兄弟を両肩に乗せてくれる、力持ちな父出典 : 父は若いころ漁師をやっていたため、がっしりとした体格でした。私と兄が小さい頃は、右肩に兄、左肩に私を乗せて遊んでくれたものです。サングラスをかけるとなかなかの強面。駐車場でトラブルになりかけたとき、相手の車の人が勢いよく車から出てきたと思ったら、父の顔を見るなり回れ右をしてすぐ車に戻り走り去って行ったというような逸話があるほどです。知らない人から見たら、一見怖そうな父ですが、私たち兄弟に手をあげたことはありません。しかし、たった1度だけ叩かれた記憶があります。優しかった父が、1度だけ私を叩いた理由出典 : 私が小学校に入る少し前のこと。当時の私は気に入らないことがあると、すぐ他の子どもを叩いてしまいました。そのことで、幼稚園から連絡があったのでしょう。ある日、父は私を居間に呼び出して目の前に座らせ、バシッ!と私の頭を叩きました。いつも優しい父に突然叩かれ、私は痛さとショックで動けませんでした。そんな私に、父は「叩かれると嫌な気持ちになるだろう?だから他の人の頭を叩いちゃだめなんだ」と言ったのです。父に叩かれた時の衝撃は、とても嫌なものでした。そしてまた、他の人にとっても叩かれることはとても嫌だと気づきました。それ以来私は誰かを叩くということはなくなりました。不登校になった私は、だんまりを決め込んだ出典 : 小学校高学年になったころ、私は不登校になりました。そのころ父は出張が多く、ほとんど家にいませんでした。ふだん私の対応をするのはもっぱら母でした。父はたまに帰って来ては「今のうちからこんなに休んで、将来どうやって食っていくつもりなんだ?」と言ってきました。そんな言葉をかけられた私は下を向きじっとしていたり、いたたまれなくなって自分の部屋に逃げ込んだりしていました。それが面白くないのか、父の私に対する言い方が徐々に厳しくなっていき、「本当にそれで生きていけると思ってるのか?」「考えが甘い」「世の中が見えてない」と言われるようになっていきました。私は反論する気力もなく、だんまりを決め込むようになりました。このころは、父とほとんど話をしていなかったと思います。アウトドア派の父が、私を外に連れ出すようになって出典 : 「父親の言い方がきついのはあなたにもっと反発して欲しいからだ」と母親に言われるも"ガス欠状態"だった私。そのことが伝わったのか、少しずつ父の態度も変わってきました。それまでは私にプレッシャーをかけ、責めるような言い方が多かったのですが、「休むのはいいけれども、将来どうやって生きていくのかは考えておかなきゃいけないよ」と優しい口調になったのです。たまに職場に連れていってくれて、父が働いている姿を見せてくれることもありました。当時の私は「家でゆっくりしていたいなぁ」なんて思っていましたが、今考えてみると働くことがどういうことなのかを父なりに私に見せたかったんだろうと思います。他にも父の趣味である釣りに連れ出してくれたり、いつの間にかテントを手に入れてキャンプにも行くようになりました。当時、同級生から「学校休んでるのになんで外で遊んでるの?」と言われるのが嫌でほとんど外に出ない生活をしていました。さらに、かなりのインドア派であまりアウトドアは好きではないのが正直なところです。しかし、父が外に連れ出してくれて、過ごした時間はいい気分転換になっていました。父の買ってくれた1冊の技術書が、今の自分につながる出典 : 中学校になり不登校も落ち着いてきたころ、父も出張ばかりだった仕事が一段落して、よく家にいるようになりました。そのころに、口を酸っぱくして言われたのが、「とにかく手に職をつけろ」ということでした。「プログラマーになりたい」と思いはじめていた私にとって、父の言葉は心に自然に刻まれました。高専に入学したばかりのころだったでしょうか、父親と本屋に行く機会がありました。書店で、私がとある技術書をじーっと見ていたところ、父はその本を手に取り「しっかり勉強しろよ」と言って買ってくれました。わが家は裕福ではなかったし、技術書はそれなりの値段がしました。父が使えたお小遣いの結構な割合を占める買い物だったと思います。そして、それは私にとって初めて手にした技術書でした。その本に書いてあったことをみっちり勉強するところから、私の技術者人生は始まりました。今でこそ数十冊の技術書を持っていますが、この時父に買ってもらった1冊は大切に本棚にしまってあります。大人になった今、困ったことを相談できる人生の先輩に出典 : 一時は気まずい雰囲気もあった私たち親子ですが、社会人になってから、困ったことがあったりすると父に相談していました。うつでつらい状況になった時も「そんな会社辞めて少し休め」と言ってくれました。その一言に背中を押され、当時勤めていた会社を辞める決心をしたことを覚えています。その言葉のおかげで、ゆっくり休め、現在の会社で希望の職に就き、働けるようになったとも感じています。たまに帰省すると、仕事の近況を話したり、アドバイスをもらったり、時には父の政治についての愚痴を聞いたりして過ごします。保護者の皆さんの中にも、不登校の子どもとどう接していいのか困惑している方がいるかもしれません。父が私にしてくれたことすべてが「正解例」というわけではありませんが、外へ積極的に連れ出してくれたこと、将来のために本を買い与えてくれた父の不器用な優しさがあったからこそ、今の私につながっているということを伝えたいと思います。
2018年06月15日最近では、スマホで簡単にニュースが読めるようになりました。そのため、新聞を読まない人が増えてきているそうです。とはいえ、紙の新聞ならではの良さもあるもの。そこで、パパママ世代に紙の新聞の定期購読について調査してみました。Q.紙の新聞、定期購読してますか?1.している 46.5%2.していない(5年以内にやめた) 12.3%3.していない(5年以上前にやめた) 41.2%定期購読している人と5年以上前にやめた人がほぼ同じ割合という結果になりました。紙の新聞も今まさに過渡期! と言ったところなのでしょうか。そのメリットやデメリットについて聞いてみました。■社会のことを広く知るにはやはり新聞がいいネットでもニュースを知ることはできますが、読むのは自分の興味があるものだけになってしまう傾向に。新聞を一通り読むことで、社会全体のことを知れるというメリットがあります。また、子どもにとっては活字を読む習慣づけになることも。「活字だとじっくり読める。早起きして必ず目を通します。スマホのニュースは昼休みにさらっとチェックします」(岩手県 40代女性)「一度にいろんなニュースが、自分の好みの順に読めるので、やっぱり必要ですかねー」(鳥取県 40代女性)「子どもも一緒に読んでるし、チラシも便利」(東京都 40代女性)「ニュース以外にも天声人語や興味のある記事は読みます。受験や就職活動でも違うと思います。親戚の社会科教師は何社からも新聞をとっていて、全てに目を通して授業に備えています。やっぱり新聞はいいですね」(神奈川県 40代女性)「とりあえず一社は。ネット社会の世の中ですが、医療関係の仕事をしているので、いろいろな年齢層の方とお話するときに、頭にいれて会話をしたいので!」(愛知県 50代女性)「子どもたちにも新聞を読む経験をさせたいので、再購読検討中です。今日のテレビから世界の出来事まで、自分のペースでじっくり読めるのが新聞の魅力だと思います」(静岡県 40代女性)■時間がない! 場所を取る! など効率重視の人はネット派新聞1紙を読もうと思ったらそれなりに時間がかかるのも事実。結局読まなくなって捨てるだけになるのが不経済と考える人やそもそもそんな時間がないという人は、新聞ではなくニュースはネットで見ているようでした。「あってもテレビ欄しか見なかったし、今はその機能もテレビについてるし、ニュースも携帯で見るし」(神奈川県 40代女性)「本当は紙で読みたい気持ちがありますが、新聞を読む時間が取れません。結局、週末にまとめ読みすることになり、無駄に思えてやめました」(東京都 40代女性)「新聞を取る経済的なゆとりと、じっくり読む時間的なゆとりがなく、寂しい暮らしです。学校で使うために保管しておいたのが2010年の新聞で、娘が引いていました」(千葉県 40代女性)「新聞紙が溜まるのも場所を取るので嫌です。子どもが小学生のときにないと不便はありましたが、うちには必要ありません」(神奈川県 40代女性)■朝刊のみ定期購読している人も読める時間や捨てる労力なども考えて、朝刊のみとっているという人もいました。親が読むというよりも、子どもが学校の学習で使用するから購読しているという人も多いようです。「朝刊と小学生新聞は読ませてる」(佐賀県 40代女性)「朝刊は必要。夕刊はいらない」(東京都 40代女性)「一般紙と日経を朝刊だけ取っています」(東京都 50代女性)「朝刊のみですが、定期購読しています。子どもたちが学校で利用することが多く、中高生は公民や現代社会の試験などで時事問題がよく出されたり、生物や科学では新聞記事のレポート課題がよく出ています。小学生の子は書道や図工で新聞紙として、ちなみに私は地域の広報や広告メインです」(神奈川県 40代女性)Q.紙の新聞、定期購読してますか?アンケート回答数:7525件 ウーマンエキサイト×まちcomi調べ
2018年05月16日8歳の誕生日の朝、「もう学校には行かない」と宣言した息子出典 : 歳の誕生日を迎えた秋のとある日、自閉スペクトラム症(ASD)と注意欠如障害(ADD)のある息子が「もう学校には行かない」と宣言した。登校を泣くほど嫌がったり、「学校にいると心が辛い」と早退することを繰り返し、その頻度が高くなっていることを感じていた私には、さして意外な発言ではなかった。とはいえ、「学校に行きたくない」ではなく「もう行かない」と決意するまでに至った理由は知りたいので、私は質問した。「いいけど、何で?」「うまく言えない」伏し目がちにそう呟いた息子の声色は、「今は説明する気力さえない」と聞こえるように澱んでいた。「いじめられたわけではないし、勉強が嫌いなわけでもない」と、私の質問に対し首を動かす形で答えたあと、小さく、しかしきっぱりと「とにかく今は言えない」。「じゃあさ、気持ちの整理がついて、話したくなったら言ってよ」最初のうちは毎日本人に欠席の意思を確認し、学校にも電話を入れていた。しかし1週間を過ぎるころ、「もう行かないって気持ちは変わらないし、万が一変わったらそのときに言うから、いちいち聞かないでよ!」と叱られてしまったのだ。確かに、私そっくりの頑固者が、一度決めたことをそうそう曲げるとは思えない。私は学校に電話をかけ、「本人がこのように申しているので、欠席連絡は控えさせてもらいたい」との旨、担任の先生に伝えた。そして、2週間に1回、発達障害専門医を受診したあとには必ずこちらから連絡することを約束した。復学を望む学校側との話は平行線で…出典 : 実のところ私は当時、「このままかもしれないけど、もしかしたら復学するかも」などと考えていた。しかし一向に復学する気配はない。1ヶ月ほど経ったころ、「校長や教頭、支援コーディネーターとの四者面談を行いたい」という提案が、学校側からあった。前述したとおり、息子からは「学校に行きたくなったら自分から言う。それまでは聞くな」と釘を刺されている。そして、かかりつけの発達障害専門クリニックの先生にはもちろん相談済みで、「学校が合わないのなら家庭学習でも構わないのではないか」とのご意見をいただいている。「専門家のお墨付きもあるし、ちゃんとお伝えすれば学校の皆さんにもご理解いただけるだろう」だなんて、あのころの私はなんて呑気だったのだろう…。学校では、私が想像していた以上に問題視されていた。そして「1日も早い復学に向けて、ご家庭でも働きかけを」という論調で、こちらの話すことは受け入れてもらえる様子がない。詳しくは割愛するが、直前に行われた担任の先生との個人懇談では、息子や私の思いに寄り添ってくださる談話ができただけに、殊更に衝撃を受けた。在宅ワーカーである私にとって、自宅は仕事場でもある。そりゃ、学校に行ってくれた方が好都合だ。実際に私の仕事を理由に頼み込んで登校してもらったこともある。でもそれだって、かなり無理をさせていたのだろうし、申し訳なかったと思っていた。「嫌がる息子に無理強いをしたくはないので…」「無理強いではなく、お母さんがうまく促してくださらないと」支援コーディネーターさんは、呆れたような表情を浮かべていた。「勉強でしたら、本人も自宅で頑張ると申しておりますし」「学校は勉強だけではなく、社会生活に必要な様々なことを学ぶ場なんです。このまま苦手を克服するということから逃げ続ける息子さんを容認して、成長の機会を奪ってもいいんですか?」内心「出たよ、『苦手を克服』」と思いつつ、口が立たない私はそれについてうまく説明する言葉を浮かべられず、ただ曖昧に「はい」だとかなんとか相槌を打ち、その場をやり過ごしていた。「頑張っても克服できないから『障害』なんだけどねぇ…」学校を出て歩き始めてからようやくその言葉が口から出て、私は自分の至らなさにため息を漏らしてしまった。そしてこうした面談を、以降何度も繰り返すことになる。母子分離の恐怖に怯える息子と、追い詰められる私出典 : ある朝、起き抜けに息子は「人間って、死んだらどうなるの?」と質問してきた。「私、死んだことないからわかんないや。どうしたの突然」「うん…何となく」そのときはその程度のやり取りで終わったと記憶している。しかし事は「その程度」では終わらなかった。息子は、私の姿が見えなくなると不安げに私の名前を呼び、打ち合わせなどで外出したときは、実家から5~10分おきに電話をかけてきて、私が受話できないとなると震えながら号泣していたのだという。「仕事中は出られないよ、何時くらいに終わるよ」と伝えていても、だ。後日聞かせてくれたのだが、「恐ろしい夢を見て(内容は本人ももう思い出せないらしい)、のん(私の呼び名)がいつ死んでしまうのかと不安になってしまった」らしい。わが家は母子家庭、ひとりでこの世に取り残される恐怖に怯えていたようだ。一番辛いのは、もちろん私との分離不安を抱えている本人だ。しかし、8歳の知力と体力を駆使した後追いは、される側の体力や精神力もかなり削られる。実際私は、毎年恒例の冬季うつも相まって、吐き気や動悸を感じやすくなるなど、身心の不調が顕著になってきた。両親は「このままだと希望が潰れてしまう」と感じたようで、物理的な距離を取るための一人旅を提案され、東京出張に合わせて友人に会ったり、観劇などを楽しんで、少なくとも1泊してから新潟に帰るようにしていた。周囲の協力や、日照時間が長くなるにつれ冬季うつから回復してきたこともあり、現在では落ち着いている。恐れていた二次障害は目の前に迫っていた出典 : 話は前後するが、分離不安を訴えるようになった直後の診察で、主治医の先生に相談しており、服薬治療を開始している。その時点では入院も視野に入れられていたほど、息子は不安定だった。12月の半ばのこと。東京でクールダウンしているとき、ひっきりなしに鳴る息子からの電話に応対しながら、私はぼんやりと考えていた。彼がこのようなことになったのは、悪夢のせいももちろんあると思う。でもきっと、それだけではないだろう。入学後、いつごろからかは分からない。苦手を克服しようと頑張って、少しづつ心を削り、こうなるまでに追い詰められていたのではないか。このままでは二次障害まっしぐら、いや、既にこれは二次障害ではなかろうか、と。過日、テレビで発達障害グレーゾーンについての特集が放送されていた。そこで、児童精神科医の先生が「できる・できないで判断してしまうと、グレーゾーンの当事者はできることが多い。でも、できるけど倍疲れていたり、倍の時間がかかってしまい、知らず知らずのうちに負担を抱え込んでしまう」という旨のお話をされていた。息子は診断済みだが、このパターンであるように感じている。倍の労力を使っていることは、見ただけではわからない。そしてできてしまうだけに「やればできる」「特性による苦手も、努力で克服できる」と判断され、場合によってはそれまで「できない、辛いからやりたくない」と発言してきたことさえ、「発達障害を盾にしたわがままであった」とされてしまうかもしれない。未診断であったものの、小学生・中学生時代の私も同様の経験をしている。そして原因不明の体調不良になり、始業から放課までを学校で過ごすことが困難な日が増えた。今にして思えば、これも二次障害だろう。私は従来からの学校教育や制度を批判したいわけではない。しかし同時に、「心を壊してまで通い続けるべき場所ではない」とも、強く思っている。「いつかは復学するかもしれない」と、声にはせずとも、私はどこかでほんのちょっぴり望んでいたのだろう。だからこそ繰り返される面談でも、きっぱりとした態度を取れなかったのかもしれない。その、願ったところでどうにもならない、建設的ではない考えを、私は捨てることにした。ようやく聞けた不登校の理由と、私の決断Upload By 鈴木希望現在息子は服薬治療を継続しながら、自宅学習をしている。精神状態が落ち着いたからか、先日、学校に行きたくない理由を、私に話してくれた。「もっと先に進みたいのに、自分のペースで進められない」といった学習面や「壁の臭いや音の響きが苦手な場所がある」という感覚過敏に加え、私にとっては少し意外な理由も明らかになった。「誰かが悪いことをしていても、それをしたいという人が多いと、みんなそっちに味方してしたり、あっさり考えを変える人がたくさんいるのが嫌」「男子と女子が仲良くしているだけでラブラブだとか言って、囃し立てるのが理解できないし、バカバカしい」「頭のいい人や運動ができる人が羨ましいからって、自分よりそれができない人をバカにして、勝った気になる人を見るのが悲しい」いわゆる「小学生あるある」「学校特有の人間関係」に、強いストレスを感じているようだった。大好きな友人たちの話を笑顔で語っていた息子が、かつての私のような思いを抱えていたなんて…。「それぞれの人のことは嫌いじゃないし、みんながみんなそうってわけじゃないよ。でも、そういう人が多い中で過ごすのは、悲しいし辛い。自分には山形のA君とか、東京のY君とその奥さんのTちゃん、神奈川のR君って友達がいるでしょ?たまにしか会えないけど、いろいろな話をできる友達がちゃんといる。それじゃあダメなの?自分が苦手な人を否定したいわけじゃない。ただ離れたいだけなんだよ」念のため申し上げると、息子は年相応、もしくはそれより幼い面も多分にある。しかし、他者を尊重しつつも自分の心を守りたいというこの願いには強く共感したし、それを大人の都合でねじ伏せる屁理屈なんて、考えたくなかった。「ダメじゃない。いいと思う、私は」正直、不安がないわけではないし、「本当にこれでいいのか」という思いが頭をよぎることもある。けれど今は、悩み抜いて息子が下した「学校に行かない」という選択が最善であると信じて、できる限り支えて行くのだと決めた。かつての自分が、それを望んでいたように。
