夫に聞いてみた。発達障害育児、パパとしてのホンネって?広汎性発達障害の娘を育てる私たち夫婦。これまで子育てと療育を話し合い、協力しあってきましたが、実は夫の気持ちについては面と向かって聞いてこなかった…そうだ、質問してみよう!と思い立った私。前回、冷静に見えた夫が実は不安な気持ちでいたことに初めて気づきました。それを前向きに変えるために、いろいろ考え、子どもにも私にも心がけていたことがあることも…じゃあ、あの時は、あのことはどう思っていたんだろう?この際、気になったこと、夫にどんどん聞いていきます!Q.広汎性発達障害の診断がついた時、どう思った?まずは、娘の診断について。私は最初から、グレーンゾーンでどっちつかずな状態が中途半端で嫌だったので、「診断名がつくなら早くついてほしい」と思っていましたが…。Upload By SAKURA発達障害とは思っていたけど、どのタイプの発達障害かはわからなかった夫。正式に病名がついて、この発達障害について自分自身も調べることができ、娘の「できる」「できない」の理由も分かったので、診断がついて良かったと思ったそうです。私も、診断名がついた時、これからのことに身が引き締まる思いだったので、夫以上に「良かった」と感じていました。Q.特別支援学級への進級についてどう思った?娘は小学校入学時に通常学級に進学しましたが、昨年から特別支援学級に通うことになりました。娘の学び成長する大切な場所。在籍の変更にあたっては、夫婦であれこれ悩み…学校と話し合いもしました。Upload By SAKURA「娘が対象かもしれない」となった時、特別支援学級のことをどういう場所なのか、夫婦でいろいろ調べました。特別支援学級の、正しい現状を知ってからは、いいところばかりが見えてきました。特別支援学級に進級したことで、娘は…書けなかった作文が特別支援学級の先生の手助けで書けるようになったり、先生からの口頭の指示が、先生と一対一になることで聞き取れるようになったり、できることの幅も広がったので、今はとてもいい判断だったと思っているそうです。Q.娘の苦手(コミュニケーション・言葉)について、どう思っている?Upload By SAKURA言語や、相手の状況を考えて判断することが苦手な娘。娘自身も「自分がしゃべることが苦手」だということを知っているので、娘が苦しむ姿を見るのは心が痛くなるのだそうです。と、同時に、娘の将来のために、今、苦手にしている部分を少しでも克服できるよう、私たちでできる限りのことをしておこうと改めて思うそうです。Q.二人目ができた時、不安はあった?私たち夫婦には娘の他に2歳になる長男がいます。二人目の妊娠時、私は…「赤ちゃんの泣き声が苦手なあーさんは、大丈夫だろうか…」「あーさんの療育の時間、ちゃんと取れるだろうか…」と不安たっぷりでした。夫はどう思ってたのでしょうか?Upload By SAKURAしかし夫は、不安はなかったようです。逆に2人目ができたことで環境が変化するので、その刺激で、更に娘が成長できるのではないかという期待をしたといいます。夫婦で分かっているようで、初めて知った夫の気持ち。「パパに質問」意外といいかも♡今回、普段しないいろんな質問をし、夫が過去に思っていたこと…今思っていること…を知りました。聞きながら、そしてコラムを書きながら、正直泣きそうでした。療育に協力的なだけでなく、夫の考え方は、私よりはるかに進んでいるところにあると分かりました。私はこの夫がいなければ、娘の療育に積極的に取り組むことはできないでしょう。毎日、朝から夜まで仕事をし、子どもたちと遊んでくれる。私が娘のことで悩んだ時は、私の気が済むまで話を聞いてくれ、私が娘とぶつかった時は、仲裁に入ってくれる。夫は夫で思うところがあっても、私たちのために明るく振舞ってくれる。娘の発育の遅れが発覚してから、わが家が一度も暗くならなかったのは、いつも明るい夫のおかげだと、私は思っています。ただ夫が、わが子の障害を認め、寄り添ってくれるだけで、どんなに力になったか…Upload By SAKURA夫を改めて見直したのでした(笑)
2019年04月10日夫に聞いてみた。発達障害育児、父親のホンネって?広汎性発達障害の娘を育てる私たち夫婦。これまで子育てと療育を話し合い、協力しあってきましたが、実は夫の気持ちについては面と向かって聞いてこなかった…そうだ、質問してみよう!と思い立った私。前回、娘の障害に気づくまでのことを聞いたところ、実は母親の私よりも先に気づいていたと、初めて分かりました。そしてそのことを言わなかったのは、私のことを考えてくれていたからだったのです…。夫婦でも、聞いてみないと分からないこと、あるなあ…と再発見した私。第2弾では、父親としての気持ちについて突っ込んで聞いてみました!Q4.娘の今後について、不安はあった?Upload By SAKURA聞いてみると、夫は父親として、娘の将来にかなり不安があったそうです。それは、この障害に対しての情報が無さ過ぎたからでした。私は…夫が不安を抱えていることに、恥ずかしながら、まったく気がつきませんでした。夫はいつも明るく、話もよくするタイプですが、基本的にネガティブな感情は外に出しません。娘の発達障害が分かってからもそれは変わらず、騒ぐのはいつも私で、夫はいつも冷静に私たちを見守ってくれていました。見た目には冷静であっても、心の中にはいろんな不安を抱え、それを自分の中に留めている夫。それは、私の不安を煽らないようにという、気づかいだったのかもしれません。Q5.わが子の療育に、腰が引けてしまう…ということはなかったの?Upload By SAKURA確かに…世の中には、障害に対して情報があまりなく、ネガティブなイメージがかなりあります。情報が少ないと腰が引けてしまう人もいるんじゃないかと思います。ただ…夫の場合、子どもの未来を考えたら、そんな感情はゼロとまではいきませんが、それに近いぐらい、どうでもよくなったそうです。それは「どれだけ早く、長く療育に取り組めるか」が重要だと思っていたからです。"障害を治す特効薬"と言うのは無く、時間をかけて、心(精神)と知識を育くんでいかないといけない、そんな風に思っていたのだと…。だからこそ「腰が引けてる場合じゃない!」「早く動かないと!」という気持ちが強く出てきたといいます。夫は、娘のことや療育のことで動く時、ネガティブなことはあまり考えないようにしているそうです。Q.「理解したり、自分ごととして考えるのが難しい…」と感じるパパもいるみたいだけど、夫の場合は?Upload By SAKURA父親と言う立場から考えると、子どもと少し距離があるお父さんもいるのかな~と感じるそうです。仕事で忙しく、夜遅く帰ってきて起きている子どもに会えなかったりすることもその原因かもしれません。夫の場合は、娘とよく遊んで、遊びながら行動を見るようにしていました。仕事で忙しい時は遅く帰ってからも、昼間、娘を一人で見ている私の話を、よく聞くように意識していたそうです。発達障害の特性ゆえに、いつも娘が苦手な言語関係やコミュニケーションに苦しむ姿を母親である私から見聞きしていたので、常に自分のことのように真剣に考えてくれていました。今回の質問で、子どもラブ♡な夫の秘密がちょっと分かった…(笑)第3弾では、さらに突っ込んで、これからのことについても聞いちゃう予定です!お楽しみに!Upload By SAKURA
2019年03月27日子育てをする中で、母親と父親の関わり方や考え方は違う?発達障害の子にとって、親の理解と協力は不可欠です。その子の特性を理解し、療育に取り組むことが重要になってくるからです。とは言え、実際、育児をしている母親の方が負担が多いのが現実…。普段仕事をしている父親は、子どもと関わる時間も少なく、つい楽観視してしまうのかもしれません。子どもの特性や、母親の負担を理解するのが難しい、そんな話も聞きます。Upload By SAKURAうちの夫は、そこのところ(妻の私が言うのはなんですが…)完璧です。わが家の場合、どうして発達障害を理解できたのか…療育に協力的になったのか…夫に聞いてみました。Q1.娘の発育遅れがわかった時、どう思った?Upload By SAKURA初めて発育の遅れを指摘された時、夫は驚かなかったそうです。Q2.どうして驚かなかった?Upload By SAKURA昔、接してきた子どもたちとは少し違う行動をしていたので、気になり、行動パターンをネットで調べた夫。障害のある子どもたちと似ている行動だったので、薄々「障害があるのではないか…」と感じていたといいます。それを聞いて、「知らない間に、この人はこの人で悩んでいたんだ…」と、私は気づけなかったことを少し申し訳なく感じました。Q3.妻が動揺して、落ち込んでる姿を見てどう思った?Upload By SAKURA夫が、娘の障害に気づいた時、私に相談せずに黙っていたのは「医者による正式な診断結果が出るまでは、余計な事を言って落ち込ませたくない」という思いからだったのです。娘の障害の可能性に悩みながら、私のことを考えてくれていた夫。素直に嬉しく思いました。Upload By SAKURA次回に続きます。
2019年03月13日発達障害のある長女と5歳年下の長男、どこが違う?広汎性発達障害のある7歳(小2)の娘には、2歳の弟がいます。おしゃべりも上手で、着替えや食事といった自立も早い息子。5歳の歳の差がある二人ですが、息子がすごい勢いで娘に追いつきつつあります。同じことを何度も教える必要がある娘と、気がついたらできるようになっている息子…。Upload By SAKURA何故ここまで違うのか…普段の過ごし方に、何か基本的な違いがあるのではないか…そこから娘に何か活かせることはないか…。そう思い、現在7歳の娘と、2歳の息子の違いを、よく観察してみると、あることに気がつきました。マイワールド全開な娘、一方息子は?普段娘は…Upload By SAKURA目線は、テレビや本、ゲーム機にあり、用事があるときか、呼ばれた時しか私のことを見ません。さらに、何かを教えている時も私の手元を見ていなかったり、違う方を見ているので、「こっちを見ないとわからないよ?」と促さなければいけません。一方息子は…Upload By SAKURAテレビがついている時も絵本を読んでいる時も、私をチラチラ確認していて、私が何かを始めると「なにしてるの?」と聞いてきます。そして私の動きをじーっと見つめるのです。そうやって息子は、吸収しているのです。わからない言葉に出会った時、二人の反応はさらに言葉に関しても二人には大きな違いがありました。Upload By SAKURA娘は、質問しても聞くまでで満足しているのか、私の答えをほとんど聞いていないことがあります。結局、教えた言葉は使うことはなく、その後もまた同じことを聞かれることもよくあります。Upload By SAKURA一方息子は、教えた言葉を必ず繰り返し、その説明を最後まで聞きます。そして教えた言葉を、不確かな状態でも使おうとします。そこで私がまた訂正して教えることで、息子はどんどん言葉を覚えていくのです。コミュニケーションが苦手な娘に、ちょうどいい見本娘は、人とのコミュニケーションや言葉が苦手な特性があります。自分以外の人の動きに目を向けないのも、説明を最後まで集中して聞くことができなかったり、教えた言葉をなかなか覚えられないのも、その特性からくるところなのでしょう。それは十分理解している私ですが、だからと言ってこのままでいいというわけではありません。他の人がなぜ、色んなことを自分よりも覚えるのが早いのか…それを意識させ、学ばせる必要があります。その他の人…として、身近で、ちょうどいい見本になるのが息子です。Upload By SAKURA今はなるべく意識して、息子の行動を見せるようにしています。「あぁ!そうやるんだ!」と思ったり「悔しい!私もできるようになりたい!」という気持ちが生まれたり、少しでも成長する刺激になるかもしれない…と思ったのですが…きっといい影響がある!今はきょうだいの成長が楽しみ今はまだ、弟の行動を見ても悔しいという気持ちにはならない様子の娘。これからどんどん息子の言葉が成長して、もしかしたら娘の言語能力を追い抜く日も来るかもしれません。でも私はその日が怖いとは思っていません。私は、息子の存在はきっと、娘に必ずいい影響を与えてくれると信じています。だから、追い抜かれそうになった娘がその時どう感じるのか、ちょっと期待しているのです。姉として弟の見本になろう!って思ったり、弟の行動からヒントをもらえたりする関係になればいいな~と思っています。今は娘同様、息子の成長も楽しみにしています。
2019年02月27日言葉の発達がのんびりだった娘。大変だった体調管理インフルエンザ…溶連菌…なにかとウィルスが蔓延するこの時期。わが家の子たちも、大きな病気の感染はないものの、小さな風邪を繰り返して、何かと病院にお世話になっております。小学2年生の今となっては、どこが痛いか、大丈夫か、大丈夫じゃないかなどを自分で言えるようになった娘ですが、言葉が全く出ない3歳前までは、とても苦労しました。Upload By SAKURA元気なの?具合が悪いの?さっぱり見分けがつかない娘2歳までの娘は、テンションの上がり下がりがあまりなく、元気なのか具合が悪いのか、周りが察することもかなり難しい子でした。さらに小食で、食欲のありなしは体調不良かどうかの判断にならず…あの頃の私には、熱があるかどうかのみが娘の体調の判断基準でした。Upload By SAKURA娘に聞いてもオウム返しで病状がわからない…Upload By SAKURA3歳を過ぎ、少しずつ単語が言えるようになってからも、会話はまだまだ成立せず…オウム返ししかできない娘は、「痛い?」と聞けば「いたい」と言い、「大丈夫?」と聞けば「大丈夫」と言う状態。どういう風に悪いのか…お医者さんに病状を説明する前に、私が症状を理解できませんでした。当時は、頻繁におでこや首を触ったり、体をこまめにチェックして、母親のカンをフル回転させて対応していました。会話ができるようになってきた娘、「痛い」と教えてくれるようにそんな娘も、4歳…5歳…と少しずつ会話が出来るようになり、少しずつ体調が悪い時には伝えられるようになっていきました。Upload By SAKURAしかし、抽象的な表現が苦手な娘は、「どんなふうに痛いのか」と聞かれると、一瞬で固まってしまっていました。それでも、昔に比べたら私の負担は減っていたので、当時はこれでいいと思っていました。小学生になった頃、歯医者さんの問診でそして、7歳になった頃…娘は歯茎が腫れ、私に痛みを訴えてきました。そこで歯科に行くことにしました。Upload By SAKURA歯科医に症状を聞かれ、私が説明しようとすると…Upload By SAKURA娘は、私が話し出す前に、一生懸命歯科の先生に症状を伝え始めたのです。それは、小学2年生にしては幼い口調でしたが、自分なりの言い方で、持てる語彙を駆使して説明していました。歯科の先生はその説明をゆっくり聞いてくれ、娘を褒めてくれました。私はその姿を見て、驚きました。思いがけない娘の成長に気づいた私が思っていた以上に、自分で伝えようとする力を身につけていた娘。その成長をとても嬉しく感じました。会話やコミュニケーションは、私たち家族だけで全て教えることはできません。学校や習い事…私たちの知らないところでいろんな人と関わってきた娘は、私たちの知らない間に、私たちの知らない成長をしていました。1年後は?2年後は?…そう考えると、さらに娘の成長が楽しみになりました。Upload By SAKURA
