今やすっかり世間に定着した“ママタレ”という言葉。一度人気が落ち込んだ女性芸能人でも、ママタレに転身することで再び一流芸能人として返り咲くことも少なくありません。しかし、一方ではママタレが増えすぎて一種の飽和状態にあることも事実。 “子どもを産めばとりあえずママタレと名乗る人たち”にうんざりしている人も多いでしょう。そんな競争率の高いママタレ界において、一番の成功を収めているのは一体誰なのでしょうか?今回は、パピマミ読者の皆さんに「ママタレ転身に成功したと思う芸能人」についてアンケートを取ってみました!●ママタレ転身に成功したと思う芸能人は?・1位:辻希美……20%(45人)・2位:木下優樹菜……18%(40人)・3位:くわばたりえ……15%(35人)・4位:北斗晶……15%(34人)・5位:藤本美貴……9%(20人)・6位:蛯原英里……6%(14人)・7位:東原亜希……5%(12人)・8位:小倉優子……4%(10人)・9位:後藤真希……3%(5人)・10位:東尾理子……2%(3人)※11位以下は省略※有効回答者数:222人/集計期間:2017年1月20日〜2017年1月24日(パピマミ調べ)●1位:辻希美『元アイドルってぱっとしない人が多いけど、辻ちゃんは完全にママタレに転身して成功したと思う』(34歳女性/主婦)『やたら炎上しているイメージしかないけど、収入という面においては辻ちゃんが一番成功しているんじゃないかな』(32歳女性/保育士)第1位に輝いたのは、『辻希美』さんで20%(45人)という結果になりました。辻さんといえば、『モーニング娘。』の主要メンバーとして活躍していたことが記憶に新しいですね。現在では3人のお子さんを育てる立派なママさんになっています。辻さんは2009年からアメーバでブログを始めていますが、子育ての様子を読者に公開し多くの反響を呼ぶ人気ブログとなりました。そんな辻さんのブログはたびたび炎上することでも話題となっていますね。そのおかげでブログのアクセス数が伸び、一説では1か月に500万円を稼いでいる とも言われています。夫の杉浦太陽さんとの夫婦仲も睦まじいようで、たしかにママタレに転身してから一番順調な人生を送っている人かもしれません。辻さんの今後の活躍に要注目ですね!●2位:木下優樹菜『ヘキサゴンでバカキャラとして活躍していたころは正直好きじゃなかったけど、フジモンと結婚して子どもを産んでから見直すようになった。実際、ママタレになってからの方が人気出たよね』(39歳女性/販売)『育児論とかがしっかりしてるからママから支持されてるよね。そのせいでことあるごとに炎上してるけど笑』(36歳女性/広告)第2位にランクインしたのは、『木下優樹菜』さんで18%(40人)という結果に。元々は『クイズ!ヘキサゴン!!』で里田まいさんやスザンヌさんらと“おバカキャラ”として活躍してた木下さん。その中でも歯に衣着せぬ物言いが評判を呼んでいました。その後お笑い芸人の藤本敏史さんと結婚し、2児のママとなりました。木下さんはInstagramで子どもの写真を多く載せており、そのどれもが子どもへの愛情を感じられるものばかり。今ではフォロワーが300万人を超す 大人気アカウントとなっています。また、木下さんは『Avan Lily』というブランドもプロデュースするなど多方面で活躍しています。2016年は“調子こき女”を不登校にしたというエピソードが発端で炎上してしまった木下さんですが、2017年は順調に活躍していってほしいですね。●3位:くわばたりえ『元々モテない芸人として活躍していたのに、結婚・出産を機に勝ち組になったよね。少し上から目線なところが鼻につくけど、ママタレとしては成功していると思う』(33歳女性/主婦)『子育て本を何冊か出してるし、今や芸人ではなく“ママタレ”として活動してるよね』(29歳女性/通信)3位は『くわばたりえ』さんで15%(35人)となりました。くわばたさんはお笑いコンビ『クワバタオハラ』のボケ担当として活躍していましたが、2009年に結婚してから3人の子どものママとなりました。ママとなったくわばたさんは、出産の動画を公開したり子育て本を数冊出版したり するなど、芸人というよりはママタレントとしての活動を精力的に行っています。中にはくわばたさんが芸人だということを知らなかったという人もいるようですが、そのぐらいくわばたさんがママタレとして活躍しているという証拠でもあります。これからも子育てとタレント業の両立を頑張ってほしいですね。----------いかがでしたか?女性は子どもを産むと独身のころとは違った魅力が備わるものです。ママタレはなにかと炎上しがちな人が多いですが、これからも世のママ代表として頑張ってほしいですね。【参考リンク】・【アンケート結果(1〜13位)】ママタレ転身に成功したと思う芸能人は?()●文/ぶるーす(芸能ライター)
2017年01月25日私の娘は、22歳の時にアスペルガー症候群と診断されました。そんな娘が小中学生だった当時は、まだまだ発達障害についての世間の認識が薄かった時代。娘の特性に対する理解や支援を得られず、小学校高学年から続いたいじめの影響で、神経性食欲不振症、不登校、被害妄想、幻聴幻覚、解離などの二次障害が現れていきました。そして、いま現在も入院治療が続いています。今回は、前回記事の小学生時代に続き、娘の中学生時代についてお話します。これは今から、15年ほど前の出来事です。現在では信じられないような出来事に、親子で随分と苦しめられてきました。障害や教育に対する支援・態勢が、現在と比べてどのくらい異なっていたのか、その点も含めて読んで頂けると嬉しいです。入学した中学でもいじめが待ち受けていた出典 : いじめの事態が改善されないまま小学校を卒業した娘でしたが、期待を持って入学した中学でも、再びいじめが待ち受けていました。三校の小学校から生徒が集まる中学だったので、娘の名前はすぐに知れ渡ってしまい、新しい仲間にも打ち解ける事ができないようでした。学校に行く事が苦痛になっているのではないかと感じましたが、頑張って登校している娘を見ると何も言えず、ただ楽しく過ごせるようにと祈る事しか出来ませんでした。加えて同じ頃、重度知的障害のある四年生の次男が、担任が変わり環境が変わった事で落ち着かなくなり、些細な事でも大声を出しパニックを起こすようになりました。私は、娘の事が気になりつつも、目の前の次男の対応に追われていました。2泊3日の学年行事から帰宅後、言葉を話せなくなった娘。出典 : 娘に変化が起きたのは6月下旬でした。新1年生の行事である2泊3日のふれあい合宿を終えて帰宅した時のことです。「お帰り〜!」と、私は声をかけましたが、娘は何も言わずに黙って下を向いたまま。出かける前には、「行きたくない」と口にしていたので、いろいろあったのだろうなと思い、私はそれ以上は何も言いませんでした。夕食の時間になっても、娘は何も話さず、食事も口にせず、下を向いたままでした。私は娘の様子が気になったものの、「合宿で何かあったのだろうか。話したくないなら仕方がない、明日になれば、少しは元気になるだろう…」と考え、事態をあまり重く受け止めていませんでした。ところが事態は、私の想像をはるかに超えたものでした。翌日以降も、何を聞いても、返事をするどころか、顔を上げる事すらせず黙ったまま。言葉を発するのが困難なように見えました。ただ事ではないと感じた私は、担任に相談し、言葉が出ないまま学校に通うのは無理だろうと、夏休みまでの1ヶ月間、学校を欠席させると決めたのでした。娘の言葉は、その後の2ヶ月間も出る事はありませんでした。児童相談所の医師の言葉に、親としての自信を失くしてしまい…出典 : その後学校からは、娘を児童相談所に連れて行くように勧められ、私は娘と次男と出かけて行きました。相談所に行くと、女性職員との簡単なやり取りの後、「精神科の医師に診て貰います」と言われ、その場で待つように指示されました。しばらくして現れた若い医師は、私と娘と次男をチラリと見ていきなり、こう告げました。「お母さんが悪いです!」驚いて、言葉も出ない私に、医師は続けて言いました。「お母さんの育て方が悪いから、子どもがこうなったのですよ!」私は、あまりの言葉にショックを受けました。この時、医師とはまだ一言も言葉を交わしていません。何も話していないのに、なぜ断言するの?なんとひどい言い方。話も何も聞かないで、何が分かると言うの?私はただただ驚き、自分の子育てを全否定されたショックで、やりきれなさと悔しい気持ちでいっぱいでした。医師との面談の後、女性職員が申し訳なさそうに言いました。「こういうケースは、ものすごく多いのですよ。関東から九州に引っ越して来た人は、カルチャーショックで、子どもと母親は耐えられなくて関東に帰ってしまい、父親だけが残って単身赴任になるんです。」私は、この女性職員の言葉に救われたような気がしました。けれども、若い医師の言葉はずっと心に引っかかり、自分の子育ては間違っていたのだろうかと、母親としての自信を失いかけてしまったのでした。神経性食欲不振症(拒食症)と診断されて出典 : その後も娘は、下を向いて顔も上げられない状態が続き、歩くのもおぼつかなく、食事も取れなくなり、164cmで42kgだった体重が30kgを切るまでになりました。私たちは、次男の主治医に娘の診察をお願いしました。児童相談所のあの若い医師とは違い、娘の様子をしっかりと診てくれました。娘に下りた診断は、神経性食欲不振症(拒食症)。体力を回復させる内科治療をしながら臨床心理士のカウンセリングを受ける事に決まり、娘の治療が始まりました。週に一度、1時間の女性心理士のカウンセリングと並行して、次男の言葉の教室でお世話になっている言語聴覚士にもお願いをして、娘の指導をしていただきました。娘の言葉はすぐには出ませんでしたが、言語聴覚士の指導で行われた私と娘が身体を密着させて行う運動療法は、お互いの不安を解消させてくれました。二人で向かい合って座り、手を繋いで引っ張り合いをしたり、その手をお互いの背に回し、ギューッと抱きしめたり、背中合わせでおしくらまんじゅうをしたり…言葉はなくても、お互いの心が一つにならないと出来ない運動でした。何回か通ううちに、娘は、「うん…」と声が出るようになりました。絞り出すような娘の声を聞いた時、私は嬉しくて心から感謝をしました。それからようやく、少しずつ娘の言葉が出てきたのでした。ところがそのうちに、また別の奇妙な出来事が起きるのです。娘は「お母さん大好き」と言って、私の顔をじーっと見つめ、異様な笑みを浮かべ、それから、私の行く先々に着いて回り、トイレの中まで入ってくるようになったのです。いわゆる赤ちゃん返りでした。娘は、私のそばを片時も離れなくなり、「抱っこ!」と言って膝に乗って来ます。私は一晩中、私よりも身体の大きな娘を抱っこして座ったまま状態で過ごすことになり、朝まで眠れない日々が続きました。一瞬たりとも、心が休まる事はありませんでした。4,5日経つと、さすがに娘も辛くなったのでしょう。夜は布団で寝る…と言って、添い寝をするようになりました。日中も夜も、私は娘のそばを離れる事もできない状況でしたが、次第次第に、娘の様子も安定していきました。そして、夏休みも終わろうとする頃、娘はようやく無言状態から脱出したのでした。不思議なもので、娘が安定してくると、あれほど不安定だった次男も落ち着いてきました。2人が不安定になって、私ひとりでは手に負えない状態でしたが、少しずつ事態は進展していったのです。自らカウンセリングをストップさせ、再び学校へ…娘の家での様子はこのように変化していきましたが、その間も週に1度のカウンセリングは続けていました。カウンセリングは1時間ほど、心理士と娘だけで行われました。たわいもない話をしたり箱庭療法をしたりして過ごしながら、私たちには話さない学校での出来事を話していたようでした。何回目かのカウンセリングを受けた後、娘は自分から心理士に「もうこれ以上続けていても意味がないから、自分の気持ちに蓋をして、学校に行きます。」と言って、突然にカウンセリングを終了させました。私は驚きましたが、娘の決断は揺るぎませんでした。そして、10月の終わり頃、娘は休んでいた中学に再び通い始めました。私たちは、もう少しゆっくり休むようにと伝えましたが、娘は私たちを押し切って、学校へと戻って行ったのでした。体調はまだ戻っておらず、調子の良い時だけ登校する形で、通院しながら頑張って登校しました。以前は、男子生徒からの悪口が酷かったのですが、担任教師のお陰で、娘の悪口を言う生徒は減っていきました。若い教師でしたが、何度も家庭訪問をして下さり、娘や私の気持ちを親身になって考え、支えてくださいました。娘は、カウンセリングを終了しても、困った時には心理士に電話をかけていました。カウンセリングという形を取らなくても、いつでも深夜でも相談に応じてくださる心理士の存在は、娘にとって、どんなにか心強かった事でしょう。この心理士と担任教師の二人を味方につけて、娘は学校という孤独な場所に立ち向かって行ったのでした。出典 : 中3になった娘の高校受験対策出典 : 中1の10月から登校を始めた娘は、中2も同じ担任教師のクラスとなり、生活を変える事なく、体調の良い時だけ登校しました。無理のない登校で、だんだんと落ち着きを取り戻し、笑顔も見られるようになりました。けれども、中3では担任も変わり、娘への理解も得られませんでした。自分の考えを押し通す担任に、私は不安を覚えました。高校受験も控えているので、体調の良い時だけ登校する訳にもいかず、悪口を言われても、嫌がらせがあっても娘は我慢して登校を続けたのでした。担任教師が理解してくだされば、なんとか頑張れるものなのに、担任は娘の訴えを否定し続けます。クラスの生徒に悪口を言われて我慢できずに、娘が担任に相談に行くと、まるで娘のほうが告げ口をしているかのように思われて「どうして、いちいち言いに来るんだ。」と突っぱねて、少しも娘の気持ちを理解しようとしないのです。私自身も何度も学校に行き担任に話をしましたが、私の話など聞く耳を持ちません。そこで、小学校の時と同じように主人と2人で学校に出かけ、夫婦揃っての校長面談を取り付けることにしました。ですが、いざ学校に行ってみると、現れたのは校長ではなく学年主任。私たちの話を「はい、はい」と笑顔で頷いて聞くばかりで、全て分かっているかのように応答したのでした。私は、この表面的な応対に人としての温かさの微塵も感じず、失望したのでした。推薦入試で高校合格へ… 卒業への思い。出典 : 担任教師にも学年主任教師にも理解を得られず、修学旅行や体育祭、文化祭など行事があるたびに辛い思いをしながらも、娘はどうにか、残りの学校生活を乗り切っていきました。中3の2学期になって高校見学や説明会が始まると、私は娘と私立の美術科のある高校見学に行きました。私たちだけのために応対してくださった美術科主任教師は、とても穏やかな優しい方でした。私はその誠実なお人柄に惹かれて、初対面であったにも関わらず、心を開いて話が出来たのでした。「毎日一緒にいる担任教師よりも、この初対面の教師のほうがよほど理解してくださるではないか…こんな出会いはそうそうない」私は、この教師になら娘を安心してお任せ出来ると確信し、この高校の美術科の推薦入試を娘に受けさせ、無事に合格通知を頂いたのでした。九州に転居してからずっと、娘はひとりで耐えて来ました。転勤とはいえ、住みたくもない街で暮らし、行きたくもない学校に行かなければならない事は、辛く苦しいものだったに違いありません。苦しんでいる我が子に、してやれることは何なのか。親として出来る限りの事は、してきたつもりです。ですが、果たして、これで良かったのでしょうか。発達障害への認識が、現在のように進んでいたのなら、娘はこんなに苦しまなくても良かったはず。療育や支援を受けて、もっと娘自身を輝かせる事が出来たはずです。医師ですら、発達障害の認識がない時代では、支援も療育も受けられず、当事者だけが苦しみの中にいたのです。現在なら、学校に行かない選択も出来たでしょうし、必要な支援も療育も受けられるでしょう。時代のせいにはしたくありませんが、そんな時代であったのは事実です。卒業式の日、娘は立派に卒業証書を頂きました。晴れ晴れとした娘の顔を見て、私はホッとしていました。本当によく頑張ったね。卒業おめでとう…私は、娘のこれからの道が明るく光り輝くものとなるようにと、願ったのでした。
2017年01月25日幼いころから続いた、娘の「足が痛い」という訴え出典 : 歳の娘にはアスペルガー症候群の診断が出ています。ある日「学校をやめる」と宣言してから、毎日家で過ごしています。そんな娘ですが、不登校になる前はよく、足の痛みを訴えていました。そのたびに「成長痛かな?」「きっと身体が大きくなろうとしているんだよ」と軽く聞き流していました。しかし、ピアノの練習や宿題の最中など、「どうして今?」という場面でも痛みを訴えるため、不思議に思っていた私。足の病気かな?と不安に思ったりもしましたが、遊びの時間になると「もう治った!」と走り回っているので、病院へ行く程でもないのかな…と様子見を続けていたのです。本当に痛いの?どのくらい痛いの?あまりにも辛そうな娘を前に出典 : 足の痛みが子どもの心と繋がっていると気がついたのは、娘が登校を嫌がるようになってからのことでした。毎晩「足が痛い」「動かせない」と訴えるようになり、ベッドで娘の足をさすってあげる時間が増えました。学校をお休みすると痛みは引いていき、また夜になると痛みを訴えるのです。登校のストレスが、娘の体に痛みをもたらしていたのですね。学校を休みがちなお子さんの中には頭が痛い、お腹が痛いと訴えるケースが多いというのは知っていましたが、まさか足にくるとは!気がついたときは、目からウロコ状態でした。このような話をすると、「そう言えば休ませてもらえるから『痛い』って言ってるだけじゃないの?」「親が甘やかすから図に乗る」などと言われることがあります。確かにそのようなケースもあるのかも知れません。それでも、子どもがそこまで追い詰められているのならば、休ませてあげるのも大切な選択肢の1つなのかも知れないなぁ…と、個人的には思っています。娘と一緒に、痛みが現れるタイミングを洗い出してみた出典 : さて、子どもが足の痛みを訴えてきたとき、それが本当の痛みなのか?本当ならどの程度の痛みなのか?他人である私にはわかりません。それでも、涙目で痛みを訴えてくる子どもの言葉を信じることから始めてみることにしました。そして娘と一緒に、「どんな時に痛みが出るのか」を観察してみることにしたのです。観察を続けて行くうちに、少しずつ痛みの出るタイミングが見えてきました。前日から学校を休むと決めている場合は、痛みが出ることはありません。行けそうなら行ってみよう!と言ってベッドに潜ると痛みが出てきます。学校だけではなく、新しい習い事の体験日が迫っている時なども、痛みが出ることが分かりました。そうして長期間観察した結果、「安心できる場所以外へ出かける予定がある場合、足に痛みが出る」という結論に達しました。極度に緊張する場面で、手に汗をかくなどの反応が出る人もいますが、娘の足の痛みもそのような反応なのだと考えることで、少しずつ娘の不安を探る手段にもなっていきました。観察や分析を繰り返すことで知った、子どもが抱えている漠然とした不安出典 : ある日の会話です。娘「ママ、ここのところずっと足が痛いんだけど、どうしてかな?」私「あれ?特別なところに行く予定はないはずだけど...」娘「そうなの。でも痛いからどうしてかなぁと思って。」母「そうねえ・・・。あ!もしかして、この間水泳教室でテストに合格したから、次から平泳ぎに入るでしょ?それでちょっと水泳教室に行くのが不安に思えるのかも?どうかな?」娘「確かに!平泳ぎはやったことがないから、怒られたらどうしようってずっと怖かったんだ!ママ、ありがとう!それだ!」母「そっか。じゃあ少しでも不安を軽減させるために、パソコンで平泳ぎの基礎を調べてみたらどうかな?いろんな動画もあると思うよ!」娘「なるほど!やってみるね!」母「きっと、一度水泳教室で平泳ぎを教えてもらえば足の痛みは取れるから、それまではマッサージしたりして乗り切ろうね。」娘「そうだね!次の水泳教室までの我慢だね!」出典 : こんな風に会話することで、娘の中でよく見えていなかった不安を洗い出せるようになっていきました。生活の中で漠然と抱えている不安要素を、足の痛みをきっかけにきちんと捉えることができるようになり、娘自身理由が分からないまま機嫌が悪くなったり、他人にきつく当たったりすることが減っていきました。一時は娘が足の痛みを訴えるたびに「何がいけなかったのか」と、鬱々とした気分になる私でした。でも今では、「足が痛い」と相談されると、「いいサインを出してくれたね!何が不安なのか、一緒に考えてみよう!」と、プラス方向に捉えられるようになりました。子どもの訴えを信じることで、見えてくるものがある出典 : 「足が痛い」「頭が痛い」「お腹が痛い」…。子どもからいろいろなサインが出たとき、「気のせいだよ」「頑張りなさい」と痛みを無かったことにしてしまうのは、実はとてももったいないことなのかもしれません。まずは一旦痛みを受け止め、子ども自身がきちんと掴み切れていないストレスの原因を探るチャンスに変えてみても、よいかもしれませんね。
