記憶にある最初のこだわり。お気に入りのまくらとタオルケットがないと落ち着かない出典 : 私は子どものころから、気に入っている枕とタオルケットがなければ寝られませんでした。当時のお気に入りの枕は、私が好きだったキャラクターがデザインされていました。物心ついたころからずっと使っていたうえに、親が洗おうとすると私がぐずってしまうため洗うこともできず、よだれや汗で汚れきってしまっていました。洗うことを諦めた両親が枕を捨てようとしたこともありました。しかし、私が泣き叫んで抵抗したため、結局捨てることができないまま。すると、小学校に入るくらいのころに親戚が集まって私の枕を捨てるという事態にまで発展しました。この枕を捨てられるときのことは今でもよく覚えています。身体の一部を失うような強烈に嫌な気持ちで、泣き叫びながら引き離された枕を見詰めていた記憶があります。それから、同じころに使っていたピンク色のタオルケットもお気に入りでした。自分のにおいや好きな肌触りにくるまれていると安心することができたので、タオルケットはとても好きな寝具でした。このタオルケットは捨てられることなく、私が高専に入学して寮生活を始めるまで10年以上は使っていたと思います。とはいえ寮生活するころには擦り切れたり糸がほつれたりしてボロボロになっていましたが…。その後、ひとり暮らしを始めるときに両親が新しいタオルケットを買ってくれたのですが、選んでくれたのはピンク色のものでした。たぶん私がピンク色のタオルケットが好きなのだと勘違いして買ってくれたのだと思います。私としては色よりも肌触りのほうが大切だったのですが、せっかく買ってもらったものだし肌触りもよかったので特に何も言わずに10年以上たった今でも使い続けています。今でも自分のにおいがするタオルケットは安心感があって好きなんだなあ、と思います。食器のルールは、無地のものだけを必要最低限に出典 : 寝具と同じように、食器も基本的に柄のないものでそろえるなど、自分の気に入ったものしか使いませんでした。ひとり暮らしを始めたときに買ったのは、箸1膳、フォーク・スプーンそれぞれ1本、マグカップ・茶碗・どんぶりをそれぞれ1つずつ。超ミニマムなラインナップで満足している自分がいました。それから不便を感じてちょっとした皿を買ったりはしましたが、基本的に不必要な食器を増やすつもりはありませんでした。しかし、あるときから、食事の際に使う"あるもの"に対し、新たなこだわりが生まれました。それはたまたま百貨店に行ったときのこと。なんとなく立ち寄った箸コーナーで目に留まった1本を持った瞬間でした。重量バランスが軽すぎず重すぎず直感で「これだ!」と思い、つい衝動買いをしてしまったのです。普段、衝動買いをすることなんてほとんどなかったので自分でもかなり驚きました。早速、家に帰って購入した箸を使ってみたところ、とても気持ちよく食事をすることができ、箸への思いはさらに高まりました。Upload By 凸庵(とつあん)その日から箸売り場を見かけると、自然とそちらに向かって歩いて行ってしまうようになりました。先日、友人たちと出かけたときのこと。私が苦手とする人混みにいたこともあり、全然楽しくないというのが表情に出てしまっていたのが、箸売り場を見つけた途端に嬉々として箸を眺め始めたので、友人たちに呆れられてしまいました。わが家では、ほかの食器に比べて明らかに多い箸ですが、全体的に重めの箸や持ち手が重くて物をつまむところが軽いものなどさまざまなものがあります。食べるものや気分に合わせて使い分けています。友人に呆れられたとしても、豊かな食事の時間にはかえられません。「こだわり」は好きなものを大切に長く使うこととの相性が抜群!?Upload By 凸庵(とつあん)大人になってからも10年以上使っているものとして、私が社会人になって初のボーナスで買った財布があります。それまで使っていた財布は学生時代に親が買ってくれたナイロン製のもので、このころにはかなりくたびれてきていました。なので今度はしっかり長く使えるよう革の財布を購入。当時、個人的にあこがれていた長財布でした。使い心地にもすごく満足したので、数か月に一度は中身を全部出して自分でメンテナンスを続けています。たまに雑談で使っている財布の話になったときにこの財布を見せて「実は10年以上使っているんだ!」と言っても、ほとんどの人が信じてくれません。それくらい、いい状態のまま使い続けることができています。メンテナンスさえちゃんとすれば長く使える革製品と私は、もしかしたら相性がいいのかもしれないなと思っています。歳をとるにつれて変わってきたところ・変わらないところ出典 : 今振り返ってみると、子どものころは「これじゃなきゃダメ!」という感覚がとても強かったのかもしれないなと思います。つまり、身の回りのすべてのものが自分の「これじゃなきゃダメ!」に合致していないと不安になっていたのだと思います。自分でも不合理なことはよくわかっていたが、どうにも抗いようがありませんでした。しかし、年齢を重ねるにつれて、自分にとって「まあいいか」と思えることがどんどん増えていると感じています。それに伴ってどんどん生きていくのが楽になっています。私にとっての箸のように、新しいこだわりが生まれることもあるかもしれません。例え、それで周りのひとにあきれられてしまっても、私自身は、いろいろな箸を試すのは楽しいし、食事の時間がより楽しくなりました。大人になっても私の中にあるこだわりは、生活を豊かにしたり、安心を得たりするためにとても大切なものなのだと感じます。ASDの当事者が身近にいるという人の中には、こだわりが不合理に感じられることもあると思います。私のように年齢を重ねても「これじゃなきゃダメ!」と感じるところが残ることもあると思いますが、それは当事者にとってとても大切なものだと思うので、無理にやめさせようとしたりせず長い目で見て、ゆるやかに見守ってもらえたらと考えています。
2018年11月20日ちょっとうんざり!?毎週土曜にわが家に流れるテーマソング出典 : 土曜日の朝、家族の誰よりも早起きな小学2年生の息子。朝の6時から毎週、同じアニメのオープニングソングが鳴り響きます。ここ何年も、これが土曜日の朝の恒例です。息子が好んで見るアニメは、3つぐらいしかありません。しかも、一度見たものを録画して繰り返し繰り返し見るのです。当然、セリフは全部暗記。各シーンの絵の配置なども細かく暗記。暗記するほど何度も見たあとは、おもちゃのブロックでその場面を再現したり、絵に描いたりして楽しみます。息子にとって「好きなアニメは、1本で20回ぐらいは美味しく楽しめる」感じです。とはいえ、家族は少しうんざりです。土曜日の静かな朝に決まって流れてくる同じ音楽。息子がテレビをつけるときの、全くバリエーションのないその選局っぷり。「ねえ、たまにはさぁ、違うアニメ見たら?」私はついつい息子に別のアニメを見るように促してしまいます。それは、私自身にとても自分勝手な要望があるせいです。私は息子の姿を見ていると、いつも思ってしまうのです。「もっと世界を広げてほしい」「いつも同じ番組ばかり見ているので世界に広がりがない」私は必死に息子が好きになりそうな別のアニメを探してきては、息子に無理やり見せました。けれども、そのたびに息子は「あと何分見なきゃダメ?」「またこれ見るの?」「なんのために見るの?」と苦痛をあらわにするのでした。アニメでこれだけ苦痛な気持ちにさせて何の意味があるのだろう、と私の中で迷いが生じ始めました。そしてある日、気づいたのです。親の意思でいろいろなものを見せて無理やり世界を広げることは、この子にとって苦痛でしかないのだと。そもそも、「同じものばかり何度も見る」ということに対して、なぜ私はそこまでネガティブに捉えていたのでしょうか。それをネガティブに捉えること自体が、息子の「世界」を狭めてしまっていたということに、私はある映画を観て気づいたのでした。映画に登場した両親が確立させようとしている「アフィニティセラピー」その映画とは、2017年4月に公開されたドキュメンタリー映画『ぼくと魔法の言葉たち』。2歳のときに突然言葉を失った自閉症の少年・オーウェンが、大好きなディズニーアニメを通じて徐々に言葉を取り戻す様子と、社会に出て自立に向かっていく姿を描いた映画です。発達ナビでも記事になったので、ご記憶の方もいらっしゃるかもしれません。ディズニーが異例の映像使用許可!自閉症児のドキュメンタリー映画「ぼくと魔法の言葉たち」出典 : 言葉を失っている間も、オーウェンは、大好きなディズニー映画を何度も何度も観ていました。そして、数年後に再び言葉を話すようになりました。オーウェンは観ていた映画のセリフやシーンを社会と結びつけることによって、言葉や社会性を身につけていくのです。こちらの記事でもこのように書かれています。彼にとってディズニーの物語は、目の前の人や社会を理解するための枠組みとなりました。ディズニーアニメ特有のオーバーなアクションや豊かな表情は、自閉症の彼にとっても理解しやすい物語だったのです。医者から無理だと言われても、彼の特性や興味に気付き、諦めず、粘り強く語りかけていった結果、オーウェンはディズニーのセリフを使って家族とコミュニケーションを取れるようになっていきます。オーウェンは、「外側」から誰かが無理やり世界を広げさせたのではなく、本人が好きなものやこだわりを通して、世界と繋がっていったと言えます。実はオーウェンの両親、ロン・サスカインドとコーネリア・サスカインドは、このやり方をセラピーとして確立させようとしています。さらに洗練させた「アフィニティセラピー」を、心理学者のダン・グリフィン博士と開発しているのです。オーウェンはディズニーのアニメ映画がきっかけでしたが、人によって関心の高いコンテンツはそれぞれです。この方法はどのコンテンツでも適用していけるものとして考えられています。「アフィニティ(affinity)」とは、日本語で「親しみ、親近感、一体感」という意味があります。大人が良しとしたものからその子の能力を引き出すのではなく、その子が「親近感」「一体感」を持つ対象から、言葉や社会性を獲得させるのです。アフィニティセラピーのステップについて簡単にまとめてみると、以下のようになります。1.その子に好きなコンテンツをたっぷり見せる。セリフや動きなどを親が子どもにアイコンタクトをしながら繰り返すことによって、言葉や仕草、アイコンタクトを教えていく。2.登場人物の表情を見ながら、「彼は悲しいのだね」「この子は嬉しいんだよ」というように、そのときの登場人物の感情を表す言葉を隣から教える。3.登場人物の動きの真似をする。一緒にダンスをすると、自分の身体の傾きやスピード、回転を感じる「前庭覚」を刺激できる。4.日常の中で、コンテンツの中に出てきた会話を使ってみる。そうすることで、言葉の使い方を社会生活の文脈の中で理解できるようになる。5.何人かで役割を与えて、その子とコンテンツの内容をロールプレイで演じる。これで、他者との共同作業の中でコミュニケーションや人の気持ちを学んでいく。現在、その有効性について、アメリカのマサチューセッツ工科大学、イエール大学、イギリスのケンブリッジ大学が共同で検証を行っている最中です。 Affinity some Techniques, Concepts and Guidelines(「アフィニティ」を利用して ~テクニック、コンセプト、ガイドライン~) Therapy: The Return of a Psychodynamic Approach to the Treatment of Autism(アフィニティセラピー:自閉症療育への心理力動的アプローチ)繰り返し見るアニメ、そこに成長のヒントはたくさん出典 : 初めての人と会うとき、初めての場所で自己紹介をしなければならないときでも、息子は何の問題もなくしっかり人とコミュニケーションを取ることができます。けれども、途中で私は気づくのです。「あれ?このセリフはどこかで聞いたことがあるぞ」と。そうです、息子は、緊張が高まってうまく話せない状況になると、テレビや映画で暗記した言葉をうまく口に出して乗り切っていることが分かったのです。息子にとって、暗記しているテレビや映画の言葉は、緊張してうまくコミュニケーションができないときに引っ張り出す引き出しのようなものなのです。息子は、暗記した言葉を自分なりにつくり変え、シチュエーションを理解したうえで、使いこなしていたのでした。これを社会性と言わず、なんと言うのでしょうか。まさに、オーウェンがしていたコミュニケーションと同じだと気づきました。初めての状況、困った状況、息子はこれから親が助けられないような状況にもたくさんぶち当たっていくだろうと思います。そのときにどうしたらいいのか。相手とどうコミュニケーションを取ったらいいのか。それが、「あのときテレビでこうやっていた!」「あのとき、あの登場人物はこう言っていた!」というように引き出しから引っ張り出してこられたら、それはどんなに素敵なことでしょう。アフィニティセラピーは、そんな視点から開発されているのだと思います。息子が何度も何度も暗記するほど同じ番組を見て、登場人物の言葉を完璧に真似するたびに私はずっとどんよりとした気持ちになっていました。けれども、実はそれは息子にとってとても大切な「スキル」だったのです。それを知ってからは、息子が好きなテレビや映画にこだわることについても、とてもポジティブな気持ちで見られるようになりました。親の考えで息子から好きなものを取り上げて、ほかのものを与えるのではなく、息子の好きなものを通して世界と繋げてあげる…そんな風に取り組んでいこうと決めたのでした。
2018年11月08日【イベント】家族で音楽を思い切り楽しもう!「Shining Hearts’ Party」(埼玉県)Upload By 発達ナビニュース障害のある子もない子もその家族も、赤ちゃんからお年寄りまでみんなが楽しめるコンサートとして毎年開催されています!途中で声を出しても、踊り出してもOK!解放的な雰囲気の中、安心して音楽を楽しめます。通常のコンサートでは、演奏中の出入りができなかったりすることが多いですが、当日は入退場も自由なのでお子さんと一緒に気軽に足を運べそうです。家族で良質な音楽を楽しんでみてはどうでしょう。【対象】障害の有無や年齢にかかわらずどなたでも【日時】2018年12月1日(土) 13:30~17:00【場所】和光市民文化センター サンアゼリア 大ホール (埼玉県和光市広沢1-5)【参加費】無料【申し込み】事前申し込み不要【問い合わせ】NPO法人子育て応援隊 むぎぐみ「Shining Hearts’ Party16 ~奏でよう!いろ(16)とりどりのメロディー~」 | NPO法人子育て応援隊 むぎぐみ【イベント】障害や難病でケアが必要な家族がいる人の生き方を考える!「きょうだいの私、結婚どうする?~リアルに語る結婚観~」(東京都)出典 : 聴覚障害、自閉症、ダウン症の当事者のきょうだい3人が登壇し、ケアが必要な家族がいる人たちの結婚について、参加者とともに考えるイベントです。「身近な人の障害、慢性疾患、難病などを理解してもらえるのか」、「結婚は諦めた方がいいのかな」などと考えたことがある人は、同じような立場の人の経験を知る機会にぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。【対象】障害等のある方のきょうだい、保護者、家族にあたる方、支援者の方など【日時】2018年11月10日(土) 14:00~16:30 (13:30開場)【場所】NATULUCK飯田橋東口駅前店4階大会議室A (東京都千代田区飯田橋4-8-6 日産ビル)【参加費】1,500円【定員】80〜100人【問い合わせ】ファーストペンギンE-mail:mukazuko55@gmail.com【申し込み】以下のフォームからお申し込みください。*Peatixのページに遷移します【映画】ダウン症、自閉症、LGBT…さまざまな違いと向き合う親子の愛をたどるドキュメンタリー『いろとりどりの親子』が公開Upload By 発達ナビニュースダウン症、低身長症、自閉症などさまざまな“違い”のある当事者やその家族6組のありのままの姿に迫ったドキュメンタリー映画です。原作は世界24ヶ国で翻訳されたベストセラー『FAR FROM THE TREE』。著者であり自身もゲイであることでかつて両親とのすれ違いに悩んだアンドリュー・ソロモンが語り手として父と登場します。作中で紹介される家族は、不安や悩みの渦中にあった過去から、社会によって線引きされた“違い”への疑問、日々の中で育んだ希望や喜びまでを素直な言葉で語ります。家族がお互いに向ける深い愛情から、そこには、さまざまな苦悩があるのではなく、親子の数だけ幸せの形があることを感じさせてくれます。【公開日】2018年11月17日(土)【上映】新宿武蔵野館ほか全国順次公開【作品データ】2018年/アメリカ/英語/93分/アメリカンビスタ/カラー/5.1ch/原題:FAR FROM THE TREE/日本語字幕:髙内朝子映画『いろとりどりの親子』公開【イベント】海外の取り組み紹介や子ども向けワークショップも。「アジア太平洋ディスレクシア・ フェスティバル 2018みんなの個性が活きる社会を!」(東京都)出典 : 学習障害の中でも読み書きに著しい困難があるディスレクシアのフェスティバルが今年も開催されます!2020年に岡山県で開かれる『アジア太平洋ディスレクシアフォーラム』に向けて理解を広めようと実施されています。シンポジウムをはじめ、子ども向けのアナログゲームなど多彩な企画が予定されています。海外の取り組みも知ることができるので、ぜひプログラムをチェックしてみてください。【対象】一般市民、教育関係者、ディスレクシア本人、保護者、支援者【日時】2018年12月9日(日) 10:00~19:00 (9:30開場)【場所】国立オリンピック記念青少年センター センター棟(東京都渋谷区代々木神園町3-1)【参加費】18歳までのディスレクシア当事者は無料、学生・保護者・ ディスレクシア当事者(19歳以上)は事前登録の場合1,000円(当日参加2,000円)、一般参加者は事前登録で3,000円(当日参加5,000円)【定員】300人【問い合わせ】アジア太平洋ディスレクシア・ フェスティバル2018事務局(認定NPO法人エッジ内)TEL:03-6435-0402FAX:03-6435-2209E-mail:apdf.japan@gmail.com【申し込み】以下のフォームからお申し込みください。*こくちーずプロのページに遷移しますアジア太平洋ディスレクシア・ フェスティバル 2018 みんなの個性が活きる社会を!| 認定NPO法人 EDGE【イベント】誰もが地域で豊かに生きるために…専門家と考える未来「サイエンスアゴラ2018-地域での発達障害支援を考えよう-」(東京都)出典 : 発達障害にかかわる医療・療育・教育といった分野の研究者や支援者が、実践例を紹介するシンポジウムです。「うちの子、少し違うかも…」というテーマで一昨年から年1回開催されてきて、今回が最終回になります。当日は、登壇者が講演やパネルディスカッションを通じて、誰もが地域の中で、豊かに生きるための医療や社会支援のあり方を参加者と考えていきます。【対象】関心のある方はどなたでも【日時】2018年11月11日(日) 13:00~16:00 (12:50受付開始)【場所】テレコムセンタービル西棟 8階 会議室B (東京都江東区青海2丁目5−10)【参加費】入場無料【定員】180人【問い合わせ】国立研究開発法人科学技術振興機構(JST) 社会技術研究開発センター(RISTEX)TEL:03-5214-0132FAX:03-5214-0140E-mail:otoiawase@jst.go.jp【申し込み】以下のフォームからお申し込みください。11月8日締め切り*空席状況によって当日受付もあり*国立研究開発法人科学技術振興機構のページに遷移しますサイエンスアゴラ2018-地域での発達障害支援を考えよう-
2018年11月01日発達障害のある子ども達の存在は、人類のためにも意味があるのでは?出典 : こんにちは。「発達障害&グレーゾーンの3兄妹を育てる母のどんな子もぐんぐん伸びる120の子育て法」著者・楽々かあさんこと、大場美鈴です。今回は、いつもとは少し違った視点から、発達障害について考えてみたいと思います。学校などでは、集団行動が苦手で何かと注意・叱責されたり、出る杭が打たれたり、時にトラブルを起こしては「問題児」のレッテルを貼られがちな発達障害のある子ども達。もちろん、いずれは自立し社会の一員として、周りの人たちと助け合いながら共に生きていけるように、大人達が根気よく一つひとつ教えながら導いていく必要のあることは、他のお子さん達よりも多いと思います。でも、毎日実際に子育てしていると、子ども達のユニークで斬新な発想に驚かされたり、予想だにしなかった出来事に出会うことも多く、それまでの私の常識や固定概念をひっくり返されることばかり。これって、本当に「脳機能の障害・欠如」なのだろうか?こういった個性豊かな子ども達が存在すること自体、人類にとって何か意味があるんじゃないのか?…と、私は世の中に問い直したい気持ちになるのです。(※現在、こういったものの見方は「ニューロ・ダイバーシティ(神経多様性・脳の多様性)」というキーワードを軸に、海外では自閉権利運動(autism rights movement, ARM)などが展開され、さまざまな立場からの議論があるようですが、本記事ではあくまで発達障害のある子を育てる一人の母親・地域の子ども達を見守る一人の大人としての実感を基に、筆者個人の見解を述べています。)ニューロ・ダイバーシティニューロ・ダイバーシティ|ウィキペディアでは、学校などの小さな社会から離れ、もう少し視野を広げた「人類目線」だと見えてくる、「発達障害のある子ども達は、人類の未来にとって必要」と私が考える理由を7つ、以下に挙げます。出典 : 「なんで校長先生は髪の毛がないんですか?さわっていいですか?」「ハナゲ出ているよ、〇〇さん。とってあげようか?」「ねえ、おばさん?おばあさん?どっちなの?」…正直すぎて容赦なくタブーに斬り込む、恐れ知らずの子ども達(悪気はないんです、すみません)。実は、その場の状況や相手の表情などから判断し、「空気を読む」「本音と建前を使い分ける」「忖度する」ことが苦手な子は、少々デリカシーに欠け、見たまま、思ったまま、感じたままを率直に口に出してしまうことも。鋭い言葉は諸刃の刃。時に皆から一斉に冷ややかな視線を浴び、時に思わぬところにも敵を作り、時に集団の批判の的になってしまい、本人も痛手を負った経験だってあるかもしれません。でも、考えてみれば…。非合理的な古い慣習や旧態依然とした組織の体質、権力者による閉鎖的な管理・支配体制、一部の人だけがずーっと得をするシステムなどが、いつの間にか出来上がっている時。それでも、その小さな社会では誰もが「常識」「そういうもの」と疑問を持たずに受け入れ、たとえ「何かがおかしい」と感じても空気を読んで言いたいことが言えずにいる中…。「こんなのはオカシイ!」「なんでこんなことしなきゃならないの!?」「アホらしい」「ムダ」と、ブラックな常識に根本から疑問を投げかけ、エライ人に面と向かってバッサリと異を唱えられる、貴重な人材になれるのではないでしょうか。空気なんて読んでいたら、できないこと、成し遂げられないこと、いつまで経っても変われないことは、いくらでもあります。出典 : 皆が並んでいる時に並ばない、皆が座っている時に立ち歩き、皆が立っている時に座り込む…こんな天邪鬼な行動をして先生方の手を焼かせ、独り離れたところでプイッと顔を背けているお子さんを、小学校でも時折見かけます。大人にすれば「言うこと聞かない子」「反抗的」のように映るので、きっと、彼は毎日怒られてばかりでしょう。でも、もしも、自然災害や大きな事故などの非常事態で、皆が同じ方向に逃げたとしたらどうでしょうか。全員助かる可能性もありますが、反対の結果になる可能性だってあるんです。「皆が同じ行動をとる」ことは、人類が生き延びていく上では大きなリスクと言えるでしょう。「皆がどうしようと、おれはこうする!」と、自分の直感力を信じて単独行動をとり別方向に逃げて助かることもあるかもしれません。「人と違う行動をする子」が集団の中に1人くらいいることは、人類にとってはリスクヘッジの一つと言えるのではないでしょうか。出典 : 感覚の過敏さなどがあると、特定の音やニオイ、味や食感、色・形、触感、過去の経験等による極端な苦手さや恐怖心・不安感から、こだわりが強くなってしまう場合もあります。そのため、偏食家でテコでも給食を食べなかったり、体育館やエアータオルのあるトイレなど、特定の場所に入ることに抵抗したり、通学路で絶対に通りたがらない道があったりで、親や先生が困り果ててしまうこともあるでしょう。反面、そういった子達は恐るべき直感力と鋭敏さを持ち合わせてもいます(例えば、味覚が鋭いうちの長男は、水道水が家のどこの蛇口から出たのか「利き水」できます)。そして強い信念で、誰も気にしないような些細なことがどうしても気になったり、一つのことにとてつもなく興味を惹かれて、納得ゆくまで没頭できるのです。その強いこだわりと粘り強い意志は、他の人がとっくに諦め投げ出すような無理難題にも、不屈の精神で最後まで諦めずに立ち向かえる力になるかもしれません。「自閉症者が人類社会に「不可欠」である理由 〜実は障害ではない! 最新研究が明かした驚きの真相」(正高 信男)|gendai.ismedia.jp出典 : 教室の机の中や、ランドセルやロッカー、道具箱…そして頭の中までグッチャグチャ!短期の記憶力の相対的な弱さや、感覚の敏感さから受け取る情報量が多くて処理が追いつかない、などの理由で情報の取捨選択や、モノや記憶の整理整頓が苦手な子もいます。すると、テキパキと物事を片付けられずに、見かねた隣の席の子が置きっ放しの体操服をたたんでくれながらも、「ちゃんとしなよ」「もう!だらしないんだから…」とため息をつかれては、少々肩身の狭い日々を過ごしているかもしれません。でも反面、「いいこと思いついた!」と一見無関係の情報同士が結びつき発想の飛躍が起こって、イタズラな笑みを浮かべて突然のひらめきが舞い降りることもあるんです(さらに大人に怒られる結果を招く場合もありますが…)。こんな子ども達は、斬新な発想や柔軟なアイデアで新しいものを生み出して、時代を切り拓く力を持っています。そして、この力は逆境にとても強いようにも思います。行動範囲や使える物資の限られた困難な窮地の中でこそ、創意工夫は生まれてくるからです。もしも人類のライフラインが途絶え、電波も宅配サービスも届かないサバイバル生活に突入したら…その辺にある材料で火を起こしてお湯を沸かし、不安な子ども達を手作りのおもちゃで笑わせてくれるのは、小学生の頃、道具箱がゴミだらけだった少年かもしれない、と思うのです。出典 : もしも本当に、人類が火星に移住することになったら、真っ先に手を上げて飛び込んでいくのは、人一倍好奇心が強く行動力のある人達でしょう。強い好奇心や行動力は、裏目にでると「落ち着きがない」「じっとしてられない」と注意や叱責を受けがちです。エネルギッシュで計画的に先を見通すことが苦手な子は、周りの人たちをハラハラさせ、学校ではトラブルも多かったかもしれません。しかも、小さな頃から本当に危なっかしくて親は片時も目が離せず、気の休まる暇のない育児をしながら育て上げた、大事な命です。でも、そんな周りの心配や苦労をよそに、やっぱり、チャンスがあれば行っちゃうんでしょうねえ…火星。「危ないから」って止めたって、親の言うことなんて、聞きゃあしないんでしょうねえ…火星。危ないことだと分かっていても、好奇心のほうが勝ってしまう。大人が何度口酸っぱく注意しても懲りずに同じ失敗を繰り返す。リスクを冒してでも、新しい世界に飛び込んで開拓していける、生まれながらのチャレンジャー。…私はそれを「欠陥・欠如」だとは、とても思えないのです。この果てしないエネルギーが溢れる子ども達を、一体何がこんなにも突き動かすのでしょう。人類のために、この子達に与えられた役割があるように思えてなりません。「ADHDの進化論:ADHD的性質が人類にグレートジャーニー(生存圏の拡大)をさせたのかもしれない」(荒川泰之)|“好き”を”学び”に。”学び”を"仕事"に。出典 : うっかりさん・あわてんぼさんは、多動性・衝動性・不注意性が高いのでミスや失敗が多くなりがちです。ガチャガチャとモノを壊したり、調理実習や科学実験の手順や量を間違えるので、「手を出さないで」「余計なことしないで」なんて、クラスの班行動の蚊帳の外に置かれてしまう経験も多いかもしれませんね。でも実は、人類の生活を一変させるような大発明や大発見には、うっかりミスによる失敗からの偶然の産物も驚くほど多いのです。例えば、2002年にノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんのタンパク質をイオン化して分析計測できる方法の発見も、間違った試料同士をうっかり混ぜてしまい、しかも、それを「もったいないから」と実験を続けた結果起こったミラクルの結果です。それに、将来もしもAIが暴走した時に、「つい、うっかり」つまずいて電源を引っこ抜いたり、精密機器にコーヒーをこぼしてしまって、人類を奇跡的に救出できるのは、誰も予測できない行動が取れる多動性・衝動性・不注意性の高い人物かもしれません。そして、偶然から生まれるミラクルは、「失敗」という名のクジを引く回数が多ければ多いほど、当たる確率が高くなるのではないでしょうか。社会全体が些細なミスや失敗を責め続けていたら、当たるものも当たりません。日本にできることはたくさんある 島津製作所 田中耕一記念質量分析研究所長、2002年ノーベル化学賞 受賞者 田中耕一 氏|サイエンスポータル出典 : 「どうして自分はこんなにみんなと違うんだろう…」「どうしてこんなに簡単なことが、当たり前にできないんだろう…」…実は、個性の豊かな子ども達は、少しづつ、周りと自分の違いに気づき始めるお年頃になると、自分のアイデンティティについて思い悩みもするようです(かつて、私自身もそうであったように…)。そして、親や先生と衝突したり、友達とうまくいかなかったり、上級生に生意気だと目をつけられたり、勉強や部活で努力がなかなか実を結ばなかったり…と、孤独感や挫折を多く経験したり、ストレスから心身の体調を崩したり、学校に行けなくなる子もいるようです。また、せっかくの素敵な個性を抑えて、出る杭が打たれないように、努力で「フツーにする」ことで自分に負担をかけながら、一見問題なく集団に適応しているように見える子もいます。でも、発達障害に限らず、どんな子でも、どんな個性でも、人間の多様性を確保することは、人類の未来のために必要なことです。イレギュラーな存在がなければ遺伝子の進化も、文明の進歩も起こらず、人類はとっくに滅亡していたことでしょう。必要だから、そこにいるんです。「ちゃんと並ばないから」と、大量に廃棄される曲がったキュウリのように、少しでも「規格外」のものを切り捨てていたら、人類は自らの首を締めることになり兼ねません。だってそれは、あらゆる可能性の芽や貴重な資源を捨てているのと同じだと、私は思うからです。発達障害のある子は人類に必要。だから、胸張って生きろ!!出典 : 「みんなと同じ」が求められがちな環境では特に、発達障害のある子も、そんなお子さんを育てるお母さん・お父さんも、マイナス面ばかりがクローズアップされて、つらい経験やしんどい想いが続いて、すっかり自信をなくしているかもしれません。「みんなと違う」ことで、不安になったり、苦しくなったり、イヤな思いをしたり、孤独を感じることもあるでしょう。大人になっても、社会の側に余裕がなければ風当たりが強くて、少々生きづらいかもしれません。つまずいてばかりだと「いつでも、前向きに」なんていかないかもしれません。でも、私はそんな豊かな個性の、愛すべき子ども達に伝えたい。「あなたたちは人類に必要なんだから、胸を張って生きるんだよ!!」と。
