シャネル・ネクサス・ホール(CHANEL NEXUS HALL)では、11月12日から2021年4月29日までの期間中、過去に同ギャラリーで開催した展覧会のデジタル版図録を順次公開中。Allphotos ©CHANEL2005年のオープン以来、シャネル・ネクサス・ホールでは、写真を中心にさまざまなアート作品の展覧会が開催されている。各展覧会では図録(非売品)を制作しており、会場にて閲覧用として公開されていたが、今回、過去に開催された展覧会の中から6冊の図録がデジタル版シリーズで期間限定公開されることとなった。このデジタル版図録でも、作品写真に加え、作家やキュレーターの寄稿文等、全ページが掲載されており、展覧会を観た人も、未見の人も楽しめるものとなっている。シリーズ第一弾として、今年シャネル・ネクサス・ ホールにつづき、KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭で開催された、パリ・ オペラ座のダンサーを捉えたピエール=エリィ ドピブラックによる「In Situ」展の図録を本日より12月10日まで公開。なお、このデジタル版図録の公開企画は、各図録1か月ごとの限定公開で、全6回のシリーズでお届け。公開の詳細は下記の通り。Vol.1「In Situ」ピエール=エリィドピブラック展「In Situ」ピエール=エリィドピブラック展公開期間:11月12日〜12月10日パリ・オペラ座という世界最高の舞台で、華麗なパフォーマンスによって人々を魅了するバレエダンサーたち。その神話的とすら言える美しさをあますところなく写真にとらえているのが、ピエール=エリィドピブラックの「InSitu」三部作。パリ・オペラ座バレエ団の公演会場であるガルニエ宮とオペラ・バスティーユの舞台裏に自ら身を置き、彼らの生活に入り込むことによって制作されたピブラックの作品は、オペラ座やダンサーにも引けをとらない独特の美しさを放っている。Vol.2「TRANSMISSIONS people-to-people」ティツィアーナ&ジャンニバルディッツォーネ展「TRANSMISSIONS people-to-people」ティツィアーナ&ジャンニバルディッツォーネ展公開期間:12月11日〜2021年1月7日ヨーロッパからアジア、アフリカの各地へと旅をするなか、40種類を超える分野にわたり100人以上の師弟に出会ったイタリア出身の写真家バルディッツォーネ夫妻。その関係性を深く探り、知識が伝えられていく過程で見られる感情、創造への感動、個々の関係、こうした交流から絆が芽生えていく様子を捉えた。伝統と革新、世代を超えた交流、文化的な多様性、遺産の保護など、見るものにさまざまな広がりを持たせ、思いめぐらすきっかけを与えてくれる。Vol.3「DEPARDON / TOKYO 1964-2016」レイモンドゥパルドン展「DEPARDON / TOKYO 1964-2016」レイモンドゥパルドン展公開期間:2021年1月8日〜2月4日アフリカの内戦から、世界各地に息づく人々の表情まで、報道的かつ人間味あふれる作品で知られるフランスの写真家、レイモンドゥパルドン。そんな彼が初めて日本を訪れたのは1964年、先の東京オリンピックを取材するためだった。当時22歳のまだ駆け出しともいえるドゥパルドンによるモノクロの写真群には、独自の鋭い観察眼や優れた画面の構成力がいかんなく発揮されている。そして2016年、ドゥパルドンは本展のため、再び東京の街をカラーで撮影。図録には、ドゥパルドンが東京を撮影した過去作とともにカラーによる撮り下ろし作品があわせて収録されている。Vol.4「INBOX HYBRIDIZATION (IN LOVE)」エンキビラル展「INBOX HYBRIDIZATION (IN LOVE)」エンキビラル展公開期間:2021年2月5日〜3月4日エンキビラルはフランス語圏における漫画バンド・デシネ界を代表するビジュアルクリエイター。1970年代中頃から強烈なビジュアル表現を伴ったSF作品を発表し、世界中の漫画家だけでなく映画界にも大きな影響を与えた。また、近年は絵画にも力を注ぎ、作品を発表するほか、2015年ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展では、観る者の五感と現実認識に問いかけるインスタレーション「INBOX」を手掛け、大きな話題となった。図録には、日本で初めての個展となった本展のために描き下ろされた絵画作品に加え、作家へのインタビューも収録されている。Vol.5「Retrace our Steps-ある日人々が消えた街」カルロスアイエスタ+ギョームブレッション展「Retrace our Steps-ある日人々が消えた街」カルロスアイエスタ+ギョームブレッション展公開期間:2021年3月5日〜4月1日写真家・カルロスアイエスタとギョームブレッションは、2011年3月11日東日本大震災直後に、福島第一原発の原発事故によって“no man’s land –無人地帯”となってしまった地域に幾度となく足を運び、撮影を行った。その中で、終わりの見えない状況をリアルに伝えようと、独自の方法で表現を重ねた結果、ドキュメンタリーとアートを融合させた作品シリーズが誕生。2017年にはアルル国際写真フェスティバルにてディスカバリーアワードを受賞している。震災から10年の歳月が経とうとしている今、観る者にさまざまな思いを投げかけてくる。図録には、作家への撮影秘話インタビューも掲載。Vol.6「D’un jour à l’autre巡りゆく日々」サラムーン展「D’un jour à l’autre巡りゆく日々」サラムーン展公開期間:2021年4月2日〜4月29日フランスを代表する女性写真家であり、映像作家としても高く評価されるサラムーンは、30年以上にわたり世界の第一線で活躍し、幻想的かつ深淵なイメージを創出してきた。図録には、サラムーンがセレクトした日本初公開作を中心に、インタビューも掲載。タイトルが示す通り“時の流れ”が重要なテーマとなっており、これはムーンが作家人生を通じて追究してきた主要な関心ごとのひとつでもある。優雅なたたずまいのモデルやファッション、鳥や象などの動物たち、自然や人工的な風景の数々を写し出した独自の作品世界は、時の儚さを示唆し、追憶やノスタルジーを観る者の心に喚起させてくれる。これらの図録の公開ページは、下記の枠内のURLから。【デジタル版図録公開ページ】URL:その他のシャネル・ネクサス・ホールの記事はこちらから
2020年11月12日絶賛上映中の映画『461個のおべんとう』のメイキングシーンを収めた、兼重淳監督のインタビュー映像が公開された。本作は、TOKYO No.1 SOUL SETの渡辺俊美によるお弁当エッセイ『461個の弁当は、親父と息子の男の約束。』(マガジンハウス刊)を基に、ミュージシャンでありながら息子のためにお弁当を作り続けるシングルファザー、鈴本一樹とその息子・虹輝の心の交流を描いた人間ドラマ。V6の井ノ原快彦が一樹を、そしてジャニーズ事務所の後輩で、関西ジャニーズJr.で人気沸騰中のユニットなにわ男子に所属する道枝駿佑が虹輝を演じる。監督を務めるのは、『キセキ -あの日のソビト-』や『泣くな赤鬼』など心温まる作品を世に送り出してきた兼重淳。今回公開された兼重監督のインタビュー映像は、クランクインから玄関で一樹が息子の虹輝にお弁当を渡すメイキングシーンよりスタートする。兼重監督は、井ノ原の印象について、「まず、お弁当作りそうじゃないですか。そして、真面目ですね。陰の努力を惜しまない人」と絶賛。現場では、そんな井ノ原と現場で話し合いながら作品を作り上げていったようで、「(井ノ原は)毎日何か(アイデア)を持って、現場に来てくれる人で、『監督ここセリフなんだけど』とか『ストーリー的にここはこうした方がいいんじゃないか?』とか、提案してくれてやっていった感じです」と語る。一方、虹輝役に道枝を起用した理由については、「この話をいただいた時に彼の顔しか浮かばなかった。圧倒的な透明感と、17、18歳でしか出せない危うさみたいな。会った瞬間、この子で間違いないなと思った」と明かした。映像では、福島での撮影で原作者・渡辺俊美が東日本大震災で人生観が変わったことを説明する監督と、その話を真剣に聞く井ノ原の姿も。さらに、本作に込めた想いについて、兼重監督は「親子の絆や、当たり前のことが当たり前じゃないということを去年撮影していた時も思っていたんですね。今年こういう風にコロナ禍になって、尚更それが強く感じられるというか。この作品を観てくださった方が何気ない日常って素晴らしいんだよということを感じて、(劇場から)お帰りいただければと思います」と、語った。◆『461個のおべんとう』メイキング映像入りインタビュー映像(兼重淳監督)『461個のおべんとう』公開中
2020年11月10日上野樹里が法医学者役で主演する「監察医 朝顔」第2シーズンの2話が11月9日オンエア。今回はよじ登った金網を揺らされ思わず叫んでしまう森本刑事を演じた「SixTONES」森本慎太郎と、ラストの戸次重幸の姿に多くの視聴者が反応した。人気同名コミックのドラマ版の第2シーズンとなり、月9ドラマとして初めての2クール連続放送されることも話題を呼んでいる本作。法医学者の主人公とベテラン刑事の父の親子がさまざまな事件を、解剖と捜査それぞれの方法でアプローチ。遺体から見つけ出された“生きた証”が、生きている人たちの心まで救っていくさまを描く。東日本大震災で母を失い、遺体も見つからないという悲しみを抱えるゆえ誰よりも懸命に、そして真摯に遺体に向き合っていく法医学者の万木朝顔に上野さん。朝顔の父で、時間があれば東北へ向かい妻の遺体を探し続けている野毛山署強行犯係に勤めるベテラン刑事の万木平に時任三郎。野毛山署強行犯係勤務を経て、現在は神奈川県警捜査一課で多忙な日々を送る朝顔の夫で刑事の桑原真也に風間俊介。また山口智子、中尾明慶、志田未来、戸次さん、柄本明、森本さんらが出演。※以下ネタバレを含む表現があります。ご注意ください。今回は空地で男子中学生の遺体が発見。遺体は14歳の矢野諒で野球のユニフォーム姿で、みぞおち付近の内出血以外、目立った外傷はなく、さらに連絡を受けて駆けつけようとしていた諒の父親が、階段から落ちて意識不明状態になってしまう。諒には双子の兄・一馬がいたのだが、事件当日2人はお互いのユニフォームを交換、金網にはさまったボールを取ろうとして一馬のほうが感電死。諒はそのことを言い出せず…というのが今回のストーリー。現場にやってきた朝顔は当時の状況を調べるため、森本(森本さん)に金網を登ってもらう。高橋(中尾さん)が下で金網を揺らすと、思わず「うわぁぁ」と叫ぶ琢磨…その様子に「少しだけ斜めになってる絆創膏貼った森本刑事すっごく可愛かったよ」などの声が上がる。一方、ラストでは雨のなか帰宅した真也が、朝顔に髪を拭いてもらっている山倉(戸次さん)を見て「どういうこと?」と驚愕する。これには「最後凄く謎すぎる。何で朝顔の家に戸次重幸さんがいたの?」「現れた顔が不安げな可愛い子犬でしかない」「濡れ髪のシゲちゃん、最高に好き過ぎる」「濡れた子犬が似合い過ぎるシゲさん」など、戸次さんの子犬のような表情にも多くの反応が寄せられている。(笠緒)
2020年11月09日お笑いタレントの江頭2:50さんが、2020年11月6日に自身のYouTubeチャンネルに動画を投稿。会員制の倉庫型店舗『コストコ』でいわゆる『爆買い』をする様子を公開しました。コストコを利用するのは2度目で、およそ9年ぶりだという江頭さん。初めて江頭さんがコストコを訪れたのは、東日本大震災の際だったといいます。江頭2:50、東日本大震災での支援を振り返る多くの人にとって忘れられない日となった、2011年3月11日。マグニチュード9.0の地震が東北地方で発生した、東日本大震災です。建物の倒壊や地震後の大津波により、多くの地域で甚大な被害が発生しました。復興庁によると、死者はおよそ2万人、行方不明者は2500人を超えるといいます。そんな中、江頭さんはペーパータオルや飲料水、生理用品やオムツなどを購入し、2tトラックに限界まで詰め込み、福島県に自らの手で届けることに。当時を振り返り、江頭さんはこのようにコメントしました。20万!アコムで借りた!そしたらそれが、そこで働いていた娘(女の子)がTwitterで「エガちゃんが来たみたい」って流して、(情報がネットで)広まって…営業妨害だよ!エガちゃんねる EGA-CHANNELーより引用なんと江頭さんは、支援物資を購入するために貸金業者から20万円を借りていたといいます。続けて、支援物資を直接届けることにした理由について、このように明かしました。あれはNHKで「福島が今、老人ホームがやばい」って。救援物資が、トラックが福島に届かない。手前で帰ってしまうっていうので、そんな…ふざけんじゃねえ!そんなのトラック野郎じゃねえ!って思って。「俺しかいない!」って思って行ったんだよ。エガちゃんねる EGA-CHANNELーより引用その時は救援物資もトラックも、ガソリンも全部ない時。俺のツテを全部たどって、「トラックもタダで貸してやる。そんなことだったら」(といわれた)。あと、コストコも電話したら「うちの偉い人に代わりますから!」って。「じゃあ、持てる分だけ持って行ってください!」。ただお金は必要ですけど「(必要な物を)全部渡しますから」って!コストコいいところなんだよ!エガちゃんねる EGA-CHANNELーより引用協力してくれる人を探した結果、トラックを知人から借り、コストコで支援物資を大量に購入することができたのだとか。震災後は被災地だけでなく、全国各地で買い占めが起こっていました。そのため、江頭さんはコストコに相談した上で支援物資を購入したのでしょう。9年前の恩を返すために、今回はコストコで『爆買い』をすることになったといいます。江頭さんの人情の厚い性格に、多くの人が感謝するコメントを寄せました。・福島県民です。江頭さんの優しさでたくさんの人が救われました。心から感謝しています。・こういう恩返しの『爆買い』はいいね!江頭さんに恩返ししたい人もたくさんいると思いますよ。・お金を借りていたと知って感動しました。行動に移せる江頭さんは本当にすごい。2020年7月に九州地方が豪雨被害を受けた際は、100万円を寄付した江頭さん。動画で被災地の人に向けて「お前らは1人じゃないぞ!絶対に諦めるな!」と熱いエールを送りました。「ありがとう」「涙が出てきた」江頭2:50が豪雨被災地に100万円を寄付いわゆる『汚れキャラ』でも人気があるのは、心の美しさが多くの人に伝わっているからなのでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年11月07日井ノ原快彦が主演を務める、映画『461個のおべんとう』が11月6日より公開される。ヒップホップバンド・TOKYO No.1 SOUL SETの渡辺俊美によるエッセイ『461個の弁当は、親父と息子の男の約束。』(マガジンハウス刊)を映画化した同作は、長年連れ添っていた妻と別れることを決意した鈴本一樹(井ノ原)が、息子・虹輝(道枝駿佑)と「3年間、毎日お弁当を作る!」「3年間、休まず学校へ行く」という約束をし、お弁当を作り続けた日々を描いた心温まる作品だ。井ノ原と、後輩である道枝駿佑(なにわ男子/関西ジャニーズJr.)が親子役を務めたことでも注目を集めている同作。今回は井ノ原にインタビューし、作品の思い出や後輩の道枝についても話を聞いた。○■息子役・道枝駿佑17歳の叫びに感銘――原作者の渡辺俊美さんから、直接音楽やお弁当作りの指導をしてもらったり、息子さんのお話を聞いたりといったことはあったんですか?ギターの練習はスタジオで「一緒にやろう」という感じでした。全て俊美さんが作った曲なので、「ここはこうやって弾いた方がいいよ」といったアドバイスをいただき、そこからまた家で練習しました。お弁当作りに関しては、料理のアドバイスと言うよりも、俊美さんがどうやって作っていたのかというお話を聞きました。ちょうど僕がやっていた舞台を観に来てくださって、楽屋で話し込んだら長くなってしまって(笑)。