2018年04月24日恋人がいる・いないにかかわらず、恋愛に悩んでいる人と悩んでいない人には明確に差があります。その差は主に「外見」「メンタル」「コミュニケーション」の3つの要素に分かれ、この3つの中で特にメンタルは重要です。なぜならメンタルが改善すると他の二つもドミノ式に解決されていくからです。ところが多くの人は、このメンタルの重要性に気づいていません。なぜなら見えにくいからです。そこで今回は、このメンタルについて掘り下げてみたいと思います。■不細工メンタルに共通する4つのこと不細工メンタルの持ち主(以降、不メ主)に共通することとして以下の4つが挙げられます。・責任転嫁が上手・必要以上に落ち込む・人の悪口、陰口を言う・プレイヤーにならずに批評家になる美人メンタルの持ち主(以降、美メ主)と比べながら順番に見て行ってみましょう。<責任転嫁が上手>不メ主は、自分の周りに起こったことに責任を持たずに誰かのせい、何かのせいにするのが上手です。美メ主は、自分の周りに起こったことを常に自分の責任にできます。誰かのせいにすることなく、自分の成長の糧にしていきます。<必要以上に落ち込む>不メ主は、失恋した時や恋人とうまくいかないことがあった時に、無駄に落ち込んで暗くなります。その気持ちのまま職場に赴き、周囲にネガディブオーラをまき散らします。美メ主は、落ち込むことがあっても、物事を後天的に捉えすぐに前を向きます。一個一個気持ちの整理をつけ、周囲に暗いオーラを飛ばすことがほとんどありません。<人の悪口、陰口を言う>不メ主は、平気で人の悪口を言います。対して美メ主は、人の悪口は絶対にいいません。なぜなら自分の言葉とメンタルの関係性をよく理解しているからです。美メ主はそれよりも褒め言葉や、感謝の言葉を口にします。そうすれば自分の表情が明るくなり、気持ちが良くなることを知っているのです。<プレイヤーにならずに批評家になる>不メ主は、口ばっかりが達者で行動をしません。批評家のようにいろんなところを指摘できるのですが、自分が何か行動するわけではありません。美メ主は、口よりも先に行動が先にきます。しのごの言わずにまずはやってみる、動いてみる。そういうマインドを持っています。■不細工メンタルの直し方は、直すと決めること以上、不細工メンタルの方の特徴をあげましたが、この中でも一個でも当てはまるものがあれば至急直したほうがいいと個人的には思います。なぜならこれらの不細工メンタルを持っているとデメリットしかなく、メリットが一つもないからです。ではどのように直したらいいのか、実はそこには答えはないのです。この記事を読んで直そうと思い、今日から直していく意識を持つことでしか直っていきません。まずは直すと決めること。これ以上でも以下でもないのです。(川口美樹/ライター)(ハウコレ編集部)
2018年04月04日過去の新聞をプリントすることで自分や大切な人の誕生日や記念日などが「どんな日だったか」「その日、何があったか」知ることができる「お誕生日新聞」。ママ会の企画、お誕生日の人へのお土産、両親の結婚記念日のプレゼントなど、アイデアによって広く活用できるこのサービス、コンビニのコピー機を使ってプリントすることができるんですよ。「お誕生日新聞」で知る、その日にあったできごと「お誕生日新聞」は、過去の日付を指定するだけで、その日に発行された新聞をプリントできるサービスです。自分の生まれた日はもちろん、両親の生まれた日、大切な記念日に何が起きたのか、トップニュースはなんだったのかを簡単に知ることができます。「自分の生まれた日に起きていたこと」は、ほとんどの人はあまり知らない情報ではないでしょうか。大きな事件が起こった日だったのか、それとも何もない平和な一日だったのか、これまでは図書館に行ってアーカイブスから調べなければいけなかった情報でした。たとえば天気予報が新聞に記載されていれば、自分の生まれた日の天気や気温までわかります。そんな「お誕生日新聞」は、コンビニのコピー機でプリントすることが可能です。「サークルK・サンクス」「ファミリーマート」「ローソン」のコピー機から、思いついたらすぐに入手できますよ。「お誕生日新聞」は特別な日のプレゼントにもぴったりこの「お誕生日新聞」、アイデアによって活用方法は無限大!「ちょっとしたネタ」にも、「センスのあるお土産」にもなるんですよ。参考までに、活用シーンをいくつかご紹介してみましょう●ママ会や赤ちゃん同士の合同バースデー小さな子どもがいると、合同でお誕生日会やママ会をすることもありますよね。そんなとき、それぞれの「お誕生日新聞」をプレゼントする、小さな企画はいかがでしょう。「このニュース見ながら陣痛に耐えてた!」「その日おぼえてるー!」「寒い日だったんだね〜」など、子どもが生まれた日を思い出して、ママ同士の会話も弾みますよ。●お誕生日や記念日のサプライズプレゼントに「自分の誕生日の新聞」を見てみると、どんな日に自分が生まれたかがわかって面白いもの。お誕生日会のちょっとした話題にもなります。また、両親の結婚記念日や出会った記念日など、何かのアニバーサリーのサプライズプレゼントに贈っても喜ばれますよ。●ファンの集いに好きなアーティストやスポーツ選手のファンミーティングに、「お誕生日新聞」を活用してみるのもオススメ。好きなアーティストや選手のお誕生日だって、ファンにとっては大切なものですよね。●子どもの自由研究のアイデアに「お誕生日新聞」は大正時代や昭和初期など、かなり昔のものでもプリントすることが可能です。当時の新聞を見てみると、その時代の言葉遣いや誌面の雰囲気がわかってなかなか興味深いもの。子供の自由研究などにも使える題材ですよ。実際に「お誕生日新聞」をプリントしてみよう!ではそんなお誕生日新聞、実際の入手方法についてご紹介しますね。まず、お誕生日新聞は「サークルK・サンクス」「ファミリーマート」「ローソン」に設置されているコピー機の「コンテンツサービス」メニューよりプリントします(一部店舗では利用できない場合もあります)。プリントできる新聞社は「朝日新聞」「読売新聞」「毎日新聞」「日本経済新聞」「沖縄タイムズ」「thejapantimes」のうち選択可です。操作方法は、基本的にガイダンスに従って進めていけばOKです。1.マルチコピー機のトップメニューより「コンテンツサービス」をタッチ2.「お誕生日新聞プリントサービス」をタッチ3.規約に同意の上「新聞選択画面に進む」をタッチ4.希望の新聞社をタッチ5.希望の日付を入力※「お誕生日」の日付が入った新聞も良いものですが、もし「お誕生日にどんなことがあったか」を知るには、プリントするのは「翌日の新聞」となりますのでご注意を!6.「両面印刷」もしくは「片面印刷」を選択7.内容確認の上、OKなら「購入」をタッチ8.できあがり!約1分程度でプリントが終了します。事前に予約するなど面倒な手続きは不要なので「今日、あの人の誕生日だ!」と思いついたら、すぐにプリントできますよ。実際に数種類プリントしてみたところ、特に印象に残ったのは我が子の「お誕生日新聞」。天気予報を見て「ああ、暑い日だったな」、高校野球の結果を見て「この試合、見たな」など、思い出すことがいくつもありました。そして、面白いのが広告欄やテレビ欄。当時話題になっていたことが甦るようでした。いつか子供にプレゼントして、生まれた日のことを話すのも良さそうです。片面(一面のみ)500円、両面(一面とテレビ欄)800円という価格なので、お誕生日や記念日のサプライズのお土産や、小さなプレゼントにもぴったり。ぜひ活用してみてくださいね。お誕生日新聞の詳細はこちら!●ライター下川尚子
2018年03月20日子どもが登校するとき、どんな声をかけていますか?いちばん子どもにとって嬉しいのは「いってらっしゃい!」とお母さんが笑顔で送り出してくれること。なるべく、よけいな言葉はつけ足さないほうがいいんじゃないかしらね。小学生にもなると行動範囲が広がり、親の目も行き届きにくくなってきます。つい心配で「忘れ物ない?」「寄り道しちゃダメよ!」など、あれこれ口うるさく言ってしまうこともあるのでは?もちろん、それ自体は悪いことではありません。子どもを思えばこそ出てくる言葉なんですからね。ただ、コミニュケーションのやりかたとしては、うまくないんじゃないかしら?おおかたの子どもは親が何を言ったところで「うるさいな」「わかってるよ」という反応。それどころか、無言で出ていく子もいるでしょう。親がよかれと思って口にした言葉で子どもが不機嫌になり、そんな子どもの態度を見て親のほうもイライラする…。こんなコミュニケーションを毎朝くり返すのは、もったいないと思うのよ。それより、持っていくべき物は自分で確認させ、失敗を通して成長させるほうが、よっぽどいいんじゃないかしら?結局、親がアレコレ言ったところで、子どもにとってはうるさいだけ。よけいなお世話なんですね。 シンプルに「いってらっしゃい!」と明るく送り出してもらうほうが子どもも気楽。毎朝ウンザリさせられるより、気分がいいはずよ。もちろん、「気をつけてね」「今日は、寒くなるらしいわよ」などの言葉をたまにつけ足すのはいいのよ。ただ、毎朝口うるさくチェックするような言いかたは避けましょうね。これは親のひとりよがりで一方通行のコミュニケーション。子どもの心には響きません。それより、シンプルな言葉で明るく送り出してあげて。毎朝のことですもの。よけいな言葉を口にしないで「いってらっしゃい!」と笑顔でね。気持ちよく明るい声で送り出してあげてくださいね。 名前に宿る運命◆あなただけの使命、絶頂期、最大のしあわせまで
2018年02月02日香取慎吾元SMAPの香取慎吾が、朝日新聞パラスポーツ応援・スペシャルナビゲーターに就任したことが28日、明らかになった。2020年東京パラリンピックの開催とその後の発展に向け、パラスポーツを応援し盛り上げていく。この日の朝刊に掲載された東京パラリンピック1000日前特集を皮切りに、香取による選手やパラスポーツを支える人々との交流や、パラリンピック競技の体験などを通じて、パラスポーツの魅力により深く迫り、報道していくという。香取は、稲垣吾郎、草なぎ剛と共に、日本財団パラリンピックサポートセンターのスペシャルサポーターにも就任。パラスポーツの認知拡大と普及促進に向けてさまざまな活動をしていく。
2017年11月28日「私自身、小学2年生から不登校になり、中学校はほぼ通っていません。リストカットをしたこともある、ひきこもりの経験者です。生きづらさを抱える女性に交流できる場所を提供したいと『ひきこもりUX女子会』(以下・UX女子会)を始めました」 そう語るのは、UX女子会・主宰の恩田夏絵さん(31)。UX女子会は、’16年6月〜’17年7月で計20回開催され、のべ700人もの女性が参加した、ひきこもりの自助会だ。UXとは、「ユーザーエクスペリエンス」の略。ユーザーであるひきこもり当事者が自分の体験を生かして発信することで、ニーズに合った支援を行うという理念を表している。 ’16年に内閣府が発表した調査結果によれば、全国のひきこもり人口は54万1000人。そのなかで男性は63.3%、女性は36.7%と、男性が圧倒的に多い結果が出た。しかし、この結果は対象年齢が15〜39歳で、主婦や家事手伝いは対象外になっている。実はこの調査には計上されていない、女性のひきこもりが数多く存在しているといわれているのだ。 「これまで、ひきこもりの自助会は参加者の9割が男性で、女性が本音で交流できる居心地のよい場所ではありませんでした。特にひきこもりの女性は、父親や学生時代の教師との関係にトラウマがあるなど、男性恐怖症の人も多いのです」(恩田さん) そうした経緯があり、UX女子会は“男子禁制”に。同じ経験をした女性が安心して集まり、ゆっくり語り合える場所を目指しているという。会の基本構成は、第1部が主宰メンバーの体験談、第2部が交流会。第2部はひきこもりを含む生きづらさを感じている当事者しか参加できない。10月初旬に東京・表参道で行われた会の第1部に、本誌女性記者が密着した。 14時、UX女子会がスタート。81人もの人が集まり、会場は満席。この日の第1部は、主宰メンバーの林恭子さんが出演したDVDの観賞会だ。林さんが高校時代からひきこもりになった経緯や、トラウマとなっていた母娘関係について語る映像が流された。 「私たちの体験談を聞いてもらうのは、同じ経験をした者同士なのだと改めて認識してもらいたいから。第2部で皆さんが話をしやすくする狙いもあります」(恩田さん) 休憩を挟み、第2部の交流会に突入したが、取材はNG。ここでは「親子関係」「働く」「自立」などのテーマを4〜5人グループで話し合う。話したくない人は無理をせず、聞いているだけでもOKだ。交流会が終わり、参加者に声をかけてみた。 2人の子どもを持つ朋美さん(48歳・仮名)は専業主婦。10年以上、ほぼひきこもり生活をしていたそう。 「ずっと1人で鬱々としていたけど、本当は自分以外の人の話も聞きたいし、私も話したかった。この会の存在を知ったのは2カ月以上前。行こうとしてはやめるのを4回繰り返し、勇気を振り絞って、今回やっと参加できました」(朋美さん) 会に参加するための体力をつけようと、自宅から少し離れたところまで自転車で行くなどの準備をしていたと、恥ずかしそうに明かしてくれた。恩田さんは、朋美さんのような参加者も多いのだと語る。 「常時、精神的につらくてしんどいと思っている人ばかりです。参加しても大丈夫か、きちんと交流できるか、浮かないか、そもそも電車に乗れるかなど、何度も葛藤を繰り返して、やっとの思いで来てくれる方がほとんどなんです」(恩田さん) 女性は共感性が高いため、自分の思いを他者と分け合うと、気持ちが軽くなる人も多いと、恩田さんは言う。 「主宰者の私たち自身も、人との出会いのありがたさを実感しています。自分の思いを表現して理解してもらい、相手の反応により他者を理解する。そうしてゆっくりと回復していけると信じています」(恩田さん) 本音で語れる仲間との出会いが、ひきこもりの女性たちに勇気を与えているーー。
2017年11月03日英ジョージ王子(4)の初登校日は順調だったようだ。7日、セント・トーマス・バタシー校に初登校したジョージ王子について、父親であるウィリアム王子は初日からうまくなじめていたと明かした。ウィリアム王子は子供に苦戦している親もいたとし、当日に行われたU-20サッカーイングランド代表のイベントに集まった報道陣に対し、「順調に行きましたよ。自分のお子さんに苦戦している親御さんがいらっしゃったので、自分じゃなくて良かったと思いました」と語った。そして、祖父であるチャールズ皇太子も孫の心配をしながらも、ウィリアム王子がいなくなった後、ジョージ王子はすぐになじんでいたと明かした。「かわいそうにね。なんとかやるように親に置いて行かれるんですから」「でも結果的には本人にとって良いことなんでしょうね。性格の形成とでも言うんでしょうか」ジョージ王子へ何かアドバイスをしたかという質問に対して、皇太子は「もちろんしませんよ。あの歳で私からのアドバイスなんて聞かないでしょう」「でもどう過ごしたかには興味があります。あの年齢では、もう少し大きくなってから抱える学校に行くことへの不安というのはそんなにないでしょうから」「新しい人達との出会いや散策が全てですよね」と答えた。ウィリアム王子との間にシャーロット王妃も持つキャサリン妃は、第3子妊娠によるつわりのため、初登校には同伴しなかった。(C)BANG Media International
2017年09月09日木曜日、ウィリアム王子に手を引かれてジョージ王子が「トーマス・バタシー校」に初登校した。第3子を妊娠中のキャサリン妃は姿を現さず、広報担当者は「People」誌に「残念ながら、キャサリン妃は体調がすぐれず、ジョージ王子の初登校に付き添うことができません。ウィリアム王子は予定通りにジョージ王子を見送ります」と伝えた。ウィリアム王子によれば、ジョージ王子の初日は「うまくいった」とのことだ。これから長期間に渡って共に過ごすクラスメートとの初対面を果たしたジョージ王子。「トーマス・バタシー校」の校長はジョージ王子を「特別扱いはしないし、ほかの児童と同じ」と言っていることから、ジョージ王子は学校内で「殿下」、「王子」ではなく、シンプルに「ジョージ」と呼ばれることになるようだ。名字は、父がケンブリッジ公ウィリアム王子であることから、「ケンブリッジ」と名乗ることに。ジョージ王子の通学カバンにも「ジョージ・ケンブリッジ」のネームタグが付いているのが確認されている。ウィリアム王子とヘンリー王子は、父のチャールズ皇太子がウェールズ公であることから、学生時代は「ウィリアム・ウェールズ」、「ヘンリー・ウェールズ」と名乗っていたそうだ。厳密にはエリザベス女王とフィリップ王配の子孫の名字は「マウントバッテン=ウィンザー」だが、日常生活で使用することはまれだという。(Hiromi Kaku)
2017年09月08日学校が始まりました。とは言っても午前中で終わるので本番は2日目からかな? 今朝は私も子供たちもアタフタしてました(笑)。(左手でボタン押しちゃってるのすみません)正確には体操着や外履きは今日持って行かなくても良かったのですが、赤白帽子持っていくついでに体操着も一緒に持っていくってことになり、内履きと外履きはセットで持って行きたいよねってことになったりと、そんな感じでここまでもりだくさんな荷物になってしまいました(汗)。これで学校までは歩くのきつそうだと思って送ってあげたんですが、同じことを考えているママさんがたくさんいたようで、学校の前には車がいっぱい止まってました(笑) 。明日から絵の具道具とかも少しずつ運んでいく予定です。こまめとのまめは大丈夫だったけど、すでに学校の靴が小さくなってる子もいたようで、夏休み中に買いなおしたってお母さんもいましたし、子供の成長ってすごいですね! 夏休みが終わる前に一回履かせてみるのをおすすめします!
