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無事、仕事が決まったものの...乗り越えなくてはならないハードルがたくさんありました昨年春から仕事をしている私ですが、仕事を始めるにあたり一番心配だったのはやはり子どもたちのことでした。けれど定型発達の次男は幼さが抜けてしっかりしてきているし、自閉症の長男は平日、放課後等デイサービスに通っているので帰宅時間はだいたい18時。間に合うよう働けば問題ありません。ありがたいことに、かつてお世話になっていた会社で事務のパートが決まりました。平日の10時から16時までの勤務なので、長男の帰宅時間にも間に合う。ほっとしました。けれど、気がつきました。しまった!夏休みをどうしようかと。Upload By シュウママダメもとで聞いてみよう・・放課後等デイサービスに聞いてみました長男が通っている放課後等デイサービスは、学校のある日は学校に直接お迎えに行ってくれ、18時に自宅まで車で送ってくれます。けれど、春休みや夏休みといった長期休暇の期間は、10時から15時30分までになります。Upload By シュウママ私の勤務時間は10時から16時。これでは夏休み中は、放課後等デイサービスを利用したとしても私の出勤時間にも長男の帰宅時間にも間に合いません。一度は仕事を諦めようかと思ったのですが、藁にもすがる思いで、通っている放課後等デイサービスに相談してみることにしました。放課後等デイサービスから、意外な返事が!放課後等デイサービスの責任者の先生に仕事のことと夏休みのことをお話しすると、先生はしばらく考えて「それなら、長期休みの期間だけ預かり時間を延長しますよ」と言ってくださいました。「息子さんの他にも、実は同じように働いているお母さんから、時間を延長できないか相談を受けてます。大丈夫ですよ」そう笑顔を見せてくださったのです。Upload By シュウママそんな先生の言葉は、働く私の背中を押してくれるようで、とてもあたたかかったです。働くことを諦めないで。相談してみることで克服できることがあるかもしれませんもちろん、放課後等デイサービスによっては時間の延長に対応できないところもあるかと思います。けれど、もし私と同じように長期休みの問題で働くことを躊躇している方がいるのなら、すぐに諦めるのではなくて、一度放課後等デイサービスに相談してみて欲しいなと思います。もしかしたら解決することもあるかもしれません。仕事を始めてちょうど1年たちますが、こうした支援があるおかげでなんとか続けてこられています。もともと出不精なこともあって家庭内でストレスを溜めがちだった私ですが、仕事を始めてからは外に出て働くことで気分をリフレッシュすることができるようになりました。そして夏休みを放課後等デイサービスで過ごすことは、長男の成長にもプラスになりました。通っている放課後等デイサービスでは、夏休みはプラネタリウムに行ったり、広い公園を走り回ったりして、家庭で過ごす以上に日々さまざまな活動に取り組むことができます。そのおかげで夜もぐっすり眠り、ご飯もたくさん食べ、元気に過ごしていました。放課後等デイサービスが働く私の背中を押し、長男の成長もサポートしてくれたのです。周囲の人に支えられ、さまざまな問題を乗り越えることができたことを痛感した1年でした。Upload By シュウママ
2019年06月27日お願い、言われなくても手伝って…今や学校の宿題として出されることもある「お手伝い」。けれども、率先してやってもらうことや、習慣化することってなかなか難しいのではないでしょうか。家庭によってその取り組み方はさまざまだと思います。わが家でも、言わなきゃやらないし、言っても「え~」とイヤイヤやることがほとんどでした。Upload By SAKURA大忙しな私と、ただただ座って待つ家族私はいつも、夕方から寝るまでの時間、ずっと立ちっぱなしの動きっぱなし。ごはんもみんなの余りものを、食器を洗いながら口に放り込むという状態で…。寝るその瞬間まで、座ることすらできません。ある日、夕方遅くに帰宅したため、晩ごはんを急いで作っていた私。ふとリビングに目を向けると…。Upload By SAKURA晩ごはんができるのを、座ってひたすら待っている(私以外の)家族。私の中で、この状況の違和感が大きくなった瞬間でした。お手伝いって無理やりやってもらうもの?それでもなんとか、日々家事をこなしていましたが、ついにキャパオーバーした私は家族にお願いしました。Upload By SAKURAしかし、手伝ってくれたのは、私が頼んだ時だけ。それから、あれやってこれやってと指示は出したのですが、なんか無理やりやらされてる感を漂わせている状態に、私は「これではいけない!」と思いました。もっと、自主的で…率先してて…楽しくやってもらえないだろうか。編み出したのが、お手伝いカードそこで私は、お手伝いカードを作ることにしました。お手伝いをしたらスタンプを押す…しかし、それだけではやる気が持続しない。考えた末に、20マスがすべて埋まった時、500円の買い物券と交換!という形にしました。そうすることで早くマスを埋めたいという気持ちが起きるんじゃないかと思ったのです。さらに私は、娘の分だけではなく、夫の分も作り、2人で競ってもらうことにしました。Upload By SAKURAこうすることで、娘は負けたくない思いから、次から次にお手伝いを要求してくるようになりました。そして、夫もまた娘に巻き込まれる形で参戦し、私の家事の手伝いをしてくれるようになりました。効果てきめんだったお手伝いカードお手伝いカードを始めてから、わが家の雰囲気はがらっと変わりました。Upload By SAKURA娘は、自主的にお手伝いをするようになったのです。息子が散らかしたおもちゃを片付けたり、食後のテーブルを拭いてくれたり。前より、周りに気を配るようになったように感じます。忘れている時もたまにありますが、「あれ?スタンプどうなった?」って呟くと「あぁ!そうだった!」と慌ててお手伝いを探してくれます。そうやって娘は、3週間ほどかけて、1枚目の500円券を手に入れました。Upload By SAKURA自分で頑張ったことでもらったお金で、物を買うはじめての経験。買い物の時に、そのお金の使い道に悩む姿を見て、お金のありがたみの勉強にもつながったように感じました。そのおかげか、最近ではジュース一つでもあまり気軽にねだらなくなりました。お手伝いカードの思わぬ効果そして、意外や意外。一番驚いたのは、夫の変化でした。Upload By SAKURA前は、たたんでいない洗濯物があってもスルーしていた夫でしたが、娘に巻き込まれたお手伝いでやっていた、洗濯物たたみが習慣化し、最近では洗濯物を積み上げて置いておくと、勝手にたたんでくれるようになったのです。2人がいろいろと動いてくれるようになり、私の家事の負担はかなり減り、最近では、座ってテレビを見る時間もできました。子どものために始めたことでしたが、旦那にも浸透していったお手伝いの習慣化。あと何年かしたら、息子にも作る日が来そうです。
2019年06月26日意欲的に、家庭学習に取り組む息子。一方、在宅ワーカーの私はストレスを蓄積させ…登校渋りを幾度も繰り返し、8歳の誕生日を迎えたその日に「もう学校には行かない」と宣言した息子は、この4月で小学4年生になった。不登校開始1週間の時点で、「行かない気持ちに変わりはない。万が一気が変わったら申告するから、そちらからは一切聞いてくれるな」との旨の申し出があったので、私から働きかけることは避けていた。根性論にて復学を強く勧める学校側に辟易しつつ、息子の意思を尊重すると決めた私。それが2年生後期までの話である。それが1年前、3年生に進級したとき、風向きが一気に変わった。息子たちのクラスを受け持つことになった担任の先生、そして新しく着任した校長先生と教頭先生は、息子の自宅学習に協力的だったのだ。月に一度、担任の先生が課題を持ってきてくれ(もしくは私が受け取りに行き)、息子が1ヶ月かけてこなす。翌月に終了した課題と新しい課題を交換、さらに翌月には先生が添削した課題をまた持ってきてくれる、ということを繰り返すのだ。通学するのと全く同じペースとはいかないし、教科の偏りは出てしまうが、大幅な遅れを取ることはない。エネルギー出力にムラはあるが、息子はもともと知識欲が強い、勉強の好きな人間だ。学校からいただいた課題以外にも、自ら所望した問題集などにも取り組むほどで、家庭学習はとても順調に進んでいくように見えた。しかし、問題が発生した。息子ではなく、私に。フリーランスのライターである私の仕事は、ほぼ在宅にて行われている。だから打ち合わせ等がない限り、四六時中息子と同じ空間で過ごすことになる。1人の時間が持てないだけでも息苦しいというのに、集中力が途切れやすい私は、自分のペースで作業を進行できない状況にいらだちを募らせていた。分かっている、息子は悪くない。しかし、例年であれは冬季うつの時期にしか服用しない抗うつ剤が、春になっても手放せなくなっていた。些細なことで腹を立て、そんな自分を呵責し、深夜に眠れず涙すること連日。数ヶ月に1回、1泊2泊の出張や1人旅をしたところで、蓄積されたストレスは解消しきれなくなってきたのだ。そんなある日のことだった。平日の午後、小学校が終わるころを見計らって公園へ出向くことが増えていた息子が、帰宅後にこう申し出たのだ。「文化祭の日、学校に行ってみようと思う。同じクラスのJ君に誘われたから。行ってもいい?のん(私の呼び名)も付き合ってくれる?」久しぶりに登校し、文化祭を楽しんだ息子の口から出た意外な発言。しかし、いつ気が変わるかも知れず…出典 : 文化祭のスケジュールは、午前中が体育館で行われる音楽発表会、正午手前に各々の教室で帰りの会を行い解散、あとは自由見学となっていた。いつごろ行きたいのかと息子に聞くと、音楽発表会の時間から行きたいのだという。私の都合で朝一番からの見学は叶わなかったが、それでも早いうちに学校にたどり着けた。実のところ、体育館のような空間に響く音声というものは、聴覚過敏を持つ私が苦手とするものだった。両耳から勢いよく水を流し込まれるような痛みと不快感で、めまいと吐き気を催してしまうのだ。デジタル耳栓を用意していなかったことを激しく悔やみつつ会場に入ると、存外辛くない。不快感がゼロというわけではないのだが、幾分か楽だ。どうやら私は「体育館のような空間で、“複数の人が雑談している声”の響き」が苦手であり、音楽だとそこまでではないようなのだ(体育館や音楽にもいろいろあって、どこでもそうとは言い切れないが)。さて、私自身が特性について再発見をし、1人密かに感激していたところ、担任の先生が私たち親子の姿に気づいた。息子をクラスメイトたちが並ぶ列へ、そして私も発達障害の当事者であり、聴覚過敏を持っているとご存知の先生は、私を保護者席から離れた職員席へと、それぞれ誘導してくださったのだ。息子は列の最後尾についたのだが、前にいた子が気配を感じたのか、振り向いた。更に前の子が何かを察して振り向き、また更に前の子が…というように次々とみんなが息子の存在に気づいて、声こそ出さないし、振り返るのもそれぞれ1、2回であったものの、そわそわとした雰囲気になるのが、見ていておかしいやら微笑ましいやら。演奏が終わり、一旦休憩になった途端、「ハルくんだ!」「ハルくんだ!」「ハルくんがいる!」「ハルくん、久しぶり!」と、たくさんのクラスメイトが一斉に息子に駆け寄ってくれた。詳しい会話の内容までは聞こえない。息子本人はとても照れくさそうな、でも確実に嬉しそうな表情で応対しているのが分かった。それから息子は音楽会だけでなく、終わりの会にも参加し、クラスの友達に誘われて、自由見学にも出向いた。途中でパニックを起こして、途中で何も言わずに帰宅してしまったのだが、後日会ったときにそれを責めることもせず、むしろ心配してくれたのだという。彼らを含む、息子の存在を受け入れてくれたクラスの児童たち、息子だけではなく、私の特性にもご配慮くださった先生方には心から感謝している。その数日後、「行事のときとか、たまには学校に行ってみようかな」と息子がひとりごちた。正直、とても驚いた。とはいえ、いつ気が変わるとも知れない。私はさしたる期待をせずに聞いていた。限界を迎えていた私。約束を守りたい気持ちと復学を促したい気持ちの間での葛藤案の定、「たまに」は年をまたいでも訪れることはなく、私は出張や旅行で息抜きをしつつ、ギリギリのところで踏みとどまっていた。いや、すでにおかしくなりかけていた。寝入る直前に「何か食べたい」と申し出た息子に「もう寝る前だし、牛乳ぐらいにしておこうか」と言葉を返し、寝つかせたあとに「あれはネグレクトではないか?ネグレクトに違いない」と自責を始め、夜半を過ぎるまで泣きとおすなど、精神のバランスも生活のリズムも著しく乱れていた。仕事も思うように進行させられず、「もう私にはコラムなど書けないかもしれない」と、『発達ナビ』の牟田編集長に宛てて、泣きながらメールを打ったのもこのころだ。とにかく、限界だった。「フリースクールや放課後デイ施設などがあるではないか」とおっしゃる方もいるだろうか。もちろん視野に入れ、自分なりに調べた。しかし私たち親子は、施設数が都会に比べて圧倒的に少ない地方に住まう身である。学費や立地など、条件に見合う場所を見つけられなかったのだ。そして3月の半ばになって、「たまに」がようやく訪れた。とても興味を引かれる学習内容ばかりの時間割で、給食は好物ばかりの献立の日があるから、というのだ。息子はその日、朝の会から終わりの会まで学校で過ごし、「音が辛いこととかちょっとあったけど、勉強は面白かったし、みんなと遊ぶのも楽しかった!次はいつ行こうかな?」と笑顔で帰宅し、私に話してくれた。(次の「たまに」はまたしばらく来ないのかな…)と考えるだけで胃から何かがせり上がる。楽しいのなら、もっと高い頻度で登校して欲しい。できれば毎日。でも、私から登校を促す働きかけをしない約束を、息子とは交わしている。だから言えない。私を信頼してくれるこの人との約束を破りたくない。破りたくはないのだが…。約束を破り、私は切り出したさて、話は前後するが、以前のコラムにも書いた、息子が3年生になってすぐの面談で、「息子さんとの(登校を促さない)お約束もありますし、もし学校に行きたいという話を息子さんがしたら、というつもりで聞いていただきたいのですが」という前置きのあと、校長先生がこんな話をしてくれた。「教科書を使って、みんなと同じペースで学ぶ、という学習方法が、向いている児童と向いていない児童がいます。すでにお渡ししている教科書よりも使いやすいと息子さんが思える教材があれば、それを使って児童の数が少ない特別支援学級や、もしくは別の学習室で学ぶという方法もあります。特性の関係で疲れやすいでしょうから、そんなときは遅れてきても構いませんし、早退しても構いません。息子さんが無理をせず、のびのびと学校生活を楽しめるように、私たちはできる限り協力します」フリースクールを検討して調べたことは前項で述べたが、私が調べた限りの、どのフリースクールよりも手厚い。これが公立の小学校である。しかも、身心ともに疲弊しきった息子が不登校を決めたときに、「苦手を克服するということから逃げ続ける息子さんを容認して、成長の機会を奪ってもいいんですか?」と私を叱責し、これは書いたことがなかったが、特別支援学級の利用や、進級を期にした転籍を願い出た際、「息子さんは頑張れば通常学級でもやっていけますから必要ありません」と跳ね除けた公立小学校と、同じ公立学校なのだ。知識欲の強い息子はいずれ、私の学習サポートでは物足りなくなるだろう。現状だって、私は自分の仕事と家事に手一杯で、十分な時間を割けているわけではない。そして条件に合うフリースクールは見当たらない。しかし、フリースクール以上に手厚い、すでに息子が在籍している小学校がある。もう、これは言うしかなかろう。「ごめんなさい、私は今からあなたとの約束を破ります」そう、私は切り出した。何事かと表情を引き締めた息子に向かって、続けた。「約束を破るわけだから、あなたが怒ったとしても無理はない。でも、最後まで聞いてほしい。正直、私は今の生活が限界。仕事をしながらあなたの学習をサポートするのはとても大変だし、正直ちゃんとサポートできているかも自信がない。これからあなたがさらに多くのことを、深く学びたいと願うときが来るかもしれない。そうなったら学力面と知識面、時間の面でも私の手には負えなくなると思う。あなたの学びの妨げを、もし自分がしてしまったら、私は悔やんでも悔やみきれない。それから、仕事の効率が確実に落ちているなと感じている。これは私の気が散りやすいというのが問題であって、あなたが悪いわけではないから、気に病んでほしくない。とはいえ、もっと仕事に集中する時間がほしい。そうした私の勝手な事情で約束を破ることを、本当に申し訳なく思っている。許さなくてもいい。…いきなり、毎日、最初から最後まで、とは言わない。でも、もう少し学校に行く頻度を高くしてほしい」そして、面談で校長先生が話してくれたことを、息子に伝えた。息子は何も言わずに聞いていたが、私の言葉が途切れたのを見計らってか、ゆっくりと口を開いた。「今の学校だったら、行くのは嫌じゃないよ。でも、ずっと家にいたし、のんが言ったように、いきなり毎日最初から最後まで、というのはできないかもしれない」「うん、それは仕方ない。ありがとう、聞いてくれて、怒らずに受け入れてくれて、本当にありがとう」「うん。だって、のんが仕事をできなくなったら、まだ働ける年齢じゃない自分だって困るし」「いきなり毎日最初から最後まではできないかもしれない」などと申していた息子だったが、土日をはさんだ週明けから春休みに突入するまでの1週間、毎日最初から最後まで、つつがなく登校し、帰宅すると、学校での様子を楽しそうに伝えてくれたのだった。「学校に行ってみよう」と息子が思えるきっかけとなった、N先生の寄り添い出典 : 年生の中盤過ぎから始まった息子の不登校生活は、3年生のラスト1週間で、ひとまず終わりを迎えた。ここで私の頭に疑問が浮かぶ。そもそもどうして「学校に行ってみよう」と息子は思えたのか。本人に質問をしてみたところ、このような答えが返ってきた。「(担任の)N先生、学校に来てねみたいなことを一度も言わなかったから」そうなのだ、N先生は「息子さんの顔が見たいのでお構いなく」とおっしゃって、ほぼ毎月わが家にご足労くださっていたのだが、ただの一度も登校を促すような発言はなさならかったのだ。2年生のころ、当時の担任の先生が、クラス全員からの手紙を持って、わが家にいらしたことがある。「早く学校に来てね」との旨の内容がそれぞれの文字と言葉で綴られていたそれに、息子は一瞥もくれなかった。「あなたはこんなに必要とされているんだよ」ということを伝えたい、先生の愛情と善意であることは理解できる。でも、そこに息子はいないのだ。学校に行くことが辛くてたまらない息子の気持ちが、まるで「改めるべきもの」として扱われているように、私には見えてしまったのだ。「助けてってお願いしているのに、無視されているような気持ちになった」と、後日息子も述べている。「N先生って、元気?とか、最近好きな遊びはある?とかは聞いてくるけど、学校に来てねとかは言わなかった。なんかそれが、こっちの気持ちを大事にしてくれているように思えたから」思いやりや寄り添いは、なにも気遣うような優しい言葉をかけることだけではない。言葉少なであるからこそ、自分が尊重されていると感じられることは、大人にだってある。イソップ寓話『北風と太陽』を私は思い出し、次年度もN先生が担任であったらいいなと願いつつ春休みを迎えた。いや、担任がどなたになるかという話の前に、休みが明けたら「やっぱり学校に行きたくない」と息子が言い出す可能性は、なきにしもあらず。心の準備を、私はした。《次回に続きます》