でも、そこで息子さんとの関係についてのお話も聞けました。道枝くんと歌った「Lookin’4」という曲も、一緒にゲームをしていた時のことが元になってるんだ、とか(笑)。――息子役の道枝さんは18歳ですが、ご自身が同じくらいの時と比べたりすると、印象はいかがでしたか?会った時は17歳になったばかりだったんですが、とても礼儀正しかったです。KREVAくんとやついくんとバンド用のポスター撮影をしていたところに来てくれて、「東京に出てきたので……」と言って、「なにわ男子 道枝」と熨斗のついたお菓子をくれたんですよ。去年、舞台をやっていた時も、大阪公演に誘ったら熨斗をつけた差し入れを持ってきてくれて……お菓子屋さんに頼むのかな? ご両親もしっかりした方なんだなと思いました。僕は地元のゆるキャラのサブレしか持っていなかったから、恥ずかしくて(笑)。よく「最近の若いもんは……」と言うけど、いいことしか言えません!――井ノ原さんの青春時代は、けっこう破天荒だったんですか?バブル時代ですからね(笑)。周りに変わった方が多かったから、「そういうものなのかな」と思っていたら、だんだん時代が許さなくなってきて、今の若い子はそういうところで生まれた子たちなんだろうなと思うんです。道枝くんは東日本大震災も経験しているし、阪神大震災の話もずっと聞かされてるだろうし、それでコロナ禍もあり、色々と考えるだろうな、と。この作品についても、「当たり前の日常なのに、今では当たり前じゃないことばかりが詰まってる」と言ってて、本当によく考えてると思うし、その通りだと思います。――道枝さんとのセッションもすごく印象的でした。彼はハモったことがなかったみたいなんです。俊美さんにレコーディングについていただいたんですが、その前に何回か合わせたのに、なかなかうまくつかめなかったので、合間で一緒に練習しました。そうしたら飲み込みが早いから、僕がちょっと歌い出すだけで、彼のハモが途中から入ってくるようになって。ゲームみたいにチョコチョコと練習していました。――親子のシーンでは、どのようなところが心に残っていますか?一樹のいろいろな行動について、虹輝から「なんで?」と聞かれるシーンが多いんです。その度に一樹は「説明しなきゃダメ?」と返すんだけど、本人にとっては大きなことではなくて、単に「好きだから」とか、そういう理由。でもそれが虹輝にとってはすごく大きな問題で、そういう眼差しを受けた時に、一樹の気持ちで「あ、すいません」と思ってしまいました(笑)。「父さんがうまくいくのは、周りに甘えてるからだよ」と言われるシーンも、「ごもっともです」と思うし、息子の虹輝から強い眼差しを受けて、グッとくるところはたくさんありました。あとは、撮影が始まる時に「自分の中で大事にしてるシーンってどこなの?」と聞いたら、道枝くんが「浜辺で叫ぶシーン」と言っていたことが印象に残っています。初々しいのが、「あのシーンが大事だと思ってるんですよね」とかじゃなくて、「あのシーンが難しいと思ってる」「頑張りたいと思ってる」と言っていたところ。だから、「僕も見れたらいいな」と言っていたら、たまたま自分も撮影のあった日だったんです。道枝くんのそのシーンが見れて、「17歳の叫びって、すごいな」と思いました。そんな声はもう出ないと思ったし、感情の揺らぎもあって、彼の人間性が出るんだな、考えていることもいっぱいあるんだろうな……と思って。いいものを見せてもらったような気持ちになりました。最後のお弁当までの流れも、「人がものを食べている瞬間って泣けるな」と思ってグッときました。――KREVAさん、やついさんとは作中のバンド・Ten 4 The Sunsを演じられていましたが、ライブシーンもかっこよかったですし、結成20年という設定で、インタビューシーンなんかもすごくリアルでした。初対面だけど、2人とも最初からすごい話すから、ずっと会話していました。インタビューだと、テレビとまた違うところがあって、ちょっと素が出る感じ。でも20周年を迎えたバンドという設定だったので、ちゃんと話すことは話すという気遣いもあったり。やついさんもKREVAさんも、”お芝居”にならずに普通に話すから、「この人たち、すごいな」と思いました。本業だからこそ、リアルだなと思うところはあるでしょうね。同年代だし、それぞれいろんな形で音楽に携わってきたから、そういう部分が出ていてよかったと思っています。――今までのお話を伺っていても、テレビなどで拝見していても、井ノ原さんの意見や考え方がすごくフラットだなと思うんですが、どう培われてきたんでしょうか?徐々にだと思いますが、グループ活動して来たのは大きいかもしれないです。あとは、俳優というお仕事でも、例えば僕は今回母親役の倍賞千恵子さんのことをすごくリスペクトしていますが、それが演技に表れてしまったら元も子もないので、フラットにならないといけない。演技が終わった時に、きちんと人として尊敬しているという気持ちが出ればいいと思います。僕らの事務所の先輩や、役者としての先輩たちも「カットがかかるまでは関係ないから」と言ってくださっていたから、それが1番良い方法だとわかっていたんでしょうね。そういった先輩方から教わったことが、自分にも生きているんだと思います。■井ノ原快彦1976年5月17日生まれ、東京都出身。1995年にV6としてCDデビュー。以降、グループでの活動の見ならず、ドラマ、映画、舞台で俳優として、TVではMCとしても活躍の幅を広げ、老若男女問わず愛されている。主なドラマ出演作は、カンテレ開局60周年特別ドラマ『僕が笑うと』(19年)や、前シリーズを含めると15年にわたって出演している『特捜9』シリーズ(18〜20年)など。主な映画出演作は『天国は待ってくれる』(07年)、『FLOWERS』(10年)。昨年話題となった劇場版アニメーション『映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ』ではナレーションを務めた。
2020年11月06日話題のスポットやエンタメに本誌記者が“おでかけ”し、その魅力を紹介するこの企画。今週は渋谷で開催されている、16の国・地域で活動中の写真家100人による展覧会へ行ってきました。■「東京好奇心 2020 渋谷」Bunkamura ザ・ミュージアムにて11月12日(木)まで開催中テーマは「好奇心」で、すでに’18年にパリで、’19年はベルリンで開催され、いよいよ今年、東京に凱旋しました。展示数は約200点。森山大道といった巨匠から若手までが参加しています。会場内は「IDENTITY」「DIVERSITY」「HERE AND NOW」「TIMELESSNESS」の4つのキーワードで構成されています。渋谷のスクランブル交差点のように東京を象徴する風景や、代々木公園のカラスといった何げない瞬間を切り取ったもの、東京で生きる人々の姿など、それぞれの切り口で東京が表現されています。写真家の活躍するフィールドがフォトジャーナリズム、ファッションやアート系など多様なので、見ていて飽きません。むしろその統一感のなさが世界から注目される都市・東京そのものを表している気がしました。100人の写真家たちは「東京画」という写真家集団で、本展のキュレーターの太田菜穂子さんが東日本大震災直後に立ち上げたそう。震災を目の当たりにし写真に何ができるかを考えたとき、確かな記憶を記録する写真の力を感じ、自分たちの居場所・東京を撮り続けることを活動趣旨にしたのだとか。「東京画」が記録した変化し続ける都市の姿。写真の背景にある物語を想像しながらじっくりと楽しみたい写真展です。「女性自身」2020年11月10日号 掲載
2020年10月31日東日本大震災後、宮城県気仙沼市に「梅村マルティナ気仙沼FSアトリエ」を設立。カラフルで心が弾むようなドイツ製オリジナル段染め糸と、編みやすいデザインで人気を博すニットクリエイターの梅村マルティナさん。そのマルティナさんが、今イチオシなのがレッグウエア。新刊『マルティナさんのカラフル糸で編むレッグウェア』では、穴に編みつけていくだけの手軽なソール(靴底)・ボッティーズを使ったさまざまなタイプのルームシューズ、著者のマルティナさんが子どものころから編み続けているソックス、足元を温めてくれるレッグウォーマーの編み方を写真解説つきで紹介しています。簡単につくれるルームシューズ「ボッティーズ」をはじめとする、楽しいレッグウェアを紹介「故郷のドイツには、革底に生地やニットの編み地を縫いつけてルームシューズを作る伝統文化がありますが、これは結構大変です。それに出来上がったものが無骨でがっかりすることもあって……」と語る著者の梅村マルティナさん。インタビューの間も靴下を編む手が止まらないマルティナさんそんなマルティナさんが見つけたのが、丈夫で足にフィットするポリウレタン製のソール(靴底)・ボッティーズ。周囲にあいている穴に糸を編みつけていくだけで簡単にルームシューズが作れるとあって、今ドイツで人気急上昇中のアイテムです。13サイズ展開(対応サイズ14㎝~29.5㎝)で、子ども用から男性用まで作れるのもうれしいところ。シンプルに細編みで編んだブーツから、個性的なローファー風やスニーカー風のものまで、さまざまなルームシューズがそろっているので、どのデザインで編むか迷ってしまいそうです。子ども用から男性用までサイズが豊富。好きな糸と組み合わせてブーツが作れますベロも靴ひももついて、本格的なスニーカーのようなデザイン真っ赤な糸とボタンがアクセントソックスも、マルティナさんにとって編み物の原点ともいうべき存在。7歳のころから家族全員のソックスを編んでいたといいます。本書では、マルティナさんが小学校で習った編み方をベースとした「ベーシックソックス」、往復に編んではぎ合わせるユニークな「縦柄ソックス」など、5種類の編み方を紹介しています。プレゼントにも喜ばれるソックスは、何足も編んでみたくなるアイテムです。足にしっかりフィットするベーシックタイプのソックス履き口からつま先までを往復に編んでいく縦柄ソックス編み物初心者さんにおすすめなのは、レッグウォーマー。筒状にぐるぐる編んでいくだけなので、まず手慣らしをしたいという方にぴったり。マルティナさんプロデュースのオリジナル段染め糸なら、シンプルな編み地でもキュートに編み上がって、うれしさも倍増です!マルティナさんオリジナル糸ならではのきれいなグラデーションが楽しめます紹介作品一覧【ボッティーズ】・ブーツ・バレエシューズ・ボタン使いのブーツ・ケーブル編みのブーツ・裏引き上げ編みのブーツ・表引き上げ編みのブーツ・ローファー風・スニーカー風【レッグウォーマー】・ロングタイプのレッグウォーマー・ショートタイプのレッグウォーマー・レリーフ編みのレッグウォーマー・2色使いのレッグウォーマー・ゴム編みつきのレッグウォーマー【ソックス】・ベーシックソックス・オーバーソックス・かごめ編みのルーズソックス・ストライプのソックス・縦柄のソックス※本書掲載作品の展示や、ボッティーズソール、オリジナル糸の販売も行われる「梅村マルティナ気仙沼FSアトリエ展」が、11月11日(水)~16日(月)の名古屋展を皮切りに札幌・仙台・山口・大阪・東京を巡回予定。詳細は梅村マルティナ気仙沼FSアトリエwebページにてご確認ください。梅村マルティナ気仙沼FSアトリエ著者梅村マルティナ(うめむら・まるてぃな)ニットクリエイター。ドイツ出身、1987年に医学研究者として来日。東日本大震災後、宮城県気仙沼市に毛糸とニットの会社「梅村マルティナ気仙沼FSアトリエ」を設立。色彩豊かで編みやすい糸のデザインと、簡単で使いやすい作品を製作している。番組「すてきにハンドメイド」でも人気。商品情報書名:『マルティナさんのカラフル糸で編むレッグウエアMartina’scolorfulBotties,socks,legwarmers』出版社:NHK出版発売日:2020年10月24日(土)定価:1,870円(本体1,700円)判型:AB判ページ数:96ページ(うちカラー64ページ)ISBN:978-4-14-031216-2『マルティナさんのカラフル糸で編むレッグウエア』 - Amazon企業プレスリリース詳細へ TIMESトップへ
2020年10月26日看護師・金澤絵里さん(43)は、アフリカや中東、東南アジアなどで医療支援に携わってきた。また、仕事の合間を縫って、東日本大震災など、災害が日本を襲うたび、ボランティアとして救護に全国を駆け巡っている。そんな金澤さんは2018年、イラクに赴いていた。「人が行きたがらない地域にこそ、助けを求めている人がいる。そう思って就職先を探していたら、イラクで小児がんの子どもたちに医療支援をしている日本イラク医療支援ネットワーク(JIM?NET)の現地駐在員の募集を見つけたんです。イラクでは、イラク戦争で米軍が使った劣化ウラン弾の影響からか、子どもたちに白血病が増えていると考えられました。日本も、自衛隊を派遣したんだから無関係じゃないと思って」こうして4月から1年間、イラクのアルビルという町に駐在することになったのだ。「私の仕事は、イラク人の現地スタッフを指導しつつ、小児がんの子どもたちへの医療支援や家庭訪問、ワークショップや支援病院での看護師指導、学校での啓蒙活動など、いくつかのプロジェクトを円滑に進めるプロジェクトマネージャー。資金管理も重要な仕事でした。看護師の資格を持っていなくてもできる業務なんですが、人の“生命”は医療だけで守られるものじゃないと思うんです。これまで、さまざまな被災地を見てきて、戦争や貧困、経済、政治状況などが、とくに立場の弱い人たちの生命に影響を及ぼすと感じました。だから“看護師”という枠にとらわれず、さまざまなことを学べたらと思って」金澤さんが言うように、イラクには、子どもたちが戦争の犠牲になって亡くなっていく痛ましい現実があった。なかでも印象に残っているのは、当時9歳だったオマルくんという男の子のことだ。「オマルくんは住んでいた町をイスラム国に攻撃され、多くの人が殺されていく姿を目の当たりにして、心に深い傷を負っていました。家族とともに別の町に避難していた矢先、がんが発生。手術は受けたものの完治はせず、下半身は麻痺している状態でした。泣きだしてしまうほどの痛みが襲ってくることもあるけど、緩和ケアのための医療用麻薬は使えない。イスラムでは宗教上の理由から、麻薬を使うことに抵抗があるからです。それでも彼は、私たちに心配かけまいと、『大丈夫、元気だよ!』『ありがとう!』と、あふれんばかりの笑みを向けてくれるんです」しかし、懸命に痛みに耐えても、助かる命は少ない――。そんな状況のなか、金澤さんがイラクの現地スタッフに繰り返し伝えていたことがある。それは、「最期まで寄り添って苦しみを分かち合おう」ということだった。「見ていていちばんつらいのは、小児がんになった子どもたちが、痛みを和らげることもできずに壮絶な苦しみのなかで亡くなっていくことです。でも、楽しいときばかりじゃなく、つらいときこそ寄り添おう、お子さんが亡くなっても、関係が終わるんじゃなくて、希望するなら親御さんも支えていこう、と。だって、ちょっとした心遣いで、人は救われることがあるんですから」残念ながら、金澤さん自身がオマルくんの最期に立ち会うことはかなわなかった。「彼が亡くなったのは、私が1年の任務を終えてイラクを離れたあとでした。訃報を聞いたときはショックで……」こうした悲しみは、次に助けを必要としている人の役に立つことでしか癒されない。金澤さんの目は、さらに世界各国へと向けられることになった。9月下旬からは、地元、秋田へ戻り、老人保健施設で看護師として働く日々。その傍ら、MBA(経営学修士)を取得するため、アメリカの大学のオンライン授業も受けている。「看護師なのにMBA?って思われるかもしれないけど、公衆衛生でマネジメントに関して学び、そのなかでどんな組織やプロジェクトも、マネジメントがしっかりしていないとベストなパフォーマンスは発揮できないと感じました。だから、看護師の分野にとどまらず広い知識を得たいと思っています」勇気と経験を武器に、金澤さんは身ひとつで世界を駆け巡る。助けを必要とする人がいる限り――。(撮影:田山達之)「女性自身」2020年11月3日号 掲載