2017年09月02日不登校の子どもたちの高校進学事情出典 : 不登校の親の会でこんな話を聞いたことがあります。不登校の子どもたちは「高校には行きたい」と希望するものの、なかなかパンフレットを見ようとしなかったり、学校見学に行っても門の前でUターンしてしまことがあるそうです。だから進学が決まるのがギリギリになるケースが多いと言います。我が家のアスペルガー症候群の診断を受けている娘も小学校2年生から不登校。中学校2年生まではほとんど勉強もすることなく毎日を過ごしてきました。そんな娘も中学校3年生になり進路を考える段階にさしかかっています。実は中学2年生のとき、特別支援コーディネーターの先生が、娘に合いそうな高校を3つセレクトしてくれていました。しかし、その頃の娘は、進学を現実のこととして考えるのは難しい様子で、自分からパンフレットを見ることはありませんでした。時期が早かったというのもあったでしょうが、「ああ、親の会で聞いた通りだな」と思った私は、「高校のパンフレットはここに置いておくよ」と声だけかけて、しばらく待っていました。親の会の先輩お母さんたちからは、「親は早めに準備しておくといいけれど、逆に子どもたちはそっとしておいた方がいい。」「進学したいと口では言っていても、気持ちが追い付いていないことがあるから、子どもに言われたときにすぐ資料を用意できるようにしておいて、あとは見守る方がいいよ」と聞いていました。だからパンフを開こうとしない娘を深追いしても、余計に心を閉ざしてしまうと思い、そっとしておくことにしたのです。進路を決めるまでの気持ち出典 : つの学校を提案された時点では、「せっかく先生が選んでくれた学校だから信頼できる。全部見てみたい。」と積極性を見せていた娘。そんな言葉とは裏腹に、自らのパンフレットを開くのは、かなりのパワーが必要だったようです。ひとたびパンフレットを見てしまったら、それまで漠然としていた未来が急に現実味を帯びて、ありありと迫って来るように感じられたのでしょう。娘の「ちょっと待って、もうちょっとだけこのままでいさせて」という気持ちがうかがえます。「そのうち見るから」といいながら憂鬱そうにパンフが入った袋を置く娘。その姿を見て「高校のことを考えるのって、この子にとってはこんなに負担のかかることなんだ。」と思い知りました。「パンフレットを見るだけなら簡単でしょ」と無理やり娘に見せようとする気持ちがわき起こらなかったわけではありません。それをしなかったのは、脳裏に浮かぶ先輩ママの体験談の数々があったから。不登校ならではの葛藤、本人たちも精一杯頑張ろうとしているのにうまくいかないつらさあることを知っていたので、「私も気長に頑張ろう」と思ったのでした。そんなとき、ソーシャルワーカーの方と面談中の「娘の高校の件で悩んでいる」と言うと、「梅雨までに一緒に見学に行ったほうがいいですよ。梅雨に入ってしまえば動きにくくなりますし。」とアドバイスされました。ソーシャルワーカーは娘とも面識があり、我が家の内情をよく知っています。娘をそっとしておこうという気持ちはあったとはいえ、信頼している福祉のプロからのアドバイスなら試してみようと、思い切って私は娘に期限を提示することにしたのです。「梅雨までに一つだけでも見学に行きたいから、どこに行ってみたいか5月中に決めてくれる?」すると、娘もお尻に火が付いたのか5月後半から学校案内のパンフレットを見始め、末日までに「この高校を見に行きたい」と言ってきたのです。いざ見学へ出典 : 娘が選んだその学校は自宅から自転車で通うことができます。そこはもともと塾だったところで、今は通信制高校の技能連携校になっています。技能連携校というのは、通信制高校の分校のようなところで、通信制高校と技能連携校の両方に入学することで、技能連携校の方で卒業に必要な出席日数、レポート提出、試験をすべて済ませることができるそうです。とてもアットホームな雰囲気で、小さな教室がいくつかあり、授業は昼から行われていました。制服もなく、生徒さんが好きなときに来て、自分のペースで学習している、そんな様子でした。学校は頻繁に出かけるなじみのある地域にあったので、娘はいつものTシャツにジャージ素材の半パン、草履といった格好で、気負った様子もなく家を出ました。ただし、非常用の腹痛の薬はしっかりかばんにいれていたところを見ると、不安の気持ちがなかったわけではないのでしょう。学校の入り口についても、「入り口はここだよ~」「お~」という感じでリラックスしています。2人で雑居ビルのワンフロアにある学校に入ると、校長先生がニコニコして応接スペースに案内してくれました。ここの校長先生は息子さんの不登校を経験しており、不登校に理解の深い方です。在校生が入れてくれたお茶を飲みながら、さりげなく校長先生と娘の面談が始まりました。「ここは昼から1時間だけ授業があります。できれば週5日来てくれたらいろいろな勉強ができますが、しんどかったらもっと少なくても大丈夫。」という話を聞いて娘もホッとしたようです。応接スペースからも、教室の様子をうかがうことができ、学校の雰囲気がよくわかった娘は安心したようです。あまり学校らしくないというか、小さな塾といった雰囲気なのもよかったのでしょう。学習室も見せてもらいました。棚にはカリキュラムに沿ったプリントと、それを理解するための教科書や参考書がセットで置いてあって、来ている子は順番に黙々とこなしていました。娘が「私は勉強していないから小1からやらないといけないかもしれない」というと、「大丈夫。みんな小学校の勉強から始める子がほとんどだからね。」と言われました。実際、小1レベルから対応しているそうです。また話の最中にびっくりしたことがありました。面談中に「体育の時間はテーマパークに行ったり、 ボウリングに行ったりするんだよ」という話が出ました。すると、娘は「それは行かなくてもいいですか。 人が多くてザワザワしていたり、トイレにすぐに行けないようなところに行くのは嫌なんです。」 とはっきり答えました。初めて会った先生に、はっきり自分の気持ちを言葉にした娘を見るのは初めてで、その様子から娘がいかにリラックスしているかわかりました。また、そこの学校に入る予定の人には、慣れるためと少しずつ勉強を始めるために付設するフリースクールに入ることを勧めていると聞かされました。どうやら普通のフリースクールというよりここの学校の補助的な役割をする塾みたいなもので、スタッフも場所も、この学校と一緒ということです。校長先生の「学校に入るまでここで少しずつお勉強してみませんか?」というお誘いに、「どうする?」と娘に聞いたら「行く」と即答。結局、その日のうちにフリースクールに入学することになりました。帰ってから、「どこが気に入ったの?」と聞くと「うーん、なんとなく。 ママもそんな感じやろ」と最初は言っていましたが、しばらく経つと「あのゆるい雰囲気がいい」「電車に乗らなくてすむのがいい」とポツリポツリと語っています。彼女にとって安心できる場所だと判断したのでしょうね。進路が決まってから出典 : それからすぐに週1回フリースクールに通うことになったのですが、1回行くととても疲れるようで、次週はお休みすることが多いです。だいたい月3回ペースでしょうか。私も本人が「もういいよ」と言うまで続ける覚悟で毎回付き添っています。毎回疲れ果てているものの、雰囲気はやっぱり合っていたようで、リラックスして過ごしているなと感じます。ことあるごとに「ママ、高校の予定表ある?」と聞いてきたりして、積極的に高校のことを意識しているようです。心はすでに高校に行ってますね。親としては、中学を卒業しても行くところができて一安心といったところです。フリースクールに行くようになったのもうれしいですね。あとは体力と学力が少しずつでもついてくれればいいのですが、それこそ気長に待とうと思います。不登校の子どもの進路について娘の場合、早いうちから進学する学校の候補を知れたことが大きな助けになったと思います。それによって余裕を持って娘の気持ちが熟すのを待つことができました。また親の会で不登校の子どもの傾向を知っていたことで、無理強いはせず、大切なことは面と向かって本人と話し合うことにつながりました。これらの経験から、早めに学校の先生と進路について話し合うことをお勧めしたいと思います。また親の会などで口コミ情報を聞くのもおすすめです。そうすることで将来のことがイメージできて、親も落ち着いて受験生となった子どもと向き合うことができます。また、この時期には本人の気持ちの揺れも起こることがあると思います。余裕を持って準備をしておけば、子どもも入学に備えて心構えをすることができるので、自分の希望やライフスタイルに合った学校を落ち着いて選べるメリットがあると思います。不安な気持ちに押しつぶされそうなのは親だけではありません。不登校の本人も不安と戦っています。葛藤のさなかにいる子どもを叱咤するのではなく、認めてあげながら次の一歩を一緒に考えてあげることが、進学という大きな節目を乗り越える力になるのかもしれません。
2017年09月01日7月31日、Twitterに「安倍総理逮捕」と書かれたデマ新聞記事画像が『産経新聞社』の「PDF号外」を装いアップロードされる事案が発生。産経新聞社は「極めて悪質」と遺憾の意を表明しており、法的措置も検討しているようです。事案は今のところ進展を見せていませんが、今後、投稿主はどのような罪に問われることが予想されるのでしょうか?法律事務所アルシエンの清水陽平弁護士にご意見を伺いました。Q.安倍総理の「ニセ新聞記事」事件、投稿主はどのような罪に問われる?*画像はイメージです:名誉毀損罪、威力業務妨害罪が成立する可能性があります。「記事の内容が“安倍総理逮捕”といったものであるため、単純に考えると安倍首相が刑法に抵触する違法行為をした疑いがあるということで逮捕されたと認識されることになるため、安倍首相との関係でその社会的評価を低下させることになります。そのため、安倍首相に対する名誉毀損罪となる可能性があります。ただし、名誉毀損罪は親告罪であるため、安倍首相が告訴しなければ、実際上は捜査もされないと思われます。偽の号外を出された産経新聞としては、それが偽なのかどうかは一見して明らかとまではいえないと思われることから、デマを報じていると認識されることになります。そうすると、産経新聞に対しては抗議や確認の連絡が多数された可能性もあります。このような問い合わせに対する対応が必要になったという点で、業務が妨害されているということができます。したがって、偽計業務妨害罪が成立する余地があります。また、報道機関としての存在意義を否定されるなど、報道機関としての正当性に疑問を持たれてしまう可能性がある点で、産経新聞の社会的評価も低下していると言い得ます。したがって、名誉毀損罪が成立すると見ることができます」(清水弁護士) 今回の事案は名誉毀損罪、威力業務妨害罪などが成立する可能性があるとのこと。公人・私人問わず人の名誉を傷つけるような投稿は、止めるようにしましょう。また、仮に自分がデマ被害に遭っているという場合は、名誉毀損罪や威力業務妨害罪で訴えることができるかもしれません。弁護士に相談をしてみましょう。 *取材協力弁護士:弁護士 清水陽平(法律事務所アルシエン。インターネット上でされる誹謗中傷への対策、炎上対策のほか、名誉・プライバシー関連訴訟などに対応。)*取材・文:櫻井哲夫(フリーライター。期待に応えられるライターを目指し日々奮闘中)【画像】イメージです*Graphs / PIXTA(ピクスタ)
2017年08月19日子どもが中学生になると思春期を迎え、いろいろな問題も出はじめます。その中で不登校になる子どももいるでしょう。昔は、学校へ行かないなんて言語道断でした。そんな甘えは許されない、親が首に縄をつけてでも引っ張っていく…。そういう感覚が強かったんじゃないかしら。でも、いまは状況が違ってきているようです。無理をせず様子をみる、というのが大きな流れのような気がしますね。確かに、子どもがイヤがる場所に何が何でも通わせる、というのはよくないと思いますよ。その子にしてみたら学校に通うことが死ぬほどつらいのかもしれません。大人にはわからない子どもなりの事情もあるでしょう。そういう気持ちを親が無視することは、子どもの信頼を裏切ることになります。もちろん、親は子どもの将来を心配すればこそ学校へ通わせようとするのよね? でも、世間の体裁を気にする気持ちが、その中に隠れている場合もあると思うのよ。「みんな、ふつうに登校しているのに、なぜうちの子だけ…」という感情が出てきてしまうのね。 その気持ちもわかるけれど、これだけ時代のスピードが速いんです。親側の意識を変える必要もあるんじゃないかしら? 過去の常識にしばられて子どもの可能性をつぶしてしまっては、何にもなりませんからね。特に、いまの時代は選択肢が多いでしょう?転校したり、フリースクールへ通わせることもできます。その子に合った学校へ通わせてあげられれば、それがいちばんです。もちろん、ただのワガママに親が振り回されるようではいけませんよ。そんなことをしていたら、それこそ子どもの生きていく力を奪うことになります。親は、子どもがひとりで生きていくために必要な「たくましさ」を育む責任があるの。甘やかされて困るのは、その子自身ですからね。とにかく、一度くらい不登校になったからといってあきらめないこと。学校は、ひとつだけではないんです。子どもに学校を選ばせ、自分が選んだからには最後まで通わせる、という選択もあります。大事なのは、家に引きこもらせないこと。他人と触れ合う機会をなくすことは、子どもにとって大きな損失ですからね。ただ、それでも引きこもってしまった場合は専門家へ早めに相談するなどして、長引かせないことを考えてください。子どもには子どもなりの理由があるはずです。親が子どもと根気よく向き合うことが、何よりも大事なことですからね。 2017年下半期の運勢を≪全網羅≫新宿の母が贈る珠玉の人生鑑定
2017年08月18日学校は何のために通うものなのだろうか。学校に通う理由について考えたことはあるだろうか。就学時の年齢になれば誰もが学校へ行くことになり、それを当然だと思ってきた人は多いだろう。それゆえ、なぜ自分は学校に通っているのかと普段意識的に考えてこなかったかもしれない。しかしその当然の枠組みがあるがゆえ、学校に来ない者は怠けている、ずる休みをしていると決めつけられることもしばしばある。不登校は決して稀なことではなく、2016年度の文部科学省の調査では全国に約12万人の不登校者がいると示している。(参照元:文部科学省)学校はみんなが通わなければいけないものなのか。不登校から起業家へ不登校とは年間30日以上の欠席者のことを指すが、小幡さんは全く学校に来ない子から、学校に行きたくないけど行かされている子たちまで、不登校に対してグラデーションのような見方をとっている。つまり、学校に来れない、いわゆる不登校の子たち以外にも本当は学校に行きたくないけど行かされているような子たちもプロジェクトの対象としているということだ。それは例えば、たまに学校に来たり来なかったりする子や、保健室を多く利用する子、本当は学校に通うことが辛いと感じているのにそのサインが全く見えない子どもたちである。不登校という選択を自分でできた子どもはとりあえず大丈夫だが、学校へ行きたいのに行かされていたり、行きたくないと言い出せない子が少なからずおり、そのようなタイプの子どもにこそ手を差し伸べる必要があると彼は考える。居場所とは…。小幡さんは学校に行けるならもちろん行った方がいいけれど、学校に行かないという選択をすることのメリットもあると考える。学校以外にもたくさんの世界があって自分の居場所を見つけられることを自身の経験から伝えようとしているのだ。彼自身が当時、学校に居場所を見出せず家でゲームばかりしていた。しかし、フリースクールなど学校以外のコミュニティで楽しく過ごせ、高校生時代の人との出会いをきっかけに企業してしまった。彼は学校以外の世界に目を向ければ、他の場所で自分の居場所を見つけることができるということ、あるいは自分で自分の居場所が作れるということを本で伝えようとしている。不登校を経験した者だからこそ、伝えられることを小幡さんは伝えようとしている。そして「今ではこんなに楽しいよ」と自身が居場所を見つけたことを行動で示している。大人と比べると、子どもにははるかに制限が多い。閉鎖された子どもたちの社会のなかで、見えなくても苦しんでいる子がいるかもしれない。だから不登校=ずる休みと考えるのではなく、休まざるをえなくなったその背後に隠れている原因を探すべきではないだろうか。学校に居場所がないと感じているならその子が居場所を見つけられるようにサポートをするべきなのではないだろうか。いろんなんことを経験してきた大人だからこそ、改めて学校に行く理由を考えてほしい。子どもにたくさんの選択肢があることを教えてあげることが大人の役目なのだから。 小幡さんの不登校に対する考えに共感した方、彼と同じように自分も居場所に悩む子どもたちをサポートしたいと考える方は、彼の実体験を書いた本を学校の図書館に届けるクラウドファンディングプロジェクトにぜひご協力をしていただきたい。「見ず知らずの僕が学校に送っても、おそらく相手にしてもらえない」と考えた小幡さんはみなさんの力をお借りしたいそうだ。ご支援いただくと、リターンとして完成した本を2冊お返しする。1冊はみなさんの分。そしてもう1冊はみなさんの母校に寄贈して欲しいそう。見ず知らずの誰かが書いた本ではなく、卒業生からの贈り物として学校に届けることで、図書館に置いてもらえるのではないかと考えているからだ。詳しくはこちら。