2019年02月13日発達障害育児はちょっぴり孤独…?発達障害がある娘を育てていて、だいぶ精神的に強くなって気がしている私ですが…周りの子と比べなくなっても、娘の個性を受け入れていても、どうしても若干の「孤独感」はあります。通常学級に通う子どもを育てるお母さんの悩みと、私の悩みは内容がやっぱり違うから…。Upload By SAKURA娘の学校で、保護者の方と立ち話をしていても、相槌を打ちながらも「そうか…小学二年生の子の親は、そういう悩みを持つんだ…」と思い、わが子のできることとのレベルの違いを感じることもあります。悲観的ではありませんが、相手に気をつかって、本当の悩みは言えなかったりします。発達ナビのタイムラインに投稿してみた娘は宿題の時、パニック状態になることが多くあります。連日続くパニックに疲れた私は、自分の頭を冷静にするために、その状況を一コマ絵に描き、なんとなくLITALICO発達ナビのタイムラインに投稿しました。Upload By SAKURA反応がほしかったわけではなく、自分の中で自己完結させる気持ちでした。しかし、投稿後、予想外にいいねの数は増えていき、同じような状況の人から、たくさんコメントを頂きました。タイムラインを見ていると「あ、うちだけじゃないんだ…みんなそうなんだ…」と思うと、気持ちが軽くなっていきました。そして…Upload By SAKURAというコメントを見た時…「私が投稿していることで、他の誰かも…気持ちが軽くなることがあるんだ。」と心が温かくなりました。同じ悩みを持つユーザー同士だから繋がれるタイムラインを見ていて思うのは、同じように悩む人がいる…でもみんな子どもを愛してて…我が子の「小さなできた」を一つひとつ喜んでいるということ。Upload By SAKURA学校の保護者の方とは違う、繋がり…会ったことはないけれど、心の中での繋がりのようなものを感じました。発達障害のある子の「あるある話」を遠慮なく話せるのは、そういう所から来るのかなと思います。私がコラムを書く理由は…LITALICO発達ナビのコラムを書く時、私は「発達障害を理解してほしい」というよりも、「同じように悩む人の参考になったり、気持ちが楽になったりしたら嬉しい」という気持ちで書いています。それは、私が昔、娘のことで悩んだ時に「同じような人はいないの!?」「医療・支援者側の意見じゃなくて、その状況真っただ中の人の話を聞きたい!」という気持ちになった経験があったからです。道しるべになるような、前を見ている人の存在を知りたかったのです。Upload By SAKURA私自身もこの場所(発達ナビ)で、皆さんのコメントを見て、勇気をもらえ、救われています。娘の特性ならではのこだわりや、壁に激突するたびに、書いて…冷静になって…客観的に見ることができています。皆さんにとっても、ここが癒しの場所…悩みをさらけ出せる場所になるように、微力ながら私もお手伝いさせていただければと思います。Upload By SAKURA
2019年01月30日久々に発達障害の娘との家族旅行を計画!広汎性発達障害の娘は、現在小学2年生。娘が小さい頃、私たちはよく旅行をしていました。発語がない期間が長かった娘は、旅行中も騒ぐことなく、まったくと言っていいほど手がかかりませんでした。Upload By SAKURA娘が3歳の時、沖縄に引っ越して来た私たち。県を出るのは飛行機が必須で、旅行のハードルが上がってしまい、なかなか行けずにいました。息子を妊娠してからは、さらに旅行に行きにくくなり、一切沖縄から出ていませんでした。しかし、息子も2歳になり、そろそろ行けるんじゃないか?というとこで、去年の年末から、今年の年始にかけて、4人家族になって初めての旅行に行くことになりました。イヤイヤ期の息子を連れて、頼りにしてますお姉ちゃん正直、今回の旅行で、私たちが最も手がかかるであろうと思っていたのは、イヤイヤ期真っ盛りの息子でした。今までの旅行で全く手のかからなかった娘も、小学生になり、姉として弟の面倒も見れるようになってきたこともあって、今回の旅行では戦力になると思い、内心頼りにしていました。Upload By SAKURAパニック対策で、娘にはギリギリまで伝えないことに行き先は、東京に決定!前々から関東のテーマパークに行きたがっていた娘のための計画です。でも、娘には、事前に伝えないようにしました。それは、こだわりが強く、予定変更が苦手な娘がパニックになることを避けるためでもありました。Upload By SAKURA当日の朝、旅行を娘に伝えると、娘はとても喜び、ハイテンションになりました。いつもはなかなか起きてこないのに、「東京」という言葉を聞いただけで飛び起き、着替えもあっという間に完了!それを見ていて、私たちはとても嬉しい気持ちになりました。いざ出発すると、予想外だったのは…しかし、いざ出発してみると、楽しみな気持ちが空回りしてしまったのでしょうか、娘は初日から普段やらかさない失敗を繰り返しました。Upload By SAKURA息子に振り回されると予想していたのですが、実際は、娘の情緒不安定さに振り回されることになりました。「いつもと違う」旅行に興奮状態の娘一方、警戒していた息子は、状況をよく見ていて、話もちゃんと聞いてくれたので、順応も早く、よく食べ、よく歩き、良く寝ていました(笑)しかし娘は、普段はちゃんと聞ける説得や話も、上の空。Upload By SAKURA耳からの情報収集より、目で見たものを優先する娘。視覚優先の娘ならではのパニック状態なのだと、私たちは思いました。初めての地…そして嬉しすぎる場所…視覚情報の多さと興奮が重なり、いつもの状態を保てなかったのだと思います。やってみないとわからない。家族旅行から学んだこと今回の旅行で、私たちはまた娘の特性を学びました。そして、『もう小学生だから大丈夫』と勝手に決めつけてしまっていたことも、反省しました。しかし、同時にこれも、娘にとっても私たちにとっても経験。大変な家族旅行ではありましたが、娘が行きたかった所に行けたこと、娘や息子の楽しそうな顔を見れたことは、とてもいい思い出になりました。娘が旅行で起こりうるパニックを学ぶことができたので、次回に活かせるようにしていきたいと思いました。Upload By SAKURA
2019年01月16日怒涛の子育て、1日が終わる頃には…小学校二年生の娘、そして2歳の息子がいる私。一筋縄ではいかない広汎性発達障害の娘と…そしてイヤイヤ期真っただ中の息子…。毎日が、仕事!家事!子育て!であっという間に過ぎていきます。Upload By SAKURA息つく暇もないスケジュールは、 体力的にきつく…一日の終わりはどっと疲れます。わが家は、基本的に育児・家事は私の担当。子どもたちのどちらかが体調不良になると、家事育児のスケジュールは思い通りに進みません。さらに、子どもたちが同時に体調を崩すと、もうパニック!溜まる家事…自由にならない体…ストレスがどんどん溜まっていきます。たまには息抜きしたい!私は、子どもたちのことで疲れても、あまり子どもたちから離れて一人になりたい!とは思いません。一人でどこかへ行っても…Upload By SAKURAついつい家のことが気になってしまい、リラックスできないのです。そんな私がやっているストレス発散法は…Upload By SAKURA家族でカラオケに行き、とにかく歌いまくります。わが家流「家族カラオケ」でストレス発散!と言っても、歌うのは娘と私だけ。この時、夫は、息子の面倒を見ながら、私が気持ちよく歌える曲を、どんどん入れていってくれます。つまりこの「家族カラオケ」、私は選んだり、入力したりする作業を一切せず、歌うことだけの集中できるのです!Upload By SAKURA家を離れることで、目につく家事をせずに済み、ごはんもカラオケボックスで済ませられる。片づけもしなくてよい!子どもたちと一緒にいられて、楽しくて、楽!私にとって、最高のストレス発散方法です。私のために家族を付き合わせてる?その時、夫が…しかし、つい最近になって娘の反応が変わってきました。Upload By SAKURA歌うのは大好きな娘ですが、年頃になったせいか、人前で歌うことの少し恥ずかしさが出て、カラオケに乗り気じゃなくなったのです。娘が嫌がる場所に、私のストレス解消のために無理やり行かせるのは良くない…そう思い、そろそろストレス解消法を変えようと思っていた時…夫が動きました。Upload By SAKURA夫はゆっくり時間をかけて説明していきました。Upload By SAKURAしばらくすると娘は「わかった!」と言い、その日はカラオケにつき合ってくれました。私にとっては、カラオケに行くことよりも、この夫の言葉にこそ、癒しになりました。家族で楽しくストレス解消の方法、模索中ですとは言え、娘にあまり負担をかけたくないので、最近は新しいストレス解消法を探しています(笑)Upload By SAKURA
2018年12月26日私と娘のコミュニケーション法は?今回は、私と娘のコミュニケーションの方法についてお話したいと思います。娘の苦手をサポートする私のやり方は、「教える」というよりは『一緒にやる』という感じです。Upload By SAKURA何か娘の苦手な課題が出てきたら、どうすればわかるか考え、一緒に取り組みます。私が「先生」になるのではなく、娘と同じ位置に立つことで、そのやり方が難しくないか、理解しやすいかを娘と同じ目線で見ることができるからです。どうしたら娘が理解できるか、伝えやすいかを考え、娘のそばでそれを確かめながら、方法を模索しています。どんなことも、ありのまま伝える私は、娘に自分の気持ちを正直に話すようにしています。私が自分を抑えて接するのではなく、ありのまま接し、とにかく何でも話します。自分に余裕がないときでも、そのまま娘に伝えます。Upload By SAKURA「察して」「考えて」と言いっぱなしにすることは、私と娘の間では、ほとんどありません。それは、私が、「親だから」「大人だから」と言って自分が一歩引いたり、自分の思いを隠して娘に接することができなかったからでもあります。Upload By SAKURA私自身が、思ったことをそのまま娘に言うスタイルの方がやりやすく、娘に自分の思いを話すことで、私も冷静になれていたのです。このやり方はだんだんと、私と娘のコミュニケーションの方法として定着していきました。それが一般的に良いか悪いかは、わかりませんが、私にとって背伸びをせず、無理もしなくていい、負担にならない方法でした。親がなんでも話すことって、娘にとっては負担かも?しかし娘にとっては…?どうなんだろう?親である私が、我が子に感情をぶつけていいのか?私の負担にはならないけど、娘は負担になっているのではないか?内心そんな風に思っていたとき、こんなことがありました。娘に、宿題の「かけ算の音読」をしてもらっていたときのことです…。Upload By SAKURA私と娘の関係には、何でも【話すこと】が当たり前。自分の気持ちを話すこと、相手の気持ちを予測することが苦手な娘。いつものように、私がまず娘の気持ちを代弁し、何でこんなことをするのか、言うのか…お互いの気持ちや真意を丁寧に説明しました。目には見えない気持ちを、口に出して言うことが大事だと思っていたのです。すると…Upload By SAKURA今まで、いろんな場面で娘に話してきましたが、娘からこんな返事が返ってきたのは初めてでした。娘が私にかけてくれたこの言葉で、私は、「ちゃんと私の気持ちをわかってくれていた…話してきて良かった…」と、娘との間に信頼関係がちゃんと築けている実感を感じました。そしてまた娘が一つ大きくなったと感じました。同じ目線で一緒に取り組み、なんでも話すことで築けた信頼関係私の療育で行きついたのは…・娘の苦手も個性と認める→周りと比べることもなく、落ち込まない・同じ目線で一緒にやる→娘にとって、きついかどうかがわかりやすい・気持ちはたくさん話す→相手の気持ちを見えるようにし、予想ができるようになる+信頼関係を築くということです。同じ目線で接する…たくさん話す…と言えば聞こえはいいですが、私が大人になりきれていない面もあります(笑)だから私は、娘とよく喧嘩をします。嫌な気持ちがしたらすぐ言うからです。最近では、おしゃべりが上手になった娘から、言い返される回数も増え、もういい!とお互いそっぽを向くこともしばしば。でも築いてきた信頼関係のおかげか、最後は「大好き」とハグして終われています。Upload By SAKURA娘が教えてくれた大切なもの…といろいろと偉そうに言ってきましたが、結局は、娘が答えてくれたことと、出してくれた結果から学んだことです。私が娘からもらったものはたくさん。物事の考え方やとらえ方…一つできるたびに胸が温かくなること。…そして、人に対する優しい気持ち。私はこれからも娘からいろんなものをもらいながら、一緒に歩いていきたいと思います。