2017年01月24日多動が続き、抑制できない小学4年生の場合出典 : こんにちは、國學院大學教授の池田行伸です。私はこれまでスクールカウンセラーとして、定期的に学校の教育相談室に勤務し、カウンセリングにあたってきました。今日のお話は、15年程前、新年度になり新たな小学校にスクールカウンセラーとして赴いた時のエピソードです。教育相談担当教員に紹介されて、担任教師が相談に来ました。4年生にもなるのに5分と椅子に座っていられない男子生徒がいるという相談でした。放っておくと立ち上がり、後ろの黒板に絵を描いて遊んでいる。教師が手を引いて椅子に座らせると抵抗せず素直に従う。しかしまた数分後には立ち歩く、と言うのです。教師が椅子に座っている生徒の手を握っていると立ち歩かないのだが、四六時中手を握っているわけにもいかず困っているとのことでした。ちょうど、このような多動が顕著な子どもに対して薬物療法が開始された時期でしたから、医療との連携も選択肢に入れた支援を検討することにしました。まずは生徒の親と話す機会を設けて欲しいと担任にお願いし、母親との面会を実施します。すると母親は、開口一番に、「実は子どもが万引きして悩んでいます。」と、学校での問題行動以上にもっと深刻な悩みを打ち明けてきました。友人と店に入り代金を払わず店外に出て、出たその場で商品を開けるのだと言うのです。そのためすぐ店員に見つかります。親が弁償し、父親が万引きがどんなにいけないことかを深夜に及ぶまで教え、懇々と諭しました。生徒も泣きじゃくり、「もうしません」と何度も何度も繰り返したそうです。母親の目にも本当に改心したのだと映ったのですが、次の日また、同じことをやってしまうということでした。この話を聞き、私は専門医への受診を勧めました。しかし母親は「それを考えているのですが父親が受診、服薬に反対しているのです。」と答えましたが、「このまま放置しておくと、改善する方向には向かわないだろう。専門医の支援を受けた方が良いと思う」と説得しました。しばらく経った勤務日、朝登校するなり教育相談担当教員が喜々とした表情でやってきて、「病院で薬を処方され、医師の指示に従い、朝に服薬して登校したら1時間立ち歩くことなく椅子に座っていたと、担任が驚いていました。魔法の薬です。」と伝えてきました。この時は、薬物療法の効果を実感することができました。その後私は勤務校を離れることとなり、その生徒の状況を直接最後まで見届けることはできませんでした。ですが、数年経った頃に「あの生徒はどうなっているのだろうか」と思い、進学先の中学校の養護の先生に連絡したことがあります。生徒はあれからしばらくして服薬を中止した、父親が「これは麻薬だ」と言い、服薬させないようにしたとのことでした。学校は薬を続けて落ち着いてもらいたいと考えているのだが、父親が「学校のために子どもに麻薬を飲めと言うのか」と言い、話が噛み合わないと嘆いていました。この学校の担当を外れた私はそれ以上かかわることができませんでした。最初の試みはこのように大失敗でした。学校の教師も驚くような行動の変化は、父親をそれまでの我が子とはまったく異なる別人に出会った感じにさせたようです。元のやんちゃな我が子はどこに行ったんだと。それが飲んでいる薬のせいだとすれば、人を陥れる麻薬に思えたのでしょう。服薬の意味とはなにか?という問い出典 : その後、私事ですが、入院しなければならないほどの病を患い、カウンセラーの職を休職していた時期があります。病床でふと「服薬の意味とはなにか?」という問いが去来しました。例えば、だれでもいきなり髪が抜け落ち、つるつる頭の我が子を見たら驚愕するでしょう。それが薬のせいであれば、そんな薬は飲むなと叫ぶでしょう。しかしそれが白血病の我が子を救う唯一の方法だと分かれば目に涙を浮かべながらも一緒に頑張ろうと子どもを抱きしめるでしょう。本人もですが、幼い子どもの場合は特に、「薬を飲む意味」を親が十分理解していなければ、薬物療法による成果は得られないだろうと思うようになりました。低学年からソーシャルスキルトレーニングを積み重ねてきた子どもの場合出典 : これまでの経験から薬物療法が効果的であると思われる経過を紹介します。幼稚園、保育園の頃から多動傾向があり、順番を守らない、他の子どもが遊んでいるおもちゃを勝手にとるなどの問題行動を指摘されている子どもが小学校に入学しました。早速担任から問題行動が指摘されますが、まだ1, 2年生のうちは他の子どもも幼児期の特徴を残しており、一人ひとりばらばらの思いで発言したり、行動したりするのでそれほど問題行動が目立ちません。ですがこの時期にもできる支援はあります。・消しゴムが欲しいからといって近くに置いてある別の子の消しゴムを勝手に使わないように、使うときは「貸してね」と断ること・使い終わったら放り投げないで借りた子に「ありがとう」と言って返すことなど、学校生活でのクラスメイトとの基本的な関わり方を教えるソーシャルスキルトレーニングを、学校でも辛抱強く行うのです。これは担任だけでできることではないので、補助教員、支援員の助けを借りる必要があります。3,4年生にもなると子どもは成長し、いわゆるギャングエイジに入ります。友人が固定され、集団活動が活発になり統制のとれた動きができるようになります。子どもたちはサッカーや野球のようなチームプレーを好んで行うようになります。大人と同じように、気の合った者同士の集団ができるのです。このような時期に入ると、勝手な行動をする子どもは集団に入れてもらえなくなります。班活動してものけ者にされることが増えていき、そうなるとその子は学校やクラスが嫌になります。結果、わざと人が嫌がることを行うようになり、それを見て周りの者はさらにその子を避けるといった負のサイクルが生まれやすくなり、時にいじめや不登校に発展することもあります。幼児の頃、1年生のころからずっと見てきた上でこのような状況に直面すると、ソーシャルスキルトレーニング等の薬物療法以外の方法が限界であることが見えてきます。親も、他の子に暴力をふるった、他の子の持ち物を故意に壊したなどと、担任や保護者から苦情が寄せられ困り果てます。腕力も強くなります。このタイミングでは特に、薬物療法を含めた医療との連携をもちかけることが重要になります。子供の未来、可能性はなるべく広く持たせてあげたい出典 : 悩める親に専門医の受診を勧める際、私は次のような言い方をします。「ほとんどの人が小学生時代に身に着けた知識で生きています。読み書きや計算です。次に進むためにも小学校で学ぶ知識は必要です。成長し、将来多動傾向が改善したとしても小学校時代の学びは行う必要があるでしょう。大人になって学ぶことに自尊心が傷つけられたら先に進めません。今だからやれることがあります。一度医療の支援をうけてみませんか。少しでも集中でき、学校での学びが進めば先が見えます。」薬物療法の役割を理解し、ほかに良い方法がないと感じた親は、この提案を受けてくれます。時には父母で話しに来られます。提案を受けていただけたら、信頼のおける専門医選びを行い、薬物については医師に詳しく尋ねて下さいと言います。スクールカウンセラーは日ごろの心配に寄り添います。タイミングを一緒に考えましょう出典 : 年前と違い最近は新しい薬が用いられています。服薬すると行動が改善し、「取り合いになりこの場合は必ず喧嘩になる」という場面で問題の生徒が相手に譲ったと言って教師が驚くことがあります。年齢相応のトラブルは残るものの、大きな事故や事件は起こりにくくなります。行動の変化に気づいた級友がいぶかしがってちょっかいを出すことありますが、「○○君も成長したんだ。」と教師が言ってくれると、2,3ヶ月後には違和感なく教室で過ごせるようになったりします。もちろん、薬には副作用があります。それを気にする親もいます。詳しいことは医師に相談してもらうとして、日ごろの心配などは、カウンセラーや担任が十分聞いてあげることが大切です。親の不安には絶えず寄り添う必要があります。特に、小学校の高学年、中学生になってから薬を使うとうまくいかないことが多いです。子どもはすでに自分はのけ者、仲間外れだという意識を強く持ってしまっているので、まず薬物療法に素直に従おうとしません。自我も発達しているので、薬を飲んだ時の違和感を感じたら子どもが勝手にやめたりします。この時期になると強制的に飲ませようとしても困難です。母親以外の家族や学校から薬を勧められても飲まない生徒に、母親が「自分しかこの子を守れない」と母子で服薬を拒否し、あちこちでぎくしゃくが生じることもあります。このようなことを経験して私は次のような考えに行きつきました。どこでも叫ばれている早期発見・早期療育です。幼い頃からその子をよく観察し、その時々の支援のあり方をアドバイスすること。薬物療法にせよ、それ以外にせよ、まずはこの原理原則を守ることが重要です。ソーシャルスキルトレーニングが効果的であると思えばそれをアドバイスし、他の方法ではなかなか効果が上がらず、遅すぎないうちに医療の支援を考えさせたいと思えば、そのことをアドバイスするのです。ですから、支援に入ってから薬物療法を選ぶまでに数年かかることもあります。それくらい丁寧にコミュニケーションを続けてこないと、親は薬物療法に向かってくれないでしょうし、結果、問題解決に向けた効果も得られにくくなると思います。子どもの療育をめぐって、薬物療法が効くか・効かないか、といった二項対立の議論になることもありますが、そうではなく、親が納得して支援方法・療法を選び、選んだ療法で狙った効果を出せるよう、どのようなコミュニケーションを取るべきか。そう言った観点も忘れてはいけません。
2017年01月18日もともと勉強嫌いだった娘。不登校になると…出典 : 娘は小2のときに指で計算しているのをクラスメイトにとがめられ、すっかり勉強嫌いになり不登校になってしまいました。勉強嫌いで不登校になってしまった子に、勉強を教えるのは大変です。特に親が教えると、反発してしまって親子関係にヒビが入ることも。これでは、子どもが勉強でどんなことにつまづいているのか、さっぱりわかりません。でも、あることがきっかけで、計算について母娘で話し合うことができました。その後、支援者の助言と照らし合わせ、娘がどうして計算に困難を感じていたのかがわかったのです。お小遣いを渡すときに沸き起こった、ある疑問出典 : ある日のことです。娘には1ケ月に1,000円ずつお小遣いを渡しているのですが、その時はたまたま2ケ月分まとめて渡すことになりました。でも、財布には5,000円札しかありません。「ごめん、5,000円札しかないからお釣りくれる?お釣りは3,000円だよ」と伝え、娘の持ってきた3,000円をもらい、5,000円札を渡しました。すると、娘は5,000円札をじっと見つめ「納得できない」と言ったのです。娘「この5,000円の中の2,000円しか使ったらダメなの?残りはママのお金なの?」私「いや、りさはお釣りくれたでしょ。だからそれはりさのお金だよ(お釣りの額については納得していたのになぁ?)」娘「説明されたらわかったような気がするけど、なんかまだ納得できない」そう言って、紙に1人で計算し始めました。そして、「うん、何かわかったような気がするんだけど、次またこういう機会があったらもっと考えてみたい」と言ったのです。お釣りの概念を理解していなかったのはショックでしたが、こうして教える機会が自然とできてよかったです。娘はどんなふうに数を計算しているの?その答えは、本人が教えてくれたUpload By ヨーコ先日、また娘と計算の話をしました。今度は13+19をどう計算するか?についてです。娘は「筆算はわかりにくいから嫌」と言い、自分なりの方法を教えてくれました。①まず10の位を見て、10が2つあるから、10×2=20②20にややこしそうな9を先に足し、これで29③29+3をするわけですが、娘は繰上りができないので、3を1と2に分解④29に1を足して30⑤30に残った2を足して32娘は言います。「簡単な方を先に始末して、ややこしいのを分解していくねん。そして繰上りしなくていいように、私の10本の指にパズルのように数字をはめていくの。私は忘れん坊だから書いた方がわかりやすい。テストとかだったら書けないから、どこまで計算したかわからへんようになる。」ちゃんと数の概念も理解しているし、分解もできています。時間はかかるけど、丁寧に考え抜かれた計算に、私は面白いと感じました。計算が苦手なのは、特性が関係していた?出典 : なぜ、このような計算の仕方をするのでしょうか?「繰り上がりができないから」以外に理由があるのでは?と考えた私はこれまでの様子を振り返ってみました。娘は言語理解は高いものの、ワーキングメモリーが低く、単純な暗記が苦手です。また、最近支援者にこんなことを言われました。「小学校の計算は初めにサクランボ算をします。そしてそのパターンを叩きこんで暗記させ、次第に計算に慣れていくわけですが、娘さんは短期記録が苦手なため、計算が頭の中でできなくて指で計算していたのではないでしょうか?」なるほどな、と思いました。娘の計算方法を紐解くと、サクランボ算は意識せずにできていますが、それを頭の中だけで処理することができないようです。忘れてしまうんですね。10の位から計算を始める様子を見ていると、独特な理解の仕方をする癖があって、教室で教えられたことが納得できなかったのかもしれないな…と思いました。そのあたりのことを先生や私が見抜けていたら…。彼女の運命も変わっていたかもしれませんね。指があかんなんておかしい!中2の娘の主張出典 : 一通り自分の計算方法を説明した後、娘は言いました。「みんなラクするために計算してるのに、紙に書いたり、指を使うのがダメなんておかしい。みんなは頭の中で覚えているんだろうけど、私はラクするために指を使っているだけなのに。」指で計算することを恥じ、何年も計算しようとしなかった娘からこの言葉が出てきて、本当に嬉しかったです。苦手だったことと向き合おうとする姿に、成長を実感しました。また、最近は九九を覚えたことによって効率的な計算方法にも興味が湧いたようで、「だけど、みんなが学校で習うような楽な計算方法も勉強したい」と言うようになりました。苦手なことも、生活と密着した行動であれば、興味を持てるようになるんですね。とても遠回りをしている娘ですが、その遠回りは決して無駄にはならないと思います。
2017年01月13日授業の内容は理解できるけど、文字を書きたがらなかった息子出典 : 年ほど前に発達障害の診断を受けた息子は、現在13歳です。小5から不登校となった息子ですが、小学校の学校生活、主に学習面の道のりは平坦なものではありませんでした。担任の先生方に「授業中に質問するとしっかり答えて内容は理解しているようなのですが、テストに何も書かないので点数がつけられません」と、毎年のように言われていました。また、先生の説明を聞きながら板書をするのが苦手だったのでノートをまったくとらず、息子は先生に何度も注意を受けたそうです。他にも息子は直線がうまくひけなかったり、コンパスで正確な丸が描けなかったりしてイライラしていることもよくありました。私自身は、息子は少し不器用で意地っ張りなところがあるからしょうがないなあ…という程度にしか思っていませんでした。息子の学習面での困難さは本人の性格の問題だと思っていたのです。発達障害の診断をきっかけに、息子が苦しんでいた本当の理由が分かった出典 : 学校での困難を解消できないまま、息子は小学5年生から全く学校に通えなくなりました。そしてその後、専門家に相談し、息子は発達障害と診断されました。息子が12歳のときのことです。診断をきっかけに、小学校での困りごとや学習上の困難さを明確に認識した私は、診断をしてくれた発達障害専門の児童精神科で「視覚認知」の検査をしてもらいました。視覚認知とは、目で見たものを正しく理解する力のこと。視覚認知に障害があると、文字を読んだり書いたりするのがうまくできない、図形の理解がしづらい、手先の細かい作業が苦手、距離感がわからない…などの困りごとがあります。学校生活の中では、漢字の形がなかなか覚えられない、うまく字を書けない、図形が正確に理解できない、ボールなどの道具を使う競技が苦手…などの困りごとが起こりやすくなります。検査の結果、息子にはこの視覚認知に障害があることが分かりました。あとで息子に聞いてみたところ、「漢字の練習をしてみたけど何回やっても形が覚えられなかった」「自分がイメージしたところに線を描こうとしても、どうしても描けないから腹が立つ」「書きたいことはいっぱいあるけど、字がうまく書けないから進まない。書かないでいると先生に怒られる」と話してくれました。本人の努力が足りないせいではなかったのに、息子の困難を性格のせいだと思い込んでいたことをとても申し訳なく思いました。そして始まった、息子の進学先探し出典 : 医師は「この年齢だと療育で治していくのはもう難しいので、板書にICT機器を使えるとよいのですが」という提案をしてくれました。そこで私は、不登校であり、かつICT機器の使用が必要な息子を受け入れてくれる中学校を探すことにしました。「自由な校風」「少人数制」「個性を大切にしてくれる」「面倒見がよい」といったキーワードで、いくつかの私立中学をピックアップし、説明会に行ったり電話やメールで問い合わせをします。そしてまずは「そちらでは不登校の子どもを受け入れていただけますか」と聞いてみて、「今、不登校でも中学から頑張ってくれればいい」と言ってくれる学校を絞り込んでいきました。不登校でも受け入れてくれるという中学校をピックアップしたら、それぞれの学校に実際足を運んで個別相談で詳しく話をする、という段階になります。入学した後に学校と息子との間でお互い「こんなはずじゃなかった」となることを避けるため、学校へ●小5から全く学校に行けていないこと●視覚認知に障害があるので板書用のICT機器を使わせてほしいことを話しました。私の説明がいけないの?ルールや協調性を重んじる学校の方針に私は…出典 : ところが、候補にあげていたすべての私立中学でICT機器を使うことは認められない、という返事が返ってきました。理由として出たのが以下です。・みんなが手書きでノートをとっている中、1人だけ機械を使わせるわけにはいかない・他の子との間に不平等感が生まれる・テストのときに機械を持ち込まれては困る…中には「入学するまでに字の練習をして、書けるようにしておいてください」という学校までありました。この言葉を聞いたとき、教育の現場には障害への理解がこんなにないんだ…と、本当にがっかりしてしまいました。それでも気持ちを立て直して、「目の悪い子がめがねをかけたり、足の不自由な子が車いすに乗ったりするのと同じで、字が書けないのは障害であって練習してできることではありません」と、食い下がりました。しかし学校には「めがねや車いすとは違います」と、けんもほろろに言われ、全く相手にしてもらえませんでした。今思えば、理解のない相手にいきなりICT機器の話をした私のやり方は間違っていたのかもしれません。でもその時の私は、障害による苦労をわかってもらえないやりきれなさとともに、母親として、息子のために何もできない自分が悔しくて仕方ありませんでした。障害を理解してもらうことは難しい。しかし、希望はゼロではなかった出典 : しかしその一方で中には、「機械を使うのは無理ですが、本人ができるだけ過ごしやすいようお母さんと協力しながら工夫していきましょう」「授業時間内に課題が終わらなかったら、配慮するようにしましょう」と言ってくれた中学もありました。もし合格していたなら、こんな中学校に行かせたかったと思います。現在息子は、地元の公立中学に在籍してフリースクールにお世話になっています。中学・高校は、「書く」という作業がとりわけ多い年代です。最近、公立の大学では受験の際に視覚認知障害への配慮をしてくれるところもあると聞きますが、一般的な理解はまだまだと感じています。「字を書くことが苦手」というだけで子どもの可能性が狭められてしまうのは、子どもにとっても社会にとっても、とてももったいないことだと感じています。異質なものを排除するだけでなく、その中には大きな可能性があるのだと、学校や社会にも気づいてもらえるよう、私にもできることをしていきたいと思います。
2017年01月12日不登校にまつわるさまざまな不安、どう取り除く?出典 : 何らかの事情で学校に通えなくなった場合、様々な不安がお子さんにも保護者にも湧き上がってくることと思います。・学校に通わずに社会性は身につくのか・学校に通わずに友だちはできるのか・学校に通わずに勉強はどうなるのか・学校に通わずに将来はどうなるのかわが家の場合は子どもたちの不登校を前向きに捉え、「学校という環境が合っていないなら家で学べば良い」というスタンスで過ごしていますが、そんな私にも不安はあります。そこで、1つでも不安を取り除くことができれば、親も子も心に余裕ができるのではないかと考えてみました。すると、上記項目の中で解決できそうな項目が「学校に通わずに勉強はどうするのか」だったのです。「学校のお友だちは、どんどん先に進んでいるんだろうな。私は勉強しなくていいのかな?」と娘が不安を口にした時から、なんとかこの不安を払しょくしてあげたいと思っていました。「親子で勉強するとケンカになる」という話をよく耳にしていましたので、「国語と算数は教科書の内容を全てクリアできます」と説明のあった学研教室に通わせてみたりもしました。しかし、これでは他の教科がカバーできません。理科実験教室なども探してみましたが、なかなか良い場所が見つからず悩んでいました。先生から誘われた2学期のテスト。それは、友達と同じ範囲を勉強するチャンスだった出典 : そんな折、学校の先生から「みんなと同じ2学期のテストを受けてみませんか?」というお話をいただきました。(娘は不登校ですが籍は学校に置いています)娘と相談した結果、教科書を使って親子で勉強し、テストにチャレンジしてみることに。先生からテスト範囲を教えていただき、娘とともに教科書を開いてみました。一瞬、「本当に教えられるのかな?」とひるみますが、私が不安に思うと娘にも伝わってしまいますので、一緒に勉強をし直すつもりでどっしりと構えていました。初めに手をつけた算数は、小数点の計算や図形の問題、コンパスで円を描くなどの部分がテスト範囲に入っていました。娘はまだ小学3年生。落ち着いてゆっくりと向き合えば、まだついて行けそうな内容です。「へ~!これはこういうことだって!知ってた?」と聞いてみると、案外簡単なことがわかっていなかったり、逆にそんなことを知っていたの?と驚くことも出てきたり、わが子の思いがけない一面を発見でき楽しくなってきました。テストに向け、いざ勉強!使用教材と勉強手順は…出典 : 教科書をざっと確認した後で、テスト勉強に使えそうな問題集を書店で探すことにしました。学校へ通っていた頃には意識したことがありませんでしたが、いろいろな教材が並んでいるものですね。その中でわが家が選んだのは、「教科書ワーク」と「教科書ぴったりテスト」というものです。株式会社文理が、各教科書出版社の内容に準拠して作っているものなので、内容はもちろんぴったりと合っていますし、教科書の範囲に対応した目次がついていて、とても使いやすい問題集になっています。地区によって使用している教科書の出版社は教科ごとに異なりますので、お手に取る際はお子さまの教科書をしっかりとご確認ください。試行錯誤の末、わが家ではこのような手順で勉強を進めることにしました。① 問題集をいきなり解いて丸付けをし「わからない」部分を認識する② ①で認識した「わからない」部分を意識しながら教科書を読む③ 不正解だった問題に再度取り組む④ テストに取り組み「わからない」部分への理解度を確認する問題集は書き込む前に、あらかじめコピーを取っておくと、何度も挑戦できていいかもしれませんね。文理の教科書ドリル子どもと勉強をするとき、私が肝に銘じていること出典 : テストは児童の下校終了後に学校で受けさせてもらいました。結果はまだ返ってきていませんが、「学校の勉強についていけなくなる不安」を払しょくするために始めたことですので、「教科書でお友だちが習ったところは自分も勉強した」という満足感を得られたことで、目的は達成できたように思います。今回、親子で勉強をする上で強く意識していたことがあります。「理解が進まない場合、子どもに問題があるのではなく、伝える側に工夫の余地がある」ということです。これは以前の子育てからの教訓です。我が家は娘のほかにADHDの息子がいます。息子は聞いて理解することが苦手だったのですが、そのことに気付かなかった私は、口頭で何度説明しても理解できなかった息子に呆れ果てていました。その後、息子が「視覚優位(見て理解する力が優位)」だったことを知り、絵に描いて説明したとたん、できることがどんどん増えていきました。このとき、「伝え方を工夫するだけで、理解できることもある」と知り、息子を責め続けていたことを反省したのです。わが子を1番よく知っている立場だからこそ、できることがきっとある出典 : 誰かに何かを伝える時、自分が1番得意な方法で相手に伝えることが多いのではないかと思います。しかし、相手にとっては、それがベストな方法とは限らないのです。「どうしてわからないの!」という言葉は絶対に子どもに言うまいと決めていました。その代わり、子どもがつまずいた時には「この説明だったらどう?」「ちょっと違う方法で説明してみるね」と何通りかの方法で説明をしながら、子どもに合う方法を探っていくようにしました。先生でもない私が勉強を教えることができるのだろうか?という不安から始まったお勉強タイム。終わってみれば、共通の話題が増えたり、子どもが理解しやすい方法を見つけられたことで、生活の中にも活用できたりと、プラスの面が多かったように思います。同じような不安をお持ちの方がいらっしゃいましたら、まずは1教科からでもお子さんと一緒に勉強に取り組んでみてはいかがでしょうか?お子さんの特性をより深く知っている保護者の方だからこそ、もしかすると「世界でいちばんわかりやすい先生」になれるかもしれません。私もそれを目指して頑張ろうと思います!
