障害ではなく個性なのか。発達障害のある子どもを育てる親の思いお子さんに障害がある親御さんが、「うちの子には障害はない、個性的なだけ」と言っているのを耳にしました。このように話す背景には、わが子の発達の凸凹を障害ではなく個性と捉えて、「前向きに育てていこう」という気持ちから出ている言葉かもしれないと感じました。個性だから特別視はしない!? 園での対応知り合いが、わが子が通う保育園に「うちの子は発達障害があるかもしれないので、特別な配慮をしてほしい」とお願いしました。すると、園側から「それは個性の一つですよ。どの子も性格も違い個性があるのですからお宅のお子さんだけ特別扱いは出来ません。みんなと一緒に分け隔てなく保育をしていきますから」と言われたそうです。この場合は、「個性」という言葉が、「特別視せずに平等に見る」とか、「配慮をしない」という意味で使われています。「個性」という言葉を使うとき、その背景にある思い・考えは、人や場面によって異なっているようです。自閉症の息子を育てる、私の思い私自身は「障害か個性か」の論争にはあまり関心がありません。あえて言うならば、「障害そのもの=個性」ではなく、障害によって、むしろ自閉症や知的障害によって、息子の個性が見えづらくなっているような気がします。こんな絵を描いてみました。私は、個性の上に大きく障害が被さっているように感じています。Upload By 立石美津子もしわが子に障害がなかったら…妄想する息子に障害がなかったら、あなたはどんな性格、個性をしていたの?お母さんと普段どんな会話をしていたの?定型発達の20歳だったら、彼女くらいはできていたかな?友達と週末は出かけたりしていたのかな?こんな風に思い始めると切なくなります。けれども、息子から知的障害と自閉症を取り去ったら、息子ではなくなってしまうのでそれはそれで嫌だと思うわがままな母親です。Upload By 立石美津子障害=個性、ではないと思うから現代の医学では発達障害について、採血などの検査で明確に数値が出て、それだけで客観的に「はい、発達障害です」とわかるような生物学的マーカー(指標)はありません。そのため、どこまでが個性でどこからが障害か、の線引きが難しいのかもしませんし、育てている親にとっても分かりにくい部分です。そもそも個性は、万人に存在します。それは、障害の有無に関わりません。障害のある子どもの親に対して第三者が「障害のある子は天使よね」などと、「障害そのもの=性格」のような言い方をしているのを耳にすることがあります。私自身もそのように言われたことがあります。でも、そんな型にはまったものではないと思います。知的障害、ダウン症、自閉症…、確かにそうやって「障害名」ごとに分類したときに、ある程度共通する先天的な特性はあるでしょう、けれど一人ひとりが育つ環境の中で、優しかったり、好奇心旺盛だったり、いたずらだったり…、さまざまな性格が形成されていきます。「障害そのものがイコール個性だ」としてしまうのは、違うのではないかなと思うのです。(監修:鈴木先生より)私はいつも外来で「障害は個性ではなく“特性”と考えてください」と保護者のみなさんに話しています。個性であれば外来受診する必要性がなくなります。自閉スペクトラム症+ADHD+二次障害によってその人本来の姿が見えなくなっていると考えていいと思います。ADHDなどを治療すれば本人や家族の肩の荷が下り、自閉スペクトラム症の特性は治らなくてもそれ以外の要素を軽くすることはできるのです。自閉スペクトラム症を完全に取り去ることはできません。周りの人たちに発達障害を理解してもらい、発達障害の特性と共生していけばいいのではないでしょうか。
2021年09月05日ADHDの診断・検査Upload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンADHDの診断ができるのは、専門医だけです。子どもの場合は、大学病院や総合病院の小児科・児童精神科・小児神経科や発達外来などで受けることができます。いきなり外来の予約をとるのはハードルが高いときには、保健センターや児童発達支援事業所、かかりつけの小児科などに相談するのもおすすめ。診断を希望することを伝えれば、医療機関を紹介してもらえるでしょう。診断では、子ども本人への面談や検査のほか、家族への聞き取りも行われます。ただ、通常1回の受診で確定診断に至ることはありません。それは、他の発達障害や自閉スペクトラム症との区別や、併存があるかどうかの判断が非常に難しいためです。発達障害の専門機関は他の病気に比べるとまだ少ないものの、発達障害者支援法などの施行によって年々増加しています。日本小児神経学会の「発達障害診療医師名簿」では、発達障害の診療を行える医師の一覧を確認できます。日本小児神経学会「発達障害診療医師名簿」診断を受けるタイミングや目安は?定型発達の子どもでも2~3歳ごろまではじっとしていることが難しく、集中力も長く続かないものです。乳幼児期は、ADHDの症状かどうかを見極めるのはむずかしいとされています。このため、診断を受けるのは4~5歳ぐらいからが多くなっています。4~5歳になると、多動や衝動性のほかにも言葉の遅れ、不器用などの特性が明らかになることが多く、また集団行動をするときの課題もだんだんと分かってくるからです。受診をする一つの目安は、日常生活に支障をきたすことがあるかどうか。・同じ世代の子どもと比べて、著しく不注意・多動性・衝動性に基づく行動が多い・不注意・多動性・衝動性の症状のために、友達とトラブルになりやすい・学校の授業についていけない、学力の低下が著しい例えば、こうした困りごとがあれば、一度、専門機関を受診してみるとよいでしょう。また、本人には困った様子がなくても、保護者や周囲の人が強く感じている場合も診断を受ける目安になります。診断・検査の流れは?ADHDの診断は、医師の問診がメインになります。子ども本人に自宅や学校でどのような生活を送っているのかを詳しく聞いたり、本人の様子を見たりして、症状や特性を判断します。また、保護者との面談では、これまでの生育歴・既往歴・家族歴などの聞き取りも行われます。正確な情報を得るために、保護者や担任の先生にチェックリストを記入してもらうこともあります。併せて発達検査や心理検査を行い、総合的に判断します。こうした問診は1度ではなく、何回かに分けて行われます。正確な診断のためには、時間をかけてじっくり子どもの特性や症状を見極めることが不可欠! 子どもがリラックスして医師と話せるよう、病院に行く前には「明日は先生とお話するよ」など、あらかじめ予定を伝えておくといいですね。診断に必要な準備や持ち物は?普段の行動や学校での様子なども、診断のための大切な情報です。医療機関を受診する前に、「不注意」「多動性」「衝動性」のADHDの3つの特徴がどのくらい現れているか、本人の状態を把握しておきましょう。資料として役立つこともあるので、日常生活でのようすがわかるメモを持参するのもよいでしょう。医療機関から持ってくるように、と言われるものには、たとえば次のようなものがあります。□担任に記録してもらった学校での様子のメモ、連絡帳など□保育園や幼稚園時の連絡帳□通知表□母子手帳□子どもの自筆のノート診断に必要な持ち物は受診する医療機関によっても異なります。持ち物や事前の準備については、予約時に確認しましょう。
2021年09月04日うちのADHDとASDがある息子リュウ太は医者が大の苦手!Upload By かなしろにゃんこ。うちのADHDとASDがある息子リュウ太は、病院が大の苦手!予防接種のときは暴れてしまい、大人が2人で押さえていないと注射ができません。押さえると「ヤダーーーー!ヤダーーー」と診察室でも大きな声で叫び出してしまいます。そんな息子の様子を見たお医者さんに「この子は根性がない、お母さんが甘やかすからだ」と叱られたこともあります。私は心の中で(甘やかしてないっつーーーーの!! 恐怖心が人一倍強いだけだっつーーーーーの!!)と思いつつも、息子のパニックで困ってしまうことがたびたびありました。だから予防接種は、毎回気合いを入れて行きます。しかし息子のメンタルが崩れているときは、泣き叫んで暴れまくって受けられないこともあるので、いつも『受けられなくてもまた次に挑戦すればいいんだ』と言う寛容な心を持つことも大切にしています。Upload By かなしろにゃんこ。治療に対して何をされるのかわからない恐怖は誰にでもありますが、息子のリュウ太の場合は、治療の恐怖に立ち向かおうとするとお腹が痛くなったり、ガチガチに固まってしまうほど。(こんな子が虫歯になったら歯科の治療を嫌がって大変なことになりそうだわ…)と未来予測をしていた私は、息子の歯を毎晩きちんと磨くことにしていたのです。どの家庭にもある光景かもしれませんが、歯磨きを嫌がる息子の四肢の動きを母の足で封じて歯磨きの仕上げを行ったり、歯磨きせずに寝てしまわないように声をかけて促したりと、いろいろと注意をしてきました。Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。それなのに…歯医者に引っ張って行かなければならないときが来るなんて…。それは、リュウ太が小学校6年生のとき。学校で行われる歯科検査で奥歯に虫歯判定が出てしまいました。そのころPTA活動をしていた私は、同じくPTA活動をしているママ友からリュウ太との関係をたびたび心配されていました。Upload By かなしろにゃんこ。発達障害のあるリュウ太は、座って授業が受けられない子として有名でした。リュウ太の特性をよく理解していなかった同学年の保護者からは『ほったらかしで育てられているから落ち着きがなく授業を受けられない子』なんだと思われていたようで、PTAで知り合ったママ友には「リュウ太くんって虫歯大丈夫?ちゃんと治療してるの?歯磨ききちんとしてる?」とか「仕事ばかりしていないできちんと子どもの話聞いてあげないとダメだよ」と質問のような、変な心配をされました。そのママ友とはそんなに仲良くないので子育ての相談をしたことはなく、わが家のことは何も知らないはずなのですが、なぜかわが家が子どもをほったらかしにしている前提で話をされました。Upload By かなしろにゃんこ。このような質問をされると一番困ります。「心配しているのよ!」という形はとっているものの、わが家の実態を聞き出そうとしていることが分かるからです。『うちの子、虫歯はないですよ』『仕事ばかりしてないですよ』と私が答えると、そのママ友が期待していた返答ではなかったのか質問攻めから引き下がってくれましたが、私はそのママ友が人の家庭の不幸ネタを探しをしているように感じてしまい、とてもイヤな気分になりました。うちが子どもをほったらかしにしている家庭だと思われていたのも悲しいものがありました。そんなとき、歯科検査で虫歯判定が…。「虫歯ないです!」とそのママ友に言った手前、「1本だけ奥歯にありました!」と言うのも悔しいので、意を決して虫歯の治療することにしました。まずは、初めての歯科診療をモーレツに嫌がる息子の説得するところからスタートです。息子が「歯医者に行くくらいなら虫歯になってもいい」と主張してくるので大変です。説得は数分では終わらず、なんと3日間もかかりました。普段の会話では、息子のほうがしつこいのですが、このことはあと回しにしないほうが良いと考えて、私はしつこさ覚悟で短期間で連続で説得を行いました。(母の本音は『あーめんどーい、はぁ~しんどーい』)Upload By かなしろにゃんこ。リュウ太には虫歯が小さいうちなら治療は痛くないことを伝えて安心させ、小学校6年生が歯科で暴れたら恥ずかしいことも伝えました。説得の末、イヤイヤですが歯科に行くことができて、治療台に乗ることもできました。ガチガチに緊張してお腹が痛くなっていましたが、小学校6年生ともなると理屈が通じるため、わりとすんなり医師の指示にも従ってくれました。そして、歯を削ることもなく治療はすぐに終了。なんと虫歯ゼロで学校の歯科検診は誤診だったことが分かりました。息子が暴れることなく診察できたことで、私はホッと胸をなでおろしました。(喜)リュウ太本人も歯にドリルをあてられなくてホッとしたようでしたが、初めての歯科診察に緊張したのか帰宅後は腹痛でトイレに直行。(弱っ)とは言え、今まで病院の治療のとき大暴れだった息子がわりと落ち着いて診察できました。さすが小学校6年生のオニイサンです。そのあと息子は初めて行った歯科の治療ベッド周辺を「なんかアニメに出てくる操縦する場所みたいでかっこよかった」と述べておりまして、(そんなこと言えるなんて余裕じゃん!?)と母は思いました。Upload By かなしろにゃんこ。それからもリュウ太は朝と夜の歯磨きをきちんと続けていたのですが、10代後半になり、夜に外出するようになってからは就寝前の歯磨きができていないこともあるようで…今後が心配です。しかし息子も大人になったので、そこはもう自己責任です。大事に磨いてきた歯、何物にも代えがたい価値があると思います。「これから先も一生歯を大事にしていって欲しい」と母は願うのでした。執筆/かなしろにゃんこ。(監修:井上先生より)周囲の先輩ママからのプレッシャーとお子さんのお医者さん嫌いでとても苦労された時期だったと思います。医療受診に不安の高いお子さんの場合、『心理的プレパレーション』と言ってこれから行う治療の目的や手順を絵カードや写真カードや人形を使って事前に説明したり、実際の治療の場でもカードや人形を見せながら行ってもらうなどの支援があります。実施している現場は限られていますが、親御さんと医者が協力して自作することもできますので、相談してみても良いかもしれません。
2021年08月26日周囲がヒヤヒヤしっぱなしだった小学校低学年時代Upload By スガカズわが家の次男はADHDがあり、衝動性が抑えきれずにヒヤヒヤする行動にはしることが頻繁にありました。高いところによじ登ったり、危険な遊びをしたり…。私は「自然豊かな地域のほうがのびのびと育つのだろうな」「一度大きな失敗をしないと自制心が育まれないかもしれないな」と何度も思いました。Upload By スガカズ次男は、衝動性と探究心から、「やりたい!」と思ったことは親がいくら「危ないからダメ」「お母さんは次男の体が心配だよ」と言ってもなかなか聞く耳を持ちませんでした。小3になって転機が…。きっかけは、親の言うことを無視したために起こった大失敗Upload By スガカズ小3はギャングエイジと呼ばれる時期ということもあり、学校では授業を受けたがらなくなったり、家庭ではきょうだいゲンカも多く、次男の情緒は不安定なことが多かったです。また、小学校に隣接している学童も「つまらない…」と言って、行きたがらなくなりました。次年度には小6の長男も中学校にあがるため、一緒に留守番する機会がかなり減ります。次男一人にして親が働きに行くことは危険だと思い、放課後等デイサービスの利用に向けて動き出した矢先に事件は起こりました。Upload By スガカズその日、私はリモートワークではなく会社に出社していました。すると昼3時ごろ隣に住むママから着信がありました。どうやら次男がケガをして家の前で大泣きで座り込んでいたようです。私はケガの状態と経緯を聞き、急いで帰宅しました。私が帰るまでの間に隣に住むママは次男のケガの応急処置をしてくれていました。帰宅してすぐ病院へ行き、診察をしてもらいました。幸い2週間ほどで塞がる傷だったのですが、傷口は目をそむけたくなるほど…。私は本人や周囲の人から、ケガをした経緯をさらに詳しく聞き、「まさかこんな目に合うとは思わなかっただろうな…かわいそうに」「とはいえ、一歩間違えば重大事故になっていた…」と、複雑な気もちになりました。やってはいけないとあれほど言っていたのに…Upload By スガカズ数年前から子どもや大人の間で人気の、前後2箇所にキャスターを一つずつ備えた、二輪構成のスケートボード「キャスターボード」という乗り物があります。キャスターボードはわが家にもあり、パパの所有物で、借りたいときに子どもたちが「貸してほしい」と頼むルールです。キャスターボードは遊びながら楽しくバランス感覚を養え、安全な場所で使えば子どもの外遊びにもぴったりです。ですが、次男はまだうまく乗りこなせないこと、わが家の周辺は坂道が多いこと、キャスターボードはパパの所有物であることから、「お父さんが大事にしているものだし、危ないから勝手に使ってはいけないよ」と口酸っぱく伝えていました。ケガをした日、友達と遊ぶ約束をした次男はパパのキャスターボードをどうしても使いたくなり、内緒で使うことにしたようです。しかも遊んだ場所は、坂道…。下った先には交通量の比較的多い道路です。案の定、操縦ができなくなり、歩道の段差で転倒。道路の端まで飛ばされてしまったようでした。さらには本人にとって追い打ちが…。ケガをして取り乱してしまった次男は、内緒で借りたキャスターボードを現場に置いたまま自宅に帰ってしまいました。放置されたキャスターボードは誰かに持ち去られたようです。私はこの時点で、次男が後悔している様子が見られたし、命あっての物種なので、どうしても叱る気にはなれませんでした。しかし、お父さんは次男に対して激怒しました。Upload By スガカズ当時は「反省しているのだから、そこまで強く叱らなくても…」と次男の精神面を心配しましたが、のちに当事者同士だからこそ叱ったほうがよかったのだろうと理解しました。いつもは強く叱られると反抗しがちな次男でしたが、このときばかりは落ち込んでいました。一週間ほどして、キャスターボードは近所で乗り捨てられているところを次男の友達が見つけて知らせてくれました。本人にとって恐い経験になってしまいましたが、それ以降、人がダメだと言っているものを勝手に使ったり、危険な遊びをすることはかなり減りました。あれから2年経ちましたが、本人も当時の傷痕を見ては、「あれは本当に恐かった。もう同じことは絶対にしない」と、振り返っています。執筆/スガカズ(監修:井上先生より)これをすれば完璧!というような子どもに絶対失敗させない支援はありません。小さな失敗から学んでいくことは自然なことなのですが、スガカズさんの体験のように、一歩間違えば大事故になると言う学びは避けたいものです。失敗してしまったときの対応のコツは本人が深く反省していればそれに対してさらに追い打ちをかけるようなことはぜず、反省に共感しながらもどうすればよかったかを一緒に考えていくことです。とは言え親も感情的になってしまうので、スガカズさんのようにお母さんとお父さんでうまく役割分担することも大事だと思います。