2020年10月26日EXILEのメンバーで、三代目 J SOUL BROTHERSのリーダー・小林直己による初の自伝的エッセイ『EXILEになれなくて』が、きょう23日18時から「文藝春秋digital」で連載開始する。小林がEXILEに加入したのは2009年。その直後に発生した東日本大震災から、EXILEはスローガンとして「日本を元気に」を掲げてきた。実現に向けて「EXILEとして何ができるのか」そして「EXILEとして生きるということはどういうことか」を必死に考え続け、迎えた三代目 J SOUL BROTHERS活動10周年、コロナ禍に直面する――。グループでの活動が制約されるなか、自分ができることを考え抜き、「私があこがれ続けた場所を、自分の言葉で書くことで、その意味を問いただし、私自身を発見したい」という思いから、今回、初の自伝的エッセイ『EXILEになれなくて』の連載開始に至った。小林はこれまでも週刊文春、文春オンラインに村上春樹『一人称単数』の書評を2編同時に寄せるなど、“ハルキスト”として、また読書家としても有名だ。今回の連載では、自らの生い立ちからEXILEとの出会い、LDHという組織の秘密、コロナ禍のエンターテインメント産業、新たな世代へのビジョンの共有など、内に秘めた熱い思いをメディアプラットフォーム「note」で展開中の「文藝春秋digital」で綴る。
2020年10月23日菅義偉首相(71)の著作「政治家の覚悟」の改訂版が10月20日に発売された。しかし、「政府があらゆる記録を克明に残すのは当然」との記述があった章などを削除しており、その改訂を疑問視する声が上がっている。各メディアによると、12年3月に刊行された同著で菅首相は旧民主党政権が東日本大震災時に議事録を残していなかったことを批判。「政府があらゆる記録を克明に残すのは当然で、議事録は最も基本的な資料です。その作成を怠ったことは国民への背信行為」などと記述していたが、改訂版では削除されているという。菅首相は、同年1月にも同様の内容をブログにつづっている。「議事録も作成しない『誤った政治主導』」というタイトルの記事で、単行本同様に旧民主党政権を批判。そして「東日本大震災に対応するために立ち上げた多くの会議で議事録が作られていないというずさんな実態が、次々と明らかになりました」とし、こうつづっている。「公文書の作成は、政党の主義主張とは全く関係のない、国家運営の基本です」「民主党政権のが自らの失敗を隠そうとしたと疑われるのは当然です」(原文ママ)「政策決定過程の多くは非公開で議事録も作成されず、『密室政治』となっています」先ごろの安倍政権下では、“国民への背信行為”が続いていた。コロナウイルス対策での専門家会議の議事録を作成していないことが判明し、さらにモリカケ問題や「桜を見る会」を筆頭に公文書の改ざんや廃棄までも発覚している。そんななかで今年1月、官房長官だった菅首相は公文書のずさんな運用について「担当者の対応意識が少なかったのではないか」と発言している。かつては、公文書管理の重要性を説いていた菅首相だったがーー。ネットでは、厳しい声が上がっている。《自著さえも削除改ざんしてるの草》《自分が主張したことですら責任を取れない》《自分の歴史まで改ざんするとは……》《自著でも改竄・隠蔽をやるんだな。徹底している》ブログのタイトルは「意志あれば道あり」。そして、著作のタイトルは「政治家の覚悟」。今回の“改訂”にも、菅首相の意志や覚悟が反映されているのだろうか。
2020年10月20日ソロ、映画や舞台の音楽、他アーティストへの楽曲提供など、蓮沼執太さんの音楽活動は多岐にわたる。なかでも大所帯なのが、26人編成の現代版フィルハーモニック・ポップ・オーケストラ、蓮沼執太フルフィル。そのニューアルバム『フルフォニー|FULLPHONY』が8月に配信リリースされ、10月28日にはアナログ盤とCDが発売。ほかにも音づくりを視覚化した展示など、さまざまなプロジェクトを手がけている。――蓮沼さんは本当にいろんな活動をされていますが、そもそもその原点は何になるのか、キャリアのスタートから教えてください。大学生の時に、都市や自然の音を録りに行くというフィールドワークをやっていて、それをもとに自分で曲をつくって、SNSにアップしたり、レコードレーベルにデモを送ったりしていたんです。そのうちにアメリカのインディーズレーベルから「アルバムを出さないか」とコンタクトがあって。僕も知っているレーベルだったので、ぜひということになりました。――もともとミュージシャンになりたかったのでしょうか?音楽は好きで、ハードロックとかヒップホップをよく聴いていましたけど、いわゆる“バンドやりたい!”みたいな感じではなかったんです。それなのに自分で音楽をつくり始めたのは、こう言うとチャラいんですが、単に就職したくなかったから(笑)。僕、中学、高校、大学とずっとぷらぷらしていたんです。でも、いま振り返ると、そんな自分でいることが、親に申し訳ないと思ったんでしょうね。ふと、何か作品をつくろうと。しかも、音楽だったらできるとなぜか思ったんです。それでコンピューターを買ってきて、曲をつくったのが最初です。――で、アメリカのレーベルからリリースしたのが、’06年の『Shuta Hasunuma』?はい。不思議ですよね。こんなことあるんだって。――以降、音楽はもちろん、さらにそこから派生したアートなど、活動の幅を広げています。やりたいことを形にしていった結果、いまのような活動形態に?作品づくりに関しては、自分がやりたいことっていうのも当然あるんですけど、それより何か問題意識とか、自分がやるべきことと照らし合わせてつくっていることが多いですね。自分の作品が、人や社会にどう反映するのか、など。そういうことを考えています。――その思いは音楽をつくり始めた当初からですか?いやいや、たぶん最初は自分のためです。誰に届くのかもわからないし、そもそも就職したくないから作品をつくるなんて、自分のためじゃないですか。でも、活動を続けるうちに、作品を通して社会のあり方とか、自分がどうやって生きているんだということを考えざるを得なくなってきて。30代になって責任感が生まれた、とかそういうことでもないけど、ただ、自分がつくりたい音楽を勝手につくり続けるのは違うのかなと。――具体的にはいつ頃から、そう思うようになったんでしょう。’10年ぐらいですかね。その年に父親が亡くなったんですよ。それで自分はなぜこれをつくっているんだろう。もう少しちゃんとやらなきゃと思うようになったんです。翌年には東日本大震災と大きいことが重なり、同時に僕が映画とか舞台とか他ジャンルとコラボレーションすることが増えていって。だけど、違う現場で仕事をしてみると、僕が感じている音楽の価値観とは差があることに、ある種のカルチャーショックを受けたというか。自分が音楽をやっていて、当たり前だと思っていたことがそうではなかったんだと。その辺りから、音楽との向き合い方が変わっていきましたね。――’10年というと、蓮沼執太フィルを結成された時期でもあります。そういう大きな出来事が影響して、結成を思い立ったのですか?なんというか、設計図を用意して“僕はこうなりたい”みたいなものは一切ないんですよ。フィルを結成したのも自分発信ではなく人に言われて。きっかけはマーカス・ポップというベルリン在住のアーティストの来日公演。その企画をした人が「蓮沼くん、ちょっと楽団みたいな感じで彼のライブで演奏してみない?」と言うので、「じゃあ、やってみます」って。――「じゃあ、やってみます」でできることなんですか!?何も考えていないんでしょうね(笑)。とりあえずフィルと名づけてライブをやったんです。でも、すごーく満足いかなくて、失敗というか。悔しいな、リベンジしてやろうっていうところから続いていくわけですが。そもそも他人と合奏することは、僕にとって特別な機会なんです。たとえば3人組のロックバンドとかなら、車一台でツアーに行くぜ、みたいなノリで身軽に動けると思うんですけど、フィルは16人(フルフィルは26人)もいるので集まるのが大変だし、演奏すること自体も大変で。ライブは年に数回。それに向けて1~2回リハをやって、本番が終わったら別れて…という関係性です。そういう意味で、みんなにとっても新鮮な場であり続けたいっていうのはありますね。はすぬま・しゅうた1983年生まれ、東京都出身。2006年、アメリカのWestern Vinylより『Shuta Hasunuma』をリリースし、音楽活動をスタート。’10年、蓮沼執太フィルを結成。’17年にオーディションで選ばれた新メンバーが10人加入し、26人編成の蓮沼執太フルフィルに。’19年、「第69回芸術選奨文部科学大臣新人賞」受賞。「windandwindows」など全10曲が収録された蓮沼執太フルフィルのアルバム『フルフォニー|FULLPHONY』。管弦楽器などの豊かな響きに、蓮沼さんや木下美紗都さんの歌声と、環ROYさんのラップが心地よく乗る。いつの日か野外ライブで聴きたい。10/28発売。CD¥2,545アナログ盤¥4,546(Caroline International/Universal Music LLC)※『anan』2020年10月21日号より。写真・野呂知功(TRIVAL)インタビュー、文・保手濱奈美(by anan編集部)
2020年10月19日二宮和也主演、『湯を沸かすほどの熱い愛』の中野量太監督による映画『浅田家!』が第36回ワルシャワ国際映画祭にて最優秀アジア映画賞(NETPAC賞)を受賞、邦画作品では初の受賞となった。10月9日(金)~18日(日)の間、開催されていたワルシャワ国際映画祭は1985年の初開催以降、2009年に国際映画製作者連盟公認の映画祭となり、カンヌ、ベルリン、ヴェネチア、さらにロカルノ、サン・セバスティアンなどと並び、ヨーロッパの中でも重要な映画祭の1つとして知られる。本作のプレミア上映は、現地時間10月14日にワルシャワ市内の映画館マルチキノ(キャパ366席)で上映されており、観客の反応は良く、中には「中野監督にお礼を伝えてください」という観客もおり、多くのシーンで笑いが巻き起こっていたという。また、今回の授賞理由についてある審査委員は、「本作は、現在の混沌とした時代にこそ必要とされる希望に満ちた、非常に感動で楽しい作品でした。誰もが大きな心を持ち、純粋な夢を決して諦めない、ユニークなある家族の悲しみと喜びの描写が素晴らしく、私たちは最優秀アジア賞(NETPAC賞)を授与いたします」とコメントしている。二宮和也「“家族というものの一つの形”を感じて頂くことができたのかな」今回、新型コロナウィルスの影響で残念ながら映画祭に出席できなった二宮さんは、「人から人へ気持ちが伝わったことが嬉しいです。それだけでも嬉しいです」とコメント。「こういった映画祭があるからこそ、世界の人に観ていただく機会があり、世界中にある“家族というものの一つの形”を感じて頂くことができたのかなと思います」と喜びを語る。と同時に、「たくさんの方が久しぶりに映画館に行ったきっかけが『浅田家!』だと言ってくれているのを知り、すごく嬉しかったです。色々な価値観の人が集まって一つのスクリーンで同じものを共有できる映画館という場所に人が戻ってきて、お客さんが『よかった』と言ってくれる作品を作れたことが何より素晴らしいと思います」と、現在全国で公開中の本作に触れた。中野量太監督「家族の話なので、世界共通」「この映画が言葉の壁や国境も超えて海外の人にも受け入れられたということがとても嬉しいです。国際コンペティション部門に選ばれた理由も『この苦しい時代だからこそ、こういう映画が必要だ』というものだったのですが、受賞理由も同じだったと聞いて嬉しかった」と中野監督。「この映画は家族の話なので、世界共通だと思いました。東日本大震災の中で苦難にぶつかっても、希望を見つけて乗り越え、前に進むという話なので、世界の方々にも理解をして頂けたんだと思います」と語り、「この作品で映画館に帰ってきてくれたというお話を聞いて、世界の映画ファンも帰ってきてくれるきっかけの映画になってくれたらいいなと。受賞理由を聞いて、もしかしたらそういう役目をもった作品なのかもと感じたので、今、上映できていることが嬉しいです」と、二宮さん同様に映画館で上映されていることの意味に触れた。なお、ワルシャワ国際映画祭での邦画作品の受賞は、2007年『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(吉田大八監督)のフリースピリットコンペティション部門大賞受賞以来、最優秀アジア映画賞としては初。同賞はコンペティション部門に関わらず、今年対象になったアジア映画12本の中から選出された。ワルシャワ国際映画祭国際コンペティション部門グランプリといえば、これまで2004年に『別離』でベルリンのグランプリ、アカデミー賞外国語映画賞を受賞したアスガー・ファルハディ監督の『美しい都市(まち)』(日本劇場未公開)や、『ブレードランナー2049』『DUNE/デューン』で知られるドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『灼熱の魂』が2010年に、『COLD WAR あの歌、2つの心』のパヴェウ・パヴリコフスキのアカデミー賞外国語映画賞受賞作『イーダ』が2013年に受賞するなど、後の巨匠監督の初期作品が多く受賞しているという特徴がある。二宮さんの出演作が海外の映画祭に選出されるのは、第57回ベルリン国際映画祭の『硫黄島からの手紙』、第2回マカオ国際映画祭での『ラストレシピ ~麒麟の舌の記憶~』公式上映、第38回ハワイ国際映画祭出品『検察側の罪人』の以来。また、10月21日から開催の第25回釜山国際映画祭のオープンシネマ部門にも正式招待されており、日本のみならず世界から注目を集めている。『浅田家!』は全国東宝系にて公開中。(text:cinemacafe.net)■関連作品:浅田家! 2020年10月2日より全国東宝系にて公開©2020「浅田家!」製作委員会