2017年08月15日中学不登校だった僕が出会った“通信制高校”。そこは、自分の興味を思いっきり追求できる場所だったUpload By 吉開拓人こんにちは、現在大学生で、プログラマーとしても活動している吉開拓人といいます。これまで、ベンチャー企業でのロボットの開発などに携わってきました。開発に携わったロボット「Gatebox」今でこそ、大学生活にエンジニアの仕事にと充実した毎日を送っている僕ですが、実は中学から約3年半の不登校経験があります。そんな僕がプログラミングに打ち込み、そして大学進学という目標を持てた理由の一つには、「通信制高校」という選択肢があったことがあると思います。通っていたのは、長野県にある通信制高校「コードアカデミー」。国語や数学といった通常の高校の授業科目だけでなく、プログラミング教育に力を入れた学校です。2014年に開校されたばかりでまだ歴史は浅く、僕が卒業第一期生です。コードアカデミーでの日々はとても充実していました。自分の好きなことや楽しいことに3年間ずっとノンストップで取り組むことができただけでなく、面白い生徒にたくさん出会えましたし、その人たちから普通の高校に通う以上の良い刺激をたくさん受けとることができました。今回は、僕自身の「コードアカデミー」での高校生活をお話し、不登校であったり、学校に行く理由を見出せないでいる中高生の後輩たちに向けて、通信制高校のポジティブな活用方法をお伝えできればと思います。「勉強する目的が分からない」ー3年半の引きこもりから、プログラミングという道に出会うまで出典 : 通信制高校へ通うようになったキッカケは中学生のころまでさかのぼります。僕は中学生1年生の時から、家に引きこもるようになりました。学校に行かなくなった理由は人間関係などではなく、「勉強する目的が分からない」から。小学校と違い中学にあがってから大きく変わるのは勉強への姿勢。周りは受験モードに切り替わり、勉強に力を入れる人が増えていきます。友達が塾に行き始めるのをみて「自分も勉強をがんばらなくては」と焦燥感をかんじ勉強に向かってみたものの、目的を定めずに何かをすることが苦手だった僕は、目的のない受験勉強をし続けることに対しもやもやとした疑問を抱き始めます。そしてついに中学一年の秋、糸が切れたように通学ができなくなってしまい、そこから3年以上もの間引きこもり生活が続きました。ですが今振り返ると、この不登校経験は僕の人生のターニングポイントとなったかけがえのない時間だったと思います。一日中ゲームをしていた僕に、父が「そんなに好きなら、自分でゲームを作ってみれば?」とプログラミングの専門書を買ってくれ、僕がエンジニアになるきっかけを与えてくれたからです。※詳しくは、以前発達ナビでインタビューしていただいたコラムでお話していますので、こちらも併せてご覧いただけると嬉しいです。プログラミングに特化した通信制高校がある?ニュースを見てすぐに入学を決意出典 : 引きこもり始めて3年の月日が経った頃、「まだ学校に行きたくはない」と中学卒業後も家で過ごしていた時のこと。ふと目にしたのが“通信制高校「コードアカデミー」開校”のニュースでした。コードアカデミーは、日本でも稀なプログラミング科目を導入した高校です。国語や数学、英語といった普通科目とプログラミング科目の授業はネットで受講し、メールで課題を提出。あとは半年に一度、約5日間長野県にある本校で授業とテストを受けて単位を修得します。卒業に必要な単位を取れれば高校卒業資格が取得できるので、大学を受験する事が出来ます。さきほどお話した通り、不登校生活で一番力を入れてたのがプログラミングの勉強だったこともあり、このニュースを見たときは飛び上がるような気持ちになったのを覚えています。将来のために今以上のプログラミング技術が学べるかも…ここだったら自分のやりたいことに向かって努力できるはず。高校に通うならここしかない!不登校になる前と違い、勉強することに大きな目的を持てた瞬間でした。すぐさま資料請求し、願書を提出。入学が認められ、記念すべき第一期生としてコードアカデミーに入ることになりました。コードアカデミー高等学校通信制高校のイメージを変えてくれたのは、魅力的な同級生との出会い出典 : 「やりたいことができる!」と入学を決めたものの、正直に言うと僕自身も通信制高校にまったくネガティブなイメージを持っていなかったといえばウソになります。就職や進学には明らかに不利だし、世間にもあまり良いイメージは持たれていない…全日制の高校には確実に劣ると思っていました。少し不安な気持ちも残ったまま入学式初日を迎えた僕ですが、そんなイメージを180度変えてくれた出会いがありました。コードアカデミーの本校は長野県にあり、そこで行われた入学式の日のことです。同じく第一期生として入学式に参加していたK君と出会いました。彼は通信制高校に対してとてもポジティブな考え方を持っていたんです。「通信制高校と普通の高校の違いは、時間を自由に使えること。好きなように予定を入れて行動できる。やりたいことのために時間を有効活用できるのは大きなメリットだ。」社会問題やインターネット文化に興味があった彼は、とても好奇心旺盛。学校外でやりたい事がたくさんあった彼は、昼間の時間を「やりたい事」に使うために通信制高校を選んだのだそうです。昼間の時間は、気になるビジネスに取り組んだり、旅に出たりとアクティブに過ごしたいと張り切っていました。彼の考えは僕にとってとても衝撃的で、それでありながら僕の胸にストンと落ちるものでした。「平日の時間を有効に使えること」をどう活用するか、それが高校生活を有意義なものにするかキーポイントになっているのではないか……だったら、僕も彼のように通信制高校の環境をポジティブに活かせるように行動すればいい。この考えに出会ってから、僕の通信制高校に対するイメージは大きく変わり、結果、高校生活も充実したものになっていきました。自分で目的を持って通信制高校を“活用”してみたところ…出典 : ここからは、実際に僕が「コードアカデミー」で行動してみて体感した、通信制高校のメリットをご紹介したいと思います。学校の中の友達や繋がりは大事ですが、それだけに限られてしまうと、思考も限定されてしまいます。僕はできるだけ外に出ました。フリーランスのエンジニアの方々に会ったり、カフェで店員さんとおしゃべりしながら作業したり、平日に開催されるイベントに参加したり…通信制の平日の時間が使えるというメリットをフル活用したのです。全日制高校と違って単位制で履修の時間を自由に決めることができるからこそできたことです。また、僕は空いていた平日の時間の大半を「仕事」の時間に使っていました。働く目的は、遊ぶお金がほしいからではなく、将来に向けてプログラミング技術を磨くこと。むしろお金はおまけのような感覚でした。高校生でもプログラマーとして働ける会社を見つけて勤務していたのですが、そこで学んだことはとても大きかったです。毎日社会人といっしょに仕事をする機会をもてるのは、まさに通信制高校ならではのメリットだと思います。ほぼ毎日仕事をしていましたが、働くこと自体が楽しくて仕方なかったので、遊ぶ時間は必要ありませんでした。プログラマーとしての業務に必要なのは「コミュニケーション」と「勉強」です。仕事を通じて、その2つのスキルはどんどん磨かれていきました。この経験は社会人スキルとして一生活きていくでしょう。新しい人に会って新しい友達が出来ると、新しい情報を知る事が出来ます。そして多くの人から自分の知らない世界を教えてもらうことにより、自分のやりたいことが新しく見つかる場合もあります。もちろん時間はたっぷりあるので、そのやりたいことにすぐさま取り組むこともできます。やりたいことにフットワーク軽く、自分の満足のいくようにひたすら模索できるのは時間を自由に使える環境があったおかげだと思っています。今の大学に行くことができたのも、志望大学の先輩方に会って将来の夢を語り、受験の相談に乗っていただけたから。夢の実現のために自由に動ける時間が得られたのは、とても良かったと思っています。僕の高校時代は自由そのものでした。そして何も出来ないのび太くんだと思っていた自分でも、時間の使い方を理解し、使いこなす事が出来れば、どんなことでも出来るようになると分かりました。エンジニアは生涯勉強し続けなければいけない職業です。勉強し続けるには仕事と休みの合間に勉強の時間を作らなければいけません。それは自分の限られた自由をマネジメントするということです。高校時代、平日いつ・どこに行き、誰と会うのも自由。全て自分で選択して生活してきたお陰で、自分の自由をマネジメントする癖が付きました。その能力はこれから先、エンジニアの僕にとって大きく役に立ってくれるはずです。不安も失敗もあった。でも勇気を持って挑戦すれば、その経験はきっと自分の財産になるUpload By 吉開拓人そんな高校生活を経て、僕は今年4月に慶應義塾大学の総合政策学部に入学しました。「目的のない勉強」が嫌で学校に行かなくなった僕にとって、大学の「目的のある勉強」は楽しくて仕方がないです。興味はテクノロジー以外の分野にも広がっており、今後も高校生活で得られた行動力をもとに活動の幅を広げていきたいと思っています。僕の高校生活を転換させてくれたKくんは、在学中、自分の興味の赴くまま全国を駆け回り、フィールドワークをしていました。卒業後は早稲田大学に進学。そんな彼の最近の口癖は「情報は足で稼ぐもの」、まさに有言実行を貫いていました。Kくんだけでなく、他にも自分の興味のある領域を研究する時間に使い、学問を究めるため大学に進んだ人もいます。このように、みんな自力で進路切り開いていきました。大学生、社会人となるにつれて、ますます学習が大切になっていきます。それを両立させるためにも、僕らが通信制高校で身に付けた「自分の時間を管理」する能力が役に立ってくれるはずです。通信制高校に入って将来が不利になるのでは……と心配になることもあるでしょう、でも実は、全日制高校でなければ出来ないことより、通信制高校でなければ出来ないことの方がたくさんあると思っています。もちろん僕も、ただ順風満帆な高校生活を送っていたわけではありません。たくさん失敗もしました。でも、その失敗も今の自分には必要不可欠なことだったと思っています。そのおかげで、最近は失敗するのがそんなに恐くなくなりました。上手く活用すれば、普通の高校生が見たこと無いような景色を見たり、やれない事をやったり、出会えない人と友達になれます。時間と場所の制約がなければ自由な発想力が身につきます。その結果、好きなことを仕事にしたり、好きな分野を研究したり、興味を持ったことは何でも挑戦出来るんです。この高校生活で得られたモノは、ずっと自分の武器になるはずです。もし高校の勉強に時間を奪われ、自分のやりたいことが出来ないと感じているなら、通信制高校の入学を検討するのもいいかもしれません。僕の体験談が、少しでもお子さんやご自身の進学先選びの参考になれば幸いです。
2017年07月14日そんなに不登校が怖いですか?出典 : 我が子が不登校になって日が浅い…。そんな親御さんによく見られる様子があります。「もう1ヶ月も学校に行ってないんです。このまま行けなくなったらどうしよう...」「せめて朝ちゃんと起きて欲しい」「勉強だけでもしてくれなければ心配で...」といった反応です。でも、これって結局「不登校していても体や心を休ませないで、いつでも学校に戻れるようになって」というメッセージを子どもに送ってしまっていることになると思います。うちも、娘が小学校2年生で不登校になったときは、周りから「勉強が遅れたら大変よ」「甘やかしていたら本当に学校に行けなくなるわよ」「将来進学や就職ができなかったらどうするの」と言われていました。なので、不登校の子を持つ親御さんたちが周りから受けるプレッシャーのつらさはよくわかります。それを承知で言わせていただきますが、そんなに不登校が怖いですか?怖がっているのは「学校へ行かないとまともな大人になれない」と思い込んでいる親御さんだけではないですか?どうして不登校になるのでしょう?出典 : 大人も子どもも、エネルギーがなみなみと入ったコップを心に持っていると想像してください。職場や学校、家庭などでストレスにさらされ続けると コップの中のエネルギーはどんどん減っていってしまいます。でも、底をついてしまう前に環境を調整したり、たっぷりと休養を取れば、コップの中のエネルギーはまた溜まっていきます。ですが、そのまま何も手を打たずに無理を続けるとコップは空になり、ついにはマイナスの状態になってしまうのです。私も、発達障害の二次障害で神経症になったときに、主治医に「あなたのエネルギーはマイナスの状態です。そこまで行ったらプラスになるには、マイナスになるまでの倍の時間が必要です」と言われたことがあります。不登校になる子どもたちも、 コップのエネルギーがマイナスになった状態だと思います。行けなくなったときには、すでに何らかの原因で疲れ切ってしまっているのですよね。うちの娘も私が気づいたときにはコップのエネルギーはマイナスになっていて、 朝起き上がることもできなくなっていました。本当は気づいていたのに、どうして休ませてあげなかったんだろう。のちにそう後悔することになりました。ようやく少しずつ動けるようになってきたのは中学2年生のとき。期間にして5年ほどかかったことになります。ただ、今でも体調には波があり完全に元気になる見通しはまだありません。どうしても学校というシステムには合わない子もいます出典 : 学校というところは、子どもたちに一斉に同じ課題を与え、それをこなしてついてくることを要求します。そして誰とでもみんな仲良くしましょうと指導します。それは実際にはとても難しいことで、学習についていけなくなったり、友達付き合いがうまくいかなくなったりする子が一定数出てくるわけですが、先生はなかなかそこまで面倒を見てくれません。先生たちは忙しく過労気味。職員室でも自分のクラスの悩みを打ち明けられない先生が増えているそうです。脱ゆとり教育、早期教育の負担は確実に学校を蝕んでいっているのでしょう。子どもたちはそんな体制に窮屈さを感じ、ストレスを抱え込んでそれを弱い子にぶつけます。そんな中でサバイブするには、ある程度のメンタルの強さや適応力、いい意味での鈍さなどが必要になります。ストレスを感じても、うまくかわしながらやっていける子がいる一方で、真面目で繊細な子ほど学校という場に起きている矛盾にぶつかって「行きたくない!」となってしまっているように見受けられます。不登校はいつ終わるのでしょうか出典 : 不登校がいつ終わるのか。正直、こればかりはわかりません。義務教育が終わり、高校進学を節目として立ち上がるになる子は多いですし、もっと早い段階で学校へ戻る子もいます。逆に、通信制高校などに進学してもスクーリングに行けず退学してそのまま引きこもる子もいます。高校、大学で不登校になる子も増えているようです。ただ、みなさんが恐れるように、不登校からそのまま引きこもりになる子も少なくないのが現実です。ですが、親の会で当事者の青年に話を聞くと、引きこもっている間も「何とか世間とつながれないか」と自分の頭で必死に考えています。「これでいいや」と思っている子はいません。 無理に引っ張り出すなど不適切な対応をしない限り必ず自分の力で立ち上がります。5年遅れて高校に進学して大学へ通っている子、引きこもっていたけれど居場所を見つけて週3日アルバイトをしている子、30歳を過ぎてから当事者活動であちこち飛び回っている子、私が行っている親の会だけでもいろいろなケースがあるのです。ぐるりと回り道はするけれど、人一倍真剣に「なぜ生きるのか、どう生きるのか」考え、自分のペースで生きていく、そんな生き方があってもいいのではないでしょうか?私がたどり着いた答え出典 : 親は「子どもは学校に行って育つものだ」と思っています。 私もそうでした。不登校になるということは安心できるレールを外れて、どこをどう走るかわからないトロッコにのる感じです。だけど、親が「学校第一」の価値観を持ったままで、家の中まで学校の価値観でいっぱいにしてしまったら、学校へ行けない子どもはどこで生きていけばいいのでしょうか。私も娘が学校に行っている間は、家の中が学校化してました。「宿題はできたの?」「もっと丁寧に字を書きなさい」「ちゃんと明日の用意をして」「先生に怒られないようにちゃんとやりなさい」って。これがどれだけ学校がつらい子どもたちを追い詰めていたか、親の会に行くようになり、不登校中に死のうとした当事者の青年たちの声を聞いてよくわかりました。どうかお子さんが不登校になったら、まずは黙ってゆっくり休ませてあげてください。そして、一直線に学校に通う以外の生き方もある、そういう生き方しかできない子どももいるということを理解してあげて欲しいと思います。今は大人でも仕事で追いつめられて、精神を病んでしまう人が多い時代です。親世代の頃よりも世の中は確実に生きにくくなっていて、それは子どもの世界にも浸透しています。大人も子どもも苦しいのです。だけど、コップの中のエネルギーがたまれば人はまた立ち上がります。さんざん我が子を追い詰めて病気にまでさせてしまった私が、今やっとたどり着いた答えです。
2017年06月23日こんにちは、ママライターのましゅままです。忙しいワーママは、不本意ながらも子どもよりママのほうが早く家を出なくてはならないこともありますよね。子どもに一人で登校までの時間を過ごさせるのは、ちょっと心配事が多いもの。でも、そんな心配もちょっとした工夫で乗り越えることができるんです。今回は子どもの登校より早く出勤するママがしている工夫をご紹介します。●子どもの登校より早く出勤しているママがしている工夫●(1)戸締りは休みの日も子どもの担当にしている『戸締りは休みの日も子どもの担当にしています。そのため、戸締りは一人でできていますが、たまに戸締りし忘れていることもあります……。エアコンはタイマーにしてある ので子どもはノータッチでOK、火の元は触らないように注意してあります。玄関のドアに“忘れ物チェック表 ”を貼って、なるべく忘れ物がないようにさせています。朝ごはんは子どもをちょっと早く起こして一緒にとるようにしています』(30代/小学校2年生のママ)まだ小さいお子さんを一人で出かけさせるときに心配なのは、戸締りや火の始末。鍵を閉める、という行為は小学生になれば十分できることなので、日ごろからママと訓練しておくと一人のときも慌てずに戸締りすることができますね。エアコンはタイマーにしたり、つけっぱなしでもOKのタイプのエアコンを使うのがおすすめ。朝ごはんはなるべく顔を合わせて食べるため、お子さんにちょっと早起きをしてもらったり、朝食の時間を調整したりすると良いですね。●(2)毎朝メッセージを残す『中学生なので一人のときでも戸締りはできています。朝ごはんは前日作っておいたおにぎりや前日の残り物と手紙を一緒に添えて 置いておきます。自分で焼きおにぎりを作ることもありますよ。テスト週間など子どもも一緒に早起きさせて、朝早く学校に行かせることも。高校生に上がってから親が早く出かけると学校をサボる子が出てくる、という話を聞いたことがあるので、高校に上がったら、念のため担任の先生とは密に連絡を取らなければ、と考えています。また、難しい年ごろで会話が減っているため、リビングにシール式の黒板を貼って、毎朝メッセージを残すようにしています』(40代/中学1年生のママ)小学生よりかなり頼もしくなる中学生ともなれば、一人での朝の時間もだいぶ自立して過ごすことができます。しかし、まだまだ油断はできません。きちんと朝食は取っているか、しっかり定刻通りに登校できているかなどは確認しておく必要があります。また、会話やスキンシップが減ってくる年ごろなので、メッセージを書き残しておくのは良いアイデアですね。●(3)ご近所に事情を話して頼れるようにしておく『カギは、持ち家なので子どもより早く出かけるようになってからオートロックに変えました。子どもと出かける時間差は20~30分程度なので、エアコンは私が消して出かけていきます。あとは、何かあればご近所に住むお友達の家や顔見知りのおばさまに頼るのよ 、と言い聞かせてあります。もちろんご近所にも事情は話してあります。それが子どもにはとても安心するようで、一人で家を出ることを特に嫌がる様子はありません。一番の工夫は、朝、私自身が笑顔で元気よく、子どもに「行ってきます!」と声をかけることですね。元気よく「いってらっしゃーい!」と見送ってもらえる瞬間が毎朝の幸せな瞬間です』(40代/小学2年生のママ)カギのかけ忘れが心配な場合、オートロックもひとつの選択肢。また、何かあったときのためのご近所の支援を仰ぐのは、ママにとっても子どもにとっても安心感が全く違いますね。筆者も小学校1年生からかぎっ子でしたが、同じように何かあれば同じ並びのお宅に頼るように言われており、一人で不安なことがあってもその言いつけを思い出してはホッとしていた記憶があります。また、ママが元気よく子どもに「行ってきます!」と挨拶をすることは、子どもにとって一番の心のよりどころになりますね。朝見送ることができなくても、ただ一言言葉を交わして一瞬でも笑顔を見るだけで子どもの安心感が違います。●忙しい朝に大切なのは、真心を伝えることいかがでしたか?朝は1分1秒も惜しいほど忙しい時間。しかし、忙しいときほど子どもには真心をこめてコミュニケーションしてあげたいですね。朝見送ってあげられないなら、一瞬でも顔を合わせる時間を作る、タイミングが合わず直接言葉を交わせないなら手紙やメールで他愛ないメッセージを残す、など小さなことでかまわないのです。朝ママに見送ってもらえなかったとしても、ママが子どもを思う気持ちさえ伝われば、いつでもママに見守ってもらえるような安心感に包まれて登校してくれるはずですよ。●ライター/ましゅまま(ママライター)●モデル/KUMI(陸人くん、花音ちゃん)
