのラストチャレンジは終わりました。ショックというよりもトホホという感じでしょうか。あぁ、やっぱりねぇ。そんな感想。クリニックに電話し、体温が下がったことを伝えました。そしてもう一つ、次、体外受精をします、とも。10月の生理が開始したら通院開始ということで、2ヶ月間は治療が完全に休みになりました。しばらく通院しなくていいと思うと心がすごく軽くなったのを覚えています。人工授精を繰り返しているとき、義父が入退院を繰り返していました。身体を悪くするのと同時に、認知症の症状が出始めました。最終的に義父はグループホームに入り、私たち夫婦が通う形になりました。時々病院やホームから歩いて抜け出してしまったり、その他にも困った行動もあったりして、私たちも心が休まらない日々が続きました。その頃は、友人たちの出産ラッシュでもあり、出産後の赤ちゃんに会うために仲良しグループで集まることもよくありました。産まれたばかりの赤ちゃんは柔らかくて甘くて、キラキラしていました。これから希望に満ち溢れた人生を歩いてくであろう命。そんなキラキラした命を愛おしそうに抱く友人。一方私は、義父の辻褄の合わない話に相槌を打ったり、抜け出してふらふら歩く後ろ姿にずっと付き合ったり、誰かに謝ったりしていました。赤ちゃんと老人、同じお世話が必要な人間を抱えている。同じ命のはずなのに違う世界が違う友人たちの子育てトークを聞きながら、そんなことを思っていました。治療と同じく、いつまで続くのか分からなかった義父のお世話。漠然とした不安な日々に心も身体も疲労していました。同じ空間にいるはずなのに、私と友人たちのいる世界は違うんだと思いました。赤ちゃんを幸せそうに抱く友人がまぶしくてまぶしくて私はそっと目を逸らしました。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年10月04日自分の中でなんとなくそんな気がしていました。もしかするとドクターもそう思っていたかもしれません。けれども、治療をステップアップする決心がつきませんでした。排卵誘発の注射の量を増やして、8回目の人工授精をすることにしました。また5日間注射に通います。そんな中、台風が接近し、クリニックが休診となった日がありました。が、私は毎日注射を打たねばならないので、暴風域を抜けるであろう夜9時に通院することになりました。夜だったので、オットも一緒に行けました。クリニックには私たち同様、注射を待つご夫婦が何組かいました。ぼそぼそと会話をする声と、窓の外を通り過ぎる大きな風の音。二つの音を聞きながら、ぼーっと座っていました。あぁ、どうして今、私はここに座っているんだっけ…台風の後、夫婦で話をしました。人工授精はこれで最後にすることに決めました。そして、8回目の人工授精の日。―これで最後―自分の中で(まさか体外受精まではしないだろう…)とたかをくくっていた部分がありました。気付けば、その『まさか』は目の前。たかをくくらず、腹をくくる時がやってきたようです。内診で、右に約10個、左に5、6個の卵胞を確認しました。このまま排卵させる注射を打つと卵巣が腫れる可能性があるということで、点鼻薬での排卵に切り替わりました。予定していた注射は、一週間体内に残り、排卵せずにいた他の卵胞がどんどん成長してしまい、結果卵巣が腫れる…という事態になりえるとのことでした。点鼻薬は注射より効果が小さいけれど、一度のみの効き目なので、上記のような副作用がないとのことで、OHSSを心配していたので、ホッとしました。そして、最後の人工授精を無事に終え、2週間後の判定を待っていました。すると、生理予定日より一週間早いのに、出血…こ、これは…着床出血ってやつ???着床出血とは、受精卵が子宮に根を生やしたとき(着床)に起こると言われる出血で、ネットで不妊治療の掲示板などを読んでいると、治療の末妊娠された方がよく使うワードなのです!検索魔になる私(笑)。「着床出血 症状」などで検索しまくります。検索結果で自分の症状と同じようなものばかりを信じ、そうでないものには理由をつけて無視していた気がします(笑)。その後も出血は続き、クリニックに相談すると様子見と言われ、次の診察までにさらに検索しまくる毎日でした。生理予定日に生理が来ませんでした。前日に届いたメール便の封を切りました。生理予定日当日から使える妊娠検査薬です。決めました。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年09月20日ステップアップを検討する目安でもあり、自分の中の「ここまでには妊娠!」と目標にもしていた6回目の人工授精。その人工授精も妊娠することなく終わってしまいました。ここから、どうするか…オットは私の考えを優先するというスタンス。私は…私はどうしたいんだろう。産めるものなら産んでやるわい、と気持ちは切り替えたものの、切望しているわけではありませんでした。今すぐにでも欲しい! そう思えたなら、何の迷いもなく体外受精などにステップアップしていたでしょう。身体的、経済的に負担はないほうがいい…もう少し、人工授精で頑張りたい。悩んだ末、ドクターに伝え、7回目の人工授精に挑むことにしました。挑むにあたり、誘発の仕方を変えてみることにしました。これまで内服薬で排卵を促していましたが、注射で直接ホルモンを注入する方法に変えます。この方法だと、今までの人工授精より2割くらいは妊娠の可能性が上がるとのことでした。 内服薬とは反対で、頚官粘液も増えるし、子宮内膜も厚くなるというメリットもあります。デメリットといえば、卵巣過剰刺激症候群(OHSS)になる可能性があるということ。卵巣が腫れたり、同時に排卵することで腹水がたまったり、重症になると胸水も溜まります。血液濃度が濃くなって、血栓(脳梗塞などの心配)ができやすいとの説明も受けました。そうならないためにも、様子を見ながら少量ずつ使用していくとのことでした。また、卵胞がたくさん育ちすぎて、多胎の可能性も20%とかなり高くなると言われました。このようなデメリットがあるため、治療のために同意書を記入しました。OHSSになりやすい人は、多嚢胞性卵巣症候群の人や若い人とのこと。29歳ですけど…というと、十分若いです。と言われてちょっと嬉しくなる乙女心(笑)。7回目の人工授精に向けて、治療が開始されました。 まずは卵胞を育てるために注射に通いました。5日連続、1本の注射を打つためだけに往復3時間の通院です。注射は筋肉注射で、肩かお尻のどちらに打つか選べます。腕よりはましな気がして、私はいつもお尻を選択していました。ものすごく痛く、打ったあとも筋肉痛のような痛みが数日続きました。そして7回目の人工授精を実施。これまでとは違った方法での人工授精。期待と不安で過ごす2週間でした…。妊娠できたらその後の生活は一変するなぁ。双子ちゃんだったらどうしよう~(無知ゆえの憧れがありました)。産院は家の近くがいいのかなぁ。そしたらオットは毎日来るかもね。くすくす、くすくす。-2週間後-体温の下がった朝、生理が始まりました。うん。キソタイオン、ウソ、ツカナイ。7回目の人工授精も失敗。「どれくらい長いか分からない暗いトンネルの中を歩いている」不妊治療はそんな風に表現されることがあります。治療を始めてから時間だけが経ち、気付けば私もトンネルの中を歩いていました。奥へ進めば進むほど、不安や悲しみ・焦りが体にまとわりつきます。まったく明かりのない中では、気持ちを上向きに持つことが段々と難しくなっていきます。出口は、まだ見えませんでした。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年09月06日初めての人工授精は月経が始まったことで、成功しなかったことを知りました。そこまで落ち込むことはありませんでした。「…まぁ、まだ1回目だしね。」自分の中で6回までは挑戦してみると決めていました。そして、おそらくそれまでには妊娠できると、不思議な自信も持っていました。(今思えば何の根拠もない(笑))オットは「精子無力症」と診断され、その後の複数回の精液検査でも精子の運動率は基準をかなり下回る結果が続いていました。しかし、人工授精の時は洗浄濃縮され、人工授精するには問題ない値になっていました。私も毎回の診察でしっかり排卵していると確認していました。だから回数を重ねて、確率を上げていけば、いつかきっと妊娠できる。そう思っていました。翌月、2回目の人工授精をしました。生理がきました。少し気持ちが塞ぎました。年を跨ぎ1月末、3回目の人工授精をしました。生理がきました。その少し前に、姉が第二子を妊娠したことを聞きました。涙が出ました。その翌月、4回目の人工授精をしました。結果待ちの間に私の誕生日がきました。29歳になりました。誕生日の日、生理がきました。些細なことがきっかけで大泣きしました。4回目の人工授精のときには、精子に影響することを聞いたオットが禁煙を始め、精子の値がかなり改善したこともあり、少し期待していました。(オットも大喜びしていましたが、その2ヶ月後には元に戻ってしまいました…)翌々月、季節は春になっていました。5回目の人工授精をしました。生理予定日になっても生理がきませんでした。妊娠検査薬使ってみようか…そう思った日の夜、生理がきました。もう泣きませんでした。すぐさま、クリニックへ来月の予約をしました。その翌月、6回目の人工授精をしました。あたりまえのように生理がきました。