2018年12月12日発育の遅れを指摘されてから、どうしても気になる他の子の様子娘に発育の遅れがあると指摘されたのは、2歳5か月の頃。初めて「この子は発育が遅れている」と言われた時、本当にショックでした。まさか自分の子が?なんで?と暗い気持ちになったのです。当時の私は、よく娘のことで落ち込むことがありました。私の場合、それは、娘と他の子を比べてしまう時でした。Upload By SAKURAUpload By SAKURA「あの子はできるのに、なんでうちの子はできないんだ」私の中に、他の子と同じようにできてほしい、恥ずかしいという思いが無意識に出てくるのです。落ち込む日々の中で気づいたことしかし、何度か同じことで落ち込むなかで、だんだんと私の考え方は変わってきました。Upload By SAKURA私がそう思っても、娘のプラスになることは一つもない…と気がついたのです。今、私が他の子と娘を比べることは、娘にとっても私にとっても負担にしかなりません。大事なのは、今…ではなく、これから先のこと。これから先のために、今できることは療育私と主人の目標は、「娘が大人になって社会へ出た時、自分でお金を稼ぎ、自分で生活できるようになること」でした。私たちは、ずっとそばにいて助けてあげることはできません。いつかは一人で考え、一人で行動しなければならない時が娘にもやってきます。その時が来るまで…その時が来ても娘が困らないために、私たちが娘にしてあげられることが、療育なのです。今はまだ、その過程でしかない、そう考えていたからです。Upload By SAKURA過程の段階で、他の子と比べたり、競ったりしても仕方ないとわかりました。それを自分の中で完全に消化できた時、私は娘の発育状態のことで、落ち込むことが少なくなりました。考え方を変えたら見えてきた「できること」それから不思議と、娘ができないことよりも、できることが、私の目に留まるようになりました。あぁ…こんなことができるんだ!すごいな~!と思いながら、私は、心から娘の個性を認めることができるようになったと感じました。Upload By SAKURAみんな得意があって苦手がある。娘の得意なことは伸ばしてあげればいいし、苦手なことはサポートしていけばいいのです。そう考えながら接することで、私は今、前を向いていられるのかもしれません。
2018年11月28日長男に「イヤイヤ期」が到来!Upload By SAKURA広汎性発達障害の娘には、2歳の弟がいます。息子は、1歳半を過ぎたころから自己主張が始まり、イヤイヤ期は日を追うごとに激しくなっています。「あれはイヤ!」「これはイヤ!」「自分でやる!」「こうしてくれ!」イヤイヤと、自分でやるというこだわり、そして自己主張が炸裂している、まさに魔の2歳児です!第二子である息子ですが、実は私はちゃんとしたイヤイヤ期は初めての経験です。なぜなら、娘はイヤイヤも自己主張もほとんどない子だったからです。自己主張が少なかった広汎性発達障害の娘の場合は娘が今の息子と同じ2歳のころは全くしゃべらず、騒がず…無の境地でした。お出かけしても大人しかったので、旅行や外食に連れて行っても困ることはありませんでした。しかし、手がかからない反面、ほぼしゃべらず、自己主張もしなかったので、娘が何を望んでいるのかが、なかなかわかりませんでした。Upload By SAKURA私たちの言葉を理解することも、自分の気持ちを話すこともできなかった娘。泣きだしたときなどに、なぜ泣いているか聞いても答えがわからず、泣き止むように説得することも難しかったのです。私たちは、そんな娘に合った育児をと、言語訓練や療育を通じて、どういうやり方をすれば娘とコミュニケーションが取りやすいか、試行錯誤してきました。耳から聞き取るのが苦手な娘に、視覚優位な特性を利用して絵カードで意思の疎通を図ったりしてきました。思い返すと、第一子の娘の子育ては、少し特殊だったのです。Upload By SAKURA二人目育児にして初めての「全力イヤイヤ」に母、苦戦!しかし息子は、とにかく一つひとつをイヤイヤしないと気が済まない状態。家を出る前から、服が違う、靴が違う・・・とイヤイヤしています。まさにマニュアル通りのイヤイヤ期!娘には見られなかった息子の様子に「これが噂のイヤイヤ期か~!」と初めのうちは新鮮な気持ちでした。Upload By SAKURAしかし、外へ出れば、自分の行きたい方へ行かないと気が済まず、外食なんてゆっくり食べられたことがありません。息子のイヤイヤは…予想以上!!私の一回目の子育て経験が、全くもって役に立たない!!頭を抱えてしまうことも度々あります。長女と長男、全く違う子育てができるって…楽しいかも!?激しくイヤイヤ期を爆発させている息子ですが、おしゃべりが上手になってきて、自分の思いはちゃんと言ってくれます。イヤイヤされると手がかかるように感じますが、実はある程度、言葉での説得が通じるため、楽な面もあります。発育状態が、娘と対照的に違う息子。娘のときのやり方は通じないので、気分は初めての子育てです。しかし、全く違う子育てを経験させてもらっている私は、運がいいのかもしれない…Upload By SAKURAそう考えると、娘とは違う息子の反応一つひとつに「そういうことするんだ~」と受け入れられるようになってきました。Upload By SAKURA子育てで、子どもを比べてはいけない…といいますが、私の場合、「娘はこうだったけど、息子はこうなのかぁ~!」と感心したり…それぞれにいい所を見つけられる、そんな今の子育てを、純粋に楽しいと感じています♡
2018年11月14日白紙の日記帳に呆然…!苦手な作文を何とかしたい!広汎性発達障害の娘は、文章を書くのが大の苦手。宿題の日記や感想文、作文…どれも最後まで一人で書くことが難しい状態です。小学生になって、この文章を書くという課題に度々つまずいてきました。少しでも書けるようになるため、私たちにできることはないかと考え…小学1年生の時、学校から帰宅後、学校の先生にあてた「先生あのね」という日記を書くことを始めました。Upload By SAKURA「先生あのね」のルールは2つだけ!娘が嫌がらないギリギリのところを考え、はじめに2つだけやり方を決めました。Upload By SAKURA「。」が2つ付いたら終わりにするルールです。「好きなことを書いて」では、自力では書けない娘。何を書いたらいいかは、娘と話しながら、私が誘導するようにしました。Upload By SAKURA2文目の「感想」の部分は娘に考えてもらい、娘が言った感想を、また私が紙に書きます。2つそろったらそれが見本になります。書いた見本を娘に見せ、最初はそれをただ写してもらうという簡単なものでした。それでも、続ければ何かしら変わると信じて、続けていました。続けていくうちに、口頭で文章を作れるように!続けて数か月経つ頃…1文目は出来事、2文目は感想のパターンに慣れ、私が紙に見本として文章を書く前に、内容を口頭で言うようになりました。試しに一人で書かせてみると、この2文のパターンなら、もう娘一人で書けるようになっていました。Upload By SAKURA2年生になって、文字数も課題の難易度もアップUpload By SAKURA2年生になると、感想文や作文を書く機会も多くなり、日記の宿題でもらう用紙のマス目は細かくなりました。2文なら書けるようになっていた娘ですが、長い文章を前に、一気に苦手意識を持ってしまいました。幼稚園の先生と続けていた文通のおかげもあって、言いたいことをどんどん書いていくことはできていましたが、文章の構成を考えながら書かなければならない作文は、娘にとって、難しかったようでした。インタビュー形式で聞き取り!こうすれば難しくない!そこで、長い文章にも慣れてもらうため、国語の授業で習った、文章の構成…「いつ」「だれと」「どこで」「何をした」「どう思った」の通りに、インタビュー形式で、私が聞いていくようにしました。Upload By SAKURAUpload By SAKURAまず娘に題材を決めてもらいます。「それはいつの話?」などと会話のような流れで質問に答えてもらい、それを私が紙に書きます。そしてそれを見て、娘が写していきます。私はまず『順番に書けば、長い文章も難しくない』と教えたかったのです。苦手なことも、成長を信じてスモールステップで進もうねそれから数か月経った今、娘は見本がなくても、私がする質問に答えながら、少しずつ自分で書けるようになってきています。「て・に・を・は」の間違いはまだまだありますが、少しずつ減ってきています。Upload By SAKURA集中力はなかなか続かないし、他の子より時間はかかりますが、娘はゆっくり確実に進んでくれています。数年後はもっと成長できていると信じて、引き続き娘のサポートをしていきたいと思います。
2018年10月31日きっかけは「苦手な音読をなんとかしたい!」小学一年生の頃、音読が苦手だった、広汎性発達障害の娘。Upload By SAKURA本を読むということに興味を持ってもらうため、寝る前に好きな本を読んであげるのが日課となりました。娘は、だんだんと自分でも本を読むようになり、音読に対して苦手意識はすっかりなくなりました。Upload By SAKURA娘が「多読賞」の賞状をもらってきた!?毎日毎日、真面目に学校の図書室で本を借りて来ていた娘は、1年生の時、各学年でたくさん本を読んだ人がもらえる『多読賞』で、賞状をもらってきたのです!Upload By SAKURAいつもみんなより遅かったり、みんなよりできないことが多い娘にとって、賞状は「みんなより頑張った」という証。娘の自信に繋がり、自分から「また賞状欲しいから、頑張る!」と言うようになりました。私たち親にとっても、とてもうれしい賞だったのです。今も続く読書の習慣。最近の嬉しい成長は多読賞をもらった娘は、前よりもさらに意欲的に本を借りてくるようになりました。小学2年生になった今も、寝る前に好きな本を読んであげる日課は、続いています。娘は毎日、学校の図書室で2~3冊本を借りてきます。自分でも読める短い本、私たちに読んで欲しい本、弟が喜びそうな本を選んできてくれます。最近では、夜の本読みタイムには、父も弟も加わり、にぎやかになりました。Upload By SAKURA読み方もスムーズになった娘ですが、他にもうれしい成長がありました。Upload By SAKURA毎日毎日本を読んでいるうちに、娘は読み終わった後、本の感想を言うようになったのです。私は娘が、ただ字を追って読み上げていると思っていたのですが、いつの間にか、読みながら、ちゃんと内容を理解できるようになっていたのです。娘らしい優しさ溢れるその感想に、私たちは癒されています。苦手が多いけれど、成長を見せてくれる娘を信じて私は療育をするとき、「今やっていることは後から効いてくる」と考えながらやってきました。地道に続けてきた本読みの習慣が、賞に繋がったことは、娘にとっても私にとっても自信に繋がり、「継続は力なり!」と確信できました。私の考え方を変えるきっかけをくれ、最後には成長した姿を見せてくれる娘。この感動は私にとって、ご褒美になっています。いつも頑張ってくれて、ありがとう。人より苦手が多い娘の、これからの成長が楽しみです。Upload By SAKURA
2018年10月17日広汎性発達障害の娘と弟の関係が変わってきた!広汎性発達障害の娘に弟ができて、もうすぐ2年が経とうとしています。生まれた当初は、ひたすら泣く息子と、赤ちゃんの泣き声が苦手な娘の間で、頭を抱えることもありました。しかし、その泣き声にも娘はすっかり慣れ、弟を気にかける優しい姉になってくれました。ところが今、そんな2人の関係が、ちょっと変わってきたのです。Upload By SAKURA仲良し姉弟で穏やかな日々…と言いたいところですが、現在、7歳と1歳という歳の差姉弟の娘と息子は、毎日バトルを繰り広げるようになってきました。Upload By SAKURA「私はお姉ちゃんだから…」我慢する娘にアドバイス温厚な娘とは違い、息子は気性が荒く、とにかくやんちゃ。おまけにイヤイヤ期も重なって、親である私たちも手がつけられません。発語もどんどん出て、姉に対し、ガンガン攻める…。そんな弟に姉は、言われっぱなし、やられっぱなし。気が優しい娘は「赤ちゃんだから仕方ない」と息子のわがままに耐えていました。Upload By SAKURAそんな我慢をし続ける娘に私は、「そんなに我慢しなくていいんだよ。」と言いました。Upload By SAKURA分かりやすく言い返さないと、幼い弟には伝わらない!「我慢しなくていい」と私が話してから、娘は息子に言い返すようになりました。元々自己主張が苦手な娘。しかも、相手は1歳児。自己主張、言い分も分かりやすく言わなければ、伝わりません。「自分が思うことを、相手に伝わるように話す」ということが苦手な娘ですが、必死に身振り手振りで、弟に伝えようとしています。自己主張の塊のような息子に立ち向かう姿は、以前の娘からは想像できないものでした。Upload By SAKURAけんかの技術から学んで欲しい!?コミュニケーション実は、息子が生まれて、私が期待していたことの一つが、「姉弟間の喧嘩」でした。もちろん姉弟の仲がいいに越したことはないのですが、喧嘩も大事。喧嘩の中には、お互い学ぶことがたくさんあるはずです。自己主張、譲り合い、我慢、協調…娘の課題であるコミュニケーションが山ほど。娘は、毎日の喧嘩の中で、知らず知らずのうちに学んでいるのです。Upload By SAKURA仲良し姉弟だから…けんかの相乗効果、期待してます♡嫌だと思ったことを伝えるようになった娘ですが、弟のことは大好き。理不尽な態度を取られても、たびたびバトルを繰り返しても、弟のためを思って行動してくれる優しい姉です。わがまま極まりないイヤイヤ期の息子も、なんだかんだ言って姉が大好き。姉と同じものを望み、いつも姉の言葉や行動を真似します。お互いに大好きなのです。Upload By SAKURAこれから、二人の関係がどうなっていくかわかりませんが、成長の相乗効果を期待しつつ、親として姉弟喧嘩を見守っていきたいと思います。