2020年10月19日アイドルグループ・嵐の二宮和也が主演を務める映画『浅田家!』(10月2日公開)が、第36回ワルシャワ国際映画祭で最優秀アジア映画賞(NETPAC賞)を獲得したことが19日、明らかになった。同作は写真家・浅田政志とその家族を映画化した映画。4人家族の次男として生まれた政志(二宮和也)が、家族それぞれが“なりたかった自分”をテーマにコスプレで家族写真を収めた写真集「浅田家」が、第34回木村伊兵衛写真賞を受賞しプロとして活動を始めた最中、東日本大震災が起こる。政志は津波で泥だらけになってしまったアルバムや写真を洗浄、元の持ち主に返すボランティア活動をする人々を約2年間にわたって撮影していく。『湯を沸かすほどの熱い愛』(16年)で、第41回報知映画賞作品賞、第40回日本アカデミー賞優秀作品賞、優秀監督賞、優秀脚本賞など数々の賞を受賞した中野量太監督が独自の目線で映画化した。9日~18日の間行われていた、第36回ワルシャワ国際映画祭「国際コンペティション部門」に出品にされていた同作だが、現地時間17日16:30(日本時間23:30)よりワルシャワ市内の映画館マルチキノにて授賞式が行われ、アジア映画12本の中から最優秀アジア映画賞(NETPAC賞)を獲得。ワルシャワ国際映画祭においての最優秀アジア映画賞は、邦画作品では初の受賞となる。本作のプレミア上映は、現地時間14日に、ワルシャワ市内の映画館マルチキノ(キャパ366席)で上映され、観客の反応は非常にポジティブで、多くのシーンで笑いが起こっていた。今回の授賞理由について、ある審査委員は「本作は、現在の混沌とした時代にこそ必要とされる希望に満ちた、非常に感動で楽しい作品でした。誰もが大きな心を持ち、純粋な夢を決して諦めない、ユニークなある家族の悲しみと喜びの描写が素晴らしく、私たちは最優秀アジア賞(NETPAC賞)を授与いたします」と述べている。ワルシャワ国際映画祭国際コンペティション部門グランプリでは、これまでも2004年に『別離』でベルリンのグランプリ、アカデミー賞外国語映画賞を受賞したアスガー・ファルハディ監督の『美しい都市(まち)』(日本劇場未公開)や、2010年、『ブレードランナー2049』で知られるドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『灼熱の魂』、2013年、『COLD WAR あの歌、2つの心』のパヴェウ・パヴリコフスキのアカデミー賞外国語映画賞受賞作『イーダ』などが受賞しており、後の巨匠監督の初期の作品が多く受賞しているという特徴があるという。邦画作品の受賞は、2007年『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(吉田大八監督)のフリースピリットコンペティション部門大賞受賞以来となる。二宮の出演作が、海外の映画祭に選出されるのは『硫黄島からの手紙』(06年)での、第57回ベルリン国際映画祭、第79回アカデミー賞のノミネート、『ラストレシピ ~麒麟の舌の記憶~』(17年)での第2回マカオ国際映画祭での公式上映、『検察側の罪人』(18年)の第38回ハワイ国際映画祭への出品以来。21日から開催の第25回釜山国際映画祭のオープンシネマ部門にも正式招待されている。今回、新型コロナウィルスの影響で映画祭に出席できなった二宮と中野監督は、この吉報を耳にし、コメントを発表した。○二宮和也 コメントまずは監督、受賞おめでとうございます! 朝起きて、「最優秀アジア賞を受賞しました」という知らせが深夜に来ていたことを知り、大変驚きました。人から人へ気持ちが伝わったことが嬉しいです。それだけでも嬉しいです。最初から賞を目的として、作品に参加したわけではありませんが、こういった映画祭があるからこそ、世界の人に観ていただく機会があり、世界中にある“家族というものの一つの形”を感じて頂くことができたのかなと思います。賞をいただけたことはもちろん光栄ですが、映画を観た皆さんの感想で、たくさんの方が久しぶりに映画館に行ったきっかけが『浅田家!』だと言ってくれているのを知り、すごく嬉しかったです。色々な価値観の人が集まって一つのスクリーンで同じものを共有できる映画館という場所に人が戻ってきて、お客さんが「よかった」と言ってくれる作品を作れたことが何より素晴らしいと思います。○中野量太監督 コメントこの映画が言葉の壁や国境も超えて海外の人にも受け入れられたということがとても嬉しいです。国際コンペティション部門に選ばれた理由も「この苦しい時代だからこそ、こういう映画が必要だ」というものだったのですが、受賞理由も同じだったと聞いて嬉しかったです。この映画は家族の話なので、世界共通だと思いました。東日本大震災の中で苦難にぶつかっても、希望を見つけて乗り越え、前に進むという話なので、世界の方々にも理解をして頂けたんだと思います。日本の映画ファンの方々が、この作品で映画館に帰ってきてくれたというお話を聞いて、世界の映画ファンも帰ってきてくれるきっかけの映画になってくれたらいいなと。受賞理由を聞いて、もしかしたらそういう役目をもった作品なのかもと感じたので、今、上映できていることが嬉しいです。
2020年10月19日上皇后・美智子さまは、10月20日に86歳の誕生日を迎えられる。上皇陛下とご一緒に、3月末に皇居の仙洞御所から高輪の仙洞仮御所に引っ越された美智子さま。上皇陛下が5月下旬から週2日程度、皇居の生物学研究所に通われるようになった一方、美智子さまは外出のない状態が続いていた。9月11日に皇居内の宮内庁病院を訪問されたのが、5カ月ぶりの外出だった。そんな美智子さまの心の支えになっているのが、仙洞仮御所に植えられた花々なのだという。皇室担当記者は語る。「最近では、新型コロナで苦しむ国民への心配もあってか、ご体調が優れない時期が続いたそうです。とくに左手が痛く、ピアノをお弾きになれないことがあり、微熱も続いたといいます。それでも上皇ご夫妻は毎日朝夕にはそろって庭を散策しそして、お花の手入れをされていたのです」上皇ご夫妻が大切にされているお花ーー。それはヒマワリとコハマギクだという。本誌がコハマギクについて宮内庁に聞くと《吹上御所の御車寄付近に植えられていたハマギクから株分けされ、仙洞仮御所の御車寄付近に植えられています》との回答があった。「仙洞御所の車寄せに育っていたコハマギクが、高輪の仙洞仮御所で育っているということは、本当に嬉しい知らせです。このことが大槌町、岩手県の人に伝わると、とても励みになります」感激した様子でそう語るのは、岩手県大槌町「三陸花ホテルはまぎく」の千代川茂社長。実はコハマギクは、東日本大震災の被災地と上皇ご夫妻に深い縁のある花なのだ。震災前の’97年には、天皇皇后両陛下がこのホテルの前身の『浪板観光ホテル』にお泊まりになったことがあった。しかし’11年3月11日、ホテルは津波に飲み込まれ壊滅的な被害を受ける。先代の社長だった千代川さんの兄も行方不明になってしまった。震災から半年後ーー。美智子さまの77歳の誕生日に公開された写真は、上皇陛下とご一緒に皇居に咲くコハマギクの花をご覧になっているもの。上皇ご夫妻は、’97年に、千代川社長の兄が献上したコハマギクの種を、大切に育てていらっしゃったのだ。そのコハマギクが現在、高輪の仙洞仮御所で育てられている。美智子さまは、引っ越しの際に皇居から高輪にお持ちになったそうだ。「あと半年で、東日本大震災から10年。着実に復興は進んできましたが、コロナ禍でたいへんな時代になってしまいました。観光産業もダメージが大きいです。でも、はまぎくの『逆境に立ち向かう』という花言葉のように頑張りたいと改めて思いました」ホテル裏の海岸の岩場に自生するコハマギクは、今年も波に負けず元気に育っているという。「’16年に上皇ご夫妻に再びお越しいただきコハマギクを見ていただいたのですが、次はご公務ではなくご旅行で岩手にいらしていただき、もう一度、コハマギクをご覧になっていただければ嬉しいです。このあたりのコハマギクは、美智子さまのお誕生日の10月20日ごろから約1カ月が見ごろとなります。仙洞仮御所のお庭の花はもう少し早く咲くのでしょうね」コハマギクの花を大切にされるお姿は、昭和から平成の60年以上をともに歩まれた上皇ご夫妻の、つねに国民を思うお気持ちをあらわしているのではないだろうかーー。
2020年10月19日映画『浅田家!』(10月2日公開)の大ヒット御礼舞台挨拶が15日に行われ、二宮和也、中野量太監督が登場した。同作は写真家・浅田政志とその家族を映画化した映画。4人家族の次男として生まれた政志(二宮和也)が、家族それぞれが“なりたかった自分”をテーマにコスプレで家族写真を収めた写真集「浅田家」が、第34回木村伊兵衛写真賞を受賞しプロとして活動を始めた最中、東日本大震災が起こる。政志は津波で泥だらけになってしまったアルバムや写真を洗浄、元の持ち主に返すボランティア活動をする人々を約2年間にわたって撮影していく。会場に集まった約160名の観客から盛大な拍手で迎えられた二宮と中野監督は、笑顔で登壇し、冒頭の挨拶では「初登場1位だと聞いたときはすごく嬉しかったです。僕たちが作り上げたものを観てもらえればそれでいいと思っていましたが、やはり嬉しいですね」と大ヒットへの感謝の思いを明かす。壇上に用意された、すでに映画を見た観客からのコメントを抜粋した特大パネルボードを見た二宮は「家族を誘って観に行ってもらえることが嬉しい」と話し、一つ一つのコメントを丁寧に読みながら、「これでも1部なんてありがたいですね……」と、しみじみと感じている様子だった。さらに、第36回ワルシャワ国際映画祭「国際コンペティション部門」に出品されている本作のプレミア上映が14日に開催されたことが発表されると、会場からは大きな拍手が。 二宮は「国際映画祭に出品されるのはご褒美だと思っているので、まずは日本でたくさんの人が劇場に足を運んでくれることが僕にとっては嬉しいです」と語った。続いて、本作のテーマでもある“写真”に絡めて「人生の転機となった写真」について聞かれた二宮は「僕は間違いなく事務所に送った写真ですね」と笑顔で答える。また、中野監督は「写真じゃなくて手紙でもいいですか?」と断った上で「二宮さんにもらった手紙がこの作品の転機となりました。僕が『湯を沸かすほどの熱い愛』という作品で、日本アカデミー賞の授賞式に出席した際に、プレゼンテーターが二宮さんで、その際に作品名を『湯を沸かすほどの熱い夏』と言い間違えてしまったんです。後日、二宮さんから『間違ってしまって申し訳ございません。僕にできることでしたら何でもします』という旨のお手紙をいただいて……」とまさかの回答。中野監督はさらに「僕は昔から二宮さんが好きでした! 本作の出演を二宮さんにお願いしたところ、本当に役を受けてくれたんです」と告白し、二宮は「僕はもし中野監督から出演のお話をいただいたら、どんなに忙しくても絶対に断らないと決めていたので、台本も読まずに二つ返事でした」と真剣な眼差しで振り返っていた。最後に二宮は「僕らが伝えたいことは、今は簡単に写真が撮れるけど形に残そう、とかいうことではなくて、大切な人はいつかいなくなるし、時間も過ぎていく…、それを踏まえて形に残そうとした家族がいたんだと。『いい家族だな、自分もやってみたいな』と思うだけでも、自分も家族を大事にしていることにつながると思うので、自分の環境も変わると思います」と改めて作品の魅力をアピールし、笑顔で舞台挨拶を終えた。
2020年10月15日映画『浅田家!』(10月2日公開)の公開初日舞台挨拶裏側写真が8日に公開された。同イベントには二宮和也、黒木華、風吹ジュン、平田満、妻夫木聡、浅田政志(原案)、中野量太監督が登場した。同作は写真家・浅田政志とその家族を映画化した映画。4人家族の次男として生まれた政志(二宮和也)が、家族それぞれが“なりたかった自分”をテーマにコスプレで家族写真を収めた写真集「浅田家」が、第34回木村伊兵衛写真賞を受賞しプロとして活動を始めた最中、東日本大震災が起こる。政志は津波で泥だらけになってしまったアルバムや写真を洗浄、元の持ち主に返すボランティア活動をする人々を約2年間にわたって撮影していく。初登場の週末観客動員数ランキングでも1位(10月3日~4日:興行通信社調べ)という大ヒットスタートで幕を開けた同作。先日行われた初日舞台挨拶では『浅田家!』のイベントとして初めて、観客を前に舞台挨拶を行い、キャストも「舞台挨拶ができてよかった。皆さんの前に立てていることが本当に嬉しい」と、感無量の様子を見せた。9月に行われた完成報告会でも、本作の原案であり、二宮演じる政志のモデルとなった写真家・浅田政志が、壇上からスタッフ・キャストの様子を撮影したオフショットを公開し話題を呼んだが、初日舞台挨拶でも浅田氏は会場を自由自在に動きながら、キャストたちを撮影する。今回は週末観客動員数第1位獲得を記念して、浅田にしか撮ることのできないキャストの表情や、イベントの景色をおさめたオフショット“第2弾”を公開。至近距離から撮影された真剣に話を聞く二宮の写真や、二宮の背からみつめた劇場内、準備済みの中野監督を鏡越しに写したアーティスティックな写真など、『浅田家!』の舞台挨拶ならではのオフショット5点が公開された。
2020年10月09日2020年9月29日、産油国であるクウェートのサバーハ・アル・アハマド・アル・ジャービル・アル・サバーハ首長(以下、サバーハ首長)が、治療先のアメリカで逝去。91歳でした。SNS上ではサバーハ首長と日本のつながりが話題となり、驚きと感謝の声が上がっています。復興援助として原油を無償提供してくれたクウェート訃報を受けて、菅義偉首相は談話を発表。哀悼の意とともに、次の事柄に対して深い感謝を表しています。サバーハ首長殿下は、2012年の国賓としての訪日を始め、首長御就任前も含め計7回訪日され、2011年の東日本大震災を始め、我が国で大規模災害が発生した際には、寛大で温かい支援の手を我が国に差し伸べるなど、我が国との関係強化に格別な配慮を払われてきました。首相官邸ーより引用『日本クウェイト協会』によると、2011年3月11日に発生した東日本大震災に際し、サバーハ首長は復興援助として原油500万バレルを日本に無償提供するよう指示したとのこと。日本の石油元売り会社が原油を受け入れ、その代金相当額である400億円を日本赤十字社に送金。ウェートからの復興支援金となったそうです。さらに、訪日した際にも追加支援を行っていました。また、2012年3月、クウェート国元首のサバーハ首長が国賓として訪日された際には、追加支援として、福島県小名浜市にあるアクアマリンふくしまに300万ドル(約2億4千万円)、被災地に200万ドル(約1億6千万円)が寄贈されました。(当時1ドル=約80円)日本赤十字社に寄せられた海外からの義捐金は、約1,002億円(2014年8月29日現在)といいますから、そのうちの4割をクウェートが一国で寄贈したということなり、支援の大きさに驚かされます。日本クウェイト協会ーより引用日本赤十字社に寄せられた、海外からの義捐金の4割もの寄贈を行っていたクウェート。ネット上は、改めて感謝を述べる言葉であふれています。・今初めて知りました…。謹んでご冥福をお祈りいたします。・多大なご支援に感謝いたしたします。・東日本大震災の際のご恩は、この先もずっと忘れません。訃報後、茂木敏充外務大臣は訪問先のクウェートで弔問。また、河野太郎行政改革大臣など複数の政治家が、東京にあるクウェート大使館を訪問しています。クウェートのサバハ・アハマド・ジャビル・サバハ首長のご逝去を悼み、大使館に記帳に伺いました。 pic.twitter.com/yfjPP0nftl — 河野太郎 (@konotarogomame) October 1, 2020 サバーハ首長の決断に、どれほどの日本人が救われたことでしょう。クウェートへの感謝の想いを忘れずにいたいですね。[文・構成/grape編集部]
2020年10月07日映画『浅田家!』(10月2日公開)の日本外国特派員協会会見が30日に都内で行われ、浅田政志(原案)、中野量太(監督)が登場した。同作は写真家・浅田政志とその家族を映画化した映画。4人家族の次男として生まれた政志(二宮和也)が、家族それぞれが“なりたかった自分”をテーマにコスプレで家族写真を収めた写真集「浅田家」が、第34回木村伊兵衛写真賞を受賞しプロとして活動を始めた最中、東日本大震災が起こる。政志は津波で泥だらけになってしまったアルバムや写真を洗浄、元の持ち主に返すボランティア活動をする人々を約2年間にわたって撮影していく。原案の浅田は「自分の写真集が映画になるなんてこともですし、二宮さんが僕を演じてくださるということも、本当にただただ信じられないと言いますか、光栄という以外にほかないです」と照れた様子。中野監督は、今回東日本大震災を描いたことについて質問を受けると「クリエイターとしていつかは描かなきゃなという思いはあったんですけど、僕にはどうしても描くことができなかった。でも今回、浅田政志さんというカメラマンに出会って、この家族、浅田さんを通してならば、初めて僕らしく東日本大震災のことも描けるんじゃないかと思って、決めました」と同作への思いを明かした。二宮が自分を演じたことについてさらに質問された浅田は、作中の写真も撮影していたために、現場に行っており「二宮さんが演じられてるところを間近で拝見すると、スッと本番に臨まれるんですよね。僕のイメージでは、台本を事前に読んだり、イメージを作ったりして本番に臨む形かと思ったら、何気ないまま本番に入るので、その姿にまずはびっくりしました」と振り返る。続けて、二宮について「写真集を再現するための写真を撮っているときに、ちょっと違ったら同じにならない。そもそもカメラも違えばレンズも違うし身長も違うし、同じには絶対ならない条件なんですけど、撮影したデータと写真集を比べて、僕が完璧だと思ってもご本人が『もうちょっとこっちかな』とか、『足がこっちむいてたな』とか、僕自身でも気づかないくらいの微調整をされていて、本当に細かくいろんなところが見れるんだなと驚きました」と語った。また、キャスティングについて聞かれた中野監督は「1番大切だったのは、浅田政志を誰がやるか。浅田さんに取材していろいろおしゃべりをして、生き方を聞いてると、ちょっといいかげんだったりだらしないところもあったりして。でも人が寄ってきて、なんかしてくれうんじゃないかなと期待をしちゃったり、愛される感じがあったんですね。そういう部分を持っている役者さんじゃないと、この浅田さんの味は出ないんじゃないかなと思って」と浅田の印象を明かす。「二宮さんはひょうひょうとしているんですが、人に愛される、人たらし的なところがあるので、これは浅田政志をやらせたらすごいんじゃないかと思って二宮さんに決めました」と2人の共通点を説明した。ワルシャワ国際映画祭や釜山国際映画祭など、海外での上映も控えているが、中野監督は「最初から、日本だけじゃなくて海外にも通じる映画を作れればいいなと思っていて。今回も家族の話であり、東日本大震災の話であり、海外の方にも感じてもらえるように作ったつもりです」と真摯に語る。「今日は各国の方が来てらっしゃると思うので、言ってしまったら小さな映画祭みたいな感じで、どきどきしております」と笑顔を見せると、その場に集まり試写を見たばかりの記者たちからは、大きな拍手が起こっていた。