2017年01月10日不登校児の親がぶつかる壁。それは、子どもの成長が実感できないこと出典 : 皆さんが子どもの成長を実感するのは、どんなときでしょうか?私の娘は小2から不登校のまま中学生になり、その間学校の勉強はほとんどしてきませんでした。このため、子どもの成長を実感する機会が、他のご家庭より少なかったのではないかと思います。そんなとき、あることをきっかけに娘の成長を実感することとなりました。今回は、ちょっと視点を変えることで実感できる、子どもの成長についてご紹介したいと思います。娘は、不登校になってから2年間ほどは、「家にいても休んだ気がしない」「ママが怒るのが怖い」と言うばかりで、学校にも行かずに家にこもり、何を考えているのかよくわかりませんでした。その後何年たっても、勉強は一切せず、平仮名は鏡文字、お金の概念もわかっていない、これでは社会に出るどころか日常生活も無理ではないかと思うと不安で仕方ありません。不登校児は何を考えているの?講演会に参加し、気づいたのは出典 : 不登校について勉強し、不安を解消したかった私は不登校の講演会に参加することに。そのとき講師を担当されたのは、私が娘のことで教育相談をお願いし、ずっとお世話になっていた先生でした。講演会では、これまでに先生が関わってきたご家庭の様々な手記や、子どもたちの言葉を紹介しながら、「家族との関係づくり」について語られました。このとき、娘の言葉も事例として紹介されました。先生:「さて続いては、小学生で不登校になったお子さんです。小さいからといって子どもが何も考えていないわけではありません。その子は小2から不登校です。4年生の9月『このままだとネットゲーム廃人になる』、5年生の5月『私だって働きたい』…」先生を通じ、改めて娘の言葉を聞いた私は涙が出そうになりました。次々と時系列に紡がれる言葉が、娘の心の葛藤、成長を生き生きと伝えていたからです。子どもから無理に言葉を引き出さない。傾聴することで現れた娘の変化出典 : 娘の紹介事例は続きます。先生:「その子は『東大に行きたい』って母親に言ったんです。普通だったら『あんた、学校にも行ってないのに何言ってるの』ってなるでしょう?でもそのお母さんは黙って聞いているんです。これは親の立場では、なかなかできません。」そう、私は娘がどんなことを言ってきても言い返したりせず、傾聴してきました。その理由は、私が長い間カウンセリングを受けてきた影響です。カウンセラーは私に言いました。「僕をテープレコーダーだと思って好きなことを話してください。僕はテープレコーダーだから何も言わないし、誰にも話さないから。」この言葉にとても安心しました。どの先生も、私が言うことに黙って真剣に耳を傾け、認知が歪んで生活に影響を及ぼしているときだけ、さりげなくものの見方を教えてくれました。それが本当に心地よく、心を支えてくれるものだったから、私も娘に対し、そうありたいと思うようになったのです。出典 : どうやらそれが、娘には合っていたみたいです。娘の言葉をジャッジすることなく聞くうち、だんだんと「あの時はこんなことが嫌だった」と学校であったこと、家であったことなど、素直に自分の気持ちを話してくれるようになっていきました。不登校児というのは、学校に行けないことで悩み苦しんでいます。それはときに、自己否定に繋がることも。すると、自分を客観視することができずに、どんどん内に引きこもっていきます。娘がこうして自分のことを話せるようになったのは、大きな成長の1つだと私は思っています。このときの講演会に参加したことで、自分が取り組んできたことやそれまでの子育てに対し、自信が持てた気がします。親が焦るほど、成長は実感しにくいのかもしれない出典 : 振り返ってみると、娘が学校に行っていた頃、そして不登校になってから始めの数年は、私は子どもの気持ちより自分の気持ちを吐き出し、押し付けることばかりしていたように思います。学校に行くことができなくなった娘は、どれだけ辛かっただろうと思います。それが、娘が過去に言っていた「家にいても休んだ気がしない」という言葉に表されていたのでしょう。子どもは否定されると口を閉ざしてしまいます。子どもの成長を実感できる、貴重なつぶやきを聞き逃さないためには、親は相づちを打つ程度でちょうどいいのだと思います。
2016年12月30日今、ようやく思える「自分の人生に意味があった」ということぼくは今まで、本当にたくさん人に迷惑をかけてきた。不登校だけじゃなく、周囲の迷惑になることもしてきた。でも、変わらず僕を心配し愛情を注いでくれる人達がいた。「あなたはあなたで大丈夫」「生きていてくれてありがとう」そう言ってくれる人がいた。同じ言葉を、今苦しんでいる子どもたちにも届けたい。想いを繋いでいきたい。講演ライブをはじめたばかりの頃、過去の経験を話すたびに胸が苦しくなって涙が溢れた。今でも涙が溢れてくることがある。それでも活動を続けたいと思うのは、「不登校について考え方が変わりました」と言ってくれたり、「死にたいと思っていたけど、生きていこうと思えました」と言ってくれる、子どもたちと出会えるから。自分の経験にも意味があったんやなって、思えるようになった。「逃げる」ことはときに、生きるために闘うことだと伝えたい出典 : 僕の不登校のきっかけになったのは、クラスメートの女の子へのいじめだった。そのいじめの対象だった女の子は16歳で自殺して亡くなった。あの時なにもできなかった自分をものすごく責めた。ぼくは逃げてしまったけど、彼女は我慢して我慢して、そして最後には命を絶った。今振り返っても、苦しくなる。彼女の死を僕は忘れない。今現在、あの時の彼女のように1人で踏ん張っている人がいたら、「一人ぼっちでどうにも出来ない時は、逃げていい」と伝えたい。「逃げる」ことはときに、生きるために闘うことだと伝えたい。いじめの話を学校でしていたとき、生徒さんの中で、倒れてしまい保健室に運ばれた女の子がいた。彼女は自分自身のいじめの経験がフラッシュバックして倒れた。講演を終えすぐに、彼女がいる別室にいくと過呼吸になって泣いていた。僕は彼女に、「生きていてくれてありがとう」と伝えながら、隣にいることしかできなかった。どうしてこの子がいじめにあわなくちゃいけないのか、とても苦しくなった。彼女は周囲に相談していじめから逃れることができた。後日、「生きていこうって思えました」という手紙を送ってくれた。僕たちは、経験を伝えることで誰かを傷つけたいとは思っていない。けれどあの頃の僕らのように、誰にも相談できず、未来も見えず真っ暗闇の中で今日を生きている人がいること。そんなみんなに僕らが元気な姿を見せることで伝えたい。「生きていればいつか、そんな日があったと笑える日が来るよ。大丈夫。」講演ライブも続けながら、今後は小さい子どもたちへむけて、絵本をつくってメッセージを伝えていきたいとも思っている。昔から絵本が好きだった。ことばじゃなくて、感覚で子どもたちに伝わっていくような絵本を作れたらいいなと思っています。親の笑顔は、何よりも大きな希望になる学校でも家でも、悩みはどこでもうまれるから、「不登校=家が過ごしやすい」ということではないと思う。学校にも家にも「居場所がない」と感じる子どもも沢山いる。僕の場合は、【不登校の親の会】という居場所があった。学校や年齢も関係のない、ごちゃまぜのコミュニテイの存在は、僕にとって大きな意味を持っていた。不登校を気にしないでいてくれる大人たちの存在も大きかった。「お前ら不登校か、それがどうした!キャンプいこうぜ!」みたいな、人の心にズケズケ入ってくる人達の存在も頼もしかった(笑)ただ、大人になるまで、自分の親と不登校についてじっくり向き合って話すことはなかった。今になってようやくわかること、あの当時親も苦しんでいたこと。僕らと同じかそれ以上に。親は今でも「幸せで笑っていてほしい」と言ってくれる。だけど僕はそれと同じくらい、「親にも幸せで笑っていてほしい」と願っている。苦しい時期、悩みの渦中にいた僕に、親は共感し泣いてくれた。そのことはとても嬉しかった。けれどそれ以上に僕を救ってくれたのは、親が笑ってくれた瞬間。今悩んでいる親御さんには、ぜひ自分の人生を大切に生きてほしい。まずは親御さん自身が「幸せだ」と思える人生を送って、笑顔を、幸せでいる姿をお子さんに見せてほしいと思っています。
2016年12月29日音楽療法とは?出典 : 音楽療法とは、音楽のさまざまな力を利用して、対象者が抱えている困りごとの改善を促したり、よりよい生活を送ったりすることができるようにアプローチする療法です。日本音楽療法学会では、次のように定義しています。音楽療法とは、音楽のもつ生理的・社会的・心理的はたらきを用いて、心身の障害の回復、機能の維持改善、生活の質の向上、行動の変容などに向けて、音楽を意図的・計画的に使用することです。ここでいう「生理的・社会的・心理的はたらき」とは、以下のことを指します。・生理的働き:音楽を通してリラックスしたり興奮したりする状態をもたらすはたらき・社会的働き:コミュニケーション手段(言葉・表情・身振り・まなざし)を引き出すはたらき、人間関係の形成を促すはたらき・心理的働き:ストレスや不安を軽減するはたらき音楽療法は、音楽療法士という資格をもった音楽療法の専門家が行います。対象者の目的に合わせたプログラムを組み、音楽を演奏したり対象者が音楽に触れる手助けをしたりします。音楽療法では、対象者が音楽を学ぶことを目的としているわけではありません。音楽療法の目指すところは、音楽をきっかけにソーシャルスキル(コミュニケーション・社会性など)を習得できるよう促したり、心身の発達を援助したりすることです。音楽療法の現状出典 : 現在の日本では、音楽療法は未だ発展途上の段階です。保険の適用や法整備はまだ実現されておらず、資格も国家資格ではなく、日本音楽療法学会をはじめとしてさまざまな団体や自治体が民間資格として打ち出しています。加えて音楽療法士の資格のみで就職するには難しく、非常勤での雇用が常勤より多いのが現状です。一方、現在の音楽療法の発祥の地と言われるアメリカでは、音楽療法は日本より普及しています。民間の保険が導入されているため、保険会社の了承を得られれば保険給付を受けることもできます。アメリカでも音楽療法士の資格は民間資格ではありますが、日本と違ってアメリカ音楽療法学会American Music Therapy Association (AMTA)が資格を一括管理しているため、音楽療法士という社会的地位は日本と比べるとしっかりと確立されています。音楽療法士の資格を取得しても、就職枠をめぐる競争は激しいですが、就職形態は常勤の形態が多いようです。参考:音楽と人間との新しい関わり~音楽療法とその周辺~資格や制度ではアメリカと差異がありますが、日本における音楽療法そのものは、高齢者施設、児童施設、病院などの、福祉・教育・医療分野などを中心に積極的に取り入れられてきています。ほかにもメンタルヘルスケアや、精神保健、健康の維持のためにも応用されるなど、幅広い分野で活用されています。音楽療法の対象は?出典 : 音楽療法はだれが受けられるのでしょうか。音楽療法では心身の障害の回復だけでなく、機能の維持改善、行動の変容、生活の質の向上を目的としています。それゆえ、その対象者は幅広くいます。・身体・発達障害児(者)・精神障害者・認知症を患う高齢者・終末期の患者・不登校、引きこもりの児童や生徒これは一例であり、音楽療法はさまざまな場面で、さまざまな人に利用されています。とくに子どもにとって音楽は親しみを持ちやすく、また非言語表現であるために受け入れられやすい傾向にあります。発達障害のある子どもも、楽器の音やさわり心地、リズムに合わせて動くことに興味をもつことが多く、そのため療育の一環として音楽療法を取り入れることは子どもにとって良い刺激となるかもしれません。そこでここからは、発達障害のある子どもが音楽療法を受ける場合の目的、また具体的にどんなことをするのかに関してご紹介します。発達障害のある子どもが音楽療法を受ける目的は?出典 : 音楽療法を受けることは、発達障害のある子どもにとって、どんなスキルの成長、症状の改善が見こまれるのでしょうか。ソーシャルスキルとは、人が社会で生きていくうえで必要な技術のことを言います。例えば、ルールを守る、あいさつをする、他の人の気持ちを考えながら会話をする、などが挙げられます。通常、このソーシャルスキルは人との出会いや関わりの中で無意識に身につけていくことが多いのですが、発達障害のある子どもの場合、ソーシャルスキルのスムーズな獲得が難しい場合があります。音楽療法においては、音楽療法中の音楽療法士とのやりとり、その場で一緒に音楽療法を受けている子どもとの関わりの中で、他の人との関わり方や協調する必要性などを肌で感じられるような環境をつくり、ソーシャルスキルの獲得を促します。発達障害のある子の中には、運動機能の発達がゆっくりであったり、年齢相応の運動機能の獲得につまづきがある子どももいます。運動機能でのつまづきといっても、姿勢を一定時間保つことができない、手と手、手と目、足と手などの個別の動きを一緒に行う協調運動ができない、変化にすぐ反応して動く即時反応がうまくできないなど、子どもによってどんな動きが苦手なのか異なってきます。音楽療法では、子ども一人ひとりを見つめ、何ができるようにするかという目標設定と振り返りを細やかに行うことで、子どもそれぞれの苦手を伸ばしていけるようなプログラムづくりをします。運動機能に関して困りごとのある子どもに対しては、歌詞に合わせた振りをつけながら歌を歌う、リズムに合わせて簡単なダンスをするというような活動をプログラムに組み込み、運動機能が伸びるよう促します。歌ったり、楽器を演奏したり、ダンスをしたりと、音楽は自己表現力が求められる場面が多くあります。音楽療法を通して、自分から何かを表現することへの苦手意識を減らしていく、想像力を豊かにしていくことが期待できます。発達障害のある子どもの中には、なかなか発声・発語がうまくいかない子どももいます。そのような子どもに歌や楽器の音を聞かせることで、子どもへの刺激となり、発声や発語を促すきっかけになると考えられます。このように、発達障害のある子どもへの音楽療法には、たくさんの目的があります。また、実際に発達障害のある子どもの療育に音楽療法を取り入れて、はさみの使用やひも結びなどの細かな手先の運動能力が向上したり、発語回数が増えたりしたという結果が出た事例もあります。自閉症児における音楽活動を介した支援の効果について―自閉症児に対する行動療法的音楽療法の事例を通して―倉田裕子・安部博史著知的障害児における音楽療法の事例研究―音を使用したケアデザイン―長田 有子著ただここで注意したいことは、子どもそれぞれの特徴や性格、また音楽療法に何を望むかによって、変化が出るまでの期間や変化の程度が変わってくるということです。音楽療法を始めてすぐ、子どもに目に見える変化が表れるということはなかなかありません。保護者としては、音楽療法に子どもがどのように取り組んでいるかをよく理解し、音楽療法士とも細かく情報共有をすることで、子どもの成長を長い目で見守ることが重要です。音楽療法って具体的にどんなことをするの?出典 : 音楽療法には活動内容や一緒に受ける人数によって以下の種類に分けられます。音楽療法が行われる施設や音楽療法士の数、そして音楽療法の対象となる子どもにあった方法が適用されます。・能動的音楽療法能動的音楽療法では、子ども自身が音楽活動を行います。例えば歌を歌う、楽器を演奏する、ダンスなどの身体を使って音楽に触れる、作詞・作曲をしてみる、といったことをします。・受動的音楽療法受動的音楽療法では、音楽鑑賞、つまり子どもに音楽を聴かせることを主な活動としています。リズム性の強い音楽を聴かせることで子どもの感情表出を促したり、反対にゆったりとした音楽を聴かせることで緊張をほぐしたりします。・個人音楽療法子ども1人に対し、音楽療法士1人が向き合い、音楽活動を行います。子ども一人ひとりがこれまでどのように音楽とかかわってきたか、どのように生活していてどんな困りごとがあるのか、好き嫌い、ニーズなどを考慮して、その子どもにあった療法内容を検討できるうえに、 きめ細かい対応が可能です。・集団音楽療法5人以下の小集団から、50人以上の大集団などさまざまな人数で行います。集団音楽療法では、他の子どもと一緒に音楽活動をすることで、集団の中で行動するときに必要な社会性や協調性を育てることが期待できます。実際の音楽療法の現場では、個人音楽療法×受動的音楽療法、集団音楽療法×能動的音楽療法などのように、子どもに合わせて、一緒に音楽療法を受ける人数と活動内容との組み合わせを決めます。・リトミックを取り入れた音楽療法また、「リトミック」という音楽教育方法を音楽療法に応用して使っているケースもあります。リトミックとは、リズム運動を音楽活動に取り入れ、子どもに音楽を体感させることで感受性や想像力を高めることを目的としている教育方法です。あくまでもリトミックは教育方法、音楽療法は治療法です。この点を正しく理解したうえで、子どもに合う音楽療法を選択しましょう。『音楽療法総論』渡辺恭子著風間書房出典 : では、音楽療法は実際どのように行われるのでしょうか。音楽療法を実施するうえでは、「子どもが興味を持たないことを無理やりはさせない」ということを基本的な考え方としています。子どもが「やってみたい」と思えるような音楽活動を音楽療法士が提案し、子どもの興味に寄り添って実践しているのです。◇音楽療法の流れ1. 情報収集、子どもの今の状態を知る・対象の子どもを細かく観察し、どのような困りごとを抱えているのかを把握したり、保護者から子どもの普段の様子などの情報を得たりすることで、子どもの現状を把握します。また、幼稚園や保育園の先生、学校の先生、主治医からの情報提供、医学的・心理的検査などの実施を通して、対象の子どもに対する情報を集めていきます。2. 目標設定子どもの現状や集めた情報を総合的に判断し、音楽療法を通して子どもに何を実現させるか、何を育ててあげたいかといった目標を設定します。合わせて、目標達成のための手段や手順も考えます。3. 音楽療法の実施情報収集や目標設定などの事前準備ができたら、実際に音楽療法を対象の子どもに行っていきます。音楽療法では、現場で対象者と行う音楽療法活動をセッションと呼びます。設定した目標のもと、音楽療法士はセッションを円滑に進めつつ、個人・集団に関わらず子ども一人ひとりをしっかり観察します。そして、ちょっとした変化も見逃すことなくほめてあげるよう心がけます。また、セッションの様子はビデオなどで記録したり、筆記で残したりします。4. 振り返りセッションを通して子ども一人ひとりの目標設定や与えた課題が適切であったかを振り返ります。1セッションでの反省などをどう生かすか、どう改善していくかを念頭に今後の取り組みを考え、次のセッションへの準備に取りかかります。音楽療法を受けるには出典 : では、音楽療法を受けたい場合、どうすればよいのでしょうか。実施施設や実施までの仕組み、費用についてご紹介します。◇音楽療法を実施している施設社会福祉法人や特定非営利活動組織(NPO)が運営する障害児入所・支援施設や発達支援施設、デイサービスセンターなどで音楽療法を実施している施設があります。参考:音楽療法を実施している施設◇音楽療法を実施している病院病院では、小児科、精神科、リハビリテーション科で音楽療法が受けることができます。webサイトで受診科など明示している病院もあります。参考:音楽療法を実施している病院施設・病院どちらを選ぶにしても、音楽療法士が常勤なのか非常勤なのか、ボランティアとしての実施者がいるのかどうか、受けられる頻度、1回の療法時間などを確認したうえで施設や病院に連絡をしてみましょう。とりあえず見学してみたい、という希望があれば受け付けている施設・病院もあります。また、音楽療法を実施する前に、会員登録や子どもの状況把握のための面接といった機会を設けている施設や病院もあります。どの施設・病院で、どの種類で音楽療法を受けるかによってかかる費用は異なってきます。例として、福祉施設・病院それぞれでの音楽療法に具体的に必要な費用を紹介します。ある福祉施設では、1回あたり700円~1030円で利用できます。MOYO【音楽療法推進センター/児童発達支援多機能型事業所】18才『未満』の方は児童発達支援事業所の下記3事業を利用することができます。◎児童発達支援事業利用料:約845円/1回◎放課後等デイサービス利用料:約700円/1回◎保育所等訪問支援利用料:1030円/1回*利用者さんの所得状況により、利用者負担額に上限が設けられています。*その他変更や加算により料金が変更になる場合があります。18才『以上』の方は研究事業として音楽療法を受けることができます。個人セッション3500円から(1セッション30分)障害のある子どもが福祉施設で音楽療法を受ける場合は、児童福祉法に基づき、障害児給付費の対象として、国や自治体から費用負担が受けられます。各市区町村ごとにサービス利用料の月額上限を定めている場合が多いため、世帯収入などによっても自己負担額が変わってきます。加えて教材費、施設外活動費などの活動に必要な実費がかかる場合もあります。以下のサイトにて、福祉施設で音楽療法を受ける一例として、放課後デイサービスで実施されている音楽療法に参加する場合に、障害児給付費がどのように適用されるかを紹介しています。そのほかにも、音楽療法はさまざまなサービス・事業の一環として行われていて、それぞれ費用補助が異なってきますので、実際に音楽療法を利用する前によく確認しましょう。障害者福祉:障害児の利用者負担厚生労働省また、病院では自由診療の項目として「音楽療法は1回いくら」等と明示しているところもあります。病院ごとにそれぞれで費用は異なってきますが、個人で利用するのか、集団で利用するのかなどで細かく料金設定をしている場合があるようです。事前にホームページで調べてみたり、直接医師や音楽療法士に聞いてみたりすることをおすすめします。参考:筑波こどものこころクリニックホームページ音楽療法を受けた体験談出典 : 現状、日本ではまだまだ音楽療法は普及段階にあります。それゆえ、音楽療法に興味はあるけど受けるかどうか迷っている保護者の方もいらっしゃるかもしれません。ここでは実際に音楽療法を受けた、という保護者の体験談をご紹介します。次男が自閉症で、月二回程度音楽療法を受けてます。次男のような典型的な自閉症の子から、高機能の子、ダウン症の子、自閉症でもダウン症でもない知的障害の子で運動機能面の発達の遅れもある子等が一緒に受けていて、年齢も様々で、次男は年中の終わり頃から通い始めこの四月から三年生ですが、年中の頃から上は小学六年生の子まで一緒に受けてます。次男が受けているものは、見た感じとしては一般的なグループ療育の課題が、全て音楽に関わったものといった感じです。先生(音楽療法士)が楽器を演奏してそれに合わせて体を動かしたり声を出したりといったことと、楽器を演奏するといったことを組み合わせて課題になっていて、障害の状態や年齢に合わせて課題を若干変えたり、子供同士の組み合わせを工夫したりといった形でやってます。数を数えながら楽器を叩いたり、フリップに書かれていることを読んでそのとおり演奏したりもします。太鼓やマラカスのような良く見る楽器から、普段あまり見慣れない外国の楽器、ちょっと特殊な楽器、洗濯板やコップのような楽器以外のものなんかもつかっています。セッションでは毎回息子の行動に関する目標を立て、それを達成するために音楽療法士の先生方がセッションをアレンジしてくださっています。目標は様々で、例えば「気持ちの切り替えができるようにする」「先生の真似をしてみる」「順番を待てるようにする」「アイコンタクトをしてみる」などです。「話すときは顔を見なさい!」と頭ごなしに叱ったところでパニックを起こしてしまうだけ。音楽療法のセッションの間は、音楽を演奏したりゲームをしたりする中で、ふっと子どもが音楽療法士の顔を見る瞬間を作るのです。その瞬間を療法士は見逃しません。すぐに褒めてくれるのです。こういったセッションを繰り返すことで、息子は自然にアイコンタクトが出来るようになりました。まとめ出典 : 音楽療法とは、音楽という非言語的アプローチを用いて心身の発達を援助したり、より豊かな生活を送ることができるようにしたりする療法です。音楽という楽しみながら参加できる活動なので、子どもにとっては遊びの延長のような感覚でさまざまなスキルを身につけることができます。音楽療法という療育方法は、日本ではまだまだ発展途上にあることも事実です。ですが、音楽療法によって発達障害がある子どもの困りごとが改善されたという声も多くあり、これからもっと利用されていくであろう療法の一つでもあります。保護者が音楽療法について理解することで、子どもによりよい療育機会を提案することができ、療育の選択肢を増やすことにつながります。そのうえで、子どもの「やりたい」という気持ちに寄り添うことを大切にしながら子どもの成長をサポートしていきたいですね。