2019年06月25日小学校入学直後から、息子の様子に気づいていた先生からのサポートUpload By かなしろにゃんこ。小学校に入学してすぐの頃から、先生は息子の様子や特性を見て「この子はきっと発達障害がある」と気にかけてくださっていた気がします。当時、机に座っていられない、授業中に絵を書く、体育の授業は床で寝転がるなど、誰が見たって「この子変わってる!?」と思うような行動が多かった息子。そんな息子を先生はサポートしてくれていました。私には「お子さん発達障害がありますよ」と直接伝えられてはいませんでしたが、今思うと個別支援計画も作っていただいていたように思います。Upload By かなしろにゃんこ。先生は短期目標を作って、息子がいつでも思い出せるように机に貼ってくれたり、頻繁に声かけをしてくれたりと、達成に向けたサポートをしてくれていました。目標は「ランドセルをロッカーにしまえる」や「1時間座っていられる」など、その当時の息子の状況に合わせて、無理なく設定されたものでした。担任の先生や補助の先生が息子をじっくり観察して、スモールステップで取り組める、「(少しのサポートや配慮があれば)できる目標」を立ててくれていたのだと思います。そして、目標にしていたことができると「できましたね!」と褒め、できたねシールを貼るポスターを用意するなど、本人が達成感を感じられるような働きかけもしてくれていたのです。息子の様子、家とは違う!?こまめに先生が教えてくれたUpload By かなしろにゃんこ。先生からは普段、学童保育のお迎えなどでたまたま会った際にまとめて息子の様子を報告してもらい、息子がいけないことをした場合は都度お電話で報告をもらっていました。他にも連絡帳に先生がお手紙を書いてくれたりもしました。ちなみに、連絡帳を持ち帰るのをほぼ忘れるADHD息子。先生からの連絡を見られるのは10日に1回程度でした。どうしても伝えないといけない内容のお手紙は、先生自ら息子のランドセルに入れてくれるのでした。先生優しい…♡また、面談の際には、他の子と同じようにできないことについても親が焦らないように、「少しずつできるようになればいいです」と伝えてくれたり、できないことについて否定的に感じないように「みんなも同じです、できないことはあります」と言ってくれたり…「お母さんの育て方は間違っています!」という言い方は一度もなく、励ましてくれました。それまで息子が他の子と同じようにできないことを知らなかった私は、先生との面談や連絡帳に書いてある息子の様子を読んで「アレ…アレレ…」と集団生活や授業参加がうまくいっていないことを知っていったのでした。先生から伝えられることの9割は耳が痛いことばかりですが、家にいるときの息子と集団生活の中での息子は違う、いいことも悪いこともすべて含めて息子を知るために先生との情報交換は必要なんだ…と思うことにしました。信頼できる先生からのすすめで、はじめての教育相談へUpload By かなしろにゃんこ。3年生のときの担任の先生との夏の面談で、「うちの子って考え方が幼いんですよ…」と相談したところ、「そうですね…リュウ太くんは他の子よりも心の発達が遅いのが気になりますね」と教育相談所での相談を勧められました。先生との連携が日頃からうまくとれていたこともあって、「ああ、そういう場所で相談する方法もあるんだ~」と先生の勧めに素直にうなずくことができました。Upload By かなしろにゃんこ。担任の先生は教育相談所の連絡先を教えてくれたり、発達が気になる子の情報誌を貸してくれたりと、息子だけでなく母である私のことまでサポートしてくれました。おかげで教育相談所に繋がることができて月に2回、午後2時から相談の時間を設けてもらいました。教育相談に行く日は息子は給食を食べたら学校を早退するようにして、先生にも協力してもらい、出かける時間に息子を送り出してもらっていました。教育相談では息子は自己肯定感を育てる遊びにのびのびと取り組み、私はカウンセリングを受けました。教育相談所に行く前は、「あなたの育て方が悪い!」と怒られたりしないかしら…と少し不安もありましたが、そんなことはまったくなく、カウンセリングを通して発達が気になる子どもとの接し方を教えてもらったり、なかなか勇気が出なくて避けていた児童精神科の受診を勧めてもらったりしたのでした。こうして学校の先生の勧めで教育相談に行ったことが発達障害の診断を受けるきっかけとなり、私は息子の特性と本格的に向き合うことになっていったのです。Upload By かなしろにゃんこ。お互い気持ちのよいやりとりで連携するため、親の私も心がけをもし、担任の先生と折り合いが良くなかったり、報告・相談がうまくできない関係だったりしたら、診断はもっと遅くなり親子で困って抜け出せなくなっていたかもしれません。特性はありながらも、将来に向けて頑張っている息子の成長を見るにつれ、先生が丁寧なフォローをしてくれたおかげだと、小・中学校で息子の担任になっていただいた先生方には感謝の気持ちでいっぱいです。先生といい関係を築いていくためには、私自身も心がけていたことがありました。まず、私から先生や学校に言いたい事は、腹八分にすることにしていました。息子がクラスメイトに迷惑をかけることが圧倒的に多いですから。トホホ…。そして、お話しするときは感情的にならないよう気をつけていました。親にイヤな言い方をされたら、先生だって生徒を可愛いと思えなくなってしまうと思ったのです。先生とのコミュニケーションでこの2つを気をつけていたことで、先生も息子の話を保護者に話しやすい・支援の提案もしやすい、と感じてくれていたと思います。臨時に家庭訪問を設定し、家での様子を見に来てくれる先生もいました。また、息子がいじめにあっている場合は、日頃の情報交換の報告相談とは別に、改めていじめの問題として相談することにしていました。ただ、いじめの問題だけは感情的に話してしまいますね…。一度だけ先生に噛みついたことがありますが、申し訳なかったな~と反省しています。あの頃を振り返って…先生との連携があったから、学校での息子の様子を知ることができ、必要なサポートに繋がっていくことができたと感じています。
2019年06月24日サンちゃん、食べ方を工夫する4歳ごろ、麺をすすることが出来るようになったサンちゃん。ちゅるちゅるっと麺が口に吸い込まれていく様が見ていて爽快で、母はとても好きでした。しかし、しばらくしてサンちゃんは麺をすすらなくなりました。どうもその原因は、麺ではなく麺とともについてくるアレだったようです。さて、サンちゃんはアレを回避すべく新しい食べ方を考えたようですが…Upload By たなか れもんUpload By たなか れもんUpload By たなか れもんちなみに、汚れた手はすぐにふきたがってテーブルにこすりつけたりするので、目下お手ふきでふく練習中です!2019年6月28日発売、たなかれもん初の著書『つま先立ちのサンちゃん』。サンちゃんと弟のワッくん、ママ・パパの4人の毎日が描かれています。描きおろしの漫画に加え、療育園の仕組みなども紹介されています。監修は小児科医で医学博士の平岩幹男先生。
2019年06月21日前回までのお話発達障害がある娘の進路、どう探す?どう選ぶ?何も分からないままスタートしたのは、小学5年生のときでした。地域の中学校の通常学級、特別支援学級、通級を見学。また、私立中学も検討しました。公立中学通常学級に進学してからは、高校以降の進路として、専修学校や単位制高校、特別支援学校の見学もしました。居場所がない中2の5月ごろ、娘は「数学の授業が難しくて辛い。あと優しい先生の授業のとき、男子が授業中に紙飛行機を飛ばしたりして騒ぐのが耐えられない。特別支援学級に移ろうかなと」という言葉を口にするようになりました。また一方で「本当は皆と一緒にいたい。薄々は気づいてはいるんだけどさ、『皆と違う』って言われると涙が出る」と涙ながらに語りました。娘の気持ちは日々大きく揺れていました。体育祭に向けた集団競技の大縄跳びやムカデ競争の練習がスタートすると、娘は腹痛や頭痛など体調を崩しはじめました。私の「練習も体育祭当日も休んで良いよ」という言葉に、娘は「それじゃサボリでしょ」と聞く耳を持ちませんでした。登校してもずっと保健室で休んでいる、8時に登校して8時30分に体調不良で早退する、そんな状態にも関わらず娘は毎日学校に通おうとするのです。体育祭が終わっても定期テストが終わっても娘の体調は良くなりませんでした。ある日のこと、娘は堰を切ったように自分の気持ちを口にしました。「自分で自分のことが分からない。クラスに居場所がない。友人関係がめんどくさい。友達が欲しいとも思わない。理解者も心を開く相手もいない。泣きそう。楽になりたい。私うつかな?」娘は過去にも学校行事の前などに体調を崩すことがありましたが、このときの娘はそれまでとは明らかに様子が違うようでした。私は学校と学習支援を受けていたNPO法人に娘の様子を伝えました。自ら特別支援学級へ娘は自ら学校の先生に「通常学級の教室にいるのが辛いです。でも保健室や相談室で一人ぼっちで過ごすのは嫌です。居場所としての特別支援学級を利用したいです」と伝えたそうです。学校は緊急措置として期間限定(※)で、特別支援学級に娘の机を設けてくれました。娘は通常学級の教室が騒がしくて辛いと感じたとき、通常学級のプリントを持参して静かな特別支援学級の教室で自習をしました。また可能なときは特別支援学級のカリキュラムにも参加しました(これは娘が中学の特別支援学級がどのようなものか知る良い機会になりました)。※1週間毎に振り返りをし、今後の事を考えていくというスタイル。通常は学年途中での在籍学級の変更はできませんが、娘の体調を踏まえ、緊急措置として対応してもらいました「積極的な休み」に理解のある学校娘が通っているNPO法人は学習支援の他に余暇支援も行っていて、娘にとって“居心地の良い居場所”になっていました。また同世代の子どもの「グチ会」なども開いていて、娘のストレス解消の場にもなっていました。そのことを知っている学校の先生方は「毎日学校に通うのが辛いなら週に1、2回早退や休みを取ってNPO法人などで英気を養うのも良いと思います」と『積極的な休み』に理解を示して下さいました。娘は金曜日は学校を早退し、NPO法人で過ごすことにしました。しばらくすると娘は私に特別支援学級の生徒や自分の障害について私に質問をするようになりました。Upload By 荒木まち子娘は“障害の専門書”から“親の手記”に至るまで通級やNPO法人、病院の待合室に置いてある“障害についての本”を片っ端から読んでいるようでした。娘の様子を見て私はそろそろ本人への障害の告知が必要だと感じたのでした。本人への障害告知学校内に居場所(避難場所)ができると、娘は少しずつ落ち着きはじめ通常学級で授業を受ける時間も徐々に増えていきました。授業に出られなかった分の勉強は、学校の夏期補習やNPO法人の学習支援で補うことができました。夏休み明け、娘はまだ所属に悩んでいるようでした。それでも「どうしたら良いのかはまだ分からないけど“過保護”は嫌だから、親には口を出して欲しくない」という娘の言葉から、親以外の相談先ができはじめていることを私は感じました。娘が落ち着いてきたこと、告知後の学校のフォローアップ体制ができていることを確認した上で、主治医は9月に本人への障害告知をしました。医師は障害の説明だけでなく、娘の長所やどのようにしたら困り感を減らせるかなどを“娘に分かりやすいように”説明してくれました。告知を受けた娘は「自分の事を理解してもらえてうれしかった」と言って喜んでいました。その後、娘は殆どの授業を通常学級で受けるようになりました。PC検定にチャレンジしたり、学校の文化発表で有志ダンスショーを企画したりと、娘の気持ちが前向きになった様子がうかがえました。そして自分に自信がついた娘は、当初考えていた特別支援学級への移籍について悩みはじめました。 特別支援学級ではなく、通常学級所属のままでいいのではないか、と。でもこの安定が「辛いときに受け入れてもらえる場所があるという安心感ありき」であることは本人もじゅうぶん理解していました。気がつけば、もう季節は先輩お母さんが言っていた“志望校を決めておくべき中2の秋”になっていました。クリエイティブスクールD高校特別支援学級を避難所として一時利用している間も、私たちは引き続き高校探しや見学を続けていました。私の住む地域では東京都のエンカレッジスクールと似た取り組みをしている「クリエイティブスクール」が数校あります。クリエイティブスクールは、中学校までに持てる力を必ずしも十分に発揮しきれなかった生徒を積極的に受け入れている公立の学校です。自宅から一番近いクリエイティブスクール、D高校では地域住民の協力のもと週に1回、学校の図書館内でカフェを開催するなど画期的な取り組みも行っていました。私はD高校に電話をして娘の状況を説明しました。担当の先生によると「発達障害に対する特別な配慮は行っていない」とのことでした。娘にD高校の話をすると「D高校の生徒を駅で見かけたことがあるけど、髪型とか服装とかすごく自由な感じだよね。私はルールがきちんと決められている学校のほうが自分の性格に合っていると思うんだよね。だからD高校は私には合わないと思う」私はふと思いました。娘が言う「合う」「合わない」は私が思うものと少し違うのかもしれない。私は学校を選ぶとき「障害に対する配慮があるか」や「娘が安心できる居場所があるか」に重点を置いていました。でもきっと今の娘には「そこに通う生徒と友達になれるか」「そこで友達と上手くやっていけるか」の方が大切なのでしょう。もちろん勉強もしたいのだろうけど、長い間「自分を理解してほしい」「一人ぼっちが嫌」と訴えてきた娘にとって、そこが一番ポイントとなるのは当然の事だったのかもしれません。D高校の見学は、娘が乗り気ではなかったこともあり、行きませんでした。揺れる気持ち娘が学校生活で一番の望んでいるものって何だろう?今まで候補として見学してきた学校は、実のところ親目線で選んではいなかったかしら?特別支援学級に入級するかしないか、娘の気持ちが揺れ動くのと同じように、親の学校選びの基準も振り子のように揺れ動くのでした。次回はそんな私たちの進路選択を決定的にした出来事について書こうと思います。
2019年06月20日「はじめて履いた靴」へのこだわり『発達障害に生まれて』(松永正訓著/中央公論新社)ノンフィクションのモデルとなった立石美津子です。どんなにかわいいわが子であっても、子育てには苦労はつきもの。自閉症など障害のある子の子育ては、その特性からさらに大変なことが多くあります。その一つがこだわりに付き合うことではないでしょうか。Upload By 立石美津子「僕が歩き始めたとき、人生で最初にお母さんが買ってくれた僕の靴。それは10㎝のベージュ色の可愛い靴でした」何だか歌の歌詞のようですが、そんな淡く美しいものではありませんでした。「これが靴という物だ」と本人は思ったのでしょう。それを履くことが心地よくなります。そこまではOKでした。ところが、毎日これを履いていることで次第にパターン化し、「このデザイン以外の物は僕は受けつけません!」となってしまい、こだわりが誕生しました。息子が、1歳のときのことです。まさか、はじめて買ってやった靴にここまでこだわることになるとは…買った当時は想像もしていませんでした。10.5㎝に。足が少し大きくなったけれど…Upload By 立石美津子しばらくの間、10㎝の靴を履かせていましたが、成長と共にきつくなってきました。そこで全く同じ色、デザインの10.5㎝の靴を買ってやりました。ここで私が違うデザインのものを与えていたら、結果は違っていたのかもしれませんが…たまたま私が同じ靴を続けて買ってしまったことで完全にパターン化し、「この靴でなければならない」となってしまいました。11㎝の靴を求めて子どもの足はドンドン大きくなります。10.5㎝の靴も次第にきつくなりました。そこで、同じ店に買いにいったところ、同じデザインのものはありましたが、11㎝の青色の靴しかありませんでした。それを買い、家に帰って履かせようとしたところ断固拒否、火のついたように泣き叫びました。翌日のお出かけのとき、ベージュの靴を見せて「これはもうきつくなったから、今日からははかないの。青いこっちの靴よ」と言い聞かせましたが通じず、暴れて履いてくれません。仕方なくきついベージュの靴を履かせたら機嫌が直り、きつい靴を履いて出かけました。私はメーカーに問い合わせし、他の靴屋に行き、サイズ違いの11㎝、11.5㎝、12㎝の同じデザインのベージュの色を買い置きしました。生産終了!さあ、どうするところが、息子の足がさらに大きくなり、12㎝ではきつくなりました。メーカーに問い合わせると、すでに生産は終了したとのこと。仕方なく、少しでもデザインが似ている色もベージュの物を買いました。ところが、前と同じく断固拒否!でも、私が頑張ってもないものはなく、その靴を用意することはできません。息子がどんなに暴れても、自傷しても、どうしてやることもできません…。お気に入りの靴はきつくなってしまっているので、息子はかかと部分を潰し、サンダルのような履き方をするしかなくなってしまいました。ゴミ箱に捨てた!?でも、これではやはり歩きづらかったのでしょう。ある日、ふと台所の生ゴミ用のゴミ箱を開けてみたら…そこに“ベージュの12㎝のこだわりの靴”が捨ててありました。私が捨てたのでもなく、本人に「捨てなさい」と命じたわけでもありません。自分で納得して、捨てたのです。「ああ、自分で自分をやっと納得させたんだな」と思いました。捨てた場所は「生ゴミ」のゴミ箱でしたが、それをとがめることはせず、「履けなくなったから、辛いけど自分で捨てたんだね」と褒めました。どんなデザインの靴でも受け入れられるようにこのことがあってからは、靴に関しては足が大きくなって違うデザインになっても、受け入れてくれるようになりました。今、振り返ってみると、洋服については衣替えのときは苦労したものの、それ以外は「ボタンが付いているものはダメ」というくらいで「この服でなければ着ない」というこだわりはなく、与えたものをすんなり着ていました。私は、息子の靴へのこだわりにばかりスポットを当ててしまい、必要以上に悩んでいたのかもしれません。あれだけこだわっていた息子自身、成長する中で折り合いをつけ、どんな靴でも履けるようになりました。子どもが幼いころには周りが“本人のこだわり”に応じてやり「お母さんは僕の嫌がることはしない」「自分に心地よいことを周りが認めてくれる」「大人は自分を守ってくれる人間である」このように安全基地を脅かさないことで、幼いころ、安心できる日が続くと大きくなったとき、我慢もできるようになるのだと、今は思っています。Upload By 立石美津子27.5㎝の靴を見てUpload By 立石美津子どんな靴でも履けるようになった今…「僕が歩き始めたとき、人生で最初にお母さんが買ってくれた僕の靴。それは10㎝のベージュ色の可愛い靴でした」ようやく、はじめての靴は懐かしい思い出となりました。現在、18歳の息子の足のサイズは27.5㎝。大人の男の、少しすっぱい臭いがする靴が玄関に並んでいます。