2021年08月24日ADHDの子どもには適切なサポートが不可欠!Upload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンADHDの特性は、日常のさまざまな場面で「困った」「うまくいかない」という経験につながることがあります。「変な子」「問題児」とレッテルを貼られてしまったり、「もっとがんばりなさい!」と叱責されてばかりでは、子どもはだんだんと自信を失ってしまいます。また、保護者も同様に、子育てに難しさや疲労感を感じて悩んでしまうこともあるでしょう。ADHDのある子どもも適切なサポートや治療を受けることができれば、悪循環から抜け出して能力を伸ばしていくことができます。本人や周囲の人がADHDの特性を理解すれば、困りごとを回避し、対策していくことも十分に可能です。そのためにも、ADHDを疑ったら早めに専門機関に相談すると共に、早い時期に専門医の診断を受けましょう。専門家からのアドバイスを受けることで、保護者もわが子にもっと向き合いやすくなり、適切なサポートができるようになるはずです。「ADHDかも」と思ったら、まずは身近な専門機関へただ、いきなり専門医を探して受診するのはハードルが高い、と感じる人も多いでしょう。そこでおすすめなのが、身近な専門機関の無料相談窓口を利用することです。相談できる専門機関をチェック!□保健センター□子育て支援センター□児童相談所□発達障害者支援センター□児童発達支援センター□児童発達支援事業所地域の保健センターや子育て支援センターなどは、これまでも健診などで利用したことがあるという方も多いでしょう。自宅近くの専門機関なら、気軽に訪れることができますね。また、かかりつけの小児科や、乳幼児健診の際に相談することもできます。専門機関ではどんな相談ができる?児童相談所、発達障害者支援センター、児童発達支援センター、児童発達支援事業所は、初めて利用するという方も多いでしょう。簡単にそれぞれの施設の特徴を見ていきましょう。0〜17歳の児童を対象として、保健相談・発達障害などの心身障害相談を行う施設です。必要に応じて発達検査を受けることもできます。また、医師や児童福祉司、保健師、児童心理司、言語聴覚士などの支援や療育を受けたり、アドバイスをもらうこともできます。療育手帳の申請受付、判定、発行を行うのも児童相談所の役割です。発達障害者支援センターは、発達障害児への支援を行う専門的機関です。ADHDをはじめとした発達障害のある子どもとその家族に対して、日常生活や家庭でのサポートなど、さまざまな相談に応じてくれます。直接相談を行っていない場合も、お住まいの地域の保健、医療、福祉、教育などの関係機関への紹介、福祉制度やその利用方法も教えてくれます。児童発達支援センター、児童発達支援事業所は、どちらも主に小学校就学前の6歳までの障害のある子どもが通い、支援を受けるための施設です。日常生活の自立支援や機能訓練を行ったり、保育園や幼稚園のように遊びや学びの場を提供したりと、障害児の支援を専門に行っています。発達や子育てに関する相談にも乗ってもらえます。発達障害についてはもちろん、子育てについても相談できる専門家は、ADHDのある子どもを育てる親にとって頼りになる存在。困ったことや不安なことがあれば、親子で抱え込まずに相談しましょう。
2021年08月21日私には現在小学3年生の長男がいるのですが、発達障害であるADHD(注意欠陥・多動性障害)の診断が下りたのは小学校2年生のときでした。さらに3年生になった今年、自閉症スペクトラムの診断が下りたのです。私は、小学生になるまで長男の障害を見つけてあげられなかったことを後悔。乳幼児健診のとき、こうしておけばよかった! と思ったことをお話しします。 1歳半健診では育てにくさを伝えられずハイハイをし始めたころから活発な長男でしたが、1歳になるころには多動が目立ち始めていました。他の子とちょっと違うなと感じつつも、気にするほどでもないと思う中で、1歳半健診の日を迎えました。 1歳半健診の質問項目に「育てにくさを感じますか?」とあったのを見て、一瞬戸惑う私……。買い物先や支援センターでよく脱走し、かんしゃくがひどいことに悩んでいたからです。 しかし育てにくいレベルに入るのかわからず、悩みながらも「いいえ」にマルをしたのです。このとき「はい」または「わからない」にマルをしていれば、支援に繋がったのかなと思います。 3歳児健診でも育てにくさを伝えられず!その後長女が生まれ、育児に奮闘しているうちに年月が経ち、長男の3歳児健診の日を迎えました。3歳になるころにはお喋りもじょうずになり、手先も器用になってきていた長男。一方で相変わらずかんしゃくが酷く、2歳下の妹を叩いてしまうこともしばしば……。 しかし私は3歳児健診での問診票でも、「育てにくいですか」の質問に悩み、「いいえ」にマルを付けてしまったのです。さらにあらかじめ相談内容を固めていなかったため、悩みをどう伝えたらいいのかわからず健診は終了。私はまたもや悩みを伝えられないまま、健診をスルーしてしまったのです。 次男のおかげで保健師さんに相談でき…3歳児健診を過ぎると、市の乳幼児健診の場はありません。仕事が忙しくなったこともあり、日々の家事、育児をこなすだけで精一杯の私……。そして長男が小学校に入るころ、転機が訪れました。わが家に次男が生まれたのです。 育てやすい次男ですが体が小さく、4カ月健診で経過観察となってしまいました。おかげで市の保健センターから、よく電話がかかってくるようになりました。長男のかんしゃくに悩んでいた私は、すがるように保健師さんに相談することに! すぐに専門的な相談施設を紹介され、小学2年生になったころにADHDの診断が、さらに1年後に自閉症スペクトラムの診断が下りました。 長男の幼児期を振り返ると、後悔するのはやはり乳幼児健診で悩みを伝えられなかったことです。伝えるべきか迷う程度の悩みでも、困っているなら相談するべきだと思いました。今では主治医や臨床心理士さんに相談しています。次男が3歳児健診を迎えるときには事前に悩みをリストアップし、細かく相談したいと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/みいの著者:河津明香2男1女の母。旅行代理店勤務をしながらの育児を経て、フリーランスのライターへ転身。現在は発達障害の長男のサポートをおこないながら、旅行・育児・生活雑貨などの記事を中心に執筆。
2021年08月17日怖がりのADHD息子。今夜も心霊番組で眠れない!Upload By かなしろにゃんこ。ADHDと広汎性発達障害がある息子リュウ太は怖い話が大好きです。夏になると放送される心霊番組は必ず食い入るように見ています。心霊番組が好きなのかと思いきや…実際はノミの心臓か!というくらい臆病で、視聴中には私に寄り添ってきて「お母さん側にいて」と腕を組み、ドキドキしながら見ているんです。毛布を持ってきて、それにくるまりながら見ることもあります。Upload By かなしろにゃんこ。怖がっていても目は画面にくぎ付けで…私はと言うと、息子がくっついているからかすごく暑い!案の定、そのあとは物音にいちいち怯えて震えたり、もちろんトイレは一人で行けません。「お母さん、ぼくがトイレから出るまで見ていてね」と言う息子。「一緒にいればいいんでしょ?」と言うと「そうじゃないんだ、僕がトイレでお化けに襲われないように僕を見てて!」と言うんです。(お化けなんて現れないから大丈夫だっつーの!)と思うのですが、息子は心霊番組に影響されてしまって想像してしまうんでしょうか?「壁からお化け出てくるかもしれないから」と訴えかけてきます。(出てこないから心配すんな!)と思いますけど、本人は怖い気持ちの中で必死にトイレに入っているようです。Upload By かなしろにゃんこ。そうなると、もうお風呂も一人で入れなくなります。「ぼくがお風呂に入るのを見ていて」と先ほどと同じことを言ってドア開けて入ります。風呂場の湿気がガンガン居間に入ってくるので、とても困ります。大迷惑です(笑)最終的に怖くて眠れなくなるので電気を点けたまま寝ます。(TVに出てきた恐ろしい話が自分にも起こったらどうしよう…)と考えてしまって、なかなか眠れないと言います。Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。成長した息子の当時の心境を聞いてみたら…?そこまで生活に困り感が出るくらいならば見なければいいのに?と思うのですが、イヤだと思いながらも興味が勝ってしまいやめられないのだそうです。発達障害のある子は感覚の過敏や思考の偏りから「お化けや幽霊を怖がる子が多い」と聞きますが、これも特性からくるものなのでしょうか?大きくなった息子にその心境を聞いてみたところ「スゴイ刺激が欲しいときもあるんだよ。不安になる気持ちとワクワクするような好奇心が混ざった複雑な…ザワザワした感じを楽しむというか。本物の幽霊を見てしまうような霊感が全くないから余計に『見ちゃったらどうしよう…』と想像して不安定な気持ちになるけれど、完全な恐怖感という訳でもない。不安定になりたいときが自分の中にあるっていうことかな?」と言っていました。Upload By かなしろにゃんこ。ほどほどでやめておけばいいのだろうけれど、ついついのめり込んでしまって夢中になってしまう。番組が終わっても自分のリアル現実世界で怖いことが起こるような気がしてしまう。心霊系だけはフィクションとして処理できない自分がいるようです。Upload By かなしろにゃんこ。母は心霊系が怖くないのでよく分かりませんが、要はドキドキする自分のアクションごと楽しんでいるということでしょうか?夏休み期間中は学校もないので嫌なことも少なく、精神的な調子が良いからそう思うのかしら?「でも怖い番組の影響で今も寝るときに真っ暗だと眠れないから、常夜灯を点けて寝ることにしている。怖い番組を見たあとのトイレは心を無にして素早く済ませ、スマホで楽しい動画を見ながら寝落ちすることにしている」と自分で恐怖心を克服して眠る工夫ができるようになったのは良いとして、大人になったのだからいい加減心霊系に慣れなさいよ!と思っています(笑)執筆/かなしろにゃんこ。(監修:初川先生より)怖くてドキドキするのも度を越えなければ楽しいことですね。ただ、年齢が幼いうちは、事実と作り物の区別がつかなかったり、発達的な特性がある場合は一度そういった番組にフォーカスしてしまうと途中で興味関心を自分でそらすことが得意ではなかったり、怖い状況に合致する情報(例 何気ない物音をお化けの音ととらえる)を多く取り込みがちであったりします。結果として自分でも想像以上に怖い思いをしてしまうことがあるのでしょう。見終わったときの気持ちや行動の変化を一緒に振り返って、それでも見たいか、それとも今はやめておく(もっと大きくなってからにする)など、親子で話し合ってみてもいいかもしれませんね。
2021年08月14日Upload By スガカズ私、スガカズは、現在4人の子どもを育てているママです。・長男(中2 ASD、ADHD)・次男(小5 ADHD)・長女(年長 定型発達)・三男(年中、定型発達)医療と教育の連携問題。次男のときどうすれば良かった?Upload By スガカズわが家のADHDのある次男は小学1年生のとき、親と学校側との連携がうまくいかなかった経験があります。通常学級に在籍していたのですが、次男自身も、先生と意思の疎通がうまくいかずにもどかしい思いをしたことが、たびたびありました。また、クラスには次男のほかにも発達凸凹があるお子さんが複数いたこともあり、ケンカなどのトラブルが絶えませんでした。特性も少しずつ落ち着いてきた現在、改めて当時を振り返ると「医師と担任と私とで直接情報共有やアドバイスができる場を作れたらよかったのかも…?」「でも、そもそもどうアプローチすればよかったの?」そんな疑問が出てきたので、今回三木先生に「医療と教育の連携」について質問をしました。スガカズ(以下、――)次男が小学校1年生の頃、学校でのトラブルが多く悩んでいました。もう少し学校との連携がうまくいっていたらよかったのではないかと思うのですが、医師と教育者(担任、スクールカウンセラー、特別支援コーディネーターなど)が直接話をする場を設けることは可能なのでしょうか?発達障害のある子を育てるにあたって、医療と教育での直接連携ができれば学校側により正しい理解を得られるのではないか…と。私は当時の雰囲気から「連携は難しいだろうな…」と勝手に判断していたのですが、三木先生が監修されているコミック『リエゾン~こころの診療所〜』の1巻で、医療と教育が連携しているシーンが登場したのに驚いて…。三木先生:私の働くクリニックでは、学校に出向いてケース会議を行うことはしていませんが、患者さんの在籍する学校関係者が、患者さんとご家族と一緒に診療の際に同席されることがありますよ。主に自傷、他害、脱走など、重要度の高いお子さんです。――なるほど…。現在小5(ADHD)の次男が小学校に入学したときはお友だち関係でのトラブルも多く、クラスにも迷惑をかけていると感じていたので…どのあたりまでが「重要度が高い」とされるのでしょうか。三木先生:どんな状況だったのしょうか?なかなか発達障害についての理解が得られにくく…Upload By スガカズ――次男については、もともと就学前健診の際に「ADHDの可能性が高い」と学校側に特性を伝えていました。実際入学してみると次男と同じクラスに、あるクラスメートが2人いました。1人は境界領域知能のお子さん、もう1人はわが家と同様に、就学前健診で発達障害があると伝えていた家庭のお子さんで、結果的に発達障害のある子が通常学級に3人いるという環境でした。次男を含めたこの3人はいつも一緒に行動をしていたようです。一緒なのはいいのですが、ケンカも頻繁に起こるため、授業が中断したり、集団行動がとれなくて3人で授業を抜け出したりと、日常的に困ってしまう状況が起きていました。校長先生や担任の先生を交えて話し合いなどもし、「健診で次男の発達の凸凹について伝えていたと思っていたのですが、クラス分けに配慮などはなかったのでしょうか」と質問をしました。担任の先生は初耳だったようで、私は『クラス配置は障害について考慮されていなかった』ようだと感じました。三木先生:それは確かに学校も大変かもしれませんね。――はい、先生方も大変だったと思います。当時の担任の先生は子どもとの関わりなど並々ならぬ努力をされたと感じてはいるのですが…。先生も困っていた様子は伺えましたし、私たち親へ提案をしたり、投薬などを勧めてくれたり、いろいろとできることを模索しているのはわかりました。それでも私たち親との知識の差を感じてしまい…。三木先生:通常学級の先生の障害への知識は、ほか(特別支援学校など)と比べると不足しているのは仕方のないことです。投薬ですべてが解決するわけでもないですしね。もちろん投薬することで特性が穏やかになり問題が解決することもありますが、現場の根本的解決には環境調整が重要ですからね。――そうなんです。なので、「あのとき医療と教育の連携をできていたのなら、先生方も正しい知識や理解を得られたのかもな」「私を含む三人の子どもの保護者も、あそこまで気に病まずに済んだのかもな」と感じています。学校と先生に相談したい場合、どうアプローチすればよい?Upload By スガカズ三木先生:保護者側の目的を明確にした上での提案はしていっても全然OK!先ほど話しましたが、連携するパターンとしては、診療時間に担任の先生が同席をして話をすることが多いです。プレーヤーの種類は、担任、スクールカウンセラー、養護教諭、学年主任、特別支援コーディネーターがあり得ます。気合いの入ったところだと、副校長なんかも来院されることがありましたよ。「学校がどれくらい困っているか」によって人数も種類も違ってきます。――なるほど。次男のようなケースだと、かなり関わっていただいた担任、特別支援コーディネーターあたりかな…。三木先生:学校は基本的に「医療とつながりたい」と思っています。その中で「直接つながりたい!」というニーズがどれくらいあるか見極めて、ニーズを引き出す声かけが重要なのかなと。情報共有をしたいのか?アドバイスがほしいのか?など、クリアにしてから医師に提案してみるといいと思います。提案される側が気まずい状況にならないために、提案する側は明るくふるまってみてはいかがでしょうか。もし事情があって提案が断られても、受け流すくらいの軽い気持ちでいましょう。そうすると別の支援が必要になった際にも提案がしやすいですし、断った側も身構えない状況がつくれますよ。――確かに軽い気持ちでいた方が今後のためにもよさそうですね。それと、うちの次男の場合だとクラスに発達障害のある子が3人いたし、わが家が断られたとしてもAくんBくんの主治医にも相談することで、さらっと提案してはいるけど熱い気持ちが伝わったのかもしれません。4年前の私にアドバイスしてあげたいです…!感想担任の先生とは1年限りの付き合いですが、子どもは小中学校に在籍しているので、保護者と学校の関係は続きますね。できれば学校とは足並みを揃えていきたいものです。「とは言っても、先生も忙しいから時間をとってもらうことは迷惑になるかも…」と遠慮してしまいましたが、学校の先生ももしかすると同じ気持ちを抱いている場合もあるのかも…。よりよい支援のためと理解してもらうためなら、結果がどうであれ、勇気を出すことでこの先の関わりに活きていくかもしれません。次男が中学校にあがった際の参考になりました。執筆/スガカズ
2021年08月09日ADHDの症状は2歳ごろからUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンADHDは先天性の発達障害です。学習や対人関係、社会生活に困難を抱えることが多いため、ある程度成長するまではなかなか障害に気づきにくいのも特徴のひとつです。ADHDと診断された人たちの中には、乳児期にも「なかなか寝付かない」「寝返りが多く、落ち着きがない」「抱っこされることを嫌がる」などの傾向があった、と振り返る声も。ただ、このような行動は定型発達の赤ちゃんにも見られるもので、一概にADHDと結びつけることはできません。ADHDの特性がはっきりしてくるのは、早くても2歳ごろからです。「じっとしていられない」「かんしゃくを起こすことが多い」「ものを壊したり、乱暴な遊びを好む」などの様子から、専門機関に相談したり、医療機関を受診して気づくケースが多いようです。また、3歳児健診のときにADHDの疑いがあるということで、フォロー対象になることもあります。2~3歳の時期に多く見られる特徴は、多動性や衝動性であると報告されています。落ち着いて座っているのが苦手、電車やバス、公共の場など、静かにするべき場所でも騒いでしまうなど、多動性の特徴は親にとってもヒヤヒヤするもの。周囲の視線が突き刺さり、肩身の狭い思いに苦しんだ経験を持つ方も少なくないでしょう。ADHDと診断されるのは7歳ごろからが多いADHDの特性がよりはっきりとあらわれるのは、幼稚園〜小学校に入学する7歳ごろです。ADHDの診断を受けた時期も、就学前の7歳ごろからが多いと言われています。低年齢のころは「ADHDの疑い」として確定診断をせずに、慎重に診断・検査を行う医療機関もあります。また、大人になってからADHDと診断される人もいます。ちょっと変わった子、問題児として扱われ、本人の性格の問題として見過ごされてきたものの、社会に出てから仕事や対人関係で困難を抱え、受診に至ることも多いようです。最近ではADHD(注意欠如・多動性障害)という名称が広がり、発達障害への認識が広まってきたことから、子ども時代に診断を受ける方も増えているといえるでしょう。ADHDの主な症状は?チェックリストで確認!ADHDのある人によく見られる困りごとの一部を紹介します。ADHDの症状は「不注意」「多動性」「衝動性」の3つですが、これらの症状は関係しあったり、重なったりしている場合も少なくありません。Upload By 発達障害のキホン年齢や環境によっても現れる特性や困りごとは異なります。また、ADHDの特性があるからといって、必ずしも生きづらさや困難を抱えるとも限りません。ただ、もし上記のリストの特性や困りごとに当てはまるものが多く、長期にわたって日常生活や学校生活に支障が出ている場合は、相談機関に相談をしてみるのがよいでしょう。思春期になるとADHDの特性による多動は減少傾向思春期になると、授業中にふらふらと立ち歩いたり、会話の流れを無視して突然周りの人に話しかけたりといった、幼児期や小学生時代に目立っていた行動は落ち着いてくることが多いようです。その一方で、発達障害のある子どもは、思春期に入ると劣等感を抱きやすい、という傾向も報告されています。中学、高校では校則や定期テスト、部活動、さまざまな行事など、規律を守って集団行動をする場面が増えていきます。また、第二次性徴をきっかけに、他者との違いも意識し始める時期です。思春期特有の悩みに寄り添いながら、自分自身の得意なところにも目を向けることができるように、サポートしていくことが大切です。