2018年10月23日不登校のきっかけ「よくわかりません」出典 : 私は小学4年生から6年生になるまで学校に行けませんでした。それは中学生になってもたびたび続きました。自分で不登校になった原因について、今でも考えることがあります。集団生活を送ることに苦手意識を持っていたことや、両親の期待がとても大きいと感じていたこと、単純に学校に通う意味を見出せなかったことなど、いろいろと原因になりそうなことは思いつきます。でも、それらが不登校の決定的なきっかけかと言われるといまだに確信を持てません。不登校を経験してから20年近くたちますが、今後もきっとわからないのだと思います。不登校の当事者の中には、私のように自分でも理由がよくわからない方が、少なからずいるのではないかと思っています。出典 : 周りに不登校の当事者がいる方は、本人に対して不登校になったきっかけや原因を聞くことが多いのではないかと思います。実際に私が不登校当事者だったとき、両親・教師・親戚・友人など、さまざまな人から不登校になったきっかけや原因を聞かれていました。社会人になってからうつ病にかかったときにも同様に、いろいろな人から原因について質問され、共通のものを感じました。話を聞こうとしてくれる人たちは、それぞれに「苦しんでいる原因を取り除いてあげたい!」「だからその理由を教えてほしい!」という想いを抱いているのだろうと思います。しかし前述したとおり、私は不登校の原因が自分でもはっきりとはわかっていませんでした。相手の「何とかしてあげたい」という気持ちを感じていても、答えようがありません…。正直に「よくわからない」と答えると、ほとんどの人は、がっかりした顔をしたり、もっと食い下がって質問してきたり…。より気をつかわせてしまっているなと感じることが多かったです。そういうとき、場合によっては、"いかにもそれらしい内容"を考えて答えていたこともありました。出典 : もしかしたらこの記事を読んでくださっている人の中にも、当時の私の両親・教師・親戚・友人などと同じような立場の方がいるかもしれません。不登校の子が原因を話してくれないことについて、自分は信用されていないのではないかと考えてしまったり、いろいろな不安を感じたりしている方もいるでしょう。しかし、私のように理由がわからないから説明できないとう可能性もあるかもしれないので、あまり悲観する必要はないと思います。周囲の人の様子に、本音ではないことも口にしていた当時の私でしたが、うれしかったことがあります。それは、両親から「あなたを傷つける気はなくて、あなたがどんなことを考えていても受け入れる準備ができているよ」と伝えてもらったことでした。両親は私の考えに反論せず、じっくり話を聞いてくれたり、その都度、私の力になりたいと言ってくれたのです。不登校の渦中にいる当事者というのは、自分を守ることでいっぱいいっぱいで、そういった大切なメッセージを受け取る余裕がなかったりします。両親が私にしてくれたことは、じっくり向き合って何度も同じことを伝える必要があるので、とても根気がいることでした。ですが、両親の想いを感じとれるようになったことで、私の生活は少しずつ変化していきました。登校を再開!これで不登校は解決…とはいかなかった出典 : 不登校当時の私も、当時の両親も、おそらく学校の関係者や親族も、学校にさえ行けるようになれば不登校は解決だ!と考えていたように思います。確かに、全く学校に足が向かなかった状態からは区切りがつきますが、実体験からすると、学校に行けるようになってからが本当の闘いでした。この感覚は、一般的にゴールインと言われる結婚が実際には新しい生活の始まりにすぎず、夫婦生活を円満に続けていくことが本当に難しいのとよく似ているのではないかと感じています。さて、学校で次々と襲いかかった問題…。それは、不登校経験があって内申点が低い中、志望校に行くために勉強の遅れを取り戻さなければいけなかったり、同級生とのコミュニケーションもどうすればいいのかまったくわからなくなっていたり…課題は山積みでした。私がそんな問題を乗り越えられたのには、2つの要因があったと感じています。出典 : 粘り強く向き合ってくれた両親が、学校に行くようになった後も私を信頼し応援してくれているという実感があったのは大きかったです。なので、学校で何か困ったことがあったら両親に相談していました。たとえば、同級生とうまくやれなかった日は夕飯を食べながら両親に相談しました。そうすると母親が「私なんかいまだにそうだよ。全員と仲良くなんてしなくていいんだよ」なんて言ってくれたり、父親も「大人の世界だって同じ。誰もがうまくできるわけじゃないから無理しなくていい」とアドバイスをくれたりしました。それで気持ちが楽になり、また次の日から頑張るための勇気になっていました。両親を信頼していろいろ話せる間柄になっていなければ、私は問題に対応できず、また不登校を繰り返していたかもしれません。不登校が始まった当初は言い合いになり気まずい思いをした時期もありましたが、関係はあとからでも築いていけるのだと思います。出典 : 不登校期間中、幸運にも私はプログラマーになってゲームをつくるという将来の夢を見つけることができました。プログラマーを目指すのであれば、地元でも偏差値が高い学校に通い、みっちりと情報系の勉強をする必要があると知りました。これが、最初のうちは勉強についていけなくても、あきらめずに続けていこうという強い動機になりました。志望校に進学してからも、明確な夢があったからこそ自分のペースを保ちながらに勉強を続けることができました。そして今、実際にプログラマーとして仕事ができているのです。実際には不登校の経験がなくても、将来やりたいことを明確に見つけられる人はそれほどいないかもしれません。社会人になってからもいろいろな困難を経験した当事者としては、苦手なことやできないことをどうにかするよりも、好きなことや得意なことを伸ばしたほうが自分の力で道を切り開くための強力な武器になると感じています。文章や物語を書くことも子どものころから好きだったことの一つです。それが社会人になってから技術的な文章を書くときに役に立ち、さらにこうして、この記事を書くことにもつながっています。ちょっと面白いですよね。もし周りにいる不登校の子が将来を思い描けずにいるなら、本人の好きなことや興味を突き詰める道を一緒に考えてみるのはいかがでしょうか。それが直接、将来の職業にならなくても、そのときに出会った人や身につけたスキルが新しい道への突破口になるかもしれません。身近にいる不登校の子に、自分は何をしてあげられるだろうと悩んでいる人へ出典 : 本当に大切なのは学校に通えるかどうかは抜きにして、幸せな人生を歩むことだと私は考えています。そのために、不登校の間はその子とわかり合うことを重要視すると、とても有意義な時間の過ごし方になるのではないでしょうか。社会に出るまでの期間に、幸せな時間を過ごすことはとても大事なことだと思います。それは必ずしも「普通の学校生活」を送らなければ手に入らないというものではありません。もし身近に不登校の子がいて、自分に何ができるか迷っていたら、すぐに学校や同等の施設に通うことを目指すのではなく、その子との信頼関係を強くするために時間を使うのが良いのではないかと思います。強固な信頼関係を築いた人がいることは、本人にとって前に進むための勇気になります。将来、不登校よりも大きな困難にぶつかったとしても、相談できる人がいると思えばどっしりと構えていられるのです。人生で待ち受けている困難にも対応していくために、勇気をくれるような人との関係があることが、不登校の当事者のかけがえのない財産になると思います。
2018年10月12日じゃんけんも点数も超・負けず嫌い!?息子に浮き上がったソーシャルスキルの課題息子が小学校に入学してしばらくしたある日、学校の面談のときのこと。「息子くんはじゃんけんに負けただけで、この世の終わりみたいな感じになってしまうんです。落ち込んでしまって、なかなか立ち直れない」という話を、先生からされました。さらに、問題はじゃんけんだけにとどまりませんでした。「隣のお友達よりもテストの点数が少しでも低いと、落ち込んでしまって立ち直れない」「ほかの人に『違うよ』と否定されると、パニックになってしまって、怒りがなかなかおさめられない」といったことが次々と出てきました。息子の課題は、もっぱら「他者を尊重するということはどういうことか」ということを考えることでした。勝負をすれば、どちらかが勝つし、どちらかが負ける。負けてしまったとしても、それは世界の終わりではない。勝った相手に敬意を表し、次に繋げるための糧にすることが大切です。また、自分と違う意見を言われたとしても、それは自分の全てを否定するものではない。人はそれぞれみんな異なる意見を持っていることを理解して、尊重できるようになってほしい。学校での様子を聞いて、そういったソーシャルスキルを学ぶことが、息子にとって一番大切だと思いました。けれども、私が息子にそれをいくら説明したところで、「だって悔しい」という一言で終わり…。もっとうまく伝える術がないだろうか、と考えていたところで、息子を定期的に見てくださっている大学の先生から、「アサーショントレーニング」を紹介していただいたのです。SSTにもぴったりな「アサーショントレーニング」って?出典 : 「アサーション」とは、一言で言ってしまえば、「自分も相手をも尊重したコミュニケーション方法」のことを言います。息子を見てくださっている大学の先生いわく、この「自他尊重」という考え方が、発達障害児のSSTにおいてとても重要な意味を持つことになると言います。自分への尊重と相手への尊重、どちらが欠けても、コミュニケーションは苦痛を伴うものに変わってしまいます。あるアメリカの心理学者は、人間関係の持ち方について、以下の三つに分けることができるとしています。■攻撃的なコミュニケーション/アグレッシブ(強がり・尊大・無頓着・他者否定的・操作的・自分本位・支配的)自分のことだけを考えて、他者を踏みにじるやり方。「私はOK、あなたはOKではない」■非主張的/ノン・アサーティブ(引っ込み思案・卑屈・消極的・自己否定的・他人本位・相手任せ・服従的)自分よりも他者を常に優先し、自分のことを後回しにする方法。「私はOKではない、あなたはOK」■アサーティブ(正直・率直・積極的・自他尊重・自発的・自他協力・歩み寄り)自分のことをまず考えるが、他者を配慮するやり方。1と2のやり方の良い部分をミックスしたもの。「私もOK、あなたもOK」非主張的/ノンアサーティブなコミュニケーションしかできないと、「自分はやっぱりダメなやつだ」「人の気も知らないで」というような自己評価の低下や相手に対する恨みがましい気持ちが残ります。対して、アグレッシブなコミュニケーションしかできないと、相手の気持ちや欲求を無視し、自分勝手な行動を取ってしまうので、相手と穏やかなコミュニケーションを続けていくことは当然難しくなります。それに対して、アサーティブなコミュニケーションとは、自分も相手も尊重し、相手の意見を表明する権利を尊重すること、自分の言論の自由も尊重することを大前提としています。私と息子のコミュニケーションについて考えると…出典 : さて、大学の先生に教えていただいた本を読みながら、自分や息子の行動について「アグレッシブ」「ノンアサーティブ」「アサーティブ」の類型に分けてみました。まず私は、他人からの評価を気にするあまり、自分の言いたいことを飲み込んでニコニコしてしまうところがあります。しかし、心には「私ばっかり我慢して…」というストレスが少しずつ蓄積されていきます。そして、ストレスが限界に達すると、突然「アグレッシブ」に転向します。今度は怒りが収まらなくなってしまうのです。「思っていることを少しずつ小出しにするようにしたら」と言われますが、どうやって小出しにしたら良いのか分かりません。ある日、突然ドカン!と態度が変わってしまうので人間関係の崩壊を招きかねません。一方、息子は常に「アグレッシブ」です。ほかの人が自分より点数が高いのは許せない、自分をからかってくる人間はみんな敵だ。自分を否定してくる人間はおかしい。さらに、他者の意見を聞くことなく、自分の意見を一方的に主張しがち。アサーション・トレーニングの本には、「アグレッシブ」や「ノン・アサーティブ」な生き方をしていると、他者との生活全般にわたって緊張を強いられることになり、「こころの疲れ」が次第にたまっていくとあります。「こころの疲れ」、それはつまり「生きづらさ」とも捉えられます。だとすれば、「こころの疲れ」を感じないために、他者とのコミュニケーションを「アサーティブ」なものに変えていくのが望ましいということが整理できました。息子と学ぶアサーション!こんな分かりやすい本があったとはいえ、「自分も相手も尊重するコミュニケーション」を実践するにはどうしたらいいのか。どうやって子どもに教えたら良いのか。困っていた私に、大学の先生が「子ども用の本ですから、直接的にアサーションとかアサーティブという言葉は使われていませんが、アサーティブなコミュニケーションの要素がしっかり盛り込まれていると思いますよ。」ととても素敵な本を紹介してくださいました。それがこちらの本です。中味は可愛らしい漫画とイラストで構成されていて、小学生が楽しく読むことができます。でも、「アサーティブなコミュニケーション」についての要素が分かりやすく説明されています。例えば、「気持ち大研究」という項目には、「イライラ星人」「不安ダヨ星人」「ワクワク星人」といったキャラクターが出てきます。個々に、身長と体重があって、よく出没する状況や口ぐせなどが具体的に設定されています。感情をキャラクター化したこの本を読んでみると…。なんと、息子は客観的に自分の気持ちを観察することができるようになってきたのです。それまでは、息子が落ち込んだりイライラしたりしているときの様子を見ていると、なんだか意味の分からない感情に一気に飲み込まれてしまい、それをコントロールする術も浮かんでこないように見えました。また、手はわなわな、汗はだくだく、心臓はバクバク、そんな身体の変化に動揺してしまい、ますます感情の制御が難しくなっていたようでした。本を読んだ後は、感情が高まってきたときに、「あ、イライラ星人が増殖してる!どうやったら退治できるんだっけ??」というように、一歩引いて気持ちの整理ができるようになってきました。完璧主義な息子の心を溶かすメッセージさらに、アサーティブなコミュニケーションで大切な、「自分を尊重する」というプロセスも分かりやすく紹介されています。「いい自分もダメな自分もみんなあなたの大切な一部だよ」「失敗しても大丈夫」「助けてもらってOK!」などのメッセージが漫画の中で出てきて、完璧主義で失敗が許せない息子も「目からうろこ~!!」と言いながら読んでいます。息子はこの本が大のお気に入りで、夜寝る前に読んで一日を振り返るのが日課になりました。「あ、そうそう、これ俺だ」「うん、俺こういうところで困ってるわ」「あー、そうか、こうすればいいのかあ」とブツブツつぶやいています。きっと、今まで訳も分からず苦しかった気持ちにやっと言葉が与えられたような想いなのでしょう。息子を育てて常々思うこと。それは、この子が表現できない部分を表現する役を私たち大人が担ってあげているのだということ。表現できないから飲み込まれてしまう、そしてパニックになってしまう。「不安」や「イライラ」などの気持ちもそうでしょうし、自分も友達も尊重するということはどういうことなのか、私たち大人は常にそのやり方を具体的に伝えていくことが求められているのだなと思います。息子のモヤモヤした気持ちに答えをくれた「アサーショントレーニング」。私自身のコミュニケーションを見直す機会にもなりました。一緒に学びながら息子のサポートや私のためにもどんどん活用していきたいと思います。
2018年10月11日ベーチェット病とはベーチェット病は、口の中や皮膚、眼など、さまざまな部位に炎症症状があらわれる病気で、発症の原因がはっきりと分かっておらず国の指定難病になっています。1937年にこの病を初めて報告したトルコの医師「フルス・ベーチェット」の名をとって、病名がつけられました。地域ごとでは、日本では北海道や東北に多く、世界的に見ると、日本、韓国、中国、中近東、地中海沿岸諸国に多く見られます。そのため、シルクロード病とも呼ばれています。平成26年時点で約2万人の患者がおり、その男女比はほぼ同等ですが、男性の方が重症化しやすい傾向があります。また、発病年齢は男女とも20~40歳に多く、ピークは30代前半です。出典:難病情報センター「病気の解説(一般利用者向け)ベーチェット病(指定難病56)」ベーチェット病の4つの主症状出典 : ベーチェット病には、口内、陰部、皮膚、眼にあらわれる4つの主症状があります。さらに5つの副症状もあります。それらの症状が複合的かつ慢性的に発症し、その症状の組み合わせによって病型が分類されます。この章では、まず4つの主症状について見ていきましょう。再発性アフタ性潰瘍は、口唇、頬粘膜、舌、歯肉、口蓋粘膜にでき、円形で痛みを伴います。いわゆる口内炎の症状で、ベーチェット病の場合は繰り返し発症するのが特徴です。初発症状としてもっとも頻度が高く、98%のベーチェット病患者で確認されている代表的な症状です。出典:難病情報センター「病気の解説(一般利用者向け)ベーチェット病(指定難病56)」皮膚症状でよくみられるのは以下の3種です。・結節性紅斑…皮膚に円形の赤みが出て硬くなり、痛みを伴います。ひざ下・ひじ下によくあらわれる症状です。・血栓性静脈炎…皮膚表面に近い静脈に沿って痛みが出て、皮膚が赤くなります。ひざ下によくみられます。・毛嚢炎(もうのうえん)様皮疹または痤瘡(ざそう)様皮疹…「にきび」に似た大きめの皮疹が顔、頸、胸部、背部などにできます(思春期、副腎皮質ステロイド薬を服用している場合は、その影響も考慮する必要があります)。◇皮膚症状の共通の特徴皮膚の過敏性が高まり、カミソリ負けを起こしやすかったり、注射や採血で針を刺したあとに赤く腫れたり膿んだりすることがあります。よくみられる眼症状に「虹彩毛様体炎」があります。普段外気に触れている眼の表面側の炎症で、痛み、充血、眩しく感じるなどの症状を生じます。表面側の炎症が眼の奥の方まで広がると「網膜絡膜炎(ぶどう膜炎)」となり、視力低下や視野異常を引き起こします。炎症を繰り返していくうちに、失明に至ることがあります。いずれも、両眼にあらわれることが多いです。男性では陰嚢、陰茎、亀頭に、女性では大小陰唇、膣粘膜にできる痛みを伴う潰瘍です。見た目は口内炎に似ていますが、痕が残るくらい深い炎症になってしまうこともあります。ベーチェット病の副症状出典 : 副症状はベーチェット病の発症から数年経過して出現することが多く、「副」症状という名のくくりであっても軽い予備的な症状ばかりを表すわけではなく、生命に危険が伴う重篤な症状も含まれます。5つの副症状を一つずつ確認していきましょう。膝、足首、手首、肘、肩などの関節に腫れを伴う炎症が起きます。似た症状に、関節リウマチがありますが、ベーチェット病による関節炎の場合は左右非対称に症状があらわれること、関節の変形や強直(関節や筋肉がこわばること)が残らないこと、手指などの小さい関節には発症しないことが特徴です。血管炎に分類されるほかの疾患では、動脈の病変が主ですが、ベーチェット病由来の血管病変は動脈系にも静脈系にも生じます。むしろ、上大静脈、下大静脈、大腿静脈などの太い深部静脈の病変の頻度が高く、その病変のほとんどは静脈を閉塞してしまう血栓症という症状です。また、静脈に比べ頻度が高くないとはいえ、動脈の病変もあり、その多くは動脈瘤です。瘤のできる場所や、瘤が破裂してしまった場合には生命に関わる重篤な病態に陥りやすいため、注意が必要です。主に小腸と大腸の移行部分(右下腹部)を中心とした腸管潰瘍です。腹痛、下痢、下血などが主な症状で、腸管潰瘍が進行すると腸管に穴が空くこともあり、緊急手術が必要な場合もあります。脳や脊髄などの中枢神経系に症状がみられることもあります。神経病変は難治性で男性に多く、ベーチェット病発症から神経症状が現れるまで平均6.5年と言われています。患者さん個々に症状はさまざまです。髄膜炎や脳幹脳炎として急性的に発症するタイプと、認知症などの精神症状に片麻痺や小脳症状などの神経症状が伴って慢性的に進行するタイプに大きく分けられます。昨今は神経病変と喫煙になんらかの関連性があるのではないかと考えられ、研究が進められています。出典:難病情報センター「病気の解説(一般利用者向け)ベーチェット病(指定難病56)」痛みと腫れを伴う睾丸部の炎症です。男性患者の約1割弱にみられます。出典:難病情報センター「病気の解説(一般利用者向け)ベーチェット病(指定難病56)」ベーチェット病の病型ベーチェット病は主症状・副症状の組み合わせによって4つの病型に分類されます。「口腔粘膜の再発性アフタ性潰瘍」「皮膚症状」「眼症状」「外陰部潰瘍」の4つの主症状が全てが発現したもの。・4つの主症状のうち3つが出現したもの。・主症状2つと副症状2つが出現したもの。・主症状の1つである眼症状に加え、もう1つの主症状が出現したもの。・主症状の1つである眼症状に加え、副症状が2つが出現したもの。主症状の一部が出現しているが、不全型の条件は満たしておらず、副症状が繰り返しがみられたり、悪化するもの。完全型・不全型の基準を満たしている状態に加え、特定の病変を伴うタイプ。病変部位それぞれに合わせて病型の名称があります。1. 腸管型副症状である消化器病変のうち「腸管潰瘍」が確認されている場合。2. 血管型副症状である血管病変のうち動脈・静脈問わず大きな血管に病変が認められる場合。3. 神経型急性型・慢性型問わず副症状である神経病変が確認された場合。ベーチェット病の原因ベーチェット病は、原因が不明で厚生労働省に難病に指定されています。有力な仮説として、何らかの遺伝素因(体質)に病原微生物(細菌やウイルス)の感染が関与して、白血球などの免疫系が異常に活性化し、強い炎症が起こるのではないかと考えられています。特に、ベーチェット病患者は白血球抗原「HLA-B51」(白血球の血液型のようなもの)の比率が健常な方に比べ、はるかに高いことが分かっています。ベーチェット病のメカニズム解明については、これからの研究の成果が期待されるところです。「ベーチェット病かも」と思ったら何科に行けばいい?出典 : ベーチェット病の症状はさまざまであるため、最初は症状に合わせて皮膚科や眼科、相談しやすいかかりつけ医などを受診することが多いでしょう。症状の組み合わせが診断の決め手となるので、受診時には、あらわれている全ての症状を伝えることが大切です。必要に応じて医師が専門病院の紹介などもしてくれます。数は多くないですが、ベーチェット病を主な対象疾患に含む専門科「膠原病内科(またはそれに準ずる科)」も存在します。以下のサイトで、全国のベーチェット病の診療ができる病院を検索できます。ベーチェット病研究班「ベーチェット病の診療医」ベーチェット病の検査方法ベーチェット病はさまざまな部位で症状を発現します。そのため、複数の検査を行う必要があります。採血をして炎症反応と白血球抗原「HLA-B51」の陰陽を調べます。炎症反応については、白血球の増多や炎症の指標であるCRPの値などから各種炎症の有無や程度を確認します。HLA-B51は日本人の健常者を検査すると約15%の方が陽性であるのに対し、ベーチェット病患者では約50〜70%が陽性を示します。出典:日本眼科学会「Behçet病(ベーチェット病)眼病変診療ガイドライン第 4 章 ベーチェット病の検査」ベーチェット病患者の多くは、口腔内連鎖球菌に強い過敏反応を示すため、連鎖球菌死菌抗原を使い、プリックテスト(プリック針で対象の物質を少量皮膚に入れ反応を調べる)を行います。陽性の場合、20~40時間後に強い紅斑反応があらわれます。出典:日本眼科学会「Behçet病(ベーチェット病)眼病変診療ガイドライン第 4 章 ベーチェット病の検査」病変の組織や細胞を採取し、ガラス標本をつくって顕微鏡で、病変時特有の反応があるかを確認します。これまで、ベーチェット病患者特有の細菌やウイルスは検出されていませんが、主に特徴的な白血球の挙動や、全身的血管炎の可能性を示唆する壊死性血管炎の有無を調べます。参考:一般社団法人日本病理学会「病理診断について」眼球に帯状の光を当て、拡大鏡で観察する細隙灯顕微鏡検査などがあります。1. 腸管型ベーチェット病診断や重症度チェックのためにも大腸内視鏡検査が必須です。2. 血管型ベーチェット病MRI、造影CT、超音波検査、血管造影検査などの画像検査を行います。3. 神経型ベーチェット病髄液検査やMRIの画像検査を行います。ベーチェット病は完治するのか。治療期間は?ベーチェット病の根本的な治療法はまだ特定されていません。症状が出ている活動期とおさまっている非活動期を慢性的に繰り返すため、通院・治療は基本的に長く続くことになります。ただ、予後は良好で10年程度で症状が落ち着くケースが多いです。非活動期は定期通院や服薬、日常生活の気配りだけで十分な場合もあります。特殊型と眼症状は重症化することがあり、注意は必要ですが、特殊型の症状に効果がある薬の開発が進んでおり、眼症状においても失明に至る患者数は減少しています。出典:帝京大学医学部内科学講座 リウマチ・膠原病グループ/研究室「ベーチェット病」ベーチェット病の治療法出典 : 現状、完治させるための治療法はありませんが、症状を緩和するなど対処的な治療法が行われています。症状の活動性や重症度を考慮して優先順位を決め、各部位の症状に合う治療法を選択しながら進められます。口腔内の再発性アフタ性潰瘍、陰部潰瘍には副腎ステロイド軟膏が有効で、眼症状でも用いるコルヒチンなどの内服薬もあります。薬物療法のほか口腔内、病変局所を清潔に保つこと、むし歯の治療も重要です。また、結節性紅斑にもコルヒチンが有効、痤瘡様皮疹はにきびと同じように軟膏治療などを行います。コルヒチン錠0.5mg「タカタ」出典:ベーチェット病研究班 治療出典:日本皮膚科学会「一般公開ガイドライン尋常性痤瘡治療ガイドライン 2017」虹彩毛様体炎など眼の前側に病変がとどまる場合は、副腎皮質ステロイドと瞳孔を開く目薬で対処します。重症時には、副腎皮質ステロイドの注射を行います。一方、眼の奥のほうで起きる網膜脈絡膜炎では、注射・点滴など全身に薬の成分がいき渡る方法で対処します。これらの眼症状が頻発する場合は、症状や患者の体質に合わせて、コルヒチン、シクロスポリン、インフリキシマブなどの内服薬が使われます。眼症状は症状の反復が視力の低下につながります。そのため、症状が落ち着いている時期でも、予防として服薬を継続することが重要です。コルヒチン錠0.5mg「タカタ」シクロスポリンカプセル10mg「ファイザー」/シクロスポリンカプセル25mg「ファイザー」/シクロスポリンカプセル50mg「ファイザー」/シクロスポリン細粒17%「ファイザー」レミケード点滴静注用100コルヒチンが効果的ですが、対症的には消炎鎮痛薬も使用します。これらの効果がない場合に副腎皮質ステロイド薬を用いることもありますが、短期間の使用が推奨されています。コルヒチン錠0.5mg「タカタ」主な治療法は副腎皮質ステロイド薬と免疫抑制薬の併用です。日本では国内の経験上、深部静脈血栓症をはじめ血管病変に対しては血を固まりにくくする治療法を選択することが多いです。血管病変の中には、動脈瘤破裂による出血のように命の危険が伴うものもあり、その場合は緊急手術を適応することになります。破裂する前など、症状が落ち着いている期間に手術をする方法もありますが(待機的手術)、病変の再発率が高く、かえって危険を伴うという見解から、極力保存的に対処すべきと考えられています。待機的手術を行なった場合には、再発の防止のための治療を十分に行う必要があります。クローン病などの炎症性腸疾患に準じた治療で、副腎皮質ステロイド薬などを使用します。副腎皮質ステロイド薬は状態を見ながら、徐々に減らし長期投与を避けることが好ましいですが、難治性の病であるため、薬をやめることは難しい傾向があります。そのため、副腎皮質ステロイド薬の副作用対策も行い、生活の質の向上を図ります。消化管の出血、穴があいてしまった場合には手術を要します。再発率が高いため、血管病変と同様に術後の免疫抑制剤を用いた治療が重要です。急性型の脳幹脳炎、髄膜炎には炎症を抑えるためステロイドが主に使用されます。急性型はこれらの治療に比較的よく反応します。一方、精神症状などが主体である慢性進行型に有効な治療方法は確立されていません。眼病変に対するシクロスポリン服用患者では、20〜25%に神経症状が出現するとされています。神経症状に対してシクロスポリンは禁忌であり、神経症状が出現したら中止し、ほかの治療薬に変更します。ほとんどが急性型ですので、シクロスポリンの中止と副腎ステロイド薬投与で改善します。シクロスポリンカプセル10mg「ファイザー」/シクロスポリンカプセル25mg「ファイザー」/シクロスポリンカプセル50mg「ファイザー」/シクロスポリン細粒17%「ファイザー」出典:ベーチェット病研究班「ベーチェット病とは 治療」ベーチェット病とのつき合い方。日常生活で気をつけることは?出典 : ベーチェット病とつき合っていくにあたり、日常生活で以下に留意しましょう。・休養、保温、ストレス軽減…冷えや過労によって症状が悪くなる傾向があるため、全身の休養・保温、ストレス軽減を心がけることが大切です。季節の変わり目や寒冷前線の通過時、女性は月経前後は特に注意を払いましょう。・口腔内の衛生(むし歯、歯肉炎などの治療)…ほとんどのベーチェット病患者に口腔内のアフタ性潰瘍がみられることから口腔内の衛生も非常に重要です。毎日の歯磨きを丁寧に行い、むし歯や歯肉炎もしっかりと治療しておきましょう。・禁煙…ベーチェット病の悪化因子である喫煙をやめることも、大切な留意事項となります。・食事…特に禁忌や推奨するものはありませんが、口内炎発症時は刺激物を控え、バランスのとれた食事をとりましょう。・定期受診…ベーチェット病は症状が落ち着く非活動期があるため、往々にして通院が疎かになることがあります。どんなに状態が良くとも油断せずに、定期受診は欠かさないようにしましょう。ベーチェット病は医療助成金をもらえるの?ベーチェット病は指定難病なので、ある一定以上の症状が確認された場合は、所得別に定められた上限金額を上回った分の治療費を助成金として受け取ることができます。ある一定の症状というのが、ペーチェット病のガイドラインに定められた「重症度分類」のStageⅡ以上に該当する場合になります。Upload By 発達障害のキホンどのステージに該当するかは、直近6ケ月間で最も悪い状態を基準として医師が診断します。例外として、症状の程度が上記の重症度分類で一定以上に該当しない場合でも、高額な医療を継続する必要があるものについては、医療費助成の対象となります。参考:難病情報センター「指定難病患者への医療費助成制度のご案内」参考:厚生労働省「56 ベーチェット病」一人ひとりの病状や所得状況などによって、必要書類や受け取れる金額などが異なってきます。以下の記事に詳しく紹介しているので、参考にしてみてください。ベーチェット病と就労ベーチェット病の症状は個人差が大きいので、当事者がサポートの必要性を感じていない場合には、一般的な就職活動・就労の継続で問題ありません。ただ、病状により、なんらかの就労への不安・困難を感じている場合には、難病患者向けの就労サポートを利用する方法があります。さまざまなサポート、支援サービスがありますのでいくつかご紹介します。職業相談から職業紹介まで一貫した就労サポートが行なわれています。難病者専門のサポート窓口「難病患者就職サポーター」も設置されており、障害特性に応じたきめ細かな支援が可能です。地域障害者センターに用意されている各種「職業リハビリテーション」や、身近な地域の企業、社会福祉法人などで「委託訓練」を受け、障害や職種に合わせて就労の準備を行うことができます。就労支援のノウハウを有する専門員(ジョブコーチ)を職場適応・定着のサポートとして、職場に派遣してもらうことができます。参考:厚生労働省「難病患者の就労支援」まとめベーチェット病の明確な原因は分かっていません。疑わしい症状が現れた場合には、症状の程度によらず、速やかに病院を受診し、医師の診断を仰ぐことが大切です。また、ベーチェット病と診断された場合には、根治させる治療法が確立されていないことから、うまく病気とつき合っていくことが必要になります。定期受診を欠かさず続けながら、闘病中の困りごとを軽減するために、日常生活での留意点や、支援制度について学ぶことも良いでしょう。一人で病気の苦しさを抱え込まずに、周囲の助けを得ながら治療していきましょう。参考:難病情報センター「病気の解説(一般利用者向け)ベーチェット病(指定難病56)」参考:難病情報センター「診断・治療指針(医療従事者向け)ベーチェット病(指定難病56)」参考:日本眼科学会「ベーチェット病」参考:ベーチェット病研究班「ベーチェット病とは 診療」参考:ベーチェット病研究班(FAQ)参考:順天堂大学医学部付属順天堂医院(膠原病・リウマチ内科)参考:帝京大学医学部内科学講座 リウマチ・膠原病グループ/研究室「ベーチェット病」参考:横浜市立大学付属病院 「ベーチェット病診療研究センター」参考:池袋サンシャイン通り眼科診療所 「細隙灯顕微鏡検査」参考:ベーチェット病友の会「ベーチェット病とは」