2019年06月18日やればできるけどものすごく疲れることってどういうこと?出典 : 私が仕事をする中で取り組んでいることは、いつも自分が得意なことや、逆に特性ゆえに苦手なことばかりという訳ではありません。むしろそのどちらでもない部分を求められることがよくあります。その中でも「もともと得意ではなかったけれど社会人になってから何とか身につけた能力」を使う仕事をしているとき、ものすごい疲労感を覚えます。私にとってのもともと得意ではなかったことというのは、「あいまいな状態が長く続くような状況」や「それまで全く想像もしていなかった相手の気持ちを想像すること」をさします。これらは社会人になってから仕事をする中で繰り返し取り組み、少しずつ対応できるようになりました。しかし、同じような仕事を得意な方法で進めるときと比べると、体感で3倍近く時間がかかっているように感じるほどです。そんなときには、自分としてはあまりうまくいっていないように感じることも多いのですが、周りからはそれなりによくできているように見えるらしく、思いのほか高く評価される場合もあります。そのためこの状況を他人から問題視されることはありませんが、自分にかかる負荷は普段より大きく、なるべく避けたいと思っています。自由度が高すぎる状況が疲れる出典 : 一番最初に浮かぶ、私がやればできるけれどとても疲れる仕事というのが「自由な状況で好きに進めていい」仕事です。「自由に進めていい」と言われると信用してもらっているんだなと感じるのでうれしくはあるのですが、「あいまいな状態が長く続くような状況」が苦手な私にとっては、進める上でまずその状況を整理していく作業が必要となります。そのため、仕事を進めるにあたっての労力がいつもよりも余計に必要になるのです。いろいろな状況をシミュレーションして頭の中でトライアンドエラーを繰り返してしまい、労力のわりになかなか前に進まない状態が続いてしまいます。例えば以前、新しいシステムを作るときに、リーダーから「全部凸庵さんの好きに作っていいよ」と言われたことがありました。システムエンジニアがシステムを開発する際には、どこで動くようにするか(スマホアプリ・webページ・PCにインストールするソフト など)、どういうツールを使って開発するか、どんなプログラミング言語(システムの動きを記述するためのもの)を使うかなど、決めなければならないことが山ほどあります。「このシステムはwebページで使われる」「androidアプリとして配布する」というような制約事項が先に決まっていれば開発は進めやすいのですが、作るものだけが決まっていて、そこに向けての手立てが何も決まっていないような場合には、すべて自分で決めていく必要があります。このときは、あらゆる状況を想像して、一つひとつの制約をじっくり決めていきました。社会人になり仕事をしていく中で、苦手なあいまいな状況の中では自分で条件を付けて状況を整理していくことで、業務が進めやすくなることを経験から習得していたため、このときもなんとか完成させることができました。しかし、普段の業務と比べてかなりの労力を使い、非常に疲れる経験でした。あいまいな状況が苦手な上に、「えいや!」で理由なく物事を決めることができない性格や特性も災いして、細かいことでも何かしら理由をつけて最善を選ぼうとしてしまうことが、こうした自由度が高い環境で私が「やればできるけれど疲れる」大きな原因なのだと思います。日常生活に置き換えると、今日の晩御飯何がいい?と家族に聞いて、「なんでもいいよ」と言われ、さらに今日は食材も調理器具もなんでも揃っている、というような状態がかなり近いかなと思います。人によっては苦もなくメニューを決めることができるかもしれませんが、私の場合、栄養面・味付け・最近食べたもの・使いたい調理器具・ガスかIHか... など、いろいろなことを考えて、決めるまでにかなり疲れてしまうのです。利害関係者に仕事を依頼することが疲れる出典 : また別のシステム開発では、他の部署の人に仕事をお願いしながら、共同で進めなければいけないこともありました。その際に私が非常に疲れたのは、コミュニケーションの面です。最初に述べたように「それまで全く想像もしていなかった相手の気持ちを想像すること」が苦手なので、このような仕事は苦手だとわかっていたのですが、当時のチームメンバーが全員「他チームとのやり取りを担当したくない」と言っていたため、仕方なく私が担当することになりました。私は直観的にひとの気持ちを想像することがとても苦手です。そのため、普段相手の気持ちを想像するときは「このひとならこういう考え方をするから、この状況ではこう思うだろう」というように、そのひとの思考をシミュレーションして何とか対応しています。このときは、相手に快く動いてもらえるようやり取りをする必要があったため、普段の業務では関わっていなかったひとたちに対して、このシミュレーションをかなりの回数行う必要がありました。うまくお願いした仕事をこなしてもらわないと、プロジェクトが頓挫してしまうため必死でした。数か月後、無事に他部署との連携のもとシステムをリリースすることができ、上司や同僚からも感謝されましたが、苦手なコミュニケーション方法を繰り返していたため、私自身はかなりしんどかった記憶が強く残っています。正解がわからない中で進めなければならない状況が疲れる出典 : あいまいな状況が苦手な私ですが、普段の業務に加えて管理職になって多くなってきたのが、誰も確実な正解を持っていない仕事です。例えば社員の誰かが何かトラブルを起こしてしまったときなどがそれにあたります。そのトラブルをどう収めるのが最善なのかはケースバイケースなので、その都度状況に合わせて判断していく必要があります。経験豊富な方にとってはおおよその正解パターンと道筋が見えていることもあるのかもしれませんが、私は管理職としての経験がまだ浅いためか、毎回じっくり考えて対応する必要があります。考えるといっても数学の答えやプログラムのバグの原因のように絶対的な答えが用意されているようなものではないので、状況を整理しながらおおまかな方針を立て、状況をみて修正しつつ進めていくことになります。日常の中では、例えばお子さんがいたずらをしてご近所さんに迷惑をかけてしまった状況を想像してみてください。お子さんにはどのような内容や話し方で言い聞かせたらよいか、ご近所さんへの謝罪はお菓子を持って行くべきかどうか、すぐに行くべきか少し時間を置いてからが良いのか...などなど、相手や状況によって対応方法はさまざまですよね。どんなやり方でも、効果があるかもしれないしよくない結果になるかもしれない。よさそうな方法はあるが、絶対にうまくいく確証はない。そういう状況が、私が疲れる「明確な答えがない状況」になります。"目的"に沿うようなルールや手順を自分なりに設定することで、あいまいな状況の中での仕事もこなせるようになっていますが、人的なトラブルのように明確な答えがない状況は、普段頼みの綱にしている"目的"が状況によって変化することもあるため、何度もやり直さなくてはなりません。愚直に繰り返していけば何とかこなしていくことはできるのですが、やはりかなり負荷がかかっているのか家に着くとグッタリしてしまいます。普通にやっているように見えることが、そのひとにとってすごく大変なことかもしれない出典 : 自分としては何とかこなしていることが他の人からは普通にこなしているように思われてしまうというのは、発達障害のあるなしにかかわらず実はよくあるのではないかと思っています。今回書いた内容は仕事の話がメインでしたが、仕事に関することだけでなく日常生活でもそれなりに起こっていることだと感じています。私が「あれ?これなんかすごい疲れるな」と感じるようになったのは、社会人になって数年たってからのことでした。気づいてからは、上司や同僚に対して「自分はこういう仕事がしんどいから、途中で相談することが多いかも」と話してから仕事をするようにしていますが、子どもの頃や社会人になりたての頃は、自分がなぜ疲れているのかわからないことも多くありました。もしかしたら自覚するのが難しいことなのかもしれません。なので、おそらく発達障害のあるお子さんから「自分はこれをやると疲れる」と言ってくることはあまりないのではないかと思います。もし無事にこなせているように見えたのに、そのあとグッタリ疲れているような様子を見たら、本人に「実はアレ結構疲れる?」「アレあまり好きじゃない?」なんて聞いてみるのもいいかもしれません。本人がそれまで気づいていなかったらそのときはじめて考えてみて、どうだったか教えてくれるのではないかと思います。また、もしかしたらあなたの周りで普通に何かをこなしているように見えているひとの中にも、実はかなりしんどい思いをしているひとがいるかもしれません。他のものごとと比べて明らかにしんどそうな顔をしていたり、どうも時間がかかっているなと感じることがあったら、軽く一言かけてみていただけると、本人としても楽になるのではないかと思います。そしてもし可能であれば、本人がしんどいと感じている部分をフォローしていただきたいと願っております。
2019年06月17日わが家の長女は仮死状態で生まれた影響で、発達障害があります。そのため、2歳離れた次女と同じように子育てをしているような状態でした。そんな長女と次女の子育てと、ある日の長女の行動に感動したできごとをお伝えしたいと思います。 長女は次女よりも手がかかる長女は、そしゃく・言語障害などの発達障害があります。そのため、自分でじょうずに食事ができないため、年齢が上がってからも離乳食に近い食事を作り、赤ちゃんのように食べさせてきました。 また、トイレの感覚もわからないようで、何年もトイレトレーニングを続けたりと、赤ちゃんと同じような状態。2歳離れた妹が生まれたのですが、赤ちゃんの次女よりも長女に手がかかる状況で毎日を過ごしていました。 姉妹同じように子育てをしている状態2歳違いの姉妹ですが、同じように子育てをしているような状態の日々。一緒にごはんを食べさせてあげて、一緒におむつを替えて、一緒に寝かしつけて……。 さらに、次女が2歳ごろになると、魔の2歳児が2人いる状態で、かなり大変な毎日になりました。2人とも「自分でやりたい」という意思が強くなり、お互いにライバル心も芽生え、お世話は大変でしたがその分お互いに成長したようにも感じました。 あるできごとに感動して涙…そんなある日、姉妹たちと公園で遊んでいると、男の子が木の棒を振り回しながら次女のほうに近付いてきました。私が次女のほうに向かおうとすると、近くで遊んでいた長女が勢いよく妹のほうまで走っていき、妹をギューっと抱きしめて、男の子に向かって大きい声で叫んで追い返したのです。その姿を見て、「お姉ちゃんとしての自覚があるんだ……」と私は胸が熱くなり、感動して涙が出ました。 今でも、喧嘩をしたり一緒に遊んだりと、お互いに切磋琢磨しながら、姉妹一緒に成長しています。姉が妹を思いやり、妹が姉を思いやる心がどんどん育っています。これからも、そんなわが子たちの成長が楽しみです。著者:石原みどり知的障害を持つ子どもと口唇口蓋裂を持つ子どもの母。波乱万丈で大変なこともあるが、子どもたちと幸せいっぱいに生活している。経験を踏まえ、子育てに関する情報を発信中。
2019年06月16日先行き不安だった、2人の育児広汎性発達障害の小学校3年生の娘(あーさん)には、2歳の弟(きーさん)がいます。弟が生まれた時は、弟の泣き声に、娘がパニックを起こしたり…弟のイヤイヤと、娘のパニックが同時に起きたり…私が頭を抱えることもありました。しかし、この2人…最近面白いことになってきたんです。Upload By SAKURA「息子」対「父」壮絶バトル勃発イヤイヤ期が少し落ち着いてきた息子ですが、まさにThe男の子!という感じ。遊びも動きもダイナミックで激しく、色々やらかすことが多いです。父親にその行動を叱られた時も、気の強い性格のせいか、意地を張り、素直に謝ることができません。Upload By SAKURA弟の味方、救世主の姉我が家では、いちばん怖い父親と互角に張り合うのは、恐れ知らずの弟だけ。そんな様子を見ていた娘が、慌てて動きました。Upload By SAKURAUpload By SAKURA言葉にならない「んー」を「ごめんなさい」に咄嗟に変換し、叱られている弟を助けようとしたのです。そんな娘に、父親も呆れて怒りを忘れてしまうほど。娘が弟をかばう状況が面白く、思わず笑ってしまいそうになりました。姉の理解者、優しい弟娘の優しさは少し空回りでしたが、そんな思いは弟にも伝わっているようで…。Upload By SAKURAおしゃべりが苦手な娘は、日常会話でもなかなか言葉が出てこず、会話でつまってしまうことがよくあります。しかし、息子は姉の言葉を遮ることなく、話が終わるまでじっと待ちます。姉弟の中で、お互いを尊重した関係を築けていることを、嬉しく思います。姉弟で助け合いながら、毎日を積み重ねて欲しい娘のおしゃべりを見守る息子ですが、娘の支度が遅かったり、間違っていた時は…Upload By SAKURA注意したり、誘導してくれる時もあり、この2人…すごくバランスがいいなと感じました。困っている時には、2人で足りない部分を補い合って、協力して前に進もうとする姿に、頼もしささえ覚えるようになりました。Upload By SAKURA当初はどうなることかと思った姉弟関係でしたが、現状、こんな感じでございます(笑)これからがさらに楽しみです!
2019年06月12日育児日記で気づいた…わが子は梅雨に不調になる!?梅雨の足音がバシャバシャと聞こえてまいりました!季節の変わり目は体調を崩しやすいとは言いますが、発達障害があるとそれがより顕著な気がします。うちの息子と娘はどちらも、特に梅雨のこの時期に不調に見舞われることが多くあります。Upload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロ眠れない、起きられない、体が言うことをきかない…!妹いっちゃんはあまり「病気」という状態までになることはないので説明しにくいのですが、やはり「不調」としか言いようのない時期が梅雨のころにやってきます。特に悩ましいのが、睡眠がうまくとれなくなることです。まず、夜眠れなくなります。眠ろうと布団に入るのですが、頭がさえて眠れないというのです。そして当然の帰結ですが、朝起きられなくなります。起きられないといっても通常の寝坊と違い、呼びかけにも応じない完全な"寝落ち"状態。意識があるときでも、起こそうとするとそっくり返って抵抗され、無理に体を立たせたりすると泣きわめいて布団に戻ります。(そしてまた寝てしまう...)起きたとしても大変機嫌が悪く、食欲もありません。そんな状況で起きているときは、たとえ学校に行っても、家でテレビを見ていても、後で聞くと内容をほとんど何も覚えていません。本人もある程度自覚があるらしく、「起きなければ」「学校に行かなければ」と思っているのに、体が言うことをきかないとのこと。ゴソゴソと工作をしたり、ピアノを弾いたりと好きな活動をしていることもあるのですが、それは「いつもの自分」を取り戻すための必死の行動で、決して遊びではないのです。得意なはずのことも思ったようにできないようで「ギーーー!!」と怒声が…。Upload By 寺島ヒロ年を重ねるうちに不調の波は小さくなって…兄のタケルも、幼いころは梅雨の時期に1~2週間寝込んでいました。しかし、12歳ぐらいからだんだんと寝込むことが減ってきました。18歳の今でも梅雨に入るころの2~3日は頭痛と吐き気に悩まされてはいますが、頭痛薬を飲みながら登校しています。妹のいっちゃんも、去年と比べると今年は5月下旬に学校に行けている日数が多くなっています。2人とも成長するにつれて少しずつ不調の波が小さくなっているように感じるので、ある程度は身体の発達を待つという姿勢も必要なのかな…と思っています。朝起きられない!不登校!という事態を目の当たりにすると親も慌ててしまいがちですよね。私もこの時期は寝ている娘を横に、始業時間を指そうとする時計の針をじっと見ています。心中は穏やかではないです(笑)。それでも、育児の記録をつけていたことで「そろそろ来るな」という心づもりができ、だんだん落ち着いて対処できるようになってきたと思います。
2019年06月11日雨の季節、頭を悩ませていた傘問題...Upload By かなしろにゃんこ。梅雨の時期、毎年頭を悩ませていた傘問題。うっかり屋でおっちょこちょいのADHDの息子は、傘を学校から持って帰ることができませんでした。登校の際に「帰りに雨が止んでいても傘は持って帰ってね」と伝えても、雨がやむと忘れ、学校に置いてきてしまいます。下校時に周りのみんなが傘を持ち帰ろうとする姿を見ても、気にもとめません。そのため、梅雨や春雨、秋雨の時期は学校に傘がたまり、家の傘がなくなります。何度言ってもできないのが特性ですから、仕方なく学校に息子を迎えに行くついでに傘を取りに行くことで問題を解決していました。しかし、忙しいときはそうはいきませんし、持ち物の管理は自分でできるようになってほしい、そう思っていました。こんなに壊れる?こんなになくす?原因を探して一つずつクリアにUpload By かなしろにゃんこ。本人は小雨程度では傘を持ちたくないとも言うくらい、傘のことなんて全く気にせず生きているので、低学年の頃は期待しないで親が管理するようにしていました。それでも少しずつ自分で持ち物管理をしてもらうため、傘を持ち帰らない原因を本人にも尋ねてみたところ、単に「持ち帰るのを忘れる」だけではなく、使っていた傘にも原因があることがわかりました。息子は当時黄色い傘を使ってい他のですが、学校の傘立てには同じ黄色い傘がいっぱい。持ち帰ろうと思っても、自分の傘を見つけられなくなってしまうとのことなのです。探すことが苦手な特性もあるので、そのことに気づいてからは、探しやすいように黄色以外の目立つ色の傘にすることで自分の傘が一目で分かるようにしました。そうして自分の傘を見つけることはクリアしたものの、他にも傘に関する問題が。購入したばかりの傘の骨が折れたり曲がってしまったりと、いつもすぐに壊れてしまうのです。「この子は傘の扱いが乱暴だな~振り回したりオモチャにしたりしているのか?」と思っていたのですが、なんと原因は学校の傘立てでした。Upload By かなしろにゃんこ。学校の傘立てにはたくさんの傘が刺さっています。その中から自分の傘を器用に取り出すことができず、無理に引っ張り出そうとするため傘がボロボロになってしまうのです。傘をおもちゃにしていたわけではありませんでした。これに対しては「じゃあ、毎回傘立ての一番端っこに真っ直ぐ立てておくようにしたら?絡まりを防げて取り出しやすくなるよ!」と置き場所と置き方についてアドバイスをしました。「うん、そうする」といい返事はするのですが、なかなか実行はできないみたいで...傘はまたすぐにボロボロに壊れます。「ボクの傘の上に誰かの傘がささってて、抜き取ったら壊れたー!!!」とカンカンに。Upload By かなしろにゃんこ。傘は閉じてから傘立ての端に真っ直ぐ立てようね!と何度説明しても、息子は自分の言い分を押し通して分かってもらおうとするので問題は解決できません。「すぐ折れたり壊れたりする傘の形がいけない」「学校の傘立ての形が使いにくい」「持ち帰るのを忘れることも傘を無くすこともワザとじゃないから」などなど、理由があるからボクが100%悪いんじゃないんだよ!と訴えてくるのでした。「もう傘いらない!」と逆ギレまでする始末。まぁ息子は注意すると毎回こんな感じです、トホホ…(涙)一人で物の管理ができないのがADHDなんだな…と傘については半分諦めモードでした。年齢が上がって...傘問題、折りたたみ傘ですんなり解決!Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。中学に入ってから、黒や紺色の落ち着いた色の傘じゃないと恥ずかしいと言うようになった息子。しかし、それにより今度は勝手に使われたり盗まれたりする問題が発生するように。そこで、少し手先も器用になってきたことだし、と試しに折り畳み傘を勧めてみたところ...これが大成功でした!ビニール袋に入れて水分が漏れない状態で鞄に入れておけば、忘れることも勝手に使われることもない。雑ではあるけれどなんとか袋にしまうこともできるし、傘立てに入れなくなったことで傘が引っかかって壊れることもなくなりました。こうして中学生になってようやく、傘問題が解決されたのです!現在息子は21歳、傘を壊すことなくそこそこ丁寧に扱えるようになっています。人間は成長するんだな~と思わずにはいられません。思えば何本の傘を買ったのだろう…私の傘を貸してあげた物を含めると~えーと数十本はいくな~…遠い目…(笑)私の傘を息子にとられることが無くなった今、やっとブランドの傘が買える~♡
2019年06月10日私は長男が生後6カ月のときからブログを始め、それから次男の出産も経て10年間、その日にあった長男・次男の成長、できごと、自分の思いをブログに記録してきました。今回はブログに子どもたちの記録を残しておいてよかったと思っている事をお話ししたいと思います。 ブログに残しておいた記録とは?毎日、その日にあった事、気づいた事を記録していました。大きなできごとだけではなく、首がすわった、寝返りをした、おすわりをしたという成長記録から、「ぶーぶー」と言った、指さしをした、何時間眠った、当時の私の思いや感情などの細かい日常をブログに記録しました。 長男が生まれたばかりのころは生活資金にあまり余裕がなく、家にある物で一生懸命おもちゃを作り、布おむつ育児を頑張っていましたので、そんな日常を写真付きでブログに残しました。 意外と忘れてしまっていた日常のできごと育児と家事で忙しい毎日を過ごしていると、細かい日常のできごとを日毎に忘れていきました。後々振り返ってブログを読み返すと、記録を残した日のこと、自分の気持ちなどを思い出し、子どもと同時に母親として自分の成長を感じる事ができました。また、次男の育児の方が、考え方に余裕が出てきている様子があとから読むとよくわかりました。 ブログは育児日記として記録を残し始めたのですが、実際に記録がたまっていくと、子どもの成長後にとてもいい思い出になる事がわかりました。 備忘録としても使える過去ブログの記録ブログを残しておいてよかったと思ったのは、これまでの成長記録を書かなければいけなかったときです。長男が発達障害のため、療育の病院に行くときや、進学のたびに成長記録を書かなければいけません。寝返り、おすわり、ハイハイなど、いつごろできるようになったのか覚えていると思っていたのですが、子どもが大きくなるにつれ、できるようになった月齢を忘れてしまっていたので、ブログを見返して成長記録を記入していました。ブログを始めた当初は、予想もしていなかった使い方でした。 現在、長男は10歳・次男は8歳になりましたが、今でもブログは書き続けています。生まれたときはあんなに小さかった子どもたち。日々の育児や家事に追われるなかで、薄れてしまう記憶。いつでも見る事ができる思い出として、毎日の子どもの成長をブログに記録し続けてきて本当によかったと思っています。著者:川本 千華発達障害の長男、兄が大好きな次男を育てる2児の母。元ピアノ講師。自身の経験を活かし音楽・発達障害に関するライターとして活動中。