2020年09月30日2020年5~8月にかけて、ウェブメディア『grape』では、エッセイコンテスト『grape Award 2020』を開催。『心に響く』と『心に響いた接客』という2つのテーマから作品を募集しました。『grape Award 2020』心に響くエッセイを募集!今年は2つのテーマから選べる今回は、応募作品の中から『特別授業』をご紹介します。学習塾でアルバイトをしていた僕は、宿題の指導に関して多少なりとも自信を持っていた。ところが、3月11日、人が大勢避難している新宿駅構内の階段に座って計算式を解き進めるのは初めてだったし、何より、目の前にいるたったひとりの生徒の前では、この非常時にあっても平静を装わなければならないとなると、思うように頭が働かず、その自信も揺らいでいる。遡ること二時間、停車する中央線の車内で大きな揺れを感じ、避難のため電車を降りようとしたとき、車内に小さな女の子がひとり残っているのを見かけた。真っすぐ一点を見つめる彼女の眼には明らかに恐怖の色が浮かび、身体は固くこわばり座席から一歩も動こうとしない。「ひとり?もう電車は動かないみたいだから、一緒に避難しようか?」挙句知らない男の人に話しかけられたことが却って別の恐怖を煽ったらしい、彼女はか細い声で「大丈夫です…。」とつぶやいたが、乗り合わせた小山さんという別の女性も声をかけてくれたおかげで、何とか警戒を解くことができた。女の子はハナちゃんと言い、小学二年生、電車で帰宅途中に地震に見舞われてしまった。小山さんは僕と同い年の大学生で、ともにこうした災害にあうのは初めてだったが、「ハナちゃんを守らなければ」という共通の目的ができたことで、その後の避難行動はスムーズだった。公衆電話でハナちゃんのご両親に連絡をとったところ、父親が自宅から自転車で迎えに来られることがわかった。大まかな待ち合わせ場所と時間を確認すると、三人は頑丈そうな商業ビルの地下に落ち着いた。不安や疲れを感じる僕と小山さんとは対照的に、すっかり明るい様子のハナちゃんは、おもむろにランドセルを開くと計算ドリルを取り出し、「宿題を教えてほしい」という。一瞬、呆気にとられこそすれ、これでハナちゃんの恐怖を紛らわせることができると、アイコンタクトで確認し合った僕と小山さんは、駅ビルの階段を教室に、とびきり明るい先生を演じることにした。たったひとりの生徒は優秀で、このような状況にあっても集中力を発揮し、順調に問題を解き進めていく。様々な心配事が頭をよぎる中、カラ元気でどうにか先生を演じていた僕たちだったが、不思議なもので、一問、また一問と、一緒に問題を解いては喜ぶハナちゃんを見ていると、なんだかこちらの気持ちが晴れていく。ハナちゃんを守らなくては、と気丈に振舞っていたつもりだったが、実は僕らこそ、彼女の明るさや無邪気さに勇気づけられていたらしい。すっかり日も暮れたころ、僕たちはハナちゃんのお父さんと落ち合うことができた。無事に家族に会うことができたのは何よりもうれしいし、おまけに現役大学生ふたりが徹底的に指導した宿題の出来は我ながら完璧だった。「宿題を教えてくれてありがとう」そう言うハナちゃんに、僕たちこそありがとうと伝えた。はなちゃんはなぜ自分がお礼を言われているかわからないようで、照れ笑いを浮かべている。つぎに学校に行ける日は少し先になるかもしれないけれど、ハナちゃんはきっと本当の先生に褒められるに違いない。grape Award 2020 応募作品テーマ:『心に響くエッセイ』タイトル:『特別授業』作者名:奥村 敏生エッセイコンテスト『grape Award 2020』の審査員が決定!2017年から続く、一般公募による記事コンテスト『grape Award』。第4回目となる2020年の審査員には、grapeでも人気の漫画『犬と猫どっちも飼ってると毎日たのしい』シリーズでおなじみの漫画家・松本ひで吉さんが決定しました。さらに『Jupiter』などの作詞を手がけた作詞家でエッセイストの吉元由美さんや、映画化もされた『スマホを落としただけなのに』などで人気を博する小説家の志駕晃さんも審査員として作品を読みます。心に響く作品として選ばれるのは、どのエピソードでしょうか。結果発表をお楽しみに!『grape Award 2020』詳細はこちら[構成/grape編集部]
2020年09月20日123456789…。赤いLEDカウンターがランダムにカウントする1から9までの数字。これは、いったい何を表しているのだろう?この夏、リニューアルオープンし、開館25周年を迎える千葉市美術館で、現代美術家・宮島達男の四半世紀を振り返る展覧会『宮島達男 クロニクル 1995‐2020』が開かれる。1988年のヴェネチア・ビエンナーレにLEDカウンターを使った作品を出展して以来、約30か国、およそ250か所で、数字をモチーフとした作品を発表してきた。これまでにも世界の主要な美術館で個展を開催し、国際的にも常に注目されるアーティストだ。赤、緑、青に輝くデジタルの数字は、時には展示室に設置されたプールの底に沈み、暗い室内の空中を舞い、高層ビルの外壁に映し出される。作家が投げかけるテーマは変わらない。それは「死」と「生」について。ランダムに行き交う数字がカウントするのは、私たちが死を迎えるまでの時間。そして、東日本大震災後にスタートしたプロジェクト「時の海―東北」で試みられているように、忘れがたい、風化させたくない過去の日付、時刻だ。それらをじっと見ていると、やがて数字そのものが命として輝き、消え、移り変わっていくようだ。会場では、2020年の新作、日本初公開の作品に加え、会場で観客が自らの死亡年月日を想像して入力する《Deathclock》、CGで合成された数字が空間を飛び回る《Floating Time》など、観る側が参加できる作品も。決して目で見ることができない「時」に対し、「数字」を通して向かい合ってみること。観る人一人一人にとって、大切な意味を持つ体験になりそうだ。宮島達男《Innumerable Life/Buddha MMD‐03》(部分)2019年Courtesy of SCAI THE BATHHOUSEPhoto by Nobutada Omote1から9の数字は時間、命そのもの。0はブランクとして表され、死を意味する。無数の数字は無数の命が生と死を繰り返していくさまを表現。宮島達男《地の天》1996年千葉市美術館蔵Photo by Nobutada Omote亡くなった恩師を追悼する作品。宇宙を模した暗闇に、青いLEDの数字が星座のように浮かぶ。宮島達男《Counter Voice in Chinese Ink》2018/2020年Courtesy of Akio Nagasawa GalleryPhoto by Siliang Ma東京藝術大学在学中、街中でのパフォーマンスから作家活動をスタート。最新作では「不確定性」をテーマに。千葉市美術館千葉県千葉市中央区中央3‐10‐89月19日(土)~12月13日(日)10時~18時(金・土曜は~20時。入場は閉館の30分前まで)10月5日(月)・19日(月)、11月2日(月)・16日(月)、12月7日(月)休一般1200円ほかTEL:043・221・2311※『anan』2020年9月23日号より。文・松本あかね(by anan編集部)
2020年09月16日女優として、ドラマや映画。CMなどで活躍している石田ゆり子(いしだ・ゆりこ)さん。インスタグラムで年齢を感じさせない魅力的な姿を披露し、多くの人から羨望の眼差しを集めています。そんな石田ゆり子さんのインスタグラムに掲載されている魅力的な写真の数々や、これまでの経歴など、さまざまな情報をご紹介します!石田ゆり子インスタで公開したストレッチ姿が話題に石田ゆり子さんが2020年8月30日にインスタグラムを更新。『トレーニング中の私』と題し、ストレッチする姿を公開しています。 この投稿をInstagramで見る いつぞやの トレーニング中の私。 週二回の筋トレを始めて 一年と八ヶ月が経とうとしています。体は本当に正直なもので サボれば鈍り、重くなる。 でも、諦めずに頑張れば 再び体って締まってくるのですよね。体の声を聞くことは 自分と対話すること! 日々鍛錬。 語学もギターも トレーニングも コツコツ続けることが 何より大切… がんばります。 石田ゆり子 Yuriko Ishida (@yuriyuri1003)がシェアした投稿 - 2020年 8月月30日午前4時18分PDT週2回の筋トレをコツコツと頑張っているという石田ゆり子さん。180度近い見事な開脚を披露しながら、気持ちよさそうな表情を見せています。投稿を見たファンは「尊敬する」「素晴らしいです!」とその取り組みを絶賛。ストレッチをする素の表情に「美しい…」とコメントし、たくさんの『いいね!』を寄せています。・ゆり子さんを見ていると私も頑張ろうという気持ちになれます。とても素敵です。・めちゃくちゃ美しいです…。身体が柔らかいのがうらやましい。・本当に尊敬していますし、ずっと憧れの存在です。石田ゆり子のインスタは魅力的な写真がいっぱい!石田ゆり子さんはインスタグラムに撮影オフショットだけでなく、プライベートが垣間見える写真や動画をたくさん投稿しています。2020年7月31日にはギターを演奏する動画を投稿。石田ゆり子さんが奏でるシンプルな音色が心地よく耳に響いてきます。 この投稿をInstagramで見る セーハの練習曲。 ドリームというタイトルがついてる。夢。 ぼんやりした夢ではなく 具体的な夢を持って生きたい。 頑張ります ちなみに最後の音、フレットがちがうと先生に言われました。 石田ゆり子 Yuriko Ishida (@yuriyuri1003)がシェアした投稿 - 2020年 7月月31日午前7時51分PDT2020年3月15日の投稿では、鏡ごしに朝日を浴びるショットを公開。愛猫『ハニオ』くんがそっと寄り添っている様子が「素敵」「癒される」と話題になりました。 この投稿をInstagramで見る 鏡越しのわたしとハニオ お日様が眩しい。 おはようございます。 石田ゆり子 Yuriko Ishida (@yuriyuri1003)がシェアした投稿 - 2020年 3月月14日午後2時53分PDT2020年3月12日には、東日本大震災の復興支援活動をしている『アマプロジェクト』を紹介。センスのよさが光るTシャツを身につけ、ニッコリと笑顔を見せています。 この投稿をInstagramで見る 3.11は昨日なのに… 1日遅れてしまった 東日本大震災の 復興支援活動をしている アマプロジェクトのために ジェーンバーキンさん シャルロットゲーンズブールさん ルー・ドワイヨンさんが イラストを描いてくれた Tシャツです。 わたしが着ているのがルーのもので 後ろの猫がシャルロット 女性像がジェーンバーキンさま。 大切にしています。 優しさと愛情と 笑顔は一人一人が持っている なによりも素晴らしい 神様からの贈り物だと 思うのです。 最近そんなことばかり 考えています。 #アマプロジェクト 石田ゆり子 Yuriko Ishida (@yuriyuri1003)がシェアした投稿 - 2020年 3月月12日午前12時37分PDT2020年2月16日には「前髪を長めに切った」と新ヘアスタイルを公開。「たくさんの技が隠れているので横に流すこともおでこを出すこともできます」とアレンジ方法を紹介し、後ろで髪を1本に縛ったスタイリング後の写真を公開しています。 この投稿をInstagramで見る 前髪を長めに切った。 たくさんの技が隠れているので 横に流すことも おでこを出すこともできます。 後ろで縛るとこんな感じに。 もう少し前髪がばらけるといいんですけど… でもまあいいか。 気に入っています 石田ゆり子 Yuriko Ishida (@yuriyuri1003)がシェアした投稿 - 2020年 2月月15日午後4時15分PSTこれまでは長い前髪を横に流し、大人っぽい印象的だった石田ゆり子さん。前髪を作ったことでよりいっそう若々しい印象になっていますね。そんな石田ゆり子さんのインスタグラムには、今回紹介した以外にも素敵な写真がたくさん投稿されています。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 View this post on Instagram A post shared by 石田ゆり子 Yuriko Ishida (@yuriyuri1003) on Aug 28, 2020 at 4:28am PDT この投稿をInstagramで見る 一年くらい前の写真。 三点倒立、というんでしょうか。 わたしは逆立ちが 子供の時から好きで ついでにいえば でんぐり返しもすきでした。 世の中を逆から見る 体も逆さまになる そうすると、きゅうに いいこと思いついたり 視界が開けたり 閃いたりするんです。 だからわたしは、 しょっちゅう逆立ちをしてます。 追記 これは三点倒立ではなくヘッドスタンドというらしいです。教えてくださった方、ありがとうございます #逆立ちゆりごろう 石田ゆり子 Yuriko Ishida (@yuriyuri1003)がシェアした投稿 - 2020年 8月月21日午前2時54分PDT この投稿をInstagramで見る 本日も暑かった。 まいにち汗だくで 撮影をしています。 そして今日も CoffeeTシャツ 妄想カフェTシャツ かなり気に入っています。 #妄想カフェTシャツ 石田ゆり子 Yuriko Ishida (@yuriyuri1003)がシェアした投稿 - 2020年 8月月15日午前12時37分PDT石田ゆり子さんの日常のひとコマが見られると人気のインスタグラムに、これからも注目ですね!石田ゆり子ってどんな人?石田ゆり子さんは高校1年生の時に受けたスカウトがきっかけで芸能界入り。当初はモデルやキャンペーンガールとして活躍していましたが、1988年のドラマ『海の群星』(NHK)で女優デビューを果たします。 この投稿をInstagramで見る きのう、とある会食の席で BGMに山下達郎さんの 「悲しみのジョディ」が流れてきた。 ジョーディーー君とならーーー きいっとーーー わかーりあえーたーーー 心は一瞬で デビュー当時の16歳の自分に フラッシュバック。 山下達郎さんは わたしのデビューした 全日空の1987年の 夏キャン(夏のキャンペーンのことです。当時はこういうふうに 言ったんですよ)の 曲を作ってくださった方です。 「踊ろよ、フィッシュ」という曲は、そのキャンペーンのために 作ってくださった曲です。 撮影当時16歳の私は 何もかもが楽しくて 未来が果てしなく続くと 思っていた。 あぁ、不思議な気持ち。 音楽ってすごい。 山下達郎さんの コンサートに行きたい。 #踊ろよフィッシュの頃のわたし 石田ゆり子 Yuriko Ishida (@yuriyuri1003)がシェアした投稿 - 2019年 7月月23日午前8時34分PDT当時は、同時期にデビューした妹・石田ひかり(いしだ・ひかり)さんの人気があまりに高かったため「石田ひかりの姉」と呼ばれることが多かったのだとか。