2021年08月07日発達障害のある息子にキャンプを体験させたいと思い…Upload By かなしろにゃんこ。ADHDと広汎性発達障害がある息子リュウ太、小4の夏休みのことです。その春にリュウ太が発達障害の診断を受けてから、私は発達障害に関する本を読んだり、インターネットで発達障害がある子の情報を調べたりしていました。その中で発達障害や身体の障害がある子がボランティアの人と過ごすキャンプがあることを知りました。2泊3日と短い期間だったので、周りの人とうまく付き合うことが苦手なリュウ太もギリギリ参加できるかな~?と思い、私はリュウ太をそのキャンプに行かせたくなりました。Upload By かなしろにゃんこ。「フィールドワークをしたり、川遊びをしたり、知らない子同士でも楽しめるのではないかな?」「仲間と協力してできるワークなどがあるんじゃないかな?」と一人考えてはワクワクしていました。参加させる気満々でリュウ太に「夏休みだからキャンプ行かない!?」と伝えると…「お母さんが行かないなら行きたくない、それに山に興味ないな~」と答えが返ってきました。息子は人見知りがなく、自分が好きな電車や車のイベントでは遠くまで一人で出かけられる行動力もあったので、参加を期待していたのですが…母親から離れて一人で泊まりに行く勇気はないとのこと…トホホ。夏休みに家族でハイキングへ!夏休み中、行くところは市民プールとショッピングモールのオモチャ屋ぐらいです。コンクリートに囲まれた場所じゃ感じられない空気や感触を知って欲しい!自然の中でいろいろな体験をさせてあげたい気持ちがむくむく湧いてきました。リュウ太が山に興味がなくても連れていってしまえば、それなりに良い刺激になるんじゃないかしら?と思い、長野県の上高地に家族でハイキングに行くことにしました。Upload By かなしろにゃんこ。上高地という場所は自然保護のためにマイカー規制があり、山の中に入るための専用のバスがあります。そのバスに乗ってご機嫌な息子。このあと、生まれてから歩いたことがないくらいの長い距離を歩くことになるとは知らず…。しかし、普段から怠惰で面倒くさいことが大キライ、疲れることが苦手で長距離を歩くことがないリュウ太も上高地の美しい池や湿地、山々が新鮮だったようで「こんなところがあるんだね」と感動してくれました。土や河原、木の遊歩道を歩き川の流れの音を聞いて川の水を触り楽しそうにして順調に歩いていたので、ハイキングコースの折り返し地点・目的地にすぐ到着しました。夫の提案に「息子がついていけるのか!?」と不安になり…Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。夫が「ここから少し歩くけど、さらに奥のほうに歩くと美味しいイワナの塩焼きが食べられるポイントがあるから行こうか!」と誘います。イヤなことからすぐに逃げるし、体力のペース配分ができないのでくじけやすいリュウ太を、私はそんなに頑張れないと思っていたので、折り返し地点からバスに乗って帰ろうと提案しました。しかしリュウ太は調子が良かったのか「イワナ食べたい!」と歩く気満々になっていました。夫が言う「少し歩くと」は嘘で、実際は歩いてきた3キロメートルの距離と同じ距離を歩かなければなりませんでした。途中でぐずられたら最悪だな~…リュウ太のぐずりは、グチが止まらず無気力になってわめきはじめる超一流のぐずりです。疲れて歩かなくなる10歳の息子を背負って歩くようになるのかな?と最悪の結果を考えて、私はイヤな気持ちになっていましたが、心配をよそにハイキングコースをどんどん歩いてイワナの塩焼きポイントに到着してしまいました。Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。たくさん歩いたからお腹もすいていたからでしょうか、竹串のイワナにかぶりついて「塩焼きのイワナ美味しい!もう1匹食べたい」と満足そうでした。いつも魚を全部食べないリュウ太ですが、イワナを2匹もたいらげて帰りのバスに乗るバス停までさらに3キロ歩き、その日は合計8キロメートルも歩きました。リュウ太にしてみたら上出来を超えての『奇跡』でした。おんぶして帰ることを想定していたので帰りのバスターミナルまで到着したときは普段息子を褒めたりしない夫が「頑張ったな!よく歩いたな」と珍しく褒めていました。リュウ太には内緒ですが、正直お母さんはスタミナ切れでバテバテで「もう歩きたくない」と心の中で悲鳴(泣)Upload By かなしろにゃんこ。大成功のハイキング。当時の気持ちを息子に聞いてみたUpload By かなしろにゃんこ。リュウ太はお父さんに褒めてもらったことが嬉しかったようです。ハイキング大成功でした。そのときに撮影した写真です、まだ疲れる前のはしゃいでいる息子(10歳)でございます。このコラム原稿を書くために当時の気持ちを息子に聞いてみました。「たくさん歩いてキツかったけど、それよりもきれいな場所を歩いてイワナがうまかったり、楽しかったり、達成感あったよね」なんだそうです(笑)街中だったらきっと歩けない距離だったと思います。自然の中だとナゼか頑張れちゃうんだってリュウ太を通して私も学びました。そしてリュウ太は本当は頑張れる子だったんだ!と言うことにも気がついた母でした。(監修:三木先生より)自然に触れることとリュウ太くんが自分から「やりたい!」と思えることが重なった、素敵な体験でしたね。普段ならできなかったことができた経験が自信になると良いですね。そしてお母さんもお疲れ様でした(笑)
2021年07月31日ADHDってなに?Upload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンADHDは先天性の発達障害「人の話をじっと聞けない」「集中力が続かない」「気になることがあると、後先を考えずに行動してしまう」、こうした行動は、多くの子どもに見られるもの。まだ自分の気持ちを上手にコントロールすることができず、その場にそぐわない行動をとったり、大人から見るとわがままに見える振る舞いをしたりするのも、子ども時代にはよくあることですね。子どもたちはさまざまな経験を積み重ねるなかで、叱られたり、周囲の反応から学んだりしながら、少しずつ社会生活に適応していきます。ところが、ADHDがある子どもの場合は、毎日のように忘れ物をしたり、パッとほかのことに気を取られてしまったり、じっとしていることに苦痛を覚えたりといったことが続きます。本人が努力してもなかなか改善が難しいため、だんだんと集団生活に困難を感じたり、生きづらさを抱えたりするようになることも少なくありません。ADHD(注意欠如・多動性障害)とは、不注意(集中力がない)、多動性(じっとしていられない)、衝動性(考えずに行動してしまう)の3つの症状がみられる先天性の発達障害です。平成24年に文部科学省が行った調査によると、通常学級に在籍している児童生徒のうち、行動面で著しい困難を示す子は3.6%程度と言われています。これは、ADHDの診断がある子の数ではありませんが、通常学級の中に行動面の問題を持つお子さんが多くいることが伺えます。ADHDの3つの症状ADHDの具体的な特徴を見ていきましょう。1.不注意による症状・忘れ物が多い・何かやりかけでもそのままほったらかしにする・集中しづらい。ただ自分がやりたいことや興味のあることに対しては、集中しすぎて切り替えができない・片づけや整理整頓が苦手・注意が長続きせず、気が散りやすい・話を聞いていないように見える・忘れっぽく、物をなくしやすい2.多動性による症状・落ち着いてじっと座っていられない・そわそわして体が動いてしまう・過度なおしゃべり・公共の場など、静かにするべき場所で静かにできない3.衝動性による症状・順番が待てない・気にさわることがあると、乱暴になってしまうことがある・会話の流れを気にせず、思いついたらすぐに発言する・他の人の邪魔をしたり、さえぎって自分がやったりするADHDの3つのタイプとそれぞれの特徴ひとくちにADHDといっても、症状の出方は人によって異なります。不注意が強く出る人もいれば、多動性や衝動性が強い人もいます。診断の場では、ADHDは大きく3つのタイプに分けられます。また、性別によっても多いタイプが変わると言われています。1.多動性-衝動性優勢型多動と衝動の症状が強く出るタイプです。・授業中でも構わず歩き回ったり、体を動かしてしまったりするなど、落ち着いてじっと座っていることが苦手・ちょっとしたことでも大声をあげたり、乱暴になったりしてしまう・思いついたことをすぐに口に出してしまうため、不適切な発言をしたり、自分の話ばかりしたりしてしまう全体的にみると「多動性-衝動性優勢型」の割合は少ないものの、男性(男の子)に多くあらわれることがわかっています。2.不注意優勢型不注意の症状が強く出ているタイプです。・気が散りやすく、物事に集中することが苦手・やりたいこと、好きなことに対してはとても集中して取り組むが、切り替えが苦手・忘れ物やなくし物が多い・片づけが苦手・ぼーっとしているように見えて、人の話を聞いているのか分からない忘れ物が多いのは、ADHDの子どもばかりとは限りません。とくに幼いころは、ADHDでなくても忘れ物をしたり、長時間の集中が苦手だったりする子どもも多いもの。そのため不注意優勢型のADHDは気づかれにくく、大人になってから診断されることもあります。このタイプは、女性(女の子)にあらわれることが多いと言われています。3.混合型多動と衝動、不注意の症状が混ざり合って、強く出ているタイプです。・多動性-衝動性優勢型と不注意優勢型のどちらの特徴も併せ持っていて、どれが強く出るかは人によって異なる・忘れ物やなくし物が多く、じっとしているのが苦手で落ち着きがない・ルールを守ることが苦手・順番を守らない、大声を出すなど衝動的に行動することがあるADHDの原因は脳の機能障害ADHDは生まれつきの脳の機能障害です。ただ、その症状が起こる確かな原因はまだはっきりと解明されていません。近年の研究から、ADHDは行動をコントロールしている神経系に機能異常があると考えられ、脳の前頭前野との関連が有力視されています。脳が働くためには、ドーパミンやノルアドレナリンといった神経伝達物質が必要です。しかしADHDの人の場合、神経伝達物質がうまく運ばれず、そのために「不注意」「多動」「衝動」の3つの特徴があらわれると考えられています。また、前頭前野の働きが弱いと、五感からの刺激を敏感に受け取りすぎてしまいます。感覚を過剰に感じるために、集中することや論理的に考えることを苦手としやすい、という説もあります。ADHDは親のしつけが原因ではない親の育て方やしつけが発達障害の原因である、と言われていたこともありますが、これは大きな誤解です。また、ADHDは外見からその特徴が分かりにくいため、本人の努力不足と決めつけられてしまうこともよくあります。周囲から理解されず、責められたり、非難されたりということが続けば、子どもの自己肯定感は下がるばかり。「ほかの子みたいにできないから自分はダメなんだ」と自信をなくしてしまったり、「また叱られちゃうかもしれない」と萎縮してしまったりすることも。こうした経験が重なると、ADHDの症状がより強くあらわれたり、うつや不安障害、不登校、ひきこもりなど、ほかの症状や問題行動が引き起こされたりすることもあります。これをADHDの「二次障害」と言います。一方で、「興味のあることをとことん追求できる」「行動力がある」など、ADHDの特性を生かして活躍している人もたくさんいます。ADHDの子どもたちが自分らしくのびのびと育っていくためには、本人はもちろん、周囲の人がADHDの特性を理解し、適切なサポートをすることが大切だといえるでしょう。
2021年07月31日情報が頭の中で書き変わる、集中している対象以外の情報が脳に届かないUpload By 発達ナビ編集部牟田暁子LITALICO発達ナビ編集長(以下――)小島さんはご自身にADHDの特性があると公にされていますが、ご自身の特性を感じるエピソードについて教えていただけますか。小島慶子さん(以下、小島):今日も、リアルの取材だってわかっていたのに、家で原稿を書いているうちに、オンライン取材だと頭の中で予定が書き変わっていたんです。昼過ぎにマネージャーから「15時から中目黒での取材、頑張ってくださいね」と連絡が入って、「あ!リアル取材だった!」と思い出してあわてて支度するという。スケジュール管理が難しくて、何重にもリマインダーを用意しておかないと、こんな風に情報が書き変わったり、抜け落ちたりするんです。――それは子どものころからですか。小島:そうです。なんで間に合わないんだろう、どうして勘違いしたんだろう、これは魔法?と思うくらい。情報がすぐ書き変わってしまうのはもしかしたら、ワーキングメモリーが弱いからかもしれません。そして、過集中になっているときには、集中している対象以外のことについて横から何か言われても、脳に届かない状態なんです。ただ、過集中のときも、私はどうやらリアクションは普通らしくて、何か言われると「わかりましたー!」と返事をしている。それで相手はこれで伝わったと思っているけれど、私の頭には入っていないという具合です。見たもの聞いたものが目と耳で止まっていて、脳まで届いていない感覚です。――今はスマホなどでさまざまなリマインダーがありますが、子ども時代や学生時代はどうされていましたか。小島:大事なことは紙に書いて壁に貼ったり手に書いたりしていましたけど、それでもうまくいかないこともありました。私が子どもだった1970年代から80年代当時、まだ発達障害はほとんど知られていなかったので、とにかく困った子どもだと思われていました。面白そうなことを見つけると、後先考えずにそっちに行ってしまったり、不用意な発言で友達を傷つけたり、場がシーンとなっちゃったり。いわゆる空気が読めない子どもだったから、いじめのターゲットになったこともありました。もちろん、いじめは発達障害の特性があったからというだけでなく、転校生だったことや背が高いことなど、複合的な要因によるものだと思いますが。そうした経験があって、「どうやら、思いついたことをそのまま言ってはいけないらしい」などと、うまくやっていくための工夫を、傷だらけになりながら学習してきました。「助けて」と言えない環境だった子ども時代――そんな小島さんは、家庭の中でどんなふうに育てられたのでしょうか。小島:私の親は1930年代生まれで、子育てしていたのは1960~90年代。発達障害のことなんて知られていないし、私みたいな子どもを育てるのはほんとに大変だったろうと思います。だけど、あとから思うと、子どもが発達障害であろうとなかろうと、「なんで普通にできないの?」と聞かれるのはかなり重たいことでした。私は、“わがままでひねくれていて、すぐご機嫌ななめになってしまう子ども”。母は、「どうして慶子はこんなに育てにくいのかしら」と悩んだのでしょう。よく「なんで普通にできないの」と言っていました。母も苦しかったでしょうし、両親を責めることはできませんが、適切な言葉がけではなかったと思います。子どもの私にしてみたら話を聞いてほしいのに、「ひねくれている」といわれて話を聞いてすらもらえなくて、ますます機嫌が悪くなるという悪循環でした。――「普通」って重い言葉ですよね。小島:今考えると、両親が「普通」と呼んだものは青い鳥みたいなものでした。多分、みんながニコニコ笑っていつも仲良く、何のトラブルもない家庭を「普通」とイメージしていたんだと思います。両親は東京の貧しい家庭に育ち、家族との関係でも苦労していました。戦争で空襲や疎開を経験し、戦後は日本の経済成長とともに、一歩一歩豊かになってきた人たちです。あんなに貧しかった自分たちが、マイカーやマイホームを手に入れることができたという喜びがあったのだと思います。だからこそ、ホームドラマに出てくるような絵になる素敵な家庭への憧れが強くあって、あの時代の集団幻想みたいなものを「普通」と呼んだのかもしれません。暗黒の中学時代、生まれ変わろうとした高校時代Upload 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発達ナビ編集部――中学校、高校時代は、どのように過ごしてこられましたか。小島:人間関係がうまくいかなかった中学3年間は、暗黒時代でした。自分も世界も全部消えればいいのにと思っていました。私が通っていたのは私立の中高一貫校で、当時はいわゆるバブル全盛期。とにかく周りのみんなが眩しく見えたんです。お金持ちのうえに、可愛くておしゃれで成績もよくて、あげくに性格もいい、そんな子たちが羨ましくて。授業中に前に座る友人のセーラー服の四角い襟をジーっと見つめて、じっとり鬱々としていました。「妬ましい…」って。でも、中学3年生になるころには妬むのに疲れちゃって。一貫校だったんですが、高校になったら校舎も移るし、「よし、生まれ変わろう」と決意しました。で、人に好かれる友人の会話をじっくり観察したんです。ほほう、このタイミングで笑うんだ、ここでそういうリアクションするんだ…と学習しました。高等科になって、学習したことを実践。まずは挑戦しやすそうな、“無口な人”になる。生来のおしゃべりである私にとっては新鮮な体験でした。とにかく黙る。誰かに話を振られるまでは口を開かない、ニコニコしてただ「おもしろーい」と言うだけ。たった1ヶ月、無口チャレンジをやったところで、「慶子ちゃん、おとなしいよね」なんて言われるようになったんです。中等科3年間の私のトンガリぶりを見ていたはずの同級生たちが、たった1ヶ月で私を「おとなしい子」だと信じてしまう。人はこんなに簡単に、評価を変えるものなのかと思いました。そこで次に、笑い方や発声、リアクションも変えてみました。古典芸能と同じ。「型」から入って、次第に自分のものになっていくのですね。あとから思うと、これは衝動性をコントロールするためのひとつの効果的な方法だったんじゃないかと思います。無口な人とかふわふわした人とか、どの型もうまくいくようになって、そうか、相手や状況によって使い分ければいいんだ!と学びました。1年が終わるころには、いちいち考えずに今と同じように普段の自分を出しても、トラブルが起きなくなって、友人たちに受け入れてもらえるようになりました。自分の特性をコントロールするコツをつかんだということかもしれません。働き始めて、自分と向き合う――働くようになってからはどうでしたか。困っていたことだけでなく、認めてもらった経験についても聞きたいです。小島:私が選んだアナウンサーという仕事は毎日が変化に富んでいて、単調な仕事が苦手な性分に合っていました。