2019年06月08日中学生の発達障害当事者が綴る、心の様子ー『発達障害な私の頭の中。』著者は軽度の自閉症やHSPで、うつ病や不登校も経験している中学3年生です。物事の捉え方や苦手なもの、自分の心の状態や経験談などが自らの言葉で綴られているほか、過去のエピソードを家族とともにどのように乗り越えてきたのかが母との対談によって記されています。味方となって接してくれる周囲の人々への感謝なども綴られており、繊細であたたかい著者の心の様子があらわれています。普通とは何か、いじめをなくすにはどうしたら良いのかなどの答えを出すのが難しいテーマについても、これまで乗り越えてきたことや自己分析を踏まえながら丁寧に考え、綴っています。発達障害やうつ病でつらい思いをしているお子さまに接する大人も、自分自身やクラスの友だちとの関係で悩む子どもも、読むと新しい視点が得られそうです。物語をかくことが好き、という著者。物語の短編集のように、著者の心の様子が詰まった一冊です。生きるのがしんどい...そう感じる環境にいる子どもたちへー『生きる冒険地図』この本は、さまざまな理由で頼れる大人が周りにおらず、「生きるのがシンドイ」と感じている子どもたちのために描かれたものです。手書きの文字とイラストで構成されており、必要なときに必要なページだけ開けばいい、まさに生きるための地図のように使える一冊です。著者は心の不調や発達に凸凹のある親とその家族、子どもたちを応援する活動を行うNPO法人に所属しています。誰かに悲しい言葉をかけられたらどうしたらいい?怖いと感じたときはどうしたらいい?学校生活でピンチのときは...?など、子どもが一人で抱え込んでしまいそうなさまざまな場面について、対処法が柔らかいイラストとともに描かれています。描かれる対処方法はどれもとても具体的ですが、ときには肩の力を抜いて考えられるようなものも。保護者の精神障害や家族の不和で悩む子どもにはもちろん、自分で自分を守りながら生きていくという観点では、今が息苦しいと感じている多くの子どもたちにとってヒントになる情報が詰まっています。心理発達相談に特化した、相談支援のガイドブック『発達が気になる幼児の親面接』子どもたちが特性に合わせた適切な支援を受けるため、またその家族の生活を支えるためにも、心理発達相談は非常に重要です。本書は、相談支援の中でも子どもの心理発達相談支援に焦点を当て、そのポイントをまとめた支援者向けのガイドブックです。子どもたちを取り巻く環境について適切にアセスメントするために重要な保護者のタイプにあわせた面接の進め方や、保育園・幼稚園をはじめとする他機関との連携の際に心がけたい点などがまとめられています。また具体的に子どもの発達に関する相談支援の事例も複数紹介されており、アセスメントや相談支援にあたってのポイントを実践の中でのどう生かしたのかを実例から知ることができます。心理発達相談は、子どもの発達についての正確な理解や家族やきょうだい児への支援、関係機関連携等、幅広い知識を総合して行われます。日頃心理発達相談に関わる人もこれから関わりたいと思っている人も、支援者として必要な技量や考慮すべき観点などを確認する際に活用したい一冊です。パソコンやゲームが大好きなお子さまに!はじめてでも大丈夫『使って遊べる!Scratchおもしろプログラミングレシピ (ぼうけんキッズ)』機械やパソコン、ゲームが好きなお子さまの世界を広げられる、Scratchの入門書が発売されました。Scratchは、マサチューセッツ工科大学のメディアラボ・ライフロングインダーガーテングループの運営するプロジェクトで、無償で利用できるオンラインのプログラミング環境です。本書ではScratchのアカウントを作るところから説明が始まり、「手づくりメッセージカード」「みんなで使える伝言メモ」「Scratch福笑い」など使える、遊べるプログラミングレシピが15作品紹介されています。実際の画面の図に合わせて手順が書かれているので、初めてプログラミングを体験するお子さまや、パソコンがちょっと苦手で教えられるか心配...という親御さまも一緒に取り組むことができます。全編ふりがな付きなので、お子さまが自分で読み進めることもできるかもしれません。夏休みも近づき、まとまった時間で好きなことに思いっきり取り組ませてあげたい!そう考えるご家族も多いのではないかと思います。お子さまがパソコンやゲームが好きなら、親子で一緒にプログラミングに取り組んでみてはいかがでしょうか。
2019年06月07日私の子どもは口唇口蓋裂で生まれ、障害を持っています。発達障害については小さいうちは判定ができないそうで、わが子は3歳のときに診断されました。その際に受けたいくつかの検査について、ご紹介したいと思います。 耳鼻咽喉関係の検査についてわが家の娘の場合、生まれたあと総合病院の小児科に入院し、退院してからも定期的に通っています。そしゃくと言語面に強く障害があるため、まずは3歳ごろ、耳鼻咽喉科の検査をすすめられました。 鼻や口は、目視による検査。耳の検査は、じっとして検査を受けられる場合は片方の耳ずつ、音を聞かせて手をあげさせるという聴力検査を受けるそうです。わが子の場合は泣いてしまったため、薬で眠らせて脳波で聴力を計る検査を受けました。 知能検査について耳鼻咽喉関係に問題はなかったため、主治医の先生から児童相談所への紹介状をもらい、知能検査の日程を決めて行きました。 知能検査は、子どもと職員の方のみでおこなわれるタイプのものでした。内容としては、知能指数と精神年齢を判断するための検査とのことでした。動物カードを見せてその名前を言わせたり、右から何番目がどの動物などを当てさせたりという問題が出たようです。この検査の結果で、療育手帳の等級も決まりました。 発達検査について体の動きや身の回りのことができるかなどの発達検査は、リハビリセンターでおこなわれました。地域によって指定があると思いますので、主治医の先生に相談されたらいいと思います。 通常の内科健診後、専門の先生と面談、検査の日程を決めました。2度目の来所で、子どもと先生2名での発達検査がおこなわれました。内容としては、バランス感覚をみたり、指先の動きを積み木やビーズ通しなどをさせて、その様子を観察するという内容だったそうです。 わが子の場合、耳の検査以外は3歳児のときにきちんと受けることができました。検査の時期については個人差があるので、主治医の先生と相談して子どもに無理のないように進められたらいいですね。著者:石原みどり知的障害を持つ子どもと口唇口蓋裂を持つ子どもの母。波乱万丈で大変なこともあるが、子どもたちと幸せいっぱいに生活している。経験を踏まえ、子育てに関する情報を発信中。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年06月06日今までの経緯発達障害がある娘の進路、どう探す?どう選ぶ?何も分からないままスタートしたのは、小学5年生のときでした。地域の中学校の通常学級、特別支援学級、通級を見学。また、私立中学も検討しました。娘の意思により、中学校は地域の中学校の通常学級へ。さまざまな選択肢を見たうえでの進学だったので「つらくなったら転校・転籍すればいい」と、親である私も焦らずに進学をさせることができたように思います。障害のある子どもの、進路選択の難しさ障害のある子どもの進路選択の難しいところは、一概に学力や偏差値で学校を選ぶことができないところにあります。発達障害といっても、特性もタイプも個性もまちまちで“伸びる”時期も一人ひとり違います。だから、“そのとき”の“その子”に合った学校を探さなくてはならないのです。中学校生活は大変…!でも、個別支援計画の作成もしてもらえて中学校は、教科担任制、提出物、定期テスト、体育祭、文化祭、部活動など、多くの面で小学校と違いがあります。入学前から相談に訪れていたとはいえ、実際学校生活が始まるとやはり娘はさまざまな面で壁にぶつかりました。それでも学内に併設されている通級指導教室の先生が特別支援コーディネーターをされていたこともあり、障害に対しての理解、話の通じやすさ、安心感は小学校の頃とは比べ物にならないほどでした。念願だった個別支援計画書も入学後すぐに作成してもらえて、中学は親にとっても“学校に相談しやすい”環境でした。中学校の校長先生に相談中学校の校長先生は私が入学前に特別支援学級の先生にお話を伺いに行ったときも、入学後に小学校からの申し送りについて副校長先生と話をした際も、直接会話に参加することは控えつつも横でしっかりと話を聞いていらっしゃいました。そして特別支援コーディネーターの先生との定期的な面談の後などに廊下で会うと、よく私に「良かったら校長室でお茶でも飲んでいきませんか?」と声を掛けて下さいました。あるとき、私は校長先生に近隣の高校について質問しました。Upload By 荒木まち子お話を聞き、早速私はA学園の学校説明会に参加をしました。単位制高校・A学園最寄り駅からA学園までの案内板持ち、入り口でのスリッパ出し、説明会会場への誘導などをA学園の在校生自らが行っていたことに私は驚きました。また、参加者にはペットボトルのお茶や学校名の入った文具が配られ、説明会は至れり尽くせり感満載でした。先生による学校説明の後には卒業生のスピーチがありました。それは「自分はかつて不登校だったけれど、A学園に通ううちに教師になりたいと思いはじめた。今は教員資格取得を目指して大学に通っている」という内容でした。説明会後の個別相談の順番待ちの間に、私は参加者同士の「この学校は〇〇君に合いそうね」という会話を耳にしました。私のように一人で参加したり、夫婦で参加される方の他に、塾や施設、学校の仲間同士で説明会に参加する方も多いようでした。個別相談では担当の先生に『習字』のカリキュラムについて質問をしました。私「習字は選択科目ではなくて必修科目なのですか?」先生「はい、必修科目です。」私「娘は視覚認知機能に弱さがあるのですが、希望すればテキストの拡大コピーなどの配慮はしていただけるのでしょうか?」先生「当校ではそういったことは行っていません。」先生とのやり取りから、私はこの学校は障害のある生徒向けではなく、不登校の生徒の学び直しに力を入れている学校なのだと感じたのでした。通級にはパンフレットがたくさん!情報の宝庫でした学内支援の一環として、私は学内特別支援コーディネーターでもある通級の先生との面談を定期的に受けていました。通級の面談室には発達障害に関する専門書の他に近隣の学校のパンフレットがたくさん置いてありました。中学卒業後の情報を探している私とってそれはまさに「宝の山」でした。Upload By 荒木まち子そこで初めて「専修学校」というものを知った私は、まず通級に似た取り組みもあるというB専修学校に一人で見学に行くことにしました。専修学校・B学校B専修学校は一般科目の他に簿記やマーケティング、パソコンなどの授業もありました。英検、漢検、数検の他に情報処理やビジネス文書、簿記や秘書検定など様々な検定取得にも積極的に取り組んでいました。校舎は複数のビルにわかれていて校庭や体育館はありませんでしたが、発達障害に関する知識を持つ先生もいて、卒業後は進学、就職の他、就労支援事業所との繋がりもある学校でした。娘に合いそうと感じた私は改めて体験入学の申し込みをしました。娘と一緒にCAD(設計や製図を支援するシステムソフト)の授業を見学した主人もこの学校を気に入ったようでした。パソコンに興味のある娘もB専修学校を気に入り、その後何度も体験入学をしました。この学校は土曜日の体験入学の他に夏休み中のサマースクール、春休み中のスプリングスクールなど多くの体験入学を実施していました。内容も理科実験教室やPC体験(名刺作り)など多岐にわたっていました。中でも私が特に面白いと思ったのは『女子会』でした。それは在校生を交えてお菓子を食べながら話をしたり、制服を試着して写真を撮るという企画で「どんなタイプの男子生徒が多いか」「部活の様子はどうか」「アルバイトはして良いのか」など、生徒の生の声が聞けました。“先輩”とざっくばらんに話をすることで緊張や不安が減り、進学への意欲を高めるのにとても効果的だと感じました。また、PC体験入学の際に、以前見学した私立中学の生徒が複数人参加していたことも印象的でした。高校付属の私立中学に通っていてもそのまま付属の高校にしない生徒もいるのだと私はその時知りました。専修学校とは | 文部科学省学習支援を受けていたNPO法人主催の学校見学会娘は中学入学後、障害のある子どもの学習支援や余暇支援を行っているNPO法人に通い始めました。そのNPO法人は保護者向けの学習会や講演会、福祉事業所の見学会などさまざまな企画も行っていました。Upload By 荒木まち子ちょうどその年に開校したC学園の見学会が開催されると聞き、私は迷わず見学会に参加しました。単位制高校・C学園C学園は不登校や軽度発達障害がある生徒向けの通信制高校でした。習熟度別クラスや通う日数を選べるスタイルの学校で、WISCなど発達検査の結果を読むことのできる先生もいました。新設校の為、卒業生の進路実績が不明瞭でしたが、それまで見学した中で一番通いやすい場所にあることと、開校間もなくてこぢんまりとアットホームな雰囲気があるところに好感が持てました。後日家族で体験入学を受けに行ったところ、体験の内容は名刺作りや美術体験などB専修学校に似た内容でした。でも娘はB専修学校の方が気に入っているようでした。いざ!特別支援学校高等部の見学へ娘が小学生の時にはタイミングがうまく合わず、見学ができなかった特別支援学校高等部。家族そろって見学に行けたのは中1の終わりごろでした。この学校は軽度の知的障害の生徒が『卒業後に企業就労による社会参加や自立をめざす』学校でした。進学を目的にした学校ではないため、学習科目は主に国語:コミュニケーションの基礎とした「聞く」「話す」「読む」「書く」の学習数学:四則計算(生活の中で使う単位時間金銭計算など)社会:社会のきまりや制度、生活に関わることがら家庭科:自立生活のための調理・裁縫等英語:あいさつや日常表現体育:体力つくり運動を学ぶといった内容でした。当日見学した授業の内容はPCの授業では生徒たちはデータ入力に加え、各机に置かれた内線電話を使った受け答えや業務連絡のメモ取り作業も同時に行っていました。また別の授業では生徒がペアを組みシーツの畳み方の実施テストを行っていました。私は「娘の苦手なコミュニケーションや四則演算が学べて、将来一人暮らしした時に役立つ料理や洗濯などの家事を授業で教えてもらえるなんて、願ったり叶ったり!」と思ったのですが、当の娘は…Upload By 荒木まち子そこまではっきり言われたらまだ予定していた学校すべてを見学したわけではありませんでしたが、どの高校に行きたいのか娘の中では決まりつつあると私は感じていました。でもそのまますんなりとはいかないのが障害児育児です。この後、中2になった娘に思いもよらぬ出来事と変化が起こり、それは進路選択へも大きな影響があったのです…。次回コラムでは、中2のときのできごとを中心に紹介します。
2019年06月06日発達が気になる子どもがいる家族の「住まい」の困りごと発達ナビと「LIFULL HOME’S 住まいの窓口」は共同で、「発達が気になる子どもと家族の住まいづくり・住まい選び」連載をスタートします!この連載では発達の気になるお子さんがいるご家庭の「住まいの悩み」にスポットを当てて、ニーズに合った住まいづくりや住まい選びにまつわるさまざまなアイデアを、リフォームやDIYなども交えながらご紹介していきます。連載第一弾は、「発達が気になる子どもと家族の、住まいづくり・住まい選びのポイント」です。発達ナビ会員のみなさまを対象にした、住まいに関わるトラブルや住まい選びについてのアンケートでは、702名の会員の方からご回答をいただきました(2018年3月8日~23日実施)。「お子さんが屋内で危険に遭遇したことがありますか?」という質問には55%の方が「ある」と回答。さらに安全対策を実施している割合については、危険遭遇体験が「ない」と答えた人では68%なのに対し、「ある」では実に92%もの方がすでに実施済みで、「子どものうちはよくあること」などと軽視できないような危険があったことが推測されます。では、具体的にはどのような危険遭遇体験があり、どんな対策をされているのでしょうか?Upload By 発達ナビ編集部「高所からの転落・飛び降り」が多く、またすでに多くの方が対策されていることも分かります。グラフを見ると「飛び降り」に加え「飛び出し」「勝手に出かける」など、家の外に出てしまうことで起こる事故については対策・体験とも高い数字となっています。反面、「お風呂場の事故」「火遊び」「感電」「刃物」といった項目では、実際の発生件数よりも対策が進んでいることも見てとれます。いずれにせよ、発達の気になるお子さんのいるご家庭では、家族が安全面に大変に気配りをしながら暮らしていながらも、対策が万全とはいかない現実があるようです。ご家庭で起こるトラブルは、お子さんの身の危険だけではありません。73%の方が近隣を巻き込んだトラブルを経験しています。Upload By 発達ナビ編集部もっとも多くのご家庭が頭を悩ませているのが「音」です。大きな声、歌、足音、飛んだり跳ねたり…など、とくにマンションにお住まいのご家庭では、音にまつわるトラブルに悩んでいる様子が垣間見られました。「禁止」と「監視」でがんじがらめにしないために、わが子の個性と向き合おう!発達が気になる子どもたちは、感覚過敏などそれぞれの特性ゆえ、幼稚園や学校などの集団生活の中で大きなストレスを感じていることも少なくありません。ですから、子どもたちにとって、家庭はストレスなく過ごせる環境にしてあげたい――。でも保護者は同時に、危険のない環境にしたいと考えますよね。そこで…・子どもの安全のためにと、間仕切りの無い広いリビングにしたら、さまざまなものが目に入って落ち着けないかもしれません。・危ないところはすべて柵をつけてしまったら、自由に動けるスペースが少なくてイライラしてしまうお子さんもいるかもしれません。・何の対策もせずに保護者が「監視」し続ければ、親子ともに疲れてしまいそうです。という壁にぶち当たることもあるのではないでしょうか。では、子どもたちにとって、わが家こそが地球で一番安心できて、自分を素直に表現できるオアシスであってほしいという思いと、危険やトラブルなく安全に暮らしたいという思い。どちらも叶えられる住まいとはどういったものなのでしょう?そこで、二人の専門家に、子ども一人ひとりの特性に合った住まいづくりの「アイデア」と、その「実現方法」を教えていただきました。「よこはま発達クリニック」院長で大正大学心理社会学部教授の内山登紀夫先生に「アイデア」を、「地域住環境研究所」代表としてバリアフリー建築を手がけてきた福井義幸先生に「方法」を伺いました。お子さん一人ひとりの特性や嗜好と向き合えば、家具や調度品の色や配置などで自然と行動を促すなどで、トラブル回避と心地よさを両立できる場合も少なくありません。また、一から建てる注文住宅や中古物件のリフォームなら、安全対策の柔軟さは増し、コストと見合ったメニューの選択肢は広がります――お二人の話には、実践的なヒントがたくさんありました。次の章では、その内容についてご紹介していきます。安全で心地よい住まいづくり・住まい選びのポイントは?家づくりの前提として、まず内山先生が強調されたのは「すべての子にとって、家が『休むだけの場所』であるとは限らない」ということでした。「よくあるケースは、子どもに何もさせないような住まいにしてしまうことですが、家でこそ活動したい子に休息を無理強いすれば、大きなストレスを与えてしまいます」(内山先生)大事なのは、家のそれぞれの場所ごとに目的とルールを決めて、それを「見える化」することだと言う内山先生。また、お母さんから常に子どもが見えるようにと間仕切りをすべて取っ払ってしまうケースもよくありますが、パーソナルスペースがないと安心できないタイプの子どもには、「いつも見られている」ことが大きな不安となることもあるそう。わが子の個性、特性、好みとしっかり向き合って、物々しい対策をなるべく減らすためのアイデアにはどんなものがあるのでしょうか?・防音対策家の中で飛び跳ねたり、大きな声を発したりするなど「音」を発生させる行動を完全に止めるのは難しく、壁や床、窓の防音対策はどうしても必要だと、内山先生は話します。防音対策について福井先生に尋ねると、「そんなに難しくはありません」とあっさりと答えてくれました。Upload By 発達ナビ編集部「窓は二重窓が防音だけでなく遮熱と結露対策になるのでおすすめです。戸建てであれば二重サッシやペアガラスにすればいいですし、分譲マンションなら後付のサッシを内側に付けることもできます」(福井先生)床については、建築関連の法律や規格が改正されたことで、現在の建築物は軽量床衝撃音遮断性能(LL)、重量床衝撃音遮断性能(LH)のいずれもが45以下になることが推奨されていて、日本複合・防音床材工業会による調査結果では出荷量の90%以上がすでに45以下となっているそうです。※遮音性能についてはほかの規格もありますので、新築あるいは物件購入の際にはチェックしてみましょう。マンションの場合は、「スラブ」と呼ばれる構造床の厚さが重要になってきます。かつては180mmが一般的でしたが、現在は200mmとなっていて、防音、防熱どちらの性能も向上しています。つまり、比較的新しい物件ほど性能が高いと言えます。でも、「古い物件だからといって対策ができないわけではない」と福井先生は言います。「スラブは共用部にあたるので世帯ごとに改良工事をすることはできませんが、スラブの上に、床衝撃音遮断性能を満たす置床や仕上げ材にすることで防音性も高まります。壁も同様に構造壁の上にアキレスボード、あるいはグラスウールなどの断熱材を入れたり、発泡ウレタンを吹き付けるなどで、防音性能も高めることができます。