いつのまにか、ステップアップの目安である回数になっていました。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年08月23日こんにちは、佐原チハルです。不妊治療は、始めるのも続けるのも苦労があると言われますが、実は“やめどき”を探すのも難しいと言われています。「もうやめようかなと思っていても、やめると決めきれない……」という方もいらっしゃることかと思います。そこで今回は、不妊治療を“やめた”という人たちの声を集めてみました。●(1)決めていた年齢になったので、やめた『夫と、「私が38歳になったらやめよう」って最初から話してたんで、もういいやってすっぱりやめられた』(40歳女性)36歳のころから2年ほど不妊治療を続けたという女性の声です。『うちは夫がもう初老なんで、夫婦で好きに過ごそうって思いきれたのかも』この女性が結婚したのは34歳のとき。パートナーさんは、なんと20歳近く年上なのだそう。『夫の年齢もあって、最初から子どもは無理かなって思ってたところもあって。2年してダメだったら、もうその先の時間は自分たちのために使おうって、治療を始める前に決めてたの』子どもがいる生活への憧れは「今もある」とのことですが、治療をやめたぶん自由になった時間で、久しぶりに遠くまで旅行に出かける予定なのだそう。やめどきは、いざとなってから判断するのは難しいものです。“余裕のある開始時点から決めておく” というのは、大事なポイントになりそうです。●(2)金銭的理由で、やめた『不妊治療って、何かとお金がかかるんだよね。うちは共働きだから続けられたけど、それでもやっぱり負担は小さくなくて』(41歳女性)好きで続けていたはずの仕事も、不妊治療の成果がなかなか出ないことで「結果の得られない無駄な浪費をするため稼いでいる」「報われない努力のための無意味なこと」に思われるようになってきてしまったそう。『買い物するたびに10円でも安いもの探そう、こんな無駄遣いはしないでもっと切り詰めなきゃ……って、何をするにも考えるようになってしまって、疲れちゃった。私にも夫にも、余裕が全然なくなっちゃって。こんな状態で子どもを迎えても喜べないんじゃないかって思っちゃった。確定申告の書類作りながら「もうそろそろいいかな」って言ってみたら、夫も「そうだね」って言ってくれて、それでおしまい』「不妊治療はお金がかかる」とは言われていますが、実際にどれくらいかかるかは、治療の内容やそれを続ける期間によります。助成が受けられる治療内容・所得であるかどうか、お住まいの自治体によっても変わってきます。いずれにしても、生活や気持ちが荒んでしまうほどの負担になってしまうのはつらいこと 。治療にいくらくらいまで使うか事前に話し合っておく、いくら使った時点で今後のことを検討するタイミングにする、などあらかじめルールを決めておくのがいいのかもしれません。●(3)一時休憩のままなんとなく、やめた『「よし、やめよう」って言ってやめたんじゃないんだよね。一旦休憩っていう感じ』(33歳男性)治療を受けていたのはこちらの男性ではなく、パートナーの女性です。女性の方が5歳ほど年上のご夫婦で、治療は女性が37歳になってから1年ほど続けたそう。『それほどお金もかけてないし、それほど高度な治療もしていないから、他の人たちと比べたら負担は少なかったと思うんだけど、それでもやっぱりつらくて。特に妻が精神的に疲れてた』治療前は2年ほど“妊活”を行っていたそう。パートナーの女性は“妊活”にも熱心だったそうで、ずっと神経を尖らせている様子が心配だった そうです。『ちょっと一休みしようって、僕から言ったの。年齢を考えたら、休もうなんて逆に言っちゃいけないんじゃないかとかも思ったんだけど』迷いながらも、「今言って休まなきゃ夫婦生活ダメになる!」という危機感があり、申し出たのだそうです。『とりあえず半年、考えるのもやめてみようってことにしたんだ。それで半年後また治療したいって思ったら、そのときはまた再開しようって。でも再開の話は僕からも妻からも特に出なくて、それっきり今も休みっぱなし』「やめるっていう決断は実はまだできてない」とのことですが、この“一旦休憩”を切り出すのにも勇気が必要だったそう。続けたい気持ち、また“年齢との戦い”だという気持ちから、「治療の中止を決めるのが怖い」という声はしばしば聞きます。まずはちょっと休憩というクッションを置くだけにして“決めずにいる”というのは、実はとても有効かもしれません。----------以上、いかがでしたでしょうか。不妊治療をやめるのは簡単ではないかもしれませんが、無理をし過ぎてしまって、日々の夫婦生活が大きく損なわれてしまうことは避けたいですよね。やめるために大切なのは、続けること同様、夫婦間のコミュニケーション なのだと思います。自分のためにも、パートナーのためにも、切り出す勇気を出すことが必要なのかもしれませんね。●ライター/佐原チハル(フリーライター)●モデル/KUMI(陸人くん、花音ちゃん)
2017年08月21日タイミング療法を数回試した後、数か月の通院拒否、そして開き直り( 第10話参照 )、その後、不妊治療クリニックに再デビューした私は、ドクターに次のステップに進むことを伝えました。看護師さんから『人工授精(AIH)を受けられる方へ』という用紙とともに、説明を受けました。人工授精は、精子が少ない場合や原因不明の場合に、少しでも卵子の近くまで精子を運ぶため、精子を子宮の中に入れる治療です。ちょうど排卵の時期に、採取した精液を洗浄して元気のよい精子だけを選び、細いチューブで子宮の中に注入します。私の場合ですが、人工授精のための通院は3、4回ほどでした。月経が開始したら排卵誘発剤を飲み始めます。排卵日近くなったら卵胞の大きさをチェックし、排卵日を予想し、人工授精の日を決めました。場合によっては点鼻薬や排卵を促す注射を打ったりもします。当日の朝、寝室にオットを一人残し、採精してもらいます。採れたての精子とともにクリニックへ。採った精子はそのまま注入するわけではなく洗浄し、ばい菌などを取り除きます。その間1時間ほど待ちます。診察室に呼ばれました。いつものお股開脚椅子に座ります。膣内に細い管が差し込まれる感覚が分かりました。いよいよだ…ドキド…「はい、終わりましたよ~。」えっ、もう終わり?!ドキドキする暇もなかった…自分が不妊治療を始める前は、その音の響きから否応なく不妊治療してますっ! という感じを受ける「人工授精」だったけれど、いざやってみると本当に簡単でした。体への負担も軽かったです(個人差はあるかと思います)。費用も保険適用ではないものの2万円前後と比較的挑戦しやすいです(…と思うのは、その後の治療で金銭感覚がおかしくなっていったからでしょうか(苦笑))。しかし、これで妊娠できるのなら…精神的にも身体的にも経済的にもいい、と私は思いました。ドクター曰く、人工授精で1回当たりの妊娠する確率はそこまで高くはなく、5~6回挑戦してみて結果が得られない場合、ステップアップ(体外受精・顕微授精など)を検討することが多いそう。よし! 6回目までには妊娠するぞ!1回目の人工授精の帰り道、静かに闘志を燃やした私なのでした。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年08月09日一度目のタイミング療法は、極度の私の緊張により失敗に終わりました。その後のタイミングでは、なんとか行為は成功(笑)。回数を重ねるごとに、排卵誘発剤を飲んだり、人工的に排卵を起こす注射を打ったり、さらに強い排卵誘発の注射をしたりと、いろんなことを試したけれど、妊娠には至りませんでした。4、5回タイミング療法を試した頃、急用でクリニックの予約をキャンセルしました。その後、予約を取り直さなければならなかったのに、私はそれをしませんでした。そのまま、ズルズルと病院に行かないまま4ヶ月が過ぎました。ずっと黙って見ていたオットがとうとう口を開きました。「また、行こうか。」渋々と、私はまたクリニックに電話をしたのでした。通院を休んでいる間は、ゆっくりと自分と向き合う時間になったのかもしれません。私の中で、少しずつ心境が変化していました。治療して子どもを作ることを拒んで過ごしている今の生活。それは、ひとつの尊い命を産み育てるというそのことと果たして釣り合うのか。その価値はあるのか。もし自分に子供を産むことができるのなら、それに挑戦すべきじゃないか。私は挑戦する権利を持っている。しかもそれに期限があるならば、できるときにやるべきではないか。何もしないで後で万が一後悔するより、挑戦してそれでも出来ないなら、そのときに別の人生を考えてもいいのではないか。おそらく60歳になってから、治療を始めてもおそらくもう遅い。 やれるもんならやってみよう。産めるもんなら産んでみよう。そんな気持ちが芽生えていました。そうなると、もう自分にウソはついてないので、気持ちが軽くなりました。クリニックに通うことも苦ではなくなりました。今までは、子供いないことが不幸じゃないんだと言ってる自分なのに治療に通う自分。この矛盾が苦痛でした。しかし「産めるものなら産んでやろうじゃないか、てやんでぃ。」と開き直る(?)ことができたら、憂鬱な世界がパァ~っと明るくなったのでした。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年07月26日ダウン症って?治療法はあるの?