2016年12月27日不登校のまま中学生になった娘は、この先将来どうなるのだろう…出典 : 娘が全く学校に行かなくなったのは小学校3年生の9月からです。家では勉強を一切せず、パソコンとゲーム三昧の日々。長い間、鉛筆を握ることすら嫌がり、2ケタの計算やお金の概念もよくわかっていない、字はひらがなもおぼつかない…という状態が小学校時代は続きました。お金の概念は、お小遣いのやり取りや、ネットショッピングの代金引き換えを娘に払ってもらうことで、中学生になる頃には次第についてきました。その後、中2になって支援を受けられるようになり、日記を書くこと、九九を覚えることを始め、字もしっかりして進歩は見られるようになりました。だけど言語能力は高いものの、書くこと、計算することが極端に苦手な娘を見ていると、「この状態で本当に高校に進学できるのだろうか?」「進学したとしても仕事をすることができるのだろうか?」と正直不安でした。娘は、「高校へ行きたい」「できれば大学へも行きたい」「あまり無理しない程度に働きたい」と言っています。ただ、それは私を気遣って言っているのか、本心から望んでいるかはよくわからないな…と感じるのです。本当のところ、娘は将来についてどう思っているの?出典 : パソコンを持っていた娘は、パソコンで様々なニュースを見ていました。そして小6くらいから「働くこと」について、ネットでいろいろな情報を得るようになりました。そして不安から、こんなことをふとつぶやくようになりました。「コンビニの店長が借金苦に自殺したって。コンビニってブラックやんなぁ。バイトしようと思ってもブラックなとこばっかりやなぁ。でも私も考えてるんやで。高校入学の時までには計算できるように勉強しようと思ってるねん。バイトするには計算できなあかんもんな。プログラマーだけにはなりたくないけど、私にはこんな仕事しか無理かもしれない。」ブラック企業のことを知って、「学校に行っていない自分にはブラック企業しか行くところがない」と言っていたこともあります。出典 : そして今年、中2になって働いている人と話す機会を持つようになった娘は、ますます「働く」ということについて、自分の考えをしっかり持ちながら考察するようになっていきました。先日のことです。娘「来年、中3になるの?嫌やなぁ。もう1回中学生やりたいな。」私「え、6年間中学生やりたいわけ?」娘「そう。だって働きたくないねん。」私「小学校のときは働きたいって言っていたのにね」娘「何も知らなかったあの頃と、ブラック企業のことや、『どうやら自分はこの社会で楽しく働けそうにない』ってわかってしまった今と一緒にせんといて」この頃は、「自分には9時5時という働き方ができるとは思えない」「もっと短い時間で働きたい」と自分を分析したうえで、仕事のことを考えていた娘。「働きたくない」と言うのも無理はないなぁと思いました。振り返ってみて、娘はとても現実を正確にとらえているな、と感じました。そして、今の社会の生きにくさをしっかりと感じ取っています。それは思考停止状態でとりあえず前へ進むよりも、辛いけれど素晴らしいことだと私は思っています。母娘2人きりの家庭。不安を抱く娘を前に、親としてできることとは出典 : 娘が働くことやブラック企業のことを意識し始めてからは、「勉強はいくつになってからも挽回できる」、「いったん就職したからすべてが決まるわけじゃない。ダメだと思ったら何度でもやり直せばいい」と伝えていました。ただ、不登校の娘は、母である私の姿から社会を見ているところがあります。私はアスペルガー症候群の診断を受け、それは娘にも伝えています。どの職場でもイジメに遭い、だんだんと追い込まれてうつ状態になった末に退職する私の姿を、娘は側で見ているのです。それでは働くことに希望を持つことも難しいでしょう。だけど、発達障害者にとっての現実を見るのも大切なことだと思っています。社会が変わらない限り、同じような困難が待っているのは本当なのですから。そのかわり、失敗して終わりではなく、障害者職業センターに行って学んだことを娘に話したり、障害者雇用について「普通の働き方が辛い人には、こんな働き方があるよ」とさりげなく伝えています。娘自身にも障害があることはまだ本人に告知していませんが、同じ障害を持つ娘が抵抗なくそういう生き方もあると肯定的にとらえられるように気を配っています。不登校の子どもに親として与えるなら、不安ではなく安心を出典 : 私の娘にはアスペルガー症候群の診断がおりていて、小2から不登校になりました。同じような境遇の親御さんもおられることでしょう。「この子はこのままで大丈夫だろうか?」と思う気持ちは痛いほどわかるつもりです。でも、その不安を直接お子さんにぶつけるのはやめてあげて欲しいのです。なぜなら、不登校の子どもも「このままで将来どうなるんだろう」「自分が生きている意味はあるんだろうか」と真剣に悩んでいるからです。そして、その答えを親に求めてくることがよくあります。そんなとき、「だから学校に行かなければならないよ」「もっと勉強しなさい」「世間は甘くないんだよ」とつい言いたくなるのが親心ですが、そうした「やらなくてはならないこと」は子ども自身が一番よくわかっているのです。それができずに悩んでいるのです。ですから、そうした言葉は親からは決して聞きたくないと思うのです。ただただ、子どもの言葉に耳を傾け「あなたはそう思うんだね」としっかりと受け止めてあげて欲しいと思います。私も娘のつぶやきにはただ「そうか…。」と話を聞くだけに留めるようにしています。親としては焦りや不安もあると思いますが、子どもたちの不安をまずは払拭してあげたいものです。できるだけのことはしてあげて、口は出さない。それが自立への早道になると私は考えています。
2016年12月23日不登校の親の会で、仲間に出会う出典 : 誘われて参加するようになった【不登校の親の会】で出会ったのが、一緒にJERRY BEANSを始めることになる八田くんだ。八田くんや、ほかの不登校の仲間をみて、「自分だけじゃなかった」「同じように学校に行けない人がいるんだ」と知ることができた。八田くんは家が近所だった。出会ってすぐに仲良くなり、翌日からは毎日会うようになる。僕と双子の兄弟、八田くんの3人でいつも一緒にいた。それまで家に籠もりきりだったのが自分でも嘘のようだった。思い切り遊び、思い切りぶつかれる仲間みんなが学校へ行っている時間に、山で探検したり琵琶湖に釣りにいったり、山の中の公園で野球したり、と今までやりたかったことが溢れだした、本当に楽しい毎日。それでも常に、僕らの心の中にはうしろめたさがあった。だから、学校が終わる時間までには絶対帰っていたし、人に会わないようにと自然にそういう場所を選んだ。わざわざ言わなくても3人は同じ気持ちを共有していたんだと思う。当時の僕らは、コミュニケーションで相手に気を遣うことができなかった。嫌なことがあったらすぐに爆発していたし、穏やかだったのに、一瞬で顔色が変わって険悪になったり。空気を読むのがとても苦手だった。でも、共通の趣味である音楽を聴いている時や、楽器を合わせている時は、言葉がなくても自然と打ち解けていた。音楽にのめり込んだのは、親が背中を押してくれたから出典 : その頃、八田くんがギターを習っていて、それに憧れてみんなで音楽をやり始めた。楽器がほしいからと、新聞配達のアルバイトを始めたりもして。「仲間とバンド活動をする」ということが、僕たちの生活に希望を与えてくれた。夢中で楽しんでいる、その気持ちが親たちに伝わったのか、なんと自宅の部屋をスタジオみたいに改良してくれた!「のびのびできるものを見つけたんだから、思い切りやったらいい」、そう言って背中を押してくれた。不登校で困らせていたはずの親が喜んでくれた。そのことが嬉しくて嬉しくて必死で練習した。ある時、「自分はこれで生きていくんだ!」と決意した。自分にも存在価値がある、と思えるように自分なんて大嫌いで、存在価値もないと思っていたけれど、そんな考えを変えてくれたのは、自分と本気で向き合ってくれる周りの人たち。例えば、ずっと部屋から出られず、ご飯も食べられない時期に、リビングでご飯を食べただけで、本当に喜んでくれたり。そうやって1つひとつの小さな変化を喜んでもらえることで、「自分も生きていていいんやな」って思えるようになった。バンドを始めたら、どこから聞いたのか、同級生が文化祭の時期に「楽器を教えてほしい」と言って訪ねてきてくれたことがある。「ずっと学校行ってないのに、同級生が会いに来てくれた。褒めてくれた。」こんな嬉しい気持ちになったことはなかった。「僕らでも、何か出来る事が1つあれば、コミュニケーションしていけるんや」、「こうやって認めてもらえるんだな」と、少しずつ自信を持てるようにもなった。道徳の授業や特別授業の一貫として、生徒たちに過去の経験や未来への思いを伝えるという「講演ライブ」を行っている山崎さん。不登校に悩み苦しむ子どもたちやその親御さんに、いま伝えたいことを語っていただきました。
2016年12月22日息子にADHDがあるとまだ知らなかった頃。夫は息子にとても厳しく…出典 : 我が家にはADHDがあり、現在不登校の小学4年生の息子がいます。昔、息子にまだ発達障害があるとわからなかった頃、言うことを聞かず、動き回る息子に対して夫はよくブチギレていました。公共の場所で、皆が振り向くような大声を出して怒鳴り散らしたり、時には手を上げたりすることもありました。そこに来客がいようが、大勢の人が行き交う場だろうが関係ありません。夫は基本的に柔和な性格ですが、プライドが高い一面もあります。夫が息子を叱る様子を見ていると、どうやら息子の「行動そのもの」ではなく、「自分たち家族がどう見られているか」という世間体を気にして叱っているようでした。私は夫の態度について諭すこともありましたが、夫は私の話を受け入れる様子はありませんでした。「息子は発達障害かもしれない」そう話したとき、夫の反応は出典 : そんな夫に、「息子は発達障害かもしれない」という話をしたとき、どうだったと思いますか?ご想像の通り全く受け付けませんでした。「ワシの息子が頭おかしい言うんか!」「息子を頭おかしい奴らと一緒にするんか!」こんなことを言うのは日常茶飯事で、もっと聞いたこともないような差別用語のオンパレード。世間体を気にする性格ゆえに、「障害」という二文字に過剰に反応してしまったのだと思います。それにしても、認めないにもほどがありました。私はそんな夫の様子をみて、心底呆れました。私は発達障害の息子の頭の中がどうなっているか知りたい気持ちが大きかったのですが、自分の子どものことを受け入れられない夫を「心が狭い」と完全に軽蔑してしまっていました。無理に理解を得る必要はないかもしれない。そんな葛藤を抱えながらも出典 : そんなとき、前に幼稚園の親の会で園長先生が、「お父さんの理解が得られるに越したことはないけれど、そんなことに神経すり減らして費やしている間に、子どもはどんどん成長してしまいます。理解が得られないなら、もうお父さんを無視してお母さんだけで前に進むのも1つの手だと思います。」とおっしゃっていたことを思い出しました。この言葉は何度も私の脳裏をかすめました。確かに、それも1つの方法ですし、子どもの成長は待ってくれません。ですが私はやっぱり夫の理解を得ることにこだわりました。将来まで息子のことを1人で抱え込むことはやはり辛かったですし、自分たちの子どもは2人で育てていきたいと思っていたからです。夫には色々なタイミングで、さまざまな角度から何度も何度もあきらめずに話をしていきました。夫が息子の障害を受け入れるきっかけになったのは、義母の言葉だった出典 : 実は、夫と息子には似ているところもあります。すぐ癇癪を起こしたり、忘れ物が多くて言われたこともすぐに忘れたり、片付けができなかったり…もしかすると自分と似ている息子に「障害」があるのだとしたら、自分にもその可能性があるかもしれないという恐怖が、夫の中にあったのかもしれません。そのせいか、息子の優秀なところを素直にほめられなかったり、息子と張りあったりする場面もありました。しかしそんなとき、我が家の場合は幸運にも、義母が私の救世主となってくれました。義母は、仕事柄子どもと接する機会のある方で、息子と同じように困っている子どもたちを目にすることもあったようです。夫が息子の発達障害を受け入れないことを伝えたとき、義母は私と同じように憤慨してくれました。そして夫との電話で「早く気づいて良かったじゃない!父親のあなたが認めてやらないでどうするの!?」と仰ってくださったのです。その頃から、夫は少しずつ私の話に聞く耳を持ってくれるようになりました。ある日、夫から届いた1通のメール。そこには…出典 : 先日、夫からこんなメールを受け取りました。「私も〇〇(息子)が学校に行かない事が最初は不安だったけど、最近はあまり心配してない。〇〇は私よりも優秀で才能ある。また、私と違いしっかりしている。いつまでも彼は息子で愛おしい。彼が進みたい道に行けるよう、精一杯やる。産まれた時に初めて抱き上げた時の事を今でも覚えている。〇〇には特別な思いがあるのよ。同性で、しかも私によく似たところもある。自棄を起こすところとか。しかし彼は私みたいなところがあっても、しっかり芯を持っていって欲しいし、多分その辺は大丈夫と思うの。どちらにせよ、ヘタに学校行ってこじんまりとして欲しくないのね。学校行くのに納得して行くならいいんだけど、行くのがイヤだからとかそういうので無く、なんか学校に違和感みたいなのを感じたなら別に行かなくとも良いのね。皆が行くから、って違和感感じながらも学校行って大学行って、っていう私みたいにならなくとも良いのよ。あの誰にもない感性は大事にしたいデス。」夫の理解を得ようと悩み続けた2年間。いま振り返って思うことは出典 : この問題は、家庭ごとに千差万別ある本当に難しいことだと思います。我が家の場合、夫の理解を得るまでには2年程かかりました。子どもの日々を考えると2年というのはとても大きいですが、夫の無理解に直面してからの期間としてはとても短い方だという実感です。私の場合も、義母と連携が取れない状態だったらまだ悩みの渦中にいて、もしかすると離婚を考えていたかもしれません。私は夫に一緒に相談機関や医療機関などに出向いて欲しかったわけでなはく、積極的に発達障害や療育について勉強したり、口出ししてほしかったわけでもありません。ただそこにいる我が子のありのままを、当たり前のように正面から認めて欲しかった。その気持ちが伝わったからこそ、こんなメールを受け取ることができたのだといま振り返って思っています。
2016年12月18日不登校児は全国で11万人!もはや他人事ではありません出典 : 近年、不登校の子どもは小中学校だけで全国に11万人以上いると言われています。私の息子も現在中学2年生ですが、登校渋りがあり常に不登校と隣り合わせです。そこで、私が運営する発達障害児の保護者のコミュニティにて、不登校に関する勉強会を開くことにしました。講師は、定時制高校などで不登校から立ち直ろうとする生徒たちと、長年関わってこられた元教員の方です。私だけでなくみなさんの関心が高いテーマなのでしょう。参加者も多く充実した勉強会となりました。勉強会に集まった、あるママの発言です。「子どもが学校へ通えなくなる覚悟はできている。」この言葉を聞いた私は、「不安なのは私だけじゃない」と深く共感したのを覚えています。不登校の状況(内閣府成育環境)保護者が学ぶ「不登校の勉強会」、その内容とは?出典 : 勉強会での様子を1. 保護者からの質問2. 講師の先生からの回答この順番で、詳しくご紹介したいと思います。出典 : 保護者:「登校を再開しても、またすぐに休んでしまいます。そんな時どう対応したら良いのでしょう?」先生:「高校入学を機にやり直しを図る子どもたちを例にお話します。不登校からやり直しを図る子どもたちのほとんどが、『勉強をやり直したい』と言います。しかし、もともとは不登校だった子ども。2~3週間すると息切れして学校を休んでしまうケースが多いのです。息切れの原因は勉強だけではありません。コミュニケーションもストレスの原因の1つ。友達に何十通もメールを送り、返信が無いと『避けられている』と悩んでしまう子。友達ができたことが嬉しくて、衣類から文具までお友達と同じものを買い揃えてしまう子。一方的な正義感から、周囲への要求が大きすぎる子。生徒たちのアンケートによると、「学校へ来る支え」も「学校で苦労すること」も、どちらの原因も「友達」が圧倒的に多いのです。」出典 : 先生:「入学から数ヶ月は、『友達を作りたい』という意欲の大きさに比べ、それまでの経験不足からトラブルが発生しやすい時期で、不慣れなコミュニケーションから休んでしまうのは、むしろ必然と言えるのです。この、最初に休んだ時の大人の対応がとても重要で、ガッカリした素振りを見せず、『休めてよかったね』と声をかけてあげる事が大切です。心が疲れたら体は動きません。不登校の子が学校へ通えるためには、自分で自分の調子を掴み自分とうまく付き合えるようにしていかなくてはなりません。」息子にも、人にストレスを感じつつも関わりたい気持ちが見えます。そして限界を感じると時おり学校を休みます。押したり引いたりしてなんとか学校へ連れて行こうと頑張るよりも、「充電が切れちゃったね」「切り替え日だね」と、気持ちよく休ませたほうが回復も早い…そんな実感が私にもあります。出典 : 保護者:「同じような環境下でも、不登校になる子とならない子がいますが、その違いは何でしょうか?また、立ち直っていくポイントは何だと思いますか?」先生:「不登校になる子は『外からの評価』を気にし過ぎる傾向が強く、自分で自分をがんじがらめにした結果、不登校になるケースが多い。それは誰かに責められた経験の有無とは関係しないと思われます。そういう子どもたちは、環境を変えて高校に進学しても、『1度休むと通えなくなるのでは?』『単位を落としたら、もう通えない!』と、『オール オア ナッシング(0か100かの極端思考)』になってしまいがち。でも、不登校から立ち直る子を見ていると、何かができるようになったから学校に通える、という訳ではないのです。不登校から脱する鍵は、今のままの自分で良いと思える自己肯定です。その鍵を得るためには、『やらせる』とか『教え込む』のではなくて、自分から立ち直るまでとことん付き合ってくれる、そんな大人が必要なのです。」私もかつては「やらせよう」と頑張って登校渋りを悪化させてしまった経験があります。今は良い意味で諦め、良い意味で割り切っています。学校へ行けなくなっても死ぬわけじゃない…それくらいの大らかさの方が、実は上手く行く。根拠はありませんが、経験からそう思います。出典 : 保護者:「子どもではなく、不登校児を抱える親と関わる上でのアドバイスはありますか?」先生:「現代の親子関係は間違いが許されない雰囲気がある。(親の)無理は子どもに伝わる。無理はウソをつくことと同じで、親が失敗を恐れて頑張りすぎることは、必ずしも良い結果に結びつかないのです。不登校児の親は、すでに充分過ぎるほど頑張っています。良かれと思った激励やアドバイスも、実は重たく感じることもあるのです。」頑張り過ぎず失敗に大らかな子育て…このことは、スクールカウンセラーを始め、様々な講演会で聞いたお話でもあります。これは、発達障害児ママにも同じ事が言えるかもしれません。充分頑張っているけれど、上手く行かない。そんな時にホッとするのは、激励やアドバイスではなく「わかるよ」という共感の言葉かもしれません。出典 : 保護者:「最後に、不登校児やその保護者が進路を考える場合、どんな選択肢があるのでしょう?」先生:「不登校児の節目の1つである高校進学を例に考えてみましょう。高校には全日制の他に、定時制や通信制があります。それ以外にもフリースクールやチャレンジスクールなどがあります。ですが、これらの学校はあくまで不登校や中退の人がやり直せる学校であって、不登校や中退の人のための学校ではありません。入れる学校を選ぶのではなく、通える学校を選ぶことが重要なのです。」言われてみると当たり前の事ですが、登校に不安を持つ親子はともすると視野が狭くなり、見落としがちな視点ではないかと思います。「やり直す」ための様々な配慮は、全日制の高校に比べ遥かにあるけれど、卒業するためには最低限の日数でも通い続けなければならないことを忘れてはなりません。チャレンジスクールは、小・中学校での不登校や高校での中途退学を経験した生徒など、これまで能力や適性を十分に生かしきれなかった生徒が、自分の目標を見つけ、それに向かってチャレンジする学校です。(チャレンジスクール「夢をかなえる学校選び」)勉強会を終えて出典 : 来年は息子も高校受験です。デコボコの波が大きい息子は、できることとできないことの差がとても大きい子です。学校で不安定になったり、イライラが治まらないときは保健室へ行って落ち着く措置を取ってはいますが、息子は「学校へ行くだけでストレスを感じることがある」と言います。「不安の元が何か?言葉にできない」とも。親としてはどうしても、「できることを基準に考えたい」と思ってしまいます。ですが、私は心に固く決めています。「入れる学校ではなく、通える学校を探す」と。「通える」という基準で選択するって、何も高校だけではありません。進学や就労だけでなく、サークルや部活動、アルバイトなど、小さな選択に至るまで実は、この先ずっと大切にできる基準だと思います。