2017年05月29日小児科外来のカウンセリング室にやってきた母娘出典 : 病院の小児科外来でカウンセリングを行っているカウンセラーの私のもとに、不登校の娘さんと母親が心理相談を受けに来ました。そのとき娘さんは中学3年生。母親の話だと中学2年生のころから学校に行き渋るようになったけれども、教師の働きかけで今は何とか相談室登校をしているとのこと。母親が説明する間、その子は一言も話さず暗い顔をして座っていました。私は「学校で何か嫌なことがあったのか」、「友だちと気まずいことでもあったのか」と問いかけましたが、無言のまま。母親は、「家で娘に尋ねても嫌なことやいじめはないと言うのです」と代弁します。医師の方では医学的処置は行わないとのことを聞いていたので、経過観察をしながらじっくり支援の方向性を探ろうと考え、「すぐには話したくないかもしれないので、時々来て状況を知らせて下さい」と言って初回の面談を終わろうとしました。しかし母親は「どこに行っても同じことを言われます。私が心配でたまらないのです。このまま一生引きこもりになるのではないかと不安です。ここで話を聞いていただけませんか」と言うのです。娘さん本人の考えは計り知れませんでしたが、母親の困り感が大きいことも鑑み、ひとまず次週も面談の予約を入れることにしました。カウンセラーと母親と娘の三者面談、しかし彼女は一言も話さず…出典 : 翌週、時間通りに母娘がやってきました。母親はこの一週間も娘の状況は変わらないことを説明してくれましたが、肝心の娘さん本人はやはり一言も発しません。母親がしゃべり過ぎるので娘さんが話さないのかと考え、母親の発言を抑えて彼女の発話を待ちました。しかしいくら待っても言葉を発しません。最後にはうなだれ、長く伸びた髪が顔を覆い、ホラー映画の「貞子」のような状態になってしまったので、「これ以上はまずい」と思い、母親との話に戻りました。親子で訪れる小児科の心理相談の時、私は特別の事情がない限り親子別々に話すことをしません。子どもは不安を抱いて訪れます。その時に親から離れて一人で知らない人と話すことは苦痛でしかないと思うからです。廊下で待たされ母親だけが診察室に通されると、そこでは自分のことを話しているに違いないが、何を話しているのか気になるでしょう。余計な不安や苦痛を子どもに与えないために親子で話すのです。まれに母親だけに伝えなければならないことがある場合は、子どもが退屈そうに見えたとき、「退屈なら廊下を歩いてきていいよ」と言って外に出します。時間的に余裕がある環境でしかできないことかもしれません。カウンセリングというより雑談?それでも続く、奇妙な3者面談出典 : そういうわけでその母娘との面談はいつも三者で行いましたが、話すのはいつも私と母親でした。それでも娘さんは毎週来ることを拒まず、一言も話さないにもかかわらず毎回1時間近くその場に座り続けていました。半年近く話しても事態が大きく変わることもなかったので、話の内容は徐々に雑談に変わっていきます。明朗快活なお母さんはニコニコしながらたくさんおしゃべりしました。よもやま話になるとつい笑いだすようなことにもなりますが、娘さんはそれでもやはり、無表情のまま。わずかでしたが相談料を支払っていただいていましたので、談笑でお金をいただくのはどうかと思い、母親に「このまま続けますか」と尋ねました。母親は「長い目で見なければいけないのは分かっているが、娘と二人でいると気が沈んでしまうので、迷惑でなければ続けさせてください」と言ったので、ひとまず継続することに。とはいえこのままずっと談笑を続けるというのも気が引けます。なにか改善のきっかけがつかめないかと、私は彼女が在籍する中学校を訪問することにしました。しかし、娘さんは中学校では人目を避けて登校し、ほとんど相談室で好きな漫画やイラストを描きながら過ごしているとのことで、変化を期待できるような情報を手に入れることはできませんでした。高校受験が迫ったある日、無言だった娘が、はじめて「やりたいこと」を口にした出典 : それからも、カウンセラーと母親が談笑するだけという、奇妙な"三者"面談が続きました。初夏から始まった面談も初冬にさしかかっていました。母親は高校進学のことを気にし始めました。私も引き受けてくれる学校があるか気になりました。そんなある日、母親が思いがけないことを話しだしたのです。「娘は、高校はイラストやデザインが学べるところにしたいと言っています。中学校で尋ねたらA高校のデザイン科があると言われたそうで、そこを受験したいと言うのですが、先生どう思いますか」。この話も三者面談の中でした。私は母親に「それは素晴らしい。本人が受けたいと言うのならぜひ受けさせるべきです」と言いました。本人が高校には行きたいと言い、志望校もはっきりと言った。母親はこのことには喜んでいましたが、実際受験するにあたっては、相談室登校で学力がきわめて不安、試験や面接に行けるかどうか、受験に失敗したらもっと落ち込みがひどくなるのではないかなど、心配でたまらないようでした。私は、「本人が自分で道を切り開こうとしているのです。今はそれを応援しましょう。失敗したらその時に次を考えましょう」と言い背中を押しました。その後。その子は自宅でも受験勉強をし、中学校では専願という受験方法を示され、無事試験会場にも行け、めでたく志望の高校、学科に合格したのです。娘さんの高校入学後も母親はしばらくの間、「また、いつ登校しなくなるか不安だから」と言い、私との心理相談にやってきましたが、不登校が生じやすい5月の連休明けまで様子を見ても特に問題は起こらず、母親も安心して心理相談を終了しました。ずっと黙っていた娘が、なぜもう一度学校に行けるようになったのか出典 : その後も娘さんが私の相談室に来ることはなく、毎日他の生徒と同じように登校し授業を受けており、部活もバスケットボール部に入り元気に活躍しているとのことでした。母親は「嘘みたい、今までのはなんだったの」とキツネにつままれたかのようでした。心理相談を続けている間は一言も発さなかった娘さんが、なぜこのように劇的な変化を起こしたのでしょうか。私が思うに、その子自身の伸びる力がもともと眠っており、表面には出ない間も、じっくりと力を蓄えていたのだと思います。不登校、相談室登校は彼女にとって不快な経験だったと思います。彼女自身もなんとかそれを克服しようと思ったでしょう。しかしなかなか克服の道が見えず、長い間ふさぎ込むことになったのだと思います。高校進学を目の前にして、やっと自分の好きなデザインを学び、本来やりたかったバスケットを行うことに道を見出し、光を見つけたのだと思います。道を見出したのは彼女自身です。それができたのはその子の成長する力によるものと思います。小学校や中学校で不登校を経験したのちに高校生になり、「休みたくなると、もうあの不登校を再び経験したくないからという気持ちになって、それで頑張って登校したんだ」と打ち明けてくれた子もいました。一人、二人ではありません。子どもたちはしっかり学んでいるのです。そしてそのような子どもの成長する力を発揮させることができたのは母親の頑張りだったのだと思います。相談室登校の娘さんを見放すことなく、少しでも効果があることは惜しまず与え続けました。それとともに母親は、娘を支え続けるために自分の心の安定も求めました。娘さんは三者面談の中で一言も発しなくても、母親の言葉、カウンセラーの言葉をしっかり聞いていたのです。自分を支えてくれる人たちの中で自分は何をすべきかを考え続けていたのでしょう。子どもは母親や家族に支えられ、母親や家族は社会に支えられるような循環が子どもたちの成長には不可欠だとの思いを深めたケースでした。
2017年05月20日不登校とは出典 : 一般的に不登校とは、子どもが病気やケガ、経済的事情ではない理由で、長期間学校を休み続ける状態のことを呼びます。クラスメートや家族などの身近な人や自身が経験者である場合も含め、おそらく現代の日本ではほとんどの人が不登校の存在を知っているのではないでしょうか?不登校について、文部科学省は以下のように定義しています。連続又は断続して年間30日以上欠席し、「何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、児童生徒が登校しないあるいはしたくともできない状況である(ただし、病気や経済的な理由によるものを除く)このような不登校状態が継続し、十分な支援が受けられない期間が続くことは、学力の停滞、自己肯定感の低下や健康状態の悪化など、本人の学習や社会的自立を妨げる、様々な問題に繋がります。一方で、子どもが不登校になる要因には、社会環境や学校環境、家庭環境の様々な要因が影響しており、無理やりに子どもを再登校させようとするとかえって問題が悪化するおそれもあります。また、不登校問題の「解決」といっても、元々通っていた学校に再登校すること、別の学校に転校をしてリスタートすること、フリースクールや通信制高校といったその子に合った学びの場を見つけることなど、様々な選択肢が考えられます。今日、子どもの不登校問題は日本が抱える社会問題の一つとなっており、その要因を踏まえた適切な対策を行うことが求められています。Upload By 発達障害のキホン図表出典:「平成28年版子供・若者白書」このグラフは、1991年以降の不登校生徒数の推移を表したものです。不登校の子どもの数は2000年ごろまで上昇を続け、その後も高水準で推移していることがわかります。平成27年度現在、不登校の子どもの数とその割合は、小学生:2万7581 人(0.42%、228人に1人)中学校:9万8428 人(2.83%、35人に1人)高校生:4万9591 人(1.49%、67人に1人)となっています。中でも割合の高い中学生に関しては、40人のクラスに約1人以上の不登校児がいる計算となっています。出典:平成 27 年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」「平成 27 年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」(速報値)について」不登校の実態を知る上で重要な背景としては、まず一つに近年の子どもたちの社会性等に関する課題が挙げられます。例えば、自己の将来に対する夢や希望を持てずにいることや、自尊感情が低いこと、コミュニケーション上の困難さがあったり、ストレスへの対応が難しかったりするなどの傾向が指摘されています。二つ目に、社会的背景の影響を受けた保護者側の課題にも注目する必要があります。近年、少子化・核家族化・地域内での人間関係の希薄化により家庭が孤立するケースが多くなっています。そして、そのような家庭においては、保護者の不安感も大きくなり、育児をする上での自信を喪失したり、意図せずして過保護・過干渉になることが多いとも言われています。また、長期的不況の影響により生活の余裕がなくなり、保護者が精神的なゆとりを失ってしまい、結果、子どもにもネガティブな影響が生じてしまう、といった傾向も指摘されています。このような社会的背景を受けて、保護者が抱える課題も不登校問題と関連があるのではないかと考えられています。その他、学校に通わせるのが絶対ではないという保護者の間での価値観の変化なども、不登校の増加に影響しているのではないかという見方もあります。出典:「不登校児童生徒への支援に関する中間報告」参考:「不登校児童生徒への支援に関する最終報告 」不登校になりやすい子どもの特徴・傾向はあるの?出典 : 平成4年、文部科学省による報告において不登校は子どもに特有の問題があることによって起こることではなく「誰にでも起こりうる」という認識が示されました。参考:不登校への対応について(文部科学省HP)しかしその一方で、不登校になりやすい子どもにはいくつかの共通した傾向が見られるとも言われています。具体的には以下のような特徴・傾向が指摘されています。・わがまま、自己中心的、非協調的・非社交的・内向的・自発性、自主性、決断力がない・忍耐力のなさ・友人関係がほとんどない・手がかからないですが、上記で不登校は「誰にでも起こりうる」と述べた通り、子どもたちがこのような特徴や傾向を備えるに至った背景や経緯(生育環境や人間関係)についても注意が必要です。また、手のかからない子どもが不登校になるというのは意外に思われるかもしれませんが、まじめで成績も優秀な子どもがある日、なにかをきっかけに不登校になるケースも少なくないようです。子ども自身が持つこれらの特徴・傾向は、次章で説明する不登校発生メカニズムにおける「様々な要因」のひとつとなります。参考:伊藤美奈子「思春期の心さがしと学びの現場―スクールカウンセラーの実践を通して」2000年、北樹出版不登校と発達障害の関連は?出典 : 発達障害がある子どもであるからといって必ずしも不登校や引きこもりになるわけではありません。しかし、周囲の理解のなさや不適切な対応により人間関係がうまく構築できない、学習についていけないといった状況が進み、結果として不登校に至ってしまう可能性が指摘されています。不登校の解決を目指すうえで、その背景に発達上の特性や精神疾患による困りごとが存在していないかどうかを見極めることは非常に重要です。なぜなら、不登校が発達障害や精神疾患による困りごとに起因している場合、そうした困難性への対処を行わない限り根本的な解決は望めないと言われているからです。例えば、発達障害のひとつである学習障害の影響によって文字をうまく読むことができないため授業についていけず、試験で悪い点を取ってしまったことをきっかけに不登校になっている生徒のケースを考えてみましょう。この場合、様々に努力して再登校まで漕ぎつけたとしても、根本となっている学習障害へ対処がないまま授業を受けるとしたら、また同じ困難を抱えて、不登校になってしまう可能性があります。こうしたケースでは、保護者は学校側の協力を得て、文字を読みやすいよう工夫したり、文字以外の方法(レコーダーなど)で学びを支援したりといった手段を取ることで根本的な原因に対処することが求められます。子どもに発達障害があることがわかっている場合であれば、事前に担任の先生などに子どもの特性を伝えることで、子どもがどのような状況下においてどのような困りごとを感じるのかを知ってもらえるよう努力しましょう。そのようなコミュニケーションを取ることで、学校側も適切な配慮をしやすくなります。また、子どもの特性に合わせた具体的な対処法に関しては、医療機関を含めた専門機関による助言や指導に従うとよいでしょう。参考:「不登校児童生徒への支援に関する中間報告」参考:海野和夫「Q&A不登校問題の理解と解決」日本評論社2016年参考:「発達障害が疑われる不登校児童生徒の実態」中野明德不登校が発生するメカニズム出典 : By 発達障害のキホン多くの場合、不登校は様々な要因が合わさり蓄積され下地となった状態に、なんらかのきっかけが加わることで引き起こされると考えられています。要因の種類としては社会・家庭の要因、個人の要因のほか、(本人にとっての)学校環境の魅力の乏しさ、教師の対応能力の乏しさ、他の生徒との関係性構築の難しさといった学校生活上の要因などが挙げられます。参考:伊藤美奈子「思春期の心さがしと学びの現場―スクールカウンセラーの実践を通して」2000年、北樹出版例えば、親子関係上の問題という家庭の要因、学歴偏重社会という社会の要因が絡み合い下地となった状態で、友人関係のトラブルなどの出来事がきっかけとして加わることで不登校になってしまうなどという可能性が考えられます。きっかけとなるのは学校関連の事柄であることが多く、・授業での不適応・成績低下・友人関係のトラブル・いじめ・部活動での不適応・転校などが報告されています。また、適切な対処がなされないまま不登校状態が継続すると、学習の遅れや生活リズムの乱れという新たな要因が生じ、解決の難度が高くなる傾向があります。さらに、家庭内暴力やアルコール中毒など他の問題へと結びつくリスクも上昇します。そのため、解決を目指す上では学校やその他関係機関の協力を得ながら早期対処を行っていくことが求められます。参考:「不登校児童生徒への支援に関する中間報告」不登校の経過出典 : 不登校の経過は、小・中学校、高校共通に1. 前駆期2. 開始・進行期3. 混乱・引きこもり期4. 回復期と辿るのが一般的と言われています。しかし、上記の順番ですべての時期を通過しなくても、周囲が各時期において適切なかかわり合い・支援を行うことで次の時期に進むことなく再登校は実現されます。ただし、以上はあくまで一般論であり必ずしもこうした経過を辿るわけではなく、また発達障害などが絡む場合、求められる対応が異なることに注意してください。前駆期は「学校に行こうか、どうしようか」と葛藤する時期です。学校に行きたくない素振りを見せたり、頭痛や腹痛、吐き気などといった体調不良を訴えたりします。朝起きられない、パジャマを脱がない、制服を着ない、トイレに何回も入り独占する、何回もカバンの中を確認する、前日学校の準備をゆっくりする、といった行為が見られることもあります。この時期の適切な対応は、気分の良い学校生活を送れるよう配慮し、真剣に本人の話に耳を傾けることです。開始・進行期には「学校に行けない」「行かない」という意思を明らかにする「不登校宣言」が行われます。家庭での身体状態は前駆期とほとんど同じですが、子どもによっては症状が変化することもあります。朝目を覚まさない、目を開けても起きない、布団から出ない、教科書や制服などに見向きもしなくなるといった姿勢・行為が特徴で、適切な対応がなされなければ本格的に学校を休み始めます。この時期には、本人が感じている罪悪感や自責の念などに考慮しながら精神の安定を図り、目標設定から具体的な行動化を目指す方策を考案・実行していくことが適切な対処法と言われています。目標設定の仕方と意義については次章で解説します。混乱・引きこもり期は怒りを根源とした荒い言動、沈黙、引きこもり、無気力化が顕著になる時期です。粗暴な言動をする子どものほか、自室に引きこもって食事を運ばせたり、入浴や下着の交換をせずに過ごす子どももいます。また、長期間に渡り欠席を続けたことで久々に登校することへの様々な不安を抱え、再登校の意欲が低下してしまうことも多いです。適切なかかわりがないと、自己制御ができなくなり粗暴な言動を示し、それが落ち着くと引きこもるという流れが多いようです。また、中学2年生以上、特に高校生レベルで暴力が目立つ不登校の事例では、精神疾患があることを疑う必要があり、そうした場合は医療優先の対応が必須となります。この時期には登校意欲を上げるような働きかけや、目標と目標実現のための具体的な行動計画を設定する対応が求められ、放置したり、誤った対応を取ったりすると長期化へとつながる可能性があります。回復期は、子どもが少しずつ自信を取り戻した結果、登校に対して前向きな感情を持つようになる時期です。髪を切ったり、参考書を買いたい、学校の友達に会いたいと言い出したりした場合、それは回復期に入ったサインであることが多いと言われています。