2018年09月26日発達障害とは?発達障害とは、「生まれつきの脳機能の発達のアンバランスさ・凸凹と、その人が過ごす環境や周囲の人とのミスマッチから、生きづらさや困難が生まれる障害」です。発達障害は特性やあらわれる困りごとによって、大きくASD(自閉症スペクトラム障害/自閉スペクトラム症)・ADHD(注意欠陥・多動性障害)・LD(学習障害)の3つのグループに分けられます。Upload By 発達障害のキホン発達障害特性が目立ってくる時期は、障害のタイプによっても異なります。比較的就学前から気づかれやすいASDに比べ、ADHDやLDは就学後に気づかれることが多いといわれています。ADHDは、小学校入学後落ち着いて授業が受けられなかったり、忘れ物が多いなどがきっかけで気づかれやすくなります。文部科学省の定義では7歳前、DSM-5によると12歳前に症状があらわれるとされています。勉強において特定の科目が苦手な場合や読み書きに困難がある場合、LDの可能性があると指摘され、気づかれやすくなります。ですが、発達障害と定型発達の境目は明確にはありません。そのため診断基準は満たさない、あるいは未診断だが発達障害の傾向のある「グレーゾーン」と呼ばれる人もいます。グレーゾーンの場合、外見からも分かりにくいので、理解や支援につながりにくいこともあります。通常の学級に在籍する知的発達に遅れはないものの発達障害の可能性のある特別な教育的支援を必要とする小学生は7.7%いるといわれています(文部科学省調査/2012年)。特別支援学級や特別支援学校に在籍する子どもも含めると、発達障害がある子どもの総数はさらに多いといえます。参考:通常の学級に在籍する発達障害の可能性のある特別な教育的支援を必要とする児 童生徒に関する調査結果について |文部科学省発達障害のある小学生に目立つ特徴とは?発達障害による特性は個人差もありますが、ライフステージによって目立ったり問題になりやすい部分などが異なります。そこで次に、小学生のころに目立つ特徴を紹介します。■集団になじむのが難しい・年齢相応の友人関係がない・周囲にあまり配慮せずに、自分が好きなことを好きなようにしてしまう・人と関わるときは何かしてほしいことがあるときなだけのことが多い・基本的に一人遊びを好む・人の気持ちや意図を汲み取ることが苦手■臨機応変に対応するのが苦手・きちんと決められたルールを好む・言われたことを場面に応じて対応させることが苦手■どのように・なぜといった説明が苦手・言葉をうまく扱えず、単語を覚えても意味を理解することが難しい・自分の気持ちや他人の気持ちを言葉にしたり想像するのが苦手で、説明がうまくできないという傾向があります■忘れっぽく、注意力散漫・注意力が散漫で、興味の対象が次々と変化する・物を忘れたり、なくしてしまうことが多い・他の人に話しかけられてもぼーっとしてうわの空に見られる■じっとしていられず落ち着かない・授業中でもじっと座っていることができず、歩き回ったりする■衝動的に行動してしまう・突然話しかけて他の人の邪魔をする・突発的な行動をおこすことがあり、自分の怒りの感情をコントロールできない・友達と仲良くできずトラブルを引き起こしてしまうことが多いという傾向がありますLDがあると、授業を真面目に聞いていても勉強が苦手、ついていけないという状態になりがちです。次に、読字障害・書字障害・算数障害ごとに、LDがある小学生にあらわれやすい特徴を紹介します。■ディスレクシア/読字障害・ひらがな・漢字が読めない・たどり読み・推測読みになってしまう・行を飛ばして読んでしまう・文章を読むのを嫌がるなど■ディスグラフィア/書字障害・うまく文字を書くことができない(線を抜かしたり、鏡文字を書いてしまう)・板書ができない、時間がかかる・行やマス目からのはみ出しが大きい・文字を書くのを嫌がるなど■算数障害/ディスカリキュリア・数が数えられない、とばして数えてしまう・時計が読めない、時間が分からない・計算ができない・筆算をするときに数字がずれて間違えてしまう・計算を嫌がるなどという傾向があります発達障害のある小学生に起こりやすいトラブル集団生活に入り、学習が始まる小学校時代は、それまで目立たなかったトラブルが目立つようになる時期です。具体的には、次のようなトラブルが起きがちです。■友達関係でのトラブル・同世代の子どもたちとうまく遊べない・気持ちをコントロールできず喧嘩になりやすい・空気が読めないことなどが原因でいじめられる■不登校・集団生活になじめず学校生活が苦痛になる・授業についていけず学校に行きたがらなくなる・生活リズムが崩れ登校できなくなる■学習でのつまずき・頑張っても授業についていけなくなる・授業態度が悪いと注意されやすい・忘れ物が多く学習に支障が出る■暴力・嫌なことがあるとかんしゃくを起こして暴れる・衝動的に友達や親に手を出す、物を壊す子どもの発達障害に悩んだときの相談先発達障害がある子どもの保護者・まわりの人が、適切な支援につながることで、子どもに必要なサポートをすることができます。「発達障害かな?」と悩み・不安があるときは、早めに専門機関に相談しましょう。子どもへの支援の方法が分かったり、公的なサポートを受けやすくなります。相談先としては、発達障害がある人が相談できる支援センターや医療機関、学校のスクールカウンセラー・特別支援教育コーディネーター、教育センターなどがあります。■発達障害がある人の相談窓口全国の相談窓口の情報を調べる|発達障害・支援センター■発達障害の診療が可能な医療機関一覧発達障害診療医師名簿|一般社団法人 日本小児神経学会■スクールカウンセラースクールカウンセラーについて発達障害のある小学生へのサポート■分かりやすく伝える具体的に、簡潔に伝えましょう。■頑張りを認める、ほめる苦手なことが多く学校生活では怒られる場面も多くなり、自己肯定感が下がってしまうと二次障害を起こしてしまうことも。できないことではなくできたことを見つけてほめましょう。■叱るときはその場で後から注意されても理解しづらいため、ダメなことはその場で簡潔に注意します。■苦手をサポートするツール耳からの情報が弱い場合は視覚的なツールを併用する、忘れっぽいならチェックリストを用意するなど、子どもの特性に合わせて苦手な部分をフォローするツールを活用しましょう。発達障害がある子どもは、子どもの状況に合った場所で学ぶことで、力を伸ばしたり、二次障害が起きるのを防いだりすることも大切です。通常学級での学び以外にも、さまざまな機会や場所があります。■特別支援学級小学校の中に設けられた特別支援学級で、子どもの特性に合わせた課題に取り組んだり、交流級で学習することもできます。特別支援学校ってどんなところ?教育環境から入学への流れまで■通級普段は、通常学級に所属し、週に何時間かある通級による指導の時間だけ通級指導教室に移動して、それぞれの困りごとや課題に合わせた支援・指導を受けます。通級指導教室とは?対象は?通級による指導の内容や通い方、ほかの特別支援教育との違いを紹介します■特別支援学校特別支援学校とは、心身に障害のある児童・生徒が通う学校です。1クラスの人数は平均3人と手厚く、障害のある児童・生徒の自立を促すために必要な教育を受けることができます。参考:少人数の学級編制 | 文部科学省■フリースクールフリースクールは、主に不登校の子どもたちを受け入れる教育機関です。公的な学校ではないため、その目的により規模や形態、費用はさまざまです。フリースクールとは?不登校の子どものための授業内容、費用や利用方法、在籍校の出席認定について解説■放課後等デイサービス放課後等デイサービスは、障害のある就学児向けの学童保育のようなサービスです。設備、目的、提供されるサービスは多岐にわたり、預かり型のほか、療育や運動に特化したところなどさまざまです。放課後等デイサービスとはどんな施設?サービス・利用方法・費用・受給者証手続きの流れをご紹介発達障害や対処法、体験談をもっと知りたい!リンク集発達障害の原因について知る発達障害の診断・検査について知る子育ての対処法やヒントを知るさんのコラム(広汎性発達障害)シュウママさんのコラム(自閉症)かなしろにゃんこ。さんのコラム(ADHD)林真紀さんのコラム(発達障害)楽々かあさんのコラム(発達障害)
2018年09月18日マイペースな広汎性発達障害の娘、幼稚園の運動会で毎年親はドキドキ…幼稚園入園時、言葉がほとんど出なかった娘。年少さんのときは、先生の指示もほとんど聞き取れず、補助の先生に手を引かれながらの運動会でした。感想を聞いても、会話にならず、運動会というのをわかっているのか?というような状態でした。Upload By SAKURA年中さんになると運動会というものをしっかり理解した様子の娘。1年前とはうって変わってやる気満々。整列、行進、競技などは、笛の合図にきちんと反応し、想像していたより頼もしい姿を見ることができました。Upload By SAKURAしかし、たびたびマイワールドに入ってしまう状態で、先生の声掛けはまだまだ必要でした。年長さんの運動会では組体操に挑戦するのに、大丈夫なの⁉︎そして、幼稚園最後の運動会。娘の幼稚園では、年長さんが運動会で必ず『組体操』をすることになっていました。この組体操…娘が年少さんのときに初めて見た私は、難易度に驚きました。Upload By SAKURA「これを…2年後に…あーさんが…」と想像してみたものの…「指示に従えず、みんなの足を引っ張ったりするのではないか」という考えばかりが浮かび、できるわけがないと思いました。それから2年…ついに娘が、組体操に挑む日がやってきました。Upload By SAKURA事前に先生から「あーさんの横には、補助が付きます」と言われていたので、少し安心していたのですが、実際出番になり、娘を見ると、補助の先生がいませんでした。一人で笛の指示だけで動けるの!?と動揺していた私をよそに、演技は始まりました。不安的中、泣き出した娘にハラハラ私は、ハラハラしながら見守りました。娘は笛の合図だけで、移動、技をこなし、隊形移動も迷いなく動いていました。途中、集団技のときに、前の子が倒れこんで来て、娘にぶつかりました。Upload By SAKURA泣き出した娘を見て、私は娘が演技をやめてしまうと思いました。しかし、娘は顔をしかめ、涙を流しながらも、自分でその涙をぬぐい、立ち上がって演技を続けました。気がつくと…私は、泣いていました。Upload By SAKURA私の頭には、年少さんの頃の娘の姿が浮かんでいました。指示が聞き取れず、フワフワしていた娘。あの頃の娘は、目の前にはもういません。他の競技でも娘は、一人で動いていました。少し離れたところから見た娘は、とても大きくたくましく見えました。演技終了後、先生に話を聞くと、「練習のときは補助が付いていたのですが、補助が全然必要なく、しっかりしていたので、本番は補助なしにしました!」と言われ、先生からも信用してもらえたことに、さらに成長を感じました。「娘には無理」と思う日もあったけど年少さんの頃、できるわけがないと思った『組体操』でしたが、2年後、娘は、突然のアクシデントあっても、肩を震わせながら…涙を流しながら…演技を最後までやり切りました。それまでで私が一番、娘の成長を感じた瞬間でした。痛かっただろうに、やめたかっただろうに…それでも演技を続けた娘の姿を見て、胸が熱くなりました。娘の成長が嬉しくて、涙が出ました。運動会のことに限らず、幼稚園でのことや、家でのこと…いつになったら会話ができるんだろう…と今までいろんな心配ごとで頭を抱え、「できるわけがない」と思ったこともたくさんありました。しかし、娘は「できるようになった姿」を何度も何度も私に見せてくれました。Upload By SAKURA「できないの壁」にぶつかったとき、心を軽くしてくれる合言葉今現在も、娘には難しい…できない…ということ、たくさんあります。何度繰り返してもできずに、気持ちが沈んでしまったとき、私はあの日、成長を実感し、嬉しくて泣いた日を思い出すようにしています。そして、「できるわけがない…」と思ってしまったとき、"今は"とつけ足します。"今すぐ"を期待するのをやめ、今は難しいけど、2年後は?3年後は?と、考えることで、焦りをなくすように心がけています。「今やっていることは、数年後にきっと生きる」。それが、娘の子育てと療育の中で、私が学んだことです。Upload By SAKURA
2018年09月12日不安いっぱいだった去年の夏休みの宿題、なんとか完成…!広汎性発達障害の娘は、現在小学二年生。去年初めて夏休みの宿題というものを経験しました。娘も初めてですが、私も親として小学生の夏休みの宿題に挑むのは初めてでした。まず、自分の頃と違うその量に驚きました。ちゃんと終わるのか…娘にやらせることができるのか…。不安いっぱいで挑んだ一年生の夏休みは、私が娘の横にぴったりとくっつき、どれをやるか指示することに。娘の調子や機嫌を探りながら、私が何ページやるかを決めると、娘は素直に言われた分を着々とこなしてくれました。順調に宿題は進んでいき、8月に入った頃、全部終わりました。Upload By SAKURA成長しているはずの娘、まさかの抵抗!?今年はなんだか手強いそして、今年もやってきた夏休みの宿題。去年の経験もあったので、同じような方法でいこうと思っていたのですが…今年の娘は一味違いました。Upload By SAKURA去年よりも自分の意志が強くなった娘は、宿題をすることに反抗するようになったのです。ここは予想外だった私。自分の意志がなく、フワフワしていると思っていた娘が、「やりたくない」と反抗したことは、うれしい成長ではありましたが、宿題が無事終わらないかもという不安もありました。宿題はやりたくないけど、何をしたらいいかもわからない宿題をしたくないというので、じゃあ好きなことをすれば?と言うと…Upload By SAKURA"好きなこと"という「自由」が苦手な娘は、「何したらいい?」と何度も聞きに来ます。そこで私たち親子は、夏休みの一日のスケジュール表をつくることにしました。スケジュールは私が娘に提案しながら、二人で相談しながら作っていきました。スケジュールに宿題の時間を入れることは、意外にも嫌ではない様子。そうして、スケジュール表が完成しました。スケジュールがあれば、自分で動ける!それから娘は、毎日スケジュールを確認しながら過ごしました。Upload By SAKURA私がやらせようとしたら嫌がっていた宿題も、時間になれば仕方なくですが動きます。せっかくの夏休みに窮屈なものを作ってしまったかと思いましたが、娘にとっては先の見通しが立つ安心につながったようでした。スケジュールを見ながら娘が自分で考えて動く姿は、一年前からは想像できないほど、しっかりしていました。いつまでやることを一つ一つ指示しないといけないのだろうか…と心配していましたが、娘は、その心配を吹き飛ばす成長を、見せてくれました。「イヤ」の裏側に成長があった。これからも親子で一緒に方法を考えよう宿題に関して反抗を見せた時、どうなることやらと不安でしたが、同時に娘は、自分で決めて一人で取り組むということができるようになりました。他のことに関しても、娘は私の言ったことに少しずつ反抗し始めています。Upload By SAKURAちょっと頭を抱えていた私ですが、「イヤ」という言葉の裏側には、何かしらの成長があると今回で学びました。反抗に対して、叱るばかりではなく、その真意を探ることもしつつ、臨機応変に対応できたらいいなと思います。