出典 : ヒトの体は無数の細胞によって構成されています。細胞のなかには遺伝子があり、さらにその遺伝子がらせん状に繋がったものを「染色体」といいます。染色体は通常23組46本で構成されていますが、この並びや数にたまたま変異が起こり、21番目の染色体が通常より1本増えた状態をダウン症といいます。21番目の染色体が1本増えて3本になることが原因で起こるタイプを「標準型21トリソミー」と呼び、これがダウン症全体の95%を占めています。このほか、3本目の染色体が別の染色体にくっついている転座型、21番目の染色体が3本のものと2本のものが混じっているモザイク型があります。上記のようにダウン症が引き起こされる原因やタイプはある程度わかっていますが、ダウン症そのものを治療する方法は、現在のところ解明されていません。一方、ダウン症のある人に合併しやすい疾患(心臓や消化器の内臓疾患など)の症状を軽減したり治療したりする方法については確立されているものが多く、比較的早期の乳幼児期から、治療が開始できるようになってきています。ダウン症の確定診断はいつ行われるの?赤ちゃんの合併症はすぐにわかるの?出典 : 出生後に医師によってダウン症の疑いが認められた場合は、ご両親やご家族に説明し承諾を得たのちに、赤ちゃんの血液で染色体の検査を行い、確定診断を行います。出生前に母親の血液を採取して調べる検査もありますが、確定診断には、母親の腹部に針を刺して羊水を採取し、染色体を調べる検査を受けるのが一般的です。診断後は医師から説明があるほか、希望すれば医療機関のスタッフや地域の保健担当に詳しい話を聞くことができる場合もあります。合併症についても、妊娠中や出産後の検査で早期に診断されるものも多く、新生児期に手術が可能な場合には、生まれてすぐ医師から手術をすすめられることがあります。生まれたばかりのわが子の手術についての説明に戸惑い、医師と相談をしてもなお不安なことがあるようなら、セカンドオピニオンを求めることもできるかもしれません。ダウン症協会や地域の親の会などに相談すると、ダウン症のあるお子さんに詳しい医療機関等の情報を紹介してくれることもあるようです。公益財団法人日本ダウン症協会ダウン症親の会一覧ダウン症の合併症の治療法は?出典 : 合併症を伴わずに生まれてくるダウン症のある赤ちゃんもいますが、20〜40%の赤ちゃんは循環器(心臓など)の疾患を伴って生まれてくるといわれています。近年は出産直後に発見されることが増え、早期の外科治療によって完治することも可能になってきました。その他、消化器系の疾患が合併している可能性もありますが、このような疾患についても、医療の発達により手術法が確立され、乳幼児期のあいだに改善できるものも多くなってきています。また、風邪などが重症化すると、気管支炎や肺炎など呼吸器疾患に発展する場合や、中耳炎を引き起こすことがあります。乳幼児期に風邪をひいた場合は早めに診察を受けたほうがよいでしょう。出典:産婦人科の現在「ダウン症候群について遺伝カウンセリングで伝えるべきこと」◇循環器(心臓など)の疾患循環器の疾患のうちダウン症のある赤ちゃんに合併していることが多いのは、・出生後すぐに閉鎖するはずの動脈管が閉じない「動脈管開存症」・左右の心室あるいは左右の心房の間の壁に穴があいている「心室中隔欠損」・心臓の真ん中部分が形成されず穴があいている「心内膜床欠損症」・循環器に関する4つの症状を持つ「ファロー四徴症」などがあります。あいていた穴が閉じるなど自然に治る場合もありますが、自然治癒が見込めない場合には乳幼児期に手術治療を行います。また、心臓に疾患があると、心臓から血液を送りこまれる肺にも影響が起こることがあります。肺への負担を軽減するために、原因や状態によって、投薬治療などが行われます。◇消化器官系の疾患なんらかの原因で生まれつき十二指腸が閉じている「十二指腸閉鎖症」、肛門が閉じている「鎖肛」などの疾患があります。これらの疾患があるとミルクなどを消化して排泄することが困難になるため、新生児期の早い時期に手術が必要です。術後の予後は良好だといわれています。◇環軸椎不安定性(首の1番目と2番目の骨にずれが生じる状態)首の1番目と2番目の骨は、細い筋肉や腱によって固定されていることに加え、骨同士を噛み合わせるように突出している2つ目の骨の突起構造が小さいため、ずれが生じやすい箇所です。この関節がずれている亜脱臼の状態を「環軸椎不安定性」といい、ダウン症がある子どものうち1~2%にあるとされています。亜脱臼の状態からさらに関節がずれ、脱臼すると、脊椎の背中側にある脊椎神経の束が強く圧迫され、麻痺が起こることがあります。脱臼させないためには何より早期発見が重要です。一般に3~4歳の時期にレントゲン検査をし、環軸椎不安定性の有無を確認することがすすめられます。環軸椎不安定性と診断されると、うつむく姿勢で首に強い力が加わる前転のような運動は避けるよう指導されます。◇ウエスト症候群(点頭てんかん)ウエスト症候群(点頭てんかん)も、合併症として起こる可能性がある疾患です。身体の一部をピクピクさせてミルクを飲まなかったり、首をガクッと落としたりするような様子がある場合には、脳波の異常を調べ、必要があれば投薬等による治療を開始します。ウエスト症候群は国の指定難病に定められています。ダウン症のあるお子さんに起こるウエスト症候群は、比較的予後が良いといわれています。出典:産婦人科の現在「ダウン症候群について遺伝カウンセリングで伝えるべきこと」参考:難病情報センター◇ 甲状腺機能の問題甲状腺から分泌されるホルモンが過剰となる甲状腺機能亢進症、逆に低下する甲状腺機能低下症があります。どちらも起こる可能性がありますが、特に甲状腺機能低下症の合併率が高いようです。症状がでにくい場合もありますので、年に1回の血液検査で確認することが望ましいようです。必要があれば投薬により治療します。◇筋肉の緊張が低く柔らかい(低緊張)ただ立っているだけ、座っているだけでも、姿勢を保つためには、ある程度、筋肉を緊張させておく必要があります。ダウン症がある子どもは、筋肉の緊張の度合いが低く、体が柔らかいことが多いと言われています。そのため、寝返りやお座り、つかまり立ち、歩行など一連の運動発達がゆっくり進むようです。また、歩き始めても、足底の親指側に体重がかかってしまう外反扁平足になりやすいため、靴の中に足をサポートする足底版を入れることをすすめられることがあります。◇耳や目の問題聞こえの問題や、遠視や近視、乱視など見え方の弱さがある場合には、補聴器やメガネの装用をすすめられることがあります。また、滲出性中耳炎にも罹患しやすいため、耳を気にする様子などがあったら耳鼻科を受診してみてくださいダウン症のあるひとの医療費、養育費のサポート出典 : ダウン症がある子どもには、特に乳幼児期に合併症の手術などで高額な医療費がかかることがあります。金銭的負担を軽減するために、いくつかの医療費に関する制度を利用することができます。・乳幼児医療費助成制度自治体から医療費が助成される制度です。利用には年齢制限があり、各自治体によって定められています。ダウン症、障害の有無に限らず、対象年齢内のすべてのお子さんの医療費が助成されます。・小児慢性特定疾病医療費助成ダウン症は小児慢性疾患の対象疾病になっています。合併症のうちいくつかの疾患で長期にわたる治療を要する場合に、小児慢性特定疾病の医療費助成が受けられます。助成には条件がありますので、病院のソーシャルワーカーや各都道府県の担当部署にお問い合わせください。参考:小児慢性疾患・特別児童扶養手当医療費に関する制度ではなく、子どもの養育のための手当が支給される制度です。支給される条件は各自治体によって異なります。・障害児福祉手当重度の障害のためにかかる日常生活上の精神的、物質的な負担を軽減する目的で支給されます。障害による生活の困難さによって、受給されるかどうか判断されます。ダウン症の診断のみでは、手帳の習得はできませんが、合併症による障害があることによって日常生活に支障があると考えられる場合に、以下のような手帳を取得し、福祉サービスを受けることができます。・「療育手帳(愛の手帳など)」知的な障害によって日常生活に不便さがあるお子さんに、各都道府県から交付される手帳です。交通機関などを一人で利用できず介助者を必要とすることがあることから、公共交通機関の料金の減額や、公的機関の駐車料金の支払い免除などの福祉サービスを受けることができます。等級によって受けられるサービスに違いがありますので、各都道府県にお問い合わせください。・「身体障害者手帳」心疾患などの合併症で長期間身体的に不自由さがある場合や、歩くことが難しい場合、また聴覚障害がある場合などに、身体障害者手帳が交付されます。療育手帳と同様に、さまざまなサービスを受けることができますが、交付の対象となるかどうかは医師の診断書などにより各都道府県が判断します。こういった手帳の取得は強制ではなく任意です。保護者の申請なしに交付されることはありません。また、補助制度には地域差もあります。一度お近くの福祉担当課窓口にご相談に行かれることをおすすめします。東京都心身障害者福祉センター愛の手帳(療育手帳)について厚生労働省身体障害者手帳制度の概要ダウン症の合併症の治療法は医療以外にもあるの?療育って何?出典 : 「療育」とは、「治療」と「教育・保育」をあわせて作られた言葉です。