油断すると喋りすぎるという特性については、アナウンサーの研修や現場での失敗を経験して、過剰な部分を刈り込んでととのえて調整することができるようになりました。テレビやラジオの仕事は、自分がしゃべる姿や声を後で客観的に観察できるので、特性を把握するのにとても役立ちました。当時はスマホなんかないですから、自分の姿を画面で見る機会があるのは、せいぜいホームビデオくらい。テレビ画面で客観視することで改善すべき点がわかり、だんだん人への伝え方が洗練されていきました。勤めていたTBSには、テレビだけでなくラジオがあります。声だけのメディアでは、台本ナシでもとめどなくおしゃべりができるという、いわば過剰な部分がかえってプラスになりました。ラジオで「この人おもしろい」と認められて自信をつけるという経験をもとに、映像がある場合のしゃべり方、つまりテレビでは何を言葉で伝え、何を仕草や表情で伝えるといいのかを研究しました。最初は荒削りだし、面白いけど弾け過ぎとも言われましたが、それを大目に見てくれたりアドバイスしてくれたりする人がいました。放送局には極端な人がたくさんいましたし、それを面白がるおおらかな空気もありました。アナウンサーという仕事は、自分の特性をプラスに転化しやすい環境だったのですね。とても幸運だったと思います。――アナウンサーになろうと思ったのはいつごろですか。小島:大学1年生まではいわゆる“玉の輿”に乗るつもりでいたんです。でも、当時付き合っていた年上の彼氏にふられて大失恋しました。銀行に内定していた人だったんですが、気づいたら「どうしよう、次は商社の人かな、広告代理店かな」と相手の肩書きばかりを気にしている自分がいて、浅ましさにうんざりして。じゃあ、年収と社会的信用は、男の人に頼らず自分で手にしよう!と思ったんです。それなら思い切り純粋に恋ができると(笑)そこで、当時はまだ少なかった女性が男性と対等に働けるマスコミ業界、その中でも学科試験より実技試験重視のアナウンサー、という選択になりました。テレビに出るのは楽しそうでしたしね。いちばんの理由は経済的自立でしたが、子どものころから国語の音読が好きで、学芸会のナレーターをやったら楽しかったという理由もあります。目立ちたいけど主役は恥ずかしいという、屈折した自己顕示欲ですね(笑)自己嫌悪感の強さから病気を経験し、それが発達障害の診断を受けるきっかけに――そんなふうに活躍されていた小島さんが、発達障害の診断を受けようと思うまでのことを教えてください。小島:私は長い間、摂食障害という病気でした。親の過干渉がしんどくて15歳ごろから始まり、18歳の失恋で悪化。もともと自己肯定感が低かったのが、さらに自己嫌悪が強くなってしまった。一人でいるときは、つい自分のことを考えてしまうでしょう?それは嫌いな人とずっといるのと同じこと。それで、自分を忘れるために食べてしまう。食べていると無心になれたんです。過食で太り、これではアナウンサーの試験も受けられないと思って、今度は吐くようになった。過食嘔吐を繰り返しながら、アナウンサー試験を受け、就職後も食べ吐きしながらテレビに出ていました。給料は食費に消え、そんな自分に嫌気がさしてますます悪化。今思うとあれは、自分と折り合いがつかない生きづらさをやり過ごすための自傷行為でした。アナウンサーの仕事を選んだのには、実はもうひとつ理由があります。アナウンサーになって有名になって、たくさんの人に褒められるようになったら、自分のことを好きになれるかもしれないと思ったんです。見た目も性格も、自分で自分を好きになることは無理だけど、他人が好きになってくれたら認めてやることができるんじゃないかと。でも、人前に出れば出るほど自分がすり減っていくのです。仕事では、メンタルの渇きを癒すことはできませんでした。30歳で出産してからは、過食嘔吐している暇がなくなって摂食障害はおさまりました。でも、育児の過労や仕事復帰の不安、実家との関係、夫婦関係などが積み重なり、33歳で不安障害という病気を発症しました。そのときからお世話になっている精神科の主治医からは、摂食障害も不安障害も根っこにあるものは同じだと言われました。平たく言えば、生まれ持ったさまざまな特性に加えて、安心できる居場所がない中で育ったことが影響しているということでしょうか。人間は複雑な生き物ですよね。不安障害の症状がほぼ寛解してからも、折に触れて主治医のカウンセリングを受けていました。主治医は発達障害が専門でもあったことから、生育歴などを話すううちに「もしかしたら」と気付いてくださったんです。それで、最終的に41歳のときに診断を受けました。――周りの人にもオープンにしようと思ったのはどうしてですか。小島:家族やマネージャーには、初めから話していました。自身の障害についてエッセイで書いたのは、発達障害という言葉がなんだか雑に使われているなと感じたからです。発達障害という言葉が世の中に広まるにつれ、「うちの子のクラスに発達障害の子がいるんだけどね」と眉をひそめる人や、「うちの子がそうだったらどうしよう」と不吉なことのように恐れる人に出会うことが多くなり、かと思うと自己診断で、発達障害は天才の証拠!みたいにアピールする人もいて……。なんだか“雑”だなあと思ったのがきっかけです。発達障害の一つであるADHDにもいろいろな人がいる。私の場合はこうだけど、みんながみんな私みたいではない。10人いたら10人違う発達障害を、不吉なものとか天才とか極端な話で括らないでほしい、と。そうしたら、思いのほか反響が大きかったです。Upload By 発達ナビ編集部大人になって上手になった、助けを求めること――小島さんが、今のように強く生きられるようになったのは、どうしてでしょうか。小島:けっして強くはなっていないですよ。私は大嫌いな自分が許せなかったけれど、もうしょうがないと思うようになって、それで折り合いをつけたのです。嫌いな自分、すぐ死にたがる自分と友達になったというか……、ずっと二人三脚です。今も、ずいぶんいろんな人に頼って、話を聞いてもらっています。いちばん話を聞いてくれるのは夫。カウンセラーや友人、子どもたちもよく話を聞いてくれます。「今日さあ、どんよりしちゃって、元気ないんだ」とか「また時間を間違えちゃったんだよ」なんてこぼすと、励ましてくれます。大人になって、助けを求めることが上手になりました。不安障害になったときに、臨床心理士さんや精神科医の先生に恵まれて、たくさん助けてもらった経験から、つらいときには「頼れば誰かが助けてくれる」と学習したのです。頼っていいんだな、って。子どものころの方がつらかったですね。家族の中では、相談して弱みをさらして受け入れてもらうという関係は難しくて、根っこのところでは誰にも頼れなかったから。ネガティブ思考の沼に落ちたときときは、「こんな状況で思いっきり不幸な未来ばかりを思い描いているんですけど」と誰かに言ってみる、すると「それは認知がゆがんでいますよ」と返してくれる。そうかなあ、この人がそう思うだけかもしれないぞと思って、違う人にも相談してみると、「ちょっと妄想に振り回されてない?」と言われる。何人かから同じようなことを言われるうちに自分を俯瞰する視点を得て、沼から這い上がれる。こういうことの繰り返しです。――SOSを出せるのは大事なことですよね。小島:本当にそうですね、助けてと言えばちゃんと助けてくれる人っているんだ、という経験から学んだことです。もし今つながっている人が助けてくれなくても、ほかの人は信用できるかもしれない。一つずつは何気ない言葉でも、いろいろな人の言葉がだんだん集まって、自分を支えてくれることもある。一人のスーパー救世主に頼るのはその人に完全に依存することになってしまうので共倒れのリスクがあるけれど、気軽にちょっとずつ頼れる人をたくさんつくると、生きやすくなるのだそうです。「自立とは依存先を増やすこと」という言葉を、今悩んでいる人には伝えたいです。頼っていいんです。生身の人間でなくても、本や映画や音楽の中にも、ちょっとずつ自分を支えてくれる言葉は見つかるはずです。――子どもも「助けて」のサインを出せるようになることが大事かなと思います。小島:そうですね。息子たちには、「助けて」と言える技術を伝えてきました。親はいつも全力で子どもたちの力になりたいけれども、思春期の子どもなどは、親には言いたくないこともあるでしょう。だから、「つらいときはつらいと言っていいんだよ。私たちはいつでも力になるけど、もし親以外の人がいいときは、学校の先生でも友達の親でもいい、スクールカウンセラーや、この人だったらと思える信頼できる大人に、相談していいんだよ。お医者さんもいる。必要ならいつでもつなぐよ」と伝えてきました。――うちの息子はすぐに私を頼ってくるんですが、それは息子のいいところだったのかもしれないですね(笑)。私は恥ずかしくて親に頼ることはできなかったから、余計にそう思います。小島:素晴らしい!信頼されているんですね。安心して弱みを見せられる場所って、子どもにも大人にも必要ですよね。読者には、日本ではまだ発達障害に偏見があって心ないことを言う人もいるけれども、助けてくれる人もたくさんいるし、必ず助けてくれる人につながる方法がある、と伝えたいです。お子さんに「困っていることはない?助けてほしいときはいつでも言ってね。一緒に考えて、頼れる仲間を探してあげるからね」と常日頃から声をかけるだけでもいいと思います。もし、今タイムマシンがあったら、子どものころの自分のそばに行って「私でよければ話を聞くよ」って言ってあげたいですね。Upload By 発達ナビ編集部取材・文/関川香織撮影/鈴木江実子(注釈)摂食障害や不安障害は、発達障害のある人は併存のリスクは高いですが、発達障害がすべての原因ではありません。(監修:井上雅彦先生鳥取大学 大学院 医学系研究科 臨床心理学講座 教授)
2021年07月30日Upload By スガカズスガカズ現在4人の子どもを育てているママです。・長男(中2 ASD、ADHD)・次男(小5 ADHD)・長女(年長 定型発達)・三男(年中、定型発達)障害のある子に手がかかることできょうだい児がガマンしすぎていないか?精神面のフォローはどうすればいい?Upload By スガカズスガカズ(以下、――)障害のある子にどうしても手がかかることで、きょうだい児に、例えば注意散漫や自己肯定感の低下など、発達障害に似た症状に陥る事例があると聞いています。親としてそういったことは心配です。実際子育てをする上できょうだい児にガマンさせているだろうという場面が多々あるので…三木先生:どんな場面で、心配だと感じますか。――例えばわが家の場合だと、3番目の子(年長・長女)です。長女は家では口が達者なので上の子たち(障害児)に対して指摘する場面をよく見ます。保育園では下の学年の子たちのお世話を率先して行っているようです。例えば、乳児クラスのお友達の子に靴をはかせてあげていたり。私はそんな様子の長女に感心しましたが、一方で、この子は本来世話好きな性格と言う訳ではなく、普段の生活で『私が頑張らないと』と潜在的に思って無理しているのではないか…と、心配にもなります。三木先生:長女さんだけの時間をとって、タスクオフにするとどう振る舞うのか見てみるのは大事かもしれないですね。それで本当に無理させていないかの温度感を見てみましょう。タスクオフにしてあまりにはしゃぎすぎていると確かに心配ですが、タスクオフでもお世話をするようなら、もともとお世話することが好きだと考えてもいいのではないでしょうか。――ときどき2人の時間をとっています。タスクオフにしてもお世話するタイプです。三木先生:であれば長女さんにとって、お世話をしたり他人に気を遣うことが自然なのかもしれないですね。年齢的に考えても誰かのお世話をしたがる時期でもあります。行動の是非を評価するのではなくて、彼女がしたくてやっていることを認めてあげる、というイメージです。Upload By スガカズきょうだい児を育てる上で親がとる姿勢Upload By スガカズ三木先生:きょうだい児に対しても障害のある子と同様に、普段『この子大丈夫かな?』と思う目線は大事です。子育てでトラブルをゼロにすることは不可能です。トラブルの兆候を早めにキャッチできると早めに対応しやすいので、大きなトラブルにつながりにくいと思います。――ちょっとしたトラブルが起こると、『きょうだい児だからなのか?発達障害の素質があるのか?』と、考えながら毎日子育てしています。発達障害のある子が2人いる時点で『この子は大丈夫だ』とは、まずならないので…三木先生:発達障害の特性があるとしてもどれくらい強く出るかは子どもの環境が影響しますが、長女さんの場合は『そうなのかもな』と頭の隅に置いておくくらいで大丈夫ですよ。スガカズさんはしっかりとお子さんを見ているように感じますので安心して子育てしてもらって大丈夫だと思います。親が頑張りすぎないことが大事Upload By スガカズ三木先生:とはいえ…あまり子どもたちに気を遣いすぎるとお母さんも疲れませんか。――そうですね。ときどき疲れがたまって『もうお母さん今日は何もしません!』という日もあります(笑)三木先生:その方がよいです。頑張りすぎていることに気がつかないで、ある日突然倒れるよりも、自分でオンオフを切り替えられる方が大崩れしにくいです。無理だと感じたら遠慮なく楽をしてください。そんな姿を親が見せることで、頑張り過ぎるタイプの子どもにも『力をぬいてもいいんだ』と理解してもらえるんですよ。Upload By スガカズ障害のある子を育てているお母さんは、きょうだい児に対して「この子の精神面は大丈夫なのだろうか?」「もしかしてこの子も発達障害があるのかも?」など、ふとしたときに心配する経験も多いのではないでしょうか。三木先生は、そんな親の気もちを理解し、ねぎらった上でアドバイスしてくださったので、私自身、目を光らせたり、時には楽をすることは悪いことではないのだと再確認できましたし、きょうだい児との向き合い方も明確になった気がします。
2021年07月26日Upload By スガカズスガカズ現在4人の子どもを育てているママです。・長男(中2 ASD、ADHD)・次男(小5 ADHD)・長女(年長 定型発達)・三男(年中、定型発達)定型発達の下の子たちにとって発達障害の上の子たちが良くないお手本に…これって誤学習?解決方法は?Upload By スガカズスガカズ(以下、――):日々障害児と定型児を育てていく中で、「これって誤学習なのでは?」と感じる場面がよくあります。例えば、食事の時間だと、ADHDのある次男は食事に集中できずに遊び始める場面が頻繁にあります。偏食や注意散漫からその日によってごはんの進みが全く違います。下の子たちにとっては次男がお手本となっているようで、同じように立ち歩いて遊び始めるなどで食事に時間がかかってしまいます。Upload By スガカズ三木先生:次男さんに対して黙認状態ではなく、「これは良いこれは悪い」と提示はできていますか。――はい。毎回口酸っぱく伝えています。例えばそれぞれの子のマークを作って机に貼り、「ここがあなたの席だよ。食事中はここで食べようね」「ごはんは30分で終わりだよ」「食事中は遊ばないよ」と伝えていて、下の子たちは「わかった」と返事をします。次男も理解はできています…ですが、結局遊びだすことが多く、30分で終わりません。簡潔に「30分過ぎたから片づけるね」と言うと次男は納得するんですが下の子たちは「食べたい!」と言って泣きだすし…仕方なく「10分だけだよ」と言って延長しますがその繰り返しで多くて1時間かかる日も…。さらに、上の子たち(障害児)のこだわりは『食卓におもちゃをもっていくこと』…。それを奪うと逆に集中できなかったり言い合いに発展するので、結果落ち着いて食事をする環境を作れていません。三木先生:つまり実際のところ、「時間は守らなくてもいい」と言うような形になってしまっているんですね。――そうですね…三木先生:うーん…まぁ、現状難しいと思います。だって好ましくない見本が目の前にあるわけですから。上の子と下の子の食事の時間をずらすなどの対応もあると思いますが、そうすると別の問題(母親のタスクが増える)が出てきますからね。「できる」「わかる」どちらを優先したらいい?Upload By スガカズ三木先生:ADHDのある次男くんのように、高学年だったらもう理解と自制がある程度伴なっているので、食べなければ片づければいいと思いますが、下のお子さんたちはまだ幼く、行動が伴わない年齢なので、難しいですね。この年の子(未就学〜低学年)は、『できる』より『わかる』を大事にした方がいいです。もちろん「なんだかよく分からないけどやる→褒められる→行動が定着」と言った『できる』を優先して成功するルートもあります。でも今のこの場合でしたら大事なのは『枠の提示』ですね。――『できる』より『わかる』ですか…『わかる』はできていそうなのですが、実際子育てする上で『できる』に目がいきがちです。三木先生:できることを求めだすと毎日がげんなりして過ごすことになるので、そこは一旦3~5年後くらいに「ごはんって、ちゃんと座って食べるよね」と運用実行できることにゴールを置いた方が現実的じゃないでしょうか。メッセージ(枠の提示)とできるは即イコールにならないことが多いです。今は60~90分など長時間になってないだけ一旦OKとしてあげていいと思います。逆に年中さん年長さんでちゃんとできていると心配だなと。下のお子さんたちは充分がんばっているんじゃないでしょうかね。――確かに…生活する上で、きょうだい2人とも『がんばっているな』と感じる場面も多いです。3番目の子(長女 年長)は、特にがんばり屋さんな面もあります。誤学習の確認方法は?今回は食事中でのできごとでの悩みについてお話しましたが、「これって誤学習じゃない?」と感じる機会がとても多いわが家…。誤学習かどうかの確認についても三木先生からアドバイスをいただけました。Upload By スガカズ三木先生:誤学習の心配については、下2人が「お兄ちゃんだってぐだぐだしてるじゃん」と心底思っているか聞いてみても良いかもしれないですね。――「お兄ちゃんずるい」「ボクも!」「私も!」と言う機会はよく目にします。三木先生:それが理念ベースで言っているのかエクスキューズ(言い訳)から言っているのかの違いがわかればいいですね。うらやましさから言ってるのであれば、「うらやましいのはわかるよ。でも本当はわかってるよね?」でOKです。外でできることは基本的に「できる」とみなしてOKです。――それでいうとエクスキューズ(言い訳)なのかもしれません。保育園では座って給食を食べているのに、家では違っているので、オンオフを切り換えていそうです…。三木先生:であれば、状況理解と自覚が整えばできるということですね。家で食事に時間がかかったとしても多少目をつむってあげてもいいと思います。感想きょうだい児の誤学習を心配していた私。現実問題上の子と下の子を育てる上で誤学習に繋がりそうな機会はとても多いです。ですが、そんな中でもきょうだい児たちはがんばっていると再確認…。親が心配する気もちが、「誤学習にならないようにしないと…」「物事の良し悪しを正しく理解してもらわないと…」と、肩に力が入っていたのでしょう。短期的に解決させる問題ではないので、「『今できなくても仕方ない』と割り切る」「枠の提示はくずさない」「緊急性がないものに関しては3~5年後をゴールに置く」ことを大事にしようと思いました。