2018年08月29日親子が大好きな幼稚園の先生との出会い広汎性発達障害がある娘は、幼稚園入園時、無言で、表情もない状態でした。しかし、園で出会った先生は、無言の娘にたくさん声をかけてくれ、表情がない娘にたくさん笑いかけてくれました。Upload By SAKURAそして、みんなが当たり前にできることでも、嫌な顔一つせず対応してくれ、娘が一つできるようになると、一緒に喜んでくれました。当時の娘は、私の通訳がないと、言っていることを周りの人に理解してもらえない状態だったのですが…先生と娘はなぜか分かり合えていました。前回のコラムでその出会いについてご紹介しましたが、実はそのあとも、私たち親子は先生にとても助けられています。Upload By SAKURA3年間、一緒に悩み、一緒に成長を喜んでくれた先生に、親子共々支えてもらいました。卒園式は、私の方が寂しくて泣きそうでした。卒園後も、娘の中で先生の存在は消えず、「先生、元気かな?」「私、先生大好き!」とたびたび言っていました。卒園後、大好きな先生とばったり再会!先生から意外な提案がそして、娘が一年生の夏休みのこと。偶然、買い物に行った先で、先生とばったり会いました。娘と先生は再会を喜び、たくさんお話をして大盛り上がり。私も、卒園してから今までの学校生活や娘の成長を、先生に話していきました。私たちの話を、先生はうれしそうに聞いてくれました。Upload By SAKURA「もっと、あーさんの話を聞きたい」と思ってくれたのでしょうか。先生は私に「あーさんと文通させてくれませんか?」と言いました。娘は「やる!やる!お手紙書く!」とやる気満々。娘と先生は文通をすることになりました。読み書きが苦手な娘、はじめての文通にチャレンジ!しかしこの時、娘は文章を読むのもたどたどしく、まだ自分で文章を書くことができませんでした。今まで手紙を書くといっても、私が手伝いながら、頑張って書かせても一行程度。とても時間もかかっていました。先生からの申し出を、うれしいと思うと同時に「娘に文通なんてできるのだろうか」と心配な気持ちにもなりました。しかし、大好きな先生との手紙のやり取りは、「娘にとっていい影響を与えるに違いない!」そう考え、チャレンジしてみることにしました。Upload By SAKURA先生から届いた手紙を読む時、そして娘が返事を書く時は私がサポートしながら、二人は文通を続けました。娘の誕生日の時は、バースディカードも送ってくれました。「4歳、5歳、6歳、7歳と、あーさんに誕生日カードを書かせてもらえてうれしい」と書かれてあり、私は涙が出るほどうれしかったです。そして娘は、やり取りの中で少しずつ、少しずつ…先生の手紙をスムーズに読めるようになり、少しずつ、少しずつ…一人で返事を書けるようになっていきました。娘は私が想像していた以上に、楽しみながら手紙を書いています。どんなことを書こうか…先生に何を伝えようか…自分で考え、私のアドバイスなしで書く姿は、急にお姉さんになったように見え、とても成長を感じます。直接支援が終わっても、つながる気持ちに支えられている文通を始めてもうすぐ一年。娘は手紙が届くのを、そして返事を書くのを、毎回楽しみにしています。幼稚園の先生が、小学校に上がった今も娘のことを気にかけ、話を聞きたいと思ってくれるだけでもありがたいのに、「相手のことを考え、自分のことを伝える」そんなコミュニケーションを楽しく学ばせてくれる先生。卒園しても、娘を成長させ続けてくれています。Upload By SAKURAこの先生との出会いに、私たち夫婦は本当に感謝しています。これからもずっと、二人のきずなを深めていってくれたらうれしいです。私自身も先生とLINEのやり取りをしています。私とも是非、末永くつながっていてくれたらなーと思います(笑)
2018年08月15日その言葉…可愛すぎ!「あーさんのマイワールド」にママはメロメロ広汎性発達障害の娘は、小学2年生。言葉が出るようになってきた幼稚園のころから、「そう受け取ったの!?」「そんな考え方!?」というような、娘ならではの発言が炸裂していました。私たち家族は、その世界を『あーさんのマイワールド』と呼んでいます。Upload By SAKURA私たちは娘の、ユーモアと愛がいっぱいな世界が大好きです。例えば、雨上がり…Upload By SAKURA特に虹を見て言う言葉は、私たち家族の中では、幼稚園のころからおなじみの発言でした。小学生になった娘、「虹ってなんで出るんだろう」…?親子二人で買い物へ出かけたある日のことです。虹を見つけた娘。おっ、例の名言、出るかな出るかな?Upload By SAKURA嬉しいような、寂しいような…ちょっとショックな親心Upload By SAKURA内心、いつものお決まりの言葉を期待していた私。予想もしていなかった娘の言葉に、驚きました。と、同時に、「もう2年生だもんね。たくさんの経験から、また変わった見方ができるようになったんだ…」ちょっぴり大人になった、娘を感じました。ところが、私が感傷に浸っていると…しばらく考えた娘…やっぱり出ました「あーさん語録」!Upload By SAKURAが…結局、「あーさんのマイワールド」は健在でした(笑)揺れる親心。変化を喜びつつ、今の娘の姿もしっかり残しておこう♡長く娘ならではの発言と世界観につかっていた私たちは、オリジナルな表現方法を、個性として受け止められるようになりました。その一方で、娘がだんだん一般的な考え方や言葉遣いをするようになってきて、物足りないと感じるようになってしまったのかもしれません。独特の目線で物を見て、周りが想像していなかったようなみずみずしい表現は、大きくなるにつれて、きっと落ち着いていってしまうのかな…。普段、娘の言葉の発達を促すため、発育を追いつかせるため、あーでもないこーでもないと療育している私ですが、「成長が嬉しい!」と感じる反面、親としては「寂しい!」と思ってしまいます。きっと、娘はこれからどんどん成長し、変わっていくでしょう。この時期の表現を、今のうちに思う存分楽しんでおこうと思いました。Upload By SAKURA
2018年07月18日通常学級から特別支援学級への転籍。クラスの子どもたちの反応は…?2年生から特別支援学級在籍になり、順調に通い始めた娘。本人もすっかり慣れているようでした。しかし、私が心配なのは、クラスの子の反応でした。Upload By SAKURA娘が通常学級で過ごしていた1年生の時は、準備が遅いことや、すぐ泣いてしまうこと、失敗をからかわれて、一部の子たちとのトラブルが絶えませんでした。クラスの子が直接私に、娘のことを言いに来ることもありました。そんなことがあったので、娘が通常学級から特別支援学級に行くことを、からかわれたりするんじゃないか…と気になっていたのです。学校側で子どもたちに話してくれたそんな気持ちを汲んだ学校側が配慮してくれました。Upload By SAKURA1年生の時には、娘が慣らしで支援学級に行く時に、担任の先生が前もってきちんとクラスの子に説明を。2年生になってからは、道徳の授業に、養護教諭の先生が特別支援学級について話す機会をつくってくれました。保護者にも伝えておきたい娘のこと私も、自分ができる行動が何かないかと考えました。そういえば、娘が特別支援学級に通うのを見た保護者の方が疑問に思うかもしれない。子どもに聞かれて、答えにくいかもしれない。保護者の方にもきちんと伝えておいたほうがいいんじゃないかな。そこで、2年生の最初の保護者会で、お話しすることにしました。娘の障害のこと、2年生から特別支援学級在籍になったこと、国語と算数の時間以外は、みんなと一緒に過ごさせてもらうこと…Upload By SAKURAドキドキしながら、顔をあげると、ポカンとする人…驚く人…黙ってうなずく人…。反応や表情は様々で、みんなどう反応したらいいかわからないような感じでした。それでも一度話しておくことで私が娘の特性を認めて、特別支援学級に通っている、決して悲観的ではないと伝わった方が、後々のためにいいと思ったのです。子どもたちの反応が変わった?2年生になり娘の新しい学校生活が始まって、私が一番驚いたのはクラスの子たちの変化でした。道徳の時間での説明のおかげで、子どもたちの意識も何らか変わったのでしょうか…娘が特別支援学級在籍になってから、お友達とのトラブルがほとんどなくなったのです。娘は普段、スクールバスで帰宅しますが、様子を見に行くために、週に何度かは学校まで迎えに行っています。学校へ着くと、私を見つけた子が声をかけてくれます。Upload By SAKURA更には別の子が、娘の手を引き、荷物を持つのを手伝ってくれ、私のところまで送り届けてくれます。「今日はあーさんね!絵を上手に描いてたよ!」や「体育頑張ってたよ!」と報告をしてくれます。さらに、1年生の時に娘と揉めることが多かった子たちが、娘をフォローする姿をたびたび見かけるようになりました。周りの理解とフォローが嬉しい!Upload By SAKURA子どもたちの優しさを感じるたび「いつもあーさんを助けてくれてありがとうね」と声をかけます。学校のイベントの際には、いつも助けてくれる子の保護者の方々にも、「いつも優しくしてもらってます、ありがとうございます。」とお礼を忘れないように心がけています。私たち親が娘の障害を認めていても、私たちだけでは、起こるすべてのことを乗り越えることはできません。周りの理解があって、助けてくれる…それが本当にありがたく、感謝の気持ちでいっぱいです。人は一人では生きていけない…発達障害がある娘はなおさらそうです。いつも周りの人たちに感謝の気持ちを忘れないように、これからの娘を応援していきたいと思います。
2018年07月04日2年生から特別支援学級に転籍する娘。大丈夫かな…?2年生から特別支援学級在籍になった娘。1年生の10月、慣らしのために特別支援学級へ行くと決まった時は、1日1時間だったこともあり、簡単な説明で済ませてしまった私…。Upload By SAKURA娘も深く考えていないような、あっさりとした返事でした。しかし2年生からは、「自分のクラス」が特別支援学級になります。通常学級での娘は交流という扱いになるので、出席番号も一番最後に変わります。色んな変化で娘が戸惑うかもしれない…。ちゃんと理解することは難しいとは思いますが、私は娘に、なぜ特別支援学級に行くのかを丁寧に説明しようと決めました。「こんな時、あるよね?」娘に説明してみたそこで私は娘に、こんな風に話をしました。Upload By SAKURAUpload By SAKURAなんとなくわかっただろうか…いよいよ特別支援学級での新学期がスタート!初日の感想はまさかの…?心配しながらも2年生になる初日の朝、娘を送り出しました。この日、私は放課後、娘を学校まで迎えに行きました。通常学級のホームルームと、特別支援学級のホームルームを終え、出てきた娘は、ちょっと疲れているように見えました。初日の感想を聞くと…Upload By SAKURA2つも教室があってすごい…!?なんとも前向きなその考え方に、脱帽しました。教室移動もバッチリ!対応できている娘に一安心娘は今、国語と算数の授業を支援学級で受け、他の時間は通常学級で過ごしています。Upload By SAKURA本人も「国語と算数は特別支援学級」という流れをきちんと把握し、時間になれば、教科書をもってクラスを移動するそうです。娘は、変化に対して柔軟に対応できていました。娘に伝えたい「特別支援学級にいる意味」より大切なこと私たちが、迷いに迷って決めた特別支援学級という選択。娘に受け入れてもらえないんじゃないかと心配もしていました。しかし娘は、私の予想以上に支援学級をすんなり受け入れてくれ、なじんでくれています。おそらく娘は、特別支援学級にいる意味を完全には理解していないと思います。何故ここにいるのか、自分は何が苦手なのか…親としては、自分の特性や苦手を知る上で、将来的にはある程度理解してほしいと思っています。特別支援学級はみんなは通わないけれど、あーさんが成長する過程で必要な場所…ここは後ろめたく思う場所ではないということも。でも、ちゃんとわかるのは今じゃなくていい。それより、伝えたいのは『いる意味』よりも大切な、娘に合う場所で『マイペースに、ゆっくり頑張ろう』ということ。Upload By SAKURA新しくスタートを踏み出した娘を、引き続きサポートしていきたいと思います。
2018年06月13日広汎性発達障害の娘が特別支援学級に通い始めた!小学校入学後に通常学級が合わなくなってきて、2年生からの特別支援学級への転籍が決定した娘。特別支援学級在籍のための手続きが無事終わったのは9月でした。あとは3月ごろ、教育委員会から最終決定の書面が届くのを待つのみとなりました。そして養護教諭の先生から提案され、翌月の10月から、娘は1日1時間だけ支援学級へ通い始めました。Upload By SAKURA娘は、支援学級に行くことをすんなり受け入れてくれました。娘は「楽しい!」と言ってるけど…実際どんな風に過ごしてる?特別支援学級の慣らしが始まって、初日から「楽しい」という娘の言葉を聞くことはできたのですが、肝心の雰囲気、勉強のやり方、周りの様子など、特別支援学級での授業の様子が気になります。ところが、娘に聞いてみたところ…Upload By SAKURAすぐに、担任の先生、養護教諭の先生にお願いしましたが、授業参観やそれ以外の都合がなかなか合わず…年が明けた1月、やっと念願の見学できることになったのです。特別支援学級での国語の授業を見学見学する授業の教科は選ぶことができたので、私たちは娘が苦手とする、国語の授業を見学することにしました。娘が座る机の前に、養護教諭の先生が座り、家庭教師のような状態。本読みする時は、先生がそばにいてくれるようです。Upload By SAKURA娘が読むのに疲れ、集中が切れてしまったと感じると、深呼吸させたり、背伸びをさせたり、気分転換させてくれています!選ぶことが難しい娘、先生の対応は…?この日のメインは調べ物の授業。通常学級で後日やるお題選びを、特別支援学級で決めておく、というものでした。娘は、選択が苦手。自分が興味のないことだとなおさら。とりあえずなんでもいいから決める、ということがなかなかできません。この時も、案の定、先生から『この中でどれにする?』と言われた娘は、なかなか選ぶことができません。Upload By SAKURA親としては、見ていてなんとも歯がゆい感じ。娘は、「ちょっと考える…」と言ったままフリーズ。しかし、先生は娘を焦らせることなく待ちます。「どうするのかな」と思いながら見ていると、しばらく待った先生はお題の中から2つ取り、娘に聞きました。Upload By SAKURA常に先生は娘に二択から選択させました。二択になった娘はすんなり決めることができ、最後に残った一つにお題が決まりました。これなら娘も選びやすい!娘に合わせる特別支援学級のやり方に感激!娘に合わせてくれたこのやり方に、私は感動!特別支援学級という場所で、本当に娘に合った方法を取ってくれるのかと、不安だった私ですが、見学をしたことで、私の不安は一気に吹き飛ばされました。ここでいい!いや…ここがいい!ここで学んだら、娘も伸びるかもしれない!Upload By SAKURA不安が希望に変わりました。娘は2年生から、この特別支援学級に在籍し、国語・算数の授業のみ、特別支援学級で受けています。そして、特別支援学級の担任は、見学の時に担当してくれた養護教諭の先生です。特別支援学級の担任と通常学級の担任の連携も取ってくれ、連絡もこまめに取ってくれます。一年生の時あんなに迷った進級先でしたが、私の選択は、今のところいい方向に行った気がしています。娘が笑顔で学校生活を送れるように、私も引き続きサポートして行きたいと思います。