それでも、ドラマ『101回目のプロポーズ』(フジテレビ系)や、ドラマ『彼女の嫌いな彼女』(日本テレビ系)、ドラマ『ストロベリー・オンザ・ショートケーキ』(TBS系)、ドラマ『Dr.コトー診療所』(フジテレビ系)など多数の話題作に出演。2004年には出演映画『解夏』が公開され、その演技力の高さが話題になりました。翌年2005年には映画『北の零年』で『第29回日本アカデミー賞』助演女優賞を受賞。人気女優としての地位を確立しています。2016年にはドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)に出演。同作では新垣結衣さん演じる主人公・森山みくりの叔母、土屋百合役を演じ、「ゆりちゃん、かわいい」と大きな反響を呼びました。 この投稿をInstagramで見る 逃げるは恥だが役に立つ 第8話❗今夜10時20分❗いつもより20分遅れのスタートです❗お間違いなく❗ #逃げ恥 #みくり #百合ちゃん #まったり #癒し #ムズキュン #今夜もぜひリアルタイムでご覧下さい #みくりの想い #平匡さんの想い #運命の人 #くまさん #恋ダンス #限定公開 #お見逃しなく nigehaji_tbs (@nigehajigram)がシェアした投稿 - 2016年11月月29日午前1時19分PSTまた、2019年11月公開の映画『マチネの終わりに』では俳優・福山雅治さんとの大人の恋が大きな話題に。映画『 #マチネの終わりに 』の初日舞台挨拶の開催が決定しました。詳しくは下記まで。 #11月1日公開 #初日 #舞台挨拶 #TOHOシネマズ日比谷 #福山雅治 #石田ゆり子 #伊勢谷友介 #桜井ユキ #西谷弘監督 pic.twitter.com/3cOWPFsxJv — 映画『マチネの終わりに』公式 (@movie_matinee) October 18, 2019 観た人からは「セリフだけでなく態度や仕草で想いが伝わる」「素晴らしい演技でした」と大好評で、何回も観に行ったというファンもいたようです。三連休、映画館で予告編をご覧いただいた方もいらっしゃるかと思います。「もし、洋子さんが、地球のどこかで死んだって聞いたら……僕も死ぬよ」 #福山雅治 さん演じる蒔野から、 #石田ゆり子 さん演じる洋子への愛の告白が、胸に刺さります。そのシーンの1コマ。パリのとあるレストランにて。 pic.twitter.com/Cpb28o27G0 — 映画『マチネの終わりに』公式 (@movie_matinee) September 17, 2019 そんな石田ゆり子さんは声優にも挑戦しており、1997年に公開されたジブリ映画『もののけ姫』では、ヒロイン・サンの声を務めています。2020年10月には映画『望み』、さらに同年12月には映画『サイレント・トーキョー』の公開が控えるなど、あちらこちらから引っ張りだこの人気っぷりです。石川家の母貴代美 ( #石田ゆり子 )―――――――…校正者家で編集の仕事をする優しい母。息子・規士が殺人犯であっても生きていてほしいと祈っている。 #映画望み #望み pic.twitter.com/sWPVAvxE18 — 映画『望み』 (@nozomimovie) August 29, 2020 ┌───────┐|登場人物紹介|└───────┘山口アイコ/ #石田ゆり子 買い物の途中で事件に巻き込まれる主婦 #サイレントトーキョー pic.twitter.com/eJspjjKxX3 — 映画『サイレント・トーキョー』公式 (@SilentTokyo2020) July 20, 2020 年齢を重ねても美しい容姿を保ち続けていることから『奇跡のアラフィフ』と呼ばれることもある石田ゆり子さん。今後の活躍からますます目が離せません!石田ゆり子の若い頃に驚き卒業式の写真と現在の姿を見比べてみると?[文・構成/grape編集部]
2020年09月08日上野樹里主演にて月9ドラマ初の2クール放送となる「監察医 朝顔」に、第1シーズンに引き続き柄本明の出演が決定。初回放送日が11月2日となることも決まった。同名漫画作品を原作にした本作で、上野さん演じる朝顔は東日本大震災で母を失い、その遺体すら見つからないという対峙しようのない悲しみを抱えており、それゆえに遺体を「どうして亡くなってしまったのか分からない“不詳の死”には決してさせない」という揺るぎのない信念を持っている。第1シーズンのラストで、悲しみは完全に癒えずとも前へ一歩踏み出し、母の実家があり、母が被災した東北の海辺の街を再び訪れることができた朝顔。その翌年の5月を舞台に本作は始まる。柄本さんが演じるのは朝顔の母・里子(石田ひかり)の父である嶋田浩之(しまだ・ひろゆき)。もともと陽気な性格ではないものの、東日本大震災以来、人が変わってしまったかのように寡黙になる時も。第1シーズンでは、里子の遺体を探しに来る平(時任三郎)に冷たく当たっていた浩之だが、後半からは平の思いを受け入れ、自身も里子の遺体を探すように。孫の朝顔とはよく電話をするなど仲が良く、第1シーズンの最後にひ孫のつぐみ(加藤柚凪)に初めて会ってからは、目に入れても痛くないほど、つぐみをかわいがっている。柄本さんといえば、現在放送中の日曜劇場「半沢直樹』(TBS系)で大物議員を怪演しており、「悪人面がすごい」と話題沸騰中。本作では一転して、孫とひ孫を愛する好々爺を演じるが、2クール連続放送のTVドラマに出演するのは連続テレビ小説「やんちゃくれ」(NHK1998年10月~1999年4月)以来、実に22年ぶり。柄本さんは「また孫たちに会えることを、とてもうれしく思います。見ていただければ幸いです」とコメント。第1シーズンのラストで、朝顔、平、桑原(風間俊介)、つぐみが浩之の家を初めて訪れた時、どうしてここに里子はいないのかと亡き娘に思いを馳せ、浩之が慟哭するシーンは、いまなお名シーンとして語り継がれている。柄本さん演じる浩之は、第2シーズンではより物語のキーパーソンとなり、再び多くの涙を誘うことになるという。本作では、被災した土地の“いま”により具体的に迫り、2クール連続放送ならではの長期的な視点で、被災した方の“心”を見つめていく。さらに、新型コロナウイルスの影響で2020年秋・2021年冬クール連続の年越し放送となり、奇しくも2021年3月11日、東日本大震災から10年という節目を放送の中で迎えることになる。「監察医 朝顔」は11月2日より毎週(月)21時~フジテレビ系にて2020年秋・2021年冬2クール連続放送。(text:cinemacafe.net)
2020年09月07日「9月1日は防災の日。コロナ禍で自粛生活を経験した今こそ、災害時に命を守る食の備蓄について考えてみませんか?」そう語るのは、主婦の視点での防災対策を提唱する危機管理アドバイザーの国崎信江さん。「非常食=特別な食ではありません。『ステイホーム』の際に、多めの食料をスーパーで買いましたよね?この“多めに買う習慣”はそのまま災害への備えになるんです」日々のスーパーでの買い物が、そのまま非常食になると国崎さん。「まず家に食材が何日分あるかを確認しましょう。冷蔵庫の中身を全部食べると3日分はありませんか?さらにお米や麺類、缶詰、レトルト食品など常温保存している家の中の食料すべてで7日分くらいになるのではないでしょうか?」たしかに、今、家にある食料だけで10日分くらいはあるかもしれない。「『非常食は10日分備蓄してください』というと、皆さん、難しそうな顔をされます。でも、毎日のスーパーの買い物で、すでに準備できているご家庭も多いんですよ」と国崎さん。「日ごろから、食料を多く備えておき、それをふだん食べて消費しながら、買い足していくことで、一定の量の食料がいつも家に備蓄されているようにしましょう」主婦で3人の子どもの母でもある国崎さんは、「家庭内流通備蓄」として、こう提唱した。この考え方は、現在「ローリングストック」と呼ばれ、広く普及している。「アルファ米や缶パンなどのいわゆる“非常食”は、費用の面でも割高ですし、栄養の偏りや、賞味期限の管理も負担になります。一方、日ごろから食べるものを多めに買い、消費したら買い足す、という方法なら、賞味期限もこまめにチェックできますし、ふだんから栄養バランスに気を配れば、災害時の健康管理にもつながります。食べ慣れた味は、災害時のストレスを軽減する効果も」何より、特別なことをするのではなく、スーパーでの買い物という日常の中で、非常時への備えができるのだという。「私もふだんの生活でローリングストックを行っています。非常食は、ふだん買い物に行くスーパーで少し多めに買う。これで十分そろいます」そう笑顔で話すのは、主婦の目線で防災情報を発信するサイト「いつもしも」のママさんライターであるトコさんだ。災害時には、栄養不足、精神的ストレス、衛生環境の悪化など、健康を悪化させる要因が増加する。だからこそ、自分で備えられる食料で、「栄養」面を対策したいもの。そこで、栄養面の観点で、ふだんからスーパーで買っておきたい食材についてトコさんに聞いてみた。「ライフラインが途絶える災害時、私たちの“いのち”をつなぐのに、もっとも必要なのは、水です。飲み水としてはもちろん、水がないとご飯も炊けませんし、カップ麺も作れません。また、栄養不足で疲れやすくなり、動けなくなって、さらに身体機能が低下する、という悪循環に陥りがち。ゆえに、エネルギー源となる、米や麺類などの主食は必須です。わが家では10日分常備しています」まずはカロリー摂取が基本となるが、東日本大震災では「カップ麺などカロリーばかり重視した食事が多く、栄養の偏りによる体調不良も多かったそうです」と、トコさん。「特に、ビタミンやタンパク質、食物繊維が不足しがちになると聞きました。そこで、ふだんの買い物をするときにも、不足しがちな栄養素が取れる食品を選ぶように心がけています」たとえば、タンパク質が不足すると、筋力低下、低血糖や低体温などが起こりやすくなる。「私は大豆が好きなので、タンパク質は豆乳などの大豆製品をメインに。水でもどして食べる大豆ミートはケチャップやマヨネーズで味つけするとおいしいし、日もちもするのでいいですよ。パウチのサラダチキン、魚や肉の缶詰もよく買っています」野菜の摂取が難しくなる災害時はビタミンや食物繊維の不足から便秘、肌荒れ、口内炎が起こりやすくなる。「ビタミンは、玉ねぎやかぼちゃ、芋類などの常温保存できる野菜や、ほうれん草、アスパラガスなどを冷凍保存したもの、野菜ジュースで摂取したいと思っています。さらに最近、スーパーでよく見るようになった『パウチ野菜』は、ごぼうやじゃがいもなど種類も多く、使い切りサイズなどでふだんから消費しやすくておすすめ。食物繊維は、切り干し大根や干し芋などの乾燥野菜で、生で食べるより栄養価も高そうです」現代人はミネラル不足といわれているが、避難生活の偏った食事ではさらに足りなくなる懸念が。トコさんはミネラル摂取のために、ドライフルーツや海藻、海苔をふだんから購入している。「災害時にはメンタルを安定させてくれる“心の栄養”になるものも必要です。私の周りには、大好きなコーヒーの香りを嗅ぐだけで、落ち着けるという人も多い。私もコーヒーとチョコの組み合わせが好きで日ごろからストックを欠かさないようにしています。うちの子はカップスープが好きで毎朝飲んでいますが、これも非常時の“心の栄養”として多めに買っています。きっと、災害時に重要なのは、ふだんの暮らしを思い出せる食事なのだと思うんです」スーパーの食材は、災害時の健康を栄養面だけでなく、精神面からも支えてくれる。「女性自身」2020年9月15日 掲載
2020年09月04日菅義偉官房長官(71)が9月2日に記者会見を開き、自民党総裁選への出馬を表明。「安倍総裁が全身全霊をかけて進めてこられた取り組みをしっかり継承し、さらに前に進めるために私の持てる力を全て尽くす覚悟だ」と話した。ここ数日、総裁選にちなんでテレビでは菅氏を取り上げている。そこではパンケーキ好きであることなどがクローズアップされていた。いっぽう、ネットでは公選法違反の罪に問われている河井案里被告(46)と2人でパンケーキを食べる様子も拡散されている。その仕事ぶりは、どうだろうか。これまで会見で政府への疑念が投げかけられた際、「そのような指摘は当たらない」「コメントは控えたい」といった言葉を繰り返してきた菅氏。その対応から”鉄壁”と賞賛する声もあるが、コミュニケーションの遮断ぶりから“botのよう”と揶揄されることも。いっぽう、こんな迷言も残している。■17年5月17日「怪文書みたいな文書じゃないか。出どころも明確になっていない」学校法人「加計学園」獣医学部新設をめぐり「総理のご意向」との記載のある文部科学省の記録文書が発見された際、上記のように否定。再調査で文書の存在が確認されたところ、「怪文書という言葉だけがひとり歩きしたのは極めて残念」と菅氏は会見で釈明している。もちろん官房長官は政府のスポークスマンであるため、そもそも安倍政権の“意向”でもあるわけだが――。しかし菅氏は自身のブログ「意志あれば道あり」に、こんな矛盾をはらんだ投稿もしている。■11年5月28日「現場に裁量を与えて責任は自分が取る、これが危機においてリーダーが取るべき態度です」東京電力福島第一原発の事故対応をめぐり、当時の菅直人首相(73)を批判する際に投稿。しかし安倍首相は4月、コロナ禍で「対策が失敗したらどういう風に責任を取りますか?」と記者から問われた際に「例えば最悪の事態になった場合、私が責任を取ればいいというわけではありません」と返答している。官房長官は首相の最たる側近だが、その発言をどう受け止めただろうか。■11年8月27日「民主党はたった2日の選挙戦で、議員の投票だけで代表を選ぼうとしています。民主党内で政策論争はほとんど見られず、候補者は民主党議員の顔色をうかがい、多数派工作に終始しています」今回の自民党総裁選も、投票権が国会議員に限定されている。その背景には、過去に党員投票で高い得票率を誇ってきた石破茂氏(63)の存在があるとみられているが、この件について菅氏は「それぞれの政党で決めているルールに基づいて行うべきであろうと思います」などと先月31日に話している。■12年1月28日「東日本大震災に対応するために立ち上げた多くの会議で議事録が作られていないというずさんな実態が、次々と明らかになりました」上記のように当時の民主党政権を批判したが、現在の安倍政権ではコロナウイルス対策での専門家会議の議事録を作成していないことが判明。さらにモリカケ問題や「桜を見る会」を筆頭に公文書の改ざんや廃棄までも発覚している。ブログでは「公文書の作成は国家運営の基本」「密室政治だ」とも菅氏は批判しているが、今年1月に安倍政権下での公文書のずさんな運用について「担当者の対応意識が少なかったのではないか」と発言している。言動に一貫性の見られない菅氏。パンケーキ好きなどの“素顔”が注目されているが、総裁の適性を伝えるには他に焦点を当てるべき箇所があるのではないだろうか。