成長を促す関わりや訓練を総称して「療育」と呼んでいます。ダウン症のある赤ちゃん、子どもは、一般的にゆっくり成長すると言われており、発達段階にあわせてさまざまな療育的なかかわりを受けている子どもが多いようです。また、自閉症など発達障害を合併することがあるともいわれており、そういった場合には、一般的な発達障害への療育的対応が役にたつことがあります。「療育」には、主に運動発達を促す目的で提供される理学療法(PT)、日常生活動作の自立を促す目的で行われる作業療法(OT)、言語コミュニケーションの発達を促す言語聴覚療法(ST)、発達心理学や学習に関する知見をもとに提供される療育的かかわりなどが含まれます。また、ダウン症のある子どもの様々な特徴を踏まえ、日常生活を不自由なく過ごせるようにサポートすることも「療育」サービスのひとつです。お子さんにどんな療育的関わりが必要なのかは、その時点でのそれぞれの発達によって異なります。療育の内容から、家庭での関わり方のヒントが得られることがありますので、相談したいこと、疑問に思っていることなどがあるときにも、利用してみてください。地域にどのような療育機関があるかは、自治体の子育てに関する窓口が情報を持っている場合があります。なお、こういった療育サービスを受けるためには、市区町村より発行される受給者証という証明書の取得が必要な場合があります。詳しくは、療育サービスの事業者または市区町村の窓口でお尋ねください。子育てには悩みがつきものです。ダウン症がある子どもの子育ても同じですが、ダウン症があることで生まれる特別な悩みもあるかもしれません。もし何か相談したいことが出てきたら、まずは身近な存在である主治医や、自治体の子育て支援に関する窓口、利用している施設のスタッフなどに相談してみましょう。出口がないように感じていた悩みにも、何か解決の糸口が見つかるかもしれません。相談先は、病院や自治体の窓口のほか、以下のような施設・団体があります。電話で相談を受け付けているところもあるようです。◇相談できる団体、施設など・日本ダウン症協会・地域のダウン症の子を持つ親の会・児童相談所・自治体の保健センター、子育て支援、福祉担当課等・自治体および民間の療育機関・知的障害者更生相談所(障害者福祉センター等の名称で事業を行っている自治体もあります。主に18歳以上の人の相談に応じます。)日本ダウン症協会全国児童相談所一覧(厚生労働省)ダウン症の合併症治療最先端医療の研究出典 : ダウン症がある人は、「アミロイド前駆体タンパク遺伝子」という遺伝子が、遺伝子病のない人と比べて1.5倍存在し、その結果、脳の中のアミロイドタンパクが増加して、若年期からアルツハイマー病様の変化を脳内に生じ、それが引き金となって、急激退行症を発症する可能性があります。それまでに知的障害や発達障害を伴っていたとしても、それとは別に、突発的に「言葉を発しない」、「寝たきりになる」、「コミュニケーションが取れない」などの症状となって現れる場合があります。根本的な治療法はないとされていますが、アルツハイマー病治療薬である塩酸ドネベシルが急激退行症に有効であるという仮説に基づき臨床実験がされています。主に認知機能の低下に対する臨床試験が、ヨーロッパの製薬会社などが開発した薬を使って行われています。日本でも、アリセプト(ドネペジル塩酸塩)などを使用した治験が開始されました。実用化に至るにはまだ時間はかかりそうですが、いつか、すべてのダウン症のある人たちが、認知機能の低下によって生活の質が下がる心配をしなくてもいい未来が実現するかもしれません。参考:ダウン症者・家族が幸せに暮らすために/近藤 達郎参考:アリセプト難病情報センター急激退行症(21トリソミーに伴う)まとめ出典 : ダウン症そのものを治療する方法は現在のところありませんが、合併症の治療についてはそれぞれ手立てがあり、また、発達を促すための療育に関する知見も日々更新されてきています。さまざまな支援や療育サービスなどを利用しながら、かけがえのない日々の子育てを楽しんでくださいね。参考:ヨコハマプロジェクト参考:NDSS(National Down Syndrome Society)参考文献 『ダウン症者の豊かな生活』菅野敦・池田由紀江(福村出版)参考文献 『ダウン症のすべてがわかる本』池田由紀江/監修(講談社健康ライブラリー)参考文献 『ダウン症は病気じゃない』正しい理解と保育・療育のために飯沼和三/著(大月出版)参考文献 『出生前診断』河合蘭/著(朝日新書)『When Down Syndrome and Autism Intersect: A Guide to DS-ASD for Parents and Professionals』 Margaret Froehlke , Robin Zaborek
2017年07月20日私とオットの不妊の要因も判明し、さぁいよいよ本格的な治療へ進みます。って、とりあえず検査だけのつもりが、いつのまにか治療を進める話になっている…けれども子どもが欲しいというオットの気持ちを考えると「やりたくない!」と突っぱねることもできず…ゆらゆらしていました。ゆらゆらしたまま通院していました。何か事情がない限り、多くの人が考えることだと思うのですが私もそう思っていました。そこで自然に近い形の『タイミング療法』をやることにしました。自分でできる方法なので、妊娠したいなぁと思っている方なら、一度は試したことがあるのではないでしょうか。基礎体温やおりもの(経管粘液)の質などの変化から排卵日を予測し、適切なタイミングで性交を行ないます。自分でもできますが、病院だと超音波検査(卵胞の大きさを計測)や場合によっては血液検査や排卵誘発剤などを使いながらタイミングを計るので、かなり正確にタイミングが取ることができます。ドクターいわく、卵子と精子の寿命などから、排卵直前に性交し、精子をスタンバイさせるのが理想らしいです。まだまだ治療に前向きになれず鬱屈とした気持ちでいたので、卵胞チェックのためにクリニックへ向かう足取りも軽くはありませんでした。クリニックは繁華街にあり、結婚してから田舎に住むようになった私には魅力的なお店もたくさんあったのですが、ウィンドウショッピングをして帰る気にもなりませんでした。ある日の受診日、ドクターが言いました。いよいよか…ごくり。メールでオットに伝えました。『今日だって。』『了解。早く帰れるよう調整する。』夜、全ての準備は整い、私たちは寝室へ。そして、先生の指導どおりのタイミングで……ココロとカラダは繋がっているんだなぁと深く実感した出来事でした。私の体が全く反応しなかったのです。…カラッカラ(笑)。こんなことは人生で初めてでした。なんとかかんとか努力しようと頑張ったオットも最後には諦めました。こうして初めての不妊治療は「できずに終了」という結果に終わったのでした。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年07月12日精液検査の結果、オットが精子無力症と言われました。ドクターによると、精子の運動率が低い状態を精子無力症と言うそうです。オットの運動率は基準を大きく下回っていました。卵子に向かってまっすぐに泳いでいかねば妊娠に繋がらない運動性は「その場運動」だったり「緩慢」の欄に〇がついていました。この運動率を改善する方法は分かっていないそうです。ただし、精子のコンディションは日常のストレスや生活習慣によって日々するので、一度の検査だけでは判断せず、複数回検査をします。検査結果をオットに伝えるのにショックを与えたくありませんでした。どうしてか。その頃、オットと私との間には夫婦生活への欲求のズレがありました。オブラートに包みますが(笑)、朝早くから夜遅くまで仕事のオットに、私からの愛のボールは返球してもらえず、ボールかごの中に仕舞われることがよくありました。プレイボール! のかけ声がグラウンドに鳴り響かず、寂しさから夜中にお酒を飲んでしまう日々でした。そんな感じだったので、オットが検査結果にショックを受けたら、今以上に試合できなくなるのでは? と不安でした。どう言えばいいの…精子無力症だったことより、試合できなくなるんじゃないかとの不安のほうが正直大きく、私は軽くパニックになっていました。オットが帰宅しました。どうだった?ともちろん聞かれ…私は言いました。私も一応PCOSと診断されていたので、あくまで「両方に」というところを強調しました。オットは言いました「そっかぁ…」。大きくショックを受けている風でもなく、真摯に事実を受け止めていました。「原因も分かったことだし、治療がんばろうね。」男性はプライドが高い、ましてや生きる上で大切な部分の事、きっとショックを受けるだろう。そう思い込んでいたので、オットの様子は拍子抜けでもありました。「次の治療は何するの?」と前向きなオットにいろんな意味でホッした私でした。この記事を書くにあたり、オットに当時の気持ちを聞いてみました。ショックだったけど、数年妊娠していない事実があったからそんなこともあるかなぁと思っていたそうです。そして不妊治療しようと決めた時点で覚悟もしたと。だからショックだけど原因が分かって、次に進めるな。と思ったそうです。オットは、中途半端な気持ちで治療を開始した私とは違いました。