2018年05月30日「正直、もう学校と波風立てたくない…」そんな私に喝を入れたパパの一言8月。進級問題に悩んだわが家でしたが、無事、主治医の先生から診断書を受け取り、学校に提出しました。次年度からの特別支援学級希望の手続きに移り、ようやく終わりが見えてきた時…主人が「最後にこっちの気持ちを話すから、先生に時間取ってもらって」と、担任の先生との面談を希望しました。「こっちがモヤモヤする思いは伝えないとダメ。それを先生たちがどうとらえるかは、わからないけど、 こういうことは言ってほしくない…ってことは伝えるべき」 と言う主人に私は、「え!言うの!? 波風立てないようにして!うまくやっていきたいもん!」 と猛反対。それを聞いた主人は呆れながら「あのなぁ…そういう問題じゃないの!これからあーさんのような子がきっと入学してくる。 その子たちのため、その子たちの親のためにも…言わなきゃいけないこともある。 俺たちがもうこれでいいから、いいや! 波風立てないように…じゃないんだぞ?俺たちが通った道は、後から通る人のために、少しでも歩きやすくするのが俺たちの役目だ!」と言いました。Upload By SAKURAこの時、私は主人の思いに胸をうたれました。同時に、自分のことしか考えてなかった自分が、とても恥ずかしくなりました。「嫌なら、俺だけでもいいよ?」と主人は言ってくれましたが、その思いに、納得した私は腹を決めました。そして、進級問題最後の面談に向かったのです。私の代わりに学校に伝えてくれた、モヤモヤするけど言いにくい気持ち面談では初め、担任の先生、同席した養護の先生から、決定事項の確認や次年度の説明がありました。話が終わると主人は、 「僕たちから、ちょっとお話してもいいですか?」 と言い、落ち着いた口調で、それでいてストレートに、今まで私が学校に対して思っていたことを話していきました。「夏休みの宿題の件ですが…やる前から、 "やらなくてもいい"というのは言わないでほしかったです。良かれと思っての気持ちも分かりますし、気にかけてもらってありがたいのですが…母親が頑張って必死にやってくれていますから、今のところ大丈夫です。 本当にできなかったときに、こちらから言いますので、その時は甘えさせてください」などと、私たちが今までモヤモヤしたこと、疑問に思っていたことを一つひとつ丁寧に伝えていきました。そして、最後に…「これから、発達障害のある子は増えていくと思います。今のクラスの子たちもきっと、中学、高校と進学して大人になっていく過程で、必ず出会うと思います。その時、あぁ、そういえば小学校の時にいたな?って、僕たちが今大人になって思うように思い出す。娘が、同級生たちの…経験の一つになれば嬉しいです。 娘は本当に純粋ないい子です。 あの子の良さを尊重しつつ、社会に出ていけるような状態にするのが、 僕たち親の役目だと思っています。先生もたくさんの子どもたちを一人で見られて、 本当に大変と思いますが、残りの1年生の間と、特別支援学級在籍になってから… 娘のこれからの成長のため、できる範囲で構いませんので、どうかご協力をお願いします」そう言うと、頭を下げました。そして、9月…特別支援学級進級の手続きはすべて終了しました。Upload By SAKURA進級問題は私たちだけじゃない!他の親子も通る凸凹道を歩きやすくこの主人の行動と言葉に驚きました。「わが子のためにできることはやる」だけではなく、これからの子どもたちのことを考える主人は、私の何歩も先を行っていたのです。今回の進級問題、振り返って見ると、一つひとつに大騒ぎして動揺していた私とは違い、いつも状況把握は、聞いた話のみだった主人。そんな主人は、一緒に考えてくれていても、きっと私の話を100%理解してはくれないだろうと内心思っていました。しかし、私のモヤモヤする思いも代わりに伝えてくれ、これから入学してくるだろう発達障害のある子と、その親御さんのことまで考える姿勢に、感動しました。今回の進級のことで、私たちの通ってきた道は…Upload By SAKURAもちろん、わが子の進路を決めるのに、簡単な道はないと思います。でも、少し距離の短くなる橋や、登りやすい階段…私たちが通っただけではそんな立派なものはできないかもしれないけど、川があったときに橋に使う材料ぐらいは、置いてあげられていたら嬉しいな(笑)辛かった進級・進学問題から学んだ今、できること偉そうかもしれませんが、娘の小学校入学、1年生、進級…と、経験した私たちが、進学・進級問題において今、振り返って言えることは、以下の4つです。「自分が(子どものために)どうしたいのかという思いを大切に」「子どもとそして自分が、笑顔になれる道を一番に考える」「周りの意見に流されない」「学校、地域のリサーチはしっかりと」周りの意見をたくさん聞くことも大事ですが、聞きすぎると自分の意見が消えてしまいます。そして、周りはそれぞれの立場で違うことを言うものだということも…「良かれと思って…」と、色んなことを言ってくる人がいるかもしれません。でも、「みんなが納得する答え」や「絶対に誰にも何も言われない判断」なんてないのではないでしょうか?もし、そんな場面に出会い迷ったら、自分がどうしたいのか…それを大切にしてほしいと思います。親御さんが悩んで悩んで、苦しみながら決めたことです。 その決断は「誰よりも優先されるものであってほしい」。少なくとも私は、そう思います。…と言っている私ですが、今選んだ道が、正解だったか、正解じゃなかったか、分かりません。それが分かるのは、ずーっと後だと思います。今信じることを、今できることを、選択する。 結局それしかないと思います。Upload By SAKURAこれで、私たちと娘が経験した進級問題はひとまず終わりです。このコラムが、少しでもお役に立てたら嬉しいです。最後まで読んでくれてありがとうございました。
2018年05月16日主治医の先生に、特別支援学級進級のための診断書を頼まなきゃ夫婦で悩みながら、なんとか娘の次年度からの進級先を決めた私たち。しかし、まだやることが残っていました。それは、ずっと「通常学級」を勧めてくれていた主治医へ「特別支援学級にする」という報告をすること。そして、特別支援学級に進級するためには、主治医に診断書を書いてもらう必要があります。Upload By SAKURA実は、娘の進級先が決まる前から、7月にWISCという発達の検査を受けることになっていました。今現在の娘の得意不得意を詳しく理解し、家庭・学校での生活や、今後に役立てたいと思い、「1年生になったら・・・」と予約していたのです。7月の検査の日には、主治医の先生に会うことはできませんでしたが、WISC検査の結果が出た8月、先生から直接説明を聞くために病院を受診しました。「これなら通常学級で大丈夫!」検査の結果を見て喜ぶ先生に言いづらい…Upload By SAKURAあんなに通常学級を勧めてくれていた主治医の先生に、「特別支援学級にしました」と言わなければいけません。「通常学級の方がいいって言ったのに」なんて思われるんじゃないか…、ムッとされるんじゃないか…と、私は内心ビクビクしていました。検査の結果、娘のIQは凸凹はあるものの、すべて平均点内で、総合IQは、90。知的障害はありませんでした。主治医の先生は、この検査結果を見て、「項目によって凸凹が多いのは、こういう子たちの特徴だから。 知的障害はないですよ。 前より、実年齢と比べての激しい遅れもなくなっている。言語が苦手なだけで、今から少しずつ成長していくよ。ここまで来れたんだから! 成長のスピードも個性だよね!通常学級で大丈夫ですよ。」といつものようにニコニコ。しかし私は、診断書をもらうため、先生に「娘の特別支援学級行き」を伝えなければなりませんでした。思い切って「特別支援学級への進級」を報告私は、テスト結果の説明を終えた先生に「実は、今の学校に特別支援学級があったことがわかりまして。2年生から特別支援学級に行くことにしました」と事情を説明しました。Upload By SAKURA私は、 今まで学校で起きたことや、 自分の今の思いを、主治医の先生にお話ししました。「きっと今の先生は、お母さんと娘さんには合わなかったんだね。特別支援学級の方が、もしかしたら娘さんにぴったりの先生がいるかもしれないね。特別支援学級に行く…というよりは、特別支援学級と通常学級のいい所取りをしちゃいましょうよ!そう考えると、他の子より手厚いですね!」先生は、ムッとするどころか、私がこの決定に揺るがないよう、後押しする言葉をくれました。Upload By SAKURA「みんなに合う担任なんていない」先生の言葉に救われる1年生時に娘を担任してくれた先生は、低学年担任の経験も多いかなりのベテラン先生。クラスの保護者の方と話をしていても、皆さん今の担任の先生に、かなりの信頼を寄せていることはよくわかりました。「お兄ちゃんが○○先生(娘の担任の先生)に担任してもらったよ。とってもいい先生!だから、この子も見てもらえて嬉しい!」という声を、何人かの同じクラスの保護者の方から聞きました。悪い先生ではない…それはわかっていました。だからこそ、自分が違和感を感じるたび、どこの学校に行ってもある当然の対応のはず…と言い聞かせてきました。そんな私の思いに、主治医の先生は言ってくれたのです。「担任の先生との相性ってのは、すごく大事なんだよ。今の担任の先生がぴったり!って子もいれば、合わないなぁーって子もいる。みんなに合う先生なんていない。娘さんにぴったりで、お母さんの考え方に近い先生に見てもらうのが一番だよ」そして「お母さん、大変だったね~。いっぱい悩んで考えて…よく頑張ったね!」と労いの言葉までかけてくれました。それから先生は「よし!じゃぁ~診断書がいるよね?書くね!」 と、娘が特別支援学級に行けるように、診断書を書いてくれました。いつも精神状態がバラバラで来る私を、ニコニコ迎えてくれ、話をしっかり聞いてくれる主治医の先生には、本当に感謝しています。 困った時に的確なアドバイスをくれ、娘のことばかりか、私の思いまで汲んでくれる主治医の先生との出会いをありがたく感じました。Upload By SAKURA絶対に正しい判断はないから。大切にしたい親としての正直な気持ち娘の進学、進級問題において、当初から医者の意見に従えば間違いないと思っていた私でしたが、実際はそう簡単ではありませんでした。進学先、進級先を決める上で、主治医の先生の判断、アドバイスというものはなくてはならないものです。もちろん、専門の知識を持った先生ですから、その判断は医学的に見れば正しいのでしょう。でも主治医の先生…担任の先生…周りの人…それぞれのアドバイスは、絶対ではありません。そのアドバイスや思いを聞いて、保護者が悩みながらも判断し、決定する…それこそが絶対に大切にすべきことだと今回の娘の進級先を決めた経験から気づきました。主治医の先生であっても、来院した時の様子だけではわからないことがあります。私は今まで、発達外来の検診のたびに、学校での困りごとなどを話してきました。しかし、担任の先生に言われたことを、自分がどう感じているかや、やりにくさを話していませんでした。実際の学校生活の様子、担任の先生や周りの意見ももちろんですが、自分の感じることや不安…を正直に伝えることが大切だと思いました。Upload By SAKURA