2016年12月17日悩ましい子どもへの性教育。他の家庭ではどうしてるの?出典 : 発達障害児の子育て、特に多感な思春期の頃というのは、いろいろ苦労されている方も多いと思います。その中でも親として悩ましいことの1つは、性教育についてではないでしょうか。そもそも子どもたちは、自分たちの性についてどう考えているのでしょうか?先日、発達障害の親の会で性教育について話し合う機会がありました。そこでは、発達障害や知的障害のある子どもに対し、どうやって「自分の身を守ること」「人を傷つけないこと」を教えるか?ということが話題になりました。私たち親の世代は小学校5年生頃に男女別に分けられ、スライドや映画を視た後に先生からの話を聞く、というのが性教育でした。なんだか通り一遍の話で本当に知りたいことはわからないという感じ。それがきっかけで友達同士でコソコソと情報交換し合って、徐々にいろんな知識を得ていくというパターンが典型的なものでしたね。しかし、アスペルガー症候群の診断が出ている娘は小2から不登校で、中2の現在まで学校には通っていません。これでは性教育を受ける機会もありませんし、発達障害を持った子どもたちは、友達同士でそういう情報交換をするのが苦手な傾向にあるように思います。親の会ではいろいろな情報や体験談を聞くことができましたが、「こうしたらいい」という明確な答えは出ませんでした。娘は性について、どこまで知っているのだろう出典 : 我が家の場合、小4で娘にパソコンを与えたときに「これで性についても知ることになるだろうな」という覚悟がありました。自由にネットの世界を楽しんでほしかったのでフィルタリングもしませんでしたし、プライバシーを尊重するために娘が何を見ているかということには一切関知しませんでした。ただ、「ネットに書いてあることが本当とは限らない」「女の子は被害に遭いやすい存在である」「ネットの中の人の性別や年齢は信じてはいけない」ということは最初に言い聞かせ、もし不安なことがあればすぐに相談することを約束していました。娘は自由にいろいろな情報を取り入れているようで、性についても「ああ、ひと通りのことはわかっちゃったみたいだな…」ということは何となく日頃の会話で理解できました。だけど、生理が始まったときなどは信頼できるサイトの情報をプリントアウトして私から渡したりしましたし、直接手当てのアドバイスもしました。そうしているうちに、自分の身体の変化が気になるときは直接相談してくれるようになったのです。「フィルタリングについてどう思う?」とあるとき聞いたら、「どんなことでも信じちゃう子にはいいかもしれないね」と言ってました。なんか大人な意見ですね。娘に直撃インタビューしてみることに出典 : そうは言っても、娘に正しい情報を伝えるためにはきちんと性教育をする機会が必要だなと感じていました。「そうだ!直接本人に聞けばいいのでは?」とあるときふと思って、娘にインタビューしてみました。私「性教育って学校でやるんだよね」娘「行ってないから知らん」私「じゃあ、誰から教えてほしい?」娘「親だけは絶対に嫌。ママ、おばあちゃんと性について話したい?」私「それは嫌すぎるな。じゃあ誰ならいい?」娘「人からは嫌。ちゃんとした知識が書かれた本で、生々しくないデザインのやつを読みたい」私「それは本棚に並べておけばいいのかな?」娘「嫌。だってマンガ読もうかなぁと思って本棚を見たら性教育の本が並んでるなんて、エロ本が本棚に交じってるみたいだから。別の部屋にある本棚に入れておいてくれたら読むよ」私「トイレに置いておくっていうのは?」(そういう意見をどこかで読んだのです)娘「トイレしながらそんな本読むなんて嫌」親からそんな話を聞きたくないというのは想定内でしたが、性教育の本が娘の中ではエロ本扱いということにビックリしました。目につくところにおいてほしくない、ましてや読んでるところを人に見られるなんて言語道断という娘に、「思春期の子どもというのは好奇心と恥じらいが混じり、難しいものだな」と感じました。さまざまな誘惑や犯罪に巻き込まれないよう、私の経験から知ってほしいこと出典 : 私が娘に望むことは、●自分は唯一の大切な存在であると知ること●自分を傷つけるものに対しては「No!」と意思表示できることです。そう確信しているのには理由があります。同じアスペルガーと診断を受けている私は自己肯定感が低く、自分のことが大切な存在だと意識したことがありませんでした。そして性被害に遭っても、なかなか「自分はひどいことをされたのだ」と意識できず、「私の勘違いなのかな?」と思っていました。その場でとっさに逃げられなかったり、その後も「考え過ぎなのかな…」と自分の考え方のせいにしたりし、その結果フラッシュバックに悩まされるようになったからです。娘には、私と同じ苦しみを味わってほしくはありません。子どもが自分の身を自分で守れるように。CAPのススメ出典 : フラッシュバックに悩んだとき、私が受けたのがCAPというプログラムでした。その内容は、●自分の大切さを知る●自分を守るためのにはどうしたらいいのかを知るというものです。それまで「自分を尊重する」ということを知らなかった私ですが、プログラムを受講後は「私は尊重されていいんだ」ということを知りました。人にはそれぞれ人権があり、自分を犠牲にしてまで周囲のために頑張らなくてもいいんだということを理解できるようになったのです。CAPには知的障害を持った子どもたちのためのプログラムもあります。もし、私が子どもの頃にこのプログラムに出会っていたら、性被害に遭ってもすぐ大人に相談できたと思います。また、逃げるための実践的な訓練もあるので、防げていた被害もあるでしょう。娘にもいずれ、また全ての子どもたちにもぜひ体験して欲しいな、と思っています。子どもワークショップでは、最初に「権利」(基本的人権)について学びます。「生きるために絶対に必要なもの」と説明します。さらにその中でも特に大切な“子どもの特別に大切な3つの権利「Safe(安心)、Strong(自信)、Free(自由)」“について学びます。大切な自分を守るための行動の選択肢は、「No(イヤという)」「Go(その場を離れる)」「Tell(誰かに話す)」です。自分は大切な存在と思う感覚(人権意識)があってこそ、「いや」と感じることができ、自分を守るための行動を選ぶことができるのです。
2016年12月16日不登校の間に抱えていたのは「元気なのに行けない」罪悪感不登校になる前の学校生活は、いたって普通。むしろ、元気な子どもだった。勉強は苦手で遅刻もよくしていたけれど、人間関係に苦手意識はなくて、友だちもたくさんいた。学校は好きでも嫌いでもなく当たり前に行く場所だった。けれど、クラスの女の子へのいじめを止められない自分、「次は自分がいじめられるのでは」という恐怖から学校を休むようになった。「学校に行かなければ、楽になれる」と思っていた。けれど、それは間違いだった。いじめの恐怖はなくなったけれど、今度は「学校に行けない自分」に対する罪悪感を感じるようになる。友達や先生、近所の人にも会えない。外に出られない。健康な子が休むのはありえない、なぜ行かないんだ、なぜ行けないんだ、ということが頭の中でぐるぐると回りパニックになった。クラスでの悩みを思い返す余裕はなかった。何1つ解決をできず、自分の気持ちを誰にも相談することもできない。本当に辛い日々が続いた。自分のせいで、家族までしんどくなっていく母の「学校に行ってほしい」という気持ちが、痛いほど伝わってきた。毎朝ランドセルを持って起こしに来てくれて。母が僕のことで悩んでいるのはわかっていたけど、「僕はどうしてあげることもできない」。親の願いに応えられない状況は本当に苦しかった。顔を合わすことも辛くなっていた。それが原因で、不登校から引きこもり状態に。そのとき僕は、元気な姿を人に見せてはいけないと思っていた。病気でもないのに学校に行かないなんてダメだと思っていた。元気な姿を見られたら「学校いけるやん!」って思われ連れていかれる、と。そうやって過ごしているから気持ちも暗くなり、体調も悪くなった。家族にも重たい空気が伝染していくのを感じていた。「ぼくのせいで家族がしんどくなっていく」家族の中で笑える空気がなくなっていく状況を見ながら、自分を責めてばかりいた。罪悪感を和らげてくれた母の一言出典 : そんな時期に、同じように不登校になった双子の兄弟が自殺をしようとした。それをみつけた母が、「学校に行かへんって、死ななアカンほど悪いことなんか!お母さんはあなたが元気で生きていてくれたらそれだけでじゅうぶんや!何があってもお母さんは味方やで!」と言い切ってくれた。ずっとずっと行けない自分を責めていた僕たちに、この言葉は本当に嬉しくて救われた。そこから、家族の雰囲気も、自分も少しずつ変わっていった。同級生に遭遇しないような学区外の場所に連れていってくれたり、カウンセリングに出かけたりと、少しずつ外出を始めるように。外出すると、気持ちも開放された。元気な気持ちになると体調もよくなっていった。カウンセリングを受けに行くところも小児病棟だった。そこにはおもちゃや卓球台があったりして楽しかった。不登校の親の会に誘われて参加するようにもなった。家から遠いところにあるから、周りの目を何も気にしなくてよかった。普通の子どものように元気に思いっきり遊んで過ごしていい場所に連れてってくれたのは、本当に嬉しかった。山崎さんが音楽活動を始めたきっかけや、そこから生まれたご自身の変化についてお話を伺います。
2016年12月15日戸惑いを隠せなかった診断結果。この子に一体何が起きているの?出典 : 我が家で行っている、「ゆらゆら」体操。その動きは、両足をゆらゆら揺らすという、簡単なものです。もともと身体の感覚が過敏だった長男の、緊張をほぐしてくれたこの体操を、今回はご紹介したいと思います。幼稚園の時から個性的だった長男。小学校入学をきっかけに大混乱し、登校を渋るようになりました。このままでは完全に不登校になってしまう…と考えた私は、長男の登校に付き添いながら、ゆっくりと学校に慣れていきました。そんな中、先生の勧めで学習支援を受けることに。支援を受けるため医療機関を受診したところ、「自閉症スペクトラムおよび知的障害」という診断が出たのです。この診断結果には正直戸惑い、「自閉症スペクトラムって何?」と、我が子をどう捉えていいのかがわからなくなりました。いうなれば、自分と長男の間に訳のわからないモノが挟まり、我が子が見えなくなってしまった感じがしたのです。戸惑いの中出会った1冊の本。自閉症への理解が深まった、その内容とは栗本啓司 (著), 聞き手 浅見淳子 (編集), 『自閉っ子の心身をラクにしよう!』, 花風社, 2014年その頃からでした。自閉症について気になることを本で調べるようになったのは。さまざまな本を読むうちに、「もしかして、息子もこんなふうに世界を見てるのかも?」と思ったのを覚えています。医師に聞いてもはっきりと答えてもらえなかった、「自閉症スペクトラム」の世界観に触れ、息子との間に感じていた壁が初めて少し薄れたように感じたのです。そんなとき出会ったのが『自閉っ子の心身をラクにしよう!』という本でした。感覚に過敏さを持ち合わせる自閉症の人たち。この本は、少しでもその感覚を和らげ、睡眠の質を高めたり生活の質を向上させたりするコツが載っています。この本によると、発達に遅れのある子は足裏にある「拇指球(ぼしきゅう)」というところが弱く、立ったり歩いたりするだけでとても疲れやすいのだそうです。出典 : さっそく妹と長男の足裏を触り、本の内容がすぐ腑に落ちました。妹と比べても長男の「拇指球(ぼしきゅう)」の存在感が薄かったのです。立ったり歩いたりするのにも、いちいち踏ん張る―頑張る必要があるんだ…。そりゃ、毎日背骨がカチカチに固まるよな。日常生活でも疲労度は他の子どもたちより倍になるだろうな…と、思い至りました。その他、触覚過敏があるからいつも身を縮めているような感じなのでしょう。赤ちゃんのように反射的な動きに優れ、自分で自分の体を十分にコントロールできてない段階なんだということなどが見えてきました。拇指球が育てば、もっと日々の動きがラクになるのではないか。そしたら色々なことにもチャレンジできるようになるかも…。そう考えました。本を参考にしながら、足に触れる。いざ実践!出典 : やるタイミングですが、短くてもいい睡眠をとって欲しいという思いから寝る前に「ゆらゆら」と「足裏さわり」をやっています。手順はこんな感じです。私「じゃあ、ふとんに寝転んで~。手をパーにして思いっきり伸びよう。伸びて、伸びて、はい、ゆるめて。じわ~っとした?」長男「ちょっときた」私「いいやん。じゃあ、次、”ゆらゆら”します」。足首を持って、自分の腰のあたりに軽く当て、腰を気持ちよくゆすります。「どう、振動、キミのアタマの先まで伝わってる?」長男「きてる、きてる」私「いい感じ。では、足の裏をさわるね」親指の付け根の下、正式には「拇指球(ぼしきゅう)」といわれる部分をそうっと触ります。「拇指球よ、しっかり育てよ」と心の中で声をかけます。触る時の力はほんの少し「赤ちゃんを抱くぐらい、そっと」でいいそうです。私は刺激しながら「育てよ~」と念じています。こわばっていた心と体をゆるめる「ゆらゆら」。そのコツは出典 : 実践は毎晩こんな感じです。基本はこの流れですが、その日の長男の様子を見て、足の指の間に手の指を入れて少し広げてみたり、足裏全体をなでることもあります。背骨、背中をリラックスする、頭に集中している意識を全身、特に下半身に下ろすことが狙いです。1番大事にしているのは一緒に「心地よさを感じる」ことです。自分があまりにくたびれすぎている時は「また明日ね」。足首を持った時にくすぐったがったりして「やめて~」と言ったりしたときもやめます。ちょうどこの時期はイヤイヤ期でもあったのですが、布団に入った後自分から「そろそろゆらしていいよ」と声をかけてきたり、逆に「今日はやってあげるわ」と揺らしてくれたりするようになりました。幼い頃は絵本の読み聞かせも行っていましたが、「ゆらゆら」の方が入眠効果があるように感じます。気付けば2年も続けているゆらゆら。その効果は子どもだけではないようで…出典 : 足首を持って腰に当て、腰を揺らして揺れを伝える「ゆらゆら」は、本では「金魚体操」という名前で載っています。他にもいろいろな親子の動きが載っていて、「いいな」と思ったら試しています。気が付けばこうした身体のスキンシップは2年程ほぼ毎日続けています。小3の今も、登校はスムーズにはいきませんが、これまでは「理解できない行動」だったものが、「こういう理由で、そうしてるんだね」と理解できるようになりました。そして、ゆっくりでもいいから発達を積み重ねていけば、きっと大丈夫…!と、子どもを信じられるようになりました。
2016年12月13日教育相談とは出典 : 教育相談とは、子どもの発達と教育にかかわる問題について、子ども本人、保護者、学校の教員などに対して行われる、心理的・教育的援助のことです。教育相談というと、学校からすすめられてはじめて相談に行くことが可能となる、というイメージがある方もいらっしゃるかもしれませんが、学校からすすめられなくても悩みごとがあれば相談できます。相談できるのは、18歳までの子ども本人のほか、保護者、学校の教員など、子どもの教育・養育に関わる全ての人です。相談を受けているのは、学校や、校内のスクールカウンセラー、地域の教育相談センター、特別支援学校などです。教育相談は今、非常に広い概念として捉えられています。「何らかの問題が起こったときに悩みを抱えた人が、学校の教員や専門家に相談をすること」これが以前まで、教育相談という言葉が指していた意味合いでした。ですが、近年子どもの問題が多様化、深刻化するにつれ、教育相談に求められる役割は多岐にわたっています。求められる役割の広がりに伴い、「相談」という言葉から連想されにくい事柄についても教育相談の担う範囲とされています。教育相談の内容は、主に2つに分けることができます。一つ目は、問題を解決するために、問題を抱えた人が専門家に対して相談する、問題解決型の教育相談です。例えば・学校以外の機関が行う、匿名での電話相談サービス・特別支援学校や教育委員会が行う、発達が気になる乳幼児の保護者への子育て相談などがこれにあたります。二つ目は、問題が起こる前に、学校の教職員などによって行われる予防的な教育相談です。例えば、教師が学級活動の中で、児童生徒に対して行うロールプレイングや感情コントロールのトレーニングなどです。このように、教育相談が担うのは、問題が起こったときのみに行われる相談業務だけではありません。何か問題が起こったときに保護者や子どもが自ら課題を突きとめ、主体的に問題解決をできるように、これらの支援や活動は日ごろから行われています。教育相談の事業を通して、困りごとがあるときにも、子どもに関わる誰もが気軽に相談をできるような体制づくりが目指されています。学校を中心として、教育センターや特別支援学校、NPOなど、地域全体を通して、そのような体制づくりが行われています。教育相談ではどんな相談に乗ってもらえるの?出典 : 教育相談が取り扱う事柄はさまざまです。例えば、いじめや不登校、学習に対する不安などの学校生活に関わることから、就学や進路、子どもの発達のことなど、子どもの教育、養育上の問題に関するあらゆる内容を取り扱っています。心配ごとがあるときに、教育相談では以下のような相談を行うことができます。例えば、◇学校生活のこと・クラスでいじめにあっています。もう学校に行きたくありません。・子どもが朝になるとお腹が痛いと言って学校を休むようになりました。無理矢理、学校へ連れていった方がよいでしょうか。・学級に不登校の児童がいます。どのように対応したらよいでしょうか。◇子育てや家庭のこと・子どもが発達障害ではないかと心配しています。・忘れ物が多くて困っています。・子どもが自傷行為をしているようです。・子どもが反抗的で親の言うことを聞きません。◇就学先のこと・障害が重くても、地域の学校で学ぶことができますか。・小学校や特別支援学校に就学したあとに、転学の相談はできますか。◇情報関係・SNSに子どもの悪口が書かれています。どうしたらよいでしょうか。教育相談では、相談者の意見を尊重し、肯定的に受けとめながら、相談者にとって最適な解決方法を一緒に考えていきます。教育相談はどこで誰がしてくれるの?出典 : では、教育や養育に関する悩みごとがあり教育相談を受けたいと思ったら、どこへ行ったらいいのでしょうか。教育に関する相談を扱っているのは、学校の教職員、学校内の相談室、教育センター、特別支援学校などです。それぞれの相談先の特徴と、ご自身の悩みごとの内容に合わせて、相談先を選ぶことが大切です。出典 : 教育相談の活動で中心的な役割を担っているのが学校です。学校では、学級担任や管理職をはじめとして、養護教諭などの全ての教職員が協力をして、子どもの悩みを解決する体制が作られています。学校では、通学する児童生徒本人や保護者が教職員に対して相談することができます。いじめや不登校などの問題の他にも、子どもの気になる行動や、学習についての不安を中心に相談ができます。学校は子どもが毎日通うなじみのある場所であり、そこにいる教職員は毎日子どもに接しています。相談を行うことは、教員が子どもに対してより配慮のある対応をしてくれることにもつながります。学校における教育相談に特徴的なのは、教職員の側から子ども、保護者に対し、相談できる機会を積極的に設けていることでしょう。通称、呼び出し相談や定期相談といわれています。教職員が積極的に子どもや保護者に声をかけていくことにより、問題が起こる前に、その火種を発見でき、問題を未然に防ぐことが可能となります。学校における教育相談には、もう一つの側面があります。それは、悩みごとを抱える一部の子どものみを対象とするのではなく、全ての子どもを対象とする予防的な教育相談活動です。いじめを例にして考えてみましょう。いじめの被害者に対する心のケアは重要ですが、いじめに対して「やめてほしい」と主張をする力や助けを出すための力が必要な場合もあります。また、いじめの加害者側が高いストレスに晒されていることもあります。そのような子どもが加害者にならないようにするために、事前の予防的な教育が行われています。具体的には、授業やホームルームの中で、自分の言いたいことを適切に主張するためのアサーション・トレーニング、自分の怒りの感情をコントロールし、衝動的な行動に出ることを防ぐためのアンガーマネジメント、相手の立場になりきるロールプレイングなどが取り入れられています。出典 : 学校内に設置されている心の相談室・カウンセリングルームでは、スクールカウンセラーに相談することができます。学校の教職員に言いづらいことは、学校内の相談室で相談をするのがよいでしょう。スクールカウンセラーとは、臨床心理士、精神科医、心理学系の大学の常勤教員などの心の専門家です。また学校によっては、「子どもと親の相談員」というスタッフが相談に乗ることもあります。平成25年には、スクールカウンセラーが派遣または配置されている学校数は、20,310か所であり、平成7年に比べ、その数は約130倍となりました。これは、いじめや不登校問題の多発に注目した文部科学省が、教育相談に専門的に携わるスタッフを増やす施策をとったことによる変化です。学校内の相談室で相談をするメリットは、学校の教員とも保護者とも違う立場から話を聞いてもらえることでしょう。これらの相談員は、保護者や他の教職員とも利害関係がないために、客観的で中立な立場から冷静に話を受け止めてくれます。注意点は、相談者により話された秘密は原則として守られますが、問題解決のために事実関係の整合性を取る場合などに限って、相談から得られた情報を学級担任や管理職に共有することがあるということです。最終的な目的は問題の根本的な解決なので、相談員だけではなく、学級担任から見た子どもの姿や保護者から見た子どもの姿など、多角的な視点を用いた判断が必要とされる場合があるためです。また、相談員は外部の機関との連携を密に行っています。ですので、相談員や学校のみでは問題解決ができないと判断した場合には、児童相談所や医療機関などの機関と連携することもあります。スクールカウンセラーや子どもと親の相談員は、各学校に配置されている場合と教育委員会から派遣されて学校へやってくる場合があります。週に1~2回、学校内、あるいは学校の近くにある心の相談室・カウンセリングルームなどの場所で勤務を行っています。出典:スクールカウンセラー等配置箇所数|文部科学省スクールカウンセラーについて|文部科学省「子どもと親の相談員」について|文部科学省出典 : 教育に関する相談の受け付けを行っているのは学校だけではありません。教育相談センターや、教育センターという施設でも子どもの育ちや教育に関する悩みごとの相談をすることができます。例えば、不登校やいじめの問題について、学校が対応しきれず困りごとの解決が難しいときもあると思います。学校に言いづらい悩みごとは、学校以外の機関に相談するという選択肢があると知っておくことで、新しい問題解決の道が開けることもあります。