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年06月28日治療をする前は「精液検査」というと、病院の小さな部屋で採精しやすくなりそうな映像を再生しながら…というようなイメージが刷り込まれていたので「オットもこの病院のどこかで…ゴクリ」と妙な緊張をしていました(笑)。 が、実際は、日にちを指定され、当日の朝に自宅で採取したものをクリニックに持参するという方法でした。それを聞いて、オットも私も、ホッとしました。次回が精液検査という診察のお会計の時、採精用の容器を受け取りました。プラスチックの蓋付のコップでした。茶色の紙袋に入っていました。一見するとカフェで買ったアイスカフェラテ…みたいな…。街で小脇に抱えても気付かれなさそう…こらこら(笑)。当日の朝。オットは一人がいいと言うので、別の部屋で待ちました。しばらくしてオットが部屋から出てきました。おお! これが…妙な感動。いい大人ですから、まったく見たことがないと言うと嘘になりますが、こうしてわざわざ容器に採ったものをまじまじと見るのは初めてでした。オットは出勤し、私はクリニックへ向かいます。時間が経つと鮮度が落ちそう…と思うと焦りました。余談ですが、採取したばかりの時はトロリとしているのに、時間が経つとサラサラになっています。朝イチでクリニックに精液を提出し、検査を待つ間は近くのカフェでカフェラテを飲みました(笑)。診察室に呼ばれ、ドクターからの話を聞きます。「旦那さんの検査の結果ですが…」ドクターは『精液検査報告書』と書かれた用紙を差し出しました。ドクターの言葉とともに用紙の下の方に丸く囲まれた「精子無力症」の文字が目に入りました。ドクターはなおも続けます。「症状の程度でいうと、中等度~重度、ですね。」精子が無力…!? しかも重度…!? この日のこの結果を聞いたあと、ドクターとどんな話をしたか、思い出そうとしましたが思い出せません。ただ、「オットにどう言えばいい?」という想いがぐるぐると頭を回っていました。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年06月14日不妊治療を進めるにあたり、必要な検査がいくつかありました。(採血によるホルモン検査・卵管の通過性を調べる検査・子宮を内視鏡でみるファイバースコープ・超音波検査など)月経周期に合わせて検査を行うので、一通り終わるまでに1か月半ほどかかりました。検査の結果、私は『多嚢胞性卵巣症候群(たのうほうせいらんそうしょうこうぐん)』だと言われました。初めて聞く言葉でした。PCOSとも表現されます。ドクターから、卵巣内の卵胞(卵子の入った袋)の発育が遅く、ある程度の大きさになっても排卵されず、複数の卵胞が卵巣内にたまってしまう疾患だと説明を受けました。月経異常・多毛・にきび・肥満などの症 状を伴うことがあるとのことです。排卵がされないままだと、卵巣の皮は段々と厚く硬くなり、ますます排卵しにくい状態になってしまうようです。毎月起こるはずの排卵がなんらかの原因でうまく行われない状態は排卵障害と呼ばれ、多多嚢胞性卵巣症候群もそのうちの一つです。若い女性の排卵障害では多くみられる疾患のようです。多嚢胞性卵巣症候群と診断された場合でも、程度には個人差があり、全ての特徴を持っている人もいれば、超音波での所見だけが異常(ネックレスサイン:複数の卵胞が繋がっているように見える)の人もいて、重症度はさまざまのようです。中にはスムーズに排卵できる人もおり、自覚症状がないため気付かず自然妊娠していたり、診察して初めて知るという人もいるようですが、どの人も排卵しにくいことは確かだそう。エコーで確認すると、確かに私の卵巣にもいくつかの卵胞がありました。後の診察でも確認していくのですが、私の場合は、毎回ではないけれど排卵はできているようでした。クリニックのドクター曰く、多嚢胞性卵巣自体は体質だそうです。説明を受けながら、あぁやっぱりね…と思っていました。原因があるから妊娠もしていないわけで。しかしながら、不妊症は原因が一つではなく、複数のこともあり、また最後まで原因が分からないということも多くあります。そして、男性側に原因があることもあります。ですので、女性の検査と共に、男性も検査を受けることは必要不可欠です。 私の通っていたクリニックでは必ず行う検査として『精液検査』がありました。オットもその検査を受けることになりました。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年05月31日不妊治療クリニックの初診の日になりました。平日の午後だったので、一人ででかけました。繁華街のビル中にあるクリニックへは、我が家から車で1時間半かかります。ビルにある共同の小さなエレベーターで上がりました。上がっているのに、どんどん下に行くような気持ちでした。あぁ、とうとう来てしまった。初めに問診票を書き、その後ドクターから妊娠のメカニズムや今後の検査方法・治療方法などの説明を受けました。その後、子宮と卵巣の状態をチェックするために、診察台に上がりました。それまでテレビでしか見たことのなかった、カーテン越しに下半身を丸出しにするあの診察…。スカートと下着を脱ぎ椅子に座ると、看護師さんの「動きますね~」の声と同時にウィーンと開脚していく我が身。あぁ…その後、妊娠出産と頻繁にこの椅子に座りましたが、ずっと慣れることはなかったです…。毎回、心の中でひぇ~~! と叫びながら(笑)、自然と腰を上にずらしてあまり開脚しないような体勢を取ってしまうのですが、必ず看護師さんに「もう少し下がってください」と指摘を受けてしまうのでした。クリニックは、治療中の繊細な心にとても配慮しているのであろう気配りが行き届いていました。看護師さんも事務員さんもみなさん優しく丁寧で、通院中、心を傷つけるような言葉は何一つ言われたことはありませんでした。私の県に不妊専門のクリニックが少ないということもあるけれど、人気があるのが納得の病院でした。スタッフ皆さんは優しくも『妊娠できるよう頑張っていきましょう!』という雰囲気でした(不妊クリニックだから当たり前なのですが)。それだけに、自分の気持ちと周囲の気持ちのギャップに戸惑いました。気持ちと行動が矛盾している自分にも戸惑いました。下半身を露出して器具を入れられる妙な虚しさも手伝って、クリニックを出て車に戻ると我慢していた涙がこぼれました。泣きながら運転していると、偶然仲良しの友達を発見しました。仲良しだったのに長く会えずに、普通だったら「おおーい!」と声をかけてお茶でもするところですが、私は目をそらして彼女の横を通り過ぎたのです。泣き顔を見られたくはなかったし、その理由を妊婦の彼女に説明できる自信はそのときにはありませんでした。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された内容や治療法は、あくまでも筆者の感想であり治療を保証するものではありません。)
2017年05月17日オットが言いました。すでにネットで検索し、不妊治療専門の病院を見つけていたようでした。結婚してもうすぐ丸4年になろうかという、ある日。私は27才になっていました。当時の不妊の定義というと「避妊しないで2年以上妊娠に至らない状態(※)」と言われていました。私たち夫婦は、ばっちりそれに当てはまっていました。(※)2015年8月、日本産科婦人科学会は不妊の定義を従来の2年から諸外国に合わせて1年に変更。オットの提案に数秒固まりました。とうとう来たか…。正直、イヤでした。けれども、これは私だけの問題ではなくて、夫婦の問題。子どもを欲しがっているオットの想いを無視することはできない…。とりあえず検査だけはしてみる…と、渋々承諾しました。オットはその場でクリニックへ電話しました。が、妻本人からの電話でないと予約できないと言われ、また私がかけ直しました。初診の予約が3ヶ月先に決まりました。私の住む県には専門病院の数が少ないからでしょうか、初診の予約の取りにくさは現在もあまり変わっていないようです。 初診までに毎日基礎体温をつけるよう言われました。憂鬱でした。とても。それでも、病院で言われたとおりに基礎体温を記録しはじめました。基礎体温は、朝目覚めてから体を起こさずに舌下に入れて5分ほど測ります。(私は知らなかったのですが20秒ほどで測れる「予測式」というものもあるそうな!)これが曲者(笑)で、朝に弱い私はしょっちゅう二度寝してしまい、口の中からポロリと落としてしまうことがよくありました…。寝ぼけながらも「落としちゃダメだ…」とものすごい力で噛んでいたので、私の体温計は歯形でボロボロになっていました(笑)。風邪を引いたら内科に、心を病んだら心療内科に、それと同じように子どもが欲しいけれど妊娠しづらいなら不妊専門の科にかかるのは当たり前だと思います。しかし、私の場合、自分にその気持ちがないのに行かなければならないことが本当に苦痛でした。そして、初診の日がやってきました。 (※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです)