2018年04月18日娘の進級先、選択肢は増えたけど…みんなの意見が違う娘の次年度の進級先について、担任の先生との話し合いの中で、知らなかった情報がわかった私たち。今後の選択肢が、①通常学級②通常学級在籍で、支援学級へ通級③支援学級在籍で、交流学級へ通級の3つに増えたと分かった6月…。選択肢が増えたことで、さらに悩みも増えてしまいました。Upload By SAKURA最初、この話を聞いた私は、今まで通常学級で過ごした娘の日々の様子や、授業での問題、お友達とのトラブル…いろいろな出来事を踏まえ、「支援学級があるなら、支援学級がいいんじゃないかな?」と考え始めていました。しかし、直前の定期検診で主治医の先生に「通常学級がいい」と言われていたし、主人や、主人の両親は、(支援級があったことを知っても)通常学級を希望していました。娘が通常学級で学んでいることで成長している、そのことに大きな価値を感じていたからです。でも、私は、このままではいけないとも感じていました。何かしら支援は必要…でも、みんながそういうなら、通常学級在籍のまま、通級という選択の方がいいのかもしれない。自分の気持ちと、周りの考えに揺れつつ、自分の思いと決断に自信がなかった私は、無意識に周りの意見に流されていったのです。進級の希望を伝えた面談で、担任の先生が話した言葉そして、後日、再び担任の先生との面談が。前回言われた、3つの選択肢の中で、どれにするかを決める話し合いでした。私は、周りと意見が分かれてしまい、モヤモヤしていた状態でしたが、担任の先生に、「まだ考え中ですが…主治医の先生も、通常学級を勧めてくれているし…主人も、身内も、通常学級を希望していますので、通常学級在籍で、通級にしようかと考えています。」と伝えました。しかし、それを聞いた先生は無言…。そして、自分の経験を話し始めました。Upload By SAKURA私たちは、娘の最大の課題は、学力ではなく、「人とのコミュニケーション」の部分だと考えていました。先生やお友達とのコミュニケーションを学校生活で一つひとつ学ぶことで、今娘が抱えている、「授業での問題」「お友達とのトラブル」は改善するのではないか…。そんな思いを話すと、先生は、「コミュニケーションの部分が課題…ということですが、支援学級在籍でも、朝の会、体育や道徳などの教科、給食や掃除、帰りの会は、通常学級で受けられます。ということは、支援学級在籍でも十分ではないでしょうか?」と、娘に支援学級在籍を勧めました。Upload By SAKURA担任・主治医・家族の意見が違う。そして私は…?主治医の先生、主人、担任の先生…。それぞれが、違う意見だったのです。Upload By SAKURA担任の先生の「支援学級」を勧める話を聞いた時、私は正直、ショックでした。きっと…担任の先生は、親である私たちの意見を尊重してくれる…私たちが出した決定には、何も言わないはず…そう思い込んでいたからです。「私たちの考えは甘い、現実はもっと大変なんだ」と暗にさとされた気がしました。しかし、現場で実際に娘を見ている人の意見は、説得力がありました。私は、ショックな気持ちと、そうか…と納得するような複雑な感情になりました。娘にとって一番いい場所を探したいからこそ、ますます決定できないその日は結局、決定を保留にして帰宅。私は主人に、担任の先生から言われたことを報告しました。主人は、「最終的に決めるのは、俺たち親なんだろ?先生の意見はわかるけど、親の意見が優先だろ?俺たちは、通常学級のままという希望を出すこともできるんだぞ」と言いました。主人は、娘のコミュニケーション能力を上げるためには、少人数の支援学級より、大人数の通常クラスの方が多くの刺激を受けられるのではないか…。そう考えていたのです。Upload By SAKURA娘の将来を決める、大事な決定。周りを気にして、決めてはいけない。それを理解しつつも、このまま先生の意見を無視して、通常学級にすることは、先生に申し訳ないし、気まずい…と思ってしまいました。結局私は、周りに気を使うというより、自分の意見を押し通して、批判されるのが怖かったのです。そんな私とは違い、揺るがない意志で、娘のために、娘のことを真剣に考え、進級についての意見を言う主人を見て、私は自分の弱さに、嫌気がさしていました。娘にとって、何がいいか…それがわからない状態で私の頭は、どんどん混乱していきました。結局、すぐに答えは出ることはなく、とりあえず、進級についての決定の最終期限である9月まで、私たちは考えることにしました。「宿題、やらなくていいですよ」の言葉に、感じた複雑な気持ちそれから一か月ほど経った、7月。修了式に、大荷物を抱える娘を迎えに行ったときのこと。担任の先生と、夏休みの宿題について話をしているときのことです。先生が、「宿題は無理して全部やらせなくていいですよ。暗記の宿題は、毎年クラスで数人しか覚えてこないんです。だから…娘さんはもうやらなくてもいいですよ。」と言いました。私は…娘がみんなと同じ宿題を、同じ課題を、できるようにするため、今までいろんなやり方で娘と頑張ってきました。宿題も、やらなかったことは一度だってありません。そんな思いでやってきていたこともあって、やる前に「やらなくていい」と言われて、とても悔しくなりました。しかし、それと同時に、先生が良かれと思って言っているであろうことも理解できたのです。私は、両方の感情が入り混ざって、自分の気持ちがわからなくなってしまいました。Upload By SAKURA無意識に負い目を感じていた私。感情も抑え込んでいたのかもUpload By SAKURA私は…こういう発言に、傷ついてもいいのかな…?もしかして「そういう子を通常学級に入れてるんだもの、当たり前だよね」と思わなければならないのかな…?小学校に入学して、娘がいろんな問題にぶつかるたびに、親として感じる思いはありましたが、「これに傷つくくらいなら、そもそも通常学級は向いていないんじゃないか…」そう自分に自問自答しながら、無意識に、自分の感情に自分でブレーキをかけるようになっていたのです。娘が小学校に入学してから、私は学校でよく謝っていました。娘ができないこと(作文や授業中の指示への反応など)を報告されるたび、「いつもすみません」「迷惑かけてすみません」と謝る。それは、手のかかる子を通常学級に入れているという申し訳なさがあったからでした。だけど、娘ができないのは娘のせいではない…娘が悪くないことで、私は謝りたくない…そう思いながらも、「発達障害がある子を通常学級に入れるというのはこういうことだ…」と自分に言い聞かせていました。自分の抱いた感情を自分で抑えているせいで、感情の行き場がなく、必死にこの思いの行き場を探していました。もう耐えられない…正直に気持ちを打ち明けてみた担任の先生、主治医の先生、家族の意見が違う中で、肝心の娘は、というと。通常学級がいいか、支援学級がいいか…今が辛いのか、楽しいのか…はっきりとは言いません。それなのに、大人が進級先を決めていいのだろうか。考えれば考えるほど、自分以外の人の話に、耳を傾ければ傾けるほど、もうどっちを選べばいいか、わからなくなりました。そして主人に、「このまま通常学級にいたら、私の頭と心が耐えられない…」と、今の私の正直な気持ちを伝えました。Upload By SAKURA主人の正直な思いは、通常学級だったと思います。でも、私の話を黙って聞いて、それから言ってくれたこの言葉が、私の悩みを楽にしてくれました。「わかった。たぶんお前は支援学級の方が、気持ちが軽くなると思う。直接向き合ってきたのも、見てきたのもお前だから、お前が『支援学級』と思うなら、そうだろうと思う。いいよ、支援学級にしよう!俺たちの子なら、どこにいても伸びると思う!」そして、ようやく、2年生からの進路が「支援学級」に決まったのでした。完璧な正解なんてわからない。だからこそ親として…娘の大事な進路を決めるあたり、悩む時間は不可欠だったのかもしれません。周りの意見は大事だし、話し合いも必要です。悩まなければ、結論は出ない。でも…周りを気にしすぎた結果、私は必要以上に悩んでいたような気がします。もっと自分の意見を大切にしていたら…主張していたら…もっと周りに流されずにいたら、冷静に決められたのかな、とも思います。周りの立場や思惑を気遣いすぎないようにして、我が子のために、自分が本当はどうしたいのかを大切にした方がいいのかもしれません。もちろん、この決断が正解なのかはわかりません。今回の私たちの決定に「間違ってる!」と思う人もいるでしょう。でも、何を選んでも、みんなが『それでいい!』という決定はないのではないかと思います。どっちにしても、反対意見はある。それに、正解か不正解か分かるのは、もっとずーっと先なのではないでしょうか。親が必死に考えた決断が、現状では最善なのです。もし、この先、「あぁ…あの時、間違ったな~」と思えば、そこから切り替えていけばいい。今も、これからも、最善の方法を娘のために探していく。それが決断をした私の…私たちの、親として役目かなと思います。Upload By SAKURA
2018年04月04日通常学級?それとも通級?娘に合う居場所探しに悩む日々私たち夫婦は色々と迷った末に、広汎性発達障害の娘を小学校の通常学級へ進学させました。しかし、最初は順調だった学校生活も、だんだんと娘には合わなくなってきました。娘の学校での様子を、実際に見て…先生から聞いて…通常学級を選択したことを後悔し始めた私。主人も私の話を聞き、娘の学校生活を以前より、さらに気にかけるようになりました。しかし…今通う学校には支援学級がなく、通級として支援用の教室に通うしか選択肢がありませんでした。通級だけで大丈夫だろうか?それとも…もし、娘には支援学級が合っているなら学校を転校しても支援学級に通わせるべき?迷った私たちは、ちょうど予約していた5月末の発達外来の定期検診で、主治医の先生に現状を相談することにしました。学校での娘の現状、授業への遅れ、友達とのトラブル、私自身が感じる不安…全て話しました。Upload By SAKURA私は、すぐに結果を求めすぎていたのだろうか…結論を決める前に、もう少し様子を見てもいいのかもしれない…そう思い、定期検診を終えました。いざ、今後の方針を話し合う個人面談へ!そして、6月。発達外来の定期健診の報告を兼ねた個人面談で、今後の方針を先生と話すことになりました。そこで先生は、「今後は3つの選択肢があります」と言いました。3つ…?2つ(通常学級か、通級か)じゃないのかな…?思わず私が聞き返すと…Upload By SAKURA先生「通常学級、通常学級在籍で通級、支援学級在籍で通常学級に通う…この3つですね。」私「…え?…支援学級…この学校にないんじゃ…」先生「え?支援学級ありますよ?」そう…今通っている学校に、支援学級はあったのです!支援学級があった!?知らなかった事実に動揺Upload By SAKURA私たちは就学前に、「(娘の通う)○○小学校は、支援学級がなく、通級のみ。」と聞いていたのです。聞いた話と違う!なんで!?と、私は驚き、動揺しました。しかし、同時に「良かった!この学校にも支援学級あるんだ!この学校内での選択肢が増えた!」とホッとしました。3つの選択肢を喜んだ私たちでしたが、内心・・・「もし・・・もし入学前に、この3つの選択肢のことをしっかり知っていたら・・・何か違っていたかもしれない。」過ぎてしまったことを、今更後悔しても仕方ないのかもしれないけど、そんな気持ちでモヤモヤしていました。行き違いが生まれたわけは、わからないけれどそもそも、この行き違いはどこで生まれたか。私たちは引っ越し前の就学相談の段階で、支援員の要請などの手続きをするため、引っ越し先の地区の行政に、事前に受けていた「就学前発達検査の結果」「支援員要請書」の提出をしました。その際に、娘が通う小学校の支援体制の説明を受け、「(娘が通う予定の)○○小学校は、支援学級がありません。通級のみですが、大丈夫ですか?」と言われていたのです。この時には、すでに主治医の先生から「支援員の要請さえすれば、通常学級で大丈夫」と言われていたので、支援学級がないことを知った上で、家から一番近い小学校への入学を決めました。その後、入学前に何度も小学校の先生とお話をする機会はあったのですが、話の中で「通級」という言葉は出ても、「支援学級」という言葉は、私たちからも先生からも私たちからも先生方からも出ませんでした。そのため、私たちはすっかり「支援学級」はないものと思っていたのです。その上、後からわかったことなのですが、最初、学校側は、娘が「支援学級希望」だと聞いていたようです。それなのに、入学直前になって「やはり通常学級で」と行政から言われたそうです。支援学級入学で動いていた先生たちは、かなり慌てたとか。私たちは、最初に受けた(支援学級はないという)説明を聞いて、「支援学級がないのであれば、通常学級しか選択肢もないし…主治医の先生も大丈夫と言ってくれてるし、就学前の発達検査でも通常学級の判断だったので…通常学級で。」と言っただけなのです。学校の先生方は、私たち親が急遽変えたことを不思議に思っていたようなのですが、「保護者が通常学級を(強く)希望している」と思ったのかもしれません。それもあってか、入学して数か月間、「支援学級」の言葉が出なかったのかもしれません。その結果、ここに行き違いが生まれたようなのです。今となっては、何故こんな行き違いが生まれたか…詳しくわかりません。Upload By SAKURA大切なわが子の進路。行き違いから学んだことは今になって、冷静な頭で考えると、行政に頼りっきりでいたこと…人から聞いた話を、確認もせずに信じ切ってしまったこと…直接、自分で学校へ出向かなかったこと…娘の就学先を決めるにあたり、それは、私たちの失敗でした。ただでさえ初めてのことで、どういう手順で動いていいかわからないのに、直前に引越しをすることになったことで、通常より複雑な手続きになってしまった。わからないから、できるだけ行政や就学相談の時に聞いて、その通りに動いたつもりでしたが、結局行き違いが生まれました。もし選択肢が、就学前にあったら…今さらそれを考えても仕方ないのかもしれません。でも、大切な我が子の進路。人任せにするのではなく、自分で動いて、きちんと重ねて確認する…しつこいと思われるぐらいの確認でちょうどいい、そう思いました。皆様が私のような失敗をしないよう、良くも悪くも参考にしていただけたら、嬉しいです。Upload By SAKURA