これらのセンターは都道府県・市区町村が設置している施設であり、さまざまな専門をもつ相談員が相談に乗ってくれます。相談をすることができるのは、18歳までの子どもとその保護者、および教員です。相談には、心理相談を専門とする相談員が対応し、必要に応じて、継続的な面接やプレイセラピー、心理検査などを行います。またこれらのセンターでは、定期的に不登校に特化した相談会や、学校復帰・社会参加に向けた講演会が開かれていたりします。学校では得ることのできない情報を知ることができる場としても活用できるでしょう。相談者の状態や、何らかの事情によりセンターに来所することが困難な場合には、メールや電話でも相談をすることができます。相談内容によっては、児童相談所や医療機関などの関係機関を紹介される場合があります。例えば、相談員のみでは解決ができない、医学的な診断の必要である、また福祉的・法的な措置が必要な場合などです。また、相談の内容によっては、保護者の方にあらかじめ確認をとった上で、相談の内容を学校に伝えることがあります。というのも、学校の教職員と保護者が子どもの状況を共通理解することにより、柔軟で充実した対応を行うことができ、結果的に問題の解決への近道となることもあるためです。これらの機関は、学校や教員に対して直接的な指導を行うことはできません。ですので、以下に挙げるような対応の難しい相談事に関しては、あらかじめ相談先が断る場合もあります。・学校の運営・教員による子どもへの指導の内容・教職員の人事学校の運営や教員に対する意見がある場合には、まずは学校の管理職へ相談して、それでも解決しない場合は管轄の教育委員会へ相談を行うのがよいでしょう。出典 : 特別支援学校には、学校に在籍する子どもへの教育の他に、大切な役割があります。それが地域の障害のある子どもたちへのサポートです。この役割の一つとして、特別支援学校では、地域の子どもたちや保護者、小中学校の教職員から相談を受け付けています。以下のような相談を受け付けています。・子どもの発達についての相談・特別支援学校への入学や転学への相談・小中学校での教育についての相談相談には、特別支援学校の教員が対応してくれます。子どもの発達とその支援に関する知識や経験のあるスタッフが対応してくれるので、就学のことや、子どもの発達で心配がある場合には気軽に相談してみるとよいでしょう。特別支援学校で行われる教育相談は、就学以後の子どもに限らず、乳幼児やその保護者に対しても行われています。これは、平成23年に改正された障害者基本法を受けて、障害のある、または支援の必要な乳幼児とその保護者に対し、就学前から情報の提供の機会をより増やそうという国の動きによるものです。相談対応の他にも、特別支援学校では以下のように障害のある子どもに関わる大人や、本人を手助けするさまざまなサポートを行っています。例えば、・学校への巡回訪問・心理検査の実施・研修会の講師の派遣・授業や教材の工夫・個別の教育支援計画、個別の指導計画の作成のサポートなどです。保護者や教師など、子どもに関わる大人は、子ども発達や障害に専門とする教員やコーディネーターとともに、遊びの工夫や、子どもとの適切な関わり方などを一緒に考えていきます。教育相談にはどんな方法があるの?出典 : 相談の内容や、相談者の状態によっては、来所により話をすることが困難な場合もあります。教育相談では、来所に限らずさまざまな方法で相談をすることができます。ここではそれぞれの相談方法の特徴をご紹介します。全ての相談機関で、来所による相談を受け付けています。継続的に担当の相談員に対応してもらえるのが来所による相談の特徴です。相談者一人につき担当の相談員が一人つくことが多いので、来所するごとに、前回から変わった点や新たに加わった困りごとなど、問題解決までの間、その道のりを長期的に支援してもらえます。初回面接の際には、電話で相談内容を話した上で予約をする必要があります。電話による相談の特徴は、現在いる場所に関わらず、相談ができる点です。電話相談だけでは解決の道が見つからない場合には、実際に相談機関に来所することが可能です。匿名でも相談にのってくれる他、電話により相談員の対応を知った上で、来所による相談へ安心して移ることができます。電話相談では、相談員を指名しての継続相談は受け付けていないことがありますので注意が必要です。スマートフォンやPCの普及とともに、メールで相談を受け付ける機関が増えています。メールによる相談の特徴は、名乗らない限り、相手から相談者の身元がわからない点や、時間や場所に関わらず24時間メッセージを送信できる点です。一方、相談の返信が返ってくるまでに、ある程度の時間がかかったり、文字だけのやりとりのために、細かいニュアンスや表現が伝わりにくい場合があることには注意が必要です。機関によっては、文字数の制限があったり、メールの返信の回数制限があったりする場合もあります。詳しくはそれぞれの機関のウェブサイトをご参照ください。学校では通常、メール相談の受付は行われていませんが、教育センターや教育相談センター、NPOなどはメールによる相談を受け付けていることが多いです。学校や相談機関等に通うことが難しいお子さんを対象として、相談員が家庭・学校を訪問し、子どもへの支援や、その保護者の方との相談を進めます。学校や相談機関に通うことが難しい子どもでなければ利用できないことがあります。教育相談をしたいときには何をすればいい?出典 : 学校に相談を希望する場合には、学級担任のもとに連絡して実際相談をしますが、学校の教職員以外に相談をしたいときには、どのような手順で相談をすればよいのでしょうか。相談の流れやそれぞれの相談先の注意点についてご紹介いたします。学校の教職員ではなく、スクールカウンセラーや「子どもと親の相談員」に相談したいときの窓口は、学校により異なります。学級担任・養護教諭を通じて予約をする場合と、直接相談員に声をかける場合や、相談室の前にホワイトボードが置いてあり、誰にも知られずに予約をするシステムがある学校などさまざまです。また、通っている学校にスクールカウンセラーが配置されていない場合、近隣の学校に配置されているスクールカウンセラーに相談することになります。スクールカウンセラーが配置されている近隣の学校については都道府県教育委員会、もしくは市町村教育委員会に問い合わせ、その学校を通じて勤務されている日やスケジュール等を確認し、予約の上、相談室へお越しください。教育相談センターでは、希望する相談の方法により予約が必要な場合とそうでない場合があります。来所相談は、予約制となります。センターの業務時間内に電話で予約をとる必要があります。予約の際には、相談の概要を聞かれるので、子どもの様子や相談の内容についてまとめておくとよいでしょう。市区町村により、相談の受付時間や予約方法が異なります。1回の面接は50~90分間で相談費用は無料です。継続相談を行ったり、相談内容によっては他機関を紹介してくれることもあります。ご参考までに、東京都教育相談センターの申し込みから相談までの流れを以下に示します。申込みは、保護者からのお申込みをお願いいたします。電話相談にてご相談のうえ、お申込みください。↓初回日時のご連絡担当相談員が決まり次第、お電話等でご連絡差し上げます。↓初回面接※原則、1回の面接は50分間です。相談費用は無料です。以後、継続相談を行いますが、ご相談内容によっては、他機関を紹介する場合もあります特別支援学校での相談は、学校へ足を運んで直接相談をすることができます。FAXまたは電話で予約を入れ、相談日を設定する必要があります。詳しくは、お住まいの近くの特別支援学校のウェブサイト等をご覧ください。まとめ出典 : この記事では、教育相談を扱う機関や相談の流れや、内容などを具体的にご紹介しました。教育相談とは、悩みをもつ子ども、保護者、教員の、悩み事の解決に向けて行われる相談活動のことです。教育相談が担う役割は大きく分けて2つあります。一つ目は、問題を解決するために、問題を抱えた人が専門家に対して相談する、問題解決型の教育相談です。二つ目は、悩み事や問題が起こる前に教職員などによって行われる、予防的な教育相談活動です。物事の捉え方、人との関係づくりなどを子どもが学ぶ機会を日常的に設けることで、子ども本人が主体的に問題解決に取り組める力を育む役割があります。子どもと関わる保護者や教員は、問題が大きくなる前に、子どもから発せられるサインを見落とさないことが大切です。子どもの様子や子育てのことで少しでも心配ごとのある場合には、一人で抱え込まずに、気軽に相談にいってみましょう。悩みの解消に向けて、一緒に考え、共に解決策を探してくれるスタッフが必ずいるはずです。
2016年12月11日娘の不登校で心労が重なり…批判的な世間の目に押しつぶされそうだった私出典 : 小2から不登校の娘は現在中学2年生で、アスペルガー症候群の診断が出ています。そしてシングルマザーである私にも、アスペルガー症候群の診断があります。娘は小2の2学期から徐々に学校を休み始めたました。それに対し、学校からの電話や訪問は毎日続き、2学期の終わりには付き添い登校もしましたが3学期から完全に行けなくなってしまいました。その間の心労で私は5キロ太り、「こんなに醜くなってどこへも行きたくない」と実家のトイレで1人ボロボロ涙を流しました。近所の人やママ友からは「学校には行かせなきゃダメよ」と会えばプレッシャーをかけられ、道端で大泣きしたこともあります。一方で娘はというと、登校しようとしても校舎を見ただけで「気持ち悪い、しんどい」と震え出します。精神的に限界がきているのがわかりましたが、放課後には勉強しないことを条件に登校することができていました。そんなとき提案された入院。日常から切り離されたことによる変化は出典 : そんなとき、娘の主治医から提案されたのが入院でした。「日常から離れてリラックスするために、親子で1週間入院しませんか?」と薦められたのです。疲れ切っていた私はさっそく手続きをし、親子2人で個室の入院生活を始めました。私は付き添いなので食事は出ませんが、ソファーベッドもあり、院内にはコンビニがあるので結構快適な入院生活でした。学校には「お見舞いは先生も生徒も一切お断りします」と言っておきましたし、主治医も休養目的ということでほとんど介入してこなかったので、日常から切り離され病院という場に守られ、親子共にゆっくりと過ごすことができたのです。娘もその生活が快適だったのか、1度も「退屈」とか「帰りたい」とは言いませんでした。私も日常生活の雑事や、学校、近所の目などから切り離され、すっかり安心して娘とリラックスできました。完全に不登校になった娘。2人きりの時間が辛くなった私はとうとう…出典 : しかしその後、小学3年生になった娘は、相変わらず学校に行くことができないままでした。この頃から夜眠れなくなり、「布団に一緒に入って」と言ったり「眠れない」と言って泣いたりする日が続くようになりました。「生きてるのに疲れた。引きこもりやし、ママとケンカばかりしてるし。不登校児かって大変やねんで。しんどいし、心許せる人としかよう会わんねん。家におっても時々しんどくなったり、お腹が痛くなる。」娘はそう言い、私が怒るたびに泣いていました。娘が不登校になり、家にいる時間が増えたとき、私は仕事を失った直後でした。2人きりで閉じこもり、娘の辛い気持ちをぶつけ続けられているうちに、私もだんだんと精神的に追い込まれていったのです。そして訪れた2度目の入院。苦渋の決断だったけれど、他に選択肢は無かった出典 : あまりに2人きりの生活が辛く、娘の主治医に「この頃本気ではないけれど、死にたいってよく考える」と打ち明けると、●一時保護を利用して娘と一度離れる●支援学校の訪問指導を受けるために入院するという2つの案を出されました。どんなに辛くても一時保護だけは嫌だった私は、訪問指導付きの入院を選んだのでした。入院してすぐに特別支援学校に転籍した娘。支援学校の先生が病室へやって来て、親から離れ勉強する日々が始まりました。残念ながら娘は先生と相性が合わず、2人っきりで勉強することをとても嫌がりました。「先生と勉強したら学校に連れ戻されるんやろ。」といって、身体は拒否感から体調不良が悪化、苦しむようになったのです。その様子を見ていて私も辛かったですが、もし先生の薦めに従わず家に2人きりだったら…虐待に走っていたか、自分が完全に壊れていたのではないかと、今でも思います。このときはその選択しかなかったのだと、今でも思っています。親子関係が煮詰まったとき。入院することで救われることもある出典 : 子どもにとって入院は賛否両論あるでしょうが、不登校だった娘にはいいこともありました。入院の最中、私と初めて引き離された娘は、看護師さんや同じ境遇の患者さんと出会い、私以外の人に頼ること、思い通りにならないときは気持ちの折り合いをつけることを学んだのです。最初は泣いて駄々をこねるだけだったのに、看護師さんの仕事を手伝ったり、ちょっとお姉さんの患者さんには上手に甘えたりと、私と2人だけの世界からちょっとだけ出て、たくましくなったように思います。私が所属する親の会でも、親御さんが精神的に追い詰められているケースをよく見かけます。私もうつ状態が続いた結果、希死念慮がひどくなり母子共にとても危険な状態に何回か陥りました。そんなとき、主治医の先生は入院を勧めてくれ、結果として私の精神状態も落ち着き、娘に危害を加えてしまうことを防げました。親子だけで関係が煮詰まってどうしようもなくなったり、親が疲れ果ててしまったとき、入院というのも1つの選択肢に入れてみてはいかがでしょうか。少し距離を置くことで関係が変わることもありますから。
2016年12月09日不登校の経験を、今の子どもたちにつなげたい僕は現在、JERRY BEANSというバンドの一員として、各地の学校を回り「講演ライブ」をしている。講演ライブとは、道徳の授業や特別授業の一貫などで学校に呼んでいただき、歌だけでなく僕たちの過去の経験や未来への思いを伝えるという、ライブと講演を合わせた活動だ。「過去の経験」というのは、メンバー3人ともが経験した、不登校のこと。バンドの中の役割でいうと、「想いを伝える役目」を担うことが多い。講演ライブでも、他の2人に見守ってもらいながら、生徒さんたちに気持ちを届けている。話すのが得意というわけではないけれど、「今、困っている子どもたちに、届けたい」という思いが強いので、続けていきたいと思っている。「ここから逃げ出したい…」同級生へのイジメを前に、何もできなかった自分僕が不登校だったのは、小学5年生から中学3年生までの間。高校には行っていない。きっかけは、小学5年生のときに見たクラスのいじめ。女の子をクラスみんなでいじめていて、そのストレスが一番大きかったんだと思う。いじめは突然始まった。女の子に向かって一人の男の子が、「歯並び悪いな~」と、酷い言葉を投げつけた。それを聞いたみんなは大笑い。その日からクラス全員が暗黙の了解のようにいじめを始めた。僕は怖くてどうすることもできなかった。その子は、僕がかつて入院をして学校を休んでいた時に、とても親切にしてくれた子だったんだ。「感謝してるのに、いじめをとめられない…」「自分が次の標的になったらどうしよう…」という恐怖から、何も出来ずにいた。そんな自分にストレスが溜まるばかり。クラスの友達が、女の子に聞こえるように悪口を言ったり、その子がケガするとあざ笑ったり…、人間の二面性を見たような気持ちになった。その現実にどう対処したら良いのかわからず、ただただ怖かった。怖い怖いと思いはじめたら、それが体の不調として現れだした。それでも、親や先生に悩んでいるとは言い出せないでいた。とにかく逃げ出したくて、学校に行く時間になると、ベットの下に隠れて怯えていた時期もあった。「逃げちゃいけない」、「行かなきゃいけない」という気持ちはあるのに、身体が動かない。そんな自分の状態が、自分でも理解できない。混乱していたのだと思う。一番つらかったのは、みんなの登校する姿を見ることだった。人との関わりの中で、じっくりと変化してきた不登校になり、学校に行けずに立ち止まっていた時期は、それでも僕にとってかけがえのない時間となった。人生の中で壁にぶつかった時、我慢して根性で乗り越えるのも、もちろん大事だと思う。だけど、「立ち止まること」も同じくらい大切だ。周囲の友達とは違った時間の流れの中で、自分らしく過ごせたことは、自分自身をちゃんと知るキッカケになった。本当に良かったと思う。と、いうのは大人になった今だから言えることだけど(笑)あの時の僕は、「自分は夢を見る価値もない人間だ」と思っていたし、「生きていても仕方ないし」という気持ちでいた。だけど、沢山の人に出会って、手を差し伸べてもらって…。人との関わりの中で、だんだんと感謝の気持ちを持てるようになり、「不登校」も僕の人生の大切な一部だったと受け止められるようになった。今、未来が見えなくて真っ暗な日々を過ごしている人たちも沢山いると思う。だけどいつか、その経験があなた自身にとって大切な時間だったと思える日がくるはず。僕はそう信じています。今この瞬間だって、あなたは1人きりじゃない。学校を休んでいたとき、家族に何とも言えない罪悪感を感じていたという山崎さん。そんなとき、山崎さんを救ったお母さんの一言がありました。
2016年12月08日小2から不登校の娘は現在中学2年生。漠然とした将来への不安に、つい出た言葉は…出典 : アスペルガー症候群の診断を受けている娘は小2から不登校になり、全く勉強しないまま中学2年生になりました。勉強することを頑なに拒否し、パソコンとゲームにのめり込む日々。それでも、何も考えていない訳ではなかったようで、小5の頃でしょうか…ある日、こんなことを呟いたのです。娘「私はブラック企業しか行くところがない…」それを聞いた私は答えました。私「高卒資格がないと就職は厳しいのが現実だよ」娘「働いてお金を稼げるようになりたいよ」私「ママの経験から、コンビニでバイトするのにも小学校卒業くらいの学力は必要だと思う。学校には行かなくても、高卒資格を取るにはいろいろな道があるから大丈夫よ」娘なりに、漠然とした将来への不安を感じていたようでした。その後中2になった娘は、「そろそろ勉強しようと思う」と言い出し、日記を書いたり九九を覚えたり、電子書籍として学習できる「デイジー教科書」を読んだりと、本当に勉強をし始めたのでした。そして、「高校へ行きたい。私は通信制高校で、あまり通わなくていいところに行きたい」と、現実的な希望を描き始めたのです。娘の変化に応えるように、紹介してもらった通信制高校。見学に行くと…出典 : そんな娘の様子を、中学の支援コーディネーターの先生に話したところ、「小学校からずっと不登校だった生徒が通っている学校があるんです。見学に行ってみませんか?」と誘われました。そして地元にある小さな塾のような学校に、担任の先生と見に行くことになったのです。そこはもともと本当に塾だったところで、今は通信制高校の技能連携校になっています。技能連携校というのは、通信制高校の分校のようなところで、通信制高校と技能連携校の両方に入学することで、技能連携校の方で卒業に必要な出席日数、レポート提出、試験をすべて済ませることができるそうです。私が見学したところはとてもアットホームな雰囲気で、小さな教室がいくつかあり、授業は昼から行われていました。制服もなく、生徒さんが好きなときに来て、自分のペースで学習している様子でした。出典 : 不登校だった生徒にも手厚く、1対1で小学校の勉強から教えてくれ、心配な必要出席日数も1年に6日なので安心したのを覚えています。学園長に詳しくお話を伺うと、自身のお子さんも不登校だったそうです。当時、手をあげて学校に無理に行かせようとしたらお子さんが家出し、探し回ったこと。父親である自分自身がいいお医者さんと出会い、それまでの考え方が180度変わったことなど、たくさんのエピソードを話して下さいました。学園長の話を聞いて、「ああ、ここだったら娘も安心して学べるな…」と手応えを感じ、自宅へ戻りました。通信制高校という新たな選択肢を前に、本音を話してくれた娘出典 : 家に帰って、娘が「どうだった?」と聞いてきたので、学校の様子と学園長の話を伝えました。すると娘はこう言ったのです。「そういうところだったら不登校の子も、毎日来ない子がいるのも最初からみんなわかってるやろ?だから『不登校』とか『あの子学校来ない』とかいろいろ言われなくて済むから良い。」「小学校はみんな行かなきゃいけないから来てる。だから行かないといろいろ言われる。だけど、その学校なら目的がはっきりした人が来るから、自分のペースで自分のやりたいようにできるからいいと思った」その言葉で、娘がどれだけ今まで傷ついてきたのかを思い知らされました。そして、学校という場所の本質を突いた言葉に、感心させられたのでした。親の会で知った、不登校児のさまざまな進路のかたち出典 : 娘の本音を聞いて、ふと親の会で聞いた話を思い出しました。不登校の親の会では、すでに義務教育が終わった子の親御さんが多いのですが、そこで高校進学後の話を聞くと、様々な道があることを知りました。以下は一例です。・親の希望で通信制高校に進学したけれど、スクーリングに通えずに休学中・5年遅れて高校に入学し、現在は大学に通っている・高校はやめたけれど、支援機関を通じて少しずつ働いている・自分でさっさと高校を決め、海外の大学を卒業した…通信制高校は、面接のみで入学できるところも多いので入学するのは簡単ですが、卒業するにはスクーリングができるかどうかがポイントだと感じました。学校やスクーリング会場に登校して、先生から直接指導を受けることをスクーリングといいます。通信制高校は「自学自習」が基本ですが、勉強する中でわからない部分が出てくることや、レポートをまとめようとしても、 どうしてもうまく書けないということもあるでしょう。そこで、そういった課題をスクーリングで先生と一緒に解決していくのです。子どもの進路、親はつい口出ししたくなるけれど…出典 : 本当はまだ家で休んでいたいけれど、どこにも所属しないのは不安だし、親の期待にも応えたい…という風に、自分の意思ではなく家族や世間の負い目を感じて進学した場合、つまづいてしまうことが多いようです。でも、自分の意志で立ち上がった子どもは、何年遅れても最後までやり遂げる傾向にあるようです。娘には、何年かかってもいいから、本当に自分がやりたいと思ったことを自分の意志で選んでほしいと思っています。中学を卒業したらすぐに高校に行かなくてはいけないわけではありません。これまで、自分のペースで歩いてきたのだから、これからも自分に納得できるよう、生きていってほしいな…と願っています。