2018年09月30日中学進学の時にぶつかった「発達障害と成績表」の問題。出典 : こんにちは。『発達障害&グレーゾーンの3兄妹を育てる母のどんな子もぐんぐん伸びる120の子育て法』著者、楽々かあさんこと、大場美鈴です。今回は、うちの長男の中学受験の経験をもとに、発達障害のある子の進路に関する少々シビアな現実をお伝えします。うちの長男は私立中学受験という選択をしました。その理由のひとつは、学区の公立中学の支援学級・通常学級からの卒業後の進路に親子で不安を感じたからです。うちの学区の公立中学は超マンモス校。「人が多いと集中できない」長男には、通常学級では少々負担が大きいように感じられたので、それまでは、中学では支援学級進学ものんびりと考えていました。ところが、5年生の時、学区の中学の見学会で支援学級を実際に見てみると、「この支援学級を卒業した後、長男の進路は一体どうなるのだろう」という疑問に、全く答えが見えなかったのです。学区の中学の特別支援学級に在籍する生徒さんの大部分は、卒業後は、特別支援学校へ進学されるようでした。つまり、長男が希望する普通高校進学を前提とした生徒さんはその特別支援学級では見当たらず、卒業後の進路について何の情報も得られませんでした。また、小学校では柔軟に対応して頂けた、支援学級の子が通常学級でも授業を受ける「交流級」や、通常学級から特別支援学級へ、特別支援学級から通常学級へ、という「転籍」も、うちの地域の中学ではあまり行われていないようでした。学区の中学の支援学級からは「卒業以降」の普通高校進学の道がプッツリと途切れていたのです。今後、公立中学の特別支援学級から、公立高校の通級・支援学級への道が拓かれてゆく期待もありますが、うちの長男には間に合いませんでした。現在、こういった状況は地域・学校ごとで大きく違うようなので、まずは、お子さんが小学校卒業後、学区の中学の支援学級進学をご希望の場合は、早めに見学・相談等をされることをオススメします(正直、うちはかなり遅い例です)。中学の一斉公開日などもチェックしておくといいでしょう。出典 : 地域の中学の支援学級の現状に不安を感じた私が資料を調べたところ、うちの県では公立中学の支援学級から、全日制普通高校への進学率は公立・私立合わせても、わずか2%程。定時制・通信制の高校を含めて、ようやく20%弱(某県教育委員会のデータより)。「たった2%!? そんなマサカ…」と、文部科学省による全国統計「特別支援教育資料」を見ると、平成28年度の中学校特別支援学級卒業者の状況(国・公・私立計)は、支援学級在籍者19,135人に対し、「高校等」の進学者は約35%にあたる6,842人。その内、全日制の普通高校に進学した生徒が一体何人いるのかは、このデータからは分かりませんでした。特別支援教育について「特別支援教育資料(平成28年度)」|文部科学省では、特別支援学校に進学しない・できないタイプの発達障害のある子は、一体どうしているのかというと、うちの自治体では今のところ、普通高校への進学を希望するならば、中学では通常学級に在籍せざるを得ないようです。勿論、通常学級でもうまくいく場合もあるでしょう。でも、長男も私も、学区の中学の通常学級は様々な面で、彼にとってかなりハードルが高い環境のように感じていました。また、仮に公立中学の通常学級で、勉強を精一杯がんばれたとしても、高校入試に影響する中学の内申書は「学力以外」の面での評価も大きく、長男の現状では内申点はほとんど期待できません(理由は後述)。ですから、中学の通常学級から高校進学を希望しても、内申重視の傾向が強い公立・私立高校や、「内申点が○点以上から」と条件のある推薦入試は、かなり厳しくなるでしょう。それすらも、負担の大きな環境の中、「長男が中学にちゃんと通えたら」という前提での話。そして長男は「学区の中学に行くなら、おれは不登校する」と、キッパリ宣言しました…!そこで、遅まきながら、公立中学以外の選択肢を模索し始め、親子で私立学校等の見学会や説明会などに参加してみると、「自分に合った、小規模の私立中高一貫校に行きたい」と、本人が強く希望するようになりました。長男は学ぶ意欲が強く、自分の意思で決めたことなら人一倍がんばれるタイプです。でも、ここでも「成績表」の問題が。出典 : 私立中学各校の募集要項を見ると、中学受験でも、願書提出の際に成績表のコピーや調査票が必要になる場合があります(必要ない学校もあります)。ただしその場合も、内申重視の高校入試と違い、「小学校の成績表は参考程度」という私立中学も多いようです。それでも、推薦入試を行うある中学の説明会では、小学校の成績表に「最低評価が1つでもあるとダメ」「年間の欠席日数が○日以下」などの条件があると聞きました。私立中学でも成績表によって受験資格が左右される場合もあるようです。4年生までの長男の通常学級の成績は、C評価の「がんばりましょう」ばかり。そして、5年生の特別支援学級の成績評価は「言葉による表現」で記載され、「みんなと同じ」段階別の数値によるものではありません。長男の志望校の出願に必要なのは6年生の成績表なので(※5年生からの成績表が必要な学校もあります)、合格・不合格以前に、今の特別支援学級在籍のままでは、必要書類を揃えて願書を提出できるのかすら分からない状況でした。(ちなみに、「特別支援学級の言葉による評価の成績表を、そのまま受験用に提出した場合どうなるのか」は、いろいろと調べてみたものの、ほとんど前例がないようで、結局分かりませんでした…)ただし、私がネット上などで目にした「特別支援学級では、成績評価・内申点がつかない」なんて話は、本来はあってはならないことのハズです。ですが、現実的には信じがたいことに今だに「地域・学校によって、対応してもらえない場合がある」ようなのです。特別支援学級からの進学ーあまりに大きな地域差の現状|togetterうちの自治体の場合「特別支援学級の成績表は、ご希望があれば段階別の評価でも出せます」と、小学校の特別支援コーディネーターの先生はおっしゃってました。しかし、地域の受験事情に詳しい方のお話では「○○市では、特別支援学級でもお願いすれば、みんなと同じ形の評価で出すことはできます。ただし、その内容が問題なのです」とのこと。つまり、書類として揃えることは可能だけれど、いくら「成績表は参考程度」であっても、内容が殆ど「がんばりましょう」ばかりでは結局厳しいことには変わりない…のだそうです。出典 : 一見これは、「成績が悪いのは、本人の実力なのだから仕方ない」とも思えますが、特別支援学級在籍で「みんなと同じ」評価を受けるために、通常学級の「みんなと同じ」テストや宿題の提出が必要、となれば、実質本人にかなりの負担がかかります。「おれは、人が少なければ、集中できる!」と、自分のペースで学ぶために希望して特別支援学級に転籍した長男ですが、特別支援学級は授業の進度が通常学級とは違うため、そのままでは「みんなと同じ」単元のテストができません。実質、自力で相当な努力をして通常学級との進度の溝を埋めるか、毎日のほとんどを交流学級で授業を受け、同じテスト・同じ課題をこなさなくては、マトモな成績がつかない…ということになります。「自分のペースで学べばできる」「落ち着いた環境で学べばできる」という子も多い中、「○年生の○学期までにココの単元まで終わる」と学習指導要領で決められた中でしか段階別の評価ができなければ、特別支援学級でしっかり学んでも「みんなと同じ」基準での成績評価は難しくなります。つまり、現行の成績評価の仕組み自体が、特別支援学級の児童・生徒の多様な学び方に対応できていないのです。こういった「特別支援学級からの受験」の厳しい現状を、私は長男に噛み砕いて説明しました。すると彼は「じゃあ、おれ、6年からは元のクラスに戻ってがんばる」と通常学級への復籍を決意。そして、小学校の学習とは別の努力が必要な中学受験用の勉強と並行して、5年生の特別支援学級では交流学級を増やしながら全科目学年相応まで学習を進め、6年生からは通常学級で進学に備えることになりました。…要するに「個人の努力と根性で乗り越えた」のです。正直、11歳12歳の子には、かなり負担が大きかったと思います。長男の場合、本人の強い意志と興味のあることへの過集中、そして、周囲の理解・サポートで頑張れたのだと思います。でも、さまざまな課題を抱えながら特別支援学級で学ぶお子さん達に、ここまでの努力や負担を強いなければ「皆と同じ土俵にすら立てない」というのは、私は甚だ疑問です(仮に、学区の公立中学の特別支援学級に進学したとしても、高校受験の際、長男は同じ経験をしていたことでしょう)。そして、発達障害への理解・支援体制には地域・学校ごとで格差があり、その子の進路まで大きく影響されてしまう現状にも、大きな問題を感じます。こういった状況の中で、本人・親が希望する・しないに関わらず「受験を希望するなら、現実的には支援学級を選択できない」地域・学校もあるのです。とにかく、小中学校の特別支援学級からの受験を希望する場合、早めに在籍・進学先の学校や教育委員会などに、成績評価への対応についても、正確な情報を問い合わせておく必要があるでしょう。尚、論外ではありますが、万が一、在学中の小中学校で「特別支援学級では、みんなと同じ形式の成績評価・内申点は出せない」などと言われた場合や、正当に受験し合格しているにも関わらず、発達障害があることや元の在籍級を理由に合格を取り消された場合などは、障害者差別解消法違反に該当する可能性があるため、法的に対応していく必要があるでしょう。また、在籍校から受験校・進学校に提出される内申書や指導要録で、もしも、不当な評価や事実に反する記載・入力ミスなどがあり、受験資格の有無や合否、入学後の対応等に本人に不利益な影響を及ぼした可能性が疑われる場合などには、自治体に対し「自己情報の開示請求」ができます。発達障害児進学に苦悩私立中高一貫校入学辞退迫られ両親「多様性認めて」|西日本新聞(2013.6.11)内申書や指導要録を見せてほしい(ふらっと相談室)|ふらっと人権情報ネットワーク出典 : そして、「絶対行きたい!」志望中学のためにガムシャラになった長男は、小学校のテストの点も急上昇。ところが、オールCから脱出したとはいえ、実力に対して、成績評価は思ったようには上がりませんでした。それは、例え学習内容を十分理解している子や、真面目に勉強に取り組んでいる子であっても…・課題や宿題に取り組んでも、提出し忘れる。忘れ物が多い。・ノートや提出物の字が汚い。読み書きに時間がかかり、板書を写しきれない。・先生の指示を聞き逃したり、授業の準備や片づけに時間がかかる。・不器用さや局所的な苦手さ等から、体育や音楽などの副教科が努力だけではどうにもならない。・コミュニケーション面の苦手さにより、授業中の挙手の回数や発言内容が不十分。・学校自体の負担が大きく、欠席等が多くなりがち。…などの理由から、どんなに学ぶ意欲が強くても、本来の学力以外の「意欲・関心・態度」などの面で、成績評価が低くなってしまう傾向があるためだと思われます。でも、「態度」の評価が低くても、長男は決して不真面目なワケではありません。発達障害があっても、まじめな子、おとなしい子、ガマン強い子、人一倍優しい子は沢山います。そして、適切なサポート・療育や環境の工夫、または自然な成長によって、落ち着いていく子も沢山います。長男の場合、空気を読めないが故に、自習中クラスの皆が騒いでいる中でも同調せず「マジメにやってたのオレだけだった」なんてこともありました。ですから、ここでいう「態度」とは、「先生に言われたことを、言われた通りにできる力」のことなのです。集団行動に遅れたり、先生の意図を察して動けない子は評価が低くなりがちなのだと思います(親としては、書字に困難さのあった長男がノートを必死で書こうとする姿は、例え黒板を写しきれなくても、涙が出そうなくらい「意欲・関心・態度」が高いように思えますが…)。字のキレイさや挙手の回数で、「どれだけその子が学ぶ意欲を持っているのか」を、客観的に評価できるのでしょうか。また、発達障害のある・なしに関わらず、公立小の担任の先生に「中学受験への理解があるか」や、先生との関係性によって、「学力的に十分でも、厳しめに評価をつけられた」なんて話も聞き及びます。高校入試の際も、評価の甘い中学と厳しい中学での格差により、同じような学力の生徒間でも「A中学の子は推薦もらえたけど、B中学の子は内申点が足りず、〇〇高校の推薦入試が受けられない」のもよくあることでしょう。そして、先生の「内申に書くぞ」の一言が、生徒を従わせるための安易なツールとして広く普及していること自体にも、そろそろ社会全体で疑問を感じたほうがいい時期なのかもしれません。現在、学校の成績表・内申書は相対評価から絶対評価へと変わり、子ども達にプラスになった面もありますが、実質「先生の主観」に影響される部分もあり、成績表・内申書自体の客観性・信頼性・妥当性が問われています。中学校における指導と評価の一体化をめざす学習評価の在り方 -目標分析からすすめる学習展開例-(京都市総合教育センター)|国立教育政策研究所未来を拓く扉が、挑戦する前に閉ざされないために…出典 : 結局、中学受験での小学校の成績表への不安点・疑問点を、うちではどうクリアしたか、というと…まず、志望校の説明会で、私は「小学校の成績表は、どの程度合否の参考にされるのでしょうか?」と思い切って質問し、成績表は本当に「参考程度」なことを直接確認しました(ただし、「出席日数と諸活動・所見欄だけはチェックする」学校は多いようです)。また、記載内容で特に気になる点については、個別相談会で本人同席の上、成績表と普段のテストを持参し、具体的に相談していきました。また、何度も志望校の体験授業などに親子で足を運び、面接でも彼の全体像を知って頂けたので、入試本番の結果は勿論、長男のことを十分理解して下さった上で「合格通知」を頂いたもの、と思っています。(ちなみに、公立・私立問わず入学手続きには、在籍校最終学年の担任の先生が記入する「指導要録抄本(指導要録の写し。原本は在籍校保管)」が必ず必要となります。これにより、受験の際に成績表の提出が必要なくても、学籍の記録や全学年の成績評価、出席日数、所見等が記録された書類が進学先に学校経由で送付されます。)指導要録(参考様式)|文部科学省それでも私は、「発達障害と成績表」の問題は、子ども自身の努力と根性だけで全て解決できるとは思えません。新しい学習指導要領で「主体的な学び」の必要性が叫ばれ、また、大学の推薦・AO型入試の増加傾向など、多様な人材が求められるように世の中が変化している中、成績表や内申書のあり方も、早急に見直す必要があるのではないでしょうか。発達障害のある・なしに関わらず、本当に学びたい意欲と可能性にあふれた子ども達が、たかが成績表や内申書の印象で、未来を拓く扉の前で門前払いされないよう、私は心から願っています。大場美鈴/著『発達障害&グレーゾーンの3兄妹を育てる母のどんな子もぐんぐん伸びる120の子育て法』2017年/刊/ポプラ社
2018年09月20日息子に言い続けた「辛いけど頑張ろうね」出典 : 発達障害の息子を育ててきて、今でも忘れられない一つの出来事があります。それは、私にとって、さまざまな価値観を変えてしまうほどの大きな感動をもたらすものでした。今回のコラムでは、そのときの話を書きたいと思います。3歳で発達障害の診断がおりた息子。それと同時に、私自身も発達障害であることが判明しました。これは、私の人生のなかで、一、二を争うほどの大事件でした。そして、私にとっては「息子に私の味わってきた苦しみを味わわせない」という大きな課題を突きつけられた瞬間でもありました。「発達障害」という言葉もなかった私の幼少期。思い出すだけで胸がギュッと痛くなるような、さまざまな困難がてんこ盛りの毎日でした。協調運動ができなくて不器用な手足。女の子同士で遊ぶ「ゴムだん」がいつまでも跳べるようになりません。「前へならえ」はできるのに、「回れ右」や「右へならえ」などになると頭が大混乱。「おまえはふざけているのか」と先生に頭を叩かれたのも、一度や二度ではありません。何よりも私が困ったのは、お喋りが止まらないこと。人の話を聞かずに喋り続ける特性のせいで、まともな人間関係が築けませんでした。同じような特性を譲り受けている息子に、私はさまざまな療育を体験させ、家庭療育や言葉がけなども工夫してきました。そんなときの私の口癖はこれ。「辛いけど、頑張ろうね」私は疑うことなく思っていたのです。息子は発達障害で辛いことばかりなのだと。だって、運動は苦手だし、感情のコントロールができないときもあるし、聴覚や触覚の過敏性でパニックになってしまうことも多いし…。どう考えたって、他の子どもに比べて、生きづらさは多いはず…。私は、いつも「なんとかしてあげなくちゃ」という思いに、がんじがらめになっていました。必死に生活をこなす中で、私は何度か過労で倒れてしまうこともありました。衝撃的だった息子の一言出典 : さて、その衝撃的な出来事は、息子が小学校に入学したあとに起こりました。小学校に入学した息子は、週に何時間かを特別支援学級で過ごすようになりました。勉強に遅れはなかったので、主にソーシャルスキルを学んでいます。週に2回は放課後等デイサービスで運動療育を中心に分刻みのスケジュールをこなします。土曜日は音楽療法に通っています。他の子どもたちと違う日課をこなしているということは、早々に本人も気づいていました。ですから、息子が疑問をぶつけてきたときに、発達障害について告知しました。もちろん、私が当事者であることも、そのときに話をしました。ある日、療育活動が終わった後に、私は息子にこう言いました。「辛いけど頑張ろうね。ママも一緒に頑張るからね」すると驚いたことに、息子がこう返してきたのです。「ママ、僕、辛くないよ」私は一瞬、「え??」と固まってしまいました。「ママは発達障害で、辛かったことしかなかったの?」息子の質問に、私は「そりゃあ当たり前でしょう。辛かったことばっかりだよ」と答えました。すると、息子はこう続けたのです。「そうなのかあ。なんでだろうね。僕は、発達障害で良かったと思うことしかない」私は息子の言っていることの意味が分からず、呆然としてしまいました。私と息子は違う時代を生きている出典 : 私の頭の中は疑問符だらけ。「なんで?なんで良かったと思うことしかないの??」と聞き返しました。すると息子は、「みんなが僕のこと助けてくれる。あと、支援学級の先生を独り占めできる。僕、支援学級の先生大好きなの。それに、療育も放課後デイも楽しいし、先生たちも大好き。それって、僕が発達障害なおかげでしょ?何が辛いの?良いことしかない」と言い切ります。私はただただ驚きました。そして思い知ったのです。私と息子は違う。育っている時代も、発達障害を取り巻く環境も。そしてそれ以上に、「発達障害=不幸」ではないのだと。私は、発達障害の特性が、自分が感じてきた困難の原因だと思っていました。この特性がある限り、困難はずっとつきまとい、発達障害であることを憎み続けるのだと。けれども、息子の言葉で分かったのです。困難の原因は、発達障害の特性そのものではないということ。周りが適切な支援をすれば、それは「ギフト」になり得るのだということ。これは、息子を育てる中での根本的な部分を覆される出来事でした。そして何よりも、息子が幸せに育ってくれていることを実感して、感動しました。なんだか毎日の大変な育児が、報われる思いでした。息子の言葉を聞いたとき、私はある言葉を思い出しました。「障害は、人の側ではなく、『社会』の側にある。」息子との対話によって、私はとても大切なことを教えられた気がします。「発達障害=不幸」という図式にがんじがらめになっていた自分にも気づきました。これからも、息子にとって「発達障害」が「ギフト」になるように、素敵な環境づくりに取り組んでいきたいと心から思います。
2018年09月13日自閉症の息子が5歳のとき――初めて意味のある言葉を発した!Upload By 立石美津子『子どもも親も幸せになる発達障害の子の育て方』著者の立石美津子です。あれは、息子が5歳のときでした。デパートの讃岐うどんのお店に連れて行ったときのこと。息子が食べていたうどんの器には、あと1本だけ、うどんが残っていました。その器を、店員が「お下げいたします」と持って行こうとした瞬間、大きな声で「まだ食べる!」と叫んだのです。そのころの息子は、まともな単語すら出ていませんでした。それなのに、いきなりの2語文!しかも自閉症らしからぬ、自分の意思をはっきりと示し、まっすぐと相手に届く言葉でした。言葉は単独では発達しないと、主治医に諭されて出典 : 息子は2歳から国立の子ども病院の心の発達科に通っていました。この病院ではソーシャルスキルトレーニングのほか、さまざまな訓練があったので「言葉が話せるようになるトレーニングをさせたい」と申し出ました。ところが担当医は、「お母さん、いくら言葉を教えても、それは単に単語を覚えるだけに終わります。言葉を操ってコミュニケーションをとれるようにはなりませんよ!」ときついことを言うのです。「ソーシャルスキルトレーニングを受けさせたい」と申し出ても、「周りに関心を持つことができてはじめて、社会のルールを学べるのです。○○君(息子の名前)は、排泄・着替えなど自分の身のまわりのことも全くできていないじゃないですか!何を考えているの?」と厳しく言われました。更に、診察室の床に落ちているゴミを口に入れている息子を見て、「ほら、ごらんなさい。ゴミを口に入れているじゃないですか、この段階では“社会性を育てる”なんてずっと先の話ですよ。まだ早い、まだ早い」と言いました。5歳過ぎてもオムツが外れない息子を心配し、「なんど教えてもトイレでおしっこができない。どうしてもオムツを取りたい」と訴えた時も…「オムツだけをとっても、オムツとれた赤ちゃんのままです」と言われる始末。「言葉も、オムツがはずれることも、全部発達の中でできるようになっていくものです」と厳しく諭されました。自閉症の息子、リンゴの銘柄は言えても「買って」とは言わない…出典 : 幼いころ、息子はリンゴの銘柄にこだわりがあり、スーパーに行くと、リンゴの棚の前で「ジョナゴールド・津軽・紅玉・シナノゴールド・秋映・王林…」と覚えている銘柄を順に言っていました。けれども、「ママ、このリンゴ美味しそうだね。買って~買って~」と言うことはありませんでした。息子は、スーパーの中だけでリンゴの銘柄を唱えていたのではありませんでした。動物園など、リンゴなんて目の前にない場所でも、銘柄名をお経のように唱え続けるのでした。これは言葉を使ったコミュニケーションとは言えません。「伝えたい気持ち」があるかどうかUpload By 立石美津子言葉だけのトレーニングをしても単語を単に覚えるだけ。言葉を使ってしゃべるようには、なかなかなりません。息子が意思のある言葉を発したきっかけは、「うどんを最後の1本まで食べたい、器を下げようとしている店員に何がなんでも伝えたい」という強い動機があったからです。「どうしても言葉を使って伝えたい」という動機。この動機づけこそが、言葉を話すようになるための第一歩です。本人が「そうしたい」という気持ちになるまで待つしかないのです。おもちゃで遊んでいるときに、友達に奪われそうになって「嫌だ」と言う。カレーライスが食べたいとき「カレーライス」と叫ぶ。結果、自分の希望が通る。こうして「自分の気持ちを伝えるためには便利な“言葉”というものが、存在するんだ」ということを体験させるしかないのです。それまでは、周りの人たちは、ただ単語をインプットさせようとするのではなく、「思いを伝えるための言葉」で語りかけ続け、ときが来るのを焦らず辛抱強く待つしかないのだと思います。5歳ではじめて意味のある言葉を発した息子。その後、少しずつ、伝えたい気持ちも言葉も発達していきました。今、18歳になった息子は悪い言葉も覚えて、私があまり構い過ぎると「まじ、しつこい」と連発します。母として眉をひそめながらも「友達の真似をして、母親に言葉で感情をぶつけられるようになったなんて、昔に比べたら成長したなあ」と心ではひそかに喜んでいます。2018年9月10日、医師・松永正訓氏が立石親子を取材、書き上げた新刊が発売に。発達障害がある子と母の、幼児期から今までに渡る育児について綴られています。
2018年09月11日恋愛なんて他人ごとだった…オクテな私の初めての恋出典 : あなたが中学生のころ、クラスではどんな男子がモテていただろうか?地域や年代によって差異のある事柄だろうが、バスケ部のキャプテンやらサッカー部のエースやら、スポーツに長けている子が人気というのはよく聞く話で、私が通っていた中学校でもそうだった。では、私自身はどうだったか。当時の私は、地味で目立たずコミュニケーションが苦手な女子だった。それもあり、いかにも人気者といった雰囲気の男子はまぶしすぎるというか、自分とは別世界の存在であるかのように感じていた。そして、奥手でなおかつ自分に自信がなかったため、恋愛なんて他人ごとだと思っていたのだ。そんな私にも春は訪れる。中学1年生のときのある土曜の昼、部活動の練習に向かう前、教室で弁当を食べていたときのことだ。通路を挟んで隣では、同じクラス、別の部の男子たちが歓談しながら弁当を食べていた。なんの変哲もない光景だ。しかし、私の目の端に写りこんだ、Kくんの弁当だけがどうにも異様であることに気がついた。(なんか、やけに白くない…?おかず、持ってきてないの?)恐る恐るそちら側を向こうとした瞬間、「うわぁ!今日も伸びてる!」とKくんが叫ぶではないか。(伸びる…?どういうこと?)思い切ってKくんの弁当箱に目をやると、なんと、中身はそうめんだった。(え?ちょっと、なんなのこの人!?)彼は、そうめんが好きすぎるあまり、どうにか弁当にしようと小学生のころから試行錯誤を繰り返している、ということが、男子たちの会話で分かった。今から30年前は、コンビニ弁当にさえ麺がほとんどなかった時代だ。弁当箱にそうめんを詰め込んで来る中学生男子なんて、衝撃的にもほどがある。驚愕のあまり、口をポカンと開いている私の視線なんぞ気にも止めず、「今週もダメだったかー!」だとかなんとか言いながらつゆをそうめんにぶっかけ、一気にかきこんで部活に向かうKくんの後ろ姿を眺めながら、「か、かっこいい…!」と小さく呟いてしまった。それが私の初恋だった。好きなことには尽力を惜しまない、飄々として掴みどころのない少年出典 : Kくんとは小学校が一緒だったが、同じクラスになったことはなかった。名前は知っているけれど、人柄についての噂までは聞こえてこない、つまり、あまり目立たない男子。しかし、身近になってみたら、なかなか愉快な男子であることが分かった。と言っても、盛大なギャグをかましてクラス中を笑いの渦に巻き込むタイプではなく、ふと教室が静かになった瞬間、ポツリと呟いた一言で笑わせる――という表現で伝わるだろうか。そして班ごとにつける日誌は2秒で分かる嘘だらけ、先生からの諌言も飄々とかわす掴みどころのなさは、なんだか見ていて飽きなかった。そして、かなりのキョンシー(死体妖怪)マニアであることも分かった。この数年前にヒットした中国のホラーコメディ映画をきっかけに、敵役であるキョンシーに惹かれてしまったのだとか。その映画や派生作品を見るだけでは飽き足らず、なんと、キョンシーの装束(満州族の正装)まで自作したというのだ。好きな作品のコスプレをしたいという気持ちは分からなくもない。しかしKくんの場合、どこに着ていくわけでもなく、「キョンシーが好きだから」という、ただそれだけの理由のみで、親御さんに手伝ってもらいつつ、型紙を起こすところからつくり上げたというのだ、満州族の正装を。「俺、Kがあの服着てるの見たことあるよ」Kくんと仲の良いTくんが言うので、私は身を乗り出しそうになった。「え?どこで?」「小学校の校舎。Kが、一度でいいからキョンシーごっこしたいって言うから、夜中に忍び込んだんだよ」(今ではありえないセキュリティの杜撰さ…)「で、キョンシーごっこってどんなことしたの?」「あいつがあの服着て、額に御札貼って、キョンシーの真似してぴょんぴょん跳ねてるのを俺が見てた」(Kくんはともかく、Tくん、楽しかったのかな…)と思わなくもなかったが、好きなことにはそこまでのエネルギーを注ぎ込めるKくんに、私はますます惹かれたのだった。親になって気づいた、伸びやかなKくんの背景にあったもの出典 : さてその後。「つき合う」だなんて発想もなく、好きな人に話しかけるのに相当な勇気を要したおぼこい私は、Kくんと距離を縮められるわけでもなく、思いを告げることもなかった。中学校を卒業すると同時に、片思いのままこの恋は終了。30年経って振り返ると、私が誰かに惹かれるポイントは、このころからあまり変わっていないのだなぁと笑ってしまう。そして親になった今、私はKくんの親御さんの偉大さに気づかされた。そうめんの件では割愛してしまったが、Kくんが「そうめんを弁当にしたい」「キョンシーの装束をつくりたい」と言い出したとき、親御さんは「やってみなよ」と賛成し、協力を惜しまなかったらしい。そう、彼の伸びやかな発想や行動力の背景には、親御さんの姿があったのだ。息子と一緒に、どうしたらそうめんが伸びにくくなるか毎週考え、さまざまな案を採用したり、他国の古い民族衣装を型紙から起こして縫い上げるなんて、家庭生活や学業には関係ない。好きでもなければ相当に面倒なことだと思う。「くだらない。時間の無駄」と、切って捨てることもできたはずだ。それを文句も言わな…かったかどうかは知らないが、とにかく息子の「好き」「やってみたい」という思いを尊重し、サポートし続けるなんて、なかなかできることではない気がする。近年、冷たいそうめんやそばの弁当がコンビニなどで当たり前のように販売されているのは、かつてのKくんのように「そうめんを弁当にしたい」「そのための労力は惜しまない」という人が存在していたからだろう。一見無駄なように思える発想が、実は有益な何かに繋がるケースがあるということだ。もし、何の役に立たなかったとしても、好きなことそのものや、それに打ち込んだり、情熱を注ぐ姿勢を、そばにいる誰かに肯定してもらえたら、きっと自信になるし、生きる力にもなるのではないかと私は思っている。来るべき日には、きっと全力で応援を出典 : 今年9歳になる息子の興味は、今のところゲームや漫画、アニメなどであり、私はそれらのイラストの模写を頼まれる程度なので、余裕でつき合うことができる。が、しかし、今後何に心を動かされ、何をやりたがるかは分からない。弁当など、料理に関係するものだったら、私も好きだしつき合える。でもKくんみたいに、満州族の装束を型紙からつくりたいだなんて言いだしたらどうしよう。正直、裁縫は苦手だ。いや、私の子だ、服どころか甲冑を自作したがるかもしれない。裁縫よりはできるだろうか。…などと、今から案じても仕方ない。とりあえず、可能な限りつき合い、何も手伝えなくても全力で応援はするつもりでいる。ちなみにKくんが現在どこで何をしているか、私は知る由もなく、さして探ろうとも思わない。ただ、30年後に初恋を思い出し、当時からしたら意外なことを考えるきっかけをもらえたのは嬉しいし、Kくんには感謝している。そして、齢を重ねて、自信と厚かましさを身につけた私は、「昔からセンスあるじゃん、私」と、奥手で自信のなかった中学生の自分を、目一杯抱きしめたい気持ちにもなっているのだった。