2021年07月22日ひどいゲリラ豪雨に遭遇、恐怖を感じてしまうほどの降水に襲われた初めての体験Upload By かなしろにゃんこ。ADHDと広汎性発達障害がある息子が小学校4年生のときにひどいゲリラ豪雨に見舞われたときの話です。それは突然の雨、恐怖を感じてしまうほどの降水に襲われた初めての体験でした。夏休みのある日、息子リュウ太と自転車で買い物に行ったときのことです。朝から空にはもくもくと発生した大きな雲、昼には気温が夏日を優に超えた蒸し暑い日でした。私は運動不足を解消したくて自転車を押しながら歩いていました。しかし息子は目的地に向かう途中で早く行きたくて「お母さんボクは先に行くから」と私を置いて自転車で走っていってしまいました。Upload By かなしろにゃんこ。先に行くとしか言わずにいなくなる息子。その日はいつも息子と行っているショッピングモールではなく電車に乗って別の店に買い物に行く予定だったので「今日は◯◯百貨店に行くからね」と伝えていたのですが、私の話を聞いていなかったようで…目的地と反対方面に走っていってしまいました。小さいころから「お母さんの側にいてね」と伝えても聞いていないことが多く、目を離すといなくなり、自分が興味のあるオモチャ屋に勝手に行ってしまうような子でした。息子とはぐれてしまうことはよくあることで、私が息子をオモチャ屋に迎えに行って再会するしかないのです。この日も、「やれやれ、また人の話を聞かずに自分の思い込みだけで行動しているな~。あとを追いかけて今日はそっちのお店じゃないのよ―――と教えなくちゃ」と、のん気に思って自転車を走らせようとしたとき雨がポツポツ降ってきました。Upload By かなしろにゃんこ。それは息子とはぐれたわずか1分後でした。「あらやだ雨!早く息子が走っていったあとを追いかけなくちゃ!」と自転車に乗った瞬間バケツをひっくり返したみたいな大雨が降ってきたのです。空を見てみると、わたしたち親子の上で異常な雲が発生していたのでした。雨はどんどん強くなってきて体に打ち付ける雨が肩や頭にあたって痛く、周りが真っ白になってしまいました。「これがゲリラ豪雨か!」とゾッとしました。Upload By かなしろにゃんこ。たった2メートル先なのに目の前が雨で見えず、繁華街で自分以外にも人や車の交通がある場所なのに聞こえるのはザ―――という雨の音だけ。世界に自分一人だけになった感じがしてすごく恐くなったのです。「きっとリュウ太もこの恐い思いをしているはず、早く見つけなきゃ」と思うのですが、雨のカーテンで先が見えないことから少しずつしか歩けませんでした。大量の雨が体に降ってきたことで息苦しくなり、湿度のせいで呼吸もうまくできません。雨の量が多く体が重く感じ、その重さも恐怖の一つになっていたと思います。なんでこんな日にはぐれちゃったんだろう…と後悔しました。下水から水が噴き出しているし、道路も水が押し寄せてきてうまく歩けません。Upload By かなしろにゃんこ。雨宿りできそうなマンションがあったので非常階段で休ませてもらおうと敷地に入ったら、なんとそこには息子と若いお姉さんが雨宿りをしていました。母は息子の安否を気にする中で息子はお姉さんと『しっぽり』という感じでした(笑)「リュウ太、ここに避難していたの!」すぐに再会できて本当に良かったです、お姉さんが「危険だから一緒に雨宿りしようね」と大雨の中、困っていた息子を安全な場所に誘導してくれたのでした。Upload By かなしろにゃんこ。豪雨は5分ほどで止みました。私たち親子もお姉さんも街中の人がずぶ濡れ状態でカバンの中もびっしょびしょ、携帯電話もずぶ濡れでしたがみんな無事で何よりです。たった5分の間に降った大量の雨で道路も冠水してしまいましたので、私たち親子は買い物もせず帰宅することにしました。帰宅後もゲリラ豪雨について、あのような雨のときはどこでもいいから家や店に入れさせてもらおうね、そして今回のように大人と一緒にいさせてもらうことなどを話しました。また、勝手に行き先を思い込んで先に突っ走っていかないこと、親がどこに行く予定なのか話を最後まで聞きましょう!という約束をしました。Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。息子は普段、人の話を聞いたり記憶したりすることが苦手な特性がありますが、息子も恐かったのかもしれません。このときは真面目に話を聞いてくれたのでした。この雨の経験で気がついたことがあります。周りが見えない恐怖の中でも子どもを心配してどんな思いでいるのだろうと強く心配する自分がいたことに、親になると真っ先に子どもの心配をするってこんな気持ちなんだな、としみじみと感じたのでした。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年07月19日家庭と保育園・幼稚園で知っておきたい『発達障害お悩み解決ブック』シリーズ発達障害と一言で言ってもその特性は実にさまざま。『発達障害お悩み解決ブック』ではそれぞれ発達障害の特性別に5冊の書籍にしました。①「ASD 自閉スペクトラム症」②「ADHD 注意欠如・多動症」③「吃音・チック・トゥレット症候群」④「DCD 発達性協調運動障害」⑤「知的障害」どの本も家庭、保育園・幼稚園などでの『こんなときどうする?』と悩んでしまうようなシーンを具体的なエピソードを交えて紹介しており、エピソード→専門家への相談→相談まとめ→安心・解決のアドバイスと段階を踏んで説明。すぐに実践できそうな工夫がたくさん示されています。日常生活で困りを抱えている保護者の方はもちろん、保育園・幼稚園の先生などにも読んでいただきたい一冊です。ものしりだけど、興味や遊びが独特。不安になりやすくて初めてのことが極端に苦手など、ちょっと変わってるな、ほかの子と違うなという不思議な子どもたち。その行動の背景にはASD(自閉スペクトラム症)が隠れているかもしれません。「すぐ手が出てしまう」「指示を聞けない」「じっとしていられない」「おしゃべりが止まらない」「集中力が続かない」など周りの大人を困惑させてしまう子どもたち。保護者や先生もついつい怒ったり叱ったりしてしまいがちですが…ちょっと待ってください。もしかしたらADHDという特性があるのかもしれません。「ぼ、ぼ、ぼく」のように言葉に詰まりスムーズに話せない。目をぱちぱちさせたり鼻を鳴らしたり不思議なクセが目立つ。幼児期にこうした吃音やチック症状が現れることは珍しくありません。大人はつい注意したり心配をしてしまいますが、実はその対応は逆効果なのです。体の動きがぎこちなく極端にスポーツが苦手だったり、不器用なため工作や道具を使うことが苦手だったり、その子たちにはもしかしたら発達障害のひとつであるDCD(発達性協調運動障害)があるのかもしれません。言葉がなかなか出てこない、会話が成り立たない、同じ年の子が当たり前に身につけられることができなかったり…知的なハンディをもつ子が自分のペースで生きていく力を身につけていくためには家族はもちろん、園の先生や地域の大人がスクラムを組み、みんなで応援していく体制を築くことが不可欠です。特別支援教育の実践に役立つ『周りが変われば子どもは変わる! 発達に課題を感じる子どもの可能性を伸ばすために』小学校教諭、教育委員会指導主事、学校管理職、大学教授を経て、現在3つの大学の非常勤講師や教職アドバイザーとして勤務している著者・齋藤澄子氏が「子どもに変わって欲しければ、まず周りが変わっていきましょう、周りを変えていきましょう」と発想の転換を提案している本書。単著となっていますが、発達に課題を感じる子どもの保護者と元学級担任の二人が経験に基づきそれぞれの立場から子どもへの思いや支援の仕方などを書いています。実際の場面における子どもへの対処などを事例を通して述べているので説得力も抜群です。発達の課題を感じる子どもの指導や支援に行き詰ったり、悩み疲れている多くの保護者や先生に読んでいただきたい一冊です。答えを導くための支援の手立てにーー『特別支援学級担任の仕事術100』特別支援学級担任の『仕事術』にターゲットを絞って書かれている本書。特別支援学級の理想や理念、「きれいごと」だけではなく、実務的に困っている先生方が問題解決を図りやすいように100の『仕事術』が示されています。特別支援学級に在籍する子どもたちの多様性、障害の特性だけではなく年齢、学年、性別、学級の人数、人間関係などを含めてどのような教育活動をしていくのかを考えていくのが特別支援学級担任の仕事です。これを教育課程、教科指導、教科指導以外、授業づくり、特別活動の仕事術、子ども理解、学級経営、特別支援学級ならではの仕事術、と8章に分け、それぞれ実践実例を挙げ子どもの実態に寄り添いながら分かりやすく紹介しています。特別支援学級に関わる先生はもちろん、ご家庭でも参考になる支援方法がたくさん載っているので特別支援学級に通っている子どもを持つ保護者の方にもオススメの一冊です。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年07月04日長男が8歳のとき、発達障害の1つである「ADHD」の診断がおりました。さらにお医者さんが言うには、自閉症の傾向も高めとのこと。生後半年ごろには育てにくさを感じていたのですが、受診に至ることはありませんでした。長男の発達障害がわかるまでの体験談と、「こうすればよかった!」と思ったことを紹介します。うちの子に限って!と思っていた私赤ちゃんのころからまったく人見知りをせず、抱くと毎回反り返っていた長男。とにかく動き回る子で、生後10カ月のころには私が疲労で倒れてしまいました。特におかしいなと思ったのが、月齢に合わせて届く通信教育のおもちゃをまったく使いこなせなかったこと。 ビデオ教材で見た子どもたちと違い、長男はおもちゃが分解できないことにかんしゃくを起こしていたのです。そこで発達の遅れを気にすればよかったのですが、私も初心者ママ。「まさかうちの子に発達の遅れがあるはずない」と思い込んでしまいました。 健診では悩みをうまく伝えられず…3歳までに何度か健診がありましたが、長男の発達について指摘されることはありませんでした。普段はかんしゃくを起こしがちな長男ですが、健診のときはたまたま落ち着いていたのです。 さらに健診では、保健師さんとママが1対1でお話する機会があります。保健師さんには長男に手がかかることは伝えていたのですが、具体例をうまく伝えられませんでした。事前に気になることをメモしておけば、スムーズに相談できたのかなと思います。 IQテストでまさかの平均値!健診をスルーした長男でしたが、何度か自主的に市の子育て相談にも行きました。そこでも問題は指摘されず、私はすっかり疲れ果てていました。そして5歳のとき、保育園の先生から市の療育室を紹介されたのです。 その療育室では、IQテストを受ける機会がありました。このときには「長男には何か問題があるはずだ!」と思っていた私は、これで何かわかるかも!とうっすら期待……。しかし結果は平均値。ここまでくると、私の育て方がいけないのでは?と思う自分がいました。 受診の希望を伝えると一気に話が進み!転機が訪れたのは、小学2年生に進級してすぐのこと。次男の1歳半健診のときに、長男のことで悩んでいると相談したのです。すると、県から委託されている相談先を紹介されました。それを聞いた私は即行動! 新しい相談先でIQテストを受けると、発達にかなりの凹凸があるとわかりました。 受診の促しはありませんでしたが、今度はこちらから受診を希望していると伝えました。そこからはトントン拍子で病院を紹介され、すぐにADHDの診断がおりたのです。 ふり返ると、こうしておけばよかったなと思うことがいくつかあります。まずは、「わが子に限って」と思い込まないこと。それから、健診では事前に気になる点をメモしておくこと。そして、親としての希望があればこちらから伝えていくことです。自分がどう思っているか・どうしたいのかを相手に伝えることは、とても大事だと学びました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO作画/やましたともこ 著者:河津明香2男1女の母。旅行代理店勤務をしながらの育児を経て、フリーランスのライターへ転身。現在は発達障害の長男のサポートをおこないながら、旅行・育児・生活雑貨などの記事を中心に執筆。
2021年06月21日「どうせできっこない」「お母さんが決めて」と言っていた次男が自分から「やりたい!」と言い出して…Upload By スガカズADHDのある次男は5歳のころから体操教室に通って今年で6年目です。そんな次男が5ヶ月前急に『通常クラスから器械体操のクラスに上がりたい』と言い出しました。どうやら小学校のクラスメイトで、バク転バク宙ができるお友達がおり、「かっこいい!自分もできるようになりたい!」と思ったのがきっかけのようです。もともと新しいことに挑戦するのが苦手で、「少しハードルが高い」と感じたときに、「どうせできっこない」「面倒くさい」などの言葉が出やすい次男。自己肯定感が低くて納得できないことはやりたがらないのです。(最近は、「お母さんが決めて」という場合もあるので、成長を感じるのですが)そんな次男が自分から「やりたい」と言い出したものですから、私は飛び上がるくらいうれしくて体操教室の先生に相談しました。先生方は「次男くんが『やりたい』と思う気持ちが一番大事です」と了承してくれました。「もっと体操の時間を増やしたい!」でも先生に言われた言葉は…?Upload By スガカズ念願だった器械体操のクラスに上がることができた次男。器械体操の一番下のクラスなので、チームワークは重要ではないものの、難しい技に挑戦します。周りは次男よりできる子たちばかりです。最初のうちは新しい環境に緊張していましたし、トレーニング内容や先生の指示も今までと違うこともあり、戸惑っていましたが段々と慣れてきました。2ヶ月ほど経ったころに、本人が「もっとがんばりたいから体操の時間を増やしたい」と言いました。しかし、本人の希望を伝えたところ、先生に断られました。Upload By スガカズUpload By スガカズ断られた際に、私はハッとしました。子どものやりたい気持ちを尊重したいあまり、次男の希望を叶えることのデメリットまで目を向けられていなかったのです。子どもの『やる気』を大切にしていくために次男は運動神経は悪くないものの、感覚統合がうまくいっていないようなところもあります。たとえば同じ姿勢を保つことが難しかったり、物にぶつかりやすいことなどがあります。また、トレーニング中に痛みを伴ったり予想していなかったことが起こると「失敗体験」と受け取り落ち込み、別の場所で休憩することが多くあります。そういった結果に対して今まで他者から指摘されたことはありませんでしたが、もしかすると「あの子はいつも休んでばかりだなぁ」と思われていたのかもしれません。例え次男が「もっと体操の時間を増やしたい」と今思っていたとしても、ADHDの特性から、ほかの子の練習時間やモチベーションに影響したり、当の本人がやる気を失ってしまうのであれば体操の時間を増やすのは得策ではなく、まずは与えられた時間を続けていくのが大事だと理解しました。Upload By スガカズ本人のやる気を尊重したいのはやまやまですが、希望を叶えてあげられないことは親としては心苦しく、胸がチクリと痛みました。次男は理解してくれましたが、とても残念そうにしていました。現在もほかの子と比べると足を痛めるなどして休憩する時間は多いです。その様子を見るたびに、静かに見守りたい気持ちと、他者への影響を心配する気持ちの間で揺れる自分がいます。月に一度、休みの日に大型トランポリンのあるスポーツジムに家族で向かうようにしています。(予約制なので人は多くありません)次男だけでなく、他のきょうだいたちも楽しそうに遊んでいます。体操の時間は増やせないですが、プライベートでトレーニングの時間をつくれればいいなと思っています。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年06月14日今だから言える小学校時代の「プール」での思い出Upload By かなしろにゃんこ。現在は23歳になったADHDと広汎性発達障害がある息子リュウ太。最近は「あのころはどう思っていたの?」と本人に話を聞いてコラムを書いています。そんな息子はまれに「今だから言うけど」と、とんでもエピソードをぶっちゃけることがあります。先日も「えー何やってんのよー」というものがありました。その中のひとつ『プールの話』を今回はお話しします。リュウ太はボディイメージがうまくできなくて5年生まで泳げませんでした。ですが、プールの授業は大好きで毎回参加をしていました。ですが小4のとき、プールに参加するために必要な体温や保護者のサインを記入する手帳を家に忘れてしまい参加できないことがたびたびありました。Upload By かなしろにゃんこ。ADHDあるあるなのでしょうか?普段から忘れ物に気を付けていても避けられないことがあります。水着バッグはきちんと持参したのに手帳を忘れてプールに入れない!そんな悲劇にリュウ太のテンションはダダ下がり!そんなときはプールサイドで漢字や算数のドリルをやりながら、みんなの泳ぎを見学することになっていました。Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。プールに入れないリュウ太が思いついたこととは!?忘れ物をした自分が悪いのですが、自分以外の人が楽しそうにプールに入っている姿にリュウ太は怒り心頭。「ドリルなんかやってられるか!だいたいプールサイドって眩しすぎて文字が読めないし書けないんだよ!」とブツブツ。『そうだ!ドリルをやらなくていい方法がある!』何かをひらめいたリュウ太はドリルを持ちながらプールから上がってきたみんなのところへ寄っていきました。そして話したり、じゃれたりしながら水が溜まった場所にわざとドリルを落として水浸しに!「ドリルが濡れちゃった、これじゃできません!」とリュウ太は堂々とドリルをやらなくていい大義名分を手に入れました。先生も「濡れたのなら仕方ないな」とそのときは大目に見てくれたのですが、その後もリュウ太はプールに参加できないときには毎回その手を繰り返し使い…当然ながら先生に故意にやっていることがバレて怒られる結果となりました。Upload By かなしろにゃんこ。この一件で『同じ手は3度通じないんだな』『ズルをするとすぐにばれるんだな!』と気がついたそうです。母は「普通は2回目にズルしたときに3回は怪しまれるからやめよう!」と考えるでしょう!とツッコミました。泳げないのでプールは苦手なのかと思っていたら、みんなと遊ぶ自由時間が楽しくてプールが大好きだったリュウ太。小学校時代を振り返って話してみると気づくことがいろいろあります。普段は周りの子と仲良くできないこともありましたが、水の中では裸のつき合いもありふざけ合って遊べたようでリュウ太にとってはプールの授業は大切な時間だったのかもしれません。Upload By かなしろにゃんこ。そのあと高学年、そして中学へ進んだときにはきちんと自分で自主的に検温して水泳参加カードに記入するようになりました。これもプール授業のおかげかな?と今振り返り、改めて思いました。