2020年09月03日ヒュンメル(hummel)は、J3の福島ユナイテッドFCとともに、福島の名産品の一つである“お米”をモチーフにした4thユニフォームを発表。8月29日正午より、福島ユナイテッドFCオフィシャル通販サイトで発売中だ。2011年3月11日に発生した東日本大震災・福島第一原発事故に伴う、福島県産品への風評の払しょくに繋げようという想いから、秋季限定でチームが着用するお米ユニフォームを企画。実は今回のお米ユニフォーム以前にも、2017年より、“桃ユニフォーム”を発表してきた福島ユナイテッドFCとヒュンメル。今年は、実りの秋にも何かできる企画はないかと考え、福島ユナイテッドFC農業部で、2018年より取り組むお米をモチーフにした“米ユニフォーム”を制作した。全国に誇るふくしまのお米をPR 福島県は、コシヒカリや天のつぶ、ひとめぼれ、里山のつぶなどを栽培し、生産量は36.8万トンで全国6位(公益社団法人 米穀安定供給確保支援機構)。日本穀物検定協会による令和元年産米食味ランキングでは、福島県産米4銘柄が最高位を獲得し、3年連続獲得数日本一になるほど、美味しさでも定評がある。J3リーグ公式戦にて、この“米ユニフォーム”を着用し、福島が全国に誇る「ふくしまの米」を広くPRしていく。ユニフォームは、イエローをベースカラーに、稲刈りの時期に福島の田園地帯に広がる美しい黄金色をボディとシェブロンラインに採用。たわわに実る稲穂のイラストを入れ、収穫を迎えられた喜びと感謝の気持ちを表したデザインに。橋本拓門選手は、「初めてお米のユニフォームを着用できるということで、今からとてもワクワクしています。桃ユニと同様、米ユニを着用できる機会を作ってくださった皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。また、実際に農業をして、農家の皆様の苦労や大変さが身に染みて分かります。僕たち選手にできることは、この米ユニを着て、福島の農業やお米の魅力を少しでも伝えることです。全力で勝利を目指し、チーム一丸となって頑張っていきたいと思います」と、新ユニフォームを着用への決意を語る。ふくしまの米ユニフォームは、お米の収穫時期に合わせて秋から着用予定。着用試合日については、後日発表となる。なお、同ユニフォームの取り扱いは、福島ユナイテッドFC公式オンラインショップにて。5サイズ展開、合計60着限定での販売となる。【販売概要】ヒュンメル×福島ユナイテッドFC「米ユニフォーム」サイズ:M、L、O、XO、XO2価格:各 税込 1万2,100円(背番号は+税込 1,380円)URL:(福島ユナイテッドFC農業部 公式オンラインショップ) (福島ユナイテッドFCオフィシャル通販サイト)>>その他のヒュンメルの記事はこちらから
2020年08月31日8月25日、「文春オンライン」によって離婚したことが報じられた立憲民主党参議院幹事長の蓮舫参院議員(52)。記事によると、離婚した理由は「人生観の違い」。いっぽう、現在も連絡を取り合うなど良好な関係だという。元夫はジャーナリストの村田信之氏(54)。93年に結婚し、97年には双子をもうけた。長男は、アイドルグループで活動する村田琳(23)だ。子供たちが成人し、育児がひと段落したことも離婚の要因だったという。「FNNプライムオンライン」によると、村田さんは新型コロナウイルス感染拡大の経験から、ライフスタイルを変える必要性を実感。離婚後は生活拠点を岩手県・釜石市に移したという。いっぽう、蓮舫議員は東京選出の国会議員。互いの生活スタイルを尊重したかたちだ。いっぽう一部報道では、村田さんは家族から「ペット以下の存在」と言われるなど見下されていたと報じられた。しかし、村田さんは「AERA dot.」の取材で否定。いわゆる「いじられキャラ」で、あくまでも家庭内でのやりとりだと説明している。また「彼女との関係は変化しない」とし、離婚について「卒婚」と表現していた。さかのぼると07年11月、村田さん自ら本誌に「ペット以下」と語っていた。しかし、家族との絆はしっかり結ばれていたという。そして、蓮舫議員についてこう話してくれた。「妻として、母として、議員としての彼女ですが、私は見守っているという感覚じゃないんです。ただ、ひとつ言えるのは、家庭内の序列で言えば、私はおそらく、犬のガビ(ペット)以下ではないかと……。まぁ点数をつけるとすれば、妻50点、母50点、議員50点で150点かな」「夫妻は新婚当初から、互いの生活リズムを大切にしていました。食事や洗濯といった家事は分担制。ただ村田さんの方が仕事に自由度がきくため、家事を多く担っていた時期もあったそうです。04年に当選した蓮舫議員は、『ママフェスト』を公約に掲げました。その信条通り、家庭では育児が最優先。蓮舫議員は土日を休むなど、夫妻は子供との時間を大切にしていました」(社会部記者)11年3月11日に東日本大震災が発生後、蓮舫議員は節電啓発大臣に任命された。互いの生活リズムを優先してきた夫妻だが、有事の際は一丸になったという。同年5月、本誌は村田さんを取材。家族でアイデアを出し、節電に取り組んだエピソードを聞かせてくれた。炊飯や湯沸かしはガスを使い、入浴も明るいうちに済ませて極力電気の使用を控えた一家。さらに、食事のルールにも変化があったという。「ご飯は必ず家族一緒に食べるようにしています。そうすれば、ご飯を保温しなくてすみますし」結果的に、一家の電気使用量は半分まで減ったという。「人生観の違い」で離婚した夫妻だが、互いの立場を尊重するのは当時から一貫しているようだ。村田さんは震災直後、目黒区議員に立候補。蓮舫議員が応援演説や選挙事務所に来ることはなかった。だが演説の仕方やホームページ運用などについて、アドバイスをしてくれたという。そして、村田さんはこう語ってくれた。「カミさんは国の制度を作る立場、私は住民の立場から政策を自治体で実践したいと思っています」前出の社会部記者は言う。「村田さんは幅広く活動されていますが、専門はパブリックマネジメント。現在は将来の社会を担う学生の育成に力を入れています。『社会システムは自分が育てた学生が作るかもしれないし、妻が作るかもしれない』とも語っていました。別々の人生を歩むことになりましたが、志は一致しているのでしょう」
2020年08月27日歯に衣着せぬものいいに、自由奔放な振る舞い、豪華な私生活に炎上しがちなSNS…よくも悪くも、いわゆるセレブタレントに対する世間一般のイメージといえば、こんな感じでしょう。2000年代前半、モデルやタレントとして活躍していたマリエさんは、現在まで続くセレブタレントのイメージを築いた1人といえます。自動車用オイル輸入代理店の元社長を父に持つ正真正銘のセレブのマリエさんは、ファッション雑誌『ViVi』の専属モデルとして人気に。その後、バラエティ番組内での大御所相手にも物怖じしない姿がウケ、タレントとしての人気にも火がつきました。2007年には『笑っていいとも!』(フジテレビ系)の新レギュラーにも抜擢された全盛期には、バラエティ番組にファッション誌にと引っ張りだこだったマリエさんですが、2011年、アメリカの美術大学への進学を機にテレビへの露出が激減。「干された」「消えた」ともささやかれていたマリエさんの今は…。マリエが干されたのは炎上事件が原因?2011年に、アメリカの『パーソンズ美術大学』に留学をしているマリエさん。留学自体は以前から決まっていたそうで、日本での芸能活動がセーブされるのはもはや必然でした。そして、留学直前の同年3月に『東日本大震災』が発生。マリエさんは、自身のツイッターでの「世の中チャリティー産業かよ」という発言が問題視され、世間の評価は急降下してしまいました。マリエさんは後に週刊誌のインタビューで、炎上事件が起きる前から留学に向けて仕事を減らしていたことを明かしています。しかし、タイミングが悪い方向に重なったため「芸能界から干された」と誤解されてしまったのでしょう。その後、2012年5月に留学を終えて帰国したマリエさんは、モデル業やタレント業のかたわら、企業のユニフォームデザイン、スクール講師など、ファッションデザイナーとしての活動をスタート。2017年に自身のブランド『パスカルマリエデマレ(PASCAL MARIE DESMARAIS)』を発表しています。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 View this post on Instagram A post shared by PASCAL MARIE DESMARAIS マリエ (@pascalmariedesmarais_pmd) on Mar 16, 2020 at 3:42am PDTマリエ、現在はインスタで自身のファッションブランドを猛アピール念願だった自身のブランドに熱を注いでいることもあってか、以前のようにマリエさんをテレビで見かける機会はありません。とはいえ、マリエさんのインスタグラムでは全盛期と変わらぬ生き生きとした姿を見ることができます。また、以前と変わってナチュラルな印象になり、見た目の変化に当時を知る人からは驚きの声も。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 View this post on Instagram 今年の #新春jess詣 !! 今年 @jess.movement のチームと目標まで辿り着く! 鍛えてこ!めっちゃ楽しくて、楽しみすぎた @breakletics 13日ぶり @stojo でオリジナルプロテインを入れてもらうのもいつもの楽しみ♫ A post shared by PASCAL MARIE DESMARAIS マリエ (@pascalmariedesmarais_pmd) on Jan 7, 2020 at 4:06am PST View this post on Instagram 出すと必ず2日以内にはで完売を迎えてしまうくらいご好評頂いたています #pmdsustinablemask 再販開始しました! マスクをこうなる前は一切つけなかった私ですが自分で作ったこのマスクは着け心地が本当によくって気に入っているの。作ってよかったよ。 気に入っていただきリピート購入の方も多数!プレゼントやご家族の方にと購入していただく方も 今はできることをできるスピードでやる。きっとどこかで繋がって広がっていくことを信じて+) #マスク 数に限りがございますのでご注意ください! New Yorkでの活動も見てきてくれた仲間に今の活動を切り撮っていただけた時間の流れと交差に感謝 思いの詰まった#pmdsustinablemask を作ったキッカケや思いを取材していただきました。 @fljtokyo #freepaper photo by @koichicks A post shared by PASCAL MARIE DESMARAIS マリエ (@pascalmariedesmarais_pmd) on Jun 7, 2020 at 8:10pm PDT View this post on Instagram こちらラス1 #枚数限定 #激レア #マリエのリアルtattoosdesign #pascalmariedesmarais ついにオンラインでも販売開始! #pmd 大人気でオンラインで購入希望の問い合わせ殺到! 本日15:00から、#12枚限定 でオンラインストアにて 全国、全世界から購入可能! 購入はオフィシャルホームページから 一つ一つほぼ同じものがない特別リメイクバージョンのため、お好みを選びたいかたはお早めに♫ A post shared by PASCAL MARIE DESMARAIS マリエ (@pascalmariedesmarais_pmd) on Feb 2, 2019 at 12:08am PSTこれまで語られてこなかった、ファッションへの熱い思いや、過去の炎上事件についてなど、徐々に自分の胸の内を明かし始めているマリエさん。特に、ファッションにかける熱い想いは、『元祖セレブタレント』というマリエさんのイメージをいい意味で変えるかもしれません。[文・構成/grape編集部]
2020年08月25日●「もう死んでしまうのかな…」と思った時期もCS・フジテレビTWOの番組『男おばさん!!』(22日10:30~10:50放送分)の収録で、約8カ月ぶりのスタジオ収録復帰を果たしたフリーアナウンサーの笠井信輔。血液のがんである悪性リンパ腫のステージ4という宣告に「死んでしまうのかな…」と絶望を感じたこともあったというが、今回の収録では、盟友の軽部真一アナウンサーとブランクを感じさせないトークを繰り広げた。こうして完全復活を遂げた笠井アナが、今後の活動の柱の1つと考えて取り組んでいくのが、がんについて伝えていく仕事だ。その決意の背景には、どんな思いがあるのか。闘病生活を通して感じたことなどを含め、話を聞いた――。○■1回目の抗がん剤治療で見えた希望――約8カ月ぶりのスタジオ収録復帰となりましたが、感想はいかがですか?みんなは「早かったね」と言ってくれるんですけど、私にとってはとても長い8カ月でした。たしかに当初、「復帰まで1年かかるかもしれない」という話もありましたので、それからすると早かったんですけど、実際に治療して療養生活を送ってきたこの期間というは、自分にとって山あり谷ありだったものですから、非常に長く感じて、ようやくここまで来ることができたなという感じです。一方で、こういった形で戻れたことに非常に感謝しています。当初は「ステージ4で全身にがんが散らばっている」と言われて、「もう死んでしまうのかな…」と、ちょっと絶望的な時期もあったんですけれども、先生や家族の支えもありまして、前向きになることができました。とは言っても、「テレビにはもう復帰できないかも…」という思いも、どこかにあったんです。――それはなぜでしょうか?「がん」というイメージの中で、ものすごく痩せてしまう方もいらっしゃいますから、見てるだけで痛々しい状況にもなってしまう可能性もあるので、生きていても画面での仕事復帰は無理かなと思ったりもしました。その場合は、もう執筆活動に専念するしかないなと。でも、非常に薬が合い、先生や看護師のみなさんのおかげもあってここまで戻れたので、本当に幸せに思っています。――テレビ復帰できるかもしれないと手応えを感じたのは、なにがきっかけだったのですか?最初の抗がん剤の治療が終わったのが1月上旬だったんですけど、そこで非常に効果的な治療の結果が出たんですよ。私は排尿障害がひどくて、入院時には普通にトイレに行けず、おむつもしていました。腰痛もひどい中で生活していたんですけど、5日間24時間連続投与という抗がん剤治療の1回目が終わったところで、その排尿障害がほとんどなくなったんです。まだ、がんはたくさん残っていたんですが、尿管に影響していたがんが極めて効果的に消えていったということで、排尿に関する痛みや苦しみがかなり軽減されたので、そこで「もしかしたらいけるかもしれない」と思いました。――前向きになっていけたんですね。とにかく常に前向きでいようというのは、自分の中で決めていました。何があってもこんなところで負けていられないという気持ちがありましたので。東日本大震災を取材したときに、「引き算の縁と足し算の縁」という経験を得たんです。人間は悪いことが起きると、人との縁が切れて、仕事も減って、どうしても「引き算」のことばかり考えてしまうんですけど、その結果生まれてくる縁というのが絶対あるんですね。今回の私の場合で言うと、それは病院の先生や看護師さん、もっと言うと、インスタグラムや、がんになって始めたブログによってつながったフォロワーの皆さんもそうです。そういった新たな縁を取り込んで、自分の拠り所として前向きに進んでいこうという思いが、とても強く出ました。○■闘病で起こった家族と自分の意識変化それから、私ががんになったことで、子供たちが随分変わったんです。男三人兄弟で家の手伝いなんてほとんどしない連中だったんですけど(笑)、ある日、三男が卵焼きを作って病室に持って来てくれたんですよ。私の母のところに行って、作り方を教わってきて。――笠井さんの“おふくろの味”を再現してくれたんですね。そうなんです。ちょっと甘い味なんですけどね。それから家でもご飯を作ってくれるようになったんですよ。人間、危機が訪れると変わるんですよね。そういうことを1つ1つ貯金して、自分のエネルギーにしていくという考え方で過ごしていました。抗がん剤治療は非常につらいんですけど、そればかり言ってるんじゃなくて、新しい環境における新しい出会いというのをどんどん自分のエネルギーにしていかなきゃいけないというつもりでいましたね。――息子さんの変化のお話がありましたが、笠井さん自身の変化は何かありましたか?一番大きかったのは、最初は長期入院に絶望して「入院しなきゃダメですか? 何カ月で退院できますか?」なんてことばかり言ってたんですけど、がん治療においては、通院のほうが大変なんだなと気づいたことです。特に悪性リンパ腫の場合は、通院しながら抗がん剤を打って、家庭生活や仕事に戻る人がとても多いんです。私は程度が悪かったものですから、抗がん剤の中身も量もきつくて多いものだったので入院となりましたけど、通院しながら抗がん剤を打って、副作用のきつい身体で家庭生活に入ったり社会生活に戻っていくというのはとても大変だと想像できます。でも私は、寝ていれば看護師さんが面倒を見てくれるし、問題があれば先生が診てくれる。