2018年09月04日福祉避難所とは福祉避難所とは、一般の避難所での生活が困難であったり、配慮が必要な高齢者や障害のある方のための避難所です。平成28年時点で全国に2万185施設が設置されています。災害時、自宅が倒壊したり危険な状態にあるときに、一定の期間、避難所での生活を余儀なくされる場合があります。ただでさえ災害に見舞われた恐怖や慌ただしさの中で避難所では不安な状況にありますが、障害がある方、持病をお持ちの方やお年寄り、妊娠されている方などはより一層困難な状況におかれます。福祉避難所では、そのような配慮を必要とする方々が避難し、円滑な施設の利用や、助言や支援を受ける体制を整え、適切な生活環境の確保を目指しています。内閣府令で定める基準は、次の通り(災害対策基本法施行規則第1条の9)。・ 高齢者、障害者、乳幼児その他の特に配慮を要する者(以下この条 において「要配慮者」という。)の円滑な利用を確保するための措置が講じられていること。・ 災害が発生した場合において要配慮者が相談し、又は助言その他の支援を受けることができる体制が整備されること。・ 災害が発生した場合において主として要配慮者を滞在させるために必要な居室が可能な限り確保されること。出典:平成28年度避難所における被災者支援に関する事例等報告書|内閣府福祉避難所の対象の人は?福祉避難所の利用対象者は「要配慮者」とされています。実際にどのような人が当てはまるのか詳しくみていきましょう。以下が内閣府による要配慮者の定義です。「災害時において、高齢者、障害者、乳幼児その他の特に配慮を要する者」(災害対策基本法第8条第2項第15号)「その他の特に配慮を要する者」は、一般的な避難所での生活では支障をきたしてしまい、何らかの配慮が必要となる方を指します。つまり、福祉避難所を利用することができることになるのは以下のような方です。・障害のある方(身体障害者、知的障害者、精神障害者)・高齢者・妊産婦・乳幼児・難病患者・傷病者また、内閣府の示すガイドラインによると、要配慮者の家族も同行することが可能であるとしています。ただし、避難所の運営は民間企業やNPO、ボランティア団体などが指定管理者となり、自治体主体で行われています。そのことから、それぞれの地域で異なる決まりがなされている場合もあります。お住まいの地区がどのような対応をしているのか事前に確認しておくことが重要です。どんな場所が福祉避難所になるのか?出典 : 困りごとのある方々を受け入れる福祉避難所の候補となる場所は、「バリアフリー」であり「支援者をより確保しやすい」ところです。この2つのポイントに重きを置いてみると、以下のような施設が想定されます。・一般の避難所となっている施設(小・中学校、公民館等)・老人福祉施設 (デイサービスセンター、小規模多機能施設、老人福祉センター等)・障害者支援施設等の施設(公共・民間)・児童福祉施設(保育所等)、保健センター、特別支援学校・宿泊施設(公共・民間)市区町村などの自治体はこれらの施設の設備や、そこで支援を行うことのできる人材などの状況をあらかじめ情報収集し、福祉避難所として活用できるように準備しています。要支援者の災害時の避難所での困難とは?出典 : 避難生活は、多くの方にとってストレスフルと言えますが、要支援者の方々はさらに困難を感じがちです。特に一見障害があるとわかりにくい方は、困りごとが理解されにくく窮屈な思いをしたり、過度なストレスを感じてしまうこともあります。さらに、一般の避難所での生活が困難であることから自宅避難や車中泊に切り替える方もいます。そのため、支援物資などが行き渡らないなどの問題や、狭い場所での寝泊まりでエコノミークラス症候群などのリスクも高まります。福祉避難所では支援を必要とする人、困りごとのある人が適切な施設の利用や配慮を受けられるように開設されます。福祉避難所の課題福祉避難所に関しては、住民に周知されていない、支援者側の人手不足、施設入所者以外の困りごとの把握が困難であること、などの問題も指摘されています。熊本地震では想定よりも少ない開設数と利用者数になってしまいました。住民への福祉避難所についての周知に関しては、26.5%の自治体が行っていない現状があります。周知することが困難である理由として、内閣府の調査によると・二次避難所としての位置づけだが、受け入れる体制が整う前に直接避難してきてしまう可能性がある(支援者側も被災することや、福祉施設などでは通常運営と並行して行われることなどによる人員不足)・要支援者が対象だが、一般の人が直接避難してきてしまう恐れがあるの2つが大きな課題としてあげられていました。出典:平成28年熊本地震における福祉避難所での要配慮者の受入状況出典:指定避難所等における良好な生活環境を確保するための推進策検討調査報告書|内閣府(防災担当)そのため、事前に要支援者の大まかな人数の把握や事前通知、避難所でスクリーニングを行い要支援者を把握して二次避難所として福祉避難所を提供するなどの対応が検討されています。ただし先述のとおり、避難所の開設の流れは国で統一せず市区町村など自治体により異なるため、自分の住む地域の周知が不十分であったり、他の地域とは異なっていたりする可能性もあります。事前に自分はどこの避難所に行き、どのように福祉避難所にたどり着けばよいのかを確認することが必要です。避難までのステップ福祉避難所の利用の仕方を調べる場合、お住まいの地域の市区町村のホームページを検索し、防災・災害時に関するページから情報を得たり、「地域名避難」などで検索してみてください。もしも情報の記載がなかったり、不十分であった場合は市区町村の福祉課や防災課に問い合わせを行うなどして、いざというときの行動をイメージできるようにしましょう。ここでは、発達障害のある方が避難する場合の一般的な流れを紹介します。ただし、命を守る緊急の避難を終えた後に、避難所での生活を余儀なくされた場合についてです。それぞれの災害における緊急の避難は、命を最優先に避難勧告や指示に従いましょう。状況によって判断できるようにあらかじめ準備をしてみてください。命の安全が確保された後自宅での生活が困難な場合、まず最初は市区町村などから指定された避難所に移動しましょう。次に指定された避難所では多くの人が集まるため、その場で生活することが困難になってしまう場合に、その避難所内(もしくは近く)に設置される福祉避難室への移動を相談しましょう。ここでは専門性の高いサービスなどは必要ではないが、配慮を必要としている要支援者の方が生活できます。しかし、福祉避難室での生活が困難な人もいます。二次避難所である福祉避難所の利用が必要な人たちは、受け入れ側の体制が整い次第、福祉避難所へ移動することが可能となります。細かな指示や流れは自治体ごとに異なるため、必ず事前に確認をしておきましょう。Upload By 発達ナビ編集部準備しておくべきこと・もの出典 : 避難のイメージをつけると同時に、防災用品の準備も大切です。ここでは発達障害のあるお子さんのいるご家庭向けに一般の防災グッズに合わせて、特に準備したいものについてまとめました!・常備薬とその説明書・ヘルプマーク、ヘルプカード、サポートブックなど・偏食があっても食べられる飲食物・耳栓、アイマスク、簡易トイレなど、苦手なもの対策・いつも使っていて安心できるもの(毛布、ぬいぐるみ、ゲームなど)・家族での防災マニュアルなどリタリコではお子さんにどのような困りごとがあり、どのように接してほしいかを書くことのできる「サポートブック」を配布しています。また、目に見えない困難がある人のためのヘルプマークについての記事も載せているので参照してみてください。サポートブックテンプレート|LITALICOジュニアさらに、発達障害のあるお子さんが、いつもと違う場所や行動をすることでパニックになってしまわないためにも、平常時に避難の予行演習などに積極的に参加したり、予習として実際に足を運んでみることもよりスムーズな避難のために大切なことです。まとめ出典 : 災害などのもしもの時に、困りごとがあり配慮が必要であるなど、災害時の避難所での生活を不安に思われている方は特に、お住まいの地域の福祉避難所の利用をご検討ください。また、避難の流れや防災用品の準備に加えて、もしもの時にどのように行動するのか、防災の日をよい機会に、ご家族で話し合ってみてはいかがでしょうか。
2018年08月31日高次脳機能障害とは人は、周囲にあるものを見たり聞いたりして情報を得て、これまでの経験も踏まえながら考え、行動をしています。このような脳の働きを、高次脳機能または認知機能と言います。病気やけがなどによって、この脳の機能がうまく働かなくなった状態を認知障害と言います。高次脳機能障害は、そのうちの一つです。高次脳機能障害を起こす主な原因は、脳梗塞などの脳血管疾患や、事故による頭部外傷、窒息などで起こる低酸素脳症、脳炎、脳腫瘍の手術後などがあげられます。これらの病気やけがの後遺症として、高次脳機能障害が起きるのです。高次脳機能障害の主な症状出典 : 高次脳機能障害には、主に「記憶障害」「注意障害」「遂行機能障害」「社会行動障害」の4つの症状があります。それぞれ詳しく解説していきましょう。記憶障害は、物事を覚えられなくなったり、覚えていたことを忘れてしまったりする状態(=健忘)のことを言います。この健忘には主に2種類あります。・前向性健忘:脳に障害を負った時点から後に新しい物事を覚えられなくなる状態。受傷から時間が経っていくと、受傷時に近い記憶ほど思い出せなくなる。・逆向性健忘:脳に障害を負った時点より前のことを思い出せなくなる状態。昔のことほど思い出すことができ、受傷時に近い日の記憶は思い出せない。軽度であれば、部分的に記憶は維持されており、複雑な出来事でも思い出すことができます。中等度だと、古い記憶や学習したことは思い出せるものの、複雑な記憶や新しい出来事は思い出しにくくなります。重度になると、前向性健忘と逆向性健忘のどちらも起こり、ほぼ全ての記憶に影響が出てしまいます。人は、日常生活においてさまざまな情報を選択して注意を向けたり、同時に複数のことに注意をしたりしながら、行動しています。この注意に関する機能が障害されるのが、注意障害です。注意障害には、以下の2つがあります。・全般性注意障害:注意を向けるものを選ぶ「選択機能」、向けた注意を維持する「維持機能」、いったん向けた注意を別のものへ移す「転換機能」、複数のものへうまく注意を振り分ける「配分機能」を全般性注意と呼びます。これらが障害され、注意散漫になったり集中力が保てなくなったりする状態です。・方向性注意障害:損傷を受けた脳の反対側の空間のみ注意を向けられなくなった状態です。左側の半側空間無視が多く、左側にあるものを認識できず、食事時に右側にあるものだけを食べたり、絵を描いても右側しか描かなかったりします。このほか、一度に1つのものにしか注意が向けられない「同時失認」もありますが、比較的珍しい症状とされています。遂行機能障害は、物事の計画を立てて、その通りに行動することが難しくなる状態を言います。人は何かをするときに、頭の中でその順序を決めたり、必要なものを準備したりすることができます。しかし、この遂行機能が障害されると、物事を達成するのに何が必要なのか、何をすればいいのか、その順番の組み立てはどうするのか、などの判断が難しくなってしまいます。マニュアルや工程表などがあれば、その通りに実行するのは可能です。ただし、イレギュラーなことが起きたときに、再度その場で計画を立て直すということができないので、臨機応変な対応は難しくなります。社会的行動障害にはさまざまな症状がありますが、それらによって社会的生活を営むことが難しくなる状態を言います。中でも代表的な5つの状態について説明します。・対人技能拙劣(せつれつ):相手の気持ちや立場を配慮することができず、人間関係をうまく築けない。・依存性、退行:まわりの人を頼る傾向が強くなったり、子どもっぽくなったりする。・意欲、発動性の低下:運動障害や精神的なうつ状態がないのに、自発的に何かをしようとしなくなる。・固執:一つの物事に対してこだわりが強くなる。・感情コントロールの低下:すぐに怒り出したり、暴力的になったりする。そのほか、気分が落ち込んでしまう抑うつや、性的逸脱行為、食欲や物欲などを抑えられない欲求コントロールの低下などが起きることもあります。高次脳機能障害の診断基準出典 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国立障害者リハビリテーションセンターが作成した行政上のガイドラインでは、以下のように高次脳機能障害の診断基準が定められています。Ⅰ.主要症状等1.脳の器質的病変の原因となる事故による受傷や疾病の発症の事実が確認されている。2.現在、日常生活または社会生活に制約があり、その主たる原因が記憶障害、注意障害、遂行機能障害、社会的行動障害などの認知障害である。Ⅱ.検査所見MRI、CT、脳波などにより認知障害の原因と考えられる脳の器質的病変の存在が確認されているか、あるいは診断書により脳の器質的病変が存在したと確認できる。Ⅲ.除外項目1.脳の器質的病変に基づく認知障害のうち、身体障害として認定可能である症状を有するが上記主要症状(I-2)を欠く者は除外する。2.診断にあたり、受傷または発症以前から有する症状と検査所見は除外する。3.先天性疾患、周産期における脳損傷、発達障害、進行性疾患を原因とする者は除外する。Ⅳ.診断1.I〜IIIをすべて満たした場合に高次脳機能障害と診断する。2.高次脳機能障害の診断は脳の器質的病変の原因となった外傷や疾病の急性期症状を脱した後において行う。3.神経心理学的検査の所見を参考にすることができる。なお、診断基準のIとIIIを満たす一方で、IIの検査所見で脳の器質的病変の存在を明らかにできない症例については、慎重な評価により高次脳機能障害者として診断されることがあり得る。また、この診断基準については、今後の医学・医療の発展を踏まえ、適時、見直しを行うことが適当である。高次脳機能障害と診断するためには、脳に損傷があることを確認する必要があります。そのため、まずはCTやMRIなどの画像検査をします。ただし、検査をしてもはっきりとした病変が確認できないこともあります。その場合には、問診やそのほかの検査などを参考に、評価を慎重に行うことになります。また、どんな障害が起きているのか、障害の程度はどのくらいかを具体的に把握するために、神経心理学的検査を行う場合もあります。これは診断そのものには必須ではありませんが、診断書を作成する場合には必要となります。各症状において、必要となる主な神経心理学的検査は以下の通りです。・知的機能障害:MMSE、HDS-R(改訂長谷川式簡易知能評価スケール)、WAIS-III・記憶障害:WMS-R、三宅式記銘力検査、RBMT、ベントン視覚記銘力検査、Rey-Osterrieth複雑図形検査・注意障害:Trail Making Test、標準注意検査法(CAT)、PASAT・遂行機能障害:BADS、Stroop Test、ウィスコンシンカード分類検査(WCST)高次脳機能障害と似ている疾患として、認知症が挙げられます。認知症も認知機能が低下していく病気ではありますが、全体的に機能低下していくのが特徴です。高次脳機能障害の場合は部分的に機能が障害されるため、全体的な機能低下でないことが多いとされています。高次脳機能障害の治療方法出典 : 高次脳機能障害を起こす原因となった病気やけがの治療が終わったあとは、高次脳機能障害に対する治療を行っていくことになります。高次脳機能障害は、発症から数年以内であれば、リハビリテーションなどの治療によってある程度改善することが期待できます。また、発症年齢が若いほうが改善の度合いはより良いとされています。しかし、脳の損傷の程度によっては、十分な治療をしても大きな後遺症が残ってしまうことがあります。そうした場合は、日常生活や健康管理、コミュニケーションなどの面で、家族や専門職による継続した支援が必要になります。高次脳機能障害の治療においてメインとなるのが、リハビリテーションや社会生活に対応するための訓練です。このリハビリテーションや訓練は、大きく分けて3つの種類があります。・医学的リハビリテーション:病気やけがなどの急性期の治療が終わったあと、医療機関で行われるリハビリテーション。認知リハビリテーションとも言う。認知機能の回復や、残された能力を使って生活ができるようにするために行われます。・生活訓練:日常生活を送る上で、必要な行動をできるようにするための訓練。・職能訓練:生活訓練がある程度進んだ段階で、状態にあった職業を選んだり環境を整えたりするために行われる訓練。生活訓練と職能訓練は、障害者支援施設や障害者職業リハビリテーションセンターなどで行われます。個々の障害の種類や程度によって必要な訓練は異なるため、それぞれに合わせたゴールを定めて、訓練を行っていきます。リハビリテーション以外にも、状態に応じて薬を使った治療が行われます。高次脳機能障害で注意が必要なのが、てんかん発作です。てんかん発作は脳の損傷も原因となります。その発生を抑えるために服薬することも少なくありません。また、感情のコントロールがうまくいかずに人間関係に影響を及ぼしている場合などにも、薬物治療が行われることがあります。高次脳機能障害のある人の困りごと出典 : 高次脳機能障害は、見た目には分かりにくい障害です。そのため、周囲に理解されにくいほか、障害のある本人も状態を認識できていないことが多くあります。また、障害によって不便が生じるのは日常生活の中であるため、診察時に具体的に見てもらえません。それによって、医療機関で診察を受けても見落とされてしまう場合があります。物事が思い出せない、感情のコントロールができないなど、生活の中でうまくいかないことがあるのに、原因が分からなかったり、周囲から理解してもらえなかったりということも珍しくありません。高次脳機能障害のある人が受けられる支援出典 : 高次脳機能障害と診断された場合、公的支援を受けることができます。高次脳機能障害は精神障害に分類されているため、障害の程度によっては精神障害者保健福祉手帳の取得が可能です。身体障害を合併している場合には身体障害者手帳、受傷した年齢が18歳未満で知的障害があると診断されれば療育手帳が、それぞれ申請対象になります。障害者総合支援法に基づき、生活の援助や生産活動の場を提供する「介護給付」、就労や自立した生活を目指す「訓練等給付」を受けられます。利用するには、市区町村の障害福祉担当窓口へ申請します。精神障害者保健福祉手帳または自立支援医療受給者証(精神医療通院)など、詳しい必要書類についてはお住まいの自治体の福祉窓口にお問い合わせください。年齢によっては介護保険制度を利用して、介護サービスを受けることも可能です。介護保険制度を利用できるのは、65歳以上で支援・介護が必要と認められた方、または40〜64歳で脳血管疾患などによって要支援・要介護状態となった方です。介護サービスは、障害福祉サービスよりも優先されます。しかし、就労移行支援などは介護サービスで利用できないため、障害福祉サービスを利用することになります。障害の有無に関わらず受けることができるのが、職業リハビリテーションです。職業相談や職業評価、訓練、指導、職業紹介のほか、就職してから能力を維持・向上させるためのサービスを受けることもできます。これらのサービスは、ハローワークや地域障害者職業センターなどで提供されています。高次脳機能障害のある人の相談先出典 : 高次脳機能障害のある人の相談は、各地域の健康福祉センターや地域包括支援センターなどで受けつけています。また、高次脳機能障害の治療やリハビリテーションを行っている医療機関にも相談窓口が設けられています。地域によっては当事者会や家族会などがありますので、そういった場で気持ちを共有したり、情報を得たりすることも有用です。参考:相談窓口の情報|国立障害者リハビリテーションセンター家族が高次脳機能障害になったときのサポート方法出典 : 家族が高次脳機能障害になったとき、以前とは違う姿に戸惑ってしまうことも少なくないでしょう。まずは、以前と比べてどのように変化したのか、どのような障害を負ったのかなどを理解することが大切です。医師などの専門家に詳しく話を聞き、理解をした上で対応を検討していきましょう。高次脳機能障害は人によって、症状は異なります。本人がどんな場面でつまずくのかを確認し、環境調整をしたり、本人の持つ能力でできるように工夫をしたりしてみましょう。そして、家族だけで問題を抱えていると、疲弊してしまいます。相談機関や家族会などもうまく利用しながら、無理なくサポートできる体制を整えることが重要です。まとめ出典 : 高次脳機能障害は見た目には分かりにくいため、本人が気づきにくいだけでなく、周囲にも理解されにくい障害です。しかし、まわりの人が一つひとつの行動を観察したり、自身で振り返ったりすると、どんなことで困っているのかが見えるようになります。障害の程度にもよりますが、早い段階で治療を開始すれば、ある程度の回復も期待できます。医師やリハビリテーションスタッフ、行政の担当者などと相談しながら、対応を検討していきましょう。参考:高次脳機能障害情報・支援センター|国立障害者リハビリテーションセンター参考書籍:中島 八十一 (著), 今橋 久美子 (著)『福祉職・介護職のためのわかりやすい高次脳機能障害原因・症状から生活支援まで』(中央法規出版・2016年)参考書籍:橋本 圭司 (著)『高次脳機能障害―診断・治療・支援のコツ』(診断と治療社・2011年)
2018年08月31日フリースクールを立ち上げたい!その思いは大きな流れになって2018年4月から発達に個性のある子たちのフリースクール「IFラボ」を開いています。前回のコラムでは、息子が不登校になって素敵な居場所を見つけ、フリースクールをたちあげようという気持ちにいたるまでをお伝えしました。最初は不登校の息子に合う場所をつくりたいという一心でしたが、実際にフリースクールを立ち上げ、子ども達が通ってきてくれるようになると、いつの間にか自分では止められない大きな流れに…。ここでは、試行錯誤した準備や、運営開始してからの様子をご紹介します。どんなフリースクールにする?出典 : フリースクールを立ち上げようと考えた私は、同じ思いの仲間をみつけ、設立に向けて準備を始めました。まず、フリースクール設立に興味のある大人だけで、どんなフリースクールにしたいかを話し合いました。療育施設ではないけれど、発達に個性がある子を受け入れる場合にどんな課題が考えられるのか?どんな形式のフリースクールにするのか?などなど、何度も議論を重ねました。その結果、「何でも好きなことをしてもいい居場所ではなくて、プロジェクト形式で学びを広げ深めていける場所にしよう」「私たち大人は先生ではなく伴走者になろう」という方針を決めました。しかし!大前提の結論は…「子どもが来てみないと分からないんじゃない(笑)」!?確かにそうなのです。大人が寄り集まって議論をしても、実際の子どもたちの反応はまったく分かりません。そこで、一緒に運営にかかわってくれているお母さんの子ども、Yくんに運営スタート前のフリースクールに、テストとして週1回、来てもらうことにしました。子どもと一緒にフリースクールをつくろう出典 : はじめて遊びに来てくれたYくん、恥ずかしそうにしていて、あまり話もしませんでした。しかし何回か一緒に過ごすうちに、「ここはなんだか落ち着く~」と打ち解けてくれるように♪プログラミングではコンテストの受賞歴もあるYくん。でも、プログラミングに限らずどんな分野の話にも興味津々です。フリースクールを手伝ってくれている大学生が、試験勉強のために統計の本を読んでいると統計の話が広がり、心理学の話になれば目を輝かせてIQについて質問をします。「大人が設定しなくても、子どもたちが抱く興味から学びは広がる」私たちはそう確信し、大人がプロジェクトを設定するのではなく、子どもの興味で生まれたプロジェクトに寄り添いながら進めていくことにしました。お互いの「好きなもの」を尊重しあえる仲間ができたUpload By 赤沼美里さて、子どもが主体的に学んでいく過程を確認できましたが、子どもたちが増えるとどんな風になるんだろう…子どもひとりではイメージがつかめません。そこで、Yくんと同じ学校に通っていて、Yくんの隣のクラスに在籍しているSくんを招待することにしました。SくんもYくんと同じように学校になじめないでいたそうです。Y&SコンビはIFラボにくるなり、すぐに打ち解けて仲良しに!Yくんが好きなのはプログラミング、Sくんはドローンです。2人の興味は異なるものの、互いの興味あるものを見せあって話しあって…楽しそう!あとで聞くと、学校ではカリキュラムがキチキチと決まっていて、自分の好きなことを自由に話す時間がなかったそうです。また、たとえ時間があっても、分かってもらえる友だちが見つからないので話しも盛り上がらず、毎日がつまらなかったと言っていました。「ずっと大人しか話し相手がいなかったから」といったYくんはニコニコ笑顔でした。友だちが見つかってふたりとも本当に楽しそうで、私まで嬉しくなった瞬間でした。大人は伴走者。プロジェクトは子ども主体でUpload By 赤沼美里IFラボの活動日は子どもたちの状況を考えて、週1から始めることにしました。オープン時間は、10時から15時まで。朝の会、午前の活動、お昼休み、午後の活動を行います。ワークショップや図書館に行くなどの活動がある場合以外は、当日の朝にその日にやることを確認します。朝みんなが集まったら、まずは朝の会です。当日やることを決めるほか、この1週間で楽しかったことや嬉しかったことをシェアします。最初は「ゲーム」だけだった回答が、今では「〇〇に行ってきた」とか「〇〇して楽しかった」とか、たくさんの楽しかったことを教えてくれるようになりました。朝の会でやることを決めたら、早速活動開始です!現在は、複数の子どもたち協働で「エレベータープロジェクト」がすすめられています。このプロジェクトでは、プログラミングを活用して制御可能なミニチュアエレベーターをつくってみようと、まずは段ボールで試作品をつくることからはじめました。このエレべープロジェクトのほかにも、さまざまなプロジェクトが立ち上がって動き出しています。ドローンで短編映画がつくりたい、自作PCをつくってみたい、ドローンで大会に出たい、プログラミングコンテストに出たい、会社をつくりたい、段ボールでシミュレーションゲームをつくりたい、飛行機の揚力を調べたい…などなど。週1の活動日では足りないくらい、子どもたちのやりたい気持ちはあふれています。私たちが口を挟む必要のないくらい、子どもたちの学びたい気持ちが大きいので、子どもが増えてもプロジェクト設定に問題はなさそう!むしろ、子どもたちが出会うことでどんな化学反応が起きるのか楽しみなくらいです。ただ、プロジェクトをすすめていくのには、やはり大人の伴走が必要です。1日の見通しが立たないと、何をしたら良いか分からなくなって不安になってしまう子や、時間の使い方が苦手な子、次の作業に切り替えるのが難しい特性のある子が参加しています。そのため週1の短い活動時間をどのように配分するのか、ToDoリストなど視覚的なツールを活用しながら、子どもたちが達成感を得られるように寄り添う努力をしています。ぼくたちがIFラボを宣伝するよ!自分たちでつくりあげるキャンプUpload By 赤沼美里そんななか、Y&Sくんがおもむろに「キャンプ計画を立ててもいいですか」と聞いてきました。「こんなに楽しいIFラボをもっとみんなに知って欲しい。夏休みにIFラボのキャンプで過ごして、9月からIFラボに来て欲しい。もしIFラボに来なくても、キャンプの楽しい思い出を胸に学校で頑張って欲しい」という子どもたちの願いから生まれた計画です。スケジュールから、ホームページでの告知まで、みんな子どもたちが企画・実施しています。1泊はIFラボで泊まりたいから、2泊目をアウトドアでキャンプにするという計画を立てていた子どもたち。2泊ともアウトドアが良いんじゃないかしら…とやんわり提案するも、「これがいい!」とのことで譲りません(笑)「自分たちで好きにやりたい」ということなので、失敗もふくめてたくさん経験してもらえたら良いなと思っています。キャンプがどうなったか、それは次回の記事でのお楽しみに!!「学ぶ場をつくりたい」という私の思いは、みんなの願いにUpload By 赤沼美里子どもたちも少しずつ増え、9月からは週に2回の活動日にしていく予定でいます。毎回、試行錯誤で「次はこうしていったら良いね」と子どもも含めた話し合いを大事にしています。IFラボを始めるまでは不安や心配の方がが多くて、「つくりたい」と考えてはいるものの、きっと実現できないだろうなぁとどこかで思っていました。でも、自分の気持ちを表明すると、賛同する仲間が集まってくれました。いつの間にか、私の希望や願いが他の人の希望や願いと重なり合って、小さな流れができていたのです。小さな流れができると、その流れを知った新しい仲間が賛同してくれて、さらに大きな流れになりました。そのうち、自分ではもう止められない流れになっていました。最初は息子・チー坊の学び場をと悩んできたことが、いつのまにかIFラボにきてくれている他の子どもたちの人生にも大きくかかわり、子どもたちの家族にもかかわるようになったことを痛感します。子どもたちの笑顔に接するたびに、この場を大切に育んでいかなくてはと強く思うようになりました。「ここに来るとなんだか落ち着く」「楽しくて、帰りたくない」「毎日オープンしないの?オープンしたら毎日来たいよ」「お母さん、僕生まれてはじめて毎日が楽しいんだけど、これってずっと続くのかな」「週1度、IFラボにくるのを楽しみに、毎日学校に行ってた」IFラボに来てくれている子どもたちの言葉は、私の宝物です。IFラボ(Infinite Future Lab)という名前は、子どもたちの無限の未来を願ってYくんと一緒に考えたものです。「学校が合わなくても、その子にあった居場所はきっとある」という信念は、変わっていません。だってIFラボにきてくれている子どもたちは、すごく楽しそうに自分から学んでいるから。学校以外の学ぶ場所や居場所がもっともっと増えて、子どもたちの笑顔が増えることを願っています。ラボ