このコラムをかいた人の著書LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年06月10日人づきあいがヘタだったADHD息子、自己主張を解放してトラブル⁉Upload By かなしろにゃんこ。ADHDで広汎性発達障害がある息子のリュウ太は保育園時代から人間関係でうまくいかないことばかりでした。小学校時代は自分の趣味のことを話したくて早口でしゃべって周りに聞いてもらえなかったり、趣味が周りと合わなくて話の輪に入っていけなかったり、みんなと同じ話題に合わせることもしませんでした。その結果、親しい友人は少なく、周りとはケンカばかりで、楽しい会話などできず相手に対して暴言ばかり言ってしまうという状態でした。ですが、息子が中学生のころ、私が発達障害の自助会での勉強会で教えてもらった「発達障害がある人向けのコミュニケーションと人づきあいのルール」を息子に伝えるようにしていくと友人が一人二人と増えていきました。Upload By かなしろにゃんこ。自分の趣味の話はセーブをして友人の趣味に寄り添う方法を取っていたことで友人間のケンカやトラブルはほとんど起きなくなりました。しかし、車の整備士を目指すための専修学校高等課程に進学してからは、これまで自分の趣味の話をセーブしてきた反動か?同じ車が好きな者同士が集まる場所で、リュウ太は自分の興味のある話題を話したり、自己主張するようになっていったのでした。Upload By かなしろにゃんこ。得意な車の会話を武器に積極的に話をしていった結果、たくさんの友人ができました。Upload By かなしろにゃんこ。これはリュウ太が会話上手だったからではなく、同じ趣味を持つ者同士という環境の中では『時系列で話せない』『要点のまとめがヘタ』『語彙力が乏しい』など多少コミュニケーションに難があっても、共通の話題で盛り上がれることが大きく、また明るく話しかける姿勢が功を奏したのだと思います。リュウ太もマニアックな会話が思う存分できて毎日学校が楽しかったと言います。その反面、専修学校にはくせの強い人も多く、中には楽しそうにしているリュウ太を疎ましく思っている人もいたようで嫌がらせもありました。出るくぎは打たれるというやつでしょうか。Upload By かなしろにゃんこ。同じクラスのA君には、物を取られたり壊されてしまうということがありました。B君は、リュウ太が嫌がるような言葉を投げつけてきたり、金銭を要求することもあったといいます。A君もB君も目立つタイプで影響力が強いために、学校の友人も助けづらそうな様子だったということもあり、リュウ太も「困ったことが起きても一人で解決しようと友人に相談することはなかった」と言います。小中学校のときからいじめてくる人に対して抵抗して負けずに戦ってきたリュウ太。助けを求めず自分で解決しようと思っていたようですが、嫌がらせがエスカレートしてくると「学校にイヤなヤツがいるから学校を辞めたい」と言うようになったため親子間で話しあうことにしました。リュウ太の話を聞くと、A君・B君が関わってくるのは、リュウ太のことが気になっているから故なのかなと感じました。Upload By かなしろにゃんこ。いじめたときにどんな反応をするんだろう?暴力や脅しが効いているか?リュウ太の反応を見て、優越感だけではなく罪悪感も感じているのかもしれない。自分の中にあるさまざまな気持を確認する手段となっているのかもしれないーー。息子たち同士での解決は難しそうだと感じ、学校の先生に相談してみたものの、人間関係のことは自分たちで乗り越えるようにという方針であまり力になってくれない様子。そこで、「暴力と金銭を要求する子に対して弁護士に相談することにします」と伝えたところ、先生も介入してくれるようになり、相手に注意をしてくれました。A君は保護者が謝罪に応じてくれましたが、B君は元々学校にあまり来ない状態でもあったためか退学となり、いじめ問題は一旦は解決しました。私は学校が対応してくれなかったらいじめ対策専門の弁護士に相談しようと思っていました。Upload By かなしろにゃんこ。しかし、リュウ太自身も変わらないことには、根本的な解決にはならないのではないかと思いました。そこで、私は『リュウ太には目をつけられやすい特性がある』と言うことについて話をすることにしたのです。集団の中では目立たずに過ごすこと、そのために➀自己主張を再びセーブすること②大きな声で喋らないようにすること集団の中でうまく渡っていく方法をアレコレと伝えても覚えられませんし実践できないものです。ですから2つだけ伝えることにしました。リュウ太が持つADHDの天真爛漫な個性を殺してしまうのはかわいそうなので、あくまで集団の中で自己主張をしないキャラの演技をするだけだよ!としました。Upload By かなしろにゃんこ。この方法を実践したそのあとは学校での人間関係で大きなトラブルもなく過ごし卒業することができました。そのことがあったからかリュウ太は人の心理というものを調べたりして距離を置いてつきあう方法なども考えるようになったと言います。自分が他人にどう思われているのかなんてわかりませんから、失敗しながらパターンで覚えるしかないですよね。表現することが求められる場所では目立っていいけれど、そうでない日常では目立つことは目をつけられやすくなるーーということを理解して成長していってほしいと思うのでした。現在23歳になったリュウ太、今は思いっきり趣味の話をしたいときは同じ趣味の人が集まるオフ会や集会に行くようにしているそうです。そこは自分よりも年上の人が多く集まる場所なので主張などは控え目にしているそうです。まだまだ人づきあいを学んでいる最中です。このコラムをかいた人の著書LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年05月29日前回の話はこちらわが家が住んでいる地域の小中学校は情緒学級がなく、次男のように知的発達の遅れがなく、情緒面でのつまづきがある子どもは通常学級で週一度の特別支援教室に通います。今から4年前に、通常学級での集団生活が始まった次男は、社会生活に適応できず苦労しました。ちょうど、療育センターの新患受け入れが再開され、正式にADHDの診断がおり、特別支援教室にも通えるようになりましたが…。医療と教育の環境は整い始めたものの、問題は家庭での関わり方でした。たちはだかる小1の壁。できないことに目がいきガッカリ…Upload By スガカズ集中して学習に取り組めないこと、集団生活が難しいこと、特定の音に敏感などの原因から学校ではさまざまな困りごとがありました。私は少しでも学校生活を円滑に過ごせるように、他者との摩擦が減るように奔走しますが、親ががんばった分、子どもができなかったことにがっかりする日々でした。次男に合った支援を模索しますが視覚優位であるものの視覚支援は当てはまらず、大人しく他害のない自閉症スペクトラムの長男に合っていた方法も、次男には合わないことが多かったです。自分の子が小学校でほかの子に迷惑をかけているという焦り通常学級なので、クラスのほとんどは定型発達の子どもたちです。席を立たず頑張って授業を受けている姿、クラスのお友達と休み時間に外遊びに出て、チャイムが鳴ったら教室に戻ってきてまた授業を受ける…そんなメリハリのついた行動がとれる子どもたちの前で壁を蹴る次男。そんな状況を目にし、「周りに迷惑をかけている」「どうしたらこの問題が解決するのだろうか」と頭を悩ませていました。そうこうしているうちに2学期になりました。運動会の練習や勉強のレベルが難しくなったこともあり、次男のストレスがますます溜まっていきます。子どもたちが寝静まったあとに「今日も叱ってしまった。本当は叱りたくないのに…」と落ち込みましたが、朝になると同じことの繰り返し…。もがけばもがくほど抜け出せない負のスパイラルにおちいっていました。そんなある日、忘れもしない経験をします。ようやく気づけた次男の本音Upload By スガカズある日の放課後、小学校に隣接している学童から1本の電話が入りました。(当時は放課後等デイサービスを利用しておらず、長男と同じ学童に通っていました)どうやら学童を無断で休んで遊びにいこうとしていたところ、学童の先生が見つけて連れ戻してくれたようです。気分がのらないようだから、学童を休ませようと、次男を迎えにいきました。すると次男の様子がおかしいことに気がつきました。次男はこわばった表情でモゴモゴと口元を頻繁にゆがませていました。私はその様子を見て「チック症だ」と理解しました。「次男は最近のことについて何か話していましたか?」と私が学童の先生に尋ねると、先生はうなずき、次男が話していた内容を教えてくれました。てっきり「お母さんに叱られるのが嫌だ。」と話していたのかと思いきや…根本的な原因は違っていたのです。次男の本音は、「もっとお母さんにかまってほしい」Upload By スガカズお母さんにとっての一番になりたい。自分を見て欲しい。うまくいかないことばかりで怒っちゃう。もっとお母さんと遊びたい。もっとお母さんに甘えたい。…でもそんなこと言えない。妹と弟はまだ小さいからお母さんが大変なのわかってるんだ。オレにはお兄ちゃんがいるからいいんだ。次男が学童の先生に言った言葉には、そんな『どうにも解消できない気持ち』が込められていると感じました。私はようやく自分の育児の中途半端さに気がつきました。家に帰ってから次男に今までの行動について心の底から謝罪しました。Upload By スガカズ次男は人とケンカしたときに、「いいよ」「ごめんね」がなかなか言えない子でした。ですが、この日はハッキリと、私の目を見て、大きな声で「いいよ!」と言ってくれたのです。発達障害のある子どもは、さまざまな特性から生きづらさを感じ、問題行動をおこしやすいです。ですが、本来は人を思いやれるやさしい子だったと改めて気づけました。「下のきょうだいを優先したことで、寂しい思いをさせていた。その分次男と仲良く遊んだり、思っていることを肯定するべきだった。」2年にわたった次男とのわだかまりがこの日から少しずつ解消されていったように思います。あのとき次男がチック症になっていなかったら…自分の言葉で私への気持ちを先生に伝えていなかったらどうなってたのだろうといまだに思います。自らヘルプを出してくれた次男に感謝しています。紆余曲折ありましたが現在小5になりました。時々クールダウンが必要なものの、自分の気持ちに正直で、愛敬のある友達思いな子に変化していきました。今でも寝る前にはハグをして、「大好きだよ」と伝えています。Upload By スガカズLITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年05月28日Upload By かなしろにゃんこ。ADHDと広汎性発達障害がある息子リュウ太の中学時代のまんがコラムをこれまでにいくつか公開してきましたが、今回は後に就職に繋がる『進路選択』について考えるきかっけになったリュウ太の『ヤル気スイッチエピソード』になります。小さい頃から電車や車が好きで中学2年生になるとなかなかのマニアになりつつあったリュウ太は車の専門誌を読んだり、地域を走るJRや私鉄電車の乗車制覇をしたりしていました。同じ小学校出身でリュウ太と同じ趣味を持つ2つ年上のお兄さんが近所に住んでおり、そのお兄さんは電車が好きで鉄道マンになるための学校に通っていました。「鉄道マンになる専門の学校があるんだね~」、「どんな学校なのかね~」と親子で気になっていました。Upload By かなしろにゃんこ。リュウ太中2のある日、お兄さんのママにどんな学校か聞いてみると、「普通科と運輸科と機械科があって普通科の授業と専門的な授業のカリキュラムがある学校だよ!オープンスクールがあるから行ってみるといいよ!」と教えてもらいました。そこは上野駅の側にある創立120年以上の学校で日本に鉄道が敷かれるようになって産業化が進む中、鉄道員を育てる役割を担ってきた学校でした。鉄道ビジネスのノウハウを学ぶ運輸科は普通科と同じく進学にも対応できるカリキュラムがあり、機械科では自動車の整備を学ぶことができるとのことでした。(現在は機械科はありません)リュウ太にとっては好きな分野の学校でしたが、最初は高校ってどんなところかイメージがわかなかったらしく親に引っ張られるがままにオープンスクールについていったのでした。Upload By かなしろにゃんこ。その頃のリュウ太はまだ中2でしたが、私は早めに学校見学をしていく中で進学への意識が芽生えたりヤル気を刺激できるんじゃないかと考えていました。運輸科では運転シミュレーターソフトを使った体験ができたり、校内にミニ鉄道が走っていたりオープンスクールで校内が華やかに飾られて楽しい雰囲気もありリュウ太は大興奮!機械科の教室では車のエンジンを組むデモンストレーションをしていたりしてリュウ太は「オレこの学校に入りたい!」と目を輝かせていました。Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。いつもダメダメな息子ですが、その様子を見て母は心の中で「よしよし、計画通りだわ!やりたいことが見つかり、これで勉強を頑張る方向にいくわね」と鼻息荒く、久々に大きく期待していたのでありました。学生さんたちがワイワイやっている出店で焼きそばを食べながら「運輸科と機械科どっちがいいと思う?オレ電車好きだけど自分に合うのは機械科かもしれない」と選択しはじめたのでした。予想外に進路のことを考えてくれているんだなと焼きそばを食べながら母はテーブルの下で「よっしゃー!」とガッツポーズ。Upload By かなしろにゃんこ。帰りに機械科にもう一度寄って在学生に機械科のカリキュラムやこの科を選択してみた感想を聞いたりしました。質問に答えてくれた先輩は「車が好きなら楽しい科ですよ!でも自分は機械に強いと思っていたけれど、やはり大変、電気やエンジンなど正直ついていけないな~と思うこともありますよ」と言います。このコメントをリュウ太自信はどう感じたのか聞いてはいませんがオレがやれるだろうか?と少しは感じたかもしれません。しかし、この日をきっかけにリュウ太は専門に学べる学校に意識が向いたと感じています。パンフレットではわからない、志望する学校の雰囲気を直に感じに行くのはとても良い経験になるな、と思いました。親は子どものやる気に合わせて学費の準備も始めなければなりませんから、校風を見て高い学費を払う価値があるものか判断することも重要だと感じています。Upload By かなしろにゃんこ。その後、死んでも勉強はやりたくないと拒否してきたリュウ太が個人塾に通うようになり、ゆっくりですが次第に変化が出てきたのでした。中3の進路相談で提出物ができていないことや、成績が悪いことで志望するその学校は難しいと先生に言われて諦めましたが、自分が目指せる範囲で自動車整備士の専修学校高等課を選択することになりました。自分が好きなことでしか努力ができないですから、普通科以外の道もあることを視覚で感じさせることでヤル気に繋がったのではないかと思いました。Upload By かなしろにゃんこ。しかし提出物が致命的にダメで泣けてきます、一つもできていないのでした。トホホ…。……提出物で玉砕した経験から専修学校では提出物をほどほどに守り、やるようになったのでした(笑)現在リュウ太は4月で23歳となり、車の整備士として地域にある自動車販売店のサービスで働いています。自分が好きなことを続けた結果、それが就労に繋がっていきました。
2021年05月11日ロゼレムとは出典 : ロゼレムは、不眠症で入眠に難しさを抱えている成人に処方される睡眠改善薬です。不眠症とは、睡眠問題が1ヶ月以上続き、日中に倦怠感や意欲低下、集中力低下、食欲低下などの不調が現れる病気のことです。不眠といっても症状はひとつではなく、4つのタイプに分けられます。眠りに就くことが難しい「入眠障害」、寝ている途中で何度も起きてしまう「中途覚醒」、朝早くに目が覚めてしまう「早朝覚醒」、睡眠時間は十分なのに睡眠の質が悪く休んだという実感が得られない「熟眠障害」です。睡眠に問題があると、日中に眠くなってしまって勉強や仕事に集中できないなど、日中の活動にも影響を与えてしまいます。さらに、発達障害のある人は幼少期から睡眠に問題を抱えることが多いことが分かっています。ADHDのある人の85%が日中の眠気か睡眠に問題を抱えていることも報告されています。睡眠の問題はADHDのある人だけでなく、自閉スペクトラム症のある人も同様に睡眠の問題を併せ持つ場合が少なくありません。発達障害のある人の睡眠問題には、体内で分泌されるホルモン「メラトニン」が特に有効であると考えられており、ロゼレムはメラトニンと同じ働きで睡眠を改善する効果があります。 Young Rosalia Yoon et al.(2013). Sleep and daytime function in adults with attention-deficit/hyperactivity disorder: subtype differences. Sleep Med . 14(7):648-55.厚生労働省『e-ヘルスネット不眠症』どのような仕組みで効果があるの?それではメラトニンは、睡眠にどのように作用するのでしょうか。睡眠には2つのメカニズムが関わっています。ひとつめは「脳が疲れたから眠くなる」メカニズムです。起きて活動すればするほど脳は疲れ、老廃物の一種である睡眠物質が蓄積されていきます。この睡眠物質がたまってくると、脳神経に働きかけて催眠鎮静作用が発揮されて眠くなるのです。もうひとつは「夜だから眠くなる」メカニズムです。私たちは普段寝ている時間になると、自然と眠くなりますよね。これには、脳の視床下部の視交叉上核というところに存在する体内時計が関わっています。夜になると体内時計が指令を出すことで、メラトニンが分泌されます。メラトニンが分泌されると、体の内部の体温や血圧が少しずつ下がり、眠りやすい状態に導き睡眠を促してくれるのです。反対にいつもと同じような時間に目覚めるのも、この体内時計の働きによるものです。体内時計の指示でメラトニンの分泌が止まって体の内部の体温が少しずつ高まり、一定レベルを超えると目覚めます。つまり、メラトニンが分泌されると自然な眠りを誘い、メラトニンの分泌が止まると目覚めるようになるんですね。このようにメラトニンは睡眠に大きく関わっていることから、睡眠ホルモンとも呼ばれています。人は目覚めて朝陽を浴びると体内時計がリセットされ、目覚めから14時間~16時間くらい経つと、体内時計が指令を出してメラトニンを分泌し、自然な眠りにつくことができます。ところが、光を発する電子メディアの見過ぎなど何かの理由でこのメカニズムがくずれてしまうと、睡眠に問題が生じて不眠症を引き起こしやすくなってしまうのです。メラトニンは光によって抑制されます。ロゼレムの有効成分ラメルテオンは、メラトニンを受け取るタンパク質の「メラトニン受容体」にくっついて作用し、メラトニンと同じ働きをします。つまりロゼレムを服用すると、体内時計の針を調節することができるわけです。たとえば望ましい就寝時刻よりも前にロゼレムを服用すると、体内時計の針が早まって体内での夜が早く訪れます。結果として、いつもよりも入眠時刻が早まり、眠りにつくのを改善します。眠りのリズムを整えることで睡眠の問題を改善するのです。武田薬品工業株式会社『体内時計と睡眠の仕組みメラトニンとは』ロゼレムの使用方法・用量は?