2017年05月03日結婚して3年が過ぎました。オットの希望もあり避妊はやめていました。いつでも妊娠する状態。しかし、妊娠しない。実家の母からは帰省のたびに「早く産め産め」コールが。「不妊治療」という言葉はメディアなどで知っていました。しかし、治療をしようという気にはなれませんでした。結婚して数年経った私たち夫婦に子どもがいないという話になると、同情されたり、気まずい雰囲気になったりする時がありました。冗談まじりにもっと頑張れと応援されたり、妊娠に効果的なアドバイスをいただくこともありました。もちろん不妊治療を勧められることもありました。できなくても大丈夫よと励まされ、夫婦二人でも楽しむための人生のコツを伝授されることもありました。私にはそれらのすべてが、「子どもがいないとダメ」だと言われているように聞こえました。結婚したら次は子ども。それが定番の流れ。それが幸せな人生。当たり前でしょと言わんばかりの周囲の無意識の態度がどうも腑に落ちませんでした。パートで働きだした職場の宴会で、酔っぱらった男性上司に子どもがいかに素晴らしいかをねちっこく語られ、そんな素晴らしい存在を産まないなんてダメダメ! 的なお説教をされたこともありました。半笑いで対応しながら、え? 私ダメなの!? と頭の片隅でボーっと考えていました。(その上司とは説教後、表面上の付き合いだけに徹しました(笑)。)たしかに子どもは素晴らしい。子どもがいることはひとつの幸せ。自分の人生が「子どもがいること」でしか幸せじゃないとしたら、それは悲しい。子どもがいるいないで人生が幸せかは決まらない、そう思っていました。今でも思っています。幸せかどうかは結局はその人の生き方次第。子どもは人生の何分の一かを共に過ごし、子育てという体験をさせてもらう相手であって、親の一部でも所有物でもありません。ある年齢に達したら、彼らはそれぞれの人生を歩いていくでしょう。子育てという貴重な体験はとても素晴らしいものだろうけれど、人生においての素晴らしい体験はそれだけではなく、もし今回の人生で子どもを持たなかったとしても、きっとこの世に生まれてきた別の役割があるのではないでしょうか。そんなことを考えていたので、不妊治療してまで産みたいとは思いませんでした。積極的に子どもを「作る」ための治療は、自分の今の人生を否定するような気がしたのです。自然に妊娠したなら育てるし、できなければできないで2人の生活でイイと思っていました。夫婦での生活はとても幸せだったのですから。私、今でも十分幸せなんですけど? 産まないとダメですか?産まないと不幸せなんですか?大きな声で叫びたい衝動にかられていました。
2017年04月19日私が結婚したのは23才のときでした。高校の同級生の中ではとても早い方。最近では第3次の波のほうが高くなっているか…。若く結婚したので、「子どもは、まだしばらくいいかなぁ~」と思っていました。オットもその意見に賛成でした。しばらくは夫婦二人の生活を楽しもうよ。そうしよう。でも……「しばらく」の概念って人それぞれなんですよね。オットは結婚当時35才。私よりひとまわり年齢が上でした。自分の年齢のこともあり、早めに子どもが欲しかったオット。うっすらと彼の中で『夫婦二人の楽しい生活』は1年くらい…と思っていたようです。結婚1年目を過ぎたあたりから、ときどき「まだ避妊するの???」と聞かれるようになりました。そのたびに私は「うーん…」と曖昧な返事をしていました。私は、まだまだ産むつもりがなかったのです。産むつもりがなかったとはいえ、がっちり避妊! という感じでもなく、もし妊娠したら産むつもりではありました。(とはいえ、まだ自分の中で産む決心がつきませんでした)何歳で産むか。本当に残念ながら、女性には身体的にタイムリミットがあります。「子どもは、簡単にできるものだと思っていた」通っていたクリニックでできた知り合いや、不妊治療者の集うネット上の掲示板でよく聞かれた言葉です。産みたいのに産めない。まだ産みたくないけれど、年齢的にはそろそろ産んだ方がいい。私は欲しいのに夫が協力してくれない。夫は欲しがっているけれど、私にはまだ決心がつかない。自分の思い通りにいかない妊娠・出産。自分の気持ちだけを優先できない妊娠・出産。治療を始めた頃は、妊娠するのも女性・産むのも女性。しかも何歳までにという期間を言われる。どうして女性ばかりが大変な思いをするんだろうと、憤りを感じていました。~あとがき~私、中村こてつが不妊治療をしていた期間は、2005年11月~2008年10月で、あくまでも私の体験とその当時感じたことと内容となりますのでご了承ください。
2017年04月05日みなさんこんにちは。中村こてつと申します。これは次男のケン。もうすぐ年中さんです。長男のタロ。スローペースな7歳。50才のオットー。平日戦力外(※育児に関しては。笑)見事に同じ場所につむじのある、息子たち。同時期に受精させた卵だし、『おでこにつむじ』という同じ遺伝子情報が組み込まれていたのかも!? と勝手に考える時があります。医学的にはどうなのか分かりません…。主人と子どもたちの頭の形がそっくりなのと同じで、単純にだれかの遺伝でしょ。とも思うのですが。7年以上続けている自分のブログでは、これまで不妊治療についてはあまり触れてきませんでした。この度、ご縁があり、ウーマンエキサイトさんで『体験記』として記事を書かせていただくことになりました。主に長男のときの治療について記していこうと思っています。私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。かなり昔のことで現在の医療と違う点もあるかと思いますが、当時の気持ちや夫婦のこと・仕事のこと・周囲の人々のことなど、不妊治療を体験したからこそ感じたこと、その点については現在治療を頑張られている方々とも共通する部分は多いのではと考えます。私の体験を読んでいただくことで、どなたかが安心できたり、一人じゃないんだとちょっぴり心強くなっていただくことができれば、とても嬉しいです。隔週での更新となります。よろしくお願いいたします。
2017年03月22日こんにちは、子育て研究所代表の佐藤理香です。近年、妊娠と年齢の関係がクローズアップされるようになりました。不妊治療も普及し、“2人目不妊”や“妊活”といった新しい言葉も一般的になりつつあります。今回は、年齢別の妊娠確率や平均的な出産年齢などについて解説します。●(1)自然妊娠の確率一般的に、卵子の元となる原子卵胞の数は、女性が生まれたときから決まっていると言われています。体内で保存されている原子卵胞は、保存の期間が長いほど、卵の質が落ちるという研究結果があります。つまり、年齢が高くなれば、必然的に保存期間の長い卵胞が排出されるということで、中には卵子としての機能を失っているものもあるようです。このため、なかなか受精しない、受精しても受精卵が育たないなどの不妊に影響してきます。『日本子ども家庭総合研究所』が発表している資料によると、100組のカップルが1年間避妊せずに夫婦生活を営んだ場合の妊娠確率は以下のとおりになります。・20~24歳:86%・25~29歳:78%・30~34歳:63%・35~39歳:52%・40~44歳:36%・45~49歳:5%これによると、20歳~24歳の女性が、1年間避妊せずに夜の営みをもった場合は、100人中86人が妊娠する ということを意味します。一方で、高齢となる35歳以上では、妊娠する確率が一気に小さくなり、35歳~39歳では52%、40歳を超えると妊娠するハードルがさらに上がることがわかります。●(2)第一子出産の平均年齢次に、厚生労働省が発表した平成26年の『人口動態統計月報年計(概数)の概況』から“第一子出生時の母親の平均年齢の年次推移”を見てみましょう。第一子を出産したときの母親の年齢を、年次ごとに追っているデータになります。・昭和50年:25.7歳・昭和60年:26.7歳・平成7年:27.5歳・平成17年:29.1歳・平成23年:30.1歳・平成24年:30.3歳・平成25年:30.4歳・平成26年:30.6歳このように、私たちの母親(子どもにとっては祖母)の時代は、25歳前後で出産するのが平均的でした。それが平成になると出産平均年齢が上昇し、今や30歳を超えての出産が平均 となっています。同時に、35歳以上の高齢出産が増えてきています。女性の晩婚化が進んでいることも要因ですが、不妊治療をはじめとする近年の医療技術の向上も大きな要因となっています。筆者の周囲でも40代で初産というママが珍しくありません。職場や友だち同士で不妊治療や妊活の話題がのぼることも多く、不妊治療を受けるという障壁は低くなった のかもしれません。「年齢があがっても何とか妊娠・出産したい!」という期待の高まりも感じます。年齢があがることで、不妊症や赤ちゃんの先天異常のリスクなどが心配されることはあり、赤ちゃんに先天異常がないか出生前診断を受けるという妊婦も増えています。2013年からは、これまでの出生前診断とは別に、日本医学会のもと『新型出生前診断(NIPT)』がスタートしています。倫理的な問題が懸念されてはいますが、出生前診断の認知度は飛躍的にあがり、対応する施設、利用者も増加しています。さまざまなリスクは想定されますが、トータルでみても、以前と比べると医療技術は進化し、高齢出産も比較的安心してできるようになったといえるのではないでしょうか。【参考リンク】・出産希望年齢と妊よう力知識の関連(p181図) | 日本子ども家庭総合研究所(PDF)()・平成26年人口動態統計月報年計(概数)の概況(p5) | 厚生労働省(PDF)()●ライター/佐藤理香(株)