2018年08月30日私が息子に教えてきたこと出典 : 発達障害の息子のソーシャルスキルの獲得にあたって、好ましい行動と好ましくない行動を分かりやすく伝えることは、とても大切です。さらに、好ましくない行動については、好ましい行動を代わりに提示してあげることが不可欠です。例えば、「お友達を叩く」というのは「好ましくない行動」のひとつです。私は、なぜそれが好ましくない行動なのかを説明し、「叩きたくなったら、そのお友達から少し距離を取って、クールダウンの時間を設けようね」といったように「代わりの好ましい行動」を教えました。その結果、息子のソーシャルスキルの力は、かなり伸びたように思います。けれども、息子の場合は「好ましくない行動」とインプットされた行動は絶対にやらない律儀さがあります。「好ましくない行動」については、本人の中で「ダメなものはダメ」となり、融通が利きません。ですから、何でもかんでも「好ましくない行動」としてインプットさせることは、息子にとってむしろマイナスになります。「好ましい行動」や「好ましくない行動」を教える場合は、さじ加減の見極めが必要。実はこの感想は、私のある失敗経験が基になっています。それは1年前。息子を近所の公園に連れていったときにさかのぼります。お母さんの嘘つき!衝撃の言葉出典 : 年前、私はいつものように息子を近隣の公園に連れていきました。そのころ、息子がハマっていたのは砂場での砂遊び。造形や工作が好きな息子は、ちょっと水を加えてベトベトした砂をこねて、お城や恐竜などを時間をかけて作り上げます。こういうときの息子の集中力はなかなかのもの。そして、出来上がりもなかなかのもの。息子は時間を忘れて砂場での「作品」作りにいそしんでいました。ところが、ここで思ってもみない事件が起きるのです。1歳ぐらいの女の子でしょうか。まだ歩き方もヨタヨタしています。その子が、突然砂場に突進してきたと思ったら、息子の何時間もかけて作った作品を、スコップで掘り返し、あっという間に壊してしまったのです。その子のお母さんが後ろから走ってきましたが、間に合いませんでした。「うわああああ、やめて!!やめて!!」パニックになる息子を横目に、その子はまた息子の作品を壊していきます。私は咄嗟にその子の手を掴み、「ご、ごめんねっ!お兄ちゃん、一生懸命作ったものだからさ、壊さないであげて…!」と止めました。しかし、時すでに遅し。息子は久々に見るほどの激しい癇癪を起こしました。「何時間かかったと思ってるんだ!!俺が一生懸命作ったのに!!なんてことするんだ!!!うわあああああ」息子は、砂場に突っ伏して大泣きです。砂まみれになって、泣き叫びます。ところが、かけつけた女の子のお母さんは、こう言ったのです。「こっちはまだ赤ちゃんなのにね…。そんなに泣かなくても…」私は一瞬ムッとしましたが、確かにおかしな光景だったのかもしれません。小さな赤ちゃんのいたずらに、大きな小学生の男の子が大泣きしている…。普通だったら「まあ赤ちゃんのしたことだしね」という感じで、おさまる話なのかもしれません。「情状酌量」は通じない。だからこそ…出典 : 癇癪を起こしてその場に突っ伏して泣きわめく息子に、私は思わずこう言ってしまいました。「悔しいよね。でもさ、相手はまだ赤ちゃんだからさ…」すると息子は、大泣きしながらこう言ったのです。「お母さんは、人が作ったものを壊しちゃダメって言った!!!誰が何歳とか関係ない!!!お母さんは、なぜあの赤ちゃんを叱らないんだ!!」息子がこう言うのを聞いて、私はハッとしました。そうです、息子はこれまで、私や学校の先生に教えられた「好ましい行動」と「好ましくない行動」を一生懸命インプットしてきたのです。そこに、年齢とか、状況とか、「情状酌量」をすることなど、できないのです。逆に、「情状酌量」を求めるのは、私たち大人のエゴでしかありません。息子は十分、頑張っていたのです。私は息子の言葉に、胸がいっぱいになりました。そして今は、「自分より小さい子なんだから許してあげなければならない」というようなことを教えるべきではない、と感じました。「情状酌量」の基準まで教えてしまったら、息子はきっとパンクしてしまいます。それよりも、息子がこれまで頑張ってきたことを、認めてあげなければ、と思ったのです。「息子くんは、あの赤ちゃんにすごーく腹が立ったんだよね。頑張って作ってたんだもんね。そう思うのは当たり前だよ。だけど息子くん、頭がカーッときたのに、あの子を蹴ったり叩いたりとか絶対しなかったよね。よく耐えたね。偉かった。私は君を誇りに思うよ」と言って、息子を抱きしめたのです。それまで癇癪を起こしていた息子は、少し落ち着きました。そして、小さな声でこう言ったのです。「だって、人を叩くのはダメでしょう?だから僕は叩かなかったよ。頑張ったよ」そう。息子は息子で、一生懸命考えて行動していたのです。この一件で、ただただ「好ましい行動」と「好ましくない行動」を教えるのではダメだと私は気づいたのです。特に、それを忠実に守ろうとする子であればなおのこと、そのさじ加減はよく考えなければなりません。その子が、教わったルールにがんじがらめになったり、生きづらくなったりすることのないよう、よく考えて教えていかなければなりません。そして、今回のように「情状酌量」の余地があることに遭遇したときに、親として大きく試されるように思います。そのときに教えるべきなのか、もう少し心の成長を待つべきなのか、その子の成長の度合いを見ながら、判断していく必要があると思います。
2018年08月29日脊髄小脳変性症(SCD)とは出典 : 脊髄小脳変性症(SCD)は、小脳を中心に、脳幹、脊髄、大脳が徐々におかされる進行性の神経変性疾患のことです。主に歩くときにふらついたり、ろれつが回らなかったりする運動失調と呼ばれる症状があります。脊髄小脳変性症は数十の疾患を含む総称で、その病型によって運動失調のほか、パーキンソン症状や認知症などさまざまな症状が同時にあらわれることもあります。病型は、遺伝性とそうではない孤発性に大きく分けられます。発症年齢などにもよりますが、進行すると数年で車いすが必要になり、寝たきりになったり死に至ることもあり、家族や医療・福祉などのサポートが必要不可欠です。◇小脳のはたらき小脳は四肢の運動がなめらかになるように、また、歩行の安定を調整する機能などがあります。そのため、小脳が障害されると、筋肉に異常はないのに手足がうまく動かせなくなり、歩行時にふらつくといった運動障害が起こります。参考書籍: 日本神経学会厚生労働省「運動失調症の医療基盤に関する調査研究班」(監修)「脊髄小脳変性症・多系統萎縮症診療ガイドライン」作成委員会(編集) 『脊髄小脳変性症・多系統萎縮症診療ガイドライン2018 』(南江堂・2018年)脊髄小脳変性症(SCD)の主な症状出典 : 脊髄小脳変性症は数十もの病気が含まれているので、症状もさまざまあります。ここではその中でもよく見られる症状について、紹介します。1. 小脳性運動失調脊髄小脳変性症でもっとも代表的な症状です。筋力の低下、麻痺といった筋肉の異常はないものの、筋の協調運動の障害が生じて、体をうまくコントロールできない状態です。・歩行障害…歩行時のふらつき、歩けないなど・四肢失調…腕や手がうまく使えない、箸がうまく使えない、文字が下手になったなど・会話障害…声の大きさやリズムが不整、言葉が不明瞭になる・眼振…眼球が細かく揺れる2. 不随意運動本人の意思に関係なく体が動く症状です。・素早くピクッとする動き・踊っているように見える・姿勢の異常などが起きるジストニア3. 自律神経系の障害血圧や呼吸などを調整する自律神経系の障害によって引き起こされる症状で、脊髄小脳変性症のなかでも患者の多い多系統萎縮症(MSA)によく見られます。・起立性低血圧…起立時に血圧が急に下降し、立ちくらみ、耳鳴り、頭痛などが起こる。重症例では失神することもあり、寝たきりになるケースもある・発汗障害…下半身から発汗の機能に影響が出て汗が出なくなる一方で、上半身では汗が多く出るなど、体温調節がうまくできなくなる。最終的には全身で汗が出なくなる・排尿障害…十分に尿を膀胱に溜めていられない頻尿などの蓄尿障害と尿を排出させることが困難となる尿排出障害があり、同時に生じることもある・睡眠時無呼吸…眠っている間に10秒以上呼吸が止まるのを1時間のうち5回以上繰り返す脊髄小脳変性症(SCD)を発症する原因は?出典 : 遺伝性のものとそうでない孤発性と呼ばれるタイプがあり、原因も疾患によって様々です。疾患ごとの原因遺伝子の特徴などは研究によって明らかになってきていますが、脊髄小脳変性症を引き起こすはっきりとした原因はまだ解明されていません。孤発性の場合、生活習慣や食習慣の関係はないと考えられ、疾患の進行を左右するような食習慣などもありません。遺伝性の場合は、遺伝の仕組みや疾患ごとの原因遺伝子が分かってきており、親子で伝わっていく常染色体優性遺伝性の疾患、きょうだいのみで発症する常染色体劣性遺伝性が知られています。脊髄小脳変性症(SCD)の病型病型がはっきりと分かることでその後の進行の見通しや、治療などの道筋も立てられます。そのため、病型の分類などを把握することは大切です。病型は、遺伝性かいなかによって大きく区別されます。Upload By 発達障害のキホン遺伝性ではない孤発性は脊髄小脳変性症患者全体の半数以上を占めます。その中でも多系統萎縮症(MSA)は最も多く、かつて別の疾患と考えられていた、オリーブ橋小脳萎縮症、線条体黒質変性症、シャイ・ドレーガー症候群も多系統萎縮症に含まれています。小脳以外にも脳幹の萎縮が目立ち、進行すると車いすの使用や寝たきりになるなど日常生活が難しくなります。一方で、皮質性小脳萎縮症は小脳失調症以外のパーキンソン症状や自律神経症状などがない純粋小脳失調型です。予後や進行は多系統萎縮型と大きく変わってきます。Upload By 発達障害のキホン遺伝性の場合、多くは常染色体優性遺伝性です。日本で発症の頻度が高いのはマチャド・ジョセフ病や脊髄小脳失調症6型(SCA6)、歯状核赤核淡蒼球ルイ体萎縮症などがあげられます。常染色体劣性遺伝性は、両親が未発症でも発症します。十分に家族歴などの情報を得られないと、孤発性と思われる可能性もあります。脊髄小脳変性症(SCD)の発症の頻度や年齢の特徴出典 : 脊髄小脳変性症の患者は、全国で3万人を超えると言われています。また、2003年の「運動失調に関する調査及び病態機序に関する研究班」の解析結果では、脊髄小脳変性症の67.2%が孤発性、27%が常染色体優性遺伝性、1.8%が常染色体劣性遺伝性、残りが「その他」と「痙性対麻痺」でした。出典: 診断・治療指針(医療従事者向け) 脊髄小脳変性症(多系統萎縮症を除く)(指定難病18)|難病情報センター発症年齢の傾向は、病型によっても変わってきます。全体では小児から70歳以上の高齢までと幅広く、特に30歳前後の中年以降に多くなります。出典: 脊髄小脳変性症 概要|小児慢性特定疾病情報センター主に見られる多系統萎縮症と皮質性小脳萎縮症は、ともに成年期以降に発症します。そのうち、多系統萎縮症が64.7%、35.3%が皮質性小脳位縮小と臨床診断されています。出典: 日本神経学会厚生労働省「運動失調症の医療基盤に関する調査研究班」(監修)「脊髄小脳変性症・多系統萎縮症診療ガイドライン」作成委員会 (編集) 『脊髄小脳変性症・多系統萎縮症診療ガイドライン2018 』(南江堂・2018年)日本における遺伝性脊髄小脳変性症は、90%以上が常染色体優性遺伝性、数%が常染色体劣性遺伝性、さらにまれにX連鎖性が認められています。常染色体優性遺伝性に含まれる疾患別では、マチャド・ジョセフ病、脊髄小脳変性症6型(SCA6)、歯状核赤核淡蒼球ルイ体萎縮症、脊髄小脳変性症31型(SCA31)の4疾患だけで70〜80%を占めます。出典: 日本神経学会厚生労働省「運動失調症の医療基盤に関する調査研究班」(監修)「脊髄小脳変性症・多系統萎縮症診療ガイドライン」作成委員会 (編集) 『脊髄小脳変性症・多系統萎縮症診療ガイドライン2018 』(南江堂・2018年)常染色体優性遺伝性であれば、祖父母、両親、患者の各世代には男女ともに発病者が分布していることになります。成人発症の遺伝性疾患は、患者のきょうだいや子どもの世代に未発症の保因者がいることも十分に考えられます。一方、常染色体劣性遺伝性の場合、両親が未発症でも保因者となります。患者のきょうだい、両親が近親婚でその血縁に罹患者がいる場合には、劣性遺伝である可能性が高いと思われます。また、一見孤発性と思われても、常染色体劣性遺伝性である可能性もあります。常染色体劣性遺伝脊髄小脳変性症3、4、6型の疾患では、多くが幼少期から若年発症です。しかし、一部には出生時にすでに小脳萎縮があり、非進行性であるなどの特徴から奇形・低形成、またはそれを基盤とした発達障害との異同が問題となっています。ほかにも、歯状核赤核淡蒼球ルイ体萎縮症は、祖父母、父母、子、孫…と世代を経るごとに発症年齢が早まるのが特徴です。成年発症では、ふらつき、震えなどの小脳失調、舞踏アテトーゼなどの不随意運動が主症状とされてます。一方で、20歳以下の発症では、てんかん、精神発達遅滞、小脳運動失調といった症状がみられます。脊髄小脳変性症(SCD)の検査・診断出典 : 脊髄小脳変性症の診断は神経内科で行われ、臨床症状や頭部MRI、CTスキャンの画像検査から非遺伝性・遺伝性の違い、病型を調べます。診断を受けることで、症状に対応した治療を受けられます。皮質性小脳脊髄小脳変性症は、診断のための決定的な所見がないため、検査によって他の疾患の可能性を除外していきます。・画像検査…MRIやCTスキャンで小脳などの萎縮の有無、脳血流シンチグラフィーで小脳の血流低下の有無などを調べます。・神経学的な診察…本人の意思と関係なく体が動く反射や反応、麻痺などの神経症状がないかを調べます。・遺伝子検査…家族の中で脊髄小脳変性症の人がいる場合、採血をして遺伝性かどうか、どの病型に属しているかを調べます。予後の見通しなどにか変わってくるほか、治療可能な疾患の処置を適切に行うためにも、別の病気ではないかどうかの鑑別は重要です。症状が似ている疾患は以下のようなものがあります。・ビタミンB1やB12、葉酸の欠乏・アルコール中毒・甲状腺機能低下症・多発性硬化症・エイズ関連の神経疾患など多くの原因遺伝子が分かってきたこともあり、遺伝子検査によって正確に診断できるようになってきました。正確な診断ができることで、臨床的に有用な情報が提供されます。また病型の確定は予後の判定、合併症の予測に有効です。遺伝子検査をしない場合、原因究明のために他のいくつもの検査を繰り返すことになりますが、それが必要なくなるという長所もあります。しかし、遺伝性の場合、親族に保因者がいたり、患者の子ども以降の世代にも影響したりすることが考えられ、診断の受容における心理的影響についても配慮が必要であることが知られています。そのため、遺伝子検査は、患者本人の意思に基づいて行われるものとされています。参考: 脊髄小脳変性症の診断 | 健康長寿ネット参考書籍: 水澤 英洋 (監修) 月刊『難病と在宅ケア』編集部 (編集)『脊髄小脳変性症のすべて』(日本プランニングセンター・2006年)参考書籍: 日本神経学会厚生労働省「運動失調症の医療基盤に関する調査研究班」(監修)「脊髄小脳変性症・多系統萎縮症診療ガイドライン」作成委員会 (編集) 『脊髄小脳変性症・多系統萎縮症診療ガイドライン2018 』(南江堂・2018年)脊髄小脳変性症(SCD)の進行・予後は?出典 : 脊髄小脳変性症の進行は、病型ごとに傾向があります。小脳症状のみがみられる病型の場合、孤発性、遺伝性を問わず、おおむね10〜15年など長い時間をかけてゆっくり進行します。発症年齢が高齢の場合は、余命にあまり影響を与えない場合もあります。ただし、小脳だけでなく多系統を障害するタイプの病型では、孤発性、遺伝性の両方で、進行が早く重症になることが分かっています。出典: 独立行政法人国立病院機構 宇多野病院 『難病ケアガイド』(日総研出版・2005年)多系統萎縮症の予後は個人差はあるものの、一般的には、発症から3年ほどで歩行補助具、5年ほどで車いすが必要となります。その後は、発症から10年程度のうちに寝たきりとなり、血圧や呼吸、排尿、嚥下などの機能が衰えることで、肺炎や窒息などによって死亡する場合があります。出典: 月刊 難病と在宅ケア4月号脊髄小脳変性症のすべて「多系統萎縮症の現状と課題」(日本プランニングセンター・2018年)対して同じ孤発性でも、皮質性小脳萎縮症では、歩行時のふらつきや字がうまく書けないといった上肢の運動失調、ろれつが回りにくいなどの小脳症状のみがみられます。発症から4〜5年後に一人で歩ける人は76%だったという国内の研究の報告もあります。長い年数をかけてゆっくりと進行し、多くのケースで車いすが必要になります。出典: 日本神経学会厚生労働省「運動失調症の医療基盤に関する調査研究班」(監修)「脊髄小脳変性症・多系統萎縮症診療ガイドライン」作成委員会 (編集) 『脊髄小脳変性症・多系統萎縮症診療ガイドライン2018 』(南江堂・2018年)遺伝性も同様で、常染色体優性遺伝性脊髄小脳変性症のなかでも、小脳症状のみがみられる脊髄小脳変性症6型(SCA6)や脊髄小脳変性症31型(SCA31)は、発症から車椅子が必要になるまでの平均が20年余りという報告もあり、進行はゆるやかであることが多いです。出典: 日本神経学会厚生労働省「運動失調症の医療基盤に関する調査研究班」(監修)「脊髄小脳変性症・多系統萎縮症診療ガイドライン」作成委員会 (編集) 『脊髄小脳変性症・多系統萎縮症診療ガイドライン2018 』(南江堂・2018年)脊髄小脳変性症(SCD)の治療やリハビリは?出典 : さまざまなアプローチで、根本的治療の実現に向けて研究が進められていますが、まだ確立した治療法はありません。薬で症状を和らげる対症療法や生活の質を維持していくためのリハビリが中心となっています。一般的に、薬剤による治療開始は早ければ早いほど、運動機能が維持でき、身体機能も良好な状態をより長く保つことができる可能性があります。主症状である運動失調に対しては以下のような薬が使用されます。注射液…プロチレリン酒石酸塩(ヒルトニン®)錠剤…タルチレリン水和物(セレジスト®)その他、足のつっぱり感、めまい感など、症状に応じて薬で治療します。ヒルトニン®セレジスト®うまく体が動かせなくなっていくことで、症状の進行とともに患者が転倒などを恐れて動く時間が減っていく傾向があります。それに伴い、筋力や体力の低下につながり、さらに症状を悪化させます。しかし、小脳失調を主体とする脊髄小脳変性症に対して、バランスや歩行に対する理学療法を集中的に行うと、小脳失調や歩行が改善することができます。病院などでのリハビリテーションをはじめ、自宅での日常生活でも自分でできることを継続的に行うなど前向きに体を動かしていくことが大切です。介護者が専門的技術を指導してもらうことも、介護者負担を軽減するために重要です。外来や訪問リハビリテーションの際に歩行時や車いすなどへの移乗時の介助方法に関して、介護者が指導を受けて習得することで、負担感の軽減、腰痛や転倒事故の予防にもつながることが期待されます。参考書籍: 日本神経学会厚生労働省「運動失調症の医療基盤に関する調査研究班」(監修)「脊髄小脳変性症・多系統萎縮症診療ガイドライン」作成委員会 (編集) 『脊髄小脳変性症・多系統萎縮症診療ガイドライン2018 』(南江堂・2018年)家族も知って安心。利用できる福祉制度・相談先出典 : 脊髄小脳変性症は、厚生労働省の認可する指定難病に認定されており、医療費の補助や福祉・介護サービスなどを受けることができます。患者本人や家族の生活を支えてくれる制度や相談先を知り、頼るようにしましょう。◇医療ソーシャルワーカー病院の医療ソーシャルワーカーは、病気やけがで生じる心理的・社会的問題、経済的問題を患者や家族が解決できるようにお手伝いしてくれます。診断された本人や家族がどう受け止めたらいいか悩んだり、進行して働くことができなくなる不安、身の回りのことが一人でできにくくなっていくといった問題に専門的な立場から寄り添い、改善の糸口を考えてくれます。参考: 医療ソーシャルワーカーとは|公益社団法人 日本医療社会福祉協会◇特定医療費(指定難病)受給者証認定申請によってお住まいの都道府県から交付されます。受給者証があると、医療費について、所得に応じて一部が助成されます。◇障害者総合支援法「障害者総合支援法」では、障害者の定義に難病等も含まれます。そのため身体障害者手帳を持たない難病患者にも、障害福祉サービスが公費負担されます。お住まいの市町村区の担当窓口で申請をすると、障害福祉サービス・相談支援・補装具及び地域生活支援事業 (障害児の場合は、障害児通所支援と障害児入所支援も含む)が利用できるようになります。参考: 障害者総合支援法が施行されました| 厚生労働省◇介護保険介護を必要とする人に対し、その費用の給付を受けられます。介護保険に必要な要介護認定は本来、65歳以上が対象ですが、脊髄小脳変性症は40歳以上から対象となります。お住まいの市区町村の窓口で要介護認定を申請してください。医療保険と介護保険で重複しているサービスは介護保険が優先されます。ただし、訪問看護は医療保険となります。参考: 特定疾病の選定基準の考え方 | 厚生労働省◇傷病手当金病気療養のために仕事を休み、給料が減った・もらえないなどの場合、健康保険から支給されます。◇障害年金国民年金の加入者が、病気やけがで障害が残った時に受け取れる障害基礎年金と障害基礎年金に上乗せして支払われる障害厚生年金があります。脊髄小脳変性症では、障害が重くなり仕事を継続することが困難になった際などに申請できる場合があります。障害認定日や障害程度、年金の加入期間など、細かい決まりがあるので病院で相談してみてください。参考: 難病対策| 厚生労働省参考: 指定難病患者への医療費助成制度のご案内 | 難病情報センターまとめ出典 : 脊髄小脳変性症は、病型によって症状や進行などが変わってきます。根本的な治療法がまだなく、介護などで家族や周りの支援が必要となる可能性が高い進行性の難病ですが、検査をしっかり受けることで、症状に対応した治療を受られ、リハビリで体の機能をなるべく維持することもできます。医療費の補助や介護サービスを受けられるので、制度を理解してサポートを受けることで、一緒に過ごす家族の不安や負担を減らすこともできます。診断後の日常生活は、患者本人が行えること、周囲のサポートを必要とすることを見極めながら、治療やリハビリをして過ごすことが大切です。参考: 脊髄小脳変性症(多系統萎縮症を除く)(指定難病18)|難病情報センター参考書籍: 独立行政法人国立病院機構 宇多野病院 『難病ケアガイド―筋萎縮性側索硬化症・パーキンソン病・脊髄小脳変性症・多発性硬化症』(日総研出版・2005年)参考書籍 : 水澤 英洋 (監修) 月刊『難病と在宅ケア』編集部 (編集)『脊髄小脳変性症のすべて』(日本プランニングセンター・2006年)参考書籍: 月刊 難病と在宅ケア6月号脊髄小脳変性症のすべて「脊髄小脳変性症の病態と治療〜現状と展望〜」(日本プランニングセンター・2018年)参考書籍: 日本神経学会厚生労働省「運動失調症の医療基盤に関する調査研究班」(監修)「脊髄小脳変性症・多系統萎縮症診療ガイドライン」作成委員会 (編集) 『脊髄小脳変性症・多系統萎縮症診療ガイドライン2018 』(南江堂・2018年)
2018年08月28日人間関係の問題がないところで始まった、息子の不登校出典 : 小学3年の息子は、現在、不登校中である。親である私が言うのもなんだが、息子は好かれやすいタイプの人間だと思う。もしかしたら好かれやすいというより、学校の児童数が少ないため、学年関係なく全体的に仲が良い、というのが大きいのかもしれないが。それにあやかって、私1人で近所を歩いていても、「ハルくん(息子の呼び名)のお母さん、こんにちは!」と、おそらく違う学年の児童さんからも声をかけてもらうことがしばしばある。息子も「多数派にすぐ傾いちゃう雰囲気が嫌だ」などと言っていたし、もしかしたら苦手な子もいたのかもしれない。しかし「一人ひとりのことは嫌いじゃない」とも明言しており、もちろん大好きな友達だっている。いじめだとか、人間関係のトラブルが具体的にあったわけではないところで、彼の不登校は始まったのだ。学校に行っていなくても、近所を歩けば同じ小学校に通う児童さんたちと顔を合わせることもある。「あ!ハルくんだ!」嬉しそうに駆け寄ってくる友達の姿を見て、少し照れくさそうに、でも同じくらい嬉しそうに応じる息子。「どこか悪いの?大丈夫?いつごろ学校に来られそう?」「んー、今は分からない」そのようなやりとりをして、朗らかに別れる。向こうも責め立てたくて学校に来る日を尋ねているわけではないし、息子もそれを理解しているから平然と答えている。「次に○○くんに会えるの、いつかなぁ?」なんて発言もしていたくらいだ。ところが、悪夢を見て私との分離不安を訴えるようになったころから、見知った顔に会うのを嫌がり始めた。「学校のことを聞かれるの、辛いな…」放課後の時間帯や休日に近所を歩くことを避けたがるようになった。「仲の良い友達に会うの、前は喜んでたよね?今は学校のことを聞かれなくても、嫌なのかな?」「うん。みんなのことを嫌いになったわけじゃないけどね。会いたいって思わなくなっちゃった」精神状態も明らかに悪くなっていたし、何の気なしの質問も突き刺さるようになっていたのだろう。息子に合わせ、午後の外出を避けることに別段不便もない私は、そのまま様子を見守ることにした。外出を嫌がっていた息子が変わった「ベランダ越しの会話」出典 : 極力外出を避けるようにしても、どうしても顔を合わせてしまう子がいる。同じ団地に住む同い年のSくんである。就学前からのなじみである彼は、私も知った顔。素直で朗らか、そして心根の優しい男の子で、息子も彼を好いている。団地の前で遊んでいることも多く、ふと息子がベランダに出たときに姿を見つければ、大きな声で名前を呼んでくれるのだ。最初のうちはバツ悪そうに姿を隠すなどしていたが、そのうち手を振り返すようになった。あるとき、夕方に用事を思い出して息子と外出したとき、学校帰りのSくんと遭遇した。一瞬気まずそうにした息子だが、「ハルくんはーぁ、いつーぅ、学校に来るんですかーぁ!?」という、Sくんのふざけたような口調と変顔に、表情をほころばせた。「Sくん、今学校の帰り?」私が聞くと、「うん、今日も楽しかったよ!」と、笑って元気に答えてくれた。「じゃあね。ハルくんバイバイ!元気なとき、また遊ぼうね!」と手を振り、笑い、団地の方へと走り去るSくんの後ろ姿を、私たちは見送った。ふと隣を見ると、息子はうっすらではあるが、微笑んでいた。それから息子は、Sくんが団地の前で遊び始める時間帯になると、ベランダに出てその姿を探すようになった。「あ、ハルくんだ!おーい、ハルくーん!」そう呼ばれると、息子は「呼ばれた!ちょっと行ってくる!」と部屋を飛び出すのだ。そのうち自分の方から「おーい、Sくーん!今から行くよー!」と声をかけ始め、ベランダに息子がいなくても、「ハルくーん!今家にいるのー!?」と、Sくんが誘ってくれるようにもなった。とにかく、Sくんと息子がベランダ越しに呼び合い、団地の前や近所の公園で遊び始めることが、週何度かの習慣になってきた。少し前までは私と一緒でなければどこにも行きたがらなかった息子が、Sくんがいれば自分1人で外出するし、近所であるとはいえ、私の姿が見えない公園まで足を運べるようになった。そして次第に、息子の行動に変化が表れ始めた。遊びの誘いをクラスメイトに断られた息子がそのあとに取った、驚きの行動とは?公園で遊んでいたとある日曜日、同級生らしき男の子のグループがやってきた。しばらくその様子を眺めていた息子だったが、「混ぜてもらえるか聞いてくる!」と、彼らの元へと駆けていった。何か二言三言やり取りしたあと、走り出した彼らと、取り残されるように立ちすくむ息子の姿。深呼吸するようにゆっくりと肩を上下させたあと、私の方に戻ってきた。「どうしたの?」「学校に来ないのに、どうしてこんなところで遊んでるの?だって…なんて返していいのか分からなかった」同級生たちが疑問を持つのは仕方ないし、息子が咄嗟に返せないのも無理はない。寂しそうにうなだれる息子に、私はどんな言葉をかけていいのかわからなかった。こんなことがあったら、友達であっても声をかけるのが怖くなるかもしれない。私だったら、きっとそうなる。しかし、息子はそんなタマじゃなかった。同じ年頃の児童さんたちを見つけると、果敢にアプローチをするようになったのだ。「全然気づいてもらえなかった」「完全にシカト!」「ちょっとだけしゃべってきたよ。みんなこれから習い事なんだって」向こうのリアクションは、その時々、人それぞれで違うけれど、いずれにしても息子は朗らかに報告してくれる。「ところであの子たち、知ってる子?」と、あるとき私が聞くと、「いや、知らん!」と息子が元気に返してきたので、思わず口をあんぐりさせてしまった。「いやほら、知らない子の方がさ、新しく仲良くなれるって場合もあるからね」そう、息子は大きな公園や娯楽施設へ出かけると、そこで初めて会った子に声をかけ、一緒に遊び始めるような人間だ。知らない子の輪に飛び込んで行くのは大得意だし、1人で遊ぶのも大好きだから、断られるのも怖くない。「この前公園で断られたのは、知ってる子だし残念だったけど、あれも仕方ないと思うんだよ。知らない子だったら、なおさら仕方ないし。でも、仲良くなれたらラッキーじゃん?」すごい。「本当に私の子か?」と驚嘆する社交性だ。感心すると共に、一時は身内以外の誰にも会いたがらなかったことを考えると、随分と回復したものだと私はしみじみ嬉しくなった。受け入れてくれる人もいると知った息子、「またみんなに会いたい!」出典 : つい先日、息子と一緒に近所の公園横を通りかかったときのこと。その日は短縮授業だったのか、普段より早い時間から、子どもたちの姿で公園は賑わっていた。「あ、ハルくん。ハルくんだよね?」清掃班が一緒だったことがある、という上級生の女の子が声をかけてくれた。それを皮切りに「ほんとだ、ハルくんだ!」「え?ハルくん?」「わ!ハルくん!」と、その場にいた子たちが口々に息子の名前を呼びながら、どんどん集まってきた。中にはいつも一緒に下校していた、仲良しのクラスメイトの顔も。「ハルくん、今はどこの学校に通ってるの?」クラス外の子は、息子が別の学校に転校したのかと思っていたらしい。「家で勉強してる。ドリルとか、ゲーム機の学習ソフトを使って」息子が答えると、「ねぇねぇ、勉強するなら学校に来てよ!」と、さっきのクラスメイトの男の子が後方から手を振った。「ずっとハルくんに会いたかったんだ!学校にはいつ戻ってくるの?」「うーん、分かんない」その場にいた児童さんたちの質問に答える形で、息子はしばらく会話を続けた。用事がある私たちはその場を一旦離れなくてはならなかったのだけれど、彼らが息子を好いてくれていること、息子も彼らを慕わしく感じていることは伝わってきた。しかし、「学校にはいつ戻ってくるの?」という質問があったし、帰りはこの道を通りたくないかな…と私は思っていた。しかし息子は「帰りもここを通っていい?またみんなに会いたい!」と願うではないか。みんなの好意的な様子が嬉しかったに違いない。「うん、もちろん。じゃあ、急いで用事を済ませてこようか」そして復路に公園近くまで来ると、彼らが別の公園へと移動している様子が見えた。「のん(私の呼び名)、あのさ、一旦帰ったら、みんなのところへ行ってもいい?」「いいよ。一旦帰らなくてもいいよ。みんながまた別の場所に行っちゃう前に、行っといで!」私が背中をポンと叩くと、息子は勢いがついたように走りだした。「行ってきまーす!!」向こうの公園の入口で、「ハルくん!」「やったぁ、ハルくんだ!」と歓迎してくれる児童さんたちと、「ねぇ、仲間に入れてよ!」と声を弾ませる息子の姿が見えた。昼間の居場所の違いを断絶の理由にしなくてもいい出典 : 繰り返すが、息子はいじめなどの理由で不登校になったわけではない。「誰かが悪いことをしていても、それをしたいという人が多いと、みんなそっちに味方してたり、あっさり考えを変える人がたくさんいるのが嫌」「男子と女子が仲良くしているだけでラブラブだとか言って、囃し立てるのが理解できないし、バカバカしい」「頭のいい人や運動ができる人が羨ましいからって、自分よりそれができない人をバカにして、勝った気になる人を見るのが悲しい」というような、いわゆる「小学生あるある」が苦痛だった部分はあるようだが、どうしても会いたくない誰かがいたという訴えはなかった。むしろ、顔を合わせて話したり、遊びたい相手だっていただろう。だから、学校にはいかないと決断したその胸の内は、実のところ複雑だったのかもしれない。不登校という選択をする児童や生徒と一口に言っても、タイプはさまざまあるだろう。人間関係を築くことが苦手な子もいれば、単に同世代の子どもたちの雰囲気になじめないという子もいる。息子はそのどちらでもない。精神状態が悪化したときは、「学校にはいつ来るの?」という問いに答えられない自分が、彼らと断絶されているような感覚もあっただろう。「でもそれは親愛の情があるからこその疑問である」ということを思い出させてくれたのは、逃げようが隠れようが息子の名前を呼び続けてくれたSくんのおかげだと、私は思っている。彼の根気強い働きかけがあったからこそ、息子は人と関わる自信を取り戻せたのだろう。学童期はどうしても、友達というと同じ学校で過ごす仲間に偏ってしまう。だからといって、同じ学校で過ごしていなければ友達でいられないわけではない。今、昼間の居場所の違いが断絶にならない関係を、息子たちは築いている。学校に行かない息子を受け入れたうえで仲良くしてくれるSくん含む仲間たちに深く感謝しつつ、彼らの柔軟さに私は感心しきりだ。あの日、公園へと駆けていった息子は、みんなと「ごく普通に」遊んできたそうだ。ベランダ越しにSくんと呼びかけ合う習慣も続いている。まだ小学3年生。友達の顔ぶれも入れ替わっていくかもしれない。例えそうだとしても、これからも息子が自分なりの人との関わり合いを見つけていってほしいと願う。