・用量:1錠(ラメルテオンとして1回8mg)・用法:1日1回就寝前に経口投与・成人※監修者注:通常15歳以上からの適応となるが、18歳以上からが望ましい以下に該当する人には、ロゼレムは使用できません。・ラメルテオンに過敏症となってしまったことのある患者・高度な肝機能障害のある患者(肝臓で代謝されるため、有効成分の血中濃度が上昇してしまい、作用が強くあらわれる恐れがある)・フルボキサミンマレイン酸塩(SSRI)を服用している患者(販売名:ルボックス、デプロメール)また使用するにあたっての注意事項は、以下の3つです。・服用開始から2週間後をめどに、効果があるかを医師が確認します。効果が認められない場合には、服用を中止するかどうか医師が判断することとなっています。・服用は、必ず就寝前です。寝たい時間の直前に服用することで効果がみられます。なお、少しだけ寝たら起きて仕事をするなど、途中で起きる予定のある場合には服用を控えます。・服用する際は、食事と同時・食事直後は避けることです。食事と同時、もしくは食事直後にロゼレムを服用してしまうと、有効成分の血中濃度が下がり効果があまり出なくなってしまうからです。独立行政法人 医薬品医療機器総合機構『ロゼレム錠8mg』ロゼレムの副作用と注意点出典 : ロゼレムは、国内で販売されてから一定の期間が経過しているため、その安全性と有効性を確かめる再調査が行われています。ロゼレムを1回(ラメルテオンとして8mg)投与された3,223例のうち、109例(3.4%)に副作用が認められました。確認された主な副作用は、傾眠(1.2%)、浮動性めまい(0.7%)、倦怠感(0.3%)です。ロゼレムを服用した翌朝以降にも、薬剤の影響が残る場合があります。眠気、注意力・集中力、反射運動能力が低下する可能性があるため、車の運転など危険を伴う作業は行わないようにすることが必要です。海外でアナフィラキシーショックが起きたとの報告があります。出現回数がとても低く極めてまれであることから、頻度は不明ではあるものの注意が必要です。服用後に、じんましんや血管が浮き出てくるようなことがあれば、すぐに使用を中止し、医師に相談してください。他の睡眠薬とどう違うの?睡眠薬には、大きく分けて3つの種類があります。1.ひとつめは、先ほど説明したひとつめの睡眠のメカニズム「脳が疲れたから眠くなる」に働きかける薬です。これまで多く使われてきた薬の多くは、このメカニズムを利用しています。高い効果が認められる一方で、依存性があることから長期使用では注意が必要と言われています。2.ふたつめは、今回ご紹介するメラトニンによって体内時計を調節することで、入眠の困難を改善する薬です。ロゼレムの他には、「メラトベル」があります。メラトベルは、2020年に発売された、6歳から15歳までの神経発達症のある子どもに対して処方される入眠改善です。メラトベルは、その有効成分がメラトニンそのものである一方、ロゼレムはメラトニン受容体作動薬であり、メラトニンそのものではありません。 一般に受容体作動薬は小児には適用されません。3.最後は、睡眠と覚醒を調整する神経伝達物質「オレキシン」を受け取るタンパク質である「オレキシン受容体」に作用する薬です。過剰に働いてしまっている覚醒を抑えることで、睡眠を促します。比較的早くに効果があらわれ、依存性は少ないと考えられています。鹿児島市医報『ベンゾジアゼピン受容体作動薬について』(2020)59(10): 7-8まとめ今回は、不眠症で入眠に困難のある15歳以上の成人に対して処方される睡眠改善薬「ロゼレム」をご紹介しました。日本で発売されてから10年以上にわたって使用実績のある薬で、再調査でもその安全性と有効性が確認されています。ロゼレムは睡眠ホルモンと呼ばれるメラトニンの受容体に働きかけることで、体内の時計の狂いを調節して睡眠リズムを整えます。薬の服用にあたっては、生活習慣を改善させることもとても大切です。
2021年05月07日みんなが楽器の演奏を楽しんでいるときに息子は…!?Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。みなさん、こんにちは。今回はADHDと広汎性発達障害がある息子、リュウ太が保育園に通っていたときの困りごとをお届けします!5歳のとき、リュウ太は園生活の中で一番気持ちが荒れていた時期でした。リュウ太は大勢の中に混ざって生活することが嫌いではないのですが、周りに合わせて行動することができませんでした。みんなが先生の伴奏に合わせて楽器の演奏を楽しむ時間も、床に寝そべって自由に一人遊びをします。自分がやりたいことが最優先でムリに周りに合わせるとイライラしてしまう特性があるため、先生はリュウ太の特性を理解していてか演奏に参加させず好きにさせてくれていました。Upload By かなしろにゃんこ。このように一人で遊んでいるときは穏やかに落ち着いて過ごせるのですが、周りの子に自分の遊びを干渉されることがとても苦手で、遊んでいる最中に話しかけられたりするとイライラしてしまったり、しつこくちょっかいを出されるとパニックになってオモチャを投げてしまったりすることもありました。Upload By かなしろにゃんこ。息子が自分の気持ちを人に話せるようになった小学校高学年のときに、保育園時代の話をしたことがあります。「ボクに話しかけたり遊びの邪魔をしたりしないでくれたら、お母さんがお迎えに来る時間までなんとか頑張って教室にいられるけれど、たまにどうしようもなく教室にいたくないときがあった。そんなとき、先生が特別に廊下に出てもいいよと言ってくれた。廊下にいると楽だった」とリュウ太は話してくれました。保育園では教室から出てはいけない決まりでしたが、リュウ太は教室にずっといると周りの子とどうしても争いが生じてしまい、先生に何度も注意されても勝手に廊下に出てしまうことがありました。そんな息子に先生がつくってくれたのは…Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。そんな先生が根負けしてか?「ここがリュウ太くんの場所です」と仕方なくお昼寝布団が積んである廊下の半畳ほどの場所を、特別にカームダウンスペースとしてつくってくれたのでした。リュウ太は周りの子たちから逃げてきたときに、一人で過ごす時間と場所ができて楽だったようです。私も先生がリュウ太を他の子と引き離して過ごさせてくれたことでホッとしました。保育園に通っている期間は、周りの子とケンカしたらどうしよう、パニックになってオモチャを投げて誰かをケガさせたらどうしよう…と毎日ドキドキしていましたからリュウ太が一人で落ち着いて過ごせる場所をつくっていただけたことは感謝でした!悩んでいた私を励ましてくれた園長先生の言葉Upload By かなしろにゃんこ。その他にもリュウ太がイライラしたときに、気分転換できるようにたまに職員室にいさせてもらうこともありました。園長先生や事務の先生と話したりして(女の人が大好きなリュウ太のことだから多分べったり甘えていたに違いないと思います)かわいがってもらっていました。担任の先生は常に忙しそうでしたので相談がしにくかったのですが、迎えに行ったときにリュウ太が園長先生にかまってもらっているときは園長先生とお話しができました。園長先生は「リュウ太くんは今はとても手がかかる子かもしれないけれど、何をしたいのか主張がハッキリしているから分かりやすくていいのよ。自分の欲求をきちんと伝えられなくて思春期に急にキレてしまう子もいるけれど、イライラしたりする主張ができることは悪いことじゃないんですよ」と教えてくれました。Upload By かなしろにゃんこ。リュウ太と周りの子の度重なるイザコザで通園に疲れ、「保育園やめようかな…」と落ち込んでいたときだったのでこの園長先生の言葉にはとても励まされました。集団生活の中で周りと歩調を合わさず、先生の指示にイヤ!とハッキリ言ったり、自分は今コレをやりたいと勝手に一人で遊んだりする息子のことを私は『協調性がなくて困る』と感じ、『子どもの主張=わがまま』だとしか思っていませんでした。しかし、『主張=自分らしさの表現』こういう見方もあるんだと教えてもらったのでした。この自分らしさの表現は、成長や自立に欠かせないエネルギー。生涯にわたって他者と交流する際に必要な力であると気がついたのはそれから更に数年後になるのですが、大切なことなんですね♡その後もたびたび園長先生に「卒園まで頑張って通いましょうね」と引っぱってもらって通園を続けることができたのでした。リュウ太の主張を受け入れ、カームダウンスペースをつくってくれた担任の先生の配慮にも感謝感謝でございます。
2021年04月27日配信するための条件をきちんと決めたことUpload By スガカズわが家の発達凸凹の長男と次男は、半年ほど前からパパの管理の元YouTube配信をしています。 私は「子どもたちが余計なひとことを話すのでは」と心配で仕方がありませんでした。そこで、前回のコラムでお話したように、発達凸凹の息子たちがYouTube配信を始める前に「配信するためのルール」をきちんと決めることにしました。親子で決めたルール・親が必ず配信を管理、同伴・ゲームの前は必ず勉強(習い事もがんばる)・配信、ゲームに使う時間を守る・言葉遣いや個人情報に気をつける・親子で継続する保護者として「やらなければいけないこと」がおざなりにならないようにしてほしかったからです。いよいよ配信スタート!最初は心配していたけれど…Upload By スガカズUpload By スガカズADHDとLDのある小4次男はゲームとYouTubeが何より大好き。そんな彼は配信を始めてから帰宅してすぐ宿題に取り掛かったり、習い事にもすんなり行くようになりました。もともと小2のころから、「将来YouTuberになりたい!」と強く思っていたため、配信できることが本当にうれしかったようです。今まであんなに苦手なこと(主に勉強)に対して気持ちがのらなかったのに…あんなに私が苦労して行動を促していたのに…。「本当にこの子はうちの子なの?」と思うほどの変化に、私は非常に驚きました。一方、ADHDとASDのある中一長男はというと、YouTube配信は少し気になっていた程度だったので、分かりやすい行動の変化はありませんでした。ですが、YouTube配信を続けるうちに、長男・次男にやらせて良かったと思える機会ががたくさんありました。SNS(YouTube)で得られた3つのことUpload By スガカズ最初のうちは視聴者がいなかったので親子でなにげないトークをしていましたが、続けていくうちに初めての人や常連さんも来るようになりました。気に入ったらチャンネル登録してくれるので、継続していくうちにライブ配信のチャット上で常連同士の会話が繰り広げられます。配信者(パパと子どもたち)は、ゲームをしながらチャットの内容を確認し、視聴者と会話することが多いです。管理者のパパが率先して話しているのですが、その様子を見て「知らない人と話すことの難しさ」と「わざわざ見に来てくれることへのうれしさ」を感じ、「これからも見に来てほしいから頑張って喋りたい」という意欲につながっていました。Upload By スガカズ投稿された動画を確認すると、自分自身の話し方や場の雰囲気を振り返れたり、そのとき取った行動の理由を私に説明する機会が増えます。うまく喋れなかったとしても、保護者が管理しているためパパがフォローしてくれますし、本人も「人が嫌な気持ちになる発言はしない」というルールを意識するため、初めての人との会話をするにはちょうど良い環境でした。Upload By スガカズYouTubeに限らず、SNSでは時々、「会ったことがない相手にいじわるをする人」に遭遇することもあります。そういった場面は子どもたちは直接経験しませんでしたが、パパが経験したときの様子を後日動画を見せて説明し、対処方法を教えることもできました。子どもたちは、「こんな人もいるんだ」と理解できます。この先子ども1人でSNSを利用する前に指導できたことは良かったのだろうと思います。配信を半年以上続けて現在は…Upload By スガカズ半年以上続けて現在は、親子で違うゲームをする機会が増えたり、タイミングが合わないこともあって、可能なときに配信している状況です。当初頻繁に配信していた次男よりも長男が細く長く継続しています。今回の経験で、発達凸凹の子どもたちは、ゲームやYouTubeに行動を妨げられやすいからこそ、教育に利用しやすいのかもと思いました。特に、わが家の次男のように、YouTuberにあこがれているお子さんには合っているのかもしれません。ですが、そもそも配信を始めるのが難しいという家庭も多いのではないかと思います。そんな場合でも、配信者ではなく視聴者側として…例えばYouTube(SNS)のチャットで知らないだれかとつながって会話するのも立派なSSTになると思いました。
2021年04月10日【今週の悩めるマダム】私の夫はADHD(注意欠如・多動性障害)の疑いがあり、片付けができません。仕事もできて穏やかな人なのですが、なかなかものを捨てられず、指摘したり手伝おうとすると怒鳴られます。部屋が汚なすぎてこの10年は友人どころか両親すら呼べません。あと30年もこの家で暮らすのかと思うとゾッとします。(50代主婦)ADHDはなかなかデリケートな病ですからね。根本的に治ることはないと言われていますし、ご家族の苦労もよくわかります。これは非常に難しい問題ですね。手伝おうとすると怒鳴られるということですが、たしかに苦しい状況ですね。しかし、ご主人が病気の疑いがあるなら、正攻法では厳しいでしょう。奥様はこれまでとは違うアプローチでご主人と向き合ってみる必要があるかもしれません。少し話が逸れますけれど、奥様がここに書かれた相談内容、実は、僕にも当てはまるのです。片付けはやろうと思えばできますが、好んでやらないので、部屋は散らかりっぱなし。まぁ、ある意味、僕は仕事も好きですし、どちらかというと穏やかな性格です。でも、なかなかものを捨てられず、家は謎のもので溢れかえっています。とくに箱が捨てられず、部屋の一角に木箱が積み上がっているのです。例えば、お茶の入った木箱とか、湯呑みの入った木箱とか、ワインの木箱とか、絶対捨てられないのです。息子に「なんでこんな意味のないもの、集めているの?」と聞かれ、「お前にはわからないんだ。もったいないし、いつか使えるかもしれないじゃないか」と答えている自分、たしかにちょっとおかしいですね。もっとも怒鳴り散らすことはありませんけど、息子には呆れられています。と、ここまで書いて気がつきました。僕の周りの同世代の男性はこの傾向に当てはまる人が多いです。なので、ご主人はADHDの疑いがあるのかもしれないですが、僕とそれほど変わらないということにもなります。僕も病院に行ったらADHDと診断されてしまうかもしれないですね。知り合いに、「辻さんは、多動症の気がありますよね」とよく指摘されています。ご主人も自分のどこが病気なのか、わかっていない可能性があります。そうだとしたら、まずはしっかり話し合って、理解し合うことが重要です。その上で、お医者さんのアドバイスをもとに、日常生活のなかで病と向き合う生活へとシフトしていくのがよろしいかと思います。人間の心というのは、とてももろく、わかりづらいものです。この10年という歳月のなかで、ご主人の心にどんな変化があったのでしょうか。詳しい状況はわかりませんが、奥様一人ですべてを抱えて頑張っていくのはあまりに過酷じゃないでしょうか?ご両親が健在ならば相談し、ご家族やご親戚の力を借りて、もしくは医師や専門家の力を借りて、ご主人の心に寄り添ってみるという方法もあります。楽しかった日々もあるわけですから、そのことを心の支えに、もう少し頑張ってみてもいいかもしれません。別れる・別れないの最終的な結論はその後でもいいように思います。とにかく一人で背負わないようにしましょう。【JINSEIの格言】奥様一人ですべてを抱えて頑張 っていくのはあまりに過酷じゃないでしょうか?ご両親が健在ならば相談し、ご家族やご親戚、もしくは医師や専門家の力を借りる方法もあります。
2021年03月30日今年度は友達がグンと増え、穏やかに過ごせた一年でしたUpload By スガカズADHDの次男は、小3までクラスメイトや先生との関わりでハラハラすることばかりだったのですが、今年度の小4は先生やクラスメイトにもとても恵まれており、穏やかな時間を過ごせました。お陰で、クールダウンがとても上手くなり、友達を想いやる姿を見られた1年だと感じています。少し前のことです。次男に、「小学5年生になるの楽しみ?」と聞くと、「楽しみじゃない」と…。「どうして?勉強が難しくなるから?」とさらに聞くと、「違うよ。だって今の先生じゃなくなるし、友達とも別々になるから。次の担任の先生と合うかわからないから。自分は怒られたら逃げたくなってしまう。だから優しい先生が良い」という次男。自分を客観的に見られる様になってきたなぁと感心しました。発達障害のある子どもたちに必要な「合理的配慮」わが家の次男の場合次男が通う小学校は、1学年の人数が120名程度。年度の人数によって3クラスか4クラスに分けられます。1クラス30~40人程度の生徒を先生1人で受け持っており、おそらく学校側の配慮があり、毎年慎重に編成が行われているのだろうなと感じます。【気づき その1】次男と似ているタイプのお友達とは同じクラスにしない方が良さそうUpload By スガカズ次男は白黒思考で、自分の意に反したことを指摘されることを嫌います。自分なりの正義感をもっており、「これは良くないぞ」と思ったときに、人に指摘してしまいます。一度、似た特性をもったお友達とクラスメイトになった年があり、お互いの意見がぶつかり合ってしまいケンカが絶えませんでした。Upload By スガカズケンカが多いなら離れることも方法の一つなのだろうと思いますが、意見がぶつかり合うとき以外は気が合うので、いつも一緒にいます。ケンカする程仲が良いとはいいますが、親としては「いつ何が起こるのか分からない」と、ハラハラ続きでした。相手のお母さまとなかなか会えるタイミングがなかったのですが、初めてお話できた日は、お互い謝り続けていました…。【気づき その2】仲が良いお友達も場合によってはクラスが別の方が良いUpload By スガカズもともと仲の良い友達と同じクラスだと、話したいことがあったときに、友達のところへフラフラ~と向かってしまいます。また、次男を好いてくれている友達(定型発達のお子さんです)もいたりして、次男の後にいつもついてくる、なんてこともありました。そのときは、保護者会でお母さまに会った際、挨拶させていただき、お互いの家庭で子どもへの指導を合せる様にしました。【気づき その3】優しい女性か、若い男性の先生が合っているUpload By スガカズ次男は人の感情を敏感に察知するところがあり、怒られていると感じた際に、自分を守るために怒りで対抗していました。特に大人から言われると、威圧感を感じるようで、怒りが倍増します。小1、小2のころは、強めに注意される経験があったのですが、クールダウンのために頻繁に校庭や廊下でうろうろしたり、悪態をついたり物にあたる行為が目立ちました。友達に近い関係を築ける男性の先生か、物言いが穏やかな女性の先生だとそのような結果にはなりませんでした。きっと次男とは反対で、優しくされるよりも怒られる方が成長するお子さんもいるのだろうと思うので、相性は人それぞれで、難しいなと感じます。ここまでざっと振り返ってみましたが、改めて自分の息子の気難しさを感じました…。毎年配慮してクラス替えをしていただいていると感じ、本当に学校の先生方に感謝しかありません。何かあったときに逐一学校に報告、相談する大切さUpload By スガカズ私は、次男に関して何かあったときは、逐一学校に報告・相談をするよう心がけています。トラブルの背景なども詳しく伝え、相談をしているからか、先生から「お子さんたちそれぞれが落ち着いて学校生活を送るためにも、クラスメートへの影響を考えても、〇〇君や●●君と違うクラスにしたほうがよさそうですね」とおっしゃっていただくことがあり、私の考えと同意見であることが多くあります。もちろん「みんな違ってみんないい」ですし、子どもに対して大人の都合を押し付けているのではないか、と心苦しくなることもあります。でもトラブルを避け、落ち着いて学校生活を送れるようにするための環境整備は、子どもの育ち、学びのためにも大切な合理的な配慮ではないかと感じています。本当に仲の良い友達であれば、クラスが違っていても放課後一緒に遊ぶでしょうし、放課後であればわが家に呼んでやりとりを見守れます。来年は小学5年生、その次は最終学年の小学6年生…と、小学校生活も残り少なくなってきました。来年度もハラハラ、ドキドキ…だけど次男にとって楽しい学校生活になると良いなと願っています。