2018年03月21日入学前に通常学級を選択した話娘が広汎性発達障害の診断を受けたのは、4歳(年中)の時。しかし、それより前の3歳(年少)の頃から、進学先について、夫婦共々、真剣に考えていました。発達外来の主治医のアドバイスもあって、年中は「療育に積極的に取り組む一年」として、いろんなトレーニングや言語訓練、自宅療育に取り組みました。そして、年長になり、進学先を決める時期になりました。娘の進学に関しては、私たちも初めてのこと…。正直、どこを選ぶことが正解かわかりませんでした。基本は娘が楽しく過ごせるところ。そうであれば、特別支援学校でも、支援学級でも、通常学級でも、どこでもいいと考えていました。Upload By SAKURA進学先を決めるにあたり、色んな人に相談したり、話を聞いたりしました。夫婦で、たくさん話し合いました。最終的には、発達外来の主治医の先生から「支援員の要請さえすれば、小学校の、通常学級で大丈夫だと思いますよ。」と言われたことが決定打となり、地元の小学校の、通常学級に進学することに決めました。私たち夫婦も「できるならみんなと同じことをこなせるようになって欲しい…少しレベルの高い所にいた方が、頑張れるのではないか…」そう考えたのです。入学直前に引っ越した我が家。同級生と馴染むために工夫もしました私たちは、娘の小学校入学直前に引っ越しをしたため、今まで通っていた幼稚園から、同じ小学校へ進学する子が一人もいませんでした。さらに、娘の通うことになった小学校は、付属の幼稚園からそのまま持ち上がりのシステム。娘以外の全員が、すでに仲良しの状態なのです。そこで私たちは、入学式の2か月前から、同じ小学校に入学する子たちが通う幼稚園のスポーツの日に週一回、数時間だけ通わせてもらっていました。少しでも、入学前にみんなと仲良くなってもらい、入学してからのスタートがスムーズになるようにしたかったからです。事前に交流を持っていたこともあって、入学当初は順調でした。お友達もたくさんでき、喧嘩はあっても、それなりに楽しく過ごせていている様子。小学一年生の授業も最初はそんなに難しくないこともあって、なんとかついていけているようでした。Upload By SAKURA授業が進み難しくなった頃、担任からの相談&報告が増えて来て…しかし、入学してしばらく経った頃から、だんだんと授業についていけないようになりました。支援員が入らない時は、全くついていけず…特に作文や感想文、日記などの、文を書く授業は困難でした。元々、言語自体が得意ではないため、何を書くかを考えたり、そのことを頭に置きながら、文章を構成することが娘にとってはすごく難しいのです。文が書けず、1時間白紙のまま固まっていたり…。そのことを、担任の先生から相談される回数も、増えていきました。文章を書けないことを先生に注意され、本人も困ってしまいます。そして、お友達同士のトラブルの内容も、少しずつ、娘には難しいものになってきました。娘は、自分が思っていることを、言葉で表現するのが苦手です。お友達から、自分がやっていないことで責められても、「私じゃない!」と自分の主張をうまく言えず…責められ続け、泣く…そして、さらに責められる…そんな姿を見ることも増えていきました。そんな状況の中で、お友達から、「なんであーさんはすぐ泣くの?」「なんで日記が自分で書けないの?」などと言われることが、どんどん多くなってきたのです。Upload By SAKURAもしかして、親のエゴで娘が合わない環境にいるのかな…私はこの時、自分が通常学級を選択したことが、間違いであったのではないかと思いました。そのために我が子が嫌な思いをしているのであれば、その決定は親のエゴだったのではないか…と考えるようになりました。とにかく状況をなるべく詳しく把握しようと、私は、なるべく学校に出向き、娘の学校の様子を見に行くことにしました。Upload By SAKURAトラブルはいつもじゃない。楽しそうな様子も見えてきたことで、深まる悩みしかし、実際のところ、悪いこと(娘がつらい状況)ばかりではなく、お友達と楽しく遊ぶ様子や、お友達に助けてもらっている様子も見えます。娘に聞くと「学校は楽しい、お友達は優しい」と言います。ただ、それが本心かどうかもわかりません。この状況は、いったいどういう判断をすればいいのか。ただただつらいことがあるばかりではない…楽しいこともある。実際、娘も「楽しい」と言っている。でも、泣いて帰ったり…できないことを注意されたりする。通常学級にこのままいて、いいのだろうか。どっちつかずの考えが、私の頭の中でぐるぐる回る日々が続きました。娘が帰宅した時、どんな顔をしているか…泣いている?笑っている?学校は楽しかった?楽しくなかった?そればかり気になるようになりました。Upload By SAKURA悩んで悩んで、たどりついた大切なコトはその堂々巡りの日々の中で、私が考えなければならないのは…本当に大事にしなければいけないのは…なんだろう…と考え続けました。Upload By SAKURA気づいたこと…それは、当たり前かもしれませんが「娘が笑顔でいられること」。進学先を決めるときに、一番の基本にしたことでした。そして、「それを見守る私自身も、笑顔でいられること」だと、改めて気づくことで、自分の思いが、少し固まるような感覚になりました。私はこの気持ちを大切にして、娘の居場所について、改めて考え、前に進むことにしました。この進級に関するお話は、長くなりますので、数回に分けてお話ししたいと思います。しばらくお付き合いいただければ、嬉しいです。広汎性発達障害の娘の就学相談で、迷った末に通常学級への進学を決めた私たち夫婦でしたが…入学後、徐々に娘には合わなくなってきたことから、この先どうするか…また新たに迷い始めた私たち。そんな時、今まで知らなかった情報が分かったのです。情報が把握できず学校や行政と行き違いになったことへの後悔と、そこから学んだことをお伝えします。
2018年03月07日おしゃれ大好きの娘、将来の夢は?広汎性発達障害のある6歳の娘は、おしゃれが大好き。おしゃれな洋服、可愛い髪型、テレビで紹介されるファッション、お化粧…ゲームも着せ替えゲームを好んで、よくやります。とにかく、着飾るものに興味津々です。Upload By SAKURAそんな娘が、1年前に言い出した将来の夢は…Upload By SAKURA「大きくなったら、ファッションになりたい!」と言い始めました。ファッション…?ファッションが好きすぎて、ファッションになりたい宣言(笑)ファッションのなかで何をやりたいのか、説明してみると…そこで、ファッション自体は仕事ではないことを教え、どんな洋服を作るか絵を描いて考える人(デザイナー)、洋服を作る人(パタンナー)、どの洋服を着るか決める人(スタイリスト)、洋服を売る人(ショップの店員)、など、ファッションに携わるたくさんの人がいることを、簡単に説明しました。すると、絵を描くのが大好きな娘は、「描く人!」と即答。Upload By SAKURA夢に向けて、娘のファッショニスタ修行はじまる!それから、娘のデザインが始まりました。描く!描く!とにかく描く!(笑)Upload By SAKURAUpload By SAKURAUpload By SAKURA高まる娘の女子力。ファッションチェックはじめました!さらに、娘はファッションのスタイルの種類を覚えるようになりました。ガーリー、ポップ、スポーティー、ロリータ、モード、エスニック…もうはっきり言って、同じ女であるはずの私にも、ついていけない!!!毎朝、学校に来ていく服のスタイルを、私に説明しないと気が済まないようになりました。Upload By SAKURA外出先でも、大きな声で、ファッションチェック。やめて…今日のママのファッションは…ただのラクさを重視した普段着(ダサめ)なの…恥ずかしいから…まじやめて…!!!!我が家で、最も女子力の高い娘。完全に負けている私にダメ出しする日も、きっと近い…(笑)
2018年02月21日「バレンタインって?」広汎性発達障害の娘に説明すると…女の子が夢中になるイベント…それはバレンタイン♡うちの娘も例外ではありません。初めて意味を理解したのは、娘が4歳の時。当時はしゃべりも理解力も、まだまだだったので、簡単な言葉と、絵で説明してみました。Upload By SAKURA「チョコを一人で作りたい!」5歳になった娘がやる気になった!?そして翌年、娘5歳。娘は、スーパーのバレンタインコーナーなどを見て、バレンタインが近いことに気づき、「早く作らなきゃ~!!私一人で作りたい!!」とやる気満々。4歳の時も、チョコレートは作りましたが、私がほとんどやったようなもの。一人で挑戦させたら、やり遂げることが、娘の自信に繋がるかもしれない。「やればできる」と思ってもらいたい!あげる相手はどうせパパ…失敗しても大したことはない(ひどい)…ということで、市販のバレンタインキットを使って、初めて一人で作らせることにしました。Upload By SAKURA娘がやりやすいように、準備できるところは?購入したキットには、材料がほとんど入っていたので、準備も楽。とは言っても、説明書の字が読めない娘。そこで私は、あらかじめ説明を読んで、説明絵を作ることにしました。順序を絵に描き、順番もわかりやすくするため、材料が入っている袋に番号を書きました。Upload By SAKURA「…(ああ~こぼれるッ)!」娘一人でやり遂げるために、お口チャックで見守ります娘に絵を見せ、ざっと説明すると、「よし!わかった!私一人でやるぞー!」と調理を開始しました。娘がやっている最中、私は最低限のこと以外は口を出さないようにしました。何度も手助けしたくなりましたが、ぐっと我慢…!手伝うこともせず、とにかく見守ります。それは、娘が「一人でやる」と言ったことを大事にしたいと同時に、一人でやることの大変さを理解してもらいたい、という気持ちからでした。口も手も出さないわけですから、もしかしたら取り返しのつかない失敗をする可能性もあります。間違えても大丈夫なように、予備もスタンバイしました。視覚優先で情報収集するという特性がある娘は、説明絵を真剣に見ながら、材料とにらめっこ。加えて真面目過ぎる性格が、功を奏し、一つひとつ確認しながら作業を進めていきました。Upload By SAKURA「できた!」大喜びの娘、でもちょっと待って…?Upload By SAKURA一時間ほどかけながらデコレーションまで終わらせ、冷蔵庫で固めて完成!初めて一人で作った娘は、できあがったものを嬉しそうに眺めていました。そして味見…味見…自分が作ったものがよっぽどおいしかったのか、味見が止まりませんでした(笑)貴重なチョコにパパ大喜び♡「あーさんのバレンタイン作戦」大成功なんとか守った残りをラッピングし、パパにプレゼント。初めて娘が一人で作ったチョコレートを、嬉しそうに味わうパパ。Upload By SAKURA半分以上、あげる前に娘が食べてしまったことは内緒です(笑)今年のバレンタインも、娘と相談し、お菓子を作る予定です。去年よりお姉さんになり、できることも増えた娘。今年のバレンタインはどうなるかな~!楽しみです!
2018年02月07日小学校入学した広汎性発達障害の娘。勉強についていける?広汎性発達障害の娘は、小学1年生。小学生になる前に、親として、色々心配がありましたが、その中の一つが学校の「授業」。先生がクラスの子どもを一気に教える授業。娘が理解できるか…集中して受けられるのか…ついて行けるか…不安が募ります。Upload By SAKURAうまくいっていたのもつかの間!?担任の先生に告げられた娘の様子入学当初は、ひらがな五十音だったり…数字だったり…授業も宿題も簡単なものだけだったので、ついていけているようでした。Upload By SAKURAしかし、少しずつ内容が濃くなり…入学して2ヶ月ほど経った時、担任の先生から「授業についていけていない」という話をされました。娘は、先生が全体にする指示を聞き取れず、周りの子から大幅に遅れているとのことでした。また、授業中にマイワールドに入ることが多く、授業も聞いていないようでした。ちょっとだけ「小学生になったら、意外と何とかなるんじゃないかな」と思っていた私。自分の甘さを反省しつつ、新たにできた課題に挑むことにしました。発達外来の先生に相談したら…意外にも娘に必要だったのは今まで自宅での生活面や、コミュニケーションについては、いろいろ試してきましたが、小学生の勉強、授業の問題となると、ノープラン!!そこで私は、いつも的確なアドバイスをくれる、娘の主治医である、発達外来の先生に相談することにしました。私の話を聞き終わった後、先生は「宿題ってどんなものが出てる?」と聞いていきました。Upload By SAKURA先生は「おそらく宿題は、学校でやったことを確認するような復習の内容だと思う。発達障害のある子どもの多くは、復習と言うのはあんまり必要じゃないんですよ。娘さんのような子たちは、見通しのつかないことが苦手。初めて聞くことには、興味を惹かれないんです。こういう子にとっては、授業で聞くことは、二回目であったほうがいいんです。『あ、聞いたことある!』というのが、授業を聞こう!って興味になるんです。」とアドバイスをくれました。「だから、復習よりも予習が大事なんです。一度やってることは、自信にも繋がりますよ。」またまた私は、目からうろこ!何度この先生からのアドバイスに、うろこを落とした事か(笑)みんなと違う宿題をやってみる?それから先生はこんなことを言いました。「学校の先生にお願いして、みんなと違う宿題をだしてもらったらどうですか?例えば、来週出す予定の宿題を、先にもらうとか。」しかし…宿題を一人だけ別に…なんて…担任の先生の手を、これ以上煩わせるわけにはいかない。Upload By SAKURA学校で来週やる範囲をお家で予習!そこで私は、学校の先生に事情を説明し、毎週、来週やる授業の予定範囲を聞くことにしました。そして、娘が帰宅後、みんなと同じ宿題を終わらせた後、授業で使う教科書と、ワークブックをコピーして、来週予定のものを、先にやることにしました。ここでポイントなのは、教科書を書き写したりしてやるのではなく、同じ教科書やワークの、実際にやるものをコピーして使うこと!娘は視覚優先という特性があり、問題を書き写しても、それは同じものではありません。授業の時に娘が、「見たことある!」と思うよう、コピーを使うのです。娘は、この予習を毎日頑張ってくれました。Upload By SAKURA「やったことある」が授業中の娘をサポート!予習を始めて、1ヶ月ほど経った時、授業中の娘に変化がありました。学校の先生に聞いたところ、指示をしなければ書けなかったところが、 スッと書けているとのことでした。予習として事前にやっているためでしょう。もちろん、同じものをやっているので、当たり前と言えば、当たり前。しかし、娘にとっては「授業がわかるという自信」につながっているようでした。娘の口から、自信満々な授業の話を聞くと、私も嬉しくなり、予習の大切さを改めて感じました。Upload By SAKURA授業中はサポートできないけれど、家でできることは親子でやってみる娘は、みんなと同じ勉強方法・勉強量では、ついていけません。小学校に通っているからと言って、 学校にすべてを任せるのではなく、 娘がみんなと同じようにやれるように…家でも、努力でカバーできることは、 とにかくやってみる!! そういう気持ちをもって、取り組んできました。そうするうちに、授業を少しずつ聞けるようになってきたようで、予習をすることも少しずつ減ってきました。算数に関しては、ほとんど必要ないほどに。言語が苦手な娘は、国語が苦手。文章を読み取って問題に答える、文章問題や、文章を自分で構成しなければならない、感想文や作文は、まだまだです。ですが、徐々に、授業でやったプリントを、先生の指示を聞きながら、自分で丸付けできるようにもなりました。1年生も、残り僅か。4月には、娘も2年生になります。2年生になれば、勉強もより難しくなります。宿題やテストの結果などから、娘の学習状況を確認しつつ、担任の先生に授業の様子を細かく聞きながら、予習を調整していきたいと思っています。Upload By SAKURA
2018年01月24日猫の手貸して~育児絵日記~
うちはモフモフ暮らし
めまぐるしいけど愛おしい、空回り母ちゃんの日々