2018年08月24日『子どもも親も幸せになる発達障害の子の育て方』著者の立石美津子です。偏食を辞書で引くと「好き嫌いが激しく、特定の食品だけを食べること」と出てきます。親は「世の中にはおいしいものがたくさんあるのだから、もっと食事の幅を広げてほしい」「同じものばかり食べていると、栄養が偏るのではないか」と心配になり、療育の先生のようにあれこれ指導したくなりがちです。私の心に刺さった、ある本出典 : 『障害のある子の親である私たち』(福井公子著/生活書院)という本にこんなことが書いてありました。著者の息子さんは就学前まで白いご飯を食べられなかったそうです。そこで「日本人なのにお米が食べられない。これは何とかしなければ」と考え、綿密な計画を立てます。例えば、保育園から帰った一番お腹がすいているとき、ほんの一口からご飯を食べさせ、その後、大好きなチョコレートを食べてよい許可を与える。その結果、息子さんは家に帰ることを嫌がり、あげくのはてに保育園に迎えにいった母親の顔をみるなり先生にしがみついて、離れない状態になってしまいました。ところが、スーパーに行ったときのこと。試食販売のおばさんが、小さなカップに一口大のご飯を入れ、ふりかけをかけたものを息子さんに渡したそうです。すると、嬉しそうに食べたというのです!そして、その日を境にふりかけご飯が大好きに…。療育者である前に、親であるということこの本の最後に、次のような言葉が書かれていました。期待も押しつけもしない、ちょっと太った試食販売のおばさん。私はそんなお母さんになろうと思いました。障害のある子の親はついつい専門家もどきになってしまう。でも、親が療育の専門家になってしまうと子どもには親がいなくなる。障害のある息子と向き合ったとき、私はやっぱり親でいたいと思いました…中略…親は親以上でも親以下でもない。親だからできることもあり、親だからできないこともある。それでいいのだと思うのです。『障害のある子の親である私たち』(福井公子/生活書院)よりわが家の食事は、「恐怖の食卓」だったUpload By 立石美津子息子がまだ幼いころ、私も息子の偏食を直そうと必死でした。卵と牛乳に食物アレルギーがあった息子は、食べられるものが少なかっただけでなく、感覚過敏とこだわりの特性により「納豆、かぼちゃ、さつまいも、うどん、シュウマイしか僕は食べません」という食生活が続いていました。当時の私は、卵と牛乳を除去したさまざまな献立をつくり、「これでもか、これでもか」と食べさせようと必死でした。息子は食べたくないものが並ぶ食事の時間が、次第に苦痛になってきたようです。本来、楽しいはずの食事の時間なのに・「好き嫌いしないように、残さず食べろ」と小言を言われる・マナー優先、スプーンやお箸を上手に使えないと叱られる・手づかみしたら手を叩かれる・「こぼさないように食べなさい」と何度も叱られるという状況だったからです。そのころの私は、まさにモーレツ母さんでした。そして、本来、楽しいはずの食事の時間を「偏食を直す訓練の時間・しつけの時間」にしてしまったのです。大人になっても「あれも嫌い、これも食べられない」と好き嫌いが多い人はそんなにはいません。確かに偏食を厳しく指導された結果、なんでも食べられるようになる子もいます。その一方、嫌いなものを無理矢理口に押し込まれてトラウマになり、絶対に食べられなくなる子もいます。「楽しく食事を」を優先すべきだったと反省しています。息子の世界を、理解しようとしていなかった私出典 : 悲しいかな、こういうことは後になってわかることです。息子は多動性もあり、食事時間中じっと座っていることなんかできませんでした。きちんと座ってお箸で食事をするより、おにぎりやサンドイッチなどの手づかみ献立のほうが無理なく食べられたかもしれません。「世界では手食文化の国だって多くあるんだし、まあいいか」「お箸を使った方が上手につまめる。スプーンを使ったら、たくさんすくえるし手も汚れないし熱くもない。そう気づいたとき、使えるようになればいい」程度に思っていた方が、母子ともに楽だったかもしれません。発達が遅れている息子に対して、当時の私は、無理矢理「こっちの世界に合わせろ」と強要していたと反省しています。自閉症がある大人がレストランでスプーンを投げたり、手づかみで食べている光景は、あまりみかけませんからね。人目を気にするあまり叱ってばかりいて、心が不安定になってしまったら本末転倒です。昔の自分と息子に、かけたい言葉今は食べ盛りでいろんなものをモリモリ食べます。Upload By 立石美津子もし、過去に時間を戻せるのだったら幼児期に戻り「好きなものだけ食べていればいいんだよ、食事時間を楽しんで」と息子に言ってやりたいです。そして過去の自分の肩をポンと叩いて「美津子さん、そんなに真面目に一生懸命にならなくたっていいですよ。もっと今を楽しんで」と声をかけてやりたいです。偏食指導はほどほどに…。
2018年08月23日発達障害のある息子、学校になじめない出典 : 小学校2年生になる息子チー坊は、入学後1ヵ月もしないうちに行き渋りが始まりました。校門までは手をつないでニコニコで行けるのに、校門をくぐった瞬間に座り込んでしまう。最初の1か月半ほどは朝から給食が始まるまで付き添いを続けていました。しかしお母さんがいると甘えてしまうとのことで、ほどなく付き添いをやめることに・・・仰向けになって「行きたくない!」と泣き叫ぶ息子を、副校長先生が抱き上げて教室に連れて行くのを胸を痛めながら見送っていました。息子の通う小学校は5月に運動会があるため、先生方もなんとか息子を運動会に参加させてあげたいと、息子の気持ちが落ち着くまで隣の空き教室で本を読ませてくれるなど、一生懸命心をくだいてくれていたようです。でも、朝行きたくない気持ちを切り替えられない、みんなと一緒の行動ができない、休み時間に本を読むと集中しすぎて授業に戻れない、お友達にちょっかいを出す、授業が簡単すぎてつまらない、知っている字なのにドリルをやる意味が分からないので取り組まない、聴覚過敏など、さまざまな理由が重なり、なかなか学校になじめませんでした。息子、不登校になる出典 : 入学後しばらく経つと、息子の体に異変が起こります。夜になるとじんましんが出るようになってしまったのです。最初は疲れているのかな、とじんましんの出た翌日は休ませるようにしました。しかし次第に学校に行った夜にじんましんが出るように…これは息子のSOSなのではないだろうか…「息子からSOSが出ている、でもそうだとしたら私はどうしたら良いのだろう」不登校を決断するまで、とてもとてもとても悩みました。お世話になった保育園の先生からは「合わない居場所に1日いるのは、大人が思っているよりも本人にとってずっとずっと長い時間だから、チー坊にとってはすごくつらいと思う」とアドバイスを受けたり、息子を知る方々にも「チー坊に合った居場所が必ずあるよ。今の学校だけが学ぶ場所ではないから、あきらめないで居場所を探して」と励まされたりしているうちに「体にサインが出るほどつらいのに、無理して学校に行くことはないよね」そう考えるようになり、6月からは学校に行かない選択をしました。息子、本当は学びたい出典 : 不登校のあいだに息子をじっくりと観察して確信したこと、それは「息子は学校に行きたくないだけで、学びたくないわけではない」ことです。息子は知的好奇心がものすごく旺盛で、興味のあることにはごはんを食べることを忘れるくらいにとことん集中します。2歳くらいから好きになった魚から始まり、恐竜、宇宙、人体、元素、三国志など、知りたいことがあると親が何も言わなくても自分で学びを広げ、深めていました。不登校中に博物館に出かけたり、家で本を読んだり、アクティブラーニングの学習塾で授業に参加したり・・・息子の目はいつもと変わらずキラキラと輝いていました。こうして「学校に無理に合わせるのではなく息子に合った居場所を探そう」と、家族で息子の居場所探しが始まったのです。息子、素敵な居場所を見つける出典 : フリースクールのなかには、学校とは違う学びを目指しているところがあり、まずは体験に行きました。ところが、息子の個性がそことは合わず、ほかの居場所を探した方がいいのではとやんわり断られてしまいました(ちなみに、息子もそのフリースクールが合わなかったようで相互にお断りという結果でした)。ひとつめのフリースクール見学だったのに、「もうチー坊が行けるフリースクールはないかも」と、泣きながら帰ったことを覚えています。ふたつめのフリースクールを見学すると、チー坊は「ここにする!」と即決。1年生の6月から自宅から電車で1時間半ほどの距離にあるフリースクールに通うことになりました。息子の通うフリースクールは、まさに「みんな違ってみんな良い」。障害の有無にかかわらず、少人数で異年齢のいろんな子どもたちが通っていて、それをみんな当たり前のように受け入れて生活しています。放課後にフリースクール近くの公園で遊んでいる様子を眺めていると、複雑なルールの理解が難しい子のために子どもたちは理解しやすいルールをつくって、どの子も楽しめるように工夫して遊んでいました。このフリースクールでは、問題が起こったら先生と一緒に「どうしたらみんなが気持ちよく過ごせるか」についてミーティングを重ね、みんなで解決しているそうです。驚くことに、学校に通っていたときは毎日のように出ていたじんましんも、普段はまったく出なくなりました。好きなことを伸ばしてあげたら良い出典 : フリースクールの先生は「よく学校で座っていられたね。学校は無理だったんじゃないかな」と驚いていました。体験初日、あらゆるものに興味がうつり、引き出しすべてを開けて室内を走り回っていたとのこと…そして先生はこうもおっしゃいました。「チー坊の動いちゃうのは性質で、仕方のないことだと思う。学校で無理に座らせて苦手なことを克服するより、好きなことや得意なことを伸ばしてあげたら良いと思うよ」フリースクールの先生は、子どもたちの興味に合わせて小学校1年生から中学生に授業をしてくれます。博物館の特別展(古代アンデス文明展)に行く前には南米の地理や歴史、古代文明について授業をしてくれ、息子は古代文明好きに。毎週お散歩の授業があり、博物館に行ったり、アスレチック公園に行ったり、山登りしたり…お散歩での発見から次の授業が広がるなど、子どもたちは体験を通して楽しく学んでいるようです。チー坊がニコニコしながらフリースクールに通うようになって、私の心も本当に軽くなりました。心が元気になって、フリースクールに通う元気な子どもたちをみるたびに「人にはいろいろな学び方がある。学校だけが学ぶ場所ではない。こんな素敵な場所がたくさんあったらいいのに」そんな風に考えるようになりました。学校になじめない子が学べる場所が、日本には少ない出典 : フリースクールを探す過程で、息子のように学校になじめない子がたくさんいること、小学生の居場所が少ないこと、学べる場所が本当に少ないことを知りました。通級の先生は「学力支援や凸凹の凹(苦手)の部分を支えるものはあります。しかしチー坊のように、凸が高すぎるための凸支援は残念ながら日本にはありません。本当ならば良いところ、得意なところを伸ばしてあげたいのですが」とおっしゃってくださいました。そうか、ないのか…。そうだ、夫が借り上げた仕事場にはスペースがある。家賃の問題はクリアしている。ないなら、つくっちゃえばいいのかもしれない。そこで、わが家と同じように、発達が個性的なために学校で生きづらく不登校を経験したお母さんを誘って口説き落とし、教育に興味のある学生さんと一緒にフリースクールをつくろうということになりました。「大人だったらどうする?」で考えてみるUpload By 赤沼美里ここまでが、私がフリースクールをつくることになった、きっかけ。息子が不登校になったとき、「自由に育てているから、学校に合わない」とか「休みたいといったから休ませるなんて、わがままにさせていいのか」とか「ここは日本なんだから順応させるべき」とか、状況をなかなか理解してもらえず、傷ついたこともたくさんありました。でも私の悩んだときの基準は、「これが大人だったらどうするかな」です。会社環境が合わないために、じんましんが出るほどをつらい思いをしている友人がいるなら、きっと休職か転職をすすめるのではないでしょうか。不登校から1年、フリースクール歴1年。アンケートで「毎日の満足度を教えてください」という問いに「99点。今日はゲームをしていないから1点引いた」と答える息子(笑)笑顔で毎日を過ごす息子を見るたびに、不登校を選択して良かったと心から思っています。そして息子の通うフリースクールのような素敵な居場所が日本にひとつでも多く増えてほしい、学校になじめない子どもたちがひとりでも多く笑顔になってほしいと願って、フリースクールを立ち上げることに。次回は、どんなフリースクールを立ち上げたのかをお伝えしますね!
2018年08月21日子どものころの家族旅行。車中では元気いっぱいなのに…出典 : ようやくやってきた夏休み!今日は待ちに待った隣県にある漫画の博物館にお出かけする日。私と兄弟の3人は、両親を急かしながらそそくさと車に乗り込みます。父親が運転するバンの中で兄弟と一緒にはしゃいだり、流れていく景色を楽しんだり。車の中では、ワクワク過ごしているのですが…。いよいよ目的地の博物館に着くと気分は一転。私は車から出たくなくてぐずってしまうのです。人はたくさんいるし、どこに何があるか分からないし、大きい音で人気アニメの音楽が流れていたために家族の声もよく聞こえない。子どものころの私にとってそれはとても怖い場所に感じられました。両親も兄弟も私をなだめて、車から出てもらおうと苦戦します。でも、なんとか車を出ても、1時間もしないうちに「もう帰ろう!」とか「足が疲れた!もう歩きたくない!」なんて言い出すありさま。家族から「せっかく来たのにもう帰るの?」と言われながら、なんとかいろんな展示物を見てまわるものの、あまり楽しめず、今すぐ横になって寝たい気持ちでいっぱいになるのです。結局ぐずる私に引きずられて、家族旅行は予定より早く切り上げることに。帰りの車の中では、出発したときと同じように楽しそうにする私と、疲れて寝ている兄と弟…。このお出かけに限らず、県外の大きな公園やショッピングモールなどに行くと、私はいつもこんな状態でした。子どものころから、兄弟は全然大丈夫なのになぜ自分だけこんなに疲れてしまうのかが不思議でした。多すぎる情報と不安感で、一気にぐったり出典 : お出かけ自体は楽しみにしていましたし、移動中の車の中はよく知っている空間なので大丈夫でした。車の中は安心していられるので、周りの風景も楽しめたし、兄弟ともじゃれあいながらウキウキと時間を過ごすことができていました。でも観光地は知らないことだらけです。鳴っている音楽の音量は大きく、人もいっぱい、照明は明るいことが多いです。そういう場所では目や耳から入ってくる情報量が多かったり、家族の声がよく聞こえなかったりして、それを処理するのにとても体力を使っていたのでしょう。そのせいで、すぐに疲れてしまっていたのだと思います。小学校の低学年のころまではお出かけをするといつもこんな具合でした。両親は、どちらかが私につき添って車の中で一緒に待ってくれたり、水筒に入れた冷たい麦茶を飲ませてくれました。子どもながらに悪いなと思いながらも、自分ではどうしようもないのでもどかしく思っていました。小学校の高学年になるころには、両親は■目的地がどんな場所で■どのくらいの広さで■どのくらい人がいるかもしれないというようなことを事前に教えてくれるようになりました。とはいっても当時はインターネットもスマートフォンもなかったので、今考えると結構適当な情報だったのだろうと思います。それでも当時の私にとっては、事前に目的地に着いてからの心構えができたのでかなりありがたい情報でした。実際、事前に情報を教えてもらうようになってからは目的地に着いてからぐずることはかなり少なくなったと思います。外出先で疲れてしまう子のためにできる3つの対策出典 : 大人になっても、観光地が苦手なことはあまり変わりませんでした。子どものころほどではありませんが、知らない場所にいくと変に緊張しますし、人だかりやいろんな音が混じった空間に入るだけでとても疲れます。それでも経験を積んできてうまく対処できるようになったこともありました。私と同じように外出先で疲れてしまうお子さんのいるご家族へ、今までの経験から身につけてきた対応策をいくつか紹介します。出典 : 見通し不安がある場合、知らない場所に行くときは、画像や周りの地図などを事前に調べておくことで不安を軽減できます。子どものころに両親にやってもらったときにも気持ちが少し楽になっていたので、お子さんにも効果があるのではないかと思います。行く場所が、「どのくらいの広さで、どういう雰囲気の建物があって、どのくらい人がいるのか」という情報だけでもOKです。例えばインターネットに掲載されている地図の中には、目的地の近くに立ったときのような画像を見ることができるものもあります。お出かけをする前に、お子さんと一緒に「明日はここに行くんだよ」なんて言いながら一緒に見ておくとよいかもしれません。お子さんが興味を持てれば怖さよりも楽しさが勝り、着いてすぐに「帰りたい!」という状況を避けることができるかもしれません。出典 : もしお子さんに視覚過敏があって、まぶしい光や人混みが苦手な場合、サングラスや偏光メガネをかけてあげることをおすすめします。経験上、サングラスをかけるだけで、目に刺さってくるような光や人混みの情報量、照明のまぶしさが劇的に良くなります。観光地や行楽地はどこも視覚過敏がある人にとっては光がまぶしいことが多いので、サングラスがあるだけでかなり楽になります。子どものころ遠出するときは、100均で買った色が濃いサングラスをよくつけていました。車から風景を見るときも、サングラスをつけているだけで目の疲れがかなり楽になっていた記憶があります。今でも外出するときには晴れてない日でもいつも身につけているくらい、私はサングラスが大好きです。最近は、子ども向けの偏光メガネもあるので、チェックしてみても良いかもしれません。出典 : 聴覚過敏があると、人混みの中ではまわりの人が話している声が全部混じって聞こえてきてしまいます。そのため、何も対策をしないと人混みの近くにいるだけでひどく疲れてしまいます。そういう場合は、耳栓やヘッドフォンの使用がおすすめです。私自身は大人になってから、外に出るときに耳栓をするようになりました。これで、人が多い場所への外出がとても楽になりました。完全に音が聞こえなくなると危ないので、ある程度周りの音が聞こえるような耳栓がおすすめです。ノイズキャンセリング機能があるヘッドフォンでもいいと思います。ほんの少し聞こえなくなるだけで、ぐっと楽になります。耳栓をするだけで、少し遠くにいる人の声や比較的小さな音が聞こえなくなったり、聞こえてくる音がマイルドになって、耳に刺さってくる感じではなくなるのです。慣れるまでは耳栓をすると自分の話し声の大きさが分からなくなって大声で話しがちになってしまうので、お出かけする前に家で耳栓をしながら話す音量を調整する練習をしておく必要があるかもしれません。特性に合う対策で、お出かけを楽しんで!出典 : 長期連休に家族で外出しても、以前の私のように外出が苦手な子どもがぐずったりして、あまり楽しめなかった…というご家庭も多いかもしれません。でも、少し事前準備をするだけで、お子さんもご両親もみんなが楽しめるようになるかもしれません。ご紹介した3つの対策だけでなく、お子さんからも話を聞いてみて、お子さんの特性に合う対策をつくってみてください!
2018年08月20日Upload By 荒木まち子Upload By 荒木まち子娘が唯一好きなスポーツとは出典 : 体を動かすことが苦手な娘は、縄跳び、跳び箱、鉄棒、球技など、ほとんどの運動を“努力して”身につけてきました。そんな彼女が自ら好んでする運動が1つだけあります。それは水泳です。娘は4歳~10歳まで水泳教室に通っていました。「水泳は自分のペースでできるから好き。泳ぐと気持ち良い。ストレス解消になる」と、娘は水泳教室を辞めた後も高校を卒業するまでは週1回ほどのペースで公共のプールへ泳ぎに行っていました。就職後はなかなか時間が取れず…出典 : 高校を卒業し、今年の春に就職した娘は現在、月曜から金曜の平日9時から17時までの仕事をしています。体力的にも精神的にもまだ慣れておらず、週末は疲れて昼まで寝ていることもしばしば。会社帰りに泳ぎに行ったりする余裕も当然ありません。諦めていなかった夢出典 : 泳ぐことが好きな娘には、小さいころから”イルカと一緒に泳ぎたい”という夢がありました。その夢は、水泳がなかなかできなくなっても変わらず抱き続けていました。就職して3カ月が経ったころ、ついに念願の「イルカと一緒に泳ぐプログラム」を体験する目途がたちました。過去に体調の関係などで参加を断念したこともあった娘は、日程が決まるとその日を指折り数えて待ちました。イルカと一緒に泳ぐプログラム、スタート!出典 : プログラム当日、緊張した面持ちで水中に入った娘でしたが、イルカの放つ水しぶきを顔いっぱいに浴びると一気に緊張がほぐれた様子でした。最初はおそるおそるイルカに触っていましたが、餌をあげたり撫でたりしているうちに徐々にリラックスしていきました。娘は人と目を合わすことが苦手なのですが、不思議とイルカとは目を合わせていました。そしてイルカに頬ずりをされ、娘は自然と笑顔になっていきました。イルカは娘の出す合図に従って泳いだり、声を出したりします。それを笑顔で見る娘。その様子を見ているこちらも自然と笑顔になりました。意外と体力勝負娘が参加したプログラムはイルカに触れるだけでなく、一緒に泳ぐというもので■25m以上泳げること■立ち泳ぎができることが参加の条件でした。この日ウエットスーツ初体験の娘はスーツの浮力でバランスを崩してしまい、立ち泳ぎの状態をキープするのに苦労していました。イルカの力は強く、泳ぐスピードも結構あります。イメージしていたような「笑顔のライディング」とはいきませんでしたが、それでも速いスピードで水の上を滑るようにイルカに運んでもらう娘の姿はとても楽しそうでした。イルカとのふれあい体験をした娘は…出典 : プログラム体験後、娘は「バンドウイルカの肌はゴムっぽいんだけど、シロイルカの頭は柔らかくてグミとかゼリーみたいなの!」「目がすごく優しいんだよ」「声は口からじゃなくて頭の穴から出すの」「すごく癒された」と、いろいろと教えてくれました。そして「動画や画像で見るのと実際にふれあうのとでは全然違う。生きてるって感じが伝わってくる。やっぱり外に出ていろいろな体験をするのって大事なんだと感じた。非日常感もあって嫌なことを忘れることができた。またいつか体験したい!」と興奮気味に話してくれました。生き物とふれあうことで得られる「癒し」の力娘は、いつもは絵を描くことや、テレビを見ること、本を読んだり好きな音楽を聴いたり歌を歌ったりすることでストレス発散をしています。でも今回の体験は格別だったようで、言葉がなくても優しい気持ちが通じ合う動物のパワーと癒しを感じ、娘は元気をチャージしたようでした。これからも、好きなこと・夢中になれることを通して、いろんなことを感じたり、パワーチャージする方法を増やしていってもらえたらなと、思っています。
2018年08月17日幼稚園生時代、夏休みの帰省で。「孫に障害はない!」と完全否定する祖母Upload By 荒木まち子私は娘が1歳頃の時から、周りの同世代の子どもとの違いや育てづらさを感じていました。健診時に指摘などはされていませんでしたが、娘の幼稚園入園前から療育機関などに相談をしていました。娘は人見知りをしなかったので、年に数回しか会うことがない祖父母は「本やテレビが好きな大人しい孫」「歌やお絵描き好きなおっとりさん」と感じていたのかもしれません。出典 : おじいちゃん、おばあちゃんっ子だった娘娘自身もおじいちゃんとおばあちゃんが大好きで、帰省の時は親ではなく祖父母と一緒に寝たがる程でした。電車に乗れるようになると一人で祖父母の家に泊まりに行ったり、旅行好きな祖母と一緒に旅にも行ったりしていました。高校生になるとPC検定の資格を持つ娘が祖母にパソコン操作を教えることなどもありました。おおらかで優しいお年寄りと過ごす時間は娘にとっても心地良かったのだと思います。出典 : 初めて、娘のパニックに遭遇した祖母娘が高校3年生の時、たまたまわが家に泊まりに来ていた祖母は娘のパニックに遭遇しました。この頃の娘は、就職活動中だったこともあり、とても不安定でした。「学校から配布された資料が見つからない」と家中の引き出しを開けて探しまわりました。私が「学校に電話して同じものをもらえば良いんじゃない?」と言っても「それは絶対ヤダ!」「あの先生は怖いんだ」と全く聞く耳をも持ちませんでした。同じ引き出しを何度も開けたり閉めたりすることを止められない娘。しまいには弟の机の引き出しやランドセルの中まで探し始めました。その時、祖母は…Upload By 荒木まち子祖母が娘をなだめている間に私は学校に電話をし、先生に娘の様子を伝え、翌日同じ資料をもらうことになりました。パニックは1時間ほどで治まりましたが、孫のパニックを目の当たりにした祖母はショックを受けたようでした。孫の将来を案じてその後、就職がなかなか決まらなかった娘を心配した祖母に「知り合いの会社を紹介しようか?」と勧められたことがありました。私は「いつまでも親が子供を守り続けられるわけじゃない。私たちは娘のことを理解して支援してくれるような人(ジョブコーチ)がいる会社を探している」と伝えました。祖母の思う幸せとは、違うかもしれないけれど就職後、娘は祖父母のところに行くことはほとんどなくなりました。孫のことが心配な祖母は、しょっちゅう電話を掛けてきます。「会社には休まず通っているの?」「会社の先輩とはうまくいっている?」「身だしなみはきちんとしているのかしら?」「お金は足りてるの?」「親としてちゃんと悩みを聞いてあげてる?」「また一緒に旅行に行きたいんだけど…」私はその一つひとつに丁寧に答えます。「会社は無理して毎日通うより、休み休みでもいいから彼女のペースで長く続いた方が良い」「娘は人間関係は時間をかけて築き上げていくタイプ」「完璧でなくても他人を不快にさせない程度の身だしなみはできていると思う」「まだ職場になれるのに精一杯でお金を使う暇もあまりないみたい」「職場の悩みを聞くのは親ではなくてジョブコーチという会社の上司なんだよ」「休みの日は趣味や友達と過ごす時間に充てているよ。もう家族と一緒に出掛ける年じゃないし」“おばあちゃんの思う『幸せ』とは少し違うかもしれないけれど、本人が辛いと感じることなく毎日を過ごせていれば、それが彼女にとっての幸せなのだ”と時間をかけて伝えていこうと思っています。
2018年08月10日孤立しがちな子育ての伴走者としての医療出典 : 娘が小2で不登校になったとき、母子2人きりの家庭だったわが家は、周りに理解者も味方もなく、たった1人で混乱と不安の中に突き落とされたような気持ちでした。のちに親の会でたくさんの仲間に出会いましたが、子どもが不登校でも発達障害でも、学校や相談機関との対応を引き受けることになるのはほとんどが母親。子どもからやるせない気持ちやときには暴力をぶつけられるのもやはり母親が一番多かったのです。そんな母親たちは孤独で疲れ切っており、親の会で初めて話すときはポロポロと涙をこぼす人も多く、「自分自身が精神的に病んで精神科に通っている」という声もよく聞きました。子どもが学校に行かなくなったとき、病院を受診する家庭が多いと思います。私の場合、自分自身が精神科にかかっていたので、同じ総合病院内の児童精神科医を紹介してもらえ、娘もすぐに医療につながることができました。学校からは登校を迫られる中、娘の主治医は「今は無理に登校させるべきではない」という意見書を書いてくれたり、私たち親子が疲れ切ったときにはリフレッシュのために入院させてくれたりしました。また、私の精神状態が悪化して「死にたい」と訴えたときには、児童相談所での一時保護や入院を提案してくれ、まさに最後のセーフティネットとして助けてくれたのです。こういった難しい子育てに臨む親は追い詰められ、孤立しがちです。医療機関にはそういった親に寄り添い、共に歩む支援者としての一面もあるのだということに気づくことができた体験でした。代理受診をチャンスに変えるわが家もそうですが、同じ境遇に置かれた人たちの悩みで多いのが「子どもが病院に行きたがらない」ということです。娘も3度の入院を終えるまでの最初の1年半くらいは素直に病院についてきていましたが、次第に「自分はどこも悪くない」「病院は嫌い」と言って行かなくなってしまったのです。これは親にとってなかなか心折れることで、「本人が行かないのならしょうがない」と通院をやめてしまう人も。でも私は、1人で代理受診を続けました。そしてそれは、思わぬいい結果を生み出してくれることになります。出典 : 多くの病院は代理受診を認めてくれます。特に精神科は本人が受診できないケースも多いですから。私は娘の代わりに受けた診察で、「娘が『死にたい』って言ってるんですけど大丈夫でしょうか?」など、気になる言動について相談し続けていました。こんな状況、自分1人で娘と向き合い、受け止めるには重すぎますから。そんなとき、「大丈夫ですよ」と先生に言われるだけでホッとしたのを覚えています。また、娘のためのセラピーにも、娘抜きで行っていました。そこではまるで自分がカウンセリングを受けているかのように、「もうつらい」「どうしたらいいのかわからない」といった気持ちを吐き出すことも多くありました。カウンセラーの先生はいつも静かに話を聞いてくれて、本当に救われた気持ちになりました。また、臨床心理士ならではの「娘さんは今こういう気持ちなのでは」といった解説も、心を楽にしてくれたものです。親として抱えきれないさまざまな悩みを受け止めてくれた先生方には、感謝してもしきれません。出典 : 主治医が退職したのを機に、総合病院から発達障害を診ることができるクリニックに転院しましたが、そこでも代理受診は続きました。月一度ペースで通い、その間の娘の様子を報告するといった診察でしたが、ふとした拍子に「娘さん、こんなところが成長していますね」「それができるのは視覚的処理が非常に優れているということですよ」といったように、母親の私が気づくことができないことを教えてもらえることがありました。それは思った以上に私を勇気づけてくれました。学校に通っていないと他人が娘を評価してくれることはめったにありません。先生の何気ない言葉は「一緒に育ちを見守ってくれている」という心強さを私に与えてくれたのでした。出典 : 娘が思春期に入ってからは対応のしかたに悩むことも増えてきました。そんなときも、継続的に様子を報告し続けている先生に「娘も他人相手だと割り切れるみたいなんですけど、私相手だとうまくいかないみたいなんですよね」と相談してみると、「親子だからこそ難しいんですよ。お互いに別々の時間を大切にするとか、親子の距離を置くようにしていったらどうでしょう」という提案が。そういうところが、さすがなのです。専門家として距離を置いて見ているからこその目線です。不登校の子の家族にはなかなか外からの風が入ってきません。だからこそ、風通しを良くしてくれる他者が大切なのだと思います。障害年金受給なども見据えて最初の主治医が退職したことをきっかけに、障害基礎年金申請のことも見据え、大人の精神科も併設した発達障害に強いクリニックに転院しました。障害基礎年金の申請には、専門のドクターに書類を書いてもらう必要があります。不登校期間が長く、発達障害もある娘には年金のことも考えておく必要があったのです。先生には私の考えを伝えてあり、本人の気持ちや様子を見ながら再度の発達検査や精神障害者手帳の手続きなどを考えていこうということになっています。将来、娘が福祉を必要としたときに、きちんとつながることができるようにするためにも、医療機関との関わりは重要なのです。出典 : 私は代理受診をしていることを娘に話していました。そして「今日は先生とこんなことを話したよ」「先生が気が向いたらおいでって言っていたよ」と軽く声をかけ続けたのです。すると、新しいクリニックに変わって1年くらいたったある日、メールで先生に相談したいことを送ってきて「これを先生に見せて」と頼んできたではありませんか。びっくりしましたが、何度かその方法で先生と伝言ゲームをした後、ついに娘がクリニックを受診したのです。少し緊張していましたが、私の話を通して先生に親しみを持っていた娘はしっかりと先生の目を見て話していました。それからは3回に1回くらいのペースで娘も受診しています。まさかこんな日がくるなんて。細くてもいい、長くつながり続けることの大切さ出典 : しんどい子育てをしている家庭は孤立しがちです。だからこそ、社会とつながる支援の手はひとつでも多い方がいいといえます。しんどいからこそ、ときには支援につながることに疲れてしまうかもしれません。そんなときは少し距離を置いてもいい。でも細く長くでいいから決して手を離さないでほしい。これは、代理受診でつながり続けてきたわが家が、今、切実に感じていることです。