2016年12月15日こんにちは、金融コンシェルジュの齋藤惠です。今や6組に1組の夫婦が、子どもを望んでも自然に授かることができずにいると言われている時代。不妊治療をおこなう人も年々増加傾向にある中で、その費用は大変高額で夫婦の家計を圧迫してしまいます。そこで今回ご紹介したいのが、2016年からはじまった、保険会社が提案する新たな商品『不妊治療保険 』についてです。必要ないに越したことはありませんが、知っていればより安心かもしれませんよ。●不妊治療保険とは?2016年10月に国内で初めて不妊治療保険を導入した日本生命の『ChouChou!』という商品を例にご説明します。こちらの商品の場合は、10歳から40歳の女性向けで、出産と特定不妊治療にかかる費用をサポート してくれます。他にも、3大疾病や保険期間満了時に一時金がもらえます。現代は女性特有のがん(子宮頸がん、乳がんなど)の発生率が上がり、過去の病気が原因で妊娠しにくい体になってしまう女性も増えています。そんな中で、実際の不妊治療費に加えて、それ以前の病気リスクも保険によってカバーできるのが不妊治療保険のポイントです。●加入のメリットは?あらかじめご案内しておくと、2016年10月現在は、日本生命以外で不妊治療保険は発表されていません。今後、他の保険会社が追随すれば、『ChouChou!』とは違う特徴の商品が登場することでしょう。その点を考慮しつつ、現行の不妊治療保険に加入すればどんなメリットが得られるのかを挙げてみます。・特定不妊治療で5万円から10万円の給付金がもらえる・出産給付金が無制限でもらえる・がん、急性心筋梗塞、脳卒中もサポート・死亡保険としても使える・満期一時金が受け取れる当然ではありますが、不妊治療保険の最大のメリットは、今まで保険商品が対象としていなかった特定不妊治療にかかる費用をサポートしてくれる点です。公的助成制度はあるものの、それだけでカバーしきれるほど不妊治療は安くありません。授かりたいのに授かれないという精神的な負担に加え、高額な出費 を余儀なくされるということが、これまでの不妊治療の課題でした。それだけに、不妊治療保険を待ち望んでいた人は多いのではないでしょうか?●加入のデメリットは?待望の不妊治療保険にも、注意しなければいけない点はあるようです。たとえば、下記のような点。・契約から2年待たないと特定不妊治療費が保障されない・満期一時金が払込保険料より少ない・保険料が割高である・40歳以降は契約できない一般の医療保険などにも同じような条件がありますよね。一番の難点は、やはり保険料が医療保険などと比べると割高 な点でしょうか。まだ始まったばかりの保険商品なので仕方がないのかもしれませんが、不妊治療保険を取り扱う保険会社が増えて一般的に浸透すれば、より安く良い条件で加入できる場合もあるかもしれません。不妊治療保険の今後の動向に期待したいですね!【参考リンク】・新商品 ChouChou!の発売について | 日本生命保険相互会社(PDF)()●ライター/齋藤惠(金融コンシェルジュ)●モデル/NANAMI(RIRIAちゃん)
2016年11月14日広汎性発達障害(PDD)の原因は?出典 : 広汎性発達障害(Pervasive Developmental Disorders:略称PDD)は、コミュニケーションと社会性に障害があり、限定的・反復的および常同的な行動があることを特徴として分類される発達障害のグループ です。世界保健機関(WHO)の診断基準である『ICD-10』(『国際疾病分類』第10版)の診断カテゴリでは、このグループには自閉症、アスペルガー症候群のほか、レット症候群、小児期崩壊性障害、特定不能の広汎性発達障害という5つの障害が含まれています。広汎性発達障害は、最新の診断基準であるアメリカ精神医学会の『DSM-5』(『精神障害のための診断と統計のマニュアル』第5版テキスト改訂版)では自閉スペクトラム症/自閉症スペクトラム障害というカテゴリに変更されています。また、広汎性発達障害の障害名、症状の中には自閉症スペクトラム障害の概念では除外されたものも含まれています。ですが、行政や医療機関で広汎性発達障害の名称を使用している場合も多いこと、すでにこの名称で診断を受けた人も多いことから、本記事では『ICD-10』の診断カテゴリに準拠して広汎性発達障害の名称でご説明します。広汎性発達障害のはっきりとした原因はまだ解明されていませんが、脳の機能障害がその原因と考えられており、親の子育て方法が原因で起こるものではありません。このうち、レット障害(レット症候群)についてはX染色体上に存在する遺伝子の突然変異が原因であることが分かっています。ほかの障害についても最近では遺伝的要因の関与が有力視されていますが、必ずしも単純に親から子どもへ遺伝するという意味ではありません。遺伝的要因と環境要因が複雑に相互に影響しあっていることが原因ではないかと言われています。しかしながら具体的な障害の原因やメカニズムは分かっておらず、様々な説が議論されている段階です。広汎性発達障害って治療できるの?出典 : 広汎性発達障害を根本的に治療する薬や手術といった医学的な方法はありません。しかし、広汎性発達障害による困難を緩和・解消するための教育・療育によるアプローチは存在します。本人が困難への対応法を学んだり、困難を未然に防ぐための環境調整をすることで、生きやすい環境を作っていくことが可能です。広汎性発達障害のある人はその特性ゆえに、生活する中で様々な困難にぶつかりがちです。他者の感情の読み取りが困難なため、会話の意図を誤解して受け取ったり、コミュニケーションがかみ合わなかったりする場合があります。抽象的な指示が理解できないために同じミスを繰り返したり、こだわりのため順番やルールを守れずトラブルになったりすることもあります。中には自分に自信をなくしたり、周りに強い被害者意識を持ってしまうこともあります。こういった日々の困難さが引き金となって、うつ病やひきこもりなどのいわゆる二次障害が発現することもあるのです。特に思春期以降の不安障害や気分障害の予防が大切です。広汎性発達障害の特性による困りごとを緩和するのに加え、こうした二次障害のリスクを極力なくすためにも、周りが障害の特性についてよく理解し、どのように対応すれば本人が行動しやすいか、生きやすいかなどを考えていくことが必要です。また、てんかん発作や感覚過敏など、一部の症状に対しては薬物療法によって症状を緩和できる場合もあります。うつ病や睡眠障害などの二次障害に対しても精神安定剤などの薬物治療が行なわれることもあります。これらの二次障害に対する治療の一つとしては、心理療法である認知行動療法の有効性が示されています。広汎性発達障害の治療の判断基準は?出典 : 広汎性発達障害は主に「社会性・対人関係の障害」「コミュニケーションや言葉の発達の遅れ」「行動と興味の偏り」の3つの症状が現れると言われています。専門機関においても上記の3つの症状が見られるかを本人や保護者への問診や本人の行動観察などから評価・判断します。親が気づく子どもの症状としては「視線を合わせない、または避ける」「言葉の発達が遅い」などの症状がよく挙げられます。また、広汎性発達障害のある人のほとんどに何らかの感覚過敏が見られます。例えば、小さな物音を怖がったり(聴覚過敏)、抱っこされることを嫌がったり(触覚過敏)、偏食が多い(味覚過敏)などの感覚過敏があります。広汎性発達障害の症状は上記のように複数存在しますが、特定の症状がでたら治療が必要という明確な線引きはできません。また症状ごとに対処法や治療プログラムは異なります。本人が特性による困りごとに直面している場合、専門家による何らかの治療や支援が必要になると言えるでしょう。障害ではないかと気づいた場合には、まずは近くの保健センターや子育て支援センター、児童発達支援センターなどの専門機関に相談するようにしましょう。広汎性発達障害の治療法と治療を行う年齢は?出典 : 広汎性発達障害の根本治療はできませんが、症状を緩和するためには療育的アプローチと薬物療法の2つが効果的です。■療育療育は何歳からでも始めることができ、なるべく早くから通うことが推奨されます。療育とは、以下のように定義されています。療育とは医療、訓練、教育、福祉などの現代の科学を総動員して障害を克服し、その児童が持つ発達能力をできるだけ有効に育て上げ、自立に向かって育成することである。■薬物療法広汎性発達障害そのものを根本的に直す薬はありませんが、特定の症状を緩和するために使用することがあります。薬によって開始できる年齢や症状が決まっており、人によって副作用がある場合もあるので、主治医とよく相談し、用法用量を守って服薬していくことが大切です。薬物療法は、症状を一時的に抑えるためのものであり、症状が軽減している間に、教育や支援を行うと効果的であるともいわれています。治療を終える判断基準については、根本治療ができないため、はっきりと決まっているわけではありません。ですが、本人が特性への対処法を習得したり、環境調整を行ったりすることで困りごとが緩和されれば、治療が必要のない状態になることも少なくありません。しかし、進学や引っ越し、転職などの大きな環境変化によってさまざまな困難が再発する可能性もあるため、十分なフォローが必要です。広汎性発達障害の具体的な療育法・治療法出典 : 療育の遊びを通じてコミュニケーションの取り方を学んだり、友達を作ったりすることができます。また、ストレスを抱えがちな親にとっても療育の場は相談できる場所であり、同じ悩みをもつ親同士の交流の場所にもなっています。