近年ではさまざまな遮音材も市販されているので素材によってはDIYが可能なものもあります」(福井先生)リビングや子ども部屋など、お子さんがよく活動する場所とそうでない場所でメリハリをつければ、コストや手間も小さくできそうです。さらに内山先生はこんな「知恵」も教えてくれました。「すぐそばに高速道路や幹線道路があるマンションは騒音対策をしていることが多いので、防音性能が期待できます。さらに1階に住む、角部屋を選ぶ、子ども部屋をなるべく真ん中あたりにする、といったことでも隣近所に漏れる音を小さくできます」(内山先生)物件そのものの「条件」と、無理のない「工夫」、この掛け合わせ次第でコストや手間はだいぶ変わってきそうですね。・飛び降り/飛び出し対策家を建てる場合や部屋を選ぶ場合は、「掃き出し窓」をなるべく少なくすることで、外への飛び出しや庭へ転落のリスクをだいぶ減らすことができます。引き違い窓にしたうえで、位置を少し上げるなどの工夫もよいでしょう。Upload By 発達ナビ編集部「ドアを(安全性向上のために)内側だけでなく外側からもロックできるようにする、カギの位置を高くするなどの工夫をされている家庭は多いですね」(内山先生)福井先生によればこれらの改良は難しいものではなく、それほど高価でもなさそうです。「普通の窓はカギを閉めても少しだけ隙間ができますが、エアタイトサッシやセミエアタイトサッシにすればほぼ完全に密閉されて、防音・防熱性能も高くなります」(福井先生)Upload By 発達ナビ編集部「ドアや窓枠、とっ手などの色を統一すれば、より落ち着く環境になるでしょう」と福井先生。ガラスもすりガラスや薄い色の入ったもの、不透明の飛散防止フィルムを貼るのも、外の様子が気にならず、視覚への刺激を抑えられるのでおすすめだそう。・インテリアで「ルール」や「目的」を明示する「ダメ!」「立入禁止!」のなるべく少ない家にするには、場所ごとの「機能」や「目的」、「主に使う人」を色やレイアウトで示してあげるのが効果的です。このような手法を「構造化」といいます。Upload By 発達ナビ編集部たとえば、カーペットの色を子ども部屋は「グリーン」、みんなが集まるリビングは「クリーム」といった具合です。また、お風呂場や火を使うキッチンには一人で入らないように赤いテープで仕切りをつけるなども分かりやすいでしょう。また、「ゲーム」「宿題」「歯磨き」などお子さんが「やること」をそれを行うエリアの色で縁取りされたカードにして、ウォールポケットに入れておき終わったカードを「完了」ポケットに入れるルールにする、といった工夫と合わせることで自発的な行動を促す工夫にもなります。Upload By 発達ナビ編集部「こだわりの強い子ほど、色やレイアウトによるルール設定をすすんで守ってくれたりもします。ただ、やるべきことを時間割で示されるのが苦手な子もいるので、一人ひとりの特性に合った設定を考えましょう」(内山先生)スペースを色分けする際は、お子さんが通っている学校や施設での色分けと同じにすると(一人で入ってはいけない場所は赤いテープを床に貼って仕切るなど)、混乱せず理解しやすいとも教えてくださいました。・「自分だけの空間」をつくる「親としては間仕切りを取っ払った間取りでつねにお子さんを見守ろうと考えてしまいがちですが、家のなかも一つの『社会』です。家族からの視線が遮られた状態でないと、リラックスできない子どももいます。 家族がリビングに集まることが幸福な家庭であることもあるし、そうではない場合もあるということを知ってください」(内山先生)家族のそばでないと落ち着けないお子さんもいれば、「一人でいる」状態がもっとも安心できるお子さんもいます。とはいえ、完全に目を離すわけにもいかない…そんな場合はそれほど高さのない壁で小さなパーソナルスペースを作ってあげましょう。異変があればすぐに気づくことができますし、少しだけでも視線を遮ってあげれば安心できるお子さんは多いそうです。Upload By 発達ナビ編集部「成長に応じてレイアウトを変える必要もあるでしょうから、間取り自体はなるべくシンプルにするのがいいでしょう」(福井先生)・「上手に隠す」ことが大事電灯の傘(シェード)やスイッチ、ドアノブ…など、子どもの興味を惹くもの、視覚的な刺激になってしまうものを上手に隠してあげると、怪我や破損を防ぎやすくなります。「電灯の傘はボール投げの的になったりするので、あらかじめ天井に埋め込むか、後からでもシーリングタイプにしたほうがいいでしょう。スイッチが目に入ると、スイッチを入れたり切ったりしたくなってしまう場合は、子ども部屋の電灯スイッチを廊下側に付けたり、あるいはリモコン式にして子どもの視界に入らないようにするといった方法があります」(内山先生)Upload By 発達ナビ編集部また、光を眩しく感じやすい子も多いので、電灯のカバーは白で光を柔らかくしたほうがいいそうです。「蛍光灯のチラつきが気になる子もいますし、LED電灯をつらく感じる子もいます。LED電灯でも、光の強さや色味のバリエーションがどんどん増えていたりもします。お子さんに合わせた照明を選びましょう」(福井先生)子どもの興味を惹いてしまう家具や家電もなるべく置かないほうが安全です。例えば、備え付けの造作家具を設置したり、家具家電そのものを隠せたりするような工夫があるといいでしょう。また、ウォークインクローゼットをつくり、収納家具を極力減らすことも有効です。分類にこだわりのある子は大きめの引き出し一段ごとにルール設定をすると、積極的に片付けをやってくれたりもするそうです。福井先生の手がけた家では、小さな和室をウォークインクローゼットに改造して、扉をほかの壁と同じ色に統一したという例もありました。そうすることで視覚的な刺激も抑えられ、収納を一カ所にまとめることで片付けもしやすくなったそうです。発達が気になる子どもに限らず、子どもは成長に従って身体的にも感覚的にも成長し、変化していくものです。高級な家具やインテリアは、子どもの成長で使えなくなるかもしれませんし、壊れたからといって気軽に買い換えるというわけにもいきません。「ソファの上でジャンプするのを禁じるよりも、安価なソファにしてボロボロになったら替える、あるいはおもちゃのトランポリンを買うなどの、割り切りも必要です。フロアマットも高級なものではなく、ホームセンターや百均で売っているような安いもののほうが、汚れたり壊れたりしてもあきらめがつきます。高くて立派な調度品を揃えるとどうしても禁止事項が増えてしまい、子どもの行動を規制することになりがちです」(内山先生)禁止事項をなるべく減らし、かつ安全で、子どもの変化にも対応できるようにする――家具選び一つとっても、少しの工夫や割り切りで、家族みんなのストレスがぐっと減りそうです。間取りも同様に、お子さんの成長に合わせて調整できるよう、可変性の高いものにしておくことがポイントになりそうです。「住まいの窓口」で理想の不動産会社、建築会社探しを発達が気になる子どもとご家族の、さまざまなライフスタイルに合わせた住まいづくりや住まい選びが大切です。今回ご紹介したのは一例であり、ストレスなく、安全に暮らすためには、ご家族ごとにいろいろなパターンがあります。そうした、さまざまなニーズに合わせて細やかにアドバイスをしてくれるのが、「LIFULL HOME’S 住まいの窓口」です。「LIFULL HOME’S 住まいの窓口」は、不動産会社ではありませんので、第三者的な立場でのご相談やアドバイスはもちろん、ご家族に合うさまざまなハウスメーカーや工務店、不動産会社などへの紹介が可能です。ニーズに合った住まいづくりや住まい選びを、ハウジングアドバイザーが無料でサポートしてくれます。※リフォームのみのご相談は関東一都三県(一部エリア外あり)にお住まいの方のみとなります。物件購入にかかる諸費用の見積もりや、見落としがちなポイントの指摘やアドバイス、不動産会社へのお断りの代行もしてくれるなど、すべてのサービスは無料で受けられます。全国どこに住んでいても相談でき、電話だけでなくLINEでも気軽にご相談できるのがポイントです。住まいづくりや住まい選びは、人生の中で何回も経験できることではありません。よく分からないこと、迷うこともたくさんありますよね。そうしたとき、ハウジングアドバイザーの力を借りることができるのは心強いですよね。ご家族それぞれの予算とニーズに合った不動産会社・建築会社と出会えるまで、何度でもサポートしてくれるのが「LIFULL HOME’S 住まいの窓口」です。取材協力/内山 登紀夫先生(よこはま発達クリニック院長)、福井義幸先生(地域住環境研究所代表)取材・文/柳瀬 徹イラスト/かなしろにゃんこ
2019年06月04日僕は中学2年生。社長をしていますUpload By 加藤路瑛はじめまして。加藤路瑛(かとうじえい)といいます。中学2年生です。株式会社クリスタルロードの取締役社長をしています。中学生で社長になれるのか?と不思議に思う人もいらっしゃるかもしれません。社長になるのに年齢制限はありませんが、法人登記する時に必要な印鑑証明を取れるのは15歳からなので、株式会社を作ることはできません。そこで、親に代表取締役になってもらい、僕が代表権のない取締役社長として会社を立ち上げました。この方法を僕は「親子起業」と呼ぶことにし、親子起業を広めていきたいと考えています。株式会社クリスタルロード起業のきっかけUpload By 加藤路瑛僕は小さい頃から働くことに興味を持っていました。しかし、親に話しても「大人になってからね。今はしっかり勉強しなさい」と言われるだけでした。僕も親や他の大人が言うので「そういうものなのだろう」と深く考えずに、中学生になりました。中学1年の6月、僕は僕の運命を変える出会いをします。それは、カードゲーム『ケミストリークエスト』です。化学が好きな僕のために、親が遊びながら勉強するといいと買ってくれたものです。Upload By 加藤路瑛箱の帯に「小学生で起業したスーパー高校生社長考案」と書かれていました。僕は中身より小学生で起業とはどういうことなのだろうと気になってしまい調べてみました。このカードゲームは米山維斗さんが考案し、小学6年生の時に会社を作ってカードゲームを販売していました。お父さんが代表取締役で米山さんが取締役社長で起業していました。僕は小学生で社長になれることを知ってびっくりしました。そして、今まであたり前だと思ってきたことは、そのように小さい頃から思い込まされていただけで、世の中には自分の知らない世界があって、気がつかなければ気づかないままなのではないかと感じました。もし、僕の知らない世界があるなら、もし、僕でも社長になれるなら、「やってみたい」と、思いました。これが僕の起業ストーリーのはじまりです。起業を決意した日からちょうど半年後、僕は株式会社クリスタルロードの取締役社長になりました。起業までの道のりUpload By 加藤路瑛中学生で起業したいと人に話をすると、「義務教育を終わらせてからにしろ」「中学生らしいことをしなさい」と言われることもありました。他にも、「実績がないのに起業したいなんてファンタジーだよ」とか、クラウドファンディングの目標金額を40万円くらいにしていたのですが、「ふざけているのか?目標金額を1000万円にして本気を見せろ」などと言われることもありました。たくさんの大人に「応援する」という言葉のあとに否定的なことを言われました。僕は大人に相談するのが嫌になりました。相談してダメな点は指摘してくれるのに、具体的な提案は全くなかったからです。またネット上では、「中学生で社長なんてどうせ失敗する」「親子起業ってどうせ親の操り人形なんだろう」などの匿名の批判もありました。僕への批判や中学生が起業することへの反対意見は、僕がクラウドファンディング で100万円以上調達できた頃から減っていきました。実際に法人登記し、メディアを運営したり、講演会で話したり、テレビやメディアに出るようになると、肯定的な言葉をかけられることが増えていきました。Upload By 加藤路瑛多くの人は自分の経験や価値観から、ダメだと判断しがちです。でも、自分の価値観で分かることなんて少ししかないと思います。子どもが何かやりたいと言っても、大人自身が想像できないからダメと言ってしまうことって結構多いんじゃないかと思うのです。今、周りには僕の考えに共感してくれたり、活動を応援してくれる人がたくさんいます。同世代の中高生の仲間も、大人の仲間もいます。反対されたり批判されたりする時期は辛いかもしれませんが、ある時点まで到達すればきっと楽になります。その時点に到達する前に諦めてしまうのは、残念です。だから僕は、子どもを理由に「今」を諦めなくていいことを、たくさんの人に伝えたいです。出版クラウドファンディングへの挑戦僕がどうして起業しようと考えたのか。どんな風に会社を立ち上げどんな困難や楽しさがあったのか。さまざまな人と出会い、経験をする中で、「世の中は自分が思う常識の外に別の世界がある」ということを伝える本を書いてみたいと思うようになりました。でもそれは、大人になってからだと思っていました。Upload By 加藤路瑛ある日、僕は出版社の幻冬舎とクラウドファンディングのCAMPFIREが出版クラウドファンディングの会社「EXODUS」を作ったことをSNSで見かけました。どんな内容か分かりませんでしたが、「出版の常識をぶった切る」と書かれていて、僕も本を書くならここで出してみたいと思ってしまいました。なぜなら、僕も「世の中の固定観念を変えることが必要」だと発信しているからです。子どもがやりたいと思ったことをできるようになるには、大人の固定観念も子どもの固定観念も変えなければなりません。「EXODUS」なら一緒に世の中の固定観念を変えられる気がしました。Upload By 加藤路瑛このプロジェクトには300件の応募があり、「EXODUS」1期生として10人が選ばれました。僕が最年少です笑。加藤路瑛の出版クラウドファンディングのプロジェクトページUpload By 加藤路瑛2次審査は序章を書く課題でした。その序章は公開していますので、よかったら読んでみてください。【序章】選ばれたから本が出版されるわけではありません。「EXODUS」は、クラウドファンディング で1000冊・250万円以上の支援を集めたら出版されるという仕組みです。中学生の僕には想像できない金額ですが、挑戦したいと思いました。たとえ読み書きが苦手でも、本は書けるUpload By 加藤路瑛僕は読み書きが苦手です。どれくらい苦手かというと、授業中のノートはほとんど書けません。漢字が苦手で書くとひらがなばかりの文章になってしまいます。英語の綴りもなかなか覚えられません。中学校の数学のテストで「名前は漢字で書きましょう」と注意書きをされた中学生です。読むのも得意ではありません。人より読むスピードは遅いですし、同じ行を何度も読んでしまったり、書かれていない文字に勝手に脳内で変換してしまうようで、音読すると「そんなこと書いていないよ」と注意されたりします。でも、この文章をここまで読んで、僕が読み書きが苦手だと思った人はいたでしょうか?僕はスマホでは普通に文章を書けますし、漢字も使います。ただし、鉛筆と紙で書いたり読んだりすることが極端に苦手です。鉛筆で文字を書こうとすると、言葉が出てこなくなるのです。僕は鉛筆と紙で作業することが苦手なのです。でも、スマホを使えば文章も書けますし、文字も読みやすいです。(読むのは好きではないですが…)多くの人ができることをできないと障害と言われることがあるようですが、読み書き障害も、紙や鉛筆を使って書くことが得意な人が勝手に決めたことだと思います。もし、今、紙と鉛筆がなくなって全てスマホで入力することになったら、使いこなせない人は障害があると言えるのでしょうか?僕は紙と鉛筆での読み書きが苦手ですが、読み書き障害ではありません。小学生の頃、検査に行きましたが、「学校生活で困っているなら診断名を出しますが困っていないようなので、このまま個性でいいと思います」と先生に言われ、僕はそのまま学校生活を送っています。ノートを書いたり、作文を書いたり、テストなどでも、「きついな」「面倒だな」と思うことはたくさんありますが、困ってはいません。これが僕だからです。起業をしてから気がついたのですが、学校ではあんなに紙と鉛筆で文字を書くことが多いのに、仕事ではほとんどありません。企画書やプレゼンなどの資料は全てパソコンで作成しています。運営しているメディア「TANQ-JOB」の運営もパソコンやスマホです。僕自身インタビュー記事を書きますが、メモは苦手ですので、インタビューは録音して、家で録音したものを聞きながら記事をパソコン入力しています。TANQ-JOBは全て小中高生で運営していますが、メンバー同士の連絡もスマホとパソコンがあれば大丈夫です。仕事で紙に文字を書いたことがあるか思い出そうとしてみましたが、思いつきませんでした。(法人登記や契約書などの書類もパソコンで入力し、出力したものに捺印します)小中高生のための職業探求ウェブメディアTANQ-JOBUpload By 加藤路瑛学校では紙に文字を書かなければならないことが多すぎます。テストもパソコンで回答できるようになれば、読み書きが苦手な人のテストの点数はあがるかもしれません。社会に出てから紙に文字を書くことはそれほど必要とされないので、学校での学び方も社会の変化に合わせて変わる必要があるのかもしれません。紙に文字を書くのは手段です。それが苦手なら他の手段を使えばいいと思いますが、学校では自分で手段を選べないのできついなと思うことはあります。できないのを苦しい思いをしてまで頑張るより、「できない」と開き直れた方が楽になると思います。僕は、「できないものは、できない」と開き直っていますが、できないなりに学校の課題はきちんとやって提出しています。僕が本を出版したい理由Upload By 加藤路瑛僕は今、18歳以下限定のクラウドファンディングのプラットフォームの構築に取り組んでいます。僕は起業資金をクラウドファンディングで集めました。とてもありがたいことに115万円ものご支援をいただきました。しかし、調べてみると、中高生が募集しているプロジェクトは目標金額を達成していないものがとても多かったのです。中には支援金がゼロのものもあります。子どもがクラウドファンディングをしても、大人はそんなに簡単にお金を出してくれるわけじゃない――甘くはないのだと思いました。クラウドファンディングを成功させるには、事前の準備が必要です。お金を出してくれるのは大人です。経験や人脈のない子どもでもクラウドファンディングを成功させるためには、サポート体制が必要です。そこで、僕のように中学生だったり、もしくは小学生や高校生であっても利用しやすく、挑戦したいことを世の中に発信して、その支援を募れる仕組みを作りたいと今、準備をしています。プラットフォーム構築という新規事業の準備という大切な時期に、あえて出版クラウドファンディングに挑戦する。なぜ僕が今、その決断をしたのか――それは、世の中の常識を変えたいからです。〇〇なんて自分には無理、まだ早いんじゃないかと言われた…そうやってあきらめてしまう子どもたちがたくさんいます。でも、僕は伝えたいのです。中学生でも社長になれる。読み書きが苦手でも本を出版できる。いつもは、ひらがなばかりの作文を書く僕が、スマホやパソコンを使ってどんな文章を書くことができるのかを、沢山の人に読んでもらいたいです。そして、今、読み書きで困っている人や、それ以外でも学校のことや家のこと、友達のことで悩んでいる人に、今いる場所だけがすべてではなくて、固定観念をなくしてしまえば、今まで見えなかった自分の居場所が見えることを伝えたいです。それを僕は僕の行動で示したいと思っています。「EXODUS」の紹介Upload By 加藤路瑛出版クラウドファンディング は30日間で1000冊・250万円のご支援を集めるプロジェクトです。6月3日から7月2日まで募集しています。ぜひご支援ください。そして僕の本を読んでください。Upload By 加藤路瑛チラシ「13歳の中学生が挑む『出版クラウドファンディング』」読み書きが苦手な僕の教育や、僕の母の子育て方法に興味がある方へUpload By 加藤路瑛クラウドファンディングでは、支援金に応じてお礼(リターン)が設定されます。今回の出版クラウドファンディングでは、本だけでなく、色々なリターンを用意しました。その中で、母の協力のもと、母の子育て方法を記録したnoteの提供や子育て相談が無制限にできるリターンを用意しました。僕は講演したりイベントに出ることもあるのですが、保護者の皆さんの中には、僕の話より母がどうやって僕を育てたのかに興味がある方も多いようでした。Upload By 加藤路瑛低体重児だったこともあり、小さな頃はできないことも多く、読み書きも苦手。中学受験では塾のカリキュラムが合わず、塾なしで勉強をしました。そんな僕の勉強方法や子育てに興味がある方は、母の育児相談のコースをご利用いただければと思います。リターン:「子育てnote」と「子育て相談」が付いたコースUpload By 加藤路瑛今までにたくさんの人に出会い、ご支援、ご協力をいただけたことをとても感謝しています。僕の活動の最新情報はTwitterをご覧ください。応援していただけるとうれしいです。加藤路瑛のTwitter