2018年08月10日ADHDのH(Hyperactivity)=多動・衝動なんて、私にはないと思ってた!出典 : 私は「自閉スペクトラム症(ASD)」と診断されている。でも、ASDであっても、注意欠如多動障害(ADHD)のような衝動性を持っていたり、ADHDと診断されていても、ASDのようなこだわりがあったりする例も少なくない。かくいう私も、注意力が著しく欠如している。「とはいえあれだ、診断はASDだし、私には不注意はあるけど、多動や衝動性(Hyperactivity)はないから…」なんてことを雑談の中でつぶやいたら、「何言ってんの!? あんた、昔から衝動の塊じゃん!!」と、旧友から盛大な反論をされてしまった。彼女から指摘されたのは、20年前の出来事だ。東京で一人暮らしをしていた22歳の私は、失恋に失業、おまけに信頼していた人からの裏切りに遭うというトリプルコンボの不運に見舞われていた。今だったら屁でもない話なのだが、人生経験の少ない若い娘が喰らうには、ちょっとヘビーな出来事であったと言える。たまたま電話をくれた新潟在住の幼馴染が、私の置かれている状況を知り、「今すぐ帰って来な!」と言ってくれた。「わかった、帰る!」そう決めると、私はまず冷蔵庫を確認、日持ちのしないものは食べるなり処分して整理。洗濯物は幸い少なかったので、実家の洗濯機を借りようと、着替えなどと共に鞄に詰め、ブレイカーを落とし、戸締りをしっかりして新潟へと向かった。それから1ヶ月程度、実家で休養した私は生気を取り戻し、再び東京で生活を始めるのだが…。東京の友人たちの間で「希望が失踪した!」と騒ぎになっていた。そう、私は新潟に帰ることを、彼らに伝えるのをうっかり忘れていたのだ。携帯電話が今ほど普及していない時代、皆さぞかし焦ったことだろう。連絡し忘れたのは私の落ち度だ。しかし、れっきとした理由もあるし、これは衝動とはいえないのではないか?と訴えたのだが、「“今すぐ”と言われて、本当に今すぐ帰ろうとして支度を始めるのは衝動の成せる業でしょうよ。ほかのADHDさんだって、衝動なりの理由があるのだろうし」と返されて、私はぐうの音も出なかった。思い返せば「暇だし臨時収入もあったしなぁ」と、思いつきで新幹線に乗って出かけたり、自転車で近所のスーパーに行く途中、「確か今面白そうな展示をしていたはず」と、やはり思いつきで10km先の美術館へと向かうなど、突発的に行動することはしばしばあった。しかし、困りごととして、自分の中で上位に来るのはASDの特性と不注意だったので、ハイパーアクティブさがあるとは考えもしなかったのだ。思い起こせば…あったあった! ハイパーアクティブならではの失敗談出典 : 「私に多動と衝動性が?まっさかぁ~!!」などと笑っていた私だが、困ったことがなかったわけではなかった。時に、私はかなりの感激屋である。映画やテレビドラマ、小説に漫画に音楽に舞台、そして日常のあらゆることに感激し、毎日が大層忙しい。ただ感激して小躍りしたり、泣いているだけなら何の問題もないのだが、私は「この感激を誰かに伝えたい!」という衝動に駆られてしまう。伝えるにしても、SNSか何かに書き散らかしておけばいいものを、誰かに直接メッセージとして長文を送りつけてしまうのだ、しかも「そんな間柄じゃないだろ」という相手に。「冷静になれ」とたしなめられるのだが、そのときは冷静なつもりでいるのだから困りもの。冷静に考え、冷静に文章をつづっているつもりで、翌日辺りに「私は一体何をやっているのだ…!」と顔面蒼白。壁に頭を打ちつけたくなる。とりあえず謝罪のメールを送るが、「迷惑でしたよね?」なんて確認することもできないので、数日の間は不意に思い出しては大量の汗を書くはめになる。この悪癖は気をつけても直らない。加えて、不注意による失くし物、予定の失念なども日常生活に支障をきたすレベルなので、ストラテラ(ADHD用の内服薬)の力を借りている。意外にも? 困ったことばかりではない多動と衝動出典 : 困ることがある一方、ハイパーアクティブさに助けられる面がある。以前、「ASDゆえ、イレギュラーは苦手だが、仕事に関してはある程度対応できるようになった」とコラムで書いた。「急な仕事」が得意というか、好きになったのだ。ルーティンになると強みを発揮するASD特性で磨いてきたライタースキルの土台があったことが前提だが、ADHDの特性も合わせ持っていたことで火事場の馬鹿力が発揮できるようになったのかもしれない。とにかく、「急なんだけど、手伝って!」というような連絡を受け、手元の仕事との兼ね合いを見ながら進行、納期までに仕上げる達成感にドーパミンがドバドバ溢れ出ているのを感じるのだ。そうした依頼の場合、普段自分が手がけない分野のライティングであることも多く、楽しいというのもある。また、過集中のおかげで早く仕上げることができるので、先方にも重宝いただいている。もちろん、出張だって嫌じゃない。むしろ大好きだ。普段自宅にこもって仕事をしていることが多いため、県をまたいだ移動がリフレッシュになるのもある。どんどんお呼びいただきたい。私そっくり、ASDっぽいあの人の、ハイパーアクティブなエピソード出典 : さて、以前やはりコラムに書いた、「私そっくり、ASDっぽい」父には、多動や衝動性があるのだろうか。家族で出かけたとき、目を離すとすぐ父の姿が見えなくなり、母が困っていたことを思い出す。さほど遠くに行くことはないのだが、勝手に単独行動を始めるのだ。立派な多動おじさんである。また、実家で一緒に暮らしていたころは、「おい!お前に食わせたい蕎麦屋が山形の山奥にあるのを思い出したから、今から行くぞ!起きて支度しろ!」と、休日の朝4時半に起こされることがあった。かねてからの予定ではなく、完全にその日の朝に思いついての行動、衝動以外のなにものでもない(お蕎麦、おいしかったです)。そして、父に関する大好きな話がある。6人兄弟の4男として生まれた父の服は、兄たちのお下がりであることが多かった。そのため、自ら働くようになってシャツを仕立てたときは、大いに感激したらしい。嬉しくなってテンションが上がった若き日の父は、なぜか自転車を飛ばして海へ向かい、上半身裸になって、夜の日本海を泳ぎまくったそうだ。少し疲れて岩浜に上がると、風で飛んだのか誰かが持ち去ったのか、新品のシャツはなくなっていたのだった…。「なぜ海?」「どうして泳ぐ?」「シャツをわざわざ紛失の危険に晒した理由は?」など、突っ込みどころ満載ではあるが、ADHD傾向のある若者の、チャーミングなエピソードとして、私の心に残っている。発達障害が遺伝であるかどうか、また、かつての父のように私が可愛いADHD特性のある人間かは別の話として、私が父に似ているという説は、やはり納得の感がある。そして「ADHD、悪くないよなぁ」と笑ってしまうのであった。
2018年08月06日ペアレントメンターを知っていますか?出典 : ペアレントメンターは、発達障害のある子どもを育てる保護者に寄り添う形で保護者支援の一端を担います。メンターの役割を担うのは私のような、発達障害のある子の育児経験がある保護者です。同じような保護者に対して共感的なサポートを行ったり、地域で受けられる支援や施設などについての情報をストックし、必要に応じて提供することができます。専門の支援者とはまた違う、ピアな(同じような)立場からの寄り添いです。発達障害のある子を育てる保護者にとって、同じ立場で話せる人がいるということがどれだけ自分の支えになるのかを感じる経験が私にもありました。孤独な発達障害児の子育てが辛かった、かつての私出典 : のある次男が診断を受けたのは3年生のころ。毎日のように学校からかかってくる電話、頻発する問題行動、家での育てづらさ…どう対応していいかもわからないまま学校の先生に相談してもめどが立たない日々が続くなか、同じように困っているママ友が周りにいるわけでもなく、誰にも話せず、自分がこの世の中で一番辛いような、どん底にいるような気持ちだったのを覚えています。あちこちに相談してやっとの思いでたどり着いた病院の先生、他校の通級指導教室に通うことになった先で出会った通級の先生、同じ学校のお母さんが紹介してくれた親の会、発達障害をキーワードに知り合ったTwitterの友人たち…少しずつですが、次男のことを相談できる相手、愚痴をこぼせる先が増えていきました。診断を受けてからも次男を育てていく大変さは簡単には減りませんでしたが、「発達障害とはどんなものか」を知ったうえでお話ができる相手が少しずつ増えるにつれ、自分の抱えている荷物が少しずつ軽くなっていったような気がします。「そうそう」「あるあるだよね」「うちはこんなだったよ」「お互い大変だねえ」…そんな自分のしんどさを共有できる人がいることで「自分だけじゃないんだ」「仲間がいるんだ」と心強く感じました。ペアレントメンターという言葉との出合い出典 : 私がペアレントメンターという言葉に出合ったのは、3年ほど前のこと。友人から教えてもらった講演会の情報を調べようと大分県の発達障害者支援センターのサイトを開いたときに、メンターの養成研修が行われているのを知りました。自分が発達障害児の親として生活するなかで、保護者の負担や不安に思うことへのサポートの手薄さを痛感する日々。そんなしんどさを親の会などを通して出会った先輩母さんたちに話しては、勇気をもらってもいました。「この制度を利用したら私にも何かできることがあるんじゃないか」「先輩母さんたちにやってもらってきたことの恩返しができるんじゃないか」興味を持ったものの、当時はまだ末っ子が小学校に入学する前でもあり、また問題行動の多い次男のサポートにも手がかかっていた時期。研修に全て参加するための時間を捻出することは今の私にはとても無理だ…と諦めて応募は見送りました。思い切って申し込んだ養成研修出典 : 気になりつつ踏み出せずにいた2017年の春先、所属している親の会を通してメンター募集の案内が来ました。いろいろなサポートのおかげで当時6年生の次男の状態がだいぶ落ち着いていたこと、また次男の中学進学を前に自分の知識や情報を増やしたい、もっといろんな人に会いたい、と思っていた矢先だったこともあり、「今しかない!」と夫や実家の家族にサポートを頼んで応募しました。養成研修は朝から夕方まで丸1日の研修が月1回程度のペースで組まれており、修了証を頂くためには全5回の研修を全て受けなければならない仕組みになっています。研修のなかではペアレントメンターとしての活動の基本から始まり、ピアの立場からの寄り添い方、お話の聴き方、相手を侵害しないよう気をつけながらお話を進めるスキルなど、相談を受けたときにお話を聴く手法、いわゆる「傾聴」の研修に多くの時間が割かれました。私も含め、同期の皆さんが難しさを痛感したのがそのなかの傾聴のロールプレイ(役割を決めて演技をする研修)です。3人1組で「相談者・メンター・観察者」に分かれて、それぞれの役割を演じます。「相談者は何歳の自閉症と診断された子を持つこういうことに困っている保護者」という設定が決まっている回もあり、また設定は特に決められず自分で考えながら演じる回もありました。相談者を演じ、流した涙相談者役になったとき、なんとなく設定を決めつつ話の流れで結局、その当時本当に困っていた次男についての悩みを話しました。メンター役の同期の方が私の話に相槌を打ちながら、ゆっくり聴いてくれます。ところどころに同じ親として自分のときはこうだった、こう思った、と体験談を挟みながら、こちらの言葉を遮ることなく5分の制限時間の間、ただただ私の話を聴いてくれました。研修のなかのロールプレイングだと分かっていたはずなのに、気づいたらボロボロと涙がこぼれていました。私につられてメンター役のお母さんも観察者さんももらい泣き、終了の合図を受けて周囲を見回すとあちこちのグループで涙を拭きながら笑い合う参加者の姿がありました。たった5分間、ただただ自分の話をしただけなのに、なんの結論も解決策もなかったのに、自分の中で何か整ったような、落ち着いたような、そんな不思議な気持ちになったのを覚えています。「これが、傾聴してもらうということなのかな」研修を終えて自宅に帰る車内で、ぼんやりと、何かが見えてきたような気がしました。ペアレントメンターとして話を聴くだけで出典 : 研修を終えて修了証を手にしたのは昨年の11月。そこから私の生活はペアレントメンターとして一変…したわけではありません。大分県ではペアレントメンターとしての活動は原則として親の会を通してに限られています。そのため、私がメンターとしてできるのは所属している親の会の勉強会や座談会のなかでお話を聴いたり、そこで個別に相談を持ちかけられたらお話をしたりする程度です。日常のなか、例えば小学校や次男の通いはじめた中学校などで「私はペアレントメンターです」と宣言して何かをしたり、肩書きを書いた名刺を配るようなことも今のところはありません。親の会のなかでメンターとしてできるのは具体的な解決策の提示ではなく、主にただ、お話を聴くだけです。それでも「話してスッキリした」「聴いてもらえて整理できた」「元気が出た、がんばれる」と言ってもらえたり、その時間を糧に次のステップに踏み出していくお母さんたちに、逆に私が元気をもらっているような気がすることもよくあります。ペアレントメンターとしての、これから出典 : 大分県ではまだ大きな枠組みの中でペアレントメンターをどう活用していくか、という仕組みはありません(地域によっては自治体や大学が連携しての活動があるところもあるようです)。そんな状況なので、私自身もペアレントメンターとして特別な活動が増えているわけではありません。ただ、研修を終えてから何となく自分の周りが変わりはじめたのを感じています。研修で培ったゆっくりと話を聴くスキルが日常の中のいろんな場面で活かせるようになってきました。親の会とは離れたところでも発達障害のある子を育てる保護者や、もしかしたらそうかもしれないという不安を抱える方を紹介されてお話をしたりする機会も増えてきています。昨年度は所属する親の会とは別に、次男と同じような年齢層の子を持つ保護者で話す場をつくろうという流れになり、そのために奔走したり、支援者や教員など多業種で集まる勉強会へのお誘いもうけ、いろいろな活動の場が広がりつつあります。8月にはイシゲスズコとして個人的に、当事者や保護者の話す場としてのサロンを大分市で開催する予定です。私は、支援者ではありません。困っている人を救ったり、必要な支援を与える立場ではない、とお会いする方々とお話をしながらいつも感じています。私がケアをしているというより、お話を聴かせてもらうことを通して共に学び、共に慰め合い励まし合い、共に支え合っている、そんな感覚です。ペアレントメンターの研修とそれを経て培ったスキルを元にして仲間に出会い、助け合う場をつくっていっている。私にとってペアレントメンターとは、そんな横の繋がりづくりのきっかけの一つのような気がしています。ペアレントメンターの養成や活用方法はまだまだ未整備な部分が多く、また自治体によってもあり方が大きく異なっているようです。お住まいの地域でどんな形での養成や運用がなされているかは、日本ペアレントメンター研究会のサイトから一部調べることができます。まだまだ過渡期です。これからどんな風に広がりを見せ、またどんな風に運用されていくのか私にもわからない部分が多いですが、少しずつ周知されていくことでメンターの存在が知られ、声をかけてくれる保護者の方が増えていくといいなぁ、孤独のなかで苦しむ保護者さんが減るといいなぁ、と願っています。日本ペアレントメンター研究会
2018年08月04日リトミックとは?出典 : リトミックは、スイスの作曲家・音楽教育家エミール・ジャック=ダルクローズ(1865~1950)が創案した音楽教育法です。国際リトミック指導者連盟の日本支部・日本ジャック=ダルクローズ協会では、次のように定義しています。全身を使って音楽を動きで表現するリトミックと、音楽を聴く耳を育てるソルフェージュ、即興演奏を組み合わせ、音楽の諸要素を体験する事を教育法の原点に置き、音楽理解を深め、動きによって得た筋肉感覚を生かし、その積み重ねにより自己を開放し、磨かれた感性をもとに、自己音楽表現を可能にする事がこの教育法の目的です。音楽のリズムに合わせて全身で表現したり、身体を動かしたりすることは、音楽的な力だけでなく、社会で生きていくために必要な潜在的基礎能力や運動能力も育むと考えられているのです。最近では、保育園や幼稚園といった幼児教育の現場や、児童発達支援施設、小学校、特別支援学校、さらには高齢者を対象としたリトミックなど、多方面で導入されています。参考:善本桂子,子どものリトミック実践の現状と課題に関する研究|広島文教教育 Vol.24 2009リトミックと音楽療法の違い出典 : リトミックは、音楽活動を通して子どもたちの身体的・感覚的・知的な力を伸ばしていくことを目的とした教育方法です。一方で音楽療法は、音楽が持つ力を使って対象者の困りごとを軽減したり、心身の発達を促したり、よりよい生活が送れるようにアプローチする療法を指します。「音楽療法士」の資格を持った専門家が、対象者の目的や症状に合わせてプログラムを組み、病状・症状の改善、健康維持に努めます。音楽の親しみやすさやリラックス効果から、福祉・教育・医療の現場で幅広く活用されています。どちらも音楽を利用する点は同じですが、教育方法か療法かという点で大きく異なるのです。リトミックのメリットとは?出典 : リトミックには以下のようなメリットがあると考えられます。・集中力がつく音楽に耳を澄ましながら、音に合わせて体を動かすという「聴いて動く」動作を繰り返すことによって、一つの物事に対する集中力がつくと考えられています。集中力はリトミックにおいて最も重要視される力です。・表現力が豊かになるリトミックでは、音楽を聴いて自分なりに表現する場面がたくさんあります。「どんな風に表現したらいいのか」、何度も考えて表現するうちに、多様な表現方法を体得していくことが期待できます。・社会性、協調性が身に付く他者と動きを合わせたり、同じタイミングで行動したりすることで、集団で活動する難しさ・楽しさを体感でき、そうした中でコミュニケーション能力の向上を促します。その他にも、音の様子(強弱、高低、スピード)から求められる行動を考える判断力や音楽の基礎的な力、運動能力が身につくといわれています。参考:善本桂子,子どものリトミック実践の現状と課題に関する研究|広島文教教育 Vol.24 2009発達障害のある子がリトミックを受けるメリットは?出典 : 発達障害のある子どもたちは、強いこだわりや、不注意・多動性・衝動性などにより、相手の気持ちを考えて意思疎通を図ることが難しかったり、物事を柔軟に考えるのが苦手だったりする傾向があります。その特性ゆえに自分の考えを表現することや、人間関係をうまく築くこと、集団行動などに困難を感じやすいため、日常生活において不安や生きづらさを抱えがちです。こういった困りごとや生きづらさはソーシャルスキルと関連していると言えます。ソーシャルスキルは「他人と良い関係を築き、社会に対応するために必要な力」のことです。通常は成長していく過程で自然と身についていくものですが、発達障害のある子には、ソーシャルスキルを自然に身につけることが難しい場合もあります。しかし、リトミックで楽しみながらであれば、発達障害のある子も自然にソーシャルスキルを高められるかもしれません。リトミックは、子どもたちに親しみやすい音楽でバランスの取れた能力を養えるのが長所であり、実際に多くの児童発達支援施設や特別支援学校、放課後等デイサービスで導入されています。なるべく子どもに負担のない形で、社会で生きていくために必要な力を獲得できると考えられているリトミックは、発達障害のある子も受け入れやすいのではないでしょうか。リトミックを受けた体験談出典 : いろいろな分野で注目され始めているリトミックですが、まだまだ馴染みのない教育方法の一つです。そこで発達ナビ「みんなのアンケート」に寄せられた回答から、実際にリトミックを受けた保護者の体験談をご紹介します。1歳から幼稚園入園直前までリトミック教室通わせていました。当時は発達障害だと気づいていませんでしたが、音楽に合わせて動く、止まるなど、感覚統合につながっていたのではないかと思います。勿論それだけの影響ではないと思いますが、中学3年生になった今、DQも社会性も上がって、支障を感じない程度になってきたので、結果的にはいい選択だったと思っています。歳に通い始めたリトミック教室で、小学校入学時点でピアノの個人レッスンに移行しました。2年目に入っています。家で練習するまではいかないですが、週1回楽しく通っているようです。先生にはリトミックの頃から長い期間見てもらっているので、うちの子供の性格を十分理解された上で指導してもらっています。他の子が喜んで踊ったりタイコを叩いている中、全く踊らず抱っこ!、タイコも怖がって近づかず…。どうして⁈と思っていました。結局、最後まで溶け込むことは出来ずに親が辛くなり辞めました。その時からすでに、初めての事に対しての不安や恐怖があったんだろうなぁ、と今になって思います。初めての事に対する不安感は、年々減少していますがまだまだ課題です。リトミックに限らず、習い事は子どもの性格や特性、状況によっても合う合わないがあります。まずは体験から始め、子どもの様子を見て判断するとよいでしょう。リトミックって具体的にどんなことをするの?出典 : リトミックの中で最も頻繁に行われるのが「即時反応」と呼ばれるものです。即時反応では、音楽が鳴っている間は自由に動いて表現し、音楽が止まると動きを止めるという動作を繰り返す活動を行います。音楽が鳴っている間の表現は「動物になりきってみよう」「ゆっくり歩いてみよう」などと大まかなルールを決めておき、子どもたちはルールに沿って各自考えて動きます。「即時反応」は、外部の状況を注意深く観察し続けるため、集中力の向上を促します。音に合わせて動いたり止まったりすることは、自分の体をコントロールする力を得られると同時に、自分の体をコントロールできたという自信や自己肯定感アップにもつながります。「即時反応」の他にもリトミックで扱う項目は「声のコントロール」 「遊び歌」「演奏」など多岐にわたり、子どもたちの成長に合わせて最適な内容が選ばれます。参考:幼児の音楽発達とリトミックに関する一考察 ― 楽曲分析と事例検討をとおして ― |京都文教大学 臨床心理学部研究報告2010 年度第3集リトミックは何歳から始めるのがベスト?出典 : 子どもは、生後4ヶ月くらいから音を認識し始め、音に適応する準備が整ってきます。3~4歳になると音に反応して遊べるなど、聴覚と運動能力を結びつけられるようになり、この頃には歌を真似てみたり、一曲を通して歌えるようになったりします。やがて5歳には成人と同程度の聴力を持つようになり、音程を取ったり、音の高低といった音域の違いも読み取れます。このように年齢や発達の度合いによって、音への理解度はまったく違うのです。参考:幼児の音楽発達とリトミックに関する一考察 ― 楽曲分析と事例検討をとおして ― |京都文教大学 臨床心理学部研究報告2010 年度第3集リトミックは、首が座っていれば0歳からでも可能で、親子で参加できるベビーリトミックを行っているところもあります。何歳からでも通い始められますが、リトミックは幼児の成長を支えることから、小学校に就学するまでの乳幼児期に習うのが好ましいと言われています。リトミックを受けるには?費用はどれくらいかかる?出典 : リトミックを受けるには以下の方法があります。・リトミック専門団体(特定非営利活動法人リトミック研究センター)と提携している教室に通う・自治体の講座やイベントに参加する・リトミック教材を購入して自宅で行う・音楽教室や個人教室のリトミックレッスンを受ける・幼児教室でリトミックを取り入れているところに通う・保育園や幼稚園、児童発達支援施設、放課後等デイサービスのカリキュラムを確認し、取り入れているところに通う音楽教室や個人教室は、集団レッスンはもちろん、個別レッスンを展開しているところもあるのが強みです。保育園や幼稚園、児童発達支援施設などでは、普段の子どもたちの様子や個人差を熟知している担任や指導員がリトミックを行うケースが多く、性格や発達段階、能力を考慮したリトミックを受けられる利点があります。集団レッスンは周りの状況や動きを観察したり、音を集中して聴いたりできるので、集団で活動するスキルやコミュニケーション能力、観察力の向上が期待されます。個別レッスンではその子の発達や能力に合わせたリトミックをじっくり受けられるので、新しい環境や物事に慣れるのに時間がかかる子には適していると言えるでしょう。集団でも個別でも、リトミックは定期的に受けることが重要です。カリキュラムの内容や授業形態、主催者によって金額はさまざまです。保育園や児童発達支援施設などでカリキュラム自体に含まれている場合は、追加料金なしで受けられることがほとんどです。また、自治体などで行うリトミックイベントは1回1000円以内で参加できることが多いようです。音楽教室や個人教室の相場は大体月額5000円以上になりますが、入会前に無料体験レッスンを設けている教室もあり、体験をしてから入会を決められます。教室を探すポイントは4つあります。・費用は無理のない範囲か・年齢、発達に合わせたレッスンがあるか・レッスン内容はリトミックの理論に即していて質が高いか・音楽教室や幼児教室であれば、先生が子どもの障害に理解があるかまずは体験してみて自分の子どもに合うか見極めることがポイントです。集団か個人か、そもそも定期的に通い続けられるかどうか、子どもと相談して決めると良いでしょう。他の習い事と同様に、リトミックにも向き不向きがあるため、本人が楽しく通えるかが一番大切です。児童発達支援・放課後等デイサービスでのリトミック出典 : リトミックを行っている児童発達支援施設や放課後等デイサービスでは、リトミックがカリキュラムに含まれていて定期的(毎日、週に3回など)に受けられるようになっています。中には音楽に常に触れることのできる施設もあるようです。集団で行われていることが多く、音に合わせて動いたり、動物や乗り物になりきって表現してみたり、子どもたちが親しみやすいリトミックが取り組まれています。リトミックの講師を招いて、子どもたちに専門的なリトミックを提供しているところもあります。発達障害に詳しい先生が行うケースが多く、困りごとやトラブルへの配慮もあるのが安心です。まとめ出典 : リトミックは様々な現場で注目されている教育方法の一つです。子どもたちはリトミックを通して、身体を動かしたり、自分を表現することを楽しんだりしながら、音楽を学ぶ上での土台と社会で必要な力という2つのスキルを身につけることができます。障害のある子にとっても楽しみながらソーシャルスキルを獲得できる助けとなる可能性が高く、児童発達支援や放課後等デイサービスなどでも積極的に取り入れられています。音楽教室、保育園や幼稚園、児童発達支援施設などさまざまな場所でリトミックを体験できますが、子どもに合うのかどうかをよく見極めて通うのがおすすめです。
2018年07月28日親子で悩んだ、同じ学校の子からの「報告」出典 : わが家の発達障害の息子は、小学校でそれほど大きな問題を起こすタイプではありません。むしろ、問題を起こさないように尋常ではない気の遣い方をするため、たまに疲れて動けなくなってしまうことがあります。そんな律儀な息子ですが、ADHDの特性があるため、どうしても注意欠陥や衝動性が原因で、集団行動から外れてしまうことがあります。気になるものがあると、ボーっとしてしまって、先生の指示を聞き逃してしまう…。あるいは、過去には掃除のやり方が分からず、掃除中にずっと教室をフラフラしていたこともありました。どれも少しのサポートで解決できるため、大した問題にはなっていないものの、周りの子どもたちの目にとまってしまうのでしょう。私が学校に行くと、「ねー、〇〇くんさー、課外活動のときに話を聞かないでボーっとしてたよー」「〇〇くんのお母さーん、〇〇くんが整列するときにぐにゃぐにゃしてジッとしてないんだよー」などと、子どもたちのちょっとした「報告大会」が始まるのです。スルーだ…スルーするんだ…私は心の中で必死に唱えていますが、それでもイライラしてきます。言いに来た子どもに対してではなく、息子に対してイライラしてきます。「なんでそんな、どうでもいいことができないんだよ…」報告に来た子どもたちには、「ごめんねー」「温かく見守ってやってねー」と大人な返答をしながら、お腹のなかでイライラ爆弾の導火線が燃えはじめます。無条件に息子を信じることは想像以上に難しい…出典 : 息子が帰宅するのと同時に、イライラ爆弾が爆発。私は息子を問い詰めてしまいます。先日も、冷静さを失った私は、息子の帰宅時に鬼のような顔で出迎えていました。普段は「ただいま!」「おかえりー!」とニコニコしながら出迎えているからこそ、私の変化に息子は凍りつきます。「僕、なんかやっちゃった…?」「お母さん、なんで今日は笑ってお帰りって言ってくれないの?」私は息子の話も聞かず、「今日、こんなことやったんだって?〇〇くんに聞いたよ!」「どうしてなの!」「いい加減にしてよ!」と声を荒げてしまうのです。息子のことを信じて育てていこう、いつもそう思って頑張ってきたのに…。それは想像以上に難しく、私は息子に対してひどくイライラしてしまったのです。時間が経ち、冷静になれば思います。「どれも大した話ではなかった…」「まず本人に真偽を確認すれば良かった」「なぜもっと息子を信じてあげられなかったのだろう」私はいつも、息子が「困った行動をする」のは何かそうしてしまう原因があるはずだから、ということを肝に据えて、なるべく頭ごなしに叱らないようにしてきました。どうしてそんなことをしてしまったのか、まずは本人の話を聞いて考える、考えたうえで環境調整ができないか考えるようにしてきたものです。けれども、同じ学校の子どもから息子の行動を報告されると、私はどうしても冷静になれません。私が息子を叱ることが義務づけられているような強迫観念を持ってしまうのです。なぜこんなに余裕がなくなってしまうのか…。「息子が何かやらかしてしまうのではないか」という恐怖で、いっぱいいっぱいなのだと思います。思い出した母の言葉出典 : 学校に行くたびに、息子のことを報告されることに疲れてしまった私。けれども、それ以上に傷ついているのは息子です。息子は私が鬼のような顔で帰宅を迎えた日の翌日、学校を休んでしまいました。お休みの連絡のため学校に電話したところ、息子には全く非がなかったことが分かったのです。息子は、いくら説明しようとしても、私が聞く耳を持たなかったことがショックで寝込んでしまったのでした。「もうどうしたらいいんだろう…。何か報告をさえれるたびに私が過剰反応を起こしていたら、息子はもっと傷つくよな…」一人で抱え込んで悩んでいたとき、私は自分の幼少期に母が言ってくれた言葉を思い出しました。私もADHDがあったため、小学校では「報告係」のような子の標的になっていました。帰りの学級会では、こんなことしてました、あんなことしてました、といろんな同級生に報告されていました。当然、私の母に報告する子どももいました。わざわざ自宅まで電話をかけてくるのです。けれども、それに対して、母は「ごめんねー」と言いながら、私を叱ったり責めたりすることはありませんでした。そのとき、母が言った言葉が忘れられません。「私、大人に報告して叱ってもらおうって考え方があまり好きじゃなくてね。他の子が言ったことだけを真に受けて、自分の子どもを叱りたくないしね」今思えば、母は精一杯私を守ってくれていたのです。自分の子どもを信じるということは大変なこと。特に、発達障害の子どもを持つと、親もいろいろと自信を失いがちです。けれども、まずは自分の子どものことを信じるんだよ、というあのときの母の言葉を思い出し、少し勇気をもらえた気がしました。そして、息子を信じていられるように、もう少し強くいたいと、母の顔を思い出しながら思ったのです。