本人の自己決定を尊重して書店に連れて行ったり、望まれたら本代を与えるといった配慮をするとよいでしょう。このとき、子どもが動き始めたのを喜び、親はしばしば先回りして世話を焼きがちになります。しかし、そうした家族の過度な世話焼きによって状況が後退してしまう可能性もあるため、注意が必要です。家族のために何かをする、例えば洗濯や料理、掃除などの手伝いなども状況が回復へと向かっていることのサインです。親がこうしたささやかな行動や心遣いに気づいて、「ありがとう。うれしい。」と本人に伝えることで家族間での肯定的な感情交流が生まれ、子どもの自己肯定感にもつながっていきます。参考:海野和夫「Q&A不登校問題の理解と解決」日本評論社2016年不登校から問題解決へ向けて 合意形成と目標達成へのステップ出典 : ある子どもが不登校となった場合、その問題の「解決」とはどのような状態を指すのでしょう。元々通っていた学校に再登校すること、別の学校に転校をしてリスタートすること、フリースクールや通信制高校といったその子に合った学びの場を見つけること、様々な選択肢が考えられます。何より大事なのは、子どもの自尊感情を高め、「学校へ行く」「フリースクールに行く」といったその子の選択のサポートをしていくことです。なぜなら、多くの場合不登校の問題の所在は「自分はだめな人間」という心情にあるからです。具体的には、自信のなさ、集団に参加できない社会化不全、他者への過剰な遠慮や不必要な羞恥心などの否定的な感情です。そのため、解決を目指すうえでは子どもが自分のよさに気づき、それまでより自分に自信を持てる機会を積み重ねていくことが必要です。保護者の姿勢としては、そうした子どものよさを引き出すことに努め、そのために肯定的に関わっていくことが大切です。より具体的には、家族相互の感情交流を増やすことと家族の問題を解決するための目標の設定と実現方法を考案することが求められます。また、親子の関係を見直し、子どもとのより良いかかわり方を探す手段として「ペアレントトレーニング」に参加してみるのもよいでしょう。不登校の解決を目指すうえで目標設定を行うことには大きく2つの意義があります。一つは具体的かつ達成可能な目標を設定することで、問題解決の進展に対する評価と、その評価に基づいたフィードバックを行えるようになるということです。設定された目標に対してどのように向き合い、その結果どうなったのかを判断できるようになるため、現在の対応策を見直したり新たな対応策へのヒントを得たりすることができます。もう一つの意義は、達成に合わせて小さな目標を設定し続けることで、少しずつ本人の自信を育みながらステップアップしていけるということです。本章の冒頭で述べた通り、不登校解決に向けて取り組むうえで重要なのは、子どもの「自分はダメだ」という感情を取り除き、自尊心や自己肯定感を高めることです。何かに向けてがんばった結果、目標を達成することができたという成功体験は子どもの自信を育み、次のステップへとつながっていきます。目標設定の例としては、・学校に間に合う時刻に起床する・制服に着替える・家庭学習に取り組む・家事の手伝いをする・学校の友達と会ってみる・休日に登校する・誰もいない教室に入ってみる・職員室に行くなどがあります。どのような目標を立てるのかを決める上で重要なのは、子どもの意思を尊重することです。本人の考えに耳を貸さず、親の思いを一方的に押し付けてしまうと、子どもの自尊心を傷つけてしまう恐れがあります。また、子どもが目標を達成できたときには、素直に努力をほめてあげましょう。できて当たり前と思えることでも、様々な感情を抱え葛藤している子どもにとっては大きな1歩です。一つ一つの成功体験を自信とつなげていけるよう、家族全員でサポートしていきましょう。教育機会確保法と不登校出典 : 教育機会確保法は、不登校の子どもたちの教育支援を目的として2017年に施行された新しい法律です。不登校生徒数が一向に減らない現状を背景に提出された本法では、学校に通えていない子どもの教育を受ける機会を確保するための施策を国や自治体の責務として、必要な財政上の措置を講じることを求めています。様々な議論の対象となっている教育機会確保法ですが、本章では中でも第十三条に注目して、この法律における2つの重要ポイントについて解説します。第十三条国及び地方公共団体は、不登校児童生徒が学校以外の場において行う多様で適切な学習活動の重要性に鑑み、個々の不登校児童生徒の休養の必要性を踏まえ、当該不登校児童生徒の状況に応じた学習活動が行われることとなるよう、当該不登校児童生徒及びその保護者(学校教育法第十六条に規定する保護者をいう。)に対する必要な情報の提供、助言その他の支援を行うために必要な措置を講ずるものとする。(太字筆者)まず、1つ目のポイントは「休んでもよい」ということです。無理な通学はかえって状況を悪化させる懸念があるという事実を踏まえ、「休養の必要性」が正式に認められました。2つ目のポイントは「学校以外の場における学習活動の重要性」を認めたことです。学校以外の学習の居場所となっているフリースクールなどの役割がこれまで以上に重要視されるようになりました。どのような支援が行われるのかなど、具体的な内容が決まるのはこれからですが、上記の2点が国によって正式に認められたことは、不登校の子どもやその家族にとって大きな意義を持つのではないでしょうか。不登校でも卒業できるの?学校以外の学びの場は?出典 : 子ども不登校が続くと、「勉強の遅れは取り戻せるのか」「ちゃんと進級・卒業できるのか」といった不安を感じることもあるのではないのでしょうか。本章では不登校の子どもの学びの場として大きな役割を果たしているフリースクールと、学習支援を行う通信制高校について解説します。不登校の支援機関の一つであるフリースクールは、しばしば「不登校の子どもたちの居場所・学びの場」と形容されます。フリースクールでは自分の好きなこと・得意なことを中心に学んだり、他の子どもやスタッフとの交流を通してソーシャルスキルを身につけたり、他者と協力することの楽しさを知ることができます。フリースクールは、文部科学省が定めるところの学校機関ではないため設置基準がありません。そのため、規模や運営方式、在籍生徒の学年、などは施設ごとに異なります。自由で独創的な教育を実践しているところも多く、既存の学校になかなか馴染めない子どもにとって新たな選択肢となっています。フリースクールに通う子どもたちは、義務教育期間中はもともと通っていた学校に籍を置いたままフリースクールを利用することになります。また、在籍校の校長による許可が出ればフリースクールへの登校も義務教育上の出席日数として承認される場合もあり、卒業に必要な単位が出席日数単位を満たすことにより、義務教育上の小中学校の卒業資格を得ることができます。平均的なフリースクールの費用や子どもに合ったフリースクールの見つけ方に関しては、以下の関連記事をご覧になってください。参考:小・中学校に通っていない義務教育段階の子供が通う民間の団体・施設に関する調査通信制高校は、テレビなどの通信手段を使った自宅での学習が中心の高校のことです。以下で挙げる条件を満たしたうえで必要な単位を修了することで高校卒業資格を取得することができます。3年間の間に必要な単位を取得していれば卒業できる「単位制」と、毎年進級に必要な単位を取得しなければ次の学年に上がることができない「進級制」の通信制高校が存在しますが、現在ではほとんどが前者となっています。通信制高校を卒業するためにはスクーリング、レポート、試験の3つが必要です。スクーリングとは、登校して先生の指導を受けることで、科目によって単位をとるために必要な日数が異なります。また入学式や卒業式などの行事に参加することもスクーリングとしてカウントされます。スクーリングの出席日数に加え、定期的なレポートと期末試験によって、単位の認定がされます。通学型の通信制高校では、レポート指導の時間が設けられていることが多いため、無理なく取り組むことができるようです。通信制高校には他にも「私立・公立」「必要な出席日数」といった方法でも分類することができます。詳しくは以下の関連記事をご参照ください。子どもの不登校に関する相談先は?出典 : 文部科学省は、子どもが不登校になった場合にはまず第一に在籍校と十分に連絡を取ることを推奨しています。教育委員会では「教育センター」や「教育相談所」で子どもの教育に関する相談を行うための窓口を設けているほか、「教育支援センター(適応指導教室)」では不登校に関する相談活動や不登校の子どもに対する通所指導(カウンセリング・教科指導・体験活動)を行っています。また、東京都教育委員会が運営する東京都教育相談センターでは、子どもの教育に関する相談電話を平日であれば午前9時から午後9時まで、土日祝日は午前9時から午後5時まで受け付けています(ただし閉庁日・年末年始をのぞく)。東京都教育相談センター厚生労働省が運営する「児童相談所」「保健所」「保健福祉センター」などでも教育相談をすることができます。ただし、地域によって名称が異なるので、詳しくはお住まいの都道府県・市区町村に問い合わせるとよいでしょう。まとめ出典 : 不登校に限らず、思春期の子どもとの接し方に悩む親御さんは数多くいるのではないでしょうか。また、なかには子育てと同時に自分自身の両親の世話や介護も行っており、大きな負担を抱えている方もいると言われています。思春期に起きる子どもの変化は、時として親子関係にも変化をもたらします。そうしたタイミングで子どもが不登校になったとき、親としての責任を感じて自分を責めたり、子育てに自信を失ってしまったりすることもあると思います。子どもの不登校をきっかけにお子さんとの関わり方や親子関係を見直すことは決して悪い事ではありません。しかし、不登校を解決する上で重要なのは状況に応じて具体的なアクションを起こすことです。また、多くの場合、不登校の原因は一つではなく、様々な要因が複雑に絡み合っています。言い換えれば、子どもが不登校になるのは、必ずしもすべて親の責任というわけではないということです。さらに、本記事でもふれた通り、「不登校は誰にでも起きる」「休息は必要」という考えは文部科学省によって支持されており、今後も社会に広がっていくはずです。フリースクールなど、学校に通っていなくても学び成長できる場の役割も大きくなりつつあります。子どもとの対話を通して、前向きに、少しずつでも前に進んでいけることを願います。
2017年04月30日今週月曜はこまめとのまめの初登校でした。最初の1週間は近所のお姉さんが朝迎えにきてくれて一緒に登校していくことになっています。寒かったのです、初登校日! 冬再来か!? って思いましたもん。(2016年のお話です)玄関あけたら予想以上に寒くてびっくりした!私の住んでるところは朝は雨だったけど、そのうち雪も舞ってきてまさかこんな日に登校させるとはー! って神様を呪いました(笑) きっと同じ目にあった新一年生はたくさんいたと思う…!とくに給食がはじまるまでの3日間はお弁当と水筒ももっていかないといけなくて、ただでさえ心配してたのにぃー!ここに傘と手袋を追加して2人をおくりだしました。それでも元気いっぱいに登校していった2人を見送る…。ランドセルも大きいし、傘も大きいしでこまめとのまめの姿なんて足くらいしか見えないんだけど、それでもだんだん小さくなっていく2人を見てーなんであの人泣いてるんだろ…って思ったかな(笑)いや、ドン引き目線は私の思い違いか!? (笑)そんなお姉ちゃんも私が見送ってる間何回もこっちを見て会釈してくれたので逆にプレッシャー与えてるような気持になってわりとすぐ家に戻りました(笑)通学用に買ったパーカーがわりと薄い生地なので、なかなか登場する場がありません(笑)昼間は暖かいんだけど、家を出る時間はまだ寒くて、あったかいのを着せてしまいます。もっと暖かくなるといいなぁ。
2017年04月22日学校に行かない息子についイライラ…思い切ってこう宣言!出典 : 我が家の息子が不登校になり、約1年半になります。学校に行かなくなったばかりのころは、その事実を受け入れることができたものの、「好きなことばかりやって過ごしている」「勉強させなきゃ…学校に行ってる子たちより遅れちゃう」「進路は?受験はどうなるの?!」などなどやはり不安だらけでした。一方で息子のほうはというと、合わない環境で過ごすストレスから解放され、悠々と生活しています。そんな息子を見るとどうしてもイライラしてしまうこともありました。そんな我が家がその後どうしたのかと言うと…私はある日息子に、「もう勉強もやらなくてもいい!ネットやパソコン使用、ゲームの制限もぜーんぶもう無し!とにかく好きな事を好きなだけやっていい!ただ、ご飯はちゃんと食べて、少しは眠ること。あと、私やパパ、他の身近な人の誘いにはとりあえず乗って外へ出てみること!」と選手宣誓の如く、ハッキリと宣言したのです。理由の1つは、家事や他の仕事の合間に、息子の勉強やその答え合せをしたり、「これだけ勉強したから〇分パソコンやっていいよ」と時間を計測したり、終了時間を告げては「まだやりたい」「もうおしまい」を押し問答を繰り返したり…そんなやり取りに疲れてしまったこと。そして2つ目の理由は、息子を思いっきり自由にさせる不安より、「こうすると息子はどう変化するのか?」という好奇心とワクワク感の方が私の中で勝っていたことです。「息子本人のペースに賭けてみよう」という気持ちが私の中で生まれたのでした。宣言のあと、息子の生活に変化が…出典 : そんな生活を始めると、息子は私や主治医が驚くほど落ち着きました。かなり酷かった噛み癖も癇癪もいつの間にかほぼ消えたのです。大げさかもしれませんが、やっと「本来の息子に戻った」という気がしました。フリースクールに週に2日通うようになり、自分より年齢が上の高校生たちと大好な音楽の勉強に打ち込んでいます。他の習いごとでも、いろいろな年齢の友だちが増えたようでとても楽しそうです。Skypeなどでコミュニケーションをとることも多いのですが、息子なりに考えなかなか上手く出来ているようです。案の定、ゲームには長時間没頭していましたが…「いくら大好きなゲームでも長時間続けるのは飽きることもあるし、それなりにキツイことだ」ということも身をもって体験したようです。周りに言われなくても、本人なりに気分転換や別のことを間に入れる工夫もできるようになりました。私にとっても、息子が「いくら周りが説明したところで、本人が納得しないとほとんどのことは聞かないタイプ」ということを再確認できた出来事でした。また、息子は日々興味があることに対して、途中で投げ出すことなく自分一人で長時間パソコンに向かい黙々と解決・達成しようと没頭しています。その姿を見て、息子の学び方が基礎から積み上げていくタイプではなく、最終的な目標や目的に惹かれてこそ、そこから掘り下げていくタイプなのだと気づかされました。好きなことに対する熱量を目の当たりにし、私は「息子にとっての学びとは一体なんなんだろう」ということを深く考えさせられたのです。みんなとは違う一歩を踏み出すのは怖い。だからこそ嬉しかった、息子の一言出典 : こんな選択をしてみたものの、私自身は、ごく一般的に「学校へ行く」という経験しかしていません。それ以外の選択など考えたこともありませんでした。やはり最初は、「学校へ行かない、しかも好きに過ごすなんて本当に許されることなのか?」「あちこちから批判されるのでは…」と、世間の一般的なレールから一歩踏み外すのが怖かったです。それでも息子の不登校を受け入れた今、息子にとっての幸せとは?経験すべき試練とは?乗り越えるべきものとは?と純粋に考えた時、今の方向以外考えられなくなっていました。先日息子がこんなことを言いました。「あー、俺、変人で良かったー!」自分がいかに幸せなのかを噛み締めるように言ったのです。話を聞くと、周りの友達の愚痴や悩みを知り、自分のような生き方やそれを認める私のような親は珍しいと感じたようでした。さらに息子は、「自分と同じような境遇の友だちが、奇異な目で見られないためにはどうすればいいのか?」「自分が大人になってから、自分たちのような選択が当たり前になるためにできることは何か?」ということまで考え始めたようです。とても頼もしく思えました。息子にとっての幸せを考え抜いた選択。親がこれから出来ることはなんだろう出典 : もちろん進路や就職など、心配なことはまだまだあります。しかしその分、息子の今の生活を大事にしつつとれる進路には何があるのか考え、動いています。本人とも、「自分自身の強みは何か?」「これからどう生きたいか?」また「君の選んだ道は自由な分、厳しさもあるから正直選択肢はこれとこれだけになりそうだよ。そういう事も頭に入れて置いてね」など、具体的に日々話し合っています。息子の様子を見ていると、今は「何とかなるかも」と思えるようにもなってきました。今でも息子のこの生活に、苦言をいただくことも少なからずあります。それもまた正論でもあることはよく分かっていますし、以前の私だってそう思ったと思います。ですが今は、そんな声は聞こえないふりをして、振り払って目の前の息子を支えるべく自分に喝を入れて踏ん張っています。周りからの声に心身を消耗するのも事実です。もっともっと味方になってくれる方や、説得力のある後ろ盾がどうしても欲しくなってしまいます。そんな中で私にできることは、・息子のような生き方も「あり」なんだと、「一大人として」認め続けること・「生き方は人それぞれで当たり前」という世の中に一歩近づけるための一員になることなのかなという気がしています。
2017年04月02日学校に行くたび、「あの時の僕」に出会う「JERRY BEANS」の講演ライブは、多い年で年間約130件にのぼる。小学5年生から中学3年生まで、ずーっと学校に行けなかった自分が、大人になってからこうして全国の学校を回るようになるなんて、人生って本当に不思議で面白いなと思う。不登校だったからといって、いま学校を訪ねること自体にしんどさはない。だけど、子どもたちの前で講演をする時は、やっぱり辛くなる。何回やっても慣れない。でも心や命を伝えることに慣れてしまったらダメだと思う。だからいつも必死で伝えている。どんな年代、どんな学校の子どもでも、講演に行くたびに、「あの時の僕」と似たような子どもに出会うから。周りの子どもとの違いを感じ、常に独りぼっちで孤独な感覚を抱えている子どもたちに。今でも人に発信することは苦手で、始まる前は毎回怖くなる。講演で話していると自分も涙が出てくる。でも前を見ると、子どもたちやお母さんたちも泣いている姿に気づいて、「あぁ、僕はこの怖さに向き合わなあかん」って気持ちになる。自分の経験を伝えることで、明日死のうと思っていた人が、明日もなんとか生きていこうと思えるようになってくれるのなら、恐怖と向き合って発信していこうと決めた。学校の先生だって、決して完璧じゃない出典 : 年生の居残り授業で僕に「字が汚い」といった当時の担任とは、卒業するまで話す機会もなかった。だけどその先生は、卒業式のときに僕への謝罪の手紙を書いてくれていたのだ。その手紙は母がずっと持っていて、長らく読むことができなかった。当時、僕がまだ不安定だったから、先生の気持ちを知って自分を責めたらいけない、と思って預かっていたそうだ。講演活動を始めた頃に、ようやくその手紙を受け取った。「君の気持ちがわかってあげられずごめん。」その手紙を読んだ時に、「あぁ、きっとこの先生も、必死に子どものことを考えてくれていたんだろうな」と気付き、涙が溢れてきた。思いが真剣でも、その伝え方やタイミングがずれてしまっていることって、たくさんある。それは誰にでも起こる、人間らしい失敗にすぎなくて、先生だって例外じゃない。子どもも先生も親も、完璧を目指す必要はない。自分の弱いところを隠さずに、他人に見せていけばいい。そんな思いを、今たくさんの人たちに伝えている。「かわいそう」と言われた人にしか言えないことがあるうまく言えないけど、自殺をするような人って、ある意味勢いがあるのかなって、思う。僕も、自殺を図った日の朝、起きてすぐに「あ、今日死ぬ日や」と思い立った。深く考えることなく「あ、今日でぼくは終わる」って。だけどそこで死ななかったから、母親が止めてくれたから、ここにいる。死なずに生きていたから、不登校だった時間も、振り返れば「大切な時間」に変わっていく。僕の心の中は、今でも不登校の頃のままかなって思う時もある。不登校の僕は、周りから「かわいそう」って思われていた。でも、「かわいそう」って思われた経験が、今の活動に活きているんだと思う。「かわいそう」と言われた人にしかわからないこと、言えないことがある。だからこそ、今死のうと思っている人に、一秒でも長く生きてほしいと思う。辛い気持ちのまま人生を終わってほしくない。その一秒後に出会えるかもしれない喜びを信じて。その気持ちがあるから、みんなの前に立つことができる。僕はこれからも、この活動を続けていく。あのときの僕のように、苦しい想いをしている人、自ら死のうとする人が、一人でも少なくなることを願って。