こんなに恵まれた環境はないなと、気持ちが切り替わりましたね。●「危ういもの」だったSNSに感じた“光”――通院治療の大変さは、どのように知ったのですか?ブログに多いときは1,500~2,000くらいにコメントを頂いて、1日時間があるので全部目を通すんですけど、その中にいかに通院で苦労しているかということを書いてくれる方がいるんです。コメントを見て一番は驚いたのは、こんなにがん関係者が多いんだということ。「自分はがんでした」「今がん治療してます」「家族ががんです」「知り合いががんです」…と、がんにまつわるコメントが山のように来るんです。こんなにみんながんで苦しんでいたり、あるいはがんと共に生きているんだと分かったことで、どんどん自分の気持ちが安らいでいくような気持ちになりました。自分は、がんになる人は特別だと思ってたので、特別なところに来てしまったのかと思っていたんですけど、今や2人に1人ががんになると言われていますから、実は五分五分なんですよね。こうして、ブログとかインスタグラムなどでいろんながん経験者の方を知って思ったのは、自分が体験しているがん患者のほうが一般的で、がんになっていない人のほうが「良かったね」って思うようになるくらい、がんが身近になっているということ。がんを毛嫌いしても始まらないし、絶望したり、悲しむのではなく、どうやって共に生きていくか、闘っていくかということに気持ちを切り替えることができたのは、一番良かったことです。――SNSでのコメントに、勇気づけられたんですね。本当にそうでした。私を励まそうというものと同じくらい、自分の経験を真剣に書いてくれるんですよ。抗がん剤の副作用って人によって出方が全然違うので、普通にネットとか調べていると悪い情報ばっかり入ってくるんです、そのほうがアクセス数も増えますからね。そういうところだけを見ていると不安にしかならないんですけど、なんの損得もない人たちから「自分はこうでした」「笠井さんこうだといいですね」「もし私と同じような症状だったらこれが効果的ですよ」とか、そういうアドバイスを頂けるんです。ネット上でのつながりというものを、我々マスコミでは「危ういもの」として取り上げることが多いのですが、私は今回、SNSの光と影の“光”の方を強く感じました。相手の方の名前はハンドルネームしか分かりませんけど、こういう支え、絆、つながりが、とても自分の中で大きな財産になりました。あと、私はどなたにもコメントを返さないと決めていたんです。この人に返して、あの人に返さないというのは申し訳ないし、体調によって全部に返せないということがあるので。それで驚いたのは、コメントで悩みを打ち明けてくれる人がいるのですが、別の人が励ましているんですよ。そうすると、悩んでいた人がお礼を言うんです。――笠井さんのブログやSNSのコメント欄で、コミュニティができているんですね。もう感動しちゃって! そこに私の存在はもうないんですけど、それでいいんですよ。とても素敵なことだなと思うし、「自分にはこんな良いコメントが返せたかな?」とも思ったりして(笑)。でも、SNSにはどうしたって落とし穴があるから、なかなかテレビではこういった良さというのを取り上げてきていないので、今、自分のがんとSNSの経験を本に書いているんです。秋から冬にかけて出せればと思って鋭意執筆中なんですが、この自宅療養中はほとんどこれを書く時間に充てていました。○■二度聞きした「完全寛解」――6月4日に、主治医の先生から「完全寛解」(かんぜんかんかい)と言われたそうですが、この言葉は初めて聞きました。私もそうでした。血液のがんの場合、相当長い期間をかけないと「完治」にはならないので、がん細胞がなくなる「寛解」という状況からそれを維持していくというのが典型なんです。だから、先生から「寛解です」と言われると思ったら「完全寛解です」という言葉だったので、私も妻も聞き返しましたよ、「完全寛解ってなんですか!?」って。普段から、そんなに人を喜ばせようとする先生じゃないんですから。――クールな感じの先生なんですか?そうそう、シビアにがん細胞と向き合う先生で、あんまり調子のいいことや、なだめるようなことを、根拠もなく言う方じゃないんです。その先生が「完全寛解」と言うので、改めて聞いてみたら、「データ上で見て、がん細胞が少しあっても問題ないという場合は『部分寛解』と言うんだけど、笠井さんの身体には全くないので、『完全寛解』なんです」とおっしゃるので、もうそれはうれしかったですよ。今は1カ月に1回、白血球の数値を見るために通院しています。●リモートワークは弱者を救う――スタジオ収録の前は、自宅からリモート出演されていましたよね。これは時代に救われたなと思いましたね。コロナという状況の中でリモートワークが一般化して、ネット回線でテレビ出演やラジオ出演ができるようになったのは、私にとってはとても大きな出来事でした。自宅療養の2カ月間は、基本的に家から出ないということになっていたので、仕事なんて一切できないと思っていました。そしたら、リモートワークという仕事の形が出てきて、世の中に浸透して、必ずしも職場に行かなくても仕事ができるという新しい社会のシステムに助けられました。リモートワークは、感染を防ぐとか、仕事の効率を上げるとか、そういった目的で普及が進んでると思うのですが、我々がんサバイバーと言われる人間から見ると、これは“弱者のツール”だと思いました。家から出られない人、抗がん剤治療受けている人、病弱であったり精神的に外に出ることができない人たちが、リモートによって仕事しやすい環境がどんどん生まれている。今まではリモートで仕事をしていれば「なんでリモートなんだよ」って見られていましたけど、今は「進んでる」と一段上に見られますからね。つまり弱者が対等に、それ以上の立場で社会に出ていくことができるツールとして、リモートワークは非常に良いシステムだなと思いました。そういう意味で、コロナというのは我々の仕事にとって良いことは1つもないんですけど、副産物として、我々弱者を救ってくれるシステムが構築されつつあるのです。――今回のスタジオ収録の様子を拝見しましたが、絶好調でしたね(笑)リモートによって、テレビの本格復帰へのリハビリができたんですが、むしろリモートのほうがトークは難しいですからね。ハードルの高いことをやってから今回、『男おばさん!!』で軽部さんと一緒にやらせていただいたことで、生のトークがどれだけ楽しく、どれだけ心躍るものであるかということを再認識しました。――フジテレビにも久々に来られて、アナウンス室には寄られたのですか?はい、みんな「おかえりなさい」と喜んでくれて、やっぱり後輩たちはかわいいですね。古巣はいいなと思いました。それから来た時間がちょうど『とくダネ!』が終わる頃だったので、小倉(智昭)さんにあいさつに行ったんですけど、なんだかわけもなく会った瞬間に泣いちゃって。小倉さんには最初にがんのことを相談しましたし、膀胱がんを全摘したがんの先輩ですしね。――20年のお付き合いですもんね。でも、『とくダネ!』の他の担当アナウンサーより、私と小倉さんの距離は離れているんですよ。みんなは一緒にコンサート行ったりとかしてるんですけど、私はあんまりそういうことは一緒にしない(笑)。だけど、一大事が起きると、小倉さんをまず頼る。そういう20年間だったので、ちょっと親子関係に近いかもしれないですね。近すぎるとちょっと鬱陶(うっとう)しいけど、どうしてもそばにいてくれないと困る人(笑)それが小倉さんだから、会った瞬間に泣き崩れてしまったのかもしれないです。そんなことになるとは思わなかったんですけど、小倉さんを喜ばせなきゃと行って、気づいたら泣いていました(笑)○■神様から「今度はがんのこともやりなさい」――スタジオ復帰でフリーアナウンサーとして再スタートということになるかと思いますが、今後の展望をお聞かせください。去年フリーになって最初の2カ月間、本当に様々な仕事をやらせていただいたので、その状況に戻していきたいというのが1つです。もう1つは、これからはがんというものを自分の活動の1つの柱にしたいと思ってるんです。本の執筆のほかに、まずは「オンコロ」というがん情報サイトで、自分がインタビューアーとしてがん患者が気になることを専門家の先生にお聞きする動画を始めました。それから、8月29・30日にキャンサーネットジャパンというNPO法人が主催する「血液がんフォーラム」というオンラインのシンポジウムに参加します。自分の経験をがんで悩んでる人や、これからがんと闘っていく人たちの何か助けになるような活動がしたいと思っているので、そういったところにはできる限り参加していきたいと思います。自分ががんになった意味はそこにあるんじゃないかと思ってるんです。これまで10年、東日本大震災の各地域と取材を通じていまだに交流して、毎年いろんなことをやってきましたけど、これからは何をするかというときに、神様から「今度はがんのこともやりなさい」と思し召しがあったと思って。がんサバイバーは、人の経験にも興味があるんですよ。なので、がん経験者の仲間の皆さんに関心を持っていただける部分もあるのではないかと思っています。――活動の幅が広がっていきますね。専門家になろうとしているわけではなくて、これまで伝える仕事をしてきたという経験から、がんにまつわるいろんなことを伝えていく活動というのは、自分にとってこれから重要にしていかなきゃならないなと。単に「がんが治ってよかったね」で済ませちゃいけないなと、自分では思っています。●笠井信輔1963年生まれ、東京都出身。早稲田大学卒業後、87年フジテレビジョンに入社し、『おはよう!ナイスデイ』『タイム3』『今夜は好奇心!』『THE WEEK』『FNNニュース555ザ・ヒューマン』『とくダネ!』『男おばさん!!』『バイキング』など、報道・情報番組を中心に担当。19年9月で同局を退社し、フリーアナウンサーとして活動するが、同年12月に悪性リンパ腫が判明し、療養へ。今年4月に退院し、自宅療養を経て、8月22日放送のCS・フジテレビTWO『男おばさん!!』でスタジオ収録に復帰した。がん情報サイト「オンコロ」でインタビュー動画『笠井信輔のこんなの聞いてもいいですか』や、NPO法人キャンサーネットジャパンが主催する『血液がんフォーラム』(8月30日)に参加し、秋~冬には書籍を出版予定で、自身の闘病経験を伝える活動も行っていく。
2020年08月21日2020年8月10日、俳優の渡哲也さんが肺炎により78歳で逝去。テレビドラマ『西部警察』(テレビ朝日系)はじめ、数々の作品で一世を風靡した俳優の訃報に、多くの人から悲しみの声が上がっています。俳優の渡哲也が逝去10日に肺炎でネットで「涙が止まらない」の声渡哲也『炊き出し』で見せた温かな人柄同月17日の情報番組『スッキリ』(日本テレビ系)では、渡さんの訃報を報道。その人柄について関係者が語りました。生前、ボランティア活動に力を入れていた渡さん。特に、阪神淡路大震災や東日本大震災で行っていた『炊き出し』は石原軍団の名物になっていました。番組では東日本大震災の際、渡さんと一緒に炊き出しを行った中華料理店の店主に取材。店主は渡さんについて「ものすごく気さくで優しい方だった」と述べ、当時の思い出を次のように語っていました。「明日、焼きそば焼かれるんですよね。大丈夫ですか?」と聞いたら、「阪神淡路大震災でね、数千どころか何万人に焼きそばを振る舞ったんだよ。だから大丈夫だから、おいしいから絶対食べてね」って。そういう風にいってくださって。かっこいい方でした。愛を感じたというか、一人ひとりの目を見て顔を見て、「頑張ってね。食べておいしいから、元気になってね」ってみんなに声をかけていて。すごく来場者が多かったものですから。それでも近付けない方には目で追って、手を振ってあげたりとか。大変疲れる状態の中でも目配り心配りが素晴らしい方でした。渡さんはみんなに愛を与える方。本当に感動しました。スッキリーより引用1995年1月に起きた阪神淡路大震災では、発生から1か月後にはトラックに食材を積んで駆けつけ、テント生活を送りながら被災地を回っていたという渡さん。また、2011年3月に発生した東日本大震災の際は、津波被害が特に大きかった宮城県石巻市を訪問し、大勢の被災者に食料を届けたといいます。ネット上では、数々のコメントが寄せられていました。・阪神大震災の時の炊き出しありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。・渡哲也さんって、気取らない優しい人だったんだなぁ。・震災の時、知人がお世話になりました。炊き出しは涙が出るほどおいしかったそうです。情に厚く、温かな人柄でみんなに愛された渡さん。その功績とともに、心のこもった炊き出しの光景を多くの人が忘れないでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年08月17日桜井玲香が、2021年3月に日比谷シアタークリエにて上演予定のミュージカル『ゴースト』に出演することが発表された。2018年に日本初演された大ヒットミュージカル『ゴースト』が、およそ2年半の時を経て再びシアタークリエの舞台へとよみがえる。主人公サムを演じるのは、初演時にも圧倒的な演技・歌唱力で見事にその役を昇華させた浦井健治。ヒロインのモリーは、初演後も多くの大役を演じ益々演技力に磨きのかかった咲妃みゆ。そして新たに迎える、帝劇デビューも果たし今やミュージカル界になくてはならない存在となった桜井がダブルキャストで務める。敵役となるサムの親友カールには、近年ミュージカルでも目覚ましい活躍を見せている水田航生を新たに迎え、霊媒師のオダ・メイ役は『天使にラブ・ソングを ~シスター・アクト~』でもその魅力を発揮した森公美子が初演に引き続き演じる。情報発表にともない、メインキャスト5名のコメントが寄せられた。【浦井健治】この作品から、人生は一瞬一瞬がかけがえのないものであり、出逢えた人との時間は何よりも大切で、尊いものだと学びました。またあの作品の世界に触れられる喜び!森さん扮するオダ・メイとのコンビも復活です!この作品のテーマである、永遠の愛は、人間愛。きっと人生には、様々な愛が散りばめられ、継承され、繋がっていけるんだと思います。信じることの素晴らしさを改めて感じつつ、有限である生きることの意味や、人間らしく生きることについて考えていけるような、演劇の時間になりますように……【咲妃みゆ】再び今作品に携われることになりとても嬉しいです。初演時から今日に至るまで、世界は凄まじい変化を続け、私自身も様々な経験を経て歩んで参りました。培った全てを注ぎ込み、気持ち新たに”モリー”と向き合いたいと思います。皆さま是非劇場に足をお運びくださいませ。お目にかかれる日を心待ちにしております!【桜井玲香】映画版が素敵で好きな映画作品のひとつです。今回出演させていただける事、とても嬉しいです。初演は拝見出来ていませんが、ミュージカル版は魅力的な楽曲が多く、サントラをよく聴いています。モリーのもがきながらも一生懸命生きようとする力強さをしっかり演じられたらと思います。【水田航生】サスペンス、ロマンス、ファンタジー、コメディと一作品で全てを網羅できる、大好きな作品です。そしてそれにミュージカルというエンターテインメントがまた一つ上乗せされるミュージカル『ゴースト』。この世界で演じられる事が楽しみでなりません!再演からの参加ですが初演の素晴らしさを踏襲しつつ、自分が演じる新たなカール像を作れるように稽古から励んでいきます!【森公美子】私自身、この作品に出演出来た事を感謝しました。2011 年の東日本大震災から、10 年目の 3 月にこの作品が再演される事の意味を考えると感慨深いです。何か!私は、この作品が持つ愛を皆さんにもっと知っていただきたいと心から思っております。演出家のダレンは、『風の電話』の話を私達出演者にしてくれました。震災で、亡くなった家族への電話ボックスです。その電話は、絶対に、相手の方に届いていると、信じます。是非、ミュージカル『ゴースト』に出会って下さい。
2020年08月11日私、「サレ妻予備軍」になりました。
兄の連れてきた婚約者は…
妻は看病してもらえないのが普通ですか?