療育の効果は個人差があり、子どもに合った療育が必要となりますが、子どもにとっても親にとっても療育は心の面の大きなサポートになると言えるでしょう。広汎性発達障害の療育方法は様々ですが、下記の4つがよく知られています。それぞれの位置づけは異なりますが、ここでは簡単に概要のみを説明します。■ABA(エービーエー、Applied Behavior Analysis/応用行動分析)人間の行動を個人と環境の相互作用の枠組みの中で分析し、問題解決に応用していく理論と実践の体系です。広汎性発達障害に対する療育だけでなく他の障害や教育、福祉、医療、スポーツ分野でも利用されています。■TEACCH(ティーチ、Treatment and Education for Autistic and related Communication handicapped Children)米国ノースカロライナ州で生まれた、自閉症スペクトラム障害の当事者とその家族を障害支援する総合的なプログラムです。※自閉症スペクトラム障害とはレット障害を除く広汎性発達障害を指します。■PECS(ペックス、Picture Exchange Communication System)絵カードを使ったコミュニケーション援助プログラムです。上記のABAの原理に基づいて作成されています。■SST(エスエスティー、ソーシャルスキルトレーニング)対人関係をうまく行うための社会生活技能を身につけたり、障害の特性を自分で理解し自己管理をするためのトレーニングの総称です。紹介した療育方法はごく一部ですが、療育機関ではこれらの療育理論や方法を複数組み合わせたり、独自のプログラムを利用して、子ども1人ひとりにあった療育方法が行なわれます。広汎性発達障害の根本的な治療としての薬物療法はありませんが、一部の症状に対しては対症療法として薬を使用することがあります。例えば、パニック症状を緩和するためには抗精神病薬、てんかん発作や感覚過敏には抗てんかん薬などが処方される場合もあります。その他様々な症状に対して薬物療法が行なわれますが、薬は一時的なもので、症状が完全になくなるというわけではありません。また薬には副作用が出ることもあります。薬の使用は必ず医者の指示を守りながら使うようにしましょう。適切な治療やサポートを受けられない場合、広汎性発達障害の主症状とは異なる合併症や状態を引き起こしてしまうことがあります。このような症状や状態を、一般的には「二次障害」と言うこともあります。注意すべき症状・状態には以下のようなものがあります。・気分障害(うつ病など)・不安障害・睡眠障害・不登校やひきこもり・アルコールなどの依存症などこのような症状や状態が現れた場合には専門の相談機関や医療機関で早期に相談・治療を開始しましょう。二次障害の治療には、それぞれの症状によって認知行動療法などの心理療法的アプローチや薬物療法などが用いられます。二次障害の予防のためには環境調整や周囲の理解、親や家族以外にも本人が信頼して相談できる人間関係を作ることなどが大切です。接し方で大きく変わる!広汎性発達障害の子どもへの接し方のポイント出典 : 広汎性発達障害のある子どもの中には、使っている言葉の意味を理解していなかったり、遊びのルールを理解するのに時間がかかってしまう子もいます。その際は絵や写真を使うと、理解しやすくなる場合があります。また、あいまいな表現は苦手なので、できるだけ具体的な言い方をするようにしましょう。何度叱っても同じことを繰り返してしまうために、親もイライラしてつい大声で叱ってしまうかもしれません。広汎性発達障害のある子どもは恐怖心でトラウマになりやすい傾向にありますので、大声で叱ってしまいそうになったら一度その場を離れるなど、冷静になるよう心がけてみてください。広汎性発達障害のある子どもが適切な行動を習得するまでには、根気強く教える必要があることを理解しましょう。叱るときには感情的にならず、具体的に注意する方が効果的です。上記でお伝えしたように写真や絵を使うなど、どうすれば上手く伝わるかを試行錯誤することも大切です。手をひらひらさせたり、ぴょんぴょん飛び跳ね続けたりするなど、広汎性発達障害のある子どもの中には同じ行動を長時間続ける常同行動が見られる場合があります。これらは視覚支援によって見通しを持てる環境を作ったり、コミュニケーションスキルを学んだり、適切な遊びにかえることなどで改善することが多いです。無理に止めさせようとするとパニックに陥ることもあるため、何回やったら終わりと決めたり、何か違うことに集中するための課題などを与えてあげたりするとよいでしょう。広汎性発達障害の子どもを持つ保護者は、できないことや、やめさせたい行動が多く目につき子育てが不安になってしまうこともあるかもしれません。ですがマイナス面ばかりに目がいかないように、得意分野を見つけて、できることを増やすことが大切です。また、ちょっとしたことでも褒めることが子どもの自信につながります。広汎性発達障害のある子どもの子育ては通常に比べて少しコツが必要になってきます。家族だけで解決しようとするとつまづくことも多いため、プロの手を借りて、子育ての仕方を学んでいくのもおすすめです。ペアレントトレーニングでは褒め方のコツや上手な指示の出し方、危険な行動を予防する方法などを学ぶことができます。まとめ出典 : 広汎性発達障害の根本的な治療方法はありませんが、療育によってコミュニケーションを取りやすくなったり、生活の困難に対処しやすくなります。そのためできるだけ早く療育をスタートしたほうが、本人の生きづらさも減ると思います。日常生活において不安に思ったりすることもあるとは思いますが、何かあった場合は身近な専門機関に相談してみてください。また、本人にとってよい環境を整えて生きづらさを少しでも減らせるように、周囲の人たちは障害の特性を理解した上でサポートするようにしましょう。
2016年08月17日こんにちは、海外在住プロママライターのさとうあきこです。全世界を対象とした不妊率は約9%。100人に9人がなんらかの不妊症であると推定されています。結婚年齢の高齢化が進む日本では、その率はさらに高い可能性さえあります。結婚生活における夫婦の権利や義務が平等であるように、妊娠における条件もある意味平等です。以前は、不妊の原因を女性に限定して考える風潮がありましたが、現在は男性不妊の可能性も広く知られるようになりました。その結果、夫婦の片方だけが責任を問われることが減り、また、正しい治療によって妊娠できる可能性も高くなってきています。ここでは、女性不妊に比べるとまだ情報の少ない男性不妊の具体的な例をご紹介します。●染色体異常女性にも男性にも可能性のある不妊原因です。染色体異常は、妊娠初期の流産の原因になることがあります。これは、受精卵に偶発的に発生する場合もあれば、夫婦のどちらかに染色体異常がある場合もあります。妊娠自体は可能であることから、不妊症の中でも不育症 という呼び名でくくられることもあります。流産をきっかけに検査を受けて発見されることが多いでしょう。●性機能障害正しい射精を行えないために、不妊となりますが、これも女性と男性のどちらにも起こり得ます。男性の場合には、『勃起障害(ED)』『膣内射精障害』『逆行性射精』『無射精』 などが性機能障害として知られています。非常にプライベートな問題なので、発見されにくく治療も受けにくい障害ですが、実はかなりの高確率で発生しているともいわれています。●無精子症無精子症とは必ずしも“精子が存在しない”のではなく、“射出された精液の中に精子がない” ことを意味します。すなわち、無精子症であっても精子はどこかに存在している可能性があり、妊娠も可能な場合があるのです。『閉塞性無精子症』 は、精子を運ぶ管が閉塞している状態、『非閉塞性無精子症』 は、精巣内の造精機能に問題がある状態です。前者は閉塞している部分の上流から精子を、後者は多少でも造精されていればそれを取り出すことで、不妊治療が可能になります。●乏精子症と精子無力症射出精液内の基準精子数が少ないのが『乏精子症』 、活動している精子率が低いのが『精子無力症』 です。どちらも発見されにくいという特徴を持ち、何度か繰り返し検査を受ける必要があります。●精索静脈瘤精巣上部の静脈が肥大した状態のことで、男性不妊の原因の一つとして考えられています。手術による治療が行われることもありますが、効果に関してはまだ科学的に全ての例で手術が認められるだけの結果は出ていません。●内分泌異常ホルモンバランスの異常 から、造精機能が正常に働かなくなっている状態です。造精機能異常の中でも、原因がホルモンだと分かっているため、ホルモン療法で結果を得やすいといわれています。●まとめとして一言に“不妊”といっても、その原因も治療法も本当にさまざまです。夫婦にとって深刻な悩みのタネとなる不妊ですが、その原因の多種多様さを考えると、一刻も早く専門医の診断と治療を受けること、そして、その原因が夫婦のどちらにあったとしても平等に受け止めていくことが大切です。お互いの信頼と協力なしには不妊治療は十分な成果をもたらしません。不妊治療は医療的な治療と同時に、夫婦や家族の協力が不可欠 なのです。【参考リンク】・男性不妊の原因と種類・検査 | 浅田レディースクリニック()●ライター/さとうあきこ(海外在住プロママライター)
2016年03月19日育児に遅れと混乱が生じてる !!
ムスメちゃんとオコメちゃん
うちの家族、個性の塊です