2017年03月27日「何も話さなくていい」。安心して自分のままでいられる初めての友人「JERRY BEANS」のベース、八田くんと出会ったのは、僕が自殺未遂を母親に止めてもらった後のこと。親に連れられて、双子の弟の史朗と一緒に参加した、「不登校の親の会」の集まりだ。そこに八田くんもいた。八田くんとの関係は、今まで思っていた「友人関係」とは全く逆だった。友人というのは「自分のことを話せる相手」だと思っていたけど、そうじゃなかった。八田くんとの間では、「自分のことを話さなくてもいい」安心感があった。当時は、まだ不登校とか自殺のことを話せる気持ちがじゃなかったけど、八田くんは何にも聞いてこなかった。ただただ毎日遊んでいるだけで、それが居心地良かったのだと思う。僕も、八田くんの不登校についてなど聞かなかったし、聞く気にもならなかったというのがその時の気持ちだ。弱さを受け容れてはじめて、「親に愛されている」と思えるようになる出典 : 仲間ができてから、僕の生活は大きく変わった。それまではずっと家から出られなかったのに、八田くんと出会ってからは、弟の史朗と3人で毎日のように外出するようになった。生活が変わって、だんだんと自分の気持ちも変わってきた。初めは、学校の友だちに会いたくないからコソコソしていたけど、そのコソコソした気持ちすらも楽しめるようになっていった。それから、いい意味で色々なことを諦められるようにもなってきた。「こういうことも人生の大事な経験やし、みんな人間なんて未完成なんやな」って、そう思えるようになった。弱い自分をしっかり受け止めて、だれかに頼ることは、決して悪いことではないのだと思う。一番大きな変化は、「親に愛されている」と思えるようになったこと。それまで、親がぼくらのために戦ってくれている姿を見て、親は完璧な存在なんだと思っていた。けど、そうじゃなかった。実は母親も、後に鬱になったり、父親も失踪したことがある。親は親で、必死でがんばっていたんだ、誰にだって人間らしい弱い部分があるんだということがわかってきて、「みんな、同じ弱い人間やん」って思えるようになった。それでようやく、親との心の距離が近づいていった。そんな経験があったから、今はどんな状況の人に出会っても、それはその人の人生に必要なことなんだって、受容できるようになった。「人間同士、今日も生きてるわ~」なんてね。明けない夜は辛い、それでも歩いていける「JERRY BEANS」のボーカルを務める、双子の弟の史朗は、僕とは対照的な性格だ。同じく不登校を経験してはいるけど、もともと活発で友達もたくさんいた。双子というのは不思議な存在で、どっちかが本物でどっちかがニセモノみたいに思えることがある。僕は、史朗に比べて友達も少なかったから、完全に自分が史朗のコピーだと思っていた。だけど今では、弱い部分も含めて、自分は自分なんだって受け止められるようになった。僕は化粧もして、奇抜な民族衣装を着ているけれど、これもきっと僕の性格や人生の表れ。自然がもともと好きだった上に、不登校の時、ジブリの『もののけ姫』を20回以上も観ていたものだから、きっと『もののけ姫』の世界に引きこもっていたんだろうな。自然のなかにいるような格好が安心する。そのせいで、どんどん奇抜さが増していくけど(笑)。今でも性格はけっこうひねくれていて、「必ず夜は明ける!」なんていう言葉は嫌いだ。「いやいや、明けてないから、いま辛いんやし!」みたいに思ってしまう。だけど、明けない夜―不登校の時期があっても、例え困難な状況があっても人生は不思議で自分の想像以上の事が起こる。それは良いことも悪いことも両方あるけれど、少なくとも良いほうもちゃんとあるんだから生きてさえいればゆっくりでも歩んでいけるんだということは、僕の経験や唄を通して知ってほしいと思う。こんな格好のおかげで、不登校の子どもたちに会うと笑われることが多い。「いやいや雄介さん、めっちゃ元気やん!僕引きこもってもそこまでならへんわ」って。いま、辛い思いをしている子たちに、僕の姿を見て「そんな時期があってもそこまでなる!?」って、笑った驚いたりしてくれれば、それでいいかな。
2017年03月23日リビングルームはとにかくこまごました雑貨なども多く、家の中でも特に散らかりやすい空間。家族それぞれの所有物が入り交じっているだけでなく、新聞やダイレクトメールなどもどんどんたまってしまう。 「まず新聞など、毎日増えるモノは、まっさきに処分しましょう。同じ紙類でも、子どもが通う学校のプリントや宅配メニューなど、今後使う可能性もあるモノは、とりあえず保管しておき、古くなったらどんどん捨ててください。小さいお子さんがいる家庭では、図工の時間に作った工作などもあり、捨てがたいのもわかります。でも新しい作品を持ってきたら1つ捨てるなどの心構えは必要です」 そう話すのは、整理収納アドバイザーのすはらひろこさん。家の中でもリビングルームは、毎日毎日、さまざまなモノが集まってくるため、そのつど片づけを行うのが基本となる。そんなリビングルームの整理術を、すはらさんが教えてくれた。まず、リビングルームをスッキリさせるためのポイントは、収納からあふれた分を処分すること。 「もしリビングルームに本棚があるのでしたら、まず、あふれた分だけでも処分してください。特に雑誌の情報鮮度は1年程度。取っておきたいページだけファイリングすれば、スペースを節約することもできます。テレビ周りも同様で、あふれた分のDVDやCDだけでいいですから捨ててください」 リビングルームで乱雑になりやすいのはソファ。 「気がついたら、お子さんのカバンやランドセル、ご主人やあなた自身の脱いだコートなどに占領されていた、ということもあるのではないでしょうか。当たり前のことですが、ソファはあくまで座る場所で、収納スペースではありません。クッション以外は置かないようにしましょう。どうしてもバッグなどを置いておくスペースが欲しいときは、バスケットやふた付きのボックスなど“とりあえずの箱”を用意し、テーブルの下に置き、そこに入れる習慣をつけるといいと思います」 そして、ソファと同じくらい散らかりやすいのがテーブルの上だ。 「テーブルの上には、書類などは置かないほうが食事も気持ちよくとれます。でも、なかなかそうもいかないのが実情です。そこで、3つの書類ボックスを用意してみましょう。100円ショップなどで気に入ったデザインのものを探すのもいいですね。書類はたとえば、1.まだ読んでいないもの。2.今週までは必要なもの。3.今月までは必要なものなど、3種類に分類します。ただ週に1度はチェックし、不必要になったら捨てるようにします。文房具やリモコンなども、100円ショップの雑貨ケースなどに、とりあえず入れるだけで、見違えるようにスッキリして見えます」 いくら片づけたいからといっても、注意しなくてはいけないことがある。 「家族の持ち物を処分するときです。ご主人にもお子さんにも、“置いていい場所”を説明し、理解してもらいましょう。散らかっていて、何度言っても片づけないからといって、“勝手に処分”はやっぱりダメですね。あくまでも捨てるためには、所有者本人が納得することが大事です」
2017年03月01日やっと固まった、娘の不登校と向き合う決意出典 : 不登校の子どもや、障害のある子どもを育てていると、世間一般的な子育てをするだけではうまくいかず、悩んだり、選択を迫られたりする場面が多いと思います。自分の子育てに対する考え方を問われるようなこともあるかもしれません。私の娘は小2で不登校になり、小4でアスペルガー症候群と診断されました。娘を育てていく中では、「学校とどうやって付き合うか?」「勉強はどうするか?」「昼夜逆転、パソコン・ゲーム漬けをどうするか?」「発達障害の療育はしなくていいのか?」など悩むことばかりでした。問題とぶつかるたびに、主治医と相談したり、本やブログを読み漁ったり、相談機関にかかったり、親の会で話を聞いてもらったりと必死で手掛かりを求めました。ときには失敗して娘も自分も傷つきましたが、だんだんと「私はこういう考えで娘を育てていく」という気持ちが固まっていきました。私の考え方は、「学校も勉強も無理しなくていい。昼夜逆転でもいい。娘の心が元気であることを第一にして本人を信じて、任せて、待つ」です。発達障害については発達障害者相談センターで「今のままの育て方で問題ありませんよ」と言われたので、特別なことはしないでおこうと決めました。こうやって自分なりの考え方をしっかり持っていれば、迷わず娘を育てて行けると思っていました。しかしそれでも、周りの声や世間の常識、自分のなかに巣食っている価値観に、何度も迷い自分を見失いそうになったのです。そんなときにどうやって対処してきたのか、私の経験を書きたいと思います。私の育児は間違っているの…?周りの声に気持ちは揺れ動く出典 : 私が仕事をしていたときのことです。お昼休みはどうしても職場の人と話す機会が多いですよね。そこで子どもの話になったとき、私は嘘をつきとおすのも疲れるので「娘は学校に行ってないんですよ」と正直に話すわけです。すると、年上の先輩お母さんには、「のんきなお母ちゃんやねぇ」と言われ、高卒すぐの子には「学校だけは行っといた方がいいですよ」と言われ…周りからの言葉に、「私は怠慢なのかなぁ、もっと娘にとっていい方法を探さなくてはいけないのかなぁ」と心がかき乱されて、どっと疲れてしまったのです。そして、突然焦って塾を探したり、居場所を探したり、福祉サービスを探してみたりと、すっかり自分を見失ってしまいました。そのときだけではありません。例えばブログなどで、「不登校だったけど親がしっかり支えて学校に通えるようになった話」を読んだときや、新聞で引きこもりの記事を読んだとき。私の中の「子どもは学校へ行って就職して独立して一人前。それは親の義務。」という刷り込まれた価値観がムクムクと顔を出し、「本当に子どもに任せていて大丈夫なの?」「このまま引きこもりになったらどうするの?」と不安でいっぱいになってしまいます。そして「うちの子は簡単な計算もできないし、雑談もうまくできないし、家の中で好きにさせていたら本人のためにならないんじゃないのかな…。私が何もしないのは努力不足なのかな?」と自信がなくなってしまうのです。大事なことを思い出させてくれたのは、同じ悩みを持つ仲間たちだった出典 : そんな私に大事なことを思い出させてくれたのが不登校の親の会の仲間たちでした。「娘さんにはね、今は『世界は安心なところだ』ということを確認してもらうのが先ですよ。この前、編み物カフェにいったでしょ?それだけでもすごいことなんだから、できたねって一緒に喜んだらいいんです。無理に新しいことをしなくていい。」「娘さんは『ちゃんとやらなければいけない』と思い込んで、外に出られない状態なんだと思います。何かできた、気持ちよく体を動かせたとかいう『今はこれが気持ちいい』という体験を積み重ねていくことが大切なんですよ。」「勉強はいつでもできます。全然あせらなくていいんですよ。」そう言われて目が覚めました。私は何を焦っていたのだろうって。もう少しで、一番大切なことを見失ってしまうところでした。私たち親子にとって、いちばん大事なことは何だろう出典 : 親の会の仲間たちの言葉を聞いて、思い出したのです。娘が不登校になった当初、よく「死にたい」「私なんていない方がママが楽になる」といって泣いてばかりいました。だけど、私が娘が学校に行かないこと、勉強をしないことを受け入れて、「本人の力で立ち上がるまで待つ」と決めてからは、娘もすっかり落ち着いて家で楽しそうに過ごしていました。一番大切なことは、「生きていてよかった」と娘自身が思えること。そして、家で安心して心を休ませて、「楽しいな」と思えることが一つでも増えていくこと。それだけでいいんです。娘もこの春には中3になります。また私の心が揺れ動いてしまうこともあるでしょう。だけど、私たち親子に寄り添ってくれる親の会の仲間や教育相談の先生、支援者の方たちがいれば大丈夫だと確信しています。「お母さん、それでいいねんで。よくやってるよ」と言ってくれる人がそばにいてくれたら私は頑張ることができます。この記事を読んでくださっている方も、私のように心揺れ動きながら奮闘されているのかもしれません。しんどい育児を家族だけで乗り切っていくことは、とても難しいと私は感じています。つらい時にはためらうことなくSOSを出して、一人でも多く自分たちを応援し支えてくれる人たちとつながっていくことを願っています。
2017年02月10日フリースクールとは?出典 : フリースクールは法や制度などによって定められた学校でないため、その定義はさまざまですが、文部科学省は以下のように定義しています。「フリースクール(フリースペースを含む)」とは、不登校の子供を受け入れることを主な目的とする団体・施設を指す。つまりフリースクールは社会において「不登校の子どもたちの居場所」という役割を果たしています。それぞれの施設の運営は個人や民間の企業、NPO法人によって担われおり、様々な規模や形態のフリースクールが存在します。フリースクールは学校教育法上の公的な学校とは認められていないため、義務教育課程の子どもであれば、もともと通っていた小中学校に籍をおいたままフリースクールに通うことが通常です。フリースクールの最大の特徴としては・入学資格を設けていないこと・異なる年齢・年代の子どもが集まっていること・決まったプログラムやカリキュラムを持っていないことが挙げられます。授業内容は学校教科の学習ばかりではなく、他者との交流を行いながら自分の好きなことを自由に学ぶことができる場所であることが多いです。「もちつき大会」のような季節に合わせた行事を自分たちで企画したり、ハイキング、潮干狩りなどのレジャー活動、運動会、劇や合唱の発表会、料理、旅行などを行ったり、その活動内容は実に様々です。また、自由や個性を重んじながら、施設のスタッフやほかの子どもと接することのできるフリースクールは、不登校の子どもたちにとって社会との接点をもつ場所であり、ソーシャルスキルのトレーニングの場ともなっています。参考:フリースクールが担う不登校支援の可能性についてフリースクールは、1975年頃から増加していく不登校を背景に80年代半ばから徐々に市民の手で広がっていきました。1992年には国も「不登校は誰にでも起こりうること」という認識を示し、フリースクールに通う日数も学校の出席日数として認められる事例も増えていきました。今日、フリースクールは、2015年に行われた文部科学省の調査によって把握されているだけでも、北海道から沖縄まで全国474ヶ所が確認されています。出典:「小・中学校に通っていない義務教育段階の子供が通う民間の団体・施設に関する調査」その数を見てもわかるように、フリースクールは今や子どもが学び育つ場として必要不可欠な場となっています。また、不登校の子どもを預かるフリースクールは、子どもたち本人のみならず、彼らと24時間ともに過ごす保護者や家族の精神的疲労を軽減する役割も果たしています。2015年度現在、不登校児童生徒数は、小学校27,581 人、中学校98,428 人、小・ 中の合計では126,009 人にものぼります。その数は前年度と比べ3,112人も増加しており、 フリースクールのニーズは今後も増えていくと考えられます。出典:平成 27 年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」以上のように社会的なニーズはあるものの、社会におけるフリースクールへの理解や支援は未だ不十分といえます。以下で説明する出席認知と通学定期以外の公的支援はほとんどないため、運営の財源探しに苦心するフリースクールが多いようです。国も、フリースクールで学ぶ子どもや保護者への支援を検討しはじめています。フリースクールにはどんな子が通えるの?主として、何かしらの理由で学校に行っていない子どもが通います。理由は様々で、いじめに遭って学校に行くのが怖くなってしまった子や、学校生活にうまく馴染めない子、学校の授業についていくことが難しい子、受験競争のストレスで疲弊してしまった子などがいます。それぞれ、自分の目的に合った形態のフリースクールに通っています。また、上記のような例の中には広汎性発達障害(PDD)やADHDなど、発達障害のある子どももいます。広汎性発達障害やADHDの子どもは共同生活におけるコミュニケーションを苦手と感じることも少なくなく、発達障害のない子どもよりも不登校になる可能性が比較的高いと言われています。同じように学校に籍をおきながら通える形態として「サポート校」の存在があります。フリースクールが主に精神面のサポートを行い、広く不登校の子供たちを対象としているのに対して、サポート校は主に学習支援に軸足を置いており、学習塾という色合いが強いです。そのためサポート校の対象は高等学校通信教育を受けている者(高等学校における「通信制の課程」に在籍している者、または、中等教育学校の後期課程における「通信制の課程」に在籍している者)や高等学校卒業程度認定試験合格を目指す人に限られる傾向にあります。フリースクールへの出席は学校への出席日数として認定されるの?出典 : フリースクールに通う子どもの出席認定は、小・中学生については1992年から、高校生についても2009年から実施されています。フリースクールに通うことを在籍校の出席扱いとするかどうかは在籍校の校長先生の判断に委ねられ、校長先生がそのフリースクールが「不適切」だと判断しない限り出席扱いになります。児童の不登校の問題に関して、文部科学省は以下のような姿勢を示しています。不登校児童生徒の中には、教育支援センター(適応指導教室)やいわゆるフリースクールなど、学校外の施設において相談・指導を受けている者もおり、このような児童生徒の努力を学校として適切に評価し、学校復帰などの社会的自立を支援するため、小・中・高等学校の不登校児童生徒が学校外の機関で指導等を受ける場合について、一定要件を満たすとき校長は指導要録上「出席扱い」にできることとしている。日本国憲法では義務教育について以下のように示されています。