2019年06月03日注文の多い小学校Upload By アマミモヨリ小学校というところは用意する物が多くておどろきます。Bのえんぴつが必要になったり、カップ麺の空き容器を要求されたり。連絡帳を確認するのはわたしの日課ですが、週末に気がゆるみ、見忘れてしまうこともあります。そんなときに限って月曜日の持ち物が、うちではとっていない「新聞紙」だったりして、朝からコンビニに走るわけです。 そんな物も用意するの?あるとき、連絡帳に「竹ひご」と書いてあってうんざりしました。Upload By アマミモヨリえんぴつやカップ麺、新聞なら家庭にあっても良さそうだけど、「竹ひご」はちょっとちがうのでは──?けれども連絡帳に書いてあるのです。持たせないわけには行きません。お店を2軒まわって、やっと準備しました。それなのに──Upload By アマミモヨリ竹ひごは学校から配布されたのです。え──ッ?どうなってるの??先生に相談しましたUpload By アマミモヨリ担任の先生に相談しました。ヒルマは、それはそれはがんばって、黒板の文字を連絡帳に書き写しているのだそうです。板書だけで手一杯で、先生の補足を聞き逃していたのです。Upload By アマミモヨリそしてこれまで奔走してきた、えんぴつや容器や新聞も、じつは「家にあれば持って来るもの」だったことが判明し、疲労度がさらに増しました。もっと、わかりやすくしてほしい……。連絡帳の持ち物をわかりやすくする方法先生の提案で、持ち物に印をつけてもらえることになりました。◎必ず持って来るもの△未提出など対象者のみ持って来るもの△家にあれば持って来るもの×学校で用意するものこれならわかりやすい!Upload By アマミモヨリこうして、持ち物に振り回されることは激減しました。できることならこの目印が小学校でのスタンダードになって、学年が上がっても引き継がれたらうれしいなぁ。担任の先生が変わるたびに、毎回お願いするのがね、少々心苦しいのです…。
2019年06月03日特別支援学校入学に向けて、療育手帳を取得することに現在、特別支援学校に通う5年生の長男。療育園年長時、就学相談で、特別支援学校に入学するには入学前に療育手帳を取得するようにと説明がありました。それまで療育手帳を取得していなかった長男。手続きについて聞くと、私たちの住む地域ではまず市役所を通してから、児童相談所で発達検査を受けなければいけないとのことでした。自閉症の長男の進学先が特別支援学校になるだろうということは早い段階から考えていたことでしたが、療育手帳を取ることによって、確実に障害があると認定を受けることになる...母である私には、息子の障害をはっきりと社会的に認めることになるように感じられ、正直少しためらう気持ちがありました。複雑な気持ちを抱えつつ夫に「特別支援学校に入学する前に、療育手帳を取る必要があるんだって」と相談したところ、「手帳があることでシュウにとって必要な支援が受けられるなら、申請したほうがいいね」Upload By シュウママと賛成してくれました。夫の言葉に背中を押され、手帳取得に向けて実際に手続きを進めていくことになりました。児童相談所での発達検査。果たして長男は...児童相談所での検査当日。長男の検査の前に、先に母親である私と心理士さんとの面談がありました。洋服を自分で着脱できるか、トイレはできるか、ごはんやお風呂は介助が必要かなどの生活面の確認と、パニックを起こさないか、自傷や他害はないかといった精神面・行動面の確認がありました。そしてその後、長男自身が検査を受けました。まず、心理士さんがいろんな絵の描かれたカードを長男に見せます。そこに描かれた動物や乗り物などについて答える問題でした。長男は自分が好きなものだけ大きな声で答えます。発音が聞き取りにくいので、私が横で「これはひこうきと言っています」と心理士さんに通訳しながらすすんでいきました。ただ、出されるカードのほとんどのものは答えることができませんでした。次は組(対)になっているものを答えよという問題。心理士さんは、えんぴつを指して「これは何かな?」と長男に聞きます。...長男は無言。Upload By シュウママ長男が反応せずとも質問はどんどん続きます。「えんぴつとセットになるものは何かな?」...正解のノートを長男は指せません。検査を終え、心理士さんからはおそらく療育手帳はA判定になるだろうというお話がありました。療育手帳の判定結果、親としての思い後日、市役所に行き療育手帳を受け取りました。やはり判定はAでした。私の住む地域では、最も重い丸Aから最も軽いCまであります。A判定であるなら、特別支援学校に通うには問題ありません。けれど分かってはいたものの、長男が重度の知的障害と認定されることにわずかなかなしさがありました。療育手帳を取得して。長男の育ちに必要な支援が受けられるようにそれでも、療育手帳を持つことで受けられるサポートはたくさんありました。市役所で説明されたのは、特別児童扶養手当があることや、バスや電車での本人と介助者の運賃割引、ガソリン代あるいは車を運転しないのであればタクシーチケットの支給もあるということ。私は車が運転できないので、このタクシーチケットは特にありがたかったです。長男は病院からの帰り道、歩きたくなくて道端で「歩くのイヤ~!」と叫ぶときがあります。そんなときにタクシーを利用するのですが、初乗り分の料金を支払えるチケットは経済的にとても助かりました。自治体によってはオムツが支給されるところなどもあるようですので、お住まいの自治体の窓口等に確認するとよいかもしれません。Upload By シュウママ療育手帳を取得することで、自分のお子さんの障害が公的に認定されてしまう、そのことに不安を抱いている方がいるかもしれません。その気持ちは同じ立場として痛いほど分かります。けれど最初の判定から5年経った今は、手帳の取得は障害のレッテルを貼るためのものではなく、子どもの成長や子どもにとって過ごしやすい環境の整備のために必要なものなのだと感じています。また、判定結果がたとえ重度だとしても、特別支援学校に通いながら長男は長男のペースでゆっくりだけれど着実に成長している。それを親である自分が分かってさえいればいい、それが何より大切だと、そう思えるようになりました。Upload By シュウママ
2019年05月31日コマーシャルとちょっとした宣言このたび、金子書房から新刊が出ます。タイトルは『ADHDとともに生きる人たちへ〜医療からみた「生きづらさ」と支援〜』です。これは、2017、18年の2回にわたり開催した研修会の講演内容を文字化し、大幅に加筆修正したものです。精神科医になった1983年に、僕は診療録に書いた内容を先輩医師のまえで報告する時がありました。報告後、「キミは、書いたものよりも、口頭のほうが、伝わりやすいね」と言われました。果たして本書がそうなっているか、内容について関心があれば、読んでいただければ幸いです。ADHDに関しては、実は、もう一つ、2001年に刊行した、星和書店の『ADHDの明日に向かって』を、ここ1、2年の間に大幅に修正するか、新たに書き下ろさないといけないと思っています。あのままでは置いておけないと思っているのです。僕は、発達障害のなかでも、縁あって特にADHDに関心を抱き続け、ここまで来ました。でも、正直、ADHDに関しては、今でも2001年のあの本を超えたものが書けていないように思っています。これは、悔しいというか、恥ずかしいというか、このままではいけないと思っています。ただ、今の課題は、日々の臨床のなかで、その作業時間がつくれるかどうかです。でもこうして宣言しておくと、これからとぼけることが出来なくなります。これは覚悟です。さて、話は変わって。発達ナビからは、「日々の臨床で感じていること、考えていることを書いてみて」と依頼されました。でも、日々の臨床で感じ続けていることは、いつも己の力不足であり、学習不足と自責の念です。そこで、過去と現在と未来について考えてみました。過去のこと――院外での出会いも。発達障害のある子どもたちと社会との架け橋役に出典 : 僕は1983年に精神科医になり、故郷を離れて北海道に来ました。初期研修を終えて、医師になって10年を目前にしたとき、僕は児童精神科医を目指し、児童部門のある精神病院に就職し、数年後に児童部門を背負いました。当時は不登校から(軽度)発達障害と児童虐待問題へと大きく展開した時期でもありました。僕は北大や札幌医大、旭川医大の卒業生でもなく、本州からの流れ者医者です。どこにいっても常に一人で、どことも本当は決して馴染まない存在という異邦人的な感覚を持ち続けていました。もちろん、これは僕の単なるコンプレックスなのですが、こうした僕にある心許なさが、僕が出会いたいと切望していた子どもたちと、どこか重なる部分があったのかもしれません。ほかの誰の味方でもなく、キミの味方になりたい、という僕の思いは、僕自身を支える僕の気持ちでもあったのでしょう。児童部門を背負ってからは、児童相談所の嘱託医となり、子どもだけでなく家族全体を生活の視点で診ることを学び、福祉、教育分野の仲間たちが出来たことで、虐待防止活動や、家族と子どもたちと専門家が一蓮托生の思いで集う会を結成しました。「専門家の話だけでなく、同じ思いの親と出会いたい、親と話をしたい。教育、福祉の方々とも対等に話を、正直な思いを聞きたい」という切実な思いから結成した「十勝ADHD&LD懇話会」は、昨年結成30年目にその活動にピリオドを打ちました。僕自身は、こうした院外活動を通して、診察室のなかで、なかなか広がらない話から、たくさんの窓が開き、多くの方々と出会うことになりました。僕は、白衣を脱いで地域、現場に足を運ぶことで、異邦人的な感覚が薄まり、子どもたちや家族が躊躇している社会への接点への橋渡し役をすることが出来るようになりました。昨年「十勝ADHD&LD懇話会」の幕を閉じるとき、僕は懇話会の合い言葉でもあった“Children First”という言葉が、今も僕たちの心を支えていたことに気づきました。この哲学は、今、目の前の方々を大切に、という思いへと繋がっていきます。僕たちが向き合い、大切にしてきたのは、「発達障害」ではなく、一人一人の子どもが、親が、そして僕たちが、どうしたら日常をより豊かに生きられるか、という生き甲斐探しのようなものだったのかもしれません。現在のこと――クリニックで患者さんと向き合う毎日出典 : 僕の最初の10年は一般精神科医の時代で、次の10年は児童精神科医と研究機関と大学で教育と医療の境界線上に立ちました。2013年が30年目の節目でしたが、僕はすこしばかり早く大学の職を辞し、2012年からクリニックで日々、受診される方々と向き合い続けています。クリニックでは朝の9時前から夜の8時前後まで休みない診察が続きます。先日、思い立って患者状況を分析しました。それによると、この3月で登録患者数が1300名を超えました。男性は56%とわずかに多く、年齢的には、初診時18歳以下が65%を占め、2.2対1で男性優位ですが、19歳以上では35%、男女比は1対2で女性優位となります。初診時診断は、発達障害圏が70%で、いわゆる精神病圏は5%とかなり少ないのです。発達障害圏での主診断は、自閉スペクトラム症が68%と圧倒的に多く、2位のADHDが13%です。僕は発達障害圏にいわゆる第四の発達障害と称される発達性トラウマ障害を加えていて、それが3位で9%程度です。最近話題になっている「大人の発達障害」ですが、僕のクリニックでは、19歳以上で発達障害圏の方が19.4%を占めていました。また、きょうだい、親子、家族の受診者が全体の10%強を占め、さらに離婚問題を抱えていたり、DVや虐待事例も外来で対応しています。こうした特異な医療を7年も続けてこられたのは、ひとえにすべてのスタッフがクリニックの「治療的空間」を形成してくれているおかげです。クリニックは、僕以上にスタッフ各自が持つ、ホスピタリティに大きく依存していると言って良いかと思います。それでも僕の外来医療を後方で支えているのが、週1、2回外勤している精神科病院となります。そこには、道内の児童相談所の一時保護委託をはじめ、児童相談所からの紹介で診る子どもたちも含まれます。僕が外勤している精神科病院には児童病棟はありません。入院中に子どもの教育の保障ができません。それでも苦渋の選択のなか、1ヶ月以内の短期入院を30%程度で維持しつつ、全体の50%以上を3ヶ月以内の入院でしのぎ、支援しています。未来のこと――複合的な要因を紐解き、発達障害・被虐待児をいかに支援していくか出典 : 僕はいつも、やりたい仕事よりも、求められている仕事に追い立てられています。子どもの精神科医としてスタートした頃は、はじめは学校に行きにくい、行きたくない、行きたいのに行けない子どもたちと出会っていました。それはそれでとても有意義な時間を過ごせたと思います。しかし、すぐに診察室は発達障害が疑われる子どもたちと、その子との関わりに困り果て疲れ切っている親との出会いの場となりました。僕は子どもたちの成長を信じ、親や家族、関係者を労い励まし、勇気づける役割を担うことを目指しました。臨床を離れ大学での研究時代には、虐待が避けられない事態となり、自然、社会的養護の子どもたちと出会いはじめ、これまで以上に児童相談所等と連携する仕事が増え、再び臨床に戻りました。発達障害の多様さを知らなかった時代、僕はその視点で子どもたちを診ることができませんでした。マルトリートメント(※)のなかで育った方々の、人への不信感とそれでも人を求め続ける姿を知ってから、発達の躓きはマルトリートメントの結果となる場合もあり、発達障害が沢山の誘因の一つとしてマルトリートメントを生じさせる場合もあることを学びました。そして最近では、マルトリートメントしてしまう親自身が、子ども時代にマルトリートメントを受けてきた、あるいは生活のなかで深い心の傷を負っていたということにも気がつくようになりました。これからの外来・入院診療では、発達障害とマルトリートメントが重なりあっている病態への対応が急がれます。個人的には、その複雑な病態の評価と支援を構築する力をつけていきたいと思います。※虐待をはじめとする、不適切な養育のこと。今後も終わりのない学びを続けていく自己研鑽が、僕には必要です。同時に、これまで関わってきたなかで学んだことに普遍的なこともあります。それは、出会う方々は皆、これまで生きてきたことをきちんと周囲に理解してほしいという思いがあるということです。評価してもらいたいわけではない。ただ、振り返ると、いつも一生懸命に生きていた自分がいたことを、自身以外の誰かに知っておいてほしいという思いがあることです。だから僕は、教えていただいた話を評価するのではなく、ただただ、聴けたことに、話をしてくれたことに感謝します。もちろん話の中身は壮絶です。それでも教えてくれたことに心から感謝しています。先日もある方が語られたあとに「私は、大変でしたねっていってほしくて話をしたのではなくて、ただ、知ってほしかったのだろうと思います」と言われました。僕が信じる精神科臨床とは、その方の生い立ちと生活環境、家族との関係性のなかでの成長変化と、個々にあるその人らしさという個性あるいは特性を、評価し続け、その方の心身を整え、生活の質を高めるよう、共に相談をしていく有り様です。そしてそれは常に「個別の物語」から成り立ちます。わが子の育ちを通して、自分自身の子ども時代に思いを馳せ、親としての自身の思いから自身の親の思いを推察するとき、それまで抱えてきた自身の親への思いが変化する、あるいは、ずっと蓋をしてきた過去がよみがえる、そんなとき、僕は、親に対して、あなたが主人公としてクリニックを受診をしてみたらどうでしょうかと伝えます。そこに新たな個別の物語が始まります。そうして家族個々のカルテが増えていく…。「きょうだい」ではなくキミ、「父」ではなくあなた、個々の物語には個々の過去と未来があります。そうして診察室は、スピンオフの物語で埋もれていきます。そこで僕は気づきます。この社会で、だれもひとりぼっちではなかったと。マーガレット・ラスティンが『発達障害・被虐待児のこころの世界精神分析による包括的理解』(岩崎学術出版)で「子どもの精神病状態の本質を理解することは計り知れない困難があり、その複合的な原因は理解され始めたばかりである」と述べたように、僕の目指す児童と家族の精神科医療も、ようやくスタートラインに立ったばかりです。僕は、もう少しワクワクしながら、未来に目を向けていきたいと思います。精神科医になって35年が過ぎ、僕はもう少し、歩みを止めず進んでいきたいと思っています。だから、一緒に未来を見続ける仲間がほしいと、切実に思います。誰か、誰でもいい、このクリニックでワクワクした仕事を僕と一緒にやりませんか。
2019年05月30日小さいときから温度による体の不調を訴えなかった息子Upload By かなしろにゃんこ。ADHDと広汎性発達障害がある息子リュウ太は落ち着きがない、忘れ物や無くし物が多いなどの特性の他にも「暑さ寒さに気がつきにくい」という体の感覚の鈍さがあります。服のタグがかゆくてイヤ!など肌に触れるものには過敏なのに、温度によって自分の体に起こっている状態には気がつきにくい鈍感体質。Upload By かなしろにゃんこ。そのためリュウ太は、小さいときから寒いという感覚も分からなくなってしまうことがありました。私が上着を着せたり、靴下をすすめれば履いたりするのですが、声をかけられなかったら着ないまま、遊びに夢中になっていると寒さを感じず何も対策をしないまま...結局風邪をひいてしまったり体調を崩してしまったりするんです。それに、着慣れた服でないと落ち着かないようで、暑くなってきて周りが半袖に切り替え始めても冬服で出かけようとします。もともと周りの人が何を着ているか観察もしないし、着る物に無頓着なことも、温度調節を難しくさせている理由の一つかもしれません。しかし、そんな息子の特性に気づくまでには数年かかりました...そんな息子に起きた、キャンプでのハプニングUpload By かなしろにゃんこ。「ん?この子は何か違う!?」と気づくきっかけとなったのは、息子が低学年のときに行った山でのキャンプでのできごと。気持ちの良い山でのキャンプ、夜は氷が張るほど寒い場所でしたが、昼はグングン温度が上がり日差しが強く真夏日に感じるほどでした。そんな中、息子は気温が低かった朝に着た冬物の上着を日中も着たまま遊び続けていました。他の子はみんな上着を脱ぎ、涼しそうな格好をしています。私は「あの子は暑くないのかしら?」と思いながらも、昼ごはんの支度に追われてしまい...。Upload By かなしろにゃんこ。「暑かったら上着を脱ぐだろう」と思っていたのですが、そのまま1時間近く遊び続けていた息子。ふと見ると、なんだかぐったりしています。そのとき初めて「様子が変だわ...」と気づき、触ってみたら体が熱くなっているではありませんか!「えー熱!?風邪ひいちゃったのかな...いや違う、コレは熱中症かもしれない!」急いで休日診療をしているふもとの病院に駆け込み、点滴の治療を受けて安静にすることになりました。キャンプは急遽中止に...食事の支度などで子どもの体調に気を配れなかった親の責任ですが、このときに「あれ?うちの子って体調の意思表示をしない子だわ」と気がついたのです。「アレ欲しい、コレやりたい!」と自己主張は強いのに、体調の意思表示をしないことを不思議に思いました。特性に気づき、家族でこまめに声かけをUpload By かなしろにゃんこ。その後、発達障害の診断を受けることになった小4のとき。発達障害についての専門書を読んでいたら、「発達障害がある子の中には自分の体に起こっている暑さ、寒さ、空腹感、痛み、疲れなどの症状に鈍感な人がいる」と書かれているのを発見。「ああ!コレって息子のことだわ!」と改めて気がついたんです。遅っ!それからは天気予報を確認して息子にどんな洋服を着たらよいか相談して決めてきたのですが、「菜種梅雨の時期は雨が降ると寒いから上着を持っていこうね」と言っても「いい、いらない」と断固拒否!今必要のない物を持つのが面倒なんでしょうね(汗)言うことを聞いてはくれません。今の季節は半袖に着脱しやすい上着がいいなど経験のデータがないと着る物を自分で選べないですから、「10月は真夏日になることもあるよ」とか「4月上旬はまだまだ雪が降る日があるよ」などと根気よく情報を伝えていくしかないと思いました。感覚が鈍感なだけで疲れや辛さのストレスは体にかかっているため、後から体調を崩し寝込んでしまったりするのでした...。二十歳になった息子、まだまだ体調管理の勉強中!Upload By かなしろにゃんこ。子どもの頃に比べたら経験値も上がってきたので、少しずつ着るものの調整などはできるようになってきたものの...まだまだ、全部を自分で調整することはできません。寒い夜は暖房をつけなさいとか、暑い日は窓を開けて風を通しなさいなど、過ごしやすくするにはどうしたらいいかも伝えていかなければならないと思いました。経験していないこと、あまり経験したことがないことは特に、一つひとつ言わないと気がつかない子なんです(涙)二十歳を過ぎた現在は、ようやく真冬の夜は靴下を履く!室内着は暖かいものを着る!が一人でできるようになりました。四季のデータが息子の中に蓄積されるまで、まだまだ時間がかかりそうです(笑)