2016年12月02日【ママからのご相談】40代、中学1年生の男の子のママです。小学校高学年ごろから、息子が同級生と会話が合わず孤立しているようです。そのため最近、学校に行くのもつらそうです。どうすれば息子が楽しく過ごせるようになるでしょうか。●A. 無理に周りにあわせることよりも素敵な大人に引き合わせることを考えてみてご相談ありがとうございます。ママライターの馬場じむこです。息子さんが同級生と会話が合わないとのこと、母親としては心配ですよね。しかし、興味や行動を無理に周りの同級生にあわせていくのも、息子さんにとっては心の負担になるかもしれません。今回は、心理カウンセラーであり、NPO法人『いばしょづくり』代表理事の阿部伸一さんの著書『「不登校」は天才の卵学校に行かない7つの選択肢』から、同年代の子と話が合わない子が人間関係で楽になれる方法 をご紹介します。●同世代が苦手でも大人相手でリラックスできる子がいる阿部伸一さんの著書にはこのような記述があります。**********『同世代が苦手でも、大人を相手にするとリラックスできる子は少なくありません。周りに合わせることを強いられる中学生よりも、自由で自立を求められる大学の方が合うタイプともいえます。つまり、もう大人に近いわけですから、どんどん素敵な大人に引き合わせてあげましょう。リラックスできる場を持てるというだけでなく、飛び級をさせるイメージで挑戦してください』**********同世代が苦手な子は大人に引き合わせる 。どうしても、家では子どもとして見てしまうので、大人と引き合わせても大丈夫か心配になってしまいますよね。しかし、私の中学生の息子も、パソコンや釣りが趣味で大人と話が合うタイプなのですが、息子に合いそうな大人に引き合わせたところ、自分らしさを出してのびのびと話をしており、長期休みのときなど、私抜きで大人たちと一緒にお花見をして楽しんでいました。●こんな場所で素敵な大人と出会えるしかし、どういった場所で素敵な大人と出会わせられるかわかりませんよね。そこで、オススメの3つの場所を提案したいと思います。●(1)大学のイベント学園祭で大学生と話ができたり、大学生と一緒に楽しめたりするイベントが開かれることが多いです。特に教育・心理系の大学だと、子どもと話すことに慣れている人が多い のでオススメです。大学生だと、大人でありながら年齢が近いこともあり、中学生にとっては頼れるお兄さん・お姉さんと会話できて、リラックスしやすいのではないでしょうか。●(2)地域のイベント地域のイベントや市民講座でも中学生が参加できるものがあります。近所ということで参加しやすいのはもちろんのこと、その後のつながりも作りやすい です。市の広報や公共施設に置いてあるチラシを意識しましょう。●(3)SNSのサークル趣味を追求したものや、志ある人が開くおもしろい集まりを見つけやすいです。しかし、SNSのつながりですと顔が見えない怖さもあるので、しばらくは親と一緒に参加し、その集まりが子どもにとって危険ではないか 見極める必要もあります。----------いかがでしたでしょうか。同年代となじめない場合、学校だけでどうにかしようというのではなく、第三の場所に目を向けることで、子どもの世界を広げるきっかけにもなります。お子さんが素敵な大人とたくさん出会えるといいですね!【参考文献】・『「不登校」は天才の卵学校に行かない7つの選択肢』阿部伸一・著●ライター/馬場じむこ(書評ブロガー)
2016年11月26日親の会で偶然出会った大学の先生。その研究内容に興味津々!出典 : 読み書きが苦手なお子さんの場合、どんな学習方法やツールを選べばいいのか?悩む親御さんも多いと思います。今回は、お子さんの苦手に合わせてカスタマイズが可能な、パソコンやタブレット端末で利用できる図書の1つ「デイジー教科書」というものをご紹介したいと思います。以前、発達障害の親の会で「マルチメディアデイジー教科書」の研究をしている、大学の先生とお会いする機会がありました。私はこの研究に興味を持ち、勉強会に参加させていただくことに。これは、パソコンやタブレット端末で使う電子書籍の1つで、音声と文字と画像を同時に再生することができます。先生はこのシステムを利用し、教科書を読むことが苦手な子どもの、読んで理解する力を伸ばす研究を行っています。会場ではiPadに入れたものを体験したのですが、操作も簡単で直感的に使えるので、スマホなどに親しんでいる今の子どもたちには、とても使いやすいだろうな…と感じました。娘にも触らせると、説明書も読まずにどんどん使いこなしていましたよ。「すごい簡単」と言っていました。デイジー教科書でどんなことができるのでしょうか?その多機能ぶりがスゴいUpload By ヨーコマルチメディアデイジー教科書でどんなことができるのか、簡単にご紹介します。これは、パソコンやタブレットで教科書や一般図書を再生することのできるシステムです。その使いやすさの秘密は、①文字・音声・画像を同時に再生する②音声で読み上げる部分の文字がハイライトされる③読むスピードを変えることができる④文字の大きさ・文字色・背景色も細かく変えることができる⑤章・節へのジャンプも簡単などなど、1人ひとりの理解力に合わせ、再生方法がカスタマイズできる点にあります。娘は中1の英語と国語の教科書、1冊の絵本の英語版と日本語版を使っています。娘にディスレクシアはありませんが、小2から不登校なので、英語は読めません。しかしデイジー教科書なら、今どこを読んでいるのかハイライトで表示しながら、音声で流ちょうな発音の英語が流れてきます。また、普段聞きなれない難しい古文なども読みあげてくれるので、苦手意識を持つことなく、興味深そうに音声を聞いていました。読むことが苦手な子が使った場合、どんな効果が期待できるの?出典 : まず、読むことが苦手なお子さんには、以下のような困りごとがあるようです。・読むときの大半は、一字一字拾い読みになる・字を飛ばしたり、間違った読み方をする・読めても、内容が理解できない・授業がわからないから、学校に行きたくなくなる・紙の教科書が読めないだけで、自分は勉強ができないと思いこんでしまうデイジー教科書を使うことで、以下のような効果が期待できるそうです。・音読の困難さが軽減される・子どもが自分で、勝手読みに気をつけやすくなる・教科書に振り仮名を振るなどと言った、保護者の負担が軽減される・予習で使っていた場合、授業中につきっきりにならず、担任の負担が減る学校で使うことを認められなかった場合、自宅で活用しても出典 : 娘が籍を置いている中学校で、電子教科書の話をしたところ、先生方はその存在を知りませんでした。他の方の話を聞いていても「お宅のお子さんだけ特別扱いはできない」「教員に知識がないので」といった理由でタブレットの持ち込みを断られるケースもまだまだ多いようです。学校で使うことができれば1番いいのですが、無理なら家庭で使うだけでも大きな効果が期待できるようです。特にオススメしたいのは、授業の前に家で予習に使うことです。あらかじめ音声読み上げで内容を把握しておくことで、授業中の理解度が全く違ってくるのだそう。娘は不登校ですので、家庭学習のみに使っています。これまで、教科書を見るのも嫌がっていた娘ですが、「iPadに教科書がまとめて入っているから便利。だから勉強しやすい。」といっています。九九を覚えたり、日記を書いたりという取り組みと合わせ、週に3、4回勉強しています。利用は無料。実際に使ってみましょう出典 : マルチメディアデイジー教科書 申請方法1. 上部URLを開くと、「デイジー教科書申請フォーム」という赤いボタンがあるのでそれをクリックします。2. 申請フォームを開き、名前、メールアドレス、自分で決めたパスワードを打ち込んで登録すると、申請できる状態になります。(丁寧な説明がのっています)3. 申請理由は、「読み書きが困難なため」でOKです。保護者でも、使う本人でも申請できます。1度承認されたら、教科書の追加は簡単です。4. 申請が承認されると、約1週間以内にメールが届きます。それで手続きは終了です。ちなみに申請できる教科書は、現在の自分の学年とそれから下の学年の分です。たいていの教科書会社に対応しているので安心ですね。パソコンでデイジー教科書を使うためのソフトは、「デイジーポッド3」というものを使います。このソフトで教科書データのダウンロードから再生までできるようになっています。以下のURLからソフトをインストールしてみてください。 PC で使用する場合実際にダウンロードして操作してみました。デイジーポッド3をダウンロードして立ち上げると、申請の承認メールに書いてあるログイン名と自分で決めたパスワードを入力する画面になります。入力すると、こんな画面が出てきます。Upload By ヨーコまず、ダウンロードタブをクリックして、教科書を選んだところです。ページの左隣にチェックを入れ、ダウンロードボタンを押します。ダウンロードが終わったら、再生タブを押します。するとダウンロードした教科書の見出しが出るので、好きなところを選んで再生ボタンを押します。もちろんiPadでも同じような手順で使うことができます。iPadで利用したい方は、以下のURLをご参照ください。 / iPhone / iPod touchで使用する場合勉強嫌いでも、ツールを変えれば好きになるかも!?出典 : DAISYのホームページでは、わかりやすい動画も載っていますので、ぜひチャレンジしてみてくださいね。我が家では、マルチメディアデイジー教科書を取り入れたことによって、ちょっとした隙間時間に教科書を読むことが増えました。それがきっかけで、ノートとペンを使った学習にも抵抗がなくなってきたように思います。
2016年11月25日「どうしたら一緒に遊べるの?」わからなくて独りぼっちだった幼児期出典 : 私と娘は親子揃ってアスペルガー症候群です。娘の診断をきっかけに、私も42歳で診断を受けました。今回は、私の学生時代を振り返りながら、その特性ゆえに友達作りで苦労したお話をご紹介します。私の母に言わせると、私は昔から友達ができない子どもだったそうです。幼稚園は1年しか行きませんでしたが、入園したとたんにつまづいてしまいました。いつの間にかクラスの子たちは打ち解けて自然に遊んでいるのですが、どうしたらああなれるのかもわからず、「一緒に遊ぼう」の一言が言えなくて、1人で遊ぶことが多かったのを覚えています。というか、仲良く友達と遊んだ記憶がないんですよね。先生は厳しい人で、松ぼっくりを蹴って遊んでいたら「松ぼっくりさんがかわいそうでしょ!」と怒られたことを覚えています。どうして松ぼっくりがかわいそうなのかいまだにわかりません…。幼稚園が楽しいとは、1度も思ったことはありませんでした。自分の言いたいことが言えない…!キレると拳で反撃していた小学生女子出典 : 小学校に入ってすぐに、印象的な出来事がありました。女子数人に次々に悪口を言われたのですが、悔しくて言い返そうとしても頭が真っ白になって何も思いつかないのです。悔しさのあまり、思わずその子たちを突き飛ばすと、帰りの会で「先生、ヨーコちゃんが○○ちゃんを突き飛ばしました」と言われました。先生は真相を確かめずに「ヨーコちゃんは謝って下さい」と言いました。私は悪口で何倍も心にパンチを受けたのに…。このときの「ごめんなさい」で、「女の子なんて大嫌い!!」「もう女の子とは関わらない!」と私の心は決まりました。それからはできるだけ男の子を相手に遊んでいたのですが、男子からもからかわれたりすることが多く、言葉で言い返せない私は暴力を振るうようになりました。気が付けば弟子入り志望の下級生が出てくるほどのケンカ常習犯に。友達が殴られたときも、問答無用でその男の子を投げ飛ばし、先生に追いかけられてトイレに逃げ込んだことを覚えています。でも、いつもそういうことばかりしていたわけではありません。一応女の子のグループにも入っていました。でも、仲間外れや分裂を繰り返し、自分たちだけにしかわからない言葉でしゃべったり…女の子同士の独特の付き合い方には、嫌悪感しか感じられなかったです。だから小学生時代もいい思い出はほとんどなく、卒業できてホッとしたのを覚えています。部活に没頭した中学校時代。他者との価値観の違いにはドライに対応出典 : 中学では剣道部に入り、すっかり武道の面白さに目覚めた私。なぜかと言えば、型から入り型で終わる武道は、アスペルガーである私の特性にとても合っていたのです。仲間と協力し合わなくても完結するのが、心地良かったですね。一緒に部活に入った子たちとも、最初は仲良くなって中学生らしく長電話を楽しんだりしていたのですが、部活に対する熱意の違いでいつの間にかぎこちなくなり、ライバル関係になってしまいました。昔から、人間関係が辛くなってきたらバッサリと切ってしまうか、自分から去っていくかのどちらかの方法ばかり選んできました。我慢してまで守りたい人間関係ではなかったし、修復する方法もわからなかったのです。友達は一応いたけれど、失って立ち直れなくなるほど執着を持ったことはありませんでした。キレやすさは相変わらず。でも、ルールに縛られずに過ごせた高校時代出典 : 高校は自由な校風で私服通学でした。同じ中学から進学した子はほとんどおらず、地元の狭い世界から解き放たれ、やっと一息ついたという感じでした。高校ではテニス部に入り「普通の子らしく」頑張っていましたが、先輩からの理不尽な嫌がらせにキレて、1年の夏休み明けには退部してしまいまいました。頭にきても手を出すことは中学でやめたのですが、カチンと来たときに言葉で相手に気持ちを伝えることは、いまだに苦手です。「なんでやねん!」と毎回思いますし、悔しい気持ちもあります。こうなると、行動に出るまでです。「黙って我慢する」「服従する」という言葉は私の辞書にはありません。大人になってもその傾向は変わらず、理不尽だと思ったら怒ってやめる、ということを繰り返してました。だんだん少しは「我慢する」ようになりましたが、それでも私の我慢の許容量は人よりはるかに小さいのです。出典 : 高校2年生から、学校の中にいるのが嫌になってしょっちゅう抜け出すようになりました。居場所は近所の喫茶店や、大きな公園、パチンコ屋。同級生と話すより、喫茶店のママやマスター、公園にいる路上生活の人と話したり、パチンコ屋の閉じられた世界に身を置く方が楽しかったのです。高校は3年間同じクラスで担任も一緒でした。担任の先生は途中から登校していつの間にかいなくなる私を気にかけ、親と話したり、私と話す時間を取ってくれました。「お母さんがしっかりしているからこの子は大丈夫」と親に言ってくれ、私が下手な嘘をついても、何もかも見抜いていながら泳がせてくれた先生には本当に感謝しています。もし当時、世間体やルール重視の指導をされていたら、私はきっと高校を中退していたことでしょう。大学生になり、始めて知った「人と付き合う楽しさ」出典 : 地元を離れ、他府県の大学に入った私。最初は友だちもできず寂しくて「別の大学に入り直そうか」と思ったくらいでしたが、軽音楽部に入ってから毎日が楽しくなりました。部活では、個性的な仲間と無理することなく打ち解けることができましたし、そこで初めて「しゃべり方が怖い」など、私の欠点を真っすぐに指摘してくれる人にも出会うことができました。下宿先では、夜通し友達とまじめな話をしたり遊びに行ったりと、「学生らしい」生活を堪能して、初めて人といることの楽しさを味わうことができたように思います。ありのままでいられる人間関係だってある。不登校の娘にも知ってほしいこと出典 : きっと、大学くらいになると友達付き合いが成熟してくること、友達も大人になって「ちょっと変わった子」の私と向き合う余裕ができたからなのでしょう。だからもし叶うことなら、娘にも大学に行って、友達とバカなことをしたり羽目を外す楽しさを味わってほしいなぁと願っているのです。大学時代の、成熟していながらも何事にも縛られない付合いって、この時期にしか味わえないものだと思うから。
2016年11月18日私が抱いていた不登校のイメージは、ネガティブなものだった出典 : 皆さんは「不登校」という言葉にどのようなイメージをお持ちでしょうか。私はとても暗いイメージを持っていました。人の目を気にし、暗い部屋でじっと息を殺して暮らしているような、そんな勝手な想像を漠然と抱いていました。しかし実際に子どもたちが「不登校」になり、家で過ごす様子を見ていると、その言葉のイメージとのギャップに戸惑いを覚えるようになりました。不登校の様子は以下の記事をご参照ください。子どもたちの様子に「不登校」という言葉は似合わない学校や幼稚園に行かなくなってから、子どもたちはとてもよく笑うようになりました。毎朝必死で登校し、疲れ果てて帰宅していた頃には1度も見たことのなかった、のびやかな笑顔です。こんなに明るい「不登校」があったのか!と、自分でも驚いています。現在2万5千人ほどいると言われる小学生の不登校児。もちろん、その家族の数だけさまざまな過ごし方がありますので、私が抱いていたイメージのようなご家庭もあるのかも知れませんが・・・。実態を知らずに勝手なイメージを抱き、それを固定させるのは本当によくないな、と自分に言い聞かせています。とにかく、とても明るく家で過ごしている子どもたち。私たちは、学校や幼稚園に行かずに家で過ごすことをマイナスイメージの強い「不登校」ではなく、ポジティブなイメージの「ホームスクール」と呼ぶことにしました。不登校児童生徒数の推移(文部科学省)それでも娘の不安は尽きないようで…出典 : 小学3年生の娘が学校に行かなくなって初めの半月ほどは、何も言わずにやりたいことをやらせてみました。読書が好きな娘は1日中本を読み、人目が気にならない時間帯に庭で遊び、自由を満喫していました。学校へのストレスが原因でチック症状がたくさん出ていたので、自由に過ごすことで少しでもそれが軽減されればと思っていたのです。そうしているうちに、娘が自分から「お勉強をしなくてもいいのかな?」「お友だちはどんどん先へ進んでいるのに」と言うようになりました。それならばと、国語・算数・理科・社会・音楽・図工・体育の7教科を毎日30分ずつ時間を決め、勉強することにしました。これは、元来自由時間を過ごすことが苦手な娘には、とても良いやり方でした。「何をしてもいいよ!」と言われると、何をすればいいのか決められず、ただただぼんやりとした時間が過ぎていき、娘自身もそれに焦りを覚えていたからです。30分ごとに鳴るアラームに合わせて予定表を確認し、「よし!次は社会だからあの本を読んでみよう!」「あ、次は体育だからDVDを観ながらダンスをするね!」とくるくる動き回る娘は、本当に楽しそうでした。ルールに厳しいアスペルガーの娘。「ホームスクール」は特性への対応を学ぶいい機会に出典 : ある日、図工の時間に「絵の具で絵を描きたいけどいい?」と尋ねられました。私「もちろん!それがホームスクールの醍醐味だからね!」娘「でも、絵の具を使ったら30分で終わらないと思うんだけど・・・」私「それだったら、予定を変更してみてもいいんじゃない?やりたいことが見つかったら、思い切りやったらいいよ。ここは学校じゃないから、絶対にスケジュール通りに動かないといけないことなんてないんだよ。臨機応変にね!」娘「わかった!」娘はその後の予定を2つキャンセルし、たっぷり1時間半、画用紙に向かって絵の具で絵を描き続けました。こうして、たとえ予定を立てていても、やりたいことが見つかった時には少しずつ予定を変更しながら毎日を過ごせるようになりました。出典 : 「急な予定変更に弱い」「決めたルールは頑なに守る」という特性を持つアスペルガーの娘ですが、これを機に「まあいいか!」と割り切れる瞬間が少しずつ増えてきたように思います。今はまだ、自分で決めたスケジュールの変更を許せるようになった段階。これが少しずつ広がって、他人の都合でスケジュール変更が行われた時も、怒ったり泣いたりせずに「まあいいか!」で乗り切れるようになってくれればいいな…と思います。時間を自由に使えるのも、ホームスクールならではの良さ出典 : そうこうしているうちに、「今日は1日絵を描いて過ごしたい」「今日は1人になって読書に専念したい」「今日はずっとアイロンビーズをやりたい」と言うようになり、いつの間にか30分区切りのスケジュールを立てることはなくなってきました。学校に行かなくなってすぐは、学校のお友だちに遅れないように、学校の進捗に合わせて勉強しておかなくては!という意気込みが私にも娘にもあったように思います。でも最近は、せっかく思い切ってレールを踏み外したのだから、学校の進捗にこだわることはなく、思い切り好きなことに没頭するほうが人生が豊かになるんじゃないかな?と思うようになりました。ただしテレビやゲームといった、誰かが作ったものを一方的に受け止めるようなものに時間を費やすのはもったいないので、ゲームは1日30分、テレビも決まった時間に親と一緒に観るようにしています。今は芸術の秋・読書の秋ということで、1日中LaQで何かを作ったり、本を見ながらひたすら新しいおりがみに挑戦したり、アイロンビーズであらゆるモチーフを作ったり、テーマを決めて図書館で借りた本をたくさん読んだり、同じ映画を何十回も観たり・・・。そんな風にしながら毎日を過ごしています。勉強もしないと!という気持ちは、漢字検定に挑戦したり、算盤や学研などの習いごとに通うことで解消するようにしています。まだまだわが家のホームスクールは始まったばかり。これからどんな風に変化していくのか、私自身の楽しみでもあります。 (ラキュー)ルールから外れて1番不安なのは子どもたち。だからこそ、楽しい時間を大切にしたい出典 : 不登校になって、どのように過ごせば良いのかわからない、というお声をよく耳にします。わが家では「子どもの笑顔が引き出せることかどうか」を最優先に考えています。その時にやりたいことが見つからなければ、「こんなのがあるけどやってみる?」「こんなイベントがあるけど行ってみる?」と声をかけ、子どもが興味を持ったものだけを一緒にやってみるようにしています。そうすることで、少しずつではありますが、子どもたちの世界を広げていくことができるのではないかと思います。そして、親子が一緒に没頭できる何かを見つけることができれば、喜びを共有できる瞬間や会話が増え、子どもは「この家にいていいんだ」「学校に行かなくても楽しんでいいんだ」「お母さんは私の気持ちを分かってくれるんだ」という安心感に包まれて過ごすことができるようになるのではないでしょうか。子どもだけに合わせるのではなく、親も一緒に楽しめる何かを見付けることができるといいですね。