2018年07月23日起立性調節障害(OD)とは?出典 : 起立性調節障害(OD)とは、思春期に起こりやすい自律神経機能不全のことです。人が立ち上がると、血液が下半身に集まり、血圧の低下や心拍数の増加が起こります。通常、これらの変化ができるだけ少なくなるように、自律神経が働くようになっています。しかし、それがうまく行かないためにさまざまな症状が現れるのが、起立性調節障害なのです。具体的な症状としては、立ちくらみや失神、朝起きられない、倦怠感(だるさ)や動悸、頭痛といったものがあります。軽症であれば治療が必要ないことも多いのですが、重症になると日常生活に支障が出て、不登校やひきこもり状態になることもあります。症状が長く続くと、その後の社会生活にも大きな影響を及ぼすため、早い段階で適切に対処することが重要です。しかし、一部ではまだ理解が進んでおらず、周囲に「ただのなまけ」「気持ちの問題」と誤解されてしまう場面も多いといわれています。起立性調節障害の主な症状出典 : 日本小児心身医学会によると、起立性調節障害には主に以下のような症状があるとされています。・立ちくらみ、朝起床困難、気分不良、失神や失神様症状、頭痛など。症状は午前中に強く午後には軽減する傾向があります。・症状は立位や座位で増強し、臥位にて軽減します。・夜になると元気になり、スマホやテレビを楽しむことができるようになります。しかし重症では臥位でも倦怠感が強く起き上がれないこともあります。・夜に目がさえて寝られず、起床時刻が遅くなり、悪化すると昼夜逆転生活になることもあります。実はこれらの症状は、生活習慣の乱れや、不登校でも起きうる症状です。そのため、体の病気ではなく気持ちの問題だと誤解されることが多くあるのです。日本小児心身医学会が定めたガイドラインでは、起立性調節障害の診断方法が定められています。1)立ちくらみ、失神、気分不良、朝起床困難、頭痛、腹痛、動悸、午前中に調子が悪く午後に回復する、食欲不振、車酔い、顔色が悪いなどのうち、3つ以上、あるいは2つ以上でも症状が強ければ起立性調節障害を疑います。2)鉄欠乏性貧血、心疾患、てんかんなどの神経疾患、副腎、甲状腺など内分泌疾患など、基礎疾患を除外します。3)新起立試験を実施し、以下のサブタイプを判定します。(1)起立直後性低血圧(軽症型、重症型)(2)体位性頻脈症候群(3)血管迷走神経性失神(4)遷延性起立性低血圧起立性調節障害が疑われる場合、まずは他の病気が原因になっていないかを調べる必要があります。貧血や心臓の病気などでも、立ちくらみなどの似たような症状を起こすことがあるためです。病気の有無を調べるためには、血液検査やレントゲン検査、超音波検査などが必要に応じて行われます。この時点で原因となっている病気が分かれば、適切な治療を行うことで改善する可能性があります。他の病気でないことが分かった場合、起立性調節障害と確定するために新起立試験が行われます。新起立試験とは、起立前後の血圧や心拍数がどのくらい変化するかを見る検査のことです。この変化の度合いによって、起立性調節障害の中でどのサブタイプに属するか、重症度はどのくらいかを見ることができます。起立性調節障害の4つのタイプ新起立試験によって分類されるサブタイプは4つあります。それぞれのサブタイプについて、以下で説明していきましょう。起立直後性低血圧は、立ち上がった直後に血圧低下や血圧回復の遅れが見られる状態のことを言います。通常、人間は立ち上がったときの血圧低下を予防するため、交感神経が活発になってノルアドレナリンという物質が出るようになっています。しかし、起立性調節障害の子どもは、このノルアドレナリンの分泌量が少ないために、血圧を維持することができないのです。起立直後性低血圧と診断する具体的な値として、以下のような条件が定められています。・起立後血圧回復時間≧25秒または、・起立後血圧回復時間≧20秒かつ、非侵襲的連続血圧測定装置で求めた起立直後平均血圧低下≧60%軽症型の場合は、起立中に徐々に血圧が回復していきますが、重症型の場合は血圧低下が一定時間持続すると言われています。体位性頻脈症候群の場合は、立ち上がるときに血圧低下が見られません。その代わり、心拍数に著しい増加が見られるのが、体位性頻脈症候群です。立ち上がったときに、下半身に血液がたまっていると、上半身の血液量が少なくなるため、心臓の動きは遅くなります。この動きを維持しようとするため、心拍数が速くなってしまうのです。具体的な数字としては、以下のように定められています。・軽症〜中等症: 起立時心拍数≧115または心拍数増加≧35・重症: 起立時心拍数≧125または心拍数増加≧45起立直後性低血圧や遷延性起立性低血圧といった、別のサブタイプと合併していることもあります。血管迷走神経性失神は、起立中に突然血圧が下がって意識レベルが下がったり、意識を失ったりする状態を指します。立ち上がったときに、静脈を流れる血液量が少なくなって、心臓が激しく動くようになると、反射的に自律神経が興奮し、活動を止めてしまうことがあります。その結果起こるのが、血管迷走神経性失神なのです。ひどい場合には、心停止することもあるとされています。軽症であれば、約4割の人が大人になるまでに経験すると言われており、治療をする必要がないことも多いです。しかし、起立直後性低血圧や体位性頻脈症候群と合併していることもあり、その場合には治療が必要となります。遷移性(せんいせい)起立性低血圧は、起立直後の血圧や心拍数は正常であるものの、3〜10分たってから血圧低下(収縮期血圧が横になっているときの15%以上、あるいは20mmHg以上の低下)が見られるというものです。軽症であれば日常生活への影響は少ないものの、中等症ではやや影響が見られるようになり、重症ではほぼ毎日支障をきたすようになります。起立性調節障害の多い年代出典 : 起立性調節障害は、思春期特有の病気と言われています。発症する年齢は10〜16歳が多く、小学生の約0.5%、中学生の約10%にこの病気があるとされています。男女比で見ると女子の方が多く、男子よりも1.5〜2倍多いです。出典:起立性調節障害(OD)|日本小児心身医学会起立性調節障害の合併症出典 : 起立性調節障害の合併症としては、以下のようなものが挙げられます。・身体面: 睡眠障害、ときに痙攣を伴う失神、著しい頻脈・心理面、行動面:: 集中力や思考力の低下、日常生活の活動量の低下、長期間にわたる欠席また、発達障害のある子どもが起立性調節障害を発症することも少なくありません。発達障害のある子どもは、ストレスを感じやすい傾向があると言われています。これが原因で自律神経に影響を及ぼし、起立性調節障害を起こしやすいと言われています。起立性調節障害と似た病気出典 : 起立性調節障害と似た症状が現れる病気がいくつかあります。その中から、「うつ病」と「脳脊髄液減少症」についてご紹介します。起立性調節障害では集中力の低下や活動量の減少などが見られるため、しばしば心の病気=うつ病と診断されることがあります。しかし、うつ病は昼夜問わず無気力などの症状があるのに対して、起立性調節障害では夜になると元気になるという傾向があります。起立性調節障害ではなくうつ病だと診断された場合、抗うつ薬の服用によって起立性低血圧が起きてしまうこともあり、症状が悪化する可能性もあります。起立性調節障害と間違えられやすい病気として、脳脊髄液減少症も指摘されています。脳脊髄液減少症とは、脳や脊髄のまわりにある脳脊髄液が、何らかの原因で漏れることを言います。脳脊髄液が減少すると起こる症状の中に、起立したときの頭痛やめまい、血圧・脈拍の異常などがあります。このような症状があることから、起立性調節障害と間違えられやすいのです。発症する原因には、交通事故でのむち打ちといった外傷などがありますが、原因不明な場合も少なくありません。病気としてはまだ広く知られておらず、発見されるのに時間がかかることも多いようです。起立性調節障害が疑われるとき、病院はどこを受診したらいい?出典 : 起立性調節障害は思春期特有の疾患であることから、診察は主に小児科で行われています。診断は、日本小児心身医学会が定めたガイドラインに沿って行われます。ただし、サブタイプを診断するために必要な機械が備わっている医療機関は、まだ全国でも数ヶ所しかありません。そのため、機械がない医療機関では簡易的な方法を用いて検査を行っています。診断か可能かどうか、事前に医療機関に確認してみても良いでしょう。起立性調節障害は治るの?出典 : 起立性調節障害は、軽症であれば適切な治療によって2〜3ヶ月程度で改善すると言われています。しかし、中には学校生活や日常生活に支障をきたす重症例もあり、その場合は社会復帰に2〜3年以上という長期間を要することもあります。起立性調節障害の治療と対処法出典 : 起立性調節障害の治療と対処法は、大きく以下の4つに分けられます。・疾病教育・非薬物療法・学校との連携・薬物療法これらに加えて、必要に応じて心理療法が行われることもあります。それぞれの内容について、以下で具体的に見ていきましょう。起立性調節障害を治療する上で重要なポイントは、本人と保護者が「起立性調節障害は体の病気である」と理解できることです。本人がいくら不調を訴えても、保護者が「夜更かしするからだ」「なまけているだけだ」として叱ったり、無理やり起こそうとすることも多く、親子関係が悪化している場合も少なくありません。まずは、起立性調節障害がどのような病気なのか、治療して改善するには時間がかかることなどを説明します。本人と保護者が治療が必要であることを理解した上で、正しい治療が行えるようにしていきます。起立時に症状が起こる起立性調節障害では、日常生活の中で動作や食事に気をつけることで、症状を起こしにくくすることができます。▪️体を起こすときの動作に注意する寝た状態や座った状態から急に立ち上がると、脳の血流が一気に低下して気分不快などを生じやすくなるため、ゆっくりと体を起こすようにします。特に、朝は脳の血流が悪い状態なので、注意が必要です。頭を起こさず、下げた状態でゆっくりと立ち上がることが大切です。▪️水分と塩分をしっかりととる水分摂取量が少ないと、体の中の血液量が少なくなり、血圧を維持することが難しくなってしまいます。塩分は通常であれば控えた方が良いとされていますが、起立性調節障害の子どもは塩分摂取量が少ない傾向にあります。塩分を摂取すると体は水分を維持しようとするため、血圧低下を防ぐことができるとされています。水分は1日1.5〜2リットル、塩分は1日10〜12gを目安に摂取します。▪️生活リズムを整える起立性調節障害の子どもは、朝起きられないために起床が遅くなり、寝る時間も遅くなりがちです。寝る時間が遅くなりすぎないよう、毎日23時には布団の中に入るようにしましょう。できるだけ入眠しやすくなるよう、環境を整えることも大切です。寝る前には早めに部屋の明かりを落としたり、朝は早い時間にカーテンを開けて、日光に当たるようにします。▪️適度な運動を行う毎日の適度な運動も、起立性調節障害を治療する上で大切です。筋力が低下すると血圧が下がりやすくなるほか、自律神経のバランスを崩しやすくなって、症状が悪化してしまいます。▪️暑い場所を避ける気温や室温が高いと、血管が広がって血圧が下がりやすくなります。さらに汗をかくと体内の水分が少なくなり、より症状を悪化させてしまいます。外にいる場合は日影にいるようにしたり、空調を調節したりといった工夫をするようにします。起立性調節障害と診断された場合、学校との連携も大切なポイントです。教師も起立性調節障害について十分な知識がないために、「なまけている」「気の持ちようだ」と思われてしまうことも少なくありません。起立性調節障害は体の病気であること、いつ体調不良が起きてもおかしくないことを理解してもらい、子どもが適切なサポートを受けられるよう、協力を仰ぎましょう。学校側に依頼する具体的なサポート方法としては、以下のような項目が挙げられます。・体調不良が起こったときには速やかに横にする・静止した状態での立ちっぱなしの姿勢を3〜4分以上続けない・暑さは避け、水分補給を欠かさないようにする・登校する時間は本人の体調に合わせるようにする・登校を促すために、教師やクラスメートが迎えに行くことはストレスとなる可能性があるので、本人と保護者の希望を聞く・欠席が何日も続くようなときは、毎日の連絡は保護者の負担になることがあるため、行ける日の朝に連絡をするようにする適切なサポートをすることで、起立性調節障害を持つ子どもの精神的な負担は軽減することができます。実際にどのようなサポートを依頼するかについては、担当医とも相談して、学校側に伝えると良いでしょう。薬を使った治療は、非薬物治療を行った上で進めていきます。起立性調節障害の治療に使用される薬にはいくつか種類があり、ガイドラインではサブタイプごとに適した薬剤が掲載されていますが、効果は個人差があるので、必ずしもこれでなければならないというわけではありません。薬の種類は、主に以下のようなものがあります。・ミドドリン塩酸塩: 血管を収縮させて、血圧を上げる薬。起立直後性低血圧と対位性頻脈症候群の第1選択薬・アメジニウムメチル硫酸塩: 交感神経の機能を亢進させる薬。副作用として、起立時に頻脈を起こすことがある・プロプラノロール: アドレナリンなどの作用を弱め、心拍数を低下させて、血管を収縮させる薬。起立性調節障害では、対位性頻脈症候群だけに使われる効果が現れるまでに1〜2週間かかることもあるため、その点を子どもにも理解できるように説明しておきましょう。ミドドリン塩酸塩アメジニウムメチル硫酸塩プロプラノロール塩酸塩子どもが起立性調節障害と診断されたら、どんなことに気をつけたらいい?出典 : もしもご自身の子どもが起立性調節障害と診断された場合、まず気をつけたいのが「平常心を保つ」ことです。起立性調節障害の治療には時間がかかるため、「どのくらいで良くなるのか」「学校に行けるようになるのか」など、保護者が不安になってしまうことも少なくありません。起立性調節障害は体の病気であると分かっていても、不安を感じることはあると思います。しかし、不安から子どもを叱ってしまったり、イライラした気持ちを表に出したりしてしまうと、子どもとの関係が悪くなってしまうかもしれません。まずは平常心を保つという心構えを大切にした上で、日常生活のサポートをしていきましょう。毎日の生活の中では、起立性調節障害の治療の中で説明した、「非薬物療法(日常生活における注意点)」を工夫して行っていくことが大切です。起立性調節障害の子どもは朝起きるのが苦手なので、生活リズムの改善は難しいことが多いです。すぐに改善することはできないと理解した上で、子どものサポートを行っていきましょう。また、家族全体でルールを共有し、一定の生活パターンを送ることも有用です。テレビを見る時間を決める、夕食は全員で食べるなど、家族と話し合って可能なものからルールを作ってみると良いでしょう。それらの生活パターンが、子どもの体のリズムにも良い影響を与えてくれます。起立性調節障害を持つ子どもは、脳の血流量が少なくなっているため、授業に集中できずに学力が低下したり、欠席が続くと授業に遅れてしまうこともあります。起立性調節障害の場合、夕方から夜は比較的元気に過ごせることも多いです。学業面が心配な場合、学校に放課後の補習をお願いしたり、塾や家庭教師を活用したりしても良いでしょう。起立性調節障害の子どもをサポートする上で、子どもに無理をさせないこと、家族でしっかりと話をすることも大切なポイントです。保護者が良かれと思って、朝無理に起こしたり登校を促したりすることが、反対に子どものストレスとなってしまうことも考えられます。また、保護者が心配しすぎないようにしましょう。起立性調節障害の治療には時間がかかりますし、考えすぎると保護者も精神的に疲れてしまいます。治療やサポートは、子どものペースに合わせて進めていくことが大切です。まとめ出典 : 起立性調節障害は、気持ちの問題だと誤解されやすい病気ですが、体の病気です。人によっては治療が必要なこともあり、回復するまでに時間を要することも少なくありません。病気そのものの認知度もまだ低いため、起立性調節障害と診断されずに、苦しい思いをしている子どもや保護者も多くいると考えられています。適切な治療をすることで、起立性調節障害の症状は改善する可能性があります。もし該当する症状や心配な症状があるようであれば、診断が可能な小児科のある医療機関を受診してみてはいかがでしょうか。起立性調節障害(OD)|日本小児心身医学会
2018年07月22日夏休み、親子で「トークンエコノミー」やってみませんか?出典 : いよいよ夏休み。長い休み中だからこそできることに挑戦したい、お手伝いや宿題などに継続的に取り組める習慣をつくりたい。でもいざ「お花に水をあげる」「絵日記を毎日書く」などと目標を決めても、なかなか続かず、結局三日坊主に終わってしまう…気づけば子どもを口うるさく注意して険悪に…そんな経験をする親子も多いのではないでしょうか?そこで、発達ナビでは、親子で楽しく取り組める、トークンエコノミーシステムをご紹介します。目標を立てて取り組み、できたらごほうびと交換できるという仕組みです。「できた!」が見える化されやすい方法なので、発達障害のある子にとっても取り組みやすく、療育現場などでも広く取り入れられています。今回のコラムでは、発達ナビ特製の「トークンシート」もダウンロードできます。ぜひ、この夏、親子で取り組んでみませんか?トークンエコノミーの仕組み出典 : トークンエコノミーシステムは、自己コントロールを育てるほめ方のひとつです。望ましい行動を促すために、ごほうび(報酬)を利用するという方法で、事前に本人と目標や課題を決め、その課題ができたらシールをあげたり、スタンプを押してあげたり、ポイントをあげます。そしてポイントを集めると好きな活動やものと交換できるシステムです。トークンエコノミーの仕組みはいろいろなところで取り入れられています。例えば、お店で買い物するとスタンプが1つもらえ、10個貯まると景品と交換してもらえるといったポイントカードもその一つです。Upload By 発達障害のキホンお店にとっては、ポイントカードによって「商品を買ってもらう」という望ましい行動を促します。ここで大切なのは、「努力に見合う」と感じ、ご褒美をあげる側と取り組む側が合意できることです。つまり望ましい行動をした結果がお客さんに取っても嬉しいごほうびであること、そしてその課題や回数が「頑張ればできそう!」と感じられることです。もらえるものがうれしくない、欲しくないものだったら初めから取り組もうとしないかもしれません。また、あまり行かないお店なのに、スタンプを100個集めなくてはならないとなると、途中で挫折してしまう、ということもあるでしょう。ですが、上手に目標と報酬が設定できれば、次第にポイントを集めること自体が楽しくなって、気づけばお店に行くのも習慣になっている、という経験のある人もいるのではないでしょうか?子どもと取り組むトークンエコノミーシステムも、このポイントカードと同じような仕組みです。最終的には、トークン(ごほうび)がなくても、その行動ができるようになることを目指します。トークンエコノミーシステムのメリットは?出典 : ・結果がシールやスタンプなどで見える化でき、できたことに着目しやすい・目標と、目標までの見通しがたてやすい・その場でご褒美にするものや活動がなくてよい・シールやスタンプを集めること自体も楽しめるので継続しやすいなど目標に向かって一定期間頑張ること、セルフコントロールや達成感が得られやすい方法です。ポイントをためてご褒美と交換するシステムなので、行動の直後にご褒美がなくても見通しを持って努力し、達成することを経験から学べます。この経験は、例えば大人になった時に給料の仕組みを理解しやすくなるなど、将来のセルフコントロールにもつながります。例えば「お菓子を毎回買ってあげるのはちょっと…」というときなど、子どもとスモールステップで課題に取り組んでいると、ご褒美(強化子)を毎回提示することが難しいこともあります。そんな時は「10回できたらお菓子」というポイント制は便利です。また、夏休みなどで目標を決めてじっくり取り組みたい機会や、特に頑張りたいことがある時は、決まったご褒美(強化子)以外のちょっと特別なご褒美を設定することで、より継続しやすく、頑張れる場合もあります。トークンのやり方&ポイント発達ナビオリジナルのトークンシートは5回分と10回分の2種類あります。子どもの目標設定にちょうどいい方を選んで、下記のリンクからダウンロードし、プリントアウトしてください。Upload By 発達障害のキホン「約束したことができたらシールが1枚貼れるよ。シールが貯まったら、ご褒美と交換できるよ。やってみない?」など、トークンエコノミーシステムについて説明します。子どもと何に取り組むかと、何回でご褒美と交換できるかを決めます。目標は具体的な行動にします。(いい例)「朝、起きたら顔を洗う」(悪い例)「いい子になる」シートの貼るスペースは5回と10回で作成してありますが、回数は減らしても大丈夫。回数を増やす場合は「トークンシートを5枚貯めたら交換」などとしても良いでしょう。いずれも保護者が決めて押し付けることのないよう、話し合って一緒に考えると良いでしょう。子ども自身が納得してチャレンジすること、その子にとって適切な課題設定をすることがモチベーションと達成感を両立させます。そこで、最初は好きな活動に取り組んだり、回数も初回や難易度の高い課題の時は少なめの回数にしたり、簡単にご褒美がもらえるようにすると「頑張れば交換できる」という仕組みがより理解しやすくなるでしょう。1つできた印を何をするか、ご褒美は何がいいかなども、子どもが選ぶようにし、親子で合意しながら決めます。ポイントは、少し頑張ったらできる回数にすること、子どもにとって嬉しいご褒美にすることです。できた印もモチベーションとして機能するように、好きなキャラクターのシールにしたり、子どもが自分でスタンプを押したり、その子が楽しく取り組めるものを工夫するとよいでしょう。トークンシートに約束を書き込み、子どもと一緒に取り組みます。シートは見えるところや課題に取り組む場所の近くに貼っておくとよいでしょう。できた時はできるだけその場ですぐに具体的に褒めます。シールなどを子ども自身に貼ってもらいます。決めた回数がたまったら、ご褒美と交換します。達成できたら、目標や強化子、回数を変えてチャレンジしましょう。「朝、顔を洗う」から「朝、顔を洗って歯磨きをする」へなど、習慣化しながら無理なくステップアップできると良いですね。うまくいかない時はどうすればいい?出典 : トークンエコノミー法に取り組んでも、三日坊主で終わったり、続けられなかったりする時は、何が原因なのでしょうか?以下の視点で、目標設定が適切かどうか、子どものモチベーション付けができているかチェックしてみましょう。・課題の難易度は難しすぎ、あるいは簡単すぎないか?・保護者がしてほしいことを、子どもの同意なく押し付けていないか?・ご褒美は子どもにとって嬉しいものか?・飽きずにモチベーションが維持できる回数を設定しているか?・強化子をあげるタイミングができた時から時間が経ち過ぎていないか?・「毎日●●する」など一度失敗すると続かない目標設定にしていないか?目標設定が適切でも飽きてしまっている場合、「●曜日にできた時はじゃんけんして、勝ったらポイント2倍!」などと決めて、ゲーム要素を盛り込むと、楽しめる場合もあります。また、「できた時に褒める」「達成感を感じる」ことも大きなモチベーションになりますので、思いっきり一緒に喜びましょう。親子で「やったね!」「できた!」が見える夏休みにしよう出典 : トークンエコノミーシステムは、親子で楽しみながらモチベーションを維持するのにぴったりの方法です。ぜひ、発達ナビのトークンエコノミーシートをご活用ください。夏休みに頑張りたいことを親子で話し合い、「できた!」の瞬間を一緒に喜べるチャンスをたくさんつくりましょう!
2018年07月21日これって普通じゃないの?社会人になってから気づいた兄弟仲の良さ出典 : 先日、突然弟から連絡がありました。弟は昔から自分が好きなことに周りを巻き込んで楽しむタイプで、今回も急に何かを思いついて私に連絡してきたようでした。よくよく話を聞いてみると、近いうちに兄の誕生日があるので、それに合わせてプレゼントを贈りたい!ということでした。兄は流行りものにはまったく興味がなく自分が好きなことに黙々と取り組むタイプだったので、プレゼントの選定はかなり迷いました。いろいろと話し合った結果、私も弟もワインが好きだったので「兄にもワインを好きになってもらおう!」ということになりました。そして私はワイングラスとソムリエナイフを、弟はワインをそれぞれ購入してプレゼントしました。兄は突然送られてきたプレゼントに驚いたようですが、後日「おいしく飲んだよ」という連絡をくれました。そんなことを会社の同僚に話してみたところ「きみの兄弟はずいぶん仲がいいんだねぇ。私なんてもうずいぶんプレゼントなんて贈っていないし、たまに帰省したときに顔をあわせてもお互い好きなように過ごしているよ」と言われました。それほど特別なことをやっていたつもりはなかったのでかなり驚きました。これまで特段に仲が良いと思ったことがなかったのですが、今のような私たちの関係ができたのは「人と比較されないで育った」ことがポイントだったのではないかと思い始めてきました。「周りの子と比べてこの子は…」と言われなかった環境出典 : 私の実家は新興の住宅街だったので、近所には同年代の子どもがたくさん住んでいました。運動が得意な子や勉強が得意な子などいろいろな子がいましたが、両親は「その子たちと比べてうちの子は…」ということはまったく言いませんでした。例えば、私が小学生で不登校になったころ、両親はきっと「どうしてうちの子だけ学校にいけないんだろう」と何回も思っんじゃないかなあと今も想像します。ですが、実際にそういうことを言われたことは一度もなかったのです。また、「兄弟がちゃんと登校してるのになんでお前はできないんだ!」と兄弟を引き合いに出すこともありませんでした。ところが何回か「兄弟全員がそろって登校するところを見てみたいなぁ…」と言われたことはありました。それを受けて、数日だけ登校した記憶があります。その日の夜は両親とも、とてもうれしそうでした。もちろん学校に行くことは当時の私にはとても強いプレッシャーでした。でも、人と比べられている訳ではなかったので、行ってみようという気になったのかもしれません。耳が痛い忠告をしてくれた両親出典 : 高専に入ったとき、私はとにかく自分が好きなプログラミングだけに夢中になっていました。将来のために何か資格を取ろうなんていう気もさらさらありませんでした。一方で、兄は高校に通う間に10以上の資格を取っていました。ここでも両親は「お前は資格とらないんだ?お兄ちゃんはいっぱいとってるよ!」という話はまったくしてきません。その代わり、成人してから数十の資格を取った父から「大人になってから資格を取るのはとても難しいから、今のうちに取っておいたほうがいいよ」と言われました。苦労した経験がある父からそう言われたことで、私は少し危機感を持ちました。おかげで、すぐに資格勉強にも取り組むようなったのです。その結果、卒業するまでに情報系の国家資格をいくつか取ることができました。弟が同じ高専に入ってから1年目にして留年しそうになったこともありますが、やはり両親は私と比べたりはしませんでした。とは言え、留年しそうな状況を簡単に認めるのではなく「留年した分まで学費を払うのはうちの家計では難しいよ」という忠告をしていました。(この顛末は以前コラムにも書かせていただきました)両親の私たちへの接し方は、誰かと比較することで「負けず嫌い」な気持ちを刺激したり、やる気を出させようというのとはちょっと違います。自分たちがかつての経験から得た教訓のようなものや、私たちが置かれている状況がどうなのかを教えてくれていました。そして3人の息子に同じように接してくれていたのは、私たちの兄弟関係にも良い影響があったのではないかなと考えています。ケンカをしない兄弟関係をつくった『鉄の掟』出典 : 兄弟は、それぞれゲームと漫画が大好きでした。好きなものが同じだと取り合いになったりコントローラ争いになったりと、ケンカになりそうなイメージがあるかもしれませんが、私たち兄弟の間ではほとんどケンカになりませんでした。ゲーム時間に関しては兄弟間で「前日長く遊んだ人は1日我慢すること」という鉄の掟がありました。これは兄弟の間で自然に生まれたルールで、「昨日も今日もゲームしてたら不公平だよね!」という考えでいつの間にかできあがっていました。兄弟の中では私が一番せっかちで短気だったので、よくルールを破ってゲームを占有しようとしていたのですが(笑)兄弟のどちらかから「昨日ずっとやってたじゃん!」と言われるので、渋々譲っていました。当時の私はこの掟に従わないと他の兄弟も従わなくなって、その都度ケンカになったりしたら結局自分のゲーム時間が減ってしまうという思いがありました。長い目で見たら今は譲った方がいい、と判断していたのです。「我慢する」だけじゃない選択肢を自分で持ち、家でできないときには、友達の家に遊びに行って延々ゲームをするか家で攻略本を延々と読んで過ごしていました。弟もよく同じようにしていたと思います。順番待ちの間は攻略本を読むのがそれぞれ定番だったので、誰かがつまずいたら他の2人に相談したり、手本を見せてもらったり協力することもできていました。ケンカのもとになりそうなゲームですが、鉄の掟のおかげでコミュニケーションツールになっていたのかなと思います。互いに競わない関係の蓄積が、大人になっても仲が良い秘訣に出典 : 私が大人になって発達障害の診断を受けたときも、兄弟それぞれ自分もそうかもしれないと関心を持ったらしく各々でいろいろと調べているようでした。診断がついた後も、家族の関係は子どものころからそれほど変わっていません。それに今でも、誰の給料が高いとか誰のほうがいい家に住んでるとか比較するような話はまったくしません。というか兄弟全員そんなことに興味がないのだと思います。もしかしたら特殊な例なのかもしれませんし、私たち兄弟の気質によるものもあるとは思いますが、お互いに競争しない関係が築けたから、いまも仲が良いのかなと思っています。
2018年07月19日こどもと見つけた小さな発見日誌
育児に遅れと混乱が生じてる !!
ムスメちゃんとオコメちゃん