憲法第26条第2項で「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。」と規定されており、また、教育基本法第5条第1項に「国民は、その保護する子に、別に法律で定めるところにより、普通教育を受けさせる義務を負う。」一般的に義務教育といわれているものは、保護者が負っている「教育を受けさせる義務」(教育義務)によって子どもが受ける教育のことをさします。保護者は、児童を小中学校などに通学するように取り計らう「就学義務」という義務を負っています。一方、子どもには、基本的人権の一つである教育を受ける権利があります。しかし義務教育は「子どもが学校に行かなくてはいけない」という義務があるということは意味していません。フリースクールの費用はどのくらい?出典 : フリースクールは学校教育法上で公的に認められた学校ではないため、費用は自己負担となります。また、費用は施設によって金額差があります。平成27年3月に行われた文部科学省による調査では、1~3万円・3~5万円とする団体・施設がそれぞれ4割弱、平均額は約3万3千円でした。無料から5万円以上まで施設ごとに大きく異なり、入会金で10万円以上必要な場合もあります。1~3万円とする団体・施設が約3割で、平均額は約5万3千円です。出典:「小・中学校に通っていない義務教育段階の子供が通う民間の団体・施設に関する調査」現行の制度では、政府によるフリースクールへの助成はおこなわれていません。そのため、不登校の子どもが高校生である場合、保護者は在籍している高校とフリースクールの両方に学費を納めなければならず、経済的負担は少なくありません。今後、公的支援の導入によってフリースクールの費用が下がる可能性はありますが、現時点でははフリースクールを検討する上で家庭の経済状況の考慮も必要となります。フリースクール卒業後の進路は?学歴はどうなるの?出典 : フリースクールに通う子どもたちは、義務教育期間中はもともと通っていた学校に籍をおいたままフリースクールを利用することになります。在籍校の校長による許可が出ればフリースクールへの登校も義務教育上の出席日数として承認される場合もあり、卒業に必要な単位が出席日数単位を満たすことができれば、義務教育上の小中学校の卒業資格を得ることができます。籍をおいている高校の卒業資格については、高校卒業程度認定試験(高認)を取る、フリースクールと定時制高校や通信制高校を併用するなど、様々な方法で取得することができます。フリースクールを検討する際のポイントは?出典 : 不登校の子どもを支援する施設やサービスは数多く存在します。その中で、親子にとって最善の居場所はどこか?と悩みながら情報収集されているご家庭も多いかもしれません。ここでは、そんな不登校の子どもの居場所のひとつとしてフリースクールを検討する上で、どのようなことができるかを紹介します。フリースクールとひとことで言っても、授業内容や雰囲気はさまざまです。さまざまな施設の情報を集めるとよいでしょう。インターネット検索や資料請求によって各フリースクールの具体的な費用や概要について知ることができます。参考:発達ナビ > 地域情報 > フリースクール参考:NPO法人フリースクール全国ネットワーク実際に子どもをフリースクールに通わせていたり、通わせた経験がある保護者、あるいはフリースクールで働くスタッフの話をきくことで実情を知ることができます。参考:「登校拒否・不登校を考える全国ネットワーク」多くのフリースクールが、入学前の見学を歓迎しています。実際にフリースクールを訪れ、そこに通う子どもたちの様子を見たり、指導員の話を直接聞くことで雰囲気を知ることができます。また、お子さんにポジティヴな刺激を与えられる可能性もあります。まとめ出典 : フリースクールは主として不登校の子どものための居場所です。全国に約474ヶ所あり、規模や形式、提供する授業内容、費用などはそれぞれ異なります。公的な学校ではありませんが、在籍校の校長による許可が出ればフリースクールへの登校も義務教育上の出席日数として承認される場合もあります。社会からの理解は未だ不十分ではあるものの、フリースクールを必要とする人が多いことは確かで、今後公的支援の拡充がおこなわれる可能性も大いにあります。本人に合っているというのが大前提ですが、不登校の子どものためのさまざまな選択肢のひとつとして、フリースクールを検討してみてはいかがでしょうか。
2017年01月30日不登校児が家にいるということ。それは私にとって、息の詰まる時間でもありました出典 : 不登校になり、自宅で過ごす子どもたち。私の参加する親の会でもよく聞くのですが、彼らが自宅で過ごしていて辛かったことに「親がキレるのが怖かった」「親の機嫌が悪かったり、悲しまれたりした」という意見があるようです。こうした子どもたちが1番望んでいることは、親は親で勝手に幸せになってくれること。テレビを見て笑っている姿でもいい、楽しそうに過ごしてくれるのが嬉しいのだと、私は思うのです。そんな私も、娘が不登校になってからしばらくの間は、しょっちゅうキレていました。そのたびに泣く娘を見ながら「これではいけないのに…」と、情けない気持ちでいっぱいだったのです。私がどんなふうに、自分のイライラと向き合ってきたのか、ご紹介したいと思います。また娘を叱ってしまった…もう同じことを繰り返さないために考えたこと出典 : そんなある日のことです。私はまた些細なことで、娘にキレてしまいました。娘はポロポロと声も立てずに泣いています。もう、こんな光景を見たくない!と思った私は、いつもと違う行動をとることを決意しました。娘と話し合いながら、娘が泣くに至った出来事と自分のそのときの気持ちをメモ書きすることにしたのです。その時の出来事を時系列に書いていきます。()は私の気持ちです。①娘が夕飯を残した(悲しくなった)②娘に「後で食べる?」と聞いたら「いらん」と言った③1時間後、娘が「袋ラーメンあったっけ?」と探しに来た。自分では見つけられず、私が在宅仕事を中断して探してあげた(なんで夕飯は食べないのにラーメンは食べるの?腹が立った)④「ラーメン頼んだら作ってくれる?」と娘が言ったので、笑って「うん」と答えた。(こんな夜中に何で作らなあかんの。仕事中だったのに腹が立った。でも耐えなければと、あえて笑った)⑤「やっぱり冷凍スパゲティ食べる。気持ち悪いけど」と言われたとたん、ブチ切れした私。(前もスパゲティ食べてほとんど残して気分が悪くなったくせに。そしてまた私が残飯処理をしなければならないのか!キレた。)こうして文字に起こして、娘と話し合いながら自分の気持ちを丁寧に振り返ってみると、色々と見えてくるものがありました。イライラの爆発は、自分の感情に気づかなかったことが原因だった出典 : 娘に対し、突然怒りを爆発させてしまう私ですが、子どもの頃は「いつもニコニコしてるね」「癒されるわ」と言われてきました。だけど、心から笑っている訳ではなかったのです。むしろ「嬉しい、楽しい」という感情が湧くことはめったになく、どちらかというと「悔しい、腹が立つ」というマイナスの感情の方が感じやすい性質です。どういう表情をしたらいいのかわからないから、誰からも攻撃されないように笑顔を選んだだけなのです。今回気付いたことですが、「もうダメ」とキレるまでに、途中で何度も怒りを感じているはずなのに、自分では見えていないというか、心にフタがされているような感じがするのです。そうして怒りが心の中に積み重なり、何かのきっかけで溢れ出したときにキレてしまうのです。つまりキレたときには、すでに精神的には限界を迎えているのです。母親から怒られることに対し、娘はどう思っているのだろう出典 : 自分の気持ちを振り返った後、私は娘の正直な気持ちも確かめることにしました。私「怒られたら怖い?」娘「うん、そりゃ怒られるのは怖い。特にママ怒るとむちゃむちゃ怖いから。」私「他の人に怒られるのも怖い?」娘「怖いに決まってるやん。ママはその場では怒らないのに、後でいきなり一気に怒りをぶつけてくるからびっくりする。例えば私が掃除手伝えなかった時でも『いいよいいよ』って言ったのに、後で急に怒りだすから『え!?』ってなる。その場で怒っているなら言ってほしいし、本当の気持ちを話してほしい。今日なら、夕飯を残したときに『悲しかった』って話し合ったときに言ったやろ。それをその時に言ってほしい。そうしたらわかるし、びっくりしないし」そうした娘の言葉に、私のどういう行動に違和感を抱いていたのか、そしてどうして欲しいのかという気持ちが分かり、話し合って良かったと思いました。また、娘の言葉のおかげで自分のキレ方の癖に気づくことができたのです。イライラすることは誰にでもある。だからこそ、大切にしたいのは…出典 : 娘のおかげで自分のキレ方に気づいた私は、「とにかく我慢しないように心がけよう」と決めました。ちょっとムッとしたとき、「あれ、私怒ってる?それとも疲れてる?」と自分に問いかけるようにしたのです。そして、無理している自分に気づいたらできるだけ休むようにしました。合わせて、娘に正直に「いま機嫌が悪い」と申告するように。そうすると、娘もいろいろと推測して胸を傷めることが減ったようです。こうして私がキレることも、少しずつですが減っていきました。もしキレてしまっても、後で必ず娘に謝るようにしました。すると娘も、「ママも人間だもんね。しょうがないね」と許してくれるようになっていったのです。しんどい子育てをしていると、自分の感情を後回しにし、疲れを溜め込むことが多いと思います。ときには自分の気持ちに目を向け、自分に優しくしてあげる時間を持てたらいいですね。
2017年01月27日不登校にまつわるさまざまな不安、どう取り除く?出典 : 何らかの事情で学校に通えなくなった場合、様々な不安がお子さんにも保護者にも湧き上がってくることと思います。・学校に通わずに社会性は身につくのか・学校に通わずに友だちはできるのか・学校に通わずに勉強はどうなるのか・学校に通わずに将来はどうなるのかわが家の場合は子どもたちの不登校を前向きに捉え、「学校という環境が合っていないなら家で学べば良い」というスタンスで過ごしていますが、そんな私にも不安はあります。そこで、1つでも不安を取り除くことができれば、親も子も心に余裕ができるのではないかと考えてみました。すると、上記項目の中で解決できそうな項目が「学校に通わずに勉強はどうするのか」だったのです。「学校のお友だちは、どんどん先に進んでいるんだろうな。私は勉強しなくていいのかな?」と娘が不安を口にした時から、なんとかこの不安を払しょくしてあげたいと思っていました。「親子で勉強するとケンカになる」という話をよく耳にしていましたので、「国語と算数は教科書の内容を全てクリアできます」と説明のあった学研教室に通わせてみたりもしました。しかし、これでは他の教科がカバーできません。理科実験教室なども探してみましたが、なかなか良い場所が見つからず悩んでいました。先生から誘われた2学期のテスト。それは、友達と同じ範囲を勉強するチャンスだった出典 : そんな折、学校の先生から「みんなと同じ2学期のテストを受けてみませんか?」というお話をいただきました。(娘は不登校ですが籍は学校に置いています)娘と相談した結果、教科書を使って親子で勉強し、テストにチャレンジしてみることに。先生からテスト範囲を教えていただき、娘とともに教科書を開いてみました。一瞬、「本当に教えられるのかな?」とひるみますが、私が不安に思うと娘にも伝わってしまいますので、一緒に勉強をし直すつもりでどっしりと構えていました。初めに手をつけた算数は、小数点の計算や図形の問題、コンパスで円を描くなどの部分がテスト範囲に入っていました。娘はまだ小学3年生。落ち着いてゆっくりと向き合えば、まだついて行けそうな内容です。「へ~!これはこういうことだって!知ってた?」と聞いてみると、案外簡単なことがわかっていなかったり、逆にそんなことを知っていたの?と驚くことも出てきたり、わが子の思いがけない一面を発見でき楽しくなってきました。テストに向け、いざ勉強!使用教材と勉強手順は…出典 : 教科書をざっと確認した後で、テスト勉強に使えそうな問題集を書店で探すことにしました。学校へ通っていた頃には意識したことがありませんでしたが、いろいろな教材が並んでいるものですね。その中でわが家が選んだのは、「教科書ワーク」と「教科書ぴったりテスト」というものです。株式会社文理が、各教科書出版社の内容に準拠して作っているものなので、内容はもちろんぴったりと合っていますし、教科書の範囲に対応した目次がついていて、とても使いやすい問題集になっています。地区によって使用している教科書の出版社は教科ごとに異なりますので、お手に取る際はお子さまの教科書をしっかりとご確認ください。試行錯誤の末、わが家ではこのような手順で勉強を進めることにしました。① 問題集をいきなり解いて丸付けをし「わからない」部分を認識する② ①で認識した「わからない」部分を意識しながら教科書を読む③ 不正解だった問題に再度取り組む④ テストに取り組み「わからない」部分への理解度を確認する問題集は書き込む前に、あらかじめコピーを取っておくと、何度も挑戦できていいかもしれませんね。文理の教科書ドリル子どもと勉強をするとき、私が肝に銘じていること出典 : テストは児童の下校終了後に学校で受けさせてもらいました。結果はまだ返ってきていませんが、「学校の勉強についていけなくなる不安」を払しょくするために始めたことですので、「教科書でお友だちが習ったところは自分も勉強した」という満足感を得られたことで、目的は達成できたように思います。今回、親子で勉強をする上で強く意識していたことがあります。「理解が進まない場合、子どもに問題があるのではなく、伝える側に工夫の余地がある」ということです。これは以前の子育てからの教訓です。我が家は娘のほかにADHDの息子がいます。息子は聞いて理解することが苦手だったのですが、そのことに気付かなかった私は、口頭で何度説明しても理解できなかった息子に呆れ果てていました。その後、息子が「視覚優位(見て理解する力が優位)」だったことを知り、絵に描いて説明したとたん、できることがどんどん増えていきました。このとき、「伝え方を工夫するだけで、理解できることもある」と知り、息子を責め続けていたことを反省したのです。わが子を1番よく知っている立場だからこそ、できることがきっとある出典 : 誰かに何かを伝える時、自分が1番得意な方法で相手に伝えることが多いのではないかと思います。しかし、相手にとっては、それがベストな方法とは限らないのです。「どうしてわからないの!」という言葉は絶対に子どもに言うまいと決めていました。その代わり、子どもがつまずいた時には「この説明だったらどう?」「ちょっと違う方法で説明してみるね」と何通りかの方法で説明をしながら、子どもに合う方法を探っていくようにしました。先生でもない私が勉強を教えることができるのだろうか?という不安から始まったお勉強タイム。終わってみれば、共通の話題が増えたり、子どもが理解しやすい方法を見つけられたことで、生活の中にも活用できたりと、プラスの面が多かったように思います。同じような不安をお持ちの方がいらっしゃいましたら、まずは1教科からでもお子さんと一緒に勉強に取り組んでみてはいかがでしょうか?お子さんの特性をより深く知っている保護者の方だからこそ、もしかすると「世界でいちばんわかりやすい先生」になれるかもしれません。私もそれを目指して頑張ろうと思います!
2017年01月10日今、ようやく思える「自分の人生に意味があった」ということぼくは今まで、本当にたくさん人に迷惑をかけてきた。不登校だけじゃなく、周囲の迷惑になることもしてきた。でも、変わらず僕を心配し愛情を注いでくれる人達がいた。「あなたはあなたで大丈夫」「生きていてくれてありがとう」そう言ってくれる人がいた。同じ言葉を、今苦しんでいる子どもたちにも届けたい。想いを繋いでいきたい。講演ライブをはじめたばかりの頃、過去の経験を話すたびに胸が苦しくなって涙が溢れた。今でも涙が溢れてくることがある。それでも活動を続けたいと思うのは、「不登校について考え方が変わりました」と言ってくれたり、「死にたいと思っていたけど、生きていこうと思えました」と言ってくれる、子どもたちと出会えるから。自分の経験にも意味があったんやなって、思えるようになった。「逃げる」ことはときに、生きるために闘うことだと伝えたい出典 : 僕の不登校のきっかけになったのは、クラスメートの女の子へのいじめだった。そのいじめの対象だった女の子は16歳で自殺して亡くなった。あの時なにもできなかった自分をものすごく責めた。ぼくは逃げてしまったけど、彼女は我慢して我慢して、そして最後には命を絶った。今振り返っても、苦しくなる。彼女の死を僕は忘れない。今現在、あの時の彼女のように1人で踏ん張っている人がいたら、「一人ぼっちでどうにも出来ない時は、逃げていい」と伝えたい。「逃げる」ことはときに、生きるために闘うことだと伝えたい。いじめの話を学校でしていたとき、生徒さんの中で、倒れてしまい保健室に運ばれた女の子がいた。彼女は自分自身のいじめの経験がフラッシュバックして倒れた。講演を終えすぐに、彼女がいる別室にいくと過呼吸になって泣いていた。僕は彼女に、「生きていてくれてありがとう」と伝えながら、隣にいることしかできなかった。どうしてこの子がいじめにあわなくちゃいけないのか、とても苦しくなった。彼女は周囲に相談していじめから逃れることができた。後日、「生きていこうって思えました」という手紙を送ってくれた。僕たちは、経験を伝えることで誰かを傷つけたいとは思っていない。けれどあの頃の僕らのように、誰にも相談できず、未来も見えず真っ暗闇の中で今日を生きている人がいること。そんなみんなに僕らが元気な姿を見せることで伝えたい。「生きていればいつか、そんな日があったと笑える日が来るよ。大丈夫。」講演ライブも続けながら、今後は小さい子どもたちへむけて、絵本をつくってメッセージを伝えていきたいとも思っている。昔から絵本が好きだった。ことばじゃなくて、感覚で子どもたちに伝わっていくような絵本を作れたらいいなと思っています。親の笑顔は、何よりも大きな希望になる学校でも家でも、悩みはどこでもうまれるから、「不登校=家が過ごしやすい」ということではないと思う。学校にも家にも「居場所がない」と感じる子どもも沢山いる。僕の場合は、【不登校の親の会】という居場所があった。学校や年齢も関係のない、ごちゃまぜのコミュニテイの存在は、僕にとって大きな意味を持っていた。不登校を気にしないでいてくれる大人たちの存在も大きかった。「お前ら不登校か、それがどうした!キャンプいこうぜ!」みたいな、人の心にズケズケ入ってくる人達の存在も頼もしかった(笑)ただ、大人になるまで、自分の親と不登校についてじっくり向き合って話すことはなかった。今になってようやくわかること、あの当時親も苦しんでいたこと。僕らと同じかそれ以上に。親は今でも「幸せで笑っていてほしい」と言ってくれる。だけど僕はそれと同じくらい、「親にも幸せで笑っていてほしい」と願っている。苦しい時期、悩みの渦中にいた僕に、親は共感し泣いてくれた。そのことはとても嬉しかった。けれどそれ以上に僕を救ってくれたのは、親が笑ってくれた瞬間。今悩んでいる親御さんには、ぜひ自分の人生を大切に生きてほしい。まずは親御さん自身が「幸せだ」と思える人生を送って、笑顔を、幸せでいる姿をお子さんに見せてほしいと思っています。
2016年12月29日