2019年05月28日給食が苦手だった子ども時代出典 : 私の小学校では、お昼ごはんは給食でした。この記事を読んでいる方の中には給食が好きだった方も多いと思いますが、私はその給食がとても苦手で、お昼の時間はいつもゆううつでした。家では鶏の唐揚げやカレー、麻婆豆腐など、子どもの好きな味の料理が食卓に並ぶことが多かったのですが、給食で出てくる料理は家とは違う味付けや種類のものが多かったのも苦手になった理由です。そのため子どものころの私には味がまったく想像できず、毎日おそるおそる給食を食べていました。カレー味のものやあんかけ料理などは、匂いから味が想像しやすいため食べられたのですが、反対に味の薄い野菜炒めや焼き魚などはそのままでは食べられず、しょうゆをたくさんかけて味をごまかしていました。その中でも特に苦手だったのは魚類でした。父が魚釣りが趣味で、家で食べる魚はとれたての新鮮なものが多かったこともあってか、給食で出てくる魚にはどれも生臭さや変な風味を感じ、美味しいとは思えず…私の小学校では原則的に給食を残すことができなかったので、焼き魚などが給食で出てきたときは昼休みになっても食べきれず、遊んでいるクラスメイトを横目に見ながら嫌々食べていました。味と匂いと食感が苦手だったナス出典 : 苦手なものが出てきても、食べきらなければいけないというのが通っていた小学校のルール。実はそれがきっかけで苦手になった食べ物があります。それはナスです。ある日の給食で、ナスと野菜にゴマだれをかけた料理が出てきました。洋服のタグを切り取らないと服を着られなかったり、ヌルヌルした感覚が苦手で石鹸で身体を洗うのが嫌で夏でも身体を洗わなかったくらい触覚が過敏だったり、香水の匂いや生臭い匂いなどを嗅ぐと具合が悪くなったりしていた私は、食べものに関してはベチャベチャしているものやヌルヌルしているもの、匂いが強いものが苦手です。そのため、見た目から味がまったく想像できず、さらに箸で触ってみても微妙に柔らかい触感のナスに対してはもともと抵抗感が強く、それまで一度も食べたことがありませんでした。勇気を出して口に入れてみたところ、やはり食感は変に柔らかくて気持ち悪く、さらにゴマだれと野菜の組み合わせによる匂いや酸味に耐えきれず、食べたとたんに吐き気がして体調不良に…。このときの強烈な印象が原因となり、それからしばらくは家でも給食でもナスを食べることはありませんでした。家で麻婆ナスを食べてから大好物に!出典 : 小学校高学年になったある日、家の食卓に麻婆ナスが出てきました。中華料理が大好きな私は台所から漂ってくる香りにわくわくしていたのですが、出てきた料理にナスが入っているのを見てものすごくがっかりしました。母が無理して食べなくていいと言ってくれたため、最初はナス以外の具材のみを食べていましたが、薄いナスが大好きな中華の味にひたひたと浸かっているのを目にしたとき、ちょっと食べてみようかなと思いました。「薄いものならそんなにナスの味もしないだろうし、好きな中華の味がしみ込んでいるのだから、試してみる価値があるな」と思ったのです。そして勇気を出して食べてみたところ、給食のときとはまったく違い、ただただ私の好きな味がしました!食事を終えた後に「おいしかったからまた作って!」と母親にお願いしていたほどです。それからは徐々に厚めのナスも食べられるようになり、いまでは素揚げしたナスが大好物。外食でも好んで食べています。子どものころから大好きな納豆と苦手だったとろろ出典 : ネバネバした触感が苦手な方は多いのではないかと思いますが、私はネバネバはそれほど気になりませんでした。ただ同じネバネバの中でも、味や匂いによって食べられるもの・食べられないものがあります。中でも、納豆は昔から大好きでした。食感が独特なものや匂いが強い食べものが苦手な私ですが、大好きなごはんと一緒ならネバネバも匂いも気にならずおいしく食べることができたのです。(ちなみに納豆単品では匂いが強すぎるため、いまでもあまり食べられません…)それなら同じネバネバで独特の匂いがあってごはんにも合うとろろなども食べられそうなものなのですが、こちらは子どものころは好きではありませんでした。とろろは両親が好きでよく食卓に出ていたため、一度私も食べてみたことがあったのですが、ごはんと一緒でも消しきれない独特の匂いが気になり好きにはなれませんでした。そのときの印象が強かったため、長芋も食わず嫌いのままになっていました。とろろを食べられるようになったきっかけは、山かけうどん出典 : 中学生だったある日、弟から「とろろをうどんにかけて食べる『山かけうどん』というものがあるらしい」という情報がわが家に寄せられました。弟いわくとてもおいしかったということだったため、家族で食べてみることになりました。それまでとろろは「ごはんにかけて食べるもの」という認識で、うどんにかけるという発想がなかった上に、もともとの苦手意識もあり試してみるのは渋っていました。しかし横で弟がとてもおいしそうにバクバクと山かけうどんを食べているのを見て、勇気を出して食べてみることに。ほんの少しだけとろろをうどんにかけてみたところ、うどんのつゆがからんでとてもおいしかったのです!うどんのつゆのおかげで苦手だった匂いもなく、ただただおいしく食べることができました。それからは少しずつごはんにかけても食べられるようになりました。加えて、焼いてほくほくの食感になっている長芋は私の好物になっています。食べるまでに時間がかかる食べものは基本的に苦手出典 : 最後はもしかしたら私だけかもしれませんが、実は食べるまでに時間がかかる食べものが昔から苦手です。たとえばジャムなどを塗らなければいけない食パンだったり、みかんやグレープフルーツなどの皮をむかなければならないくだものなどです。食パンは食卓に出てくることもよくあったのですが、わたしは基本的には食べませんでした。ジャムを塗るのが面倒で、そのまま食べるほうがマシだと思っていたからです。どうしても食べなければならないときには、何もつけずに牛乳などで流し込むように食べていました。いまでも家で食パンを食べることはありません。特に苦手な柑橘類たち出典 : 食べるまでに時間がかかるものの中でも特に、皮をむく必要があるくだものは今でも好んでは食べません。子どものころ、父がよくみかんを箱で買ってきていたので私も食べてみたのですが、飲み込むときに薄皮がのどに詰まりそうになり、とても苦しい思いをしました。この出来事がきっかけで柑橘類は基本的に薄皮までむいて食べるようになったのですが、パンにジャムを塗ることすらめんどくさがる私ですので、当然薄皮をむいて食べるまでが面倒すぎるように感じ、いつの間にかまったく食べなくなりました。せっかく買ってきても私がまったく食べないので、あるときから母親があらかじめ薄皮までむいた状態で食卓に出すようになりました。その状態であればのどに詰まらせる心配がないので、私もバクバク食べられました。いまでも皮をむく必要があるくだものを自分で買うことはなく、たまに家に置かれているときには妻を頼り、薄皮までむいてもらっています...。どうも私は、食卓に座り「食べるぞ!」という気持ちになってから実際に食べるまで時間がかかることにとてもストレスを感じるようです。ですので、カニや殻つきのゆで卵もあまり作りません。どれも味そのものは好きなので、すぐに食べられる状態になっていればバクバクと食べるのが自分でも不思議でなりません。苦手な食べ物に関する私の経験をまとめてみると…出典 : ここまで記事を書きながら振り返ってみると、子どものころの私が食べられなかったものにはいくつか特徴があるようです。食感:口に入れたときにベチャベチャしていたりヌルヌルしているもの。見た目:味が想像できないもの。ベチャベチャ・ヌルヌルしていそうなもの。匂い:生臭かったり独特な匂いのもの。これらは私の触覚過敏と、匂いに敏感なことに起因した特徴なのかなと思っています。中でも匂いについては、苦手な匂いに勝る濃い味付けをしたことが、その食材を食べられるようになるきっかけとなった例を紹介しました。もし私と同じように特性による過敏さによって食べられないものがある当事者の方が周りにいる場合、調理方法や味付けを変えてみることで食べられるようになるかもしれません。それでも私が時間のかかる食べものが食べられないように、どうしてもダメなものもあるかもしれません。そんなときは本人に、食べられないもののどこがどうダメなのかを直接聞いてみるのも良いかもしれません。私が子どものころは特に聞かれたことがなかったので自分から話した記憶はありませんが、もし両親に何がどうダメかを聞かれていたら話していたのではないかなと思います。言語化が難しい場合には、お子さんが食べないものの共通点を探したり、特性から考えてみたりすると、そのこだわりについてのヒントが見つかり、食事での困り感やストレスを軽減できるかもしれませんね。そして私の経験談になりますが、食べられないものがあっても身長が180cm近くまで成長することもありますし、子どものころ食べられなかったものが大人になってから突然食べられるようになることもあります。お子さんの食べられないものについて、何とか食べられるようにしてあげたい!と毎日いろいろな工夫を重ね、ふと疲れてしまうこともあるのではないでしょうか。そんなときには一度肩の力を抜き、お子さんやこの記事をご覧になっているあなた自身が好きなものを食べて、まず楽しく食卓を囲んでみてほしいなと思います。
2019年05月27日小5からスタートした、発達障害の娘の進路探し公立中学見学の次は公立中学校の見学をした私達は、次に、娘が通学できそうな範囲内の私立の中学を見学することにしました。最初に見学したのは大学付属の「ハンディキャップを持つ児童を受け入れている」私立中学です。少し遠いのですが、自宅近くの駅から専用のスクールバスが運行していたので通学に問題はなさそうでした。充実した施設Upload By 荒木まち子なかでも特に5万冊所蔵の図書室は圧巻で、本が大好きの娘は「すごい!小学校の図書室とは大違い!!読んでみたい本がいっぱいある!ここなら何時間でも過ごせちゃう」といたく気に入ったようでした。素敵な校風。でも一抹の不安が案内の先生は「当校の教育目標は“共に生きる”で、自由と自治の精神を大切にしています。在校生は障害のある生徒を自然に受け入れています。足の不自由な生徒の為にクラスメイトが自主的に机の移動を手伝ったりしています」とお話されていました。障害がある生徒を受け入れ、障害の無い生徒と共に学べる体制がある学校はそう多くはありません。障害を個性として認め、分け隔てなく接してもらえるのはとても嬉しいことです。でもこの学校は発達障害に特化した学校ではありません。先生方に発達障害の知識がどれほどあるのか?それぞれの特性に合わせた配慮がどこまでなされるのか?娘の特性上、中学生という思春期の難しい時期を支援なしで過ごすことに私は一抹の不安を覚えたのでした。間違えた!次に私達は療育センターにあった書籍で紹介されていた、発達障害児がある子が多く通う私立中学の見学に行くことにしました。ネットで調べ見学予約の電話をして行ってみると…Upload By 荒木まち子その学校に本校以外にもいくつか、タイプの違う学校がある事を知らなかった私は、ネットで検索する時に“本で見た学校と同じ系列の別の学校”に間違えて予約をしまったのです!最寄り駅も同じだった為、そのことに全く気がつかなかった私。間違いにに気がついたのは見学も終盤になった頃でした。私が見学した学校は、中等部はフリースクールとして運営されている学校でした。個別支援計画などの作成もあり、発達障害のある子どもが多く通っているというのも納得の支援体制でしたが…当初見学したいと思っていた学校と違ったため、出直すことになりました。発達障害がある子を多く受け入れる私立中高一貫校へ後日、改めて行きたかった中学校(本校)に見学の予約をしたのですが、主人も娘も休みが取れず、見学は私一人ですることになりました。授業は前回見学した同じ系列の学校と同様、教科書やノートは用いず、それぞれの生徒に合わせたプリント教材(ワークシート)を使うスタイルでした。この中学には付属の高校もあり、習熟度や進路別にクラスが分かれているようでした。漢検や英検パソコン検定など、検定を積極的に受けている生徒も多いようで、掲示板にはさまざまな種類の認定証のコピーが貼られていました。校庭や校舎の雰囲気は一般の学校と大差無く、休み時間には友達同士でじゃれ合う姿も見られました。それでもグループ作業の時にひとりで話し過ぎてしまう生徒や、職員室前で先生が生徒に「最近ダークサイド(ネガティブ面)が増えてきてるよね?」といった言葉掛けをしている様子を見て、「やっぱりここは発達障害のある子が多く通う学校なのだわ」と改めて感じたのでした。私立校での校内見学後の個人相談で私は案内をしてくれた先生にいくつか質問をしました。私「特別支援学級から入学された生徒さんはいますか?」先生「いないことはありません。でも特別支援学級での接し方がベースになっていて、常に教師からの指示がないと動けいなようなお子さんだと入学後、困ってしまうかもしれません」私「卒業後の進路はどうなっていますか?」先生「大学や専門学校に進学する生徒が多いです」(※)私「卒業後、生徒さん達は自立できていますか?」先生「専門学校で時間の管理や配分に苦労しているというケースを聞いたことがあります」先生の話を聞き、たとえ高校まで手厚い支援があったとしても、その後も継続した支援を受けられないと、娘のような障害がある子どもが親から自立するのはやはり難しいのかもしれないな…と感じました。※中高一貫の私立中学だったため、高校卒業後の進路を指しています公立中学の通常学級?支援学級?それとも私立中学…?娘の決断とは小6の12月、毎年の恒例の『翌年度の所属を決める家族会議』を行いました。小5のころから、高校進学までを見据えて、公立中学の通常学級、特別支援学級、通級を見学したり、私立中学を見学してきたわが家でしたが…、いろいろな学校・学級を見学した結果、娘が選んだ進路は、地元の公立中学でした。娘は、「地元の公立中学の通常学級に進学したい」と言いました。わが家は娘が小4の時に引っ越しをしていて、娘は小学校を転校しています。娘が地元の中学を選んだ一番の理由は“前の小学校の友達と、中学で再会するのが楽しみ”だったからのようです(※)。理由はどうあれ、見学した私立中学はいずれも編入や高校からの受験も可能なので、親としても「まずは本人の意見を尊重し地元の公立中学で過ごしてみよう。そしてもし途中で限界を感じたら、その時にどうするか改めて考えても良いだろう」と判断しました。実際に足を運び、話しを聞き、いろいろな選択肢を知っていたから、逆に無用な不安を感じることなく娘の選択を受け入れられたのかもしれません。※中学の学区域は小学校より広くなり、以前通っていた小学校の生徒が同じ中学に通うことになるため先輩お母さんからのアドバイス当時、家の近所には地元の中学の特別支援学級に通っている1学年上(中1)のお子さんが住んでいました。中学入学を2か月後に控えた頃、偶然親御さんにお会いした私は「中学は地元の中学の通常学級にすることにしました。もしかしたら途中で支援学級に移るかもるかもしれないので、その時はよろしくお願いしますね!」とお話しをしました。通常学級に通う中3のお子さんのお子さんもいらっしゃるその先輩お母さんは「上の子の経験から、高校の進路は早めに進学先を考えて見つけておかないと大変よ。遅くても中2の秋までかな。障害の有無に関わらず、学校での進路指導に期待しすぎず親が早めに動いたほうがいい」とアドバイスしてくれました。息つく暇もない進路選択やっと中学の所属が決まったところなのに、もう高校の事を考えなければならないのね。中学に入学したらすぐに高校探しか…。学校探しや学校見学は時間と体力を使います。でも自分の知らないいろいろなことを学べるし、悩みこそすれど私にとってそれほど苦痛ではありませんでした。(文化祭めぐりなどはむしろ楽しいぐらい)娘が中学の三年間を通常学級で過ごしていけるのかは未知数でした。でもどうなっても対応できるよう私達は高等特別支援学校を含め、娘が中学生の時に6校程の高校の見学や体験入学をしました。次回は、高校進学に向けて準備したことや、訪れた学校についてご紹介していこうと思います。
2019年05月23日「好き」で自信を創り、「好き」で社会とつながるこんにちは。「『好き』で自信を創り、『好き』で社会とつながる」をビジョンに、発達障がい児向けのメンターマッチングサービスと教室運営をしているBranchの中里祐次です。Branchは、「発達障がい児の好きなことを見つけたり、好きなことができる環境創りのサポートをするサービス」です。こんなことをやっています↓↓Upload By 中里祐次Upload By 中里祐次 | 発達障がい児の孤独をなくし、可能性を伸ばす習い事って、「役に立つからやる」ことなんだっけ?出典 : この仕事を始めてから、「お子さんが自分の好きなことをできる時間って、今はどれくらいあるのかな?」と、よく考えます。自分の子どもの頃を考えると、おそらく100%に近いくらい、好きなことばっかりやっていたように思うんですよね(勉強していた記憶のない子どもだからかもしれませんが…)。友だちと公園で遊んで、その公園での遊び方を自分で考えたり、当時自分が好きだったドッジボールをみんなでやりたくて勝手にドッジボール部を創ったり…とにかく好きなことばっかりやっていた、のんびりした子ども時代だったなぁ、と。ただ、今のお子さんを見ていると、時代は変わってきているのかな、と感じます。というのは、学校の勉強や習い事に関して、お子さんが好きでやりたいことをベースにやる/やらないの判断をしているわけじゃない場合が多くなってきているように見えるからです。「これを覚えること、習うことがすべての子どもに役立つ」といった、まるで「正解」が決まっているかのような言説をよく見るようになりました。もし本当に、そういったすべての人に正解と言える方法があれば楽だと思う人もたくさんいるでしょう。Branchに相談に来る保護者さんの中にも、「次は子どもに何を習わせれば将来うまく行きますか?」というような質問をされる方がいらっしゃいます。なんとなくそれを聞いていると、スマートフォンのアプリをインストールするように「その習い事に通わせれば、自動でわが子に必要な能力がインストールされる」ような感覚でいらっしゃる方も多いのかなぁ、と感じます。でも、肝心のお子さんの感情はどこ行っちゃったんだろう…。ためしに、自分のお子さんに学校の勉強や習い事について「これは好きかどうか?」を一つずつ聞いてみてください。全部好きっていうなら、とてもその子はラッキー。残念ながら実際は、そうじゃない場合がとても多いと思います。習いごとに行ったあとに僕がお子さんに会うと「実はさっきの習い事、好きじゃないんだよなぁ」なんて言うお子さんも多いです。僕らは、なんでも言ってくれるような関係性が創れて良かったなと思うとともに、悲しい気持ちになります。好きで好きでたまらないことを、大人が全力で応援する出典 : 僕たちBranchは、我慢して我慢して勉強したり習いごとをした先にあるものよりも、「好きで好きでたまらないので誰にも止められない!」ということを大事にすることが、今の時代の学びにとても大切だと思っています。たとえばうちの子は、大好きなレゴをやってる時は大きい声で声をかけても肩を叩いても気づかないような子でした。今はマインクラフトをやったり、YouTubeでマインクラフトの動画を見たりしている時がその時間です。好きなことをやってる時は自発的にものすごい集中力でやっていますが、嫌いなことは絶対やりたくない。思えば自分もほぼ同じタイプの子どもでした。ある時、東京大学の文化祭で東大レゴ部の方が出展されているのを見つけて子どもと出かけました。レゴ好きなので、何か良い影響があるかなー、と期待をしながら。実際うちの子は、目をキラキラさせて東大レゴ部の方にレゴについてたずねたり、帰ってきてからも学校の作文にそのことについて書いたり、大きくなったら東大レゴ部に入りたいから東大に行きたいといったりと、中々良い影響があったようです(東大に行けるかどうかとかは置いておいて…。というか、本人はそれを言ったことをたぶん忘れています笑)。実はその時の経験から生まれたのがBranchなんです。つまり、お子さんの好きなこと(例えばレゴ)を得意な大人(ここで言えば東大レゴ部の方)とマッチングする、というサービスです。