2016年11月15日私の障害が娘にバレた!でもちょっと誤解しているようで…出典 : 娘がアスペルガーと診断されたのは小4のとき。その2年後に私も同じアスペルガーと診断されました。不登校でもあった繊細な娘には、ショックが大きいだろうと思い、告知はまだしていません。私は、自分がアスペルガーの診断を受けた後、張り切ってアスペルガー症候群の関連本を何冊か買い込んできては、部屋に思いっきり放置していました。それを見つけた娘がビックリした顔で「ママってメンヘラちゃんやったん!?」と詰め寄ってくるではないですか。私「ちょっと待て。メンヘラちゃんってなに?」娘「ママ、手首切ったりしてない?大丈夫!?」どんな斜め上の誤解なんだ(笑)。娘の解釈に驚きつつも、アスペルガーにそんな印象を持っていたことにショックを受けました。よく考えてみると、こういう誤解の仕方ってインターネットのサイトを見てる人にありがちなことなんですよね。そして内心「参ったなぁ、君も一緒なんだよ。こんな誤解してちゃダメだよなぁ」とため息をついたのでした。そう、娘への告知をのばし延ばしにしているうちに、自分の方が先にバレてしまったのです。これはどうしたものか…と、けっこう悩みました。そうだ!私の体験談を娘にシェアしてみよう!出典 : そこでまず私が思いついたのは、「そうだ、私を通してアスペルガーのことを理解してもらおう。そうすればいつか告知したときも自分のことを理解しやすくなるはず」というアイデアでした。それからというもの、特性がらみの困りごとを、日常会話にさりげなく取り入れるようになりました。「会社で上司に次々とやることを言われたんだけど、覚えきれなくて困った」「仕事で話しかけられても、周りがうるさいとその人の声だけじゃなくて全部聞こえるからわからなくなる」「一緒に買い物行ったとき、目の前にあったものをママは見つけられなかったでしょ?あれも特性なんだよ」「2つ以上のことを一緒にやろうとすると混乱する」人間関係の困りごとも話しました。「どうしてかわからないけど、いつも何ケ月か勤めると周りの人に嫌われてるんだよね」「嫌われていると思ったら、心のシャッターが下りるのよ」「空気が読めなくて変な人と思われてるみたい」解決法は教えてあげたくてもなかなか教えられませんでした。だって私自身、何も解決していないから。ただ、障害者職業センターで習ったことや、感動したことは「落ち着いて練習したら、失敗したことを上手に謝ることができたよ」などと伝えていました。娘は「ふーん」と聞き流しているように、そのときは見えました。今度は娘が自分を疑いだし…しかしそこで思わぬ本音が。出典 : そんなある日、突然娘が「ママ、私ってアスペルガーなの?」と聞いてきたのです。私の話にいろいろ思うところもあったのでしょう。嘘がつけない私は、あたふたとして「うーん、そうかもしれないなぁ」と言ってしまいました。でも、娘はそれ以上突っ込んできませんでした。「ねぇ、もしアスペルガーだったらどう思うの?」と私が聞くと「障害者にはなりたくない」と言ったのです。私自身は障害者手帳も取って、障害者として生きていく決意を娘にも明らかにしていたのに、この言葉はショックでした。気になりながらもよくよく聞いてみると、娘にとっての障害者は「言葉で意思の疎通ができない人」のことだったようです。彼女は保育所の年長のとき、保育所の先生がボランティアでやっているダンス教室で、予告なしに重度の障害を持った子と引き合わされました。話しかけても反応してくれない、無言で笑いながら抱き付いてくる、その様子に強い恐怖を感じてしまったようでした。このことを私の支援者に相談したのですが、「その引き合わせ方に問題がありましたね。言葉で言い聞かせるよりも、これからの人生での中でゆっくり理解していくしかないと思いますよ」と言われました。そして、娘の支援者・主治医などと相談した結果、もう少し彼女の自己肯定感が上がってきて、アスペルガーだということを冷静に受け止められる時期が来るまで、告知はしないことになったのです。これから娘に聞かれたら、「お医者さんに聞かないとわからない」と答えるよう、アドバイスされました。障害名は関係ない。1人の人間をあるがまま受け止める素直さに感動出典 : 娘はきっと、自分がアスペルガーだとわかっている気がします。時には疑い、時には否定しながらも、心のどこかではわかっている。でも認めたくないという風に見えます。そんな彼女ですが、ある日私のことをこう言ってくれました。「ママは自分のことアスペルガーって言うけれど、私にとっては『ママはこういう人』というだけで、『ママはアスペルガー』だとはいちいち思わないよ」障害名が付いた特性持ちの人ではなく、1人の人間として見てくれている…。この言葉は涙が出るほど嬉しかったです。今では誰よりも私の特性を理解し、さりげなく助けてくれるようになりました。その力を活かし、いつか自分の特性を深く理解して、助けを求められるような人に育ってくれたらいいな、と願っています。
2016年11月11日タレントの木下優樹菜さん(28)が、11月5日に放送されたフジテレビ系番組『お客様と10人』に出演した際、夫でお笑いコンビ『FUJIWARA』の藤本敏史さん(45)に対する本音を口にし、話題になっています。『スポニチアネックス』が伝えたところによると、優樹菜さんは夫の藤本さんが現在、ゲスト中心でのテレビ出演になっているとした上で、『小物感がある』と発言。2016年10月の改編にて1本レギュラー番組を獲得したとのことですが、『ずっとレギュラーないんですよ、フジモン』と嘆き、『定期的な仕事が欲しいんですけど』と悩みを漏らしたといいます。優樹菜さんといえば、11月1日放送の日本テレビ系番組『今夜くらべてみました』に出演した際、“調子こき女”を不登校にしたという内容のコメントをして、主婦層から批判を受けていましたが、今回の発言にも疑問を持った人が多かったようです。●ネット上では「自分も小物」「デリカシーない」と批判の声優樹菜さんの藤本さんに対する『小物感がある』という発言にネット上では、『自分も小物じゃん』『もっと稼いでこいやってこと?考え方がヤンキー』『不登校にした発言といい、旦那への文句といい、イメージ悪い』『夫以上に小物なのに…』『自分は干されて仕事ゼロになるかもよ?』『小物でもイジメをする人より上』『フジモンの足を引っ張ってるのはあなたじゃないの?』『夫の恥をベラベラしゃべるって、デリカシーなさすぎ』『レギュラーなくても何年もテレビに出続けてるだけでもすごいと思うけど』『フジモンはこの人のどこに惚れたんだろう?』『すごい上から目線だけど、あなたも小物ですよ』『小物って、ブーメラン』『フジモンの嫁って称号がなかったらあなたはもうとっくに消えてたと思う』『小物でも結婚してくれただけで感謝すればいいのに』『自分は、フジモンの妻としてママタレの仕事しかしてなくない?』など、批判的な声が多くあがりました。とはいえ、優樹菜さんのInstagramには、いつも藤本さんと一緒に写った写真がたくさん。優樹菜さんにとっては、藤本さんに対する批判や愚痴もすべて愛情の一部なのでしょう。【画像出典元リンク】・木下優樹菜(@yuuukiiinaaa)(Instagram)/●文/ぶるーす(芸能ライター)
2016年11月07日不登校のまま中学生になった娘。熱心なA先生の行動は娘に伝わらず…出典 : 小2から不登校の娘は現在中学2年生で、アスペルガー症候群の診断が出ています。小学生の頃からずっと不登校なので、中学へ入学するときには「登校するよう本人に促さないでほしい」「学校からの連絡は月に2回程度にしてほしい」などの依頼を、事前に私からお願いしていました。ところが入学してからすぐに、担任のA先生が自宅に訪ねてきました。30歳くらいの熱心な数学の先生で、毎日発行している手書きの学級通信や宿題のプリントを持参し、月に何度か私と1時間くらい話をして帰るようになりました。「学校に来てください」とは言わないものの、「何かきっかけがあったらいいんですけどね」「外出できましたか?」と、グッドニュースばかり期待する一方的な姿勢に、私はだんだん疲れてきました。また、クラスの子が書いてくれる連絡プリントに「待ってるよ!」「どうして来ないの?」という言葉があるのも気になりました。こちらは行く気がないのに、こうして毎日書いてもらう負担を考えると「そのうちクラスの子に不満が生まれるのでは?」と気がかりですし、娘に見せても心が重くなるだけだろうと考えると、正直気が進みませんでした。連絡プリントも最初は「生徒の教育のためですので」と言われたものの、なんとかお願いしてやっとやめてもらうことができました。娘はA先生が来ている間、寝室に閉じこもって出てきませんでした。そして、4月の終わり頃「もうA先生が家に来るのが辛い」と言ったのです。私は、「申し訳ありませんが、娘がA先生に来ないでほしいと言っているので、私が学校に行かせていただきます」と申し出ました。A先生は残念そうでしたが、その後は距離が遠ざかり、3ケ月に1度学校で話す程度になったのでした。その印象はまるでイノシシ!?言葉と態度でまっすぐぶつかってくれたB先生出典 : 娘が中1のとき、もう1人印象に残っている先生がいました。その先生は体育のB先生です。見た目も性格も豪快ですが、女性の先生です。新しく中学校に入学した生徒の中に、いまだ1度も学校に登校していない生徒がいる、ということで気にかけて頂いたようです。B先生は、学校で問題を起こしやすいやんちゃな子など、いろんな生徒をよく気にかけていました。私が学校で初めて会ったときも、「ああ、お母ちゃん、会えてよかった!りさ(娘)は元気?あの子だけ1回も会ってないから気になってるねん」と強烈な陽のパワーを感じさせてくれました。私は学校で会ったのか人や話したこと、帰ってからいつも娘に報告していました。その日、B先生の印象が強烈だったことを伝えましたが、娘の反応は「あ、そう」と薄いものでした。出典 : ところがその後、地元のお祭りで偶然B先生とお会いしたのです。B先生は私を見つけるなり、側にいるのが娘だとすぐ気付いたようでした。そしてすぐ駆け寄ってきてかと思うと「りさ~!やっと会えた!!」と満面の笑顔で娘をハグしてきたのです。娘はビックリしていましたが、まんざらもない様子でした。後に、「ママ、あの先生面白いな」とニコニコしていました。B先生は家庭の事情もあって娘が2年になるときに退職されました。その後も、私のスマホにはよくメッセージを送って下さり、私とお茶したり、そのついでに家に寄ってもらったりしていました。娘はそのたびにとても喜びましたが、B先生は長居もせず「今日は帰るわな」といつもさっと帰っていきました。娘は「B先生にまた会いたい」と今でも言っています。これだけ特定の先生と信頼関係を築けたのは初めてで、先生の本音丸出しの態度に安心したのかな…と思います。娘の抱いていた「先生」へのイメージが変わるきっかけになったのも、B先生のおかげかもしれません。そして中学2年生。B先生のおかげで少し先生と距離が近くなった娘は…出典 : 先生との関わりで、ほんの少しだけ「先生」というイメージに対して肯定的になっていた娘。中学2年生になり、担任の先生はC先生になりました。娘は中学2年生になるとき、学校にお願いして「個別の教育支援計画」を作って頂きました。その際、C先生にも同席してもらいました。C先生は静かでおとなしい先生でしたが、支援計画では一生懸命取り組んで下さいました。娘は、C先生が若い女性だったので親しみを持ったようです。たびたび学校に足を運び、満足そうな表情で帰ってくる私を見ていたのでしょうか。娘も担任が変わったのを機に、家庭訪問を受け入れるようになっていきました。今でも仲良しな担任のC先生。一緒に料理をしたのは、いい思い出に!Upload By ヨーコC先生ともなじんできたある日のことです。自宅に訪問に来てくれていた先生に「最近娘が料理にハマっているんです」と伝えると、「じゃあ、私と一緒に何か作ろうか?」とC先生のほうから提案してくれました。ラッキーなことに先生は家庭科の先生だったのです。それを聞いた娘は喜んで、たくさんある料理本をめくりながら、「あれがいい、これがいい」と盛り上がりました。その日、先生とパンを作ることを決めた娘。先生はレシピ本のコピーを持って帰りました。Upload By ヨーコお待ちかねの料理を作る日です。先生は家で1度予習して指導のポイントを考えてきてくれていました。粉をスプーンで測る方法、現在の時間から10分後は何分なのか計算する方法、弱火ってどれくらいか、火にかけるとき鍋の柄は自分が立つ方向と逆に向けることなどなど…。パン生地のこね方も丁寧に教えてもらい、娘の目は尊敬の色でいっぱいでした。そうして出来上がったパンは、みんなで頂きました。とてもおいしかったです。娘は先生に「学校の家庭科では、どんな料理してる?」と聞いていました。学校と同じメニューを家で作ろうか?と考えているようです。その後も、2か月に1回程度、先生から私あてで連絡が来るようになりました。そのたび、娘は「先生と料理楽しかった。またいっしょにやりたいなぁ。先生次いつ来るの?」と楽しそうに聞いてきます。不登校のままでも大丈夫。そう思えるようになってきたのは、先生方のおかげ出典 : 娘は、現在も不登校のままです。しかし、先生方の柔軟な対応や温かな姿勢により、信頼関係を結ぶことができつつあります。これは大きな変化であり、社会とのつながりにもなっています。こうして娘は、関わりが増えるたびだんだんと、先生に心を開くようになっていきました。不登校であっても、自分の学校があるというのは娘の心の支えになっていると、感じています。
2016年11月04日タレントの木下優樹菜さん(28)が、11月1日放送の日本テレビ系番組『今夜くらべてみました』に出演した際の発言がネット上で問題になっています。『スポニチアネックス』によると、優樹菜さんは番組中で嫌いなタイプの女性を問われた際、『調子こき女。こっちで言っていることと、そっちで言っていることが全く違くて、どっちにもいい顔をしたがる女』とコメント。学生時代に実際にそのような女子がいたそうで、優樹菜さんはその女子の会話の中で登場した人物を全員呼び出し、発言の真偽を確認したとのこと。『みんなの前でそれを暴いていって、全部嘘だということがバレて、そいつが学校に来られなくなった』と説明しました。優樹菜さんは『全部問い詰めてスッキリさせないと気が済まない』と話し、スタジオからは驚きの声があがったということです。●ネット上では「ただのイジメ」「子どもがいるとは思えない発言」と問題視する声“調子こき女”を追い込んで不登校にさせたという優樹菜さんの発言に対し、ネット上では批判の声が多くあがっています。『それってイジメでしょ?』『自慢げに語ってるけど、イジメでしかない。本人にその自覚がないのも引くわ』『本人は正義感からやったつもりなんだろうけど、立派なイジメ』『娘が同じ立場になったらどうするんだろう』『そんな話を武勇伝みたいに語ってることがおかしい』『その後に友達になったとかならいいけど、そうじゃないならただのいじめ』『自分にも子どもがいるのに、よくそんないじめの話ができるね』『そんなひどい話を得意げに言っちゃう点で自分が“調子こき女”なんじゃない?』『間違った正義感は危険。子どもがいる人の発言とは思えない』『娘がいじめられて不登校になったら、自分のしたことがどんなことかわかると思う』『八方美人が嫌というのは理解できるけど、不登校になるまで追い込むのはいじめ』『1対1で喧嘩したっていうならいいけど、これはもういじめでしかない』『自分の子どもたちが同じ目にあわないといいですね』『何様のつもりだろう?自分が正しいと思ってるのが怖い』『普通、子どもがいたらそんな発言はできないと思う』『調子こきな女が嫌いって、ブーメランじゃん』『いじめはいけないことだって、子どもに言えなくなっちゃうね』など、2児の母とは思えぬ優樹菜さんの発言を問題視する声が多数でした。優樹菜さんにとっては正義感からの行動だったにしても、やはり不登校になるほど追い込んでしまったのは「やりすぎ」としか言えないでしょう。子どもを持つ母として、世間から注目を集める立場として、もう少し自分の発言には慎重になった方がいいかもしれませんね……。【画像出典元リンク】・木下優樹菜(@yuuukiiinaaa)(Instagram)/(文/パピマミ編集部)
2016年11月03日転校を機に変化に戸惑う小4の娘。大きな壁となったのは方言だった出典 : 歳でアスペルガー症候群と診断された娘は、小学校高学年から続いたいじめにより、神経性食欲不振症、不登校、被害妄想、幻聴幻覚、解離などの二次障害が現れ、現在は入院中です。今回はこの二次障害のきっかけとなった、小学生時代のお話です。娘は赤ちゃんの頃から元気がよく、明るくて三枚目タイプ。いつも楽しい事をして、家族を笑わせてくれていました。ところが、幼稚園に通う頃になると、お友達との関わりが少し苦手なように見えました。けれどもずっと1人で過ごすことはなく、小学校低学年の頃までは、お友達と遊ぶこともできていました。仲の良いお友達もいて、いじめられた事はありませんでした。娘が小3を終えた3月末に、主人の転勤で関東から九州へ引っ越しをしました。転居してまず驚いたのは、方言でした。その口調は怒っているように思え、なんだか叱られているような気がするのです。言葉に慣れるのには、かなりの時間がかかりました。そんな中、引っ越し後に初めて登校した小4の始業式で、みんなの前で自己紹介をした娘は、「言葉が変っちゃ!」と笑われてしまいました。出典 : しかし、標準語が変だと言われても、どうしようもありません。みんなが方言で話す中、方言を知らない娘は標準語をからかわれ、その上なぜか「組長」とあだ名をつけられ、それ以来いじめの対象になったのでした。まもなく、娘は、「学校に行きたくない!」と言いだしました。理由を聞くと、「言葉が変だと言われるし、給食の量が多すぎて食べられないから嫌だ」と言うのです。どうやら、毎日給食が食べられず、昼休みまでかかって食べている様子。この学校では給食を完食しないといけない規則で、時には5時間目まで食べているそう。前の学校では、食べられない時は残しても良かったので、給食が嫌いではなかったのですが…。以前の学校でも、言葉で表現する事が苦手な娘でしたが、からかわれても言いたい事が言えず、加えて給食の時間も嫌で仕方なく、事態は深刻でした。私は毎朝、祈るような気持ちで娘を学校に送って行きました。どうか、娘がみんなと仲良くなれますように…今日1日、楽しく過ごせますように…。あのときの、とても寂しくて辛そうな娘の後ろ姿は、今でも忘れられません。2週間くらい一緒に登校すると、そのうち娘は1人で登校できるようになり、私はホッとしました。けれどもそれは、すべての事の発端(神経性食欲不振症、不登校、被害妄想などのきっかけ)であった事を、当時の私は知る由もありませんでした。漢字練習で気づいた、担任の厳しさ。相談を持ちかけるもその返答は…出典 : 不安な1年が過ぎ、娘は5年生になりました。担任の先生は教育にはとても熱心で、毎朝10分間テストから、1日が始まるようでした。ある日帰宅した娘が、必死になってノートに何か書いていました。よく見ると、朝の漢字テストで間違えた漢字を書いているようでした。その夜、寝る時間になっても、娘はまだ漢字を書いていたので驚きました。「どうしたの?」と尋ねると、「漢字を1000回書かないといけない…。」との返事。聞くと、明日までに間違えた漢字を1000回書いて提出しなければいけないようです。しかも、間違えた漢字1文字ごとに1000回なので、2文字間違えると2倍の計算です。娘は、徹夜で間違えた漢字を1000回書き、翌朝眠そうに登校しました。私は、どうしても納得できず後日、連絡帳に「いくらなんでも多すぎるのではないか?」と書いて担任に訴えましたが、何の返答もありませんでした。出典 : 他にも娘の事で相談したかった私は、その後担任との面談を申し出ました。面談では、漢字練習の目的や、前の学校では給食は残しても良かった事、クラスの子どもたちにからかわれている事などを相談しました。しかし担任の言葉は、私の期待と全く異なるものだったのです。「漢字を1000回書くのが嫌なら、間違えなければ良いのです。給食は、この学校では完食しなければいけない規則になっています。いじめられるのは、いじめられる側に問題があるのです。」この冷たい言葉に驚きを隠せませんでした。教育熱心なのはわかりますが、子どもの側に立って考えず、自分の理念だけを押しつける態度に、私は打ちのめされ失望したのでした。担任は6年生も持ち上がりだったために状況は改善されず、娘はますますクラスから孤立していきました。私は、その後何度も担任に相談をしましたが、状況は変わりませんでした。母親1人の意見など通らないのだと、このとき痛感した私は、出張先の主人に相談しました。すると主人は、すぐに東京から市の教育相談室に電話をかけてくれたのです。教育相談の方からは、「担任のしている事はおかしいから、直接校長に話をして下さい」とアドバイスされ、やっと校長との面談が決まったのでした。夫婦で校長と面談。話し合いで見られた変化は、担任教師の態度だけだった出典 : 校長との面談は、放課後に校長室で行われました。母親の私だけでは話も聞いて貰えないだろうと考え、当日は 東京から主人にも来て貰い、2人揃っての参加です。娘の担任は、出席するか分からないと聞いていましたが、部屋に入ると、校長の後ろに立っていました。その様子は、普段私に見せている態度とは うって変わって、とても小さくなっているように感じました。私たちはこれまでの経緯を、校長に伝えました。校長は頷いて私たちの話を聞いた後に、担任にそのような話があったのかどうかを確認しました。すると担任は、まるで私たちの話を今初めて聞いたかのような顔をして、驚いて見せたのです。これには呆れてしまいました。これまで何度となく相談してきたにも関わらず、私の訴えはなかったことにされたのでした。校長との面談後も、大きな状況の変化はありませんでした。漢字練習は改善されましたが、給食は全校生徒が頑張って食べているので、娘にも完食するようにして欲しいと念を押されたのです。いじめについては、標準語をからかわないようにクラスの児童に注意するとの事でしたが、結局、娘にとっては 仲間はずれにされたり、陰でいじめられ、辛い思い出ばかりの学校生活となりました。小学校の卒業式を迎え、子どもたちに願うこと出典 : 月、娘は小学校の卒業式を迎えました。慣れない土地で、言葉や方言に戸惑いながら、校則の違いにも翻弄され、同級生の中にもうまく入れずにいましたが、娘なりにとても頑張ったと 私は心の中で拍手をしていました。「辛かった経験をバネにして、どうか今後も力強く生きて欲しい。あなたの頑張りは、きっと道を開くはず。大丈夫!人生で役に立たない事は、何1つないのだから…。」卒業証書を受け取る娘に、私はエールを送っていました。教師が、クラスの子どもたち1人ひとりをきちんと受け入れて理解し、その子に合わせて対応をする事は、とても容易な事ではありません。教師と生徒、お互いの心が繋がり、信頼関係を築く事は、更に難しい事だと思います。子どもが十人十色なら、大人の教師だって同じこと。教師によって、考えや指導の仕方も異なる事でしょう。けれども、教師の偏った考えで、数10人の子どもたちを支配する…そんな事があってはならないと思います。親として、大切な我が子を学校に預けている以上、楽しく元気に学校生活が送れるようにと望むのは、当たり前だと思います。出典 : 子どもたちが自分の力を発揮でき、それぞれの道を進んで行けるよう、私たち親だけでなく、学校や教師も変化していかなければならないと思います。娘のように、自分が辛くてもその気持ちをうまく表す事ができない子どももいます。こうした子どもたちは、抑えていた気持ちが身体や心に様々な症状として現れてしまいます。そうなる前に、周りの大人が変化に気づき、症状が大きくならないうちに、子どもたちを守らなければならないと思います。それは、学校に行きたくないと言えない子も言える子も、どちらも。娘は、現在 二次障害で入院しています。どうか、娘のように二次障害で苦しむ事のないよう、いま辛い気持ちを抱えたまま闘っている全ての人たちが、大切な存在として守られることを、願ってやみません。
2016年10月29日ヲタママだっていーじゃない!
ムスメちゃんとオコメちゃん
猫の手貸して~育児絵日記~