2021年03月15日いじめが続いて気づいた「これは私に問題がある」東京・目黒に生まれたコッピーさんは、研究者の父と専業主婦の母、それに姉の4人家族。「外交的だった」小学生の頃から、生きづらさを抱えていたという。「小4ぐらいのときに、お腹が痛くなることが増えました。今思えば仮病のようなもので、保健室によく行っていました。無理矢理休もうとしていたんですよね。友達もいたし、なんなら中心的な存在で楽しかったんですけど、今思えばその空間がつらかったというか……。朝から夕方まで椅子に座ってじっとしているっていうのがつらかったんじゃないのかなって。たぶん教室にいられなかったのかな」(コッピーさん)Upload By 桑山 知之女性のASDは男性よりも分かりづらいという。コッピーさんはその正義感の強さから、廊下を走る上級生などにも物怖じせず注意していた。「今考えれば、ASD特性も出ていたのかな」と当時を振り返る。さらに都内にある中高一貫の私立女子校に進学すると、いじめの標的にされてしまう。「中1の春からいじめに遭いました。仲良かったグループから仲間外れにされることがあって。なんか話しかけても無視されたり、目の前でヒソヒソ言われたり。仲良くなった別の子もいじめの主犯格で、その子にもガッツリいじめられました。廊下ですれ違うと舌打ちされたり、ブスって言われたりしました。それを相談してた相手も実はいじめっ子とつるんでいて、『裏でアイツこんなこと言ってたよ』って面白がっていたみたいで……それを最終的に知って人間不信になりました」(コッピーさん)Upload By 桑山 知之その後も、グループに所属しては仲間外れにされることがあった。「これはたまたま失敗したのではなく、私に問題がある」――。そう気づいたコッピーさんは、そこからどうしたら人間関係をうまく結べるのかを考えるようになった。悪目立ちをしないように、無難に会話をやり過ごすといった“暗黙の了解”を学び始めたのだった。マルチタスクができない夢のために受験へ中高一貫校だったが、高校2年の頃に週に4日通えばOKだという単位制の私立高校に編入した。ADHDの症状として多くみられる過眠症はコッピーさんも例外ではなかったが、授業のコマも好きに組むことができることで朝もゆっくり過ごせるようになった。クラスメイトは「ギャルみたいな子」がいて怖かったものの、コッピーさんも髪を染めるなどして適応。そして、アルバイトをやってみたいと思い立つ。Upload By 桑山 知之「コンビニバイトが簡単だって聞いたからやっていたんですけど、意外と覚えることが多くて、マルチタスクなんですよ。それが致命的にできなかったんですよね。年上のお姉さんとかにすごく怒られて。品出し(商品を陳列すること)している最中に列ができちゃっていて、だけどまったく気づかなくて。ハッとして走っていくんですけど、そのあとめっちゃ怒られる。あとお金の勘定ミスがすごくて、マイナス5000円とか出しちゃうんですよ。けっこう深刻に悩んでいたんですけど、フリーターの上の人に自腹を促されて、泣く泣く支払ったりしていました」(コッピーさん)その後、制服がかわいいということでカフェでのバイトに切り替えたが、結局マルチタスクをこなさなければならない状況は変わらなかった。そんな17歳という悩み多き頃、気になった邦画を片っ端からレンタルしていたとき、とある映画に出会う。舞台はタイ。臓器移植や人身売買などを描いた『闇の子供たち』(監督:阪本順治、原作:梁石日)だ。「子どもたちが人身売買されている現状が描かれていて、売春のシーンもあったり、めちゃくちゃ衝撃的なんですね。私は人間関係とかしょうもないこととかで悩んでいるけれど、こんな壮絶な状況の人がいるんだって衝撃を受けました。私の悩みは贅沢な悩みだったんだなって。今思えばそれぞれの立場があってそれぞれの悩みがあるんだって思うんですけど。当時はすごく罪悪感に近いものを感じたんですね。普通に暮らしていることに不満を持って、途上国支援がしたいと思いました」(コッピーさん)国際協力や途上国支援ができるような仕事に就きたいと志すも、それには大学を出る必要があると感じたコッピーさんは、死ぬ気で受験勉強に励んだ。友達付き合いも一切やめ、インターネットはすべて遮断。集中力などとっくに切れているのに、1日に十何時間も机にへばりついていた。精神的に病みかけながら臨んだ受験当日、周囲の他の受験生が気になった。「第一志望の受験の日に覚えているのは、近くの人が貧乏揺すりをしていたんですよ。それがずっと気になっちゃって。あと、ページをペラペラめくる音が気になったり、試験官がどこにいるかとか、些細な刺激が気になって、ずっと集中できませんでした」(コッピーさん)Upload By 桑山 知之自分と向き合うということ行き着いた「マイノリティの尊重」カンボジアやミャンマーなど、東南アジア諸国を実際に自分の目で見た。しかし、“この人生を歩んできた私”がそこで働く必然性をなかなか見出せなかった。大学のカリキュラムに加え、児童養護施設でのボランティアや、雑誌『ビッグイシュー』のインターンシップにも自主的に参加した。国内の貧困問題を学んだ末、「貧困」と「人間関係」には密接な関わりがあると感じた。不登校児を専門に対象とする『東京家学』で家庭教師も経験した。こうして“自分が関わるべき必然性”を追求していった結果、日本での社会問題に目を向けること、さらに当事者と研究者両方の視点での発達心理学にたどり着いた。Upload By 桑山 知之「心理学で『アタッチメント理論』っていうものがあって。簡単に言うと、初期にお母さんと言うか主な養育者との間に築いた関係性は、生涯に渡って人間関係に応用されていくよって言うこと。それぐらい1番最初の人間関係って大事だと。家庭環境でつまずくと、その後の人生にまで影響があるって衝撃だったんですよね。家庭環境のように、自分にはどうにもできないのに人生に影響してしまう要因がたくさんあるのに、世の中ではほとんど考慮されていないことに大きな違和感を覚えたんです。それって貧困とか障害に関してもそうですが、『みんな頑張っているんだからあなたも文句言わずに頑張れ』という世の中のスタンスに、それはおかしいぞって思うようになって、心理学的観点から自分の障害についても向き合っていきたいと思うようになりました」(コッピーさん)Upload By 桑山 知之修士論文のテーマは「成人期のADHD者の質的研究」。レジリエンス(逆境から適応に至る現象)について、ADHDの人はどういうプロセスで適応するのかを当事者へのインタビューを通してまとめ上げた。現在、コッピーさんは東京大学大学院で心理学博士課程の1年。一般就労をしているADHDのある人に適応状態や働き方をヒアリングし、論文にまとめている。「社会に出たADHDのある人ってどうやって生活しているんだろう?というのがすごくあったんですね。でも、スティグマ(負のレッテル)のせいで公表しながら生活している人にまったく出会えない状態だったので、じゃあみんなコソコソどうやって生活しているんだ?というのが、疑問のスタートでした。正直怖さもあって向き合ってこなかった部分で、感情移入しすぎてしまわないかと思ったんです。なんかもう世の中ひどい、辛いみたいな気持ちになるかなって避けていたんですけど、それをテーマにすることで発達障害に関する知識が深まりました。私自身、ASDだったかもしれない、かつてその傾向が強く出ていたかもしれないってことも、そこまで深くやらないとわからないことだったと思うので、結果的にたどり着いてよかったなと思います」(コッピーさん)Upload By 桑山 知之「しっくりきた」両親マイノリティ尊重する働きかけをコッピーさんは発達障害について研究を続ける傍ら、「ブラインド当事者会」と題しTwitter上で当事者同士が情報を交換するハブになるなど、少しでも生きやすい世の中になるように活動している。「多様な立場の人のことをインプットする。自分が想像できないぐらい違う感じ方の人がいて、それも網羅できないぐらいいるんです。発達障害に限らず、マイノリティを尊重することであったり、想像力を働かせる方向に、そういうことができる人を育てるような働きかけができたらいいなって思っています」(コッピーさん)Upload By 桑山 知之コッピーさんが自らを障害者だと名乗ることについて、「両親はきっと当初、自分たちの子育てが否定されたように感じ、抵抗があったのではないか」と言う。しかし、時間をかけて説明した。過去のコッピーさんの行動が発達障害の特性として体系的に説明されていくにつれ、「しっくりきている」のが目に見えてわかった。今となっては両親とも、コッピーさんの取り組みの社会的意義を理解した上で応援してくれていると言う。将来的には、心理学の授業を通じてあらゆる社会問題を考えていくような授業ができるようになりたいと語るコッピーさん。多様な立場の人のことをインプットできる授業を通して、自分が想像できないくらい違う感じ方をする人達が網羅できない程いるんだという感覚を持つことで、相手のことを決めつけずに思いやりを持って接することができるような人が増えて欲しいと願っているそうだ。Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海
2021年03月09日「お母さんにだけ内緒の話があるんだ」秘密を打ち明けた次男…その内容に驚愕Upload By スガカズ通常学級に在籍しているADHDの次男。小4の2学期のある日に、次男は私に「お母さんにだけ内緒の話があるんだ」と、言いました。「正直に話すから…怒らない?」という意味深な言葉に、「これは何かあるぞ」と不安になりました。内容がまだ分からないので、絶対に怒らないとは約束できません…。私は次男に「正直に話してくれることが大事だから、怒らないようにがんばるよ」と伝えました。すると、次男は仲の良いEくんからゲームソフトをもらったと話しました。もらったゲームソフトは数ヶ月前から次男が「欲しい」と言っていた物ですが、「欲しいなら自分のお小遣いで買おうね」と私は伝えていました。それに対して次男は「頑張って貯金する!」と意気込んでいたのですが、なかなかうまくいかず…。「頑張って貯金をする」と意気込んだものの、目標の前にADHDの特性が邪魔をして…Upload By スガカズ大きな目標を前に、「やる気を維持しづらい」「興味の対象が次々に変わる」「我慢することに対してエネルギーが必要」などの特性が邪魔をします。そんな中、仲良しのEくんに「ほしいゲームソフトが買えないからプレイできない」と話したそうです。Eくんは、そのゲームソフトをお小遣いで買ったものの、あまり遊ばなかったそうで、「もう必要ないからあげる」と次男に言ったのだそうです。正直に打ち明けた次男にどう対応すれば良い?Upload By スガカズ私は親としてどういう対応をすれば正解なのか、非常に悩みました。Eくんに、もらったゲームソフトを返すのは当たり前ですが、次男にはどう言えば良いのだろう?高価なソフトを安易にもらったことに対して叱ると、せっかく正直に私に打ち明けたのに本人にとっての失敗体験になってしまいます。ゲームソフトをEくんに返しただけで終わらせることもまた、失敗体験になりそうです。次男の性格を考えると「言うんじゃなかった」と後悔する可能性が高いです。また、正直に言ってくれたからといってご褒美のように買い与えてしまうのも良くないと思いました。Upload By スガカズ正解だとはハッキリ言えないですが、「正直に言ってくれて助かったけど、ゲームソフトはすぐに返そう。人から物をもらったり交換をしたりしてはいけないよ。今回だけ特別にお母さんが買うけど次からは自分のお小遣いで買おう」と言いました。その後無事にEくんにゲームソフトを返し、お母さまにも謝罪しました。一安心…とはいきません。同じことを繰り返さないように、対応する必要があります。自分がしたいことを我慢する機会を増やしたり子どもとの関わり方を見直すUpload By スガカズ今までは「時間通りにお風呂に入る」「寝室では小さい声で話す」など、自分の良い行動に対してお小遣いをあげていましたが、条件を見直すことにし、家のお手伝いを中心にお願いすることに。そうすることで自分のしたいことを中断してお手伝いをするという状況をつくれるので、我慢する機会が増え、自分中心ではないことを教えることが可能です。小4になって情緒の面が成長していると感じることが増えたため、見直すタイミングとしては丁度良さそうでした。Upload By スガカズまた、私は今までは家のことを中心に動いていたので、子どもたちとゲームをすることがほとんどありませんでした。一緒に趣味を共有することで「ゲームって面白いな」と思えるようになりましたし、次男が「このゲームが欲しいから買って」と言ってきたとしても「面白そうだね」と気持ちに共感する事ができます。ただし、次男が欲しいゲームは買いません。本当に欲しい物は、やっぱり自分の力で得てほしいからです。その代わり、私が欲しいゲームソフトは、私が働いたお金(お小遣い)で買って次男と一緒に遊ぶので、「欲しいゲームは違うけど、一緒にやりたい」と、不満に思う回数は減らせるのではないかなと期待しています。物の価値観を学ぶのは大人でも難しいこともあります。ですが、欲しい物をただ我慢するだけでは辛い経験ばかりが大きくなるので、我慢を小さくしながら、物の価値観を理解して行動できるといいなと思います。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年03月04日発達障害当事者の視点から描かれた夫婦のものがたりーー漫画『僕の妻は発達障害』2巻月刊コミックバンチにて連載中の『僕の妻は発達障害』は、「大人の発達障害」をテーマにあつかった作品です。漫画家のアシスタントとして働く夫と、発達障害のある妻の日常生活が描かれています。本作では、発達障害がある人の生きづらさを描くと同時に、支援者にもスポットを当てています。悪意がないとわかっていても、発達障害のある妻・知花の行動にストレスを感じてしまう、夫・悟の描写もあり、決して良いことばかりではない、リアルな2人の生活がわかります。2巻では、結婚生活を送る中で衝突や理解のズレが多くなり、少しずつ疲弊していく2人の様子や、妻・知花が発達検査をうけたエピソードなどが描かれています。ぜひ幅広い方に読んでいただきたい一冊です。保護者のサポートにフォーカスした『育てにくい子の家族支援 親が不安・自責・孤立しないために支援者ができること』保育園、幼稚園、小学校、学童保育の先生など、子育て支援に関わる方に向けて書かれた本、『育てにくい子の家族支援 親が不安・自責・孤立しないために支援者ができること』。著者は、NPO法人えじそんくらぶ代表で、臨床心理士をつとめる高山恵子さんです。長らくADHDを中心とした発達障害の子どもとその家族、支援者をサポートする活動を続けています。本書の前身は、2007年に出版された『育てにくい子に悩む保護者サポートブック』(学研)。今作では主に幼児期の支援者向けだった前著の内容を大幅に加筆修正し、小学生の保護者支援にも活用できる1冊にまとめています。本作では、多様な子ども、保護者がいることを前提に、それぞれにどういうサポートをしたら最適な支援になるのか具体的な事例とともに紹介しています。支援者はもちろん、「わが子の育てにくさ」に悩む保護者の方にもおすすめの1冊です。発達障害当事者の高校生が描く『発達障害の私の頭の中は忙しいけどなんだか楽しい』本書の著者のなずなさんは、2001年生まれ。5歳で高機能広汎性発達障害(ADHD傾向)と診断され、中学時代には不登校も経験。現在は、通信制高校を卒業し、体力の回復を目指しながら夢に向かって進んでいます。なずなさんが自身の世界を描いたこの本では、なずなさんが、自分の世界をマンガと文章で説明し、「フラッシュバック」などの困りごとについて、独自の対処法を紹介しています。そこに、なずなさんの主治医である精神科医の松本喜代隆先生が、キーワードごとに一般的な解説や対処法のヒントを挙げています。当事者による貴重な記録を読める本作。書いてあることはなずなさんの個人的な経験ですが、松本先生の解説・ヒントとともに、誰が読んでも参考になることがあふれています。子どもと大人の境目にある思春期の見守り方も教えてくれる1冊です。自閉症の娘と家族の愛と成長の記録ーー『ムーちゃんと手をつないで』4巻筆者のみなと鈴さんが自身の経験をもとに、自閉症子育ての経験を描いた漫画『ムーちゃんと手をつないで』。『ムーちゃん』ことむつみの成長と、家族の愛について描いています。「他害」がテーマとなった4巻。周りの人に噛み付くなど他害してしまうムーちゃんに悩む母の彩は、どうにか解決したいと療育施設の先生に相談します。しかし、そこで先生に言われたことは、「他害行動はそうそう簡単に消失しない」というものでした。4巻では、ムーちゃんの他害について何ができるのか葛藤する母・彩とそれを懸命にサポートする周囲の様子が描写されています。発達障害のある子どもを育てる親と子の成長を描いた本作。ぜひ子育てに関わる方に読んでいただきたい一冊となっています。お母さんが楽に、元気になれる本ーー『ママのピンチを救う本』本書は2005年に出版された『のび太・ジャイアン症候群5 家族のADHD・大人のADHD お母さんセラピー』の改訂版です。発達障害のある子どもの支援者にフォーカスした本書。なかでも保護者であり、家庭の調整役になることが多いお母さんに寄り添い、お母さんたちの毎日が楽に、幸せになるようなアドバイスを豊富に掲載しています。発達障害がある子どもがいる家庭では、お父さんやお母さんにも似た特徴が少しずつ見られることがあります。本書では、発達障害がある子どもや大人、診断がつくほどではないけれど発達障害の傾向がある人が、家庭でどのようにすれば過ごしやすくなるかについて考察しており、日々の暮らしを快適にするヒントがたくさん詰まっています。ぜひ参考にしてみてください。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年02月06日