その後、サービスが続くうちに代官山に教室を構えたり、お子さんの好きなことを保護者の方と一緒にどう伸ばしていくかを考える計画書を提出するようになったりと、色々と進化を続けて今に至ります。「好きなことで社会とつながる」その最初のきっかけを例えばどんなお子さんがいらっしゃるかというと、こんなお子さんです。Upload By 中里祐次Upload By 中里祐次発達障がいのあるお子さんがメインですが、発達障がいはないけれど不登校状態だというお子さんも多いです。また、たまに「天才を育てるサービス」と勘違いされますが、それは違います。すべてのお子さまが「好きなことができて、それによって自信がつくことと、好きなことで社会とつながるきっかけを創る」ことがBranchが行っていることです。またもう一つ「お子さんの才能を新しく生み出す」ことを期待されることもありますが、基本的に「お子さんが好きなこと」をベースに考えていくので、それがお子さんの好きなことであれば一緒に考えていきますが、お子さんが嫌いなこと、興味のないことであれば僕たちがやることの範疇ではないかな、と思っています。安心して好きなことができる環境を創るのがBranchの役割まだサービスがスタートして3年弱なのですが、最近、Branchのチームで大事にしたいと考えているのはこんなことです。Upload By 中里祐次上述したように、Branchには社会の中で傷ついたお子さんがとても多くいらっしゃいます。好きなことにはすごい集中力を見せるのですが「学校に行けなくなってから、その好きなこともあまりやらなくなっちゃったんです」というようなお悩みも。Branchの場合は上記の図にあるようにまず最初に「安心して好きなことができる環境設計」を大事にしています。人と会うことや、外へ出ることも難しいお子さんもいますので、先に「どんな人」がいるか「どんな場所なのか」を伝えたり、場合によってはこちらから訪問したりもします。他にも、教室事業である「Branch room」のスタッフが共有する「グランドルール」として、こんなことを大事にしています。----------------------------ここはお子さまの「好き」を見つけること、「好き」を育むことを目的としています。・一緒に考える=つまり「教えない」ことです・見守る=つまり「指示しない」ことです・整える=居心地良く、少しの新しい発見がある空間を創ることです上記のようなことを私たちは主に行います。----------------------------まだまだ至らない点もありますが、安心できる場所があると、お子さんにちょっとずつ自信や自己肯定感が生まれるのかな、と思いながら日々活動しています。そして、だんだんと自己肯定ができるようになってくると、自主的に「これやってみよう!」と、自分のやりたいことをやるスイッチを押せるようになると思っています。大人になった時にこの「自主的に自分のやりたいことのスイッチを押せること」がとてもとても大事だと思っていますので、まずはそのための環境創りに取り組んでいるのが、いまのBranchです。もちろん、すでに自己肯定もできていてやりたいこともあるお子さんの場合、それをどう伸ばしていくかの環境創りのサポートが大事になるので、そのあたりも語りたいのですが…長くなってきましたので、今日はこの辺で。ご興味を持ってくださった方は、ぜひBranchに遊びに来ていただければ幸いです。オンラインのメンターマッチングサービス「Branch」は全国どこからでもご利用可能です。東京におられる方は教室事業の「Branch room」も覗いてみてください。それでは。 | 発達障がい児の孤独をなくし、可能性を伸ばす東京・代官山Branch room
2019年05月23日娘、いよいよ放課後等デイ・デビュー娘との「療育」がスムーズにいかなくなって、悩んでいた私は、娘の放課後等デイサービス利用を決めました。手続き、見学を終え、無事に通所受給者証も発行され、いよいよ通い始めることに。放課後等デイが、大好きに!週4日、学校の後、放課後等デイサービスに通い始めた娘。娘はここで過ごす時間が本当に楽しいようで、ちょっと早く迎えに行くと…Upload By SAKURA私の顔を見てがっかりするほどです(笑)帰り道でも…放課後等デイからの帰り道、学校とどちらが楽しい?と聞いてみたら…Upload By SAKURA楽しかったアピールが止まりません。「娘を手放したくない」という思いに気づいて私は自分の中で、できるだけ長く娘と過ごしたいという思いがありました。だんだんと成長していくにつれて、私と過ごす時間より、友達や先生と過ごす時間が多くなっていきます。それを寂しいと感じていたのです。Upload By SAKURAデイサービスに通い始めた娘は、本当に楽しそうで、私の見えないところで、話して、感じて…私がいなくても自分だけで人間関係を作り上げていました。それを目の当たりにして、私の「あーさんと長く過ごしたい」、「いつまでも私のそばから手放したくない」という思いは、もう卒業しないといけないんだと気づきました。一緒にいる時間は少なくなったけれど娘は、夕方の6時まで放課後等デイサービスで過ごすため、母と子の関わる時間は短くなりました。Upload By SAKURAしかし、帰宅した娘との会話に変化が生まれました。Upload By SAKURA以前は「〇〇やった?」「これ違うよ!」などの質問調・命令調での声掛けがどうしても多くなっていましたが、今は娘の帰宅後、「今日は学校はどうだった?デイサービスは楽しかった?」という、娘の話を聞く声掛けに変わりました。放課後等デイサービスで宿題を済ませて来てくれるので、私がバタバタ宿題をチェックする必要もありません。そう、ゆっくりと娘の話を聞ける余裕が生まれたのです。娘の話を聞いて笑ったり、今日はこんなことがあったよ~とお互いに報告したりしています。相手のことを聞いたり、気にかけたりできるようになった姿に、娘の成長も実感しています。親基準ではなく、子ども基準で考える私は放課後等デイサービスを利用することに、罪悪感を勝手に感じていただけなのかもしれません。でも、子どもを放課後等デイサービスに任せて見てもらうというのは、母親が楽をするためのものではない…。子どもが、親以外の人とのコミュニケーションを学んだり、必要なスキルを身につけることができる大切な機会、将来のために必要なプロセスなのだと、今は思います。Upload By SAKURA今回のことで、一番成長できたのは私かもしれません。
2019年05月22日ゲームは人生の役に立つってホント?はじめまして。コラムニストの小幡和輝(おばたかずき)と申します。僕は子どものころ約10年間を不登校として過ごしました。正直、学校に楽しい思い出はありません。そんな僕がハマったのはゲームでした。1日に10時間以上。合計で30000時間を超えるほど、ゲームに没頭していました。僕はこの経験があったから、自分の人生が豊かになったと考えています。ゲームからたくさんのことを学びました。今回はそんなお話ができたらいいなと思っています。僕のことを先に知ってもらわないと、あまり信用してもらえないかとも思いますので、自分のことをもう少しお話ししておきますね。僕はいま24歳で自分の会社を経営しています。地域の文化を発信したり、イベントを作ったり、地域活性化に関わる仕事をしています。起業したのは18歳で、現在で7年目。最近では内閣府から『地域活性化伝道師』という肩書きもいただきまして、最年少の地域活性化の専門家ということでお仕事をしています。Upload By 小幡和輝いまとにかく人生が楽しいです。この土台は「ゲームが作ってくれた」と確信しています。ゲームをネガティブに考えずに、人生を豊かにするツールとして活用してほしい。ですが、それを生かすも殺すもあなた次第なのです。子どもがゲームにハマっても大丈夫なの?子どもはゲームをいっぱいやりたがりますよね。この記事が、保護者としてゲームとどう向き合っていけばいいのかの参考になれば嬉しいです。僕はよく子育ての相談を受けるのですが、ある日こんな相談を受けました。「うちの子どもはゲームばっかりやってるんです。せめて囲碁とか将棋にハマってくれたらいいんですけど…」「お母さん。囲碁や将棋もゲームですよ…」ここで保護者の皆さんがいう「ゲーム」というのはテレビゲームやスマフォゲームのことを指しています。ですが、広義の意味では、囲碁や将棋はもちろん野球やサッカーなどのスポーツも『ゲーム』です。どうも「ゲーム」という言葉のイメージであったり、なんとなくダメなものという印象を持たれている方が非常に多いので、まずはその誤解を解いていければと思います。少し自分の話に戻りますね。僕は不登校でした。学校に行かなくなって、人との関わりも少なくなってくる。そんな中で僕を救ってくれたのがゲームでした。Upload By 小幡和輝ゲームを通じて友達ができたんです。僕は30000時間以上ゲームをしてきました。しかしそれは、たった一人でゲーム機に向かっているのではありませんでした。常に”誰かと一緒に遊んでる時間”だったんです。遊ぶ相手は、同じく不登校の同世代や、ときには世代を超えた社会人も。僕にとって「ゲーム」とは人と人をつなぐコミュニケーションツールでした。勉強も運動も苦手だった僕にとってゲームは自己肯定感を高めてくれるものでもありました。中学時代には大会に出場するようにもなり、さまざまなタイトルで優勝したりして、全国大会に出場することもできました。ゲームのコミュニティでは、僕のことを「不登校の小幡くん」として見る人はいません。この場所では「ゲームが強い小幡くん」です。最近のeスポーツの流れはとてもいいなと感じています。ゲームが強いことで尊敬される人が増えるというのはとても大切なことだと考えています。ゲーム依存症の定義を知っていますか?ゲームにハマることをそのまま依存症と繋げる方が多いのですが、依存症についての正しい理解が進んでいないように思います。WHOでは、「普段の生活が破綻するほどの」ゲームへののめり込みを指すものをゲーム依存症(※)と定義しています。僕の場合は友人と遊ぶためのツールとしてのゲームであるため、ゲーム依存症ではなかったと考えています。もちろん、家の中に引きこもり、昼夜逆転して、ひたすら1人でゲームをやり続けるというのはゲーム依存症かもしれません。でも、ゲームをたくさんやっているからといって、そのすべてがゲーム依存症ではないと思うので、保護者の皆さんはお子さんに、もう少し広い視点と、正しい環境をつくってあげてほしいと思います。ゲームをすると学力が下がるという話もありますが、それは単純に勉強時間が少なくなっただけですよね(笑)。ゲームは間接的な原因であるはずなのに、なんでもかんでもゲームのせいにされている状況には、僕には違和感があります。※WHO(世界保健機関)は、『ICD-11』において、ゲームのやり過ぎで日常生活に支障をきたす依存症を「ゲーム症・障害」という疾患と認め、2019年5月の総会で承認する見通しであることを2018年6月18日に発表しました。2019年5月20日、WHOの年次総会がジュネーブの国連欧州本部で開幕し、オンラインゲームやテレビゲームのやり過ぎで日常生活が困難になる「ゲーム障害」を新たな依存症として加えた「国際疾病分類」最新版が28日までの会期中に採択される予定です(2019年5月22日現在の状況)ゲーミフィケーションという考え方ゲームと教育の相性は非常にいいと思います。楽しみながら学ぶことで、スラスラ入ってくるという経験はみなさんにもあるのではないでしょうか。僕自身、ゲームからたくさんのことを学びました。いま地域の文化の発信や地域活性化の仕事に関わっていますが、そもそも最初に興味を持ったのは戦国時代を舞台にしたゲームからです。ゲームを通じて、日本文化や歴史が好きになって、それがそのままいまの仕事に繋がっています。中学時代にカードゲームにハマったのですが、僕はよくカードゲーム専門店に出入りをしていて、大会の運営にも関わるようになりました。そのときの経験があったから、18歳でイベントを主催したときも抵抗がなく、そのまま会社をつくることができたのだと思います。僕にとってのゲームは人生を豊かにしてくれたツールです。しかし一方で、異常な課金や依存症など、ゲームによって人生を破滅させてしまう場合もあります。つまり、「生かすも殺すもあなた次第」なのです。今回書いたものはほんの一部。他にもいろんな視点でゲームの魅力を書いた本が今日発売されました。ゲームの「良い面」やその効果について、実体験を踏まえて一つひとつ丁寧に解説しています。 また、脳科学者の茂木健一郎さんをはじめ、さまざまなの分野の識者との対談を通じて、ゲームの魅力や効果をあらゆる側面から考察しました。もしよければ手にとってみてください。ゲームをネガティブに考えず、広い視点を持って、その魅力をぜひ最大限に活用してほしいです。ゲームはたくさんのことを教えてくれる「ツール」だから。(@nagomiobata)(@nagomiobata)
2019年05月22日みなさんは、「発達のマイルストーン」という言葉を聞いたことがありますか? 「発達のマイルストーン」は、赤ちゃんの発達がどの段階まで進んでいるかを判断するための目安をいいます。目安はあくまでも目安ですが、どの時期に何ができるか、語呂合わせで覚えるのも楽しいかもしれません。今回は、1歳までの赤ちゃんの発達の目安と覚え方を紹介します。 首すわり赤ちゃんの首のすわりは、出生時の状態や発育環境などの影響を受けやすいといわれています。厚生労働省が平成22年に調査し、平成23年に報告された結果によると、生後4カ月以上生後5カ月未満の赤ちゃんのうち、約90%以上の赤ちゃんで首のすわりが確認できることから、生後4カ月が一般的な目安とされています。 赤ちゃんの首がすわる時期の目安は、生後4カ月。「首がしっかり(4カ月)すわる」で覚えます。 寝返り赤ちゃんが寝返りをし始めるのは、平均的にはだいたい生後5カ月~6カ月のころといわれています。ですが、寝返りの時期は意外に個人差があり、もっと早くする子もいますし、生後8カ月になろうとするころにようやく寝返りし始めたという子もいます。 赤ちゃんが寝返りできるようになる時期の目安は、生後5~6カ月。「ゴロゴロ(5,6カ月)寝返り」で覚えます。 おすわり赤ちゃんのおすわりの時期は、生後7カ月~8カ月ごろといわれています。誰かが支えてあげるとおすわりができるようになるのが生後6~7カ月、生後7~8カ月になるとひとりでおすわりできるようになります。 赤ちゃんのおすわりの時期の目安は生後7カ月ごろ。「なんとか(7カ月)おすわり」で覚えます。 ハイハイ赤ちゃんがハイハイをし始める平均的な時期は、生後7~8カ月のころだといわれています。いきなり膝をついてハイハイをするというよりは、腹ばいになってバタバタもがいていたり、くるくると回転してみたり、または後ずさりしようとしたり、ずりずり進もうとしたりという動作が見られるようになってきます。 赤ちゃんがハイハイをし始める平均的な時期は、生後7~8カ月。「なんて(7カ月)はやい(8カ月)ハイハイ」で覚えます。 つかまり立ち赤ちゃんがつかまり立ちを始める時期は、だいたい生後7カ月から生後11カ月ごろが目安ですが、早い子は生後6カ月くらいから、遅い子では1歳ごろで始める子もいます。 つかまり立ちの目安は生後7カ月から生後11カ月。少し目安の幅がありますが、「きゅっ(9カ月)と掴んでつかまり立ち」で覚えます。 つたい歩きつたい歩きは個人差が大きく、生後7カ月から1歳過ぎに始まるといわれています。早くから歩くことに興味があり、ハイハイをあまりせずにつたい歩きを始める赤ちゃんがいたり、それとは反対にハイハイが好きで、つたい歩きにあまり興味を示さない赤ちゃんもいます。 つたい歩きはの目安は、生後7カ月から1歳過ぎ。こちらも少し目安の幅がありますが、「ひといきに(11カ月)つたい歩き」で覚えます。 たっちそして、生後12カ月前後で、ひとりでたっちができるようになります。たっちができるようになると、いよいよあんよが始まりますね。 ひとりで立てるようになる目安は1歳前後。「いちにんまえ(12カ月)に一人立ち」で覚えます。 今回ご紹介した覚え方は、あくまでも成長・発達の目安です。赤ちゃんの成長・発達には個人差があり、今までできなかったことが急にできるようになることもあります。ほかの赤ちゃんと比較するのではなく、あせらずゆっくり長い目で見守ってあげられるといいですね。※参考:ベビーカレンダー「赤ちゃんの首すわりはいつ?練習は必要?確認の方法と遅い場合の対処法について」「寝返りはいつから?赤ちゃんの寝返りの時期と注意点」「赤ちゃんが寝返りをしなくても大丈夫?練習は必要?寝返りしない原因と対処法について」「赤ちゃんがお座りをする時期はいつ?練習は必要?お座りのコツとは?」「赤ちゃんのハイハイはいつから?練習は必要?ハイハイの種類や注意点について」「赤ちゃんがつかまり立ちを始めるタイミングはいつ?時期の目安や練習について」「つたい歩きはいつから?靴下や靴はどうする?練習は必要なの?」
2019年05月20日空まで飛んで行きたいな小さい子向けの箱ブランコが窮屈になってきたサンちゃん。大きい子向けのブランコに乗ってみるも、なかなか姿勢を保って乗り続けることが難しい様子で、すぐずり落ちてしまうから、お腹をのせてユラユラしていたり。やっぱり、ビュンビュン勢いよく揺らせる、いつものブランコが楽しいよね…。そんなサンちゃんをそっと見守る大きい子向けのブランコくんがいました。果たしてサンちゃんとブランコくんは仲良しになれるのでしょうか…?Upload By たなか れもんUpload By たなか れもんUpload By たなか れもんサンちゃんはこれくらいのことではへこたれないよ!これからもよろしくね、ブランコくん。
2019年05月20日子育てフェスタで「子育てあるある」エピソード募集Upload By 発達ナビ編集部発達が気になるお子さんとの毎日は、楽しいこと、うれしいこと、そしてちょっと大変なこと…いろんな出来事があり、ママパパの心も膨らんだり、ときにはしぼんでしまったりすることもあるのではないでしょうか。そこで編集部は、2019年3月に開催した「子育てフェスタ2019」の会場で、「発達凸凹キッズあるある募集」と題し、エピソードの募集をさせていただきました。そこで集まったエピソードからいくつか厳選し、発達ナビの連載ライター陣によってコミックエッセイ化し、2回に分けてご紹介します。後編となる今回は、子育ての一場面を切り取った、3つの「成長エピソード」をご紹介します。イスに座ることも拒否だった娘、療育に通って2年の変化(4歳の女の子)Upload By 発達ナビ編集部4歳になる娘には知的障害があり、発語はありません。2歳で療育に通い始めたころは、ギャーギャー泣いてしまい、椅子に座ることすら難しい状況でした。Upload By 発達ナビ編集部今では、洋服の脱ぎ着でも協力動作ができるようになりました。また、要求のサインとして、両手をパチパチと叩くこともできるように。身辺自立や、自分の気持ちを伝えることが少しずつできるようになっています。今でも発語は難しいけれど、だからこそ、親としては感動の成長です。エピソード提供:Rさん(4歳の女の子のママ)就学前検診で「友達はいないよ」。ドキッとしたけれど…!(5歳の男の子)Upload By 発達ナビ編集部ASD(自閉症スペクトラム)のある息子と、就学前検診の二次検査に行ったときのことです。面接官の先生から「お友達はいますか?」と聞かれた息子は、なんと「いないよ」と答えたのです…。Upload By 発達ナビ編集部私は焦って「〇〇ちゃんは?」「〇〇くんは?」とお友達の名前をあげました。すると息子、「〇〇ちゃんや〇〇くんは、なかま!」ときっぱりと答えたのです。「(クラスメートは)なかま」というのは、保育園の先生が使っていた言葉です。クラスメートのことを認識しておらず「いないよ」と言ったのではなく、先生の言う「なかま」という言葉を理解していたんだなぁと、うれしくなりました。エピソード提供:F.Tさん(9歳の男の子のママ)※エピソードは5歳当時のものとなります一緒に歩く相手のことを思いやれるように(小学4年生の男の子)Upload By 発達ナビ編集部小学4年生の息子には、ASD(自閉症スペクトラム)やADHD(注意欠陥・多動症)などがあります。以前は周りの人のことをあまり意識することができず、何かしてもらってもお礼が言えなかったり、人に合わせて歩いたりということは難しかったのですが…。Upload By 発達ナビ編集部最近、成長を感じられる場面がいくつかありました。自分の気持ちが落ち着くと、お礼が言えるようになったのです。また、私が「足がいたいの」と伝えると、歩く速さを合わせてくれるようにもなりました。エピソード提供:Jさん(小学4年生の男の子のママ)イラスト:かなしろにゃんこ。
2019年05月17日子育て楽じゃありません
細川珠生のここなら分かる政治のコト
私の愛すべき家族